昨晩、都内に宿泊したのは、
賢い選択でしたね。
京葉線は通常の事務局長の通勤時間には運行見合せ。
再開したのは2時頃で、
うちの娘は、殿様出勤。
組合職員のうち、
一人は新宿で足止めされ、
地下鉄を乗り継ぎ、
最後はゆりかもめで
天王州アイルから徒歩で出勤。
一人は有楽町で山手線が止まり、
都営線、京浜急行で品川へ。
一人は地下鉄を乗り継ぎ、
品川まで来たものの、
行き場のなくなった人がたまった状態で品川駅がパンク。
動けなくなりました。
湘南方面から通勤している一人は、
東海道線が動かず、
ついに午後、出勤を断念。
こういう状態でした。
事務局長は、前夜、
大崎や五反田の安いホテルも探したのですが、
山手線が止まることを考えて、
品川の反対側のホテルに宿泊して、大正解。
コンチネンタル・ブレックファーストを食べた後、
歩いて出勤しました。
京葉線が止まることは、
これだけ長く付き合っていると、
相手の心の中が読めるようになり、
「おい、お前、明日は台風にかこつけてサボるつもりだろう」
「へっへっへ、分かりました?」
などという会話を京葉線としていたのです。(ウソ)
今日は臨時総代会の議案資料を完成させ、
袋詰めされた議案は
連休明けの郵送を待っています。
新聞記事も果敢に執筆。
「都肉連解散の真実」への回答は、
やっと異なる意見が登場して、
ほっとしたところです。
また、来年の関東大会の講師も承諾を得て決定。
まだ発表しませんが、
名前を聞けば、
「おお、あの人が講演するのか」という
有名な方がおいでになります。
発表は、今月末の新潟大会で。
組合では11月の常務会の後、
新聞で発表します。
乞うご期待。
さて、今日の表題は「信なくば立たず」。
漢語で書くと、
「無信不立」。
「信なくんば立たず」とも言い、
孔子の言葉です。
「顔淵(がんえん)第十二第七章」に、このようにあります。
子貢問政、
子曰、足食足兵、民信之矣、
子貢曰、
必不得巳而去、於斯三者、何先、
曰去兵、
曰必不得巳而去、於斯二者、何先、
曰去食、自古皆有死、民無信不立。
意味は、
子貢が政治のことを孔子に尋ねると、このように答えた。
「食料を十分にし軍備を十分にして、人民には政治を信頼させることだ」
子貢が「どうしても、やむをえずに捨てるならば、この三つの中で、どれを先にしますか」というと、
孔子は、「軍備を捨てる」と言われた。
さらに「どうしても、やむをえずに捨てるならば、この二つの中で、どれを先にしますか」と訊くと、
「食料を捨てる。食料がなければ人は死ぬが、昔から誰にでも死はある。
しかし、人民に信がなければ安定しない」と言われた。
このように、
国は軍備や食糧ではなく、
信頼関係で成り立っており、
国家と国民の間に信用・信頼がなくなったら、
その国は必ず滅びる
ということになります。
政治家で「信なくば立たず」と色紙に書く人は多く、
先の衆議院選挙で自民党が大敗したのも、
つまるところ国民が自民党を信用しなくなったということでしょう。
また、自民党そのものが
麻生さんに対する信頼関係がなくなって、
もはや「立たなく」なっているのを見て、
国民に嫌気がさしたということでしょう。
他に孔子の言葉に、
「人にして信なくば、その可なるを知らざるなり」
というのもあります。
「為政(いせい)第二第二十二章」で、
子曰、
人而無信、不知其可也、
大車無「げい」、小車無「げつ」、
其何以行之哉。
字がないのですが、
「げい」は車偏に兒。轅(ながえ)のはしの横木のこと。
「げつ」は車偏に兀。轅(ながえ)のはしのくびき止めのこと。
意味は、
人として信義がなければ、うまくやっていけるはずがない。」
牛車に轅(ながえ)のはしの横木がなく、
馬車に轅のはしのくびき止めがないのでは、
車として役に立たない。
一体どうやって動かせようか。
ということ。
つまり、政治に限らず、
人間に信用がなければ、
家庭生活も、社会生活もうまくやっていくことは出来ない。
ということでしょう。
さて、組合のような団体は、
つまるところ、信頼関係で成り立った組織です。
会社は利潤追及が第一ですので、
別な論理で動きますが、
ボランティア組織は相互の信頼が結び付けています。
まさに、「信なくば、立たず」です。
最近、それに反するような事例を見ました。
たとえば、うちの団地の自治会。
今カミさんは順番で回って来る棟委員に1年間なっているのですが、
会議のたびにうんざりして帰って来ます。
というのは、会長と副会長の仲が悪い。
何しろ、前の総会で
当時の副会長(今の会長)が
当時の会長(今の副会長)の失敗を万座の中であげつらい、
結果、会長が辞任、
今度は副会長が会長になり、
前会長が副会長になって、
攻守ところを変えて足を引っ張る。
事前の幹部会でやればいいものを
わざわざ委員全体会議で持ち出して
恥をかかせようとする。
遺恨試合、意趣返しを人前でやる。
カミさんは「早く1年がたたないか」と思っていますし、
出席した委員は、
会長と副会長のバトルが始まると、
帰ってしまうといいます。
まさに「信がなくて、立っていない」のです。
ある組織では、
高齢な上に病気になった会長が
すっかりぼけて機能停止。
相手との会話も成り立たない状態で、
会議をすれば支離滅裂。
こういう状態で、
任期切れをじっと待っているというのは、
組織にとっては不幸です。
これなど、「信」の置きようがない状態でしょう。
ある団体では、
トップが事務局職員を長年にわたって抑圧し、
「お前たちは無能だ、役立たずだ」
と言い続けており、
我慢して大人の対応をしてきた職員の
堪忍袋の緒が切れて決裂。
ついにトップは
「いい、俺が全部やる」
と書類から経理帳票まで持って行ってしまった。
しかし、やれるはずがなく、
他の役員が乗り出して、
トップは病気を理由に辞任。
現在再建中。
これもトップと事務局の信頼関係が築けなかった例です。
ある食肉団体では、
選挙に敗れた副理事長が、
理事長のことを
「あいつは肉屋をやっていない」
と誹謗、
現地に行って写真まで撮るという卑劣な行為。
理事長は仕入れ伝票など見せて対抗。
他の役員が
「副理事長というのは、理事長を支える存在。
それが足を引っ張ってどうする」
と非難した結果、
本人が辞任。
異分子を排除したその団体は、
理事長を中心に結束して組織運営して、
「雨降って、地固まる」だったそうです。
この時、この副理事長が潔くやめたからいいものの、
しがみついて留まっていたら、
この団体の組織運営は悲惨なことになったでしょう。
ある団体では、
トップが反組織的虚言を外でしていたのが発覚。
トップを支える中核メンバーの信用を失ってしまった。
トップが嘘付きだと分かってしまっては、
信頼関係の築きようがない。
ここで、前の例のように
潔くやめてくれればいいものを、
「任期一杯やらしてくれ」
と頼んだものだから、
副の立場の人々が任期までは我慢することになった。
しかし、信頼関係は損なわれているから、
その組織運営は地獄の様相を呈しているという。
まさに「信なくば立たず」で、
支える人たちの信頼を失ったのだから、
それだけでも辞任の理由はあるのに、
本人がやめるといわない限り、
引きずり降ろすことができない。
会員のことを考えると、
幹部がもめている姿は見せたくないので、
いわば「会員を人質に取られた形」で、
トップ不信のまま組織運営されているという。
ある公取協では、
会長が従業員から偽装の内部告発を受けた。
副会長らは追及したが、
物的証拠がないので、
「やっていない」という本人の弁明を信ずるしかない。
しかし、根深いところで不信感は続いている。
内部告発は相当な覚悟でなされているので、
それを受けただけで、
従業員の把握が出来ていないとの理由で
引責すべきだろう。
このように、
「信なくば、立たず」
を如実に表す事例は枚挙にいとまがない。
人間の信用というのは、
嘘をつかず、
裏切らず、
約束は守り、
私的なことより公的なことを重んじる姿勢を
長い間続けて、始めて得られるものだ。
「信」という文字は、
「人」と「言」からなっている。
そして、「誠」とは「言」と「成」からなり、
それが「誠実」という実りを生む。
その根底にあるのは、やはり「言」で、
とにかく、嘘をつく人は信用できない。
外国では「嘘付き」というのは、最大級の侮辱の言葉だ。
最近、事務局長が陥っているストレスも
このあたりにある。
ある人の言葉が信じられない。
嘘をついて人をおとしめている現場を聞いてしまったからだ。
信用は人間の大切な宝だが、
周囲にいる人間の信用も大切な財産だ。
まわりに信用できる人間、
嘘をつかず、裏切らず、
言ったことは守ってくれる人間がいるということは
最高の幸福なのだ。
自分がどれだけ信頼される人間か。
周囲にどれだけ信頼の人間関係を作っているか。
今一度問いかける価値のある内容だろう。