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嫌いな台詞ベスト2

「私にはわかりません。あなたのなさることが正しいのかどうか。でも、私にわかっていることがあります。あなたのなさることが、私はどうしようもなく好きだということです。」

バーミリオン会戦終結時、停戦命令を受諾したヤンに対して、フレデリカの台詞。

ヤンが、バーミリオン会戦時にブリュンヒルトを射程に収めながら政府の停戦命令を受け入れ、砲撃を中止したことは、「民主主義の軍隊として、シビリアンコントロールに忠実な行動であった」として、作中では「賞賛されるべき行為」とされています。
しかし、私にはこれが、銀英伝中「ロイエンタールの叛乱」と並んで納得し難い行いでした。
納得できないのは、停戦命令を受け入れたことそのものよりも、その後のヤンのとった行動です。
ヤンは、一方で勝利を目前にしながら政府の無条件停戦命令を受諾し、その一方でメルカッツを逃がし、彼に何隻かの戦艦と、それに伴う燃料・食糧・人員を託して、そのことを戦場で失われたということにして偽装報告を行いました。
この「動くシャーウッドの森」は、当然ながらいずれ同盟が帝国に併合されることを見越して、戦力を温存・隠蔽し、戦闘を継続させる意思の現れです。
戦闘が継続するということは、またそれに参加する一般兵士が何十万人も戦死するということです。
この救い難い矛盾に、ヤンの周囲のキャラクターの誰もが気づかないところがまたジュブナイルなのですが、やっぱりジュブナイル小説を読み始める多感な時期の青少年に、民主主義やシビリアンコントロールに対して誤った認識を植え付けるのもどうかと思い、この部分を突っ込んでみました。

はっきり言って、ヤンの行動は、民主主義の軍隊の指揮官としても、シビリアンコントロールの遵守という観点からも明らかに間違っています。
あの場合、彼の取るべき行動は、二通りしかありません。
一つは、停戦命令を無視してラインハルトを砲撃し、同盟にとっての最大の脅威を取り除き、自由惑星同盟という国家を守ることです。
当然、命令違反になり、民主主義の軍隊の指揮官としてあるまじき行いですが、結果的に帝国の侵攻を阻止し、自由惑星同盟を滅亡から救うことになったはずです。
命令違反に関しても、「現場レベルでの臨機応変な最良の判断」として通せば、結果オーライで罪は不問にふされた可能性が高かったでしょう。まして、国を守るための行為なのですから、充分に情状酌量されるべきです。
もう一つは、停戦命令を受け入れるのであれば、全ての軍事行動の停止という政府決定にあくまでも従い、メルカッツを帝国に引渡し、戦力の温存などという違法行為をせずに、最後までシビリアンコントロールに忠実である道を選ぶことです。

ヤンは、好んで軍人になったわけではないという経歴を楯に、最後まで子供っぽい自分の個人的嗜好を優先し、結果、自由惑星同盟の滅亡に拍車をかけてしまいました。
好きで軍人になったわけではないと言いながら、彼の周囲にはたくさんの人が集まり、一つの勢力を築いており、最早好き嫌いを言っている状況ではなくなっていたはずです。
どうもヤン一党は、自由惑星同盟という国家なんて滅びても構わないと考えていたようですが、腐敗しているとはいえ、民主主義を標榜する唯一の国家が消滅してしまったら、いったい何が今後民主共和政体を守っていく拠点に成り得るのでしょうか?
最終的に、ヤンの死後、イゼルローン共和政府やバーラト自治政府という非常に小規模な形で民主共和政体が残ることにはなりましたが、帝国との人口比や版図を考えれば、あくまでもお情けで存在させてもらっている規模です。
それならば、宇宙を二分割していた自由惑星同盟を何が何でも生き延びさせ、内部から改革を行った方が、どれほど民主主義の存続に貢献できたことか。
レンネンカンプの拉致事件に始まるヤンのハイネセン脱出行の辺りを見るにつけ、なぜ、もっと政治家なり官僚なりと連携して、信頼関係を構築し、帝国に対抗していかなかったのかと思えてまりません。
それが「大人の対応」ってもんでしょ。
何もヨブさんと組めと言っているのではありません。レベロなり、アイランズなり、ホワン・ルイなり、まあ合格点レベルの政治家はいくらでもいたはずです。
しかし、ヤンは、「政治家は嫌い」という根拠のない子供っぽい理由で、現実から逃避し、同盟の滅亡に貢献してしまいました。
一口に政治家を言っても、個々は別人であり、それを政治家だというだけで敬遠するのは「小説家なんて嫌い」「俳優なんて嫌い」というのと同レベルの幼稚さです。
彼がいま少し大人の対応をしていれば、もしかしたら自由惑星同盟は滅亡を免れたかもしれませんし、その後の戦闘で戦死した何百万人もの人が死なずに済んでいたかもしれないのです。
このヤンのモラトリアムくんぶりを、誰も非難する人はいません。
その点では、戦争したい病を誰にも非難されないラインハルトと環境は非常によく似ています。
本来、現実世界に生きていれば、地位や責任が重い人間ほど、そこに至るまでに、何らかの壁にぶつかり、強制的にモラトリアムから脱却しなければなりません。
ところが、ジュブナイル小説の主人公であるヤンは、最後までそういった厳しい現実から逃げ続け、それを誰にも非難されずに生涯を閉じました。
彼は、多分、あのまま生き延びていたとしても、ずっとモラトリアム青年のままで、そのうちモラトリアム中年になり、最後はモラトリアム老人として死んで行くことでしょう。
そして、自分がモラトリアムだという事実にさえ、生涯気付かず、たくさんの人の命を犠牲にしていくのでしょう。
なんせ彼が伴侶に選んだのは、そういった彼の横っ面を引っ叩く女性ではなく、「そんなあなたの行動がどうしようもなく好き」な女性なのですから。

銀英伝は、ラインハルトはヒルダの、ヤンはフレデリカの過剰な甘やかしによって、主人公二人が、最期まで大人になりきれなかった故に、大量殺戮を行ってしまう話だったと言えます。

私は、ヒルダとフレデリカというキャラは、作者の無意識の女性蔑視の象徴だと考えています。
二人とも、夫を支え、内助の功を発揮しているようで、実は彼らの精神の成長を著しく妨げてしまっているということに、恐らく作者自身気付いていないでしょう。

「私にはわかりません。」

まずこの台詞からして女をバカにしています。
女は何もわからなくていいのだ。ただ、無条件に惚れた男についてくるのがいい女なんだ・・・という「何時代の話だよ」って突っ込みたくなる発想です。
なんで、「わからない」んだよ!
ちょっと考えればわかるじゃん。私だってわかったんだからw
ヤンの行動は、間違ってるのよ。軍人としても、人間としても。
士官学校を次席で卒業したフレデリカは、あの世界では、高等教育を受けたインテリの部類に入る女性のはずです。
軍隊内だけとはいえ、社会人としても立派に職責を果たしていて、階級も少佐という男に負けない地位を持っています。
学校に行ったことがあるかどうかも不明なエヴァやエルフリーデとはわけが違います。
そんな女性にあんな単純なことを「私にはわかりません」と言わせる作者に、「どんなに学があろうが、社会的に認められる仕事をしていようが、所詮女は無知で愚かな存在だ」という作者の女性観が滲み出て見えてしまうのです。

トラックバック一覧

コメント一覧

ともとも 2009年08月05日(水)10時10分 編集・削除

銀英伝って作者がまだ若ーいときの作品ですよね。そう考えるとこの女性観も仕方ないか・・・と思います。いい場面もいっぱいあるんですけどねぇ・・・。私はマルアデッタの前、ビュコック夫人が軍服を出してくるあのシーンが大好きなんです。ああいう夫婦になりたいと思いました。ヒルダもフレデリカも才女として出てきたはずなのに、愛が絡んだ時点でただの女になりました。それはそれで可愛いんだけどな。オルタンスもいっていたでしょう。男は甘やかすとつけあがる生き物なのだよ。ママになっちゃだめなのよ。

Jeri 2009年08月05日(水)11時03分 編集・削除

<作者が若い時の作品なので、未熟な女性観は仕方がない

そうです。実は私も最近までそう考えていたので、この不満を20年間封印してきたんです。
私は、田中芳樹作品は銀英伝しか読んだことがありませんし、今後も他の作品を読もうとは思いません。
最近、ネット上で、田中作品全般に関する考察のサイトを見つけました。そのサイトの主旨は、「最近の田中作品はひどい。特に創竜伝は作家個人のストレス解消小説と成り果ててしまっている。我々ファンとしては、銀英伝を書いていた頃の作者に戻って欲しい」というものでした。創竜伝を読んだこともないし、読む気もない私が思ったのは「えー?創竜伝って、銀英伝よりヒドイの?」でした。
田中作品全般の読者に言わせると、氏の民主主義に対する認識や女性観は、年月が経っても成熟するどころか、かえって偏りがひどくなり、欠点が顕著になっていっているようです。
女性キャラに魅力がないというのは、他の作品(アルスラーンとか七都市物語とか)のファンの人も言っていたので、この傾向は、銀英が「若さ故の未熟さ」ではなかったことになります。
それがわかったので、思い切ってブログで暴言吐いてみた次第です。

ともとも 2009年08月05日(水)11時44分 編集・削除

私はヒルダもフレデリカも好きなんですよ。エヴァもそれこそ庭師の女房としてなら「ええ子や~」と思うし、マリーカは「かわええのう♪」(おっさんか!!)と思いますし・・・。ただ、あくまで男社会の話なので、女はどんどん「都合のいい女」に成り下がるんですかね。あのカリンも最後には素直な女の子になったし・・・。結局、最後まで意地を貫き通したのはエルさんぐらいなんですね・・・。
創竜伝にはまつりちゃんという女の子が出てきます。私も半分ぐらいしか読んでいませんが・・・。この人も出てきたときはすごくかっこいい子だったのですが、話が派手になってくるとだんだん出てこなくなりますね。キャラを作るのは得意なのに、生かしきれないんですかね。

Jeri 2009年08月05日(水)13時44分 編集・削除

そうそう。エルフィの「私はお前達のような殺人の常習者じゃないわ」と「お前の知ったことではないわ」が好きな台詞のベスト2だったりします。
旧体制の価値観から脱却できない愚かな女の象徴としてこの台詞を言わせたのでしょうが、時に名作は、作者の意思すら越えるものなのですね。

冒険風ライダー Eメール URL 2009年08月05日(水)20時49分 編集・削除

 はじめまして。
 このブログからリンクされているサイト「田中芳樹を撃つ!」2代目管理人の冒険風ライダーと申します。

 つらつらとWeb上のサイトをうろついていたところ、興味深い話題が挙がっておりましたので、私からもひとつ意見を述べさせて頂きたいと思います。


<私は、ヒルダとフレデリカというキャラは、作者の無意識の女性蔑視の象徴だと考えています。
二人とも、夫を支え、内助の功を発揮しているようで、実は彼らの精神の成長を著しく妨げてしまっているということに、恐らく作者自身気付いていないでしょう。>
<そんな女性にあんな単純なことを「私にはわかりません」と言わせる作者に、「どんなに学があろうが、社会的に認められる仕事をしていようが、所詮女は無知で愚かな存在だ」という作者の女性観が滲み出て見えてしまうのです。>

 これは女性観というよりも、田中芳樹の政治認識に帰属する問題なのではないでしょうか。
 銀英伝の作中には、件のヤンの行動を「シビリアン・コントロール違反」と定義している描写が、作中キャラクターの発言どころか地の文にすらも全くありませんし、この時のヤンの行動に対する批判の急先鋒であろうシェーンコップですら、そういう角度からの批判を一切行っておりません。このことから、作者たる田中芳樹は、件のヤンの行動を「シビリアン・コントロール違反」とは全く認識しておらず、正しい行動であると考えている可能性があるわけです。
 「何故ヤンの行動がシビリアン・コントロールに反することを指摘しないのか?」という批判は、別にフレデリカに限らず、私が挙げたシェーンコップにも適用可能ですし、敵陣営であるところのラインハルトやオーベルシュタイン辺りに対しても当てはめることは充分に可能です。特にヤンの敵側の視点から見れば、これを指摘すればヤンの政治的正当性を根本から破壊できることが明白なわけですから、指摘しなければならない重要性および必然性はフレデリカとは比べ物にならないくらい高いのですし。
 作者自体がそもそも最初から認識できてもいないであろう問題点を、男女問わず作中キャラクターが指摘するのは不可能だと思うのですが、どうでしょうか。

冒険風ライダー Eメール URL 2009年08月05日(水)20時50分 編集・削除

連投失礼致します。


 また、銀英伝という一作品の女性描写のみから、作者である田中芳樹の女性観そのものを論じるのにも問題があるのではないでしょうか。
 最近の田中芳樹は「薬師寺涼子の怪奇事件簿」というシリーズ作品をメインに小説の執筆活動を行っていますが、この作品の女性主人公たる薬師寺涼子は、「女性は男性のアシスタント」どころか「男性主人公(泉田準一郎)を下僕にしている」という設定の女性で、また周囲の警察官僚や政治家に対して「相手のことを全く思いやらない」酷薄な皮肉と罵倒を展開する「聡明かつ活発で強気な女性」として描かれています。薬師寺涼子の女性描写は、Jeriさんが仰っている「田中芳樹の女性観」から大きくかけ離れた存在であるとはいえないでしょうか?
 私は田中芳樹の読本や評論本・対談本などにも色々と当たっていますが、それらに掲載されている田中芳樹の主張を読んでも「田中芳樹が女性を蔑視している」的なものがどこにも見当らないんですよね。むしろ逆に、「よよと泣き伏すヒロインって、書かないというより書けないんですね」「田中さんの作品の中では、たいてい女性はみんな強い」とか言ったり言われたりしているくらいですし。
 私も小説に反映される田中芳樹の女性描写や女性観は問題ありと考えていますが、Jeriさんが仰っているものとは全くと言って良いほど方向性が違うんですよね。私と著しく異なるそういう考え方が如何なる観点から生まれたのか、私としては大いに興味を抱くところなのですが。


 あと、銀英伝の女性描写については、私のサイトの掲示板で以下のような最新擁護投稿が行われていますので参考までに。
http://otd3.jbbs.livedoor.jp/318375/bbs_plain?base=8236&range=1

Jeri 2009年08月06日(木)02時02分 編集・削除

>冒険風ライダー様
ようこそお越し下さいました。
いつもサイトの方、拝見させて頂いております。
書き込み頂いて光栄です。今後ともよろしくお願いします。

>作者自体がそもそも最初から認識できてもいないで
>あろう問題点を、男女問わず作中キャラクターが指
>摘するのは不可能

その通りですね。
私がフレデリカの台詞に反応してしまったのは、私自身がヤンに対して「あんたのそういうところが一番嫌い」と思っていたので、「あなたのすることがたまらなく好き」という台詞に殊更嫌悪感を覚えてしまったのです。
この場合の「あなたのすること」は、シビリアンコントロール違反の件のみならず、ヤンの幼稚性(と私は思っています)全般についてと解釈しています。
シビリアンコントロールの件をなしにして考えても、シェーンコップやアッテンボローは、ヤンの行動を彼の魅力であると認めると同時に、甘さでもあると認識しています。無条件に「たまらなく好き」と言い切るフレデリカに、「いいかげんにしろよ!」とつい言いたくなってしまったんです。

Jeri 2009年08月06日(木)02時54分 編集・削除

文字数オーバーになりそうなので、連投します。

>この作品の女性主人公たる薬師寺涼子は、「女性は
>男性のアシスタント」どころか「男性主人公(泉田
>準一郎)を下僕にしている」という設定の女性で、
>また周囲の警察官僚や政治家に対して「相手のこと
>を全く思いやらない」酷薄な皮肉と罵倒を展開す
>る「聡明かつ活発で強気な女性」として描かれてい
>ます。

あのぉ~・・・それって、ラインハルトとロイエンタールと毒舌家の面々を足して割ったキャラに、女性名をつけたのではないですか?
「薬師寺涼子の怪奇事件簿」は読んでいないので、的外れだったらすみません。
私は、銀英の女性キャラは、良妻賢母、優秀アシスタントタイプとそうでないキャラの二極分化で、それが嘘っぽくて鼻についたのです。
こう思っている人はネットを徘徊するだけでも私だけではないようで、昔からファンの間で言われていたことなんだと察しています。そして、恐らくご本人の耳にも届いていると思うので、汚名挽回とばかりに勢い込んで薬師寺涼子のような極端なキャラを創ったのではないか・・・と妄想したのですが。
ところで、この薬師寺涼子なるキャラは、読者(特に女性ファン)に支持されているのでしょうか?
冒険風ライダーさんの書き込みにあるような強烈なキャラの割には銀英の主要キャラのような熱烈なファンの存在が感じ取れないんですが・・・

そちらの掲示板の最新擁護投稿を拝見しました。
私はなんせ田中作品は銀英のみなんで、七都市物語も読んでいないんですけど、そう解釈できないこともないかなと思いました。
でも、人口増の為に女性が大事に(?)されるなら、生殖医療そのものがもっと発達していたり、国民全般に不妊治療に関心があってもよさそうに思えます。
世継ぎでもめるゴールデンバウムの皇室とか、望んでいるのに結婚8年経っても子供が生まれないミッタ夫妻とか、医療水準は20世紀から進歩していないのか?と突っ込みたいです。(笑

冒険風ライダー Eメール URL 2009年08月06日(木)20時25分 編集・削除

<この場合の「あなたのすること」は、シビリアンコントロール違反の件のみならず、ヤンの幼稚性(と私は思っています)全般についてと解釈しています。
シビリアンコントロールの件をなしにして考えても、シェーンコップやアッテンボローは、ヤンの行動を彼の魅力であると認めると同時に、甘さでもあると認識しています。無条件に「たまらなく好き」と言い切るフレデリカに、「いいかげんにしろよ!」とつい言いたくなってしまったんです。>

 その辺りって、作者自身、結構意識して人物描写しているのではないでしょうか? 銀英伝8巻にこんな文章が存在しますし↓

銀英伝8巻 P77下段
<「戦いが終わると、彼は、自分が戦いを嫌っていたことを思いだして、やや不機嫌になる」
 とは、ユリアン・ミンツの述懐するところだが、彼はことさら皮肉な観察をおこなったわけではなく、むしろその怠惰ぶりを弁護してすらいるのである。フレデリカ・G・ヤンに至っては、夫に弁護の必要を感じるどころか、怠惰を美徳の一種にかぞえかねない、という評判であって、この両者からヤン・ウェンリーという人物に対する厳正な評価をえようとこころみるのは、無益というものであろう。>

 作者は最初から意識して「エル・ファシル脱出の頃からヤンに思慕を抱く甘い女性」としてフレデリカを描いているのであって、「作者の女性蔑視的な思想がにじみ出ている」という評価は違うのではないか、と私などは思うんですよね。第一、「ヤンの行動を無条件に肯定する」という基準で論評するのであれば、上の引用で挙げられているユリアンなどもフレデリカと同じくらいヤンの盲目的な信者として描写されていますし。

冒険風ライダー Eメール URL 2009年08月06日(木)20時26分 編集・削除

2投稿目


<あのぉ~・・・それって、ラインハルトとロイエンタールと毒舌家の面々を足して割ったキャラに、女性名をつけたのではないですか?>

 銀英伝のキャラクターで薬師寺涼子を表現するのは難しいのですが(そのまま当てはまるタイプのキャラがいないので)、強いて言うならば、「あの」フォーク准将からさらに理性と自制心をさし引いた上で性転換手術を施し、国家クラスの強大な権力や財力を与えて好き勝手に暴れさせれば、それが薬師寺涼子のイメージになるのではないかと(笑)。
 もし神坂一著「スレイヤーズ」か椎名高志原作マンガ「GS美神 極楽大作戦」という作品を知っているのであれば、「それのパクリです」という一言だけで済むのですけどね。


<私は、銀英の女性キャラは、良妻賢母、優秀アシスタントタイプとそうでないキャラの二極分化で、それが嘘っぽくて鼻についたのです。
こう思っている人はネットを徘徊するだけでも私だけではないようで、昔からファンの間で言われていたことなんだと察しています。そして、恐らくご本人の耳にも届いていると思うので、汚名挽回とばかりに勢い込んで薬師寺涼子のような極端なキャラを創ったのではないか・・・と妄想したのですが。>

 そういう話はタナウツでもサイト創設時の頃からよく言われていましたし、そう考えている人が決して少数派ではないであろうことも承知してはいるのですが、しかし私がいくら銀英伝その他の田中作品を調べても、そういう傾向が全く導き出せないんですよね。
 私がタナウツに来る前に抱いていた田中芳樹の女性描写についての印象は、「活発で行動的で強気な女性ばかりが描かれている」というものでしたし、田中芳樹のインタビュー記事などを読んでも、私の考えを肯定するようなことばかり言っているので、タナウツに始めてきた際に件の評価を聞いた時は驚いたものでした。ですので、「何故そのような評価が行われ、かつ広範に支持されるのか?」については大いに興味があるものでして。
 薬師寺涼子の描写については、田中芳樹本人の言によれば、自分の作品で初となる「女性を主人公にした長編の現代物」を書くということで、男性読者そっちのけで女性読者にどれだけ受けるかをかなり気にしながら書いているとのことなのですが……それがアレなんだものなぁ(T_T)。

冒険風ライダー Eメール URL 2009年08月06日(木)20時27分 編集・削除

3投稿目
 全角1000文字前後の投稿しかできないのはきついですね(T_T)。

<ところで、この薬師寺涼子なるキャラは、読者(特に女性ファン)に支持されているのでしょうか?
冒険風ライダーさんの書き込みにあるような強烈なキャラの割には銀英の主要キャラのような熱烈なファンの存在が感じ取れないんですが・・・>

 薬師寺シリーズのハンドブック「女王陛下のえんま帳」によれば、薬師寺涼子というキャラクターの造形に対する世間一般の評価は悪くないみたいですね。実際、現時点でシリーズ8巻まで出ている上、アニメ化までされている実績もありますから。
 他にも、田中芳樹サーチエンジンというところで薬師寺涼子の同人系サイトがいくつか登録されていますし、

http://puru-i.net/tanaka_se/ps_search.cgi?act=cat&cat=08-01
http://puru-i.net/tanaka_se/ps_search.cgi?act=cat&cat=08-02

またSNSサイト「mixi(ミクシィ)」にも専用のコミュニティがあるようですから、銀英伝ほどではないにせよ、一定の支持層は存在すると見て良いのではないでしょうか。

2009年08月06日(木)23時06分 編集・削除

Jeriさま、こんばんは。こちらでははじめまして。いろいろと興味深く読ませていただいております。
ところで、フレデリカの「私にはわかりません」の解釈ですが、私はフレデリカが本当に「わかっていなかった」とは思っていません。聡明な彼女はこのヤンの行動が、愚行、と言うのが言い過ぎならば矛盾だらけだということぐらい分かっていたと思っています。彼女のこのセリフはむしろ「あなたの行動に、今は私はダメ出しはしません。そしてあなたと生涯を共にする以上、あなたが将来被るであろう困難は共に負いましょう。だって私はあなたを愛していますから」という意味の婉曲表現なのだと思います。

愛する相手の言動を「あなたは間違っている」と一刀両断するのと「私は判断を保留するから、自分で考えてね。でもいつもあなたの味方でいるから」と言うのとは、どちらが正しいというのではなく、それはその人の愛し方(の表現)の違いなのではないでしょうか。気弱なへたれ部分を出して、明らかに甘えてきたヤンに対する返答としては、あのせりふは落ち込んだ婚約者を慰めるものとしては、ごく妥当なものだと思うのですが。フレデリカはヤンに対しては常に「あばたもえくぼ」状態(それもユリアンに思われるほど)ですし、長年の想いが通じてまだ間がないわけですし。だいいちヤンは「横っ面をひっ叩く女性」は好きにならないのでは? 恋愛を通じて自分を陶冶するようなキャラクターではないと思います。そして横っ面をひっ叩かれても気づかない人もいれば、無条件の信頼を表明されることで自己の責任に改めて気づく、という人もいるのだと思います。

フレデリカが頭がいいのにそういう「あばたもえくぼ」状態になっているのがイヤだ、というなら分かります。でもヤンの死に際しても、「民主主義なんてどうでもよかった」と言い切った人ですから、そういうキャラクターなんでしょう。なんというか、成績がいいのと頭がいいのは別、みたいな。

たしかに銀英に、サポート役・黒幕役でない「男性に伍する女性」がいないことは残念です。ジェシカも早くに死んじゃったし…… 田中氏が「戦いは男のロマン、そこに花をそえる女性たち」的いささか古めの女性観を持っていたのだろうとは、私も思いますし、「活発で行動的で強気な女性」(典型例はジェシカやエルフリーデ、ヴェストパーレ伯爵夫人ですかね)が多く活躍するからといって、田中氏の女性観が進歩的というか現代的だということにはならないと思います。フレデリカやオルタンスが非常に類型的な描かれ方をしていること、キルヒアイス死後のアンネローゼなど、「もうちょっと書き方があるだろう!」と多々思ってしまうことは事実です。まあでも、二次創作書きからすれば、そういう穴というかツッコミどころがある方が妄想しがいがあって楽しいんですけどね。

意味不明な長文で失礼しました。更新楽しみにしています。

Jeri Eメール URL 2009年08月07日(金)19時26分 編集・削除

>冒険風ライダー様

再度のコメントありがとうございます。
また、ご不便をおかけして申し訳ございません。
先ほど、コメント欄の最大文字数を全角1000文字から10倍の10000文字に変更致しました。
引き続き、よろしくお願い致します。


>作者は最初から意識して「エル・ファシル脱出の頃
>からヤンに思慕を抱く甘い女性」としてフレデリカ
>を描いている

すみません。これは全くの私の主観で趣味の問題です。
おくての男性の欠点を含めて全てを愛する才色兼備な女性というキャラの設定そのものがが、どうにも男に都合よく創られていて嫌悪感とまでは言わないまでも、あまり愉快な存在でないのです。ラインハルトやキルヒアイスに一目惚れしてしまう女の子というなら、理解できるのかもしれませんが。
でもこれは多分、男性が少女漫画を読んだ場合にもしばしば同じものを感じるのではないかと思うので、本当に私の主観です。
ただ、ラインハルトとヤンの「欠点」は、市井の一青年の場合とは異なり、多くの人の人命に関わってくることです。それをあたかも「欠点も魅力の一つよねー」的な発想で片付けていいものかとずっと疑問でした。
ヤンの怠惰や生活無能力程度のことなら、「そういうところがかえって好き」というのも私は有りだと思いますし、そういうヤンが好きなフレデリカというのも微笑ましいと思います。
しかし、ラインハルトもそうですが、政治的軍事的決断に於いて、わざわざ最も多く人が死ぬ方向を選択してしまうという人命軽視の面は、「欠点も個性のうちよねー」で済まされる問題でしょうか。
毎回毎回万単位で戦死する役名のない下級兵士達一人一人にそれぞれの人生があり、それぞれの人に彼らにとっての「フレデリカ」がいたかもしれません。
私がシビリアンコントロール違反を指摘しなかったヤンファミリーの中で、殊更フレデリカに目を向けたのは、艦橋の中で彼女だけがヤンの停戦命令中止に最初から反対せす、笑顔でそれを受け入れたことも一つの理由です。シェーンコップやアッテンボローほど強くではありませんが、ユリアンもあの場面では砲撃中止を素直に納得はしていない描写でした。
また、やはり彼女がヤンにとって単なる職場の同僚や友人ではなく、ヤンと生涯を共にするはずの人生のパートナーだからです。そのパートナーに「あなたのすること(より多くの人が死ぬ選択をする)がたまらなく好き」な女性を選んだということに、これからもヤンは、人命軽視を続け、それに気付くことなく生きて行くことを象徴しているように思ったからです。そして、主人公の相手の聡明なはずの女性に、「数百万の命を尊重するよりも、あなたの矛盾した個性が好き」と言わせてるところに、「女なんて所詮この程度の倫理観だろう」という作者の女性蔑視を感じてしまったのです。
確かに、砲撃停止→停戦→一部兵力の隠蔽→将来的な戦闘続行の準備 という流れに異議を唱えなかったのは、シェーンコップもアッテンボローも同じですし、彼らにも人命尊重の観点が薄いこともヤンと同様です。しかし、彼らは前述したように、最初の砲撃停止に賛成していませんでした。その流れの延長上にある「戦闘続行の準備」に対しての感慨も「こうなってしまった以上、こうするのはやむ終えない。ブリュンヒルトを砲撃していれば、こんな面倒はしなくて済んだのにな。やれやれ・・・」といった雰囲気が感じられます。フレデリカのように、最初から最期までヤンのすることが全部好きだとは流石に言っていません。それが私がフレデリカと他のメンバーを分けて考えた理由の一つです。


>ユリアンなどもフレデリカと同じくらいヤンの盲目的な信者

そうでしたね。ユリアンはあまり関心のないキャラのせいか、気にしていませんでした。私はユリアンはあまり癖のないキャラだと思っていたので、熱烈なファンも少ない代わりに、嫌われもしないキャラだと思っていたのですが、古くからの銀英ファンの中に意外とユリアンを「ウザい」「胡散臭い」という人が多いのに驚いたことがあります。
そして、なぜかそういう人の殆どが「女性キャラが鼻について魅力がない」と言っているのが不思議でした。どうも、ユリアンにも田中氏が創り上げた「都合のいい女」に通じるものがあるみたいです。


>フォーク准将からさらに理性と自制心をさし引いた
>上で性転換手術を施し、国家クラスの強大な権力や
>財力を与えて好き勝手に暴れさせれば、それが
>薬師寺涼子のイメージになるのではないかと(笑)。

そ、それって、個性的とか強烈なキャラというよりは、人格崩壊者ではないですか?(笑
残念ながら私はスレイヤーズもGS美神も知らないので、そこからのイメージを沸かせることができないのですが、「パクリ」と思われている点だけは理解しました。
元々あまり想像力が豊かなタイプの作家さんではないので、なんとなくわかります。
そう言えば、銀英のことをどこかのサイトで「今更誰もやらないだろうと思われていたことをあえてやったのが成功したのだろう」との評を見ましたが、言い得て妙だと思いました。


>私がいくら銀英伝その他の田中作品を調べても、
>そういう傾向が全く導き出せないんですよね
(中略)
>「何故そのような評価が行われ、かつ広範に支持さ
>れるのか?」については大いに興味があるもので
>して。

これは、あくまでも銀英しか田中作品を読んだことのない「私の」感じたこととして書きます。
田中氏の描く女性キャラについて、魅力に欠けると思ってらっしゃる方が全て私と同じ理由だという自信は全くありません。それを前提に読んで下さい。

端的に言って、銀英の中で描かれる「活発で行動的で強気な女性」というのが、非常に表面的で、嘘っぽく、ワザとらしくて鼻につくからです。そして、これらの女性が、表面的には聡明に描かれているにも関わらず、その言動をちょっと検証してみると、全く正反対の人物像が浮かび上がり、そこから作者の女性に対する無理解が感じ取れ、その無理解が≒蔑視と写るのです。
確かに銀英の中では、男性に劣らぬ仕事を持ち、一見いかにも有能な女性が何人か登場します。その筆頭がヒルダであり、出番は少ないけどジェシカであると思います。
ジェシカ・エドワーズ女史は、音楽教師という仕事を持ち、婚約者の死後は政界に身を転じ、反戦を訴えるという一見自立した聡明な女性ですが、一方でなぜかラップと結婚したら当たり前のように退職する予定でした。そして、件の名台詞「あなたはどこにいますか?」ですが、私がこれを最初に読んだ時の感想は「でも、ヨブさんを前線に出しても役に立たないと思うけど。足手まといにはなるかもしれないけど。」でした。第一、反戦を叫んだところで、元々この戦争は、帝国が同盟を勝手に「叛徒」と呼んで「討伐」しているものであって、それを同盟側から戦闘を中止するということは、同盟市民に奴隷になれと言っているのと同じです。終戦を望むなら、ジェシカのやることは、主戦派に対して「あなたも戦場に出てみなさい」などと言うことではなく、対等な立場で停戦・講和にもっていくことが同盟市民の利益に適うことを世論や政治家に訴える活動をすることではないでしょうか。更に、彼女も議員として政治家のはしくれなら、その為の何らかの具体案を提示できなければ、それこそ単なる不平屋になってしまいます。
このように、表面上行動的で賢いという役回りの女性が、一皮剥けば非常に底の浅い、薄っぺらな反戦主義者になってしまうのです。
私はここに、作者の女性読者への的外れな「媚」を感じるのです。
自分は、いかにも女性を尊重していて、女性が男性同様働くことに理解ある人間だということを一生懸命アピールするために、ジェシカなりヒルダなりのキャラクラーを創り上げて活躍させたのですが、本当の意味での大人の女性を理解していないから、創り上げたキャラが突っ込みどころ満載の穴だらけのキャラになってしまうように見えるのです。
どうも田中氏は、女性読者の受けを気にして一生懸命阿っている割には、私にとってはそれらが全て空振りに終わっている感があります。まるで、モテない男が、懸命に女性の気を引こうと、自分では女性が喜ぶことをしているつもりが、相手の女性にとってそれは全く見当外れな行為で、好かれるどころか益々嫌われて、ますますモテない男と化していくような感じです。
媚びるというのは、一見蔑視とは相反する行動に聞こえますが、女性を真の意味で尊重し、理解しようとしないという点では同じです。
田中氏の描く「活発で行動的で強気な女性」は、このように表面をそれらしく飾っただけのキャラであって、彼女等を除けば、後に残るのは典型的なハウスキーパーであるエヴァとかオルタンスになってしまうのです。
それが、私が冒険風ライダーさんの言われる「そのような評価」をする理由です。

それでもジェシカに関しては、反戦運動の件は、別に女性キャラであったからではなく、同じ行動をとったのが男性キャラだったとしても当てはまるし、結婚退職の件は、まだ女性の社会進出に関して未成熟な80年代の話なので、元々想像力の乏しい作者には、この点に関しての未来社会の人間に、想像力が働かなかったからであって、女性蔑視とは関係ないと言われてしまえば、反論できません。実際そうなのかもしれません。
私が最も作者の女性蔑視を感じてしまうキャラは、物語のヒロインであるヒルダです。
今までこれを誰も指摘しているのを見たことがないのですが、彼女は、表面的には常に正論を吐き、聡明で優しい女性という役どころですが、帝国側の主要キャラの中で、彼女だけが何を目的に動いていたのか、その行動に理由付けがなされていません。
そして、彼女は主人公のラインハルト、ひいては作者である田中氏の美学や価値観から逸脱する行動をとっているにも関わらず、それを作中で誰からも非難も警戒されません。軍首脳部の中では、オーベルシュタインとロイエンタールがそれぞれの理由で彼女に好意的でない描写が多少見られる程度です。他の主要提督達は、元々職業軍人なので、上官の命令に従って戦争をするのは当然ですし、平民や下級貴族出身の彼らが、ゴールデンバウム王朝を倒したいと思うのはごく自然です。
もし、ヒルダの役回りが、男性キャラだったら、なぜ、門閥貴族の跡取りでありながら、自ら進んで先祖代々特権を授けられてきたゴールデンバウム王朝をぶち壊す側に回ったのか。あれだけの主要キャラですから、彼なりの苦悩や逡巡を一つのエピソードとして作中に盛り込んだのではなでしょうか。ところが、ヒルダに関してその辺の描写がいっさいありません。少々極論ですが、原作のヒルダの身の施し方は、民衆の扇動という行為を除けば、作中随一の嫌われキャラであるトリューニヒトと大差ありません。
余談ながら、今書いている二次創作では、その納得し難い部分を埋めるべく、ヒルダが打倒ゴールデンバウム王朝に目覚めた理由を捏造してます。
ヒルダの行動は、日本の幕末に例えれば、譜代大名の世継ぎの姫に生まれ、代々徳川の禄をはんでいながら、当時の情勢を的確に読み、いち早く薩長に迎合し、進んで兵と領地を差し出して恭順の意を示す。更に自ら討幕軍に加わって幕府を倒し、徳川譜代の臣でありながら、ちゃっかりと新政府で地位を確保する・・・という誠に節操のないものです。
昨年の「篤姫」の人気にもあるように、「滅び行く運命とわかっていながら、最期まで全力で支える」という行為が日本人の美学に適ったものであり、ビュコック提督に「民主主義に乾杯」と言わせた田中氏の価値観とも一致するはずです。
そしてこれは、アンスバッハの行動にさえ美を感じていたラインハルトの価値観でもあるはずです。。
ヒルダは、何の理念も信念もなく、ただ家門を守るという個人的な欲求を満たすために、勝者についただけです。少なくとも原作の描写だけでは私にはそう読めます。
何故なら、彼女がゴールデンバウム王朝は滅びた方が帝国の万民の為になるという大儀の上で高い志を持ってラインハルトに加担したのだとすれば、その後に彼女が、旧体制下で圧政に苦しんでいた臣民の幸福の為に働いた形跡があってもよさそうなものだからです。
しかし、リップシュタット後の彼女は、民政に従事するような気はさらさらなく、軍人でもなかったのに軍属になってラインハルトの大量殺戮の手伝いをしただけです。
大親征には面と向って反対はしていましたが、反対理由は戦術的戦略的見地からのものであって、オーベルシュタインのように「皇帝の個人的な誇りの為に兵を無為に死なせていいものか?それではゴールデンバウム王朝とかわらないではないか」という視点がありません。
私はこれらのヒルダの行動から、作者にとって、誇りとか大儀とか理念とかいうものは、男性のみに適用されるものであって、女性には適用外のものであるのだと思えてなりません。
作者にとって、ヒルダは元からラインハルトの子供を産ませる為に創作されたキャラであり、その行動指針などどうでもよかったのかもしれません。まさに、「女は子供を産む道具」を地で行くキャラです。
「女には誇りなどなくていいのだ」「女は大儀もビジョンも持たなくていいのだ」「女はただ、男に従って行動していればそれが賢い女なのだ」・・・これが私がヒルダを通して感じる作者の女性観です。

Jeri Eメール URL 2009年08月08日(土)03時58分 編集・削除

薫様

コメントありがとうございます。

>「あなたの行動に、今は私はダメ出しはしません。
>そしてあなたと生涯を共にする以上、あなたが将来
>被るであろう困難は共に負いましょう。だって私は
>あなたを愛していますから」という意味の婉曲表現
>なのだと思います。

そうですね。多分作者もそういう意図であの台詞を書いたのだと思います。
原作の世界観に忠実に、肯定的に考えれば、薫さんの解釈が最も正しいのだと私も思います。
私がどうしても引っかかるのは、ヤンの選択から生じる事の重大さです。
停戦命令を受諾し、ラインハルトを生き永らえさせることによって生じるであろう事態を、ヤンは予測していたからこそ、「シャーウッドの森」をメルカッツに託したのでしょう。
戦闘を続行することによって、あの場で、ブリュンヒルトを砲撃していれば、死者はラインハルトを含めた同乗者だけ(多分1000人前後)で済み、求心力を失った帝国軍の残存部隊は、本国へ引き返すであろうことは容易に想像できます。そして、軍事と民政を束ねるラインハルトがいなくなれば、当分の間は同盟領への侵攻などないでしょうし、その間に和平、終戦への道を開くことも可能です。
一方、ラインハルトが生きていれば、同盟への侵攻は続けられるはずですし、将来的に完全併合を目指していることもヤンは察知していました。
その帝国軍に対して、兵力を隠蔽し、将来戦闘を続行させるということは、新たな流血を覚悟しなければなりません。
実際、バーミリオン以降、マル・アデッタ、回廊の戦い、シヴァ会戦と戦闘は続き、これらの戦闘で戦死した人間の数を合計すれば、500万人くらいになる計算です。
その中には、ヤンが敬愛したビュコック提督も含まれていました。
つまり、ヤンの選択によって、本来死ななくてもよかったはずの人間が500万人死ぬことになったのです。
もし、フレデリカが、それらの矛盾やヤンの愚行をわかっていたとしたら、あの台詞はこうも言い直せます。


「敵の1000人の戦死者で終わるはずのところを、あえて味方を500万人死なせる道を選んだあなたが、私はたまらなく好きです」


・・・これでは救いが無さ過ぎます。
あの時点では、「シャーウッドの森」が起動した場合の正確な戦死者数は予測できませんでしたが、銀英の世界では艦隊戦を戦えば、数十万人単位で戦死者が出るのは常のようですから、当然、最終的に数百万人単位の人間が死ぬことになることは予測できたはずです。数百万人の人命は、ヤンが言う「迷惑をかけることになる」といったレベルの話で考えてはいけないことです。
人の命は、一度失ったら戻りません。
それを「あなたのやることが好きです」なんて、人道上言ってはいけないと私は思うのです。
銀英の男性キャラは、殆どが打たれ弱いので、「あなたは間違っている」と一刀両断にする必要はありませんが、せめてフレデリカには、こう言って欲しかったです。


「あなたの決めたことに、私は反対はしません。でも、忘れないで下さい。このことによって、より多くの人命が失われるであろうことを。そして、一度失った命は、二度と取り戻せないことを覚悟して下さい。でも、そのことで、あなたが将来どんなそしりを受けようと、私はあなたの傍にいます。あなたの妻になるのですから。」


聡明なフレデリカが、ヤンの行動を矛盾しているとわかっているのなら、頭から否定しないまでも、せめて、この選択が多数の人命に関わることであることを、ヤンに自覚させて欲しかったです。
これは、私の勝手な願望ですね。
薫さんの仰るように、フレデリカは、民主主義なんてどうだっていいからヤンに生きていて欲しかったというくらい熱烈且つ盲目的にヤンを愛していた女性ですから、ヤンの人命軽視に気付かないところも含めて彼を愛してるんだと解釈すれば納得もできます。
そして、この手の「全宇宙よりもあなた一人を」的に相手を愛しているキャラは、結構好きです。

私は、自分で書く二次創作で、どうも同盟側では創作意欲が湧かないのですが、その反動で読み手としては同盟ものに非常に興味があります。
ですから、薫さんの小説の更新を、一ファンとしてとても楽しみにしております。
今後ともよろしくお願いします。

冒険風ライダー Eメール URL 2009年08月09日(日)13時35分 編集・削除

 まず、長年抱えていた疑問とはいえ、私の個人的かつ不躾な意見に懇切丁寧な回答を頂き、ありがとうございます。
 また、投稿制限の対処については、感謝致しますと共に、お手数をおかけして申し訳ありませんm(__)m。

 

>田中芳樹の女性描写について

 以前にタナウツでこれが議論されていた際、私が最も違和感を覚えたのは「良妻賢母的な女性を描いているから」「結婚退職を当然と考えている描写があるから」という理由からイキナリ「女性描写がウソくさい」「田中芳樹は女性蔑視の思想を持っている」と断じられることだったんですよね。「良妻賢母な女性も、結婚退職も、昔ほどではないにせよ今も存在するし、そもそもその存在自体が何故全否定的な評価をされなければならないのか?」「良妻賢母や結婚退職が描かれている作品は、全て田中作品と同じように『女性蔑視だ!』的な評価を受けなければならないのか?」という疑問を、私は真っ先に抱きましたし。
 一方で、かくいう私自身も、田中芳樹の女性描写には疑問を抱いていたクチなのですが、その内容は「周囲に当り散らすだけの傲慢かつ自己中心的な上に頭が悪い主張ばかり繰り出している女を『強い女性』として称揚している」というものであって、それまでのタナウツで問題視されていた内容とは全く方向性が異なるものだったんですよね。そして、「田中芳樹は女性蔑視の思想を持っている」と主張する人達が、私が女性描写で一番問題視している薬師寺シリーズについては全く言及していないがために、「ひょっとすると、『田中芳樹は女性蔑視の思想を持っている』と主張する人達は、薬師寺シリーズの女性描写については『よくやった!』と全面肯定してしまうのではないか?」という疑問まで抱くようになった次第でして。
 ただ、私はこれを論じるに際して「女性が男性を虐げる描写があるから(男性視点から見て)嫌いだ」的な主張&結論にはしたくなかったんですよね。薬師寺シリーズで田中芳樹が(多分に女性読者受けを狙って)意図的にそういう描写を書いていることは最初から分かりきっていましたし、「それでは良妻賢母や結婚退職を描写しただけで『女性蔑視だ!』と断ずる主張の裏返しでしかない」と考えていましたので。そういう欲求を満たすための論理や文章を作成することが意外に難しく、ようやく形になったのは実に今年に入ってからのことだったりします。
 その成果が、以下のコンテンツの後半部分になります↓

キング・コング考察
4.「強さ」の意味を履き違えた自己中心的権力亡者と化したアン・ダロウ
http://www.tanautsu.net/kousatsu11_04_aa.html
薬師寺シリーズ考察8
http://www.tanautsu.net/kousatsu03_08.html

 ただ、Jeriさんの主張を読んでみると、これまで全く相容れないだろうと思っていた私の主張と「田中芳樹は女性蔑視の思想を持っている」の間にも一定の共通項が見えてきますね。

 

>フレデリカについて

 ヤンやラインハルトの行動について大いに問題がある、という点については、私もタナウツの銀英伝考察1~3で同様のことを徹底的に論じているので異論はありません。問題はそれをフレデリカが指摘しなければならない立場にあるか、という点ですね。
 まず、作品論的に言えば、前にも述べたようにそもそも作者自身が気づいてもいなかったであろう矛盾や問題点を、作中キャラクターが指摘するのは不可能です。シビリアン・コントロール違反の問題で言えば、他ならぬ作者自身がヤンの行動をシビリアン・コントロール違反と認識しえていないのは、6巻におけるレンネンカンプとその部下がヤンを何らかの罪に陥れようと画策していた際、ヤンの行動を同盟国防軍基本法における職権濫用・背任横領罪・公文書偽装の罪に当たるとしながら、それを「シビリアン・コントロール違反」と結びつけていなかった箇所を見ても一目瞭然です。そうなると、銀英伝の作中において、ヤンの行動を「シビリアン・コントロール違反」と認識しえたキャラクターは男女問わず誰一人としていなかったことになりますから、当然誰も指摘できない、ということにならざるをえなくなります。
 この状況で直接責任を問える相手が銀英伝の作中キャラクターにいるとすれば、それは「シビリアン・コントロール違反」を直接考え、実行に移したヤン本人以外にはありえないのではないでしょうか。私が一連の問題を「田中芳樹の政治認識に帰属する問題」と主張し、フレデリカに責任を求めることに異を唱える理由がこれです。

 また、これは意外に重要なことだと思うのですが、実はJeriさんが仰る「人命尊重」の観点から言えば、あの時に取ったヤンの行動は「最初から最後まで」正しいことになってしまうんですよね。何故ならまず、無条件停戦命令を受け入れることで惑星ハイネセンの10億以上もの民間人の生命を救い、次にメルカッツらを隠匿することで彼らの生命をも救ったわけで。ヤンのその手の思想を当然熟知しているフレデリカであれば、その思想をヤンが忠実に実践していくことを素直に喜ぶのは想像に難くないわけで、フレデリカが最初からヤンの行動に賛意を表していたのは、その辺りの事情も働いていたとは考えられないでしょうか?
 何しろ、あの無条件停戦命令時、ヤン艦隊の内部では「これは政府の利敵行為だ!」的な空気が充満していて、下手すればヤンに直談判して命令を力づくで撤回させかねない論調まで飛び出す状況でしたからね。シェーンコップやアッテンボローも、その流れでヤンに叛意を促しており、むしろ「シビリアン・コントロール違反」を望んですらいたわけです。しかし、彼らの要求を実行すればどれだけの人が生命を失うか、について考えれば、フレデリカの態度はヤン艦隊の誰よりも早くかつ正確にヤンの考えを察知し支持した極めて高度な政治的判断である、という解釈だって成立する余地はありうるのではないでしょうか。実際、ヤンの無条件停戦命令受諾は、惑星ハイネセン10億の民間人の生命を助ける、というのが口実のひとつになっていますし。
 問題は完全無欠の「シビリアン・コントロール違反」となり、かつ同盟滅亡の直接原因のひとつにもなった「シャーウッドの森」ですね。しかし一方で、ヤンの信奉している「シビリアン・コントロール遵守」と並ぶ「人命尊重」の観点から言えば、こちらにもメルカッツらの生命を救うというメリットがあるわけで、その点を「惑星ハイネセン10億の民間人の生命を助ける」と同じ論理でフレデリカは賛同していたのではないでしょうか。また、この案によって、激発寸前だったヤン艦隊一同の怒りを沈静化させる効果もありましたから、その「シビリアン・コントロールとは無関係な」政治的側面を評価していたのかもしれません。無条件停戦命令受諾だけでは、行き場を失った将兵の怒りがヤンに向けられ、力づくで命令撤回を実行させる、という挙に出る可能性だってあの状況ではありえたのですし。
 まあ私も、無条件停戦命令受諾はともかく、あの「シャーウッドの森」については明確なシビリアン・コントロール違反以外の何物でもないと思いますし、ヤンの決断は「同盟滅亡の直接原因となった」という点から言っても論外だと考えるクチですが、フレデリカの目から見た現場的視点では、そういう判断もありえるのではないか、というところですね。そういう視点から見た上でのフレデリカ評はどのようになるでしょうか?

 

>ジェシカについて

 ジェシカが主張していた「お前が戦争に行け」論は、実のところ作者が「善玉」と設定しているキャラクターのほとんどが多かれ少なかれ主張しているんですよね。銀英伝に限定しても、3巻の査問会でヤンが政治家達に対してジェシカと同じ論理を突きつけていますし、その他田中作品の主要キャラクターも同様の主張をしていたりします。全体的には男性キャラクターが唱えているケースの方が圧倒的に多いですね。
 さらに笑ってしまうのは、作者である田中芳樹本人さえも、「イギリス病のすすめ」文庫版あとがきなどで「お前が戦争に行け」論を大々的に吹聴していたり、本来原作でそんな発言がなされたことのない映画「キング・コング」の田中小説版でも、「お前が戦争に行け」論を登場人物に主張させていたりしている事実です。世間一般の評価はともかく、すくなくとも田中芳樹個人の主観的には、「お前が戦争に行け」論を全面的に肯定しており、それを作中のキャラクターに反映させることが「聡明さの立証」にもなると信じているわけです。ですからこれも「田中芳樹の女性観の問題」というよりは「田中芳樹の政治認識に帰属する問題」ということになるのではないでしょうか。
 結婚退職については、個人的な話になりますが私の職場環境でも2回ほどそういう話題が挙がった記憶がありますし、ネット上を回っても普通に結婚退職の話題が転がっていたりするので、「描かれること自体がそんなに異常か?」というのが私の感想です。またJeriさん自身も仰っているように銀英伝に80年代執筆当時の女性観がそのまま描かれていることはごく普通のことですし。
 ただ、「お前が戦争に行け」論自体は、タナウツでも色々と物議をかもしていますし↓

ttp://www.tanautsu.net/the-best01_03_01_aa.html

 男女問わず、その破綻した反戦平和主義的な主張を繰り広げるキャラクター(どころか作者自身も含んでしまいますが)が、「聡明なキャラクター」として描かれているにもかかわらず、結果として「底の浅い、薄っぺらな」存在に成り下がってしまう、という点については私も同感です。
 私が疑問視する田中芳樹の女性描写問題も、究極的にはそこに行き着くものになっているのですから。

 

>ヒルダについて

 「ヒルダが何故ゴールデンバウム王朝を裏切ったのか?」についての議論は、タナウツでも特に行われておらず、私も初耳ですね。
 ただ、リップシュタット戦役当時、ヒルダどころか「あの」門閥貴族一派からしてゴールデンバウム王朝に対する帰属意識があったようには見えないんですよね。たとえば銀英伝1巻のカストロプ動乱の主役たるカストロプ公の息子マクシミリアンは、マリーンドルフ伯領を併合して半独立の地方王国を建設しようと図っていますし、その前年にはクロプシュトック侯による皇帝暗殺未遂事件が起こっています。
 リップシュタット戦役における当事者達も、リヒテンラーデ「公」は自己の権勢を維持するためにラインハルトと手を組んでいますし、ブラウンシュヴァイク公やリッテンハイム侯も両者に対する嫉妬や対抗意識から叛旗を翻しています。ラインハルト時代のゴールデンバウム王朝は、すでに門閥貴族に対する求心力を失っており、皆好き勝手に動き回る状態と化していた、と考える方が妥当なのではないでしょうか。
 また、銀英伝2巻には、リップシュタット戦役における門閥貴族の右往左往ぶりについて書かれている記述も存在します↓

銀英伝2巻 P42上段~下段
<帝国の将来を憂え、また、自己の保身も考え、中立を望む人々も多かったが、険悪化する情勢は、彼らをいつまでも圏外においてはいなかった。
 どちらを味方にして生き残るか、どちらに大義名分があり、勝算があるか、彼らは、判断と洞察の能力をためされることになったのである。
 感情は最初からブラウンシュヴァイク公らにかたむいているが、ラインハルトが戦争の天才であることも事実として知っているので、容易に決心はつかず、感情と打算の谷間で風向きを確かめるのに必死な彼らだった。>

 これを読んでも、銀英伝における門閥貴族の面々に、「ゴールデンバウム王朝譜代の家臣」的な意識はほとんど見られません。天秤にかかっているのは「ラインハルトの軍事力VS枢軸体制への反発」でしかありませんでしたし。
 これから考えれば、ヒルダが「家の存続」のみを基準にラインハルト陣営に属する選択を行ったのも、そう不自然ではないのではないでしょうか。元々マリーンドルフ伯爵家には、カストロプ動乱の際にラインハルト一派から救ってもらった恩もあるのですし、そもそも「あの」門閥貴族連合は、仮に万が一ラインハルトに勝利しえたとしても、その後すぐにブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯の争いが始まることが最初から明白でしたからね。これらのありとあらゆる状況の積み重ねが、ヒルダにラインハルトを選択させた理由なのではないかと。
 それと、ヒルダの行動がラインハルトの美意識に反する、とのことでしたが、フェルナーがラインハルト居館の襲撃に失敗して投降・寝返りを申し出てきた際、そのふてぶてしい態度と主張でラインハルトに認められた作中事実がありますよね? それを考慮すれば、ヒルダの行動もまたラインハルトの美意識に充分沿うものであったと考えた方が自然ではないかと思うのですが、どうでしょうか。

Jeri Eメール URL 2009年08月14日(金)03時07分 編集・削除

冒険風ライダー様

貴重なご意見ありがとうございました。
「田中芳樹女性蔑視論」についてですが、冒険風ライダーさんの投稿を読んで、私が女性蔑視を感じた理由と、冒険風ライダーさんのとでは、アプローチの方向は違うものの、根っ子は同じところにあるのではないかと感じました。
キング・コング考察と薬師寺シリーズ考察を読ませて頂きました。
私はいずれの作品も読んでいないのですが、引用部分を読むだけでも、田中氏版のアン・ダロウは好きになれませんし、薬師寺も同様です。
両者に共通して感じることは、田中氏がこれらの女性キャラを女性読者を気にして、「同性に支持される」と思って創作したとしたら、私に言わせれば「勘違いも甚だしい」です。そして、私にとっては、それは銀英伝のヒルダも同じです。
女性描写に限らず、私が銀英(それしか読んでないので)を通して作者に常に感じるのは「女性に対する誤った認識」と「履き違い」です。
シビリアンコントロールの件にもあるように、作者は民主主義というものを履き違えていますし、「名君」や「名将」というものも履き違えているようです。
どうも田中氏は、ある一面を描写しようとすると、それと矛盾して別の面が脱落してしまい、結果として全体が破綻してしまうという傾向が、キャラクター創作上でも、ストーリー構成上でも顕著なようです。しかもそのことにご本人が全く思い至っていない様子が窺えます。
私は昔から、ライトノベルズという類の小説は読まないので、銀英伝は唯一読んだジュブナイル小説なのですが、こういったジャンルの小説には、このような破綻は珍しくないのでしょうか?
確かに、小説は人間が書くものですから、長編になればなるほど、前半と後半では辻褄が合わなくなったり、矛盾したりすることは大家と呼ばれる方々の作品でも避けられないようです。
田中氏がお好きなジャンルの歴史ものを例にあげるだけでも、山岡庄八氏の大長編「徳川家康」や海音寺潮五郎の「天と地と」など、全編を通して読むと、登場人物の年齢がおかしかったり、若干性格が変わっていたり、前半ではレギュラー陣に入っていた人物が、死亡したわけでもないのに何時の間にか作者に忘れ去られて消えていたりとか、細かい突っ込みどころは存在します。
しかし、主人公やそれに準ずる人物の主義主張と行動が、銀英伝ほど破綻している作品は読んだことがありません。
しかも、銀英に限って言えば、「長編なので一巻と十巻では矛盾している箇所がある」というのではなく、すぐ次のページとか次の章で堂々と矛盾したことを言ってたりやったりするので、まるでこの作者は分裂症のようだと感じたことさえあります。


>無条件停戦命令を受け入れることで惑星ハイネセンの
>10億以上もの民間人の生命を救い

私もこれは考えました。
しかし、ヤンは、ラインハルト同様、双璧の二人に対してもその将器を高く評価していた描写があります。
ラインハルトが戦死したことを知ったミッターマイヤーとロイエンタールが、今後の戦略面を考えても、間違っても復讐心にかられて10億の一般市民に無差別攻撃を加え大量虐殺などしないことは、ヤンは理解していたと思います。ヒルダが、面識のないヤンの人となりを推理し、本国の停戦命令を受け入れるだろうと読んだように。従ってこの場合の10億人の生命は私は計算に入れませんでした。
むしろ、ラインハルトの本隊が壊滅した双璧にとっては、このまま敵地に孤立し、本国へ帰還できなくなる前に一刻も早く撤退するのが最良であると考えるはずですし、ヤンも二人がそう考えると推測すると思います。
ヤンが砲撃を中止した理由の一つに、個人的にラインハルトを殺したくなかった気持ちが多分にあったようです。それならば、あの状況を利用して、ハイネセン市民を人質にとって停戦を迫る双璧に対し、ブリュンヒルトを射程内に納めたまま、ラインハルトの喉元に剣を突きつけた状態で、双方の同時撤退と、不可侵条約の締結を提案するという方法も、ヤンにはあったかもしれませんね。(ちょっと物理的に無理そうですが、もっと距離的に近い狭い世界の設定なら可能だったかも)


>次にメルカッツらを隠匿することで彼らの生命をも救ったわけで。

確かにメルカッツとシュナイダー等の命のみを考えればその通りかもしれません。
私の主張したい「人命尊重」とは、戦時下において一人も死なせないというような非現実的なことではなく、次善の策として、「出来る限り死人の数を減らす努力をする」というものです。
そして、本来ヤンやラインハルトの立場の人間が考えるのは、究極的には和平、停戦ですが、それが無理ならばせめてできる限り死ぬ人間の数を減らすよう最大限の努力をすることだと思います。しかし、なぜか二人とも、その努力どころか、わざわざ最も死人が多く出る可能性が高い戦略なり戦術を進んで選択しているとしか思えない行動をとっています。
この場合、メルカッツを逃がし、「シャーウッドの森」という戦力を隠蔽することは、その場では確かにメルカッツの命を救いましたが(引き渡したところでラインハルトがメルカッツを処刑するかどうかはわかりませんが)、将来的な戦闘続行に繋がりますので、より多くの命が失われ、やはり「死者の数を最小限に食い止める努力をする」という責任を放棄したことになると思います。


>フレデリカの目から見た現場的視点では、そういう判断も
>ありえるのではないか、というところですね。
>そういう視点から見た上でのフレデリカ評はどのようにな
>るでしょうか?

そうですね。そのように解釈すれば、フレデリカは、あの場では、彼女なりにヤンの行動をそのように評価したと言えるかもしれませんね。
これを書いていて気がついたのですが、私は、フレデリカ一人があのようなキャラなら、別段彼女の言動は気にならなかったのではないかとも思えます。
恋人とか夫婦になる男女は、似たような環境で育ったとか同じような価値観を持っている人間同士がくっつく場合が多いと思いますが、それでも元は他人ですので、時に衝突する場合もあれば、相手の自分とは異なる視点や価値観を発見し、それによって今まで気付かなかったものに気付いたり、視野を広げたりしてお互いに成長していくという関係になってゆくのが理想的に思えます。
銀英世界の男女にはそれがありません。
頭から「あなたの考えは違うわよ」と言うのではなく、自分なりの視点、自分なりの価値観で同じものを見ると、あなたとは違ったものになるが、それはどうか?という提示が男に対してできる女性キャラがいません。(いるのかもしれませんが、描きこまれていません)
良妻賢母タイプの代表例としてよく取り上げられるキャゼルヌ夫人オルタンスですが、私は、彼女のキャラはあれはあれでいいと思いつつ、同時に、彼女と同じような立場で、全く正反対の感覚で夫のすることを捉える女性はいなかったのか?と、前々から疑問に思っていました。
オルタンスは、夫が本国での高官の地位と安定した生活を捨て、ヤン一党と行動を共にるするという不安定極まりない生活をすることに「当然です」と賛同し、幼い娘達を連れて同行します。
彼女はそういうキャラでいいと思うのですが、逆にそんな夫の行動を「自分の家族とヤンとどっちが大事なの?」的発言で一喝し、自分と子供はハイネセンに残り「行きたければあなた一人で行きなさい」と夫に三行半を突き付ける妻がいてもいいじゃないかと思えるのです。しかし、多分そういう妻は田中氏にとっては「悪妻」であり、同性からも支持されないキャラと思っているのでしょう。私としてはそっちの方が家庭人として共感できますし、常識的だと思うんですが。
先日、創元社の外伝5の田中氏のロングインタビューを本屋でざっと立ち読みしたのですが、その中で「どうせ女性キャラ達は、数少ないのだから、極力いい女ばかりを描いた。少ない中にわざわざ悪い女を入れる必要はない。ルビンスキーの情婦(ドミニク)だって本当の悪女ではない」というような主旨のことを言っていました。
ドミニクはともかく、私が前述したような、「夫に付いて行かない道を選択する女性」というのは、田中氏的価値観では少なくとも「いい女」ではないようですね。
何と言うか、彼の「いい女」とか「同性に共感を持たれる女性」の定義って、非常に狭いし偏っているようです。
こうして見ると、銀英で描かれる男女は、女が一方的に男の価値観や視点を追認する関係ばかりです。
つまり、銀英の女性キャラは、ハウスキーパーであろうが、キャリアウーマンであろうが、独自の価値観を持って精神的に自立している女性がおらず、男性と真の意味で対等ではないのです。
それが、銀英の二大主人公たるラインハルトとヤンの二人の相手役ヒルダとフレデリカが揃いも揃ってそのように描かれているので、あの場面でフレデリカに注目してしまったのでしょう。
そしてそれは、ミッターマイヤー夫妻をはじめとする主要キャラカップルの殆どに当てはまります。(唯一の例外はロイエンタールですが、描き方が“あれ”ですから>笑)
私はそこに、作者の女性観というよりも恋愛観の貧弱さを感じます。
ちなみにコアなファンでない人がたまたまOVAを見ると、ヒルダとフレデリカは、見た目も中身も「同じ人にしか見えない」のだそうです。
フレデリカは、ヤンにとっては、決して自分に逆らわない良い妻なのだと思いますが、彼が気付かないことに気付かせてくれ、彼を成長させてくれる存在ではありませんでした。だからこそヤンは、モラトリアムを青年のまま亡くなったのです。
それは、全く益のない戦争を次々と起こし、多くの一般兵を無為に死なせたラインハルトを「国益」や「人命」という視点を彼に提示することがでいなかったヒルダにしても同様です。
主人公が二人揃って同じように自分に従属的な女性を選び、彼女等が揃って「賢い女性」とされていることが、私が「女性蔑視」を感じた理由の一つです。
繰り返しますが、どちらか一人ならここまで気にならなかったかもしれません。


>「お前が戦争に行け」論は、実のところ作者が「善玉」と
>設定しているキャラクターのほとんどが多かれ少なかれ
>主張しているんですよね。

それって、昔若気の至りの頃ではなくて、今でもなんですか?
だとしたら、何と言うか、一応小説家という知識人のはしくれとして、すごく恥ずかしいと思うんですが・・・
私は、これだけ「人命尊重」を連呼しておきながら、こう言っては何ですが、実のところ「日本は絶対に戦争はしてはいなけい」とは思っていないんですよね。
むしろ、しなくてはいけなくなる場合も今後有り得るのではないかと思っています。
ただ、戦争という最悪の事態にならない為の、有るとあらゆる努力はすべきと思っています。
戦争は一国ではできませんから、いくら日本がやりたくなくても、相手が攻めてくれば応戦するしかないでしょう。少なくとも無条件降伏なんて論外です。
ただ、間違っても戦闘状態に入ったら、前線に首相や天皇陛下が出て行くべきだなどと寝言を言うつもりはありません。人にはそれぞれの立場でそれぞれの役割があるのですから。
小説家のくせにそんな単純なことも本当に判らないのでしょうか?
ただ、「お前が戦争に行け」論を唱える人達は、本気で「戦争を肯定する人間はまず自分が最前線で戦うべき」と思っているわけではないと思います。
彼らの真の意図は、誰だってミサイルや銃弾が飛び交う戦場になんて行きたくないはずだし、戦争で死にたくないはずなのだから、自分が嫌なことは他人にもやらせるな、つまり、何があって戦争はしてはいけないという一見究極の人道主義に根差したものです。
しかし、それは更に論を進めると、よく見かける「戦争のない世界を作りたいならまず、自分達が率先して全ての武器を放棄すべきだ」という非現実的な平和ボケ反戦論者の主張に通じてしまう・・・というのが私の考えです。


>ジェシカの結婚退職

私も、描かれること自体はそんなに異常だとは思いません。
なぜ、ジェシカの結婚退職が一部の人に女性蔑視を感じさせるのかといえば、理由は二つあると思います。一つは、彼女のキャリアウーマン的なキャラクターと、職業が教師だったこと。もう一つは、物語の舞台が未来社会の(一応アメリカ的な)民主国家だったという点です。
逆に、ジェシカがもし帝国のエヴァのようなキャラだったり、職業がどっかの会社の事務員とか花屋の店員とかいう設定なら、それこそ、80年代に書かれたことを考慮して、誰も退職することを問題にしなかったと思います。
今思い返してみると、教師という職業は、80年代どころか、もっとずっと昔から、女性が結婚後も継続できる数少ない職業の一つでした。
ですからこの場合、厳密に考えれば「執筆当時の80年代の社会風潮を反映しているのだから仕方がない」というのは通用しないことになります。
80年代は、今ほど女性の社会進出が進んではいませんでしたが、それでも徐々に仕事を持つ女性が増え始め、世間でも、将来的にはもっと女性の大学進学率が上がり、男性と同じように働く女性が増えてくるだろうとの予測が一般的でした。
田中氏は、仮にも未来社会を舞台にした小説を書くのに、この程度のことにも想像力が働かなかったということになります。そして、なぜこの点に想像力を働かせなかったかと考えた時、元々この方は、女性の社会進出などに関心がなかったのではないかと思わせるのです。
作者は、いかにも自分は男女平等主義者で、女性が仕事を持って働くことに理解があることをアピールするためもあってジェシカというキャラクターを創作したものの、上記のように、本当は働く女性の実態も知らなければ、関心もなかったので、あまり深く考えずに「結婚する女は退職」という流れにしたところ、それが、作者の女性蔑視を敏感に感じ取るタイプの一部の人間のアンテナに引っかかった・・・というのが、真相に近いのではないでしょうか。
また、彼女の婚約者のラップは、職業軍人なのですから、あの情勢の中で出征すれば当然戦死の可能性も少なくなかったはずです。ジェシカも軍人の妻になることを自ら選んだはずなのに、ラップの戦死を晴天の霹靂のように受け止め、突然反戦運動に目覚めるというのも「聡明な女性」に対して「そんなの最初から想定内のことでしょ」と言ってやりたくなってしまうのですよね。
不思議なのは、ジェシカだけでなく、銀英伝のキャラの殆どが、「戦争に行けば戦死するかもしれない」ということをあまり真剣に考えている節がないことです。作中の戦闘では、毎回のように、全軍の半数とか三分の一、惨敗だと八割、九割が戦死しているにもかかわらずです。全軍の三分の一が戦死ということは、三分の一というかなりの高確率で死ぬかもしれないということです。それを最初から考慮に入れていないような登場人物達と世界観が、ジュブナイルらしいと言えばらしいのかもしれません。

ジェシカをあんな中途半端な活動家に描くなら、いっそのこと「腰掛で勤めていた会社を退職したばかりの花嫁修業中の女の子」にして、失業の心配のない公務員でしかも将来有望な高級仕官と結婚するのだから、仕事を辞めるのは当然に考えていたとでもしてよかったと思います。そして、ラップの戦死の報に、それこそ「よよと泣き崩れて」呆然と何も手につかなくなり、ヨブさんの演説に割り込むなんて考えもつかないという方が、私としてはよっぽど素直に同情できたと思います。その方が突然婚約者を亡くした女性のリアクションとして自然です。
でも田中さんは、そういう女性は同性に受けなくて、ジェシカのように「あなたはどこにいますか?」なんて的外れな反戦を訴える女性が「強くて賢い女性」で、しかも「同性に支持される」と思ってらっしゃるのですよね。その一方で結婚退職なんて前時代的なことをさせるから、「この人は女のことなんて何にも解っていないし、理解する気もないんだ」と一部読者に嗅ぎ付けられてしまったんでしょう。
彼のようなエセフェミニストって、はっきり男尊女卑を標榜する人よりも、扱いずらいしムカつきます。(笑)
それが彼の作り出したキャラクターであるヤンとラインハルトにも反映されていて、彼等はどちらも、表向き女性を尊重しているような素振りを見せ、その実、自分の価値観を全面的に肯定してくれて、落ち込んだら「おお、よしよし」と言って慰めてくれる女性しか受け入れられません。
ラインハルトとヤンは、私がもしあの世界に生きていて、彼らと身近に接することのできる立場だったら、一発蹴りを入れてやりたいタイプの男どもですが、彼等は表面上は女性でも有能な人間なら差別せずに取り立て、作中でも「ラインハルトは女性を蔑んだことはないが」と記述されている一応男女平等主義者なので、何を言っても会話が空回りして、怒りのやり場に困ってしまいそうです。
その点では、はっきり女性不信を身にまとい、「女なんてやつは・・・」的な言動をするロイエンタールの方が、「おお、そうか。上等じゃないか。ちょっと面貸しな」って具合で会話が続くかもしれません。(笑)


>ヒルダの選択について

私も、ヒルダが、ブラウンシュバイク&リッテンハイムVSリヒテンラーデ&ローエングラムという色分けの中で、ローエングラム陣営を選択したこと自体は正しい判断だったと思いますし、原作記述の当時の情勢からも、何ら道義的に恥じるべきことはないと思います。
私が問題にしたいのは、リップシュタット戦役でブラ&リッテン陣営を倒し、リヒテンラーデ一族を一掃してローエングラム独裁体制が確立した後の彼女の行動です。
彼女は、大学で何を専攻していたのか忘れましたが、間違っても戦略理論とか戦史研究とかではなかったと思います。かと言って、文学とか芸術とかに特に興味のある女性ではないことも作中書かれていますので、残るは無難に経営学とか政治学といった類を学んでいたと考えるのが妥当です。
そんな人が、なぜ全く畑違いの軍属になり、戦場に同行し、無意味な大量虐殺(と私は思ってます)の手伝いをするのでしょうか。
軍人でもないヒルダが、自分のキャリアを最も活かせるのは、文官として、旧体制後の社会を改革すべく、内政に手腕を発揮することではないでしょうか。それが彼女の経歴に最も適していますし自然です。ラインハルトに出会うまでのヒルダは、フレデリカのように士官学校を出たわけでも、軍役に就いていたわけでもない、大学生の伯爵令嬢だったのですから。
それとも田中氏は、男同様に戦場に出て一緒に戦う女性が無条件に格好良くて、読者に支持され、文官として内政に従事するような女は前時代的で好かれないとでも思っていたのでしょうか?
ヒルダの立場なら、たとえラインハルトに請われたとしても、それを丁重に辞退し、自分に相応しい分野で全力を尽くすことこそ「かっこいい女性」だと私は思います。
それが、たとえ「一歩間違えれば立場が逆だった」というやむを得ない事情とはいえ、自分が属してきた世界を自ら壊す側に回った人間の節度というものではないでしょうか。

この問題を提議すれば、フェルナーの件が反証としてあがるのは、実は予想しておりました。
私なりの反論を申し上げますと、まず、帝国側の代表的な「寝返り組」である、フェルナー、シュトライト、ファーレンハイト、マイナーなところで、コンラート・リンザー等とヒルダとでは、元々の身分が全く違います。
フェルナーは、その名の通り平民のようですし、シュトライトとファーレンハイトは、一応フォンがついているので貴族でしょうが、男爵とも子爵とも呼ばれていないところを見ると、ラインハルト同様、爵位のない下級貴族であったことは明白です。
つまり、寝返り組の四人は。旧体制が続いていれば、実力に比して不遇に終わった可能性が高かったと言えます。
それに対して、ヒルダは地味な家系とはいえ、庶民から見れば代々巨大な特権を与えられてきた伯爵家の令嬢で、しかも彼女の父親は、他の貴族と違い、娘に政略結婚を強いるようなことはしなさそうな人物です。つまり、ローエングラム陣営の幹部達の中で、唯一ヒルダだけが、旧体制が続いていた世界でも充分幸せになれたはずなのです。(実は私はこのあたりの事情から、ヒルダ本人よりも父親のマリーンドルフ伯が、最低の人間だと感じるのですが、その件に関してはまたあらためて別の機会に論じたいと思います。)
フェルナー達は、彼等は万が一、リップシュタット同盟側が勝利したとしても、上官があのブラウンシュバイク公ですから、到底安穏な生涯をおくれるとは考えられず、逆に疎まれて閑職に追いやられたり粛清されたりする可能性が高かったと思います。しかし、彼等三名は、そんな仕えるに値しないブラウンシュバイク公の下で、それぞれ最善を尽くしました。それが、ラインハルトが彼らを快く登用した理由でもあったはずです。
フェルナーとファーレンハイトは、即座に旧主を見限って恭順の意を示し、シュトライトは、「さすがに昨日までの主人を敵にはできない」と翌年まで保留して、彼等はそれぞれの人となりに似合った形で最終的にローエングラム陣営に加わります。
そこには、彼等なりの三人三様の立場と主張と節度とを感じ取ることができます。
一方で、今回比較対照となるヒルダは、そもそも、フェルナーやバクダッシュのような「図々しく悪びれないキャラ」ではありません。寝返り組の中では、しいていえば、常に冷静かつ公正で、礼節を弁えたシュトライトに一番近い人物のはずです。
そのシュトライトは、たいして美味しい思いをしていたわけでないのに、旧体制の主君に最後まで節を通しましたし、彼も元々軍人ですから、登用後にラインハルトの副官になることに違和感はありません。
ヒルダが、宰相としてのラインハルト、皇帝即位後は最高行政官としての彼の秘書官になることには異存はありませんが、軍の最高司令官としてのラインハルトの補佐役となり、まして大本営幕僚総監などとロイエンタールでなくとも快く思えません。
作者が、彼女をそういう立場に置くことで、それが「女性でも差別されず実力次第で高い地位に就ける」というラインハルトの器量と、ヒルダの優秀さを描き出して女性読者の支持を得ようと意図した結果だとしたら、私の感性ではやはり「勘違いも甚だしい」です。

ヒルダが守りたかった「家門」とやらは、元々ゴールデンバウム王朝から与えられたものであり、その特権を保証された上に特権を与えてもらった旧王朝を滅ぼすのに手を貸し、更に新体制になってからは、その支持基盤である一般庶民の兵士達が次々と大量に戦死していくのをラインハルトに指摘せず、大量死させるに任せてしまいました。
私はヒルダに、フレーゲル男爵になれと言っているのではありません。一夜にして全てを失った貴族達の中には、彼女と同年代の令嬢だっていたはずですし、親や一族の方針にただ従うしかなかったがために辛酸を舐めた多くの貴族がいたはずです。それらの人々の犠牲の上に出来上がった新国家なのですから、彼らの犠牲を無駄にしないためにも、また、何よりもこれまで門閥貴族の圧政の下で成すすべなく苦しんできた帝国の平民達の為に、新帝国をより良い国にしなければ、その為に自分ができることをするのだと志向するのが、ヒルダという「聡明で優しい女性」のキャラに最も相応しい行動だと思います。でなければ、お金の心配もない、権力志向者でもない伯爵令嬢が、単なる自己実現の為だけに公職に就く理由がありません。

バーミリオン以降のラインハルトの行った戦争が、彼の支持基盤でもあった帝国の一般市民にとって、全く益のない、無駄に命を落とすだけのものであり、それを続けるラインハルトがキチガイじみたキャラに成り下がってしまったことは、タナウツでもさんざん議論されていましたよね?
ヒルダは、リップシュタット戦役の際、ラインハルトに対して、「指揮官だけでは戦争はできない。実際に戦争をするのは平民の一般兵士であり、彼らの門閥貴族に対する不満がこの内戦の結果を決定付けるだろう」という主旨の進言をし、実際にその通りになっています。
つまり、ヒルダには、戦争をすれば、真っ先に命を落とすのは平民の下級兵士達であり、彼等にとってラインハルトは門閥貴族達の圧政からの解放者であると同時に、150年間も続いた同盟との戦争を終結させてくれるはずの救世主であるはずだ、その彼らの支持を失いかねない戦争を続けることは、ラインハルト(ローエングラム王朝)にとってマイナスであるという認識があったことになります。
更にこの件がヤンのシビリアンコントロール違反と決定的に違うのは、例のオーベルシュタインの「帝国は皇帝の私物ではなく・・・」の台詞からも、作者も認識していたということです。
ヒルダは、大親征に反対しましたし、幼帝誘拐後にも同盟との和平はないのかと問うて、一見合理的な平和主義者を装っています。
しかし、そこに、「長年に渡り門閥貴族達がいたずらに平民の命を弄んできたような社会を終わらせるはずの新体制ではなかったのか?」という観点が全くありません。
ヒルダが回廊の戦いに反対する為にラインハルトに進言した反対理由は、あくまでも戦略レベルとか戦術レベルの話で、そんな方面から説得しても、ヤンと戦争がしたいラインハルトの心を動かせないことくらい、「聡明な」ヒルダならわかりそうなものです。ヒルダがなぜ、リップシュタット時と同じ理屈で親征に反対しなかったのかは、大きな謎です。
十代の頃から軍隊の中しか社会を知らない生粋の軍人であるミッターマイヤーやロイエンタールが戦略・戦術面で反対を唱えるならわかるのですが、ローエングラム陣営の中で唯一軍隊生活の経験のないヒルダにあのような台詞を言わせると、私は彼女の智謀に関心するよりもわざとらしさや不自然さの方が鼻に付いてしまいます。
ヒルダが本気で戦いを止めさせたいなら、ラインハルトが反論できないようなありとあらゆる言葉を尽くして、有効な説得をすべきでしょう。何と言っても数百万人の命がかかっているのですから、形振り構わず何でもしていいはずです。
だいたい、ヤン一党にしても、ビュコック提督にしても、別に彼等は帝国を侵略して、一般市民を虐殺したり奴隷化したいが為に武装しているわけではありません。帝国民にとって、何の害もない彼等を、なぜ、帝国の一般兵士が戦死覚悟で命がけで戦わなければならないのか?これでは、平民を無為に死なせた旧門閥貴族達と変わらないではないか? 
本気で止めさせたいなら、こう言うべきです。遠まわしに「ヤンは全てを欲しているわけではないと思います」などと言って、ラインハルトの機嫌を損ねないよう気を遣う必要はありません。
また、このようなアプローチの方が、名君を気取るラインハルトを思い止まらせるには有効なはずです。それともヒルダはやはり、平民兵士の命などよりも、ラインハルトの不興を買うことの方を恐れたのでしょうか?だとしたら、国民の命より保身を選択した彼女の人格は、原作の記述にある人物像と大きく矛盾してきます。
ヒルダは遂にラインハルトが一番痛いところ(反意せざるを得ないこと)は、言わず、後に残ったのは結局、「フロイライン・マリーンドルフは、軍事的にも刮目すべき識見を有している」「皇帝の不興を買うのも省みず親征に反対した」という彼女の「成果のない実績」だけです。
つまり、ヒルダというキャラも、私から見れば、ジェシカ同様、表面的には賢い女性に描きながら、肝心なところが抜けている、底の浅いキャラなのです。
作者が、本来女性読者からの支持を見込んで作り出したキャラにも関わらず、逆に女性蔑視を匂わせてしまうキャラになってしまったという点でも共通しています。


ヒルダの言動をいくつか検証してみると、彼女には、いい意味での女性らしい視点や、女性特有の感性や母性といったものが欠落している事例が度々あります。
彼女は、外見は貴族の女性なのに、執政面や軍事面に於いての思考パターンや感覚は、なぜか男の下級貴族や平民出身の軍首脳部と変わらず、中身だけを取れば、まるで生まれながらにローエングラム陣営にいた軍人のような価値観を持つ人間になっていて、私にはそれが共感どころか、違和感と不自然さにしか感じられないのです。
作者は、女性キャラから、女性らしい優しさや母性を取り除くことが「強い女」にすることとでも思っているのか?という疑問を、なかなか具体的な文章にできなかったのですが、冒険風ライダーさんのキング・コング考察のアン・ダロウについての項を読み、私が感じていた田中氏の女性認識と、近いものを感じていた人がいたのだということを知りました。
ファンの間での銀英についての考察を聞いてよく感じるのは、男性と女性との着眼点の違いです。二次創作を見ても、女性は同性愛ものにしろ異性愛ものにしろ、恋愛小説が殆どですが、男性は物語内の政略や軍事的側面の方に興味の比重が大きいようです。
作中では、ヒルダが、女性的なことに興味がないことが美徳であるかのように書かれていて、逆にそういったもの(恋愛とか宝石とかファッションとか)に興味のある女性を低俗扱いしている描写がありますが、若い女性が恋愛やファッションに強い興味を示すのは普通ですし、そういったものに全く興味がない女性が「かっこいい」とは思いません。
ヒルダの行動が、実は初対面でラインハルトと出会った時に彼に一目惚れしてしまい(あれだけの美形なら充分有り得る)その為に視野が狭くなってしまっていた故---というのなら、私は彼女を理解できるし、もっと好きになれたかもしれません。
しかし、作者はなぜかくどいくらいに、初期の段階でのラインハルトとヒルダの恋愛感情を否定していますし、結婚してからでさえ二人をあまり親密には描きませんでした。
ヒルダが早い時期からラインハルトに恋愛感情を持っていて、全ては彼の傍に居たいが為の行動だったと素直に書くと、結局ヤンを追って軍隊に入ったフレデリカと同じになってしまい、さすがにいくらなんでもそれでは芸が無さ過ぎると思ったのでしょうか。そう考えると、非常に恋愛パターンのバリエーションも少ない作家さんだったということになります。


とはいえ、冒険風ライダーさんご自身が仰っていたように、薬師寺涼子のキャラを支持する読者も確かに存在し、その中で女性ファンも決して少なくないのも事実であるように、私も原作のヒルダが素直に好きだと言う女性読者がいらっしゃることは知っています。もしかしたら、私のように考えてしまう人間の方が歪んでいるのかもしれません。
それを承知の上でこれを書いているのですが、皮肉なことに私がヒルダの言動に対して強い嫌悪感を抱く部分は、いずれも作者としては、それによって彼女の聡明さや優しさを表現し、読者に彼女に対するプラス評価を与えようと意図して書いたと思える箇所ばかりなのです。
以下、思いつく限りでその具体例です。

ロックウェル達の処断後の台詞

「たぶん人間は、自分が思っているよりもはるかに残酷なことができるのですわ。逆境になければ、そんな自分を再発見せずにすむのでしょうけど」

この台詞、男性の銀英ファンの方々にはどのように感じられるのでしょうね?
少なくとも私としては、まるで天から下界を見下ろすかのような「上から目線の」台詞を読んだり聞いたりした女性読者(視聴者)が、「ヒルダって、なんて賢くて悟っているの。同性として、憧れちゃうわぁ」と感じることを期待して書いたとしたら、「女をバカにするのもたいがいにしろ!」と感じました。
作者は、ヒルダのような作中随一の恵まれた育ちの何も失ったことのない(あの時点に於いては)人間が、あのような台詞を言うことが、どれ程傲慢か、全く思い至らず、ただ、尤もらしいことを言えば、読者が賢い女と思ってくれると考えていたようです。
はっきり言ってロックウェルなんてどーでもいいキャラだし、やったことは確かに醜悪ですが、彼等は彼等なりの少ない脳ミソで、必死に自分達の身の安全を考えた結果の犯行でした。それが皇帝の美意識と合致しなかったのは不運だったし、仮に裁判受けて法的手順を踏んだとしても結果は同じだったかもしれませんが、それでもヒルダのような一度も逆境に立ったことのない人間に、そんなことを言われたくないでしょう。
ちなみに、ロックウェル達の即処刑という処分そのものについては、ヒルダだけでなく、あの場にいた全員(処断したラインハルト、実行したファーレンハイト、追認したシュトライト)が、恐怖政治化への歯止めをかける意思がないことを非難されるべきと思っています。


回廊の戦いの親征を反対した時の台詞

「陛下、両元帥の仰る通りですわ。ヤン・ウェンリーが、イゼルローンに籠もって堅守しようとすれば、~~~(以下略)」

この反対理由に素直にヒルダの有能さや賢明さを感じられない理由は先に述べました。


ブルックドルフの弾劾報告書に対し、カイザーの審問を受けたロイエンタールの迷台詞「即座に堕胎させておりました」を聞いて、あの場にいた唯一の女性でありながら、全くノーリアクション。
ヒルダを女性として描くなら、一瞬眉をひそめるくらいの描写があって然るべきです。
OVAを見直しても全く顔色一つ変えていないのが、不気味でさえあります。


エルフリーデの処遇についての決定。
中絶させようとするラインハルトに反対し、一見女性らしい気遣いにみせつつ、「どこかの施設に移して出産させた後、子供は養子に出す」という母性の欠如した提案をするという冷酷さ。
いかに未婚で出産経験のない女性とはいえ、生まれたばかりの子と引き離される母親の気持ちという、小学生の女の子でも容易に想像がつくような人情の機微を全く考慮に入れない発想に呆れました。
しかも、自分もアレクを産み、母親になったというのに、フェリックスを産んだエルフリーデの消息を気にする素振りがいっさい描かれていないのも、ヒルダの「賢く思い遣りのある女性」のキャラから剥離しています。
あのオーベルシュタインでさえ、ドミニクに消息を尋ねたくらいなのにです。
また、自分もキュンメル男爵の親族でありながら、ラインハルトの連座制不適用の方針と温情によってお構いなしになったことを全く忘れて、同じように連座制で流刑になっているエルフリーデに対しての同情がいっさいない(実際に出産後には流刑地に戻す予定だった)思いやりのなさが、彼女の「優しい女性」のキャラ像にやはり矛盾しています。


そして、何よりも私の中で、ヒルダへの不信が増幅したのは、7月31日付で書いた「冬の終わりのバラ」です。


冒険風ライダーさんが、田中氏の女性描写に関して問題視している中で、「傲慢かつ自己中心的な上に頭が悪い主張ばかり繰り出している女を『強い女性』として称揚している」という部分が、私にとっては完全に銀英のヒロインたるヒルダにも当てはまってしまうのです。
むしろ、ヒルダは薬師寺と違い「周囲に当り散らす」という愚行は犯さず、表面的には「優しく思い遣りのある女性」となっている分、薬師寺よりも言動と実態との矛盾が大きいように感じます。
だからこそ、二次創作の世界では、こんなヒルダを原作のキャラを崩さず、且つ何とかもう少し同性に共感と好感を持たれる女性に描き直したいと思っています。
まあ、物語の大筋では、「ロイエンタール叛乱のやり直し」というIFモノなのですが(そちらのサイトから派生したリップシュタット戦没のIFモノに触発されました)、恋愛小説の要素も強いので、男性には興味が薄いかもしれませんが、アップしたら読んでやって下さい。

ともとも 2009年08月14日(金)20時47分 編集・削除

>中絶させようとするラインハルトに反対し、一見女
>性らしい気遣いにみせつつ、「どこかの施設に移し
>て出産させた後、子供は養子に出す」という母性の
>欠如した提案をするという冷酷さ。
>いかに未婚で出産経験のない女性とはいえ、生まれ
>たばかりの子と引き離される母親の気持ちという、
>小学生の女の子でも容易に想像がつくような人情の
>機微を全く考慮に入れない発想に呆れました。
>しかも、自分もアレクを産み、母親になったという
>のに、フェリックスを産んだエルフリーデの消息を
>気にする素振りがいっさい描かれていないのも、ヒ
>ルダの「賢く思い遣りのある女性」のキャラから剥
>離しています。
>あのオーベルシュタインでさえ、ドミニクに消息を
>尋ねたくらいなのにです。

そうそう、そうなんですよ!!
まさにそこが私も嫌なんですよ!! 今回の小説にも暗に表現してありますけど。
エヴァにもおなじことがいえるんですよね。すごい上から目線。誰もエルフリーデのこと考えてない・・・、って私から見たら涙です。フェリックスはロイエンタールが産んだんじゃないぞ!!

冒険風ライダー Eメール URL 2009年08月18日(火)01時42分 編集・削除

 うーむ、なかなか手厳しい銀英伝評ですね。
 Jeriさんの銀英伝評、特に作中の女性描写に関する評価を承知の上で言わせてもらうと、実は私の場合、銀英伝の女性描写についてはそれほど違和感を覚えていなかったクチです。銀英伝で批判されるべきは、作中の最高責任者であるヤンとラインハルトの支離滅裂な主義主張や政治戦略であると私は考えていましたし、フレデリカやヒルダの描写はむしろ好意的に見ていたくらいでして。ジェシカは本編は2巻までしか登場せず、外伝でも出番が少ないのであまり印象に残っていませんでしたし。
 この辺り、確かに男性と女性の視点の違い、というのも少なからずあるかもしれませんね。Jeriさんが特にフレデリカ評で強調している「ヤンに甘過ぎ」的な評価は、男性側から見れば逆に好意的な評価になりえる要素も多分にあったりするわけで。
 銀英伝の作中にも、「ラインハルトに対する愛情がアンネローゼには不足していた」と評して批判する歴史家がほとんど例外なく女性であるという指摘があり、それに対する男性歴史家の一反論まで載っていますが、そういう「性差に基いた評価の差異」については作者もある程度は意識しているのではないか、と私は思いますね。

 

>無条件停戦命令受諾について

<ラインハルトが戦死したことを知ったミッターマイヤーとロイエンタールが、今後の戦略面を考えても、間違っても復讐心にかられて10億の一般市民に無差別攻撃を加え大量虐殺などしないことは、ヤンは理解していたと思います。ヒルダが、面識のないヤンの人となりを推理し、本国の停戦命令を受け入れるだろうと読んだように。従ってこの場合の10億人の生命は私は計算に入れませんでした。
むしろ、ラインハルトの本隊が壊滅した双璧にとっては、このまま敵地に孤立し、本国へ帰還できなくなる前に一刻も早く撤退するのが最良であると考えるはずですし、ヤンも二人がそう考えると推測すると思います。>

 いや、彼らは同盟政府が自らの生命を顧みず降伏を拒否した場合、自分達でハイネセンの無差別攻撃を敢行しなければならないことについて真剣に検討すらしています↓

銀英伝5巻 P222上段
<「まったく、同盟の権力者どもが自己の生命をものともせず、要求を拒否したらどうしようかと私も内心思っておりましたよ。こんなことをいうのも妙なものですが、なさけない権力者どもですな」
 ミッターマイヤーが肩をすくめた。>

 そもそも、ミッターマイヤー達は「無条件停戦命令を受け入れなければ惑星ハイネセンに無差別攻撃を加える」と帝国軍を代表して同盟に宣告しているのですし、その前段として同盟軍統合作戦本部ビルに無警告攻撃を敢行していますよね? となれば、同盟政府がその要求を拒否した場合は、当然のことながらその宣告通りのことを実行しなければ「帝国軍の信用や威信」にも関わることになるわけで、むしろ「今後の戦略面」および政略面から考えれば、一度宣告してしまった無差別攻撃は何が何でも敢行しなければならない、ということになります。
 ラインハルトを殺した後で無条件停戦命令を受諾する、という形であれば、ミッターマイヤーらも歯軋りしつつ何もせず即時撤退せざるをえなかったでしょうが、無条件停戦命令拒否であれば、ミッターマイヤーらの個人的性格や戦略的状況がどうだろうと、彼らは「自分達の宣告通り」の無差別攻撃を「帝国軍の信用や威信を失墜させないためにも」行わざるをえないのです。
 それに、無差別攻撃自体は、宇宙空間から大量のミサイルを人口密集地帯に叩き込む、という戦法に終始すれば、遅くとも丸1日以上はかからないでしょうし、同盟にはヤン艦隊以外の戦力が残っていないことはすでに帝国側も確認済みなのですから、悠々と逃げるだけの余裕はあると思うのですが。


<この場合、メルカッツを逃がし、「シャーウッドの森」という戦力を隠蔽することは、その場では確かにメルカッツの命を救いましたが(引き渡したところでラインハルトがメルカッツを処刑するかどうかはわかりませんが)、将来的な戦闘続行に繋がりますので、より多くの命が失われ、やはり「死者の数を最小限に食い止める努力をする」という責任を放棄したことになると思います。>

 メルカッツを帝国側に引き渡せば、確実にメルカッツは処刑されるでしょう。銀英伝にもそれを裏付ける記述があるのですし↓

銀英伝6巻 P112下段~P113上段
<バーミリオン会戦の終結時にメルカッツが生きていれば、銀河帝国としては彼の死を要求せざるをえない。メルカッツはかつて門閥貴族連合軍の総司令官としてラインハルトに敵対し、その後は亡命して、若い金髪の覇者に組することを拒否しつづけた男である。現世でならび立つのは困難だった。>

 ラインハルトがどうとか言うよりも、銀河帝国の威信とか矜持とかいったもののために、メルカッツは処刑せざるをえない、ということですね。銀英伝9巻でラインハルト暗殺未遂の犯人を、ラインハルト個人で免罪することができなかったように、その手の「国家の威信や信用や矜持」といったものは、皇帝の権力よりも優先されなければならないものなのです。
 また、帝国軍の将帥は、メルカッツが死に場所を求めていることを知っていますし、ビュコックと同じようにメルカッツがラインハルトに組しないことも承知していますから、ラインハルトも将帥達も「処刑するのがメルカッツの武人の誇りを守ることに繋がる」と考える可能性が大ですね。
 そういう事情がある以上、帝国側に引き渡せば確実に処刑されるメルカッツを救ったことは、シビリアン・コントロール遵守という点ではともかく、人道的見地から見れば決して間違ったことではないのではないかと。
 むしろ、本当にメルカッツその他多くの生命を救いたかったのであれば、それこそ数年から数十年単位でその存在そのものを徹底的に隠蔽し続けることの方が重要だったわけで、わずか二ヶ月たらずで廃棄戦艦奪取などという雑用のために、ただでさえ怪しまれているところでメルカッツを使役し、表舞台に出してしまったヤンの愚行こそが問われるべきなのではないかと。

 

>夫婦関係または恋愛関係について

<恋人とか夫婦になる男女は、似たような環境で育ったとか同じような価値観を持っている人間同士がくっつく場合が多いと思いますが、それでも元は他人ですので、時に衝突する場合もあれば、相手の自分とは異なる視点や価値観を発見し、それによって今まで気付かなかったものに気付いたり、視野を広げたりしてお互いに成長していくという関係になってゆくのが理想的に思えます。
銀英世界の男女にはそれがありません。
頭から「あなたの考えは違うわよ」と言うのではなく、自分なりの視点、自分なりの価値観で同じものを見ると、あなたとは違ったものになるが、それはどうか?という提示が男に対してできる女性キャラがいません。(いるのかもしれませんが、描きこまれていません)>

 ユリアンとカリンの関係はどうです? 「元祖ツンデレ」的な立ち位置にあるカリンは、ユリアンに反発したり喧嘩したりする一方、ユリアンが考えてもいなかった斬新な視点をユリアンに提供していたと、相方である当の本人が作中で告白していましたが(銀英伝10巻P40~P41)。これこそまさに「今まで気付かなかったものに気付いたり、視野を広げたりしてお互いに成長していくという関係」そのものではありませんでしょうか?
 また、他ならぬ田中芳樹本人が認めているように、銀英伝には女性キャラクターが少ないわけですし、その少ないキャラクターの数以上の多種多彩な夫婦関係や恋愛関係を表現するのは至難の業でしょう。第一、銀英伝は政治戦略や軍事をメインテーマとして描かれているのであって、女性関係をメインに据えることは作者当人からして考えてはいなかったでしょうから、その辺りの限界があることについては賛同する必要はないにしても考慮くらいはしてあげても良いのでは?


<オルタンスは、夫が本国での高官の地位と安定した生活を捨て、ヤン一党と行動を共にるするという不安定極まりない生活をすることに「当然です」と賛同し、幼い娘達を連れて同行します。
彼女はそういうキャラでいいと思うのですが、逆にそんな夫の行動を「自分の家族とヤンとどっちが大事なの?」的発言で一喝し、自分と子供はハイネセンに残り「行きたければあなた一人で行きなさい」と夫に三行半を突き付ける妻がいてもいいじゃないかと思えるのです。しかし、多分そういう妻は田中氏にとっては「悪妻」であり、同性からも支持されないキャラと思っているのでしょう。私としてはそっちの方が家庭人として共感できますし、常識的だと思うんですが。>

 キャゼルヌ一家って夫婦だけでなく子供(それも10歳前後の)もいるわけですから、「行きたければあなた一人で行きなさい」というスタンスは、子供の教育および家庭環境的にはあまりオススメできないですね。キャゼルヌが単身赴任しなければならない環境にあるのであればともかく、ヤン陣営がキャゼルヌを重用すると共に一家を全部ひっくるめて保護してくれることは最初から分かりきっているのですし、特にイゼルローンには半永久的な居住環境も整備されているのですから、それに頼って悪いことはないと思うのですが。
 それに、キャゼルヌ一家の立場でそのような夫婦別離を行った場合、仮にハイネセンに残留しても「オーベルシュタインの草刈り」的なものに巻き込まれ、キャゼルヌを脅迫するための道具として利用されるリスクが存在します。ミッターマイヤーらによる惑星ハイネセン無差別攻撃をちらつかせた脅迫行為だって行われているのですし、それから考えれば、「残る」という選択肢こそ危険極まりないものになるのでは?

 

>ヒルダについて

<私が問題にしたいのは、リップシュタット戦役でブラ&リッテン陣営を倒し、リヒテンラーデ一族を一掃してローエングラム独裁体制が確立した後の彼女の行動です。
彼女は、大学で何を専攻していたのか忘れましたが、間違っても戦略理論とか戦史研究とかではなかったと思います。かと言って、文学とか芸術とかに特に興味のある女性ではないことも作中書かれていますので、残るは無難に経営学とか政治学といった類を学んでいたと考えるのが妥当です。
そんな人が、なぜ全く畑違いの軍属になり、戦場に同行し、無意味な大量虐殺(と私は思ってます)の手伝いをするのでしょうか。>
<ヒルダが、宰相としてのラインハルト、皇帝即位後は最高行政官としての彼の秘書官になることには異存はありませんが、軍の最高司令官としてのラインハルトの補佐役となり、まして大本営幕僚総監などとロイエンタールでなくとも快く思えません。
作者が、彼女をそういう立場に置くことで、それが「女性でも差別されず実力次第で高い地位に就ける」というラインハルトの器量と、ヒルダの優秀さを描き出して女性読者の支持を得ようと意図した結果だとしたら、私の感性ではやはり「勘違いも甚だしい」です。>

 ヒルダがラインハルトから最初に与えられた地位は、「帝国宰相首席秘書官」であって、これは文官の地位に他ならないのですが。それにヒルダは、リップシュタット戦役でアレだけの政治・戦略理論を駆使してラインハルト勝利を予見しえたのですから、「政治・戦略に長けている」とラインハルトを含む周囲から見做されるのは至極当然のことでしょう。
 また、ヒルダが大本営幕僚総監に選定されたのは彼女の意思ではなく、その才覚を見込んだラインハルトに無理矢理押しつけられたものです。銀英伝7巻ではラインハルトによる地位の提示をヒルダは一度辞退していますし、銀英伝8巻のシュタインメッツ戦死後は、再度断ろうとしたヒルダに有無を言わせずラインハルトはその地位を押しつけています。この経緯を見ても、ヒルダが自分の意思で「全く畑違いの軍属にな」っているわけではないことは明白ですし、一方でどのような形であれ、その地位に就いている以上は「戦場に同行」するのが職業倫理という観点から言っても当然なのではないでしょうか。
 これは軍隊に限らず全ての職業について言えることですが、たとえ仕事の内容に異論があっても、一度決められた仕事についてはきちんと遂行することが、責任ある地位についている者には当然求められます。だからこそヒルダは、戦争が決定されるまでは必死になってラインハルトに戦争回避の再考を何度も求めたのですし、一方で一度決まった戦争については、たとえ異論があっても己に与えられた仕事はきちんと全うしなければならないわけです。
 むしろヒルダは、ラインハルト側の視点から見れば、すでに決定した戦争についてさえもしつこく再考を求めたり、バーミリオン会戦時のミッターマイヤー説得に見られるような無断行動があったりと、むしろ不逞分子と見られても仕方がないくらいに「ラインハルトに逆らう人間」としか言いようがないのですが、それでもヒルダは「独自の価値観を持って精神的に自立している女性」ではない、ということになるのでしょうか。
 ヒルダが軍属としてラインハルトの手伝いをしていることを問題視するのであれば、当の本人が辞退の意思を示しているにもかかわらず、そのような立場を主君&上司としてヒルダに強要しているラインハルトこそが真っ先に糾弾されるべきなのでは?


<一夜にして全てを失った貴族達の中には、彼女と同年代の令嬢だっていたはずですし、親や一族の方針にただ従うしかなかったがために辛酸を舐めた多くの貴族がいたはずです。それらの人々の犠牲の上に出来上がった新国家なのですから、彼らの犠牲を無駄にしないためにも、また、何よりもこれまで門閥貴族の圧政の下で成すすべなく苦しんできた帝国の平民達の為に、新帝国をより良い国にしなければ、その為に自分ができることをするのだと志向するのが、ヒルダという「聡明で優しい女性」のキャラに最も相応しい行動だと思います。でなければ、お金の心配もない、権力志向者でもない伯爵令嬢が、単なる自己実現の為だけに公職に就く理由がありません。>

 いや、ヒルダにとってはそのための選択こそが「ラインハルトに仕え、内政の抜本的な改革に力を貸す」ということなのだと思うのですが。
 確かにラインハルトは、第8次イゼルローン要塞攻防戦、バーミリオン会戦、マル・アデッタ会戦、回廊の戦いと軍事面に関しては無為無用な戦争を次々に行い、無用な犠牲を出してはいますし、それは大いに批判されるべきことです。しかし政治面においては、人数的にもごくわずかな貴族階級を犠牲の羊にすることで、大多数の平民階級が経済的な恩恵が与えられていますし、また同盟との130年以上にわたる戦争に終止符を打っていますので、総合的に見れば、すくなくとも「これまで門閥貴族の圧政の下で成すすべなく苦しんできた帝国の平民達の為に、新帝国をより良い国に」する、ということを、ラインハルトは充分に成し遂げていると評価すべきですし、そのラインハルトを手助けしたヒルダの選択肢自体は決して間違ったものとはいえないでしょう。
 無為無用な戦争を乱発した戦争狂としてのラインハルトと、平民階級の大多数から「解放者」として支持され、結果として長年にわたる同盟との戦争を終わらせた功労者としてのラインハルトは分けて評価すべきですし、ヒルダも前者のラインハルトは批判し、後者は大いに支持するスタンスを明らかにしているはずですが。


<ヒルダが本気で戦いを止めさせたいなら、ラインハルトが反論できないようなありとあらゆる言葉を尽くして、有効な説得をすべきでしょう。何と言っても数百万人の命がかかっているのですから、形振り構わず何でもしていいはずです。>
<また、このようなアプローチの方が、名君を気取るラインハルトを思い止まらせるには有効なはずです。それともヒルダはやはり、平民兵士の命などよりも、ラインハルトの不興を買うことの方を恐れたのでしょうか?だとしたら、国民の命より保身を選択した彼女の人格は、原作の記述にある人物像と大きく矛盾してきます。
ヒルダは遂にラインハルトが一番痛いところ(反意せざるを得ないこと)は、言わず、後に残ったのは結局、「フロイライン・マリーンドルフは、軍事的にも刮目すべき識見を有している」「皇帝の不興を買うのも省みず親征に反対した」という彼女の「成果のない実績」だけです。>

 まず、仮に「あの」オーベルシュタインと同等の論理をラインハルトに叩きつけたとしても、ラインハルトが翻意することはありえないでしょう。確かにあの批判は、ラインハルトに一時的な痛打を与えることには成功していますが、所詮はただそれだけの効果しか上げることができず、その後ラインハルトは性懲りもなく戦争を求め続けた挙句、何らの戦争回避のための外交努力も行うことなくシヴァ星域会戦に向かって突き進んでいるのですから(>_<)。
 ラインハルトにとっての「戦争」というのは、たとえて言えば「麻薬中毒患者にとっての麻薬」のようなものであって、周囲がどれほど説得しようが正論で無理矢理ねじ伏せようが、ラインハルトは必死になってそれを手に入れようとするのです。そのラインハルトをあくまで「形振り構わず何でもしていい」という論理でもって従わせようとするのであれば、クーデターでも敢行してラインハルトを失脚させるか、ラインハルトを洗脳OR調教OR暗殺するか、くらいの手段を使わないと無理でしょうね。もちろん、そのようなことをすれば、失敗すれば己の滅亡、成功しても結果的に新たな戦争を招くことになりかねないのですから論外な選択肢ですが。
 それにヒルダは元々「家の存続」のためにラインハルトに属することを選んだのですから、その「家の存続」のために自分自身の保身を図ろうとすることは至極当然のことでしょう。ラインハルトを諌めるために「家の存続」を放棄するのは、ヒルダにとってもマリーンドルフ家にとっても本末転倒ですし、第一、そこまでの犠牲をラインハルト相手に払ったところで、あの戦争狂のラインハルトが方針を改めてくれるとは到底考えられません。
 「家の存続」という目的と、そのために必要となる自己保身は必要最低限絶対に確保した上で、国民の犠牲や国の行く末について考慮し、政治や軍事についての諫言をラインハルトに対して行う。ヒルダの行動は最初からこの方針で一貫しているのであって、しかも「あの」戦争狂のラインハルト相手にそれをやってのけているのですから、その範囲内におけるヒルダの才幹は充分賞賛に値するものですよ。そもそも、個人的なスタンドプレー等であればともかく、政治や軍事の場では、自分を守ることもできない力量や識見しか持たぬ者に、他人の生命や財産を守ることなど不可能なのですし。
 最高責任者であるラインハルトの愚行は、他ならぬラインハルト自身が全面的に背負うべきものなのであって、所詮は部下の、しかも自己責任の範疇でやれるだけのことはやっているヒルダが、自己を犠牲にしてでも負担すべきものなどではありません。


<ヒルダの言動をいくつか検証してみると、彼女には、いい意味での女性らしい視点や、女性特有の感性や母性といったものが欠落している事例が度々あります。
彼女は、外見は貴族の女性なのに、執政面や軍事面に於いての思考パターンや感覚は、なぜか男の下級貴族や平民出身の軍首脳部と変わらず、中身だけを取れば、まるで生まれながらにローエングラム陣営にいた軍人のような価値観を持つ人間になっていて、私にはそれが共感どころか、違和感と不自然さにしか感じられないのです。
作者は、女性キャラから、女性らしい優しさや母性を取り除くことが「強い女」にすることとでも思っているのか?という疑問を、なかなか具体的な文章にできなかったのですが、冒険風ライダーさんのキング・コング考察のアン・ダロウについての項を読み、私が感じていた田中氏の女性認識と、近いものを感じていた人がいたのだということを知りました。>

 そういえば田中芳樹は、中国の歴史上に「男性的な強さを持つ女性」がたくさんいることをもって「中国は男尊女卑の社会ではない」などという電波な結論を導き出していたことがありますね↓

創竜伝9巻 P106下段~P107上段
<「楊家将演義」は中国の有名な歴史小説で、日本ではなぜか全く知られていないが、「楊家の女将軍たち」として欧米でも知られている。宋の時代の中国は北方騎馬民族の侵入に悩まされたが、楊という武人の一族が彼らと勇敢に戦い、武勲をあげ、天下に名をとどろかせた。その一族は幾人かの有能な女性の将軍にひきいられ、とくに穆桂英という女性は、隋末唐初の花木蘭、南宋の梁紅玉、明の秦良玉らと並ぶ中国史上最大のヒロインである。「楊家将演義」は民族の興亡と戦乱を描いておもしろいだけではない。男尊女卑の世界と思われている中国史の中で、じつは才能と実力のある女性が大活躍していた、という事を知る上でも貴重な作品である。中国では劇にもなり映画化もされているが、日本では翻訳すらされていない。日本における中国文学の紹介は、ごく一部の作品にかたよっているのだ。>

 ちなみに、これと全く同じ主旨のことを、田中芳樹は「書物の森でつまずいて……」収録のインタビュー記事でも述べていますから、これは田中芳樹の本心からの評論とみて間違いないかと。
 もちろん、実際の中国では「纏足」という慣習ひとつとっても「男性が女性を道具のように扱っていた」ことの証明になりますし、前近代的な夫婦別姓制度でもって女性を余所者扱いし、子供が生まれると同時に母親を家から追い出したり殺したりした歴史があることから考えても「男尊女卑の世界と思われている」のは当然でしょう。そして、そのような苛烈極まりない男尊女卑社会であるからこそ、自己防衛のために女性は強くならざるをえなかった、というのが田中芳樹曰く「じつは才能と実力のある女性が大活躍していた」の実態なのですけどね。
 こういう勘違いを平気でやっているくらいですから、田中芳樹が「強くて賢い女性」を「男性と同様の思考法で考え、行動できる女性」として定義していても何の不思議もありません。そしてヒルダは間違いなく、この路線に沿う形で描かれているのでしょう。
 ただ、その視点から見れば、田中芳樹の良妻賢母的女性描写は、田中芳樹が表現できる数少ない「いい意味での女性らしい視点や、女性特有の感性や母性といったもの」になるわけで、その描写を元に「田中芳樹は女性を蔑視している!」などと評されてしまうのでは、田中芳樹が気の毒に思えてならないのですが(「描写がウソ臭い」ならばまだ理解できなくもないのですけどね)。

 

>ロックウェル達の処断後の台詞

 いや、「まるで天から下界を見下ろすかのような「上から目線の」台詞」というのならば、私やJeriさんがやっている銀英伝人物評もまた、充分過ぎるほどに「まるで天から下界を見下ろすかのような「上から目線の」台詞」と言えるのではないかと思うのですが(^^;;)。
 銀英伝の作中でも、そういう人物評をやっているのは別にヒルダだけではありませんし(数だけでいえば、とにかく他人を無能と罵りまくるラインハルトの方がはるかにその手の台詞が多いでしょう)、自分に近しい人間ではない者に対する人物評というのは、多かれ少なかれそういうものにならざるをえないと私は考えていますので、件の台詞を読んだ時も別段何も感じはしませんでしたね。

 

>ロイエンタールの迷台詞「即座に堕胎させておりました」に対するヒルダの反応

 「ロイエンタールの発言は不快ではあったが顔には出さなかった」でも個人的には問題ないと思うのですが。
 あと、ヒルダもラインハルトと同様に、政治や軍事については卓越していても、その分一般常識が欠落しているという設定ですし、アンネローゼのように出産に直接関わった経験もなさそうですから、その方面の想像力があまり働いていなかった可能性も高いでしょう。
 実際、こういうのって、言葉や知識だけでなく実際に経験してみないと分からない要素も多分にあるのではないかと、男性である私としては思うのですが、どんなものでしょうか。

 

>エルフリーデの処遇についての決定

 いや、エルフリーデはそもそもロイエンタールを虚言で失脚させようとする陰謀に加担した主犯格の犯罪人ですし、ロイエンタールの「即座に堕胎させておりました」発言を受けた後では、父親にも母親にもマトモな育児を期待するのは無理というものでしょう。しかもエルフリーデの方からして、胎児をロイエンタール失脚の道具として利用していたわけですし、己の子供にマトモな愛情を抱いていたのかどうかすらも疑問と言わざるをえないのですが。
 無罪放免というわけには当然いかず、また母子揃って殺すという選択肢も取れない以上、ヒルダの提案は、本人も明言しているように「最善であるかどうか、かならずしも自信はございませんが」にしても、ほとんど唯一の妥協策といえるものなのではないでしょうか。
 むしろ、「後腐れのないように母子もろとも殺してしまいましょう」とまでは言わなかった辺りに、ヒルダの女性的な優しさと甘さが表現できているように思うのですが(そういう選択肢もあるということは作中でも示されていますし)。

 

 これまでの議論で、私とJeriさんの間では、田中芳樹の女性観や女性描写の問題点については大筋の合意に達しているものと見て良いでしょう。
 一方でヒルダやフレデリカの問題ではしばしば意見が対立していますが、これはどちらかといえば「責任の所在」という問題であろうかと思われます。私は「ヤンとラインハルトの愚行は、あくまでも最高責任者にして実行者でもあるヤンとラインハルト自身が責任を取るべきであり、また批判されるべきである」という考えなのに対して、Jeriさんは「何故ヤンとラインハルトの愚行に対してきちんとした助言を行わなかったのか」を問題としているわけですね。
 責任の所在から言えば、ヒルダやフレデリカが何を言おうと、最高責任者にして実行者でもあるヤンとラインハルトがそれを受け入れなければお終いですし、逆に彼女達が間違った助言を行ってそれをヤンやラインハルトが受け入れた場合でも、最終的に責任を取らなければならないのはやはりヤンとラインハルトになるわけです。また、「何故きちんとした助言をおこなわなかったのか」という批判は、別に彼女らに限定されるものではない上に「みんなで責任を負いましょう」的な「連帯責任は無責任」という事態を生むことにもなりかねず、結果としてヤンとラインハルトが本来負うべき責任を軽減させてしまうことにも繋がりかねません。ヤンとラインハルトの行動をメインに批判するのであれば、それは本末転倒というものでしょう。
 一度、女性描写云々を抜きにして、ヒルダやフレデリカも所詮は補佐役に過ぎず、最終的な最高責任は取りうる立場にない、という原点に立ち返る必要があるのではないでしょうか。

Jeri Eメール URL 2009年08月22日(土)01時31分 編集・削除

>冒険風ライダー様

私の多分に独断と偏見に満ちた見解に対し、丁寧なコメントありがとうございます。

>実は私の場合、銀英伝の女性描写についてはそれほ
>ど違和感を覚えていなかったクチです。銀英伝で批
>判されるべきは、作中の最高責任者であるヤンとラ
>インハルトの支離滅裂な主義主張や政治戦略である
>と私は考えていましたし、フレデリカやヒルダの描
>写はむしろ好意的に見ていたくらいでして。

私は銀英伝しか読んでいないので、そう感じましたが、冒険風ライダーさんは、他のもっとひどい田中作品を読んでいらっしゃるから、それらと相対的に見てそのように感じられるのは自然なことだと思います。
読んでない私がこう言うのもなんですが、冒険風ライダーさんのご意見を拝見するだけでも銀英伝より後に書かれたはずの薬師寺やキング・コングの女性描写の方が、田中氏の女性に対する認識がより極端で偏狭な方向へ向いてしまっていることを感じます。
銀英は、完結した田中作品の中では随一のヒット作で、小説とOVAを合わせれば最も読者(視聴者)の多い作品と思われます。多分、銀英の女性描写が気になる人は、銀英以外の田中作品を読んていない人が多いのではないでしょうか。
銀英の作中で批判されるべきは、支離滅裂な主義主張や政治戦略を行うラインハルトやヤン本人が筆頭であるというご意見は、その通りで、私も彼等以上に彼らを追認、賞賛する周囲のキャラがより批判されるべきとは考えておりません。
しかし、彼等がいかに無茶な主張や行動をとろうとも、周囲の人間がそれを認めなければ、事は実現できません。
その点では、ヒルダやフレデリカだけでなく、例のオーベルシュタインの「帝国は皇帝の私物でなく~~」の台詞に何ら反論できず、ましてその台詞の前に「カイザーのご意思は堂々たる正面決戦にある」などどバカ言っている「知性が充分備わっている良将」という設定のミュラー等も同様です。
また、バーミリオンの戦略的意味のない単に戦死者を多く出すだけの「防御陣作戦」に誰も異議を唱えない(それどころか斬新で有効な作戦と高く評価していた)帝国軍の「優れた用兵家」の面々も、「シャーウッドの森」の矛盾に誰も気づかないヤン一党も男女関わらず全て同等に、張本人であるラインハルトやヤンに次いで批判されるべきと思っています。
結局、私がヤンとラインハルトを取り巻く人間の中で女性キャラに目が行くのは、同じ女性として、「この単細胞男どもの行動を何とも思わんのか!」という極めて感情的なものなのかもしれません。
私も、冒険風ライダーさんの言を借りるわけではありませんが、ヒルダの一部分を嫌う理由を(女性視点から)「美人で有能で性格がいいなんて嘘くさいくて嫌い」という主張&結論にはしたくなかったので、なぜ反感を感じるのか、その欲求を満たすための文章を書こうとしているのですが、これがすごく難しくて、未だに自分の言いたいことの半分も表現できていません。


>銀英伝の作中にも、「ラインハルトに対する愛情が
>アンネローゼには不足していた」と評して批判する
>歴史家がほとんど例外なく女性であるという指摘が
>あり、それに対する男性歴史家の一反論まで載って
>いますが、そういう「性差に基いた評価の差異」に
>ついては作者もある程度は意識しているのではない
>か、と私は思いますね。

私は、その「後世の歴史家」とやらの評価の着眼点の性差を現すものを、アンネローゼの「愛情の不足」ということにした作者に、やはり女性への偏見を感じてしまうのです。
私がもし、後世の歴史家なら、別にアンネローゼのラインハルトへの「愛情」など問題にしません。
実の弟だし、最期にはフェザーンに来て彼の死を看取った事実で、愛情は充分あったと解釈できます。
実際、女性の銀英ファンの間でのアンネローゼ評の「対ラインハルト」に関するものは概ね「激甘な姉上」で、キルヒアイス死後の隠棲を愛情不足と捉えているのをきいたことがありません。
ヒルダとアンネローゼが交代で乳児と病人の世話をしたというラインハルトの臨終間際の様子は、かなり克明に記録され、後世に残ったと思われますので、その資料だけでも、アンネローゼの隠棲が、ラインハルトへの愛情の不足の結果だなどと的外れなことを主張するのが、ほぼ例外なく女性の歴史家だったというのが、「女は感情的で客観性に乏しい」という侮蔑に聞こえてしまいす。(まあ、一般的に言って女が男より理論より感情優先であるのは本当のところだと思いますが)
それよりも、キルヒアイス亡き後のアンネローゼが、ラインハルトの暴走を制止できる唯一の人間でありながら、その立場を放棄し、自分の世界に篭もってしまった責任の方を問題視するかもしれません。
彼女が、キルヒアイスの死後もずっとラインハルトと一緒に暮らしていれば、もしかしたら、作中で起こった流血は、もっと少なくて済んだかもしれないのです。
作者が、「性差に基いた評価の差異」に考慮していたことは、私も間違いないと思いますが、そこでもまた女性に対する意識が、「なんかちょっと、ずれてるんじゃない?」と思わざるを得ないです。
ただし、この件に関しては、やはり作者の若い時の作品故に、仕方がないと思っていますので、殊更問題にする気はありません。
たまたま話題にされたので、私なりの見解を述べさせて頂きました。


>ラインハルトを殺した後で無条件停戦命令を受諾
>する、という形であれば、ミッターマイヤーらも
>歯軋りしつつ何もせず即時撤退せざるをえなかっ
>たでしょうが、

私もそれを言いたかったのです。
あの時、ヤンの砲撃命令と本国からの停戦命令とは、まさに間一髪のタイミングでした。ならば、ヤンは、停戦命令を知ったのが1分、いや、30秒遅かったことにして砲撃してブリュンヒルトを撃沈した後で停戦命令を実行すれば、「間に合わなかった」ということになって、双璧は降伏勧告を受け入れた同盟を無差別攻撃せずに撤退することになったと思います。
或いは、これは物理的に可能かどうか解りませんが、ヤンは、ラインハルトを殺したくない、双璧は無差別攻撃などしたくないというのが双方の本音であるならば、ブリュンヒルトを射程内に納めたヤン艦隊が、ラインハルトを人質に、ハイネセンを制圧している双璧に対していわば人質交換のような形で、対等な立場で和平条約を結ぶという道は不可能だったのかと、考えたことがあります。
もちろん、これを実行するには、一軍人のヤンが決めることはできないので、当然、政治家との連携を必要とします。
一見無理そうですが、本国からの停戦命令が届いたところを見ると、通信手段はあったはずなので、やろうと思えば可能だったのではないでしょうか。
問題は、ヤンの政治家嫌いと、当時の同盟側の国家元首が、ヤンが嫌っているトリューニヒトだった点です。
多分、ヤンは、上記の方法が物理的に可能だったとしても、ヨブさんと連携はしないでしょうし、ヨブさん以外の比較的まともな政治家(レベロとかホワン・ルイとか)とでも、「政治家は嫌い、政治には関わりたくない」という個人的嗜好の方を優先したように思えます。
このいずれかの方法をとっていれば、10億の人命は危険に晒されることはなかったはずなので、私としては人命尊重の中にハイネセンの10億人は計算に入れなかったのです。


>メルカッツの処遇

メルカッツが、もし身柄を引き渡されていれば、間違いなく処刑されただろうとのご意見は、その通りだと思います。
帝国軍の将帥の中にも、用兵家としてのメルカッツの才を惜しむ声がたびたび上がりましたので、もしかしたら助命を請う人がいるかもしれませんが、本人も死に場所を求めているようですので、その意を汲む意味でも処刑は実行されたでしょう。


>わずか二ヶ月たらずで廃棄戦艦奪取などという雑
>用のために、ただでさえ怪しまれているところで
>メルカッツを使役し、表舞台に出してしまったヤ
>ンの愚行こそが問われるべきなのではないかと。

これにも全面的に賛成です。
5年はみないとなどど言っておきながら、僅か2ヶ月ですから。
この役目は別にメルカッツでなくとも充分実行可能に思えます。


>銀英伝は政治戦略や軍事をメインテーマとして描
>かれているのであって、女性関係をメインに据え
>ることは作者当人からして考えてはいなかったで
>しょうから、その辺りの限界があることについて
>は賛同する必要はないにしても考慮くらいはして
>あげても良いのでは?

はい、そうですね。
確かに恋愛小説ではありませんからね。
ユリアンとカリンの二人は、年齢的に高校生カップルのようなイメージがあって、興味が薄かったこともあり、今まであまり考えたことがありませんでした。
あの二人が、夫唱婦随が殆どの銀英のカップルの中で、一番現代的かもしれませんね。


>キャゼルヌ一家

これは、キャゼルヌ一家の行動に異を唱える意味で書いたわけではありません。
あの一家は、あれが一番いい選択だったと私も思います。
私が言いたかったのは、夫についてどこにでもいける妻ばかりではないはずで、男に都合のいい女性ばかりが登場する銀英の中で、そうでない妻は、悪妻なのか?という疑問が沸いたからです。
確かに、イゼルローン要塞は、半永久的な居住環境を備えているかもしれませんが、人間の生活は、それだけではありません。
例えば、今、日本は世界中にビジネス展開していて、外交官や現地法人に駐在するために一家揃って異国暮らしをする家族も多いですが、それに上手く順応できる人とできない人の差が意外に大きいのです。
夫の任地に着いてから馴染めなくて帰国する人もいれば、赴任先が決まった途端に、「インドなんていや」「ケニアなんていや」「中国なんていや」と言って最初から同行しない奥さんも結構います。
家族で海外駐在する場合、まず、日本人が衣食住に不自由することはありません。発展途上国の場合、逆に、広い家にメイドや運転手までついて家事から解放されます。それでもダメな人はダメなんです。
イゼルローンは、確かに暮らしに不自由しないかもしれませんが、危険な最前線で、しかも一年、二年の短期間に帝国と同盟が奪還を繰り返している不安定な場所です。そんな馴れない場所へ行って暮らすのはいやだという人も存在するのは普通ですし、そういう人が悪妻であるわけでもないと思います。
銀英では、家族揃ってヤンと行動を共にするのは、キャゼルヌ一家しか描かれていませんし、その家族がたまたまあのようだからと言って、その反対は悪いとする描写もありません。本題から外れて、複数の家族を描写する必要もなかったのかもしれません。
ただ、登場する既婚者が、揃いも揃って良妻賢母タイプで、オルタンスもあまりにも理想的な賢妻に描かれている為、「ああでなければいけないのか?」という理屈ではない反発を覚えるのだと思います。
ちなみに、私がもし旦那に、「友人を助けるためにアフガニスタン(イラクでもいいですが)に行くから、お前達も一緒に来い。安全は軍隊が守ってくれることになってるし、快適な衣食住は保障される。」と言われたら、「あなた一人で行って」です。
オルタンスさんと違って、良い妻ではないでしょうかね?


>ヒルダがラインハルトから最初に与えられた地位
>は、「帝国宰相首席秘書官」であって、これは文
>官の地位に他ならないのですが。

その「帝国宰相首席秘書官」という文官は、宰相が軍を率いて遠征する時、同行しなければならない決まりだったのでしょうか?
もしそのように決まっている地位なら、あの情勢の中で、そんな地位にあえて女性を就けるラインハルトは無神経だし、与えられたヒルダの方も、何らかの志を持って働くなら、辞退して本国で民政に従事できる他のポストを要求するのが筋だと思いますが。
そうしていれば、ずるずると済し崩し的に軍隊入りすることもなく、後々の大本営幕僚総監の話しも当然なかったはずです。
旧銀河帝国で、宰相と軍のトップを兼務した臣下は、ラインハルトが最初のようですから、遠征への同行は前例がないことになります。
前例がないということは、ヒルダをその任に就けた時、新たに前例を作ったことになります。
なぜ、あの男ばかりの軍隊の中で、女性の秘書官をわざわざ戦艦に乗せる必要があるのか疑問です。秘書官にするにしても、本国に残って、ラインハルトと連絡をとりながら、事務処理に従事するのが自然に思えます。
作者は、男ばかりの中に混じっても手腕を発揮し、周囲に認められる女性という形に描きたかったのでしょうが、ここでも働く女性への無理解を感じます。
帝国軍は、500年近く男だけの職場だった世界で、戦艦内の生活様式も当然ながら男性が暮らすことを前提にしか作られていないはずです。(下世話な話、トイレの問題とかありますし)
そういう状況の中に、史上初めて、女性がたった一人で乗り込むのです。
普通の神経の女性なら、心理的、物理的に抵抗があって当然です。
ここにも、とにかく、男の職場に入っていけば、それが先駆者的女性として支持されるはずという勘違いを匂わせるのです。
まあ、この部分は、その当時の作者の人生経験に拠るところがあるので、仕方がないとも思っていますが。
でも、あのような形で取り立てることが、女性でも有能ならその能力を尊重し、男女平等の精神をアピールするものであると認識しているとしたら、やはり何か違っていると感じるのです。


>ヒルダは、リップシュタット戦役でアレだけの
>政治・戦略理論を駆使してラインハルト勝利を
>予見しえたのですから、「政治・戦略に長けて
>いる」とラインハルトを含む周囲から見做され
>るのは至極当然のことでしょう。

これを言っては本末転倒なのですが、私にはこの「昨日まで大学生だった女の子が、突然大人の専門家以上の見事な政治・戦略理論(しかも規模が全銀河)を展開する」というストーリー自体が、どうにも嘘くさいのです。
主人公ラインハルトの相手役に、美しく聡明で、育ちの良い真っ直ぐな性格の女性を当てること自体はいいのですが、その女性を「働く女」にして「仕事上でも有能な補佐役」にすることに、なぜそこまで拘るのか、そこに無理を感じるのです。
作者は、男に交じって働く有能な女性が、読者の共感や支持を得られると思い込んでいるようですが、実務経験のない人間がいきなり実績を作るというのも、組織の中で事務系の仕事をした経験のある人間なら誰でも素直に納得できないと思います。
もっとクリエイティブな仕事ならそういう天才肌の人がいても不思議ではないですが、ヒルダが優れていることになっている、理論とか事務処理能力とかは、ある程度経験がものを言う分野の仕事のはずです。
文系学部(経済でも法学部でも文学部でも何でもいいですが)を卒業しただけの新卒者が、司法試験にも受かってないのに、いきなり敏腕弁護士として大活躍するくらいの突飛さがあります。
それならばまだ、性格上の問題点は置いておいても、東大法学部を卒業して、国家公務員試験のⅠ種に合格し、一応キャリアとしての正規の手順を踏んで出世している薬師寺涼子の方が、仕事を持つ女性の地位としては納得できます。
銀英の全キャラの中で、ヒルダ程下積みが全く無く唐突に高い地位と権限を得た人物はいません。
スピード出世といえば、ラインハルトが筆頭ですが、彼でさえ、15歳で軍役に就いてから、帝国の実質的支配権(宰相と軍の統率権)を得る21歳まで6年間の「実務経験」を有していますし、軍人として、何度も死線を越えてきました。
そして、帝国同盟両陣営でもこのラインハルトの出世スピードを凌ぐ軍人キャラはいません。
ラインハルト自身の異様なスピード出世は物語りの核でもあるので、それ自体は否定しませんが、その唯一ともいうべき異例の人間がもう一人いるという設定が、何と言うか、ラインハルトが二人いるようでワザとらしいのです。
帝国、同盟の主要登場人物も出世スピードや職歴の長さはそれぞれですが、皆実力に対してそれなりの説得力を有する経験を積んでます。
例外的扱いのユリアンでさえ、いきなり中尉になったわけではありません。
そうなると、ヒルダは、ラインハルトなどよりも遥かに天才だったということになります。
ヒルダは、物語発足時20歳だったラインハルトの相手役として、(多分、作者的嗜好で)彼より年下で、仕事面でも有能な女性という設定にしなければならなかったのでしょう。しかし、そうなると、年齢は19歳以下でなくてはならず、貴族令嬢が15、6歳から働いていた設定にするわけにもいかず、結果的に大学生で実務経験ゼロとせざるを得なくなってしまったのでしょう。
ヒルダを、公職に就かず、就いても民政省あたりの下っ端から出発し、才覚で徐々に出世していく程度で、常に本国に在り、出征から帰ったラインハルトを癒し、時に助言したり、新しい視点を授けたりする美しく聡明な女の子という設定では、作者としては一代の英傑ラインハルトの相手として、役不足だったのでしょうか。私は、男ばかりの中で、わざとらしく男装して働くよりも、その方がずっと好感が持たれる気がします。
逆に、ヒルダに仕事をさせたいなら、せめて実務経験が3年以上あることにして欲しかったです。でも、そうなると、ラインハルトより年上になってしまう為、田中氏の好みに合わなかったのではないかと穿った見方をしています。
つまり、ヒルダというキャラに、美しい、聡明、性格がいい、育ちがいい、血統がいい(貴族=お姫様)、有能、年下というこれら条件を無理矢理満たそうとして、あのようになったのだと私は推測しています。
私は、ラインハルトというのは、作者の「なりたかった自分」であり、その相手役であるヒルダは、その自分の「理想の配偶者」だったと思っています。
ですから、ヒルダの設定に、上記の条件を全て盛り込まなければいけなかったのだと思っています。
また、「有能なお姫様」という線を崩したくないならば、彼女を幼い頃に両親を亡くして伯爵家を継承し、物語開始時点で既に伯爵夫人(女伯爵)であったとすることも可能でした。若いながら領地経営や領民の統治経験が長くあり、有能な女領主として既に実績があったことにすれば、年齢に似合わない見事な政治・戦略理論の展開も納得がいきます。
ただ、多分、作者的には「そこまで自立している女性」は、自分の分身であるラインハルトの相手として、嫌だったのでしょう。
この設定だと、帝位に就く前のローエングラム伯ラインハルトとは同格か、向こうの方が血筋もよく統治実績も長い分格上ですから。
ヒルダは、上記の条件を満たしながら、あくまでも女伯爵ではなく、伯爵令嬢で、ラインハルトより立場が下であるのが理想的だったのです。
つまり、「自立してるんだけど、自立し過ぎていては嫌だ」という作者の無意識の願望です。
こういう点って、自分の奥さんに「やり甲斐のある仕事を持って輝いていて欲しいけど、俺より稼いだり出世するのは嫌だ」という一昔前の男のわがまま臭がぷんぷん匂うのですが・・・
まあ、それが80年代~90年代の日本人男性の一般的な感覚だったのかもしれません。
アメリカのオバマ大統領夫妻は、元々二人共同じ弁護士事務所に勤めていた職場結婚ですが、奥さんの方が上司だったそうです。
銀英の世界では、作中で職場結婚したカップルは、ヤンとラインハルトくらいですが、アメリカ的民主国家を模倣したはずの同盟でも、将官の夫に佐官の妻はいても、その逆はなさそうな雰囲気です。


>そのような立場を主君&上司としてヒルダに強要
>しているラインハルトこそが真っ先に糾弾される
>べきなのでは?

その通りだと思います。
私はヒルダを批判したいというより、ラインハルトを通しての作者の「仕事を持つ女性」への無理解や認識不足と、それを作中で体現しているヒルダに異議を唱えたいのです。
ただ、先にも書いたように、ヒルダが、最初の「帝国宰相首席秘書官」を断って、民政のみに従事するポストを要求していたら、その後軍属になることも、勿論、大本営幕僚総監の話もなく、ラインハルトが「そのような立場を主君&上司としてヒルダに強要」することもなかったはずです。
更に言えば、やはり一番問題なのは、「帝国宰相首席秘書官」職務範囲を明確にしなかったラインハルトです。


>政治面においては、人数的にもごくわずかな貴族
>階級を犠牲の羊にすることで、大多数の平民階級
>が経済的な恩恵が与えられています

私がヒルダの行動を素直に賞賛できない根本は、ラインハルトの政治面においての成果の具体像が見えない点にあったのだと、先ほど気が付きました。(笑)
作中で、ラインハルトは確かに平民階級に恩恵を与えるような執政を行ったようですが、いくら善政とか名君と書かれていても、それが作中の独善的で、人権感覚の欠如した、良くも悪くも一般常識から外れているラインハルトの人物像と結びつかないのです。
いくつか具体例で書かれている改革内容も、誰でも思いつきそうなものばかりですし、私生活が質素で、式典等の予算を削減したという描写に至っては『暴れん坊将軍』のレベルで、経済政策のセンスもあまりあるとは思えません。(ああ、これがジュブナイルなのか)
また、元々文官であったはずのヒルダが、その「平民階級に恩恵を与えるような執政」に具体的に関わった描写もありません。
政治面でのプラス要素を実感できなかったことが、残るのは軍事面での無為無用な戦争のことだけになり、元は文官だったヒルダのやったことが、「無為に国民を死なせる戦争の手伝い」のみの印象になってしまったのです。


>仮に「あの」オーベルシュタインと同等の論理を
>ラインハルトに叩きつけたとしても、ラインハル
>トが翻意することはありえないでしょう。

いえ、私が書いた形振り構わずというのは、オーベルシュタインの論理をそのままぶつけるという意味でも、クーデター等の荒業とかでもありません。
ヒルダが、ラインハルトに戦争回避の具申をする場面は何度かありますが、その度に、「なぜ、こんな言い方しかできないの?」とヒルダへの歯痒さで、苛つきながら読んで(視聴して)いたものです。特に、回廊の戦いの前のブリュンヒルト内での二人きりの時の会話で、最も強く感じました。
私が想定したラインハルトへの有効な説得方法とは、「情に訴える」というシンプル且つ女性的な戦法です。
一見無理そうですが、ヴェスターラント出身の暗殺未遂犯の言葉にあれ程衝撃を受けるようなラインハルトには、戦略や政治倫理などを持ち出して説得するより、もっとストレートに「初心に還る」ことに気づかせる方が有効だと思うのです。
実際、回廊の戦いの終盤、ラインハルトの方からヤンに停戦を申し入れた理由は、「キルヒアイスが諌めに来た」でした。
ラインハルトは、作中の権力者の中では、最も「情に訴える」が通用するキャラだと思っています。だったら、ダメもとでそれをやらない手はありません。
私は、これだけキチガイを連呼しておきながら、実は外伝OVAのラインハルトが大好だったりします。
特に、OVAオリジナルストーリーの「叛乱者」とベルばらもどきの衣装連発で楽しませてくれる「決闘者」がお気に入りです。
「叛乱者」のラインハルトは、キルヒアイスと共に、下級兵士達と積極的に交わり、末端の兵士達の実態を知ろうとしています。
そして、最後には、そこで学んだことを活かし、彼等のように徴兵された多くの平民兵士達の為に、早く無益な戦争を終わらせなければと誓いを新たにします。
この時のラインハルトの純粋な気持ちは、キルヒアイスの死と共に彼の中で失われてしまったようです。
ヒルダは、無論、このことを知る由もありませんが、ラインハルトの覇道の最終目的が、どこにあるかは、感じ取っていたはずですし、だからこそ彼女はラインハルトに加担したのだと、原作を素直に解釈すればそう読み取れます。
ならば、この時こそ彼女は、他の首脳陣の誰もできない「女性ならではの説得」を試みるべきだったと思います。

「陛下。どうかお考え直し下さい。ヤン・ウェンリーの一党は、帝国の国民にとって、害ではありません。ならば、彼等と殺し合う理由などないはずです。この戦争は、国益を損ねます。この戦いが始まれば、また、我が帝国軍の多くの兵士達が命を落とすことになります。兵士達は皆、陛下の大切な臣民でもあります。彼らの一人一人に、本国で待つ家族がいることをお考え下さい。陛下は、国民を門閥貴族等の圧政から救い、彼ら平民の兵士達を無益な戦争で死なせない世の中を創る為に、覇業を成されたのではなかったのですか? どうぞ、ヤン一人の為に(皇帝の個人的な誇りの為にと言わないところがミソ)陛下の偉大なご治世に汚点を残すことのないよう、お願いいたします。」

と言って、更にダメ押しで、
「このような無益な戦闘を行うことを、ヴァルハラのキルヒアイス元帥は、どう思われることか・・・オーディンにいらっしゃる姉君が知ったら、さぞ悲しまれることでしょう・・・」
と、演技でもハンカチで涙を拭う仕草くらい見せてもいいと思います。何なら目薬も用意して。(笑)
これは、まさにあの場にいる唯一の女性であるヒルダにしかできない説得法です。
いい意味で女性であることを利用するのは、自分の持っているものを最大限に活用することに他ならず、立派な戦略の一つです。
しかし、女性的な着眼点や行動を頭から否定している作者には、賢い女性と位置付けたヒルダにこのような女性的言動をさせるなど、きっと思いもよらなかったのでしょう。
この台詞を聞いたラインハルトが、それでも「ヤンと戦いたい」意思を貫くか、ヒルダの言葉にはっとなって、かつて自分が航海長を勤めた『ハーメルンⅡ』の仲間達のことでも思い出して、出征を再考するかは、私は田中芳樹ではないのでわかりません。(笑)
でも、これでもまだ戦うことを選んだら、ラインハルトは完全にキチガイで、正気に戻る可能性はなさそうです。
私としては、どちらに転ぼうと、この方面からのアプローチで説得してはじめて、「ヒルダは彼女にできる限り、精一杯大親征に反対した」と思うことができます。
戦術レベル戦略レベルの話しは、ミッターマイヤーとロイエンターに任せ、彼女は彼女にしかできないことをやる。それは、決して、女性的視点が男性のそれより劣っていることにはなりません。むしろ、あの場面でラインハルトのような性格の独裁者を、もし反意させられるとしたら、この女性的視点からのアプローチが最も可能性が高いと思います。
しかし、「強くて賢い女性」を「男性と同様の思考法で考え、行動できる女性」として定義していてる作者は、ヒルダに、いい意味での「女性の仕事」をさせませんでした。
男性と同様の思考法&行動 → 強い&賢い
ということは、
女性的な思考法&行動 → 弱い&愚か
となってしまい、私がヒルダを殊更に「作者の女性蔑視の象徴」と感じるのは、そのような所以です。
原作のヒルダの思考パターンや行動は、全く男性の職業軍人そのものであり、彼女の役割は、女性キャラである必然性がありません。唯一の必然性が、他ならぬ「ラインハルトの子供を産む」ことだったことからも、極端な話し、作者が、女性の存在価値を出産することにしか見出していない証左のように思えてなりません。
これは一般論としてですが、男と女は元々身体の造りも脳の造りも違うのですから、全て同じにすることが男女平等を実現することではありません。
作者が最も履き違えているのは、この点に尽きると思っています。


>その視点から見れば、田中芳樹の良妻賢母的女性
>描写は、田中芳樹が表現できる数少ない「いい意
>味での女性らしい視点や、女性特有の感性や母性
>といったもの」になるわけで、その描写を元に
>「田中芳樹は女性を蔑視している!」などと評さ
>れてしまうのでは、田中芳樹が気の毒に思えてな
>らないのですが(「描写がウソ臭い」ならばまだ
>理解できなくもないのですけどね)。

いや、その良妻賢母キャラさえ、時に非常に悪い意味での男性的思考や言動をするから、益々作者の女性蔑視を感じ取ってしまうんですよ。
例えば、帝国側の良妻賢母の代表であるエヴァンゼリンですが、彼女は典型的なハウスキーパーで、容姿も言動も非常に女性的に描かれています。
私は、彼女のそういう面を見ても別段不快感はありません。また、それを以って「未来社会なのに家政婦のような妻なんて女性蔑視だ。」とも思いませんし、嘘くさいとも思いません。オルタンスに関しても同様です。(実際、私自身の主婦生活は、この二人の描写そのものです)
しかし、ミッターマイヤーがフェリックスを連れて帰宅した時の彼女の態度が、結婚歴8年の子供を望んでいる大人の女性として、どうにも不自然に思えて仕方が無いのです。
彼女は、夫が連れてきた乳児を、夫の親友である「ロイエンタール元帥の子」という認識でしか捉えておらず、乳児を9ヶ月間自分の胎内に宿して産み、今の月齢になるまで育てたであろう母親の存在に全く無関心な様子です。自分がこれから我が子として育てる子供を産んだ女性に全く興味が無いとは、良妻賢母型の女性にあるまじき態度だと思えるのですが。また、女性というよりも人間の感覚として不自然です。
それは、連れて来たミッターマイヤーにしても、口添えを頼まれたヒルダにしても同じですが、あの場面の一連のやり取りを後になって見返すと、非常に奇妙です。
フェリックスは、確かにロイエンタールの子ですが、彼の死以降、まるでロイエンタールが一人で細胞分裂して産まれた子のように扱われ、当然存在するはずの母親のことを誰も問題にしません。(唯一気にかけたのがオーベルシュタインというのもなぁ・・・)
その部分に、まるで封建時代の「腹は借物。肝心なのは胤である。」という最も強烈な男尊女卑思想を感じ取ってしまうのです。
聡明で有能な女性として描かれているヒルダが、一番肝心な場面でラインハルトの親征を反意させられなかったのと同様、良妻賢母型の女性として登場するエヴァが、やはり一番肝心な場面で、母性を発揮できないという皮肉な状況を生んでしまっています。


銀英伝に於いて残念に思うのは、未来社会らしい夫婦関係が、一組も登場しなかった点です。
元々科学考証などにも想像力がない作者なので、人間関係にもそれが働かなかったのは仕方が無いのでしょうが、もしそういうカップルが一組でも描かれていれば、冒険風ライダーさんが仰った、「良妻賢母的な女性を描いているから」「結婚退職を当然と考えている描写があるから」という理由からイキナリ「女性描写がウソくさい」「田中芳樹は女性蔑視の思想を持っている」と断じられた方々も、エヴァの家政婦ぶりやジェシカの結婚退職も気にならなかったかもしれません。


>「中国は男尊女卑の社会ではない」などという
>電波な結論
>創竜伝9巻 P106下段~P107上段
>書物の森でつまずいて……

そちらのサイト様の資料によると、田中氏の電波な説の根拠となっている創竜伝9巻は1994年発行で、書物の森でつまずいて……は2002年のようですが、今でも同じ考えなのでしょうか?
この単純論法でいくと、女性の首相や女性政治家を多く輩出しているインドやパキスタンは、女性首相が未だ生まれない日本よりも平等な国であるということになってしまいますね。


>私やJeriさんがやっている銀英伝人物評もまた、
>充分過ぎるほどに「まるで天から下界を見下ろ
>すかのような「上から目線の」台詞」と言える
>のではないかと思うのですが(^^;;)。

はい。充分自覚しております。(笑)
ただ、読者が小説を読んでその感想を述べたり、登場人物を批評するのは、多かれ少なかれ「神目線」ではないでしょうか。
そうでなければ、まともな批評などできません。
しかし、ヒルダのロックウェル処断後の台詞に関しては、私はどちらかと言えば、上からよりもロックウェル達、というか旧同盟市民の目線で考えてしまいました。
今まで、「腐っても民主主義」の中で生きてきた人々が、ある日突然独裁国家に制圧されてしまい、あわてふためきながら、無い知恵を絞って必死で保身を図ろうとする気持ちです。
自分がもし同じ立場に立ったら、切羽詰った状況の中で、理性も判断力も無くし、後の世の人から見れば非常に恥ずかしい行い、つまりロックウェル的な行動を取らないという自信がありません。それはまさに、ヒルダの言う「人間は自分が思っているよりはるかに~~」の台詞通りです。
でもそれを、よりによってヒルダのような、一度も挫折を味わったことのない人間が言うと、理屈抜きでムカつきます。
二つの陣営に席を置き、双方で最善を尽くしたファーレンハイトかシュトライトが、かつて自分の周囲に居た様々な人物を思い浮かべ、実感を込めて言うなら納得できるのですが。
また、本来、あのような場面でこそ、生粋の軍人でないヒルダが冷静に、遵法の重要性を説き、裁判の手順を踏むべきと主張すべきだったと思います。
これは、私が甘いのかもしれませんが、やったことはともかくとして、同じ処刑されるにしても、ロックウェル達にも家族がいたでしょうから、その方が心の準備もできたと思います。
第一、特殊訓練を受けたわけでもない普通のお嬢さんが、これから処刑(それも多分銃殺)される為に引っ立てられていく人々を、よくあんな平然と、あんな台詞を吐きながら見送れるなぁと、そっちの神経が不思議でした。つくづく、ヒルダというのは、皮一枚女を被った、中身は男性(しかもバリバリの職業軍人)そのもののキャラなのだと実感します。
銀英の中で、ヒルダ以外のストーリーの大筋に絡むキャラは、帝国同盟問わず皆、それまでの人生に何かしらの影を背負っています。
ヒルダは、最終話でラインハルトを亡くすまで、あの物語の主要キャラの中で、唯一何も失っていない人物です。
この論法でいくと、「じゃあ、幸せな人間は他人を批判、批評できないのか?」ということになるので、これはあくまでも、私の感情論です。
ヒルダは、作中、時にラインハルトに命じられて、時に自ら進んで、その裁量で、他人の人生を決定付ける処断をしています。(舌禍事件、エルフリーデの処置等)
彼女の処置は、作中の価値観の中では恐らく最も正しいものだったことでしょう。
しかし、あの情勢の中で殆ど唯一家庭的にも恵まれ、仕事上の挫折もない幸せなヒルダが、他人の運命に判決を下すというのに、何か「釈然としない」ものを感じてしまうのです。すみません、上手く言えません。ここら辺のところ、私の力量不足で、まだよく文章では言い表わせません。


>実際、こういうのって、言葉や知識だけでな
>く実際に経験してみないと分からない要素も
>多分にあるのではないかと、男性である私と
>しては思うのですが、どんなものでしょうか。

確かに、男性の場合、実体験をしてみないとわからないのが普通のようです。
実際、独身時代はロイエンタール的発言をしていた人が、いざ自分の子供が産まれたらすごい子煩悩に大変身したという話しはよく聞きます。
しかし、女性は、個人差はあるものの本能的に「母性」というものを持っています。
勿論、ネットカフェのトイレに赤ん坊を産み捨てていったり、自分の子を虐待死させる母親のニュースが毎日のように報道されていますので、そういった感性の少ない女性も存在するのは事実でしょうが、それはかなり少数派です。
銀英の作中のヒルダの人となりから、そういった非常識さや愛情不足は感じられません。むしろ、ヒルダは母親にこそ死別していますが、父親にも家族同然の使用人夫妻にもとても愛されて育った家庭的に幸福な娘に描かれています。
彼女の安定した人格からも、母性に関しては、普通の二十代前半の女性としての感覚を持っているはずと思います。
逆に、この部分が欠落していたとしたら、ヒルダの人間性そのものが魅力を失ってしまいます。


>エルフリーデはそもそもロイエンタールを虚
>言で失脚させようとする陰謀に加担した主犯
>格の犯罪人ですし

6巻~8巻にかけてのこの辺りの推移が、何度読み返しても疑問なんですが、そもそもエルフリーデは何の罪で流刑になってたんでしょう?
連座制のような前時代的な悪しき習慣は、廃止するというのが「開明的な」ローエングラム王朝の方針ではなかったのですか?
また、彼女の証言が虚言にしろ事実にしろ、単にリヒテンラーデ一族の一人である彼女自身に旧体制派を糾合できる力があるわけではなし、なぜ彼女の存在を以って殊更に「叛意の現れ」とされるのか、そちらの方が無理があるように思えました。
ヒルダだって、キュンメル男爵という大逆犯の係累です。
エルフリーデからリヒテンラーデ一族という出自を除けば、単に「ロイエンタールが同棲していた愛人」であり、その女が何を言おうが、「男女間の内輪の事であり、当人達で解決しべし」で終わります。
ラインハルトは、元皇帝だったエルィン・ヨーゼフ二世の行方さえ「ほっとけ」と言って警戒していなかったくらいですから、あの時点では、既に旧王朝派の中で、新体制に対抗できるような勢力はなかったことになります。
ならば、元々罪を犯したわけでもないリヒテンラーデ一族の女と10歳以下の子供など、皇帝即位時の恩赦か何かで即赦免して、「後は勝手に生きろ」でよかったはずではないでしょうか。
それとも、リヒテンラーデ一族の件は、ローエングラム王朝に於いては、一部軍首脳部のみが知る機密事項で、一般には決して知られてはならない暗部なのでしょうか?
だとしたら、「信義に拠って建つ」はずの彼等の国創りの精神から、思いっきり矛盾してますね。


>父親にも母親にもマトモな育児を期待するの
>は無理というものでしょう

いえ、それは、本当のところ、エルフリーデがお腹の子をどう思っていたのか、本人に確認してみないと解らないことです。もしかしたら、あの時点では、本人もわからなかったかもしれません。
私があの世界の住人なら、思いっきり妄想の翼を羽ばたかせて、件のリヒテンラーデ一族の女性は、本心はロイエンタール元帥に惚れていて、偽証は、なかなか出征から戻らない&日頃の漁色への当てつけかも・・・でなければ、私邸に住み着いて、妊娠までするなんてできるはずない・・・ロイエンタール元帥の方も、長期間自宅に囲うくらいなのだから、何か特別な思いがあったのかも・・・などど考えたかもしれません。(爆笑
ロイエンタールは、作中でラインハルトに次ぐ美貌表現をされている、凄いウソっぽいモテモテ男です。若い女性が立場を超えて彼を好きになってしまったのかもしれないと想像するのは、そう難しくないように思えるんですが。(笑
実際、強姦されてしまったエルフリーデの目が、「持ち主の意思に反して」彼の姿に吸い寄せられたという描写がありますし。
ヒルダが、その辺りに女らしい想像力が及ばなかったのが、私は残念に思います。
ドミニクとの会話でも描写されていたように、エルフリーデは産まれた子を大切に育てていたようですし、堕胎発言をしたロイエンタールも、父親として最期の力を振り絞って、息子が最良の人生を送れるよう、ミッターマイヤーに託すよう遺言しています。
ヒルダがラインハルトに蒸し返さなければ、元々あの時点ではエルフリーデのことなど忘れていたラインハルトは、彼女について何も処断しなかったはずです。
そうなれば、彼女はあのままフェザーンのロイエンタールの私邸に住んだまま出産し、回廊の戦いから凱旋したロイエンタールに、母子が対面していた可能性もあります。
そうなれば、もしかしたら、息子の存在が、ロイエンタールの厭世的な人生観を変え、後の叛乱もなかったかもしれません。
エルフリーデの件は、元々大した問題ではないことを周囲が大げさに騒ぎ立てて、無理矢理叛意と結びつけ、事を大きくしてしまった感が否めません。


>むしろ、「後腐れのないように母子もろとも
>殺してしまいましょう」とまでは言わなかっ
>た辺りに、ヒルダの女性的な優しさと甘さが
>表現できているように思うのですが(そうい
>う選択肢もあるということは作中でも示され
>ていますし)。

実は私は、この部分、銀英のIFの一つとして非常に興味があるのです。
ヒルダの提案かどうかはともかく、ロイエンタール弾劾事件以後、エルフリーデが、偽証&脱走の罪で、本当に「後腐れのないように」お腹の子共々処刑されるということになったら、その時のロイエンタールがどうリアクションするか、見てみたい気がします。
案外、そこで彼の「本音」がきけるかもとか思ったりします。


>責任の所在について

私の書き方が誤解を招いたようで申し訳ございません。
責任の所在については、私も最高責任者であるラインハルトとヤンの責任が最も重大で、彼らが真っ先に批判されるべきというご意見に異存はありません。
そして、周囲の人間がどれほど反対しても、最高責任者にして実行者でもあるヤンとラインハルトがそれを受け入れなければお終いだとの見解にも賛同いたします。
私が指摘したかったのは、そのキャラの人為と、行動のミスマッチという点です。
ラインハルトは、子供時代の描写からして、攻撃的で独善的な一面のある性格で、一言で言えば「わがままキャラ」です。
彼の戦争狂については、わがままなキャラが、わがままな行いをするのですから、その行動に同調や賞賛はできなくても、納得はできますし、一定の説得力を持ちます。
しかし、元々わがままキャラでない、むしろ、温厚で理性的なキャラとして描かれているヒルダやミッターマイヤーやミュラー等が、わがままラインハルトに忠誠を誓い、キャラによって温度差があるとはいえ、概ね彼の行動を支持しているのは、ある意味ラインハルト以上に矛盾ではないか?との思いを強く持ったのです。
彼等に、ラインハルト以上の責任を求めているわけではありません。
でも、まあ、彼らがラインハルトについていかなければ、話が進まないので、指摘しても仕方が無いことではあるんですが。
ヤンにしても、元々ヤンは、かなり浮世離れしていて、頑固に自分の趣味を譲らない性格のキャラです。浮世離れしたキャラが、浮世離れした行動をとるのですから、こちらも、その行動に同調や賞賛はできなくても、納得はできますし、一定の説得力を持ちます。
でも、彼より現実感覚を持ったキャラであるはずの、周囲の人間までが、揃いも揃って彼を支持して従うことに、納得がいかない思いがする・・・と、こういうことを言いたかったのです。
これは、それ自体指摘しても意味のないことですけどね。

Jeri Eメール URL 2009年08月22日(土)01時40分 編集・削除

>ともとも様

冒険風ライダーさんへのレスにも書きましたが、あれはやっぱり、どう解釈しても変ですよね。
執筆当時の作者の年齢と境遇を考えれば、あれが男子大学生の妊娠・出産や赤ちゃんに対する認識なのかと、感慨を深めました。(笑

冒険風ライダー Eメール URL 2009年08月27日(木)19時59分 編集・削除

 遅レス失礼致します。

 

<或いは、これは物理的に可能かどうか解りませんが、ヤンは、ラインハルトを殺したくない、双璧は無差別攻撃などしたくないというのが双方の本音であるならば、ブリュンヒルトを射程内に納めたヤン艦隊が、ラインハルトを人質に、ハイネセンを制圧している双璧に対していわば人質交換のような形で、対等な立場で和平条約を結ぶという道は不可能だったのかと、考えたことがあります。
もちろん、これを実行するには、一軍人のヤンが決めることはできないので、当然、政治家との連携を必要とします。>

 それは無理でしょうね。というのもまず、そもそもラインハルトが人質の立場に甘んじるのか、という問題あります。
 ラインハルトの性格であれば、自分が人質として他者の道具に使用される、などという立場を押しつけられるなどプライドが許さないでしょうから、まず何が何でも「自力での脱出」を行おうとするでしょう。そして一方、ラインハルトを政治の道具として使わなければならない同盟側は、ラインハルトを殺す選択肢を選ぶことができませんし、最悪、ラインハルトに「自殺」でもやられてしまったら一巻の終わりです。
 また、バーミリオン会戦終了時、同盟側にはヤン艦隊以外の戦力がないのに対して、帝国側はまだ10個艦隊以上の戦力が存在します。そうなると、和平交渉を意図的に長引かせた上で、同盟領内に分散している艦隊を集結させ、すでに所在が判明しているヤン艦隊を包囲し、力づくでラインハルトを奪還したり、同盟側に更なる圧力をかけたりする、といった選択肢も帝国側は取ることが可能です。
 さらに、そこまでの難題を乗り越え、対等の和平交渉が成立しえたとしても、このケースでは当然ラインハルトは健在なわけですし、帝国側と同盟側の戦力格差はそのまま維持されているのですから、ラインハルトがすぐさま同盟への再侵攻を命令してしまえば同盟側には為す術がありません。ラインハルトは自らの汚名を雪ぐためにも早期の再侵攻を命じざるをえないでしょうし、そうなれば結局、同盟は更なる絶望的な戦いをやらされた挙句の滅亡へと追いやられる銀英伝史実と同様の結末を迎える羽目になってしまうでしょう。
 ラインハルトを殺した後で無条件停戦命令を受諾する道であれば、すくなくとも帝国側が「ラインハルト亡き新体制」を確立するまでの時間を同盟側は稼ぐことができます。それだけでも、ラインハルトを殺す選択肢に勝るものはないと思われるのですが。

 

<私が言いたかったのは、夫についてどこにでもいける妻ばかりではないはずで、男に都合のいい女性ばかりが登場する銀英の中で、そうでない妻は、悪妻なのか?という疑問が沸いたからです。>
<ただ、登場する既婚者が、揃いも揃って良妻賢母タイプで、オルタンスもあまりにも理想的な賢妻に描かれている為、「ああでなければいけないのか?」という理屈ではない反発を覚えるのだと思います。>

 それはさすがに穿ち過ぎではないかと思うのですが……。
 銀英伝の作中限定で見ても、ユリアンとカリンの関係も作者は肯定的に描いているわけですし、互いに悪口を言い合っているだけとしか思えないルビンスキーとドミニクとの関係についても、作者は「ドミニクは悪女ではない」という主旨のことを述べているわけでしょう。また、銀英伝外伝3巻で己の兄をその手で直接殺害したリューネブルク夫人エリザベートに対してさえ、悪女認定するような記述はありませんでしたし、すくなくとも銀英伝執筆当時の田中芳樹は、特定の女性のあり方を一方的に礼賛したり「悪」として断罪したりするような行為を戒めていたような感すらあるのですけど。
 前にも述べたように、銀英伝における女性描写は作品的にはあくまでも「サブ」的な位置付けに過ぎませんし、ただでさえ少ない女性キャラクター&男女関係に「あれもこれも」と多彩な描写を織り込むことは不可能です。それを批判するなとは言いませんが、批判するならば作品事情を考慮には入れるべきですし、「理屈ではない反発」はきちんと理論にしてまとめなければ他者からの共感は得られないと思いますが、どうでしょうか。

 

<これを言っては本末転倒なのですが、私にはこの「昨日まで大学生だった女の子が、突然大人の専門家以上の見事な政治・戦略理論(しかも規模が全銀河)を展開する」というストーリー自体が、どうにも嘘くさいのです。>
<逆に、ヒルダに仕事をさせたいなら、せめて実務経験が3年以上あることにして欲しかったです。でも、そうなると、ラインハルトより年上になってしまう為、田中氏の好みに合わなかったのではないかと穿った見方をしています。
つまり、ヒルダというキャラに、美しい、聡明、性格がいい、育ちがいい、血統がいい(貴族=お姫様)、有能、年下というこれら条件を無理矢理満たそうとして、あのようになったのだと私は推測しています。>
<つまり、「自立してるんだけど、自立し過ぎていては嫌だ」という作者の無意識の願望です。
こういう点って、自分の奥さんに「やり甲斐のある仕事を持って輝いていて欲しいけど、俺より稼いだり出世するのは嫌だ」という一昔前の男のわがまま臭がぷんぷん匂うのですが・・・>

 若輩のキャラクターが大人の専門家以上の才覚を発揮し、他を圧倒していくというストーリーは、別に銀英伝に限らず他の架空歴史系の田中作品でも多かれ少なかれ見られるものですし、その恩恵を受けているのは男性キャラクターの方が圧倒的に多いのですから、別にヒルダだから殊更非現実的な出世ストーリーが練られている、というわけではないでしょう。田中芳樹的には「男性を賢く見せるパターン」を女性にも適用している、というただそれだけのことなのではないかと思うのですが。
 また、田中芳樹が崇拝している中国の歴史には、皇帝に政治的なアドバイスをすることを専門とする「諫官(言官)」という役職があったのだそうで、銀英伝作中におけるヒルダの役回りは明らかにこれをモデルにしたものなんですよね。実際、彼女には終始誰ひとりとして部下を率いていたことがありませんでしたし、そうなると、政治的なアドバイス「のみ」に仕事が限定されるヒルダには、「実務経験」を求められる必然性がほとんどなかったのではないでしょうか。実際の「実務」は周囲が全てやってくれるわけですし。
 ヒルダと同様の事例としては、他にもフェザーンの例になりますが、リップシュタット戦役後、ルビンスキーの息子でボルテックの後任の補佐官に就任したルパート・ケッセルリンクがいます。彼も、作中の設定によれば「大学院を卒業したばかり」でイキナリ組織のナンバー2的な地位に就いているわけですが、補佐官就任前にこれといった実務経験があったとは(すくなくとも銀英伝作中には)描かれていません。ヒルダがウソ臭いというのであれば、こちらも充分ウソ臭いということになりますし、別に「女性だから」そういう描写になっているわけではない、ということになります。
 それに、本当に田中芳樹が「一昔前の男のわがまま臭がぷんぷん匂う」タイプの人間であったならば、逆に私が問題にしているキング・コングや薬師寺シリーズのごとき女性描写を盛り込んだ作品は書かないと思うのですが(苦笑)。やっていることはどうであれ、あれらの作品に登場している女性キャラクターの傲岸不遜かつ攻撃的な言動の数々を、田中芳樹が肯定的に見据えた上で執筆しているのは間違いないのですし。

 

>回廊の戦い前におけるラインハルトの説得について

 キルヒアイスとアンネローゼの名を使った泣き落とし戦法というのはまた斬新な発想ですが、ただこれって、実際にラインハルト相手に使って果たして大丈夫なのかという問題はありますね。
 たとえば銀英伝作中でも、2巻でオーベルシュタインがラインハルトを立ち直らせるためにアンネローゼの名を持ち出し、4巻でヒルダがアンネローゼの安全について言及したことがありましたが、その際のラインハルトの反応はとにかく激烈なものでした。理性的判断など全くできず、ひたすら感情の赴くままに怒り狂った反応を示したアレを見る限り、ラインハルトにその手の説得方法を用いるのは、使用者に相当なリスクがあると言わざるをえないでしょう。
 ただでさえラインハルトは、回廊の戦いがやりたくてやりたくて仕方がなかったわけです。そこにこれみよがしに第三者がキルヒアイスとアンネローゼの名を金科玉条のごとく使用すれば、むしろラインハルトの逆鱗に触れて「お前に姉上やキルヒアイスの何が分かる!?」的な反応が返ってくる可能性も否定できないんですよね。単純に考えても、死んだ身内のことをことさら抉り出された挙句、自分のことを批判するための道具に使うような人間がいたら、別にラインハルトでなくても激怒する人はいるでしょうし、ましてや相手は自分の主君&上司でもあるわけです。そんな相手から不興を買うのは避けたいとは誰もが思うことでしょうし、それを「自己保身」として批判するのは難しいのではないでしょうか。
 また、元々ラインハルトとラインハルトに仕えている他の文武官との間には「主君と臣下の壁」というものがあるわけですし、恐れ多くも臣下の身で主君の心の問題を刺激して良いのか、という問題もあるでしょう。実際、ヒルダに限らず、ラインハルトの臣下達は、気心の知れた同僚同士の会話ではともかく、ラインハルトに直接諫言を行うに際しては、あえてアンネローゼとキルヒアイスの問題を避けていたフシがありますし、ヒルダ自身、銀英伝8巻で「グリューネワルト大公妃殿下を新しい首都にお招きになりますか?」と提言をして不機嫌になったラインハルトに咎められたことがあります。そういう反応をすると分かりきっている相手&話題に、わざわざ自分の身を犠牲にしてまで突撃を敢行しようを考える命知らずは、「あの」オーベルシュタインくらいなものだったでしょう。
 銀英伝の作中で、ラインハルト相手に「主君と臣下の壁」というものを気にすることなく諫言を行えた人間は、それこそキルヒアイスとアンネローゼか、逆に敵対関係であるが故に主従関係になかったヤンやユリアンくらいなものだったでしょう。キルヒアイスの死が惜しまれたのは、能力や性格もさることながら、その手の諫言が行える数少ない人種だったからという一面もあったわけですし、そして一方、ヒルダの立場でそれができたのかというと、「主君と臣下の壁」に加え、人間関係の時間の浅さやヒルダ自身の遠慮もあってかなり難しかったのではないかと思われるのですが。

 それと、回廊の戦いでもうひとつ重要なのは、ヤンおよびエル・ファシル政権と敵対し、討伐対象とすること自体は、むしろ帝国の総意と言って良いくらいに反対者はいなかったということです。
 普通に考えても、ヤンおよびエル・ファシル政権は、帝国に降れば厚く遇するというラインハルトの宣言があったにもかかわらず、帝国の所有物であるイゼルローン要塞を攻略してそこに立て篭もるという選択を行うことによって、帝国および皇帝の好意を踏みにじっていたわけで、ラインハルト個人の矜持だけでなく帝国の威信や「宇宙統一」という大義名分から考えても、これを討伐すべしという声が大勢を占めるのは当然のことです。
 回廊の戦いでラインハルトに対する反対の声が上がった最大の理由は、何と言ってもラインハルト自らが戦争に赴くリスクにあります。後継者もいないあの状況下でラインハルトが戦場に赴き、万が一に戦死でもしてしまえば、同盟を滅ぼしてまで成し遂げた宇宙統一どころか、帝国そのものが瓦解の危機に直面することになってしまうのですし、そうなれば回廊の戦いなどとは比べ物にならないレベルの内戦が勃発する危険性すら考えられます。キュンメル男爵による皇帝暗殺未遂事件も起こっているわけですし、皇帝の身辺警護や安全は帝国の存続にも関わる、という危機感を持つのは、文武を問わず、帝国の高官としては当然のことでしょう。
 ヤン一派の殲滅は当然であるにしても、皇帝自らが直接出向く必要はない。ヒルダだけでなく、ミッターマイヤー・ロイエンタール・マリーンドルフ伯を含む大多数の臣下達はそう考えてラインハルト相手に反対の声を上げて皇帝のフェザーン帰還を促していたのですし、それ自体は至極当然の考え方であって何ら非難されるべきことではありません。むしろ、自分がそのような「替えの効かない」重要な地位にあるにもかかわらず、己の位置付けを全く理解できず、部下の諫言に耳を傾けることなく、麻薬中毒患者が麻薬を求めるがごとく戦争に邁進していったラインハルトこそが批判されるべきでしょう。
 一方、戦争に伴う兵士の犠牲については、皇帝の安全に比べれば優先順位は低いですし、前述の政治的事情も相まって、ある程度は「必要な犠牲」であると誰もが認識するでしょう。ミッターマイヤーやロイエンタールも「私らがヤン討伐に行きますので陛下はフェザーンにご帰還あれ」みたいなことを口にしていますし、「あの」マリーンドルフ伯でさえ「和睦しよう」などとは述べていないわけです。もちろん、「オーベルシュタインの草刈り」のごとき策を使ってその犠牲を最小限に抑える努力は当然すべきことですが、「ヤンと敵対する」という前提自体は崩れない以上、それに反する説得はラインハルトどころか周囲さえも納得させるのは難しいでしょうね。
 回廊の戦いで真にラインハルトが批判されるべきは、あらゆる選択肢の中で一番ハイリスク・ローリターンな上に多大な消耗を政軍両部門に強いるものを選んだことにあるのであって、帝国の手を振り払ったヤンと敵対したこと自体は、あの時点ではほとんど唯一の選択肢だったのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

 

<原作のヒルダの思考パターンや行動は、全く男性の職業軍人そのものであり、彼女の役割は、女性キャラである必然性がありません。唯一の必然性が、他ならぬ「ラインハルトの子供を産む」ことだったことからも、極端な話し、作者が、女性の存在価値を出産することにしか見出していない証左のように思えてなりません。
これは一般論としてですが、男と女は元々身体の造りも脳の造りも違うのですから、全て同じにすることが男女平等を実現することではありません。
作者が最も履き違えているのは、この点に尽きると思っています。>

 「作者が、女性の存在価値を出産することにしか見出していない」という部分以外は全面的に同意した上でこちらも一般論として言わせてもらいますと、「全て同じにすることが男女平等を実現すること」と勘違いしておかしなことを考える人間は、田中芳樹に限らず結構います。
 少し田中芳樹&銀英伝から離れますが、1997年に日本でも公開された「スターシップ・トゥルーパーズ」という映画をご存知でしょうか? この映画には、ナチスばりの軍事政権に支配された未来世界で完全な男女平等が実現しているという世界設定があります。この「完全な男女平等」がどこまで徹底しているかというと、女性が能力に応じて男性以上に高い地位に就けるのはもちろんのことですが、軍隊訓練や実戦でも男女の区別なく同等の任務やノルマが課せられるのは当たり前、寝食も男女の区別なく行われ、挙句の果てには男女共同のシャワールームで男女入り混じってのシャワーシーンが、しかも男女共何の恥じらいもなく当たり前のように認識・行動していることが描写されるという念の入れようです。私はこの映画(特にシャワーシーン)の「完全な男女平等」描写からは気持ち悪さしか感じませんでしたし、「スターシップ・トゥルーパーズ」を観て以降、「完全な男女平等」のあり方には疑問を抱くようになりましたね。
 また、日本の教育現場でも、運動会や体育祭の競技を男女混合で行ったり、キャンプや林間学校・修学旅行などの宿泊部屋、さらには体育の授業や身体測定の時に使用する更衣室まで男女同室にしたりするなどというキチガイじみた教育方針を採っているところが少なからず実在することが報じられたことがあります。彼らは、男女の区別を無くし、私が気持ち悪いと考えた「スターシップ・トゥルーパーズ」に描写されていたような男女のあり方を現出させることこそが、男女平等の究極の完成形であると本気で信じているわけです。
 田中芳樹もまた、「スターシップ・トゥルーパーズ」や日本のキチガイな男女平等教育現場と同等とまではいかずとも、その二歩手前くらいの男女平等の形態こそが理想だとは考えているのでしょう。しかもその症状は、なまじ昔よりも女性読者を意識するようになった分、銀英伝の頃よりも今現在の方がはるかに深刻かつ重症になっているときているわけです。
 ただ、本人の主観的には寸毫たりとも男女差別も蔑視もしているつもりがさらさらなく、むしろ逆に、これこそが正しい男女平等のあり方だと本気で信じ込んでいるだけに、却ってタチが悪いんですよね、こういうのって。

 

<そちらのサイト様の資料によると、田中氏の電波な説の根拠となっている創竜伝9巻は1994年発行で、書物の森でつまずいて……は2002年のようですが、今でも同じ考えなのでしょうか?>

 「お前が戦争に行け」論もそうですが、この手の評論を田中芳樹は場所を替え媒体を替え何度も繰り返し主張する癖がありますし、「私のこれまでの考えは間違っておりました」的な文章を発表したことは一度もありませんから、今も相変わらず同じ考えなのはまず間違いないでしょうね。
 もっとも、過去の自分自身の主張を引っくり返す自己反省的な文章を全く発表することなく、過去の文章を「なかったこと」にしてしらばっくれた挙句、全く正反対の主張や行動を展開したことなら何度もありますが(特に銀英伝パチンコ化問題)、そういうのは己の過去の言動に責任を取ったものでは到底ありえません。己の言論の責任を取らせるためにも、一度発表された社会評論は、それを自己否定する文章が発表されるまでは堅持し続けていると見做すべきである、というのが、言論の自由と表裏一体を為す言論の責任論というものです。
 そういうことについて何も考えないで己の電波な考えを思いつくままに披露するから、創竜伝や薬師寺シリーズは銀英伝以上に愚劣な惨状に陥っているんですよねぇ……(>_<)。

 

>エルフリーデについて

 エルフリーデに何の罪があったのかと問われれば、「ゴールデンバウム王朝の門閥貴族一家に生まれた」というものだったでしょうね。
 実はラインハルト、ひいてはローエングラム王朝の「開明的」という要素には明らかな例外があって、「ゴールデンバウム王朝の門閥貴族」には全く適用されないようになっているんですよね。作中でもラインハルトは「ひとりの貴族が死んで一万人の平民が救われるならば、それが世にとっての正義というものだ」と明言しています。
 ラインハルトおよび平民階級にしてみれば、門閥貴族は元々仇敵でもあったわけですし、490年近くにわたってルドルフが定めた国是によって不当な特権を貪り、平民を一方的な搾取の対象&奴隷として扱ってきたという作中事実もありますから、「こいつらに何故慈悲をもって接さなければならないのだ」「『弱者は生きる資格はない』という自分達の主張に殉じるべきだ」といったところなのでしょう。実際、自分の領民を熱核兵器で虐殺するブラウンシュヴァイク公のような人間が門閥貴族のスタンダードなあり方であったことを鑑みれば、そういう対応をとられるのもやむなし、とは思わないではないですね。ああいうのに復活されては確かにたまったものではないのですし。
 そして、エルフリーデのコールラウシュ家およびその主筋にあたるリヒテンラーデ家もまた、立派な門閥貴族の一員だった上にラインハルトの政争相手でもあったのですし、彼らを破ったラインハルトは、自分達の正義を平民階級に示し、その支持を取り付けるためにも、また門閥貴族自身にゴールデンバウム王朝の不当なあり方をその身に思い知らせてやるためにも、勝者の権利に基づいて門閥貴族達をゴールデンバウム王朝のやり方でもって裁いたわけです。
 ラインハルトにとって、門閥貴族に対するゴールデンバウム王朝的な裁きは「勝者の証」であると同時に、自分達の政治的正当性を保証してくれるものでもあるわけですから、それを放棄して門閥貴族一派に寛大な処置を行うことは、ラインハルトの個人的矜持だけでなく、ローエングラム王朝が拠って立つ政治的正当性という観点から見ても許されることではなかったでしょう。また、ことさら門閥貴族の一家だけに特別な恩赦を与えたりすれば、なし崩し的に他の門閥貴族に対しても同様の措置を取らなければならない羽目に陥る可能性も考えられますし、そもそも、わざわざそんなことをしなければならない必然的な理由自体がありません。
 エルフリーデ個人に罪はなくても、エルフリーデの一族には「ゴールデンバウム王朝の門閥貴族」という罪があり、それ故にラインハルトおよびローエングラム王朝の政治的正当性確保のための犠牲の羊とされた。エルフリーデの罪の実態とはそういうものなのではないでしょうか。

 で、エルフリーデはラインハルトの手によって流刑に処されたわけですが、実はこの「流刑」という処罰には「強制移住」の意味も込められていて、実のところ、流刑地を離れた時点でエルフリーデには「脱走罪」という新たな罪状が付加されることになるんですよね。そして、そのエルフリーデを匿ったロイエンタールには当然、犯罪人隠匿の罪が適用されても文句は言えないわけです。
 エルフリーデの出自に「流刑+脱走罪+要人暗殺未遂」という罪に加え、ロイエンタールの犯罪人隠匿行為、そしてロイエンタール自身の軍事的影響力があるところに、国家に対する叛乱が想起されるような会話があったとなれば、それは国家として決して見過ごすことのできない事態なのであって、「男女間の内輪の事であり、当人達で解決しべし」で終わることではありません。
 民主主義国家でさえ、国を担う政治家や軍人にスパイ疑惑やクーデター疑惑が浮上すれば、それだけで地位を追われるということだってありえるわけですし、ましてやローエングラム王朝は、いくら開明的であろうと努めたところで、所詮は(特に中央政府に対する)言論の自由が基本的には認められていない専制君主国家の域を出ることはないわけですから、なおさらそういう発言には神経質にならざるをえないでしょう。
 ロイエンタールの叛乱嫌疑は、ラングが悪意を込めて意図的に問題を針小棒大に拡大させたという要素も確かにありますが、それでも核となるもの自体はきちんと存在していたわけで、個々人の視点的にはともかく、国家的に見れば「元々大した問題ではないこと」では決してなかったのではないでしょうか。さらに言えば、エルフリーデを匿うことで発生する諸々の問題について、仮にも帝国の要職にあるロイエンタールは、ミッターマイヤーの忠告もあったのですからもう少し真剣に考えるべきだったのですし。

 

<いえ、それは、本当のところ、エルフリーデがお腹の子をどう思っていたのか、本人に確認してみないと解らないことです。もしかしたら、あの時点では、本人もわからなかったかもしれません。>

 何の罪もないどころか判断能力すらもない胎児を道具にロイエンタールに叛乱の嫌疑をかけようとした時点で、胎児の安全・保護よりもロイエンタールへの復讐が優先されていたことは誰の目にも明らかなのではありませんか? そんなことをすれば最悪母子共々殺されるか、仮に母親だけ牢獄にぶち込まれるなり殺されるなりしたところで、自分の子供に「母親から引き離される」という不幸を背負わせることになるのは最初から分かりきっていることなのですし。
 あのロイエンタールの堕胎発言と、エルフリーデのこの態度を鑑みれば、両者共、自分達の子供に対してマトモな子育てをする意思も能力もない、と他者から見られても文句は言えませんし、実際そう考えたからこそ、ヒルダも「最善であるかどうか、かならずしも自信はございませんが」という条件付であのような対処法を提言「せざるをえなかった」のではないでしょうか。私自身、こうまで自分の子供に対する愛情が欠落しきった態度や発言に終始する両親を見たら、「こんな連中に育てられる子供が可哀想だ」「このままでいたら、子供が両親からどんな虐待を受けるやら知れたものではない」と考えてしまうのですが。
 またエルフリーデ自身、そういう自覚がすくなからずあったからこそ、ロイエンタールの遺言に従ってミッターマイヤーに自分の子供を託すことを決断したのではありませんか? 本当にエルフリーデに己の子供に対する愛情があったのであれば、自分の子供と離れたくないという感情が普通に働くでしょうし、仇敵であるロイエンタールの遺言など蹴って自分自身で子供を育てようと考えるはずなのですが。そういう意思を示すこともなく、唯々諾々とミッターマイヤーに子供を預けてしまった時点で、エルフリーデは、皮肉にもロイエンタールやヒルダの判断が100パーセント正しいものであることを自分自身で証明してしまったことになるわけです。
 自分の子供よりも自分の欲求の方が優先され、自分の欲求のためには自分の子供すらも犠牲にしようとする、という点において、ロイエンタールの母親とエルフリーデは本質的に同じものを持っているのではないか、とすら私は考えたくらいなのですが、どんなものでしょうか。

ともとも 2009年08月28日(金)02時12分 編集・削除

冒険風ライダー様
エルフリーデがミッターマイヤーに子供を託したのは、ルビンスキーに利用されることを恐れたため、という解釈はできないものでしょうか。フェリックスを手元において、母の一族を滅ぼし、父親に濡れ衣を着せて死に追いやったのはローエングラムだ、と教育して敵対勢力とすることもルビンスキーにならできます。エルフリーデはそれを防ぐために泣く泣く子供を手放したのです。

私はロイエンタールとエルフリーデには確かに恋愛感情に似たものが生まれていたと考えています。
もっといえば、あの朴念仁がラインハルトの前で「こいつのことが好きになっちゃったので、結婚させてください」ときっぱり言ってしまえば、第二次ランテマリオ会戦は起こらなかったとさえ考えています。

政治のこととかはなーんにもわからない女の意見でありますが・・・。
よかったら私のブログへも一度遊びに来てください。
リンクより「みんなでごはん」へどうぞ。

Jeri Eメール URL 2009年08月28日(金)03時27分 編集・削除

ともとも様

ルビンスキーは、あの時点で既に死期を悟っていたわけなので、そんな長期的計画を立てることは無理です。
私は、単純に、エルフリーデは、流刑地を逃亡したお尋ね者の自分が片親のまま日陰で育てるよりも、帝国元帥であるミッターマイヤー夫妻の子として育つ方が、息子が幸せになれると考えたからだと解釈しています。
ミッターマイヤーに会わずに従卒に預けたのも、このまま居たら、また拘束されて流刑地へ送還される恐れがあったし、何よりミッターマイヤーが、母親がいない方が子供を自分達夫婦の子として引き取りやすいだろうと瞬時に考えを巡らせたのではないかと考えています。

エルフリーデにしてみれば、お腹にいる時は、憎い仇の子だし、かわいいという実感がなかったのかもしれません。だからこそ、叛意を偽証したのでしょう。
しかし、いざ産まれたら母性に目覚め、子供と離れがたい気持ちから、ルビンスキーの計画に乗って子供を連れて施設を脱走したと考えることができます。
ルビンスキーの隠れ家でのドミニクとの会話の描写からも、産まれた子に愛情を持っていたことは明白です。

>「こいつのことが好きになっちゃったので、結婚さ
>せてください」

これはちょっと無理だと思います。
忘れてはならないのは、ローエングラム軍は、エルフリーデの家族を処刑したのです。
彼女の家族構成は、原作からは不明ですが、もしかしたら、10歳になったばかりの弟や、暗殺事件なんかに全く関わっていない善良なパパとかが銃殺されているのかもしれないのです。
母親はいれば同じく流刑に処されたはずですが、彼女の天涯孤独的な雰囲気から、恐らくいたとしても流刑地で亡くなった可能性が高いです。
ロイエンタールと結婚するということは、一生、帝国元帥の妻として、皇帝一家や他の軍首脳ともお付き合いしていかなくてはならない立場になるのです。
そんな一家皆殺しにされた人が、屈託無く自分の家族を皆殺しにした集団に入っていけますか?
エルフリーデというキャラは、そういう点で、はじめからロイエンタールとはハッピーエンドにはなれないキャラなのです。
百歩譲って、ロイエンタールは個人は、処刑を指揮したと言っても、軍人として上官の命令に従っただけですし、消極的ながら寛恕を求めてもいますので、何とか水に流すことができるとしても、処刑命令を出した張本人であるラインハルトを前に、常に臣下の妻として膝を屈しなければなりません。
誇り高く、死んだ家族を思っているであろう彼女に、それは無理というものです。
もし、あの二人が何とかなるとしたら、ラインハルト崩御までエルフリーデの存在を秘匿し、新皇帝即位の恩赦か何かで、流刑になっている一族が赦免された後に、公表するという以外ないと思います。

ただ、本当にロイエンタールが、「こいつのことが好きになっちゃったので、結婚させてください」とラインハルトに言ったら、どんな顔をするか、見てみたい気もします。(笑

冒険風ライダー Eメール URL 2009年08月28日(金)22時24分 編集・削除

>ともともさん
 はじめまして。

<エルフリーデがミッターマイヤーに子供を託したのは、ルビンスキーに利用されることを恐れたため、という解釈はできないものでしょうか。フェリックスを手元において、母の一族を滅ぼし、父親に濡れ衣を着せて死に追いやったのはローエングラムだ、と教育して敵対勢力とすることもルビンスキーにならできます。エルフリーデはそれを防ぐために泣く泣く子供を手放したのです。>

 Jeriさんも仰っていますが、その解釈は無理でしょう。ルビンスキーは自分が死の病に侵され、余命幾許も無いことを知っていますし、また、もしともともさんの解釈が正しいならば、ルビンスキーは銀英伝10巻でオーベルシュタインに逮捕された挙句に自爆テロを敢行して死んでいるわけですから、その後でミッターマイヤー家に子供を引き取りに来る描写があっても良いはずです。

 

> Jeriさん

<私は、単純に、エルフリーデは、流刑地を逃亡したお尋ね者の自分が片親のまま日陰で育てるよりも、帝国元帥であるミッターマイヤー夫妻の子として育つ方が、息子が幸せになれると考えたからだと解釈しています。>

 私も全く同意なのですが、ただJeriさんの場合、その解釈を容認しますと、以前ヒルダのエルフリーデの処遇についての決定について述べられていた、
「母性の欠如した提案をするという冷酷さ」
「小学生の女の子でも容易に想像がつくような人情の機微を全く考慮に入れない発想に呆れました」
という主張と矛盾するのではないでしょうか。これだと、ヒルダの提案は理論的に正しいだけでなく、エルフリーデが置かれた状況から導き出される「人情の機微」「母性」というものをきちんと考慮に入れた発想ということになってしまうのですが。

Jeri Eメール URL 2009年08月31日(月)01時24分 編集・削除

>冒険風ライダー様

こちらこそ、毎度お付き合い頂きありがとうございます。

>批判するならば作品事情を考慮には入れるべきですし、
>「理屈ではない反発」はきちんと理論にしてまとめ
>なければ他者からの共感は得られないと思いますが、
>どうでしょうか。

その通りですね。
これは、私の認識の方が間違っていたのかもしれません。
この件に関しては撤回させて頂きます。

>田中芳樹的には「男性を賢く見せるパターン」を女性
>にも適用している、というただそれだけのことなので
>はないかと思うのですが。

こちらも仰る通りだと思います。
私は、ケッセルリンクの件は、ルビンスキーが意図的に息子と知って抜擢したと思っていましたので、完全に能力が認められての登用のように描写されているヒルダとは、事情が違うと思っていました。
でも、裏にどんな事情があろうと、確かに大学院を卒業したばかりで実務経験なしという点では、ヒルダと同じですね。

>ヤンおよびエル・ファシル政権は、帝国に降れば厚く遇
>するというラインハルトの宣言があったにもかかわらず、
>帝国の所有物であるイゼルローン要塞を攻略してそこに
>立て篭もるという選択を行うことによって、帝国および
>皇帝の好意を踏みにじっていたわけで、ラインハルト個
>人の矜持だけでなく帝国の威信や「宇宙統一」という大
>義名分から考えても、これを討伐すべしという声が大勢
>を占めるのは当然のことです。

帝国政府としては確かにそうかもしれませんが、徴兵で下級兵士として従軍している帝国の平民達はどうでしょうか?
彼等が、自分達から搾取し続けてた門閥貴族連合と、自分や家族の未来の為に命をかけて戦うというのは道理ですが、帝国を侵略してくるわけでもない、自分達に何の害もないヤン一党と、本当に命をかけて戦いたい平民兵士がいるでしょうか。
作中では、一般兵士から「いいかげんにしろ」という声が上がり始めたのは、ロイエンタールの叛乱事件以降のことになっていますが、私は、ナグナロック作戦あたりからこういう声が上がっても不思議じゃなかったと思っています。

>回廊の戦いで真にラインハルトが批判されるべきは、
>あらゆる選択肢の中で一番ハイリスク・ローリター
>ンな上に多大な消耗を政軍両部門に強いるものを選
>んだことにあるのであって、

私が考える「泣き落としの説得」の核は、まさにそこです。
キルヒアイスとアンネローゼの名を出すことが、メインではありません。それがラインハルトに対してかえって逆効果になるというご意見は、言われてみればとの通りかもしれません。
しかし、一般大衆に対して名君を気取りたいラインハルトに、二人の名前は出さずに、「あなたが今やろうとしていることは、あなたの支持基盤である平民を苦しめる行いですよ」と伝えることは、全く効果がないでしょうか?
あの時の、ヤンと戦いたくてしょうがないラインハルトを説得する言葉は、実際にはなかったとしても、これは側近の中で唯一の非軍人出身者であるヒルダが、結果はどうあれ伝えておくべき言葉だと思いますし、文官出身の彼女の義務だと思います。
ヒルダは、最後までラインハルトの機嫌を損ねないよう気遣い、男女の仲になっても結婚しても、ある一線を越えられませんでした。ラインハルトの方でも、ヒルダを異性として愛情の対象であるよりも、仕事上の良き助言者としての役割を期待しています。
結婚後は、ラインハルトなりに意識してヒルダを妻として大切にしようとする様子がうかがえますが、二人の間に全く愛情がなかったわけではないと思いますが、理性で努力して行うのと、自然と湧き上がってくる愛情とでは大きな隔たりがあります。
結局、ヒルダの存在が、ラインハルトの中で最後までキルヒアイスとアンネローゼを越えられなかったことが、無為無用な戦争を止められなかった一因ですね。(もちろん、その責任の所在は、ラインハルトにあり、制止できなかった周囲の人間にあるとは思っていません)
ヒルダ自身、妙に悟っているようで、ラインハルトにとっての自分の存在が、キルヒアイス、アンネローゼと同格にならないことを甘んじて受け入れているように見えます。
この異様な物分りの良さが、実はヒルダが、あれだけファンの多い長編のヒロインでありながら、読者の人気がイマイチな理由なのではないかと思います。
私は、元々女性キャラの少ない銀英伝の中で、作者が最も力を入れ、女性読者の支持を得るべく描きこんだ女性キャラが、ヒルダであったと思っています。(二番目がフレデリカかな?)
しかし、ネット上でも、「ヒルダ様応援サイト」や「ヒルダ萌えサイト」は皆無(好きなキャラの一人というスタンスのサイトはたくさんありますが)で、ヒルダを主役にした二次創作も殆ど見かけません。
逆に、なぜか原作で、支離滅裂な行動をとるエルフリーデのサイトはいっぱいあり、彼女を描いた二次創作も非常に充実しています。
一生懸命描きこんだヒルダよりも、その行動背景が殆ど描かれなかったエルフリーデの方が、ファンの妄想を掻き立て、熱烈な支持者がいる(かくゆう私もその一人かも)という何とも皮肉な状況は、作者の思惑を大きく外れるものだったでしょう。
ここからは、私の想像ですが、この銀英伝での「賢く優しい男の役に立つ女よりも、わがままで尊大な男の足を引っ張る女の方が同性に受けた」という苦い経験が、田中氏の勘違いを誘発し、薬師寺涼子や田中版アン・ダロウのようなキャラを産み出す土壌になったのではないか?
というのは穿ちすぎでしょうか?
私はこの二作品を読んでいないので、自信を持って主張はできませんが・・・

>スターシップ・トゥルーパーズ

ごめんなさい、私はこの映画知りませんでした。
ネットであらすじなどを読んでも、冒険風ライダーさんの仰る男女平等描写が、作中で肯定的な意味で描かれているのか、それともアンチテーゼなのかわからないのですが、もし、それが本当に男女平等を肯定的に表現した描写としたら、私も不気味に感じます。
そして、田中氏も、ここまで極端ではなくても、かなりそれに近い状態を男女平等の理想としているのではとのご意見に同意致します。


>銀英伝パチンコ化問題

そちらのサイトでのこの問題についてのページをまだ全部読んでいないのですが・・・
自分の著作物がパチンコになると、原作者に莫大なお金が入ると、「北斗の拳」を例にあげて、以前テレビでやっていました。
パチンコ銀英伝も田中氏に莫大なお金が入ったのでしょう。
個人的には、ギャンブルの類を否定したい気持ちだったけど、それによって自分に何億円も入ってくるなら話しは別だ。なんか、人間くさい人ですね。(笑
でも、私もパチンコに限らず、ギャンブルは嫌いで否定派ですが、自分に何のリスクもなく、版権で数億円もらえると言われたら、心が揺らぐと思います。w

>実はラインハルト、ひいてはローエングラム王朝
>の「開明的」という要素には明らかな例外があっ
>て、「ゴールデンバウム王朝の門閥貴族」には全
>く適用されないようになっているんですよね。

はい。それは私も思います。
平民の罪には公正で寛大らしいラインハルトですが、門閥貴族、特にリヒテンラーデ一族に対しての連座制には、全く良心に恥じていないようですし。
彼の門閥貴族に対する苛烈な措置は、ミュッケンゲルガーなどへの偏見に満ちた評価にも現れていました。
ラインハルトにとって、ゴールデンバウム王朝の門閥貴族は、自分に臣従した一部の人間以外、無能で下劣な国民の寄生虫であり、生きる価値のない人間なのでしょう。そして、そんな奴等の子供に産まれた人間もその予備軍として、同様に価値のない人間で、彼らが連座して処罰されるのは、ラインハルトにとっては「自業自得」という認識でしょう。
だからこそ、ラインハルトは、ハイネセンでも、フェザーンのヴェスターラント男にも、平民の暗殺者には寛大だったのだと思います。
そして、平民と下級貴族出身者のローエングラム王朝の軍首脳部も、主君であるラインハルトの価値観を追認し、それに倣っているものと思われます。
温厚で理知的であるはずのミッターマイヤーでさえ貴族達を「バカ息子ども」とあからさまに蔑んで、連座制のダブルスタンダードに全く気づきませんでした。
しかし、この例外が、本当に徹底しているなら、ある意味公平とも言えるのですが、そうではないところが一番問題なのだと思います。
例えば、リップシュタット戦没末期、レンテンブルク要塞攻略戦の中、「たまたま運良く」生き延びたコンラート・フォン・モーデルという少年は、身柄をキルヒアイスが引き取り、アンネローゼが身元引き受け人になったことで、ラインハルトに敵対した子爵家の息子でありながら、罪に処されませんでした。
元々、12歳の少年を連座させるという行為そのものが、非開明的行いなのですが、リヒテンラーデ一族にも、彼と同年代の処刑された少年がいたはずです。もしかしたら、エルフリーデの弟だったかもしれません。
彼は、たまたまキルヒアイスの知己を得た為に処刑にも流刑にもなりませんでしたが、新王朝の公正という点では、不公正さを残す措置です。
また、たいした功績があったわけでもないのに、姉の友人の身内だというだけで宮内尚書に抜擢された男爵がいたり、皇帝暗殺未遂事件実行犯の身内であり、しかも公職に就いていながら、自主謹慎したのみで一切罪に問われなかったマリンドルフ親子など、例外の中にまた例外を作ってしまっています。
これらの不公正は、結局のところ、自分のお気に入りだけに特権を与えたルドルフの行いと同じです。
このままいくと、ローエングラム王朝は、量刑が法はではなく、皇帝の個人的な好悪感情やその時の気分によって決まるという誠に恐ろしい方向に向ってしまう危険性があります。
本来、これに気づき、歯止めをかけるべき立場が、側近の中で唯一自分も門閥貴族であるヒルダなのですが、彼女は完全に、ゴールデンバウム王朝の門閥貴族というアイデンティティを失い、なぜか平民や下級貴族出身者と全く同じ目線でものを見て、同じ思考回路で考えているようですので、このラインハルトの危険性に気づきません。
私には、それが物凄く奇妙に感じます。

>彼らを破ったラインハルトは、自分達の正義を
>平民階級に示し、その支持を取り付けるために
>も、また門閥貴族自身にゴールデンバウム王朝
>の不当なあり方をその身に思い知らせてやるた
>めにも、勝者の権利に基づいて門閥貴族達をゴ
>ールデンバウム王朝のやり方でもって裁いたわ
>けです。

私は、リヒテンラーデ派は、ブラウンシュバイクやリッテンハイムとは、同じ門閥貴族であっても、微妙に色合いが異なると感じています。
根拠のない血統のみで自分達の優位性を疑っていないブラ&リッテンに対し、リヒテン爺さんは、貴族としてというより政治家として外戚の専横を是としていませんでした。
そこには、自らの権勢欲だけでなく、公正無私とは言えないまでも、彼なりに帝国の行く末と臣民のことを案じる気持ちが窺えます。
リヒテンラーデ一派は、あくまでも旧王朝の価値観の枠内ではありますが、彼等なりに精一杯帝国を支えようと勤めたのではないでしょうか。でなければ、指導者がブラ&リッテンと、政治に無関心で何もしない皇帝とで、国体が維持できるわけがありません。
良くも悪くも、ラインハルト台頭以前の銀河帝国を実質運営していたのは、リヒテンラーデをはじめとする宮廷政治家と官僚達だったと思われます。
案外、リヒテンラーデ公もその手下のゲルラッハも、実務能力に優れた官僚政治家だったのかもしれません。不運なのは、生まれた時代が悪かったということでしょう。
自分の領民を熱核兵器で虐殺するブラウンシュヴァイク公のような人間が門閥貴族のスタンダードだとしたら、リヒテン爺さんは明らかにスタンダードから外れるタイプです。
多分、彼はどんなに追い詰められても、ブラ公と同じ行為はしないと思います。
それは、人道的理由からではなく「益のないことはしない」という政治家としての計算が働くからだと思います。
リヒテン爺さんは、ベーネミュンデ夫人へのアンネローゼ擁護発言や、寒門出の男を重用していることからも、善良とは言えないまでも、明らかに血統のみを拠り所にしているブラ公的門閥貴族達よりも公正な識見と現実感覚を持ち、一線を画しています。
彼があと30年若く、もう少し柔軟な人間なら、マリーンドルフ伯などよりずっと使える人材だったのではないでしょうか。
そして、彼の自裁の場面は描かれていないものの、恐らくブラ公のような見苦しい真似はせず、覚悟を決めて毒杯を呷ったと思われます。
ラインハルトの目指す方向性からは、ブラ&リッテン派との妥協点はいっさい見出せませんが、何かの事情が少し変われば、(例えば、リップシュタット戦役時に高齢のリヒテン爺さんが急死するとか)残りのリヒテンラーデ一族の運命も大きく変わっていた可能性があります。
また、門閥貴族は確かに平民の敵で、彼らに例外的に厳しくのぞむことは、平民の支持を得られる行為かもしれませんが、リヒテンラーデ一族への処断が果たして本当に帝国の一般市民に支持されるのか、疑問です。
10歳以上の男子全て処刑したり、女子供を全員流刑にというのは、私にはかえって国民に不信やいらぬ恐怖心を植え付ける結果になると思えるからです。
この措置が、異例の厳しいものであったことは、消極的ながらオーベルシュタインとロイエンタールが揃って寛恕を求めた描写からもうかがえます。
ラインハルトは、6歳のエルィン・ヨーゼフ二世を殺さず生かしておくつもりでした。
そこには、さすがに、子供を殺したりしたら、国民の支持を失うという予測と、いくら平民が旧王朝を憎んでいても「ゴールデンバウム家の子供など存在自体が悪だ。殺されてもしかたない」とは、世論がならなかった事情が見えます。

>ことさら門閥貴族の一家だけに特別な恩赦を与
>えたりすれば、なし崩し的に他の門閥貴族に対
>しても同様の措置を取らなければならない羽目
>に陥る可能性も考えられますし

元々ラインハルトは、リップシュタット戦役終了時に、門閥貴族連合に与した貴族の家族達を財産没収以外で特に処罰していませんでした。
リップシュタット盟約に参加して生き残った貴族達やその家族が、処刑されたとか、流刑になったという記述は見当たりません。
どうせ生活力のない彼等のことなので、金がなければ、ほっといても勝手に自滅していくだろうという目算だったと思いますし、実際もそうなったようです。
ならば、リヒテンラーデ一族の女子供を同じように処することは、別段「特別な恩赦」ではないと思うのですが。

>そもそも、わざわざそんなことをしなければな
>らない必然的な理由自体がありません。

必然性は、「執政の公正さ」です。
私がもしあの世界の帝国民だったら、貴族にしろ平民にしろ、この不公正さは非常に新政府に対しての不信感を抱かせます。
公職(しかも要職)についていながら、キュンメル事件でマリンドルフ親子がお咎めなしだったのは、ラインハルトが彼らと身近に接し、その人となりをよく知っているからに他なりません。。
つまり、「皇帝がたまたま知っていた人間だけ例外」なわけで、これは国家を統治する者として、一番やってはいけないことです。まして、銀河帝国は400億人も人間がいる国なのですから。
この習慣がやがて「皇帝陛下のお気に入りは、法を凌駕する」になってしまい、腐敗の芽になる可能性を産みます。
そうなったら、幾多の血を流してせっかく旧王朝を打倒した意味がなくなります。
こんな、皇帝個人の主観で人の運命が変わってしまうものなら、もし、今後皇帝の人格が変わってしまったり、年老いて判断力が鈍った時どうなるのか?とか、更には、併合された旧同盟市民やフェザーン市民なら、今の皇帝は概ね公正でも、後の皇帝が代々同じとは限らないと考えるかもしれません。

>「ゴールデンバウム王朝の門閥貴族」という罪

打倒ゴールデンバウム王朝を成し遂げ、理想的国家創りを目指すローエングラム王朝にとって、新たな差別階級を生み出すのは、後の世に新たな騒乱の火種を残すことにもなり、決して国益に適うものではないと思うのですが。
第一、その線でいけば、ヒルダやマリーンドルフ伯にも罪があることになります。
ヒルダとエルフリーデは、ラインハルトの台頭がなければ、最も近い境遇の人間同士だったはずです。年齢も同年代でしょう。
何かの巡り合わせがほんの少し違えば、逆の立場に立っていたことも考えられます。
それが、最終的には罪人とそれを処断する側になってしまったのは、まさに運命の皮肉です。
そういう点に関して、ヒルダの態度に、全く同じ貴族女性としてのエルフリーデへの同情や配慮が感じられず、平民や下級貴族出身の他のローエングラム陣営首脳と同じ視点で彼女を捉えているところに、ヒルダという女性に対する好感度が下がってしまうのです。
前のレスに、ヒルダは、子供を産んだこと以外、女性キャラである必然性が全くないと書きましたが、門閥貴族出身である必然性もあまりないように思えます。
むしろ、平民出身の方が、彼女の行動に説得力を持たせるように思います。
いっそのこと、「ミューゼル家とキルヒアイス家のお向かいの家のヒルダちゃん」にした方が、後々ラインハルトの伴侶となることに納得できます。
彼女を単に「美しく優秀な女性」であるだけでなく、あえて伯爵令嬢としたところに、若き日の作者の「お姫様に対する憧れ」が見え隠れして、かわいらしさを感じてもいるのですけどね。(笑
私は、ローエングラム王朝が、公正を規するなら、流刑になったエルフリーデ達リヒテンラーデ一族の女子供達は、「特別な温情で釈放」されるのではなく、路頭に迷うことを前提に「他の門閥貴族達(ブラウンシュバイク&リッテンハイム陣営の生き残り)と同じように処する」というのが妥当ではないかと思います。
旧王朝の貴族であることが罪ならば、ブラウンシュバイク一族の生き残りより、リヒテンラーデ一族の生き残りの方が罪が重い理由がありません。

>国家に対する叛乱が想起されるような会話

ロイエンタールが言ったとされる「その子の為により高きを目指そう」という言葉ですが、この言葉を以って叛意の表れとし、報告書を提出したブルックドルフが、どうにも不可解です。
もっとも、その矛盾には、また「作者自身も気づいていなかった」ということなら、理解できるのですが。
まず、エルフリーデにとって、元々ロイエンタールをはじめとするローエングラム陣営は、親族の仇なのですから、彼女にはロイエンタールを陥れる為に偽証する動機がはじめからあったことになります。
それをふまえて尋問するのですから、ブルックドルフは、証言の真偽を出来る限り確認すべきでしょう。何と言っても、国家の元勲を弾劾するという重大な文書なのですから、若い女が言った一言を全て鵜呑みにしてそのまま報告書を提出するなど論外です。
ロイエンタールが、その発言を何時、どこで言ったのか、そもそもどういう経緯で彼女が私邸に囲われたのか、また、彼女一人だけでなく、当然存在したであろう邸の使用人等からも尋問し、裏づけを取るべきです。
結果として、ロイエンタール自身、妊娠したこと自体を知らず、証言は嘘だったわけですので、ブルックドルフの弾劾は徒労に終わりました。実に人騒がせなことをしたものです。
元々ローエングラム王朝に恨みを抱くエルフリーデが偽証する可能性を考慮に入れて尋問していれば、彼女の嘘もどこかで破綻し、報告書も問題の台詞が削除され、ロイエンタールが、流刑地から脱走したリヒテンラーデ一族の女を私邸に置いているということだけに留まり、「叛意」とまでするのは難しかったと思われます。
逆に、エルフリーデが、ロイエンタールに対して、仇とは思っていない、私邸にいたのも、妊娠したのも愛情からだと主張した上で、件の証言をしたとしたら、彼女は愛している男が不利になる証言をわざわざしたということになり、こちらも矛盾が生じます。
つまり、あの「その子の為により高きを目指そう」という言葉は、どちらにしても出て来ようがない言葉であり、最初から事実でないのが解っている台詞だったことになります。


>何の罪もないどころか判断能力すらもない胎児
(中略)
>自分の子供よりも自分の欲求の方が優先され、
>自分の欲求のためには自分の子供すらも犠牲に
>しようとする、という点において、ロイエンタ
>ールの母親とエルフリーデは本質的に同じもの
>を持っているのではないか、とすら私は考えた
>くらいなのですが、どんなものでしょうか。

目から鱗です。
実は、この原作であまりにも描かれなさ過ぎたエルフリーデの行動説明を、理性的な男性読者の方は、どう解釈しているのだろうか?というのが、長年の興味としてあったので、「ああ、やっぱり男性はこういう風に感じるのか」と、感慨深いです。

では、エルフリーデ嬢に代わって、不肖私めが少々釈明させて頂きます。(笑

エルフリーデは、オーディンでロイエンタールに遭遇する登場から、ハイネセンの総督府を去る退場まで、終始ロイエンタールに対しての感情が、愛憎の間で揺れているキャラでした。
エルフリーデにとって、親族の仇であるロイエンタールは、頭では憎むべき相手ですが、一方で彼の姿に、「持ち主の意思に反して目が吸い寄せられた」と表現されているように、視覚的、動物的本能で惹かれてしまうという葛藤に苦しむ様が容易に想像できるのです。
エルフリーデにしてみれば、それは、彼に処刑された亡き家族に対して、大変な罪悪感を伴うものであったでしょう。
そんな中で、エルフリーデは妊娠に気づき、ロイエンタールはそれを知らぬまま長期出征中です。
お腹の子は、普通に結婚して望んで出来たというわけではありませんから、その子に対する気持ちは、複雑な事情が作用して、妊娠中、出産直後、出産後数ヵ月後と、目まぐるしく変化していったと思われます。
ロイエンタールに惹かれてしまう反面、エルフリーデには、無念の死を遂げた家族の恨みを晴らさなければという使命感があります。仇の男に惹かれ、その子を妊ってしまった自責の念もあったはずです。
実際、ラインハルトのリヒテンラーデ一族に対する処断は、客観的に見ても理不尽なものでした。
エルフリーデが、ブルックドルフの審問を受けた時点では、お腹の子に対してまだ母親としての自覚がなく、ロイエンタールを陥れる道具に使えるという気持ちの方が勝ったことは否めません。
エルフリーデが、どのような状況で、子供を連れて、収容先からルビンスキーの隠れ家に身を移したのか、原作にもOVAにも詳しく書かれていませんが、可能性として二通り考えられます。
一つは、ルビンスキー一味に加担し、再びロイエンタールに復讐する機会を狙ったということ。
もう一つは、生まれた子供に愛情が沸き、子供と離れたくない気持ちから、とりあえず誘いに乗って、子供と引き離そうとする帝国政府から逃れたという見方です。
私は、多分また、両方の気持ちが錯綜していたのではないかと予想しています。
後にミッターマイヤーに引き取られたフェリクスが、心身共に健康な赤ちゃんだったところをみると、エルフリーデは、約半年間子供を大切に育てたようです。ルビンスキーの隠れ家でのドミニクとの会話からもそれがうかがえます。門閥貴族の令嬢としては、大変な苦労だったと思われます。
同時に、半年も一人で子供を育てれば、ある程度今後のことが冷静に考えられるようにもなります。
総督府で面会した時、ロイエンタールは、最後の力を振り絞って、ミッターマイヤーに子供の将来を頼むよう遺言します。
エルフリーデは、最後に自分のハンカチでロイエンタールの汗を拭いて、子供を従卒に託して立ち去っています。
彼女が、従卒に子供を託す場面が描かれておらず、その後も一切登場しないので、作中のエルフリーデの行動は、支離滅裂で謎だらけになってしまいました。
私はこれを作者が意図的に「苦手なものを放棄した」のだと解釈しています。
田中氏は、元々男女間の生々しい描写が嫌いで苦手なようですが、エルフリーデとロイエンタールの絡みは、ある程度描きこんだら、とてもエロくて生々しい描写にならざるを得ません。
そこで選択したのが、あのような所々に意味深な描写を散りばめつつ、最終的には読者の解釈に委ねるという手法での「逃げ」です。
もし、彼女が、本当に最初から最後まで「自分の子供よりも自分の欲求の方が優先され、自分の欲求のためには自分の子供すらも犠牲にしようとする」という行動方針で動いていたとしたら、ドミニクに対して「お願い」と言って子供のものを要求する場面も、最後にロイエンタールの汗を拭く場面も必要ないエピソードだったはずです。
第一、ストーリー構成上からも、もしそうだとしたら、準主役とも言うべきロイエンタールの人生が、あまりにも惨めになってしまいます。
エルフリーデは、その息子と共に、死を前にしたロイエンタールを最後の最後に、長年抱えたトラウマから救う存在であったと、何だかんだ言ってもロイエンタールファンな私としては、願望半分でそう思いたいところです。

>ヒルダの提案は理論的に正しいだけでなく、エ
>ルフリーデが置かれた状況から導き出される
>「人情の機微」「母性」というものをきちんと
>考慮に入れた発想ということになってしまうの
>ですが。

ヒルダがラインハルトにこの提言をした時点では、子供の父親であるロイエンタールはまだ健在であり、叛乱も起こっておらず、今後どうなるかわからない状況でした。
常識的に考えて、ロイエンタールに子供に対して何らかの責任を取らせるという選択肢もあったと思います。
また、ヒルダの提案が結果的に正しかったのは、その後ロイエンタールが大逆犯になるという事情の上でのあくまでも結果論であって、あの時点で結論を出すのはあまりにも母子関係を無視した措置だったと思います。
そもそも、同じ門閥貴族の女であるヒルダが、子供を見知らぬ家に養子に出すことはともかく、本人が何の罪を犯したわけでないエルフリーデを流刑地に戻すことを当然のように提言できる神経が解りません。(このあたりが、ヒルダが実は女の皮を被った中身男だと思える所以です)
子供のいない一部の若い男女が、我が子を実際に見るまでは、「自分は子供なんていらない」といった発言をしばしばすることがあるのは、半ば常識です。
彼らが、実際に子供を持ってみると、本当に虐待などするのは稀で、殆どの親は、生まれた途端に、母性父性に目覚め、子供を大切にします。
ヒルダの提言は、まだエルフリーデの子供が生まれていない時点で下すには、時期尚早だったと思います。

冒険風ライダー Eメール URL 2009年09月01日(火)21時09分 編集・削除

<帝国政府としては確かにそうかもしれませんが、徴兵で下級兵士として従軍している帝国の平民達はどうでしょうか?
彼等が、自分達から搾取し続けてた門閥貴族連合と、自分や家族の未来の為に命をかけて戦うというのは道理ですが、帝国を侵略してくるわけでもない、自分達に何の害もないヤン一党と、本当に命をかけて戦いたい平民兵士がいるでしょうか。
作中では、一般兵士から「いいかげんにしろ」という声が上がり始めたのは、ロイエンタールの叛乱事件以降のことになっていますが、私は、ナグナロック作戦あたりからこういう声が上がっても不思議じゃなかったと思っています。>

 ラグナロック作戦時だと、廃帝誘拐事件および同盟と門閥貴族残党の結託でむしろ平民階級の方が「奴らを潰せ!」的な怒りで湧いていますし、ちょうどラインハルトの解放政策で恩恵を受け始めている真っ只中ですから、ラインハルトの戦争にも喜んで参加したがることでしょう。元々帝国と同盟はラインハルトの有無と関係なく130年以上も戦争を続けていたわけですから、「これで奴らとの戦争を終わらせてやる」と考えた平民達も多かったでしょうし。
 帝国軍兵士の間で厭戦気分が蔓延するようになるのは、やはり同盟滅亡後の回廊の戦い以降の話でしょう。それまでは無為無用の戦いがあったにせよ、とりあえず「勝利」という結果および政治的成果は出せたわけですから、それで兵士達もある程度は恩恵に与れたのに対して、回廊の戦い以降の戦争は、彼らの怒りの対象であった同盟が完全消滅し、恒久平和が確立されたと誰もが確信していたところで引き起こされたものです。しかも回廊の戦いでは「勝利」という結果も政治的成果も上げられず、ロイエンタールの叛乱に至ってはただの内戦でしかありませんから、ここで文字通りの「骨折り損のくたびれ儲け」的な不満が帝国軍兵士の間で蓄積されることになります。同盟滅亡前と滅亡後では、帝国軍兵士が置かれている状況がまるで違うわけです。
 それと、ヤン一党およびエル・ファシル政権は、回廊の戦い前時点ですでに帝国の所有物たるイゼルローン要塞および帝国領土たるその周辺星域を武力制圧していますし、それを受けてのラインハルトの報復宣言があるのですから、「帝国を侵略してくるわけでもない、自分達に何の害もない」というのはいささか違うのでは? 第一、彼らにはイゼルローン回廊から帝国領にも同盟領にも侵攻する「意思」はともかく「能力」は備わっているわけで、万が一帝国領を攻められれば「帝国軍兵士にとっても」他人事では済まされないでしょう。もしヤン一党が帝国領に侵攻し戦火が拡大すれば、更なる戦死リスクが付きまとう上に自分達の家族も巻き込まれるかもしれないのですから。

 

<しかし、一般大衆に対して名君を気取りたいラインハルトに、二人の名前は出さずに、「あなたが今やろうとしていることは、あなたの支持基盤である平民を苦しめる行いですよ」と伝えることは、全く効果がないでしょうか?
あの時の、ヤンと戦いたくてしょうがないラインハルトを説得する言葉は、実際にはなかったとしても、これは側近の中で唯一の非軍人出身者であるヒルダが、結果はどうあれ伝えておくべき言葉だと思いますし、文官出身の彼女の義務だと思います。>

 前述のように、ラインハルトが回廊の戦いを行うことを決断したのは、ヤン側の行動がまず先にあってのものです。銀河統一の大義名分や、帝国領の領土侵犯および侵攻拡大の可能性などを考えても、帝国がヤン一党と敵対すること自体は避けられなかったでしょうし、そのための犠牲も「必要なものである」とラインハルト以外の人間でさえも考えるでしょう。
 ヤン側の行動に対する帝国側のリアクションは、現実世界の事例で言えば、旧日本軍の真珠湾攻撃を受けたり、911テロを食らったりしたアメリカのようなもので、先制攻撃を受けて損害を出している現実を無視して「帝国を侵略してくるわけでもない、自分達に何の害もない」などとは上から末端に至るまで誰も考えないでしょう。実際、前にも述べたように、「あの」マリーンドルフ伯ですら、ラインハルトの親征には反対していても、ヤンと敵対すること自体は全く否定していなかったのですから。
 むしろ、「オーベルシュタインの草刈り」のような「ラインハルトのやり方よりもはるかに犠牲の少ない卑劣・卑怯な策」を提示した上で「この方がはるかに効率的です」と説得する方が、ラインハルトの戦争狂的感情以外のありとあらゆる欲求を全て満たすことができるんですよね。そしてその上でラインハルトの戦争狂的感情をも満たそうとするのであれば、たとえば例のハイネセン無条件攻撃をちらつかせた恫喝よろしく、エル・ファシル本星にでも銃口を向けて刻限を定めた上で、帝国側にとって都合の良い回廊外の戦場を指定して艦隊決戦を挑むようヤン側に通達する、とかいった類のことをやれば良いのです。ラインハルトの戦争欲求は完全に満たすことができますし、一方でヤン側は手足を縛られた状態で地の利すらもない戦いを強いられることになります。この条件ならば、回廊の戦いにおける犠牲よりもはるかに少ない損害で悠々と勝てることは間違いありません。
 ラインハルトおよび帝国の政治的正当性を確保し、現実に発生する諸問題を解決するだけでなく、帝国に逆らったものがどのような末路を辿ることになるかの見せしめにするという観点から見ても、そして何よりもラインハルトの理性と天才性に訴えるという点でも、まずはこちらの方がはるかに現実的かつ有効な説得になるでしょう。そして、そこでなおラインハルトが「余は正々堂々と戦いたいのだ」「余の誇りを汚す気か」的な戦争狂的タワゴトを繰り出してきた時にこそ、Jeriさんが仰る平和主義的な情に訴えた主張を叩き込み、情理両面からラインハルトの屈服を促す。これがおそらく、ラインハルトを説得するほとんど唯一のやり方なのではないでしょうか。
 もしこれでもラインハルトが翻意せず、我を通し続けるのであれば、もう諦めるしかありませんが(>_<)。

 

<ヒルダは、最後までラインハルトの機嫌を損ねないよう気遣い、男女の仲になっても結婚しても、ある一線を越えられませんでした。ラインハルトの方でも、ヒルダを異性として愛情の対象であるよりも、仕事上の良き助言者としての役割を期待しています。
結婚後は、ラインハルトなりに意識してヒルダを妻として大切にしようとする様子がうかがえますが、二人の間に全く愛情がなかったわけではないと思いますが、理性で努力して行うのと、自然と湧き上がってくる愛情とでは大きな隔たりがあります。>
<ヒルダ自身、妙に悟っているようで、ラインハルトにとっての自分の存在が、キルヒアイス、アンネローゼと同格にならないことを甘んじて受け入れているように見えます。>

 互いに理解し合い、キルヒアイスとアンネローゼと同格になるまでの関係になるには時間があまりに乏しかった、という事情もあるのではないでしょうか。元々ヒルダとラインハルトは、あの夜の件があるまでは「主君と臣下」の関係をずっと続けるつもりだったでしょうし、両者共、政治・軍事については天才的な才能を発揮する一方、一般常識や男女の機微については一般人未満のレベルしかないことが明記されていますので、突然想定外に発生してしまった男女の関係に双方パニックに陥ってしまい、ラインハルトが亡くなるまでの1年に満たない期間ではそれを静めるだけで両者共手一杯だった、というわけで。
 実際、寝所を共にした翌日に途中過程を何段階もすっ飛ばしていきなり求婚してきたラインハルトの小学生的かつ潔癖症丸出しな過剰反応や、ひたすら右往左往しっぱなしのヒルダの描写は、「こりゃ一人前の男女関係になるだけでも相当な時間と慣れが必要だろう」という印象を読者に抱かせるには充分なシロモノでしょう(苦笑)。5年くらい時間をかけてゆっくり愛を育むとかならばともかく、1年に満たない制限時間で、しかも本業でもゴタゴタが頻発していた上に非常に不得手な方面での活動となれば、目に見える成果をイキナリ出すのも難しいと言わざるをえないのでは?

 

>銀英伝パチンコ化問題

 この問題の本質が何かというと、それは田中芳樹のダブルスタンダードにありましてね。
 元々田中芳樹は、創竜伝5巻で警察とパチンコ利権との癒着を批判したことがありますし、パチンコ利権の背後にある北朝鮮についても創竜伝7巻その他で世襲的独裁体制として批判しています。その田中芳樹がパチンコ利権に自分の作品を売るという行為は、「警察がパチンコ利権に手を染めるのはNGなのに自分はOKなの? 北朝鮮を批判しながら北朝鮮に利益を与えるのはおかしいんじゃないの?」ということになるわけです。
 そして、それに対して私が問い合わせの投稿を「らいとすたっふ」のブログで行おうとしたら(アク禁宣言されてないのに)投稿制限に引っかかり、しかたないので制限を解除して下さいと「らいとすたっふ」にお願いメールを出したら、今度はブログコメント欄自体が削除されてしまうという始末。これは常日頃から「政治家を批判しても罰せられない言論の自由こそが民主主義の良いところだ」などと銀英伝を含む田中作品の多くで主張する田中芳樹のスタンスをも全否定するシロモノだったわけです。「政治家に対する批判はOKだが、自分達に対する批判はその存在自体を封殺してもかまわない」と事実上明言しているも同然ですし。
 この2つのダブルスタンダードが、銀英伝パチンコ化問題が特に問題視される理由ですね。もっとも、さすがの私もまさか田中芳樹&らいとすたっふが、私に対して言論封殺という手段に出るとまでは当初は考えていなかったのですけど。
 一連の騒動の顛末についてのログは、以下のURL先にまとめてありますので参考までに。

田中作品と「らいとすたっふ」問題 過去ログB
http://www.tanautsu.net/kousatsu21_02_ab.html

 

>ゴールデンバウム王朝の門閥貴族の処遇について

 これって「執政の公正さ」とは全く別次元の問題ではないでしょうか? そもそもラインハルトは門閥貴族を相手に戦争や政争をやっていたわけで、その戦いに勝利した後の裁きというのは、いくら体裁を整えようが基本的には「勝者による敗者へのリンチ」にしかなりようがないのですし。
 たまたまラインハルトが勝ったから門閥貴族がラインハルトの意向のままに裁かれている、というだけで、もし勝利する陣営が違っていたら、その勝利した陣営にラインハルト一派が好き勝手に裁かれていただけの話でしかありません。戦争OR政争における「勝者による敗者へのリンチ」では、法や倫理など勝者の正義を正当化するための道具に過ぎませんし、そんなものに公正さを求めるのは最初から無理というものです。
 現実世界を見ても、第二次世界大戦後に開廷された東京裁判・ニュルンベルク裁判では、戦勝国が敗戦国を裁くことを目的に、犠牲者三十万人以上の南京大虐殺等のトンデモな罪状が好き勝手にでっち上げられ、しかも事後法をもって裁かれるという近代法の原則に反した蛮行が公然と行われました。そして一方で、日本の昭和天皇については、占領軍の占領行政に支障をきたすという理由から裁判にかけられなかったという、戦勝国にとっての御都合主義も横行していたわけです。
 また、南アメリカ諸国では、新政権が発足するたびに前政権が汚職等の罪状がでっち上げられて新政権によって裁かれ、新政権の政治的正当性をアピールするなどという一種の政治ショーがこれまた公然と行われてきた歴史があります。近代民主国家ですらこのザマでは、所詮は専制君主制国家に過ぎないゴールデンバウム&ローエングラム王朝に、法の公正を要求するのは無理というものでしょう。
 また一方では、現実問題として、リップシュタット戦役勝利直後のラインハルト陣営には、敵を裁くための法律がゴールデンバウム王朝のそれしか存在しなかった、という事情もあるでしょう。ゴールデンバウム王朝時代の法律では「九族皆殺し」的な条文が当たり前だったようですし、新法律はまだ制定されていない以上、現行のゴールデンバウム王朝の法律で敵を裁くしかありません。いくらゴールデンバウム王朝時代の法律が苛烈だからといって事後法を作って裁判を行うのでは、それこそ近代法の原則を蹂躙するものではないでしょうか。
 ゴールデンバウム王朝の「九族皆殺し」的な法律がこれまでの常識だったのならば、その法律通りに政敵を裁いても、別に誰も不安など感じようがないと思うのですが。

 

<このままいくと、ローエングラム王朝は、量刑が法はではなく、皇帝の個人的な好悪感情やその時の気分によって決まるという誠に恐ろしい方向に向ってしまう危険性があります。
本来、これに気づき、歯止めをかけるべき立場が、側近の中で唯一自分も門閥貴族であるヒルダなのですが、彼女は完全に、ゴールデンバウム王朝の門閥貴族というアイデンティティを失い、なぜか平民や下級貴族出身者と全く同じ目線でものを見て、同じ思考回路で考えているようですので、このラインハルトの危険性に気づきません。>
<こんな、皇帝個人の主観で人の運命が変わってしまうものなら、もし、今後皇帝の人格が変わってしまったり、年老いて判断力が鈍った時どうなるのか?とか、更には、併合された旧同盟市民やフェザーン市民なら、今の皇帝は概ね公正でも、後の皇帝が代々同じとは限らないと考えるかもしれません。>

 というよりも、ヤンこそがまさにこの論理でもってラインハルトと敵対しているんですよね。そのものずばり「ラインハルトが有能で偉大な君主であっても、その後継者もそうとは限らない」と銀英伝の作中でも本人明言しています。
 ヤンがあの病的なラインハルト崇拝を止めてその辺りの論理をラインハルトに適用して帝政の危険性に言及していれば、ヤンが掲げる民主主義擁護の大義名分も相当な説得力が付加されたと思うのですが、実際に本人がやっていることといえば、シビリアン・コントロールを蹂躙して同盟を破滅に追いやった挙句、勝算ゼロの絶望的な戦いを繰り広げただけでしかないですからねぇ……(T_T)。
 ちなみに、ラインハルトの裁きというのは基本的に全て「皇帝の個人的な好悪感情やその時の気分によって決ま」っているものばかりですね。ロイエンタールの叛乱の後始末などはまさにそう記載されていますし。銀英伝の作中では「皆が感情的に満足していた」として勝手に自己完結させられていますが(苦笑)。

 

<元々ラインハルトは、リップシュタット戦役終了時に、門閥貴族連合に与した貴族の家族達を財産没収以外で特に処罰していませんでした。
リップシュタット盟約に参加して生き残った貴族達やその家族が、処刑されたとか、流刑になったという記述は見当たりません。
どうせ生活力のない彼等のことなので、金がなければ、ほっといても勝手に自滅していくだろうという目算だったと思いますし、実際もそうなったようです。
ならば、リヒテンラーデ一族の女子供を同じように処することは、別段「特別な恩赦」ではないと思うのですが。>

 門閥貴族の中でリヒテンラーデ公だけは、オーベルシュタイン提言によるラインハルト暗殺未遂の主犯という冤罪を押し付けられていますし、ゴールデンバウム王朝の「九族皆殺し」的な法律が適用されてあれらの裁きが下されたわけですから、リヒテンラーデ一族だけ他の門閥貴族と一線を画する特別な刑が課されたこと自体は別に不自然ではないでしょう。もちろん、法的に見れば全く論外なやり口ですが、これが所詮は政争の結果による「勝者による敗者へのリンチ」でしかないことは裁く側も裁かれる側も充分承知のことです。そして、ラインハルトにとって門閥貴族は永遠の仇敵でしかないのですし、何よりも「一人の貴族が死んで一万人の平民が救われれば、それが余にとっての正義というものだ」という価値観の持ち主なのですから、そのことに対する自分の正しさを疑ったことは寸毫たりともなかったでしょう。
 また、それ以前の問題として、実は逆に流刑者として処断したことこそがラインハルト的には「生活能力皆無な門閥貴族に対する慈悲だった」と考えられていた可能性もありえるのではないでしょうか。銀英伝における戦争捕虜や流刑者についての描写を見ると、収容惑星ないしは施設内の移動は比較的自由にできたようですし、食糧や衣類・寝床なども(必要最低限ですが)定期的に支給されていることが記録されています。そうなると、無一文状態で他者から迫害されつつ外を徘徊して残飯をあさっている門閥貴族よりは、流刑者達の方が生活面では却って恵まれている、という状況も成立するのではないでしょうか。
 これでラインハルト側がことさら「特別な恩赦」をリヒテンラーデ一族に与えなければならない理由が、やはり今ひとつはっきりしないのですけどね。そもそも、エルフリーデが流刑地をわざわざ離れた理由は、リヒテンラーデ公の抹殺に関わったロイエンタールないしは帝国要人の暗殺以外にはなかったのですし。

 

<ロイエンタールが言ったとされる「その子の為により高きを目指そう」という言葉ですが、この言葉を以って叛意の表れとし、報告書を提出したブルックドルフが、どうにも不可解です。>

 ブルックドルフって、エルフリーデの件ではロイエンタールの身辺調査でエルフリーデの所在を突き止めた辺りくらいまでしか関わっておらず、尋問段階に移って以降はラングが全面的に主導権を握り、報告書でも名前を使われただけだったのでは? 報告書を提出した名義人のひとりにブルックドルフの名前が書かれていても、その中身は実質ラングが全てまとめたものである、というわけです。
 元々ロイエンタールに恨みがあり、陥れることを画策していたラングであれば、少しでも疑わしい証言が出てきた際に、その内容について詳細に吟味することなく鵜呑みにし、「ロイエンタール元帥に不穏の気配あり」的な報告書をでっち上げても、ストーリー展開的には何ら問題ないでしょう。ラングははじめからロイエンタールに悪意を持っているのですし、彼がロイエンタールに恨みを抱く過程も、銀英伝6巻に伏線としてきちんと描かれているのですから。

 

>エルフリーデの葛藤や子供に対する愛情について

 エルフリーデがロイエンタールに対して「仇敵」に対する憎しみ以外の感情を抱き、その狭間で色々な葛藤があったことについては私も同感です。ただ、自分とロイエンタールの子供に対する愛情が本当にエルフリーデにあったのかと言われると、私としてはやはり懐疑的にならざるをえないところでしてね。
 その理由としては、前の投稿でも言及した「何の罪もない胎児を『ロイエンタールを陥れる道具』として利用した」「子供を手放すことに対する感情的な抵抗が全く描写されていない」というのがやはりまず第一にありますが、他にも「エルフリーデが自分の子供に名前をつけている形跡がない」というのがあります。ドミニクの会話で子供の名前を尋ねられた際、エルフリーデはその質問に答えることなく沈黙を守っていましたし、ロイエンタールと対面した際にも、退出に至るまで彼女は子供の名前について全く言及していません。
 エルフリーデが子供を大切に育てたというのも、その目的はあくまでも「子供嫌いのロイエンタールにその存在を突きつける」「そのためには子供をとりあえず生かしておかなければならない」というのがメインで、その後のことは何も考えてはいなかったのではないか、という感が禁じえないんですよね。もちろん、そうやって子供を育てていく過程で母性本能に目覚めて子供に愛情を抱くようになった、というのはごく自然なことですし、それ故に子供の幸せを考え「あえて」子供を手放すことを決意した、というのもそれはそれで何の不思議もないのですが、ただ、それならなおのこと子供に自分で名前をつけようとするのでは?という疑問は抱かざるをえないわけです。
 ヒルダがエルフリーデの消息について言及しなかったり、ミッターマイヤー夫妻が引き取った子供の母親であるエルフリーデに何の関心も示さなかったというのも、私としては理解できなくもないんですよね。そもそも彼女らはエルフリーデと一度たりとも直接会話どころか対面すらしたことがなく、その人となりや生い立ちなどの情報についても「ロイエンタールやラングからの伝聞」からもたらされたものしか知らないのですし、そこから導き出される人物像というのは「ロイエンタールを陥れるために、実の子供を利用した挙句捨てた酷薄な悪女」というものでしかありえないでしょう。そして実際エルフリーデは、子供に対して「自分が付けた名前」すら残していないという厳然たる事実が存在するのですから、表面的な行動だけを見れば、そういう評価が成立してもおかしくありません。そして、ロイエンタールとのやり取りやエルフリーデの内心など知りようもない彼女らが、限られた情報を元にエルフリーデについてそのように考えても何の不思議もないでしょう。
 自分の子供につける名前、というのは、子供にとっては「生まれて初めての親からのプレゼント」という意味合いも少なからずあると思いますし、どんなダメ親でも、自分の子供に名前くらいは手間のかかるものでもないし普通に付けるのではないかと考えるのですが、どうでしょうか。

 

<また、ヒルダの提案が結果的に正しかったのは、その後ロイエンタールが大逆犯になるという事情の上でのあくまでも結果論であって、あの時点で結論を出すのはあまりにも母子関係を無視した措置だったと思います。
そもそも、同じ門閥貴族の女であるヒルダが、子供を見知らぬ家に養子に出すことはともかく、本人が何の罪を犯したわけでないエルフリーデを流刑地に戻すことを当然のように提言できる神経が解りません。(このあたりが、ヒルダが実は女の皮を被った中身男だと思える所以です)>

 「本人が何の罪を犯したわけでない」にしても、現実問題としてエルフリーデは旧ゴールデンバウム王朝時代の裁きに基づいて連座制の流刑に処されているわけですし、それを撤回する法令は一切出されていない以上、法的に言えば流刑は相変わらず有効のままの状態にあります。そうであれば、流刑に処されたエルフリーデを流刑地に戻すという判断は、別にヒルダでなくても法律に少しでも精通している人間であれば男女問わず考慮し、提言するしかないでしょう。
 それに、ロイエンタール叛乱嫌疑の時点で存在した「母子関係」なるものは、「母親が胎児を利用して父親を陥れようとした」という事実があっただけですし、そうすることで母親が子供に不幸を押し付けるリスクを承知していなかったはずがないのですから(承知していなかったのであればさらに子供に対して無責任かつ大問題です)、子供の健全な育成という観点から言っても、あの時点でもあの提言は充分に妥当なものだったと言わざるをえないのでは?

 

<子供のいない一部の若い男女が、我が子を実際に見るまでは、「自分は子供なんていらない」といった発言をしばしばすることがあるのは、半ば常識です。
彼らが、実際に子供を持ってみると、本当に虐待などするのは稀で、殆どの親は、生まれた途端に、母性父性に目覚め、子供を大切にします。
ヒルダの提言は、まだエルフリーデの子供が生まれていない時点で下すには、時期尚早だったと思います。>

 ロイエンタールの母親が赤子の片目を抉り取ろうとしていたのが母性本能の発露で、父親が「お前は生まれてくるべきではなかったのだ」と息子に毎日罵倒を投げつける行為が父性的な教育だったのでしょうか? 母性本能や父性意識は、自分が育ってきた家庭環境次第で発現しないことも多々ありますし、母親父親それぞれが子育ての意思をきちんと持ち合わせていないと発現のしようがないのですが。
 ロイエンタールは例の堕胎発言で、エルフリーデは胎児を利用するその行動で、共に子供を尊重するどころか害を加える意思のあることがすでに誰の目にも明らかでしたし、一方で実際に子供が生まれたら彼らが己の発言を覆して子供を大事にするということが、あの時点で、それも所詮は赤の他人に過ぎないヒルダにどうやって分かるというのでしょうか? しかもロイエンタールなどは、子供が生まれた後でさえ、ミッターマイヤーとの会話で「生まれてくるべきではなかったのに生まれてしまった」などと主張する始末でしたし、下手に妊娠状態のエルフリーデを一緒にさせていたら、それこそ強制的な堕胎措置を(母体の状態を無視してでも)やらかした可能性もなかったとは言いきれないでしょう。
 幼少時のロイエンタールに叩きつけられていたような虐待を子供が受けることが事前に予測できる状態なのに、母親側のみの視点、それも現状に即さない一般論を尊重して子供を両親と一緒にさせるのは、むしろ子供を将来的に不幸にするだけでしかないでしょう。現実世界でも、親からの虐待を受ける子供を親から隔離する行政措置というものが普通に存在するわけですし、ヒルダもその辺について「考えなければならなかった」からこそ、「最善であるかどうか、かならずしも自信はございませんが」とわざわざ付け加えた上での提言を「せざるをえなかった」のではないでしょうか。

Jeri Eメール URL 2009年09月06日(日)03時06分 編集・削除

>冒険風ライダー様

>5年くらい時間をかけてゆっくり愛を育むとか
>ならばともかく、1年に満たない制限時間で、
>しかも本業でもゴタゴタが頻発していた上に非
>常に不得手な方面での活動となれば、目に見え
>る成果をイキナリ出すのも難しいと言わざるを
>えないのでは?

これはもう確認する術がありませんし、読者それぞれの解釈ですが、私としては、ラインハルトは、たとえヒルダと10年夫婦をやっていても、あのままだったような気がします。アンネローゼは、生まれた時から一緒にいる肉親なので比べようもありませんが、キルヒアイスとは、彼と友人になり、ラインハルトにとってアンネローゼと並ぶかけがえのない存在になるまでに、そんなに年月はかかっていなかったと思います。
ヒルダとは、確かに唐突に男女関係になってしまいましたが、それ以前に2年以上もの間同じ職場で互いの人間性や能力に触れてきたのですから、あの時点で、ラインハルトにとってヒルダがキルヒアイスに匹敵する存在になっているのが自然のように感じました。
結局、ラインハルトって、精神面での成長がないまま大人になってしまい、皇帝になってしまったので、最後まで一番大事な人は「姉上と親友」で終わってしまったんですね。
ヒルダといのは、ラインハルトが理性の面で「皇帝としての自分に一番相応しい女性」「皇妃の資質を備えた女性」と考えた相手でありそれを「予にとって大切な存在」と表現したのだと思います。
ただ、夫婦関係は必ずしも恋愛感情の延長上になければいけないわけではないので、ヒルダとしては、ラインハルトにとって自分の全てを曝け出して愛情を注ぐ対象であるよりも、皇妃として皇帝の政治戦略上の良きパートナーでることを自覚した上で受け入れていたのだと思います。
ただ、二人の関係が、仕事上のパートナー的なものから一歩抜け出せなかった原因は、ラインハルトの未熟さもありますが、ヒルダがあまりに出来すぎていて、変に遠慮してしまった点も大きいと思います。その辺のところが、一度くらい、思いっきりぶつかり合ってもよかったのではと、同性として見ていて歯がゆい部分でもありました。

>勝者による敗者へのリンチ

そのリンチによる報復の連鎖の歴史の繰り返しを断ち切るべきだという考えを、ローエングラム陣営の誰も持っていないというのが、「本当にこの王朝は『開明的』なのか?」と疑いたくなるんですよね。
軍隊の中しか社会を知らないラインハルトをはじめとする、平民や下級貴族出身の軍人はともかく、ゴールデンバウム王朝に恨みがあるわけでもない(むしろ恩恵を受けていた)ヒルダやマリンドルフ伯までもが、ラインハルトのリンチ的処断を容認しているのが、理解できません。

>ゴールデンバウム王朝の「九族皆殺し」的な法
>律がこれまでの常識だったのならば、その法律
>通りに政敵を裁いても、別に誰も不安など感じ
>ようがないと思うのですが。

私が言いたかったのは、理屈ではなく感情論です。
子供まで処刑されたという事実に、専制国家で抑圧されてきた国民だからこそ「結局、弾圧の対象が変わっただけで、同じことではないか?」という不安を抱くのは自然ではないでしょうか。

>これが所詮は政争の結果による「勝者による敗
>者へのリンチ」でしかないことは裁く側も裁か
>れる側も充分承知のことです。そして、ライン
>ハルトにとって門閥貴族は永遠の仇敵でしかな
>いのですし、何よりも「一人の貴族が死んで一
>万人の平民が救われれば、それが余にとっての
>正義というものだ」という価値観の持ち主なの
>ですから、そのことに対する自分の正しさを疑
>ったことは寸毫たりともなかったでしょう。

ラインハルト達、下級貴族や平民出身の軍人はそうでしょう。
しかし、リヒテンラーデ一族は、10歳以上の男は全部殺され、残された女と当時10歳以下の男児に対して、いかの専制国家で育ったとはいえ、貴族女性のヒルダが全く同情の気持ちが働かないというのが、すごく奇妙なのです。
彼女が、薬師寺涼子的なキャラなら「自業自得よ。ふん。私は賢いから愚かなお前達とは違うのよ。」と言うのもわかるのですが、銀英の中のヒルダは、聡明で優しい女性という設定です。
また、特別に優しい人間でなくとも、女という生き物は、同じ女のことが気になるものなのですよ。9月1日付の記事に書いた楊貴妃のように、つい自分と重ね合わせて、顔も見たことのない女性に同情したり、軽蔑したり、優越感を感じたりするのが女なのです。
だからこそ、他人のプライバシーを暴いた女性週刊誌が売れるし、三人集まれば井戸端会議が始まるのです。(笑
私がヒルダの立場なら、エルフリーデというのは、同情にしろ軽蔑にしろ、非常に「気になる」女性です。エルフリーデだけでなく、いつの間にか行方不明扱いになってしまったブラウンシュバイク公やリッテンハイム侯の妻と娘がどうなったのかとか、本筋に関係ないと判っていても、すごい気になります。ラインハルトが彼女達を処罰した記述がないので尚更です。内戦を生き延びたのか、どこかで死亡したのか、生き延びたとしたら、ローエングラム王朝下でどのような扱いを受け、どのような人生を送ったのか、ヒルダの立場でなくとも、女というものは、政治思想や戦略とかよりも、そういう細かい下らないことが気になってしまうのです
そして、多分、作者は、女性のそういう感性を非常に蔑視しているのだなと感じてしまうのです。
だからこそ、ヒルダという「賢く理想的な女性」に、そのような感性を持たせなかったのだなと想像しています。
現代社会でも、男性は、人の噂話をする女を嫌う傾向があるようですし、確かに、他人のゴシップ的なことに異常に興味を示す女性というのもあまり美しいものではありません。しかし、女性のそういった感性は、時として歴史を良い方向にも悪い方向にも動かしますので、軽視できない面もあるのです。
そして、もしヒルダがこの女性的な感性を発揮してエルフリーデの処遇を考えていたら、ロイエンタールの叛乱を未然に防げた可能性もあると思っています。
ヒルダは、たまたま彼女の言うことを全面的に聞き入れてくれた父親を持っていたから、勝者側に立つことができましたが、もし、マリーンドルフ伯が、もっと一般的な貴族で、娘の主張が理屈では正しいと解っていながら、感情がついていかず、
「ばっかもーん!名門マリーンドルフ家が、あんな成り上がりの金髪の孺子の風下に立てるか!」と言ったらどうなっていたでしょうか。
家内クーデターでも起こして父親を幽閉し、自らマリンドルフ家の当主として、あくまでもローエングラム陣営につくか、娘としてしかたなく父に従うか、いずれにしろ、辛い選択を迫られたでしょう。
或いは、あの時点ではローエングラム陣営の勝利は確定しておらず、当初は数の上でリップシュタット側が有利ということになっていたはずですから、「一歩間違えば自分もどうなっていたかわからない」という発想が浮かんで然るべきです。
洋の東西を問わず、歴史小説の中で、ヒルダとは正反対な感性を持つ女性が、権力者に影響を与えるという描写は数多く見られます。
文学史に残るような名作と言われる歴史小説をかなりの数読んできましたが、その殆どが男性小説家の作であったにも関わらず、銀英の原作者に対してのような女性蔑視を感じたことはありませんでした。
多分、田中氏は、あのような女性しか描けない以上、一生彼が目指す地位の作家にはなれないでしょう。

>ヤンこそがまさにこの論理でもってラインハルトと敵対しているんですよね。

作中では、民主主義の弊害についてばかり言及されていますが、普通に考えて、民主主義よりも専制(独裁)政治の方が遥かに腐敗するリスクが高い政治形態ですし、一度腐敗し始めたら、民主主義など比較にならないほど加速度を増して腐敗していくのが独裁体制であることは、歴史をかじったヤンが知らないはずはありません。
それは、ゴールデンバウム王朝で実証済みなことです。
ヤンが、戦火を交える前に、どうしてこの理屈を真正面からラインハルトに突きつけなかったのか不可解です。
この一点をとっても、ヤンが、「やるべきことをやらなかった」証左であると言えます。そして、この当たり前の理屈に同調する人間が、全人類の中であまりにも少数派であるということに、とても不自然さを感じます。
フェザーンにしろハイネセンにしろ、武力での抵抗が困難だと判断したら、水面下で市民同士が呼びかけて、ストライキを敢行して抵抗するという手段があったはずです。
都市機能が麻痺してしまたったら、さすがの帝国軍もなす術がないでしょう。
武器を持って抵抗してくる市民は武力で鎮圧できても、何もしないことで抵抗する人間を片っ端から射殺するわけにはいきませんから。

>尋問段階に移って以降はラングが全面的に主導権を握り

これは、OVAを見ても原作を読んでも、実際にエルフリーデの尋問に当たり、報告書を作成したのは、ブルックドルフである描写です。
ラングは、その報告書内容を元にブルックドルフから弾劾権を取り上げ、自分の都合のいいように事を大げさに騒ぎ立てたという感じです。

>エルフリーデが自分の子供に名前をつけている形跡がない

名前は、「オスカー」ではダメでしょうか?
彼女だけが密かに子供に呼びかけていた。
だけど、それを他人に言ってしまったら、自分がロイエンタールに惚れてることを認めることになってしまうので、彼女の誇りがどうしても子供の名前を呼べなかった。
という解釈はいかがでしょうか?
または、あえてつけなかったということも考えられます。
彼女は、ロイエンタールを憎みながらも、一方で子供の存在を認めさせたいという気持ちを持っていた。そこで、意地でも彼に会って、彼自身に息子の名前をつけさせたかった。ところが、会いに行ったロイエンタールは、瀕死の重傷を負い、子供をミッターマイヤーに託すよう遺言した。この彼の最後の望みを受け入れて、子供をミッターマイヤーに託すには、子供はまっさらな状態の方がいい、名前もミッターマイヤー夫妻につけてもらった方が、夫妻も愛着が沸いてかわいがってもらえるだろう・・・と判断した。というのはどうでしょう?

>下手に妊娠状態のエルフリーデを一緒にさせて
>いたら、それこそ強制的な堕胎措置を(母体の
>状態を無視してでも)やらかした可能性もなか
>ったとは言いきれないでしょう。

作中のロイエンタールって、そこまで残酷になれるキャラでしょうか?
完璧な人格者とは言わないまでも、少なくとも、公人としては皇帝の信任も篤く、部下からも慕われる善玉キャラにカテゴリされる人だったはずです。
まして、ロイエンタールは、エルフリーデに対して、今まで捨ててきた女性には決してなかったであろうことを色々しています。
最初に強姦してしまったのはその典型ですが、そのまま邸にいついてしまったのを容認し、あまつさえ、フェザーンへの大本営移転を告知された後、ミッターマイヤーと回廊を歩きながら、彼女がどうするか気にかけています。
これまでの彼の女性遍歴から考えれば、フェザーン移転は格好の別れの口実だったはずです。にも関わらず、彼はエルフリーデの意思を尊重しています。
最初の小説を読んだ時の印象は、この二人の関係は、もしかしたら、ロイエンタールの方が片思いだったのではないかと思えたくらいです。
ただ、彼は、トラウマから、自分は徹底的に女性を嫌悪していると思い込んでいた為、自分の気持ちに気づかなかった、そこで、邸で一緒に暮らしても、彼女に優しい態度などとれず、関係を良好に発展させられなかった、という解釈もできます。

>幼少時のロイエンタールに叩きつけられていた
>ような虐待を子供が受けることが事前に予測で
>きる状態なのに、母親側のみの視点、それも現
>状に即さない一般論を尊重して子供を両親と一
>緒にさせるのは、むしろ子供を将来的に不幸に
>するだけでしかないでしょう。

ロイエンタールが幼少時のトラウマを抱えているのをヒルダは知らないはずです。
私が言いたいのは、あの時期に、出産後の全てを決めてしまうのではなく、然るべき施設に移して出産させた後、母子の様子を見ながら、養子に出すか母子が一緒に暮らすか判断してもよかったということです。
エルフリーデの処遇に関しては、一緒に暮らすにしろ、金を与えて生活に困らない程度の保障をするにしろ、妊娠させたロイエンタールに責任を取らせるのが最も道理に適うと思います。
その上で、ヒルダの立場としては、ローエングラム王朝が新たな時代を切り開く為に、やはりもうこれ以上、リンチ的な報復処分は撤廃し、女と子供の流刑者など赦免するよう進言するのが道義的、倫理的に妥当なのではないでしょうか。
リヒテンラーデ一族の流刑者を赦免することは、決して温情ではなく、生活能力皆無な門閥貴族に対する慈悲の撤廃であり、今まで最低限の衣食住は保障されていた彼らが、晴れてお解き放ちになった後、無一文で残飯を漁るような生活をしていても、ローエングラム王朝にとっては、それこそ自業自得でしょう。今まで国家予算から無償で提供していたものがなくなるわけですから、僅かながら削減になりますし。

冒険風ライダー Eメール URL 2009年09月08日(火)01時15分 編集・削除

<ただ、二人の関係が、仕事上のパートナー的なものから一歩抜け出せなかった原因は、ラインハルトの未熟さもありますが、ヒルダがあまりに出来すぎていて、変に遠慮してしまった点も大きいと思います。その辺のところが、一度くらい、思いっきりぶつかり合ってもよかったのではと、同性として見ていて歯がゆい部分でもありました。>

 ヒルダが「変に遠慮してしまった点」については、もちろんヒルダ個人の事情も大きいのですが、ローエングラム王朝における皇妃の地位のあり方が、銀英伝完結に至るまで確立することがなかったという事情もあるのではないでしょうか。
 ラインハルトがヒルダと結婚した後、帝国内部では、宮内省と司法省との間で、皇妃の地位を単に「皇帝の配偶者」としてのみ定義するか「帝国の共同統治者にして帝位継承資格を有するものである」とするかについて、侃々諤々の討議が行われています。そういう状況の中でヒルダが下手に政治的活動を表立って活発に行い、ラインハルトをリードする態度を取っていたら、皇妃の地位がヒルダの行動に引き摺られる形で自動的に確定してしまう事態になりかねません。それで帝国の政治・行政が混乱に陥ったり、皇帝と皇妃の二重権力構造を形成するがごとき将来的な禍根を生みかねない前例を残したりするようなことは、ヒルダも当然意識せざるをえなかったでしょうし、それ故に慎重な行動に徹さざるをえなかったのでしょう。
 ヒルダはラインハルトと結婚することによって「主君と臣下」という関係からは解放されたものの、今度は「ローエングラム王朝の将来」について責任を負わなければならない立場になったことで、皇帝に対して好き勝手に自分の意見を主張できる自由は政治的事情の問題から引き続き剥奪されたままです。しかも、本来その手の責任を一番負わなければならないはずのラインハルトはといえば、「俺が死んだ後は実力のある奴が皇帝に即位すれば良い」といわんばかりの弱肉強食・内戦肯定・易姓革命的な主張を行う始末でしたから、ラインハルトの分までヒルダは「ローエングラム王朝の将来」について配慮しなければならなかったわけです。
 そのヒルダの呪縛が解除されることがあるとすれば、やはりラインハルトがこの先長生きをした上で皇妃の地位の権力範囲が帝室法で正式に定義され、政治的問題もクリアな状態になってからでないと無理というものでしょう。そして、銀英伝の作中ではそれができるだけの時間も余裕もなく、2人を取り巻く政治的情勢も生活環境も多大な混乱を来たし続けてひっきりなしに対処に追われる状態にあったのですから、その辺りの事情を無視するわけにはいかないのでは?

 

<そのリンチによる報復の連鎖の歴史の繰り返しを断ち切るべきだという考えを、ローエングラム陣営の誰も持っていないというのが、「本当にこの王朝は『開明的』なのか?」と疑いたくなるんですよね。>
<或いは、あの時点ではローエングラム陣営の勝利は確定しておらず、当初は数の上でリップシュタット側が有利ということになっていたはずですから、「一歩間違えば自分もどうなっていたかわからない」という発想が浮かんで然るべきです。>

 前にも述べましたが、ローエングラム王朝の開明性なるものは、あくまでも「貴族という圧倒的少数派を犠牲の羊とすることで、絶対多数の平民階級に恩恵を与える」というものであって、「報復の連鎖の歴史の繰り返しを断ち切るべきだという考え」などという方向性など最初から誰も意識すらしていないでしょう。
 また、「一歩間違えば自分もどうなっていたかわからない」という発想自体は、ヒルダもラインハルトも当然のように考えてはいるでしょう。自分が敗者になれば勝者に好き勝手に裁かれるであろう、というリスクは当然考えた上で、彼らは「勝者の権利」を存分に行使しているわけです。
 銀英伝の作中にも、それを示す描写があります。

銀英伝2巻 P212下段
<「賊軍か……」
 ラインハルトは冷ややかにつぶやいた。彼が勝ち、大貴族たちが敗れた以上、帝国の公式記録は、彼が貴族連合軍に与えた名を、正当なものとして価値づけるであろう。敗者を裁くのは勝者に与えられる当然の権利であり、それをラインハルトは存分に行使するつもりだった。
 もしラインハルトが敗れれば、賊軍の汚名と、不名誉な死は、彼に与えられたはずである。それを思えば、権利の行使をためらう理由などない。>

 ラインハルトはこのような考えの下に門閥貴族達を裁いたわけですし、そもそもヒルダは、他の門閥貴族達が右へ倣えするかのように貴族連合軍に参加している状況を顧みることなくラインハルトに組することを選んだわけでしょう。その一種の「空気を読まない」行動をマリーンドルフ伯に提言するに際しては相当な勇気と決断力も必要だったでしょうし、「ラインハルトが敗れたら自分およびマリーンドルフ家は一巻の終わりだ」というリスクは当然考えざるをえなかったでしょう。そしてヒルダは、それでも勝算が高いと判断しえたからこそ、ラインハルトに組する選択肢を選び、その正しさを証明してみせたわけで、それを考えれば、ヒルダもまたラインハルトと同様に「勝者に与えられる当然の権利」を享受できる資格があるといえるのではないでしょうか。
 これに対して、薬師寺涼子の考えはヒルダやラインハルトとは似て非なるもので、あの女は自分が敗北する可能性など寸毫たりとも考えていないし、勝利するのが当然というスタンスなのですよ。だから薬師寺涼子は一方で、自分が絶対に勝てない姉と命令に逆らえない父親に対しては正面対決すらできず、「負け犬の遠吠え」的な陰口を叩くだけでひたすら逃げ回ってばかりいるわけです。ヒルダやラインハルトがそんな醜悪な態度を取っていたりしているのですか?
 勝者は全てを手に入れ、敗者は全てを失う権力闘争を、当事者全てが承知の上でやっている状況で、敗者を思いやり、情けをかけるという行為はむしろ間違ってすらいるでしょう。現実世界の歴史を見ても、古代ローマのカエサルや日本の平家一族のように、権力闘争の敗者に情けをかけて恩赦や減刑などしたばかりに己の身の破滅を招いた事例もあるわけですし、一度「勝者に与えられる当然の権利」を行使するからには、徹底的に行使し尽くさなければ却って将来的な禍根を残す事態にもなりかねないのです。
 権力闘争や国家間戦争における「勝者による敗者へのリンチ」と、統治における開明性は全く別のカテゴリーに属するものなのですから、前者があるからといって後者が否定されることは全くありません。「政治的敗者に苛烈な処断を下した名君」などいくらでもいるのですし、その2つの問題は分けて考えるべきなのでは?

 

<私が言いたかったのは、理屈ではなく感情論です。
子供まで処刑されたという事実に、専制国家で抑圧されてきた国民だからこそ「結局、弾圧の対象が変わっただけで、同じことではないか?」という不安を抱くのは自然ではないでしょうか。>

 感情論の問題であればなおさら、貴族に抑圧された平民階級達はその復讐心も手伝って「奴らを皆殺しにしろ!」的な主張に自ら率先して賛同するでしょう。リップシュタット戦役末期における平民達のラインハルト陣営への寝返りや、同盟と門閥貴族残党が結託した際の平民階級の熱狂的な反応を見ても、そう考えざるをえないのですが。
 相手が「ラインハルトと手を組んでいたリヒテンラーデ公」であっても反応は全く変わらないでしょうね。元々平民階級が期待を寄せていたのはあくまでもラインハルトひとりなのであって、リヒテンラーデ公などはこれまでフリードリヒ四世の政治に10年以上も携わっていた事情も手伝って、平民階級から見れば「最優先で殲滅されるべき有力門閥貴族のひとり」でしかなかったでしょうから。
 そして一方、ラインハルトはリップシュタット戦役が終結して自分が全権を握ると、たちどころに法改正を行い、「九族皆殺し」的な法律を全て撤廃しています。これによって平民階級は「自分達が今後貴族から不当な刑罰を下されることはない」「親戚の犯罪に自分が巻き込まれる心配はなくなった」と法理論的にも感情的にも安心することができるわけです。
 恨み募る貴族達が処刑されることで溜飲が下げられ、一方で自分に害が加えられることはなく、それどころか恩恵が与えられるというのであれば、そりゃ平民達は喜んでラインハルトを「感情的にも」支持するでしょう。自分達の生命と財産と安全が確保されるのであれば、他人、それも恨み募る人間がどうなろうが知ったことではない。それが人間の本質というものなのですから。

 

<また、特別に優しい人間でなくとも、女という生き物は、同じ女のことが気になるものなのですよ。9月1日付の記事に書いた楊貴妃のように、つい自分と重ね合わせて、顔も見たことのない女性に同情したり、軽蔑したり、優越感を感じたりするのが女なのです。
だからこそ、他人のプライバシーを暴いた女性週刊誌が売れるし、三人集まれば井戸端会議が始まるのです。(笑>
<現代社会でも、男性は、人の噂話をする女を嫌う傾向があるようですし、確かに、他人のゴシップ的なことに異常に興味を示す女性というのもあまり美しいものではありません。しかし、女性のそういった感性は、時として歴史を良い方向にも悪い方向にも動かしますので、軽視できない面もあるのです。>

 確かに田中芳樹は、ワイドショーや週刊誌における「芸能人のゴシップネタをひたすら追いかけるスタンス」を全否定的に見ているところがありますね。現代世界が舞台になっている創竜伝や薬師寺シリーズでは、その手の芸能問題の報道にうつつを抜かすワイドショー番組や週刊誌をボロクソに罵りまくっていますし。
 田中芳樹の対談・インタビュー記事や「らいとすたっふ」のブログを読んでいても、田中芳樹が芸能問題に触れている形跡がほとんどありませんし(野球通ではあるみたいなのですが)、おそらくは純粋にその手の問題に興味も関心もなく、それにもかかわらず大々的に報道されまくるので反発は覚えている、といったところなのでしょう。かくいう私自身も、芸能・スポーツ問題についてはやはり興味も関心もなければ知識も一般人未満のレベルしかありませんし(ネットワーク対戦クイズゲーム「Answer×Answer2」でも絶望的に弱い分野です(T_T))、「そういう細かい下らないこと」で政治をかき回して欲しくないとはやはり考えるクチなので、その気持ち自体は理解できなくもないですね。
 ただ、他人のプライバシーやゴシップ記事を追う楽しさというものについては、私もタナウツサイトにある田中芳樹の作家プロフィールページを、田中芳樹の著書や「らいとすたっふ」ブログの記事を元に作成していた際に結構味わってはいましたね。ついでにその時にワイドショーや週刊誌がアレだけ世間一般受けする理由も知ることになったのですが(苦笑)。

 

<作中では、民主主義の弊害についてばかり言及されていますが、普通に考えて、民主主義よりも専制(独裁)政治の方が遥かに腐敗するリスクが高い政治形態ですし、一度腐敗し始めたら、民主主義など比較にならないほど加速度を増して腐敗していくのが独裁体制であることは、歴史をかじったヤンが知らないはずはありません。
それは、ゴールデンバウム王朝で実証済みなことです。
ヤンが、戦火を交える前に、どうしてこの理屈を真正面からラインハルトに突きつけなかったのか不可解です。>

 会戦前に、それも政府の許可も得ずにラインハルトに会談を申し込むなど、それこそシビリアン・コントロールの観点から言っても不可能でしょう。戦国時代初期以前の「やあやあ我こそは……」的な名乗りから始まる合戦じゃあるまいし、下手すれば敵前逃亡罪や反逆罪・スパイ容疑にも問われかねない行為です。
 しかも銀英伝世界では、とりあえずは民主主義国家を名乗っている同盟が、専制政治たる帝国に敗北しているわけです。その事実ひとつだけでも、すくなくとも銀英伝世界では「民主主義に対する専制政治の優越」が確立されているのですし、民主主義の弊害で自己破綻した同盟の立場で、その時点では全く表に出ていない専制政治の弊害を指摘したところでむなしい限りでしょう。実際、そういうラインハルトの主張にヤン側の説明は押し切られています。
 現実世界でも、今から見れば滑稽な限りですが、かつての旧ソ連が健在だった頃、当時のソ連の技術的・軍事的優越を元にソ連優位論が唱えられていた時期があります。その当時の人達に「ソ連は構造的な問題から将来的には自壊する」などと教えたところで大多数の人が「そんなバカな」と笑い飛ばしたことでしょう。これを見ても「将来の確定していない脅威」よりも「現実の確実な結果」の方がはるかに万人を説得できるものなのです。平民階級の生活水準を向上させ、130年以上続いた戦争に終止符を打つという「現実の確実な結果」を出したラインハルト相手に、現実で劣勢な側が「将来の確定していない脅威」を突きつけても、ラインハルトが説得に応じることはまずなかったでしょうね。

 

<フェザーンにしろハイネセンにしろ、武力での抵抗が困難だと判断したら、水面下で市民同士が呼びかけて、ストライキを敢行して抵抗するという手段があったはずです。
都市機能が麻痺してしまたったら、さすがの帝国軍もなす術がないでしょう。
武器を持って抵抗してくる市民は武力で鎮圧できても、何もしないことで抵抗する人間を片っ端から射殺するわけにはいきませんから。>

 実際、銀英伝4巻でフェザーン駐在武官として赴くユリアンに対してそのような煽動を行うよう指示し、ユリアンは一部それを実行していますので、その辺についてはヤンも「やることはやっている」のではないでしょうか。結果的には時間的余裕もありませんでしたし、不発に終わった感はありますが。
 ただラインハルト率いる帝国軍は、フェザーンにせよハイネセンにせよ、占領するとすぐさま現地住民の生活を優先的に安堵するよう努めていますよね? フェザーンもハイネセンも、占領直後は茫然自失状態で特にこれといったナショナリズム的な盛り上がりもなかったようですし、そもそも自分達の生活がとりあえずは安堵されるという状況下で、わざわざ暴動なりストライキなりを起こして帝国に逆らおうとする人間はむしろ少数派なのではないでしょうか? もちろん、占領が長期化し、生活に多大な支障を来たす状態が発生するようになれば、暴動やストライキが頻発する事態にも発展することはあるでしょうが、占領直後すぐさま……というのは、何らかの具体的なきっかけ(たとえば帝国軍兵士による大量の虐殺行為が発生し、それが大々的に喧伝されるとか)でもないと難しいでしょう。
 それに下手にストライキを起こした結果、市民生活が悪化したりすれば、帝国軍以上にむしろ現地住民の方から「いい加減にしろ!」的な声が出てくる可能性もありますし、そうなれば帝国側は全ての責任をストライキ側に押しつけ、容赦のない弾圧を加えることができるようになります。マハトマ・ガンジーの無抵抗不服従的なストライキも決して万能の武器などではありませんので、その実効性はあまり過信しない方が良いのではないでしょうか。

 

<これは、OVAを見ても原作を読んでも、実際にエルフリーデの尋問に当たり、報告書を作成したのは、ブルックドルフである描写です。
ラングは、その報告書内容を元にブルックドルフから弾劾権を取り上げ、自分の都合のいいように事を大げさに騒ぎ立てたという感じです。>

 その該当箇所は、銀英伝原作にはこういう記述で書かれているのですが↓

銀英伝7巻 徳間ノベルズ版P199下段~P200上段
<軍務尚書オーベルシュタインの諒解と、内国安全保障局長ラングの協力のもとに、ブルックドルフはフェザーンに臨時執務室をかまえ、ロイエンタールの身辺調査に乗りだした。そして、いささか拍子ぬけするほど容易に、エルフリーデ・フォン・コールラウシュという女性の存在をつきとめてしまったのである。
「ロイエンタール元帥は、自邸に、故リヒテンラーデ公爵の一族をかくまっておられる。あきらかに陛下の御意にそむくもの、大逆に類するといっても過言ではありません」
 興奮を隠そうとしてラングは失敗し、毛細血管を破裂させた目で司法尚書を煽動した。ラングはやや不愉快にもなり、法律家としての良識もあって、当のエルフリーデという女性から直接、事情を聴取することにした。あまり容易に女性の存在が知れたので、すべてがロイエンタールに反感を有する者の工作ではないか、とも思われたのである。だが、エルフリーデは拒絶もせず聴取に応じ、結果はラングを狂喜させることになった。
「その女はロイエンタール元帥の子をみごもっている。それを伝えると元帥はそれを祝福し、この子のためにより高きをめざそう、といった――と、女は証言している」
 すくなくとも心の奥では、ラングは歓喜のワルツを踊ったことであろう。彼はまずロイエンタール弾劾の権限を司法尚書からもぎとった。ロイエンタール元帥は陛下の御意にそむいてはいるが、成文化された法律に反してはいないから、ことは司法省の管掌するところならず――というのが理由である。報告書に名前を利用されただけと知ってブルックドルフは激怒したが、結局、法律至上の罠に足をとられた自分自身の愚劣な失敗を思いしらされ、せいぜいいさぎよくしりぞくしかなかった。>

 また、エンサイクロペディア銀河英雄伝説に掲載されているブルックドルフの紹介文でも、

<内国安全保障局長ラングに乗せられ、フェザーンに移動しロイエンタールの身辺を調査。エルフリーデ・フォン・コールラウシュの存在を突き止める。以後、その女性をラングに奪われ、報告書にのみ名前を利用された。>

と書かれており、エルフリーデの存在を突き止めて以降はラングが主導権を握っていることが明示されているのですが。
 OVAはともかく「原作を読んでも」と書かれているところを見ると、Jeriさんが読んでいる銀英伝の版と私が元にしている徳間ノベルズ版で記載内容が違っている可能性がありますね。Jeriさんは創元SF文庫版か徳間デュアル文庫版を元に銀英伝について言及しているのでしょうか?

 

<名前は、「オスカー」ではダメでしょうか?
彼女だけが密かに子供に呼びかけていた。
だけど、それを他人に言ってしまったら、自分がロイエンタールに惚れてることを認めることになってしまうので、彼女の誇りがどうしても子供の名前を呼べなかった。
という解釈はいかがでしょうか?>

 そんなまだるっこしいことをわざわざするくらいならば、素直に別の名前を付けた方が良さそうな気がするのですが(笑)。処刑されたリヒテンラーデ公から名前をとって「クラウス」とか。
 それとエルフリーデには、ミッターマイヤー一家に預けた子供といつか再会する気はなかったのか、という問題もあるんですよね。子供を預けた後に自殺でもする気だったのであれば子供に対し大変無責任であると言わざるをえませんし、とりあえずは生きるけど子供のことは完全に忘却するつもりだったとしたら、それこそ子供に対する愛情は皆無であると断定するしかありません。そして、そのいずれでもなく、いずれ再会する気があったのであれば、間違いなく自分で子供に名前を付けようとするのではないかと考えてしまうわけです。
 子供を預けられたミッターマイヤー夫妻が、子供に「幸福」の願いを込めて「フェリックス」と名付け喜び合う描写が印象的なだけに、子供に名前すら残さなかったエルフリーデの酷薄ぶりが一層際立つんですよね。子供には当面ミッターマイヤー夫妻が名前を付けたということにして、大人になったら真実を話すという形にしても良いはずですし、適当でも良いからエルフリーデが子供に何か名前を残していれば、そこからエルフリーデの子供に対する感情について忖度する余地も出てくるのですけど……。

 

<作中のロイエンタールって、そこまで残酷になれるキャラでしょうか?
完璧な人格者とは言わないまでも、少なくとも、公人としては皇帝の信任も篤く、部下からも慕われる善玉キャラにカテゴリされる人だったはずです。>

 公人としては公明正大かつ部下に慕われている人物でも、家庭内では暴君同然に振舞っている、という事例はいくらでもありますし、その逆もいます。他ならぬロイエンタール自身、公人としては類稀な有能ぶりと人望を持ちながら、プライベートな女性関係では相当冷酷な振る舞いをしたりしていますし、ラングなどは逆に「公人としては論外だが、家庭内では良き夫&父親」な人物です。公人としての評価と私人としての振る舞いは分けて考えた方が良いでしょう。
 そしてロイエンタールは「子供を身篭っていることを知っていたら即座に堕胎させていた」と公の場で明言していますし、ロイエンタールはすくなくとも公式の場で冗談を言うタイプの人間ではありません。ならばロイエンタールの堕胎発言およびそこから派生する子供に対する害意は「本気で実行に移す」という前提で受け止め、対策を立てなければならないのは自明の理というものです。

 

<ロイエンタールが幼少時のトラウマを抱えているのをヒルダは知らないはずです。
私が言いたいのは、あの時期に、出産後の全てを決めてしまうのではなく、然るべき施設に移して出産させた後、母子の様子を見ながら、養子に出すか母子が一緒に暮らすか判断してもよかったということです。
エルフリーデの処遇に関しては、一緒に暮らすにしろ、金を与えて生活に困らない程度の保障をするにしろ、妊娠させたロイエンタールに責任を取らせるのが最も道理に適うと思います。>

 ロイエンタールの虐待の件については、ヒルダが知っているかどうかではなくて「幼少時のロイエンタールに叩きつけられていた【ような】」と述べているように「銀英伝の作中でも明示されている分かりやすい虐待」の事例のひとつとして出したものです。両親の口から虐待の可能性が公言されているのであれば、虐待の内容が「幼少時のロイエンタールに叩きつけられていた」ようなものであろうがネグレクトや暴力の類であろうが関係なく、ヒルダとしては対策を打たなくてはならない、ということです。
 それに前にも述べましたが、エルフリーデには流刑本体とは別に、流刑地を勝手に離れた脱走罪とロイエンタール暗殺未遂、それにロイエンタールを陥れることを意図した虚偽罪がすでに発生していますから全くの無実ではありえませんし、それを無視して無罪放免というやり方も間違っているでしょう。エルフリーデに対してそのようなやり方をしてしまうと、それが前例になって、今後エルフリーデと同様の手法で帝国の高官の暗殺を画策したり陥れたりしようとする人物が現れても同じ対処を行わなくてはならなくなります。まさに今後の禍根を残しかねないやり方であるわけです。
 流刑とは別に新たな罪を犯してしまったエルフリーデを無罪放免するわけにもいかず、また将帥としては有能でも、プライベートな場では人格破綻者的要素も少なからず存在するロイエンタールが、己の堕胎発言を本気で実行すべく、エルフリーデと子供をこの世から消去するという選択肢を取る可能性も全否定はできない以上、ヒルダの提言は状況から許される限りの「最善」とは言わぬまでも次善とは判断しえるものだったのではないでしょうか。そして何度も言っていますが、ヒルダ本人もそう考えているからこそ、「最善であるかどうか、かならずしも自信はございませんが」と述べているわけですし。

Jeri Eメール URL 2009年09月09日(水)04時05分 編集・削除

>銀英伝の作中ではそれができるだけの時間も
>余裕もなく、2人を取り巻く政治的情勢も生
>活環境も多大な混乱を来たし続けてひっきり
>なしに対処に追われる状態にあったのですか
>ら、その辺りの事情を無視するわけにはいか
>ないのでは?

そうですねぇ・・・
もし、ラインハルトがあと5年生きていたら、二人の関係はどうなっていたのかは、興味があります。
アンネローゼと離れたラインハルトは、時にヒルダに当り散らしたり、最期は、冒険風ライダーさんの仰るように「弱肉強食・内戦肯定・易姓革命的」無責任な主張だけして後事を全てヒルダに押し付ける形で亡くなってしまいました。
ラインハルトは、キルヒアイスに甘えきっていた自分をキルヒアイスの死後に後悔していましたが、ヒルダに対しては、ある意味それ以上に甘え切って、多分死ぬまでその自覚もないままだったでしょう。
一方のヒルダは、ラインハルトとは対照的に、遂にただの一度も女として彼に甘えることなく終わったのかと思うと、どうしても不公平感が拭えないんですよね。
彼女は元々他人にワガママを言うようなキャラではないので、それが彼女らしいと言えばその通りなのですが、いかに逼迫した状況下にあったとはいえ、よく考えてみると、あの二人は、作中の未婚カップルの中では、最も一緒にいた時間が長いんですよね。
ヤンとフレデリカには10年近い空白期間があったことを思えば、ヒルダは19歳でラインハルトと知り合い、ほぼ常時行動を共にし、23歳で男女の関係になり、24歳で結婚したわけですから、単純に時系列だけを追えば、ごく自然・・・というか一番まともなカップルですよね。(笑

>「勝者に与えられる当然の権利」

>勝者は全てを手に入れ、敗者は全てを失う権
>力闘争を、当事者全てが承知の上でやってい
>る状況で、敗者を思いやり、情けをかけると
>いう行為はむしろ間違ってすらいるでしょう。

その理論は充分理解できます。
が、それは権力闘争の当事者達と、自身の意思など全く関係なく巻き添えを食らった女子供とは分けて考えるべきではないでしょうか。
私がこの銀英世界の原則に、どうも一つ釈然としないのは、銀英伝が「未来の人類社会」を舞台にしている設定のせいかもしれません。
騎馬戦で戦争をやる遥か古代の話だったり、何でもありの異世界が舞台の話しなら素直に受け入れられたのでしょう。
その昔、OVAから入った銀英ファンの人達4人くらいとこんな会話をしたことがあります

「ところで、姉ローゼ様のお友達の男爵夫人は、何時の間にかいなくなっちゃったね」
「ヴェストパーレ男爵夫人は原作では外伝にしか登場しないよ。OVAだとクロプシュトック事件やベーネミュンデ事件のあたりが原作と違うから本伝の第一期に登場したけど」
「あの方、結構好きだったし、濃いキャラだったんで第四期あたりで再登場してもうちょっと活躍して欲しかったんですが。姉ローゼ様がフロイデンに引篭もってからどうしちゃったんでしょ?」
「実はヴェストパーレ男爵夫人は、ひいばあちゃんの従姉妹の嫁ぎ先の兄弟がリヒテンラーデ一族と結婚していたんで、とばっちりで流刑地にいるんです。だから再登場できなかったんですよw」

なーんて、冗談で笑いあったことがあります。
さすがにそれはないでしょうが、なにせ、ラインハルトは、自分のオーディンへの帰還を待たず、処罰される側の人間を確認もせずに即決で処刑&流刑にしてますから。
厳しい階級社会であればあるほど、貴族なんて皆どっかで姻戚関係で繋がっていることが多く、現実問題として権力闘争で敗れた方の一族を皆処罰するのは難しいはずですし、本気でやったらどこかに自己矛盾が生じるのではないでしょうか。
実際、もしラインハルトの台頭がなければ、あの世界は最終的にブラウンシュバイク公とリッテンハイム候の争いになっていたはずですが、もし、勝者が敗者に対しリンチ的処罰を下そうとすれば、双方の夫人同士は姉妹ですし、加担する貴族達も両方それぞれと縁戚関係を結んでいる者も多いはずです。(ミッターマイヤーが少将時代に処刑した部下がそんなことを言ってましたよね?)
もちろん、それさえ承知の上で、実の親子兄弟が、権力闘争の末に殺しあった歴史などいくらでも例があることは承知しています。
しかし、仮にも一方に民主主義思想が生きている未来社会で、いくら専制国家とはいえ、ラインハルトは明らかにやり過ぎたと思います。
リヒテンラーデ公本人や、その周辺で利権にありついていた者達や、公職についていた者、更に範囲を広げれば、爵位のある家の当主と成人男子の親族は、例外なく処刑というところまではやむを得ないでしょう。
しかし、元々女性に自分の人生を選ぶ権利のない男尊女卑社会で、どこまで親しい付き合いだったかわからない大叔父のせいで、女と子供まで処分の対象とされたら、エルフリーデでなくとも流刑地を抜け出して一矢報いてやりたくもなります。
立場が逆ならということを承知していたというなら、ヒルダを含めたローエングラム陣営の当事者は全員処刑なのは、覚悟の上だとして、アンネローゼやエヴァは流刑で、病弱なキュンメル男爵やミッターマイヤーの父親、ケンプやアイゼナッハの息子達も10歳以上なら一緒に処刑されていたということになります。
互角の立場での権力闘争ですから、当事者同士が、敗者を思いやり、情けをかける必要は確かにないと思いますが、否応なく巻き込まれたその家族親族に情けをかけることが、そんなに間違っているでしょうか?

現実世界の歴史を見てもということで、日本の平家一族のことを仰られたので、昔、吉屋信子の『女人平家』という小説を思い出しました。
冒険風ライダーさんが生まれる前に、吉永小百合主演でテレビドラマ化もされたそうですが、残念ながら私もさすがにリアルでそれを見てはいません。
一般的には、平家は壇ノ浦で滅亡し、生き残った僅かな血族も後に源頼朝に処刑されて根絶やしにされたような印象ですが、実は、清盛の親族で、壇ノ浦に同行した者は一部で、建礼門院以外の公卿に嫁いでいた娘達は皆京に残り、その後も源氏によって処罰されることもなく生き延び、その子孫は名門公家として無事に、鎌倉、室町、安土桃山、江戸時代へと血脈を繋ぎ、明治以降は叙爵されてそれぞれ華族として、その子孫は現在まで日本の上流社会の中で健在です。
ある意味、途中で本家が事実上滅んでしまった源氏よりも、ずっと栄えていたと言えます。『女人平家』のラストは、主人公の妹の「平家は女系によって今も滅びませぬ。」という言葉だったと記憶しています。(何分古い話しなのでうる覚えです)
この話しの中で、当然のことながら、壇ノ浦で入水し、源氏の兵に助け出された建礼門院達のその後の生活は困窮します。
史実かどうかは判りませんが、それを知った勝者側である北条政子が、「いかに平家の人間とはいえ、かりにも帝の母たる方が、衣食に不自由するような生活ではあまりに哀れ」というような内容のことを言って、建礼門院とその女房達の対面を保てる生活を保障するという場面があります。
この政子は、作中、建礼門院はおろか、平家側の女性の誰とも面識はありませんし、優しいたおやかな女性というよりも、多くの歴史小説が描く気丈で男勝りなオーソドックスな北条政子です。
北条政子と言えば、源義経が登場する小説やドラマでは、必ずと言っていいほど、静御前に同情し、「しずの舞」で怒る頼朝を宥め、逆に静の根性を賞賛する場面が有名です。
彼女は、勝者側でありながら、敗者側に生まれてしまった清盛の娘達や兄と敵対した義経の愛人に情けをかけたのです。
兄弟で殺し合うのが伝統のような源氏も、清盛の直系でありながら、他家に嫁いだ娘とその夫や子供は処断の対象にしていません。
こちらは、情けというよりも、武家同士の覇権争いで、公家の無駄な血を流したところで、益がないと判断されたのでしょう。
これは間違っているのでしょうか?

>その2つの問題は分けて考えるべきなのでは?

帝国の国民の民度って、紀元前レベルまで低下してしまったんでしょうか。
確かに、500年続いた封建国家と、130年続いた戦争が国民の意識を1700年前の現在の私たち以下にしてしまったとしても仕方がないのかもしれません。
ラインハルトは、司法権も立法権も握っている独裁者です。
今は、平民にとって良い法律を作って、恩恵に浴することができますが、感情に任せて他人を簡単に裁く危険な気質の持ち主でもあり、今後、彼のリンチの対象がいついかなる気まぐれで変わらないとも限らない・・・私があの世界の住人ならそう懸念します。

>ワイドショーや週刊誌について

これについては、稚拙ながら昨日のグログに私の考えを書いておきます。

>無抵抗不服従的なストライキも決して万能の
>武器などではありませんので、その実効性は
>あまり過信しない方が良いのではないでしょうか。

確かにそうですね。
ラインハルトって、フェザーンにしても、同盟にしても、占領したからと言って、別にそこを植民地化したり、住民を奴隷化して、私腹を肥やそうというわけじゃないんですよね。
私のような小市民の考えでは、戦争さえしなければ、相手が腐敗していようが、大きなお世話だと思えるんですけどね。
なんでそんなに宇宙を「統一」したいのか、最期までよくわかりませんでした。
ただ単に、あるゲームを制覇したら、より難しいゲームを制覇したがる心境と同じなのではないかと思えてきます。

>エルフリーデの尋問

すみません。今手元に7巻がないのですが、ご指摘の該当箇所の

<ラングはやや不愉快にもなり、法律家としての良識もあって、当のエルフリーデという女性から直接、事情を聴取することにした。>

という箇所の「ラング」を私はOVAの画面の印象が強かったのか、「ブルックドルフ」に読み違えていました。
勘違いでしたら、すみません。
私は、ほぼ初版の徳間文庫を持っていたのですが、あまりにボロボロで、しかも引越しの際に捨ててしまった為、今は、巻によって、創元SF文庫版と徳間デュアル文庫版をつぎはぎで持っています。

>そんなまだるっこしいことをわざわざするく
>らいならば、素直に別の名前を付けた方が良
>さそうな気がするのですが(笑)。

それが「女心」ってもんなんですってば。(笑
恐らく、名前は、彼のことを最後まで「お前」としか呼べなかったエルフリーデのロイエンタールへの思いなのですよ。
きっと、「オスカー」「オスカー」と、ロイエンタールを呼べなかった分、息子に話しかけたと思いますよ。
いくら本筋に関係ないとはいえ、女性の描きこみが足りなさ過ぎる銀英伝ですが、その中でも郡を抜いて謎の行動をとり、その重要度に反して描かれなさ過ぎているのがエルフリーデです。
私は、多分、作者は本当は、エルフリーデが自分と子供の間だけで名前を呼んでいる場面や、目に涙を溜めて従卒に赤ん坊を託す場面、ミッターマイヤーについて総督府を出る息子を影から見送るという場面を書きたかったのだと思っています。
ただ、他のカップルと違って、こういう重い恋愛の結末や心理描写を書ききる自信が、当時(今もか?)の作者になかったので、苦手分野をあえて避けたのではないでしょうか。他の主要キャラカップルが、少年漫画の高校生カップルののりであるのに対し、ロイエンタールとエルフリーデだけは、少女漫画を通り越してレディコミ的すらあります。
作者にとって、自分が生み出したとはいえ、この二人は、最も苦手とするジャンルのカップルになってしまったので、あとはもう、読者が描かれていない場面を勝手に想像して補ってくれという心境だったのでは?

>堕胎発言

ラインハルトの審問の前での「即座に堕胎させておりました」という言葉は、私もその時はロイエンタールの本心だったと思います。
しかし、実際に臨月のエルフリーデを目の前にしたら、本当にまた同じ気持ちでいられるでしょうか?
無理矢理病院へ連れて行き、堕胎というより7ヶ月の胎児なら中絶よりも、掻爬ですね。
1700年後の医療なら、母体に危険はないでしょうが、これは中絶というより胎児殺しです。自分も母親に殺されそこなったロイエンタールが、同じことを進んでやるとしたら、もう救いがありません。
私は、フェリックスを最期に見たロイエンタールが、何とか長年のトラウマを乗り越えて旅立っていったと思いたいんですけど。

>エルフリーデに対してそのようなやり方をし
>てしまうと、それが前例になって、今後エル
>フリーデと同様の手法で帝国の高官の暗殺を
>画策したり陥れたりしようとする人物が現れ
>ても同じ対処を行わなくてはならなくなりま
>す。まさに今後の禍根を残しかねないやり方
>であるわけです。

ローエングラム王朝下では、そもそもエルフリーデと同様の人間が今後出るのでしょうか?
エルフリーデの脱走もロイエンタール暗殺未遂も、元はと言えば、自分自身は全く罪を犯していないのに、その出自自体が罪とされ、理不尽にも流刑に処されたことが発端です。エルフリーデも、貴族社会で生きてきた人間ですから、政争で敗れたリヒテンラーデ公や父親の処刑に関しては、恨みはあるものの、ある程度納得はできると思います。
問題は、無関係な自分や母親、もし兄弟がいれば10歳以上で処刑されたことでしょう。
ローエングラム王朝下では、たとえ国事犯といえども、その家族まで連座されることはない法律だそうですから、今後エルフリーデと同じ立場の人間は現れないことになります。第一、ラインハルトは、キュンメル男爵という大逆犯の身内でしかも重職に在ったヒルダとマリンドルフ伯を無罪放免していますから、立派な「前例」を作っています。
そして、忘れてはならないのは、キュンメル男爵は地球教徒に利用されていたとはいえ、「皇帝」であるラインハルトの命を狙った、大逆犯ですが、リヒテンラーデ公は、たとえ暗殺計画が事実だったとしても、当時のラインハルトは皇帝ではなく公爵と元帥だったのですから、大逆罪にはなりません。


前にもコメントして下さった方がいましたが、私も本当に、ロイエンタールが、弾劾前に、ラインハルトに「実は私邸にリヒテンラーデ一族の女を囲ってまして、その女と結婚したいんです」と言ったら、面白いことになったと少し意地悪く考えたことがあります。
だって、ラインハルトは、「臣下の私生活に干渉しない」ということが開明的な名君の証と思っているわけですから、国家の元勲たるロイエンタールが自ら結婚したいというのを、相手の出自という封建的理由で反対するわけにいかないでしょう。
自分は、臣下の意思を尊重する名君でいたい、でも、リヒテンラーデ一族だけはまずい、でも、ロイエンタールとの個人的な友誼もあり、彼にも幸せになって欲しい・・・
「葛藤を避ける」のがお約束のジュブナイル小説の中で、真剣に悩んでしまうラインハルトくんを見てみたいです。

冒険風ライダー Eメール URL 2009年09月10日(木)22時41分 編集・削除

<立場が逆ならということを承知していたというなら、ヒルダを含めたローエングラム陣営の当事者は全員処刑なのは、覚悟の上だとして、アンネローゼやエヴァは流刑で、病弱なキュンメル男爵やミッターマイヤーの父親、ケンプやアイゼナッハの息子達も10歳以上なら一緒に処刑されていたということになります。
互角の立場での権力闘争ですから、当事者同士が、敗者を思いやり、情けをかける必要は確かにないと思いますが、否応なく巻き込まれたその家族親族に情けをかけることが、そんなに間違っているでしょうか?>

 もちろんラインハルト陣営の面々は、立場が逆になれば自分達こそが一族郎党まとめて処刑や流刑の憂き目に遭うことなど最初から百も承知だったでしょう。門閥貴族連合軍の貴族達は、私的にも公的にもラインハルト陣営を殲滅するという大義名分に賛同していたわけですし、そもそも彼らには「九族皆殺し」的なゴールデンバウム王朝の法律を否定しなければならない理由がありません。
 ゴールデンバウム王朝には、開祖ルドルフが死去した後に勃発した叛乱を鎮圧した際、叛乱に参加した5億人以上を殺し、その家族など関係者100億人以上を農奴階級に落としたという歴史があります。そして彼らは、その慣例を490年近くにわたって他者に押し付けて続けてきたわけですから、「自分達が作ったやり方に殉じろ」とラインハルト陣営が考えるのは当然のことです。他者には「九族皆殺し」なやり方を押し付けて関係ない人間も殺してきた連中を裁くに際してわざわざ慈悲をかけなければならないというのは、残虐な快楽殺人を犯した上に反省も謝罪もない加害者の前で、被害者にのみ一方的な恩情を要求するようなもので、法理論的にも感情的にも不当な行為であるようにしか見えないのですが。
 一方で、ラインハルトは幼帝エルウィン・ヨーゼフ2世の処遇については殺さない旨の明言を行っていますが、これは別に幼帝に情けをかけたわけでもなければ「敗者に対する勝者のリンチの応酬による報復の連鎖の歴史の繰り返しを断ち切るべき」などという崇高な目的から行われたものでもなく、単に「幼帝を殺すことに対する自分達への風評を気にしたから」という「勝者の都合」に過ぎません。政治の世界で「勝者の都合」によって敗者が一方的に裁かれたり裁きが免除されたりする、というのは、前にも言いましたが現実の歴史でも普通に行われてきたことです。
 幼帝とエルフリーデの間に発生する差が何かと問われれば、それは「知名度」「社会的地位に伴う付加価値」であるというのが正しい解答でしょう。実態はともかく、世間一般的かつ形式的には神聖不可侵の地位にある幼帝の死は永遠に隠し続けるわけにもいかず、いずれは公表しなければならないものですし、その際の報道は当然大規模なものにならざるをえず、ある種のワイドショー的な勘ぐりを含めた世間の耳目を集めることになるわけですが、リヒテンラーデ公の親族一同が処刑されたり流刑に処されたりしたところで、平民階級の門閥貴族に対する悪感情と親族一同の知名度のなさと社会的地位の低さも相まって、世間一般の反応は「そんな奴らのことなど知ったことではない」「誰それ?」程度のシロモノでしかありません。これでは「勝者の都合」で慈悲をかけなければならない対象にはなりえないわけです。
 「勝者の都合」でエルフリーデに恩赦をかけなければならないような価値や政治的事情は、ローエングラム王朝にもラインハルト個人にもないのです。

 

<彼女は、勝者側でありながら、敗者側に生まれてしまった清盛の娘達や兄と敵対した義経の愛人に情けをかけたのです。
兄弟で殺し合うのが伝統のような源氏も、清盛の直系でありながら、他家に嫁いだ娘とその夫や子供は処断の対象にしていません。
こちらは、情けというよりも、武家同士の覇権争いで、公家の無駄な血を流したところで、益がないと判断されたのでしょう。
これは間違っているのでしょうか?>

 これもまさに「勝者の都合」でしょう。当時の源氏が置かれていた状況で下手に公家を敵に回せば、平氏滅亡後も頻発していた「武家同士の覇権争い」や、朝廷を背景とした源氏の勢力基盤に多大な悪影響があったのは確実ですし。
 常に情けをかけることが間違っているのではなく、その時その時の状況や自分の利益に基づいて是々非々に判断すべきということです。

 

<ラインハルトは、司法権も立法権も握っている独裁者です。
今は、平民にとって良い法律を作って、恩恵に浴することができますが、感情に任せて他人を簡単に裁く危険な気質の持ち主でもあり、今後、彼のリンチの対象がいついかなる気まぐれで変わらないとも限らない・・・私があの世界の住人ならそう懸念します。>

 ゴールデンバウム王朝も、その「司法権も立法権も握っている独裁者」的傾向そのものは基本的に変わりませんし、そもそも彼らは「平民にとって良い法律を作って」すらくれず、「感情に任せて他人を簡単に裁く危険な気質の持ち主」で「リンチの対象がいついかなる気まぐれで」平民階級に落ちかかるか分からなかったという点では、ラインハルトよりもゴールデンバウム王朝の歴代皇帝&門閥貴族達の方がはるかに深刻かつ回数も比較にならないほど多かったのですが。
 「過去も現在も自分達を虐げ続け、今後も改善の見込みがないゴールデンバウム王朝の政治体制」よりも「とりあえず今は善政を布いてくれるラインハルト」の方を、大多数の平民階級は大いに支持するでしょうね。前にも言いましたが「将来の確定していない脅威」よりも「現実の確実な結果」の方が万人に対する説得力を持ちますし、「自分達の生命と財産と安全が確保されるのであれば、他人、それも恨み募る人間がどうなろうが知ったことではない」というのが人間の本質というものです。それは、今後人間がどれほどまでに技術的に発展しようと、決して変わることはないでしょうね。

 

<私のような小市民の考えでは、戦争さえしなければ、相手が腐敗していようが、大きなお世話だと思えるんですけどね。
なんでそんなに宇宙を「統一」したいのか、最期までよくわかりませんでした。>

 ラインハルトの有無と関係なく、帝国と同盟は130年以上も慢性的な戦争状態が続いていましたし、それによって両国共に毎年多大な財政難と戦死者を出しています。宇宙を統一すればその状態に終止符を打つことができると共に、戦争で無意味に浪費されていたカネと人を宇宙開発や民生といった別の分野に振り分けることもできるようになるのですから、その点では宇宙統一には万人が認める大いなる意義があるでしょう。
 そしてだからこそ、同盟が滅んでその宇宙統一が達成されたにもかかわらず戦争を求め続けた挙句、もっともコストパフォーマンスが劣悪なやり方で多大な犠牲を出した上、政治的結果すらも得ることができなかったラインハルトには大いに問題があることになるわけです。

 

<ただ、他のカップルと違って、こういう重い恋愛の結末や心理描写を書ききる自信が、当時(今もか?)の作者になかったので、苦手分野をあえて避けたのではないでしょうか。他の主要キャラカップルが、少年漫画の高校生カップルののりであるのに対し、ロイエンタールとエルフリーデだけは、少女漫画を通り越してレディコミ的すらあります。
作者にとって、自分が生み出したとはいえ、この二人は、最も苦手とするジャンルのカップルになってしまったので、あとはもう、読者が描かれていない場面を勝手に想像して補ってくれという心境だったのでは?>

 それは確かにあるでしょうね。田中芳樹は自分のところに作品執筆の依頼が来るたびに「ベッドシーンは書けないですけど良いですか?」と依頼者に尋ねるようにしているそうですし。
 銀英伝以降の田中作品を見ても、そこにある男女の恋愛描写というのは、ラインハルト×ヒルダの小学生レベルと、ユリアン×カリンの中学~高校生レベルをブレンドしたようなものばかりですからね~(苦笑)。もっとも、田中作品における読者の対象年齢が中高生中心であることを考慮すれば、それは偶然にも客のニーズと合致していたことにはなるのですが。

 

<ラインハルトの審問の前での「即座に堕胎させておりました」という言葉は、私もその時はロイエンタールの本心だったと思います。
しかし、実際に臨月のエルフリーデを目の前にしたら、本当にまた同じ気持ちでいられるでしょうか?>

 実際に胎児殺しを実行するかどうかはともかく、実行する可能性が本人の口から明言されている以上、それを見越して対処法を考えるのは当然のことです。何の対処法も考えることなく放置し、ロイエンタールが胎児殺しを実行した後に「しまった、対策を打っておけば良かった!」と後悔しても遅いのですから。
 事前に対策を打っておけば、たとえロイエンタールが心変わりしたとしても後悔はせずに済みますし、そういう「後になって後悔しないための対処法」として、ヒルダの提言は間違っているものではない、ということです。
 実行可能性が50%以上もあれば、それは充分に対策を立てなければならない事項になりますよ。「そういう事態が起こる可能性は限りなくゼロに近い」という想定ですら、事前に対策を打つ必要に迫られる事例だってあるのですから。

 

<ローエングラム王朝下では、そもそもエルフリーデと同様の人間が今後出るのでしょうか?>

 出ますよ。今後続くであろうローエングラム王朝の歴史でも政治的混乱や権力闘争は当然発生するでしょうから、流刑の脱走者や(既遂未遂を問わず)高官の暗殺や失脚を画策する人間は動機を問わず一人も出てこないということはありえませんし、またラインハルト以降の皇帝の時代にゴールデンバウム王朝的連座制が復活するということだって起こりえるかもしれません。
 犯罪の背後にどのような動機があろうと、法律上の罪は罪です。動機だけで犯罪が免罪されるような事例があるとすれば正当防衛や緊急避難くらいなものですし、場合によってはそれがあっても罪に問われることもありえます。そして、エルフリーデにそんなものは微塵も存在しない以上、今後発生するであろう流刑の脱走者や、高官の暗殺・失脚を画策する人間を法できちんと裁けるようにするためにも、法律的にはエルフリーデを無罪放免にするわけにはいかないのです。

 

<ローエングラム王朝下では、たとえ国事犯といえども、その家族まで連座されることはない法律だそうですから、今後エルフリーデと同じ立場の人間は現れないことになります。第一、ラインハルトは、キュンメル男爵という大逆犯の身内でしかも重職に在ったヒルダとマリンドルフ伯を無罪放免していますから、立派な「前例」を作っています。
そして、忘れてはならないのは、キュンメル男爵は地球教徒に利用されていたとはいえ、「皇帝」であるラインハルトの命を狙った、大逆犯ですが、リヒテンラーデ公は、たとえ暗殺計画が事実だったとしても、当時のラインハルトは皇帝ではなく公爵と元帥だったのですから、大逆罪にはなりません。>

 キュンメル男爵のラインハルト暗殺未遂事件では、そもそも大逆犯であっても「あくまで地球教に利用された道具に過ぎない」ということから、実行犯たるキュンメル男爵の罪を問わない旨の宣言がラインハルトから出されていて、それに準じる形でヒルダとマリーンドルフ伯の罪も不問にするということになっています。犯行を遂行した当の本人が全く罪に問われていないのに、係累が裁かれるなどということはありえないでしょう。
 そして一方、主犯である地球教については地球教総本部の殲滅を含めた徹底的な弾圧を加える命令が下されていますから、皇帝暗殺未遂の罪そのものを裁いていないわけでは全然ないのです。
 これに対して、リヒテンラーデ公の冤罪の場合、それ自体がラインハルトの覇権の正当性とも密接に関わっています。リヒテンラーデ公の冤罪を認め、その親族一同に恩赦を出すということは、同時に自分が行ったクーデターが実は不当なものであったということをも自分から認める行為に他なりません。ラインハルト個人としてだけでなくローエングラム王朝としても、それは絶対に容認できる行為ではありませんし、その正当性の証とも言える裁きの内容を簡単に覆すわけにはいかないのです。
 罪の重さや法の公正性というよりも、ラインハルトおよびローエングラム王朝の政治的正当性の問題から、両者の対応の違いは出ているというわけです。

Jeri Eメール URL 2009年09月12日(土)01時29分 編集・削除

>宇宙を統一すればその状態に終止符を打つこと
>ができると共に、戦争で無意味に浪費されてい
>たカネと人を宇宙開発や民生といった別の分野
>に振り分けることもできるようになるのですか
>ら、その点では宇宙統一には万人が認める大い
>なる意義があるでしょう。

それは理解できるのですが・・・
終止符を打つ方法がなぜ『統一』という発想になるのかが不思議だったのです。
逆に言えば、停戦・和平ではなぜいけないのか?なんです。
要は、戦争さえやらなければ「無意味に浪費されていたカネと人を宇宙開発や民生といった別の分野に振り分けることもできる」という点では同じでしょう。
だって、他に並存勢力がない状態で、地球人類だけで統一国家を作っても、貿易や外交という他国間での競争原理も働かなくなるし、人類にとって衰退だと思うんですけどね。
大小とりまぜ何十、何百という国が並存する世界で、分裂しているある共通の文化圏を統一国家にすることによって、巨大国家としてその世界での優位性を確保するという中華帝国的な状況ならわかるのですが、同盟と帝国の二カ国しかない状態で、「統一」なんてされても、国民は迷惑なだけだと思うんですが。
確かに一国に統一すれば他国間の戦争はなくなり、その点では民衆に安堵感が生まれるかもしれませんが、同じ国内での内戦という形でも戦争は起こり得るのですから、統一されることで、永久に平和が保障されるわけでないことは、幾度も内戦、内乱を経験している帝国民ならわかるはずと思うのです。
実際、仰るように、ほぼ統一が成った後も、ラインハルトは戦争を求め続けたわけですし、帝国内にも軍部にも、もっと停戦・共存派の勢力が生まれてもいいと思うのです。
銀英世界では、ヒルダがその道はないのかと一度ラインハルトに問う場面がありましたが、「ない。奴等の方でその道を閉ざした」で終わってますから。
また、これ言っちゃおしまいですが、銀英伝の世界って、250億人とか、400億人と書かれている割に、スゴイ人間の数が少ないんですよね。(笑
250億人も人間がいるのに、ラインハルトと違う発想をする集団が生まれないってのが奇妙です。
いくらなんでも250億人を統治するのに、あの閣僚会議の人数は少な過ぎますww
一億三千万人口の日本より小規模なんですから。(笑
まあ、これが「ジュニア小説」の世界なんでしょうね。

>田中芳樹は自分のところに作品執筆の依頼が来
>るたびに「ベッドシーンは書けないですけど良
>いですか?」と依頼者に尋ねる

え? ほんとですか?
田中芳樹に渡辺淳一を期待する出版社なんて元々ないと思うんですが・・・ww
依頼者が田中氏に期待する恋愛描写があるとしたら、それは、中高生レベルの爽やか(?)男女か、腐女子の想像力を掻き立てるような、男同士の友情(?)でしょう。(笑

>銀英伝以降の田中作品を見ても、そこにある男
>女の恋愛描写というのは、ラインハルト×ヒル
>ダの小学生レベルと、ユリアン×カリンの中学
>~高校生レベルをブレンドしたようなものばか
>りですからね~(苦笑)。

それって、仰るように「読者層に合わせた」ということなんでしょうか?それとも、恋愛面に関しての本人の経験や作家としての力量が、25年前からあまり変わってないってことなんでしょかね?w
私は、銀英しか読んでいないのですが、銀英に関して言えば、恋愛描写については、本人も自分が書けない人間であることを認めているふしがあり、思いっきりその部分をすっとばして、省略して書いたことが、かえって成功したように感じました。
苦手分野を下手に書き込んでボロを出すよりは、書かないことによって、その部分を読者の想像に委ね、作品全体の完成度を下げずに済んだのではないでしょうか。

もし、恋愛小説として銀英伝の外伝を書くとしたら、ラインハルト×ヒルダ、ユリアン×カリン、ヤン×フレデリカは、いずれも生々しさの全くないライトノベルズとか、青春小説(死語>笑)のジャンルにカテゴリされるでしょうが、ロイエンタール×エルフリーデは、どうやっても官能小説の領域に入ってしまいますから。

冒険風ライダー Eメール URL 2009年09月12日(土)19時45分 編集・削除

<終止符を打つ方法がなぜ『統一』という発想になるのかが不思議だったのです。
逆に言えば、停戦・和平ではなぜいけないのか?なんです。
要は、戦争さえやらなければ「無意味に浪費されていたカネと人を宇宙開発や民生といった別の分野に振り分けることもできる」という点では同じでしょう。
だって、他に並存勢力がない状態で、地球人類だけで統一国家を作っても、貿易や外交という他国間での競争原理も働かなくなるし、人類にとって衰退だと思うんですけどね。
大小とりまぜ何十、何百という国が並存する世界で、分裂しているある共通の文化圏を統一国家にすることによって、巨大国家としてその世界での優位性を確保するという中華帝国的な状況ならわかるのですが、同盟と帝国の二カ国しかない状態で、「統一」なんてされても、国民は迷惑なだけだと思うんですが。
確かに一国に統一すれば他国間の戦争はなくなり、その点では民衆に安堵感が生まれるかもしれませんが、同じ国内での内戦という形でも戦争は起こり得るのですから、統一されることで、永久に平和が保障されるわけでないことは、幾度も内戦、内乱を経験している帝国民ならわかるはずと思うのです。>

 「停戦や和平による平和」は「統一による平和」よりもはるかに脆いということが歴史的に明らかだからこそ、「統一による平和」が有効であると考えられたからではないでしょうか。銀英伝の作中でも、地球統一時代や銀河連邦の時代には数百年単位で平和が続いていた歴史がありますし、一方で、マンフレート亡命帝の即位で帝国と同盟両国で和平の気運が盛り上がっていたにもかかわらず、皇帝暗殺で1年たらずのうちに元の戦争状態に戻ったという事例もあります。
 元々銀英伝では、アメリカもどきとソ連もどきの巨大国家が13日間の核戦争で互いに応酬しあった末に全世界が荒廃し人口も激減したという「主権国家間の紛争」で塗炭の苦しみを味わい、「もうこんなことはたくさんだ」ということで政治的な統一が成し遂げられたという歴史がありますし、長年にわたる統一国家による平和を謳歌する一方、複数の主権国家が成立するとすぐさま戦争状態が開始されるという歴史が繰り返されてきたわけですから、「停戦や和平による平和」が信奉される余地は元々少なかったでしょう。帝国と同盟の戦争は言うまでもなく、地球統一時代末期の内戦も、事実上「主権国家同士の戦争」のごとき様相を呈していましたし。
 現実世界を見ても、徳川家康の天下統一は日本に250年近くの平和をもたらすと共に、学問の分野では飛躍的な発展(特に国民レベルでの識字率の全体的な向上)が見られましたし、一方、ヨーロッパでは何回国家間による和平条約が締結されても、数年~数十年たらずで再び戦争が発生するというパターンが繰り返された万年戦国時代の歴史があります。「永久に平和が保障されるわけでない」という点では「停戦や和平による平和」も「統一による平和」も同じことですし、その上でどちらが「より」長持ちするかと問われれば、それは間違いなく「統一による平和」の方だというのが解答でしょう。
 しかも銀英伝世界の場合、国家間の対立要因が国家ナショナリズムや政治形態の違いしか存在せず、人種・民族・宗教・言語の違いによる対立や差別といったものが皆無なわけです。そうなると、国家統一に伴うコストや抵抗感・拒絶感といったものも現実世界のそれよりもはるかに軽くて済むわけで、その点でも「統一による平和」の方こそが万人から望まれたことでしょう。
 貿易についても、他国間の貿易であれば、たとえばA国からB国へ製品を輸出する際にB国から関税がかけられ、逆にB国からA国へ原料を持っていく場合はA国から関税が課される、といった類の関税問題が事実上消滅し、貿易業者の金銭的負担が軽くなるという利点がありますし、あのモンゴル帝国の巨大国家建設も、この関税問題の消失が目的のひとつだったという説もあります。貿易の促進という観点から見れば、「停戦や和平による平和」よりもむしろ「統一による平和」の方がはるかに喜ばれるでしょうし、関税による金銭的な負担が減る分、企業間競争も促進されそうなのですが。
 「統一による平和」は「停戦や和平による平和」よりもはるかに長持ちするし利益も大きい、となれば、国民の大多数からそれが支持されるのは当然でしょう。もちろん、征服される方はたまったものではないでしょうが、ローエングラム王朝下の帝国は、征服地域における現地住民の生活の安堵や懐柔にも力を注いでいますし、彼らもまた戦争の負担からは解放されるのですから、長期的には誰もが利益を得られる体制ができるのではないかと思われるのですが。

 

<実際、仰るように、ほぼ統一が成った後も、ラインハルトは戦争を求め続けたわけですし、帝国内にも軍部にも、もっと停戦・共存派の勢力が生まれてもいいと思うのです。
銀英世界では、ヒルダがその道はないのかと一度ラインハルトに問う場面がありましたが、「ない。奴等の方でその道を閉ざした」で終わってますから。>

 あの時の同盟って、門閥貴族の残党と手を組んで簒奪者ラインハルトを打倒するというプロパガンダが同盟の元首たるトリューニヒトによって大々的に喧伝されていましたよね? 「どちらが先か?」という点ではむしろ同盟側から先にラインハルトとの停戦・共存の道を拒否しているのですから、「奴等の方でその道を閉ざした」というラインハルトの主張はまさにその通りとしか言いようがないのですけど。
 同盟側からあんなことを言われているのに帝国側から和平を言い出すなど、ラインハルト個人の矜持以前に帝国の威信にも関わりますし、何よりもラインハルトの支持基盤である平民階級が納得しないでしょう。下手をすればそこから「腰抜けの臆病者」「所詮はローエングラム公も門閥貴族と同じか」という声が上がらないとも限りません。その点でも、同盟側のアクションに対するラインハルトのリアクションは政治的に正しいものだったと言えます。
 そして一方、他ならぬラインハルト自身、「同盟側が皇帝および誘拐犯達を帝国に強制送還してくれば、こちらも当分の間、外交的にも軍事的にも手の打ちようがなかった」と明言していますし、あの件で和平の道が閉ざされた責任を問われなければならないのは、むしろ愚劣な選択肢を軽率にも選んでしまった同盟側の方なのでは?

 

<え? ほんとですか?
田中芳樹に渡辺淳一を期待する出版社なんて元々ないと思うんですが・・・ww
依頼者が田中氏に期待する恋愛描写があるとしたら、それは、中高生レベルの爽やか(?)男女か、腐女子の想像力を掻き立てるような、男同士の友情(?)でしょう。(笑>

 そこはさすがに出版社も分かっているでしょう(苦笑)。実際、創竜伝やアルスラーン戦記の執筆依頼の際に言われた内容は「銀英伝よりちょっと年齢層が低い読者を対象に作品を書いて欲しい」というものだったそうですし。
 ただ、そういうライトノベルタイプの作品でも、ストーリー進行上「ベッドシーンもどき」な描写が必要とされる局面が自然な形で出てくることはあります。もちろん、表現などは本場の官能小説に比べれば相当なまでにソフトかつ抽象的なものに抑えられることにはなるでしょうけど、田中芳樹的にはそういうレベルのものも書かないけど良いか、ということなのでしょう。
 実際、銀英伝でも、ラインハルトとヒルダのベッドシーンどころか、ミッターマイヤー夫妻やユリアン&カリンの接吻シーンですら直接的かつ具体的な描写を避けていたくらいですからね(アニメでは描写されていましたけど)。これは他の作品でも全く同じ傾向にあります。
 ちなみに田中芳樹が「ベッドシーンは書けない」云々の告白を行っていたという元ネタは、銀河英雄伝説読本のP150にあるインタビュー記事です。

 

<それって、仰るように「読者層に合わせた」ということなんでしょうか?それとも、恋愛面に関しての本人の経験や作家としての力量が、25年前からあまり変わってないってことなんでしょかね?w>

 両方でしょうね。元々田中芳樹はその手の官能系描写や「キャーキャー喚くだけの足手まといかつ受動的な女性」が書けないということを昔から公言していますし、また一方では読者受けも狙って「読者層に合わせた」描写に腕を磨いてきた、というわけで。
 ただ、それが高じた挙句にこんな勘違いなタワゴトをほざくのはどうにかして欲しかったところですけど↓

毎日新聞 2008年1月6日記事
作家・田中芳樹さん語る 「涼子は大物女優」 薬師寺涼子の事件簿
<||女性の主人公ですね
(田中)
 「薬師寺涼子……」シリーズは、女性の読者に気持ちよく読んでもらえるよう、女性の心理描写、行動原理などを踏まえて書いています。私も男ですから、男の視点になりやすいので、そこは気を遣っています。泉田準一郎の視点で書いているのもワンクッション置きたかったからです。続くと思わなかったですが、女性ファンから「気持ち良く読めた」と言ってもらえて自信が付きました。それでも試行錯誤の連続ですね。>

 いや、あれのどこが「女性の心理描写、行動原理などを踏まえて」いるものなのかと(笑)。


<私は、銀英しか読んでいないのですが、銀英に関して言えば、恋愛描写については、本人も自分が書けない人間であることを認めているふしがあり、思いっきりその部分をすっとばして、省略して書いたことが、かえって成功したように感じました。
苦手分野を下手に書き込んでボロを出すよりは、書かないことによって、その部分を読者の想像に委ね、作品全体の完成度を下げずに済んだのではないでしょうか。>

 これは同感です。
 下手に自分が書けない苦手分野に手を出した挙句、支離滅裂かつ電波な描写をスバラシイと勘違いしきっているのが今の惨状ですからねぇ~(>_<)。

Jeri Eメール URL 2009年09月14日(月)03時11分 編集・削除

>統一することによるメリット

そうですねぇ・・・
銀英が書かれた時って、まだソ連が健在で、今後地球上で最終戦争が起こるとすれば、間違いなく西側陣営VS東側陣営の戦いだと誰もが考えていた時代でしたし、銀英内の『人類の歴史』もほぼその方向で書かれていますからね。
そういう歴史的背景を背負った人類が、一時的に人口が激減したことにより、「国家間の対立要因が国家ナショナリズムや政治形態の違いしか存在せず、人種・民族・宗教・言語の違いによる対立や差別といったものが皆無」な状態になれば、確かに統一によるメリットの方が遥かに大きいと考えるでしょうね。
ただ、同盟と帝国では、標準語が違うようですし(帝国は独語で同盟は英語??)、作中の描写を見る限りでは、帝国は、食習慣や人種もほぼドイツ料理を食べているゲルマン系(白人?)人種しかいないのに対し、同盟は東洋系も黒人も存在するようです。そうなると、食習慣や生活習慣も帝国より多様化していそうです。そんな中で、本当に対立や差別が起こらないでしょうか?
戦争に勝った→破った相手国を併合って発想は、既に近代以降では廃れていると思うのですが。
第二次大戦の勝者である連合国側も、敗戦国の日本やドイツに対して、占領や内政干渉はしましたが、結局「併合」はしませんでした。
それに、封建国家である帝国と、腐っても民主主義国家であった同盟とでは、国民の人権意識や性差別意識といった生活に密接に関わる部分で大きな隔たりがありますので、それが後に深刻な抵抗運動に繋がる恐れも否めません。
制圧した側の帝国にとっても、同盟を併合するのは、リスクが大きいように思えるのですが、作中では、統一のデメリットの部分が全く描かれていないのですね。
だとすると、これはもう無条件に「統一することはいいことだ」という前提に考えるしかないのでしょうね。

>あの件で和平の道が閉ざされた責任を問われな
>ければならないのは、むしろ愚劣な選択肢を軽
>率にも選んでしまった同盟側の方なのでは?

それは、そう思います。
あの件で一番解せないのは、良くも悪くも、政治的な嗅覚が働くはずのヨブさんが、なんでラインハルト自身も言っているように、「皇帝および誘拐犯達を帝国に強制送還」という道を選択しなかったのか、地球教やルビンスキーが絡んでいたにしても、余りにも先が読めなさ過ぎて不自然です。アムリッツァで大敗し、タダでさえ戦力が落ちているのですから、まだ若い政治家であるヨブさんなら、ここは時間稼ぎをするのが一番の得策だったはずです。事実、ラインハルトも、そうしていたら「5年は手出しできなかった」と言っていたのですから。
逆に、ヨブさんがあの時点で既に、同盟を見限っており、将来、帝国に併合された統一国家での権力奪取を念頭にした選択だとしたら、彼のような利己主義者に、そんなことができると思い込ませることができた地球教やルビンスキーの洗脳手腕の方が凄すぎます。(笑

>いや、あれのどこが「女性の心理描写、行動
>原理などを踏まえて」いるものなのかと(笑)。

これは確かに、勘違いしている田中氏にも問題があるとは思いますが、実際に、薬師寺涼子のキャラを賞賛するファンレターなりを送ってくる女性読者がいたからこそ、自信がついてしまったわけですよね?
銀英伝の場合は、読者母体そのものが多いせいか、私以外にも女性キャラ(特にヒルダ)が「鼻につく」「都合のいい女すぎて嘘っぽい」と言って批判的な女性ファンをネットでもリアルでも見かけるのですが、薬師寺の場合、銀英ほどメジャーでないせいか、逆に女性読者からの批判って見かけないのです。検索してもみんな二次創作系のファンサイトばかりですし、タナウツ以外で批判しているサイトを知りません。
まあ、銀英の場合、女性キャラは添え物なので、殆どの女性ファンの目は男性キャラに向いており、ヒルダが鼻についても銀英ファンはそのままでしょうが、薬師寺の場合、なまじ主人公なだけに、嫌いな人は最初から寄ってこないし、わざわざ作者に批判的な手紙を送る女性読者もいないのでしょうね。
銀英でも、私はジェシカの「あなたはどこにいますか?」発言を批判しましたが、素直に同調し、ジェシカを聡明な素晴らしい女性だと感じる女性ファンも多いです。(っていうか、そっちの方が多数派?>笑)
ということは、薬師寺涼子のキャラも、実際には本当に「田中芳樹作品ファンの女性」には、その心理描写や行動原理が共感を呼んでいるということになるのではないでしょうか。ただ、その心理描写や行動原理が、果たして本当に世間一般の女性の共感を得るものかどうかは疑問ですが。
少なくとも、田中作品を嗜好するタイプの女性には、一種の憧れを抱かすキャラなのかもしれません。
私は読んでいないので、ここであまり批評できませんが、冒険風ライダーさんの書き込みを読んだ限りでは、「作者の女性に対する勘違いが肥大化したキャラ」としか感じられません。

田中氏は、どうも自分に女性蔑視の傾向があることを指摘されるのを極度に恐れているように見えます。
インタビューの極端な男女平等主張もそれの裏返しではないでしょうか。
もしかしたら、昔何かそのことで苦い思い出でもあるのかも。(笑
そして、田中作品には、女性蔑視否定をアピールする為に、素直に男性キャラにすればいいところを無理矢理女性キャラにし、行動破綻や矛盾を作り出している部分が多く存在するように思えます。


本筋にあまり関係ないことかもしれませんが、銀英で1、2巻を読んだ段階で、すごく疑問に思ったのが、ゴールデンバウム王朝の皇位継承システムでした。
500年近く男の皇帝のみで繋いできた世襲王朝で、なぜいきなり次期皇帝候補が、皇帝の孫である「二人の“令嬢"」になるのか?
そもそも、皇位争いが、なぜ皇帝の娘であるアマーリエVSクリスティーネではなく、彼女等が降嫁して生んだエリザベートVSザビーネになってしまうのか?
古今東西のどんな王朝の皇位継承の仕組みに照らし合わせてみても、これは不自然です。もし、普通にエリザベートかザビーネが皇位に就くとしたら、まず彼女等の母親が即位して、母親から娘へ皇位が継承されるべきではないでしょうか。
リップシュタット戦役時、ブラウンシュバイク公夫人もリッテンハイム候夫人も、どこにも亡くなってるという記述はないことから、二人共健在であったと思われます。
だとしたら、そもそもエリザベートとザビーネの皇位継承権の根拠は、父親ではなく母親の血筋なのですから、皇帝の娘である母親を飛ばして、なぜ孫娘達が皇位を争うのか、架空歴史モノとして、看過できない矛盾です。
銀河帝国は、極端な男性優位社会ではあるようでうですが、後にカザリン・ケイトヘンが特に問題なく即位したところを見ると、少なくとも現在の日本のような「女帝を認めない法」はないようです。しかし、フリードリヒ4世の子の中で、結局アマーリエとクリスティーネの弟が皇太子に立てられていたように、北欧型の「性別に関係なく長子優先」でもない、一番近いのはイギリス型の「男女共に継承権はあるが、現皇帝の卑属で血筋が近い順に男子優先且つ長子優先」+中国清王朝の「時の皇帝が息子の中から色々な要素(母の出自、本人の適正等)を総合的に判断して後継者を決める」というところだと思われます。
だとしたら、先例を見ても、皇太子の唯一の男子であるエルイン・ヨーゼフの対抗馬が、従姉達というのはどう考えてもおかしいです。
理由付けとして考えられるのが、エルイン・ヨーゼフが庶子であるので、ヨーロッパ王室的伝統のゴールデンバウム王朝に於いては、皇后の娘である伯母達や嫡出子の従姉達よりも、格下扱いということですが、エルイン・ヨーゼフについては、「有力な外戚がいない」という意味の記述のみで、庶子とはどこにも書かれていません。
それならばまだ、フリードリヒ4世の長女(一親等)であることを根拠に皇位を主張するアマーリエと、同じくフリードリヒ4世の唯一の男系男子であることを根拠にするエルイン・ヨーゼフの対立とした方が自然です。
どうしても孫同士での皇位継承争いという図式を採るなら、アマーリエもクリスティーネもそれぞれ娘ではなく息子がいるという設定にするべきでしょう。
これならば「皇帝は慣例として男」という490年に渡る暗黙の了解が作用して、母親を飛ばして孫達の争いとなるのも道理に適います。
エリザベートもザビーネも、殆ど名前のみの登場で、さして重要なキャラではないのですから、ストーリー上の矛盾を招かない為に、令嬢ではなく、素直に「令息」に、つまり男性キャラにしてしまえばよかったのです。
それなのに、なぜ作者はわざわざ男ではなく女にして、破綻(という程でもないですが)を招いてしまったのでしょうか?
私はそこにも、無理をして、女性を尊重していることをアピールする為に、わざわざ本来男に割り当てればいい役割を、無理矢理女性キャラにしてかえって矛盾を生じさせてしまった作者の姿が浮かんでしまうのです。

>苦手分野に手を出した挙句、支離滅裂かつ電
>波な描写をスバラシイと勘違いしきっている

極論を言ってしまうと、私は田中芳樹という作家は、もう恋愛も女性も描かないでいいのではないかと思うのです。
まあ、全く書かないとストーリーが出来ないので、登場人物の9割が男性キャラで、内面を掘り下げたりしなければならないような重要なポジションには女性キャラは置かず、主要キャラは全て男性で占めるのです。
恋愛も、中高生同士のレベルまでで止めおき、ソフト且つ抽象的な描写のみにします。
主要キャラはほぼ全員が、美少年又は美青年で、恋愛の代わりに、彼等の濃ゅい「友情」がメインテーマです。
もし、ストーリー進行上「ベッドシーンもどき」な描写が必要とされる局面が自然な形で出てきてしまったら、ひたすら逃げまくって、描かない事に徹する・・・
こうすることが一番田中氏の作家としての魅力を引き出し、長所を延ばし、短所を隠せることになるのではないか、と思います。
あ、それをやったのが、銀英伝なのか・・・(笑

冒険風ライダー Eメール URL 2009年09月15日(火)01時32分 編集・削除

<ただ、同盟と帝国では、標準語が違うようですし(帝国は独語で同盟は英語??)、作中の描写を見る限りでは、帝国は、食習慣や人種もほぼドイツ料理を食べているゲルマン系(白人?)人種しかいないのに対し、同盟は東洋系も黒人も存在するようです。そうなると、食習慣や生活習慣も帝国より多様化していそうです。そんな中で、本当に対立や差別が起こらないでしょうか?
戦争に勝った→破った相手国を併合って発想は、既に近代以降では廃れていると思うのですが。>

 これについては、銀英伝世界にはそれこそ現代と同じ種々雑多な国家・人種・民族・地域・宗教・言語からくる対立が存在していたはずの地球で政治的な統一が実現したという「偉大なる先輩の実例」がすでにありますし、地球統一時代末期頃には、すくなくとも地球内部におけるその手の対立はなくなっていたようです。この前例に倣えば、短期的には無理でも、中長期的には文化的な対立をなくす方向に持っていくことは不可能ではないと思うのですが。
 地球でどのような文化的・地域的差別を解消するための妥協的な政策が行われたかについては、田中芳樹のデビュー作品である短編「緑の草原に……」にそれらしきものがあります。

徳間文庫「流星航路」収録短編「緑の草原に……」 P15~P16
<主権国家という、人類の統一をはばむ最大の障壁が打破されてから、すでに二世紀が経過している。百六十に余る国々は八つの地区に統合されたのだが、今度はそれぞれの地区が他の地区に対抗意識を燃やすことになったのだ。地球最高評議会のメンバーは各地区代表の八人で、任期は八年、一年ずつ輪番制で議長をつとめる。その議長が地球の元首ということになるのだ。独裁者の出現を防ぐための最も有効な方法であることは確かだが、そのシステムをあらゆる政府機関の管理部門に応用したのはいささか考えものだった。最高責任者の任期が一年、しかも再任を許さず、ということになれば、長期的な展望を持った施策が行われず、ことなかれ主義に陥ってしまうのもやむを得ぬ仕儀である。一方、野心のある者は、一年以内に派手な功績を立てようとして無理を重ねることになる。そして彼が一年の任期を終え、別の政府機関の管理部門に遷って行った後、後任者は負債の大きさに腰を抜かすという次第だ。そこまでは行かなくとも、このシステムは、行政処理能力と各分野の専門知識とを両立させがたくしており、管理部門と現場との乖離を招くという点で評判が悪かった。
(中略)
「すべての地区から公平に」
 というキャッチフレーズそのものは聞こえはいいが、六人の人数で済むところを八人に、十人で済むところを十六人に、とやっていくと、経済的なロスも見逃せず、また協調性の上からも逆効果なのだ。必ず地区出身者ごとのグループができ、たがいに反目しあうのである。>

 まあ作中でも書かれているように、お世辞にも効率的かつ即効性があるとは言い難い施策ですが、とりあえず地域間の利害の調整が行えるこのような体制を数十年~百年以上も続けていきつつ、一方では統一された教育機関等で「統一国家の人間」という意識を育んでいけば、まあ長い道のりではあるでしょうが文化的・言語的な統一もできるのではないかなと。
 これに比べれば、同盟の住民も元々は帝国からの移住者ないしは亡命者から成り立っていて、彼らは当然帝国で居住していた頃の慣習や文化をそれなりに持ち込んでいるわけですから、帝国と同盟の言語的・文化的な違いというのは、たとえて言えば日本における東京人と大阪人の違いくらいなものでしかなく、統合も比較的容易なのではないでしょうか。同盟消滅後にハイネセンで頻発していた暴動の類でも、その手の文化的な対立や差別が理由になったものはなかったようでしたし。
 ちなみに「緑の草原に……」を含む田中芳樹の初期短編集のいくつかは、銀英伝6巻に掲載されている地球統一時代の話の元ネタにもなっていて、続編となる「流星航路」「懸賞金稼ぎ」「黄昏都市」には「地球(テラ)」「シリウス」「プロキシマ星系第五惑星プロセルピナ」といった銀英伝でも記載されている単語が散見され、作中の年代もある程度合致します。銀英伝の一部としてこれらの作品を読むとなかなか面白いものがあるかもしれません。

 

<500年近く男の皇帝のみで繋いできた世襲王朝で、なぜいきなり次期皇帝候補が、皇帝の孫である「二人の“令嬢"」になるのか?
そもそも、皇位争いが、なぜ皇帝の娘であるアマーリエVSクリスティーネではなく、彼女等が降嫁して生んだエリザベートVSザビーネになってしまうのか?
古今東西のどんな王朝の皇位継承の仕組みに照らし合わせてみても、これは不自然です。もし、普通にエリザベートかザビーネが皇位に就くとしたら、まず彼女等の母親が即位して、母親から娘へ皇位が継承されるべきではないでしょうか。>

 他家に嫁いだ皇女が皇帝になってしまうと、必然的に夫も「同等の地位」を持つことになり、場合によっては簒奪される危険性もあるために、あえて「他家に嫁いだ皇女」は皇位継承の対象外にされている、というルールでもあったのではないでしょうか。
 実は同じようなことが、開祖ルドルフから2代目皇帝に帝位が移る際に起こっているんですよね。ルドルフには男児が生まれなかったのですが、その死後に即位したのは長女であるカタリナではなく、彼女が嫁いだノイエ・シュタウフェン公爵家の息子ジギスムント1世です。ここで「血筋が近いから」という理由で長女が女帝になってしまうと、必然的に夫のノイエ・シュタウフェン公爵も「女帝と同等の立場」として位置づけられることになってしまい、場合によっては帝室たるゴールデンバウム家がノイエ・シュタウフェン家に「合法的に」取って代わられる危険性すらあります。
 もちろん、皇帝の父親としての立ち位置にあるノイエ・シュタウフェン家が「外戚」として権力を振るうことは当然ありうるわけですが、それでもこの「外戚」という立場はすくなくとも公的には「皇帝の後見役」ではあっても「皇帝と同等」ではありません。政治的に見れば「皇帝と対等であるか否か」というのは意外に大きな差ですし、初っ端からこんな変則的なことをやらざるをえなかったゴールデンバウム王朝としては、これが簒奪を防ぐ方法論のひとつだったのではないかと。
 元々ルドルフは後継者に女児を選ぶつもりは毛頭なかったようですし、一方で長女の嫁ぎ先に「後見役」として後事を託そうとは考えても、自分が築いた王朝そのものを譲る気まではさすがになかったでしょう。そして、そのための予防策とされたのが「他家に嫁いだ皇女は皇位継承の対象外」とするルールであり、一方ではルドルフ以降の皇帝時代のどこかで帝位継承問題がこじれたか門閥貴族の利害が絡んだか何かの理由から「女児も帝位継承OK」というルールが確立しつつも、実際には適用される機会がなく、そのままリップシュタット戦役にまで至った、というところなのではないでしょうか。

 まあ身も蓋もないことを言ってしまうと、その辺りの矛盾はどうも田中芳樹がゴールデンバウム王朝の歴代皇帝図を作成する際に、1巻で自分が作ったはずの設定をすっかり忘れてしまっていたのではないか、というのが真相だと思うのですけどね。1巻のラインハルトには、ゴールデンバウム王朝を簒奪するための手段としてエリザベートないしはサビーネとの政略結婚を考えている描写があるのですが、9巻におけるラインハルトの重度の潔癖症剥き出しなヒルダへの求婚は、とても同一人物が発したものとは思えないシロモノでしたし(笑)。
 その手の田中芳樹の設定忘却は、別に銀英伝に限らずアルスラーン戦記や創竜伝でも垣間見られますし、数においても質においても銀英伝はまだはるかにマシな部類に属する方なので、そこからわざわざ女性蔑視の方向に結びつける必要はないのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
 まあもっとも、こんな設定忘却が堂々と開陳されるのはプロの作家としてどうなのか、という批判は大いにアリだと思いますけどね。

Jeri Eメール URL 2009年09月15日(火)14時47分 編集・削除

>初期短編集

機会があったら、一度読んでみたいです。
本屋にはなかったので、絶版でしょうか?
同盟と帝国の文化的な対立に関しては、私も小説で原作を読んだ時は、特に問題に感じませんでしたし、仰るような説明で納得できます。
ただ、OVAの画像で、現代的(?)な同盟側と18世紀頃の衣装を着て舞踏会をやってる帝国側との風俗のあまりのギャップを見て、併合に違和感を感じました。


>予防策とされたのが「他家に嫁いだ皇女は皇位継承
>の対象外」とするルールであり、一方ではルドルフ
>以降の皇帝時代のどこかで帝位継承問題がこじれた
>か門閥貴族の利害が絡んだか何かの理由から「女児
>も帝位継承OK」というルールが確立しつつも、実
>際には適用される機会がなく、そのままリップシュ
>タット戦役にまで至った、というところなのではな
>いでしょうか。

非常に苦しいこじつけだと思いますが、原作を事実として扱わなければならない以上、これが唯一にして最良の解釈でしょうね。
この設定を二次創作で使わせていただけませんか?>笑

「配偶者にも同等の権利が発生するから」という理由で降嫁した皇女に皇位継承権がないというなら、降嫁先で生まれた令嬢が即位しても、いずれ結婚しなければならないのですから、同じことになってしまいます。女帝の配偶者は、臣下では資格がなく、皇族でなければならないというルールにすると、あの時点ではやはりエルウィン・ヨーゼフしか資格がないことになります。
ただ、OVAの字幕で見ると、公爵は「Prince」と訳されていますので、公爵なら女帝の配偶者でもOKと解釈できなくもありません。
そうなると、ブラウンシュバイク公夫人のアマーリエには資格があり、侯爵夫人のクリスティーネにはないことになりますので、二人の間で継承争いは起こらないことになってしまいます。
二代目皇帝ジギスムント一世については、最初に考えました。日本でも一頃話題になった「女性天皇はいいが、女系天皇は否」か「女系天皇でもいいが、天皇は男に限る」かという議論を思い出しました。
男系男子に限るとなると、側室制度がない以上、どうしても将来皇位継承者不足に悩むことになり、逆に女帝も女系もありにすると、継承権を持つ人が際限なく増えてしまうということが起こるようです。
現代だと、世界中に4000名を越える王位継承権保有者がいるといわれるイギリス王室がそれに当てはまるようです。
銀英世界では、ルドルフ大帝には男子がなく、長女の息子が即位した時点で、この王朝は必然的に女系を容認することになったようです。
その後で、もし、何らかの都合で「女帝もOK」ということになったとすれば、側室制度もしっかりある中で、物語開始時点で、皇位継承権を持つ人間が極端に少ない(三人の孫だけ)という表記は、いかにも不自然で矛盾しています。
これらの矛盾点は、エリザベートとザビーネを男にすることで全て解消できますし、ラインハルトがゴールデンバウム王朝を簒奪するための手段としてエリザベートないしはサビーネとの政略結婚を考えていたというエピソードを盛り込む為に公(侯)爵令嬢が必要だったというのであれば、ブラウンシュバイクもリッテンハイムも、男児も女児も複数子供がいるということにすれば済む話です。
どうせ台詞のない名前だけのキャラなのですから、一人が二人になっても三人になっても、作者の労力はそう変わりません。(笑

>その辺りの矛盾はどうも田中芳樹がゴールデンバウ
>ム王朝の歴代皇帝図を作成する際に、1巻で自分が
>作ったはずの設定をすっかり忘れてしまっていたの
>ではないか、というのが真相だと思うのですけどね

なるほど、それが一番可能性がありますね。w
もし、ちゃんと覚えていたら、歴代皇帝の中に何名か女帝が存在することにしたんでしょうか。
また、ブラウンシュバイク公等の娘達との政略結婚も考えていたことを覚えていたら、9巻でのプロポーズも違うシチュで書かれていたのでしょうか。
その辺が興味あります。


>その手の田中芳樹の設定忘却は、別に銀英伝に限ら
>ずアルスラーン戦記や創竜伝でも垣間見られますし
>数においても質においても銀英伝はまだはるかにマ
>シな部類に属する方なので、そこからわざわざ女性
>蔑視の方向に結びつける必要はないのではないかと
>思うのですが、いかがでしょうか。

はい。
私は、「男性キャラにした方がストーリー上の矛盾がないはずなのに、わざわざ矛盾を生じさせる女性キャラにしたのは、どういうわけか?」と考えた時に、作者が、自分の女性蔑視を過剰に意識した為に、「女性も皇位継承争いに加わっている」ことを描いたのではないかと邪推してしまいました。
なんせ、銀英しか読んでないもので・・・
アルスラーン戦記や創竜伝の設定忘却が、数でも質でも銀英を遥かに凌駕しているというのであれば、確かに私の勘ぐりすぎでしょうね。

べる URL 2009年11月21日(土)16時36分 編集・削除

はじめまして。
ベルといいます。

あ、余りにも面白いので、リンクをはらせて頂きました。
Jeriさん達のこの話題に、リアルタイムで参加出来なかった事を悔しく思います。

ハーレクインも、たのしみしております。
かなり、ものすごく……。
ではまた。

Jeri Eメール URL 2009年11月22日(日)14時23分 編集・削除

>べる様

こんにちは。ようこそ、暴言妄想ブログへ♪
こちらからも勝手にリンクさせて頂きましたので、以後、よろしくお願いします。
ここの話題は、いつでも蒸し返しOKですよん。

双璧のプチオンリー、行きたいなぁ・・
赤金と双璧は「できてる」と長年思い込んできたんですが、産みの親が同性愛を頑強に否定しているらしい(あんな妄想掻き立てる「男の友情」描いててそれはないよと言いたいのは山々なんですが)ので、銀英に限っては心を入れ替えてノーマル(???)カップリング話を書いていく決心をしました。

そちらのサイト様も拝見させて頂きました。
いや、全くおっしゃる通りで、小説読んでた当事から「この作者には、男が避妊するという概念がないのか?」とずーーーと思っていたんですよ。
私も、ここまで毒舌吐いておきながら、結局甘いのか、ロイさんは、結構いいパパになるタイプではと思ってるんです。
更に言えば、結婚することが一番手っ取り早い解決策だとなれば、以外にあっさりそうするのではないかというのも賛成です。
お子ちゃまラインハルトは、「リヒテンラーデ一族の女を私邸に囲っている」というシチュだと叛逆の証になるけど、「結婚したい女ができたのだが、リヒテンラーデ一族の女なので特別に許可して欲しい」となれば、「生まれや立場が結婚の障害になるなど旧王朝的な悪しき慣習だ」と勝手に脳内変換してくれちゃって、寛大な君主としての度量を示したいということで、あっさり許可してくれそう。
で、結婚後にはどうなるかですが、ロイさんのポリシーである二股かけない→母親のように浮気はしないという方針を頑固に貫いて、あら、気が付いたらいい夫だわってな具合。

べる URL 2009年11月22日(日)21時19分 編集・削除

いやー、リンク有難うございます。

よしりん氏は、中世の叙情詩、神話、三国志などに取材して、銀英世界を構築したみたいです。で、そのなんだ、メタファー使いに気を取られて、人物描写が甘いまま終わったんじゃ……、と私は思っています。

トリスタンは死ぬ時、最愛女性・イゾルデに会えないワケですが、それをミッタマイヤーにやらせなくってもいいじゃん…。
艦隊戦はしないで、ロイとミッタで白兵戦させて、ベルゲングリューンとかにも大立ち回りしてもらって、元帥と幕僚同士の懐かしの刀試合でも良かったかなーと。
それで、ロイがミッタに斬りつけるのを躊躇して、敗死。
いや、何の話しでしょうか。

ええと、ロイがパパだ。
カイザーに結婚の許可を取り付けに行くロイ。
「ふん、俺とした事が」ひとりごちるロイ。

「(前略)どうかこの婚姻をご寛恕願いたく……」
「卿に何がそこまで言わせる?」
「彼女は気持ちのい(以下後略)」

た・楽し過ぎ……。

結婚後は、キャゼルヌ夫妻の貴族版になるんでしょうか。

「あら、わたくし、あのことを存じていましてよ?」
子供を膝に乗せて黙るロイ。