【連載企画】宮崎の畜産(上)

(2010年7月19日付)

 口蹄疫の発生によって、畜産への関心が高まっている。農業が基幹産業の本県で、畜産は農業生産額の実に約6割を占める。本県はどのようにして現在の畜産王国を築いたのか。歴史や家畜数のデータ、畜産農家の仕事などを通して、「宮崎の畜産」を見てみたい。2回にわたって紹介する。(報道部特報班)

■歴史 行政も和牛繁殖推進

 全国的に戦前まで、牛は農耕用として飼われていた。戦後は牛の飼育農家が増えたが、高度経済成長期に入ると、農業と第2次、第3次産業との所得格差が拡大。全国で畜産を含め農業をやめる農家が増えた。良質の牛を産出していた島根、鳥取県などでも、瀬戸内海沿岸が工業化するのに合わせ離農が進んだ。

 全国的な畜産への逆風の中、本県畜産は生き残った。和牛改良に長年携わり、現在は県立農業大学校(高鍋町)で非常勤講師を務める黒木法晴さん(85)は「宮崎は工場が少なく、農業をやるなら県が和牛繁殖を勧めた。のんびりした宮崎県民には、酪農に比べて手の掛からない和牛繁殖が合っていた」と話す。

 特に児湯郡、都城市など北諸県郡は平地が多いなど地理的条件に恵まれ、芋や野菜栽培などと兼業できる手軽さも受け入れられた。

 1960年代から洋式の生活スタイルが普及し始めると、牛乳や牛肉の需要が一気に増大。国の後押しもあって酪農牛、肉用牛の畜産農家も増え始めた。

 当時、国は「牛乳の消費が伸びる」とみて酪農を推進。しかし、「搾乳した牛乳を大市場である都市圏に毎日運ばなければならず、交通網が整っていない宮崎では難しかった」(黒木さん)。肉用牛生産へ進むことになった本県だが、中でも県は、飼育が容易な子牛の繁殖を推奨した。

 73(昭和48)年には高鍋町に県家畜改良事業団が設置され、優秀な宮崎の血統をつくり上げていく基盤が整った。官民一体で改良を重ね、「隆美」「安平」など全国的に知られる優秀な種雄牛も誕生。その後も数多くの種雄牛を送り出し、「宮崎牛」の名を不動のものにしている。

 一方、県内で養豚業が始まったのは明治初めの都城市(県畜産史)。昭和に入り戦禍で頭数が激減し、価格が急騰。このため今度は養豚農家が増え過ぎて価格が急落し、廃業する農家が相次ぐなど、養豚経営は不安定な時期が続いた。

 本県で転機となったのは61(同36)年のランドレース種導入。大ヨークシャー種との交雑種は病気に強く、繁殖力も優れていた。これが農家の大規模化につながった。79(同54)年には県産ブランド豚「ハマユウL」が生まれるなど、品質は全国的に評価されている。

■データ 農業生産額6割占める

 2008年の本県畜産産出額は1869億円で全国3位。内訳は肉用牛589億円、乳用牛98億円、豚543億円、鶏637億円など。また、県全体の農業産出額(3246億円)に占める畜産の割合は57・6%で、全国で最も高い。いかに畜産が本県農業の柱であるかが分かる。ちなみに畜産産出額1位は北海道(5057億円)、2位は鹿児島県(2383億円)。

 飼育数は09年2月現在で、肉用牛(29万7900頭)が全国3位、豚(91万4500頭)と鶏(ブロイラー、1838万8千羽)が2位。一方、飼育農家戸数は、肉用牛が1万100戸、豚623戸、鶏(ブロイラー)が384戸。

 農家数は過去20年間減り続けているが、全体の飼育数は維持されている。その背景には農家の大規模化がある。例えば豚の1戸当たりの飼育頭数を見た場合、1990年が1戸当たり215頭だったのに対し、09では1467頭と大幅に増えている。

 06年の市町村別畜産産出額では、都城市が569億円でトップ。次いで川南町149億円、えびの市122億円、小林市121億円と続く。

 (データは農林水産省の生産農業所得統計、畜産統計、食鳥流通統計より)

■関連産業 獣医3分の1は牛豚専門

 農家や、農場で働く従業員以外にも畜産は関連産業が多く、すそ野が広い。

 農家には牛・豚のかかりつけの獣医師がいて、病気の時は往診してもらう。県獣医師会には獣医師約600人が登録しているが、うち3分の1が牛・豚を専門に診療している。

 県家畜人工授精師協会には家畜人工授精師約150人が登録。そのほとんどは肉用牛農家という。

 牛の健康を保つため、ひづめを削る削蹄(さくてい)師も欠かせない存在。県牛削蹄師会には112人いて、畜産との兼業を合わせると県内には約300人いると推測される。

 そのほか、家畜を食肉に加工する食肉処理施設が県内7カ所。飼料製造や販売業、家畜や飼料を運ぶ運送業、畜舎を造る建設業なども重要な関連産業。農家が旅行や病気などで牛の世話ができないときのために、作業を代行するヘルパー業もある。

【写真】県内で行われる牛の競りの様子。官民一体で優秀な血統をつくり上げてきた