ピース






 遠くでドアの音がした。ママだ。あたしは自分の部屋のベッドの上でブラジャーのホックを留めたところだった。ママが選んだおニューのブラ。すぐそばの鏡見てCMみたいなポーズとってみるあたし。繊細なフランス製のレース……素敵だけどカップサイズが国産A並みってところがちょっとね。ま、まだ発展途上の13歳。いずれはママのようなグラマー美人になるでしょ。って腕を伸ばしたり腰をひねったりやってると、ドアをノックしてママが部屋に入ってきた。
「ただいま」
「お帰りなさい、ママ」
振りかえるとほんのり赤いママの顔。色っぽい。
「ママ、飲んでたの?」
「ええ、少しね……」
ママはベッドに腰掛けると同時にあたしに抱きついてきた。
「澪ちゃん、お風呂済ませたの」
「うん」
「あのね」
「どうしたの、ママ」
「ママ、プロポーズされちゃったの」
「え?」
あたしは大きな声を出した。
「……ってママ、誰に?」
「澪の知らない人」
「いつ知り合ったの?」
「そうねえ、いつかしら、先月……?」
ママってば、おぼつかない。
「お店のお客さん?」
「ううん、違うのよ」
「じゃあ、どこで?」
「ママ、ジム通いはじめたでしょ? そこで何度かお話して……今日、お食事に誘われたの。近いうちに家へ連れてきてもいいかしら」
ママは顔を上げて恥ずかしそうに言った。
「だってママ、『はい』って言っちゃったんだもの……」
「え……」
「ふふ、やっぱり照れくさいわね。おやすみさない、澪ちゃん」
「あ、うん……」
あたしはなんかびっくりしちゃって、自分の上半身ブラジャーつけただけだってのをすっかり忘れていた。



 次の日の朝、あたしはママに「相手の人、どんな人?」って聞いてみた。
「秘密。澪ちゃんの目で見て判断して」
ママは教えてくれなかった。『判断して』って、もうOKしちゃったんでしょ? あのときは驚いたけど、あたしは割りと冷静よ。会ってすぐプロポーズって珍しいことじゃないもんね。むしろ今までこんな美人が未亡人のままでいたのが不思議なくらい……。
 そう、ママはキレイだ。あたしの自慢のママ。雅子様より年上だけど同じ位エレガントで、君島十和子や高木美保や黒木瞳なんかに似てるって友達にも言われる。ママは24歳の時、航空会社のエンジニアだったパパと結婚した。でもあたしが生まれた2年後にパパが死んでしまって小さなランジェリーのお店をひとりできりもりしながらあたしを育ててくれた。女の子だから心配だって、荒れてる公立の学校じゃなく私立の女子校に入れてくれたの。それだけでも大変なのに、5年前、パパのお父さん、あたしのおじいちゃんも病気で倒れ、ママは働きながら一生懸命つくした。そして去年そのおじいちゃんも亡くなった。ママはこの10年間ずーっと苦労の連続……男運も悪くって、こんなに素敵なのに言い寄ってくるのは妙な妻子持ちのおじさんばっかり。きしょい下着おたくに追っかけられたこともあったんだから。お店が軌道に乗って、少しは贅沢な暮らしができるようになったのはつい最近のこと。かわいそうなママ。でもやっと報われる時が来たのね……。



 2日後の夜、あらかじめ連絡があって、ママはその人と一緒に帰ってきた。いつもと同じように「ただいま」って、リビングのドアを開けたママの後にいる男の人。あたしはその人を見て、「えっ」と小さく呟いた。
「こんばんは」
低い声。ちょっとかすれてる。ていうか、声じゃなくって……
「島田さんよ。30歳なの」
若〜い。ママより8つ下? 9?
 あたしは驚いて、あいさつができなかった。その人、あたしの想像の範囲を超えてた。ていうのは、何でだかわからないけどあたし、ママのダンナさんになる人はでっかくて、うんと落ちついていて、芸能人に例えるとふぁんふぁん(=岡田真澄)みたいな人だって勝手に思いこんじゃってたから。そういう人こそママを幸せにしてくれるんだって(ちなみにパパは太めのおばさんパーマ系。極楽トンボの山本そっくり。イチイチ例えるなって)……。
 でも! そこに立っていたのは渋谷とか表参道とかにいっぱいいそうな、美形というよりいけてるJリーガーって感じの、ちょっと骨のありそうなカッコイイ系のおにいさん。この差はインクレダボーだ。
「え―――――?」
 正に、『え』に『゛』。あたしは、みっともなく叫んだ。





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