時代の風

文字サイズ変更
はてなブックマークに登録
Yahoo!ブックマークに登録
Buzzurlブックマークに登録
livedoor Clipに登録
この記事を印刷

時代の風:公共性と匿名性=精神科医・斎藤環

 ◇幼児の心に近い心理状態

 駅員への暴力が急増しているという。

 日本民営鉄道協会などの調べによれば、2009年度、駅員や乗務員に対する暴力行為が869件発生していた(7月8日付毎日新聞朝刊)。08年度に比べ117件の増加で、05年度に調査を開始して以来最多であったという。協会はその対策として、駅や電車内に暴力行為防止ポスターを掲示することを決めた。

 駅員への暴力は、土・日曜など週末の深夜に発生しやすく、加害者の60%近くが飲酒していたと報告されている。忘年会シーズンである12月が最多であったことから考えても、やはり酒の上での暴力が中心なのだろう。

 犯罪件数という点から見れば、世界で最も安全な国であるはずの日本で、こうした暴力が増加しつつあることは、なにを意味しているのだろうか。

 海外でも就業中の暴力被害は大きな問題となっている。しかし、アメリカやイギリスの調査研究をみるかぎり、かなり日本とは状況が異なっている。大多数を占めるのは強盗や殺人、レイプといった凶悪犯罪だ。アルコールが関与する暴力にしても、アルコール依存症者によるものが大半で、酔っぱらった一般人によるものではない。

 一方、日本では酒の上での失態は大目に見ようという風潮がいまだ根強い。駅員への暴力の背景には、こうした“無礼講文化”への甘えもかいま見える。

 ところで、この種の暴力は、電車内での痴漢行為にも通じるところがあるのではないだろうか。

 日本における痴漢被害の多さはよく知られており、その対策として00年以降、女性専用車が導入された。痴漢対策のための女性専用車は、海外では韓国やブラジルにもあるが、それほど一般的なものではない。アメリカやイギリスでは、日本特有の奇妙なシステムとして報道されたほどだ。おそらく公共交通機関における痴漢行為は、比較的日本に多い性犯罪なのだろう。

 私には、この種の痴漢行為と駅員への暴力には共通の要因がかかわっているように思われてならない。

 それは「匿名性」の問題である。

 混雑した電車内では、誰もが単なる乗客の一人として、高い匿名性を帯びてしまう。このとき“匿名性という仮面”は、しばしば人々の攻撃性を高め、あるいは迷惑行為への敷居を下げてしまうのではないか。

 典型例としては「2ちゃんねる」など、インターネット上の匿名掲示板が挙げられる。この種の掲示板は、ネット上でも誹謗(ひぼう)中傷や罵倒(ばとう)の応酬が最も頻繁に見られる場所だ。同じく匿名であっても、発言者の同一性を追跡しやすいブログやツイッターなどはずっと平和だ。この違いは、匿名性が高いほど人間の攻撃性が誘発されやすいと考えなければ説明できない。

 これに加え、わが国のネット文化の特徴としても、匿名志向が強いことはよく知られている。たとえば匿名ブログの数は、海外と比較しても突出して多い。

 公共性を志向するはずのブログですら、しばしば匿名で発信されているということ。私はここに、わが国における「匿名性」と「公共性」をめぐるねじれた関係があるように思う。私たちにとっての公共性とは、まず第一に「匿名である自由」によって支えられているのではないだろうか。

 同様に、私たちにとってのプライバシーとは、「個人情報をコントロールする権利」であるよりは「匿名である自由を侵されない権利」となってはいないだろうか。

 匿名性そのものが問題というわけではない。匿名や変名によって発揮される創造性というものは間違いなく存在するし、その意味では匿名掲示板にも多くの有益な情報が含まれている。

 問題は「匿名である自由」を行使するとき、人がしばしば「退行」におちいってしまうことだ。つまり意識が一時的に、より未成熟な状態に逆戻りしてしまうのである。これはなぜだろうか。

 匿名性は自らの存在を、他者に対してのみならず、自分自身に対しても隠蔽(いんぺい)してしまう。それゆえ第3の視点に立って自己を客観視することが、きわめて困難になってしまうのだ。

 自らを客観視する視点を失うと、世界に自分と相手の2者関係しか存在していないかのような錯覚がもたらされる。そしてほとんどの3者関係は、その起源である母親と子供の2者関係に限りなく近づいていく。

 つまり、匿名性の下で退行した個人の心理状態は、依存と攻撃との間を揺れ動く幼児の心に、きわめて近いものになっていくのだ。

 駅員への暴力対策としては、一切の暴力を容認しない、いわゆる「ゼロ・トレランス」対策が有効であるとされる。これは退行を予防するという点からも意味がある。しかし、それだけでは十分とは言えない。

 私たちは少なくとも、「匿名性」が持つ可能性と限界の両面を、共に十分に理解しておく必要がある。そのためにも、「匿名である自由」がしばしば公共性を侵害してしまう現実に、いっそう自覚的であるべきなのだ。=毎週日曜日に掲載

毎日新聞 2010年7月25日 東京朝刊

PR情報

時代の風 アーカイブ一覧

 

おすすめ情報

注目ブランド