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大相撲:賭博問題 名古屋場所開催 角界改革、出発点に=運動部長・野村隆宏

 大関と親方の角界追放などの処分を受け入れて、大相撲名古屋場所が開催されることになった。毎日新聞の世論調査で6割以上が「中止すべきだ」と回答した声を覆すだけの重さがある処分なのかを、すぐに結論づけるのは難しい。しかし、実態調査と処分案作成を、外部の有識者に預けたという対応は、これまでなかったことだ。理事長を本場所の運営から除外するという措置も、上下関係の厳しい協会内部では、議論すら難しかったろう。

 名古屋場所開催、公益法人の地位確保といった目的のために、致し方なく決断したのかもしれない。しかし、相撲界が外部の人に判断をあおぎ、それを受け入れたのは進歩だ。

 ただ、これは問題の終わりでなく、真の改革に向けた出発点にならねばならない。

 大相撲は、異形の力人(ちからびと)たちによる非日常の世界だ。けた外れに大きな体で、古風なまげを頭に乗せる。周囲に広がるびん付け油の甘い香り、厳しいけいこと勝負で身につけた威厳。力士が現れると、その場の空気は一変する。他のスポーツ選手との大きな違いだ。

 だから、タニマチといわれる支援者は、宴席などに連れていきたがり、多額の祝儀も渡す。「これの威力は大きいよ。名前は知らなくてもちやほやしてくれる」。幕下力士でさえ、まげをつまみながらそう話す。特別な世界の住人だとして、周囲は一般常識から外れた乱暴な行動も大目に見てきた。力士たちも、相撲関係者以外をヨカタ(一般社会の人、世方が語源か)と呼んで区別し、自分たちの特権的な地位に甘えてきたのだ。それを温床に、違法な野球賭博におぼれる力士らが出てきた。

 しかし、そんな前近代的体質が、いつまでも許されるはずがない。07年の時津風部屋力士暴行死事件で、多くのヨカタが、この閉鎖社会のゆがみの恐ろしさを知った。相次いで明るみに出る不祥事に怒りを感じた。反省の度合いが疑われる対応の数々は、それらを倍加させた。

 今回、賭博にかかわった力士らは、調査に対して「暴力団の資金源になるとは知らなかった」と答えた。だが、もう、それではすまされない。組織暴力の害悪の大きさを学ばなければならない。できなければ、大相撲の存続は支持されない。

 外部から示された今回の処分を厳しいと感じるならば、改めるべきことはまだ多い。ヨカタの一員として、根本的な体質改革をさらに求めたい。

毎日新聞 2010年6月29日 東京朝刊

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