早川由紀夫の火山ブログ

Yukio Hayakawa's Volcano Blog

ニセ科学にどう向き合うべきか 火山防災の目から考える

ビタミンKを投与しなかった乳児が死亡したニュースに接して、ツイッターできのう考えました。加筆しつつまとめます。

私の基本的立場は、「安全は保証されていない」です。命を絶たれるリスクを負いながら毎日毎日を積み重ねています。そういう目からすると、ビタミンKを投与しないことによる乳児死亡のリスク1/2000はそれほど大きくない。もちろん費用が小さいから対応するリスクではあるが、他に優先する何かを持っている人がそれに対応しない自由も認めたい。

「(砂糖玉がビタミンKと同じ役割をすると考えるのは)科学的に間違っている」は、どしどし言ってください。「だから信じるなとか、だから使うな」までは、言わないでください。意見陳述はよいが、指図は控えてほしいというのが私の立場です。

この立場を私がとるに至った背景には、火山災害時の避難行動をよく考えたことがあります。災害対策基本法の60条と63条、すなわち避難勧告・避難指示・警戒区域の問題を深く考えました。それの応用です。

避難することによる損失を補償することなく、公共の福祉にも無関係で、首長が住民に避難を指示できることが法に書かれていますが、憲法違反の疑いがあります。

避難が必要かどうかは公が判断すると、気象庁が2007年12月に気象業務法を改正してその態度を明確にしました。指示しないと住民は火山の危険から逃れることができないと考えたようです。私はこれに反対します。火山リスクは確率でしかいえません。たとえば60%の確率で被災するとき、避難指示を出したほうがよいでしょうか。避難が必要かどうかは、個人がかかえる仕事や生活の種類によるでしょう。人生観や家族構成にもよるでしょう。もちろん予想される被災の程度にもよります。私は、避難するかどうかは個人が決めることだと考えます。

気象庁がやるべきことは、リスクの内容をできるだけ詳しくそして定量的に住民に伝えることです。住民は、情報を得て、時間を使って考えて、自分がとるべき行動を決心します。

さて、ニセ科学にどう向き合うべきかを考えましょう。科学の専門家は、ニセ科学のどこが科学的に間違っているかを指摘するに留まるべきです。必要があると信じるなら、何度も繰り返して指摘してください。平易なことばでわかりやすく伝えてください。特定のニセ科学を信じるなと、他人の内心を指図するのはしてはならないことです。信じるか信じないかは個人の意思に任せるべきです。


▼覚え書

ニセ科学であることだけを理由に、それを信じないよう利用しないよう他者に強いることに正当な根拠はない。ここでいうニセ科学とは、科学を装うが科学でないものを指す。

巷でみられるニセ科学糾弾の根拠は、詐欺や差別に求められることが多い。

科学者に過度の倫理的責任を求めるひとは、自分の人生を自分で決める権利を放棄しているに等しい。そういうひとは往々に、他人任せした選択で生じた結果責任を臆面なく他人に転嫁する。

高度に発達した現代科学を利用するひとは、それ相応のコストを負担しなければならない。

「○○を信用するな」と教えることは、「○○を信用しろ」というのといくらも変わらない。「○○を疑え」と教えるべきだ。すべてを疑えとは、そういうことだ。「○○を疑え」とは、○○が信用できるか信用できないか自分で考えなさいという意味。

○○がおかしい理由はこれこれであると、証拠を示してやさしくていねいに説明することが重要だ。

「ニセ科学って、なぜいけないんですか?」「科学的間違いを流布しちゃいけないでしょ」「科学的間違いはニセ科学なんですか?」「いいえ、ニセ科学ではありません」「ニセ科学って、なぜいけないんですか?」(以下ループ)

「ニセ科学って、なぜいけないんですか?」「ニセ科学自体はいけないことありません。ニセ科学を使った詐欺や差別がいけないんです」「わかりました」(終了)

コメント

はじめまして、北海道に住んでいるものです。
火山の避難行動についてですが、2000年の有珠山噴火において、一万人以上の避難がスムーズに行われたため、一人の死者も出さずに済んだ経験をみれば、(たとえ有珠山が噴火予知しやすい山であることを鑑みても)個人の判断による避難は無駄に混乱を招き、被害を増やすものになると思いますが、地質や科学を専門にされている早川先生のご意見はいかがでしょうか?
あの噴火は岡田弘先生の啓蒙もかなりあったと思います。

有珠山噴火の前にも、南西沖地震の津波で、避難勧告の遅れから多大なる被害がでたこともあり、個人の判断に委ねることの危険さを身を以て知ったものの個人的感想ですが。

  • 2010/07/12(月) 14:22:24 |
  • URL |
  • 頓服 #SFo5/nok
  • [ 編集]

お答えします

2000年3月の有珠山噴火では、避難指示に反して自宅に留まった男性を噴火が一段落したあと装甲車で救出(あるいは強制排除)に行きました。全員が避難したから誰ひとり死ななかったのではないようです。

2000年8月の三宅島噴火では、東京都は島人が死んでもかまわないと思ったようにみえます。8月18日のクライマックス噴火で全島が噴煙の下に隠れましたが、幸いなことに死者はひとりも出ませんでした。噴火が終わって9月になってから、東京都はどういうわけか避難指示を出しました。

1991年6月の雲仙岳噴火では、当局が火山の危険を正確に伝えることができなくて43人が犠牲になりました。そのあと、教訓が効きすぎて、広範囲に警戒区域を敷いたため莫大な私有財産が失われました。住民の心と生活に回復不能の打撃を与えました。

以上の事例を知っているから、個人の判断を許さない考え方に私は賛成しません。

  • 2010/07/12(月) 14:49:11 |
  • URL |
  • 早川由紀夫 #eWKQhjJU
  • [ 編集]

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです

  • 2010/07/13(火) 11:41:17 |
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ビタミンK投与とリスクについて

http://twitter.com/HayakawaYukio/statuses/18342197934
Twitterでの上記のツイートに対しての質問です。
Twitter上でも質問したのですが、ブロックされたようなのでこちらのコメント欄にて質問させていただきます。

新生児にビタミンKを投与しなかった時の死亡数=山岳遭難での死亡数と同等であり、
「登山者は、死ぬかもしれないことを承知の上で山に登る。そして登山することを日本社会は許している」とのことですが、
「死ぬかもしれないことを承知の上で山に登る」登山者と、適切な処置をされずに助産婦に虐待死された乳児を同一視するのはどのような考えなのでしょうか。
リスクを選ぶことが出来る登山者と、リスクを選ぶことが出来ない乳児を同一視するのは、助産婦による虐待死を肯定しているようにしか思えません。

「安全は保証されていない」からといって、回避が容易であるリスクを回避せずに死亡させることについてはどうお考えなのでしょうか。
火山の噴火による避難と、栄養を投与することに対するリスクは全く違うと私は考えます。
そもそも高々1/2000という低確率で死ぬからと言ってリスク回避をしないことは人道的に見てもおかしいのではないでしょうか。

お忙しいところ恐れ入りますが、お手すきの時に返答願います。

  • 2010/07/17(土) 22:53:25 |
  • URL |
  • starfruits_sr #wLMIWoss
  • [ 編集]

お答えします

・「助産婦に虐待死された乳児」が存在する事実を私は確認していません。仮にそういうものがあったとしても、私はそれを肯定していません。
・年間死亡数がほぼ同じだと書きました。死因については触れていません。
・「回避が容易であるリスクを回避せずに死亡させること」について、山口のビタミンK不投与の問題に限ってお答えすれば、個人の裁量権に属すると考えています。その責任は法律に基づいて問うべきだと考えています。法に基づかない責任追求はしません。
・リスク評価は、さまざまな加害要因を同様の尺度で定量的に評価するものです。そのとき、死亡確率はすぐれた尺度であることが知られています。加害要因の性質の違いはみません。数値だけで比べます。非情なことのようにみえるのでしょうね。でも、これがリスク学という学問がとる姿勢です。
・人道的見地からでも、1/2000で死亡するレースに出場するひとを制止するべきだと思いません。1/2なら考えます。1/1なら権力による強制執行もありうると思います。
・なお乳児には思考力判断力がありませんから、乳児の法律的権利の行使は親権者が代行することになっていると思っています。

  • 2010/07/18(日) 06:59:36 |
  • URL |
  • 早川由紀夫 #eWKQhjJU
  • [ 編集]

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです

  • 2010/07/21(水) 13:18:58 |
  • |
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  • [ 編集]

ご返答ありがとうございます。

> ・「助産婦に虐待死された乳児」が存在する事実を私は確認していません。仮にそういうものがあったとしても、私はそれを肯定していません。
今回の件を伝えるニュースには「しかし、母親によると、助産師は最初の2回、ビタミンKを投与せずに錠剤を与え、母親にこれを伝えていなかった」[*1]
との一文があり、ビタミンKを与えなかったことが原因のビタミンK欠乏症で乳児が死亡したことは、
「自分の保護下にある者(ヒト、動物等)に対し、長期間にわたって暴力をふるったり、世話をしない、いやがらせや無視をするなどの行為を行うこと」[*2]
という虐待の定義に当てはまると私は考えます。

> ・リスク評価は、さまざまな加害要因を同様の尺度で定量的に評価するものです。そのとき、死亡確率はすぐれた尺度であることが知られています。加害要因の性質の違いはみません。数値だけで比べます。非情なことのようにみえるのでしょうね。でも、これがリスク学という学問がとる姿勢です。
リスク評価という面で見ても、火山噴火で避難することに掛かるコストとリスクリターン、乳児にビタミンKを与えないことに掛かるコストとリスクリターンは全く違うものであり、
絶対回避出来るリスクと絶対回避出来ないリスクを同一視するのはおかしいのではないでしょうか。。
そもそも人の命を預かる助産婦がビタミンKを与えずに乳児を死なせることを、リスク評価で見る事自体が間違ってるのではないでしょうか。

> ・人道的見地からでも、1/2000で死亡するレースに出場するひとを制止するべきだと思いません。1/2なら考えます。1/1なら権力による強制執行もありうると思います。
自分の意思で参加するレースと、自分(乳児)の意思と関係なしに投与されるべきビタミンKを投与しない乳児への虐待は全く別の性質です。
早川先生は乳児の生命はレースと同等の性質であると思っているのでしょうか。


以上の点が個人的に疑問に感じました。

[*1] http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20100709-OYS1T00214.htm
[*2] http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%90%E5%BE%85

  • 2010/07/24(土) 22:58:29 |
  • URL |
  • starfruits_sr #wLMIWoss
  • [ 編集]

再度お答えします

読売新聞が書いた「「しかし、母親によると、助産師は最初の2回、ビタミンKを投与せずに錠剤を与え、母親にこれを伝えていなかった」のうち、「ビタミンKを投与せず」はおそらく事実でしょうが、「母親にこれを伝えていなかった」を事実だと私は認めていません。この事実認定に争いがあるからこそ、民事訴訟が起こされたのだと考えています。

絶対回避できるリスクが存在するとは考えていません。ビタミンKを投与しても同じ疾病にかかる幼児は、確率は小さくなるだろうが、いるだろうと(専門外ですが)想像します。山口の幼児死亡をリスクからとらえる視点が間違ったことだと私は思っていません。

幼児はみずからの意思で選択することができないから、保護者がその選択を代行します。生命を賭すという点で、レースとビタミンKは同じだと考えています。

個人的に疑問を感じるのはかまいませんが、法律にないことを他者に強いるときはよほど慎重であるべきだと考えます。

  • 2010/07/25(日) 05:14:27 |
  • URL |
  • 早川由紀夫 #eWKQhjJU
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