コラム&インタビュー

インタビュー

「流域思考」から始めよう(慶大の岸由二教授)(7/26)

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(きし・ゆうじ)1976年東京都立大学(現首都大学東京)理学部博士課程修了。同年、慶應大学生物学教室助手。助教授を経て91年から教授。84年小網代保全活動に合流、91年、TRネット創設に参加。専門は進化生態学、地域生態文化論。著書「自然へのまなざし」、「環境を知るとはどういうことか」(養老孟司と共著)など多数。訳書「人間の本性について」(E.O.ウィルソン著)、「利己的な遺伝子」(ドーキンス著)など多数。近刊は「創造」(E.O.ウィルソン著)

 市民と自然の共存が求められる近郊都市域における生物多様性問題にどう向き合ったらいいか。NPO法人の「小網代(こあじろ)野外活動調整会議」と「鶴見川流域ネットワーキング(TRネット)」の岸由二代表理事(慶應義塾大学生物学教室教授)は、流域単位で生態系を保全する「流域思考」を提言。“行動する学者”として、国や自治体を巻き込んだ実践的な活動を手掛けている。


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三浦半島で生態系を丸ごと保全

――神奈川県・三浦半島で緑地保全に長年取り組んでいますね。

 半島の南端にある三浦市の「小網代の森」です。広さが約70ヘクタールの森ですが、源流から河口、干潟、海まで「浦の川」という小河川の流域生態系が手つかずのまま残されています。現場に入るようになって26年。希少種を含めおよそ2000種類の生物がいることを確認しました。たぶん3000〜4000種類はいるでしょう。この規模の流域生態系が自然のまま残されているのは首都圏ではここだけですね。

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小網代の森の空中写真(神奈川県青少年センター提供)

 1980年代にはゴルフ場を中心とした開発計画がありましたが、貴重な自然を守ろうと関係者の協議が重ねられ、神奈川県が95年、保全方針を打ち出しました。地権者・企業の理解も得て、2005年には「完結した流域生態系が残されている」ことを根拠に首都圏近郊緑地保全地区の指定を受けています。さる7月1日、神奈川県が用地の全面取得を宣言しました。今後は各種助成金などの支援も受け、県と協働するNPO法人による湿原回復作業などが進みます。いずれ河口の干潟についても、ラムサール条約の指定湿地に登録できる日が来ると、私は期待しています。

 生態系の理解には伝統的に全く違う2つの見方があります。1つは生きものが食物連鎖でつながったネットワークとして考える生物中心の見方。もう1つは流域の生態系のように、地理・地形的な枠組みから定義していく見方です。生物多様性を単に生物の多様性と考える主流派は、洋の東西を問わず、地理的な要素を軽視します。その方が論文を書きやすいという側面があるからですね。

 でも、本来の生物多様性(biodiversity)は、地理的な生態系枠組みを抜きに語れません。「…町の生物多様性を保全しよう」ではあいまいですが、「小網代の浦の川の流域の生物多様性を保全しよう」といえば、何をやればいいか焦点が明確になります。それが流域思考の根本です。流域単位で都市域の生態系を丸ごと保全する試みが行われ、大きな成果をあげたのは、たぶん日本ではここ小網代だけでしょう。

「天蓋種」のアカテガニに注目

――具体的にはどのようなアピールをしたのですか。

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産卵のために干潟に夜間集まるアカテガニ(NPO法人・小網代野外活動調整会議提供)

 流域思考の理論だけでは、専門家や行政は説得できても、市民の共感は得られません。そこで私たちは森に生息するアカテガニに注目しました。アカテガニは干潟で産卵し、幼生は海で暮らし、また森にもどってきます。アカテガニの暮らしは小網代の森から海まですべてをカバーしているのです。私たちは「アカテガニの暮らす森と干潟と海を守ろう」というアピールを発しました。それが多くの都市住民の共感を得ることになり、保全を決断する行政への大きな支援となったのです。

実は、生物多様性論議の発端ともなった86年の米国でのシンポジウムの報告集に、アカテガニのように生態系を広く生活域とする種をアンブレラ・スピーシーズ(天蓋種)と名づけて活用すべしという論文が収録されていました。出版と同時にそれを読んだ私は、「おっ、われわれが小網代でやっているのと同じ手法。小網代は世界先端なんだ」と、大いに励まされたものです。ちなみにその報告書の編集者は、生物多様性論の世界的なリーダー、E.O.ウィルソンでした。

天蓋種は食物連鎖で考えるのではなく、生態系をなるべく広く包括的に利用して暮らしていて、なおかつ一般市民の人気者になりそうな生きものを選ぶのがコツです。小網代のアカテガニは絶滅危惧種ではありませんが、森と干潟と海の生態系全体を暮らしの場とする生物であり、みんなが可愛がってくれるので、世論の喚起に本当に役立ってくれたのです。

鶴見川で住民参加型のプロジェクト

――もう一方の活動の柱が、鶴見川のプロジェクトですね。

 鶴見川は東京・町田市の広大な多摩丘陵が源流で、川崎市・横浜市を流れて東京湾に注ぎます。流域に約190万人が居住する都市河川ですが、水系には絶滅危惧種3種を含む50種以上の魚が生息しています。私はその下流で子ども時代を過ごしましたが、大雨のたびに水害が発生しました。上・中流の丘陵地帯の緑が大規模開発され、土地の保水力と遊水力が低下したからです。雑木林がなくなると、その土地の生物多様性も失われてしまいます。

 水害があまりに厳しいので、国が調整役となって関連の自治体をまとめ、1980年から流域単位の総合治水対策が始まりました。以後、流域の連携により、治水が大規模に成功した川として知られています。効果的だったのは、河道の整備・しゅんせつに加えて、源流地の緑の大規模保全、大小3300の雨水調整池や、大規模遊水地などが作られたこと。流域市民の理解・応援も進んでいます。従来であれば下流に大氾濫をもたらしたはずの2日間300ミリ程度の大雨が降っても、いまは氾濫を阻止できる程度に安全度が向上しました。工場や家庭からの排水で汚染された水質も改善され、いまやアユが遡上する川になっています。04年には総合治水だけではなく、生物多様性や地球温暖化にも配慮した、鶴見川流域水マスタープランがつくられています。

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鶴見川水辺の体験活動(TRネット提供)

 鶴見川の流域連携活動にリーダーとして参加するのは50人ほど。ネットワークには43団体が参加し、関連スタッフは150〜200人くらいでしょうか。毎年行う流域規模のクリーンアップ活動には80団体、1800人が参加。流域全体のイベントには数万人が参加。企業連携も進んでいます。小学生を中心とした水辺の学習・体験活動支援も流域規模で進めています。2004年度の参加児童は825人でしたが、順調に増え続け、2007年度からはのべ4000人台で推移しています。

流域活動の研修・交流拠点は、「鶴見川流域センター」という国土交通省の地域防災施設です。子どもや市民の流域学習も支援しつつ、流域住民に、総合治水の重要性、温暖化に対応するさらなる適応策への心構えなどを、しっかり啓発できる施設です。もっかの政治の風のもとでは、なかなか十全の理解・支援を受けにくい活動ですが、こんな活動こそ、50年、100年先の安全を展望した協働による流域治水のエンジンなので、重要性を理解してもらいたいですね。

“花鳥風月の里山”より流域環境文化の構築を

――「里山は生物多様性の宝庫」と言われ、注目されています。流域思考との違いは?

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第1次生物多様性国家戦略のパンフレット

 里山は日本人の農本主義的な心情に強く訴えますが、地理的には小規模かつぼんやりした広がりしかなく、流域のような明確な生態系概念とは違います。一方、流域思考は鶴見川のような都市域であっても、防災対策とも直結して生物多様性保全を扱います。実は第1次生物多様性国家戦略(95〜2000年)で、当時の環境庁は地域戦略として流域思考を採用。鶴見川をそのモデルとし、「生きもののにぎわいのある環境づくり」を全国に波及させようとしていました。

 ところが、途中から里山主義の動きがにわかに活発となり、さんざんもめたあげく、鶴見川の流域生物多様性計画は破棄され、流域水マスタープランに辛うじて救われたという経緯があります。パンフレットも廃棄されました。もったいない限りですね。COP10では里山イニシアチブ構想が提案されるそうですが、“花鳥風月の里山”イメージのイニシアチブは、本当に厳しい生態系破壊にさらされている地球の現実に、はたしてどこまで通用するのでしょうか。

 日本には1級水系が109あり、それらの流域だけで国土の60〜70%をカバーします。それぞれの地域に根差した流域環境文化を構築し、国や自治体、企業などが支援していけば、治水も都市再生も生物多様性も統合的に進められるはず。国レベルでも流域思考の復活を期待しています。

(聞き手は電子報道部・池辺豊)

[2010年7月26日]

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