きょうのコラム「時鐘」 2010年7月26日

 画聖・長谷川等伯の松林図屏風は、最終的な完成品ではなく、大作のための下絵でなかったか、との見方があるくらい、不思議な雰囲気を漂わせている

400年も前にこれを描いた画家の大胆さに驚くが、その異様な名作を保管し「国宝中の国宝」として観賞してきた日本人の審美眼にも感心する。空白の多い松林図の幽幻さは一般受けする傑作とは言い難いからである

先ごろ、等伯の生まれた七尾で歌舞伎俳優の坂東玉三郎さんが等伯をテーマに講演した。当代一の人気役者が指摘したのは松林図の「空白」の意味だった。松と松の間に広がる空白がある。何も描かれていない空白に、等伯はうすく漂う霧を見せたのである

玉三郎さんは絵画の空白は歌舞伎の「間」と共通すると言った。演技と演技の間に、語りと語りの間に「間」があって演劇は成り立つ。歌舞伎も落語も、あるいは政治家の演説も、超一流と二流の差はその「間」の取り方にある

「長谷川等伯ふるさと調査」が始まった。没後400年の空白がある。が、この長い時の空白が、神秘性や実像をも浮かび上がらせるに違いない。