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はやぶさ、7年間の旅
チーム「はやぶさ」の挑戦〜技術者が語り尽くす〜

第4話 「長い旅を支えし者たち」軌道計画、地上システム設計、運用担当者

取材・執筆文 松浦 晋也

一緒に成長できた幸運、そして最後の運用

Q:具体的に復路の軌道計画は、往路と比べてどう変わったのでしょう。

松岡:2基のリアクションホイールに加えて、この時点で燃料漏洩により、姿勢を制御できる化学エンジンも使えなくなっていたので、往路とはかなり考え方を変えなければなりませんでした。具体的には、イオンエンジンに頼るしかなくなったので、イオンエンジンを止めるわけにはいかなくなったわけです。往路では推進剤のキセノンの使用量を減らすことを一番に考えて軌道計画を最適化していったのですが、復路では「多少効率が悪くてもいい。ここはイオンエンジンを運転し続けるほうが優先だ」ということになりました。多少は軌道が振れてもいい、最後にきちっと帳尻があってぴったり軌道が合えばそれでいいという方針で軌道計画を行いました。

Q:しかし、最後はまさにどんぴしゃりの精度でオーストラリア・ウーメラ砂漠に再突入させることに成功しました。最後の何回かの軌道修正(TCM)はどうやって決めていったのでしょうか。

松岡:2010年2月に入ってから、何度も打ち合わせをして最終的なTCMの方針が決まりました。太陽方向やアンテナの向きなどからくる制約が思っていたよりもきつくて、なるべく「はやぶさ」の姿勢を変更しないでTCMの噴射を行わねばならないことが分かりました。、「いつ、どの方向にどれだけイオンエンジンを運転するか」というTCMの組み合わせを見つけるのが大変に難しかったです。
考え方を分かりやすく説明すると、「はやぶさ」を地球に正確に導くということは、地球と「はやぶさ」の位置を合わせることなのですが、TCMでは、さまざまな制約により 噴射時刻と限られた範囲の噴射の方向という2つのパラメーターしか変えることができませんでした。だから、合わせていくパラメーターを2つに絞るという戦略をとりました。つまり、再突入の時刻と、その時の地球中心からの距離の2つです。この2つのパラメータを組み合わせることでTCMの軌道計画を作成していったのです。

■「はやぶさ」試料回収カプセルの再突入結果について(2010年6月16日発表資料より)

図版:「はやぶさ」試料回収カプセルの再突入結果について
※TCM:軌道修正 (Trajectory Correction Maneuver) イオンエンジンにて実施のため長時間を要する。

Q:6月13日、帰還の日、皆さんどこでどうしておられましたか。

川田:私と中村は、2人とも相模原の運用室でコマンド送信卓についていました。再突入カプセルの分離前後は送信するコマンドが多かったので、2人体制で送信することになったのです。

杉浦:タッチダウンの時と同じで、通信システムのトラブルに備えて相模原で待機していました。

松岡:運用室で、分離後に軌道データを受け取って、再突入カプセルがどこに落ちるかという計算をウーメラの回収隊にいる担当者と連絡を取りながらしていました。最後に「はやぶさ」が地平の向こうにいって電波が届かなくなり、運用室では「わっ」と拍手が起きたのですが、私はそれを横目で見ながらせっせと計算していました。実際には再突入はきれいに予定通りにうまくいったので、私の計算は不要になったのですけれど。(笑)

Q:最後は宇宙研の橋本先生が、カメラを復活させて地球を撮影しようとして四苦八苦していたと聞いています。最後に「はやぶさ」に送信したコマンドはどんなものだったんでしょうか。

中村:ここでも最後は私でした。最後のコマンドは、データレコーダーに記録されたデータを一気に地上へ送信しろ、というものです。コマンドの実行途中で通信が途切れたのですが、それがあの最後の地球の画像 です。


写真:はやぶさ最後の地球撮像画像

川田:本当は再突入の瞬間まで追いかけたかったよね。最後の運用は内之浦の34mパラボラアンテナを使って行ったのですが、「はやぶさ」が山の影に隠れて、通信が途切れたのです。その時「山だよ」と声が上がりました。

松岡普通、衛星は地上から停波コマンドを送信して、運用を終了するのですが、「はやぶさ」の場合は電波の見通し外へと消える終わり方でした。珍しいパターンでしたね。

Q:7年間に及ぶ運用を終えて、なにか感想はありますか。

杉浦:幾多の苦難を乗り切った、本当に幸運な探査機だと思います。

川田:私は、最初から最後まで運用に関わることができた自分も幸運だったと思っています。

中村:私もですね。最初から最後までやったというのが自分の宝物です。

松岡:幸運かなあ……つらいこともありましたけれど、「はやぶさ」は、技術者としての自分の成長を実感できた探査機でした。願わくば、後輩達にも同じような経験を積む機会があればいいなと思います。


写真:取材中の様子

6月13日、内之浦34mパラボラアンテナは、「はやぶさ」との最後の通信を実施した。午後7時51分、再突入カプセルを正常に分離。カプセルが分離したことで、「はやぶさ」の姿勢はゆっくりと崩れ始める。奥の手であるイオンエンジン中和器からのキセノン生ガス噴射で姿勢を建て直しつつ、ずっと電源を切っていた航法用広角カメラを起動。地球の撮影に挑み始める。なかなか言うことを聞かない機体をぐるりと回してカメラを地球に向け、最後の画像を撮影する。午後10時28分、最後の画像を送信する途中で、内之浦から見る「はやぶさ」は地平線の山の端に没して通信は途切れた。7年に及ぶ「はやぶさ」運用はこうしてすべて終了した。
その時、運用室にざわめきが起こった。3つの花束が出てきたのだ。贈られたのは、川田、中村など7年もの長い間、はやぶさにコマンドを送り続けてきた男達だ。事前に知らされていなかった彼らは驚いた。


川田:それはびっくりしましたよ。

中村:え、自分がうけとっていいの?

そして拍手、また拍手。彼らが表舞台に立つことはない。しかしその働きは探査機運用に不可欠だ。花束は一瞬、彼らにスポットライトを当てたのだった。


写真:相模原の運用室で花束を贈られる川田と中村
相模原の運用室で花束を贈られる川田と中村

相模原の管制室が拍手で満たされたその時、はやぶさは地球大気圏再突入を控えてオーストラリア大陸に近づきつつあった。その目には大きく拡がった夜の地球が見えていた。
光はオーストラリア西海岸の都市であり、その先に控える闇の中に、7年もの旅の終点、ウーメラ砂漠が控えていた。
「還ってきた・・・・」長い旅を支えし者たちへの小さな花束は、はやぶさから贈られた最後の感謝のメッセージだったのかもしれない。


写真:集合写真

出演者の紹介(写真左から)

NECネッツエスアイ
社会インフラシステム事業部  宇宙フィールドサービス部所属
川田  淳
1992年入社以来、科学衛星運用業務一筋に従事、「はやぶさ」の運用を経て、現在は金星探査機「あかつき」の運用業務に従事。
 
NECネッツエスアイ
社会インフラシステム事業部  宇宙フィールドサービス部所属
中村  陽介
1993年入社以来、科学衛星運用業務一筋に従事、「はやぶさ」の運用を経て、現在は太陽観測衛星「ひので」の運用業務に従事。
 
NEC航空宇宙システム
宇宙・情報システム事業部  第二技術部
マネージャ  杉浦 正典
入社以来、ロケット・人工衛星の地上システムの設計を担当。
「はやぶさ」では、深宇宙探査機用の追跡局ソフトウェア設計を担当。
 
NEC航空宇宙システム
宇宙・情報システム事業部  第三技術部
主任  松岡 正敏
深宇宙探査機(はやぶさ、かぐや等)の軌道計画を担当。「はやぶさ」では、開発初期から帰還運用に至るまでを一貫して担当。
 

取材・執筆文 松浦晋也 2010年7月7日
 

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