処刑台の上で、エルリアは鎖に繋がれながら蹲るように涙を流していた。
「…………!」
―――ちょっと待ってな、エルリア
胸のそこから湧き上がる想い。
自分では受け止めきれないものが涙になって溢れていく。
「………………!!」
―――アンタに手を出した連中は、誰一人ただじゃ済まさない!!!
流しても流しても涙が止まることが無い。
溢れても溢れても胸の奥から湧き出す想いが止まらない。
「……………………ッ!!!」
―――親が子を助けるのに、理由なんかいらねェさ……
思い出されるのは、この戦場の中で掛けられた仲間たちの様々な声や言葉。
こんな自分を決して諦めてくれない、大事な姉妹たち。
「…………」
やがて涙の止まった顔で、エルリアはゆっくりと顔を上げて戦場を見据える。
その頬に、涙の跡を残したまま。
「……どうした?」
「……もう、どんな未来も受け入れる。差し伸べられた手は掴む、アタシを捌く白刃も受け入れる……。そうでないと、それこそ皆に申しわけが立たない」
静かに尋ねてくる当麻に、エルリアはひどく穏やかな声音で答えられた。
「……そうか」
戦場では、吹き飛ばされた菊之介を見て『連合軍』が動揺に揺れていた。
「そんな……!!」
「『七福鬼神』が敗けた!?」
「親方様!!」
そんな敵の隙を縫って、暁製のヒラヒラとした服を着た侍のような出で立ちの少女が仰の前に馳せた。
「ん? トーカか」
トーカ・キリヤナギ。
仰の近衛兵長であり、『十二姫士』が一角。
「は! 近辺の掃討は部下に任せてきました。某も微力ながら、お供仕ります」
「そうか……巻き込まれんじゃねェぞ?」
「御意!」
侍さながらに一礼すると、トーカは仰の獲物に似せた刀を抜いて仰と共に駆け出した。
「!? 親方様、あれを……!!」
「あァ、分かってる……」
トーカが指差す先。
一人の男が佇んでいた。
黒いコートの下には、やはり黒い上下の服装。
その両手には、白と黒の二刀小太刀。
「さぁ仰。あの時の決着を着けようか……」
「不破……恭也……!!」
『六英雄』が一角。
『兇夜』不破恭也が、迫る仰を迎え撃った。
「―――シィッ!!!」
黒い小太刀を一振り。
それだけで、まるでカマイタチのように斬撃が飛ぶ。
「……っと」
「くっ!!?」
それを仰はヒョイと。
トーカは何とか避けて、一瞬足を止める。
「……ずいぶんと腕を上げたじゃねェか」
「当然だろう……」
斬撃の跡を見て仰が感嘆するように賞賛する。
それに恭也は無表情のまま、両手に小太刀を構えた。
「貴様を倒して最強の称号を手にするためなら、俺は幾らでも強くなってみせる」
「! ……あれが、『兇夜』の『魂鋼』……黒白の二刀小太刀」
薄暗いこの戦場の最中にあって、その二振りの刀は自らが白と黒の光を放つように輝いて見えた。
『兇夜』が振るう、最早伝説にもなっている二刀の小太刀。
白の神刀―――守り刀『御神』。
黒の妖刀―――斬り刀『不破』。
至高の防衛能力と究極の攻撃能力を持った、恭也の代名詞ともいえる二振り。
同じ剣士として、その刀の持つ力を観たトーカが、慄くように――あるいは見惚れるようにその刃を見た。
「トーカ。呑まれるな!」
「!?」
仰の声に、はっとする。
いつの間にか自分は、あの刀に吸い寄せられるようにフラフラと歩み寄っていたようだった。
「気をつけろよ。あの野郎の刀は、自分から吸い寄せられるように首を曝しちまうからな……」
仰の言葉を聞いて、トーカはゾッとした。
ただ刀を見ただけで、自分から首を斬られに行くなど。
どれだけ規格外の存在なのかと。
「とはいえ、振るってもいないのに吸い寄せられるたァ。よっぽどオメェの刀への感受性が強いのか、あいつが立ち姿だけでそこまでさせるほど腕を上げたのか……」
「抜け、仰」
面白がるように言う仰に、恭也は表情を変えないままに剣の切っ先を仰ぎに向けた。
「困った野郎だぜ。今は付き合ってやる時間はねェってのに……」
「…………」
苦笑して言う仰に構わず、恭也の剣が振るわれる。
「おっと……」
仰はそれを“受けずに”、すこし大げさなほど大きくその黒刀を避ける。
そのまま地面を蹴り、大きく恭也から距離を離す。
「言ったろう? 俺ァ先を急ぐんだ。相手はまた今度シテヤルヨ」
仰の言葉が異様なほど早く。
いや、仰だけではない。
恭也の周囲の全てがより早くなっていく。
まるでビデオの高速再生のように。
「…………ッ」
「これは……親方様の『怠惰』!」
同じく仰の『権能』に巻き込まれたのトーカが、辺りを見回す。
相手と自分の『体感時間』を操る権能。
これを使われれば、何が起きたのか理解できないままに敗北を喫する事さえある。
だが、
「―――舐めるなッ!!」
―――御神不破我流術 奥義之陸 薙嵐「!?」
仰を襲うのは、同一の白黒の刃による“同時十二斬撃”。
仰はとっさに腰の刀で受け止める。
「…………」
「――――」
仰が驚きに眼を見開き、振り抜いた恭也はその冥い瞳で真っ直ぐに仰の眼を見据える。
そして傍に在ったトーカは、呼吸すら忘れたように息を呑んでその光景を見てた。
「ば、かな……親方様の『怠惰』に追いついたというのか?」
いつの間にか『怠惰』の解けた空間で、トーカが呻く。
抜刀からの連続十二連撃。
それらを“同時”に行う、恭也が編み出した流派の発展型。
士郎曰く、『次元屈折現象』。
魔力もなしに魔術を使うという、出鱈目の極地。
「彼の侍以外に、こんな出鱈目なマネが出来る者が存在するとはね……彼女が知ったらどうなる事やら」とは、これを見た士郎の言葉。
「いや、それ以上に……」
だが、驚くべきはそこではない。
(親方様が、剣を“抜かされた”―――ッ!?)
あの仰が『怠惰』の掛かった空間内で、自分の行動を“強制させられた”。
仰に仕えてから十数年。
ただの一度でさえ見たこともない光景に、トーカは鯉のように口をパクパクとさせるだけだった。
「……抜いたな。仰」
薄っすらと笑みを浮かべる恭也。
「それでいい。これでようやく、存分に戦える」
「!!?」
空いた右手の白刀が、仰の頚動脈を目掛けて奔る。
「親方様!?」
「チィッ……!!!」
驚愕に、一瞬動作が遅れた。
ギリギリで避けた仰の首筋に、赤い線が伝った。
それを気にする間もなく、恭也の剣閃が文字通り閃きの速さで仰を襲う。
剣術という分野では一枚も二枚も上手である恭也を相手に、仰は防戦一方となる。
それでも何とか耐えるように仰の剣を受け止め、
「!!!」
「……が、ぁ」
突然伸び上がってきた仰の蹴りに、顔を打ち据えられて仰は吹き飛んで転がった。
「……つ……強い……!! これが、世界最強の剣士……かつて親方様と共に戦った男」
動く事すら出来ず、ただ傍観に徹するしかなかったトーカが、呻くように呟く。
「……どうした? 立て、仰。この程度で動けなくなる貴様ではあるまい」
「…………」
仰向けに倒れている仰に、恭也が声を掛ける。
これだけ圧倒的な優位に在りながら、その表情には余裕も油断も何一つとしてない。
氷のような表情のままに、倒れる仰に恭也は小太刀の切っ先を向ける。
「全力を出し切れ。あの時代、間違いなく『最強』であった『大逆七業』として!」
言葉にしながら興奮してきたのか。
恭也の声に激昂が混じる。
「……ッ、ガラガラガラ…………ッ!!!!」
倒れていた仰が、突然大声で笑い始めた。
それは本心から楽しんでいるような、清清しいまでの呵呵大笑。
笑いの余韻も納めないまま、仰が地面から起き上がる。
「あァ、悪かったな。テメェを舐めていた。まさか、ここまで腕を上げてたなんてなァ……」
立ち上がると服に付いた汚れを叩いて落す。
「ありゃあ『神速』……じゃねェよな。アレじゃあ俺の『怠惰』には絶対に追いつけねェ……」
―――『神速』。
それは仰たちが昔、恭也から聞いた彼らの流派の奥義の一つ。
特殊な訓練と集中力の果て、自分から意図的に脳と肉体のリミッターを外して行動する奥義。
それによって『遅滞した時間』の中、『自分だけが普段どおりに動ける』というある意味『怠惰』に似た事を起こせるとうい業。
だが、その業は仰の『怠惰』に敵わなかった。
恭也の『神速』があくまで己の時間感覚しか操れなかったのに対し。
仰の『怠惰』は自分も含めて、『自分の周りに存在する全て』の時間感覚を操れた。
どれだけ早く動けても、動いた分だけ遅くされてしまえば、結果は+-0あるいは-にしかならない。
「いいや。あれもまた『神速』だ」
そう言って恭也は首を横に振った。
「……ただし、気と“内功”による身体制御と肉体操作を駆使して、その上で四度『神速』を重ねたものだがな……俺はこれを『殺那』と名付けた」
「“あれ”を四度も重ねたか……脳の神経が焼き切れるぞ?」
仰が眼を細めて言う。
恭也の『神速』は、脳と肉体のリミッターを外したもの。
そしてリミッターというものは、付いているのにはそれなりの理由がある。
そうでありながら、付いている脳や肉体のリミッターを何度も外せばそれなりの代価を支払う事になる。
「かもしれんな。……だからどうした?」
だが恭也は、ただ一言で切り捨てた。
「……なに?」
「貴様に勝つためだ。この非才の身では、その程度の犠牲も無ければ貴様のような“怪物”に届くような刀は振るえんのでな。……むしろ、その程度の犠牲で済むのなら釣りがくる」
「……そうかよ」
恭也が言っている事に嘘は無い。
“非才”という言葉に間違いはない。
この世界に異世界から呼び出された『七人』の異邦人達。
その中で唯一人、この不破恭也という人間には文字通り“特別な才能”というものは何一つ無かった。
こちらの世界で習得できた『魔術』ですら、彼には微々たる量の
魔力しかなかった。
呼び出された彼が唯一持って居たのは、二振りの小太刀と廃れて忘れ去れたような古流剣術のみ。
だが……
「俺も散々“怪物”だの“化け物”だの呼ばれたが……テメェの方が、よっぽどバケモノに見えらァ」
だが逆に言えば。
目の前のこの男は、ただそれだけモノで彼の『六英雄』の一角に―――世界最強の戦力の一人に数えられたのだ。
本当に、ただ二振りの小太刀と、廃れて忘れ去れたような剣術だけで。
今では伝説とまで謳われる二刀の小太刀ですら、元は何の変哲も無かったただの鋼の剣。
それを何十年もの間、地と肉と敵の魔力を受け続け、いつの間にか概念武装と化していたのだ。
それはつまり、ただ己の身一つでそこまで登りつめて来たということに他ならない。
彼は特別な才能も特殊な能力も持たない。
しかし、それでも彼は『世界最強の戦力』の一角なのだ。
「……これ以上の言葉は無用。後は剣にて語ろうか」
鋭い表情のまま、二刀を構える恭也。
「ガラガラガラ……。相変わらず、詰まらねェ野郎だぜ」
それに笑って答えながら、長ドスを逆手に持って鞘に収める仰。
「…………」
「…………」
無言。
静寂。
辺りではまだ戦争が続いているというのに、彼ら二人の空間には何一つ音が聞こえない。
「さて、恭也。久しぶりの決闘だったが、そろそろ幕とするか」
やがて、ポツリと仰が語りかける。
「何を……勝ったつもりか?」
スッと眼を細め、意識を集中。
自らの感覚を『刹那』に切り替える。
「さて、ね……」
「ハッタリ……を言うヤツではないか。良いだろう、何をする気か見せてみろ!」
言いながら仰に飛び掛る恭也。
その中で、恭也は現状に言い知れない違和感を感じていた。
(? ……なんだ?)
両手の小太刀が、仰の首を狙う。
違和感を抱いたまま振るわれた太刀筋は、それでも一切の迷いも鋭さに遜色も無い。
だが。
「無駄だ」
仰の逆手抜刀の一振りに、それは容易く弾かれた。
「む!?」
そして同時に感じていた違和感の正体にも気付く。
(―――反応した? 馬鹿な、『怠惰』は切れているはず……)
仰が恭也の動きに遅滞なく反応できている。
それこそが、違和感の正体。
ほんの数秒前まで、仰は『怠惰』の『権能』―仰の体感時間を上げ、恭也の体感時間を遅くする―を使ってようやく恭也と五分だった。
いや、それでも僅かに恭也の方が速さは勝っているくらいだったはずだ。
だというのに、今その『権能』が切れている状態で仰は恭也に追いついて見せた。
(まさか、まだ『怠惰』が続いている? ……いや、それはない)
自分たち以外のモノクロの風景を見て、それを確信する。
先ほどまでのスロー再生のような景色ではなく、まるで静止画のように完全に停まっている世界。
自分の『刹那』は、正常に機能している。
ならば、何故―――?
「本気で行く。加減は出来ねェ、死んでも恨むなよ?」
「―――何をしたかは知らんが、相変わらず大した男だ。やはり『最強』の称号は飾りではないということか……」
驚きに見開いていた表情を引き締め、恭也もまた抜刀の形に刀を納める。
「そしてそれでこそ、俺が挑む価値がある」
「お互い生きていれば、またどこかで会えらァな……」
恭也の決意の声に仰は軽口で応え、
「「――――――!!!!」」
次の瞬間。
互いの姿は完全に掻き消えた。
(受けてみろ。俺が導き出した、剣の最奧を……ッ!!!)
―――御神不破我流術 奥義之極ッ!!! 恭也の世界から、色彩が失われ、輪郭が失われ、光が失われる。
完全に閉ざされた闇の中。
煌くような輝きを放つ、一筋の剣の軌跡が延びていた。
それは即ち、必殺を約束する必勝の剣筋。
―――閃乃窮―――
(―――殺ったッ!!!)
その仰の首筋に恭也の『不破』が喰いこみ、自分の勝利を確信した。
次の瞬間、恭也の意識は一瞬で暗闇に飲まれた。。
「―――ぜェハァ、ハァ、ハァ、ハァ……ッ」
「お、親方様! ご無事で?」
地面に膝を付いて荒く呼吸を繰り返す仰に、トーカが駆け寄る。
「ああ、トーカ。危ねェから今は近付くな、『暴食』が発動する」
「あ……はい」
トーカを押し留めると、仰はゆっくりと呼吸を繰り返す。
仰が呼吸をする度に、仰を中心として大地が乾くように死んでいく。
やがて恭也の傷がある程度癒えた頃には、恭也の周りは渇ききった砂場になっていた。
「……ふぅ」
「親方様、お見事でした。某程度の目では、最後は何が起こったのか見る事も叶わなかったのですが……」
恭也の回復が終わったのを見計らって、もう一度トーカが近付いて来る。
「ガラガラガラ……!! それでも最後意外はそこそこ追いついてたんだろう? それだけでも大したもんだよ。他の娘達の中で、一体何人が今のを全部見れたことか……」
「親方様? 結局、最後は何をされたのですか?」
「あァ。『怠惰』で自分の速度を上げたのさ。普段使ってる、『相手の速度を落とす』分まで使ってな」
「『怠惰』で? しかしそれなら、最初からそれをされていれば……」
「グラグラグラ!!! なんせこんな使い方した事無かったんでなぁ。ぶっつけ本番てやつだ」
「な……っ」
仰の言葉にトーカは息を呑む。
それはつまり、仰はさらに成長したと言う事なのだから。
未だに強くなる己の主にトーカが畏敬の念を募らせる。
それに気付かないまま、仰は倒れた恭也を楽しげに見据えていた。
「しかし、恭也の野郎、本当に腕を上げやがって……。次はもう勝てねェかもしれねーな」