今、仮住まいしているちょっと田舎のマンションに越してきて早半年。
目につくのは、大型ホームセンターと、パチンコ屋が半径1km以内に2、3件あり、そのどれもが平日の昼間だというのに、駐車場が半分くらい埋まっていること。
まあ、世の中、必ずしも土日が休みのサラリーマンだけではないので、平日にしか遊べない人もいるんでしょうし、これで生活しているプロもいるらしいのですが、何となく不健全に感じます。
はずかしながら、私はパチンコというものをやったことがないので、やり方やルールすら知らないのですが、銀英のパチンコというものが、いったいどんなものなのか、純粋に興味があります。
旦那の家が代々馬主をしている関係で、競馬ならかなり語れる(特にイギリス、アメリカの伝説の名馬についてとか)んですが、パチンコ、競輪、麻雀の類は、全くと言っていいほど無知な人間です。
ただ、パチンコについては、毎年のように必ず何件か事件になる、「乳幼児を車に置いたまま親がパチンコに興じている間に、車内の子供が熱射病になって死亡」という事件が真っ先に連想されるのです。
それを見越して、最近では託児所付きのパチンコ店も増えてるそうですが、声を大にして「そんなにまでしてやりたいですか!?」と駐車場の車の主達に聞いてみたい気持ちです。
世の中には、理論的には、社会にとって害悪であるとわかっているにも関わらず、様々な理由から、法的に全面禁止できず、取締る法律を強化することで世間と折り合って存在している業種があるということは大人になって知りました。
ヤクザがその典型なんでしょうが、ギャンブルとマルチ商法もそれに当たると考えています。
そんなパチンコに、銀英の版権を売ってしまったとは、原作者が作中で主張した政治思想そのものを売り渡してしまった感が否めません。
鳥山明氏は、何度話しを持ち込まれても、ドラゴンボールのパチンコ化を承諾しなかったそうですが、ドラゴンボールのような、特に重厚なテーマを掲げていない純粋な娯楽作品ならば、まだパチンコになっても、私としては許容できます。
銀英伝のような、「民主主義の腐敗はけしからん」とか言ってる話をパチンコ化されると、「結局、あの作者の政治倫理ってこんな程度だったのか」と失望を禁じえませんでした。