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何と言って断ろうかと思っていたけど・・・

ママ友達と雑談していて、今話題の裁判員制度で、もし運悪く候補者になってしまったら、何と言って断ろうかという話になった。
何でも、断る正当な理由を述べる「調査票」なるものが送られるそうだが、困ったことに私には、該当する理由がないことになる。
http://www.saibanin.courts.go.jp/introduction/tyousa.html

裁判員制度のメリットとしては、一般市民の感覚を裁判に反映させることによって、世間一般の感覚とかけ離れた判決を回避できるという目的らしい。
この制度の施行が世間で話題になり始めた頃、皆が口を揃えて言っていたのが、有名な「光市母子殺人事件」だった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E5%B8%82%E6%AF%8D%E5%AD%90%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6

「何で地裁は死刑にしないんだ?」
「自分が裁判官だったら絶対こんな奴死刑だ」
そして、
「この事件が裁判員制度で裁かれていたら絶対に死刑だったはず」
これが、この事件を知った日本人の大多数の意見だろう。
私もその一人だった。
そして、一審の地裁が死刑判決を出せなかったのは、裁判官がいくじがなく、当時未成年の被告に死刑判決を下す勇気がなかったせいだろうくらいに考えていた。

その考えが少し揺らぎ始めたのは、田中芳樹氏あたりが低俗呼ばわりしそうな、他ならぬテレビのワイドショーが切っ掛けだった。
私は、芸能人の誰と誰がくっついたの離れたのという話題には全く興味がないが、読書歴の発端が松本清張だっただけに、犯罪とか殺人事件というキーワードにはつい目がいってしまう。
この事件で真っ先に思ったのは、当時18歳だった被告が、いったいどんな親に育てられたのかということだった。
新聞やお堅いニュース番組では、プライバシーに配慮してか、恵まれない家庭環境ということ以上に、あまり詳しくは報道されていない。
実は、私には、この被告と同い年で、生まれた時から我が子のようにかわいがってきた男の子(という年齢ではもうなくなってしまったけど)がいるので、ついその子と比べてしまうのだった。
彼は、周囲の誰もが待ち望んだ中で生まれ、家族、親戚、近所の人誰からもかわいがられて育った。
おかけで、今時の若者らしく、少し弱い面はあるけど、とても優しいいい子になった。
他人様を傷つけるなど、生涯縁のなさそうな青年だ。
しかし、ほぼ同時期に生まれた光市母子殺人事件の被告は、まさにそれとは正反対の環境に育ったらしい。
ワイドショーのインタビューに答える被告の祖父や父親のまるで他人事のような無責任な態度に、被告本人に対して以上に腹の立つ思いがした。
ついで、「女性セブン」とか「週間女性」など、またまた田中芳樹氏が軽蔑しそうな雑誌を立ち読みしたが、ワイドショーよりも更に詳しく犯人の生い立ちが書かれていた。
それでも、女性週刊誌などは誇張や虚偽が多いので、ついでに隣にあった新潮とかの硬派雑誌にも目を通したが、概ねワイドショーや週刊誌の通りらしいことがわかった。
それを読んだ私は、「こんな環境で育ったら絶対ぐれてやる!」と感情的に思ったが、被告の少年は、本当にぐれるのを通り越して凶悪犯罪に走ってしまった。
そして、裁判に携わった判事や弁護士は、当然世間に知られていないこのような被告の生い立ちに関する詳しい資料に接しており、一審で死刑判決に至らなかった理由も、単にいくじなかったからではないのでは、と思うようになった。

さて、もしこの事件が裁判員制度で裁かれ、私がもし、裁判員だったら・・・
この事件はまさに、死刑か無期かという究極の選択を迫られる事件になる。
被害者家族の感情や事件の残忍性、何より性犯罪は再犯率が高いことを考えれば、死刑が妥当だろう。
しかし・・・
そこでどうしても、考えてしまう。
彼がもっと普通のまともな親の元で育っていたら、このような犯罪は犯さなかったのではないか?と。
私達がかわいがってきた子と同じように、周囲の人々から愛され、慈しまれていたら、全く違う人間だったのかもしれないと。
劣悪な環境の人間が皆犯罪に走るわけではないという理屈は承知していても、死刑という全てを無に帰する行為に躊躇を覚えてしまう。
しかし・・・
やっぱり、テレビで何度も裁判の傍聴に向う本村さんの姿に、やっぱり死刑にならないと死んだ二人が浮かばれないと、また考え直す。
でも・・・
どんなに凶悪犯であっても、一人の人間に死を宣告するって、ものすごく重い・・・

結局、自分がもし裁判員だったら、一晩眠れずに悩むでしょう。
悩んで悩んで悩んだ挙句、やぱりどっちとも決められないような気がする。
もしかしたら、一審の裁判官達も似たような気持ちだったのかもしれない。

でも、そこではたと思う。
なんで、赤の他人の私が、自分に全く無関係な事件のことで、こんなに悩まにゃならんのか?と。
日当がもらえるそうだけど、何か精神的苦痛に比して割りに合わない気がする。
とりあえず、今後、裁判員に「当選」しないことを祈ろう。

で、最後にワイドショーや女性週刊誌をバカにしているジュブナイル作家の先生に申し上げたい。
芸能人のゴシップを追いかけるのは、確かに低俗かもしれないが、下らない番組や雑誌でも、お堅い読み物が苦手な人種に、時に重要な社会問題を提議し、それを考える切っ掛けに成り得る場合がある。
「そう、ばかにしたものでもないですよ」ってww

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