そば打ち名人高橋さん「料理は材料が命」(上)

 日本でそば名人として知られる人物に会いに行くと、若干腰が曲がっているような印象を受けた。「数十年間、同じ姿勢を取り続けていたらこうなった」という。坊主頭に白いタオルを巻いた格好で現れた名人は、「頭が大きく、自分に合うサイズの帽子がないため、代わりにタオルを巻いている」と話した。40年間、そばを打ち続けてきた高橋邦弘さん。日本でそば名人といわれる高橋さんが14日から五日間、ソウル・新羅ホテルに招待され、レストラン「パークビュー」でそば打ちの腕前を披露した。

 高橋さんのそば打ち人生は27歳のときに始まった。高校時代からそば打ち職人になりたいと思っていたが、親からはサラリーマンになれと言われた。高校を卒業後、仕方なく冷暖房設備の会社に就職したものの、常にそば打ち職人への想いは消えなかった。4年後、ついにあるそば打ち名人に弟子入りした。「年を取りすぎている」という理由で、本店ではなく、支店で下積みを経験することになった。低血圧で朝が苦手な支店長の代わりに、ネギを刻み、大根を切るなど、材料の下ごしらえを担当した。そこで、料理は材料が命だということを悟った。独立して店を構え、長野県に農場を確保し、直接そばを栽培した。現在は長野のほかに北海道、茨城の3カ所でそばを栽培している。

 古くから小麦の産地として知られる関西地方はうどん、一方の関東地方はそばで有名だ。しかし、高橋さんの店は広島県山県郡にある。「なぜそこに店を構えたのかって? おれの勝手だろ」。もう一度聞くと、「水がいいから」と答えた。店は人里離れた山奥にあり、17人が座ると店内はいっぱいになるが、1日150人が訪れるという。店の横にある製粉所で、毎日使う量だけ製粉するとのことだ。値段は1杯700円。

 店には看板もない。店の前に立てておいたら、誰かが盗んでいったという。高橋さんは、「敵の仕業」と話した。これは12年前の話だが、それからは看板を立てていない。「食べたかったら訪ねてくるだろう」

高橋邦弘さんは40年間、険しい顔つきでそばを打ち続けてきた。新羅ホテルの招待により韓国を訪問した高橋さんが、そばを打つ様子。/写真=イ・ジンハン記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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