芥川龍之介の自殺の知らせを聞いて、
内田百※(うちだ ひゃっけん、※は、文字がない)は、
「あんまり暑いので、
腹を立てて死んだのだろう」
と言ったそうですが、
何年ぶりの猛暑に日本列島が沸き立っています。
さすがに、腹を立てて死ぬほど文学的繊細さをお持ちの人はいないようですが。
自分の子供の頃を思うと、
クーラーもない、
扇風機さえない中、
どうやって暑さをしのいでいたのか見当がつきません。
というより、
当時の暑さを忘れています。
人間はやはり、
辛い経験は忘れてしまうのでしょうか。
今日は、週明けに行われる表示講習会の準備。
事務局長が講師です。
講義の流れはパワーポイントに入っていますので、
楽といえば、楽。
消費者庁に移管された関係で、
その部分の修正はありますが、
食肉公正競争規約が変更されたわけではありませんので、
その点、安心です。
夕方から東京食肉名鑑の編集にかかり、
付録である定款を名鑑用に組み直してみると、
やはり全体で30〜40ページ減るようです。
日曜日のミニ支部長会に持っていく資料は、
わざと事務所に置いて帰宅。
こうすることで、日曜出勤せざるをえなくして、
一挙に名簿の修正をしてしまおう、というもくろみ。
電話もない、来訪者もいない中で集中してやらないと、
ミスも増えますので。
夕方、大学の後輩であるK君が上京してきたので、会食。
二人とも飲まないので、
食事と真面目なおしゃべりの会ですが、
K君がニコニコと
「実は、今日は記念日なんです」
といいます。
何の記念日かというと、
「院長の正体がばれて、病院が救われた記念日」
だと。
K君は生まれ故郷にある医療法人で事務長をしており、
真面目で曲がったことが嫌い。
剣道四段の質実剛健な気風を持った人物で、
人の悪口、まして上司の悪口を言う人物ではありません。
珍しいな、と思いつつ、聞いた話は、実に興味深い。
以下、その概要を記します。文体が変わります。
☆☆☆☆☆☆☆
K君の勤める病院は、S県F市にある総合病院。
公営ではないものの、実質的に市民病院として親しまれている。
運営は評議員制を取っており、
2年前に前院長が勇退して、新しくYという方が院長になった。
性格の良いK君は、この院長を支えるために能力を発揮していた。
昨年の7月23日、
県の経済団体の会合から帰って来た院長から渡された
ICレコーダーの録音を聞いて、K君は驚愕した。
その頃、院長は会議の内容を、
正確を期するために録音するようにしており、
この日も病院のICレコーダーを借りていった。
K君が聞いてみると、録音は二つされており、一つは会議の様子。
もう一つには、その後、喫茶店で話した雑談が入っていた。
新しい機械の捜査に慣れない院長は、
一旦停止ボタンを押した後、隣の録音ボタンを間違って押し、
鞄の中で私的な会話が録音されていたのを知らずに
K君に返してよこしたのだ。
雑談の相手は他の病院の院長二人。
この録音内容を聞いてK君が困ったのは、
自分の病院の内情を他の病院の院長にぺらぺら話しており、
しかも、その中身は嘘ばかり。
前院長の悪口も言っており、病院の基本方針に反することも言っている。
2時間ほどの録音内容をまとめると、
「前の院長がいろいろ間違ったことをしたので、
私は今、その修正で苦労している。
非常に迷惑だ。
やがて前院長の影響力がなくなって、
うるさいことを言う事務長も辞めたら、
定年制を廃止して、私が長く院長をやり、
やがては医療法人連合に復帰します」というものだった。
定年制というのは、
院長他の幹部が高齢化するのを防ぐため、数年前に導入した制度で、
これにより経営陣が若返って、どんどん刷新が進んだ、
病院の転換の契機となった制度。
良い結果を生んでいるし、Yさんはこの決定に関与している。
それを自分が長く院長をつとめるために延ばそうというのだから、
聞き捨てならない。
医療法人連合というのは、
他県とまたがる組織で、不透明な運営をしており、
数年前にK君の病院はここから離脱、
戻って来たお金で設備を一新し、患者にも還元していくなど、
それまで官僚的だった体質を患者重視に変える契機となった出来事
(よく似た話があるものだ)
離脱については前院長に大きな功績があり、
どうも今の院長は前院長の功績を否定したいようなのだ。
いずれにせよ連合からの離脱は正式に機関決定した事柄であり、
一度も復帰を議論せずに院長が話すのは不見識、
第一、復帰を院長が口にしては、それが病院の意思と誤解されてしまう。
雑談の相手は、その連合のメンバーだから、
院長は彼らに媚びてしまったらしい。
録音内容を病院にとっては重大事と判断したK君は、評議員たちに相談。
録音を聞いた評議員たちは、
院長の言動は病院に対する重大な背信行為だとして、本人を呼んで確認。
始めは発言自体を否定していた院長も、録音を聞かされて観念。
「こんな発言が明らかになって、あなたはこのまま院長を続けられるのか」と評議員の全員がNOを突きつけると、
院長はせめて任期一杯やらせてくれと言った。
市民や患者への影響を考えた評議員たちは、
「では、来年の任期満了までは、私たちは支えましょう。
ただ、その後は院長に立候補しないでほしい」と評議員の総意を伝え、
相手が承諾したので、一筆書くことを求めたところ、
院長は弁護士をからませてまで拒否。
最終的には
「これだけの人間が証人なのだから、文字にしなくてもいい。
男と男の約束だから」と決着し、
録音内容については、院長の名誉に関わるからと、
評議員までで留める約束をした。
その後もK君は、院長という職務を尊重してお仕えした。
彼は職業人として自分を律し、評議員も見事に秘密を守った。
ところが、年を明けた頃に、院長は院長選の事前運動を始めた。
これを評議員が正したところ、
「ああ、確かに約束しましたよ。
しかし、人は時間と共に変わるんです。
そんな前のことに縛られてはいけないんです」
と院長が言ってのけ、評議員たちはあきれた。
「男と男の約束」を破るのでは、
今後、この人の全ての言葉を信用することはできなくなる。
その上、K君にとってはいやな噂が伝わってきた。
院長がその出身母体の小児科の医局で、
事務長を標的にした嘘八百を並べているというのである。
「俺は事務長にはめられた。
これは俺と事務長の個人的な喧嘩なのに、
そんなことで事務長が俺をやめさせようとしている。
職員が院長をやめさせるなどという話があってたまるか」
評議員全員から不信任されたことは一切触れずに、
個人的なレベルに矮小化して、
自分の部下をおとしめているのである。
院長は以前、事務長を使用人呼ばわりしたことがあるという。
「あの録音を事務長が握りつぶしてくれれば、
こんなことにはならなかったのに、
あいつのせいでこうなった。
事務長のせいで俺はやめさせられる、という思いが、
いつの間にか、事務長が俺をやめさせようとしている、
ということに変わったんでしょうね。
評議員たちを敵にまわしたくないから、
弱い職員のせいにして同情を借りようとしたんでしょう」
とK君は苦笑した。
「人間というものは、
信頼を獲得するいくつかの最低限の条件があると思うんですよ。
嘘をつかない。
仲間を裏切らない。
自分のした約束は命懸けで守る。
これが基礎となって、その上に、
自分のことより人のためを思う言動が蓄積して、
長年かけて、あいつは信用できる奴だ、と思われていくわけでしょう。
あの録音を聞いた評議員たちが驚いたのは、
院長が嘘をつく人であり、裏切る人であったことです。
そして、その上に約束を破る人、というのも付け加わってしまった。
私も今までいろいろな人に会いました。
嘘を言う人にも裏切る人にも、
もちろん約束を守らない人にも会った。
しかし、
『時間がたてば、約束は守らなくていいんだ』、
と平然と言ってのけた人には、まだ会ったことがありません。
嘘を言う人も約束を破る人も、
『いけないことをしている』といういくばくかの羞恥
を感じていると思いますが、
院長は、それさえ持っていない。
今までの五十数年の生涯で出会った人で最低レベルの人間が、
自分の上司であったとは、いい勉強をしました」
と、K君は寂しげに言う。
「実は、私、自分を罰しようと思っていました」とK君は続ける。
「誤った方向に院長が行ってしまった一端の責任が
自分に全くないと言えば、それは責任逃れというものでしょう。
事務長として院長をお支えできなかったことは事実ですし、
だから、院長が辞めたら、自分も辞めるか、
それが迷惑かけるなら、減俸処分にするとか、
いずれかを新しい院長に申し出ようと思っていました。
でも、この一連の経過でYさんの卑劣さが明らかになると、
ああ、これは、この人の生まれつきの性分がこうさせたんだ、と思って、
自分を罰する気持ちは失せてしまいました」
その後も潔くない言動でじたばたした院長は、
結局任期切れで継続せずに退任。
結果は同じで、その間に院長の男が下がっだけだった。
今病院は新院長のもとに再建中という。
Y氏は、一応名誉職をもらっているものの、前院長を敬う人はいない。
「あのまま約束を守れば、
今でも友人付き合いは出来ていただろうに、
今はそれさえ出来ないんですよ」と言うK君に、
君は前院長にどういう態度でのぞむんだと聞くと、K君はこう言った。
「もう訣別しました。
今後、私には話しかけないで下さい、と言ったんです」
K君は、Y氏が院長である間は、
「上司の悪口は言わない」と自分を律していたという。
そういえば、半年前に会った時には、一切そういう話はしなかった。
しかし、Y氏が院長でなくなり、病院が派遣した公職が全て終了し、
上司・部下の関係ではなくなった日に、そう宣言したという。
私にも、「やっと、今日、お話できます」とホッとした様子だった。
「この一連の出来事は、神様がうちの病院を守ったんだと思います。」
と言うK君は、信仰を持っている。
「もし、Yさんが二期、三期と続ければ、当然力を付けてくるでしょう。
その時、定年制を延長したい、と言えば、追随する者も出てきます。
医療法人連合に戻りたい、と言えば、
当時の事情を知らない人は、院長がそう言うなら、
と賛成する人もいるでしょう。
そうなれば、病院は、連合への不要な出資をしなけれはならず、
今患者さんのためにしている様々な事業も出来なくなります。
一人の人の功名心で病院が間違った道を行く、
それを神様が阻止したんです。
そうでなければ、
一度止めた機械の録音ボタンを
もう一度押すなどという不思議なことが起こるはずはない。
Yさんの指をほんの数ミリ移動させ、ボタンを押させたのは、
神様がしたのだと、私は信じています。
私たちの病院は、神様に愛されていますから」
少々神がかりだが、確かに不思議なことが起こったものだ。
「そういう不思議なことが起こり、病院が守られた、
それが昨年の7月23日の出来事です」
そして、K君はこう続けた。
「この10カ月は地獄でした。
事務長の使命は、院長を支えることで、
その支えるべき対象が空洞化してしまったんですから。
はっきり言って辛かった。
いつも頭からこの問題が離れませんでした。
でも、これで終わりです。
これからは前向きに病院を再建していくしかありません。
だから、今日を期して、Yさんのことで悩むのはよそう、
そう決めたんです。
そういう意味で、今日は新たな記念日になりました」
☆☆☆☆☆☆☆
富士通もそうだが、よく似た話もあるものだ、とつくづく思います。
世界は地下茎でつながっていて、
あちこちでぼこぼこと同じ事象が起こっているのかもしれません。
そうしたことを教えてもらった昨夜は、本当に不思議な夜でした。