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はやぶさ、7年間の旅
チーム「はやぶさ」の挑戦〜技術者が語り尽くす〜

第4話 「長い旅を支えし者たち」軌道計画、地上システム設計、運用担当者

取材・執筆文 松浦 晋也

イトカワへの長い日々、運用者達の日常

写真:軌道計画担当 NEC航空宇宙システム 松岡 正敏
軌道計画担当
NEC航空宇宙システム 松岡 正敏

Q:まず、「はやぶさ」の運用は具体的にどんなものだったんでしょうか。

松岡:チームを組んで一週間単位で行います。まず、運用の責任者であるスーパーバイザーがいます。これはJAXAの方が担当します。そして探査機の姿勢担当、軌道担当といったメーカー技術者が入ります。そして中村さんや川田さんのような、直接のコマンド送信を担当する方がいます。これに運用当番と呼ばれる学生さんなどが加わって、だいたい5〜6人が一つのチームになって一週間単位で交代しながら、探査機の面倒を見るわけです。

中村:私と川田さんは2人で二週間から三週間ずつで交代しながら、7年間、「はやぶさ」の運用に参加しました。役割はコマンドの送信です。立案されたコマンドは、すべて私たち2人のどちらかの手で、「はやぶさ」に向けて送信されたわけです。

Q:ちなみに、コマンド送信はどうやってやるのでしょうか。バシッっとキーボードのエンターキーを叩くとか……。

川田:そうですね、今は運用を行うパソコンのキーボードでコマンドを入力し、エンターキー一発で送信します。以前はボタンやスイッチが付いた専用の操作卓で行っていました。今のようなキーボードで操作を行うようになったのは、1998年に打ち上げた火星探査機「のぞみ」からです。

Q:一週間はどんなスケジュールで回していたのでしょうか。

松岡:火曜日が一番大事な日で、一週間分のコマンドをまとめて送信することになっていました。水曜日が軌道決定の日で、イオンエンジンを止めて、「はやぶさ」の飛んでいる軌道を計測します。木曜日には、翌週の軌道計画を立てます。水曜日に測定したデータに基づいて、次の火曜日からイオンエンジンをどちらの方向にどれほどの出力で噴射するかを計算し、「はやぶさ」の運用を決める運用会議に提案して了承を得ます 。運用そのものは土曜日も行って日曜日がお休みです。金曜日は、火曜日に送信するコマンドの作成を行い、また火曜日になってコマンド送信、この繰り返しでした。

Q:軌道の計測はどのように行うのでしょうか。

写真:地上システム設計担当 NEC航空宇宙システム 杉浦 正典
地上システム設計担当
NEC航空宇宙システム 杉浦 正典

杉浦:それは地上系のソフトウエアを担当した私から説明しましょう。軌道の計測はレンジングとドップラーシフトの計測に分かれます。レンジングは、「はやぶさ」に特定の信号を送り、探査機側が同じ信号をオウム返しに返してくる時間を測定し、距離を調べるというものです。ドップラーシフトの計測は、受信する電波の周波数のずれから距離の変化率を測定するというものです。距離と距離の変化率の2つが分かれば、探査機が飛んでいる軌道を決定できます。

松岡:ドップラーはほぼ毎日測定しました。一方レンジングは週に1、2回でした。得られたデータから軌道が決定されます。 私は得られた軌道から次の軌道計画を作成するという仕事をしたわけです。化学エンジンを使う場合は、目標の軌道にいったん投入した後の運用は、探査機の状態を調べる程度の淡々としたもの なのですが、「はやぶさ」は、イオンエンジンを噴射し続け、日々軌道が変わっていくので、毎週軌道計画が必要になるわけです。毎週毎週、ひたすら軌道を計算しなくてはなりませんでした。

Q:軌道計算ではどのあたりで苦労したのでしょうか。

松岡:「余裕を持たせてくれ」と随分言われました。「軌道計算は最適であるべきなのだけれど、最適なだけではダメだ。なにかトラブルが出た場合もリカバリーが効くような余裕を軌道計画に入れておいてもらいたい」というのです。いつもなら「ばりばり計算して」ぎりぎりまで最適化した軌道を算出するのですけれど、それではダメということで、そのあたりは工夫のしどころでした。

Q:往路ではどのあたりが印象に残っていますか。

松岡:2004年5月の地球スイングバイの後ですね。イトカワにランデブーするため「はやぶさ」の軌道をイトカワの軌道に合わせていくのはかなり大変でした。特にイトカワ到着前の7月にリアクションホイールが1基壊れたのは痛かったです。これで予定していた時期 にイオンエンジンを噴射することができなくなってしまったんですよ。「軌道計画のほうを変えてなんとかしてほしい」と言われて、結局イオンエンジンの担当者と相談してイオンエンジン3基の全力運転でやっと到達しました。イトカワが見えてきた時は、本当に「着いた!」と思いました。「これで休めるぞ」とも(笑)。でも、10月に2基目のリアクションホイールが壊れたことで、観測運用にも連日の軌道計画が必要になって休めませんでした。

図版:小惑星到着までの軌道
小惑星到着までの軌道

川田:2005年のタッチダウン運用の時は、私と中村さんは12時間勤務2交代で休みなしの24時間運用となりました。

松岡:で、私も休みなしです。(笑えませんね)

中村:なぜか、なにかがあるときは川田さんじゃなくて、私が運用に参加している時なんですよ。大きなイベントが起きるときはいつも私が当番なんです。11月19日から20日にかけての第1回タッチダウンの時は、ちょうど川田さんから私に交代になったところで本番となりました。

川田:私も本当は帰って休養しなくちゃいけないんだけれど、安心できなくって帰るに帰れず、運用室で見ていました。

中村:最後の着陸動作に入って、どうやら着陸したらしいんだけれど何が起きているか分からない。運用室に詰めた皆さんも「どうなっているんだ?」と考え込んでしまっていて、次に送るコマンドの指示がなかなか出ないんです。

Q:後で30分も着陸しっぱなしだったと分かった時ですね。

中村:結局、化学エンジンを噴射して緊急離陸させました。

松岡:あの時は、次のタッチダウンを11月26日にやって、12月初旬にはイトカワを出発しないと、2007年の帰還ができなくなるというせっぱ詰まった状態でした。エンジンの噴射って何回やったっけ?2回?……

中村:3回です。

松岡:そうか、3回か。「え、そんなにイトカワから離しちゃうの」と思いつつ見ていました。

Q:あの時は凄かったですよね。イトカワから100km以上離れたんでしたっけ。9月の到着時は慎重に慎重にゆっくりとイトカワとの距離を詰めていたので、はたから見ていると、この時は「こんなに離れたら、もうイトカワへの着陸は無理だな」と思いました。だから2日で第2回のタッチダウンの準備を終えたのには本当にびっくりしましたよ。

松岡:「2日で元の位置に戻して欲しい」と言われました。イトカワは「はやぶさ」のカメラの視界に入っていましたから、とにかくえいやっと化学エンジンを噴射してしまおう、と。思いきりですね。こんな思い切ったことが出来たのは、運用チームがそれまでにイトカワ周辺での運用に慣れていたことが大きいです。




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