主イエズス・キリストの兵士を目指して
精神疾患による自我の混乱と信仰について
- 2010-07-25 Sun 22:06:07
- 信仰
先日は元指導司祭のいる教会にアポをとって、30分ほど面談しました。主旨としては、「躁うつ病や統合失調症において、自我が混乱し、意識がおかしくなったときにイエズス・キリストを否んだりした場合、罪になりうるか」ということでした。
僕は統合失調感情障害というかなりやっかいな病気で精神科に通院していますが、ときどき本当の意思とは逆に、キリスト様を罵倒したりすることがあります。今はだいぶ落ち着きましたが、それでもまだ、そういうことはあります。
結論としては「自分の明確な意思をもってした行為によらなければ、罪にはならない」とのことでした。安心した反面、あらためて病魔の恐ろしさを感じました。その後四谷にすっ飛んで聖パドレ・ピオの集いに参加しましたが、かなり疲れていました。翌日洗礼志願式というギリギリのタイミングで、かなり混乱していました。
キリスト者でメンタル的に不調という方はいっぱいいらっしゃいます。ときには、司祭でさえもそうなります。しかし、そういったみなさんは、それでも祈りをするんですね。そこの大前提が僕と違うのです。
僕は、怒りや妄想に支配されているとき、キリスト様を罵倒したり、ここには到底書けない酷い暴言を家族にしたりします。信仰生活というのがどうなるのか、不安で仕方がありません。やはり僕は大学中退した時点で自殺すべきであって、今生きている価値など何も無いゴミのような人間なのか、と絶望するときがあります。もういやだ、誰か僕を殺してください、なんて思うことが、特に夜、酷くなります。
僕は統合失調感情障害というかなりやっかいな病気で精神科に通院していますが、ときどき本当の意思とは逆に、キリスト様を罵倒したりすることがあります。今はだいぶ落ち着きましたが、それでもまだ、そういうことはあります。
結論としては「自分の明確な意思をもってした行為によらなければ、罪にはならない」とのことでした。安心した反面、あらためて病魔の恐ろしさを感じました。その後四谷にすっ飛んで聖パドレ・ピオの集いに参加しましたが、かなり疲れていました。翌日洗礼志願式というギリギリのタイミングで、かなり混乱していました。
キリスト者でメンタル的に不調という方はいっぱいいらっしゃいます。ときには、司祭でさえもそうなります。しかし、そういったみなさんは、それでも祈りをするんですね。そこの大前提が僕と違うのです。
僕は、怒りや妄想に支配されているとき、キリスト様を罵倒したり、ここには到底書けない酷い暴言を家族にしたりします。信仰生活というのがどうなるのか、不安で仕方がありません。やはり僕は大学中退した時点で自殺すべきであって、今生きている価値など何も無いゴミのような人間なのか、と絶望するときがあります。もういやだ、誰か僕を殺してください、なんて思うことが、特に夜、酷くなります。
たまには楽しい息抜きを…バーベキュー納涼でした
- 2010-07-24 Sat 22:34:14
- カトリック教会
昔勉強会を指導していただいた地元の教会にて、納涼としてバーベキューがありました。実のところ、洗礼志願式後にいろいろと考えすぎて、かなりグロッキーになっていたこの時期、かなり身体的にも精神的にもリフレッシュできたと思っています。ただ、お開き後、タイミングを見計らったかのように雷雨が到来したのには閉口しましたが(--;
ノヴスオルド教会とはいえ、実際にそこに来ている人たちとの交わりがあると、結構考えされられます。皆それぞれの問題を抱えています。個人的なものだったり、教会運営の話だったり…。
ともかく、すばらしい夏休みを教会の人たちがすごせることをお祈りいたします。焼きそばの鉄板の具材をかき混ぜたあとしばらくしてから、筋肉痛になってしまいましたOrz
ノヴスオルド教会とはいえ、実際にそこに来ている人たちとの交わりがあると、結構考えされられます。皆それぞれの問題を抱えています。個人的なものだったり、教会運営の話だったり…。
ともかく、すばらしい夏休みを教会の人たちがすごせることをお祈りいたします。焼きそばの鉄板の具材をかき混ぜたあとしばらくしてから、筋肉痛になってしまいましたOrz
ファティマの初土、2回目参加でした
- 2010-07-06 Tue 21:50:29
- ミサ
毎月初土曜日に世田谷の聖母幼稚園2F聖堂で行なわれる、ファティマの初土の信心に(7月3日)参加してきました。
司式はカプチン会のペトロ神父様。当日は十二使徒聖トマスの祝日でした。ファティマの聖母マリア様が人類に警告されたことを、カトリック信徒はもっと意識する必要があります。そして、おそらくスペインのガラバンダルでの御出現も疑う余地は無いでしょう。ガラバンダルは、ファティマの預言の追補という位置づけで考えています。
祭壇で聖品の祝別がミサ後に行なわれました。私は、自宅からかついでいった『カトリック新聖書注解書』(エンデルレ書店刊)を祝別していただきました。ペトロ神父様が「どれどれ、見せて」とめくっておられたのが印象的でした(^^
悲しいお話が説教の中でありました。ペトロ神父様にメールをしていた女性が「自殺します」と書き送った後、音沙汰無しになってしまったとのことでした。集いが終わったあとに廊下でお話ししましたが、明らかに現代は狂っているし、いろいろな分野で(カトリックでさえも!)音を立てて崩れていく危機の状態です。
若干トーンは異なるものの、今月の東京教区ニュースでペトロ岡田大司教様が「今日の教会の危機・司祭に休養を」との記事をよせておられました(同様の趣旨の文章が、カトリック新聞にもありました)。私たちは、その危機の根本原因は何か、ただ危機的状況を憂いるだけでなく、思い巡らす必要があるのではないでしょうか。
司祭・修道者の召命不足のこの時代、私たちはどれだけの祈り・黙想をしたであろうか?まずは一日は起床と就寝の祈りと、食前食後の祈り、最低一連のロザリオを捧げることから。祈りのなかに、答えはあります。定型の祈り以外でも、ラテン語聖歌や祈りの歌(Ave Maria、Tantum Ergo、O Salutarisなど)を歌うだけでも大分違いますよ。
司式はカプチン会のペトロ神父様。当日は十二使徒聖トマスの祝日でした。ファティマの聖母マリア様が人類に警告されたことを、カトリック信徒はもっと意識する必要があります。そして、おそらくスペインのガラバンダルでの御出現も疑う余地は無いでしょう。ガラバンダルは、ファティマの預言の追補という位置づけで考えています。
祭壇で聖品の祝別がミサ後に行なわれました。私は、自宅からかついでいった『カトリック新聖書注解書』(エンデルレ書店刊)を祝別していただきました。ペトロ神父様が「どれどれ、見せて」とめくっておられたのが印象的でした(^^
悲しいお話が説教の中でありました。ペトロ神父様にメールをしていた女性が「自殺します」と書き送った後、音沙汰無しになってしまったとのことでした。集いが終わったあとに廊下でお話ししましたが、明らかに現代は狂っているし、いろいろな分野で(カトリックでさえも!)音を立てて崩れていく危機の状態です。
若干トーンは異なるものの、今月の東京教区ニュースでペトロ岡田大司教様が「今日の教会の危機・司祭に休養を」との記事をよせておられました(同様の趣旨の文章が、カトリック新聞にもありました)。私たちは、その危機の根本原因は何か、ただ危機的状況を憂いるだけでなく、思い巡らす必要があるのではないでしょうか。
司祭・修道者の召命不足のこの時代、私たちはどれだけの祈り・黙想をしたであろうか?まずは一日は起床と就寝の祈りと、食前食後の祈り、最低一連のロザリオを捧げることから。祈りのなかに、答えはあります。定型の祈り以外でも、ラテン語聖歌や祈りの歌(Ave Maria、Tantum Ergo、O Salutarisなど)を歌うだけでも大分違いますよ。
新しいミサに天主様は現存しておられるのか
- 2010-06-27 Sun 23:03:31
- カトリック教会
聖伝の精神から判断すれば、もしくは聖ピオ十世会(FSSPX)の司祭の助言を踏まえれば、新しいミサを挙行する教会に於いて有効なミサ聖祭が挙行されているか、はなはだ怪しくなってくる。そこで心理的にある種の「ねじれ現象」が生じてくる。
僕がカトリックを救いの道だという漠たる思いを抱いていたのは高校生の頃からで、その十年後に実際にそれまでの土地から引っ越して、首都圏の恵まれた土地環境でごミサや勉強会に与ってきた。修道会司祭の挙げるごミサにも定期的に与ってきた。しかしながら、これは御恵みに違いないと思いますが、2009年の勉強中に聖伝のことを知ってしまいました。聖伝というか、聖ピオ十世会の存在を。そして、聖伝の教えは何も奇抜なカルト的教えでも何でもなく、ただカトリック教会が2000年近くにわたり、ずっと護り続けてきた伝統なのであり、第二バチカン公会議以後、典礼が破壊され、天主様および御母マリア様への崇敬や信心業が骨抜きにされてしまった現状をこの目・耳で確認するにつれ、それまで自分の所属(するところ)と思われていたところが、実際にはありうべきカトリックの姿ではない、ということが分かってしまったのである。
教区の人間関係も大事だが、自分の霊魂の救済は、真にどのようになされるのか。そのことが重要ではないか?そして、そのように真剣に求道すればこそ、隣人に対しても真に祈ることができるのではないか、つまり、現在のノヴスオルドの教会では救霊は難しいという内的な結論を出した。だが、なかなかそういう風にスパッと表明し切れない自分がいる。
その要因はいろいろあるが、もっとも気にかかるのは、聖ピオ十世会のミサに与ることができるのは月一回なので、必然的にその他の主日は自宅待機、聖ピオ十世会の勧めによれば「霊的書物の読書や黙想・祈祷を熱心に行なう」と。そのことで主日の義務を果たしたことになりうるのだろうか?もっとも、過疎地域や弾圧のある国家に於いてはミサ聖祭に与ること自体が貴重であり、毎週というのがむしろ贅沢なのだ、という考え方もできなくはない。それに、第一に新ミサの挙行される教会では、少なからず信徒の霊魂は損なわれるのであり、よって単純に行くべきではないという主張は十分納得のできることではある。
ここいらで自分のスタンスを明快にできれば、正々堂々と真の信仰宣言ができるのであるが…。授洗者である教区司祭を軽んずることにならないか、とか、いろいろ気の迷いがあるのが正直なところだ。これは自分の心の弱さなのであろうか。
主よ、一日も早く日本中の教会が聖伝に立ち返り、
正気を取り戻すことができますように!
いとも気高き童貞聖母マリアよ、聖伝護持の十字架を
背負っておられる世界中の聖ピオ十世会の
司祭兄弟姉妹の皆様方のための祈りを、
聞き入れ、主への御取次ぎを願い奉る!
僕がカトリックを救いの道だという漠たる思いを抱いていたのは高校生の頃からで、その十年後に実際にそれまでの土地から引っ越して、首都圏の恵まれた土地環境でごミサや勉強会に与ってきた。修道会司祭の挙げるごミサにも定期的に与ってきた。しかしながら、これは御恵みに違いないと思いますが、2009年の勉強中に聖伝のことを知ってしまいました。聖伝というか、聖ピオ十世会の存在を。そして、聖伝の教えは何も奇抜なカルト的教えでも何でもなく、ただカトリック教会が2000年近くにわたり、ずっと護り続けてきた伝統なのであり、第二バチカン公会議以後、典礼が破壊され、天主様および御母マリア様への崇敬や信心業が骨抜きにされてしまった現状をこの目・耳で確認するにつれ、それまで自分の所属(するところ)と思われていたところが、実際にはありうべきカトリックの姿ではない、ということが分かってしまったのである。
教区の人間関係も大事だが、自分の霊魂の救済は、真にどのようになされるのか。そのことが重要ではないか?そして、そのように真剣に求道すればこそ、隣人に対しても真に祈ることができるのではないか、つまり、現在のノヴスオルドの教会では救霊は難しいという内的な結論を出した。だが、なかなかそういう風にスパッと表明し切れない自分がいる。
その要因はいろいろあるが、もっとも気にかかるのは、聖ピオ十世会のミサに与ることができるのは月一回なので、必然的にその他の主日は自宅待機、聖ピオ十世会の勧めによれば「霊的書物の読書や黙想・祈祷を熱心に行なう」と。そのことで主日の義務を果たしたことになりうるのだろうか?もっとも、過疎地域や弾圧のある国家に於いてはミサ聖祭に与ること自体が貴重であり、毎週というのがむしろ贅沢なのだ、という考え方もできなくはない。それに、第一に新ミサの挙行される教会では、少なからず信徒の霊魂は損なわれるのであり、よって単純に行くべきではないという主張は十分納得のできることではある。
ここいらで自分のスタンスを明快にできれば、正々堂々と真の信仰宣言ができるのであるが…。授洗者である教区司祭を軽んずることにならないか、とか、いろいろ気の迷いがあるのが正直なところだ。これは自分の心の弱さなのであろうか。
主よ、一日も早く日本中の教会が聖伝に立ち返り、
正気を取り戻すことができますように!
いとも気高き童貞聖母マリアよ、聖伝護持の十字架を
背負っておられる世界中の聖ピオ十世会の
司祭兄弟姉妹の皆様方のための祈りを、
聞き入れ、主への御取次ぎを願い奉る!
今日は夕ミサでした
- 2010-06-20 Sun 09:29:40
- ミサ
昨日土曜日、四谷サンパウロ宣教センター内の聖堂にて、カプチン聖フランシスコ会のペトロ神父様主催、「パドレ・ピオの集い」に参加してきました。これで2回目なわけですが、早く着きすぎてまだ部屋を別の団体が占拠していました。いす運びや冊子の仕分けを手伝いながら、席に着く。
司式のペトロ神父様は高齢にもかかわらず、相変わらずお元気そうで、祭儀も説教内容もすばらしい。特に説教はユーモアがあり、まるで聖パドレ・ピオがそこでお話しているかのような臨場感(^^)今日の福音書朗読箇所はマタイによる福音書6章、「明日のことで思い悩むな」。そこに絡めてピオ神父様の「祈れ、頼れ、心配するな」の標語が絶妙にマッチしていました。
さて今朝なのですが、ホントは神田教会に行ってみようかな〜と思っていたんですが、なんと盛大に寝坊してしまい(8:10起床)、朝ミサに間に合わなかったので、勉強をしている赤羽教会で夕ミサに与る予定です。
夕ミサは、第一週を除いた主日の聖歌隊はフィリピン系の方が中心です。与る信徒も外国籍の方がかなり多いです。聖歌隊はカトリック聖歌と典礼聖歌から3曲ほど、アレルヤ唱、およびWORSHIP SONGを2曲歌います。このWORSHIP SONGですが、どうやらアメリカのジーザス・ムーブメントが基になっているようですね。手元にいただいた楽譜があるので、練習しています。オルガンとアコギでの伴奏なんですが、家ではピアノかシンセで練習しています。エレキギターがあることはありますが、弾けませんOrz
司式のペトロ神父様は高齢にもかかわらず、相変わらずお元気そうで、祭儀も説教内容もすばらしい。特に説教はユーモアがあり、まるで聖パドレ・ピオがそこでお話しているかのような臨場感(^^)今日の福音書朗読箇所はマタイによる福音書6章、「明日のことで思い悩むな」。そこに絡めてピオ神父様の「祈れ、頼れ、心配するな」の標語が絶妙にマッチしていました。
さて今朝なのですが、ホントは神田教会に行ってみようかな〜と思っていたんですが、なんと盛大に寝坊してしまい(8:10起床)、朝ミサに間に合わなかったので、勉強をしている赤羽教会で夕ミサに与る予定です。
夕ミサは、第一週を除いた主日の聖歌隊はフィリピン系の方が中心です。与る信徒も外国籍の方がかなり多いです。聖歌隊はカトリック聖歌と典礼聖歌から3曲ほど、アレルヤ唱、およびWORSHIP SONGを2曲歌います。このWORSHIP SONGですが、どうやらアメリカのジーザス・ムーブメントが基になっているようですね。手元にいただいた楽譜があるので、練習しています。オルガンとアコギでの伴奏なんですが、家ではピアノかシンセで練習しています。エレキギターがあることはありますが、弾けませんOrz
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