「私にはわかりません。あなたのなさることが正しいのかどうか。でも、私にわかっていることがあります。あなたのなさることが、私はどうしようもなく好きだということです。」
バーミリオン会戦終結時、停戦命令を受諾したヤンに対して、フレデリカの台詞。
ヤンが、バーミリオン会戦時にブリュンヒルトを射程に収めながら政府の停戦命令を受け入れ、砲撃を中止したことは、「民主主義の軍隊として、シビリアンコントロールに忠実な行動であった」として、作中では「賞賛されるべき行為」とされています。
しかし、私にはこれが、銀英伝中「ロイエンタールの叛乱」と並んで納得し難い行いでした。
納得できないのは、停戦命令を受け入れたことそのものよりも、その後のヤンのとった行動です。
ヤンは、一方で勝利を目前にしながら政府の無条件停戦命令を受諾し、その一方でメルカッツを逃がし、彼に何隻かの戦艦と、それに伴う燃料・食糧・人員を託して、そのことを戦場で失われたということにして偽装報告を行いました。
この「動くシャーウッドの森」は、当然ながらいずれ同盟が帝国に併合されることを見越して、戦力を温存・隠蔽し、戦闘を継続させる意思の現れです。
戦闘が継続するということは、またそれに参加する一般兵士が何十万人も戦死するということです。
この救い難い矛盾に、ヤンの周囲のキャラクターの誰もが気づかないところがまたジュブナイルなのですが、やっぱりジュブナイル小説を読み始める多感な時期の青少年に、民主主義やシビリアンコントロールに対して誤った認識を植え付けるのもどうかと思い、この部分を突っ込んでみました。
はっきり言って、ヤンの行動は、民主主義の軍隊の指揮官としても、シビリアンコントロールの遵守という観点からも明らかに間違っています。
あの場合、彼の取るべき行動は、二通りしかありません。
一つは、停戦命令を無視してラインハルトを砲撃し、同盟にとっての最大の脅威を取り除き、自由惑星同盟という国家を守ることです。
当然、命令違反になり、民主主義の軍隊の指揮官としてあるまじき行いですが、結果的に帝国の侵攻を阻止し、自由惑星同盟を滅亡から救うことになったはずです。
命令違反に関しても、「現場レベルでの臨機応変な最良の判断」として通せば、結果オーライで罪は不問にふされた可能性が高かったでしょう。まして、国を守るための行為なのですから、充分に情状酌量されるべきです。
もう一つは、停戦命令を受け入れるのであれば、全ての軍事行動の停止という政府決定にあくまでも従い、メルカッツを帝国に引渡し、戦力の温存などという違法行為をせずに、最後までシビリアンコントロールに忠実である道を選ぶことです。
ヤンは、好んで軍人になったわけではないという経歴を楯に、最後まで子供っぽい自分の個人的嗜好を優先し、結果、自由惑星同盟の滅亡に拍車をかけてしまいました。
好きで軍人になったわけではないと言いながら、彼の周囲にはたくさんの人が集まり、一つの勢力を築いており、最早好き嫌いを言っている状況ではなくなっていたはずです。
どうもヤン一党は、自由惑星同盟という国家なんて滅びても構わないと考えていたようですが、腐敗しているとはいえ、民主主義を標榜する唯一の国家が消滅してしまったら、いったい何が今後民主共和政体を守っていく拠点に成り得るのでしょうか?
最終的に、ヤンの死後、イゼルローン共和政府やバーラト自治政府という非常に小規模な形で民主共和政体が残ることにはなりましたが、帝国との人口比や版図を考えれば、あくまでもお情けで存在させてもらっている規模です。
それならば、宇宙を二分割していた自由惑星同盟を何が何でも生き延びさせ、内部から改革を行った方が、どれほど民主主義の存続に貢献できたことか。
レンネンカンプの拉致事件に始まるヤンのハイネセン脱出行の辺りを見るにつけ、なぜ、もっと政治家なり官僚なりと連携して、信頼関係を構築し、帝国に対抗していかなかったのかと思えてまりません。
それが「大人の対応」ってもんでしょ。
何もヨブさんと組めと言っているのではありません。レベロなり、アイランズなり、ホワン・ルイなり、まあ合格点レベルの政治家はいくらでもいたはずです。
しかし、ヤンは、「政治家は嫌い」という根拠のない子供っぽい理由で、現実から逃避し、同盟の滅亡に貢献してしまいました。
一口に政治家を言っても、個々は別人であり、それを政治家だというだけで敬遠するのは「小説家なんて嫌い」「俳優なんて嫌い」というのと同レベルの幼稚さです。
彼がいま少し大人の対応をしていれば、もしかしたら自由惑星同盟は滅亡を免れたかもしれませんし、その後の戦闘で戦死した何百万人もの人が死なずに済んでいたかもしれないのです。
このヤンのモラトリアムくんぶりを、誰も非難する人はいません。
その点では、戦争したい病を誰にも非難されないラインハルトと環境は非常によく似ています。
本来、現実世界に生きていれば、地位や責任が重い人間ほど、そこに至るまでに、何らかの壁にぶつかり、強制的にモラトリアムから脱却しなければなりません。
ところが、ジュブナイル小説の主人公であるヤンは、最後までそういった厳しい現実から逃げ続け、それを誰にも非難されずに生涯を閉じました。
彼は、多分、あのまま生き延びていたとしても、ずっとモラトリアム青年のままで、そのうちモラトリアム中年になり、最後はモラトリアム老人として死んで行くことでしょう。
そして、自分がモラトリアムだという事実にさえ、生涯気付かず、たくさんの人の命を犠牲にしていくのでしょう。
なんせ彼が伴侶に選んだのは、そういった彼の横っ面を引っ叩く女性ではなく、「そんなあなたの行動がどうしようもなく好き」な女性なのですから。
銀英伝は、ラインハルトはヒルダの、ヤンはフレデリカの過剰な甘やかしによって、主人公二人が、最期まで大人になりきれなかった故に、大量殺戮を行ってしまう話だったと言えます。
私は、ヒルダとフレデリカというキャラは、作者の無意識の女性蔑視の象徴だと考えています。
二人とも、夫を支え、内助の功を発揮しているようで、実は彼らの精神の成長を著しく妨げてしまっているということに、恐らく作者自身気付いていないでしょう。
「私にはわかりません。」
まずこの台詞からして女をバカにしています。
女は何もわからなくていいのだ。ただ、無条件に惚れた男についてくるのがいい女なんだ・・・という「何時代の話だよ」って突っ込みたくなる発想です。
なんで、「わからない」んだよ!
ちょっと考えればわかるじゃん。私だってわかったんだからw
ヤンの行動は、間違ってるのよ。軍人としても、人間としても。
士官学校を次席で卒業したフレデリカは、あの世界では、高等教育を受けたインテリの部類に入る女性のはずです。
軍隊内だけとはいえ、社会人としても立派に職責を果たしていて、階級も少佐という男に負けない地位を持っています。
学校に行ったことがあるかどうかも不明なエヴァやエルフリーデとはわけが違います。
そんな女性にあんな単純なことを「私にはわかりません」と言わせる作者に、「どんなに学があろうが、社会的に認められる仕事をしていようが、所詮女は無知で愚かな存在だ」という作者の女性観が滲み出て見えてしまうのです。
ともとも 2009年08月05日(水)10時10分 編集・削除
銀英伝って作者がまだ若ーいときの作品ですよね。そう考えるとこの女性観も仕方ないか・・・と思います。いい場面もいっぱいあるんですけどねぇ・・・。私はマルアデッタの前、ビュコック夫人が軍服を出してくるあのシーンが大好きなんです。ああいう夫婦になりたいと思いました。ヒルダもフレデリカも才女として出てきたはずなのに、愛が絡んだ時点でただの女になりました。それはそれで可愛いんだけどな。オルタンスもいっていたでしょう。男は甘やかすとつけあがる生き物なのだよ。ママになっちゃだめなのよ。