2008.1.30

わすれないで

日本政府がアイヌ民族を
「日本列島北部周辺、取り分け北海道に先住していたことについては、歴史的事実として認識している
(第168回国会衆議院 質問第24号答弁書 六及び七について)
と言ったことは前回に詳しくUPしました。

では、その先住していたアイヌ民族がどのように排除されていったのか、
絶賛していた上村英明さんの新作「知っていますか?アイヌ民族一問一答 新版」(解放出版)を
要約するかたちで紹介します。
(「問6 明治政府になってアイヌ民族の生活はどう変わったのですか?」P43-46参照)

ロシアに対して、蝦夷地は自分たちの土地だと主張するために、
アイヌ民族は日本所属の人民だから、アイヌ民族が住むところは日本の領土だ、と
幕府は主張します(1853年)。

この時以来、「日本人ならびにアイヌ民族の居住地域は日本の領土」となったのです。
(幕府は対ロシアを意識し、クナシリ・メナシの戦いが終わった1798年に
「蝦夷地御用掛」という役職を新設して、アイヌ民族に髪型や服装の和風化を奨励します。
こうした同化政策は諸外国に対する布石だったのです)

アイヌ民族は、全く無視されて日露交渉がなされ、戸地を奪われてしまったのです。

日本政府が1869年にまとめた「蝦夷地開拓方針」にはアイヌ民族の日本人への
評価が書かれています。それによると、日本の役人はとてもとてもひどく
アイヌを酷使していたことが分かります。
その一方、ロシア人は親しみの気持ちを持って接していたので、
アイヌ民族は一般に日本人に敵対的であるのに対し、ロシア人には畏敬の念を持っていました。

日本政府は、それならもっと信頼される関係を持とうと、アイヌ民族を大切にする政策を
とればよかったのですが、全く逆に、蝦夷地に大量の日本人を移民として送り込み、
アイヌ民族を同化させて、「大和民族の北海道」をつくるという政策を立てたのです。

上村さんはその下りの説明をこう結んでいます。
「ここでは「植民地化」は「未開な大地の開拓」という美しい言葉に置き換えられました」

アオテアロア(ニュージーランド)の先住民族の権利回復の戦いについては以前に書きました。
その際、英国がマオリ民族と「ワイタンギ条約」を結んだことを説明しました。
条約は英語本文と先住民族の言語訳とわざと違えて書いたごまかしだったわけですが、
それでも、双方の契約というものが結ばれたわけです。
しかし、アイヌ民族には、なんの相談もなく、土地は国のものとなります。
そして続々と移民を送り出します。

移民たちの魅力は、広大な土地の配分とこれに付随した優遇でした。
1869年に、蝦夷地のすべての土地が国有地となり、北海道と改名し、
開拓使は「移民扶助規則」を設けて、移民に旅費、家屋、農具、食料などを支給します。
さらに以下の三つの制度によって、「北海道」の戸地を移民に分配していきます。
ひとつは1872年の「北海道土地売借規則」。移民一人当たり10万坪を払い下げ、10年間は無税にするというもの。
二つ目は同年の「地所規則」。アイヌ民族が伝統的に使用している土地も、私有概念の欠如を理由に
移民が所有できるとした規則。
三つ目は1877年の「北海道地券発行条例」。アイヌ民族の居住地を“保護”の名目で「官有地」に編入し、その他の戸地を移民が自由に所有できるとして分配してしまうのです。

ほとんどの良質の土地が移民に分配され、残りの山林野は国有地とした後、
今度は1890年代には「開拓」方針を個人から産業発展・資本家の育成に大きく変えて、
金持ちに土地の分配をすすめていきます。1897年には「北海道国有未開地処分法」で、
一人150万坪の戸地を無償で与えることになり、大商人や大企業が群がりました。
では、アイヌ民族は? 日本国民に勝手にされながら、日本人と同じ権利は全く保障されませんでした。それどころか、奪われ続けたのです。日本人移民に適応された土地取得に関する制度から排除され、さらに乱伐によって生業が損なわれていきます。

そして、次にアイヌ民族を襲ったのは、戸籍法やさまざまな皇民化政策です。それによって、
独自の文化と生活は否定され、自他共に恥ずかしいことと思わされ、名前を奪われ(創氏改名)、
言語も奪われて行きます。

上村さん曰く、
「当時開拓使は、アイヌの民族文化の禁止に「洗除」という言葉を使っていますが、これは、今日問題となってい「エスニック・クレンジング(民族浄化)」と同じです。

(上村さんの文章をまとめるつもりがほぼ引用になっていることをお許し下さい。
これ以上、まとめることが出来ないくらい、よく、まとまっているので、是非、皆さんも
購入してお読み下さい。もっともっと重要なことがわかりやすく書かれています。)

ここまでまとめて?きて、数日前からの国会での質疑応答を読みながら
腑に落ちないでもやもやしていたことがはっきりしてきました。
政府は今日の一番最初に紹介したように
「日本列島北部周辺、取り分け北海道に先住していたことについては、歴史的事実として認識している」
と事務的に答弁していますが、先住民族であろうと先住住民であろうと(先住民族の定義があやふやであろうと)、“アイヌの人々”が先住していたアイヌモシリからどのように排除していったかという日本の責任には触れず、当然、謝罪や保障の責任性を隠して答弁していると言うことですね。
この問題を解決して頂きたいですね。

日本政府は、アイヌ民族が「先住住民」であることを認めているのならば、
これらの歴史的事実をしっかりと確認し、謝罪と権利回復のための方策を取るべきです。

Posted by ORORON at 20:41:24 | コメント (0)