11月、アオイさんは受験勉強を始めた。保育士になるため短大に進学したいのだ。しかし、大きな壁が立ちはだかった。学費の問題だ。さらに保証人を誰に頼むかという問題もある。どうしたらアオイさんを短大に行かせることができるか、施設の職員たちが話し合った。鳥羽瀬さんは親に援助をお願いするしかないと提案した。しかし、異論が出た。援助を受けることで再び、親の支配下にあるとアオイさんが感じてしまう恐れがあるのだ。
大人になってからも
虐待の過去に苦しむ人たち
社会で暮らすようになっても虐待の過去に苦しむ人たちがいる。大村椿の森学園を出て、いまは船舶関係の仕事に就くヨウスケさんもその1人。父親からの虐待で傷ついた心は、施設で過ごすうちに癒えた。いまは職場の同僚とも問題なく付き合える。しかし、完全に心を許せる友人を作ることはできない。
「親に暴力を振るわれて施設に入ったことは知られたくない。軽蔑される」
虐待を受けた人たちの心のケアを25年にわたり続ける臨床心理士の玉井邦夫さんは、社会で身を隠すように暮らす人たちを数多く見てきた。仕事一筋だった40代男性は虐待の記憶が蘇ってしまい、以来、仕事ができなくなったという。20代の女性は父親から性的な虐待を受けた過去を夫に伝えられない。精神のバランスを崩し、離婚の危機に瀕しているという。
「打ち明けなければ始まらないが、そもそも打ち明けることができないから苦しみが続いている。本人が勇気を出すのを待つしかない」と玉井さんは言う。
打ち明けたことで不安が和らいだという人がいる。椿の森学園を5年前に退所したキョウコさんだ。不安を抱えて暮らすキョウコさんを支えたのは職場で出会った恋人だった。結婚を決断する前、勇気を出して虐待の過去を打ち明けると、恋人の反応は意外なものだった。
「『苦しかったんだね』って抱きしめてくれた。もう頑張らなくていいんだって肩の荷が下りた感じがした」
結婚の翌年には娘を出産。幸せが訪れたが、同時に新たな不安も沸き起こった。母親から受けた虐待を、娘にしてしまわないかというのだ。キョウコさんの母親は子どもに関心を向けず、育児放棄を続けた。母親から愛された記憶がないため、娘をどう育てればいいのか迷うことがあるという。
しかし、いまは頼れる夫がいる。キョウコさんは辛い過去と向き合いながら少しずつ前に進んでいる。
施設を離れ、自立へ。
アオイさんの旅立ち
今年1月、アオイさんも一歩を踏み出す決意をした。短大のことを父親に相談しようというのだ。父親のことを考えるといまも緊張が走る。一方で楽しい思い出もある。“怖いけど好き”虐待を受けた子どもの多くが、親に対して抱く感情だ。
面会当日、アオイさんは保育士になるため短大に行きたいと訴えた。父親は「応援している」と答えた。一週間後、父親から施設に連絡が来た。
「保証人にはなるが、学費に関しては一年間、娘の様子を見てから決めたい」