NHKの冗談めいた番組の運びに一瞬だまされた。大相撲中継はできなかったが、その代わりに幕内全取り組みとして編集したものの中から、いつもの結び一番という定位置通りに、白鵬と琴欧洲が出て来なかったのだ。
といっても、すぐに謎は解けた。順当に勝てば、放送の順を狂わせただけだとわかるが、どんな意図があって、白鵬戦をあんな位置に置いたのか。不思議に思う。
そんな冗談は側に寄せつけないほど、重大なことが、土俵で進行していた。いうまでもなく、白鵬の連勝記録が大鵬が打ちたてた45連勝に肩を並べた記念碑的な一番が行われていたのだ。
大鵬について今更での偉大さを語ろうとは思わない。大鵬という名を聞くだけで、相撲ファンは語るに尽きぬことを思い出すだろうし、神話に近いさまざまな話を、この先語りついでいくだろう。
そして、恐らく、大鵬の側からは、さわやかに肩を並べられたことに関する喜びのコメントが出されてくるだろう。ここまでは、私の書いたことに万々間違いないと思うのだが、大鵬の連勝記録に並んだ白鵬の胸の中を去来するものは、一体どんなものか、その一端さえも、うかがいしれないものだと思う。
双葉山はあまりにも偉大である。一方で大鵬の記録に並んだ以上、この先は、永遠にたとえられるほどの距離感のある自分自身との戦いだけが待っているのだ。
そして、それは喜びに充ちたものなのか、それとも、永遠にたとえた一瞬一瞬がたとえようもない孤独に色濃く塗りこめられたものになって行くものなのか。
こう書いたとはいえ、白鵬自身の心境など、私らには、及びもつかぬ類のものなのである。ただ、ひとつ、このことを考えて、幸せだなと思うことがある。
それは、明日から、大鵬の大記録に、白鵬がどのように戦い、どのような成果を上げるか、それを見届けることができるからにほかならない。
白鵬に関して、もうひと言つけ加えておこう。恐らく、双葉山の記録に挑もうとする白鵬には、すさまじい数の心情応援者がはさまってくるだろう。このことには確信を持っている。なぜなら、私は双葉山69連勝時代のことを知っているからなのだ。 (作家)
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