【メシアの最大のお供え】
これらの言葉の意味が分かるか。
多くの菩薩衆や、天の神々、人々、阿修羅などが、
このように《自身の身をヤハウェにお供えする》と言う供養を行っているのだ。
自身の身命をヤハウェに供養する事により、世の光明としようと言うメシアもいれば、
自身の腕や手足、体の多くの機能をヤハウェに供養しているメシアもいる。
あるいは両目をヤハウェに供養し、あるいは両耳をヤハウェに供養し、
また、あるいは自らの純潔をヤハウェに供養するメシアもいる。
人として生まれてくるときに、目をヤハウェに供養して生まれれば、
メシアは盲人として生まれる。しかし、彼は盲人ではない。
如実にヤハウェの光を見る。
人として生まれてくるときに、自身の脳の中をヤハウェに供養して生まれるならば、
メシアは世に言う知恵おくれとして生まれる。しかし、彼は智慧が遅れているのではない。
人としての知識の習得はなかなかできないだけである。
彼は、ヤハウェを知る智慧に優れた者となる。
また、生まれた後、目を失う者は、
自らの目をヤハウェに供養すると言う難行苦行を行った者なのだ。
また、生まれた後、手足を失う者は、自身の手足をヤハウェに供養した者なのだ。
それらの行により、後に王の子として生まれ、またヤハウェとなる。
手足は戻り、荘厳なるヤハウェとなる。
目が見える者には、目の見えない者の苦しみや悲しみがわからない。
耳が聞こええる者には、耳の聞こえない者の苦しみや悲しみがわからない。
手足が自由に動かせる者には、手足が動かせない者の苦しみや悲しみがわからない。
だから、薬王菩薩は目や耳、また手足などを供養するのだ。
人よ。
《女人不成仏》と言われ、《極悪非道の男は成仏しても、女人は成仏すべからず》。
と聞く女人の悲しみは、いかほどであろうか。
この悲しみ苦しみを知るために、薬王菩薩は女人としても生まれる。
JHVHを供養するのに、自らの身を以て供える。これが供養の中の最大一。
五体満足にして、金品宝物を供養する菩薩よりも、
自らの身を以て供養し、五体に欠けたところを持つ菩薩は、より優れた供養を行った者である。
男として、その身を保ち、金銀財宝を供養する菩薩よりも、
自らの仏の身をJHVHに供養し、女として生まれる菩薩は、
より優れた供養をすでに行った者である。
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