水説

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水説:リンガ・フランカ=潮田道夫

 <sui-setsu>

 あの夏目漱石が英国に留学中、次のように日記で嘆いている。日本人の英語は変則だから「折角ノ学問見識」もめちゃくちゃと思われてしまう。字がまずいと下品な人に思われるのに似ている。実に残念なことである、と。

 漱石はこれがイヤさに人と交わらず、下宿で本ばかり読んで過ごした。大知識人の漱石でさえこうだ。大概の日本人が英語を鬼門として敬遠するのも無理はない。

 だが、今日、ビジネスの世界では英語を駆使できないと「機会損失」が生じる。つまり、英語ができれば得られた利益を、できないばかりに逃してしまう。

 ユニクロを展開するファーストリテイリングが、社内の公用語を英語にするという。幹部の会議は日本でも英語、文書も基本的に英語で作成するそうだ。柳井正社長は国際英語能力テストTOEICで700点以上の英語力を求めると言う。日産自動車や楽天に続く動きだ。

 これはいいも悪いもない。欧州の国際企業はほぼ例外なく、英語を社内共通語としている。自国文化の伸長に腐心するフランスやドイツでさえビジネスでは英語を世界標準として認めている。従って、一般論として、日本企業もこれに追随するほかない。

 ただ、問題がふたつあると思う。まずTOEIC700点では使い物にならない、ということ。国際交渉を想定するなら900点以上必要だ。ノキアなどの国際企業で働いている人は、大概、それぐらいの力があるだろう。

 もうひとつは、内田樹神戸女学院大教授が言っていることだが、共通の母語を有さない人々が意思疎通するために使う言葉、つまり「リンガ・フランカ」は英語が母語である人の英語(ネーティブ・イングリッシュ)を目標とする必要はない。というより、そうしてはならないのだ。日本人はそこを理解しない。

 内田さんは日本人はネーティブ英語をありがたがるが、それは「言語運用能力と知的能力を同一視」するもので「植民地主義的なマインドと買弁資本的おべんちゃら野郎を再生産するリスクが高い」とブログに書いている。

 冒頭の漱石の嘆きを思い起こしていただきたい。これはまことに正論である。

 シンガポール人は英語がうまいので有名だが、放っておくと華人の共通語が英語になりかねないので、30年以上前にリー・クアンユー首相(当時)は「スピーク・マンダリン(標準中国語を話そう)」運動を始めた。

 心配し過ぎ? 日本人がそこまでうまくなる気遣いはないか。(専門編集委員)

毎日新聞 2010年6月30日 東京朝刊

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