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[12668] ゼロの死人占い師(ゼロの使い魔×DiabloⅡ)
Name: 歯科猫◆93b518d2 ID:b582cd8c
Date: 2010/07/13 00:33
ゼロの死人占い師(ゼロの使い魔×DiabloⅡ)

2009年11月7日、チラシの裏より引っ越して参りました。
よろしくお願い致します。

※ この作品についてのご注意 ※

クロスオーバー作品です。

『壊れルイズさま魔改造』
『マッドコルベール先生』
『不憫なシエスタさん』
『タバサルート一直線』
『苦労人キュルケさん』
『ぼくのかんがえたかっこいいギトーせんせい~GITOU~』
『出てこない才人君』

俺設定多数あり。不快感を感じる方がいらっしゃるかもしれません。
原作ゲーム(DiabloⅡ)は神話の世界観とゲーム内会話、あまり細かくない設定によって物語が成り立っているので、その間を埋めるために多数の妄想設定を組み込んでしまいました。ご容赦ください。
DiabloⅠの要素もたくさん出てきます。
ゼロ魔の世界観についても違和感があるかもしれません。

ホラー風味。
原作洋ゲーム(DiabloⅡ)が17+指定なので、本作品もその点にご留意ください。
洋ゲーさながらに、骨と血と内臓と毒物がたっぷりと飛び散ります。グロテスクと感じられるかもしれません。
死体描写あり。幽霊描写あり。
病み描写あり。

強くてかっこいいルイズさまの魔改造ものが大好きです。
自分でもそういうのが書きたくなり、キーボードに向かいました。
遅筆ですが、どうぞよろしくお願いいたします。

- - -
Diabloシリーズについて。
第一作はBlizzard Entertainmentから1997年に発売された、アクション性の高いオンラインRPG黎明期の傑作。もちろんオフラインでも遊べます。
ホラー風味世界観、地形の変わるダンジョン、ほぼ無限に種類のあるアイテム群、通信対戦でとても熱くなれます。
PCの日本語版は出ていません。PSにも移植されました。驚くことに10年以上たった今でも楽しめる完成度の高いゲームです。
クリックすればその場にキャラが移動して攻撃する、という現在のMMORPGに主流の仕組みは、これをやって初めて知りました。
RPGにありがちな戦闘画面の切り替えなどもなく、当時はその操作性のよさに驚愕したものです。
えぐい描写がいちいち細かく、敵が暗闇で動いたときなど鳥肌もの、敵を倒してリングが落ちた音に胸がどきどき……
アンハッピーエンドです。

第二作は2000年に発売されました。
使用できるキャラのクラス、アイテム、マップの多さなどやりこみ要素が異常なほどに増えました。
前作では神話にしか出てこなかった魔王さまたちを倒します。
アイテムの取捨選択の幅が広がりすぎてひとつひとつのアイテムの価値が下がり、前作のようなドキドキは減った感がありますが、逆にルーンワードなどでアイテムを作る楽しみもできました。
友人とネット越しにゲームをする楽しみは健在。キャラを思うように育てる(ビルド)ゲームとしても非常に面白いです。
- - -

ネクロマンサーはこの第二作のゲームに出てきます。
彼が荒野を行けば、死体が骨や血や肉や内臓を容赦なく飛び散らせます。猛毒の霧も呪いもばっちこい。

つたない文章ですが、
そんなDiabloシリーズを愛してやまない方々、やっぱネクロだよな! という方々に、
また大きな声では言えないけれどルイズさまはちょっと病んでるほうが……という方々に楽しんで貰えましたらば幸いです。

- - -

※本作品は拡張パックDiablo2 Lord Of Destruction(通称LoD, D2X)込みを前提にしています。
現在D2は最新パッチ1.13がリリースされましたが、Ver.1.09~1.12パッチ時代の設定も多々混ざり合っております。


- - - -
2009 10 13 Release Ver.1.00
初投稿。

2009 10 16 Patch Ver.1.01 modified.
その6、オルレアン公についての表記ミスを修正しました。

2009 10 31 Patch Ver.1.10 modified.
イザベラルート、テファルートを削り、ルイズルート一本を進めることに致しました。

2009 11 07 Patch Ver.1.12 modified.
チラシの裏よりゼロ魔板へと引っ越して参りました。ならびに【習作】をタイトルより除去いたしました。

2009 11 10 Patch Ver.1.13 modified.
『その2』における、Rejuvenation Potionについての表記の修正をしました。回復ポーション⇒上級回復ポーション

2009 11 11 Patch Ver.1.14 modified.
『その6』における、Amplify Damageに関する部分を修正いたしました。

2009 11 15 patch Ver.1.15 modified.
その1からその2の誤字および口調や呼称のブレ、その12の一部の修正をしました。

2010 03 03 少しだけ誤字修正。

鋭意執筆中……

2010 07 13 タルブ編突入にあたっての報告。

更新をお待たせして申し訳ありません。
現在タルブ編、『その23』から『その27:炎―あなたがここにいてほしい(仮題)』までの書き溜め分テキスト400kbを読み直し修正中、およびタルブ編エピローグ(その28)執筆中。一話一話読み返すだけで、膨大な時間がかかっております。出先や移動中に読むためPCよりテキストを送った携帯の電池とか、余裕で切れます。
そんなわけで更新も不定期になっております、申し訳ありません。どうか、もうしばらくお待ち下さい。

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[12668] その1:プロローグ
Name: 歯科猫◆93b518d2 ID:b582cd8c
Date: 2009/11/15 18:46
ゼロの死人占い師


////

この日、ゼロのルイズが召喚したものは、とても奇妙なものだった。

少女によって召喚されたソレによって、その場に居た誰もが度肝を抜かれた。



「この宇宙で最も高潔な魂よ、神聖で強力な使い魔よ、我が導きに応えなさい!!」


トリステイン魔法学院近くの草原、毎年春に行なわれる使い魔召喚の儀式で、魔法の使えない貴族の少女ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、計16回の失敗の末、ソレを召喚した。

「きゃあああああああ!!!」

土煙の晴れたとたん、草原に大きな悲鳴が響き渡る。

「……な、なんだあれは!?」
「人? ……いや、死体だ!!」


呼び出された者……いや、それはもはや『者』とはよべない『モノ』であった。


茶褐色に乾いた顔、水分を失いよれよれになった銀色の髪。
骨でできた黒い兜、髑髏の杖、毒々しい装飾品、見たこともない金属の重厚な鎧をつけた――人間の死体、だった。
死んでから何十年、いや何百年も経過したであろう埃だらけのソレは、動く気配もなく草原のど真ん中に倒れていた。

「ゼロのルイズがミイラを召喚した!!」

儀式を見守っていた生徒のひとりが、ソレを認識して、上ずった声で叫んだ。

「うわああ、気持ち悪い!!」
「異教徒のメイジのミイラだ、呪われるぞ!! 幽霊が出るぞ!!」
「な……なによこれ……」

呼び出した者――ゼロのルイズ――は、顔面を蒼白にし、へたりと座り込んでしまった。
髪の薄い中年教師コルベールは、内心の動揺を抑えたまま少女に歩み寄り、放心する彼女へと声をかける。

「ミス・ヴァリエール」
「……」

少女はただ呆然とするのみで、返答はない。

「大丈夫ですか、ミス・ヴァリエール!! 気をしっかり持ってください」

コルベールは、横たわるミイラからルイズにあさっての方向を向かせ、その震えるちいさな背中をさすった。
春の召喚の儀式、今回のケースほどのインパクトのあるものは史上初だが、例年それなりのアクシデントはあった。
なので、コルベールにとっては慣れたものである。
テキパキと具合をみて、少女を介抱し、気付けのブランデーを含ませた。

「ミ、ミミミミ、ミスタ・コルベール………」

しばらくして、どうにかしてルイズはかすれた声を搾り出す。
春の使い魔召喚の儀式は、そのメイジの実力を計り、系統を決める大事なものである。
だからこそ、ルイズはこれまでになく意気込んでいた。
予想外の儀式の結果のせいで、ルイズの内心は、恐怖、驚愕、その他の感情が暴走し、頭の中は真っ白になっていく……

なにより、恐ろしい。
死体が、ミイラが恐ろしい、窪んだ暗い眼窩が、むき出しの歯が―――

(やあ、お嬢ちゃん……)

そんな言葉は、ルイズの想像の中のものである。もちろん死体はぴくりとも動かない。
ルイズは『この死体が動き出し、自分を襲うのではないか』と想像し、さらなる恐怖に駆られた。

「ミス・ヴァリエール、落ち着いてゆっくりと呼吸してください、大丈夫です」

コルベールの言葉は耳に入らない。恐怖で暴走したルイズの思考は、ドツボへと嵌ってゆく。

―――何で死体? どうして? 人並みに魔法を使えるようになりたいと血の滲む努力をした結果がこれ?
自分は一生魔法を使えないのではないか、このままでは留年し、退学になるのではないか―――

お母様は、エレオノール姉さまは何て言うのだろうか―――

ルイズがもし『生きている』使い魔を呼び出していたのであれば。
たとえば平民の少年などを召喚したのであったのならば、彼女は怒り狂ってその少年に八つ当たりしたり、『自分の魔法が成功した』と少しは喜びを感じたりするような、いわば多少の余裕は残されていたのかもしれない。

だが、呼び出されたソレは少年などではなく、あまりに異質なモノだった。物言わぬ干からびた、不気味このうえない死体なのである。
か弱い少女に、余裕などあるはずもない。

ハルケギニア六千年の歴史のうち、誰もが召喚したことのないもの、あまりに不気味な、異教徒のミイラ。
怒りや情けなさ、恥ずかしさや落胆、そういった感情はあっというまに少女の心から消し飛ばされてしまっていた。

いやだいやだいやだいやだ、こわいこわいこわいこわいこわい―――
真っ白な頭で、緊張の針を振り切ってしまったルイズは、その場にいた誰もが驚きドン退きするような行動に出る。

「い、い、いいいい五つの力を司るペンタゴン、っ……ここここの者に祝福を、あああ与え!! わ、わが使い魔とな、せぇ……」

何と、死体にコントラクト・サーヴァントをしようとしだしたのである。

呪文を唱え、死体に口付ける。ギャラリーから『うえぇっ……』と悲鳴があがるが、ルイズの耳には入らない。


―――うん、パサパサしてる。

唇に伝わる感触で、ルイズは自分のしている行為を正しく認識する。
そのあまりのおぞましさに、全身の血が引いていく。

こわいこわいこわい、きもちわるいきもちわるいきもちわるい―――

相手は無情にも、まごうことなき死体である。
コントラクト・サーヴァントの魔法は、やはり何の目に見える効果も起こさなかった。

「ふうぅ……」

バタン。

ここまで意識が持ったのは、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールが強く誇り高き少女であったからである。

普段の彼女であればこのように取り乱すことはない、だが彼女が今日の神聖な儀式にかけていた気負いは計り知れないものであった。
だから、からっぽの勇気を振り絞り、せめて外面だけでも勇ましくあらんと行動に出たのである。
空回りの結果、貧血と過呼吸で少女は意識を手放し、むきだしの土のうえに倒れてしまった。

「いかん! ミス・ツェルプストー、ミス・タバサ、手伝ってください! 彼女を医務室に……それから、大至急オールド・オスマンを呼んできてください」
「は、はい、解りました」
「……」

応急処置を行いながら、教師は近くにいた生徒に指示を出す。
コルベールに名前を呼ばれた二人の少女がルイズにレビテーションの魔法をかける。
赤い髪の少女キュルケと、ふるふると恐怖に震えながらキュルケの後ろに隠れていた青い髪の少女タバサ。
タバサが呼び出したばかりの風竜にルイズを乗せて、二人は一目散に学院へと飛んでいった。
よほど怖かったのであろう。

「生徒の皆さんも、教室に戻ってください、今日の残りの授業は自習にします」

教師のはっきりとした言葉をうけて、わいわい騒いでいた生徒達は『フライ』の魔法を使い、三々五々学院に帰ってゆく。
コルベールは生徒たちを見送ってからため息をつき、草原のど真ん中に放り出されたままの物体へと振り向く。

「……ふむ?」

コルベールは、ソレをよく観察して見る。
すると、ミイラ化した死体の装備している品はそのどれもが精巧で強力そうな、これまで見たことのない技術で作られているであろう、しかも一級品以上の、伝説級のものに見受けられる。
砂や埃やカビで覆われていても、多少のキズこそあれど、それらの装備は長い長い年月を経て、劣化のひとつもしていないように見えた。
よほど丁重な『固定化』でもかけられているのだろうか?

「……むむむ」

コルベールは先ほどのルイズの言葉『神聖で強力な使い魔よ!!』というものを思い出してみる。
すると、遺体はどことなく、神聖な雰囲気を発散させているようにも見えた。王族、聖職者のトップ、あるいは―――英雄のような。
その装備品それぞれには、見たこともなく読めもしないルーンが掘り込まれている。

「素晴らしい、いずれも強力な魔力を秘めている……高名なマジックアイテムに違いない……」

コルベールは嘆息しつつ、遺体の持ち物を検分している。

「どうしたもんかの、ミスタ・コルベール」

学院長オールド・オスマンがやってきて、コルベールのとなりに立った。どうやら、生徒たちから事情は聞いているらしい。
齢三百歳を越えるであろうオスマンならば、これらのアイテムが何なのか解るかもしれない。
だが、まずは生徒が第一だ。コルベールは気持ちを切り替え、複雑な表情で切り出す。

「ミス・ヴァリエールのサモン・サーヴァントは、呼び出されたのが死体とはいえ、成功したと見るべきでしょうか? 私としては……ミス・ヴァリエールには、再びチャンスを与えてやりたいと思うのですが……」
「ヴァリエール嬢の進退はさておき、ふむ、ちょっと調べてみようかの」

オスマンは杖を振り、ディテクト・マジックを唱えた。すると、みるみるそのひげ面がひきつり、驚愕の表情に包まれてゆく。

「どうしました? オールド・オスマン」
「……こ、こりゃ……信じられん。とんでもない量の魔力を感じるぞい……」

コルベールの思ったとおり、オスマンもこの死体とその装備に興味を持ったようであった。

「これらのマジック・アイテムは、オールド・オスマンもご存知ありませんか?」
「いや、知らぬが……装備品の話ではない、このミイラ自体が、ワシにも計り知れぬほどの魔力を秘めておるのじゃ」
「なんと! ……いやしかし、もしコレが生きていれば、我々にとっては危険な敵となったかもしれないですな」

オスマンは険しい顔をして、コルベールは安堵する。
この呼び出されたモノが、もし生きていて、生徒たちへと危害を加えたら……と想像し、彼ですらも内心慄いていたのであった。

「もしかして動き出したり……なんて」
「ハハハこやつめ」

乾いた声で笑う二人だが、目は笑っていない。二人とも、遠くを見ている。額には冷や汗がキラリと光る。
死人が立ち上がって動き出すなど、悪夢である。見たくもない。怪談物語の中だけで充分だ。

「しかしこれは一体、何なんじゃの? どうしてこんなものが、学院に」
「さあ、私に聞かれましても……」

教師二人は嘆息する。ルイズのこと、死体のこと、マジックアイテムのこと、この先どうなるのやら、二人には想像もつかない。

「それにしても困ったのう……とはいえこんな結果はあまりに忍びない、ヴァリエール嬢にはもういちど召喚の儀式を試させるべきかね?」
「そうですね、場合によっては特例として再召喚も許可するべきかと思います……」

二人は遺体を『錬金』の魔法による即席で作った棺桶にいれ、『レビテート(浮遊)』の魔法で運びつつ、学院へと戻る。
ミイラを召喚するという前代未聞のことをやらかした、可哀相な少女に対する処遇を話し合いながら。
学園へと帰っていった二人は、この後に起こるものを見逃すことになる。

――フワン

二人が去ったあとしばらくして、死体の召喚があった例の場所から、白い光の玉が飛び出す。
それは上空でくるりと旋回すると、まるで目的のものを発見したかのように、学院のほうへと一直線に飛んでいった……

////

赤い髪のグラマラスな少女キュルケは、複雑な表情で、ベッドに眠る『宿敵』の少女、ルイズ・フランソワーズを眺めている。
キュルケは目の前に眠る、これまで血の滲むような努力をしても報われてこなかった少女のことが、不憫でならない。
サモン・サーヴァントおよびコントラクト・サーヴァントに失敗したとなれば、魔法学院を留年したり退学させられたりすることもありうるからだ。

「……ルイズ、このくらいのことでへこたれないでよね」

ヴァリエール家はトリステインでも指折りの優れたメイジの家系である。
ゲルマニアとの国境線を挟んだツェルプストー家の娘であるキュルケとしては、生涯のライバル候補に脱落してほしくはない。
落胆した様子のキュルケの隣には、無表情で椅子に腰掛け、本を読んでいる青い髪の少女、タバサがいる。

「そうだ、そのうちあのミイラも生き返るかもしれないし!!」
「……っ!!」

タバサはキュルケによるその言葉に反応し、ビクンと震え、手にした本を取り落とした。
キュルケは親友に不用意なことを言ってしまったと、すこし反省する。

「ごめんタバサ、冗談よ!! そんなことあるわけないわ」
「……そう、あるわけない」

雪風のタバサは、幽霊話が大の苦手であった。キュルケはぷるぷると震えるタバサに、ばつが悪そうな顔をして謝った。
タバサはキュルケの方向に、睨むように顔を向けた――

――無表情だったタバサの目は見開かれ、顔はこわばっている。

キュルケは嘆息し、ますます反省する。

「そんなにショックだったの? ごめんねタバサ……」
「違う、ううう、う、う、後ろ……」

タバサの顔は血の気が引き、額には汗がにじんでいる。

「どうしたの?」

キュルケの記憶によれば、タバサは滅多に取り乱すこともない。
そんなタバサの尋常ならざるようすに、キュルケは怪訝な顔をして、背後を振り返った。

――フワン

いままで何の気配もなかったそこには、真っ白な炎。燃えるような、白い光の玉。
キュルケは叫び声をあげた。

「きゃあああ!! な、な、何コレ!?」

髑髏のヒトダマ。あまりに禍々しい雰囲気をまとうそれは、音もなくこちらへと近づいてくる。タバサは白目をむいて気絶した。崩れ落ちるタバサを抱きとめ、キュルケは慌ててヒトダマから距離をとって魔法の杖をかまえる。

「ルイズ、危ないわ!! 起きて!!」

キュルケが叫ぶが、ヒトダマは静かに二人の横を通過し、寝ているルイズを襲った。
ヒトダマは一瞬まばゆいばかりの光をはなち、ルイズの体のなかへと吸い込まれていった。
とたん眠っているルイズの表情が、苦痛をうけているように歪んだ。

「何てこと、ルイズ! ……え、これは、まさか……コントラクト・サーヴァントの」

脂汗のつたうルイズの額が光を放ち、その光が見たことのない文字をかたち取り、少女の額へと使い魔のルーンを刻んでゆく。

「ああぁぁあぁああぁぁぁあああっ!!」

眠っていたルイズがとつぜん目をカッと見開き、ビクンと飛び起きると、苦しむようにのた打ち回った。

「ルイズ!」

動転したキュルケは、それを見ていることしかできなかった。

―――どうしよう、このままではルイズが死んでしまうかもしれない。

キュルケの顔面も、すでに蒼白を通り越している。その両手の中のタバサの重さと熱だけが、ここが現実であると主張していた。
うっ、とひとつ呻いたあと、ルイズは再び気絶して、ベッドの上で動かなくなった。

「大変!!」

我に返ったキュルケが、恐怖に気絶しているタバサを空いているベッドに横たえると、あわてて先生を呼びにいった。





――数分後、

「ルイズ!! そ、それって……」
「ミス・ヴァリエール!!」

――治療担当のメイジとコルベールを引き連れて戻ってきたキュルケが見たものは

「……キュルケ、ミスタ・コルベール……私は……」

苦痛のせいだろうか、それともなにか他人には計り知れぬほどの恐怖を味わったのだろうか

「私は……いえ、私の、コントラクト・サーヴァントは……成功です、成功しましたわ」

ベッドに起き上がり、焦点の合わぬ目でぶつぶつとつぶやきながらキュルケとコルベールのほうを見ている、
自慢だった長い髪――桃色の美しい髪――が見る影もなく、

『真っ白』に―――なった、ルイズの姿だった。

////

空。 太陽。 雲。
大地。
森。
湖。
湿地。
砂漠。

ルイズは夢を見ていた。

現実の時間では一時間にも満たぬ間のことだが……夢の中でルイズは、計り知れぬほどの膨大な時間を過ごしていた。

ルイズの知る世界……ハルケギニアにおける常識とは異なる、たった一つしかない月が、太陽と幾度となく入れ替わり、大地を照らしていた。
雨が降り、風が吹き、星が瞬き、日が照りすさんだ。
生き物が生まれ、捕食しあい、死に、再び生まれ、愛し合い、進化してゆく。

ルイズはときに女性であり、ときに男性であり、鳥や虫や魚、動物や木や花であった。
そこで生まれ、泣き、笑い、苦しみ、喜び、学んで働いて結婚をして子をなし、戦って痛みと快楽を感じ、幾度も死んで生まれ変わった。
ルイズは全であり個であり、ルイズたちは飛び、走り、泳ぎ、群れ、つがい、鳴き、求め合い、食って食われあった。

いくつもの宇宙が幾度となく生まれ、消滅し、互いに飲み込みあい、広がっていった。

そこには喜びと悲しみ、苦痛と慈しみ、秩序と混沌、そして生と死の、恐るべきほどの大きさをもつ、存在の円環があった。
ルイズはあまりにちっぽけであった。
でも、ルイズに一切の不安は無かった。巨大な存在の円環のなかには、ルイズの居場所がきちんとあったからだ。

(私、ここにいてもいいんだ)

そこは、とても心地よかった。

(帰って来い)
(どこに?)
(飲まれるぞ)

声が聞こえる。
宇宙の最後のひとかけらが灰になるほどの時間が経ったと思われたころ、呼びかけられたルイズの意識は、次第にはっきりとしてゆく。

「ふむ……汝、環の一端を知覚しておるか……少々危ういが、見所のあるものよ」

その声が聴こえたとき、ルイズはひとつしかない月の下、夜の草原に立っていた。

「ここは?」
「サンクチュアリ(Sanctuary)……汝が名は何と言う? 客人の少女よ」

目の前には白銀の長い髪、漆黒の目をした男性が立っている。黒い見慣れぬ服装に身を包んだその男性……
顔には深い掘りが刻まれ、その年齢は推し量ることができない。
骨で出来たおどろおどろしい鎧をまとい、短い髑髏の杖を持っている。メイジだろうか。

「わたしはルイズ。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールよ。あなたはだれ?」
「我はラズマが大司教、トラン=オウル……死して六千年、ラズマを守り続ける英霊なり」

司教を名乗る老人は、低くしわがれた声でルイズに答えた。

「ラズマ? きいたことがないわ……それは何ですの?」
「はるか太古より、宇宙のことわりに仕えし聖なる氏族、魔術集団のひとつだ」

深く響く、別の声がした。
ルイズの問いに答えた声は目の前の老人からのものではなく、差し込む光とともに背後より聴こえてきた。ルイズが振り返ると、そこには光り輝く大きな人影があった。
背丈3メイルを越えるその人影は、金色の鎧をまとっており、その顔は暗くてよく見えない。
背には羽、そこから光で出来た透き通る六対の大きな翼が伸びる。

「私はティラエル、大天使ティラエル(Archangel Tyrael)」
「まあ、天使さま!!」

ルイズの目の前に、天使が現れた。ハルケギニアでも古い物語の中にしか居ない、偉大なる存在だ。
驚いて目を見張るルイズに、ティラエルは天空の星々より降り注ぐような深く重い声で語りかける。

「君に問う。ハルケギニアの少女ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールよ、ラズマの英雄トラン=オウルの骸をサンクチュアリより運び去り、己が異世界へと持ち去りしは君に相違ないな」

ルイズは直感的に理解する。―――彼らは私がサモン・サーヴァントで召喚した、あの死体のことを言っている!!!

「そ……それは」

英霊と大天使の視線のなか、ルイズは自分がひどくいけないことをしたのかと思い、顔が真っ青になってしまう。

ルイズの胸中に貴族の誇りはあれど、相手は平民の少年などではなく、強力なメイジの英霊と、畏れ多き大天使さまである。
貴族の少女などより、はるかに格の高い相手だ。
それどころか、存在そのものの格が違う。
ガクガクと震えながら、ルイズは釈明する。肺に残る空気を全て搾り出すかのように、かすれる声で事情を説明した。

トリステイン魔法学校のこと、使い魔召喚のこと、そこで呼び出されたものは、自分にとってさえも予想外であったこと。
召喚される使い魔候補を、メイジは選ぶことができないこと。

「も、も、申し訳ありません……天使さま、司教さま、お許しください」

ルイズはひざを突き、頭を下げ、必死に自分のしでかしたことを謝罪した。

「ふむ……君の事情は理解した……そう恐縮するでない、客人の少女よ……これは事故であり、君に咎はない」
「三千世界何処の地に埋もれようと、存在の偉大なる環(Great Circle Of Being)にはわずかなる乱れもない」

天使と司教、二人がそう言うのを聴いて、ルイズは心の底から安堵した。

「だが、問題がいくつかある」

天使が言ったその一言に、ルイズは再びその体を硬直させた。

「ひとつに、トラン=オウルの骸とその秘宝の守護を失ったラズマをいかにして守るか」
「我は六千年前に死して後、自らの骸をもって、ラズマの地下都市を守護する結界の要となしていた」

天使と司教がそう言った瞬間、ルイズは巨大な地下のドームの中にいた。
広大な地下のドーム、輝く天井の下、突如結界が途切れ、人々が入り込んでくる魔物に襲われ慌てふためいている。
これが、ルイズがしでかしたことである。
ああ、やっぱり私はとんでもないことをしてしまった……と、ルイズは畏れ慄く。

「また、トラン=オウルの身に付けし秘宝は、ラズマの聖職者にとってはこの上なく強力な武器であった」
「ひとたび邪悪は去った、しかしそれは悪夢(Nightmare)でしかなかった…これより地獄(Hell)の扉が開かれる」

――ルイズは地獄を見た。
ルイズはトリストラムと呼ばれる街の修道院の地下のダンジョンを、深く深く潜っていった。
ルイズはごろごろと転がる死体、狂ってゆく人々、阿鼻叫喚の殺戮を見た。
ルイズは草原を、森を、朽ち果てた修道院を旅した。
ルイズは砂漠を、オアシスを、星々の光る聖域を、英雄の眠る墓を旅した。
ルイズは港を、ジャングルを、沼地を、腐敗した街と寺院を旅した。

――ルイズは業火燃えさかる地獄を見た。
ルイズは雪と氷に閉ざされた大きな山脈における人と魔との大きな戦争を見た。

「ひ、ひ、ひえええっ……」

そのすべての場所でルイズは、無限に湧き出す異形の怪物を、恐るべき邪悪を見た。
スクウェアメイジをはるかに越えるであろう実力を持つあまたの英雄たちが邪悪に挑み、ばたばたと骸を晒していった。




「―――きゃあああああああ!!!!」

ルイズはそれをただ『見ただけ』で、幾度も身を引き裂かれるほどの恐怖を味わった。
はらわたを生きたまま貪り食われたような怖気が全身に走った。
それは恐怖と憎悪、破壊の化身であった。
あんなのがもしハルケギニアにいたら、トリステインのみならずハルケギニアを丸ごと10度滅ぼしておつりがくるだろう。

「憎悪の王メフィスト、破壊の王バール、恐怖の王ディアブロ……忌むべき三つの邪悪」
「我がサンクチュアリの世界で、我らは生と死とのバランスを乱す『アレ』らを相手に、明日の見えぬ戦いを続けている」

ルイズは恐怖と瘴気に襲われ、何度も痙攣し、嘔吐した。凄まじいストレスのせいか、胃液には血が混じっていた。歯を食いしばり、拳を握り、ルイズはそれに耐えた。
天使と司祭はルイズが落ち着くのを待ってから、ふたたび声をかけた。

「少女よ、君に咎はないといえ、ラズマの英霊とその骸を呼び出せしはおそらく君の運命であり、ゆえに神格となりし始祖、ブリミル・ル・ルミル・ユル・ヴィリ・ヴェー・ヴァルトリが求めしことに君は従わねばならぬだろう」
「そなたには理由が何であれ、運命に立ち向かうべき責任があるのだ……そのために、そなたの為したことの一端を、まずは知るがよい」
「……はい、天使さま、司教さま」

ルイズは涙を拭き、恐縮し、過失にせよ自らが為したことの結果と、その重大さを受け入れた。

「少女ルイズよ、君が望んでいたのは『魔法を使うこと』、『誇り高くあること』、『使い魔をもつこと』であったな」
「は、はい…私は魔法学校で学び、一人前のメイジ、トリステインの貴族とならなければなりません」
「あれを見よ」
「……ああ何てこと!!! も、も、申し訳ありません、司教さま!!」

ティラエルがトラン=オウルの額を指差した、そこに刻まれていたのは果たして、使い魔のルーンであった。
なんと畏れ多いことであろうか。しかしトラン=オウルは気にするような顔もせず、慌てるルイズを手で制し、話かける。

「サモン・サーヴァントという術式は、運命……すなわち宇宙のことわりへと呼びかけるものときく。なれば我が骸を呼び出せしは、そなた、あるいはそなたが世界のうちに、我が骸を必要とする何がしかがあるに違いない」
「え??」

大司教トラン=オウルは、低く優しさを秘めた声でルイズへと語りかける。

「我は宇宙のことわりには逆らわぬ、時が時であれば、そなたの使い魔として働く運命をも受け入れたことであったろう―――とはいえ我はサンクチュアリの英霊であり、今のサンクチュアリが我を必要としていることは必定である。ならばルイズ・フランソワーズよ、我はそなたの使い魔となってやることはできぬ」

ルイズは呆然とする。が、続く言葉にふたたび緊張を余儀なくされる。

「ゆえに我は、ブリミルがルーンの術式をそなたに返却し、別なる使い魔と力とをそなたに授けよう……大天使よ、それでよいか」
「うむ、英霊よ、そなたの判断に乗ろう。そして異世界の少女よ……君の世界の問題に、我らは直接干渉するわけにはいかぬ。ルイズ・フランソワーズよ、ゆえに君の世界の始祖、ブリミル・ル・ルミル・ユル・ヴィリ・ヴェー・ヴァルトリが求めに応じ、君に知識と技、道具を与えることにしよう。代わりに君の生涯をかけて、ラズマの英霊トラン=オウルの骸と身に付けし秘宝とを、サンクチュアリへと返却してほしい」

ルイズにとっては是非もない申し出であった。

「は、はい!! 始祖とわが貴族の名、杖にかけて誓います!!」
「よかろう、その誓いが果たされんことを……誓いが果たされるとき、我らと君とは再び出会うだろう」

ティラエルが手を翳すと、トラン=オウルの額からルーンが剥がれて宙に浮く。
トラン=オウルが呪文を唱え、手にした杖を振ると、彼の手元に光に燃える髑髏のヒトダマが浮かび上がる。

「これは『ボーン・スピリット』……ラズマの秘術にて呼び出されし、精霊化したラズマの徒、霊魂の結晶なり。敵と味方を判断する知性をもち、ときに自動追尾し、敵から生命力を奪い取って、自らの主のものとすることが出来る。そなたの体内に潜ませておくゆえ、用に合わせて召喚し、使役するがよい」

使い魔が貰える―――その事実を認識し、ルイズは喜びに顔を輝かせた。

「あ、ありがとうございます!!」
「ラズマが極めしネクロマンサーの秘術、そなたが学び、自らの力とすることを大司教トラン=オウルの名において許そう……よき運命を見出さんことを」
「では、また会おう……英雄の資質をもつ少女よ、努力と研鑽をおこたらず、おのが運命を切り開くのだ」

司祭と天使の姿が消え去る。
ヒトダマがいずこかへ飛び去り、宙に浮いていたルーンがルイズへと飛んできて、無防備な額へと突き刺さった。

瞬間、激痛が体中に走る……視界がぐるぐると回る。

「ああぁぁあぁああぁぁぁあああっ!!」

医務室のベッドの上で、ルイズは覚醒した。
目を見開いて、脂汗を流し、全身をさいなむ熱と激痛にもだえ苦しみ、のたうちまわった。

「ルイズ!! 大丈夫!?」

キュルケの声が聴こえるが、返事をしている余裕はなかった。
しばらく苦しんだあと、再び気を失い、目覚め、視界がはっきりしてきたとき、まず目に入ったのは向かいのベッドの青い髪の少女であった。
あれは確か、タバサという名前。いつもキュルケと一緒に居る少女。眠っている、どうしたのだろうか? キュルケはどこだろうか?

「あ……髪が…」

続いて目に入ったのは、自分の髪の毛であった。母譲りの自慢のピンクブロンドのそれは、見る影もなく真っ白になってしまっている。
無理もない、ルイズは先ほど、夢でホンモノの地獄を覗いてきたのだ。ルイズは淡白にその事実を受け入れた―――仕方ない、これは私のしでかしたことの罰として受け止めよう。

「そうだ、使い魔……私、使い魔をもらったんだわ」

自分の体のなかにソレがいる。ルイズ自身の感覚がそう告げている。
喜びと期待と確信を胸に、ルイズは目を瞑り、開く。
――出て来い!そう命じたとたん、ルイズの手のひらのうえにソレが現われる。白いガイコツの炎だ。
果てしない熱さと冷たさを感じるが、自分の手は、燃えても凍っても傷ついてもいない。

虚無をたたえた髑髏の、深い深い空洞の眼窩から、白く美しい炎が湧き立つようにちろちろと溢れる。

「これが……私の使い魔……」

それは幾度もの浄化を経たであろう、精霊となった人の魂。白くまぶしい光を放つそれは、ルイズにとっては素直に綺麗なものだと思えた。
しばらくそれを眺めた後、人の気配を感じ、ボーン・スピリットを体内へと再び収納した。
同時に医務室の扉がひらかれ、キュルケとコルベール、水のメイジであろう医者の格好をした人物が入ってくる。

「ルイズ!! そ、それって……」
「ミス・ヴァリエール!!」

キュルケとコルベールの顔がこわばる。どうしたのだろうか? 何を驚いているのだろうか? 
―――ああ、なんだ髪の毛のことか。そんなことどうでもいい、とりあえず目下の私の問題、進級に関することを伝えなければ。

「……キュルケ、ミスタ・コルベール……私は……」

異世界の大天使さまよりとんでもない大役を仰せつかってしまいました……いや、そうじゃない。告げるべきことは、生まれて初めて、自分の魔法が成功したという事実。

「私は……いえ、私の、コントラクト・サーヴァントは……成功です、成功しましたわ」

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[12668] その2
Name: 歯科猫◆93b518d2 ID:b582cd8c
Date: 2009/11/15 18:45
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「…何を言っているのかわからんが、ミス・ヴァリエール、体は大丈夫なのかね?」
「!!…ルイズ、もういいのよ…それより大丈夫なの? さっき変なヒトダマが……」

医務室の空気はおかしな雰囲気につつまれる。二人はルイズが召喚に失敗した心労のせいでおかしくなったと思っているのだ―――ルイズは苦笑した。

「ミスタ・コルベール、人払いをお願いできますか?」

ルイズに簡単な診察をして(ついでにタバサも)、問題ないと判断できたあと、水のメイジが部屋を出て行った。
どうしてもルイズのそばを動かないキュルケを仕方なく室内にのこし、ルイズはコルベールの前で自分の使い魔を披露する。

「こ、こ、ここれは!?」
「これが私の使い魔です、ミスタ・コルベール」
「ちょっとルイズ、これってさっきのヒトダマじゃない!! 大丈夫なの?」
「ええ大丈夫よ、あの遺体の魂みたいなものです……ところでミスタ、遺体はどちらに?」

ルイズはややこしいことを話さず、適当に嘘をつき、つじつまをあわせることにする。
英雄とはいえ異教徒の遺体と秘宝である。―――ラズマの秘術も然り、扱いを間違えれば私が異端審問されかねない。王宮やアカデミーに持っていかれたら二度と帰ってこないかもしれない。

そうすれば、天使さまとの約束は果たせなくなってしまう。遺体は私が守らないと―――ルイズは思いを強くする。

「む、今は学院長が直々に調べておるところだ」
「大変!! あれがなければ私の使い魔が消えてしまいます!私が預かる約束をしているのです!!」
「な……君が預かるというのかね? ミス・ヴァリエール……しかし、死体ですぞ?」
「しかしも何も、せっかく召喚した使い魔です! 私が保管しなければなりません! 失礼します!!」

ルイズは大げさに飛び起きる。ルイズが『遺体そのもの』でなく、『使い魔』を大事に想っているのだと印象付ける必要があるからだ。
遺体の身に着ける秘宝、この世界のものではないマジックアイテムの数々を、ルイズはオスマンにあまり長く見せたくはなかった。
ルイズは枕もとの杖をつかみ、ふらつく体を押して院長室へ急ぐ。キュルケとコルベールもついてきた。

「ルイズ大丈夫なの? 寝ているうちにあのヒトダマ? アレと何があったのよ」
「コントラクト・サーヴァントしたのよ」
「しかしルーンはミス・ヴァリエールのほうに刻まれてしまっているようだが……」
「この子には実体がないし、私の体内に住んでいるのです。私にルーンが刻まれていても不思議はありません」
「そ、そういうものでしょうか…しかし…ふむ、珍しいルーンですな」

コルベールは納得したような納得できていないような、複雑な表情を浮かべる。
三人は本塔の学院長室、オスマンの元へとやってきた。オスマンはご苦労な事に、ここまで遺体をレビテーションで運んだようだ。

「失礼します!!」
「おおミス・ヴァリエール、待っておったぞ………!! な、何があったんじゃ、そなた、髪の毛が真っ白じゃぞ!?」

ノックして入室すると、遺体から剥ぎ取ったであろう髑髏の兜をかぶったオスマンと目があう。
オスマンは大人気ない自分の行為を見られたことと、ルイズの尋常ならざる様子に、慌てふためく。

「コントラクト・サーヴァントの心労で、こうなってしまっただけです、心配かけてもうしわけありません……もう大丈夫ですわ……ところでその兜ですが」

ばつの悪そうな顔で苦笑いするオスマンに、ルイズがつめよる。

「して、その兜はどのようなマジックアイテムだったのですかな? オールド・オスマン」

好奇心旺盛なコルベールも目を輝かせて、オスマンへと近づく。

「いや、わからん……とてつもない力を秘めたマジックアイテムじゃということは解る……しかし被っても何の効果もないんじゃ」
「何の効果もないですと!? そんなことが……」

落胆したオスマンの返答に、コルベールも肩を落とす。

「そうなんじゃ、まるっきり何の効果もないんじゃ……これは期待はずれじゃったかのう」
「それは私の使い魔の兜ですわ、オールド・オスマン、失礼ですが返却してくださいませんこと」

明らかに落ち込んだ顔をしたコルベールを尻目に、渋々といった様子でオスマンは兜を脱ぎ、ルイズへと手渡した。
それを手渡されたとたん――ルイズは脳に直接つたわる情報に驚愕した。

(……これは…わかる、効果が、使い方がわかるわ!? なぜ私だけに?)

- - -
トラン=オウルズ・ガイス[Trang-Oul's Guise](ボーン・ヴィズィッジ)
セットアイテム:Trang-Oul's Avatar(トラン=オウルズ・アヴァタール)の一つ、兜。

要求値(REQ):必要レベル65 必要筋力106 必要敏捷性:なし 耐久力40

防御力: 257
25% より速いヒットリカバリー
ライフを徐々に回復 +5
+100 防御力
+150 、マナ上昇
攻撃者に与える反射ダメージ: 20

兜、鎧、トーテム、ベルト、籠手を揃えて装備すれば真の能力が開放される…その能力とは……
- - -

ハルケギニアのものではないサンクチュアリ(Sanctuary)のマジック・アイテムは、発見されたときは未識別(Unidentified)の状態であり、鑑定家に依頼するか、識別(Identify)の巻物を使用しない限り効果を表さない。
このたびはルイズの額に刻まれたルーンが鑑定の効果を発揮しているのだが、ルイズには知る由もない。

(……これが天使さまのくださった『知識』なのかしら? でもこれは私にも装備できないわね……相当鍛えないと)

兜を手に固まっているルイズへと、コルベールが話しかける。

「どうしたのかねミス・ヴァリエール……もしや使い方が解るのかね?」
「私にもこれは使えませんわ、ミスタ・コルベール」

これは嘘ではないが真実も隠す。波風は立たないほうがよい、とルイズは考える。
ルイズにとっては、司教の遺体やアイテムに興味を持つ者が増えることは弊害が多すぎる。王宮にだってアカデミーにだって、ルイズは遺体やアイテムを渡すつもりはないのだ。

「ところでオールド・オスマン、それは私の大事な使い魔の遺体なのです」
「使い魔とな? はて、おぬしが召喚したのはこの遺体だけじゃなかったかの?」

ルイズはでっちあげの事情を説明したあと、オスマンの前でボーン・スピリットを披露し、部屋の中を飛び回らせる。
感心したようにオスマンはにこやかな表情になり、ルイズへと声をかけた。

「ほう、珍しい使い魔を召喚したものじゃの、ミス・ヴァリエール。大事にしなさい。で、この遺体がどこのどちらさんのものか、わかったのかね?」
「はい、はるか東方のメイジ集団の頭領だった方ですわ」

ルイズは事情を隠しつづける。東方という点で間違っているわけではない。もちろん異世界の東方ではあるのだが。メイジとは言っても系統魔法ではなく、どちらかというと先住魔法に近いものを行使するメイジだが。

「そうかそうか、なるほど異教徒とはいえ、神聖な雰囲気を持っていると感じられるもんじゃ。ではこの遺体はミス・ヴァリエールが、まさか自分の部屋に保管するというのかね?」
「もちろんですわ。主人と使い魔とは一心同体ですので、私が責任をもって保管するべきです」

死体を自分の部屋に安置するなどと言い出すルイズに、オスマン、コルベール、キュルケの三人は目を点にする。

「わ……私の部屋はミス・ヴァリエールの部屋の隣なのですが……それはちょっと」

キュルケが青い顔をして、上ずった声でそう言った。
確かに女子寮で『隣の部屋に四六時中死体がある』なんてのは、気持ちのよいことではない。
キュルケにとっても願い下げである。若い女性なのであれば、(男性でももちろん)そんなことはどう考えても御免である。
アパートやマンションであっても家賃がブレーンバスターのように下降することうけあいであろう。

「いいわよキュルケ……では私が引っ越しますわ、許可を下さいオールド・オスマン」
「ルイズ…あなた、そこまで……」

オスマンとコルベールとキュルケは、末期症状の人間を見るような生暖かい目で、ルイズを見た。

「……そうじゃの……そこまで言うなら、考えんでもないの……うむ、別の住処を都合し、与えよう。大事な遺体にはわしが『固定化』の魔法をかけておいてあげよう、あとでコルベール君に運ばせよう」
「オールド・オスマン、感謝いたしますわ」

ルイズはオスマンへと深々と礼をした。

////

死体の置いてある部屋の隣に住む……なんてことは、生徒も教師も、もちろん使用人もいい顔をしない。
だから、死体と共に住もうなどという奇特な少女ルイズに割り当てられた新しい部屋は、学院のはずれ、古く使用されなくなった物置き小屋であった。
すこし離れたお隣さんには、コルベールの掘っ立て小屋……もとい、研究室がある。

「うわあ……やっぱり汚いわね……でも仕方ないか……」

ルイズは肩を落とし、ため息をついた。
貴族の子女が越してくるとあって、学院の使用人たちが可能な限り綺麗に掃除をしてくれてはいたが、それでも長年染み付いた汚れは落ちていない。
ぼろぼろの物置小屋、虫やネズミもでるだろう。ランプの明かりが室内に不気味な雰囲気をかもし出している。

もといた部屋から家具や本棚を運び込み、少なくとも人の住んでいる感じは出たが、粗末なこの小屋には一流の職人の作った家具がちぐはぐに見える。
床には一応あたらしい板が敷いてあり、そのうえにフカフカの絨毯を敷いてもらった。コレで多少マシになったが、貴族の住む部屋としては落第点も良いところである。
荷物を全て片付け終えたら、取って付けの扉を開け、部屋の外にでる。

扉の横に、用意しておいたヴァリエール家の紋章を取り付ける。

「……これでよし」

ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは誇り高き貴族の家の三女である。
彼女は自らの失態の責任を放り出すようなことはしない。貴族でありつづけるために、誇り高くありつづけるために、異世界の大天使との約束を果たすまで、へこたれるようなことはしたくない。……と、自らに言い聞かせる。
だから、どれほどオンボロな部屋に住むことになっても、耐えなければならない。

(人が寄り付かなければ、魔法の研究にもたっぷり時間を割けるわね)

ルイズは強い心を持った少女である。
ほどなく状況を受け入れ、決意を固めるのであった。

「室内の片付けは終わりましたかな、ミス・ヴァリエール」
「ええミスタ、ありがとうございます」

コルベールが例の棺にレビテーションをかけて、ルイズの小屋まで運んできてくれた。

「これからお隣さんですね、よろしくお願いしますわミスタ・コルベール」
「こちらこそよろしく、何か用があれば、いつでも訊ねてくるといい」

ジャン・コルベール、彼は他の誰もがやりたがらない『死体運び』を、自ら進んで請け負ってくれた、そんな親切なお隣さんである。
この頭頂部の薄い42歳独身がすこし頼もしく見えてしまったところで、ルイズはあわててかぶりを振った。

火のメイジであるコルベールの口癖は、「火の魔法は破壊のためだけにあるのではない」というものだった。
人々の生活に魔法をもっと役立てようと、いつも怪しい研究をしているため、彼は授業のないときは研究室に篭っている。
学院中から変な目で見られているコルベールである、ルイズはとうとう、そんなコルベールの同類になってしまったのだ。

「はぁ……」

コルベールが去った後、これから始まる生活を思い、ふたたび肩を落とすルイズ。
目の前には死体の入った棺がある。最初に中身であるソレを見たときは動揺し、取り乱し、過呼吸と貧血でぶっ倒れてしまった。
あれも失態である。
棺の中に入っているのはトラン=オウル、偉大なるラズマの大司教の遺体だ。
夢の中で会ったときは、堀の深い年齢不詳の銀髪の男性だった。漆黒の目は鋭いが、会った感じ優しい人ではあった。
少なくとも、当初想像したように『やあ、お嬢ちゃん』なんて下衆な呼びかけをするような人ではなかった。

―――もう一度見てみようか? そうだ、見てみよう……

「うんしょ……けっこう重いわねコレ……」

急な引越しゆえあまりランプの数を用意できなかったので、室内はうす暗い。
ボロボロの室内とあいまって、不気味な雰囲気がみちあふれている。
胸がバクバクする。怖いもの見たさ、興奮がルイズを動かす。たった一人で、何かしてはいけないことをしているような。
やがて蓋が少しひらき、『中の人』の足が見える。―――こっちは反対側だ、アタマのほうの蓋を開けようか?

ふと思うところがあり、ルイズは『中の人』の履いている靴を、触ってみた。

- - -
マロウウォーク[Marrowwalk](ボーウィーヴ・ブーツ)
ユニークアイテム
要求値(REQ)必要レベル66 必要筋力 118

防御力 : 204
 +2 スケルトン・マスタリー(ネクロマンサーのみ)
 +200% 防御力強化
 +20、筋力上昇
 +17、敏捷性上昇
 マナを回復させる 10%
 スタミナ回復:+ 10%
 凍結効果時間を半減
 レベル 33 ボーン・プリズン(13回分のチャージ)
 レベル 12 ライフ・タップ(10回分のチャージ)
- - -

やはり、であった。不思議なことに、マジックアイテムの効果が頭の中に流れ込んでくる。
ルイズはこのアイテムが自分には使えないことを理解する。レベルが足りない。――筋力はわかるけど、レベルって何だろう?
ルイズは死体のアタマのほうに向かい、そちらの蓋も持ち上げる。
ガコン、と音がして、蓋は床に落ちてしまった。『中の人』があらわになる。

「ひっ……」

息を呑む。やはり怖い。すごく怖い。滅茶苦茶怖い。だが悲しいことに、彼はルイズの愛すべき同居人である。
ルイズが彼をサンクチュアリへと送り返すのに手間取れば、下手をすれば一生の同居人にもなりかねない。

ルイズは夢で見たサンクチュアリにおいて、(かすかにしか覚えていないが)死体の転がるダンジョンや戦場をたくさん見て、スプラッタもたくさん経験した。
でも怖いものは怖い。そして、胸が締め付けられるように悲しい。
何が一番怖い、悲しいのかというと、夢で会って話した司教さま、偉大で優しいあの人が、目の前で死体となって居るということであった。

「よ、よ、ようこそ私の部屋へ、司祭さま……よろしくね、英雄トラン=オウル」

ルイズは涙目で、半ばヤケクソになって苦笑いをし、遺体へと声をかけた。もちろん返事はない。
その後ルイズが調べた装備品は、以下のとおりである。

トラン=オウルズ・ガイス(髑髏の兜)
トラン=オウルズ・スケールズ(カオス・アーマー)
トラン=オウルズ・ウィング(キャンター・トロフィー)
トラン=オウルズ・ガース(トロール・ベルト)
トラン=オウルズ・クローズ(重弓籠手)

異教徒の干し首!? 何コレ…調べてみると、どうやら特殊な呪いの触媒になる防具らしい―――ヘンなの、とルイズは首をかしげる。
効果は魔法技術(スキルというらしい)があがるとか、筋力や精神力があがるとか、魔法や毒の強力な耐性がつくとか、凍結魔法をくらっても凍らなくなるとか―――ハルケギニアの技術レベルからは想像もできない、恐るべきものばかりだった。

このトラン=オウルのセットを全部装備したら……

- - -
Complete Set Bonus
+3、ネクロマンサーのスキルレベル
20%のライフを一撃ごとに奪う
+3、ファイヤー・マスタリー
+10、メテオ
+13、ファイヤー・ウォール
+18、ファイヤー・ボール
+200 防御力
+100 、マナ上昇
マナ回復力 +60%
ライフを徐々に回復 +5
全耐性 +50
Vampireに変身
- - -

ルイズは驚愕に打ちのめされる―――火の魔法ファイヤー・ボールやファイヤー・ウォールが打てるようになるですって!?
精神力の回復速度が1.5倍になるってことね……一気に火のトライアングルになれるのかしら。魅力的ね!!
メテオっていうのは燃え盛る灼熱の岩のカタマリを呼び寄せ、敵の頭上から降らせる魔法らしい―――防御力が上がり、精神力そのものも上がり、さらに耐性も上がり、体力も回復するようになり……すごいじゃない。
これを装備できるくらいに、強くなりたい、私の当面の目標にしようかしら……うん、そう決めた。
―――そしてVampireに変身……ふむふむすごいわね
え、ヴァンパイヤ(吸血鬼)になる!?な…な、な、何だそりゃーーーー!!!!
……ぜえはあぜえはあ。


ルイズは息を整える。
一人でポーズをとりながら散々ツッコミを入れたあと、いちばん気になっていた杖を調べる。

- - -
ボーン・シェイド[Boneshade](リッチ・ワンド) ユニーク・アイテム
必要レベル79 筋力25 耐久性17
+2 ネクロマンサーのスキルレベル (ネクロマンサーのみ)
+2 、ボーンスピリット (ネクロマンサーのみ)
+3 、ボーンスピアー (ネクロマンサーのみ)
+3 、ボーンウォール(ネクロマンサーのみ)
+5 、ボーンアーマー (ネクロマンサーのみ)
+5 、ティース (ネクロマンサーのみ)
+25% より早い呪文詠唱
- - -

これもルイズには装備できないものである。結局のところ必要レベルとは一体何なのであろうか、ルイズには理解できない。
他にも護符や指輪を調べたが、どれもがとんでもない伝説級マジックアイテムだけれど、あまりに強力すぎて、ルイズには使えないものばかり。
落胆したルイズは、遺体のベルトを調べ、何かが収納されていることに気づいた。
それは小さな巻物が二種類と、赤、青、緑、黒、ピンク、金、色とりどりの小瓶がたくさん。

ルイズはそれらを手にしたとたん、驚いた。

- - -
タウンポータルのスクロール:世界中どこからでも拠点へとワープできるゲートを開く
識別のスクロール:未識別アイテムを識別する
ヒーリング・ポーション:体力の回復
マナ・ポーション:精神力の回復
スタミナ・ポーション:一定時間スタミナが減らなくなる
投擲用毒ポーション:毒ガスを発生する
投擲用オイル・ポーション:炎を発生する
投擲用エクスプローディング・ポーション:対象を爆破する
解毒ポーション:毒の回復
上級回復ポーション:体力および精神力、体調の回復

ゴールデン・エリクサー:あらゆる呪いを打ち払い、病、怪我などを回復する ユニーク・アイテム
- - -

ルイズの目が見開かれる。そして、顔が歓喜に歪む。
これらは、ルイズにだって使えるアイテムである。それがどういう薬であるか解れば、誰にでも、赤ちゃんにだって使えるものである。
―――しかもあっというまに怪我を治すなんて!! ハルケギニアに存在するあらゆる水の秘薬なんかより、数十倍強力なものだ。
わあ、精神力を回復するなんて!! そんな薬、見たことも聴いたこともない。
ルイズ・フランソワーズは歓喜に体中を震わせる。
魔法の実技が出来ない分、座学においては努力を怠らなかったがゆえ、ルイズはこれらアイテムの素晴らしさが解る。
なによりルイズを喜ばせたのは、次の事実である。
これらの異世界のアイテムについての情報が、使用方法から製造方法まで、全て頭の中に入ってくる!!

(……なによ、これ!!)

ルイズを一番驚かせたのは、最後の一品。
黄金の霊薬。
効果に見合っただけのたくさんの手間と高価な材料を必要とするが、他のはハルケギニアの技術である程度量産が可能なことまでわかる。

「わ、わぁーお」

ルイズはまず控えめに感嘆の声をもらしてみる。これらのポーション製作の技術は、病気の姉カトレアの治療に役立つのだろうか?

「や…やったぁあ」

もちろん役立つ、必ず役立つのである。不治の病を患った愛する姉の命を、間違いなく、この薬さえあれば助けることができるだろう。
それだけではない、アカデミーに勤める長姉エレオノールに恥じぬ偉業を残せる!!
秘薬調合のプロになれば、国にも貢献できるし、裏で暗躍すればお小遣いに困ることもなくなるだろう。
ルイズは魔法を使えなくとも、役立たずのゼロでは無くなるのである。

「やったああ、やったぁわ!! キャアアやったやったやった!! すごいわすごいわ!!」

ルイズは足の先から頭のてっぺんまで溢れる喜びに突き動かされ、赤い小瓶をもって物置小屋を飛び出し、二つの月に照らされた学校の裏庭を、一人で走り回った。

「ウフフフフ、天使さまありがとう、司教さまありがとう!! ウフフフ」

存在の偉大なる環(Great Circle Of Being)を覗き見たルイズである、世界すべてが調和をとり、美しく輝いて見える。
それが、ルイズの喜びにさらなる彩りをそえた。

ルイズはスキップで学院の塔と壁の間を三回往復し、真っ赤な液体の入った小瓶を月の光にかざしすかしてみて、と思ったらその小瓶を胸に抱きしめ、危ない笑い声をもらしながら、花壇の上をゴロゴロと転げ回り、オケラやナメクジやダンゴムシを指先でつんつんとつついて、生涯最高の喜びの時を分かち合った。

「ウフフ天使さまウフフあははははウフフ」

――家政婦は見てしまった。

暗い目をした、赤い小瓶を抱えた白髪の少女が危ない笑いをしながら花壇を転げまわっている光景を。

「まあ大変……ミス・ヴァリエールが、取り返しのつかないことに……」

ルイズ・フランソワーズに食べ損ねの晩御飯を持ってきたメイドのシエスタは、血の気の引いた顔でその光景をただ見ていることしかできなかった。

////

ルイズに対し妙に怯えた表情を見せ、ぶるぶると震えるメイドのシエスタに怪訝な視線を向けつつも、喜びという名のスパイスで生涯で一番美味しいと感じた晩御飯を食べた後、ルイズはとてもとても上機嫌だった。

「ウフフフ、ウフフフ、メイドさん、あなたのお名前はなんていうの?」
「ヒッ!! …し、しししシエスタです」
「ありがとう、何かあったらまたあなたに頼むことにするわ、よろしくね」

目の焦点の合っていないルイズに微笑みかけられて、シエスタは恐怖に腰を抜かし、悲鳴を上げた。

「ヒイイイっ、いやああ!!」

メイドの内心は、『目をつけられてしまった』という後悔でいっぱいだ。

「……ちょっと何よ、私があなたに何かしたわけ?」
「いえいえいえ、ははははい、わわわわたしなんかでよければいつでも」

シエスタが涙目で逃げるように帰ったあと、ルイズは50メイルほど離れた『お隣さん』の掘っ立て小屋を訪ねる。
窓から漏れる光でコルベールの在室を確かめてから、扉をノックする。

「おやミス・ヴァリエール、どうしたのかねこんな夜中に」
「ミスタ・コルベール、素晴らしいものをお見せしますわ、ちょっと外に出てきてください」
「何!? あれらのマジック・アイテムの効果が解ったのかね?」
「そんなようなものですわ」

興味津々と言った様子で、目を輝かせ、コルベールはルイズの後についてくる。

「ではミスタ、ちょっとそこに立っててください」
「ああ、何をするのかな? 楽しみでしょうがない」

ニコニコと笑うコルベールから十歩ほど離れ、ルイズはコホンと咳払いをしてから、杖を構える。

「失礼しますわミスタ、そして先に謝ります…ごめんなさい………」

数秒の沈黙。

「『錬金』!!!」

―――ドカーン!!!

「ぐわっ!! 

派手な音をたてる失敗魔法の爆発の直撃を受け、コルベールは吹き飛ばされた。

「な、な、なんてことをするんだ!! あ痛たたたた……」
「さあコレを飲んでください、今すぐ飲んでくださいミスタ・コルベール!!!」
「は、はい」

気絶から復帰したコルベールは、差し出された小瓶、赤い飲み物を急かされるままに嚥下する。

「どうですかミスタ?」
「お…おおお? おおおお!!!」

見ると、どこにも怪我はない。
コルベールのキズはまたたくまに治ったのであった。その治りの速さ、水の秘薬どころではない。
それは何千年もの間、無限にわき出る大量の魑魅魍魎どもと戦いつづけてきた世界の薬である、その威力は半端ではない。

「素晴らしいっ!! ミス・ヴァリエール、信じられん、素晴らしいっ!! 今のは何なのだね!? 水魔法かね!?」

抑えきれない感動にあふれつつ、コルベールが興奮気味にルイズへと尋ねた。ルイズは待っていましたとばかりに、にやりと笑う。

「あの遺体が所持していたヒーリング・ポーションですわ、水系統の魔法は一切関係ありません」
「そんな貴重なものを私に、こんな簡単に使ってよいのかね!? ……い、いや、まさか」

そこで言葉につまったコルベール。ひとつの推測に、表情は歓喜の色を湛えている。

「……まさか製法が解るのかね?」
「解る、解るのですミスタ・コルベール!!」

ルイズは誇らしげに小瓶をかかげ、宣言した。

「おお、何たることか、この技術はトリステインに革命を齎すにちがいない!! 早速アカデミーに報告を…」
「それは駄目です!! 絶対にいけません!!」

間髪いれずに却下するルイズに、コルベールはキョトンとする。

「これは東方の秘術で、この世界に簡単に広めて良いものではありません。
これは異教徒の技であり、見つかったらわたしは法王庁に異端として処罰されかねません! ミスタは自分の教え子がそんなことになってよいのですか?」
「む、それは……」

ルイズはちっちっと指を振り、誰もが思わず魅入られるような微笑みを浮かべ、話を続ける。

「たった今お見せしましたのはミスタ・コルベール、あなたにだけ特別、あなたを優れた研究者として見込んで信用したからなのです」
「…私だけ特別ですと? 私が特別……私は特別やはり特別!?」
「そうです。この技術はここよりはるかに命の価値の低い地で生まれたもの。 いたずらに広めることが何を引き起こすのか、あなたになら解っていただけると思いましたの」
「ふむ…命の価値、か…」

コルベールには多少、生命というものに関して思うところがあるようだ。
ルイズはコルベールの過去を知らない。だが、彼を勧誘することは間違っていないと確信している。

「このポーションを作るためには火と錬金の技能が必要なのです、どうか私と取引してください。 あなたにこのポーションを量産するための材料を、錬金で作って欲しいのです。是非東方の秘術を共有しましょう!! もちろんミスタには必要に応じて、これらのポーションを使って頂いてもかまいませんし」

このときコルベールには、目の前のルイズがまるで悪魔の誘惑をしているかのように見えていた。
コルベールの目と眼鏡とアタマのてっぺんが、月の光を浴びてキラリと光った。

「ふむ……一つだけ条件をつけてもらってよいかな?」
「何でしょう、ミスタ」
「私は研究者だ…人類の役にたつ知識への探求を至上としよう。ポーションだけでなく、どうか私にも君の所持するあの遺体に関するマジックアイテムを研究させてもらいたい、どうせ異教徒の技を研究するのなら、一蓮托生です、杖にかけて、他の人には絶対に秘密にしよう。君ならあれらの効果は解っているのでしょう? ミス・ヴァリエール」

ルイズにとっては、もちろん受け入れられる条件であった。
だが、ルイズの視点からも、このときの逆光で顔の隠れたコルベールはどこか悪魔じみて見えていた。

「……いいでしょう、でもどうして私があれらの効果を知ると?」
「君の額のそのルーンだよ、珍しいと思って調べてみたのだが」
「これは何のルーンなのですか、通常の使い魔のルーンとは違うようですが」
「ミョズニトニルン、神の頭脳で神の本。あらゆるマジックアイテムを使いこなす、始祖ブリミルの使い魔ですよ」
「え」
「では、ミス・ヴァリエール、コンゴトモヨロシク……」

かたく手を握り合う二人。
ハルケギニア随一のマッド・サイエンティストと、伝説の《神の頭脳》との秘密結社が、いまここに誕生した。
後に世界一の製薬企業へと成長する『V&C(ヴァリエール&コルベール)』ブランド、その起源である。

////

ルイズがコルベールと別れ自分の小屋へ戻ってくるころには、もう真夜中だった。
ルイズは相変わらず上機嫌だった。ヒーリング・ポーションが量産されれば誰がどんな怪我をしたってヘッチャラだ。
マナ・ポーションが量産されればどんなに魔法を使いまくっても、すぐ精神力を回復できる。

そしてゴールデン・エリクサーを複製できたら……ちい姉さまの病気を治して……

もちろんみだりに他人に見せるつもりはないが、どれほどに素晴らしいことか。
満足しているルイズであるが、真のよろこびはこの後にやって来るのだ。

「ただいま!! よろしく私の素敵な新しいおうち!!」

ルイズが扉を開けると、部屋のすみに見慣れないものを発見した。
宝箱……見たことも無い大きなチェストが鎮座している。ルイズは恐る恐る、それに触れてみた。

「何……これ?」

果たして、情報が頭脳へと流れ込んでくる。

- - -
ルイズの宝箱(Louise's Private Stash)
マジックアイテム

ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールのみがこれを使用できる

中に金、アイテムを保管する・金、アイテムは状態変化なく保存される
ルイズ以外の人物は、このチェストを開くことができない
ルイズ以外の人物は、このチェストの中身を覗きみることができない
ルイズ以外の人物は、このチェストからアイテムを取り出すことができない

サンクチュアリでは全ての冒険者がスタッシュを所持しており、ベースキャンプごとのアイテムの持ち運びに使っている。
大天使ティラエルによってハルケギニアに送り込まれた
- - -

「わあっ!!」

それはティラエルからの贈り物だった。
箱の中を覗いて、さらに驚いた。
四冊の本
一本の杖
一個の指輪
そして、寄木細工のような不思議な正方形の箱。ルイズはそれに手を触れる。

- - -
ホラドリムのキューブ(Horadric Cube)
マジックアイテム

闇を打ち払うために結成された古の魔術結社『ホラドリム』の開発した、魔法のキューブ
一定のルールに従って、さまざまなアイテムを合成したり、クラフトアイテムを作成したりすることができる
ときに異次元へと到るポータルを開くカギとなる

サンクチュアリでは全ての冒険者が所持しており、アイテムの合成その他に使っている

使用法、用途ならびに基本合成レシピ、ルール……(略
- - -

「はあ……天使さまったら、まあご親切ですこと!!」

感動のため息がひとつ宙にとける。
ルイズの認識は間違いではない。ティラエルは事実おせっかい焼きで苦労人の大天使なのである。

ルイズは苦笑したが、本を取り出してパラパラと捲ってみて、顔色が変わった。
そういえばルイズの望みは三つ。『魔法が使いたい』『使い魔が欲しい』『誇り高くありたい』

本は、ラズマのネクロマンサーの秘術を記したものだった。
ハルケギニアの文字ではなく、ラズマの古代文字で書いてあるが、ルイズには読める。
これで勉強すれば、魔法が使えるようになるかもしれない!!ルイズの双眸から、喜びの涙があふれる。

「ありがとうございます! ありがとうございます!」

ルイズは本を抱きしめ、わあわあわあんと泣いた。近くの森のふくろうが、ほう、と鳴いた。

ルイズは決意をますます硬くする。
天使さまと司教さまにここまで恩を受けたからには、あだで返してはならない。絶対に誓いを守ろう。
残る一つの望み『誇りたかくあること』、そのために最大限の努力をしよう。
ヴァリエールの名に恥じない貴族になろう。

「おやすみなさい司教さま」

その夜、ルイズは棺桶に寄り添って、毛布をかぶって床に寝た。
死体への恐怖は、すでに欠片も残っていなかった。

////



[12668] その3
Name: 歯科猫◆93b518d2 ID:b582cd8c
Date: 2009/12/25 16:12
////

(……怖くない)

嘘である。

『ゼロのルイズが召喚に失敗して幽霊にとりつかれ、とうとうおかしくなった』

雪風のタバサは、キュルケの友人である。
だからキュルケのライバル、ゼロのルイズとはほとんど接点が無かった。なのだが、
昨日から学院内ではタバサの内面をかき乱す、おそろしい噂が飛び交っている。

『ゼロのルイズが学院のはずれの幽霊屋敷に住み着いた』
『ゼロのルイズの幽霊屋敷のまわりにはヒトダマが飛び回っている』
『ゼロのルイズが生き血の入った小瓶に頬ずりし、月夜に笑いながら踊り狂っていた』
『ゼロのルイズは死体といっしょに住んでいる』
『ミスタ・コルベールはルイズに殺され、ルイズの血を飲んで蘇り、ゼロのルイズの眷属にされてしまった』

こんな噂が流れてしまっては、もう無視したくても無視できない。耳をふさいでも、アノときの光景が目に浮かぶ。

(怖くない……怖くない)

ガイコツのヒトダマ、わたしは恐ろしいアレを、ルイズの使い魔に近寄り、見て、目が合ってしまった……
きっとアレにとりつかれて、可哀相なルイズは人ならざるものになってしまったのだろう……



まさか、いつか、わたしも?

サーッと体中の血が引き、目の前が暗くなる。

「~~~~~っううう!!」


雪風のタバサは幽霊話が大の苦手である。

昨晩はひとりで部屋にいることに耐えられず、キュルケの部屋に泊まらせてもらった。
キュルケのボーイフレンドたち(11人いる!!)には丁重にお断りして出て行ってもらったが、悪いことをした。
トイレにも一人で行けず、眠たげなキュルケを起こして着いてきてもらい、

『……いる?』
『ここにいるわ、タバサ』
『……オバケ、いない?』
『大丈夫よ、タバサ』

とキュルケの所在を確認しつつ用を足したりなどと、多大なる迷惑をかけてしまった。
それでも下着を汚してしまい、シエスタという平民のメイドに助けてもらった。いつかかのメイドには借りを返さなければと思うが、ともかく―――
雪風のタバサにとって、目下もっとも苦手とする人物は、同級生のルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールだ。

なので朝食に現われなかったルイズを起こしにいこうとキュルケが提案したとき、タバサは愕然とした。
しかし一人でも行くというキュルケに、一人になることに耐えられないタバサは怯えつつも同行することにした。

雪風のタバサには、キュルケ以外の友人が居ない。
一人にならないためには、恐怖の元凶たるルイズのもとへ行かなければならないという矛盾……もはや、本末転倒であったが。
キュルケの召喚した使い魔、サラマンダーのフレイムも同行し、主の後をのそのそとついていった。
タバサもあわてて、その後をついていった。

「あれ? あなた何してるの」
「わ、わわ私はミス・ヴァリエールの昨晩の食事の後片付けに…」

道すがら、メイドの少女シエスタが物陰から『幽霊屋敷』とよばれるルイズの小屋を震えながら眺めているのを、キュルケが見つけた。
話を聞くに、平民の使用人たちも皆ルイズのことを怖がってしまい、シエスタに世話を押し付けたというのだ。

「何でルイズを呼ばないの?」
「そ、それがミスタ・コルベールも中にいらっしゃるようで……」
「ちょ、ちょっと何よそれ、ルイズ!! 入るわよ!!」

―――あのルイズに男!? しかも相手は冴えない中年の変人教師ですって!?
キュルケが慌ててドアを開けて中に入ると、中は幽霊屋敷の名に恥じぬ、混沌の世界だった。

「あっはっはは、これは素晴らしい、素晴らしい発想ですぞミス・ヴァリエール!! あーっはっはは」
「ぐーぐーすやすや」
「カタカタカタ」
「フヨーン」

まず目に飛び込んできたのは、
ギラギラと目をピカピカと頭頂部を光らせ、実験用の白衣を真っ赤な液体で染めた姿で、謎の液体を弄繰り回すコルベール。
ホラーである。

次に目に飛び込んできたのは大きな棺桶、その蓋は少しズレて開いており、死体の足が見える。
その棺桶によりかかって、白髪の少女が毛布にくるまって幸せそうにすやすやと眠っている。
床には動物のものだろう骨、骨、骨が散らばっている。
どう見ても骨だけのネズミが数匹、床をカタカタ音をたてて走り回り、天井付近をヒトダマが飛び回っている。

「……ひっ!!」

キュルケが思わず喉をひくつかせると、『幽霊屋敷』の奇妙な住人たちはこちらに気づいたようだ。

「おお、ミス・ツェルプストーではないか」
「ん……おはようキュルケ、おはようございますミスタ・コルベール、おはようございます司教さま」

キュルケはドアをバタンと閉めた。背筋には嫌な汗。

開けなければよかった、とキュルケは後悔する。背後にいるタバサにこの光景を見られてないことを願う。

(……司教さまって何?)

気になるが、知りたくは無い。知れば後悔するに決まっているからだ。

しばらくして満足げな表情をしたコルベールが出て行き、やがて寝ぼけ眼をこすりながらルイズが小屋から出てきた。
白髪は昨日のまま、手には緑色の宝石のついた短い杖、年月を経た何かの皮で装丁された厚い本。

「おはようキュルケ……二度寝したら寝過ごしてしまったわ」
「る、ルイズ…」
「ウフフ、どうしたの? ……あら、サラマンダー? 素敵な使い魔を召喚したのね」

キュルケはルイズを見て戦慄する。
―――やばい、目がイッてる。ここじゃないどこかを見てる。

「触らせてもらってもよろしいこと?」
「え、ええ……」

フレイムを撫でるルイズ。フレイムは撫でられて気持ち良さそうに、キュルキュルとのどを鳴らす。
あ、フレイムとルイズがふと何かに気づいたように、同時に何も無い中空の一点を見た。
そのまま一人と一匹の視線が、そろってすすすーっと空中を移動する。

「な、何よ今の!? 私に見えない何かが空中にいたみたいじゃない! あ、あなた何か見たの!?」
「なんでもないわウフフフ、あらサラマンダーくん、あなたご主人と視覚の共有は出来てないのかしら?」

―――視覚の共有は出来る、もちろんやろうと思えばできるわ、でも今だけは頼まれたってしたくない!!
キュルケは冷や汗をダラダラと流しながら、心のなかで突っ込みをいれる。まかり間違って『何か』が見えてしまったら洒落にならない。

向こうの建物の影、タバサがぶるぶると震えてシエスタに抱きついているのが見えた。

////

ルイズは本を一冊持っていて、移動中も授業中も、片時もそれを手放さなかった。
キュルケが覗き込んでみても、何が書いてあるのか見当もつかない。どう見てもハルケギニア語で書かれた書物ではない。
それもそう、ラズマの古語で記された、ネクロマンサーの秘術の本である。

ルイズが夢でかいま見た『存在の偉大なる環』、あれと共に生きることが、ラズマ信徒にとっての最大の、そしてたったひとつの喜びである。
あれを前にしたら、たかだか6千年の歴史のブリミルの系統魔法など、もはや児戯に等しい……
なんて、もはや完全に異端の考えに到ってしまっているのだが、ルイズはラズマの宇宙観に深く深く熱中していた。

教室に入っても、ルイズの周り半径5メートルほどは空席となっていた。
ニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべながら読書を続けるルイズを、直接に揶揄するものは居ない。
ときおりヒソヒソと噂話の声が聴こえるが、ルイズは本に熱中しており、意に介した様子もない。

『練金』の授業でミセス・シュヴルーズに注意され、嫌々なそぶりで本を閉じて授業を聞く。
ルイズにとってはこんな基礎の授業など時間の無駄。内容などすべて一年次に頭に入れてしまっているのだ。
早起きして睡眠不足なのだろう、やがてルイズはうつらうつらと船をこぎはじめた。

ああ、宇宙(そら)が広がってゆく……!

「――ではミス・ヴァリエール、前に出て実技を行なって下さい」
「私の魔法は大きな爆発を起こしますわ、それでもよろしくて? ミセス・シュヴルーズ」

いいところで睡眠(本人は瞑想と言い張るが)を妨害され、ルイズは不機嫌な声でそう言い放った。
危険です、やめさせてください、と声があがり、のれんに腕押しの問答が続き、根負けしたシュヴルーズは渋々となりの生徒を指名した。

昼休みになるとルイズは厨房でシエスタを見つけて、二人分の食事を自分の小屋へと運ぶように言いつけ、早々に戻ってゆく。
ルイズが『幽霊屋敷』に戻るとコルベールがやってきて、満面の笑みで迎えた。

小屋の外に引っ張り出したテーブルについて、暖かな日差しの下でオープン・テラスとしゃれ込み、やがて運ばれてくるであろうランチを待ちながら、例のポーションについての議論をする。
『神の頭脳』とマッドな教師にとっての、ひとときの至福の時間であった。

「どうかね? ミス・ヴァリエール、試しにいくつか作ってみたのだが」
「……まだちょっと効果が強すぎますわ」
「そうか、治癒効果が強い分には問題ないと思うのだがね…」
「いいえミスタ・コルベール、『通常の薬よりちょっとだけよく効く』、というのが良いのですわ」
「ふむ…これ以上希釈するには、水のメイジの協力が必要ですな、誰か信用の置ける人物をひっぱりこまないと」
「希釈するのは量を増やし、製法を秘匿する意味もあるのです……違和感なく世間に溶け込ませないとなりません」

現在二人が目指しているのは、平民の購買層をターゲットにした『安価で通常のものより効く薬』の開発である。
水の秘薬とメイジに頼るまでもない傷病にたいする、はるかに安価な薬を開発すれば、飛ぶように売れるだろう。
何をするにも資金が必要だ、でもこれからのことを考えるとワクワクがとまらない。

「それにしても食事はまだかな? そろそろ次の授業の時間に入ってしまうよ」
「遅いですわね……何をしているのでしょう?」

コルベールの分と自分の分、頼んでおいた食事が運ばれてこない。これは何かトラブルでもあったのだろうか。

「ちょっと食堂を見てきますわ」
「すまないねミス・ヴァリエール」

ルイズは席を立ち、食堂へと向かった。するとなにやら食堂の隅のほうで喧騒がきこえる。
行って見ると、真っ青な顔をした平民のメイドを取り囲む、貴族の子供たちが見える。
見覚えのあるメイド、シエスタを庇うように立つのは背の低い青い髪のメイジ、雪風のタバサだった。

ルイズはずかずかと人を押し分け、メイドのもとへとやってきた。

「ちょっとシエスタ、私たちの食事はまだ? 朝ごはんも食べてないから、もうぺこぺこよ」
「ミ、ミス・ヴァリエール!!」
「………」

数秒の沈黙、あたりには緊張した空気がただよう。

「うわあっ、ゼロのルイズだ!!」
「ゼロのルイズが出てきたぞ!」
「腹を減らしてる! 取って食われるぞ!」

タバサが目を見開き、見物人と貴族の少年少女たちがざわざわとする。

「何があったのかは知らないけど、この娘借りていくわね」

ルイズはあえて空気を読まず、シエスタの手を引いてそこから連れ出した。

「……ちょ、ちょっと待ったゼロのルイズ!! 僕は彼女に説教をだね!!」

金髪の男子生徒、趣味の悪い服を着たギーシュ・ド・グラモンが、慌ててルイズの後姿に呼びかけた。

「いいけど後にして」
「………」

ルイズはただ無表情、焦点の合わない瞳でじっと見つめるだけ。

「うっ、わ……わかった」

ルイズの視線を受け、ギーシュは引き下がった。
見物人たちも興がそがれたように、三々五々と引き上げていった。

「シエスタ、私とミスタ・コルベールの食事を用意して頂戴、すぐ食べられるものを」
「は、はい」
「あ、それとティーセットもよろしく、急いでね」

さすがプロのメイドである。シエスタは即座に頭を切り替え、自分の仕事を果たすべく厨房へと走っていった。
ルイズは去り行くメイドの後ろ姿を眺めたあと、タバサのほうに振り向き、じっと見つめた。
タバサはビクッと身をすくめたが、すぐに表情を普段どおりに戻し、ルイズの視線を受け止める。

「………」
「ええと、あなたはたしか雪風のタバサだったわよね、いつもキュルケと一緒にいる」
「そう」
「ふーん、けっこう見所あるじゃない。あれだけの人数を相手にして、平民のメイドを庇うなんて」

タバサは必死に怯えた色を隠し、無表情を装っていたが、少しその目が見開かれる。

「借りがあった」
「借り?」
「……」

それだけ言って、黙ってしまうタバサ。『借り』の内容はどうやら口に出せないようだ。

「……はぁ、事情はいいわ、どうせギーシュのことだし。聞くだけ時間の無駄だわ。ところであなた、水の魔法も使えるわよね、秘薬調合の知識はあるかしら?」
「?……少しなら」

ルイズはタバサを値踏みするような目で眺めてから、満面の笑みになってタバサの肩に手をおいた。
再びビクッと硬直するタバサ。目の前のルイズの笑みは同性のタバサから見ても、妖しく美しい魅力に満ちていた。

「気に入ったわ! どう、これから一緒にティータイム……といっても、時間は少ししかないけど」

数秒か数分か……の沈黙の後、タバサは決意する。

「……行く」
「じゃあ決まりね、急ぎましょう。場所はわかるわね」
「今朝も行った」
「そう、『幽霊屋敷』なんて呼ばれちゃってるけど……ここだけの話、私その呼称ちょっと気に入ってるのよね」

おっかなびっくり、タバサはルイズの後についてゆく。
雪風のタバサは幽霊のたぐいが大の苦手である。だが、タバサはゼロのルイズという人物に、少しだけ呑まれていた。

タバサはとなりを歩くルイズを観察する。
ルイズ自身も気づいてはいないと、タバサは思うのだが、彼女はあの場で最善の行動を取っていた。
ギーシュが平民のメイドを責めたのは一時の激昂によるものであり、少し時間を置けば自らの愚を反省するに違いなかった。

あのときはギーシュもタバサも、ただ落としどころを計りかねていたのだ。
突然のルイズの横槍は、一触即発のあわや決闘!という雰囲気を、一撃のもとに葬り去った。
雪風のタバサはこの計り知れない少女に、少しだけ興味を持った。

「ちょっとタバサ!! 大丈夫? さっきの騒ぎはどうなったの?」

キュルケが小走りでやってきて、タバサに問い詰めた。タバサはふるふると首を振った。

「解決した」
「…先生を呼びにいっていたんだけど、無駄になっちゃったみたいね。でも、何事もなくてよかったわ」
「ふむ、無駄な手間をとらせて…まったくガキはこれだから駄目だ」

キュルケの後ろからやってきたのは、風の魔法の教授のギトーである。
風の魔法に絶対の自信をもつ彼は、つまらない授業と『思ってもいわなくてもいいことを言う』性格から、生徒に嫌われていた。
連れてきたキュルケも彼のような先生は御免であったが、一番近くにいたのが彼では仕方ない。

ちなみにタバサを招待した午後のティータイムは、招かれざる客ギトーによる風系統の自慢話で台無しになってしまった。
口角泡飛ばし風の魔法のすばらしさを謳いあげるギトーに、ルイズ、タバサ、キュルケ、コルベールは心底げんなりとした。

////

ルイズの朝は早い。
夜が明けると目が覚める。司教の棺に向かって朝の挨拶をすると、顔を洗ってから、動きやすい服装に着替える。
軽くストレッチをしてから、筋力をつけるためのランニング、筋トレを行う。
サンクチュアリの装備には、使用するために筋力や敏捷性が要求されるものが少なくないので、少しでも鍛えておきたいのだ。

朝の適度な湿気を含んだ空気は、とても気持ちがいい。
また、存在の偉大なる環(Great Circle Of Being)を覗き見たルイズには、いままでとは世界が違って見える。
草の一本一本が、花の一輪一輪が、木々が、鳥たちが、虫たちが、すべてがルイズには生命力に輝いて、美しく見える。

まだおぼろげではあるが、通常の人々には見えないものも、ルイズの目には見えるようになってきた。
いわゆる死せし生き物たちの霊魂である。色とりどりの影としてルイズの目に映るそれらが、世界を彩る。

ラズマの秘術は大いなる運命の流れを読むことを基本中の基本としており、
それを学ぶルイズにも、少しずつだが、霊魂たちが語りかけてくれるようになってきたのだ。
語りかけるとはいっても、喜びや悲しみ、怒りやとまどいといったような色彩として見えるだけではあるが。

ランニングの途中、顔見知りになった幽霊に挨拶をすると、幽霊はその色を綺麗なものに変えることで応答してくれる。
なかには恨みつらみの色をした霊魂もいることにはいるが、たいがいの霊魂は、大いなる愛を持って学院を見守ってくれているのだ。
彼らはただそこにいるだけだし、何もしないので恐れることはない。

ルイズ自身には、落ち着いた雰囲気の初老の男性がついている。
どこかで見た顔だなあと思っていたら、なんと教科書に載っている肖像画の主、十代ほど前のロマリア教皇さまだ。

キュルケの友人、雪風のタバサの背後にはいつも、優しくりりしい風貌をした青い髪の男性の霊魂がついている。
おそらく親族かなにかであろうが、ルイズは多少気になりこそすれ、無理に事情をきくつもりはない。
タバサは幽霊の類が苦手だと言っていたし、わざわざ告げて怖がらせることもないだろう。

使い魔召喚を境に、ルイズを取り巻く世界は大きく変わった。ルイズはその喜びをかみ締める。

「……ああ」

歓喜が、あふれる。

―――ああ、世界はこんなにも美しい!! 

今まで気づきもしなかったこの当たり前の事実に、ルイズはご満悦である。

次は魔法の練習。『幽霊屋敷』の裏で、杖を取り出し、ラズマの経典を開いて呪文を唱える。
目の前にはネズミの死体が置いてある。厨房のネズミ捕りにひっかかっていたものを貰ってきたものだ。

『レイズ・スケルトン(Raise Skeleton)!!』

神聖な生命と死の絶妙なバランスを把握し、その境界の制御を行なう『降霊』の術のひとつである。
ネズミの死体に周囲から雑霊が集まってきて、ルイズの導きにしたがって憑依してゆくのが見える。
死体がやぶれ、骨が集い、一匹のネズミの骸骨が立ち上がる。ルイズの目の前にちょこんとお座りをすると、カタカタと顎をならす。

そのまま呪文を唱え続けると、次々とスケルトン・ラットが生み出され、総勢五匹がルイズの目の前に整列した。

「……まだネズミとニワトリしか試したことはないけど、今はこんなものね」

修練度をあげれば魔法を使えるガイコツも生み出せるようになるのだが、まだルイズの技量はそこまで至っていない。

「よしよし……気をつけ、……礼! 解散!」

ルイズはガイコツたちへの制御を手放し、目の届く範囲で遊ばせる。
こうすれば、雑霊たちは遊びを目当てに、勝手にルイズのもとへ集まってきてくれるようになるのだ。

『幽霊屋敷』にもどり、ガイコツネズミたちを室内で遊ばせると、使い魔の『ボーン・スピリット』を呼び出して飛び回らせる。
本来は最上級秘術の『ボーン・スピリット』召喚であるが、ルイズは自身に憑依させるという変則的な方法で一匹なら使役が可能だ。

「タマちゃーん」

―――フワン

ヒトダマなので『タマ』と名づけられたそれは、ルイズによく従い、『幽霊屋敷』周辺の見回りなどによく働いてくれる。
時々学院長の使い魔、ハツカネズミの『モートソグニル』が覗きにくるので、それを追い払うのもタマちゃんの仕事だ。

15分ほど瞑想する。意識を広げ、存在の偉大なる環(Great Circle Of Being)に触れ、体に霊力をみちあふれさせる。
この瞑想はネクロマンサーにとって欠かせない、大事な日課である。
呼吸を整え、徐々に体を慣らすのに三分、その状態を五分ほど維持し、またゆっくり意識を覚醒させていく。

瞑想が終わったら、ルイズはあくびをひとつして、心地よい疲れを感じるからだを休ませる。俗にいう二度寝である。
しばらくすると血走った目をした徹夜明けのコルベールが勝手にポーションをいじりにくるので、好きにさせる。
コルベールの研究者としての血は、最高の研究対象を前に、人生最大の喜びに滾っているのだろう。

やがてキュルケとタバサ、シエスタが起しにくるので、ガイコツたちを戻してから身だしなみを整えて『幽霊屋敷』を出る。
もちろん杖と本は忘れずに、だ。
ちなみにルイズの手にする杖は、緑色の宝石が先端についており、魔物の骨で小奇麗に装飾されている。

- - -
イロのたいまつ(Torch of Iro)
ユニークアイテム:ワンド
片手ダメージ: 2~4 必要レベル: 5 耐久性: 15
攻撃の際に5-9の火炎ダメージを追加
+1 ネクロマンサーのスキル
+10 精神力上昇
マナ回復率上昇 5%
6% 攻撃がヒットした際にライフ吸収
+3 周囲を明るくする
- - -

持っているだけで勝手に技術や精神力を底上げしてくれる、便利なアイテムである。
振れば火がでるし、魔力を通せば緑色の綺麗な光で周囲を照らしてくれる、ルイズのお気に入りの杖である。
この杖を自分が使えると分かったとき、ルイズは頬ずりして喜び、三十分間は飽きずに振り回して火を出して遊んだものだ。

系統魔法にもこの杖を対応させるため、契約に少し手間取ったが、そんなことは苦労のうちに入らない。
これは天使の贈り物だ。それまでの愛用のタクトに代わって、『イロのたいまつ』はいまや立派なルイズの杖となっている。
ルイズは練習と勉強をかかさないが、相変わらず系統魔法は爆発しかしないとしても、へこたれない。

午前中の授業が終わると、昼食後はコルベール、タバサ、キュルケ、そしてなぜかギトーとともにティータイム。
最初こそはギトーに嫌悪感を隠せなかったルイズであったが、慣れればその人柄が言われるほど悪いものではないことを知る。
話は論理的だし、弱点やその克服の仕方も認知しているし、そしてなにしろ、ギトーの風系統最強説には確固たる根拠がある。

ギトーの説を裏付けるのは、トリステイン魔法衛士隊の歴史が誇る伝説のメイジ『烈風カリン』の存在だ。
通常の三倍の速度で動くマンティコアを駆り、『偏在』で七人に分身し、戦艦すら削り飛ばす竜巻を連射する。
ルイズ以外は誰も知らぬことではあるが、『烈風カリン』は誰あろうルイズの母親カリーヌ、その人の変名である。

火の系統のメイジであるキュルケは始終いい顔をしなかったが、
スクウェアクラスのギトーによる実技をまじえた風の課外授業は、タバサとルイズには得るところが多かったようだ。
ちなみにギトーが『風の力が気象に与える影響とその効果』という本の著者本人だと判明したとき、
タバサはヒーローを見る目でギトーのことを見ており、キュルケは冷や汗を流した。

引きつった笑顔のシエスタの淹れる『東方のお茶』は薫り高く美味であり、皆の心と体を温めていた。
本日はそこに珍しい客、ギーシュ・ド・グラモンがやってきた。

「や、やあルイズ、そしてみなさんごきげんよう」
「あらこんにちはミスタ・グラモン、私に何か御用かしら?」
「ああ、ルイズ、君にも用はあるのだが……まずそこの二人にね」

ギーシュはつかつかとタバサに歩み寄ると、がばっと大きく頭をさげた。

「先日は済まなかった、ミス・タバサ。あれからずっと考えていたんだ。このギーシュ・ド・グラモン、君に謝罪するよ」
「……」

一同、驚きのあまり声が出ない。

「メイドをかばった君の行動は、非の打ちどころもない立派なものだ、僕が愚かだった」
「……いい、許す」
「君は立派な貴族だね、僕も君のあの行動を見習って生きることにするよ」

あっけに取られる皆の前、次にギーシュは、ティータイムの給仕をしていたシエスタに歩み寄る。

「君にも変な言いがかりをつけ、怖がらせてしまった、心から謝罪するよ」
「そんな!いえ、いえいえいえミスタ!! 頭をお上げください!!」
「家名にかけて、二度とあんなことはしないと誓うよ、許してくれるかい?」
「も、もちろんです!」

らしくないギーシュの行動である。キュルケとルイズはぽかんと口をあけた顔を見合わせた。間抜け顔、と互いに思う。
ギーシュはギトーとキュルケ、ついでにコルベールに頭を下げたあと、ルイズに向き直る。

「ルイズ、君には感謝しよう、僕の愚かな行動を止めてくれたのは君だ」
「そ、そう? ……あ、あれはお腹がすいていたからで、別にあんたのためじゃなかったけど!!」
「ははは、何はともあれ君のおかげさ」
「あ、あははは、そうかしら? ウフフフフ」

自分の行動を褒められることに慣れていないルイズは、思わず赤面した。

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[12668] その4
Name: 歯科猫◆93b518d2 ID:b582cd8c
Date: 2009/10/13 21:20
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午後の授業はミセス・シュヴルーズによる、ゴーレム作成の実習であった。
ヴェストリの広場には土の山ができており、「必要に応じて使ってください」とのことだ。
生徒たちは苦心惨憺だった。ゴーレムは土系統のメイジでなければ作成すら難しいものだ。

「ワルキューレ!!」

土系統のドットメイジ、ギーシュは慣れたものである。
綺麗な装飾がなされた青銅のゴーレムを作り上げ、歓声をその身に浴びていた。

「素晴らしいですミスタ・グラモン!! では次、ミス・ヴァリエール、やってみますか?」

次の実技にルイズが指名されたとき、生徒たちは爆発を恐れ、あわててルイズから離れていった。
ルイズは少し考えてから、前に進み出た。ゴーレムは土のスペルゆえ出来なくても問題はないが、
ここはやっておくべきだ、座学だけでなく実技の点も欲しい、とルイズは思った。

「やります!!」
「その意気ですミス・ヴァリエール。何事もやってみようという気持ちが大事ですよ」

大きく深呼吸してから、『イロのたいまつ』を構える。ルイズの魔力に反応し、緑色の宝石が輝く。
『クレイ・ゴーレム(Clay Golem)』、ラズマの秘儀の初歩の魔術だ。
まだ弱いゴーレムだが、出来ないことはない。みんなできることに似ているし、見せて問題ないだろう……

見たらみんな驚くぞ
ゼロがゴーレムを作るんだ

……そこまで考えて、ルイズはふとした思いに頭を支配された。
ゴーレムは作れる。だがそれ以外の土の魔法は出来ない。
ゴーレムを作れたら? ルイズは答えを出す――私は土のメイジであると看做される。
ギーシュは錬金や彫製を得意にしているのに、私はゴーレム以外何も出来ない。

おかしいと思われる、調べられたら、ラズマの経典や司祭の遺体はアカデミーに取り上げられてしまうかもしれない……
ダメだダメだダメだ!
秘儀はよほどのことがない限り隠すべきだ。

ルイズはそう結論し、あわてて系統魔法のルーンを唱える。

『錬金!!』



結果、爆発。

土の山が粉々に吹き飛んだ。大量のホコリが宙にまいあがり、皆がゴホゴホと咳き込んだ。

これでいい。実技の不能は座学で補えばよい。今までどおりだ……
だが今のルイズには、今までのルイズにないものがある。



「……ちょっと失敗したわね」

―――隠してこその秘儀と、ゼロではない余裕だ。

幸い屋外での授業だったせいか、周辺被害はほぼ皆無であった。

「ゴホゴホッ…ミス・ヴァリエール、失敗しても恥ではありません。これに負けず、何事にも努力を怠らないように」
「はい、ミセス・シュヴルーズ」

土の山が丸ごと吹き飛んでクレーターの出来た場所を眺め、我ながらすごい威力ねとルイズは苦笑した。

授業が終わり、広場には罰として穴の空いた広場の掃除を命じられたルイズが残っている。
ルイズは辺りを見回した。ふわふわと浮いている霊魂たち以外、生きた人間はいない。
ヴェストリの広場は、魔法学院の風の塔と火の塔の間にある中庭であり、この時間になると訪れる人はいない。

ボーン・スピリットの『タマちゃん』を自らの体内から呼び出し、周囲を警戒して、人のいないことを確認する。
フウ、と息をついたルイズは『イロのたいまつ』を振り、呪文をとなえた。
大いなる運命の流れを認識し、その流れに従って、目の前の土くれにかりそめの生命を吹き込んでゆく。

目の前の土が盛り上がり、みるみるヒトガタを為してゆく。どこからどう見てもゴーレムだ。
大きさはルイズの背丈よりすこし大きいくらいだが、太い手足がいかにも頼もしそうだ。

「こんなもんね……ゴーレムちゃん、お掃除おねがい」
「オロローン」

見かけによらずすばやく精密な動きでテキパキと掃除をするゴーレムを見て、ルイズはご満悦である。
ゴーレムは飛び散った砂や土をかきあつめ、みるみるうちにクレーターを埋めていった。

「!?……誰か来たのかしら?」

とたんボーン・スピリットが『警戒』の合図をしたので、ルイズはあわててゴーレムを土に戻した。
周囲に人は居ない……誰かに見られた?とあたりを見回したが、それは目の前の穴からあらわれた。
せっかく綺麗にならしたクレーターが盛り上がり、大きなモグラが飛び出してきたのだ。

「ジャイアントモール! ……ってきゃああ!!」

モグラはルイズに飛びかかると、軽いルイズはまたたくまに押し倒されてしまう。
何コイツ!?鼻息が荒いけど発情してるの?いやだいやだ、モグラなんぞを相手に操を散らしたくなんてない。
ブンブンと『イロのたいまつ』を振って炎を出すと、ようやくモグラはルイズから距離をとった。

「ああっヴェルダンデ!! 何てことを!! 大丈夫かいミス・ヴァリエール!」
「ギーシュ!! こ…こいつアンタの使い魔ぁ? いきなり私に、おおおお襲い掛かってきたわよ!?」

駆けつけてきたのはギーシュと、その恋人モンモランシーだった。
先日二股が発覚しトラブルがあったものの、どうやら誠実な謝罪のおかげか、元の鞘に収まったらしい。

「すまないルイズ、ヴェルダンデは後でよく叱っておこう」
「わざとじゃないならいいわよ、ギーシュ……ところで何故わたしが襲われたのよ?」
「ヴェルダンデに地中の宝石の匂いを探知させていたんだ、ルイズ、君の持ちものに反応したんじゃないかな?」
「これかしら?」

ルイズが懐から取り出したのは、肌身はなさず持っている青い石のあしらわれた指輪だ。
宝箱に入っていたものだが、技量の足りないルイズには装備できないので、ルイズはネックレスに通して身につけている。

- - -
ヨルダンの石(Stone of Jordan)
ユニークアイテム:リング

必要レベル 29
全スキルレベル +1
最大マナ 上昇 25%*
+1-12 稲妻ダメージを追加
+20 、マナ上昇
- - -

「こんな素晴らしい石は見たことがない!! ルイズ、どこで手に入れたんだい?」
「そうかしら? あらありがと。私のひいひいおばあさんの嫁入り道具よ」
「パッと見は簡素だけど、よく見るとキメの細かさ、模様、どれをとっても完璧な美しさだ!!」
「あら、あなた石を見る目はあるのねウフフフ」
「当然! 僕は彫金が趣味なのさ、石のあしらいは色々学んだけれど、それは一級の職人の技に違いないね」

ギーシュが興奮した顔をして、ルイズにまくしたてた。ルイズは装飾品を褒められて上機嫌である。ちなみに、嫁入り道具うんぬんは嘘っぱちだ。

「なによ……ゼロのルイズのくせに」

おもしろくないのはギーシュのガールフレンドのモンモランシーである。
なにしろ自分の恋人のギーシュが他の女の子、しかもあのゼロのルイズの胸元を覗き込んで興奮しているのだ。

―――そんなゼロな胸を見たって面白くないでしょうに! まさか、もしかしてそういうペッタンコなのが好みなの!?

モンモランシーが悶々と乱心しているところに、その集団は現われた。

「ギーシュ・ド・グラモン!! 両手に花とはいいご身分だな」
「君は……ヴィリエ!!」
「聞けば平民のメイドに頭を下げたそうじゃないか! おやおや、しかもそこにいるのはゼロのルイズ」
「とうとう誇りを捨てたか! ギーシュ・ド・グラモンも地に落ちたな!」

ハッハッハ、と風のラインメイジのヴィリエ・ド・ロレーヌ 、その取り巻きたち四人はギーシュとルイズをあざ笑った。
彼らはルイズやギーシュの同級生で、その素行の悪さは学院中に知られている。

「な、なな何だと!! 君たち、グラモン元帥の息子である僕を愚弄するか!! けけけ決っ……」
「押さえてギーシュ! こんな安っぽい挑発に乗ったら駄目!」

ルイズが杖を構えようとしたギーシュの手を押さえた。
以前のルイズには考えられないその行動に、ルイズは自分自身で驚いていた。あれ?私も馬鹿にされているのに?

「いい? ギーシュ、あなたの取った行動は正しかったのよ、胸を張りこそすれ、恥じる必要はないわ」
「ででででもルイズ、悔しくないのかい?」
「そりゃ悔しいわよ!!」
「じゃあ何で!」
「ああもう、私にも解んないわ!! でもここで自分から手を出せば、あなたはその誇りに泥を塗ることになるわよ!」

ギーシュの目が見開かれる。ルイズの言っていることは理解できないが、なぜか正しいことのような気がする。
確かに決闘は禁じられているし……だが、その余裕もモンモランシーに手が及ぶまでだった。

「ギーシュ・ド・グラモン、ゼロのルイズとお似合いだな! いいカップルじゃないか」
「ミス・モンモランシー、ギーシュの相手なんかやめて俺たちのところへ来いよ!!」
「嫌っ! は、離して!!」
「モンモランシー!!!」

腕を掴まれて嫌がるモンモランシーにギーシュが駆け寄ろうとするが、一陣の風がギーシュを吹き飛ばす。

「エア・ハンマー!」
「ぎゃあっ!!」
「いやああ、ギーシュ!!」
「ミスタ・グラモン!平民ごときに頭を下げ、貴族の誇りをなくした君には、教育が必要なようだ」

何が誇りよ! とルイズは内心毒づく。
トリステインのメイジの誇りは、所詮こんな弱いものイジメの言い訳でしかないのか。
自らの過ちを認め、女性を護るため血を吐きながらも立ち上がるギーシュのほうが、どれだけ誇り高いことか!

「やめなさいヴィリエ・ド・ロレーヌ!! モンモランシーは嫌がっているわ!!」
「ゼロのルイズ! 最近は変な噂が立っているようだが、魔法の使えない君がどれだけ吼えようと怖くもナントモ無いね」
「魔法が使えるものを貴族と言うんじゃないわ」
「おや?違うのかい?」
「貴族たる運命に殉ずる覚悟! それを抱くものが、真の貴族と呼ばれるのよ!」

ゼロのルイズの口から飛び出した、誰もが予想もしえなかったスケールの大きすぎる言葉。
誰も彼もが、ギーシュやモンモランシーでさえ、それを口にしたルイズでさえ、唖然としてしまう。

ひとりギーシュのみが、いやに落ち着いた頭でルイズの発言の内容を吟味していた。
貴族は魔法を持ってその精神となす……
なるほど、魔法は『貴族たる運命に殉ずる』ための精神的ツールという訳か。
『貴族たる運命』がいまいち良くわからないけど、誇り高く生きることができるなれば、その人生は魔法以上のユカイだ。

グラモン家の家訓である、『命を惜しむな、名を惜しめ』……
名は体をあらわす、貴族の体とは誇り高き覚悟の人生―――ああ、つながった。そうか、それでいいんだ。
最後の最後まで笑って死ねるなら、命を惜しんでいるどころではない。

名と誇りはあとからついてくる。

「ゼロのルイズが貴族を語るか!!」

エア・ハンマーがルイズの小さな体を吹き飛ばした。あわててギーシュが駆け寄り、ルイズを抱き起こす。

「ルイズ!! 大丈夫かい?」
「ううう…いたたた!だ、大丈夫よ……ミスタ・ロレーヌ、これは決闘と考えてよろしくて?」
「まさか、ゼロとドットごときに決闘など……これは『教育』だよ、ミス・ヴァリエール、課外授業と行こう」

杖を構えるヴィリエだが、そのひきつった笑い顔の裏、不機嫌さは隠せない。
モンモランシーが男子生徒の手を振り払い、逃げ去った。先生を呼びにいったのだろう。

「『課外授業』なら仕方ないわね、ギーシュ、やりましょう。ゴーレムは出せる?」
「もちろんさ、ルイズ……やろうか、ワルキューレッ!!」

薔薇の花びらが舞い、ギーシュのゴーレム、青銅の戦乙女が三体現われる。
『決闘ではない』との言質は取った。これは『課外授業』。なれば、存分に暴れよう。どうやらルイズには勝算があるようだし。
さっきの授業で精神力は使い切ってしまったのでゴーレムは三体が限界だが、やるしかない。

「フン、たったそれだけのゴーレムで僕たちに勝てると思っているのか?」
「解らないさ、でもこの僕、ギーシュ・ド・グラモン、今ここでッ! やらなければならないッ!!」

ワルキューレたちが男子生徒たちの集団に突っ込んでいく。
一体はエア・ハンマーで吹き飛ばされてたちまちバラバラになり、一体はエア・ニードルで切り刻まれ、
最後の一体も潰されるのは時間の問題だ。ギーシュはぐっと奥歯を噛む。

(……ルイズ、何か策があるようだけど)

もちろん、ルイズは何もしていなかった訳ではない。
『イロのたいまつ』を握りしめ、敵全員がワルキューレに集中するタイミングを見計らって一言二言、呪文を唱える。
ルイズが使うのは、大いなる運命の流れを感じ取り、対象の運命へと干渉する秘術。

ルイズが天使と司教から受け取った四冊の書物、うち一冊はネクロマンサーの宇宙観と歴史、秘術の基礎の記されたもの。
のこり三冊はラズマの秘術の三系統、『降霊』、『毒・骨』、『呪術』のそれぞれに対応している。
今回ルイズが唱えているのは『呪術(Curse)』の初歩の初歩、敵の視力を低下させる呪文である。

タマちゃんを上空に飛ばし、あとでこの術を『使い魔の能力です』と言い張る工作も完璧。

『ディム・ビジョン(Dim Vision)!!』

ルイズの杖が煌き、男子生徒たちに極小の光の火の玉が降りかかり、彼らの心の闇の部分を顕現させる。

「な、何だ!」
「暗くなったぞ!」
「どこへいった! グラモン! ヴァリエール!」

突如として数歩先のみえない暗闇に飲み込まれたように感じ、パニックに陥るヴィリエや男子生徒たち。
メイジの戦闘は詠唱のため、基本的に距離をとって行なうものである。
それが災いし、彼らはルイズとギーシュの姿を完全に見失っていた。

「る、ルイズ、君は今何を……」
「黙って!! ありがとギーシュ、この戦い勝ったわ……これでっ! チェックメイトよ!」

ルイズは力いっぱい、懐から取り出した緑色の小瓶を振りかぶって、投げつけた。
カシャンと音がして小瓶が割れ、その内容物がもうもうたる緑色の煙をあげて、気化していった。

「ぐっ!!」
「げええっ!! がああ」
「うわあああ!!」
「ガスだ! 毒だあ!! 苦しい! 息ができない!!」

ヴィリエや取り巻きの生徒たちは、白目を剥いてバタバタと倒れて行く。
ギーシュはゼロのルイズの引き起こした目の前の惨状に、冷や汗ダラダラである。
あーっはっはっは、あーっはっはっは!! ルイズの笑い声があたりに響いた。

「ちょ、ちょっとまってくれルイズ、毒ガスだって!?」
「大丈夫、人間にとっては非致死性の毒ガスだから」
「そ、そうか……って毒ガスはないだろう、毒ガスは!! 貴族の戦いに!」
「勝てばいいのよ勝てば……これは決闘じゃないし。それに、彼らももう、きっと同じ手は食わないわ…いい『教育』よ」

でもムカついたから蹴っておきましょう、とヴィリエをげしげし足蹴にするルイズに、ギーシュは開いた口が塞がらなかった。

ギトーを伴ってやってきたモンモランシーは、死屍累々たる光景を見て愕然とした。
彼女はギーシュとルイズがリンチにあっているのを想像していたのだが、実際の状況は逆であった。

倒れ付すド・ロレーヌ以下五名、こちらに怪しい笑みを向けて手を振る白髪の少女、引きつった笑いをむけるギーシュ。
状況の説明を受けたあと、ギトーはニヤリと薄気味の悪い笑みをうかべた。

「見事だミス・ヴァリエール、さすが私の風の授業だッ!! 間違いない、存分に君の役にたったようだな!」
「ええミスタ・ギトー、ありがとうございました」
「それにしてもこいつら、我が生徒ながら不甲斐ない……風の特性(すばらしさ)を全く活かしきれていない! 補習だ!!」

もうギーシュは笑うしかなかった。

////

『ゼロのルイズが決闘で毒ガスを使用した』

キュルケは嘆息する。

新しく学内で流れ始めた噂は、生徒たちのルイズに対する恐怖をさらなる至上のものへと作り上げていった。
もちろん決闘ではなく、一方的な私刑を返り討ちにしただけだし、ギトーより『課外授業』のお墨付きも受けているので、
ルイズとギーシュには全くのおとがめはなかったのだが。『ゼロ』の二つ名は、その意味を変貌させていた。

いわく『情け容赦ゼロのルイズ』、『血も涙もゼロのルイズ』、『狙われたら生き残る可能性ゼロのルイズ』。

キュルケは呆れる。

『幽霊屋敷』の小屋は混沌を極めていた。
死体や骨やヒトダマはいわずもがな。おどろおどろしい雰囲気は当初よりさらに増している。

「相手を殺さない、後遺症も残らない毒ガス、素晴らしい発想だ! 毒ガス毒ガス~♪」

睡眠不足のコルベールが目と頭をギラギラギラとさせ、自作の『やさしい毒ガスのうた』を口ずさみながらビンの中の液体をいじる。

「風(-KAZE-)は最強ッ! 風(-KAZE-)こそ全てッ! あらゆる弱点を克服しぃーッ、ますます強くなるうーッ!!」

ギトーが新必殺技『神砂嵐』とやらの開発に全力投球している。『アカデミーには負けん』というのが最近の彼の口癖である。
ルイズってば、学内一位二位を争っている変人教師の両方にフラグ立ててどうすんのよ、とキュルケは引きつった笑いを隠せない。

「……」

タバサが黙々と本を読みながら、ときどき大なべをかきまわしている。『幽霊屋敷』には多少慣れてきたようだ。
聞けばタバサは、ルイズに『怖くても 友達ならば 平気だよ』と五七五で諭され、納得してしまったらしいが。

「タバサ、何してるの?」
「バイト」
「へぇ……楽しい?」
「それなり」

メイドのシエスタがギギギとドアを開け、ガーゴイルみたいな動きでお茶を淹れる。

「ミナサン、オチャデスヨヨヨ」
「あらありがと、悪いけど今手がはなせないからそこおいといて」
「ハイワカリマシタ」
「ああっ、シエスタ殿、それはお茶ではなく毒ガスですぞっ!!」
「ヨゴザンス、ヨゴザンス、オホホホ」

可哀相に、恐怖のあまり心の中の大事な部分をどこかにおいてきてしまったに違いない。
キュルケは肩を落とす。突っ込み役はもう、私しかいないのだろうか。

「ウフフフ、試作品が出来たわ……うーん、でもまだちょっと出来が甘いかしら」

『幽霊屋敷』の主、ルイズはルイズで、完全にイッてしまった目で、謎のアイテムをいじくりまわしている。
棺桶にもたれかかり、四角い金属の正方形の箱をカチャカチャと音を立てて引っ張ったり回したり。

「なにそれ、パズル?」
「そんなようなものよ」
「楽しい? 何かの役に立つの?」
「とても楽しいわ! もちろん役にたつし……あ、あとで見せてあげる」

金属の箱の蓋を開けると、ルイズは中から指輪を取り出した。
赤い立派なルビーのあしらわれた綺麗な指輪である。ルイズはそれを手に取り、しげしげと眺める。

「うーん、いまいちね」
「どこがいまいちなのよ! 素敵じゃない!!」
「気に入った?じゃあこれあげるわキュルケ、つけてれば火のダメージを21%防いでくれるわ」
「えっ!? いいの?」
「いいわよどうせ試作品だし、私は30%のが欲しかったし……宝石なんていくらでも手に入るしね」

キュルケは愕然とする。これほど綺麗な宝石がいくらでも手に入るとは、どういう意味なのだろうか。
首をひねるキュルケだったが、疑問を解く機会は案外早くやってきた。

「やあルイズ、みなさん、ごきげんよう」
「こんにちはギーシュ、頼んでおいたものはどうかしら?」
「言われたとおり、このとおり持ってきたさ! ……けどどうするんだい? こんなもの」
「あとで特別に見せてあげるわ、それは机の上にあけて頂戴」

ギーシュが大きな袋をかついでやってきて、ルイズが催促すると、ジャラジャラと袋の中身を机の上にぶちまける。
埃が舞い上がり、キュルケは口に手を当ててしかめつらをしつつ、ルイズへと訊ねてみる。

「……何コレ?」
「宝石を加工したあとの削りカスよ、頼んで持って来てもらったの」

宝石の削りかすは、魔法の触媒に使う者も居ることは居るが、ごく少数である。宝石職人のところに行けば、たいていタダ同然で譲って貰える。

「そんなの何に使うのよ」
「こうするの」

ルイズは細かい宝石のカケラをいくつかピンセットで選ぶと、金属の箱に放り込む。
少しの間カチャカチャといじっていたが、おもむろに蓋を開け、中身を取り出す。

「ほら、できた」
「えええ!?」
「おおおおお!!」

そこにはキラリと光る、より大きなカケラが一つ。どうやら先ほどの細かい粒が合成されたらしい。
キュルケとギーシュは口をあんぐりとあけてそれを見た。

―――『宝石は錬金で作れないからこそ価値がある』、その前提が目の前でアッサリと覆されたのを。

「これを繰り返せば、いくらでも大きな塊が作れるのよ」
「ななな何よそれ!」
「はははは反則じゃないかそれは!!」

ギーシュも目を丸くして驚いていた。そして、うらやましそうな目でキュルケの貰った指輪を見ている。

「あとでギーシュにも一個あげるわ、今日のお礼よ」
「あ、ありがとうルイズ! モンモランシーへのプレゼントにするよ!」
「二人とも、私が作ったってことは内緒にしておいてね……こんなこと出来るって皆にバレたら、面倒くさくなるわ」
「もちろんさ!」

キュルケは憔悴する。突っ込みをするのにも大分疲れてきたころだ。
ルイズは立ち上がり、タバサの元へ歩み寄り、声をかける。

「タバサ、そろそろいいわよ」
「……わかった」
「よく混ざるように魔法をかけながら、こっちのビンの中身を入れてほしいの」
「やる」
「ちょっとルイズ、何を作っているの?」

もう驚かないぞ、とキュルケは身構えていたが、その意気込みは瞬く間に崩れ去る。

「飲んだら精神力を回復できるポーションよ」
「「な、何だってーー!?」」

キュルケとギーシュの突っ込みがハーモニー。
キュルケは安堵する。ツッコミ役は私だけではなかった。

「タバサ、あとでマナ・ポーション、欲しいだけ持っていっていいわ」
「ありがとう」
「でもいいの? 宝石とかじゃなくて」
「いい、これが必要」
「ふーん、ならいいわ」

タバサはいつもの無表情だが、いつもより饒舌だし、その顔はこころもち嬉しそうだ。
キュルケは喜ぶ。
親友のタバサに沢山の友達ができた。

「あっ! ネズミだ!!」
「っ!! また学院長の命令で偵察に来たのね! いきなさいタマ!! 今日こそ骨にしてくれるわ!」
「ひえっ!!」
「うわああ毒ガスが!!」
「ヨヨ、ヨヨヨ」
「きゃああああ!」

ヒトダマが部屋中を飛び回り、タバサが怯え、コルベールが焦燥し、シエスタが壊れた笑いをあげる。
モートソグニルが飛び出し、ギトーが暴れ、ギーシュを迎えに来たモンモランシーがひっくり返る。
フレイムがブボーボボボと炎を吐き、上空ではきゅるきゅると風竜が鳴いた。

「あ、あはははは!!」

キュルケは思わず笑い出す。

キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーは、充実していた。
刺激的な毎日がとてもとても楽しかった。こんな日々がいつまでも続いて欲しいと思った。

そしてキュルケは、そんな充実した時間を与えてくれるヴァリエール家の少女に、心から感謝していた。

////



[12668] その5:最初のクエスト(前編)
Name: 歯科猫◆93b518d2 ID:b582cd8c
Date: 2009/10/15 19:03
////5-1:【しかし地獄行く】

ある日の午後、黒板に『今日の授業は自習』とかかれた教室。その一角に、女生徒の集団ができていた。
なにやら話題の中心は一冊の本、女子たちは自習そっちのけでわーわーきゃーきゃーと盛り上がっている。
集団のなかにモンモランシーの姿を見つけたギーシュが、歩み寄り声をかけた。

「モンモランシー、いったい何をしているんだい?」
「占いよ占い、ロマリアの高名なメイジさまの書かれた動物占い、恋占い」

貴族の子女とはいえ年頃の女子。占いは大人気のようだ。
最近流行の動物占いは、よく当たると評判である。

「私は白鳥ね、困難をおそれず何事にも挑戦! だって」
「へえ、僕は何だろうね」
「あなたはカモノハシ、生涯の伴侶を見つけ大事にしなさいですって」
「おやモンモランシー、きっと君のことだよ!」
「ば、ば、馬鹿いわないの!」

モンモランシーが真っ赤な顔をした。回りの少女たちがキャーキャーはやし立てる。

「やあルイズ、面白い占いがあるよ、君もやってみないか?」

ひとり教室の隅のほうで読書に没頭している白髪の少女……ゼロのルイズに、ギーシュが声をかけた。
そのとたん騒いでいた女子生徒が、ピタリと静まった。空気が凍る―――グラモン! こいつ、なんてよけいなことを!!
ルイズは本から顔をあげてギーシュを見ると、興味なさげに一言。

「いらないわ、誘ってくれたのはありがたいけど、占いなら自分でできるもの」

そんな予想外の一言に、一同唖然とする。モンモランシーがおずおずルイズに話しかける。

「あ、あなた占いできるの?」
「まあね」
「……その、当たるの?」
「ぼちぼちかしら」

モンモランシーが話しかけているのを見て、その他の女子生徒たちもおそるおそるルイズに近づく。
普段ルイズを恐れて近づかない同級生たちも、恐怖半分、興味半分といった風に遠巻きに眺めだした。

「じゃ、じゃあやってみせてよ!」
「いいけど、一回10エキューよ」
「えっ、お金とるの? ……た、高いわね」
「普段はやらないから、今日だけ特別。だから高いのよ……で、やるの、やらないの?」
「え、ええと……」

たかが占い一度に10エキューとは、ぼったくりも良いところである。
躊躇するモンモランシーの前に、ギーシュが進み出た。

「誰もやらないのかい? ならばモノは試しだ、僕が占ってもらおう」
「オッケー、まいどあり」

ギーシュが気前よくエキュー金貨を10枚、差し出されたルイズの手のひらに載せた。
ルイズの持ちかけた宝石商売のおかげで、最近のギーシュの懐は多少潤っている。このくらいなら、どうということはない。

「じゃあ準備するから、少々お待ちになって」

ルイズはにっこり笑うと、ノートを一枚破って、ペンでなにやらサラサラと模様を書いていく。
その中心に受け取った金貨を一枚置き、ポケットからなにやら袋を取り出した。

「ひっ!!」
「な、なにそれ!?」
「ネズミの頭蓋骨よ……大丈夫、きれいに洗って消毒してあるから」

頭蓋骨を無造作に紙の上にころがし、ルイズは緑色の宝石のついた杖を振る。
綺麗な緑色の光があたりを照らし、見物人からおおお!と声があがる。
ボッと炎が舞い、紙の盤に火の粉が舞い降りて、しるしをつけていく。

「ど、どどどうだい?」
「うーん……あなた近いうちにちょっとした事件に巻き込まれるわ、原因は……『嫉妬』ね」
「ええっ!?」
「生命の危険はないみたいだけど、せいぜい日ごろの行いに気をつけなさい」
「そ、そうかい、注意しておこう……」
「それ以外の運気は上々よ、数日中に大もうけをするチャンスがいくつかあるから、逃さないように、以上」
「何だって!? それはすごいな。……わかったよルイズ、ありがとう」

ギーシュはその詳細な占いの結果に神妙な顔をしてうなづく。もし当たれば占いどころか『予言』級である。
生徒たちが興味津々といった風に集まってきて、ルイズたちを見つめている。
ギーシュがルイズから離れ、モンモランシーに近づく。

「モンモランシー、君もどうだい? 金貨は僕が出すよ」

やがて、意を決したモンモランシーがルイズの前に進み出てきた。

「わ、私もいいかしら? ミス・ヴァリエール」
「いいわよ、お金はちゃんと取るけど」

ルイズに金貨を支払い、モンモランシーもギーシュと同じ手順を踏んで占ってもらった。

「ふーん、あなた近いうちに人間関係で洒落にならない大失敗をやらかすわ」
「なんですって、大失敗ですって?」
「これを回避できるかは微妙ね、何事もあせらず慎重にやりなさい。必要なのは人を信じること」
「何よソレ! ちょっと! いい結果は出てないの?」
「残念ながら向こう一年ほど運気は下向きよ、でも努力次第で他人との絆をより強固なものにできるわ」
「そ、そうかしら?」
「ええ、それこそ一生ものの絆よ……えっと、今はこれ以上見えないわね、頑張って。以上」
「あ、ありがとう!」

モンモランシーは焦りの表情をしているが、ルイズの占った内容に多少思いあたるところがあるようで、
なんども自分の感情を確認するように、うんうんと頷きながら何かを考えている。

ルイズのよどみない口調、占いの結果の詳細さと雰囲気のエキゾチックさに好奇心を刺激されたせいか、
キュルケ、その他何人もの女生徒が自分も占ってもらおうと、進み出てきた。

「へぇ、ルイズすごいじゃない! あたしも占ってくれる?」
「わ、わわ、私もお願い!」
「私にもやって!」

ルイズはキュルケを含む4人ほどを占った。懐には60エキュー、上々の収穫である。
一回10エキューという金額があまりに高すぎるせいか、多くの生徒は遠巻きに見ているだけだったが。
ちなみに『近いうちに人生最大の恋愛をする』と告げられたキュルケは、目を白黒とさせていた。

「そろそろ授業の終わる時間ね、今日はあと一人で終わりにするわ」

5~6人の生徒が私が私が、と名乗り出るが、一歩進み出た青い髪の少女―――雪風のタバサ―――に、
キュルケどころかそこにいる全員が、大いにショックを受けた。

「……お願い」
「えっ、タバサ!?」
「お金、払う」
「いいわよ、占ってあげる。じゃあ今日はタバサが最後のお客さんね」

ギャラリーは騒然となる。あの比類なき読書主義者、雪風のタバサがこんなことに興味をもつとは。
ざわ……ざわ……これは面白い。どのような結果が出るのだろうか? 皆は固唾を呑んで二人に注目した。
ルイズは杖を振り、火の粉を模様のかかれた紙の上に降らせた。

「……大きな運命の転機が……三つ、いえ四つ五つ六つ……どんな人生よ! ……なによこれ?」

文字盤を見つめるルイズの表情が、みるみるうちに驚愕に染まってゆく。

「どういうこと?」
「……な、なな何かの間違いかしらこれは……いえ、でも……あれ? これ言っていいのかな……」
「なに? 言って」
「あなた、近いうちに恋をするですって!!」

ルイズのその一言に、ギャラリーの空気が、一気に沸点を突破した。

「な、な何ですって!?」
「まさか! 嘘でしょう!?」
「ああああ相手はどんな人なの!?」
「信じられない! 信じられないわ!!」

そう、信じられない。だが『占いで出た結果』というのは女子の興味を大きく刺激し、話題を提供するものだ。
蜂の巣をつついたような大騒ぎのなか、冷静なのはタバサだけだった。

「……嘘」
「嘘じゃないわ、あなたの恋愛の機運が、一時期とても高まるの」
「わたしが、恋?」
「間違いないわ、恋愛の気の大波はすぐ収まるけど、その後も確実に、ずっと細々と続いていく……」
「……そう、わたしが、恋」
「ええ……私も信じられないけど……」

全く予想外の結果を出した占いに、呆けた表情のルイズ。タバサが続きを促す。

「他は?」
「え? あらそうね、ふむふむ……」

と、文字盤を見るルイズの表情が一気にこわばる。

「……え、えーと」
「教えてほしい」
「……ごめん、たぶんこれ、ここでは言えない」
「そう、それなら後で」
「ええ、後で教える……約束するわ! じゃ、これでおしまい! もうしないわよ!」

タバサの運命に、ルイズは何を見たのだろうか。タバサに謝るルイズは、震える手を周囲にばれないようにする。

パチパチパチ、ギャラリーから拍手があがった。
最後ので少し興がそがれたようで大人しくなったが、それでも皆充分に満足したようだった。
なにより大きなミステリーを残した、皆は新しい話題の出現に夢中である。

「続きが気になるなあ……あの雪風のタバサが」
「もしかして王子様の出現かしら? どんな人か見てみたいわ」
「タバサ、いい人が出来たら私にも紹介してね」

終業のベルが鳴り、ギャラリーが解散する。うち何人か、去り際にタバサに声をかけていく生徒もいた。
自分の行動の引き起こした状況に内心ですこし慌てつつも、こっくりと頷くタバサ。その顔はいつもの無表情で、何を考えているかは解らない。
道具を片付けるルイズに「私も私も、私も占って!」と食いさがる生徒もいるが、ルイズは頑として取り合わなかった。

「今日は特別よ、もうしないわ」
「ええ! そんなあ、15エキュー、いえ20エキュー払うから!」
「ごめんなさいね」
「残念だわ……」

ルイズの内心はお小遣いを稼いだ満足感と、多少の後悔。
他人の運命の流れを見てしまうことが、これほど重大なことだとは思わなかった。
やはり安易に見せるものでもない。ルイズはこの自戒を、しっかりと自分の心に刻み付けた。

「これから私は『屋敷』に戻るけど、あなたたちも来る? キュルケ、タバサ」
「あらいいの? お邪魔させてもらうわ」
「……行く」
「ルイズ、僕も行っていいかい? 今日もまた荷物が届いたんだ」
「それは楽しみね、いつでもいらして」

いつの間にかルイズとかなり親しくなっているギーシュを見て、モンモランシーがギリギリと歯がみする。
今日の授業はこれで終わり、これから少し時間を置いて夕食、風呂だ。
教室から出たルイズのもとに、学院長付きの秘書ロングビルがやってきて声をかけた。

「――少しよろしいですか? ミス・ヴァリエール」
「はい、ミス・ロングビル、どうされました?」
「実は――」

ロングビルが言うには、『せめて夕食は食堂で取るように』とのこと。
ルイズは苦笑した。そういえば最近はもっぱら食事はシエスタに運ばせ、屋敷でコルベールたちと取っている。
他の生徒たちがルイズを怖がっていることに遠慮して、という思惑もルイズにはあるのだが。

学院はメイジの育成と同時に貴族の精神を育てる施設である、というのは皆の共通の認識だ。
アルヴィーズの食堂での食事も、貴族としてのたしなみを身につけるための重要なファクターである。
それをさぼりつづけているルイズたちに、いい顔をしない人もいるにはいるかもしれない。

「解りました、そのように致しますわ」
「ええ、あなたたちもですよ、ミス・ツェルプストー、ミス・タバサ」
「はいミス・ロングビル」
「……」

―――とはいえ。

ルイズは歩きながら考える。これは学院長の差し金だろうか?
使い魔のモートソグニルを使って『屋敷』を調べに来る目的はおそらく『ルイズたちが何をやっているのか』であって、
『屋敷に何があるか』ではない。授業などでルイズが外出するとネズミが調べにこないことは、タマちゃんで確認済みである。

まさか、単なる素行不良を注意することが目的ではあるまい……
調べたいなら正面きってルイズに頼むか、それができないなら授業中に忍び込むかして、いくらでも調べればいいのに。
そもそも屋敷には教師であるコルベールも入り浸っているのだ、本当に問題なのであれば、誰より先に彼から話が来るであろう。
言い知れぬ不自然さを感じる。

(ちなみに学院長秘蔵『遠見の鏡』の存在はコルベールが教えてくれて、ルイズが対策をとっていた。
ミョズニトニルンの能力で知った『遠見の鏡』の制約、すなわち製作者が自分の住居を覗き見られることを嫌ってつけた機能、
『特定の印に反応してその部屋の覗き見がNGになる』というものを利用したのだ)

大事なもの、見られちゃまずいものは『ルイズの宝箱』に仕舞ってあるし、問題はない。
あの宝箱は屋敷から持ち出せないし、ディテクトマジックでも覗き見ることができない。
『司教の遺体』はすでに充分にオスマンが検分したはずだし……

「どうしたの? ルイズ」
「うーん、今の話で、ちょっとひっかかることがあるのよ……」

『幽霊屋敷』に戻ってきてから、ルイズは自分の考えを述べた。
キュルケとルイズが首をひねる。ややあってタバサが口をひらいた。

「第三者」
「え?」
「オスマンではない、おそらく別の人物が、あなたの所有するマジック・アイテムを狙っている」

二人はタバサの言葉に目を丸くした。

「あなたの宝箱と使い魔の詳細を知らない、授業の時間は仕事のある者……十中八九、ミス・ロングビル」
「タバサ! あなた、まさかミス・ロングビルが盗賊だっていうの?」
「わからない、でも怪しい……最近『土くれのフーケ』という盗賊の噂をきく」
「そういえばミス・ロングビルも土のメイジだったわよね」
「実力を偽っている可能性がある」
「…そうね、ありがとうタバサ、考えすぎだとしても用心するにこしたことはないわ」

ルイズはしばし考えたあと、最高のイタズラを思いついた子供の顔になって、二人に耳打ちした。
―――『土くれホイホイ』のワナをしかけておきましょう、と。

「あなた最高よルイズ! 面白いわ! もし『土くれのフーケ』を捕えたら勲章ものよ、あたしたち!」
「最善手」
「そうと決まれば早速実行よ!」

『神の頭脳』を筆頭とする悪ガキ三人組は、嬉々としてその悪巧みを実行に移した。



////5-2:【学院長秘書の憂鬱】

盗賊『土くれのフーケ』……ミス・ロングビルは舌打ちをした。
彼女は学院秘蔵の『氷の杖』を盗む計画をたて、学院に秘書としてもぐりこんでいるのだ。

少女ルイズが不思議なマジックアイテムを纏う死体を召喚したと聞いて、盗めば金になるかも…と思ったが、たかがガキと舐めてかかったせいで、下手を打って妙に警戒されてしまったようだ。
こちらを疑ってかかり、何かワナをしかけたようだが、何度も修羅場をくぐったプロの目はごまかせない。

ヘタなリスクは負うべきでない。ならばもともとの狙い、宝物庫の『氷の杖』一本に絞ってあっちはあきらめるべきだ。
壁の強力な『固定化』が厄介だが、それを破る算段もついている。昨日コルベールが作って実験しているのを見たアレを使えば……
『幽霊屋敷』からソレを盗むのは無理そうだが、コルベールの研究室からソレを盗むのはたやすいだろう。

もうすぐフリッグの舞踏会、仕掛けるならその前日あたりにしようか……
前々日は手ごわいギトーがクソ真面目に当直をやっているので、見つかれば逃げおおせるのは無理だろうし……
決行当日の宿直はサボりぎみシュヴルーズ、同じ土のメイジ。属性とランクが同じなら、踏んだ場数でこちらが勝る。

何度も実地検分とシミュレーションを重ね、盗賊は着々と計画を進行させていた。



////5-3:【夜に来る女】

食事と風呂を終え、タバサは自室に戻ってきた。二つの月の明かりが窓から差し込む。
水差しに冷却の魔法をかけてから、杖をたてかけ、コップに注ぎ、それを手にベッドに座る。
風呂上りの火照った体に冷えた水が美味しい。飲み干し、一息つく。

そういえばロングビルのせいで、ルイズから『占いの結果』を教えてもらうのを忘れていた。
明日でもいいか、と気をとりなおす。夜の『幽霊屋敷』はタバサにとっては、果てしなく恐ろしい場所だ。

ぶるっと身震いする……さあ気を取り直して読書をしよう。お気に入りの本を選び出す。

コツ コツ コツ―――

読書の意気込みをくじいたのは、窓からの訪問者。

「―――っ!!」

ビクビクビクッ!!

タバサの背筋が凍る……が、それは幽霊ではなく……一羽のフクロウだった。
無表情ながら冷たい視線をフクロウに向けると、タバサはその足につけられた手紙を受け取った。

読んだ後、手紙をこの季節は使わない暖炉にくべ、杖を振って燃やす。ため息をひとつ、荷物を準備する。
ルイズに貰ったヒーリング・ポーションとマナ・ポーションを、いつでも使えるようにベルトに仕舞う。
今までは無かったが、今回はこれがある。必ずわたしの『任務』の役にたつ。とはいえいつものことだ、楽な任務ではあるまい。

ふたたび愛用の杖―自分の身長よりも長いそれ―を手にとると、口笛を吹いた。
その口笛に反応し、窓の外にタバサの使い魔のドラゴンがやってきた。

「きゅるきゅる、お姉さま、またイジワル姫からの呼び出しなのね!! 嫌になるのね!」
「仕方ない」
「シルフィはあのイジワル姫様が大嫌いなのね! お姉さまをいじめる奴は許さないのね!」

タバサの使い魔『シルフィード』は韻竜である。まだ竜としては幼いが、先住魔法を使いこなす。
韻竜は絶滅危惧種……というか絶滅したと思われている種族、ばれたら面倒なことになる。皆には――親友のキュルケにも――内緒だ。

「お姉さま、最近はルイズさまたちとばっかり遊んでいて、シルフィと遊んでくれないのね」
「……じゃあ、帰ったら遊ぶ」
「きゅいきゅい! 嬉しいのね! るーるるーるる~♪」

では出発しよう、と思ったとき、再びその意気込みはくじかれた。

コンコン

今度はドアに訪問者。タバサは眉をひそめ、ドアをあける。

「お邪魔するわ、タバサ」

そこに立っていたのは、白髪の少女……ゼロのルイズ。タバサは冷たい声をかける。

「何」
「占いの結果をあなたに言い忘れてたの、思い出したのよ……もしかして、出かけるところだった?」
「そう、早くして」
「ちょっと長くなるわ……でもすぐに伝えたいの。もしかしてお急ぎのご用事? 今時間とれる?」

タバサはやれやれ、と少しだけ肩をすくめる。

「無理、明日」
「あなた、明日には帰ってこれるつもり?」
「!!」
「言わせてもらうわ……これは、『帰ってこれなくなるかもしれない』、用事なんでしょう」
「……何が言いたい」

タバサの氷点下の目を、ルイズは底の見えない真っ暗な、何もかもを呑みこむような目でじっと見つめ返した。

「私も連れて行って」

この少女はいきなり何を言い出すのか。むろん、却下すべき提案だ。

「駄目」
「あなたが心配なの」
「心配ない」
「いいえタバサ、あなたを占ったとき『帰れなくなるかも』と『解った』のよ」

背筋に冷や汗が流れる。タバサはゼロのルイズが怖い。
ルイズに表情は無い、深く暗い瞳が、タバサを通りぬけてまるで背後の窓の向こうを見ているようだ。

「……占いは外れるもの」
「あれは厳密には占いじゃないのよ。……ああ何ていえばいいか」
「連れて行かない」

タバサはルイズに向けて杖を構える。
連れて行ったら危険に晒すかもしれない、戦い慣れしていないルイズは足手まといになるかもしれない。
『役にたつかもしれない』などとは考えてはいけない。なぜなら、命に責任が持てないから。

「だめよタバサ、私は退かないわ!」

呪文をとなえる。話し合いの余地など最初から無いのだ。

『エア・ハンマー』『魔獣の牙(Teeth)!!!』

ルイズが『イロのたいまつ』を振ると同時に床へと倒れこむ。空気の塊がルイズを襲う。
二条の細い光弾が飛び、一本がタバサの腕をつらぬき、一本が杖を弾き飛ばした。
伏せたルイズは風のスペルの直撃を受け、背後の壁まで床を滑り叩きつけられる……が、ルイズは杖を離さなかった。

「わ、私…の、勝ちよ、タバサ……お願い、連れて行って」

緑色に発光する杖を突きつけられ、タバサは体中から一気に力が抜けた。

―――信じられない!! トライアングルのわたしが、ゼロに負けた。
彼女の執念が勝った。
未知の魔法を使われたとはいえ、詠唱速度の差こそあれ、油断していたとはいえ、負けたことに変わりはない。

「判った」

コクリと頷いた。今はそれ以上、言葉はいらない。やはり最初から話し合いの余地などなかったのだ。

「ありがとう、タバサ」

タバサは目の前の少女、学院で二人目の友人、誇り高く、恐ろしく、どこか計り知れないところのある白髪のメイジ、
深遠の瞳のルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールに、じわりじわりと深く魅入られつつあった。


////5-4:【夜間飛行】

いちど『幽霊屋敷』に寄り、ポーションで傷を治してアイテムを補充、準備は万端。
二人を乗せたシルフィードは、一路南へ飛ぶ。目指すはガリア、リュティスはプチ・トロワ。

目的地までは遠い。タバサとルイズには珍しく、二人きりになる機会だ。いろいろな話をする。
ルイズはタバサに深い事情を尋ねようとしない。タバサはルイズの使った魔法について深くきかない。

「占いの結果、教えて」
「……重大な人生の転機がたくさん……平たく言えば『命の危機』がいくつもあるのよ」
「……そう」

予想していたことだ。

「びっくりしたわ、あなたの人生、相当な綱渡りよ! 大きな外的要因が加わらない限り、いつ死んでもおかしくない」
「『外的要因』……それが、あなた?」
「そうよ、私が自分の運命を見たときは変数だらけで、何か行動を起こせばたいてい毎回結果が変わっちゃうんだけれど」
「あなたも綱渡り?」
「似たようなものね、でもあなたと私が関わることは、互いにとって悪くないはずよ」
「そう」
「打算じゃなくて、なんとなく、なんだけどね……あなたのことが心配だっていうのは本当だし」
「……なんとなく」

―――これが、友達……。
淡々とした口調ながら普段以上に饒舌なタバサと、相手がタバサであるせいか頬をそめながらも素直な言葉の出るルイズ。
互いに慣れないことをしている高揚感からか、これまでなかったほどに会話は続く。

「……あなたは……恋、したことある?」
「うーん……昔は憧れていた人がいるけど……許婚の、ワルド子爵っていう方よ、今は魔法衛士隊のグリフォン隊の隊長をやってるわ」
「それは恋?」
「……よく考えたら、違うわね……許婚とは言っても、親同士のお酒の席で出た話よ、
恥ずかしさと、魔法を使えないのに優しくしてもらえる嬉しさで、私は舞い上がっていただけだったわ……」
「わたしはわからない」
「したことないの? ……へえ、そんなタバサが恋する相手って、一体どんな人かしら…まさか、ギトー先生とか?」
「ない、彼は妻子持ち」
「そっか、なら駄目ね、あなたはキュルケじゃないんだし……ところで、どんな人が好みなの?」
「……笑わないで」
「笑わないわよ」
「イーヴァルディの勇者」
「……………………で、伝説級ね……」

恋の話、話題は尽きない。

「いつも読んでる本、なに?」
「……ラズマの秘伝書よ、はるか東方の魔術氏族(メイジクラン)の宇宙観、あとは歴史とか伝説とかね」
「面白そうに読んでいる」
「何? タバサも興味を持ったの?」
「わたしは本が好き、読み終わったら貸して」
「……残念だけど、ラズマの古代語で書かれてるから、私以外には読めないと思うわ」
「教えて欲しい」
「それが、特殊な暗号文字なのよ、言葉だけ覚えてもきっと読めないわね」
「残念」
「じゃあ、いつか読み聞かせてあげる」
「お願い…約束」
「ええ、約束するわ」

趣味の話、一緒に生きて帰る約束。
タバサがキュルケと初めて会ったときの話、
ルイズが幼いころアンリエッタ姫と遊んだ話、
シエスタの話、ギーシュの話、モンモランシーの話、コルベールの話、ギトーの話。
話題は尽きない。

「きゅいきゅい」

大好きなお喋りに混ざれず、シルフィードが退屈そうに鳴いた。



////5-5:【森への偽造パスポート】

トリステインの少女、ルイズ・フランソワーズは密入国者である。
寄るところがあるから待っていて、とタバサに言われ、ルイズはひとりガリアの道沿い、森の中に放置されてしまった。

「さ、さすがに夜になると冷えるわね……」

ルイズは焚き木になりそうな枝を集めると『イロのたいまつ』を振って火を起こそうとする。

「むっ、えい、やっ! とう!」

焚き木が湿っているせいか、なかなか火がつかない。20回ほど試したところで、とうとうルイズはブチぎれた。

「くきぃーっ!! こん畜生!!! 『発火(ウル・カーノ)』!!」

ドカーン!!! 失敗魔法である。
立ち木が数本根元から吹き飛び、鳥が驚いて飛び出し、動物達が怯えの声をあげて逃げていった。

「あーあ、何やってるんだろう私……」

あまりの情けなさにがっくりと肩を落とし、ボロボロのルイズはへたりと座り込んだ。
服に土がつくのもかまわず、湿った地面にあお向けに寝転がる。夜空には雲がかかりつつある。
だんだん心細くなってきた。まさか私はタバサに置いてきぼりを食らったのでは? などと考え、かぶりを振る。
しだいに空の半分くらいを覆ってゆく部厚い雲。これは一雨来るかもしれない。

『ここで何をしている、少女よ』

突然かけられた深くくぐもった声に、ルイズは飛び起きた。全身の毛が逆立った。
視界に飛び込んできたのは、巨大な漆黒の甲冑だった。ルイズの身長よりもずっと大きい剣を背負っている。

『ガリアの民には見えぬな……少女よ、ここで何をしている?』

ルイズの目にうつるのは、禍々しい四本角のフルフェイスの兜。
騎士の表情は見えない。

―――強い、きっとこの人滅茶苦茶強い。人間の領分から抜け出した何者か。

変な動きを見せれば、たぶん一瞬で私は頭から真っ二つにされるのだろう。
まだ司教さまの遺体をかえしていないし、ろくに人生を楽しんでもいないうちから『ゼロのひらき』にはなりたくない。

「……わ、悪いけど! な、なな、何やってんのか自分でもわかんないのよ!!」

何か言わなければ、とテンパった頭で反射的に出した言葉は、そんな奇天烈なものだった。
―――それが、わたしを救ったのでしょうね、とのちにルイズは思い返す。

『ほう、解らぬとな』
「そうよ! わ、わわわ笑えばいいわ! 友達には置いていかれちゃうし、魔法はいつも失敗するし!」
『ははは、これは愉快』
「ちょ、ちょっと!! 何よ!本当に笑うことないじゃない!!!」

ハハハと笑った後、黒の騎士は甲冑を軋ませ、ルイズに頭を下げて謝罪した。立派な騎士の礼である。

『これは失敬、子女を笑うとは、騎士にあるまじき行為をしてしまったようだ。謝罪しよう。
ただ、我はそなたが魔法を得意とせぬことを笑ったのではない、誤解のなきよう。
笑ったのは、我の知り合いにそなたと似た強がりをする少女がおるゆえ……気分を害したことを許されよ、少女よ』
「ど、どうしてもって言うなら許してあげないでもないけど!」

ルイズは自分が密入国者であることも忘れ、恐ろしい騎士に対してビシッと人差し指をつきつけた。
もはやどう動いてもこれ以上状況は悪くなりはしない、ならば自分らしく行動するのだ。

「……初対面のレディに名乗らないのは失礼でなくて!?」
『では名乗ろう……我はラックダナン(Lachdanan)、ガリアの騎士』

ルイズは黒い騎士をじっと見据える。
はて、ラックダナン……? どこかで聞いた名前のような気もする。私はこの人を知っている?
ポツ……ポツ…と、降り出した雨がルイズの白い髪、その頬やマントを濡らしていった。

「サー・ラックダナンね、私はルイズ・フランソワーズよ……あなた、私をどうするつもり?」
『ふむ……待て、雨が降ってきたようだ』
「ど、どうしよう……私、雨具の用意を忘れてきたの」
『そなたの友人は戻って来るか?』
「多分ね……どこかで雨宿りしなきゃ……見つけてくれるかしら」
『ならば少女よ、そなたの友人が到着するまで、しばしここで雨宿りをしていくがよい』

ラックダナンと名乗る騎士は、背負っていた大きな盾をルイズの頭上に掲げ、強くなる雨から守るように立った。
どうやら盾から風の力が発生しているようで、雨粒は盾に守られたルイズを自然と避けるように落ちていく。

「あ、ありがとう! ……あなたは寒くないの?」
『かまわぬ、先ほどの無礼の謝罪と捉えよ……我が身は少々特殊な故、この程度どうということもない』

―――か、かっこいい! 騎士だわ!
ルイズは顔全体を真っ赤に染め、寒さも忘れ、頭から蒸気が出んばかりである。
強くなる雨粒が盾とラックダナンの甲冑を叩き、響く音をしだいに激しくさせていった。

そこで、ルイズはあることに気づく。おかしい。
そもそも騎士、というかメイジは魔法詠唱のため身軽でなければならないし、こんな甲冑も盾も剣も使うはずがない。
ひと目みてバケモノみたく強いのはすぐわかるけど、ここハルケギニアでは彼の姿はあまりに異質だ。

そしてこの音、雨に打たれる甲冑の、あまりに空虚に響く音。

―――この人、いえ……この甲冑……

中身が無い、からっぽだ!!

ルイズは手を伸ばし、頭上の盾に触れた。瞬間、伝わってくる情報は以下のとおり。

- - -
ストームシールド(Stormshield)
ユニークアイテム:モナーク
必要レベル73 必要筋力156
防御力: 519
ブロック成功率: 77%,
装備者のレベルに比例して+(3.75/Lv.) 防御力上昇
+25% ブロック成功率上昇
35% ブロックスピード上昇
ダメージ低減:35%
冷気耐性 +60%
稲妻耐性 +25%
+30 、筋力上昇
攻撃者に与える稲妻ダメージ: 10
破壊不能
- - -

間違いない、これはサンクチュアリの防具であった。反則級の強力な盾だが、ひとまずそれは思考の外に置く。

「ラックダナン、聞かせて、あなた何者なの?」
『我は許されざる罪を侵し、永劫の地獄を彷徨う呪われし亡霊……今はガリア王女の剣なり』

ルイズの額、《ミョズニトニルン》のルーンがちりちりと反応を起こしている。
記憶の高速検索が行われているのだ。
以前、<存在の偉大なる円環>に触れたとき、中で冒険者の目を通じて、トリストラムの地下迷宮を彷徨うラックダナンらしき人物を見たことがあったような気がする。

「あなたは……英雄の中の英雄、カンデュラスの誇り高きロイヤルガード……」

彼はカンデュラスの住民を救うため、魔の狂気に染まった自らの主君を殺すという罪を犯し、ディアブロの呪いに囚われて地獄に堕ちたのであった。
もはやほとんど覚えていない『存在の円環』の記憶のなかから、ルイズはかすれた記憶のかけらを、必死に掘り起こそうとする。

『いかにも、我を知る少女よ』
「ああ、ラックダナン卿!! まさか私が、あなたに会えるなんて! でもどうしてあなたがここ、ガリアに……いえ、ハルケギニアにいるの?」
『我は地下の迷宮を彷徨っているとき、召喚の儀によりこの地へと呼ばれた……
そのとき、我はかつてさいなまれし『狂気』の呪いより解き放たれたのだ……故に新たな主に忠義を尽くしている』

ルイズは気になっていたことを訊ねる。

「私は大天使ティラエルさまからの預かりものを、どうしてもサンクチュアリへと送り返さないといけないの。
……ラックダナン、もしあなたがサンクチュアリに繋がる道を知っていたら、教えて欲しいわ」

黒い騎士は少し考え込んでから、ルイズに答えを返した。

『残念だがルイズ・フランソワーズよ、我は知らぬ……それに、かつての故郷へと戻ろうとはもはや思わぬ』
「そうなの……」
『ひとつ未練が在るとすれば、我を永劫の呪いより解き放つであろう、『黄金の霊薬』……
かつての故郷にあったそれが、ハルケギニアには見つかる見込みもないこと、それだけだ』
「!!」

息を呑む。
ルイズには心当たりがある……『幽霊屋敷』に戻れば、目の前の騎士の生涯の探し物、当のそれが、
『ゴールデン・エリクサー』が宝箱の中に入っている!!

……でも今の手持ちは一つしかないし、それは貴重な預かり物だから、いつかは返さなければならないものだ。
ちいねえさまに使うには、この騎士に渡すには、複製しなければならない。

精製するためには高価で手に入りにくい材料を使わなければならないし、きっと一人分の精製につき一ヶ月以上はかかる。
まずは誰よりも、重い病気で苦しんでいるカトレア姉さまを優先して、精製したい。
それに、誰もが喉から手が出るほど欲しがるであろう強力な効果のため、みだりに情報を広めるのも良くない。

どうしよう、この誇り高き騎士にそれを伝えようか。……だが今の彼はガリアの騎士らしい。
今はどういった気まぐれか、密入国さえも見て見ぬ振りをしてくれているようだが、ひょっとするとこの騎士はいずれ恐るべき敵として、ルイズの前に立ちはだかるかもしれない。
私が殺されていないのは、いまのところ無力な少女だからだ。

―――実際のところ、このときのルイズは運が良かった。ガリアの暗部と友好的な接触を図れたことは、まさに僥倖であった。
正しくもルイズの予感のとおり、彼はのちにハルケギニアに血と肉と恐怖を撒き散らす呪われしガンダールヴとして歴史に残ることになる。

『……とはいえ決して滅ぶことのない我が身、我が主の生ある限り忠義を尽くせると思えば、僥倖とも言える』

この騎士の手本のような男がそんな運命をたどることを、今もルイズはうすぼんやりと、なんとなく気づいている。それはとてもとても悲しいことだ。
むなしい雨を弾く音が、黒き甲冑にうつろに響き、ルイズは思わず叫んだ。

「ラックダナン!! 私、持ってるの! あなたの求めるものを持ってるわ!」
『…………何と!?』

ルイズはラックダナンに事情を説明する。
胸に抱く貴族の誇りが、『この騎士に隠し事はしたくない』と叫んだのだ。
持ってはいるが手放すことはできない、精製しても最初に姉のために使いたい、と丁寧に説明する。
黙ってルイズの事情を聞きおえた騎士は、静かに言葉をつむいだ。

『異郷の地でそなたに会えたことを、神と大天使ティラエル、この地の始祖に感謝しよう、ルイズ・フランソワーズよ』
「ごめんなさい、すぐに渡すことができなくて」

おそらくここハルケギニアで、彼を殺戮の運命から救うことが出来る手段は、ルイズのもつ霊薬だけだろう。

『謝るには及ばぬ……いつまでも待とう……我が存在するに飽く時まで』
「ええ、名と杖と誇りにかけて、あなたのために霊薬を作るわ。
私はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。トリステインの貴族よ」
『了解した、急ぐことはない……我が宿命に飽くのは、当分先のことであろう』

いつの間にか雨が上がっていた。雲が晴れ、二つの月が輝き、星空が広がってゆく。

「……ラックダナン、私のラズマの秘術と霊薬のことは、どうかあなたの胸にしまっておいて欲しいの」
『名と剣と誇りにかけて、口外せぬと誓おう。今日と言う日を、我は生涯忘れぬ。
……なにか礼をせねばなるまい、サンクチュアリへの道についても、もし知ることがあれば、そなたに伝えよう』
「ありがとうございます、あなたに会えたことを光栄に思いますわ、誇り高きロイヤルガード、ラックダナン卿」

上空にシルフィードの姿が見えた。こちらへ向かって飛んでくる。かなり急いでいるようだ。

『どうやら、そなたの友人が戻って来たようだ』

ルイズの手に小さな石がいくつか、そっと握らされる。

『それはせめてもの手土産、役にたつだろう、受け取りたまえ……では、我はこれにて……また会おう、少女よ』

ルイズは頬を染めて、立ち去る黒い騎士の後姿を見守った。入れ違いに舞い降りる、青い風竜。

「ごめんなさい、雨のなかに置き去りにしてしまった」

タバサがシルフィードから降りてきて、ルイズに謝罪した。きゅいきゅい、と竜が鳴く。
一人旅に慣れていたタバサは、同行者への配慮に慣れていないのだ。

「いいのよいいのよ、とっても素敵な出会いがあったから……」
「今の、誰?」
「誇り高き騎士さまよ……幽霊だけど……ウフフフフ」
「!!」

幽霊と聞いたとたん、タバサが表情をこわばらせ、ブルブルと震える。
やっぱり連れて来なければよかった、などと後悔しても、もう遅い。

「ウフフフフありがとう騎士さま天使さま司教さまウフフフフ」

雪風のタバサは、己の友人、もはや完全にイッてしまった目で危なく笑う白髪の少女、
ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールのことが、怖くて怖くて仕方なかった。


////【次回へ続く】


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ラックダナン(Lachdanan)
スーパーユニークキャラクター:ブラッドナイト

カースド
エクストラダメージ
エクストラファスト
ライトニング・エンチャンテッド
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[12668] その6:最初のクエスト(後編)
Name: 歯科猫◆93b518d2 ID:b582cd8c
Date: 2009/11/11 18:57
////6-1:【大事なものを】

きゅいきゅい、と空の旅は続く。

「で、タバサ。これから何処へいくの?」
「南西へ300リーグにある村」
「ふーん、何の用事か聞いていい?」
「……怪物退治」

ルイズはそれを聞き、やっぱそれなりの事情あってこその『例の占いの結果』だったのだと納得した。

「タバサ、あなたって正義のヒーローか何かなの?」
「……違う」
「そう、じゃあその辺の事情は聞かないでおくわ。それにしても寒っ! ……へ、へ、へぷちっ!」

ルイズがくしゃみをする。無理も無い、先ほどの雨のせいで気温が下がっている。湿った服も、乾かさなければならないだろう。

「……今日の用事は終わった、途中の村で宿をとる」
「そうしてほしいわ」

タバサは申し訳なく思いつつ、シルフィードへと指示を出す。
しばらく飛んでから降りた村は小さな農村で、村も平民用の宿しかない。想像通りの、古くくたびれた安宿だ。


「……ま、これでも私の『幽霊屋敷』よりはマシなのよね」
「…………」

普段から物置小屋に寝泊りしているルイズは気にしないし、タバサは無言。文句ひとつ言わない。
村人も(ついでに浮遊する幽霊たちも)朴訥な人柄で、真夜中の来訪にも暖かく迎えてくれた。
二人仲良くほかほかと平民用のサウナで温まり、かるく夜食を取る。

「あらおいしい、トリステインには無い味ね」
「はしばみ草のサラダもお勧め」
「……遠慮しておくわ」
「残念」

はしばみ草の独特な苦味は、ルイズの口にはどうも合わないようだ。
子供のときから苦手としており、食堂で出されたとしても、大抵の場合は残していたものだった。

「ねえタバサ、ちょっとあなたの杖を見せてくれる?」
「?」

ベッドに入る前に、ルイズがタバサに尋ねた。
無表情だが、それでも目に怪訝な色を浮かべ、タバサが杖をルイズに手渡した。
節くれだった、大きな杖である。

- - -
タバサの杖(Tabasa's Magic Staff)
ノーマルアイテム:ナールドスタッフ(Gnarled Staff)
メイジ専用アイテム
装備必要値:なし 耐久力:35
攻撃ダメージ 4-12
+1 ウォーターマスタリー
+2 ウインドマスタリー

シャルロット・エレーヌ・オルレアンにパーソナライズされている
オルレアン公の依頼を受けたナズラにより製作された
ソケット:4
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杖はミョズニトニルンにとってマジックアイテム扱いになるのか? そうでないのか?
ノーマルアイテムなのに額のルーンが反応した、その辺は魔法の杖だから、とルイズは深く考えないことにする。
(クラス専用アイテムは『<ルーン>が発動可能』なのだが、ルイズはそのあたりの事情を知らない)

……タバサには本当に申し訳ないことに余計な事も見えてしまったが、そっちも深く考えないことにする。

「この杖、作った人、天才よ……今はどこにいるのかしら」
「わからない、父がくれたもの」
「へぇ、大事なものなのね」

じーっとそれを見つめていたルイズは、怪しい笑みを浮かべた。
何を思ったのか、おもむろにルイズは杖頭の根元に巻かれた布をべりべりと剥がしはじめた。
大事な杖を壊されて、タバサは焦りに焦った。

「な、何をするの」
「ほら、あった……これを見て」
「……これは……穴?」

珍しく表情を浮かべルイズに掴みかかったタバサが、しばらくは杖を取り戻そうとしていたが、愛用の杖に隠された見覚えのないそれ、四つの小さな窪みを見せられて、軽く目を見開いた。

「どうして騎士様がわたしにこの石を渡したのか、気になってたんだけど、今確信したわ。
……たぶん普段会うことのない同僚……あなたへのご挨拶だったのよ」
「どういうこと?」

ラックダナンと面識の無いタバサはルイズの言葉の意味が判らない。ただ、なんとなく悪い予感がする。

「タバサ、頼みがあるわ」
「……」

悪い予感はますます強くなり、冷や汗がタバサの背筋を伝う。

「この杖、改造させて」

――ほら来た!! 予感は当たり、タバサの顔が髪と同じくらいに青くなる。

「だ、駄目」
「お願い!」
「嫌」
「強くなるわ!」
「……でも、それは大事な」
「あなたの思い出の杖、でしょう?」
「!!」

ルイズはミョズニトニルンの導きに従って、魔力の順番を間違えないように、
取り出した4つの小石を、『タバサの杖』のくぼみ(ソケット)へとはめ込んでいく。



 ――Lum + Io + Sol + Eth

杖が発光する。火の文字が杖にルーンを刻みつける。


これでいい。タバサの後ろの『お父様』の幽霊も、とても優しい色、喜びの色をしている。
5年越しのプレゼントをやっと娘に手渡せる、そんな顔をして笑っている。
どこかで見た顔……確か幼いころのトリステイン王家の園遊会で見た、ガリアの王弟オルレアン公だ。


部屋の中が光に包まれ、<ルーンワード>が完成する。


「これが、あなたのお父様からの贈り物、『思い出』よ」


ルイズは最初に剥ぎ取った布をしっかり巻きなおしてから、
茫然自失とした様子のタバサへと、杖を手渡した。

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タバサの思い出の杖(Tabasa's Magic Staff<Memory> of Orleans )
<メモリー>
LumIoSolEth (ルム + イオ + ソル + エス)
ルーンワード発動アイテム:ナールドスタッフ(Gnarled Staff)
メイジ専用アイテム 攻撃ダメージ 4-12
必要レベル:37 耐久力:35 ソケット4使用
+3 全メイジスキルレベル
+1 ウォーターマスタリー
+2 ウインドマスタリー
33% 呪文詠唱の速度上昇
+20% 最大精神力上昇
+3 エナジー・シールド
+2 スタティック・フィールド
+10 、エナジー上昇
+10 、バイタリティ上昇
+9 最大ダメージ上昇
-25% 攻撃目標の防御力
魔法ダメージ低減: 7
+50% 防御力強化

シャルロット・エレーヌ・オルレアンにパーソナライズされている
オルレアン公の依頼を受けたナズラにより製作された
ゼロのルイズにより完成した
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タバサは受け取った杖の感触に戸惑う。
突然体が軽くなり、嘘みたいに体中に力が満ち溢れるのだ。杖への精神力の通りも、今までとは段違いだ。

「……これが、私の杖」
「そうよ、どう?」
「……」

タバサは喜び、呆れ、悲しみ、懐かしさ、その他沢山の感情に押し流される。
封印してきた感情が、溢れそうになる。



「父様の、匂いがする」

そう言ってタバサは静かに目を閉じ、感触を確かめるように二度三度振ってみる。
最大精神力や呪文の詠唱速度が上がっていることに、再び驚く。

「気に入ってくれたようね」
「……」
「よかったわね、これであなたが生き延びる確率は、かなり上がったと思うわ……」


満足そうな顔をしたルイズが、「……じゃ、寝ましょう」と布団に入ろうとしたとき。

「よくない、ずるい」
「えっ?」

タバサがぽつりと告げた言葉に、ルイズはきょとんとする。杖を振りかぶるタバサが視界に写った。

―――ガツン!!

ルイズの防御力の25%が無視され、9のダメージが上乗せされた。

「痛あ!!」

目に星が飛び、ルイズは頭をかかえた。



「ひどい、わたしは嫌だと言ったのに」
「で、でも……」
「あなたは無理やりにハメこんだ」
「な……ごめんなさいタバサ! でも私はあなたのことが……」
「わたしも良かったけれど、それとこれとは別」
「興奮してたのよ…」
「それに私から大事な初めての機会を奪った」
「た、確かにそうね! ちゃんと双方納得の上で、あなたにしてもらうべきだったわ」
「あなたは責任をとるべき」
「そ、そうね……考えておくわ」



二人の部屋では、このような会話が繰り広げられていた。

もし誰かが予備知識なしで聞くとかなりヤバイ会話であろう。

「あなたには相応の罰を受けてもらう」
「う……」
「……でも、礼を言う、ありがとう」
「……ごめんね」

ちなみにタバサからルイズに与えられた恐るべき罰とは、

「これから一生、食事に出されたはしばみ草は残さず食べる」

というものであった。
次の日の朝食で、ルイズは文字通りの『苦笑い』をしながらサラダを頬張った。涙目である。



////6-2:【魔物退治】

『その村の近くの廃墟の地下には、沢山の魔物が巣食っている』


この知らせを受けたガリアの地方領主は、騎士を差し向けた。
いままで二人のラインを含む5人ものメイジが討伐に向かったが、誰一人帰ってくることはなかった。

領主は十三人からなる傭兵の討伐隊を派遣したが、一日たっても音沙汰が無い。


ゆえに、このような仕事を請け負うプロ、北花壇騎士団7号『雪風のタバサ』の出番となったわけだ。
戦力の逐次投入は戦術として最大の愚、トライアングルメイジのタバサとはいえ、一人で向かうのは酷である。
だがしかしタバサは、己もまた『捨て駒のひとつ』であることをよく理解していた。

「きゅいきゅい」
「……村の様子がおかしい」
「本当だ……あれは煙? まさか!!」

シルフィードに乗ったタバサとルイズが見たものは、燃え盛る火、うごきまわる2~30匹ほどのオーク鬼たちの群れだ。
一匹の戦力が熟練した戦士五人に匹敵するというオーク鬼である。

情け容赦のない襲撃、家々は壊され、火が放たれ、逃げ惑う人々が次々と屠られていくのが見える。

「……な、何よこれ」
「……」
「私たちがもう少し早くついていれば……」
「無理」

タバサは無表情に告げる。それは慰めではなく、現実的な判断だった。

ルイズは目下の光景に悲しく苦々しい表情をした。
『例の夢』のなかで地獄を体験してきたとはいえ、実際に生命の蹂躙が目の前で起こっているのを見るのはつらい。
この場所は悲しみと苦悶の霊に満ちている。

「タバサ、私たちがやることは?」
「怪物退治」
「指示をお願い、作戦は?」

ルイズは実践慣れしているタバサをリーダーとし、その指示に従うことにした。
タバサは目下の地形を頭にいれると、頭を回転させる。

「何ができる?」
「爆発、毒、放火、その他少々特殊な魔法よ……私自身が動くのはあまり得意じゃないかしら」
「自分の身を守れる?」
「少しならね、一発や二発なら耐えられるわ」

タバサは少し考えたあと、作戦を口にする。

「―――最初、上空から爆撃、毒撃、次に炎で足止め」
「上策ね」
「それから地上に降り、私が前衛、あなたが援護。そこの広場から出る道で陣をかまえる、村人を逃がす」
「オーケー」

ルイズはにやりと笑い、『イロのたいまつ』でオークたちの頭上へと火の粉を降らせていった。
この場所を飲み込む大きな運命の流れを感じ取り、支点と力点をずらし、少しずつ干渉していく。


『アンプリファイ・ダメージ(Amplify Damage)』


ルイズの目には、オーク鬼たちの頭上に、彼らのこれからの運命を表す歪んだ色の炎が映っている。

「ウフフフフ」

『ダメージ増加の呪い』、ラズマの秘儀の初歩の初歩。
これを被ったものはちょっとした攻撃にも、はるかに大きな痛みと傷を受けるのだ。
ルイズは楽しくて仕方が無い子供のように笑い声をあげながら、
戸惑うオーク鬼たちの頭上に、上空から『爆裂ポーション』を投下した。

ズガーン!! ズガーン!! 爆撃音が響く。
数匹のオーク鬼たちが直撃を受け、その血と肉が弾ける。続いて毒の霧が発生し、鬼の体力を徐々に奪う。
グオオオ!鬼たちは対処しようのない空からの攻撃に、恐怖の声を上げた。


「アハハハハ! アハハハハ! 見て、見てよタバサ、ほら、ほら!! ねえ見て、オーク鬼どもがゴミのようだわ!!」

ルイズは完全にイッてしまった目で大笑いしながら、上空から無抵抗なオーク鬼たちへと躊躇なき爆撃を降らせつづけた。

タバサは冷や汗をダラダラと流しながら、すこしかすれて上ずった声で、ルイズに声をかけた。

「村人が……」
「ん? 何よタバサ」
「村人を巻き込んでいる」

よく見るとルイズは、オーク鬼に襲われる村人がいる場所にも容赦なく、毒ガスポーションを投げ込んでいるのだ。
それを指摘されたルイズはけげんな顔をして、タバサに言葉を返す。

「大丈夫よ、これ人間には無害な毒ガスだから……もし害があっても、死にはしないわ……心配なら、あとで飲んでみる?」
「……」

タバサはオーク鬼よりもずっとずっと、ルイズ・フランソワーズのことが恐ろしいと感じる。
オーク鬼の17倍怖い、と思った。この先何があっても、彼女だけは敵に回したくない、とも。
やがて爆裂ポーションが尽きたころ、ルイズは『オイル・ポーション』を投下して炎の壁を作りだし、オークの集団を足止めする。


「アハハハハ燃えちゃえ! 燃えちゃえ!」

おろおろとするオークたちの頭上に、再び火の粉をふらせていくルイズ。
―――ハルケギニアの世の中に、呪いを回避する技量というものは存在しない、存在しないのだ!

サンクチュアリの地には『上空からの攻撃』という戦術は無く、術者は地上の身を守るために、数々の技を編み出した。
ラズマ僧侶の『降霊術』や『呪い』、『召喚』などの戦闘技術は、それに特化したものである。

弱点は、術者が攻撃を受けること。
敵の攻撃が届かない場所にいるネクロマンサーは、無敵の存在といっていい。
続いてルイズは『イロのたいまつ』を構え、呪文を唱え、振るった。


『コープス・エクスプロージョン(Corpse Explosion)!!』


ルイズが杖を振るたびにオーク鬼の死体が次々と爆発し、周りの数匹の鬼を巻き込んでいく。
その爆発に巻き込まれて死んだ鬼の死体がふたたび爆発し、連鎖を起こしていく。


死体に込められた断末魔の苦しみのエネルギーを集中・解放し、物理的な衝撃として炸裂させるという非常識な魔術。

ラズマの恐るべき大量殺戮技―――『死体爆破』である。

肉や血や骨や内臓やいろんなものがところかまわず飛び散り、またたくまに村はスプラッタ色に染まった。
もはや、片付けが大変だとかいうレベルではない。肉の焼けるにおいが上空にまで上がってきて、タバサは思わず口を押さえた。

「あっはははは!! 見た? ねえ見たかしら? 今の、7連鎖いったわよ!!」
「…………」
「あっ、二匹逃げたわね! 追いましょう!!」

数十匹いたオーク鬼の大群は一瞬で壊滅し、残ったのはたったの二匹、それも泡を食って敗走していった。

タバサの出る幕はなかった。



////6-3:【探索】

「ここね…死の匂いがプンプンするわ……」
「…………」

タバサとルイズは逃げたオーク鬼を追い、村はずれの屋敷の廃墟、地下一階へとやってきていた。
先ほどの戦闘――といっても一方的な殺戮だったが――を見てわかるとおり、オーク鬼たちは上空からの攻撃に無力だ。
ハルケギニアには竜騎士というものが存在するゆえ、通常鬼達は洞窟や屋内、地下や森の中に陣取る。

今回のように大群で開けた場所に出てきていたのは謎だが、ここをねぐらにしているのは確かだ。
ここを叩き潰せば『怪物退治』、すなわちタバサの任務は達成される。

とはいえ鬼達の行動には何らかの目的があるはず。

――おそらく狩り――人間を喰らう高位の亜人、たとえば先住魔法を使うような存在のために。
なればここには討伐隊をも屠るような、そのような何かがいるのだ。気を引き締めなければならない。

「出でよ『クレイ・ゴーレム』! 『ボーン・スピリット』!!」

ルイズはゴーレムと使い魔のヒトダマ『タマちゃん』を呼び出し、前衛として先陣を切らせた。
ヒトダマと『イロのたいまつ』の仄かな緑色の明かりに照らされた室内には、人の死体が家具や装飾品のように沢山転がっていた。

「………あなたのゴーレム、これは系統魔法?」
「違うわ、土の制御じゃなくて、仮初めの生命を与えているのよ」

とたん、『タマちゃん』が警戒信号を発し、タバサは風の不穏な流れを感じて杖を構える。
物陰からオーク鬼が襲ってきた。ゴーレムが俊敏な動きでタバサのフォローに回り、詠唱の時間を稼ぐ。
見れば、先ほど取り逃がしたものも含め、その数5匹。

『ボーン・アーマー(Bone Armor)!!』

ルイズの周りに骨の盾が召喚され展開し、オークの攻撃を防ぐ。強靭な腕力の一撃で骨の盾にビシリと亀裂が走る。
ゴーレムを間に割り込ませてオーク鬼の相手をさせると、すかさず敵に向けて杖を振るった。

『ディム・ビジョン(視野狭窄)!!』

三匹のオーク鬼たちが視界を奪われ標的を見失い、そこにタバサの呪文が炸裂した。
ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ハガラース――

『氷の槍(ジャベリン)!!』

空中を奔る氷の戦槍―――

タバサが一匹をしとめ、ゴーレムの相手をしていた一匹はルイズが『タマちゃん』をけし掛け、生命力を吸い取って倒した。
タバサが『ウインド・ブレイク』で死体をオーク鬼たちへと飛ばし、ルイズがそれを爆破する。生臭い匂いと、血肉がそこかしこに飛び散る。
あまり気分の良い光景ではない。


「はあ……ちょっと魔法を使いすぎたわ、今のうちに精神力を回復しておきましょう」
「………」

ルイズが顔をしかめつつ、ぐびぐびとポーションを飲み干した。本日三本目である。
タバサは殆どなにもしていないし、杖の<ルーンワード>のマナ回復効果のおかげか、まだまだ精神力にも余裕がある。

「そうだ、今まで忘れてたけど、『エナジー・シールド』張っておけばいいわ」
「それは何?」
「……タバサ、『ライトニング・クラウド』は使える?」
「まだ、あれはスクウェアスペル」
「ええと……ああ、そうね、電気……冬に空気が乾燥したとき、パチパチする静電気は解るでしょう」

こっくりと頷くタバサ。ルイズはあごにひとさし指をあててしばし考え込んだあと、説明する。

「あれが自分の身を守るように、包み込むように、イメージをしてみて」
「………わからない」
「杖を通して作って、自分の纏うまわりの空気に流すイメージよ」
「………こう?」
「ほら、出来たわ」

とつぜんタバサのまわりの空気のなかに、一枚の目に見えない力場が生まれたように感じられる。

『エナジー・シールド』、魔法と物理攻撃の一部を精神力で受け止める。これが、ルーンワード『思い出(Memory)』を得たタバサの新しい力だ。
密林の女魔道師族『ザン・エス(Zann Esu)』の開発せし、雷系統の魔術の一種である。
サンクチュアリの魔道師たちは、たいがいがこれを戦闘時に使い、身を守っている。

「あなたを守ってくれるわ、ちなみに同じイメージを敵にかぶせるように攻撃に使えば、『スタティック・フィールド』になるのよ」
「わかった」
「そうだ、念のためガイコツを召喚しておこうと思うんだけど……怖がらないでね」
「大丈夫」

―――『レイズ・スケルトン!!』

ルイズの霊気を目的に集まってくる雑霊たちが、ルイズの導きに従って流れてゆく。
オーク鬼の損傷の少ない死体にそれを憑依させると、死体が血肉をとびちらせて弾け、二体のガイコツがすっくと立ち上がった。

呼び出された二体のそれを、ルイズはゴーレムとともに前衛に回した。
棍棒をしっかと握る大柄のスケルトンは、タバサの目から見ても、恐怖をあたえる外観もふくめ、いかにも頼もしそうだった。

そうして―――

しばらくタバサとルイズは広い地下を探索したが、もうオークたちは出てこなかった。
先ほど倒したのが最後だったのだろうか。
二人はオーク鬼たちが溜め込んだ財宝らしき宝箱を見つけた。

宝箱の中にはイミテーションの宝石、真鍮で出来たまがい物のアクセサリーや銀貨や銅貨など、価値の低いものばかり。
その中からルイズは一つの護符(アミュレット)と、古ぼけたジュエリーを拾い上げ、ニヤニヤと笑った。
タバサにとっては、どちらかというと化け物よりも今のルイズのほうが、ずっとずっと不気味であった。

「さて、残るはこの部屋だけ……だけど」
「……血の匂い」

探索も終わり、残すは最深部の一部屋のみ。
中から歩き回る音、骨のつぶれる音、唸り声、鼻が曲がるほどの血の匂い―――なにこれ中に何か居る。
あきらかに異質な雰囲気を帯びるそこ、目の前の扉を開けるのに二人は少しだけ躊躇した。

「ガイコツに開けさせるわ、下がって」
「わかった」

タバサは呪文を詠唱し、いつでも放てるように用意をした。
スケルトンが扉に近寄り、ガチャリと音を立てて、扉を、開いた。

―――とたん、後悔が襲い来る。

どうしてこの扉を開けてしまったんだろう!!

二人の目にまず飛び込んできたのは、ハラワタだった。
真っ赤に染まった床。
十、二十、大量の物言わぬ肉の塊。
裸にむかれた人間の、死体、死体、生々しい死体。
引き裂かれた、壁にフックで吊り下げられた、串刺しの、ちらばる手、足、胸、心臓……

「……!!」

鉄のすえた匂いが二人を包む。
胃袋がひっくり返りそうになる。ショックで呼吸が止まりそうになる。
想像以上の凄惨な光景に、二人は体中の血が足元に下がるような怖気を感じた。腰が抜けそうになる。
そして奥から現われたのは太い腕、ずんぐりした体、獲物の返り血で汚れたエプロン、地獄の肉屋。

「Ohhhh!! Fresh Meat!!!」

おぞましい声。その手には―――巨大な血塗られた肉切り包丁。

「うっ」
「!!」

―――やばい、こいつはやばい。やばすぎる。ヤバイやばい

どうしよう、骨よ守れ、ワタシを……

ルイズの意に応え、オーク・スケルトンが、ルイズと魔物のあいだに割ってはいる。
魔物の丸太のような腕で振り下ろされた無情な分厚い刃が、たった今まであれほど頼もしくみえていたルイズのスケルトンをほんの一撃で、

―――ザンッ!!!

真っ二つに叩き割った。ああ……

――ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ウィンデ

『氷の矢(ウィンディ・アイシクル)!!』

タバサは動揺しつつも、すでに動いていた。
無数の冷たい矢が魔物を襲う。タバサの十八番、トライアングルのスペルだ。これで倒せなかった敵は、ほとんどいない。
そのすべてが命中し、魔物の体に傷を刻み、血を流し、よろめかせる。

敵はよろめいた……が、ただそれだけだった。信じられない、体中を凍りつかせ、よろめいただけ、なんて―――
タバサの顔がひきつる。

魔物の怒鳴り声が反響する。

「Uhhhhh!!!」

凍りついた魔物の表皮がビキビキと音を立てて割れ、破片を飛び散らせる……が、当の魔物は意に介した様子もない。
全身を血と返り血で染めながら、短い足で一直線にタバサへ、のしのしのしのしとかなりの速度で歩み寄ってくる。

(なんてこと……)

間に合わない、タバサはぼうっと、振りかぶられるそれ、自分を肉塊に変え美味しい料理に作り変える包丁を見ていた。
これが、わたしの死?

――ザンッ!!!

再び肉切り包丁が振るわれたが、タバサはまだ生きていた。
タバサを守ろうと動いたもう一体のスケルトンが、一瞬で棍棒ごと唐竹割りにされていたのだ。ルイズが助けてくれた。

「ゴーレム! タマちゃん!!」

ルイズはゴーレムを足止めに向かわせ、『アンプリファイ・ダメージ』をかけてボーン・スピリットを突撃させる。
タバサは自分が呆けていたことに苦悶の表情を浮かべ、即座に次の呪文の詠唱に入っていた。

―――ズバンッ!!!

魔物へと襲い掛かっていた『タマちゃん』が肉切り包丁の一撃を受けて、閃光とともに霧散する。
同じ一撃で、ルイズのゴーレムは左半身を切り飛ばされていた。ルイズは……オイル・ポーションを直接魔物にぶつけ、炎に包んだ。
魔物のおぞましいうめき声、本日何度目にもなる血や肉の焼けるにおいに、タバサは顔をしかめた。呪文をとなえる。

『アイス・ジャベリン』

タバサが杖を振るって魔法を放つと、巨大な氷の槍が多数あらわれ、魔物へと突き刺さる。

突き刺さった傷口から魔物の体は凍りついてゆき、加熱からの過冷却へといざなう。体組織がぼろぼろと崩れる音が聞こえる。
凍りついた血の破片が舞い散り、たいまつの光をあびて輝く。
魔物はよろめき……よろめいたが、やはり、それだけだった。再びタバサを守る、ルイズのゴーレムが魔物の一撃を受け、とうとうただの土くれへと戻った。


突き進んでくる魔物。おかしい、油断した? ありえない、ほら、もう目の前で血染めの包丁を―――

「っ……!!」

――ザンッ!!!

今度こそ、わたしは死ぬ?

―――バチバチッ――バチイッ!! 魔物の一撃が迫ったとき、タバサの周囲に白銀の静電気の光が走る。
タバサは肩を少し切られただけで、ギリギリで回避することに成功していた。

すかさず飛び下がって距離をとる……。
今のはとても危なかった。『エナジー・シールド』が発動し、包丁の軌道をそらしたのだ。受けていれば、間違いなく致命傷だった。

「Uhaaaaah!!」
「ひえっ!!」

おぞましいうなり声とともに放たれた次の一撃に、ルイズの骨の盾(Bone Armor)が粉々に砕け散った。あとニメイル、一メイル……
魔物が肉切り包丁を振りかぶり、飛んできた生暖かい血液がルイズの頬へと付着する―――ぴとっ、ぱしゃっ。

――あれコレやばいんじゃちょっとそれ待って死ぬ死ぬシヌ殺されるコロサレルあのやめてくれないかし

腹の底をえぐるような恐怖に、ルイズはすこし下着を汚した。
死の恐怖を克服して戦うネクロマンサーとして、ルイズはまだまだ修行不足で、その境地に至るのはずいぶんと先の話のようだ。
それも、ここで生き延びることができれば、の話だが。




―――杖を握る手が動いたのは、奇跡に近かった。

『錬金!!』

ルイズの失敗魔法が炸裂し、魔物は、一メイルほど後ろへ押し返される(Knock Back)……だが、焦げたエプロンから煙を上げつつ、怪物は踏みとどまり、まだ立っている。
血まみれの包丁を手に、変わらぬ速度でのしのしとこちらへ歩んでくる。なんて、ああなんて恐ろしい。
想像を絶するタフさによる、圧倒的な力押しだ。

「……な、な、な何よナニよ! 何なのよコイツ!!!!」
「退却」

二人はきびすを返し、あわてて地下室の出口へと走った。それはもう、脱兎のごとく。
もはや『敵に後ろを見せないのが(略)』などと言っている場合ではないし、背後からずしんずしんと迫る恐怖にそんな考えはカケラも浮かばない。
実戦とは、かくも無情であり、圧倒的なものだった。

ただひたすらに、余裕が無かった。

『エア・ハンマー』
『錬金!! 錬金!!』

タバサの風の魔法、ルイズの失敗魔法が二度三度、魔物を弾き飛ばす……が、なおも魔物は突き進んでくる。

「Uoohhhhh!!!」

「……くっ!!」
「い、い、いやあああああ!!! 来ないでええ!!!」

とんでもないものに追われる想像もつかない事態に、二人は背筋が汗でぐしょぐしょになっていた。すでにルイズはかすれ声で涙をだばだばと流していた。
地下室の入り口の扉を二人がくぐったとき、ルイズは思わず力任せに大きな音を立ててドアを閉めた。

「タバサ、カギ!」
『施錠(ロック)』

焼け石に水だろうに、時間稼ぎのつもりか、タバサが口語(コモン・スペル)を唱え、古びたドアにカギをかけた。

―――Uh…hhh……h、扉の向こうから魔物のうなり声。

ごきゅごきゅごきゅ、うっぷ……

『クレイ・ゴーレム!!』

ルイズはマナ・ポーションを飲み干し、再びゴーレムを作りあげた。魔物に対しては明らかに力負けしているが、囮やメイン盾としては優秀だった。
タバサも同様に傷を治し、精神力を補充する。

ドア向こうからは魔物の声、歩き回る足音が聴こえる。あの肉切り包丁で、この扉はすぐに破られるだろう……
脳内にはアドレナリンがあふれ、二人は臆病なほどにかすかな物音にすら集中し、神経は緊張で焼ききれてしまいそうだった。

―――どうする?切り札は使い切った。先ほどと同じ手順で攻撃するか?

体勢をたてなおす―――二人は目で合図しあい、屋敷の廃墟を飛び出した。
上空にシルフィードを待機させ、入り口に向けて身構える……緊張感はいよいよ最大に……






そのまま、三分ほどが経過する。

おかしい。追って来ない。ふたりは顔を見合わせた。

慎重に先ほどのドアの前まで戻り、注意深く観察してみると……やはり足音と唸り声がきこえる。
どうやら、魔物は扉の向こうで右往左往しているようだ。首をかしげる二人。

「?」
「……」
「ねぇ、タバサ」

ルイズがすこし平べったい声を出した。

「……」
「もしかしてコイツ、ドア開けられないの?」
「……」
「……」
「言わないで」

しばしの沈黙。今はまだ気を抜いてはだめ、終わるまで耐えなければ―――



「タバサ、扉越しにスタティック・フィールドが届くはずよ」
「わかった」

ルイズはクールに即興の作戦を伝え、タバサは実行に移した。杖を構え、精神を集中する―――
彼女の周囲に、帯電をおこす乾燥した空気が生まれ始めた。

『スタティック・フィールド』
バチッ!! ビリビリ!!
「Oufh!!」

魔物の苦悶の声がひびく。たとえ扉越しであろうと、離れたところにいる敵の体力を奪う魔法である。
この魔法はその性質上倒しきることはできないが、弱らせることはできるだろう、とルイズは語った。

『スタティック・フィールド』
バチッ!! ビリビリ!!
「Oufh!!」
『スタティック・フィールド』
バチッ!! ビリビリ!!
「Oufh!!」

二人はげっそりと疲れた顔を見合わせつつも、地上へと戻り、シルフィードを呼んだ。

「目標、扉」
「了解よ、タバサ」
「物理的『開錠(アンロック)』、よろしく」
「ゴーレムちゃん、お願い」
「ウオーン」

ルイズのゴーレムが、ドアを叩き壊した。
ゴーレムは飛び出してきた魔物に数度切りつけられ、あっという間に倒される……が、問題はない。

『飛翔(フライ)』

タバサがルイズを抱えて、シルフィードの上へと運んだ。
地上では肉切り包丁をこちらに向かって振り回し、のしのしと歩く魔物がいる。

「Uhhhhh!!! Uhhhhh!!!」
「……討伐隊も、もう少し頭を使えばよかったのに」
「言わない」

二人は無力な地上の魔物めがけ、杖をかまえる。

魔物へと至上の苦痛を与える準備は完了―――さあ、反撃の始まりだ!!

『アイス・ジャベリン』
『魔獣の牙!!』

上空から、雨のように攻撃魔法が降りそそぐ。

『アイス・ジャベリン』
『魔獣の牙!!』
『アイス・ジャベリン』
『魔獣の牙!!』

精神力が尽きれば、二人はためらい無くマジック・ポーションを嚥下する。

「ごきゅごきゅ……うぇっ……」
「……けぷ」
「何度飲んでも慣れない味よね……いいかげん味の改良を考えようかしら」
「それがいい」

すでにルイズもタバサもおなかの中は青い液体でたぷたぷであり、どこか顔色が悪い。

「goooooohh!!」

魔物はタバサとルイズの『ずっと二人のターン!!』なちまちまとした削り攻撃の前に、全身を穴だらけにされ、やがて倒された。
魔物は結局倒れるそのときまで、上空のルイズたちに対して、ぶんぶんと肉切り包丁を振り回していただけであった。


―――二人が途中で気付いたとおり、この恐るべき猪突猛進の怪物は、悲しいまでに知能が低いようだった。


「びっくりしたわね……」
「びっくりした」
「当分夢に出てきそうだわ」
「わたしも」

緊張の連続が終わり、真っ青な顔をした二人の少女は今になって震えはじめた体で抱き合い、シルフィードの背中へと突っ伏した。
大きなため息、続いてルイズの押し殺した笑い声が、ガリアの青空へと溶けていった。



////6-4:【Quest Completed】

「……掘り出しものだわ」

ひとり地上に降りてきていたルイズは、先ほどの魔物の持っていた肉切り包丁を触って驚いた。

- - -
ブッチャーズ・ピューピル (The Butcher's Pupil)
ユニークアイテム:クリーバー(Cleaver)
必要レベル:39 必要筋力:68 - 射程2 -
片手持ちダメージ: 55-149
+150-200% 強化ダメージ
+ 30-50 のダメージを追加
35% デッドリー・ストライク
25% 敵の傷が開く可能性
30% 攻撃スピード強化
壊れない
- - -

まず最初に、ルイズは焦りと安堵を感じる。数多の人の血を吸って魔の気を帯びたこれは、凶悪きわまりない殺戮の武器だ。
タバサに『エナジー・シールド』があって本当に良かった、一人で行かせずによかった、とルイズは心底思った。
『35% デッドリー・ストライク』って、およそ4分の1でクリティカルってことだ、かすり傷で良かった。背筋がぞくっとする。
綱渡りだったわね、と苦笑する。世の中にはとんでもなくタフで恐ろしい包丁もあったものだ。

次に思うのはこのアイテムの出自。間違いない、これはサンクチュアリの品だ。
もしかしたら、このあたりにサンクチュアリに繋がる道があるのかもしれない。
もちろんラックダナンのように、サモン・サーヴァントで呼ばれただけの可能性もあるが。

(重すぎて私には振り回せないけれど……いくらでも使い道はあるわ)

ルイズはひとりほくそえむ。
タバサには『討伐完了』の報告に行ってもらっている。

ルイズは一人残って廃墟を調べている。
やがて屋敷の中庭に、見慣れぬ魔法陣を見つける。

「これは……『ウェイポイント(Way Point)』ね、驚いた……まだ使えるじゃない」

ルイズがミョズニトニルンの能力で確かめたソレは、かつて古代ホラドリムが拠点移動用に開発した術式だった。
どうやら、ずいぶん長いこと使われていないものらしい。

使用法、制作方法をしっかりと記憶してから、『イロのたいまつ』を振るって小さな祭壇に火を燈す。
青白い炎をたたえ、魔方陣は現代のハルケギニアに蘇った。

別の『ウェイポイント』を作って起動すれば、そこと繋がって、遠く離れた場所の瞬間移動が可能になる。
ただし契約した者の行ったことのある場所にしか使えないので、他人に悪用されることもない。
ひょっとすると昔はこれをサンクチュアリと繋げて使用していた人がいたのかなと、ルイズは思った。

帰ったら『幽霊屋敷』にウェイポイントを設置して、そのうちまた調べにこよう、と考える。
ひょっとすると、このあたりにサンクチュアリ産のマジックアイテムが眠っている可能性もあるからだ。

「ガリア遠征……良い拾い物をたくさんしたわね」

黒騎士ラックダナンとの縁、石と杖、護符とジュエリー、血染めの肉切り包丁、ウェイポイントの技術。
<神の頭脳>のせいか、ここ最近は技術の知識を得ることが楽しくて楽しくて仕方が無い。
ルイズには圧倒的に足りなかった『戦闘経験』を得たことも、かなり大きかった。

―――そして、あとすこしで手のひらから零れ落ちるところだった、一番大事なものを。

それはタバサの命、タバサとの絆。新しくできた親しい友。

「ただいま」
「おかえり、タバサ」
「……大丈夫?」
「え? 何が?」

唐突に聞かれ、ルイズは戸惑った。
タバサは無表情ながら、どこかばつの悪さを感じさせる顔でルイズを見ている。

「あなたの使い魔が、倒された」

タバサが言いにくそうにそう言ったので、ルイズは苦笑する。

「ああ、『タマちゃん』のことなら大丈夫よ、このとおり」

ルイズはボーン・スピリットを体内から出して、元気に飛び回らせた。タバサが息を呑む。
『タマちゃん』は宙を三回転すると、ルイズの手の中に納まった。

「実体がないから、散ってもしばらくたてば再生できるのよ」
「……よかった」

ルイズは少しだけ不思議に思う。タバサはこの使い魔のことを怖がって避けてはいなかっただろうか。

「心配してくれたのね、ありがとう」
「大事にしていたから」

タバサはルイズの抱えるヒトダマをじーっと見つめる。やがて、おずおずと手を伸ばし、触れた。
熱くて冷たい不思議な炎の感触に、驚いたようだ。ルイズは目を細めた。

タバサはきゅいきゅいと鳴くシルフィードの背に乗り、ルイズを見つめる。

「タバサ、何処へ行くの?」
「魔法学院に帰る」
「用事は終わったのね」
「終わった、今出れば夜中には着く……早く、あなたも乗って」
「待って、いい方法があるわ」

ルイズは『タウンポータル』のスクロールを取り出し、『門よ!』と封をちぎった。
とたん、み゙ょーん……と、ルイズの目の前に青いゲートが現われた。

「ウフフ、さあ帰りましょうか」
「これは……何?」
「ちょっとしたマジックアイテムよ……おいでタバサ、シルフィードも着いてきてね」

タバサは驚くしかなかった。ルイズ、タバサ、シルフィード(巨大なのによく通れるものだ)と並んでゲートを通過すると、青い光が降り注ぎ、
うねうねとした場所をぐにゃぐにゃとなりながら運ばれたとたん、
二人と一匹は、それまでとは全く別の場所にいたのであった。

「ただいま、私の素敵なおうち!! ただいま司教さま!!」

そこはタバサも良く知る場所だった。
ガリアの村からははるかはるか遠く離れた、トリステイン魔法学院の片隅、
貴族の少女ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールの住む物置小屋、通称『幽霊屋敷』の裏であった。

―――よかった、帰ってこれた。
信じられないことが多すぎて、多少混乱しつつ、なにはともあれ、今はそれを喜ぶことにしよう……と、大きく息をつくタバサであった。

////【……続く】



[12668] その7:ラン・フーケ・ラン
Name: 歯科猫◆93b518d2 ID:b582cd8c
Date: 2009/10/18 16:13
////7-1:【世紀の偉人……爆誕!!】

ギーシュ・ド・グラモンは武人の家の子息である。
グラモン家は戦争のたびに出資がかさむので、いつも資金繰りに困窮している、いわゆる『貧乏貴族』であった。
そこで数日前にルイズより『大もうけのチャンスあり』と言われたギーシュは、これまで無いほどに頭を働かせ、目を皿にして、それを探しだして逃すまいとしていた。

ドカーン! ドカーン! と『幽霊屋敷』の裏から爆発音がしている。
ギーシュが音を頼りに向かうと、案の定ルイズがそこにいた。

「やあルイズ、一昨日は授業をさぼって一体どこへ行っていたんだい?」
「こんにちはギーシュ、ちょっとした野暮用よ」
「そうかい……ところでルイズ、これが何か解るかな」

常識外れの少女、ルイズ・フランソワーズ。彼女のそばにいれば、そのチャンスが転がり込んでくるのでは。そう期待し、
ギーシュは最近ひんぱんに『幽霊屋敷』へと遊びに来るようになっていた。

「……ちょっとギーシュ!! これ何処で見つけたの?」
「さあ、ヴェルダンデが拾ってきたんだよ」
「買い取らせて!!」
「え?あ、ああ……いいけど、それは何なんだい?」

ギーシュがルイズに見せたのは、奇妙な模様の掘り込まれた小石であった。
受け取ったルイズの目が見開かれ詰め寄ってくる、その剣幕にギーシュは戸惑い、理由を尋ねた。

「これはね、『ルーン石』っていうのよ……道具に魔法の性質を付与するの」
「そんな大層なものかい?」
「そうよギーシュ、これ作ろうと思ってもそう簡単にはいかない……最低でも15年はかかるわ」

ルイズはノートを取り出しサラサラと何か計算をしてから、ギーシュに買い取り金額を提示した。

「どう?」
「150エキュー!? こんなに貰っていいのかい」
「ええ、金額は『ルーン』の種類によるけど……お願い! ……これからも見つけたら、私に売って」
「もちろんさ!! 君の頼みならね」

ギーシュは思わぬ臨時収入で懐が暖まり、ほくほくの笑みである。

「魔法の性質を物体に刻み込む……ふむふむ、なるほどね」
「『固定化』はともかく、トリステインでやってる人はあまり見かけないわ。たいていのマジックアイテム作成技術は失伝しているし……
魔法を通して物を作るのは一般的だけど、物に魔力を固着させるのは難しいから」
「僕は『錬金』が得意だけど、それを活かしたいね」
「頑張ってちょうだい、期待してるわ」

ルイズとギーシュはにっこりと笑いあった。
相変わらず目の焦点の合っていないルイズの笑みは、どこか背筋に寒気を感じさせるものだ。
ギーシュは一日に一度はこのゾクゾクを感じないと、最近はどこか物足りなさを感じるようになっていた。
恋人のモンモランシーは嫉妬をどんどんつのらせているが、ギーシュは気づいていない。

「ところで、さっきから何をしているんだい?」
「魔法の練習よ、まあ見てて」

ルイズはとことこと歩いていき、10メイルほど向こうの焦げ付いた石の上に木片を置いた。
戻ってくるとルイズは目を閉じた。深呼吸し、体の力を抜いた自然体をとる。

おもむろに杖をかまえ、ルーンを唱える。

『錬金!!』

ドカーン! と音が鳴り、小規模な爆発が木片を吹き飛ばした。
ギーシュは知らないことだが、ルイズは『死体爆破』の操作のコツを失敗魔法に応用したのだ。

「ほう、見事なものだね」
「うん、失敗魔法の爆発を、なんとか制御できないかと工夫してみたのよ」
「なるほど、威力も申し分ない……消耗が少なく、しかも回避不能かい? なんとも恐ろしい魔法だね」
「そうよ、これが私の魔法……射程はちょっと短いけれどね」

ルイズはその貧相な胸を張り、ギーシュに輝くような笑顔を向けた。
クラッとなるギーシュ。いかんいかん、僕にはモンモランシーがいるではないか。

「なるほど、『爆発を制御する』か……」

これは面白いアイデアかもしれないぞ、頭を働かせながら、ギーシュは表にまわった。
そこには室内厳禁の危険な薬品をいじるコルベール、それに付き合うギトーがいた。

「ごきげんようミスタ・コルベール、何をしているんですか」
「やあミスタ・グラモン、今私とミスタ・ギトーは『爆裂ポーション(Exploding Potion)』の液体を精製しているんだよ」
「火の秘薬ですか? 液体なのに、水の魔法ではないのですね」
「うむ、通常の火の秘薬、『硫黄』は火の力で精製されるものだ、これは液体なのに硫黄の何十倍も強力だ、とても新しい発想だよ」

目と頭を輝かせるコルベール。春の使い魔召喚よりこのかた、彼の頭の輝きは五割り増しである。

「ただちょっと威力が強力すぎて取り扱いに注意するがね……なのでギトー君に付き合ってもらっている」

衝撃に弱い、火に弱い、寒暖の差に弱い、日光に弱い……
ルイズの持つ『爆裂ポーション』は、当初の威力の大部分を犠牲にして、制御に特化したものなのだ。
ビンと液体だから弱い、ならば……もしかすれば、ああすればいけるんじゃないか?
ギーシュの『土のメイジ』ならではの直感が、心の中で『これがチャンスだ』と叫んでいた。

「ミスタ・コルベール!!」
「どうしたのかね、ミスタ・グラモン」
「『土』にしみこませて、固めて持ち運びできるようにすれば……」

コルベールの目が驚愕に見開かれた。ギトーも、当の発言をしたギーシュすらもが驚いている。
それは明らかに、今後の研究の発展を約束できるアイデアだった。

「す、す、素晴らしい!! それだ!! 素晴らしい発想だ!! どうして思いつかなかったんだ!!」

万感の思いを込めて、コルベールは叫んだ。

安全性と取り扱いのしやすさを高めれば、平民にだって使える。
メイジと比べ、創意工夫は平民の極めて優れた技能である。
土のメイジ頼りだった土木建築や鉱物の採掘が、これからは段違いの発展を遂げるだろう。平民の生活も楽になるはずだ。

「危険な実験のあつかいは全部、僕のゴーレム『ワルキューレ』にお任せください!」
「ああ、あなたは本当に素晴らしい生徒ですぞミスタ・グラモン! 必ずや完成させよう!!」
「はいッ!!!」



ギーシュとコルベールはこの日、ハルケギニア版『ダイナマイト』の発明家となった。

――コルベールは後年、製薬会社と爆薬会社その他で得た莫大な利益をもとに、
かつての自身のようなハルケギニアの孤独な発明家、文学作家、そして平和活動をする政治家などを支援するための制度『コルベール賞』を設立することになる。



////7-2:【学院長秘書の健闘】

虚無の曜日……本日の当直はシュヴルーズ。
『土くれのフーケ』は今夜こそを決行のタイミングと定めていた。
一年半もの潜伏、下調べ、シミュレーションは完璧、逃走経路も確保。

固定化のかかっている頑丈な壁には、時間をかけて少しずつ少しずつ、いくつも細い穴をあけていった。

隙を見つけて、この穴に例のブツをぶち込んでゆく。等間隔に、衝撃がうまく一点に伝わるように。
スクウェアメイジの固定化だって、人間がやってるぶんにはムラがある。
『土くれ』の目にかかれば、それを見抜くのはたやすい。

先日見たとおりのひどすぎる威力なら、ここまでやれば固定化の魔法だってある程度吹き飛ばしてくれるに違いない。
ギトーやオスマンさえ出て来なければ、成功率は安心レベルだ。
彼らにはその時間、別の仕事を押し付けてある。さっさと盗んでとんずらだ。

さあ宝物庫に眠る『氷の杖』、盗み出して売りさばけばいかほどになるであろうか―――



////7-3:【街は危険がいっぱいなの】

「街に行きましょう!!」

キュルケの一言に、ルイズとタバサはげんなりとした顔を見せる。
二人とも最近はあまり外に出歩くことはない、はっきり言って出不精である。
ルイズは『幽霊屋敷』にいる間は、放っておけばずっと秘術やら魔法やらマジックアイテムの研究をしつづけている。
タバサはタバサで読書ばかり。

「こんな寂しいところにこもってばかりいたら、体の心まで辛気臭さがしみついちゃうわよ」

この言葉は、キュルケの本心である。
『幽霊屋敷』にいれば退屈はしないのだが……たまに息がつまりそうになる。息抜きくらいあってもよいように思う。
なにより、ここには華がないのだ。ちょっとは年頃の女性らしく街に出て遊んだってよいではないか。

「……そんなに寂しくて辛気臭いところかしら、ここ?」

ルイズは<ホラドリック・キューブ>を弄りまわす手をとめて、何を言われたのか判らないという表情で、キュルケに顔を向けた。
この白髪の少女、相変わらず目の焦点が合っていない。キュルケはなかなかそれに慣れることができない。
ともかく、キュルケから見ると、ルイズが何を言っているのかのほうが判らない。

「当然じゃない、微妙にうす暗いし、じめじめしているし、ネズミの骨は転がってるし、死体の入った棺おけまでがあ……る、のよ……」

そこまで言ってしまってから、キュルケの背筋に冷たいものが走りはじめる。
ようやく、ルイズが何を言おうとしているのか、理解が追いついてきたからだ。


「―――こんなに華やかなのに、ほら今日もお客さんがたくさむがもが」
「はいストップ」

ルイズが虚空を指さして言った台詞をキュルケが遮り、タバサが本を取り落とし、青い顔をして立ち上がった。遅かったようである。

「……街に行く、すぐ行く」
「まあ、珍しくアクティヴですこと」

ルイズの言葉を聞き流し、タバサはそそくさと『屋敷』から出ると、口笛で使い魔のシルフィードを呼んだ。おそらく、いたたまれなくなったのであろう。
二対一、多数決である。ルイズもしぶしぶといった様子で、キューブをプライベートスタッシュへと仕舞い込んだ。
『土くれホイホイ』の罠を仕掛けられたソレは、侵入者が開けようとするとそれはもう目も当てられないことになるだろう。

どうせ制服のまま出かけるので、準備にはほとんど時間もかからない。
ルイズは換金目的の物品の詰まった袋を背負うと、髪の毛の手入れもそこそこに屋敷から出てきた。

「ちょっとルイズ、もうちょっと手入れに気をつけなさいよ、ボサボサじゃない」
「仕方ないわ、時間が足りないんだもの……あーあ、一日が40時間くらいあればいいのに」

上空、シルフィードの背の上、タバサの張ったエア・シールドの中で、キュルケはルイズの白い髪の毛にそっと櫛をいれてやる。
以前のやわらかさとピンクブロンドの輝きを失ったそれは、白くかさついていて、ひどく不健康なものに見える。まるで古びた人形のそれだ。
キュルケはそれをもったいないことだと思い、ため息をつく。

(……あれ?)

キュルケはふと手をとめる。
ルイズの髪の毛の中に、ほんの数本ほどだが、白髪ではなく、透き通るような薄い灰色の髪の毛が混ざっている。
最初は以前のような桃色がかったブロンドに戻りつつあるのか、とも思ったが、どうやらそうではないようだ。

「どうしたの? キュルケ」
「……いえ、何でもないわ」

今は白髪のそれら、すべてがこのうす灰色の髪の毛に変わったら―――
まるでルイズの呼び出したあの死体と同じような、銀色の頭髪になってしまうだろう。

良く知ったルイズが、ますます訳のわからない何か別のものへと変わってしまいつつあるのではないか。

そこまで考えて、キュルケは背筋が寒くなった。
気取られないように、そっとかぶりをふった。まだだ、まだ大丈夫なはず。
わざわざ口に出して、いたずらにこれ以上タバサを怖がらせるのも、良いことではなかろう。

やがて、シルフィードは王都トリステインの城下町に到着した。
休日ともあって、それなりに道は混雑している。
ひと目見て貴族だとわかる少女が三人歩いていれば、メイジくずれのごろつきにとっては格好のカモだ。
とはいえ三人のうち二人がトライアングルともなれば、話は別である。

どこにでも居そうな特徴の無い男とすれ違った直後、突然、キュルケが杖を取り出し、構える。

「……ちょっとルイズ、今あなたのお財布が」
「ええ気づいているわ、『拾いに』行きましょう」

ルイズは薄く笑って歩みを進めた。キュルケは目を白黒させ、杖をしまってついてゆく。
路地裏に入ると、ルイズから魔法で掏り取った財布を握り締めたまま、昏倒している男が一人。
ルイズは男へと近寄ると、財布を拾った。

―――フワン

「よくやったわ、タマちゃん」

どうやらこれはルイズの使い魔のお手柄らしい。白い髑髏の火の玉が、ちろちろと燃えている。
男はおそらく、この炎の人魂によって生命エネルギーを吸い取られてしまい、動けなくなったのだろう。
ルイズは嬉しそうに目を細め、ボーン・スピリットはルイズの周りをくるくると二三度飛び回ったあと、少女の体内へと吸い込まれるように消える。



くるり―――げしっ

笑顔を崩さないルイズは予兆もなく、振り向きざまに無言で、無抵抗な倒れている男の腹部を思い切り蹴った。
その衝撃で男が気絶から復活したのかどうか、うぐぐ、と低いうめき声が聞こえた。

「さあ行きましょう」

瞳孔が開きっぱなしの目でにっこりと笑って、ルイズは二人を促して歩き始めた。

(やっぱこの子、めっさ怖っ……)

キュルケは改めてそう思った―――抵抗できない相手にノーモーションの無言の追い討ちとか、怖すぎる。
貴族の所持金に手を出してこの程度で済んで、男にとって良かったのかもしれないが……人としてそれ以前の問題だ。
隣のタバサがぎゅっと手を握ってきたので、キュルケはそれをそっと握り返してやることしかできなかった。






////7-4:【すれちがい】

少女たち一行が、路地裏より去ってしばらく―――

(む、こりゃ……残り香?)

偶然この街に用事があってやってきた、とあるガリアの元暗殺者が、かぎなれた匂いに気づいていた。


(死の匂い……アンデッド? ……いや、かなり聖浄なもんだな……よくわかんねえ、あっちから流れついたアイテムでも使われたのか)

足元を見ると、男が倒れている。その男の顔色は青く、うぐうぐと唸っている。

(ま、最近じゃそんなこともありうるか……しっかしまあ、トリステインはボケるほど平和なもんだとばかり思っていたが)

元暗殺者の『彼』は、そっと立ち去りつつ、あごに手を当てて考える。


(……このぶんじゃ、この国もそのうちグラン・トロワやアルビオンみてえな事になっちまうかもな、くわばらくわばら)

『彼』のすこし長めのスカート、ほっそりしたラインの腰には、一本のナイフがくくりつけられていた。

(おっといけねえ、ともかく今はお使いの途中、この街には、そうとう値段が張るが良く効く秘薬があるって噂だ、買いにいかねぇと)

足早に歩みゆく『彼』の姿は、誰がどこからどう見ても、ただの少女にしか見えない。
この少女と、ルイズたちが出会うような運命は―――いましばらくのところは、無いようだ。





////7-5:【やっべ捕まった】

トリステイン城下町での買い物は滞りなく進んだ。
ルイズの持ってきた品物の換金もうまく行き、浮いたお金でチクトンネ街のレストランにクックベリーパイを食べに行ったりもした。
白髪の少女、ルイズはいつにも増して上機嫌である。

「うふふふふ……いいわあ、いいわあコレ」

帰りの道中、シルフィードの背中の上で、ルイズは鞘から少しだけ抜き出した古そうなボロ剣にほお擦りしていた。
まったく、この少女の行動は読めない―――それはいつものことだとタバサは涼しげな顔をしていたが、キュルケは呆れ顔だ。

王都にて三人は、ルイズとコルベールの調剤の仕事の都合で、途中ブルドンネ街、ピエモンの秘薬屋に寄って書簡を届けたのだった。
そのあと近くにあった武器屋に入ったところ、どうやら大きな価値のある掘り出し物を発見してしまったらしい。
それがこの錆の浮いた年代ものの剣らしいのだが。

―――カタカタカタ

ルイズがほお擦りするたびに、剣はまるで怯えるようにかたかたと柄を揺らした。

「……クスクス、そんなに怖がらなくてもいいじゃない……たっぷり人を切ってきた剣のくせに、まったく情けないわねえ」

笑顔で剣にほお擦りし、あげく剣へと話しかける目の焦点の合っていない少女。

これはちょっとアブナすぎる。
キュルケはこんなとき頼れる医者が果たして学院に居たかどうかを検討し、数秒で絶望した。どんな医者も匙を投げるだろうと思われたのだ。
まさか、剣が答えを返すはずも無い……と、思っていたのだが。

「返事してくれないのね……そうだ、親睦を深めるためにこれからは『デルりん』って呼ぼうかしら」
「か、勘弁してくれ!! んなメルヒェンな呼び名、柄(がら)じゃねえ!!」

少女三人プラス竜しかいない空の上、低い男性の声が響く。
すわ幽霊か―――とタバサがびくりと背筋を震わせたところ、やがて勘違いだと解る。

「何ソレ? インテリジェンスソード……珍しいわね」
「そうよ、本当に珍しいわ。ハルケギニアじゅう探してもこれ以上の剣はなかなか見つからないくらい」

キュルケがよく観察してみると、男性の声は、ルイズの手にした剣から発せられているようだった。
ルイズがこの剣にどんな価値を見出しているのかは、不明である。キュルケの目から見たら、ただ喋るだけの古びた剣なのだから。

「娘っこ、あんた何なんだよちくしょう、<使い手>の同類のくせに、もっとやべえ、得体が知れねぇ……何なんだよあんた、何なんだ……」
「さっきも自己紹介したじゃない、私はルイズ、トリステイン魔法学院の生徒よ」
「んなこと聞いてる訳じゃねえ、あんたに手にされてると、よくわからん深いところに飲み込まれちまいそうだ……何なんだよう、あの武器屋に戻してくれよう」

どうやら剣は、ひどく怯えているらしい。キュルケは今日この日まで、まさか生きているうちに剣に同情する日が来るとは思っても見なかった。

「うふふ、だぁめ」

ルイズはにっこり笑うと、震える剣のぼろぼろの柄に、そっと触れるようなキスをする。

「観念しなさい、あなたは私の買った剣……そして私はあなたのご主人様よ」

夕日に照らされたルイズの仕草は、傍で見守っていた同性のキュルケも思わずどきどきするほどの、不思議な魅力に満ちていた。

「だから、あなたはこれからは私の剣、私の騎士……よろしくね、デルフリンガー」

剣が黙り、震えが止まったので、それを了承と受け取ったのかルイズは満足そうに微笑んだ。





////7-6:【侵入】

空も暗くなってきたころ。
学院のはずれ、ルイズの『幽霊屋敷』では、ひとりの女性が侵入を試みていた。
ローブにフードを被り、あたりを見回し、人が居ないことを確認する仕草は怪しいことこのうえない。

ルイズたちはまだ街から戻ってきていないようだ。さきほどまで居たメイドは逃げるように帰ってしまった。
『アンロック』の呪文をとなえれば、古びたドアは不気味な音をたて、あっさりと開く。
女性は満足そうにうなずくと魔法の明かりをともし、薄暗い室内へと入っていった。

おどろおどろしい雰囲気、謎の薬品のにおい、床に散らばる動物の骨に、女性は顔をしかめる。

―――ぎいっ

冷や汗が背筋をつたう。ぼろっちい窓が風にあおられて軋んだらしい。
女性は手のひらの汗をぬぐい、杖を握り締め、室内を物色する。

室内には大きな棺おけが鎮座しており、隅のほうには宝箱。
女性はにやりと口の端をゆがめ、そろりそろりと宝箱へと近づく。
目当てはもちろん、中のマジックアイテムである。

この宝箱に入っているもの……ひょっとすると、学院の宝物庫にあるモノよりも価値があるかもしれない。
そんな期待を胸に抱き、いざ宝箱へと手をかけ―――

『""A circle of death...""』

誰もいない室内の闇に、低い性別不詳の声が響く。幻聴ではなく、確かに聞こえた。

「――っ!!」

女性は声にならない悲鳴を上げ、室内は大量の毒の煙で緑色に染まる。
窓のよろい戸が落ち、入り口の扉が閉まる。
説明するまでもないことだが、『土くれホイホイ』の罠が発動したのである。

彼女はあわててゴーレムを作り出そうと杖を構えたが、毒の煙を吸い込んだのか、やがて手から杖が落ちる。

もはや女性に逃げ場は無かった。






////7-7:【そして、捕縛】

ルイズ達は、戻ってきてすぐに『幽霊屋敷』の異変に気づいた。

「罠が発動しているわ……誰かが侵入したみたいね」
「『土くれのフーケ』かしら?」
「……いずれにせよ、油断はできないわ」

ルイズは『イロのたいまつ(Torch of Iro)』をしっかりと握ると、魔力を流す。杖の先の宝石が、ぼんやりと淡い緑色の光を放つ。

「『骨の鎧(Bone Armor)』!」

ルイズの周りに、異世界の魔獣の骨が召喚され、少女を守る盾となる。
この盾は敵の攻撃から自動的に術者の身代わりとなり、ラズマの脆弱なネクロマンサーを守ってくれるのだ。
キュルケは魔法を使えないはずのルイズが怪しい術を使ったことに驚き、目を丸くしたが、今はそれどころではない。
豊満な胸の谷間から愛用の杖を取り出し、身構える。タバサも『エナジー・シールド』を身にまとい、突入に備えている。

「皆さんどうしたのですか?」
「ミスタ・コルベール、良いところに来て下さいました! 屋敷に侵入者です、まだ中に居るかもしれません」
「ふむ……解りました、協力しましょう」

ルイズたちが戻ってくるのを待っていたらしい中年教師を、巻き込む。
これでこちらにはトライアングルメイジが三人。確実に安全とは言い切れないが、それでも心強いことこの上ないだろう。

「『クレイ・ゴーレム』! 『ボーン・スピリット』!」

万が一倒されても問題の無いゴーレム、そして『タマちゃん』を先頭に、四人は『幽霊屋敷』へと突入した。
ルイズ達が目にしたのは、倒れている人間がひとり。ゆったりとしたサイズのローブを着ているが、どうやら女性のようだ。

「ねえキュルケ、……これが『土くれのフーケ』?」
「タバサの推測は外れかしら……ミス・ロングビルじゃ無かったのね」

暗くてよくわからないが、倒れている女性の髪の色はブロンドのようだった。
体型も、ミス・ロングビルのように豊満ではない。主に胸のあたりが。

「やったわねルイズ、あたしたち……ひょっとすると『土くれのフーケ』を捕らえたのよ」
「そうねキュルケ、お城に突き出せば、金一封……いえ、シュヴァリエの称号でももらえるかしら……うふふ」

タバサが杖を取り上げ、コルベールが『錬金』で作った手枷をはめる。ルイズは愉快そうに笑った。

「ルイズ! ちょっと、この人……」

蝋燭の明かりが室内を照らし、いざ侵入者の顔を見たとき、キュルケは青ざめる。
もちろんミス・ロングビルではなかったが、どこか見覚えのある風貌をした人物だったからだ。

「……」

ルイズの笑顔も引きつった。
ルイズにとっても、見覚えのありすぎる人物だった―――それも、物心ついたばかりのころから。

「ねえルイズ、この人って、あなたの……」
「キュルケ」

ルイズは笑顔を引きつらせたまま、びしっと手を突き出し、少し低い声で、キュルケの言葉を制する。
大きく深呼吸をする。罠が発動したときの室内の毒はとっくに晴れており、窓からは月明かりが差し込んできている。

「なんてこと……チッ、アカデミーめ……もうこっちに目をつけたのかしら……早すぎない?」

少し舌打ちをして、大きくため息をつくと、ルイズは無表情になり、じっと『侵入者』の顔を眺める。
毒にやられて気を失っているのは、エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエール。
王立魔法研究所"アカデミー"の優秀な研究員であり、ルイズの11歳年上の姉である。
性格はきつめで男勝り、ルイズが絶対に頭の上がらない、大の苦手な存在のひとり。

……うわぁ…………

ルイズを見守る一同のあいだに、いたたまれない雰囲気が満ちる。

「……ちょっと、ルイズ、どうするのよ?」
「命には別状ないけれど、普段使ってるのよりもちょっと強めの毒だから、解毒剤をのませてもたぶん三日は動けないと思うんだけど……」

キュルケが心配そうな声をかけ、ルイズはあごに手を当てて思案する。ルイズは足が震えているようだが、表情はいつもどおり、平気そうなしぐさである。
タバサとコルベールもようやく侵入者の正体に気づいたようで、呆れ顔で事態を見守っている。

静寂が室内に満ちる。

どこかでフクロウの鳴き声がした。



しばらくの熟考のあと、ルイズはぽん、と手をたたくと、満面の笑顔になって、結論を言った。


「うん、埋めましょう」

笑顔のままゴーレムにスコップを用意させているルイズ――どうやら本気らしい――を、三人が必死になって止めたのは言うまでもない。





////7-8:【爆弾移送中……】

エレオノールは始終気絶したままだったが、拘束を外され、こちらへ来たときの馬車でヴァリエール公爵領へ送り返されていった。

『スミマセンスミマセン何度もお止めいたしましたのに私では力不足でしたああこんな結果になってしまい申し訳ありません命だけは』

と壊れたアルヴィーズ人形みたいな動きで平謝りするシエスタ――姉より案内を任されていたらしい――を、ルイズは笑顔で許した。

アカデミー研究員が妹の家に空き巣、などというある意味不名誉な事態は、五人の間で相談の上、秘密にされることになった。
もしも衛兵に突き出せば、いらぬ騒ぎを起こしたとしてヴァリエールの家紋に泥を塗ってしまうことになるであろう。

むろん、姉は学院へと客分としてやってきており、用意周到に妹の部屋を訪問する許可はオスマンに取っていたし、罪になることはない。
自分に逆らえない妹の部屋だから、と無断で侵入してきたのだろう。もちろんマジックアイテムを取り上げる気も満々だっただろう。
ルイズも平時であれば顔をしかめつつも普通に対応したであろうが、今は時期が悪かった。『土くれのフーケ』のせいにするしかない。

「ウフフ、さようならお姉さま、二度と会わないことを祈っているわ」

去り行く馬車へと笑顔でハンケチを振るルイズ、その妙に生気あふれる背中を見て、キュルケは本日何度目か解らなくなったため息をつく。

(倒れているところを蹴らずに済ませたのは、一応姉妹としての情があるからかしら? ……いえ、埋めようとしてたわよね、割と本気で……)

これが火種になって、そのうち姉妹の間で戦争でもおきるんじゃないかしら。
冷や汗を流しつつそんな思索をしていると、腕の中でルイズの買った剣がカタカタと震えた。

「……怖ええ、怖ええなあ、あの娘っ子……ああ、俺っちの将来が心配だあ」
「そうね……その、これからいろいろとつらいこともあるでしょうけれど……強く生きてね、応援するわ」

ひょっとすると、こいつとは良い友人になれるかしらね、とキュルケは手にした剣をそっと撫でた。
キュルケは今日この日まで、まさか生きているうちに剣と友情を結ぶ日が来るとは思っても見なかった。

今夜は二つの月がきれいね、と本塔のほうを眺めたとき、異変が起こる。



―――ドドドォン

轟音。
月夜にそびえる本塔、ならびたつのは小高い丘のように大きな黒い影。
全長三十メートルはあろうかというゴーレムだ。
タバサは口笛を吹いて自分の使い魔、シルフィードを呼んだ。

「ルイズ!」

キュルケの掛け声に、ルイズとコルベールがタバサへと駆け寄る。
シルフィードが到着し、タバサは三人へと背に乗るように促す。

「ルイズ、こっち来なさい」
「ふのっ!?」

『フライ』の使えないルイズを、キュルケが抱きあげて飛んだ。ルイズの身体は、思ったよりもずっと軽かった。
ルイズはキュルケの胸に顔が埋まってしまい、変な声を出した。呼吸が難しいようで手足をじたばたとさせている。
上空へと上がると、地上では豆粒のようなルイズのゴーレムが寂しそうに右往左往しているのが見える。

「大変、あそこは宝物庫」

タバサが杖で指した先には外壁に大きな穴を開けた本塔、拳を突き立てる巨大なゴーレム。

―――今度こそまごうことなき、『土くれのフーケ』だ。

「おかしいですな、本塔の壁には強力な固定化がかかっていたはずです、あれしきで破れるはずがない……」
「失礼ですがミスタ、今それを考えている時間はありませんわ」
「ふむ、そうですな」

杖をかまえ、呪文を唱える三人。

『『ファイアー・ボール!!』』
『アイス・ジャベリン!!』

タバサ、キュルケ、コルベールがそれぞれ得意の魔法を放つが―――ゴーレムには目にみえた効果がおきなかった。
多少は崩れたとしても、すぐに再生してしまうのだ。

「ミスタ、あの大きいのを如何にかする方法はありませんこと? ……たとえば再生できなくなるほど、粉々に吹き飛ばす道具とか」

キュルケの問いに、コルベールの額とメガネがキラリと光る。にやりと笑い、彼は言った。

「ふむ、私の研究室に置いてある『ハジける蛇くん試作Ver.』なら何とかなるかもしれません……そうですな、こんなこともあろうかと!」
「ではミスタ、それを持ってきて下さいな……あたしたちはあれの足止めをいたしますから」

なるべく早く取ってくる、と言い残し、中年教師は旋回するシルフィードより飛び降りていった。

「足止めをする、と言ってもアレはきついわね……ルイズ、何とかならない? ……って、大変!」

ずっとキュルケの胸に顔面を圧迫されていたルイズは、ぐったりふにゃりととろけた表情で、真っ白な顔色になっていた。
慌ててタバサが口の中に『回復ポーション』を突っ込むと、げほげほと咳き込みつつもルイズは復活した。

「あとで……もいでやる……」
「ひっ」

息を呑んで震えるキュルケを焦点の合わない目で一瞥したあと、ルイズはゴーレムを観察しはじめる。
―――術者を探して頂戴、と『ボーン・スピリット』を飛ばす。ルイズは自動追尾の使い魔で、賊のうかつな逃走を封じるつもりだ。

「キュルケ、さっきの剣」
「も、持ってきて無いわよ、重たかったし」
「まあいいわ、さっきのとこに置きっぱなしなのよね?」

キュルケが頷くと、ルイズは『イロのたいまつ』を握り締め、なにやら目をつぶって集中しだした。
しばらくして、地上の大きな土くれのゴーレムへと、何か小さなものがてくてくと近寄っていくのが見えた。
それはフーケのゴーレムの十分の一ほどしか背丈の無い、ルイズのゴーレムだった。よく見ると、手にデルフリンガーを掲げている。

「……何よアレ、子供と大人……いえ、子猫と象って感じね」
「うっさい、黙ってて」

さながら古い御伽噺に出てきた、風車に突撃する耄碌した騎士のようだ―――
ルイズは目を開き、まばたきもせず、ただ無表情。必要以上に瞳孔のひらいた瞳で自分の作ったゴーレムを見つめるのみ。キュルケは不安になってくる。
この盗賊のゴーレムは風車と違って俊敏に動き、腕を振り回し、その大質量でもってあらゆるものを踏み潰すのだ。

ルイズがゴーレムを作れたとは初耳だが、あんな小さなので何とかなるとでも思っているのだろうか。

ブンッ――― ドドオオッ!!

巨大なゴーレムが腕を振り、シルフィードに向かって土の塊を飛ばしてきた。相当な勢いがあり、当たればただではすまない。
タバサは巧みに風竜をあやつり、その攻撃をかいくぐって、ゴーレムのそばをかすめるように飛ぶ。
さあ、ここが射程距離―――

「『アンプリファイ・ダメージ!!』……さあ、いっけえゴーレムちゃん、ロー! ロー!」

ルイズが杖を振りかざし、まがまがしい色をした火の粉を飛ばしながら大声で叫んだ。タバサは再びシルフィードを遠ざける。
小さなクレイ・ゴーレムは手にしたデルフリンガーを振りかぶり、フーケのゴーレムの足首にぶつける。
ゴーレムに剣が扱えるはずもなく、剣術とも呼べない、ただの力任せだ。足は少しだけ崩れたようだが、むろん巨大なゴーレムは健在であった。

「な、何考えてやがる娘っ子ぉーっ! 無謀すぎる! このままじゃつぶされちまう! 助けてくれーっ!」

ルイズはゴーレムに命じ、執拗に足首を狙って攻めさせている。可哀想な剣の嘆き声が、上空のキュルケにまで聞こえてきた。
足首の崩れた部分は瞬時に再生してしまい、ルイズのゴーレムの攻撃はほとんど効果が無いようだ。
何度壊しても再生するのであれば、たしかに足を狙って倒壊させるのは定石であろうが……

「ああっ、あぶない! 踏み潰そうとしてるわ!」
「耳元で怒鳴らないで!」

キュルケがルイズの肩を掴んで怒鳴ってもルイズは聞き入れようともしない。
やがて、ルイズのささやかなゴーレムと古い剣は、キュルケの言ったとおり―――



どすぅううん!!

「ひぎゃぱあぁ!!」

剣の悲鳴すら飲み込んで、無惨にも踏み潰されてしまった。


「……ああ、やられちゃった……言わんこっちゃ無いわ」
「大丈夫、まあ見ててよ」

キュルケとタバサは顔を見合わせる。やはりルイズには何か策があったのだろうか?

―――ぐらっ 

どどどどぉーん

思索は轟音によって中断される。

三人の見守るなか、フーケの巨大なゴーレムは、ルイズのゴーレムを踏み潰したその足から崩れてゆき、バランスを崩し、倒れる。
月夜にもうもうたる土煙の舞う中、やがてゴーレムは完全にもとの土くれへと戻っていってしまった。

いったい何が起こったのだろう?

「うふふ……デルフリンガーはね、魔法を吸い取ってくれるのよ……魔法構造物が相手なら、効果はばつぐんってところかしら!」

ルイズは自慢げにそう説明した―――らん、たたらてぃうん♪……などと、ひどく上機嫌そうに、鼻歌まで飛び出してきた。
キュルケはあいた口が塞がらなかった。

「―――仕留めなさい! 『ボーン・スピリット』!!」

ルイズのゴーレムと同じように、フーケのゴーレムも囮だったのであろう、土煙とこの混乱にまぎれて逃げ去ろうとしている人影があった。
極めて高い誘導性を持つがゆえ、対人戦に無類の強さを発揮するボーン・スピリットから、果たして逃げきれるか―――と、ルイズは哂う。

ずぅおんっ―――!!

とたん、シルフィードへと飛来する攻撃魔法。
『ストーン・バレット』だ、錬金で作られたいくつもの槍が風切り音をならし、あわてて高度を下げたシルフィードのそばを、掠めてとおりすぎる。
直撃コースのものには、ルイズの周囲に展開されていた『骨の鎧(Bone Armor)』が反応し、ひとつが身代わりとなってその攻撃を受けた。

乾いた音、ばらばらに砕け散る盾、砕け散る石のつぶて。白い髪の毛が風にまくられて、ばっと翻(ひるがえ)る。



すっ―――たらり

石の破片がかすったのか、ルイズの頬からひとすじの血が流れた。ルイズは微塵もひるんだ様子をみせずに虚空をみつめており―――

「……うふふ、ははっ……あはっ、あーっはっはっはは! あーっはっは!!! ははっ、あーーーははあははははっは」

笑った。それはもう、心のそこから楽しそうに。ははは、ははは―――
『イロのたいまつ』が発光し、空中に緑色の模様を描く。ルイズの体中から、青白い霊気がたちのぼる。
唇の端は孤(こ)のように吊り上げられ、見開かれた目ははてしなくうす昏(ぐら)い深みをたたえ、まるで周囲の光さえも吸い取っているようである。

…………あはは、ハハハ、ははは―――

タバサが震える手でキュルケの二の腕を掴んできた。もう限界らしい。
キュルケは、良く頑張ったわ、とタバサをそっと抱きよせてやりながら、笑い続けるルイズを見て、思った―――

……

―――……

―――どうみても手遅れです本当にありがとうございました

「あははは!! ……みぃつけた!! そこ! そこね! 今いくわ待ってて! ねえ! あっ―――………待ちなさぁあいそこのおッ!!!」

さあっ―――と、周囲を警戒していた白い炎のガイコツの人魂がびくんと跳ね、空を走る。ルイズから流れ込む霊気をその身に宿し、不気味に輝く。
目標を発見し、光の尾をまきちらし、矢のように飛び、逃げようとしている黒い影―――土くれのフーケへと襲い掛かる。

ルイズに襲われているのはフーケだというのに、キュルケの腕の中のタバサが「ごめんなさい、母さま、母さま」と耳をふさいで怯えていた。
キュルケはタバサをぎゅっと抱きしめて、気づけば、大丈夫、大丈夫、大丈夫、となんども繰り返していた―――まるで自分に言い聞かせるかのように。
はいもちろん待ちますわルイズ、ごめんなさいね、でもあたしとタバサは何を待てば……

バシッ―――

直撃を示す閃光、鈍い炸裂音のあと、小さな悲鳴が聞こえ、影は倒れた。
ルイズの頬の傷が―――おそらく使い魔がたったいま敵から吸い取った生命力を還元されたのだろう、みるみるうちに塞がっていった。

―――こうして『土くれのフーケ』はあっさりと捕縛されることになる。


結局のところ、コルベールの出番は無かった。秘蔵の発明品『ハジける蛇くん試作Ver.』は、どこを探しても見つからなかったという。
あとで判明することだが、フーケが宝物庫の壁を破るために盗み出しており、すでに使用されていたのだった。
それがいけなかった、とフーケは獄中で語った―――威力が強力すぎて天井まで崩壊し、目当てのお宝が瓦礫に埋まってしまったのだそうだ。
逃げる時間が遅れ、やむなく戦闘するしかなかったのだという。

コルベールはギトーを連れて現れたが、すでに事件がひと段落していたことに安堵しつつも、どこかがっかりとしていた。
彼の残り少ない頭髪も、寂しげに風にゆれていた。


「畜生……焼きが回ったね」
「驚いた、まだ意識があったのね……よほど生命力に溢れていたのかしら」
「フン、こんな商売やってりゃね、……しぶとくないと、生き延びられないもんさ」

土くれのフーケ―――ミス・ロングビルは、真っ青な顔をしており、血の気の抜けた紫色の唇がぶるぶると寒そうに震えていた。
シルフィードから降り立ったルイズたち三人を、親の敵でも眺めるかのようににらみつけている。
逃げようにも体が動かないようで、杖を取り上げられおとなしく拘束を受け入れた。

「きっと縛り首でしょうけど……来世は幸多き生涯を送れるようになるといいわね……ミミズかオケラかアメンボか知らないけれど」

私は差別しないわよ、友達になれるかもしれないわ……うふふ、と言いながらルイズはにやりと微笑み、しゃがみこんで、ロングビルの冷たい頬を撫でた。
フーケが嫌そうにすこし身をよじった。たっぷりと体力を吸い取られたフーケの冷え切った体温よりも、ルイズの手のほうがずっと冷たかったからだ。

ルイズの目には、悲しそうな色をした多くの幽霊たちの姿が映っている。何かが出来る訳でもなかろうに、みな、ルイズを取り囲んでいる。
まるでこの盗賊を守ろうとしているかのように。

(……へぇ、こいつ、愛されてるわね……やりにくいわ)

どうやらこれでも、よほど人望のある女らしい。フーケに憑く幽霊たちは、夫婦だとわかる若い男女ばかり。いわゆるアルビオン趣味の服装だ。
きっとこの盗賊は、いまだ内乱うずまくアルビオン出身で、その戦災孤児たちを何人も引き取って育てているのだろう。
世の中とはかくも厳しいものなのか、とルイズは少し寂しく思った。


ぴん―――額から背中へと針と糸の通るような感覚……ふと、相手の運命の一端がかいま見える。ルイズは気づいた。

「あれ……不思議! あなた、まだ死相が出ていないわ、相当に悪運が強いのかしら」
「……本当かい? 慰めは要らないよ」

ルイズの一言に、ロングビルが反応する。どうやらこの不気味な白髪のメイジの占いは当たるらしいと、学院内でも噂になっているのだそうだ。

「でも、ろくな仲間に恵まれないわ……もし逃げおおせたとしても、もっとたちの悪いやつに捕まるわよ」
「ふふっ、そりゃあ大変だ……あんたよりたちの悪そうな奴なんてそう居ないと思うがね―――せいぜい気をつけることにするさ」

ロングビルは観念したように薄く笑い、瞳を閉じた。体力の限界だったらしい。

(……あれ、どう見ても普段どおりの白髪よね……さっきのは見間違いだわ……そうにちがいないわ、たぶん)

キュルケの目には―――タバサをなだめるのに必死で、あまり直視できなかったが―――
先ほどの戦闘中のルイズの白い髪の毛が、銀色に輝いていたように見えていた。

視線の先のルイズは、満面の笑みを浮かべながら、フーケから奪い返した『氷の杖』とやらを手にして嬉しそうにいじくりまわしている。
あの様子では、土の山に埋まったままの今回一番の功労者―――デルフリンガーが救出されるのは、かなり後のことになりそうだ。

―――世間を騒がせていた土くれの盗賊事件は、幕を閉じた。

今はこの頼りになる友人が、どこかこれ以上に遠いところへ行ってしまわない事を、ただ祈るのみであろう。
土煙の晴れた夜空には、二つの月が並んでいる。
先ほどの戦闘中にキュルケが見た、月の光に照らされたルイズの哄笑(こうしょう)は、この世のものとは思えない恐ろしいものだったから。




(でも……ま、今さらよね……)

この先どう間違えても、今以上ひどいことには成りようがない、そうにちがいないわ……さあ楽しいことを考えましょう、そうしましょう。

こうしてキュルケは現実逃避し、明日行われるであろうフリッグの舞踏会のドレスのことを考え始めた。


////【次回、舞踏会……へと続く】



[12668] その8:美しい、まぶしい
Name: 歯科猫◆93b518d2 ID:b582cd8c
Date: 2009/10/19 14:51
////8-1:【フラグが立ちました】

『土くれのフーケはゼロのルイズに呪い殺された』

『ゼロのルイズは土くれのゴーレムを宝物庫の壁ごと爆破した』
『ゼロのルイズに近づくとあたりに誰も居ないのに男性の声が聞こえる』

白髪のメイジ、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールについての学内の噂はエスカレートしてゆく。
微熱のキュルケや雪風のタバサはそれを快く思っていないが、本人であるルイズは気にした風もない。


『ネクロマンサー(Necromancer)』と呼ばれるラズマの聖職者はそもそもが、他の一般人との間に自ら線を引いて生きる、超然たる存在である。
彼らは通常の人とは異なり、『偉大なる存在の円環』のすぐとなりに生きており、そのゆらぎを通してものごとを見ている。
サンクチュアリにおいてさえも一般に忌み嫌われ、畏怖されるラズマ僧は通常の人たちとは異なった倫理のもとに生きている。

だから、ハルケギニアでたった一人のネクロマンサーであるルイズは、多少怖がられたり敬遠されたりしているほうが生活しやすいと、むしろこの状況を喜んでいるようだ。
もともと彼女には友達も少なかったから、噂によるダメージもほとんど無かったという理由もあるが。


『ゼロのルイズはネズミの死体をおやつにティータイムを楽しんでいる』
『ゼロのルイズは死体に性的な興奮を覚える趣味だ』

本人が気にしないからといって、周囲の者たちにとっては、たまったものではない。

キュルケとタバサは言わずもがな、モンモランシーなどは可哀想なほどにそれらの噂を気にしている。
なにしろ彼女の恋人のギーシュがルイズの住んでいる物置小屋、『幽霊屋敷』と呼ばれるそこにしょっちゅう遊びに行っているのだ。

このままでは、ギーシュについてもあまりよくない噂が立つかもしれない。

モンモランシーが彼に何をしているのかを聞いても、あまり詳しいことは教えてもらえない。
もうけ話と魔法の研究だ、今にもっと大もうけするから見まもっていてくれ、という彼の主張を信じるほか無い。

じじつ、最近の彼は妙にお金を稼いでいるようなので、その主張を信じることもある程度出来ないこともないのだが。
ギーシュに貰った綺麗な誕生石の指輪を手のひらで転がしつつ、モンモランシーは今日も彼氏の浮気がないことを祈って悶々としている。


さて―――

今夜はフリッグの舞踏会。互いを想いあっているカップルが一緒に踊れば、将来必ず結ばれるという。
この指輪はちょっとサイズがゆるすぎたのだが、直すには時間が足りないだろう。今夜はこの指輪をつけて、ギーシュと踊ろうか―――

「あっ……」

しまった、とモンモランシーは目を見開く。

手から零れ落ちた指輪は、レビテーションの魔法をかける暇もなく、ころころと螺旋階段を転がり落ちていってしまった。
転ばないようにスカートのすそを掴みながら、あわてて階段を駆け下りる。

「あなたの落し物ですか? ミス・モンモランシ」
「……ええそうよ、拾って下さったのね、礼を言うわ」
「いえ」

階下では、黒髪のメイドが指輪を拾い上げ首をかしげていた。ハルケギニアに黒髪は珍しい。
なので、彼女には見覚えがあった。たしか以前、ギーシュが香水のビンを落としたときに拾ったのも、彼女だったはず。
よくもまあ落し物を拾うメイドだ、とモンモランシーは苦笑した。

「それでは、私はこれで……」
「待ちなさい、ええとあなた確か、ゼロのルイズの」

指輪を返し、礼をして立ち去ろうとしたメイドを、モンモランシーが呼び止めた。ルイズの名を聞くと、メイドの顔がこわばった。

(そういえばこの娘って、『生け贄』なのよね)

周囲から誰もやりたがらない仕事―――ゼロのルイズの世話―――を押し付けられ、ほとんど専属になってしまったメイドが居て、陰では『生け贄』と呼ばれている、と聞いた。
モンモランシーも、『幽霊屋敷』の近くでよく彼女を見かけることがあったのを思い出した。
そんなときいつも、通常平民が貴族を恐れる以上に、この哀れなメイドはゼロのルイズのことを怖がっていたものだ。

なんと不憫な、とモンモランシーはため息をつく。

「お礼をさせて頂戴」
「いえ、私などに」
「構わないから……そうだ、少しお話でもしましょう、お茶に付き合ってくださいな」

モンモランシ家は、とくに裕福といった家柄ではない。むしろ領地の干拓事業の失敗により、家計は火の車である。
なので娘であるモンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシも、小遣いなどは自作の香水を売ることによって自分でまかなっている。
彼女の部屋の中は飾り気も少なく、薬品や調合器具が壁の棚を占めている。

「驚いた? 自分でも思うけど、貴族の部屋には見えないでしょう」
「あ、いえ」

シエスタと名乗ったメイドは、恐縮しつつも部屋へと入ってきた。とくに驚いた様子はない。
考えてみれば、彼女はゼロのルイズの世話をしているのだ、あの白髪のメイジの『幽霊屋敷』ほど貴族らしからぬ部屋もないだろう。
モンモランシーは内心苦笑しつつ、シエスタを席に着かせ、二人分の紅茶を淹れる。

「お、恐れ入ります……」
「そんなにかしこまらなくて良いわよ、どうかくつろいで頂戴」

モンモランシーはメイドを労わり、クッキーを振舞い、たくさんの優しい言葉をかけてやった。
メイドは最初は緊張しているようだったが、次第に顔をほころばせ、笑顔を見せるようになった。
しまいには「貴族様にこんなに優しくしていただけるなんて」と涙まで流し始めてしまい、モンモランシーは慌てた。

「……ゼロのルイズって、そんなにあなたに辛くあたってるのかしら、ひどいやつね」
「いえ、そういうことはありませんが……」

メイドはゼロのルイズの話をとつとつと語り始めた。

いわく、近づきがたい雰囲気こそあれど傲慢な振る舞いはしない、むしろ貴族の中ではやさしい部類に入る、と。
では、なぜ涙まで流すのか―――興味を持ったモンモランシーは、ゼロのルイズの生態に興味を持ち、話を聞くことにした。

シエスタが屋敷とは名ばかりの物置小屋に行くのは、午前の授業の時間と、茶の時間と、朝昼夕刻の食事時。
『幽霊屋敷』のあだ名にたがわず、しめっぽくあまり日が差さない。ときに理由も無く背筋が冷たくなる。

夕食は食堂で取れ―――とルイズの素行不良をとがめた学院長秘書のミス・ロングビルは、行方不明になったらしい。
なので『逆らえるものがゼロのルイズ』という称号が追加されたそうだ。
そんなわけで結局ルイズは夕食時も食堂へ向かわず、今までどおりシエスタに屋敷まで運んできてもらっている。

授業のない日のシエスタの出向く時間、ルイズは基本的に屋敷では本を読んでいるか、小さなパズルのような箱をいじくっているかのどちらかである。
とつぜん立ち上がっては机に向かい、すごい勢いで紙にペンを走らせはじめる。
平民のなかでは珍しく読み書きのできることが自慢のシエスタにも読めない、不思議な文字だ。

床に散らばるそういう紙を片付けておくのは、ルイズが授業に行っている間にたいていシエスタがやっている。
不意打ちでどうみても血液にしか見えない液体のしみこんだ紙を発見することがあり、シエスタは悲鳴をあげる。
それがうす暗がりでぼんやり発光していたりなんかして、人の顔らしきものが映っていたりすると、もう逃げ出すしかない。

掃除は大変だ。天井にはいつもクモの巣が張っている。何度とりのぞいても、二、三日するとまたすぐに出来てしまう。
ある日など、こうもりがずらりと並んでぶらさがって居たりして、ばさばさと一斉に飛びたつやいなや、シエスタは悲鳴をあげて逃げ出す。
小屋の裏では毒蛇を何匹か飼っているらしく、いつ逃げ出して自分に噛み付くものかは解ったものではない。

ときどき何の骨だかわからないが、たいていはネズミの骨……とにかくいつも床に骨が落ちている。スリッパ越しでも踏むと痛い。
ルイズが床に寝ることもあるので、シエスタは綺麗に掃除しなければならない。
ある時などは、どこから取ってきたのかオーク鬼の骨がまるごと一体分転がっており、シエスタは悲鳴をあげて逃げ出す。

今日の話だが、誰も居ないのにしくしくと泣き声が聞こえた。男性の声だ。
そこのメイド、こっちに来い、助けてくれ、ここから連れ出してくれよう、といわれ、シエスタは悲鳴を上げ両耳をふさいで逃げる。
部屋の中のものにうかつに触ると危険なのは、身にしみて解っているからだ。

以前などうっかり壷(JAR)を割ってしまったとき、毒の霧が発生してひどいことになったものだ。涙と鼻水で顔中をぬらし、必死で逃げまくった。
あげくの果てには髪の毛と愛用のメイド服に薬品のにおいが染み付いてしまい、厨房の仕事に行ったらメイド仲間たちに嫌な顔をされた。
泣きながら洗濯をしていると、雪風のタバサが現れ、魔法で匂いを取ってくれた。

ゼロのルイズは恐ろしいが、なぜだか『幽霊屋敷』を訪れる者たちは多く、その友人たちはみなシエスタにも気を遣ってくれる、好感の持てる人物ばかりだという。
とくにタバサやギーシュはシエスタに対し、一定の敬意を払ってくれるそうだ。

「……へぇ、ギーシュが?」
「はい、ミスタ・グラモンも御優しい方です……このあいだは重いものを運ぶとき、手伝ってくださいました」

恋人のことをほめられて、モンモランシーはすこし機嫌が良くなる。
ついでとばかりにモンモランシーは気になっていたこと、(実のところは一番聞きたかったことだが)ギーシュとルイズとの関係を尋ねてみた。
が、シエスタから見ても、今のところあの二人にそんな素振りは無く、せいぜい良き友人といったところだそうだ。


(やっぱり……生きている人間相手に性的興奮はおきないのかしら?)

生徒たちの間でまことしやかにささやかれる、『ゼロのルイズは死体に性的な興奮を覚える趣味だ』という噂を思い出す。
いくらあの薄気味悪い白髪のメイジ、ゼロのルイズについての噂とはいえ、そこまで言うのは貴族として、いや人としてどうなのかとモンモランシーも思う。

(でも、万が一そうだったら安心かもしれないわよね……取られる心配しなくて良くなるんだから)

だが少女であり噂好きという点においては、モンモランシーも他の生徒と同様であった。口にこそ出さないので、ただ思う分には自由だろう。
例の噂が事実にせよそうでないにせよ、やはり二人の間に怪しいことがなさそうだと証言が取れたのはモンモランシーにとっては良いことだった。

ただ、モンモランシーの上機嫌も、シエスタの口から次の話を聞くまでだった。

「部屋の中に、大きな棺おけがあって……ミス・ヴァリエールはたまにそこに寄りかかったまま、幸せそうな表情で眠っておられます」

―――マジなのか。

性的な意味なのかどうかは知らないが、マジで死体を愛でる趣味というのは洒落にならない。むしろ、想像したぶんだけ具合が悪くなる。
たった今の今までぬるくなっても美味しいと感じていた紅茶の味も、一気にまずくなってしまった。
そして、悪い想像は、ますます悪い想像を呼ぶものだ。



ゼロのルイズの性癖に関する噂が本当だと仮定して―――

もし、死体しか愛でられないのだとすれば―――

だからもし、ゼロのルイズに気に入った異性が現れれば、どうするのか―――

「あ―――あの、ミス―――」

ギーシュは愛でられてこそいないが、気に入られてはいる―――

今のところギーシュがルイズに気に入られているとはいえ愛でられていないのは、生きているから、すなわち死体ではないからで―――

ゼロのルイズが性欲をもてあましたら、近くにいる年の近い男性はギーシュだけで―――

悪い想像は加速し、とどまるところを知らない。




―――結論。

『ゼロのルイズが性欲を持て余せばギーシュの命があぶない』



いつしかモンモランシーの顔色は真っ青になり、紅茶のカップを持つ手は震え、背筋にはだらだらと汗が流れていた。
悪い思考のドツボに嵌ってしまったモンモランシーには、その場面がありありと想像できる。


『あなたのこと、わりと好きよ……だから、ウフフフ―――ちょっと、死体になって下さらない?』


暗闇に飛び散る血液、錆の浮いた古い剣で胸を突かれて倒れ伏すギーシュ・ド・グラモン、返り血を全身に浴びて高笑いする白髪のメイジ―――


「―――ミス、ミス・モンモランシ、だ、大丈夫ですか!? しっかりして下さい!」
「はっ!?」

まるで悪夢のような想像スパイラルから抜け出せたのは、シエスタの呼びかけのお陰だった。
モンモランシーは椅子を倒して勢いよく立ち上がると、がしっと目の前のメイドの手を握る。

「大変だわ! どうしましょう!」

事情を説明されたシエスタは、心底ルイズ・フランソワーズのことを怖がっているので、『そんなことはない』とのひとことが言えなかった。
『ギーシュの命を守るため』に結託した二人は、その後半時ほどああでもないこうでもないと相談しあった。
やがて出た結論は、微熱のキュルケ、雪風のタバサの二人に相談し、協力を願おうというものだった。

余談では有るが、学生たちの間では『コルベール死亡説』が根強く噂されているため、彼に相談しようという話はかけらも出なかった。

「早速あの二人を探しに行きましょう、シエスタも付き合ってくださる?」
「ええ、かしこまりました」

二人は紅茶セットを片付け、部屋を出る。
このころにはもう、モンモランシーはこのシエスタというメイドに好感を抱いていたし、シエスタはモンモランシーにある種の親愛の情を抱いていた。
この二人の間には、間違いなく友情があった。
シエスタは先ほど泣いた理由を『こんなに優しい方もいるのに、今まで貴族に良い感情をもっていなかった自分が恥ずかしい』と語った。
それを聞いたモンモランシーは、いたく感銘を受け、思わず涙ぐんだ―――なんて健気な娘なんでしょう、と。

―――心の友となった二人は誓い合う。己の境遇を嘆くだけではなく、積極的に行動しよう、互いに助力は惜しまない、と。

(それでも心配よね……もしギーシュのほうがルイズに惹かれてしまえば……)

恋は障害が多いほど燃えるものだ、と人は語る。命を懸けた恋愛こそ、空想好きの女子の好む話だ。
当事者にとってみればたまったものではないのも、お約束というものだろう。

(いっそのこと……惚れ薬でも作ろうかしら?)

惚れ薬は禁制の品で、作成や使用は犯罪だ。
モンモランシーは『恋人の命を救うためなら、禁制品のひとつやふたつ』と考えた。


―――このときの彼女の着想がのちに、ルイズと仲間たちとの間に大きな騒動を巻き起こすことになる。
いつだか予言された、そのとおりに。



////8-2:【想像せよ(Imagine)!!】

モンモランシーとシエスタが部屋を出たころ……
ゼロのルイズは、オールド・オスマンの部屋を訪れていた。

「『氷の杖』の由来を語れ、じゃと? ……ううむ、どうして君が知りたがるのかを知れんと、話せんのう」
(訳:そちらの情報は殆ど話してくれんくせに、虫がよすぎではないかの……モートソグニルも虐められたしのう)

「取り返したのは私たちですわ、私たちがいなければ、そのままフーケに盗まれていたのです。聞かせて貰ってもよろしいかと」
(訳:このジジイがフーケを秘書として雇ったせいで、実の姉を毒殺しかけたのよね私ってば……思わず埋めるところだったわ)

ルイズとオスマンは、表面上はにこやかな笑みを浮かべながらも、先ほどから何度も噛み合わない話と皮肉の応酬を繰り返している。
オスマンの執務室にはこの二人しかいないが、もしほかに誰かがいたら二人の間に火花が散っているようにも見えたことだろう。

「取り返した礼には、ほれ、シュヴァリエの称号が与えられることになってるじゃろうに……あまり欲張るのはいけんぞ」
(訳:もっと情報を引き出してやらんと、もとが取れんぞい……この絶壁ガキ、もっと胸も尻も大きくなってから出直してこいっつーの)

「それはフーケの捕縛に対する正当な報酬ですわ、オールド・オスマンの個人的な所蔵品を取り返した報酬は頂いておりませんの」
(訳:どうせフーケは逃げるでしょうから、シュヴァリエなんてすぐ取り消しになるんでしょう、んなもん要らんのよスケベジジイ死なないかな)

髭を撫でながら人好きのしそうな笑顔を浮かべるオスマン、額には青筋が数本浮いている。
薄く微笑むルイズの目は瞳孔がいっぱいいっぱいに開いており、ツヤが消えている。


「おっほっほ」
「うふふふふ」


一触即発の空気。空間がぐんにゃりと歪む。
貴族同士の決闘は禁じられているが、いくらでもやりようはある、と言わんばかりだ。

ド ド ド ド ド ―――

ルイズがポケットに手を入れ……そこから、<?ぶき>を取り出した。

それは想像を絶する破壊力を持っていた。
オスマンはそれを見て真顔になり、一筋の汗を流し、ごくりとつばを飲んだ。
いわばIMの呪いを掛けられた状態に気づかずチャージで突撃してしまったパラの心境だろう。

「ぐっ……なるほど、おぬしを部屋に迎え入れた時点で、ワシは既に」
「そう、私の要求を呑むほかなかったのですわ」

ルイズは目を細め、口の端を吊り上げた。
まるで汚いものでも触ってしまったかのように、指先でつまんだそれをオスマンへと放りなげた。
オスマンは満足そうに微笑むと、その布切れを引き出しの中に仕舞った。

「よし、それでは『氷の杖』について話してやろうかの」

オスマンは咳払いをひとつして、話を始めた。




―――さて、そのころモンモランシーとシエスタは、寮の自室へと帰ろうとしているキュルケに遭遇していた。
キュルケは頬を真っ赤にそめつつ、やけに小さな歩幅で、いつもの短いスカートを両手で抑えながら歩いていた。

『もがれる』代わりに『剥ぎ取られた』と、キュルケは語った―――何をか、とはあえてここで説明するまでもないことだろう。




////8-3:【はーとふる】

オスマンから話を聞き終えたルイズは、落胆していた。
ミョズニトニルンの能力で調べた『氷の杖』は、サンクチュアリのアイテムだった。
これまでにルイズが見つけたサンクチュアリの品々は、どうやってハルケギニアに来たのかが不明なアイテムばかりだった。

ルイズのもくろみは、それら品々を持ち込んだ人物と会いたいということだ。
敵対的でなければ誰でもよい、もしもその人物と会うことが出来たならば、ルイズの目的が果たせるかもしれない。

ルイズの目的とは、司教トラン=オウルの遺体をサンクチュアリへと送り返すことだから。
向こうの世界に居たことがあり、<ウェイポイント>を使用したことのある人物と出会うことができ、取引を行えば。
その人物は向こうのウェイポイント履歴を持っている。
その人物は故郷、サンクチュアリへと戻りたがっているかもしれない。ルイズにはウェイポイントの作成技術があり、その願いをかなえることが可能かもしれない。
帰るつもりがなくとも、ルイズには他にも黄金の霊薬など、取引材料はある。
向こうからタウンポータルを開いてもらえば、向こうの世界とこちらとをつなげることも出来るかもしれない。

それが無理そうなら、せめて遺体だけでも向こうの世界へと連れて行ってもらえないだろうか。
そう考えていたルイズは、所詮は皮算用だった、と落胆していた。

『あれはのう、恩人の形見なんじゃよ』

オスマンの言うところの恩人、『氷の杖』の所持者は、とっくの昔に亡くなっていたのだ。

あまりに役に立たない情報だったので、ルイズは『氷の杖』が実は『バリスタ(Ballista)』と呼ばれる弩(いしゆみ、クロスボウ)の一種であったことをオスマンに伝えなかった。
今は弦の部分が紛失しており杖にしか見えないが、修復すればあらゆる敵を貫通する凍結の矢を放つ、きわめて強力な武器となったことであろう。

(ま、持ち主を探すだけ無駄だって解っただけでも収穫か……それにしてもヘンな名前だったわね、『Buriza-do Kyanon』かあ)

ルイズに武器を修理するだけの技術は無いし、いつか修理できたとしても、あれはよほどの経験や膂力、器用さがないと扱えない武器だ。
ルイズは強い興味こそ感じれど、いまのところ手元に置く必要性を感じていない。
ひとつため息をつくと、別の方法を考え始めた。

(……ガリアへ潜入して、タバサの杖を作った人を探すしかないのかしら)

ひどく手間のかかる、危険な方法だろう。
最悪、彼も亡くなっている可能性もある。
そうだったら、地道に野良モンスターや野良アイテムのルーツをたどって、向こうと直接つながっている道を探さなければならない。
それらモンスターやアイテムもただコモン・マジックで召喚されただけ、なのであれば手詰まりだ。生涯をかけて送還魔法を開発しなくてはならなくなる。

(先は長いわね、もうとっくに覚悟は決めている……このくらいで落ち込んでいたらやってられないわ)

大量の魔物たちに襲われるラズマ地下都市の惨状が、ルイズの脳裏にこびりついて離れない。
ただひとつルイズにとって救いともよべない救いなのは、サンクチュアリとハルケギニアが、同じ時間軸を共有していないということだ。
運命の流れが割り込んでしまったこちらから見れば、向こうの時間は、ルイズが遺体を送還するまで凍結されたまま―――しおりを挟まれて閉じられた本のように、物語が進まない。

そのかわりルイズは自らの生涯が終わるまでという猶予のようなものを与えられているのだが……

これから地獄の軍勢と対峙し討ち果たさんとする多くの人々の覚悟を、ルイズの文字通りに小さな肩が、すべて背負っているということになるのだ。
責任はあまりに重い。誇り高いルイズは、そのために自分の命を投げ出したって構わないと思っている。
もちろん、遺体を帰すまでは何がなんでも死ねない、とも思っているが。

髪の毛が白くなろうと、手足をもがれようと、自分がヒト以外の何者かに変わってしまおうとかまわない。
ラズマの秘儀を学び始めて、<存在の偉大なる環>に触れ、霊力に体が慣れてくると、ルイズは自分の体調にじわじわと変化が始まっていることに気づいた。

最近、肉を美味しく食べることが出来なくなってきた。料理を残すことに強い悲しみを覚えるので、無理やり食べているが。
頭髪が細く、光を透過するようになってきた。肌の色素も少なくなってきた。
生理の周期がずれ、痛みがひどく重たくなった。
怒りっぽくなったり、理由も無く悲しくなったり、何もしていないのに楽しくてしかたがなくなったり、感情の触れ幅も激しい。
はしばみ草の苦味が異常なほどに美味しく感じられたこともある。

そんな不安定な内面を抑え、ルイズは強い意志でもって平静を装っている。

(……まあ、いいか)

ラズマの秘伝書にも、生と死との平面に立つネクロマンサーの修行過程では、そういうことが起こりがちだ、と書いてあった。
『存在の偉大なる環』に触れることで、その中の自分の居場所と、自己の肉体および自己イメージとの間のズレの修正が始まったことが原因だという。
ルイズの中にも、どこか落ち着くべき場所へと向かっている感覚がある。自分の体が自分の本来あるべき姿を模索している、副作用なのだろう。
だから、とくに心配はしていないし、自分を軽視しているつもりもない。

左手に秘伝書、右手に『イロのたいまつ』を携え、ルイズは今日もネクロマンサーとしての修行に励む。
ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは強く誇り高き少女である―――もし他人の目から見たのならば、いとも危うい覚悟に見えるかもしれない。

(そういえば、今夜はフリッグの舞踏会だったっけ)

去年までは楽しみにしていたなあ、意中の相手もいないのに、と思い出す。

(まあ、いいか)

サボタージュを決め込んだルイズは、夜、『幽霊屋敷』にて読書中のところをキュルケによって引っ張り出されることになる。
白髪に合わせて選ばれた血の様に赤いドレスを着て、焦点の合わない目で微笑むルイズは、果てしなく不気味だったという。

ここまできたら仕方ない、パーティを楽しもう。
そう決めたルイズは、自分と踊ろうという度胸のある男が現れたら喜んで踊ってやろうか、くらいの心積もりだったのだが……

結局ゼロのルイズと踊ろうなどという相手はただのひとりも存在せず、バルコニーにてデルフリンガーとのお喋りタイムとなり果てたそうだ。

うふふ、でるりん、うふふ……
よせやいよせやい、おいさわるなよちかづくな……




さておき。





―――時は過ぎ、深夜。

北花壇騎士七号、雪風のタバサはガリアから『任務』で呼び出しを受け、ひとりそっと寮を抜け出す。任務の内容は、まだ知らない。
消費したポーションを補充しなければならない。タバサは震える体をおさえ、すくむ足を必死に動かし、怖い怖い夜の『幽霊屋敷』へと向かった。


そこでタバサは、信じられないものを目にする―――

おそらくあの古いインテリジェンスソードのものと思われる、調子っぱずれの歌声に興味を引かれ、裏庭を覗いたとき。
その光景が
目に飛び込んできた。

二つの月が照らす幽霊屋敷の裏、
明らかにオーク鬼のものだとわかる大柄な骸骨と
手を取り合い
楽しげに
踊る、白髪の少女の姿。

全身をうすぼんやりと青白く発光させ―――

宵闇に舞う赤いドレス、少女の弓のようにつり上がった口、黄昏よりも昏い目、骨のうつろな音がリズムを刻み、楽しげな彼岸の笑い声がひびく。
剣の音程のゆがんだ歌声、骨のネズミが足元をくるくると回り、白い人魂が二人の頭上をゆらゆらふわふわと飛び回り、光の粉を降らせている。

―――ふわふわぱ 

くるくるぽん―――

―――ふわらふわり

くるりくるん―――

思わず、タバサは目を見開いてしまう。
あまりに恐ろしい光景であり、同時にこの世のどこにもあり得ないような―――それはもう、幻想的なものでもあった。


―――ああ、なんて美しい。


コレは現実の光景なのだろうか、それともわたしは今眠っていて夢を見ているのだろうか、ああ―――

―――半時、いや実際には数分ほどだったのだろうか、いつのまにかタバサは時間を忘れて、生者と死者との輪廻のような舞踏に見入っていた。
不意にルイズの動きが止まる。


光どころか魂までも引きずり込まれそうなほど深い深い目でタバサを見て、少女は哂った。
にいっ、と耳のあたりまで裂けているんじゃないかと思うほどに高く高く口のはしを吊り上げた。





そして言った。

「―――見たわね」

タバサは気絶した。




////8-4:【振り向けば赤いおべべ】

タバサが呼び出しの時刻に遅れずにプチ・トロワへと出向くことができたのは、以前ルイズがガリア山中との間に開通させたウェイポイントのおかげであった。
よくもまあ取って食われなかったものだ、と目を覚ましたときのタバサは自分の体がちゃんとあることに心から感謝した。

白髪のメイジ、ゼロのルイズは当然のような顔をして、タバサの任務へと付いてきた―――あろうことか、赤いパーティドレスのままで。
いや、『憑いて』きたのかもしれない、と疲れ顔のタバサは肩を落とし、杖をかかえてとぼとぼとリュティスのベルクート街を歩いていた。

上機嫌な笑顔で後ろを歩くルイズのド派手で真っ赤なドレスは、やはり人目を引く。とはいえここは貴族御用達の高級商店街。
案外、浮いていないのかもしれない。となりには『変化』の術で人間の姿に化けたシルフィードも一緒だ。

「ルイズさまは人間なのに、『大いなる意思』に近いところにいるのね」
「うふふ、そうかしら……シルフィ、あなたからはたくさんのやさしい精霊(spirits)の力を感じるわ」

シルフィードが韻竜だということはルイズにも内緒であったはずなのだが、なぜかルイズとシルフィードは普通に会話をしていた。
自分からばらさなくても、ひょっとすると既に気づかれていたか。やはりというか、事情を話してもルイズはまったく驚きもしなかった。
何故かと聞けば、昨晩、『ルイズさま、どうかお姉さまを食べないで! きゅいきゅい』とシルフィード本人が『幽霊屋敷』に乱入したのだという。

タバサは額を押さえた。
悩んだせいか、頭痛がひどい。
今回の任務は身分を隠し、慎重を期する必要がある。
このままゼロのルイズについて来られれば、台無しにされるかもしれない。

「タバサ、今回は何をするの?」
「……非合法の賭博場をつぶす、ただし力技によってではなく、イカサマの種を暴き客へとばらすことによって、という条件がある」

ルイズは笑みを崩さないまま、首を少し傾けた。そのしぐさは、非常に気味が悪いものだと、タバサは思った。

「どうしてイカサマを暴かなければならないの? ……ひとりずつ丁寧に潰してしまえばいいのに―――ほらこう、こきゃっ、と」

―――ほら、来た。

「……貴族の面子を守るのが任務だから。制裁を与えるのは私たちではなく、被害者たちによって吊るし上げられるのでなければだめ」
「なるほどね」

理解してくれたのかそうでないのか、どちらにせよどうかおとなしくしていて欲しい、とタバサは切に思う。
あまり落ち着きの無いシルフィードだけでも何か不都合なことをやらかさないかどうか心配なのに、今回はもっとたちの悪いものに取り憑かれてしまった。
あれが自分の思い通りに動いてくれる保障は無いに等しい。




////8-5:【GAMBLE(がんばれ)】

賭博場では、杖をあずかる規則になっているという。
ルイズは『イロのたいまつ』を、タバサは『メモリー』を預けた。

メイジは杖が無くては魔法を使うことが出来ない。ゼロのルイズはもともと魔法が使えないとはいえ、杖が無くては失敗魔法すら使えなくなるだろう。
体術護身術を鍛えているタバサはともかく、ルイズはただの少女となってしまうのではないか―――いや、そうでもないかもしれない。
タバサはますます不安になる。ルイズのことだ、きっと毒やら何やら物騒なものを持ち込んできているにちがいない。

「この緑色の毒々しい液体は何かね?」
「香水ですわ」

―――ほら、やっぱり。

「こっちの白い粉末は?」
「小麦粉か何かよ」

当然のように、それらは取り上げられ、杖と一緒に預けられていった。

オーナーのギルモアと名乗る男が現れ、二人に名前を尋ねる。
タバサはド・サリヴァン家の次女マルグリットと名乗り、ルイズはその友人エレオノールと名乗った。待て、とタバサは焦ったが、もう遅かった。
地下では、サイコロ、カード、ルーレット、あちこちでさまざまな賭け事が行われている。

当初の軍資金は100エキュー。最低レートは金貨一枚、かなりの高レートのカジノだ。
シルフィードはすぐに小遣いをすってしまったが、タバサとルイズは勝機を見逃さず、ひたすらに勝ち続けた。

ルイズはいつもの焦点の合っていない目で、ここではないどこかを見ているようだ。
薄気味の悪い笑みを浮かべながら、普段はこまかく、ときどき大きく張っては順調にチップを増やしている。
その卓だけ、まわりとの温度差がひどい。ルーレットのシューターは汗をだらだらと流して、頬はひきつっている。
負け分が洒落にならない額になったのと、ルイズのかもしだす雰囲気に呑まれたからだろう。きっと生きながら食われる感覚を味わっているに違いない。

よく見れば、シューターが細工をしかけるときに限ってルイズは動いている。おそらく運命の流れでも読んでいるのだろう、ならばルイズが負ける理由はない。
彼らに同情すると同時に、真面目にやっている自分がばからしくなるタバサであった。

接待係のトーマスと名乗る男が現れて、ひたすらにルイズを警戒の目で見ていた。
あのお嬢様は何者か、とタバサに尋ねてくる。タバサは友人だ、と答えるほかない。
タバサは焦る。ルイズのほうが勝ちすぎて、自分に注目が来ていない。計画が崩れてしまう。
ルイズがド派手なドレスを着ているせいで、向こうが悪目立ちしてしまっている。

夜、顔を青くしたトーマスが、休憩するタバサのもとへやってきた。
他の人には聞かせられない話があるといい、タバサを連れ出した。

「あなたは、シャルロットお嬢様……」
「トマ」

彼は昔オルレアン家でコックをやっていた男だった。手先が器用で、手品が得意だった。小さなシャルロットは、彼の手品が好きだったものだ。
トーマスはタバサの身を案じ、二人分のチップの9割を小切手にして持ってきてくれたのだ。
いわく、ここはカジノの様相をまとった喜捨院だと言い、大勝ちした客はチップどころか財産を含め、身包みはがされる仕組みになっている。
彼の主人は、金は貧しいヒトたちへと還元されなければならない、と言う。
あなたもご友人も勝ちすぎた。
彼女を助けたくば、これを持って今のうちに友人をつれて逃げろ。
お願いです一体なんなのですかアレいろいろとあぶないからどうかはやくあれを連れてかえってください―――

彼は、心よりタバサのことを案じてくれているようだった―――たぶんきっと。タバサはため息をつく。
任務とはいえ、彼と彼の尊敬する主人のカジノをつぶさねばならない。

今は、イカサマの証拠を見つけなければならない。ルイズにうかつな動きをするなと、しっかり言い含めておかなければ―――
部屋に戻ると、ルイズが居なかった。シルフィードがひとりくつろいでいる。ルイズが料理を与えたらしく、お肉をほお張ってご満悦だ。

「ルイズさまはおっきな勝負をしに行ったの」

タバサは頭を抱えた。




////8-6:【フグ刺しよりも美味いのか】

カジノのオーナー、ギルモアの目は血走っている。
体中に鳥肌がたち、心臓はバクバクとなり、額には血管が浮き出て、歯はギリギリと鳴り、鼻息が音をたてる。
手が震え、カードが汗ですべりうまく掴めない。

何故だ―――

このイカサマは、ここ一番の大きな勝負では決して負けないように出来ているはずだ。
なのに、負ける。

イカサマが封殺されている。
『サンク』というゲーム。手札で役をそろえるもので、勝負に乗るか否かは自分で決められる。
相手が自信満々で大きく張ったところを、それより強い役で勝負すればよい。心理戦に見せかけた、出来レースだ。

目の前の薄気味悪い少女の手札は……

おかしい―――

世界に、私と、白髪の少女……たった二人しか居ないようだ。
さっきまでは、ギャラリーが沢山いたはずなのに。
暗い。私は闇の中にいる。世界から自分たち二人以外のすべてが消えてしまったかのようだ。トーマスはどこに?

「どうしたのかしら?」

ふざけるな。
何にやにやと笑っているんだ。それは口なのか。それとも私を喰い殺す宵闇の権化なのか。
ばれているのか。
タネに気づいて、あえて勝負に乗ったのか。

「うふふ……可哀想に、もう賭ける勇気がないのね」

このままのペースで負ければ、破産してしまう。呼吸が乱れる。

「こうしましょう、次の勝負、チップは要らないわ……そうね、代わりに、わたしが勝ったら、今わたしたちの使っているカードと」

気づいていやがる。この勝負に乗ってはいけない。

「その子供たちをいただけないかしら……もうそろそろ、あっちの梱包も終わっているころですけど」

喉がからからに渇き、声が出ない。
この少女、目がやばすぎる。まるで顔の三分の二ほどを占めるような、真っ暗な二つの穴が、ぽっかりと開いているみたいだ。
飲み込まれるな。さあNoと言え、私の口よ。

「――どうして?」

決まっている、理由なんて言えるわけがない、カードがイカサマのタネだからだ。
捕まえるのに苦労した、幻獣古代種の『エコー』。変化の先住魔法で、カードに姿を変えている。
こいつらが居なくなれば、カジノは続けられない。脅して従わせるための人質……『エコー』の子供たちがこやつの仲間のだれかに奪われたというのは、本当なのだろうか。

どくどくどくどく、うるさい、黙れ―――いや、これは、私の心臓の音だった。
ざわざわざわざわ―――うるさい、これは、ギャラリーの喧騒か。

「カードに仕掛けがあったのか」
「イカサマをしてやがったな」
「吊るし上げろ」

うるさいうるさい……なんてことだ、今の勝負を私が断ったせいで、カードに仕掛けがあることがギャラリーにもバレてしまったというわけか。

幻獣古代種の子供たちがすでに救出されていた、というのも―――ハッタリか!!

この手のなかの、カードに化けている『エコー』どもも、それを理解してこの娘のハッタリに乗ってやがったのか、この状況をつくりあげるために。
いざ逆襲だ、と嬉々として協力したにちがいない。破滅してゆく私を見て、さぞかし胸のすくような思いをしているにちがいない。

どおりで負け続けるわけだ……まさか、いや、この赤いバケモノ女の仲間には幻獣の言語を聞き取ることのできる輩がいるとでも言うつもりか、冗談ではない。

いずれにせよ、もうすでに完全に詰んでるのか、私は。ありえない。ありえない。



『だめよ、またあなたは、ひとさまに恥じるような行いをして』

母だ、母が見ている。怒っている。十七年前に死んだはずの母が私に―――
母は、私が悪さをするたびに、ぼくをおおきな箪笥(たんす)のなかに閉じ込めるんだ。この闇は、あの箪笥の中の闇なのか。


「あら、案外男らしいのね……そういうの、嫌いじゃないわよ」

―――気づいたとき、私は勝負に乗っており、敗北していた。

少女は嬉々とした笑顔で、こぼれおちたカード、山にあるカードをすべて回収している。
カードは変化の術が解け、もとのイタチのような姿にもどっている。もう言い逃れはできない。銀行の鍵を持って、すぐに逃げなければ。

「ギルモア様!」

トーマスが飛び込んできた。その後ろに、あのマルグリットとかいう少女の姿も見える。
一足遅かった。立ち上がった白髪の少女の、細く真っ白な手が

ぬうっ―――と、私の顔面に向かって伸び―――


「ママが待ちくたびれてるみたいよ、はやく会いに行ってあげたら?」


その手は、生きている人間のものとは思えないほどに冷たかった。

―――私の意識はそこで途切れる。





////8-7:【おのれ忍者め―Quest Completed】

プチ・トロワに出頭し、任務完了の報告をした。タバサは近くの森で、待たせているルイズと合流する。
二人はトーマスにトリステインへ来ないかと誘ったが、断られた。
『金を貧しい人に分配している』というのが嘘だと知っても、ギルモアのことを捨てられないらしい。
気絶したギルモアを背負って、どこかへと去っていった。いまごろは違法カジノの被害者たちが、取り返した金を分配していることだろう。

タバサは不機嫌だった。最終的には丸くおさまったものの、自分の任務にルイズが出しゃばったのが気に食わない。
やろうと思っていたことを先にやられてしまった、しかも勝手に。

「……たぶん、あなたが出たらギャラリーの前ですっぽんぽんに剥かれてたわよ」

勝負していたのがタバサであったら、たしかに、カードが『生きている』ことに気づくことなどできなかっただろう。
人間には先住魔法は使えない、という思い込みがあった。まさか幻獣を脅して従わせていたとは思わなかった。
ルイズの言うとおり、多くの人々の前で裸にされていたかもしれない。
どこか暗いところへ連れて行かれて、借金のかたとばかりに慰みものにされたかもしれない。

仮に相手がマジックアイテムを使用していたとしても、ルイズなら即座に気づいたはず。
イカサマの証拠を見つける、という任務に、ルイズ以上の適役者は居なかったのかもしれない。

ルイズは杖が無くても、いつでもどこでも、フーケを倒した使い魔のヒトダマを呼び出せる。
だから杖の所持厳禁のあの場では、タバサにとって彼女は最適のボディーガードだったかもしれない。

でも、釈然としない。

あのあとルイズは即座に銀行へと走り、不渡りになる前にいただきましょう、とおどろくほど迅速に二枚の小切手を換金した。
残像が出ているのではないかと思わせるほどに速かった。はいこれあなたの分よ、と金貨の詰まった袋をタバサに手渡した。
今回もたっぷり、なにか面白いものを見つけた、財産を増やせた、といったような顔をしている。

この少女は勝手に乗り込んで、勝手にタバサの仕事を解決して、勝手に得をした。
前回だって、ルイズはタバサの任務についてきたとき、たくさんの掘り出し物を見つけたという。

そんな遊び半分の気持ちで任務についてこられてはたまらない。
シルフィードも似たようなものだが、彼女はタバサの使い魔だ、ついてくる義務がある。
ルイズは違う、まったく関係の無い部外者なのだ。

彼女はなにやらまたひどく怪しいものを作っているようで、希少な素材を買いあさっており、金がたくさん必要なのだといっていた。
何を作っているのかなんて、聞きたくもない。どうせまた呆れるようなものか、怖いものなのだろう。

―――わたしのことが心配だからと言っていたが、まるで心配など二の次で、トレジャーハント(Ninja Loot)が目的のようではないか。

「……そんな顔しないで頂戴」

ルイズは少し、寂しそうな顔をした。
タバサは無言でぷい、と顔をそらす。
もしキュルケが見れば『拗ねている』と判断するだろう表情だった。

「さあ、帰りましょう」

ルイズに手を握られる。異様なほどに冷たい手だった。

帰りは『タウン・ポータル』のスクロールで、リュティスから魔法学院まではあっという間だろう。

タバサはふと気づく。
わたしは、この身を心配してもらえることに、心地よさを感じていたのだろうか。
こんなわたしに、そんな感情は、果たして必要なものなのだろうか。わからない。

いや、必要だろうとそうでなかろうと、関係のないことだろう。
またわたしに何か危険があれば、この薄気味悪い友人は勝手についてくるのだろうから。
嫌だと言っても勝手に付いてきて、勝手に助けてくれるのだろう―――あなたはわたしの母親(Okan)か、それともわたしの大好きな古い絵本、まるで御伽噺の―――

―――やっぱり、迷惑だ。

そんな風に思いつつも、そっと目を伏せたタバサの口もとは、微妙にほころんでいた。



そしてタバサは―――

しだいに笑顔をひきつらせてゆく白髪の友人に向かって、硬そうな杖を振りかぶった――――――やっぱ泣かす!!!



////【泣きました。次回、学院に蔓延するほのぼの闇と狂気、そして嗚呼(ああ)シエスタさん何処へゆく……!!の巻、へと続く】



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※Ninja Lootとは
海外ネトゲ用語で、こっそりネコババすることの意。きたない行為です。
ニンジャイングなどとも言うようです。



[12668] その9:さよならシエスタ
Name: 歯科猫◆93b518d2 ID:b582cd8c
Date: 2009/10/22 13:29
//// 9-1:【ヒャッハー!】

ジャン・コルベールは、トリステイン魔法学院に勤めて二十年のベテラン教師である。
学院のものたちは、彼のことを変人だと思っている。彼自身、自分のことをそう思っている。
すこし前までの彼は、学院の奇人変人ランキングで堂々とトップを張っていたのだが、最近その座を奪われた。

現在、文句なしの一位は、ゼロのルイズだ。
彼女のおかげで、コルベールに関して妙な噂が流れている。

いわく、『コルベールは既にゼロのルイズによって殺されていて、彼の幽霊が夜な夜な研究を続けている』
『何かがコルベールに化けている、それは君のすぐうしろにいる―――』
『ふとタンスの隙間を見ると、ほらそこにコルベールが―――』

誰かが冗談交じりにコルベールをネタにして作った怪談は、思いのほか大きな人気を博し、なかば都市伝説化しつつあるという。

それはともあれ、最近のコルベールは、ゼロのルイズと浅からぬ関係を持っている。
教師と生徒との禁じられた関係うんぬんでなく、異世界のアイテムに関する秘密を共有する、共同研究者としての強い絆である。
ただでさえ努力家で頭脳明晰だったゼロのルイズは、始祖の使い魔としてのルーン<ミョズニトニルン>を身に着けてから、ますます思考のはたらきに磨きがかかったようだ。
そんなルイズというパートナーを得たコルベールは、これまでの研究者人生でもっとも充実した生活を送っていた。

コルベールが変人だと呼ばれるのは、通常の貴族がしない発想をするからである。

「ふむ……こんなものだな」

今日も彼は生え際が標準レベルより致命的なほどに後退してしまった額に汗し、発明に取り組んでいる。
それは石を錬金して作った、手のひらほどの大きさの筒だった。
筒の一方にはちいさな穴が開いており、もう片方には取っ手がついている。

さあ、モノは出来た。いざ実験だ。
コルベールが取っ手を押し込むと、中の液体が圧迫される。
内部のからくりが動き、穴から出た霧にむかって火打石が火花を飛ばす。それはゆるやかな種火をつくり―――

ゴウッ―――!!!

……いや、燃え盛る巨大な火炎のかたまりが吐き出される。
筒の内部には燃焼ポーション(Oil Potion)の作成過程から派生した液体が詰め込まれており、これは噴霧器に火打石の機構を取り付けたものだった。
魔法の使えない平民が、手軽に火を起こせるようにするために作った機械。

『通常の貴族がしない発想』とは、平民の生活を向上させる可能性のある技術、そういう類に属するものだ。
この発明が完成すれば、かまどに火をつけるのも手間要らず、ゴミを燃やすのも手間いらず。タバコに火をつけるのにも使えるだろう。
火のメイジが片手間でやるように、菓子に焼き目をつけるなんてことも―――

しかし、コルベールが『着火・ザ・ヘビ君』と名づけようと考えていたそれは、平民が扱うにはあまりに高威力すぎた。
ただでさえ火花ひとつで業火をあげる燃焼ポーションの派生物、濃縮され霧化されて空気とよく混ざり合ったそれの破壊力は並ではなかった。

結果、標的の砂糖を乗せた菓子(ブリュレ)はあわれ真っ白な灰となり、石は赤熱化しもうもうと蒸気をあげ、地面は熱で真っ白になった。
あたりには、ゆらめく陽炎がたっている。

コルベールはこの日、図らずもハルケギニア版火炎放射器の発明家となっていた。
はるかはるか遠い未来の世紀末、いかしたモヒカン頭の荒くれ清掃員たちが、尊敬する歴史上の人物のトップに彼の名を上げるにちがいない。

実験を見学していたルイズは大喜びで『素敵! インフェルノ(Inferno)だわ!!』と叫んだが、コルベールには意味がわからなかった。
通りすがりの火のメイジ、キュルケもその威力を見て目をまんまるにし、『まあ情熱的ですこと』とすこし頬を染めていたが、コルベールは気づかなかった。

「破壊だけが……火の見せ場では、あんまりない……たぶん!!」

やはり火は破壊の途にしか使えないのだろうか、とコルベールは、やけどの治療のためのヒーリング・ポーションを、涙と悔しさとともに飲みくだす。
ともかく、彼が炎の平和利用を考えに考えつくしたあげく凶悪な兵器を作り出しルイズが大喜びするという悪循環は、今後もまだまだ続くであろう。






//// 9-2:【俺が……疾風だ!】

疾風のギトーもまた勤務歴の長い教師である。
学院でも数少ないスクウェアメイジというだけあって、そこだけ見ればもうすこし尊敬されてもよいはずなのだが……
生徒でも教師でも使用人でも、彼のことを嫌うものは多い。
なぜなら彼は口が悪く、退かず媚びず省みず、さらには自重しない……ようにしか見えないからである。

彼は『風こそが最強だ』とは語るが、殆どの教え子が、その真意に気づかないままに彼を内心バカにしたまま卒業してゆく。
彼が幾度『風は最強』だと語っても、『俺は最強』と言ったことが一度もないことに気づいて彼を本気で尊敬したのは、ルイズやタバサくらいであろう。

「遅いっ、遅すぎる! もっと速くなれ!」とギトー。
「うーっ!」とルイズ。
「だあーっ!!」とギーシュ。
「……っ」とタバサ。

ある日の放課後、四人は魔法学院の外周をぐるりぐるぐると走り回っていた。

「もっと筋力をつけろ! さもなくばそよ風ひとつで吹き飛んでしまうぞ! 君たちは吹けば飛ぶようなチェスの駒かあ! 違うだろうが!」
「うーっ! うーっ!!」
「あだっしゃあーっ!!」
「……っ!!」

マントをはずし動きやすい格好に着替えているルイズとギーシュ、そしてタバサ。
三人の生徒は、顔を真っ赤にして汗をだらだらと流しながら、がむしゃらにギトーを追いかけている。
疾風の二つ名は伊達ではなく、彼の足は速く、熱い掛け声に反して涼しい顔で汗ひとつかいていない。動きづらそうなローブですいすいと走る走る。

地獄の全力疾走耐久マラソン―――
ふと思うところのあったルイズがギーシュと二人で戦闘訓練をしようとしたところ、こうなったのだ。

ちなみにどうしてこうなったのかは、もはやこの四人のうち誰も覚えていない。

ギトーは学内変人ランキングで三位をキープしている。それもコルベールと同様、通常の貴族の持っていない発想をもち、堂々と実行に移すからだ。
たとえば、メイジが足の速さを鍛える、だとか。疾きこと風のごとし、風の魔法補助は累乗だ、だから鍛えれば鍛えるほど速くなる、だとか。

「……このように、風の魔法を使って呼吸を補助する方法もある、制御が難しくて君たちにはまだ無理だろうが、覚えておきたまえ」
「うっうーっ!」
「だばあーっ!!」
「……っ!!」

ルイズもギーシュも、小柄なタバサも、よく遅れずに走りつづけている。ただしそれも、しばらくたって『スタミナ・ポーション』の効果が切れるまでだった。

「うあっ、あっ、あっ……」
「だばばばば……」
「……はっ、……はっ」
「お゙うっ……」

四人は―――それまで涼しい顔をしていたはずのギトーまでも―――そろって倒れ付し、草の上にごろごろとねっころがった。
『スタミナ・ポーション』は一定時間スタミナが減らなくなるのだが、もともとあまり鍛えていない筋肉で限界以上に走れば、当然のようにこうなる。
サンクチュアリの冒険者たちにこのポーションが常用されているのは、きっと皆このくらい走っても潰れないほどに鍛えている化け物ぞろいだからに違いない。

「お前……たち、頑張ったな……それにしても……これ……は、効く……なかなか……よい……ポーション……じゃないか、……気に……入ったぞ」

息も絶え絶えにギトーは言った。どうやら自分を限界以上に鍛えることのできる可能性に目覚めたらしい。
涼しい顔をしている裏では彼自身も限界だったのだ。いかなるときも風のように涼しくあれ、という信条をクソ真面目に実践しているのであろう。

「……っく、こ、光栄……ですわ」

ルイズが言った。汗だくで仰向けに倒れ付し、手足をぐったりと投げ出し、ほつれた長い髪の一端が薄く開いた口のなかに入っており、汗で濡れた服に透けてささやかな双丘が呼吸で上下するさまは、なかなかにエロティックだ。
もっとも、今ここにいる男性陣二人にそれを堪能する余力のあろうはずもなかったが。
このとき偶然通りかかり、ルイズの艶(あで)姿を目撃した少年―――風上のマリコルヌが全身を雷に貫かれたような衝撃をうけ、何かに目覚めつつあったが、それはまた別の話だ。

ギーシュは顔面から突っ伏して不恰好にお尻だけを天に突き上げており、タバサだけは多少余裕があるのか、しばらくして身を起こした。
間違いなく、翌日の彼女たちはひどい筋肉痛にさいなまれるであろう。
このとき生徒三人が内心で思っていることはただひとつ。

―――『どうしてこうなった』である。

「お疲れ様ですミナサン、さあ吸血のお時間デスヨ」

シエスタが人数分のタオルと回復ポーションを持ってきた。このビンに入った赤い液体を、彼女は人間の血液だと思い込んでいる。
だから血じゃないってば、とルイズが言っても、どこか心のネジの抜けてしまったメイドは、ただ寂しそうに首を横に振るだけだ。
―――『はいわかってます何も聞きませんからミス・ロングビルがどこに消えたのかなんて興味もありませんし』とぶつぶつつぶやきながら。

「あんたたち、よくがんばるわね……」

最近シエスタと友誼をむすんでいる、モンモランシーが呆れ顔をしつつもやってきた。
彼女はルイズとギーシュを見張るために、シエスタを救うために、内心の恐怖をおさえつつ、たまにギーシュについて幽霊屋敷へとやってくるようになっていた。
あの茶会のあとからモンモランシーとシエスタは、キュルケとタバサの協力を取り付けることに成功していた。

『ルイズとギーシュを二人きりにしない』ために、今回ギトーを言葉巧みに焚きつけたのは、実のところ協力要請を受けたキュルケだった。
なので、いまだにぐったりとしている青春の少年少女三人の疑問、『どうしてこうなった』の原因は、元をたどればモンモランシーたちなのだが……

方法はともかく、モンモランシーは一定の安心感を得られているようで、それは良いことなのかもしれない。
ただ、こうして同じ苦難を乗り越えることによって、ルイズとギーシュとの間にさらなる深い連帯感が生まれつつあるのだが―――彼女は知らない。

さて―――
いちはやくギトーが復活し、課外授業を再開しようとする。

「古来、風という言葉は目に見えぬものを象徴する用途で使われる……そう、次に君たちに教えることは―――風の特性のひとつ『空気を読む』ということだ!」

誰もが内心で突っ込みを入れざるを得なかった―――あなたが、あなたがそれをっ!!







//// 9-3:【ルイズさんとお姉さんよ】

ある日、『幽霊屋敷』へと、ひとりの復讐に燃える修羅がやってきた。

「ちびルイズ! 出てきなさい!!」

彼女は拳をにぎり、足をわななかせ、物置小屋の扉の横にかかったヴァリエール家の紋章を苦々しげに睨みつける。

「はやく出てきなさい! ちびルイズはいつから姉がやってきても挨拶のひとつもしない生意気な子になったのかしら!!」

顔面を真っ赤にして、ブロンドの髪を逆立てんばかりにふりみだし、扉の前で叫んでいる。火のメイジでもないのに、背後に炎のオーラが浮かぶようだ。
扉を開けて乗り込もうとしないのは、以前の来訪時にひっかかったようなワナを警戒しているのだろう。

「ねえルイズ、どうすんのよあれ……」
「……困ったわね、今ちょっと手が離せないのよ」

キュルケが眉をひそめ、暗にルイズへと『出て行ったらどう?』と促すのだが。
ルイズは口で言うほど困ったような表情はしておらず、キューブをかちゃかちゃといじくることに集中しているようだ。膝だけが、ふるふると震えている。

『そこのメイド、ちょっと中に入ってルイズを引っ張り出してきて頂戴!』
『ひええっ!! どうかご容赦を……アアソンナ殺生な』
『何よ!? この平民は貴族に逆らうつもり?』
『アワワ、り、リョウカイシマシタ!! ……ハイ、逝ッテキマス!!』

とうとう、外からはメイドの悲鳴が聞こえてきた。キュルケは呆れる。
たとえシエスタに促されても、ルイズは動かないだろう。両者の間で板ばさみになって泣くシエスタが目に浮かぶ。
姉を苦手としているルイズの会いたくないという気持ちは、外からひっきりなしにつづく怒鳴り声にうんざりしつつあるキュルケにも充分に理解できるのだが……

―――これはちょっと、シエスタが可哀想すぎるのではないか。

良心のうずきに耐えられなくなったキュルケが、ルイズの首根っこを掴もうとしたとき……

「よし、できた!」

ルイズは唐突にひょいっと立ち上がり、「ん、ちょっと出てくるわ」と言った。
良かった、とキュルケはほっと胸を撫で下ろす―――よかった、この娘にも、まだ人としての心が残っていたか。

(……あれ? ルイズ、そっちは……)

だが、それもつかの間。
ルイズはキューブを片付け、杖やポーションを身につけ、宝石のついた皮製のベストを着込み、けっこうな重装備を整え、扉とは反対側へと向かい始めたのだ。
冷や汗を流すキュルケに向かって手を合わせて頭をさげると、がらっと窓を開け、ひらりと裏庭へ飛び降りる。

「ねえ、ちょっとルイズ、何処行くのよ!」

ルイズは目を泳がせながら、窓越しにキュルケへと手を振り、言った。

「ガリアよ。たぶん夕食までには戻るから、よろしくね」

キュルケが慌てて窓へと駆け寄ると、いったいどんな魔法を使ったのか―――すでに裏庭に、ルイズの姿は無かった。
そこにはただ、ちいさな青白い篝火のたかれた魔法陣があるのみ。


―――なんてこと、逃げやがった!!

キュルケはしばし呆然と、人の居なくなった裏庭を眺めていた。

「……失礼します、ミス・ツェルプストー 、あの……」

背後から声がきこえたが、キュルケは振り返ることができなかった―――『ブリミル(畜生)』!!
胸のうちに、抑えきれないものが満ちる。振り返ることはできない。たぶん振り返ってこの娘の顔をみたとたん、それが目から溢れてしまうだろうから。

「あの……み、みす……ヴぁりえーるは……えと、ど、ど、どちらに、いらっしゃるので……しょうか……」
「シエスタ!」

キュルケはとうとう耐え切れなくなった。シエスタの顔を見ないように振り返り、がばっと抱きしめた。
鬼、悪魔、情け容赦ゼロのルイズ……貴族の誇りはどうしたの! 怒りと悲しみを胸に秘め、キュルケはこの辛さを乗り切らなければならない。
腕の中でシエスタがびくっ、と震えたのが解った。キュルケは静かに語る。

「シエスタ、お願い……あなたはいい娘だわ、どうか気をしっかりもって、きいて頂戴ね」

返事は無いが、キュルケは心を鬼にして、事実を伝えなければならない。

「ルイズは、逃げたわ」

その一言を聞いたとたん、哀れなメイドの体から、力が抜けた。
キュルケは彼女が倒れないよう、しっかりと抱きしめる腕に力をこめて支えた。

「―――ミス・ツェルプストー」

やがて、シエスタが口をひらく。それは蚊の鳴くような、絶望に満ち溢れた、ひどく弱よわしい声だった。

「ミス・ツェルプストー……わたし、チョウチョになるんです、おそらをとんでとんでまわって」

キュルケは泣いた。


やがてタバサが現れ、彼女がルイズをガリアの山奥からわざわざ連れ戻してくれたとき、キュルケは諸手をあげて歓迎し、心底この寡黙な親友に感謝したものだ。
因果応報、白髪の少女は姉からのハイパー説教タイムに晒され、一日寝込む羽目になったという。


その後、キュルケから事情を聞いたゼロのルイズはぎこちないながらも、平民のメイドにできるかぎり優しく接するようになったとか。
不自然に優しくなった『幽霊屋敷』の主の行動にシエスタがますます恐怖するようになったあたり、善意というものはなかなか報われないものである。






////9-4:【何かが目覚メタ】

赤い髪の美女、キュルケは疲れ果てた表情で、とぼとぼと寮への帰り道を歩いていた。
シエスタをなだめ、憤怒の表情のエレオノールを愛想笑いでもてなし、必死にフォローをし、タバサによってルイズが連れ戻されるまでなんとか耐えた。

『ち・び・ルイズ! この! 姉・を! 何だと思って!!』
『ふぇぇえ、ほへふははい! ほっぺひだああい、ほへはひひふ』

―――自分は良くやった、と思う。『幽霊屋敷』から聞こえる怒鳴り声と泣き声なんて、もう聞こえない。
最近は忘れていたが、ツェルプストーとヴァリエールは宿敵同士だったはずだ、何であたしがヴァリエールのことでこんな理不尽な苦労しなければならないのだろうか。

思い返せば、ふつふつと怒りがこみあげてくる。

ルイズからは指輪をもらったり、いろいろと楽しい思いもさせてもらっているが……ちょっとあの苦労は割に合わなかったわね、とも思う。
憎きヴァリエールの血筋め、本当に困ったやつらだ―――まあそこが可愛いところですけれど、とため息をついた。

問題を先延ばしにせず、今日の話し合いですっぱりと解決してもらわないと、またさっきみたいなことが起きるはずだ。

まあ、ルイズはエレオノールとのいざこざを片付け、シエスタにもっと気を使ってくれれば、あたしも今日のことは水に流しましょう。
ルイズはきちんと話せば解る子だ、とキュルケは理解している。
どうかこの願いが始祖に届きますように、とキュルケは祈った。

(……あれ、今のは……)

『幽霊屋敷』を遠くのぞむ植え込みの影で、何かが動いた。人影だ。

「あなた……そこで何してるの?」
「おや、こんばんは、君は、ミス・ツェルプストー」

風上のマリコルヌ、トリステイン魔法学院の男子生徒のひとりだ。
ぽっちゃり系の、あまり女性にもてないタイプの顔と体型をしたクラスメイトである。
どうやら植え込みの影にはいつくばって、『幽霊屋敷』をずっと眺めていたようだ。

「んー……僕かい? ぼ、僕はね……そうさ、聞いて驚かないでくれよミス、ああ、……そ、そうだね、ひとことで言い表すなら」

―――あっ、これはまずい。

最近めきめきと鍛えられつつある、キュルケの苦労人センサーが警告を発する―――それはもうびきびきとレッドゾーンを振り切って。
少年の前に、なにやら魔法陣とロウソクを飾られたちいさな祭壇のようなものが見え、それが確信となるまでは、ものの一秒とかからなかった。


「―――かかか、歓喜!!!」


両手をがばっと広げ、彼は言った。意味も無く、マントがバアーッとひるがえった。
キュルケは背筋が凍った。

「ぼくは礼拝をしているんだ……波動パワーをね、吸収しているのさ、ここまで近づけば君も感じるだろう、ああ! あの高貴なる屋敷から発せられる神秘と苦痛の」

数秒のうちに、キュルケはマリコルヌの話を理解することを放棄した。

「ゼロのルイズ、いるだろ、最近彼女が僕のことをね、み、見るんだ、豚を見るような冷たい目で、みんな解ってない、恐怖せよ、それは愛なんだ、僕はたっぷりと豚に変わる呪いをかけてもらってそれは僕と彼女との、そう絆なのさ実のところ毎晩毎晩彼女は僕の夢にあの美しさをもって降臨して下さるんだぼくは踏まれ蹴られ罵られてぶひいぶひいと」

―――逃げようか。

「彼女は前世において僕の上司、絶対君主、そう素晴らしき夜の女王だったんだ僕は薄汚い犬のようにこきつかわれて……くうっ、もう疼きだしたか、静まれ僕の」
「『ファイアー・ボール』!!!!」
「ぶぎゃっ!!」

キュルケは魔法を撃った。彼女はとても優しかったので、それはもうたくさんの祈りを込めて撃った。
少年は顔をすすで汚し、全身から煙をあげながら、「ありがとうミス、君のおかげで(聴取不能)が治まった」と丁寧に礼を述べた。

キュルケが立ち去ったあとも、彼はまだ虚空にむかってぶつぶつとなにかを語っているようだった。
キュルケは思う。あれは思春期にありがちな妄想のたぐいだ、きっといつか正常な思考に戻ってこのときのことを思い出し恥ずかしさに悶えるにちがいない、そうであって欲しい。
いろいろと手遅れになる前に。

キュルケは始祖へと、彼の心の健康を祈った。
早く帰って泥のように眠りたい、と彼女は疲れた心と体をひきずって、自分の部屋をめざした。

―――かの少年がやがて狂信(Fanaticism)オーラに開眼し、『トリステイン軍にこの人あり』と呼ばれる傑物になる―――かもしれないが、この物語にはまったく関係のない話である。






////9-5:【穴があったら】

―――ルイズはひたすらに反省していた。

『幽霊屋敷』の裏、ゴーレムに穴を掘らせてそこにすっぽりと入り、首だけ出して埋まりながら。
そこにルイズの友人、青銅のギーシュが、恋人のモンモランシーを連れてやってきた。裏庭まで来て、穴に埋まっているルイズを発見し、二人して目を丸くした。

「ルイズ、君はいつも僕の理解を超えたことをしているけれど……今日はいったい、何の修行をしているんだい?」

この状況で『誰にやられたのか』と尋ねないあたり、このギーシュという少年はルイズのことをとてもよく理解しているようだ。

「……ごめんギーシュ、ちょっと今、自己嫌悪にひたっているのよ」

ルイズはそっと目を伏せた。
ふふっ、と自嘲気味に笑うその顔のすぐそばを、のそのそとダンゴムシが通りすぎていった。
普段は薄暗くしめっぽいが、昼すぎのこの時間帯に限って、『幽霊屋敷』の裏庭にもぽかぽかとお日様が降り注いでいる。

「そんな訳で、なにか私に用事があるのなら……明日にして頂戴……ごめんなさいね」

ちいさな陽だまりのなか、土から首だけ出して埋まっている白髪の少女。口にする言葉はいちいち弱々しくしおらしい。

(……シュールだわ)

モンモランシーはまんまるに目をひらいたまま、目にうつる光景を、内心でそう評した。
最近親しくなりつつあるゲルマニアからの留学生、キュルケのよく言う『退屈しない』というのは、なるほどこういうことだったのか、といたく感心しつつ。

「なにか悩み事があるのかい、相手が僕たちでよければ、話してみないか」

ちょっとギーシュ、よしてよ、愚痴なんてききたくないわ、とモンモランシーは思う。
だが、ルイズはふるふると首を振った。白い髪の毛が、地面に箒で掃いたような模様をつくった。

「もう解決しているわ、姉さまたちに心配をかけて、それに気づかなかった自分が、とても嫌で、辛い……それだけなの」

一昨日、ルイズとエレオノールは、それはもうたっぷりと時間をかけて話し合った。
最初は、押しの強いエレオノール、ひたすら守りを固めるルイズ、二人の話し合いはひたすらに平行線だった。
かたくななルイズの態度を崩したのは、『カトレアがルイズの噂を聞けば、必ず心配する』とのエレオノールの一言だった。

カトレアはルイズが心から敬愛している、病弱な姉である。
彼女がルイズに関する怪しげな噂を耳にすれば……病状が悪化することもありうる。

ルイズと似て人付き合いの不器用な姉エレオノールも、マジックアイテムのことはさておき、ルイズのことを心配していたのは本当だった。
きつい言葉の端々からその優しさがルイズへと伝わったのは、一種の奇跡に近いものであった。

こうと決めれば一直線―――いつしか周りのことが見えなくなっていたルイズは、そのことに気づかされ、それはそれは衝撃をうけた。

ルイズの『どんな噂が流れても、私は変わっていないから、今はどうか黙って見守っていてほしい』との真剣な説得が姉へと届いたのも、奇跡に近いことだろう。
エレオノールは大きくため息をつき、すこし微笑んで、『強くなったわね』とルイズの頭を撫でた。

―――ああ、こんなに真っ白になっちゃって、何があったのよ、髪の毛、痛んでるんじゃない、ひどく無理してるんでしょう。

このエレオノールにも、血反吐をはく勢いで勉強してアカデミーで今の地位を築き上げた過去があり、家族を心配させた経験がある。それを思い出し、彼女も冷静になったのだ。
話し合いののち、ルイズの秘匿された研究を価値のあるものだと認め、姉はしぶしぶながらも許可を出したという。

姉の心中には、ルイズがカトレアでなく自分に抱きついて泣いて甘えて来たのは、はて何年ぶりだったか、との思いもあった。
このとき姉妹のあいだにどんな約束が交わされたのかは、二人だけの秘密である。

姉が帰ったあと、しばらくぼうっとしていたルイズ。
じっと自分と家族とのことを考えた。ひたすらに、どうすればよいかを考えた。

貴族は誇りのために自分の身を惜しまないものだ、そうすればときに家族を悲しませることになる。
自分が正しいと思ったことをつらぬき通せば、それで傷つくひとも出る。
難問だった。

そんな悩みではちきれそうな状態で、日課である瞑想中に<存在の偉大なる環>にアクセスした―――それがいけなかった。

彼女の内面はさらに不安定になり、あやうく人として踏み越えてはならない線の向こうへと、引きずり込まれそうになった。
かすかな光でさえ目にまぶしく、異様なほどに喉が渇き、水をがぶがぶと飲みたくなる欲求を必死でこらえた。
一日中カーテンを閉め切り、暗い部屋の中にこもり、無理を押して眠り、どうにか元の体調へと復帰した。

ようやく起き出して、気づけばゴーレムで庭に穴を掘っていた。
埋まった。

それが、今回の顛末だ。

「……なにやら大変そうだね、ルイズ。ところで、どうやってそこから出るつもりなんだい」
「出たくなったら考えるわ」

あとは何をたずねてもルイズは目をつぶり、うんともすんとも言わない。
そんな埋まったままのルイズを残し、『幽霊屋敷』を辞した二人。

ルイズの住居が見えなくなるほどに遠ざかったころ、それまでずっと黙っていたモンモランシーがとつぜん足をもつれさせ、壁に背をあずけ震え始めた。

「ど、どうしたんだいモンモランシー! 大丈夫、どこか痛くしたのかい」
「……う、う、ううう」

心配したギーシュが顔を覗き込むと、モンモランシーはぷるぷると震え、呼吸のリズムが乱れ、目の端には涙がにじんでいる。

「ご、ごめん、な、何なのよアレ……ああ、だめ、ぜひいぜひい、……だめ、おかしくて、ルイズ……!!」

どうやら、ルイズの行動が、モンモランシーの笑いのツボをいたく刺激したようであった。彼女はずっと笑いをこらえていたのだ。
モンモランシーは腹を抱えて、その後しばらくの間、息も絶え絶えになるほど笑い続けた。

ギーシュはやれやれと肩をすくめつつも微笑んで、そっと彼女の背中をさすって、呼吸しやすいようにしてやるのだった。






////9-6:【さよならシエスタ】

トリステイン魔法学院、コック長のマルトーは、食堂や厨房担当の人員を統括する立場にいる。
口は悪く気難しいが、面倒見がよく、皆には慕われている「おやっさん」だった。

「……畜生っ……俺のせいだ」

平民である彼の立場で、貴族の命令には逆らうことができない。

だが彼は、ただ貴族のせいにするだけでなく、何の手助けもしてやれなかった俺が悪い、と自分を責めていた。
自分を父のように慕ってくれたあの不憫な娘、誰もがいやがる仕事を押し付けられ、陰では『生け贄』なんて呼ばれていた。
彼女がここまで追い詰められ、こんな結果になる前に、なんとかしてやれればよかったのに。

ある日とつぜん、彼女はいなくなってしまった。何をしてももう無駄、手遅れだった。

きっかけはそう―――ゼロのルイズ。誰かが、あの恐ろしくも憎たらしい白髪のガキの世話をしてやらなければならなかった。
シエスタが断れば、他の誰かを無理やり、あの『幽霊屋敷』へと送らなければならなかった。
なのに使用人の誰もが結託し、やりたくない、あの薄気味悪い小屋に近づくくらいなら仕事をやめてやる、と言った。

困ったマルトーは、彼女に尋ねた。大丈夫か、と。がんばります、と答えがかえってきた。
あの誠実な娘は、白髪のバケモノを怖がりつつも、必死に恐怖を押し殺し、しっかりと仕事をしていた。
なのでマルトーは、シエスタがそこまで思いつめていたことなど知らなかった。

―――俺を含めた、皆があの娘を追い詰めたんだ。

マルトーは涙を浮かべていた。
そんな嘆きの声がこだまする厨房に、学院に蔓延する恐怖の元凶、ゼロのルイズが現れた。

「なんだよ」

知らずのうちにマルトーの言葉はきつくなる。

「俺の厨房に、『幽霊屋敷』のご主人さまが何の用で……あいにく人間の肉の調理は受け付けていませんぜ」

ゼロのルイズがこうやってマルトーと直接会うのは珍しい―――ときおりこの厨房に、ネズミ捕りにかかったネズミを貰いにきているという話だが。
マルトーは顔を上げ、学院の生徒、および使用人たちの間でもっとも怖れられている少女を、はじめてじっくりと間近で見た。

生きているのか、死んでいるのか区別がつかないほどに、ゼロのルイズの顔色は悪い。
髪の毛は白く、よれよれだ。
瞳孔が不必要なほどに開いている―――ぞくっ、背筋にぶつぶつと鳥肌が立つ……なるほど、確かにこれは恐ろしい。

「ごめんください」

意外なほどの低姿勢。ゼロのルイズはマルトーに向かって、丁寧に礼をした。

「料理長のマルトー殿ですね、私の今後の食事について、どうか相談に乗っていただけませんか」

あっけにとられるマルトーだが、しだいに不機嫌になる。
このガキも、俺の料理に文句をつけようってのか。
貴族どもは豪華さと量、こってりした味付けばかりにこだわり、素材のよさや繊細な味付けなんぞ歯牙にもかけねえ。
おまけにろくに味わいもせず、わざわざ作らせた料理をたっぷりと残しやがる。だから貴族なんてのは―――

「お願いします、真剣な話なのです」

異様な雰囲気に気おされつつ、マルトーはとりあえず話をきいてやることにした。
こいつはシエスタを追い詰めた憎き相手だが、貴族がここまで低姿勢で来るのであれば、無下に断ることなどできない。
こいつもこいつで、なにかの必要に駆られて話をしにきているのだろう。

椅子をすすめ、茶をだしてやる―――テーブルにカップを置き、そそくさと離れる。
何を隠そう、マルトーも噂を恐れるものの一人だ。

無愛想な表情とうらはらに、テーブルをはさんで出口のそば、ゼロのルイズとかなり距離をとり、いつでも逃げられるようにしている。

さあ、何を言い出すのか―――

「なに、肉が?」
「はい」

話を聞いて、マルトーの目は丸くなる。

「牛肉も、鶏肉もダメなのか、羊も」
「はい」
「どうしてだ、俺の味付けが悪いのか」
「いいえ、すこし前までは、とても美味しく食べていられたんです」

マルトーは、この少女が噂されているほどにおかしな存在なのだろうか、と疑問に思った。
椅子にちょこんとこしかけ、『肉が食べられなくなった』とうつむきながら寂しそうに語るさまは、どこにでもいるような少女にしか見えない。
いつのまにか、マルトーの話し方は、少女に話しかける大人のものとなっていた。

「あれか、……やっぱり、……その、人間の肉とか喰うのか」
「そんなことはありません」
「じゃ血を飲むのか」
「違います」

ルイズは、シエスタが薬のことを血液だと勘違いしており、困っているという事情を正直に語った。
―――肉が食えない、血も飲まない? マルトーは半信半疑に話を続ける。

「お前さんは何を食って生きてるんだ、やっぱりネズミなのか、それとももう死んでるのか」
「……パンと野菜、果物を頂ければ生きられます」
「本当に果物を食うのか」
「食います」
「本当に本当か」

マルトーは長い竿(さお)を取り出して、その先にちいさく切った果物をひとつつけて、おそるおそるルイズへと差し出した。
まるで猛獣に餌付けする飼育係だ、ルイズは少し腹を立てたようだが、やがて意を決し少し頬をそめて口をひらき、あむっもぐもぐ、とそれを食べた。

「おお、食った、本当みたいだな」

今の行為に何の意味があったのかルイズには理解できないが、マルトーは納得したようだった。
嬉々として次の切れ端を竿の先へとつけ、無愛想におそるおそるルイズの口もとへと差し出す。ルイズが口をあけ、それをもぐもぐと食べる。うんうん、と真剣そうに頷くマルトー。

ときどき、卵を食べるとじんましんが出る人など、特定の食べ物に拒否反応を示すケースがある。
料理を長年続けているマルトーは、幸いなことにそういった例をいくつか知っていた。つまり、理解があるといってもよい。
これもその類か、それともただの好き嫌いなのか。貴族に頼まれて断ることはできないが、ここから先は彼のプライドの問題だ。
返答いかんで、料理にかける意気込みがだいぶん異なってくる。

「肉を食ったらどうなるんだ」
「……体が、苦しくなるんです、うまく形容できませんが、こう、ぞわぞわ、と」

マルトーは、ルイズが『苦しくとも今まで残さず食べていたが、そろそろ限界が近くなってきた』と言うのを聞いて、決心した。

「よし、これからは肉を使わないメニューを出せばいいんだな」
「はい、お願いしますわ」

やっと話がまとまった。
マルトーは仏頂面で、皿の上に残った果物をふたたび竿の先につけ、おそるおそるルイズへと伸ばす。
ルイズは内心いつまでこれを続ければよいのかとうんざりしつつも、美味しいのでまあいいかと思い、あーんと口をひらいた―――

「……な、何してんの」

いつのまにか、厨房の入り口に、モンモランシーが立っていた。

「……ぷっ、……ルイズ、……それは……ごめん……うぷぷっ」
「ちょっと、笑わないでよ」

モンモランシーに笑われ、ルイズは真っ赤になって怒った。

「あはは、だめ……なんであなたってこう……うぐぐぷぷっ」
「なによモンモランシー、そんなに笑わなくても」
「だってあなた、おかしいわ……こないだはほら、首まで埋まって……うくくっ」

どうやら、彼女はあのときの光景を思い出すたびに笑いの発作に襲われるらしい。
それ以来モンモランシーはルイズの行動のひとつひとつに注意を払っており、笑いのツボを見つけ出しては、部屋に帰って一人で笑いころげる生活を送っている。
ルイズ本人に隠れては、キュルケと二人で『ルイズのここが可愛い』とか『ルイズがこんなおかしなことを』という話に花をさかせる楽しみも出来た。

むやみやたらに怖がるよりは、ずっと生産的であることは確かなのだが……
ともかく今は、モンモランシーが腹筋崩壊から復活するまで、ルイズとマルトーはしばらく待つほかなかった。

「ぜえひい……そう、ルイズ、マルトーさん……シエスタのことなんだけど……ひっく」

先ほど、モンモランシーの部屋にシエスタがやってきて、『お別れに来ました』と言ったのだ。
シエスタは、異常なほどに上機嫌だった。
どうしたのか、と尋ねると、『わたしのことを不憫に思ってくださった貴族様が、わたしをスカウトして下さったのです』と告げた。

これで幽霊屋敷に行かなくてもすむ。
今死ぬか明日死ぬか知れぬ命を永らえる希望ができた。
あの貴族様は命の恩人だ。
いまよりずっと給料もいい。
きれいなおべべもきせてもらえる。
おいしいおかしがございます。
おちゃもわかしてございます。

へえ、よかったじゃない、あなたの頑張りが認められたのね、とモンモランシーは喜んだ。
はい、ミス・モンモランシ。ありがとうございます、今まで頑張ってこれたのは、あなたのおかげです。
でもシエスタ、あなた普段からそんな頻繁に命の危険を感じていたの? 私も最近あの物置小屋に良く行くんだけど、そんなことないわよ。

モンモランシーの疑問に、シエスタは目にじんわりと涙を浮かべ、答えた。

「樽が」
「へ……樽?」
「樽が置いてあるんです、こう、ずらっと」

『幽霊屋敷』の横には、いくつかの樽(Barrel)が並べて置かれている。
ゼロのルイズはシエスタに、この樽を蹴り壊せば爆発する、危ないので絶対に蹴り壊すな―――と言ったそうだ。

『いい? 絶対に蹴り壊してはダメよ、絶対に……』

シエスタはぐっと唇をかみ、ひざの上でぎゅっと両手を握り、ぶるぶると震え―――


「そんなこと……そんなこと言われたら……蹴り壊したく……なっちゃうじゃないですか!」

ないですか―――
ですか―――
か―――
――

モンモランシーは至極冷静に「あなたが居なくなると、寂しくなるわね」とにこやかな笑顔で友人を送り出すことにした。

「そのうち手紙を書くわ……なんて名前の貴族の方なの?」
「モット伯爵、というたいへん素晴らしい始祖のお使いのようなお方です、後光がさしておりました、わたしは手を合わせ毎日拝みます」

シエスタはそれはもう嬉々として学院を去り、その貴族のもとへと向かっていった。
学院の使用人一同は、はちきれんばかりの笑顔で去ってゆく元同僚を、滂沱たる涙を流して見送った。

「可愛がってもらってね」
「しっかりご奉仕するのよ」
「なにがあっても強く生きて」

様子がおかしい。見送りに参加していたモンモランシーはひたすら冷静に周囲の状況を見てそう判断する。
モット伯、聞き覚えのある名前だった……どんな人だったか、とモンモランシーは首をひねり―――

非常に女癖が悪く、うら若きメイドを囲って手をつける趣味がある男だ、と思い出したのが、たった今。
さんざん遊ばれたあげく捨てられた女性使用人は数知れず、との噂。
シエスタはとうとうそんな貴族に捕まってしまったのだ―――好色貴族を救世主だと信じて疑わないまま。

真っ青になったモンモランシーは、聞き違いであってほしい、まずはマルトーに事実を確認しようと、厨房まで来た。
そこで不思議生物のごときルイズを発見した、という次第(しだい)だった。





////9-7:【お金で買えないものもある】

人ひとりの価値を金額で表すことができるか……<神の頭脳>にとっても難問だ。
世の中には傭兵という職業があり、腕のたち具合によって命に金額をつけられるらしいが。
今回は顔の知れたトリステイン貴族の問題なので、力技は使えない。誰もが意外に思ったが、ルイズは慎重だった。

「シエスタのおっぱいって幾ら?」
「……けっこう大きいわよね、あたしほどじゃないけど」

ああでもないこうでもないと議論がなされている。
あまり金持ちという訳でもないモンモランシーとタバサ、ギトーとコルベールは、少しのカンパしかできなかった。
主力はルイズ、ギーシュ、そしてキュルケの三人だった。
集まった金貨の袋を手に、モンモランシーとルイズが皆を代表し、モット伯の屋敷へと乗り込んだ。

「いくら金を積まれても、返すことはできん」

と、彼はがんとして首を縦に振らなかった。

「今わしの興味を引いている彼女は、世界にたった一人しかおらんではないか……つりあう物を持ってくれば、考えんでもない」

再びルイズたちは集い、こんどはそれぞれ物品を持ち寄る。

「キュルケ、何かないの? ……モット伯の心を動かすようなアイテム、たとえば異世界から召喚されたものとか」
「……このヒスイでできたヘンテコなフィギュアくらいかしら」
「なにそれ」
「知らないわ……うちの家宝らしいけど、召喚の儀で呼び出されたことには間違いないらしいのよ、いったい何の役にたつんだか」

キュルケが持ってきたのは、ルイズの額のルーンに反応のない、小さな彫像。
本当に異世界から召喚されたものなのかどうかすら、ルイズにも判断がつかない。

「キュルケ本人が行けばいいのに、おっぱいでかいし」
「あら、ルイズってば……ゲルマニア女は嫌われているのではなくて? まあ落とす自身はあるけど、そういうのは私も嫌よ」

ルイズは自分の宝箱(Private Stash)から宝石や指輪、アミュレット(護符)をいくつも取り出し、持ってきている。

「なによ、たっぷり有るんじゃない」
「……これのどれかでシエスタを手放してくれたらいいけど」

ルイズは不安だった。これらのアイテムの価値は今のところルイズにしかわからない。説明して納得してもらえるかどうか、判断がつかない。
価値が認められたとして、相手は王宮の役人なのである、うまくやりこめられ、ひとつ取られれば芋づる式に奪い取られかねない。

もし神秘の技が露見すれば―――ルイズは破滅しかねないのだ。

なにを捨ててでもシエスタの操を取るか、自分の身の破滅の危険の回避を取るか……先日の<難問>が頭を悩ます。
ルイズは責任を感じている。マルトーも言っていたが、もとはといえばシエスタがルイズのことを怖がっていたのが原因なのだ。
いつになく弱気なルイズ、呪いや毒などの力技を使わないもう一つの理由は―――もしシエスタが帰ることを拒んだらどうしよう、という恐怖だった。

「タバサ、それは何?」
「わたしの宝物」

タバサが差し出したのは、両の手のひらに収まるほどの、ほんの小さな宝箱だった。塗装や装飾が、ところどころ剥げている箱だ。
額にルーンをつけてから物品収集が趣味となったルイズに影響され、タバサもやってみようかと、ものを集めだしたのだという。
貝殻、綺麗なすべすべの石、軸の抜けたこま、人形の部品、からっぽの香水のビン……
どれも、ルイズたちにも見覚えがあるものだった。ルイズやキュルケ、シエスタやモンモランシーなど、誰かと一緒に行動していたときに手に入れたもの。

読書の合間などに、ときどきそれらを取り出しては眺める、という、すこし充実した時間がタバサにもできた。

―――ああ、氷でできた読書人形のようだったタバサにも、こんなかわいらしい趣味が生まれていたのか。

たくさんのがらくた、でもささやかな幸せ、とってもたくさんの思い出が詰まっている、最高の宝物たちだ。

その場にいた全員が目を潤ませ、タバサに『どうか取っておいてください』と頭を下げて言った。

ルイズは、いざとなれば新作ポーションの独占販売の権利を売ろうか、とまで考えた。そうだ、そうしよう―――






////9-8:【お帰りなさい】

それからあまり時間もたたず、シエスタはあっさりと学院に帰ってきた。
『わが主に捨てられた、わたしは駄目な女でした』と、ぼろぼろと泣きながら。

どうやら彼女は、雇い主であるモット伯に向かって、教会でやるような礼拝をしたらしい。
わたしは始祖じゃない、どうかやめてくれ、と敬虔なブリミル教徒であるモット伯は言ったが、シエスタはヨヨヨと寂しげに首を横に振るばかり。

―――しまった、地雷だ……!!

モット伯は戦慄し、このメイドを刺激しないように丁重にもてなしたあと、たっぷりのお土産を持たせ、それはもうにこやかに学院へと送り返したそうな。

使用人たちは「もうきたのか」「はやい!」「これで(略」と喜びの涙を流してシエスタという名の英雄を迎え入れ、今までどおり『幽霊屋敷』の担当を押し付けたそうだ。
またひとつルイズに伝説が追加された瞬間だった―――いわく、『ゼロのルイズからは逃げられない』。

モンモランシーはシエスタを抱きしめ、お帰り、ごめんねつらかったよね、これからはもっとわたしを頼って頂戴、と泣いたという。

ルイズは……樽をすべて撤去し、その代わりにずらりと棺おけを並べた。開くとスケルトンが出てくるので、絶対に開けてはいけないらしい。





////【次回・電波受信編へと続く】



※この作品における注意
最初の司教さまの台詞やVSフーケ戦闘にて気づかれた方もいらっしゃるかもしれませんが
ルイズさまの使い魔はじつのところDiabloⅠ設定準拠です。(誘導、召喚に自分のライフとマナを使い、敵のライフを吸い取って自分のライフにする)
見た目は2をイメージしていますが。

このように1と2との設定が微妙に混在しております。

- - -
コルベールの情熱(Ardor Colbert')
ユニークアイテム:フレームスロワー (Flamethrower)
両手ダメージ:3~8 必要レベル: 13 ストック数(quantity): 3
攻撃の際に166-588の火炎ダメージを追加
攻撃の際に装備者に15-120の火炎ダメージ
12% デッドリー・ストライク
LV12 ハイドラ 1/1チャージ
-100% 炎耐性
+60% 氷耐性
-25% 敵の炎耐性を下げる
+30% Better Chance Of Getting Kirke's Heart
- - -



[12668] その10:ホラー映画のお約束
Name: 歯科猫◆93b518d2 ID:b582cd8c
Date: 2009/10/31 01:54
////10-1:【恐怖! 地獄のモーモー牧場】

ある日の夜―――

白い髪の少女、ルイズは夢を見る。
秘伝書を読んだあとに眠れば、ときどき使い魔―――自らの中のボーン・スピリットを通して、サンクチュアリの情景が夢の中に浮かんでくることがある。
ルイズの脳内の知識に、精霊となった魂がそっと、彩りを添えてくれているのだ。

そこは、見えざる目教団(The Sightless Eyes)のキャンプ。邪悪に染まった修道院から逃れた戦闘シスターたち(ローグ)の、再起をかけたちいさな砦。
ルイズは、そこに集う冒険者たちを見ている。


ひとりのネクロマンサーが、そこにやってきた。ルイズはふわふわと浮かび、彼についてゆく。


太古の秘術をおさめる神秘の教団、ラズマの僧侶は、ネクロマンサー(死霊術師、死体呪術師、死人占い師)と呼ばれる。
彼らが動くのは、<大いなる存在の円環(The Great Circle of Being)>に大きなゆらぎが生まれたときである。
彼らは独自の倫理観にのっとって、ときに秩序の側に味方をし、ときに混沌の側に味方をすることもある。

いたずらに生命の循環を破壊したり停滞させたりするような輩も、敵とみなされることもある。
たとえば人々が自らの存在に飽き、怠惰や贅につかり、生きる目的を見定めることを忘れ、他の生命にたいする殺戮を始めたときなど。
たとえば人が生命としての領分を忘れ、禁忌の術に手を出したときなど。
ネクロマンサーは混沌の手先として、人を狩ることも辞さない。

数万年にわたる長い歴史のなか、幾度もそういうことは起こっていた。
ゆえに、彼らは恐れられる。彼らは外の人々から理解されることを望んではいないし、あまたの誤解も生まれたが、とく理由もないと大抵はそのままにしている。

そんな彼らにとって、ただちに敵と断定できる、もっとも唾棄すべき邪悪とは―――
自らの領分<魔界>を離れ地上を侵略し、存在の円環の自然なバランスを破壊しようとする、魔王たち。

長兄、憎悪の王メフィスト。
次兄、破壊の王バール。
末男、恐怖の王ディアブロ。

三柱の魔王たちを倒すために、ネクロマンサーは立ち上がる。骨の杖(Wand)を手に、荒野へと出る。

「おれに立ち向かう全てのものたちよ、警戒するがいい。(All who oppose me, beware.)」

(ああっ……かっこいい! すてき素敵ステキ……あーもうこの気持ちは言葉じゃあ言い表せないわ!!)

ルイズはうっとりとした表情で、彼の戦いを見ている。

スムースに秘術を駆使し、スケルトンを生み出し、敵を呪い、ゴーレムを走らせる。
荒野に魔物の断末魔、殺戮の嵐が吹きすさぶ。
そんな旅の途中で、目的を同じくするものたちと出会うこともある。

アリート山脈の守護者、バーバリアン。鍛え抜かれた肉体で、敵をほふる。
双子島の熱帯雨林の女性戦士、アマゾン。卓越した技術で、弓と槍をあやつる。
古きザン・エスの魔女、ソーサレス。炎、氷、電撃の魔法を極める。
ザカラム教徒の盾、パラディン。聖なるオーラと強い信仰心で、人々を守る。
ヴィズジュレイの異端魔道師殺し、アサシン。マーシャル・アーツと罠で魔物を殺す。
北方の森の神秘、ドルイド。大自然の精霊の力を借りて、悪の手先に挑む。

見えざる目教団のシスターの多くは魂を堕落させられ、魔物のようになってしまった。
パラディンの故郷、ザカラムの都クラストはメフィストの影響をうけ、邪悪に染まってしまった。
彼女(ローグ)、そして彼ら(パラディン)は、故郷を取り戻すために戦い、かつて同胞だったもののなれのはてを殺戮する。歯を食いしばって。

つまり、人の心は容易に堕ちる。
ときには、冒険者たちの心が闇に堕ち、他の冒険者を狙って殺戮を行うようになる。(Player Killing)
ときには、魔によって自分の存在を見失い、世界の理からはずれ、ゆがめ書き換えた半人半幻の存在へと変貌する。(Cheat Character)


冒険者たちは、魔物だけでなく、ときにそのような人間を敵にまわしながら、苦難の旅路を行く。

魔物に取り囲まれて殺されることもあれば、宝箱に仕掛けられた卑劣な罠によって力尽きることもある。
闇に堕落した冒険者に殺され、コレクションとして耳を切り取られることもある。

冒険者たちは魔王を倒すという至上の目的のため、ときに反目しあいながらも手を取り合い、友情を結び、旅をつづけていた。

ルイズの見ていたネクロマンサーは、ある時奇妙な場所へと迷い込んだ。
ホラドリック・キューブに入れていたアイテムが、偶然にも合成され、異次元へのポータルを開いたのだった。


ポータルを抜けた、その先には視界一面に、草が生えていた。柵がたっていた。



そこは牧場だった。
牧場であるからには、そこには当然のように、牧畜である牛がいた―――




―――ただし、地平線を埋め尽くすほどに大量の、二足歩行して大きな武器を振り回す地獄の牛が、津波のようにネクロマンサーへと押し寄せ『モーモモー



「っわっきゃああぁああぅわあなはぅあーーー!!!」

ルイズは叫び、飛び起きた。
悪夢から覚めれば、そこは見慣れた天井、『幽霊屋敷』のベッドの上だった。

ルイズは全身に汗をかいていた。呼吸が落ち着かない。ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……

今まで見た中でも五指に入るほど、インパクトのある夢だった。しだいに震えが襲ってくる。
今のは、ルイズにとっては夢だった……のに、あのネクロマンサーにとっては現実に起きた出来事なのであった。

ぶんぶんと首を振った。
まだ夜中なのに、目はすっかり冴えてしまった。

「駄目」

ぽつりとつぶやく。

「……あの死に方は、無いわ……悲しすぎるじゃない、あんなの」

ぼんやりと中空をみつめる、焦点の合わない目から、ぽろぽろと涙がこぼれおちる。
見渡す限り大量の二足歩行をする牛に囲まれ、押しつぶされ、タコ殴りにされて死ぬ―――あまりに悲惨な末路、絶対にしたくない死に方だ。
人生で最期に発した言葉が『おれは乳しぼりじゃない』というつぶやきだというのはあまりに救いがない。

「あれは……悲しい……ひどい、ひどいわ……」

ルイズは亡くなった異世界の冒険者のために、しくしくしくしくと、涙をながした。彼の魂の安息を願った。

―――ほわん

ルイズの使い魔をやって、肉体を共有している骨の精霊、『タマちゃん』と名づけられたそれがルイズのなかから浮かび上がる。

髑髏の白い火の玉が、室内を照らす。


「……ちょっと、まさか……さっきのって!!」

ルイズは悟る。さきほどルイズが夢に見たあのネクロマンサーは、死してのち<存在の偉大なる環>を何度もめぐり、
幾度となく浄化と祈りを受け、多くが寄り集まって融合し、純化され―――そしてそしてどうなったのか、ああ、今なら理解できる。


そうなんだ―――

時をさかのぼって、精霊となったんだ―――




「……あなた、だったのね」

ルイズはボーン・スピリットを抱きしめた。
胸がいてつくように、やけるように、それでいてちっとも痛くない。
ルイズは<存在の大いなる環>、大天使ティラエルと司祭トラン=オウル、この素敵な使い魔と出会えた運命、始祖ブリミル、父と母と姉に感謝の祈りを送る。

やがてそれは、ルイズという存在を成り立たせてくれている、すべてのものへの感謝の祈りとなっていった。


汗で濡れた寝巻きがきもちわるい。これをどうにかしなければ。
さすがにこんな時間に浴場は使えないだろう、裏の井戸で水浴びでもしようと考え、ルイズはベッドから出た。

「おい娘っ子、こんな時間に何処いくんだ」
「裏よ、水浴びしてくる」
「外は寒いぜ、水を汲んできて湯を沸かして、中で体を拭けばいいじゃないか」
「……ここには、司教さまがいらっしゃるから」
「死体じゃねえかよ」

なるほど、部屋の隅のほう、天井から下がったカーテンで区切られている場所は、棺おけの位置からは見えないようになっている。
そういやいつもそこで着替えてやがるよな、律儀なことだ、とデルフリンガーは思った。

「おうい、風邪引くぞ―――っつのによう……ったく」



////10-2:【月明かりの下で】

冷たい水が、白い肌の上を流れ落ちる。
二つの月が、夜空にかかっている。こうもりがばたばたと羽ばたいていった。

ルイズは一糸まとわぬ姿で、手桶に汲んだ水を体にそそいでいる。

(……痩せたわね)

月の光に照らされた、自分の体を見て思う。肌の色も白くなり、血管が透けて見えそうだ。
胸のサイズも、以前より小さくなったのかもしれない。ふにふに、と揉んでみる。「ん」。やわらかくないこともない、といった程度だ。
足にはすこし筋肉が付き始めているようだが、脂肪が少なすぎる。
髪の質も、なかなかもとのように戻らない。いずれ食生活が安定すれば、すこしはましになってくれるのだろうか。

(キュルケの言うとおり、もっと髪の手入れに時間をかけようかしら)

とくに男性を意識しているわけではないが、自分の女性らしさが失われることは、ルイズにとっても悲しいことだ。

自分は将来結婚できるのだろうか。
もうずっと音沙汰のない、婚約者候補のことを思い出す。
もし彼と結婚できたのなら、彼はこの貧相な体を見て、さぞかしがっかりすることだろう。

久しぶりに、ワルドさまの顔が見たい。
ただ、ひとめ見るだけでいい、彼は栄えある王宮の衛士、グリフォン隊の隊長さまだ、さぞや凛々しくなっていることだろう。
こんな胸も尻もゼロの女には釣り合わない、キュルケみたいな……いや、あれは無いか、カトレアお姉さまのような良き方と一緒になるのだろう。

もし、私に、同い年の少年との出会いがあったのなら―――

いいや、結婚できなくても、私はラズマの尼僧。
トリステインの誇り高き貴族は、ラズマ聖職者にだってなれるほどに高潔なんだ、そう証明するんだ。

ルイズはポジティブにそう考え、やっぱり寒かった、と夜中の空気に歯をがちがち鳴らしつつ、体を拭こうとタオルを手に取るのだった。

―――……

やがて―――

ふと、二つの月を見あげて―――

それは霊感、と言ってもよいのだろうか。あっ、ゆがんでる―――

ルイズの手から地面へと、ぱさりとタオルが落ちる。

何か

が崩れ、つつある。

死ぬ

もう来ている

大きな運命の流れだ。たくさんの人が死ぬ。どうぶつたちが死ぬ。不自然なものへと変貌する。

生と死との間のバランスが崩れる、どんどんどんどん零れ落ちる大切なもの

堕ちた宝石が輝く―――呼ぼうとしている。

まずい、このままでは

堕ちる

運命が歪められる

いけない―――気づかれる、あぶない、見るな、あの私を見ている目を見返すな、

やりすごせ

私は何も知らない無力な少女だ

ここにいてはいけないなにかがいる

そんな予感、そして身の毛のよだつほどの壮絶(そうぜつ)な悪寒が、全身を走る。

通常の人には見えないもの……霊魂や運命の流れ、魔の気配など……が観(み)えるということは、『人が見てはいけないもの』を見てしまう可能性があるということだ。
それらは、通常の人には見えない、だから強力な魔は、人びとに見えないままに、気づかれないままに、人の心をおかしくしてゆく。

もし、それが見えてしまうことがあれば―――
たとえば、サンクチュアリのザカラム教の聖職者たちなどは、本山まるごと憎悪に屈し、闇に堕してしまったという。
人が深遠を覗き込むとき、深遠もまた人を見返しているのだ、とはよく言ったものである。
多感な年頃の、聖職修行中の少女の心にとって、それは―――

「どうしよう」

ルイズは目も虚ろに、はだかのまま空を見上げ、体をぶるぶると振るわせる。

「怖いわ、どうしよう、怖い、司教さま」

ぺたぺたと物置小屋に入り込み、棺おけへとすがりつく。返事があるはずもない、司教はただのしかばねだ。

「天使さま」

小さな子供のように、あたりをきょろきょろと見回す。天使がいようはずもない。

「助けて」
「どうした娘っ子!!」

デルフリンガーの声がひどく遠いものに感じる。どうしたかって? それは

「わかんない」

背後に気配、振り向けば、古きロマリア教皇の亡霊。
ここに裸の女性がいるからだろうか、わざわざマントを頭から被って顔を隠し、じっと立ち尽くしている。
まるでなにかを警告するかのように、片手をひくくのばして、部屋の中にある何かを指差している。

「寒い、とっても寒い」
「おい、大丈夫か! っち、水浴びなんてすっからだ! どうしちまったんだあ、しっかりしろよ!」
「悲しいわ」
「何を―――っておい、娘っ子! 尋常じゃねえぞ何やってんだ服くらい着ろよ! 正気に戻れ! ああもう―――待て、おい何処行くんだ!」

ルイズはふらふらと何かを追いかけるように、外へ歩いてゆく。

「や、やべえよ、とうとういかれちまいやがった、どうすんだよう……」

残されたデルフリンガーは、かたかた、かたかたと震えることしかできなかった。
今の住処に越してきて、自分が剣の身であることを、これほど無力なものだ思ったことは無かった。

「マジで、どうすんだよアレ……」

かたかたと金具のすれる音、騒ぎによって眠りから覚め怒っているらしい毒ヘビの、しゅるしゅるという音が鳴り続ける―――



////10-3:【わたしにできること】

真夜中、ドアに人の気配。
タバサは目を覚ます。

(……誰?)

眼鏡をかけて時計を見れば、誰もが寝静まっている時間。こんな夜更けに、誰がタバサを尋ねてくるというのか。
キュルケ? いや、彼女は今夜、恋人と過ごすと言っていた。
シエスタ? いや、彼女は基本的に夜は自室から一歩も出ない。
シルフィードは……おしゃべり好きの使い魔は窓からくるし、まず声を出すだろう。

扉の前でじっと動かずに居る気配。
残る可能性は―――ゼロのルイズ。夜に彼女と会うのは、タバサの精神衛生上あまりよろしくない。

「誰」

返事は無い。
怖い。
静寂。だが、確かに扉の向こうには人の気配。

タバサは杖を手にする。
敵意は感じられない。

「そこに居るのは、……ルイズ?」

やはり、返事は無い……もし、ゼロのルイズでなかったら……おばけ?
背筋が震え、足がすくみそうになる。

「……そこで、何してるの」

返事はない。
さあ勇気を出せ、雪風のタバサ。
相手は害意をもっていない、大丈夫だ。
扉を開ければ、あのゼロのルイズが、いつもどおりの薄気味悪い笑みを浮かべて立っているに違いない。



―――開けた。

ぎいいい、と、音がした。

「ルイ―――……」

タバサは言葉につまった。


そこには、確かにゼロのルイズが居た。

「…………っ!」

タバサは、舌を空気ごと喉の奥へと飲み込んでしまったかのように、言葉が出てこない。
目を大きく見開き、まるで背筋に氷をつっこまれたように、さあっと全身に鳥肌が立った。

そこには、ゼロのルイズが立っていた。
うつろな表情で、
生まれたままの姿で、
顔に張り付いた白い髪から水のしずくをぽたぽたとしたたらせて。

―――どこを見ているのか解らないその目は、まるで白い壁にあいた穴のようだった。

タバサは杖を取り落とした。
かくりと膝が折れてしまう。完全に腰が抜けたのだ。

肺の中の空気を全部吐き出してしまった。吸い込む、今度は吐き出すことができない。
心臓はばくばくばくばくと戦場の大砲のようになりつづけている。

「!!―――ぅ、く……」

タバサは顔を恐怖と驚愕にゆがめ、歯を食いしばった。無意識に、ずりずりと腕の力だけで数歩分の距離をあとずさっていた。眼鏡がずれる。

「―――ぁ」

何か言わなければ、と思うが、タバサの思考は恐怖でオーバーヒートしつつあった。ひゅうひゅうと喉が鳴る。

「寒いわ、とても寒い」

白い髪の少女が、ぽつりとそう言った。
恐怖の針が振り切った。意識が飛びそうになる。

「寒いの」

聞き取れないほど小さな声。その言葉を、タバサは耳にする。
そのおかげでなんとか、タバサは、ほんの少しだけ冷静になることができた。深呼吸をする。
―――服を着ていないのだ、寒いのは当たり前だろう―――そんな思考が、迷宮の糸のように、タバサの心を平常レベルに引き戻したのであった。

「……ど、うしたの、何が、あった」
「助けて……怖い」

なんとか喉の奥から、声をしぼりだした。
彼女は誰かに襲われたのか? 敵が近くまで来ているのか? わたしは、どうすればいい? むしろわたしが助けてほしい―――
ルイズはふらりとタバサへ歩み寄ると、腰を抜かしているタバサの膝の上に、くたりと体を折り、崩れ落ちた。

「!…………」

ルイズはがちがちと歯を鳴らし、がたがたと震えている。
いつも彼女は異常だが、今日はなおそれに輪をかけて異常だった―――
すっぱだかのまま外を歩いてここにきたというのか? いったい彼女に何があったのだろう。完全におかしくなってしまったのか、そうだったらとても悲しい。

「まって、毛布を」
「怖い」

ルイズは何かにひどく怯えているようで、ぶるぶる震えており、立ち上がろうとしたタバサのネグリジェをぎゅっと掴んで離さない。
タバサは仕方なく、杖を拾って『レビテーション』の魔法をかけ、彼女の体を持ち上げる。
ルイズをベッドへと運び、毛布につつんでやる。先ほどまでタバサ自身が寝ていた場所なので、暖かいだろう。
枕が水滴で湿ってしまったので、タオルを魔法で取り寄せて、くしゃくしゃと拭いてやる。


「いったいどうしたの、いまのあなたはおかしい」

いくら話しかけても返事が無いので、顔を覗き込むと、ルイズはすでに眠っていた。
なにか怖い夢でも見たのだろうか。それとも、もっと恐ろしいものと出会ったのであろうか。

タバサにとって火竜より怖い、ゼロのルイズですら怖がる何かだ、よほど恐ろしいものにちがいない。
ぶるぶると背筋を震わせ、タバサは自分の身をかき抱く。襲ってきたらどうしよう、私が守らないと。

怖いおばけの夢を見るかもしれない。このぶんではタバサもひとりでは眠れないだろう。
ベッドは占領されてしまった。ルイズに何があったのかは気になるが、起こすのはしのびない。
誰かの部屋に泊まりにいこうか。キュルケの部屋には―――はだかの男の人がいるのだろう。
モンモランシー、シエスタ……。眠っているだろう、迷惑をかける。

ゼロのルイズは、寒そうだ。予備の毛布を何枚かタンスから魔法で引っ張り出して、ルイズの体の上にどんどん積み重ねる。
ドアにしっかりと鍵をかける。いつでもシルフィードを呼べるこの部屋なら、敵が襲ってきても逃げられる、安全だ。
この娘が恐れる何かから、私が守らないと。勇気を出して、タバサはルイズのとなり、ベッドに入る。眼鏡をはずして枕元に置く。

「……怖いわ、寒い」
「大丈夫」

返事が無い、ただの寝言のようだ。弱りきったゼロのルイズは、他でもないタバサを頼って、わざわざここまで来たのだろう。
―――自分が怖いとき、何度もキュルケに助けてもらったように、今夜はわたしが誰かを支える番だ。それに……

「怖いよう」
「大丈夫、わたしがいる」

以前ルイズには、命を救われた。彼女はとても怖いけれど、大切な思い出もくれた。
だから、たまにはこうして、頼られるのもいいかもしれない―――

「おやすみ」

ルイズのひんやりとした手を握る。
タバサは目を閉じた。



////10-4【指輪】

古びた剣と聖者の遺体が残された、住人のいない『幽霊屋敷』で、月の光を浴びて薄く発光する物体がある。
さきほど昔のロマリア教皇の亡霊が、まるでこの部屋の主人に警告するかのように、指差していたものだ。
それは、ネックレスに通された指輪。ベッドサイドにおきっぱなしの、ヨルダンの石(Stone of Jordan)だった。

さきほどルイズを『見た』目は、どうやらこれを探していたらしい。

ルイズは箱に入っていたそれを、天使からの贈り物だとばかり思い込んでいる。

勘違いである。

―――

―――

「ようやく見つけました……ここは、トリステイン、魔法学院ですか……おや、これは失礼、ふふ、なんとも可愛らしいお乳だ」

すっぱだかの少女が見えてしまい、聖職のトップである彼は苦笑した。
ふむふむ、と、しばし堪能する。周囲にはだれもいない、彼も男性だ、こんな状況に出くわせば誰だってそうする……と、彼は思っている。

(それにしても、こちらが見ていたことに、よく気づけたものですね)

ハルケギニアにも、ときどき魔の気配に敏感に気づくことのできる人物がいる。

あの白髪の少女は、彼が見ただけで、ひどく怯えていたようであった。
あの程度で錯乱するとは、実力などたかがしれている。放っておいても、たいしたことはできなかろう、と笑う。
まことに強い力というものは、ただ『見せる』だけでも役に立つものである、というのが彼の考えだ。

彼は、このハルケギニアから戦乱を無くしたいと、心から思っている。

そのためには、彼らの始祖の残した『始祖の虚無』という大きな力が必要だ、と考えている。
ハルケギニアが一丸となって、みなの心のよりどころ、聖地を奪還しなければならない。

この世界が一丸となるためには、人類にとって、唯一の敵が必要である。

―――恐怖の大王<DIABLO>を降臨させるのだ―――

そんな野望を抱いた彼は、ある日、自らの使い魔をガリアへと送った。
使い魔の老練な魔道師は、<召喚術(Summoning)>に長けている。
<世界扉>より現れた宝石のカケラ<Chipped Worldstone of Nightmare>をカギとして使えば、彼の使い魔の召喚術に、不可能はない。

恐怖の王を喚(よ)ぶには、現世の肉体が必要だ。それは、国でいちばん知名度と位の高い、王族が望ましい。

- -
かつてサンクチュアリの世界において、恐怖の王は、カンデュラス王国の名君と誉れ高きレオリック王を寄り代としようとした。
だが、それは失敗し、レオリック王は狂気に囚われた……それでも、肉体を乗っ取らせはしなかった。
やがて、狂ったレオリック王は、騎士団長ラックダナンに殺害された。
そして結局、恐怖の大王の寄り代となったのは、レオリックの子、アルブレヒト王子であった。(DiabloⅠストーリーより)
- -

王族とは、このように得てして魔へと堕ちやすい。

無能王と呼ばれるガリア国王は、自分と同じ<虚無>の系統であるが、始祖をまったく敬っていない。

彼はそいつが嫌いだ。あいつに代わりはいるので、あいつの肉体を使って、召喚してしまえ、と考えた。
<虚無>を使える<DIABLO>さまだ、さぞかしおそろしいにちがいない。世界中に恐怖を振りまいてくれる。
そうしたら、世界中のみんなで、いっせいにフルボッコだ、殺せば人の心をまとめる英雄も、次の<虚無>も生まれる。

あとは、行方不明の『炎のルビー』をじっくりと探しだす。

そうすれば、<四つの四>―――四人の虚無の使い手、四つの秘宝、四つの指輪、四人の使い魔、がひとところに揃うではないか。
<四つの四>がそろい、<始祖の虚無>を得て、戦乱もなくなり、聖地へと行ける!

―――ああ、なんと良いアイデアなのだろう!

もはや彼は、自分がすでに魔に魅入られていることに、気づいていなかった。

だが、その試みはすぐに頓挫(とんざ)した―――

ガリア国王ジョゼフが、自らの身を呈して、こちらのたくらみを打ち砕いたのだ。
これでは恐怖の大王を召喚しても、ろくなものにはならない。<扉>の開通できない場所に引きこもられてしまえば、殺せもしない。

なので彼は、別の方法をとることにした。

ヨルダンの石の、秘められた力を使おう。
使い魔の能力で写し身だけを喚(よ)ぶよりは、これとあわせて、もっと恐ろしいものをよべる。

アルビオン大陸に、<レコン・キスタ>という名の、恐怖の下地はととのえられている。

彼は配下のものを呼びつける。
魔法学院につながる<扉>を開く。系統魔法の<虚無>による、<移送扉(ポータル)>だ。
コツコツ貯めた精神力をやけに使うので、無駄遣いはできないが、いまこそ使うときである、と彼は決断した。

一度つかえばこの魔法はしばらく使えないが、まあよいか、と彼は思う。
ヨルダンの石が、ほらもう目の前にある。もうすぐ地上に地獄を呼べる。落ちているものを拾うように、さあ、ひょいっと手を伸ばすように―――

手下は<扉>をくぐり、やがて戻ってきて、戦利品を見せてくる。
まちがいなく、それはヨルダンの石(SoJ)だった。自分の持っているもの―――同じ方法で、ハーフエルフの少女から盗んだもの―――と見比べる。
帯びている力は弱いようだが、これを持っていた胸の小さい彼女の世界における重要度も、その程度のものなのだろう―――

―――ニコリと、絶世の美青年は笑った。

「よくやりました、すぐに適当な商人を呼び、二束三文でよいですから、売り払ってください」

彼の手下は、深々と礼をして、盗んできた『ヨルダンの石』の指輪を手に立ち去った。



このように彼は、ヨルダンの石を消滅させ、運命の流れをゆがめ、『別の寄り代』を使って、あの恐ろしいものを召喚しようとしている。
その寄り代は、もう、彼の使い魔が見つけている―――


////10-5:【石はどこに】

ロマリアに滞在していた名もなき商人である彼は、真夜中、法王庁の者にとつぜん呼び出され、美しい石のついた指輪をたったの銀貨三枚で売りつけられた。
ほかにもいろいろと品物を見せられ、安値で手わたされた。こちらは大もうけをした気分だ。

それにしても、妙な魅力のある石だ、と彼は思い返す。
もう一度眺めてみよう、とポケットをあさる。

彼の手に、指輪が触れる。取り出してしげしげと眺める。

ふふ、と笑い、これをどうしようか、と考える。商品として売るには、惜しい気がしてきたのだ。
商人は金を集めるもの、金を集めるのは生活のため。
生活に必要なぶんを越えたお金は、高価な品物を買うためにも使われる。

絵画、彫刻、そして宝石などを買うのだ。眺めて楽しんだり、人に贈ったりするために。
そういえば最近トリスタニアで、ときどき妙に質の高い宝石(Gem)がやりとりされているようだ。
聞けば出所不明の宝石で、どこかの貴族の隠し鉱山にて秘密裏に産出されているのだろう、という噂だ。

もしそんな隠し鉱山などが見つかれば、大騒動がおきるだろう。
隠し鉱山などを掘ったり維持できる人物は、相当に高い地位をもつ者に違いない。誰だろうか、ひょっとすると王宮の高官だろうか。

ロマリアに滞在していた名もなき商人であるところの彼は、明日にはゲルマニアへと帰る船に乗る。
この指輪、妻か姪にでもあげようか―――

宿にて彼は就寝時、それを枕元に置き、翌日になって―――石が、こつぜんと消えているのを目にする。
すわ盗難にあったのか。なんとも勿体無いことだ。

<光の国ロマリア>とは名ばかり、ここの治安もそんなものか、と長年商人をやっている彼は、それほどショックを受けなかった。

―――

―――

ヨルダンの石(Stone of Jordan)。

かつて預言者が神より賜った川、聖者が禊(みそぎ)を受けた川で生まれた、<境界の石>。
穢れと聖(ひじり)を分かつ石。幻想(null)と実体(substance)。価値のないものと、価値のあるものとの境界にある石。その存在は、ごくごく希少である。

この石は、ひとつの世界と他の世界との運命の流れどうしが交差し合い、双方の世界の運命に大きな分かれ目が出来たとき、流れの交点にいるものへと向かって、自然と押し出されるかのように流れ出てくるものだ。
まるで、大きな岩が下流へと流れてゆくまでに、小石になるかのようにして。
そんなことは滅多にないからこそ、この石は貴重なのである。

天界(Heaven)の摂理がそうなっているのだが、地上の人間の味方である大天使ティラエルも、これが現れたことを知らない。

大きな運命は、たいてい死すべき定めの人間にかかわる。なので、この石も自然と人が身につけやすい、指輪のかたちをとる。
運命のうずの中心にいる人物のもとへと、大きな力を秘めて顕現する。
人の心の魔を、ひどい悪夢を、そして地上へと現れた地獄を打ちやぶることを許されているのは、死すべき定めのものたちだけだから。

だから、運命の流れと直接のかかわりを持たない人物―――たいていは商人であるが―――へと金銭を対価として譲渡されたとき、
石は崩れ落ちて消滅し、運命の流れは大きなよどみを引き起こす。

その運命の交点にある、全ての石が消滅したときには……相応の結果を引き起こすこととなろう。

どんな恐ろしい結果となるのか、は……<神の頭脳>ミョズニトニルンの能力によってすらも、まだ読み取ることはできていない。

[ 一定数個のヨルダンの石が商人へと売却され消滅すると、より強大なる<恐怖>の大王が降臨する―――]
(IF xxx Stone of Jordans sold to merchants, -----a Uber-Diablo gonna come...)

という文言が、サンクチュアリにおいて、はるか昔に途絶えた魔導氏族(Mage Clan)の遺した文献のなかに存在するという。



////10-6:【聞こえない声】

どうしよう

つれて行かれた

にゅーってとびらがあいて

きもちのわるい気配がして

ひとがでてきた

だいじょうぶ、兄さんなら

すごいから

あたまがいい

あのこをたすけた

たすけて、って言ってたから、たすけた

よかった

よかった

兄さんなら、かえってこれる

かしこいから

でもこわい

あれはこわくない、あのこのほうが、ずっとこわい

ナイトはへたれだ

ほんとつかえない

―――と、人間には聞き取れない言語で会話しあう、何者かがいる……


////10-7:【朝チュン】

心の底から愛しうる相手と出会ったとき、ひとは『これは運命だ』と感じるのだという。

たとえば、トリステインの王女アンリエッタは、ラグドリアン湖で愛を語り合った、従兄アルビオン王国ウェールズ王太子のことを忘れてはいない。


だが運命とは、ときにひとのこころを軽々と押しつぶすものである。

かのアンリエッタ姫は、当の運命によって、ウェールズとこころをかよわせながらも、望みどおり結ばれることはできていない。
その事情を知るものはほとんどいないが、もし知った者がいたのならば、なんと悲しい運命なのだろう、と言うことだろう。

運命とは、通常はものやひとや立場や敵など、目に見えるものとして現れる―――普通の人に見えるのは、たいていそこまでだ。

そして―――

運命の流れを直接観ることが可能だということは、自分のこころをおしつぶさんばかりの恐るべきそれを見ても、耐え切れるほどの、こころの強さが必要だということだ。
つらい運命を、弱い弱い人間がたったひとりで耐え切ることは、往々にして出来ないものである。

だが、もし、ひとりではなく、そばにいてくれる人がいたとすれば―――

(…………ん)

ルイズ・フランソワーズは目を覚ます。
焦点の合わない目が、ぼんやりと天井を見る。

(あれ?)

運命の大きな流れのなかにあった、巨大な<苦悶>の感情のよどみが、霧が晴れるかのようにして薄くなっている。
少女のこころを主にさいなんでいた、ひどく大きなものが、消えていた。自分から何かを奪おうとしていた恐ろしい運命が、すっぽり消えていた。
ルイズは寝起きのぼうっとした表情のまま、ただ中空をみつめて、働かない頭で思考をつづけている。

―――そうだここは、寮の自分の部屋だ。
天井には見覚えがある。壁の色にも見覚えがある。

夢だったのか。

ヘンな夢だった、天使やら死体やら幽霊やらが出てきた―――

でもとてもとても楽しい夢だった―――

ツェルプストーやタバサと仲良くなっていた、信じられない―――

世界中の水のメイジを集めて治療しても良くならなかった、ちい姉さまの身体を私が治すなんて、まるっきり不可能なことなのに―――

「……へぷち」

くしゃみが出る。寒い。
もういちど布団にもぐる。あたたかい。

最後のところはとても怖い夢だったけど、続きはきっと、みんな幸せになれて、笑顔で―――

意識がまどろむ。


ふに、とやわらかいものに手が当たる。あたたかい。ふに、んんう……

ここちよい。あたたかい。

ルイズは寝ぼけた頭でそう考え、そのままもはや習慣と化している、二度寝を実行する。



つらい運命を、ひとがたったひとりで耐え切ることは、往々にして出来ないことである。
だが、もし、ひとりではなく、ともに歩むひと、そばにいてくれるひとがいたとすれば―――

思いのほかやすやすとそれを乗り越えたり、できてしまうものなのだという。


しばらくのち、雪風のタバサの部屋いっぱいに、白髪の少女の絶叫が響きわたったのは、言うまでもない。


////10-8:【ガビーン】

(……あれ?)

ある日、朝一の授業を受けるために教室に入ってきた赤い髪の美女キュルケ・ツェルプストーは、友人二人の様子がおかしいことに気づいた。
雛壇状になった座席で、ゼロのルイズの上下左右と斜めは、いつもぽっかりと開いている。誰もが怖がって近づかないからだ。
ときどき、キュルケやタバサがそこに座る……そんな聴講席の大穴の場所が、ずっと遠いところへと移動している。
雪風のタバサは、いつもと同じ場所に座って本を読んでいた。

「ねえタバサ、何があったの?」

タバサは本から目を離し、相変わらずの無表情で、特に何もなかった、と言い、本へと視線を戻す。これは普段どおり―――おかしな様子はない。
キュルケは思案する。タバサからルイズに対しては、わざわざ席を近づけたり、遠ざけたりする理由がない―――怖いことのないときであれば。
ならば、ルイズが自分から遠ざかったのだ。キュルケはゼロのルイズ空洞地帯(通称:エリア51)へと近づいていく。

「おはようヴァリエール、ここよろしくて」
「おはよう、どうぞ、ツェルプストー」

ルイズは、机の上に5冊ほどのノートをひろげ、ペンを片手にかりかりかりかりと何かを書いていた。本が3冊ほど積んである。
ノートを見ると、文字だけではなく、記号やら模様のようなものがたくさん。ハルケギニアの文字も、ちらほら見える。
ぴっ、と勢いよくフリーハンドで引かれた線は、まるで定規でも当てられたかのように真っ直ぐだった。あれ、この子って昔はずいぶんと不器用じゃなかったかしら?

「お勉強?」
「そっ」

ルイズは、とくに機嫌がよさそうでも、悪そうでもない。普段どおりの様子だが……行動はそうじゃない。
いつもこの白髪でやせっぽちの少女の行動は読めないが、こんなことは初めてだ。
目の下にくまができており、ただでさえうす気味の悪い顔がますます怖くなっている。風邪でもひいているのか、くしゅん、ずびずび、と鼻の頭が真っ赤だった。
何か、ひどく焦って行動しているようにも見える。そんな風にルイズを観察していたキュルケだったが、図形の中にいつだったか見覚えのあるものを発見する。

「ひょっとして、占いの勉強かしら?」
「うん、そんなようなものよ……よく解ったわね」
「―――何かあったの?」

ぴたっ、とルイズのペンを持つ手がとまる。白髪のひと房が、ぴくぴくっ、と震えた。

「何でもないわよ」

ふたたびかりかりかり、とペンを―――おや、とキュルケは思った。彼女は伊達に春先からルイズたちの行動を観察し続けてきてはいない。
ふむ、タバサは『特に何もなかった』と言ったが、あれは『結果的に何もない状態になったので、特に言うべきことではない』ということだろうか。
キュルケから見て、ルイズとタバサの二人の間には、よくそういう『省略されました』というような出来事がある。何かを秘密にされている。

キュルケは思う―――

二人だけでどこかへ出かけたりしているのだろうか。あたしだけ仲間はずれ、ということか、それは寂しいことだ。
恋人の代わりはいくらでもいても、ルイズとタバサの代わりは、世界中探したっていないのだろうから。

三人とも、出身国が違う。

ルイズ・フランソワーズはトリステイン生粋の貴族の子女だ。
ピンクブロンドの長い髪、細いからだ、真面目すぎるほどに一直線な、まぶしい貴族の魂(たましい)。
―――そんな時代が、彼女にもありました……
いまや荒れ気味の白髪、細すぎる体、斜め上四十五度に一直線な、あぶない奇特の塊(かたまり)。
まぶしいヒトダマなんかをぴゅうっと放っちゃって、もう大変だ。
ときに見ていられないほどだけれど、見逃すには勿体無さ過ぎることをやらかす。
最近ライバルだと名乗る自信がなくなってきた―――いろいろな意味で。なんて恐ろしい娘!

そして―――
タバサは、最近知ったが、どうやらガリアからの留学生らしい。秘密が多く、親友のキュルケも彼女については知らないことが多い。
この青髪の読書好きの眼鏡少女は、ルイズと同じくらい細いからだをしているが、よく見ると子供体型のうちがわに、いくぶんかの筋肉をつけている。
いつも語らず騒がず無表情、ときどきふらっと居なくなってひょっこり帰ってくる。小遣いは本につぎ込んでいるらしく、いつも貧乏。
舞踏会のときには上質のドレスを着ていたが、あれはよくみると古いもの……誰かのお下がりに違いない。
彼女に友人はいなかった。彼女は孤独で、他人を頼るということを一切しなかった。
あたしの情熱の炎は、この子の永久凍土のような殻を溶かし、その隠された内側の心を温めることが出来るのだろうか―――そう思っていたのだが……

最大の、ライバルに、してやられた。

―――喋ること、友達を作ること以上に、この冷静な雪風のメイジは幽霊が苦手だった。
容赦なく彼女の弱点を攻めさいなみ続ける、悪夢のようなゼロのルイズに、春からずっと何度も何度もしつこいまでに脅かされつづけ―――とうとう、他人を頼ることを覚えた。
キュルケ、シエスタ、ギトー、コルベール、ギーシュ、モンモランシー。
『恋をする』という占いの結果が出て以来、ほんのたまに、接点のないクラスメイトたちと会話する姿まで見られるようになった。
恐怖にゆがむ表情が、安堵に変わったり、落ち着いたり……薄く微笑んだり。読書だけでなく、自分から他人とのかかわりあいを求めたり。

ああ―――憎々しいゼロのルイズめ、永久凍土をがりがりがりとボーリングして中身を採掘してしまった。
今まではあたしだけが独占していたそれを、容赦なくばら撒いてしまったので、皆が、その美しさに暖かさに気づいた。
あたしが考えもつかなかったし、取ろうとも思えなかった方法だ。自覚してやったのだろうか、そうでないのか――――――断言できる、後者だ。
それがうらやましい、うれしい、そしてとても楽しい。

この三人は、出身国も境遇も違う。いつか離れ離れになってしまうだろう。微熱は、大切な時間、その瞬間瞬間に燃え上がる。魂の渇望があるのだ。
もっと大切な時間を、たくさんたくさん、あたしにも共有させて欲しい―――

「で、タバサとの間に何があったのよ」

キュルケがそう問うたとたん、ルイズは再びペンを止め、みるみるうちに真っ赤になった。耳たぶまで。

「な、何でもないわよ……今忙しいから、あとにしてくれないかしら」

この白髪のメイジは授業中も内職するつもり満々なのだろう。見ても、何をしているのかはよく解らないが。
昨晩のうちに何かがあって、占いをもっと深く勉強する必要が出来たのだろうか?

あの日の占いが当たった、という話は、キュルケもよく耳にする。

花を育てよ、と言われた少女は、日の当たる広場に花壇をつくり、それがきっかけで新しい友人と、生涯の趣味を得たという。
しばらく塩の小瓶を手元に置け、と言われた少女は、割った小瓶で手を怪我し、偶然通りかかった憧れの人と親しくなったという。
ギーシュ・ド・グラモンもコルベールと一緒に研究をし、なにやらいろいろと稼いでいるようだ。最近は税金まで支払いはじめたとか。

ルイズの『死相が出ていない』という予言どおり、囚われたままだとしばり首が確定であった『土くれのフーケ』は、逃げたという。
『いや、逃げたのではなく、ゼロのルイズによってすでに秘密裏に処分されていたのだ』という噂はともかく……

謎は多い。あたしと変人教師のことは……いやいやそんなことはあるはずがない、あたしが恋をするというのはどうなったのか。
モンモランシーの大失敗は、タバサの恋はどうなったのか。予言や忠告だけで、具体的な行動の提示も無かった。
それも気になるが、あれほど当たる占いをさらに追求する必要とは、一体何なのだろう? 恐ろしい目にでも会ったのだろうか?

いまのルイズの様子は、どこかひどく余裕の無いようなものに見える。
まるで春の召喚の儀式以前の、魔法が使えないという劣等感にさいなまれ、ただプライドだけが肥大していたころのように。

「……ということは、あとで教えてくれるのね、授業が終わったらお願い、ヴァリエール」
「しつこいわ、ツェルプストー」
「どれほど恥ずかしいことなのかしら、とっても楽しみだわ、タバサは優しいから他言しないでしょうけど……よっぽどなのね」

まさか、とうとうとち狂って同性のタバサに欲情して、襲い掛かったりしたのかしら?
―――と言ったとたん、ペン先がズビッと紙をつらぬき、みるみるうちに、ルイズの目のツヤが消える。
な、わけ、ない、わよね、と続けるキュルケの言葉はしだいにちいさくなり、やがてごくりと唾とともに喉の奥へ。

「ウフフフ、ねえあなた、おなかの中に虫を飼ってみない? ねえ? ほら、とってもステキな、痩せる毒を出してくれるらしいわよ、胸とか」

キュルケは慌てふためいて『そ、そんなはずないわ、ごめんなさいねルイズ』と、ルイズが本気で飲ませようとしてくる何かの小瓶を、必死の思いで押し返しながら―――

(うん、やっぱりヴァリエールはこうでなくっちゃ)

と、微笑みかけ―――そして、とある驚愕すべき事実に気づいた。

(えっ……ちょっ、あれ……な、なんだかあたし、今―――とっ、とんでもなく間違ったこと考えてなかったかしら!?)

キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーはだらだらと汗を流し、ただただ戦慄するほかなかった。

慣れとは、このように恐るべきものであり……彼女の苦労は、ルイズ・フランソワーズがそばに居る限り、まだまだ尽きないようである。

////【次回:アルビオン手紙編へと続く】



[12668] その11:いい日旅立ち
Name: 歯科猫◆93b518d2 ID:b582cd8c
Date: 2009/10/31 15:40
////11-1:【さーふぁ】

ゼロのルイズは今、たくさんの悩みや困った事態を抱えている。

(やっぱり気まずい……どう話しかけたらよいのかしら)

ある日のこと、教師ギトーが『遍在』のスペルを使って、二人に分身したとたんに、ばっと左右同時に両手足をひろげ『超高速反復横飛び!!』と言った。
『私のジョークは風のようにクールである』と言いながら木枯らしのように去っていった。
ひょっとすると、あれは彼が彼なりに生徒たちとの距離を縮めようと考え抜いた結果の、一世一代の大舞台だったのかもしれない。

それはさておき―――

(あれと同じくらい……いえ、もっと気まずいわね……)

ゼロのメイジ、ルイズ・フランソワーズは、ここ何日か、雪風のタバサにあまり近づけずにいる―――
雪風のメイジは全く気にしていない様子だが、ルイズのほうは、顔をあわせるとぎこちなくなってしまうのだ。
なにしろ、ある日の朝、目が覚めたら、タバサと一緒にベッドの中に居て―――自分は、なんと服を着ていない、すっぱだかだった。
それ以来、気まずくてしかたがない。幸いのところ向こうは気にしていないようなので、仲直りしないと、と思う。

今日の授業は午前中で終わりなので、ルイズはひとり日傘を差して、てくてくと散歩をしていた。最近ときどき、日の光が目や肌にきついことがある。
サンクチュアリ世界において、ラズマ教徒たちは、東方の密林の地下に都市を作って住んでいる。
巨大なドームがいくつか、それらをつなぐ洞穴が四方八方に地下茎(リゾーム)のように延びている。
夢で見たとき、どこか不気味ながらも人の生活を感じさせる、ほのかな明かりのぽつぽつと燈る街は、美しかったなあ、とルイズは思い返す。

ルイズも先日ギーシュに頼み、使い魔のモグラにちょっとした空洞を掘ってもらった。
そこを基点に、ゴーレムやスケルトンといった労働力を駆使し、目下着々と地下室(ダンジョンともいう)を製作中である。
使用に耐える部屋のうちひとつには、『黄金の霊薬(エリクサー)』の精製拠点を移してあり、順調に作成中である。

カジノ、宝石商売、ポーション、アイテム販売で得た大量の資金を、惜しみなくエリクサーの素材購入のためにつぎ込んでいる。
実験中に出来た試作品は、そのうち実家に持ってゆく予定だ。
実際に作ろうとしてみると霊薬は非常に難しく、これの効果は本物に遠く及ばない微々たるものだが、姉の病状の進行を和らげるために、ささやかながら貢献するはずである。

さて、一週間ほど後には、ルイズの住むトリステイン王国の王女、アンリエッタ姫が学院へと視察にやってくるそうだ。
午後からの学院行事、『使い魔品評会』に出席したがっているという。
ルイズは数少ない友人たちに、総出で、どうか出演しないでくれと懇願された。
トリステインの姫君に公衆の面前でアワを吹かせたり失禁させたり、心臓マヒでショック死させたりするわけにはいかないからだ。

―――最悪、戦争になる。

トリステインの象徴が崩れたぞ!
ゲルマニアとの同盟ってレベルじゃねーぞ!
たったいま国は大混乱だ!
あばばばば!
あれ、これってチャンスじゃね? そうじゃね?
よろしい、ならば戦争だ!

――と、想像して、ルイズは一人ぶるぶると震えてみる。

もちろん、大いなる死霊術の秘儀は、他人にそうそう見せてよいものではない。
なのでルイズは最初から、品評会に出るつもりなど無かった。だが―――

ルイズとアンリエッタ王女は、かつて幼いころに友情を誓い合った遊び仲間でもあった。なので、彼女に自分の使い魔を見せることができないのは、寂しくも思う。
かつて、貴族は国のため、国の体である王のために命を張るものだ、と姉であるカトレアは言った。
だがルイズはいちトリステイン貴族であるのと同時に、司教の遺体を送り返すまでは、ラズマ聖職者として行動せねばならない。

王女を喜ばせる、国の力となる貴族の喜びと、神聖なる生命と死とのはざまで、大いなる運命の流れに貢献する喜びには、溝と隔たりがある。
運命のいたずらによってその狭間に閉じ込められた、小さなルイズ・フランソワーズは、まだ悟りにも達観にも至っていない。

ともあれ―――

現在のルイズの問題は、数日前の錯乱、デルフリンガーの目撃した空き巣、雪風のタバサとの気まずい関係、その他にも山積みである。
ルイズの首にはもう、『ヨルダンの石』の指輪の通されたネックレスは、かかっていない。

空き巣に入られた翌日には、風邪気味の鼻をずびずびくしゅんとすすりつつ、部屋じゅうに対侵入者用のワナをしかけた。
姉のときの教訓を活かし、無関係な人がワナにかからないよう、攻撃対象をディテクトマジックを使ったものに限定した。
うしろぐらい侵入者ほど、警戒するだろうから。

ご丁寧に『危険!!ワナあり入るな!!入ればとびちるきみの肉』という看板まで立てた―――これで完璧ね!とルイズは額の汗を拭き、満面の笑みだった。
シエスタがぼんやりと突っ立ったまま、死んだ目をしてそれを眺めつづけていた。ああ、そんなに気に入ってくれたのね!とルイズはご満悦である。

さて、白髪のメイジは、静かに怒っている―――
あのとき、もっと落ち着いて、心をもっと強くしなやかに持っていれば、あの程度の邪悪な視線に屈することなどなかったのではないか。
おかげで裸で外に出て友人に迷惑をかけるなどという、たいへん恥ずかしいことをしてしまった―――翌日は、どれほど顔を赤くしたものか。
未熟な自分がうらめしく、邪悪がゆるせない。

二度は無い、次があるとすれば、跳ね除けるか、静かにやりすごさねばならない―――恐れれば恐れるほど、ひとの心は闇に飲み込まれるものだから。

ところで、ここハルケギニアであれほど邪悪な気配を感じたという事実は、極めて大きな問題である。
翌日には運命の流れのなかの巨大な<苦悶>の気配が薄まっており、おかげでなんとか精神状態を復帰させることができたのだが、
ルイズにはこの世界で、いったい何が起きているのかさっぱり解らず、ただ首をひねるだけだ。

<存在の大いなる環(Great Circle of Being)>の自然なバランスを崩すほどに大きなものが、この世界に入り込んできたのだろうか。
まだいるのか、そうでないのか。沢山の人々がひどく怯え怖がっている、<恐怖>の気配がうっすらと漂っている。
アルビオンで王党派と貴族派のあいだで戦乱が起きているというが、どこかで大きな戦争が起きたときは、あのような運命のゆがみや悪意が普通に生まれるものなのだろうか。

大きく恐ろしい邪悪な存在にたいし、たった一人のラズマの徒ルイズ・フランソワーズは、何が出来るのだろうか。
天使もラズマの大司教もいないハルケギニアは、小国トリステインは、もしそんな邪悪に侵略されたとすれば、果たして耐えきれるのだろうか。

―――ルイズには、悲しくなるほどに、解らないことばかりだ。そっと、ため息をつく。

アンリエッタ王女に告げようか、この世界に危機が迫っているかもしれない、と。もちろん、確信も証拠もなにひとつ無い。
異教徒の『危機』とは正教の『勝利』なのだ。ただの妄言であり、異端であり、心をまどわす邪悪とされるかもしれない。
ただでこそ、学院での彼女の立場は、この有り様である―――さあ見よ、彼女の通る先々で、まるで神話における預言者の割った海のように割れていく人なみを!

ルイズ・フランソワーズは心を震わせ、自分の出来ることを考え、頭脳をルーンでブーストし、フル回転させて、しゃにむに行動する。
彼女は必死に占いの勉強をし、より大きな流れを、より細密な運命を、より有効な選択肢を見通さんと、ひたすらに努力を続けている。
知識を学び、霊力を強くし、神聖なる技を磨き、生と死との境界を見極め、秘薬を調合し、道具を集め開発し、心強く平時に心休まる仲間を得て―――

やがて来るであろう大きな運命の波に、耐えようとしている。


一週間後、仲直りの意を決したルイズがお菓子を持ってタバサの部屋をおとずれた日、ひとつの事件が起きる―――



////11-2:【鳥だ、飛行機だ、いや……】

金髪縦ロールの貴族の少女、モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシは、まず頑丈なロープを用意した。
秘薬の原料を梱包するために用いられるそれは、固定化をかけなくとも荷を運ぶ馬やロバの背にとりつけて左右に重たい荷物をぶらさげても千切れない、頑丈なロープだ。

次に、椅子をうんしょうんしょと運ぶ。
貧乏ゆえに貴族とはいえあまり装飾の少ない部屋の調度品だ、木の質はそこそこで案外長持ちしている、シックなデザインの古い椅子だ。
割と気に入っている。

彼女は『レビテーション』の魔法で浮かび上がり、天井の梁(はり)にロープを結び付けようとする。
難しい。片手に杖をもったままだ、とりあえず彼女はロープの端を、木でできた梁の上へとくぐらせ、床へと降りてくる。

しばし考えたあと、天井から下がるロープ二本、片方にしっかりと輪をつくり、そこにもう一方を通して引っ張る。ぐいっ。
するすると輪が天井へとのぼってゆく。
天井から垂れたそのロープを引っ張って、ちょうど人間一人分くらいの体重なら支えられそうなことを確認して、モンモランシーは満足そうに微笑む。

やがて、彼女は椅子にのぼり、床から2メイルほどの場所のロープに、ロープ本体をくぐらせた、もうひとつちいさな輪をつくる。
水滴のような形をした大きな輪ができあがる。
惚れ惚れするほど、ステキなできばえだ。モンモランシーは目を潤ませて、完成したそれを眺め、満面の笑顔を見せた。



「私こと、モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシは」

始祖にじっくりと祈ったあと、彼女はおごそかにそう宣言する。
椅子のうえで、自分の綺麗な金髪の縦ロールに丁寧に整えた髪がひっかからないように、慎重に慎重に、頭をロープの輪に通す。

「本日で、この世界を卒業いたします……さようなら、みんなありがとう、そして……生まれてきてすみませんでした」

瞳を閉じ、そっと微笑む彼女の姿は儚く、か弱く、どこか美しさを感じさせるものであった。

やがて彼女は、この世の外へと、宙へと、新たなる輪廻への旅立ちの、大きな一歩を踏み出そうとし―――



「ちょまってーっ! だめえーっ!! だ、だめですよーっ!! 待ってくださいー!!!!」
「離してシエスタ! 私は、私は! 一生のお願い! 離してちょうだい! 私はもう終わったの!」
「いやです! 絶対に離してあげません! 私ひとり残して逝かないで下さい!! お願いですあとで一緒に土下座しますから!」

息を切らせながら戻ってきたシエスタが、涙を滝のように流しながら抱きついて、モンモランシーのいい日旅立ちをとめようとした。
椅子の上で暴れる彼女を落としてしまわないように、それはもう渾身の力を込めて。

床には、二人の人物が倒れている。ひとりは、紫という趣味の悪い色の服を着た金髪の少年だ。
もうひとりは、服のびりびりにやぶけた上半身はだかの少女である。胸は大きめのようである。
ワインまみれで、気を失っている―――部屋の主モンモランシーが、そのうちひとりの頭をワインの瓶で思い切りどついたのだ。

金髪の少年は、ギーシュ・ド・グラモン。土のドットメイジであり、この学校の男子生徒。モンモランシーの恋人である。
もうひとりの、上半身裸の少女は―――少なくとも、この学院の生徒ではない。

「『エア・カッター』」

頼もしい詠唱が響き、空気の刃がロープを切断した。
モンモランシーは床へと落下し、シエスタが抱きとめて一緒に倒れ、押しつぶされてふぐう、とうめいた。
部屋に駆け込み魔法を放ったのは、クールビューティーなメイジ、雪風のタバサだった。その後ろからは、ゼロのルイズが現れる。

「おまたせ! ねえロープまだあるかしら? ……っと、タバサ、魔法で代用できるのね」

ゼロのルイズは、赤い液体の入った小瓶を、倒れている少年少女二人の口へと突っ込んだ。回復ポーション(Healing Potion)である。
倒れている人物の頭部を強打されたときの傷が、みるみるうちに治って行った。ルイズは渋い顔をしつつ、少女へと持ってきた上着を着せた。
タバサは、「魔法の拘束はそのうち切れる、こっちを使う」、と言い、落ちていたロープを拾って―――その二人をがんじがらめに縛り上げた。
目隠しとさるぐつわまできっちりとするあたり、念の入れようは半端ではない。

だが、いくら念に念を入れたとしても、回避しえない運命というものは存在するようだ―――

「んんむ゙っ!! んーっ! ん゙んんー!!」
「……あっ」

ぐいぐい、ぐいっと、不意に縛り上げられたままの少女がはげしく身をよじる。このままでは、どこかに頭をぶつけるかもしれない。
危険だ―――と、押さえようとしたタバサが、はじかれてバランスを崩した。ぐらり―――

「っ……!!」

彼女は盛大に、晩酌セットのおかれたままのテーブルを倒しつつ突っ込んだ。液体が宙を舞い、タバサの眼鏡と顔をぐっしょりとぬらす。

―――先ほどこの部屋で起きた、あまりに信じられないような、最低の最悪をきわめる事態に、首を吊ろうとするほどに動転していたモンモランシー……
そんな彼女がフタを閉め忘れたままに置いていた、危険すぎる液体の入っていたビンが、床に水溜りを作りつつ、転がっている。
それは人を信じることの出来なかった少女が作り出した、魔の液体。

「あーっ!!」「ちょ」「ま……」

三人が目を丸くして息を飲み、空気が凍った。動いているのは、気絶から復帰したようで、縛られて目隠し猿轡をされイモムシのようにびくんびくんと暴れている少女のみ。
モンモランシーも、シエスタも、ルイズも、血の気の引いた真っ青な顔をしている。
もう事態は、すでに取り返しのつかないところまで悪化していたのに―――これ以上悪くなったら、どうなってしまうんだろう!!

「……大丈夫」

タバサはどうやら気管に入ったらしく、けほけほと小さく咳き込んでいる。最初に目が合ったのは―――ゼロのルイズだ。
一同の内心はこうである―――今の、飲んだのか!? 飲んでいないのか!? 本当に大丈夫? 本当に……セーフ? セーフだよね?
それはただのワイン? ワインよね、違う液体じゃないわよね……たった数滴で効果のある、あの液体じゃないわよね。
テーブルには赤ワインしかなくて、タバサの顔にかかっている液体は透明なように見えるけれど、実は白ワインなのよきっと!!

「うん、良かった、大丈夫そうね……ちょっと……いえ、かなり怖いから、ふき取っておいて頂戴」

ルイズがタオルを渡すと、タバサは無言で頷いてから、顔をぬぐい、メガネを拭いた。
モンモランシーとシエスタが、ルイズに向かって土下座している。やめて、とルイズは心底困った顔で言った。私が謝られることじゃない、と。
問題はなにひとつ解決していない。たとえこの場に居る誰が土下座したとしても、解決のしようのない問題が起きてしまったのである。

「信じます」

鼻声で、あまりに弱々しい声で、モンモランシーが言った。

「人を信じます、あなたと始祖とを信じます、これから何があろうと人を疑うことは決してしませんから、どうか許してください」

押し殺した泣き声が、室内に響く。『人を信じなかったせいで、人間関係で洒落にならない大失敗をやらかす』というルイズの占いが、的中したのだ。
ただひとつ、これはもはや人間関係というレベルではなかった。国際関係でも、軍事関係でも、政治関係でも経済関係でもあった。

「だからやめてモンモランシー、こんな風になったのは、私のせいでもあるのよ……あなたが私に謝っても仕方ないわ」

一方でルイズ・フランソワーズも、ひどくばつの悪そうな表情をしている。
彼女が今のところ冷静をとりつくろっていられるのは、あまりに事態が突飛すぎて、取り乱すのが馬鹿らしくなったからだ。
いまだにイモムシのように床を這いまわり続けている少女が、当初半裸になっていたのは、何を隠そうルイズのせいだ。
<神の頭脳>は、どうすればこの問題を解決しうるか考え、オーバーヒート寸前の状態で回転をしつづけている。

「いいかしら、モンモランシー、こうなったらあなたと私は共犯者、運命共同体よ……解決するまで、何があっても互いを裏切らない、そう誓って」

ルイズはモンモランシーの顔を両手で掴み、むりやり引き上げて、しっかりと目をあわせる。
その深い深い目に見つめられ、モンモランシーは、暗闇のなかに飲み込まれたような気持ちになる。ごくり、と喉を鳴らす。

「本当……助けてくれるの? ルイズ」
「ええ、一緒に助かる方法を考えましょう」

うろたえるな、トリステイン貴族はうろたえない、とルイズは言った。

「本当に?」
「そうよ」

なら誓うわ、と言ったモンモランシーの顔は、涙でふやけきっていた。
彼女の内心は、こうである。
事態は、まるで悪夢のように、混沌と破壊を極める。
だが……この薄気味悪く、学院でもっとも恐れられている白髪のメイジ―――ルイズなら、ゼロのルイズなら―――きっとなんとかしてくれる!!

たぶん―――なんとかしてくれる!!
頬に当たる彼女の手がぶるぶると震えてて正直顔面美容マッサージされてるみたいだけど、きっとなんとかしてくれる!!

「あ、りが、とう……」

モンモランシーの顔が、希望の涙と鼻水に染まった。よかった、まだ終わってない、終わってない……
すっ―――と、手がさしだされた。雪風のタバサだ。
モンモランシーは、彼女は自分を慰めてくれているのか、と思った。口が、彼女にも、お礼を言おうとする。ありが―――

「だめ」

―――もっとも、その期待は、ものの見事に打ち砕かれることになった。
雪風のタバサは、ただそれだけ言って、ゼロのルイズを、モンモランシーから引き剥がした。

「……そう」

ルイズは、ぽつりと静かにそう言った。すっと無表情になり、やがて虚空を見つめはじめる。

「……アウト、……だった、のね……」

モンモランシーは絶望中、シエスタは現実逃避中である。

床には二人の人間が倒れ、タバサは―――ゼロのルイズの手をきゅっ、とにぎり、そっと指をからめてくる。

事態はいまや、HELL(ベリーハードモード)最深部への到達最速新記録を極めつつあった。

「仕方ないわ……うん、とりあえずは、拉致(らち)りましょう―――うふふふ」

ゼロのルイズは、瞳孔を開き、不気味に笑った。ウフフフフ……ははっ、アハハ、アーッハッハ!!
モンモランシーは、その恐ろしいゼロのルイズが今や、頼もしくて頼もしくてしかたがなかった。なぜなら―――


床に倒れ、ロープでぐるぐる巻きに縛られてぞわぞわとうごめく少女の名は―――アンリエッタ・ド・トリステイン。
トリステイン王国の、やんごとなき姫君であった。



―――

時間はさかのぼる。

「あら? ハダカのお姫さまが空飛んでる」と、モンモランシー。
「え? どこ! どこどこ!?」と、ギーシュ。

部屋で恋人とワインを酌み交わしている途中―――
モンモランシーは、彼が後ろを向いた隙に、相手のワインに無色透明の液体を数滴ほど注ぎ込んだ。
ほぼ貯蓄財産全てを使って作られた、強力かつ禁制の惚れ薬であった。

すでに惚れている相手に惚れ薬、など意味が無いようにも思われるだろうが、彼女には別の事情があった。
彼氏は浮気性であり、何故だかゼロのルイズと、最近とても親しい。ゼロのルイズと、自分の恋人とを、これ以上近づけたくは無かった。
効き目があるのかどうかは解らないが、これで、やきもきする必要も無くなる―――と、安心し、『嘘に決まってるじゃない』と続けようとしたのであった。

「マジだ!!!」

だが、それは叶わなかった。ギーシュがそう叫んだのである。すわ頭が狂ったのか、と思い、モンモランシーも窓の外を覗いたとき、それが目に入ってきた。
なんと半裸の少女が、『フライ』で空を飛んで、こちらへやってくるのだ。
二人は目を丸くして、絶句した。その少女はどう見ても、昼の使い魔品評会に出席していた、アンリエッタ王女その人だったのだから。
窓から覗いているギーシュたちを見つけると、空を飛んで近寄ってきた。涙目で、窓をこんこんとノックしている。

「た、たたたか……」

王女は、顔は真っ青で、息は荒く、なにかとてもとても恐ろしい目にあってきたように見える。服は、何者かによってびりびりに引き裂かれている。
ただ事ではない、とギーシュが窓を開け、王女を迎え入れた。

「で、ででで」「おおお、おうじょでん……」

二人もようやく、言葉にならない言葉を吐き出した。ギーシュは喉がからからに渇いてしまったらしく、ワインを一口含んで喉を湿らせた。

「わ、私にも……どうかそれを」
「あっ、飲みかけで……」
「かま……い、ません」

アンリエッタはかすれた声でそう言って、グラスを受け取ると、煽った―――

王女は、幼馴染の友人ルイズ・フランソワーズに会いに行ったらしい。
ノックをしたところ、男の声に留守だと言われた。
ならば帰るまで待たせてもらう、と住居に入ってディテクトマジックを使ったら棺おけに妙な反応があり、開けたら何者かに襲われた、と事情を語っていたのだが……

―――

そのワインの中に禁制品の『惚れ薬』が入っていたのは、いうまでもない。
たちまち二人は、両想いの恋に落ちてしまった。

放っておけば、ちゅっちゅちゅっちゅ。
ああ、いち貧乏貴族の四男と王女との禁断の恋の味はいかに。

「姫! ぼかぁ、ぼかあもう!!」ちゅっちゅっちゅ。
「いや! アンアンと呼んでくださいまし!」ちゅちゅちゅ。
「アンアン! ああ、なんて背徳的な響き!」ちゅちゅちゅ。

モンモランシーの恋人は、王女を脱がせ始めた。畏れ多くもトリステインの至宝、麗しの姫君の、豊かな双丘へ手を伸ばし、触り始めた。いやん、ばかん。
もう今すぐにでも、ギシギシアンアンと『ユニット:次期トリステイン国王』の全力生産を始めそうだった。モンモランシーの部屋で。
すでに、この時点でもう、事態は手遅れに近かった。モンモランシーのうら若き人生も、終わりに近かった。長い歴史をもつトリステイン王国も、終わりに近かった。性的な意味で。

―――ごめんとうさま、ごめんかあさま、私はもう終わりです、私の家も終わりです、私の国も終わりです……

なので、モンモランシーは、もう干からびるんじゃないかと思うほどに涙をだらだらと流し、ギーシュの頭に向けて、中身のたっぷりつまった未開封のワインの瓶を―――

振りぬいた―――

続いてスペル『眠りの雲』を唱え、王女を眠らせた。

まずはシエスタを巻き込んだ。どうしましょうどうしましょう、シエスタもうろたえるばかりだった。この瞬間に彼女は間違いなく、世界でいちばん不憫なメイドの座を不動のものとした。
途中で、雪風のタバサの部屋から出てくる、ゼロのルイズに遭遇した。おうちに侵入者が入って、ワナにかかったみたいだ、と慌てていたので、侵入者はこっちよ、と連れてきた。
事態を知って仰天したゼロのルイズとタバサは、ギーシュの頭から血がだくだく流れているのを見て、まずタバサの部屋へと回復ポーションを取りに行き―――

ぼうっと待っている間に、モンモランシーは、『モンモランシー終了のお知らせ』を天から受信し、この世からひとりそっと立ち去ろうとしていたのだった。

―――そして現在。

おどろおどろしい雰囲気を放つ、夜の『幽霊屋敷』。
ルイズはアンリエッタを拉致し、地下へと監禁した。ギーシュも縛ったまま、地下の急造した倉庫へと放り込んである。
モンモランシーは、ぐったりと床に座り込んでいる。はや涙も枯れはて、放心状態だ。ごめんなさい、カナブンよりもごめんなさい、とただひたすらに呟いている。

「タバサ、巻き込んでごめんなさい」
「気にしていないから、いい」

ルイズの言葉に、青髪の少女はゆっくりと首を振る―――幸せそうに、ルイズとおててをつなぎ、指をからめたまま。

「……今のあなたの心は、薬でおかしくなっているの」
「あなたの力になりたい……それは、私の本心、前からそういう気持ちがあった」

ルイズは、ぎゅっとタバサの手を握る。

「タバサ、ごめん……私たちを助けて……お願い、シルフィードを呼んで」

ルイズ・フランソワーズは、うろたえない。膝がカクカクとわらっているが、これはうろたえのうちには入らない、きっと。

先ほど彼女が大きな声で笑っていたのは、もはや笑うことしかできない状況であったから、などでは断じてない、きっと。


////11-3:【それを愛と呼ぶよ】


ああ、わたくしを彼と引き剥がすなど、なんてことをするのですか。
―――姫君、彼に会わせてさしあげてもよろしいのですが、いくつか条件があります。
なんなりとおききいれいたします!
―――あなたがルイズ・フランソワーズの住居に侵入した目的は何ですか。教えてください。
わたくしのおともだちに頼みごとをしようと思ったのよ! さあはやく彼に! わたくしは普通の女の子になりたいの! ゲルマニアの皇帝になんて絶対に嫁ぎたくない!
―――頼みごととは?
昔好きだったウェールズ王子にあてた、始祖にかけて愛を誓った手紙を取り返しに行ってもらわないとまずいけど、もうわたしは恋に生きます、トリステインいらない!
―――ウェールズ殿下のことは?
わたくしは若かったのよ、彼はわたくしに愛を誓ってくださいませんでした、よいのです、なので、わたくしはあたらしい恋に目覚めたのです!

―――

ルイズは実感する。
人の心とは、複雑きわまりないものである。
ある人が真にどのようなことを考えているのか、というのは、現実においてはどんなに推測しても無駄におわることのほうが多いものだ。

薬でゆがめられているとはいえ、今の彼女は心からこのようなことを言っているのだろう。
では彼女は悪い人間なのか、というと、そうではない。心と立場が、乖離してしまっているのだ。ルイズも似たようなものである。

失望するようなことではなく、彼女のことをひとりの人間として、あるがままに感じることができたような気がする。
誰を責めてもいけないのだ。ただ、みな自分の人生を生きることだけしかできないのだから。

いかなる立場にあろうと……
どんな人でも闇を持っている。恐怖、憎悪、破壊衝動。三柱の魔神。
どんな人でも怒りを持っている。
どんな人でも悩み、苦しみ、他人を責める気持ちを持っている。
他人を自分のものにしたいという気持ちを持っている。相手が恋人であれ、友人であれ、奴隷であれ使用人であれ。
自分を無償で与えてもよいという気持ちもある。
それらは複雑に絡まりあっていて、自分でも他人でも、だれがみても本当のかたちはわからない。

ある人にとって、何が大切なのか、というのはまさしくそれだ。国、運命、家族、恋人、財産。
ルイズは自分自身にとって何が本当に大切なのか、わからなくなりかけていた。

ぐっ、と不意に<存在の偉大なる円環>に繋がる。それはこの宇宙全体に広がるほどの優しさのかたまり。
運命の流れは、あらゆる人のあらゆる気持ちを飲み込むほど大きく、粉々に打ち砕くほどに悲しいもの。

いつしかルイズは、タバサの持っていたちいさな宝箱のたくさんの中身のことを、思い出していた―――

たぶん、現実逃避ではない。殺伐としたこの世界に心の安らぎを求めた、ただそれだけである。

―――

『幽霊屋敷』の中、空気は重い。ただでさえ薄気味の悪い雰囲気が、ますます恐ろしい何かの異空間へと進化しつつあるように見える。

部屋の隅にじっと体育座りで、膝に顔を埋めているのはモンモランシー。生気がなく、死体一歩手前のようだ。
その隣で、放心した彼女の肩に手を置いてやっているのは、シエスタ。目が死んでいる。
疾風のギトーが、壁に背中をあずけて、涼しそうな表情で立っている。彼は普段より不気味な男だとささやかれているが、この状況におけるその余裕さは、まさに不気味でもある。
コルベールがしかめつらで、腕を組んで立っている。月光に眼鏡を光らせ額にしわを寄せれば寄せるほど、不気味な顔に見える。
窓からじっと外を見て、室内に背を向けて立っているのは、部屋の主、ゼロのルイズ。もうただの不気味さを通り越して、どこかカリスマに似たようなものを放っているようにも見える。
その隣で、しっかりと手をつなぎ、ルイズと同じ外を見つめているのが、雪風のタバサ。こころもち嬉しそうだが冷徹無表情。
キュルケ・フォン・ツェルプストーだけが、これはひどい、あんまりだ、でもあたしにはあまり関係ないのよね、どうしようかしら、という顔をしている。彼女だけが、この場において唯一まともな人間のように見える。

「タバサ、ごめんなさいね、症状の軽いあなたを治療するのは、いちばんあとになるわ……精製用の器具がふたつしかないのよ」

ルイズが言った。

「かまわない……わたしは、幸せだから」

タバサが、そう言った。同性よ、偽りなのよ、とキュルケが言ったが、これがすぐに終わる偽ものだということは知っているし、かまわない、とタバサは答えた。
はじめてだから、大切なきもちだから、と続いた。恋多きキュルケはぐっと胸がつまり、顔を覆ってしまった。

「さて……解除薬の材料が足りないわけなんだけれど」

エリクサーの材料と、惚れ薬解除薬の材料は、残念なことに重複していなかった。
ルイズは、アンリエッタの口内へと、カトレアのために作った試作のマイナー版霊薬を、泣く泣くそそぎこんだ。
すこしだけ症状が改善されたが、一時的なもののようだ。本物のもつ効果とは天と地との差であろう。

……材料を取ってきて、完全な解除薬ができるまで、最低でも二日はかかりそうだった。

ルイズの薬のおかげで一時的に正気に戻ったアンリエッタは、わたしのことはかまわないから、国を救ってください、と言った。
彼女は国を守るため、同盟のため、ゲルマニアの皇帝へと嫁がなければならない。いわゆる、望まぬ結婚である。

トリステイン王国は小国である。
周囲には、浮遊大陸アルビオン、大国ガリア、そして始祖より続く正統の王家をもたない、ゲルマニア帝国がある。
現在、アルビオン大陸では大規模な内乱が起こっており、聖地奪還をかかげる貴族派が、国王と王太子をを中心とした王党派を圧倒しているのだという。
貴族派をまとめる組織<レコン・キスタ>の総司令が、失われた魔法系統<虚無>の使い手だ、と言われており、正統な王権を主張しているそうだ。

そのようなわけで、アルビオン王家が滅ぼされ、<レコン・キスタ>によって占領されたなら、次に攻められるのはトリステインだ。
トリステイン一国でアルビオンを迎え撃つことはできない。
なので、アンリエッタの政略結婚とひきかえに、トリステインはゲルマニアと軍事同盟を結ばなければならない。

アンリエッタは、かつてアルビオンのウェールズ王太子と、愛し合ったことがあった。
そのときに書いた恋文が<レコン・キスタ>の手にわたってしまえば、その同盟が崩壊する火種となる。そうなれば小国トリステインは、終わりだ。
宮廷で誰にも相談できず悩みぬいたアンリエッタは、唯一心から信頼できる相手、幼馴染であるルイズのもとへやってきたのだ。

王女は、使者の証明たる水のルビーと、封書をルイズへと渡した。
私が信頼できるのはあなただけ、ウェールズさまに親書を渡すのはあなた。どうか他の人には任せないで下さいまし、と言った。

そこから、話がおかしくなりはじめる。
ところで、あなた本当にわたしのおともだちルイズなの? 髪の毛の色がぜんぜんちがうじゃない。
ルイズはあなたみたいに恐ろしい娘じゃないわ、はっ、まさか、あなたはルイズに化けている偽者ね。ああ信書とルビー返して! 返してよ泥棒猫!
ああグラモンさま……あなたのアンアンをお助け下さいまし……

幼馴染の敬愛する姫にそう言われたルイズは、それはそれは傷ついたものだった。タバサがぎゅっと手を握ってくれて、心がいくぶんか安らいだ。

ルイズたちがやらなければいけないことは、ふたつ。

ひとつは一刻も早く王女を正気に戻すこと。望まぬ政略結婚だというのは非常に心苦しいが、彼女はゲルマニア皇帝のもとへといかなければならない身だ。
正直このままギーシュとお花畑でちゅっちゅいやーんしてたほうが彼女にとっては幸せなのかもしれないが、そうもいかない。

もうひとつは、その結婚を妨げるであろう手紙を、ニューカッスル城にいるらしいウェールズ王太子本人に会って、返してもらうこと。
戦乱のど真ん中へと、飛び込んでいかなければならない。

さて、ふたつのパーティに分かれることとなった―――

戦乱うずまくアルビオン大陸、『ニューカッスルまで到達する』という任務には、スクウェアメイジである疾風のギトーがつくことになった。
向かうは風の大陸だ、風のメイジであるところの私が行くべきである、と進んで引き受けたのであった。
じゃあなんであんた水の国トリステインに住んでいるんだ、と誰もが思ったが、口には出さなかった。

「ミスタ・ギトーだけでは大変だろう」

コルベールが言った。トリステインに利害関係のあるものが、そちらの任務につかねばならない。

「私とモンモランシーは、材料調達と迅速な調合のために、ぎりぎりまで残らなきゃいけません」

ルイズが言った。タバサはトリステインの人間ではないし、ルイズのそばを離れたくない、と言ったので、そちらに加わることとなった。
コルベールが、では私もアルビオンへ行こう、といった。私の炎は人には向けぬ、だが私には今や発明品『やさしい毒ヘビ君』がある、と。
キュルケはゲルマニアの人間。なので、ルイズについてゆくことにしたそうだ。
シエスタは、薬剤調合組の世話、地下の虜囚の世話をすることとなった。

「ミスタ・コルベール」

ルイズは、一本の巻物を、彼に手渡した。青いリボンで封をされている、サンクチュアリの魔術の封じ込められた巻物だ。

「使い方は、以前説明した通りです……任務達成の折に私を呼ぶとき、そして、道中危険を感じたら、迷わず使って下さい」

コルベールは、かなり不気味な笑みを浮かべて頷いた。
以前より、それを使ってみたくてたまらなかったらしい。
自分たちの研究がトリステインを救うのだ、という高揚が、いまや彼の心を炎蛇(ガーディアン・ハイドラ)のように燃え上がらせているに違いない。

////【次回:男三人珍道中、へとつづく】



[12668] その12:胸いっぱいに夢を
Name: 歯科猫◆93b518d2 ID:b582cd8c
Date: 2009/11/15 18:49
////12-1:【中の人などいない】

ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドは<レコン・キスタ>の工作員である。
実力は風のスクウェア。二つ名は『閃光』。新進気鋭の若手メイジ、魔法の腕は、同世代で並び立つものも居ないという。ルックスもイケメンだ。
彼は栄誉あるトリステイン王宮衛士隊グリフォン隊の隊長という身分にありながら、他国のために働いている。

他国で高い地位を得て、世界に大きな流れをおこし、いずれ聖地奪還! という野望を抱いている。

さて、彼の司令部より受けたミッションは、ふたつ。
ひとつは、来るべきトリステイン侵攻戦を楽にするために、ゲルマニアとの軍事同盟を破棄させること。
そのためには、アンリエッタがもののはずみでウェールズにあてて書いた、婚約を妨げる手紙を奪取することが、ぜひとも必要なのだという。

王女は手紙の危険性に気づき、幼馴染のルイズ・フランソワーズを使者にたて、アルビオン王党派のもとへと送るつもりのようだ。
だから彼は、その道中に乗じて、もうひとつの任務と、彼自身のとある目的を果たそうと考えた。

そのもうひとつの任務とは、ウェールズ王太子を殺害せよ、とのこと。王党派どもも、まさか、トリステインの使者が牙をむくとは思うまい。
そして彼自身の目的とは―――婚約者、ルイズ・フランソワーズの身柄の確保である。
彼女の<虚無>は、我らが<レコン・キスタ>のクロムウェル総司令にとって、そして自分にとって、とても役に立つことであろう。

「王女殿下」
「なに?」
「グリフォン隊隊長、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド子爵に御座います……昼にも一度、お目にかかりました」

彼は、夜の闇の中、貴賓室へこっそりと帰ろうとしているアンリエッタに声をかける。
おそらく、彼女はルイズのもとへ任務を授けに行った帰りだろう。その証拠に、指に水のルビーがはまっていない。きっと渡した後なのであろう。

「殿下の幼馴染、ルイズ・フランソワーズの、婚約者でございます」

彼は王女へとうやうやしげに膝を突いた。

「ええっ、あなた、ルイズさまの婚約者ですって!?」
「はい、私と彼女は、幼いころに家同士のあいだで婚姻を約束された仲、いわゆる許婚(いいなずけ)に御座います」
「へぇー! ほう、ふぅううん! あなたが! ルイズさまの!」

アンリエッタは、目をまんまるにして驚いたようであった。楽しげに笑い、ワルドを見定めるようにじっくりと観察している。
ワルドは淡々と言葉を続ける。

「殿下、このような夜更けにたった一人で、どちらに行っておられたのですか」
「散歩なのですよ」
「なにやら、不安なことがあるのでしょう……たとえば、あなたのご友人が……危険な旅に、でるとか」

ワルドは、昼に会ったときの王女がなにやら思いつめた顔をしていたことを指摘し、そこから推測したのですと告げる。
この学院にいる幼馴染はルイズ、もし、婚約者へと危険な任務を与えたのであれば、是非自分めにルイズの護衛を命じて下さいまし、と願った。
王女はあごに人差し指をあててなにやら考えていたようだが、やがて笑顔になり、ワルドへと問いかけた。

「ワルドさま、強いの?」
「王宮の守護を任されておりますゆえ、それなりに……わたくし、風のスクウェアにて御座います」
「へぇ、すごいのね! 確かに、ルイズさまの旅は危険かもしれないから、是非付いていってあげて欲しいの!」
「御心のままに」

うまくいった!
ワルドは内心ほくほくの笑みである。

「じゃあさっそく行くのね、きっとルイズさまも喜ぶのよ……今夜じゅうに出るって言ってたから、急いだほうがいいのね」
「かしこまりました……では、行ってまいります」

ワルドは、もう行くのか、早すぎじゃないか……とも考えたが、本当にそうならば急がないと、と思いをあらためる。

「そうだ、ワルドさま! ちょっと待って」
「……はい、何か」
「道に迷ったのね、泊まるところに連れて行って欲しいの! きゅいきゅい」

彼は思った。
あれ……アンリエッタ王女って、これほどまでに、可愛かったのだろうか……!?



////12-2:【笑ってはいけない】

ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドは<レコン・キスタ>の工作員である。髭面のいかしたイケメンだ。
彼はトリステイン王女より、ルイズ・フランソワーズへの随行任務を受け、トリステイン魔法学院の門のところで出てくるであろうルイズを待っている。
まがりなりにも婚約者なので、道中でたっぷり可愛がり、仲良くなってやろうというもくろみであった。

彼は、港町ラ・ロシェール方面へと向かうであろう人物を、じいっと待っていた。
そして―――彼は不思議に思う―――

おかしい。
ルイズが出てこない。

港町方面に向けて馬を走らせていったのは、むさくるしい男二人。一人はハゲで、もうひとりは目つきのやけに悪い痩せぎすな男だった。

やがて女の子四人組が出てきた。が、微妙に違うようだ。乗ろうとしている馬車は正反対の方向を向いている。
白い髪の目のヤバイ少女と、短い青い髪の眼鏡の女の子が、手をつないで歩いている。まるで初々しいカップルのようだ。
その片方はルイズ……に似ていないこともないが、あれをルイズだというのはかなり無理がある。

目がちょっとあぶなすぎるし、なにより髪の色が違う。かもしだす雰囲気は、どこかひどい不気味さすら感じさせる。
もし、こんなのと婚約しようなどと考える男性がいるとすれば、さぞかし奇特なやつなのだろう。そんなやつがいたら指をさして、げらげらと笑ってやりたいくらいだ。
だが、どうやら同性のことが好きな少女のようだ、そのぶんなら、世の中の男性はこのような少女と結ばれること無く、むしろ救われることだろう。

やはり違うという証拠に、彼女たちはまったく正反対の方向……あっちはガリア、ラグドリアン湖のほうへと馬車で向かっていった。
どんなにあっちへ行っても、アルビオンにたどり着くことはできない。観光か何かだろうか。

おかしい。
ルイズが出てこない―――

―――と、夜が白み始めるまで、彼は門の前にじっと立ち尽くすのであった。
彼は徹夜で疲れてぼんやりとしつつある頭で、思った。
もしかして、アンリエッタ王女を貴賓室へ送り届けている間に、もう彼女は出てしまっていたのだろうか……?


////12-3:【とくに嫌がらせというわけではない】

ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドは<レコン・キスタ>の工作員である。疲れた顔でもイケメンだ。
今日はマントをはためかせ、ラ・ロシェール方面の道を、彼は愛騎であるところのグリフォンに乗って、急いでルイズを追いかける。

途中で彼は、目つきの悪い男とハゲを追い越した。自慢のグリフォンは、馬よりもずっと速い。
彼は思う。時間差を考慮に入れれば、この先にルイズがいるはずだ、と。


だが―――彼は焦る。

おかしい。
ルイズがいない。

血眼になって探し回り、とうとうラ・ロシェールに到着してしまった。
今日明日は船が出ない、このあたりの宿で足止めをくらっているはずだ。

しらみつぶしに宿という宿を探し回ったが、それらしき少女は泊まっていないという。

ありったけの『遍在』も出して、道をなんども往復し、そのたびにハゲと目つきの悪い男とすれちがう。見るたびにイライラする。

関係ない話だが、妙に進行が早い、何か馬に薬でも飲ませているのだろうか。

いちど魔法学院にも戻ってみたが、そこにいたメイドは、ルイズは留守だと言った。
『どこにいったかなんて知らないし、知りたくもないのです、すみませんすみません』と生気の感じられない目で言っていた、変なメイドだった。

なので、以前仲間にした盗賊『土くれのフーケ』に、やとった傭兵どもを使ってルイズを探させる。
結局見つからなかったので、金と酒を振舞って解散、ということになった。

今日はもう寝ようか、と彼は思った。
グリフォンも疲れたようだ。たっぷり休ませてやろう。

目つきの悪い男とハゲが、自分のとったのと同じ宿に泊まった。なにかの嫌がらせか。



////12-4:【なんと素晴らしいのだろう】

ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドは<レコン・キスタ>の工作員である。イケメンすぎて不機嫌面でも絵になる。
夜、疲れ果てて宿の酒場でぼそぼそと食事を取っていると、目つきの悪い男に声をかけられた。

自分が同じ風のスクウェアだ、ということを知ったとたん、彼は拳をにぎりしめ、すごい勢いで喋り始めた。まるでアジ演説だ。

いわく、誰も彼もが風のすばらしさを活かしきれていない。
いわく、風のすばらしさは四つある、はやきこと、みえなきこと、どこにでもあること、かたくもやわらかくもなれること、ものをはこべること。
おい待て、五つじゃないか!

よろしい、ならば五つだ、しっかり覚えておけ……か、ふむ、聞いてやろう。
風の素晴らしさは五つある、それすなわち、はやきこと、みえなきこと、どこにでもあること、かたくもやわらかくもなれること、ものをはこべること、そしてこれが一番大事なことなのだが―――自由(Freedom)であること!!

ちょ、また増えてんじゃないかよおい!!

―――ああ、風は自由(Freedom)!! なんと素晴らしい響きか!!

こちらの話を一切聞かずそう高らかに宣言する目つきの悪い男は、どうやら酔っているわけではないらしい。
同僚らしきハゲの男は、タルブワインをちびちびやりつつ、彼は酒が飲めないのだ、と言った。なんと、素でコレだというのか。

トリステイン魔法学院の教師らしきハゲに、ルイズのことを聞いてみた。すると、彼らはルイズのことを知っているという。

彼女は自由だ、と目つきの悪い男はしみじみ言った。
若くて可能性に溢れていて、努力家で、想像も付かない大きなものを見据え、その流れに乗ろうとしている。
自由の風に乗って大空を舞う、鷲のようではないか。気高く、まるで彼女の母君をみているようだ、と。

彼の話から推測するに、やはりルイズは、大きくなっても、自分が昔知っていたルイズのままであるらしい。
泣き虫で脆いが、柔軟な発想をもち、努力を惜しまず、身を削り、なにか途方も無いことをなしとげようとする。

そんな桃色髪の美しい女性に成長したであろう彼女を想い、彼は美味いワインに舌鼓を打った。
明日こそは、彼女に会えるのだろうか。そう考えると、どきどきとするではないか。
そして―――


彼は思った。
ふむ、風は自由、か―――そうか、なかなか悪くない響きだ。




////12-5:【限界ぶっちぎり】

時はさかのぼる。
ギトーたちは既に出発しており、ルイズたちが解除薬の材料を取りに行くため、『幽霊屋敷』を出る準備をしていたところ。

「大変です! に、に、逃ぇげまそっ! にげ、にげっ!! に、にるにるにばば」
「「な、なな何だってェー!!」」

涙目のシエスタが地下への扉から飛び出し噛みまくって叫び、ルイズとモンモランシーが目をむいて飛び上がった。
厳重に縛ったまま、二人の罪深き囚人を地下に監禁しておいたはずだ。どうやって地下から……はっ!!
背筋にいやな汗が伝う。二人は気づく。そうだ、地下だからこそ―――!!

「だあ畜生ぅ……ううう、あ、あのモグラがいたのよね……」

ルイズは自分のやることなすことがことごとく裏目裏目に出る現状に、力なく涙ぐんだ。
あれだけ占いについて学び、何度も何度も慎重に自分の運命を占い、いちばん良いと思われる行動をずっと取ってきたではないか。
囚われのお姫様を救出するとは、なんという、青少年の夢見る状況なのだろう。薬でハッピーになっている今の彼なら、迷わずやるだろう。
彼らが逃げてからどれだけ経ったのだろうか。

麗しの姫君の貞操は、まだ無事なのだろうか。もう手遅れかもしれない。悪い想像がしだいに大きくなる。ギーシュの性欲で王国が危険だ。
大事な、大事な姫の身体が。
幼馴染の、大事な姫さまの御身体が。ほら、目の前に浮かぶような、正気に戻ったときに静かに泣く姫さま。
『イロのたいまつ』を握り締め、その明かりを頼りに悔し涙を流しながら、歯をくいしばり、ルイズはモグラの開けた穴から転げ落ちるようにして、二人を追いかけた。
結果、二人はすぐに見つかることになる。

―――くんかくんか! ああ、いい匂いだ! ―――ああそんな! いやらしい!

どうやら二人で居ると、発情モードに入ってしまうようであっだ。目的は二人で居ることであり、逃げることでは無かったのだろう。
地下の暗闇のなか、ギーシュは姫の上に覆いかぶさっていた。
それを見て、泥だらけのルイズは、怒りと悲しみで胸がはりさけそうになった。

もう、姫さまは純潔を散らせてしまったのだろうか―――私のせいで! 私のせいで! 私のせいで!
はっ、はっ、と呼吸が上ずる。
おなかの中が、きゅっ、と痛んだ。ぎりっと悔しさに奥歯が鳴る。足をぐいっと踏みしめる。『イロのたいまつ』を振りかぶる。涙がはらりと散る。

「―――『TERROR(恐れよ)』!!」

思い切り、ネクロマンサーの杖を振った。ふぉわん―――白い霊気が集い、弾け、火の粉が空中に線を引く。
研鑽を重ねて可能となった、当初は出来なかった<呪い(Curse)>だ。
人間に対してはたいした効果を与えることは出来ないし、効果の持続もほんの一瞬だろうが、今の行為を中断させるだけなら、これで十分だろう。
運命の流れに介入し、対象がもっとも恐れるものの幻覚を引き出す―――

「「……!!」」

とたん、姫と少年は、そそくさと離れて―――どこかへ逃げようとし、震えはじめた。どんな幻覚を見たのか、ルイズには解らない。

ルイズは、なかば放心しつつ、肩で息をしている。
さっそく怯える姫に近づいて、そっと手を合わせ拝むと、スカートをちょいとつまんで、捲り上げた―――

「……」

目を細める。

「……よかった」

ルイズは自分が間に合ったことを、ラズマの守護聖獣トラグールに感謝した。

「……まだ、はいてるわ……ちゃんとはいてる、ドロワーズ」

そして、泥だらけの袖口で、あふれる安堵の涙をぬぐった。ありがとう、ドロワーズ。



―――

ゴーレムで二人を地下牢へと連れ戻し、壁の穴をふさぎ、ふたたび厳重に拘束したあと、ルイズは顔の泥をぬぐいもせず、まず入り口近くの床板を剥がした。
それは落とし穴だった。ベッドの近くの紐を引っ張ると、ここに侵入してきた敵が落下するようになっている。
なかに覗くのは、刃を上向きに立てられた、刃渡り1メイルはありそうな、かわいた血の跡のたっぷりついた肉切り包丁。

アンリエッタがここに落下して左アンリと右エッタにならなかったことを、ルイズは始祖に感謝する。

ルイズは『ブッチャーズ・ピューピル』を床下から取り出す。
ひどく重たいこの物騒な調理器具を、腕力や技量の足りない彼女が扱えるはずもなく、振りかぶる腕はぷるぷると震え、足元がふらついている。瞳孔は完全に開いている。

モンモランシーが、息を呑んだ。

「な、何よそれ」
「仏契約(ぶっちぎ)るわ」
「……え?」
「ごめんなさいね、あなたの彼氏、ちょっと僧籍に入ってもらう……それが……それが姫さまを救うことになる」

モンモランシーが、何を言われているのか解らないという顔をした。だが、しだいに体は震え、顔は青くなる。
やっと理解したからだ。ルイズは激怒していた―――必ず、かの邪知暴虐の棒を除かなければならぬと決意していたのである。

「ま、待って」
「そこをどいてモンモランシー」
「い、や……」
「裏切るの? ねえあなた、嘘つきね、嘘つきだわ、すぐにどいてくれたらたぶんあなたごと叩き斬らずに済むと思うのよ、私の勘違いかしらウフフフ」
「あ、あ、あ……あ、ああ」

このときのことを、のちにモンモランシーは述懐する―――『さきにトイレに行っておいて、本当に良かった』、と。
彼女は叫んだ、ごめんなさい、彼は悪くない、わたしが彼にいつまでもさせてあげていなかったのがいけないの! と。

―――ドスン!!!
と、血染めの肉切り包丁が、座り込んだモンモランシーの両方の太ももの内側へと落下した。
制服のスカートに、前方スリットが入った。重量のある刃は床板を貫通し、なかばまで埋まりこんだ。
『たった二滴でよかった、トイレに行っておいてよかった』とはモンモランシーの述懐である。

「きをつけっ!!」
「はビぅ!!」

モンモランシーは背筋を伸ばす。

「……あなたのなんでしょう、そうね、自分で丁寧に切り取って、部屋にでも飾っておきなさい」

ルイズはそう言って、くるりと背をむけると、出かける準備を再開した。どうやら毒気を抜かれたらしい。
モンモランシーは、キュルケとタバサたちがそれぞれの自室から戻ってきてもまだしばらくの間、立ち上がることが出来なかった。

ルイズはギーシュの監視を、キュルケの頼れる相棒サラマンダーのフレイムにまかせ、また姫を襲うようなら髪の毛一本のこさず焼くように飼い主から伝えてもらった。
モグラのヴェルダンデは話せばわかるいい子らしく、おとなしく主人が正気に戻るのを待つつもりのようだ。

四人は、足りない秘薬の材料『水の精霊の涙』を求め、水の精霊を狩りに(Water-Elemental Run)―――いや、水の精霊に会いに行く。
行き先は、ガリアとの国境付近、ラグドリアン湖だ。





////12-6:【湖】

ルイズたちが馬車ではるばるやってきたのは、大きな湖。
トリステインとの国境線をはさんでガリアにまたがるこの湖―――ラグドリアン湖は、誓約の湖とも呼ばれ、恋人たちがデートスポットに使う美しい場所である。
ここには水の精霊が住んでいて、恋人たちの『永遠に共に』との願いを聞いて、それこそ永遠に覚えていてくれるそうだ。
鏡のような湖面は夜も月の光を反射してきらきらと輝き、それはそれは絵になる光景なのだという―――


―――はずなのだが。

「なんか、微妙に濁ってない?」
「んんう……そうかしら?」

御者台のキュルケがぽつりと言ったので、ルイズが眠たそうに目を開け、ぼんやりと湖面をながめた。その肩にはタバサが寄りかかって、幸せそうにすやすやと眠っている。
もうすぐ夜明けだ。四人はかわるがわる馬を御しつつ、馬車の中で揺られながら、休憩を取っていたのである。

「……あれ、本当ね……昔来たときは、もっと澄んだ色をしていたもの」

キュルケの言うとおり、遠くのほうはそうでもないのだが、トリステイン側の湖岸付近を見れば、どこか輝きが鈍っているようにも見える。
ふと、嫌な予感を感じるルイズである。順調に秘薬の材料『水の精霊の涙』を採取できればよいのだが……。

コルベールたち教師組みのことも心配だし、アンリエッタ姫のことも心配だし、『変化』の先住魔法で姫の姿に化けてもらったシルフィードのことも心配だ。
リュティスでの一件以来、たまに『幽霊屋敷』の天井裏にたむろしに来るようになっていた幻獣古代種『エコー』たちに、いろいろと上手な化け方を学んでいたようだ。
そのおかげか、外見はそっくりでも……中身は完全に別物だ。子供のようなシルフィードが、すぐにボロを出してしまうのではないかと、ルイズは冷や汗ものである。

「それはともかく……あまり時間をかけては居られないわ」

湖岸へと到着したので、二人は眠っているモンモランシーをたたき起こす。それについでタバサも起き出し、馬車から降りる。
モンモランシーは眠たい目をこすりつつ、使い魔のカエル『ロビン』に一滴の血液をたらし、水の精霊を呼ばせた。
何を隠そう、ここは彼女の地元であり、家は代々水の精霊との交渉役として知られてきた身だ。干拓事業の失敗は、精霊の機嫌を損なったせいだという。
秘薬の材料『水の精霊の涙』とは、その身体の一部なのだという。お願いして、少しだけ分けてもらうのよ、とモンモランシーは言った。

「個なる者よ、我はミョズニトニルンを信用することはできない、ゆえに我が一部をわけてやることはかなわぬ」

と、全裸のモンモランシーの姿をとって呼び出された水の精霊は、不機嫌そうに言い、ルイズたちの要求をばっさりと切り捨てた。
みょず? 何よそれ、とキュルケはけげんそうに言って、ルイズを見た。ルイズの額、白い前髪に隠れているあたりから、汗がひとすじ流れ落ちた。
何故信用できないのか、と問うと、二年ほど前にミョズニトニルンの女とクロムウェルという男が、精霊から『アンドバリの指輪』という秘宝を奪っていったのだという。

「もし、それを取りかえしてくると約束したら……からだの一部を分けていただけますか?」
「ならぬ、繰り返すが、我はミョズニトニルンを信用することはできない、そのような守れぬ約束はしない」

もはやとりつく島もない。でも、ルイズたちは諦めるわけにはいかない。

「モンモランシーの一部と交換で」
「いらぬ」

その後しばらくやんのかんのとねばりづよく交渉したあと、ひとつの条件を引き出すことに成功する。

「わが身を汚す何者かを討て、そうすればそなたらを信用し、望むものを与えよう―――」

ラグドリアン湖に流れ込む一本の小川から、なにやら強力な毒が流れこんできているらしい。湖面の様子がおかしいのは、そのためだという。
水の精霊は世界中を水で覆い尽くし指輪を探し出すため、そして毒を希釈するために、せっせと湖の水位をあげることに熱中しているのだという。
だんだんと周囲の村や畑を水没させつつあり、事態はいずれ深刻なこととなりそうだ。

―――

ルイズたちは朝もやのけぶる湖北西部の小川へと向かった。朝日に照らされたその川は、汚く黄土色に濁ってみえた。
こんなことになるとは思ってもみなかったので、全員山中を行くための装備などもっておらず、四人は手や足に擦り傷をつくりながらも上流へと進む。

「あら……洞窟みたいね」

キュルケの言ったとおり、そこは人がひとり通れるほどの、小さな鍾乳洞になっていた。
かつては透明な水がとくとくと流れ出していたのだろうが、いまやそこからは臭気がただよい、黄色く変色した汚水が流れ出るばかりだ。
こんなところに入るのか、とキュルケとモンモランシーが顔をしかめた。ルイズはじっと二人を見て、言う。

「入りたくないなら、べつに残っててもいいわよ……私と、タバサとモンモランシーで行くから」

そう言ってルイズとタバサは、目を閉じて杖をかまえる。
『骨の鎧(Bone Armor)』と、『エナジー・シールド』をそれぞれ展開し、中に潜んでいるだろう何者かとの戦闘に備える。
モンモランシーは、自分が突入メンバーに既に入れられていることに驚愕し、やがて本日何度目になるか解らない絶望を味わった。

「ねえモンモランシー、そしてついてくるならキュルケ……私がこれから何をやっても驚かないで、そして見たことは……絶対に口外しないで」

ルイズは焦点の合わない目で言った。

「したら……どうなるかしら……ウフフ……ウフフフフ」

二人は背筋を震わせ、思った―――ああ、いったいどうなってしまうのか!!

このときキュルケの苦労人センサーは、針が振り切れるほどに反応しており―――結局彼女は、疲れたから馬車で休んでるわ、と言った。
絶対に触れられたくないこと、触れたら自分が危険なことには、触れない気にしない……それが、キュルケのいつものスタンスだった。
それは間違いなく、キュルケとルイズが今後も友人を続けていくうえでの、極めて正しい選択だった。

ひとり洞窟の外に残ったキュルケは、震えながら連行されてゆく荷物番モンモランシーの冥福を、涙を流しつつ祈るのだった。





////12-7:【クエスト(From DiabloⅠ:Poisoned Water Supply):汚れた水源】

―――Now Entering...

鍾乳石に頭をぶつけないように、手をケガしないように、慎重に慎重に三人は進む。
先導するのはルイズの使い魔。白くまばゆい光で、あたりを照らす。
次にゴーレムが、敵の襲来に備えて背後のものたちを守りながら進む。雪風のタバサが、ゼロのルイズと並んで進む。
最後尾で、戦闘向けメイジでないモンモランシーが、ポーションのたっぷり入った重たいかばんを背負い、ひいひいと息をきらせている。

鍾乳洞を抜けると、すこし広めの通路に出た。壁は大部分が土にかわり、地面は細かい砂で覆われ、あたりには篝火が焚かれ、道の真ん中に黄色くよどんだ小川が流れている。
三人は驚いて、その光景に見入った。洞窟は自然のままのものというよりは、多少人の手が入っているようにも見える。

「……やっぱり、誰かいるみたい」
「ねえ、ルイズ……何のために、川に毒なんて流すのかしら」

モンモランシーが、さっぱり解らないといった表情でつぶやいた。ここは彼女の地元だ。心を痛めていることだろう。
怖くてなにか喋っていないと心が潰れそうだから、なのかもしれない。

ここにいる全員が、メイジがこんなことをして何の得があるのだろうか、と首をひねる。
トリステインやガリアにたいする陰謀や侵略行為にしては規模がちいさく非効率だし、せいぜいが嫌がらせにしかならないだろう。
もしかして、わざとではなかったとか?
水の精霊に関することなのだろうか、とルイズは思ったが、理由の詮索などあとまわし。

「来たわ」
「な、何よあれ……亜人?」

ルイズがキッ、と前方をにらんだので、モンモランシーもそちらに目をやると、いくつかの人影が見えた。こちらにやってくる。
貴族の屋敷の平民の門番が扱うような、柄(え)の長い三日月状の斧のついたポールアーム(バルディッシュ)を手にしている。
身体は浅黒い。頭には、角。黒い体毛―――その顔は人間のものではなく、黒い山羊のものだった。

「……あの……ルイズ、あれって、敵……なの? 理由を話したら、通してくれるかしら」

この世界、ハルケギニアにも亜人は存在する。オーク鬼、トロール鬼、翼人などがそれにあたる。
それらのなかには、人間の言葉がわかり、人間と交易したり戦争で傭兵となったりして共存している一族も存在する。
タバサ、モンモランシーにとって、山羊頭の亜人など見るのも初めてだった。そんなものが居るという話を聞いたこともなかった。
かの山羊男たちの姿は、見るものにどこか禍々しさの印象を与えるものだった。
腕は隆々たる筋肉におおわれており、手にしたポールアームを振るえば、か弱い少女たちなど一撃で肉片に変えてしまうだろう。

少女たちへと向かってくるその数はしだいに増えてゆき、こちらにはトライアングルがひとりいるとはいえ、突破するには骨が折れそうだ。
十人、二十人、ぞろぞろと出てくる。たとえ突破しても、このぶんではあとで何が出てくるか、わかったものではない。

「敵じゃないわ、モンモランシー」

ルイズが、くいっと口の端を持ち上げた。
モンモランシーは、よかった怖いけど話せば解る相手なのか、と安堵し、とりあえず交渉するつもりなのかしら、と胸をなでおろす。

「敵ですって? モンモランシー、ねえ、あれが敵? ねえ、うふふふ……ああおかしい、あれはまったくもって敵なんかじゃないわ、あれはね……」

ルイズの瞳孔が、みるみる開いてゆく。
くくっ、くくっと、その喉の奥から押し殺した笑い声がもれる。
やがて、あーっはっは、と大きな笑い声になる。あっけにとられた二人が見守るなか、ルイズはひとしきり高笑いしたあと―――

「―――死体の材料、って言うのよ!!」

あはは、あはは、と素敵な宝物を見つけたかのような笑みで、『イロのたいまつ』を振りかぶった。なにやら呪文を唱えている。
同時に、大勢の黒山羊の悪魔たちが、黒い剛毛に覆われた両足のひづめで地を蹴り、バルディッシュをかまえて突撃してきた。
なにこれ、なにこれ、とモンモランシーは震えることしかできない。タバサが、杖をかまえ、呪文を唱え始めた―――

『テラー!! (恐怖せよ!! 恐怖せよ!! さあ、恐怖せよ―――)』

ルイズが緑色に発光する杖を、ばあっと振り下ろす。身体の心からあふれ出るような霊気の流れを、割り込ませ、敵の運命の流れへと干渉する。火の粉が舞い―――
山羊男の集団の、前線の突撃の勢いが止まる。身体の髄へと恐怖を叩き込まれ、尻込みし、こちらへと近づくことが出来なくなったのである。

『エア・カッター』

タバサが、魔法を放った。怖気づいた前線の味方の隙間を無理矢理押しひろげて、こちらへと向かってこようとしていた数匹の山羊男の群れへと、着弾する。
乱舞する空気の刃が、山羊男たちの皮膚を切り裂く。苦しみの声があがるが、悪魔たちは相当な生命力に溢れているらしく、倒れたのは一匹だけ。
ルイズのクレイ・ゴーレムが、せまる敵の集団のなかへと突撃し、倒れて苦しみもがいている山羊男の頭蓋骨にむけて、思い切り足を振り上げ―――

踏み抜いた―――

「来たわ、来たわ、来たわ出来たわ、出来た出来たやった、うふふふ、さあ行くわよっ!! …………タバサぁあ、エア・シールド最大出力ッ!!」

ぐしょ、という鈍い音とともに、ルイズが嬉しそうに叫んだ。タバサは言われたとおりに、空気の障壁へと精神力をたっぷりと流し込んだ。ゴーレムが撤退する。
その瞬間、ルイズは杖をたかだかと掲げ―――宣言する。ラズマのネクロマンサーの前に立ちはだかる、すべての敵が恐怖する、その言葉を。

『―――コープス・エクスプロージョン(Corpse Explosion)!!』

光が散る、とたん、弾ける―――

袋の中身。

詰まっているのは、夢と希望。

そう思っておいたほうがいい―――と、雪風のタバサは後ろのモンモランシーに向かってそっと語ったという。

――ど、ばっしゃあぁーん!! あーん!! あーん! 残響が、洞窟にこだまする。爆発音に驚いたコウモリたちが、ばさばさばさと飛んで逃げてゆく。

空気の障壁で防ぎきれなかった衝撃が、少女たちの髪をゆらす。洞窟の天井をぐらぐらと揺らす。
モンモランシーは、ただただ目をむいて、あんぐりと口をあけている。タバサはじっと目を閉じて、障壁の維持に専念している。
ゼロのルイズは止まらない。一歩、二歩と進み出る。障壁を張っていたタバサが、ルイズを外に出さないために、慌ててそれにあわせて動く。

「あははははっ!! まだまだ足りない、足りないわ……こんなんじゃ足りないの足りないわさあもっともっともっとぉーッハハハあっ!!!」

『イロのたいまつ』が発光する。続けて『アンプリファイ・ダメージ(ダメージ増幅)』の呪術が発動する。いびつな色をした炎が、山羊男たちの頭上に浮かんだ。
ふたたび杖が振るわれ、あらたに出来た死体という名の恐るべき凶器が、中身を撒き散らして弾ける―――パーン!! まだまだ、パーン!! もいっちょ、パーン!!
ぐおお、ぐおお、にげまどう魔物の悲鳴がひびく。ここは狭い洞窟、逃げ場はほとんどない。壁がぐらぐらと揺れ、あたりに瓦礫が落下する。
ラズマの大いなる殺戮秘技『死体爆破』、死者の秘める断末魔パワーが、なみいる敵をかたっぱしから吹き飛ばし、ぶちまけてゆく。

びゃっ―――

モンモランシーのすぐとなり、鍾乳洞のつららに、ナニカがひっかかった。そこから彼女の頬に、生暖かい液体が跳ね飛んできて、模様をえがいた。
魂を抜かれたかのように放心していたモンモランシーの目から、すっ、とひとすじの涙がこぼれた。なにこれ、なにこれ。

なにこれ、なにこれ。なにこれ、なにこれ―――

ゆめ、きぼう、ゆめ、とモンモランシーは、静かに自分へと語り聞かせつづけていた。
そして、どこか斜め上の視点から自分自身を見ているような不思議な感覚につつまれ、ドン退きしつつ、思った。ええ、そうよ―――これは、無いわ。

黒い山羊男たちは、群れの中心で起きた爆発に吹き飛ばされ、いろんなところをもぎ取られ、あるものは壁にめり込み、生き延びたものは倒れこみぴくぴくと震えている。

洞窟は真っ赤に染まっていた―――いや、と金色の髪と真っ青な顔の少女モンモランシーは思う―――ただ赤いだけなら、まだどれだけマシだったことだろうか、と。
ピンクや白や紫色の小片が混じったそれがところかまわず散らばり、天井からべちゃり、ぼちゃり、と落下してくる。

ルイズの白い髪の毛に、肩に、落ちてきたなにかの液体が赤い筋をつくっている。
タバサも、モンモランシーもそうだ。帰ったらリボンとか靴とかこの服とか捨てないと、おこづかいどうしよう、とモンモランシーは現実逃避しながら、ぼんやりと考えていた。

自分たちは、水の精霊の要求をうけて、汚れた水源を清浄化するために、ここに来たはずなのだが……
モンモランシーは思った―――自分たちが来る前よりも、ずっとずっとひどいことになっているのではないか―――おもに、ハラワ……いや、夢と希望で!!

ゆめ! きぼう! ゆめ! きぼう! こいぬ!

ルイズはマナ・ポーションを飲み干して、口を袖でぬぐうとにいっ、と笑う。
さあ出ておいで、私の戦士、スケルトン、と杖を振ると、倒れている山羊男の死骸が血肉をまきちらし破れ、かしゃり、と白いガイコツが立ち上がる。二体、三体……四体。

ありがとう、きてくれて、はやくよんであげたかったわ、うふふふふ、ごめんなさいね、平和な学院じゃ、なかなか新鮮な死体が手に入らないんですもの……
とっても素敵な骨格よ、オークのもたくましくて好みだけど、あなたたちのはとっても綺麗だわ、えへへっ。
ねえタバサ、大丈夫? 怖くない? ……顔が青いわ、辛かったら帰ってもいいのよ? ……えっ、まだ行ける? あらそう! ウフフ……

ウフフ……

「―――さあ、行きましょう!!」

赤い雨、赤い水たまりを気にせずに、ルイズは夢と希望にあふれる洞窟の奥へと進みだした。
ぴちぴちちゃぷちゃぷと、まるでスキップをするように、白いヒトダマをランタンがわりに、一体の土くれと四体の死者の戦士、もはや眷属と成り果てたひとりの雪風のメイジをひきつれて。

―――カタカタ、カタカタ、と骨の笑い声がひびく。あははあははと少女の声がひびく。

そうか、まともな人間は私しかいないのか。キュルケさん、どうしてあなたは逃げたの、あなただけが心の拠り所だったのに。
いや、残念、これはわたしの引き起こした事件ですから。タバサはともかく、ゲルマニアの心優しいキュルケさんには全く関係のないことでした。
もう帰りたい、帰ってもういちど首を吊らせて、と血まみれのモンモランシーは思った。

逃げよう、いますぐ逃げよう、学院にも戻らないでどこか遠いところ……そうだ、タルブなんてどうかしら……シエスタの故郷―――

だが、悲しいことにモンモランシーは……ゼロのルイズと、運命共同体の誓いをしていたのであった。
やがてゴート・スケルトンの一体が戻ってきて、白い骨の手で、突っ立っていたままの彼女の襟首を―――がしっ、と掴んだ。

もはや逃げ場はなかった。







////12-8:【殺人犯かもしれないやつらと一緒の部屋に居られるものか、私は自分の部屋に戻る!】

ひとり洞窟探検に参加せず、山道を引き返したキュルケ・フォン・ツェルプストーは、湖岸より少し離れたところに停めてある馬車のところへと戻ってきていた。
考えてみれば四人で行けば馬車の番をする者が居なかったわ、あたしが適役ね、と彼女は自分に信じ込ませようとしていた。

疲れていたのは本当だ。
いちばん今回の事件に関係のないキュルケは、あまり深入りするのもいけないが、せめて御者だけでもしてやろう……と、他の四人よりずっと長い時間御者台に座っていたのだ。
この後も忙しいルイズとタバサがたっぷり休憩を取ることが出来て、自分が手伝えるのはせいぜいそのくらいまでよね、と彼女は思った。

四人がけの、向かい合わせになっている座席の片方に寝転がり、んんーっ、と伸びをして、凝り固まった肩や腰の筋肉をほぐす。
毛布を取ってひとつを枕にし、もうひとつをかぶり、赤く長い髪が邪魔にならないようにかるくそろえる。瓶から水を口に含み、喉を潤し、うがいをする。
横になったとたん、どっと疲れが襲ってくる。

ゼロのルイズに付き合えば、いつもこんなふうに疲れるわね、とキュルケはぼんやりと思った。

見上げれば、朝日もずいぶんと高いところへ行ってしまった。皆、無事だろうか。
やはりついていけばよかったのだろうか……いや、疲れ果てている自分が着いていっても、足手まといになったかもしれない―――

そうだ、カーテン……と、起き上がって窓の日よけを下ろす。
そしてふたたび横になれば、すぐに眠りはやってくる。


―――

外から妙な物音がきこえて、キュルケは目を覚ました。
どのくらい時間がたったのか、ここには時計もないのでわからない。

ルイズたちが帰ってきたのだろうか。
それにしては、様子がおかしい……

どおん、どん、と何かの音が響いている。たしか火のメイジである自分の使う、ファイアー・ボールが炸裂すれば、このような音が―――



―――戦闘音!!

キュルケは飛び起きる。すぐに杖を取り出し、目をこすって毛布を放り投げる。
ルイズたちが帰ってきたのだろうか。
なにかに襲われているのだろうか―――たとえば、あの小川に毒を流した連中、とか。

馬車の扉を開けて飛び出す。
音は、湖岸のほうから聞こえてきている。あの独特の何度も響く音は、水面に反射するときに起こるものだ。

待ってて、あたしも行く、とキュルケは胸のうちで叫んだ。

もう遅いが、自分も、疲れを押してでも、やはり洞窟のなかに一緒に行けばよかった。
ルイズがいつもどおりの余裕そうな雰囲気を出していたから、これなら大丈夫だろうと思っていた。フーケのときのように。
毒を流す奴らを見つけ、自分たちの手に余るようなら、すぐに引き返して領主に通報する、それで足りるだろうからだ。

でも、もしタバサ、ルイズ、モンモランシーたちに何かがあれば……

キュルケは、胸が痛む。
杖をぐっと握り締め、走って、走って、走った。

ルイズたち一行に火のメイジは居ない。
ファイアー・ボールの炸裂音はなんどもなんども続いている。沢山の敵に、攻撃を受けているんだ……

悪い想像が加速する。

キュルケはやがて、ラグドリアン湖岸へと到着し、その光景を目にする―――

「……っ!!」

そこに居たのは、キュルケの知らない男だ。
身長170ちょっとのキュルケと、同じくらい、いやすこし向こうのほうが高いだろうか。
ゲルマニア人のキュルケよりも、その肌は浅黒い。ここからは遠すぎて、年齢は解らない。
青い服。金の糸の刺繍で、ラインが何本も入っている。妙なかたちの、両側に角のような飾りのついた帽子をかぶっている。

巨大な金色の杖。先端には三日月のように尾をはねあげる竜魚の飾り。
青白いなにかのエネルギーがあふれ出し、螺旋のように杖を巻き上がってゆく。精神力ではない、何か別のものだ。
スクウェアクラスかと思われるほどの密度、大きさのファイアー・ボールが、何度も何度も放たれている。

男に攻撃されているのは、湖面だった。
湖面が盛り上がり、のたうっている。ひょっとしてあれは、水の精霊なのだろうか。身を焼かれ、もがき苦しんでいるようだ。
精霊は水の槍を飛ばして反撃しているようだが、男に届く前に、妙な壁によってはじかれている。

『―――テレキネシス(Telekinesis)』

水の精霊の身体が、ばっ、と弾けた。
大きな塊が宙を舞い、男がとりだした大きめの甕(Urn)へと吸い込まれるように入ってゆく。
フタを閉じる動作、そして男が、ふと、キュルケのほうを見た。

―――まずい!!

キュルケは戦慄する―――殺す気だ、あたしを……!!

男が杖を振り上げる。
キュルケは直感にしたがい、全力でその場を飛びのいた。

『ライトニング(Lightning)―――』

一条の電撃が、ラグドリアン湖岸からキュルケの立っていたあたりまでの湖水を沸騰させつつ、通り過ぎていった。
キュルケのすぐそば、いままで彼女が立っていたあたりで、木が、草が、もうもうたる黒煙をあげていた。

逃げろ、殺される―――!!

遠くの男の身体が、青白い光につつまれて消えた。

直後―――背後に、気配。死ぬ、いまだ避けろ!!
キュルケはスペルを唱えつつ走る。男はいつのまにか自分のすぐそばまで転移しており、杖が振られ―――

『―――グラシアル・スパイク(氷河の破片)』
「っく、『ファイアー・ウォール』っ!!!!」

湖の水が凍ってひび割れる、砂にしみこんだ水が霜柱をたてる、凍った水蒸気がぱらぱらと頬にあたる。木が幹が砕け葉の破片が飛びちる―――

―――どおん! 猛烈な炎の壁が、キュルケを守る。

スペルは間に合い、襲い来る寒波をはじき返し、キュルケは地面に張り付いた靴を片方残したまま、逃げ出した。

飛ぶな、あの電撃で狙い撃たれるぞ。
地を這え、反撃しろ―――『ファイアー・ボール!!』

男はふたたび光につつまれ、転移した―――が、トライアングル・メイジ、微熱のキュルケの炎球は、狙った獲物を逃さない。

「いけーーっ!!」

―――ずどん! キュルケのすぐそばに現れた男へと、誘導弾が直撃する。炸裂―――
ばちっばちっ―――と、男の周りに静電の壁があらわれ、熱を防ぐが、殺しきれない衝撃が、男を吹き飛ばす。
男は杖を離し、抱えていた甕を守るようにごろごろと転がって受身をとり、やがて起き上がった。

ははははは、と狂ったような、男の笑い声がひびく。

テレキネシス、と男が呪文をとなえ、逃げようとしていたキュルケは何も無い空中に浮かび、首をしめあげられた。
いまあいつは杖を使っていない―――先住魔法、なのだろうか?

息が出来ず、必死にキュルケは身をよじる。男がとどめをさそうと、近づいてくる。喉を絞める見えない力は、どんどん強くなる。

そしてキュルケは、ポケットから、あるものを取り出し―――肺の中に残った最後の空気で、呪文を唱えた。

『ウル・カーノ(発火)!!!』

火をともされ、渾身の力で、男にむけて投げつけられたそれは―――『ハジける蛇くんVer.2』。
学院につとめる教師コルベールが作った、高性能爆薬である。

ズドォオオン―――!!

空気が震える。衝撃で、キュルケも吹き飛ぶ。男も、障壁ごと弾き飛ばされる。
相手は、割れ物をかかえているせいか、どうやら全力を出せないようだった。今の爆撃を、ひどく警戒しているようだ。
立ち上がり、杖を拾い、『門よ』と言うと、赤いゲートが現れる―――そして、居なくなった。

居なくなった―――

はっ、はっ、はっ……

靴を片方なくし、服もぼろぼろ、自慢の長い髪の毛の一部が凍りつき、崩れてしまった。
湖岸に仰向けに倒れ込んだまま、青い空と雲とを見上げ、キュルケはしばし、呼吸をととのえながら、ぼうっとしていた。

ああ助かった。
助かった。
死ぬかと思った。
何であたしが。
腹が立つ。何なのよあいつは。
誰だか知らないけど、このトライアングル、微熱のキュルケが、あんな奴に―――!!

緊張がとけたせいと悔しさのせいで流れ出してくる涙、睡眠不足でお日様にちかちかする目を、右腕で覆いかくし―――

―――ああ、馬鹿みたい

でも、あの三人が襲われてたんじゃなくて、良かった―――

そのまま彼女は、あははっ、と涙目で笑い、しばらく鼻をすする音を響かせていたが―――やがて、疲れ果て、眠りのなかへと落ちていった。

////【次回へと続く】



[12668] その13:明日へと橋をかけよう
Name: 歯科猫◆93b518d2 ID:b582cd8c
Date: 2010/05/27 23:04
//// 13-1:【えんがちょわんわん大行進】

金髪の少女モンモランシーは、今、自分は果たして生きているのだろうか、と不思議に思っている。
ここが現実の世界なのかどうかも、彼女にはわからなくなりつつある。ひとつ確かなことは、しばらく自分はお肉を食べられないだろうということだけ。

前を行くのは、大きなバルディッシュを手に、立ってカタカタと歩く山羊の骨。全部で四体、前衛に三、後衛……つまりモンモランシーの背後に一体。
モンモランシーが逃げようとすれば、がしっと肩とか襟首とかを、白い骨がむきだしの手で掴んでくる。
これらのスケルトンは、あのゼロのルイズが、召喚したらしい。
死体を愛でる趣味だとか、もはやそんなレベルではない―――もっと恐ろしい、洒落にならぬ何かだった、それを嫌と言うほど思い知らされた。

さっき雪風のタバサに、怖くないのか、と聞いてみたら、怖いけどついてゆきたい、という言葉が帰ってきた。

スケルトンたちは、まだできたてほやほや、乾ききってもいないので、けっこう生臭い。
自分たちの服も、飛び散った血や臓物で、どこもかしこも汚れている。帰ってこんな自分を友人が見たら、卒倒するであろう。
これは自分の失敗の責任をとるため、と自分に言い聞かせつつ、金髪の少女は重たいかばんを背負い、なみだ目で死者どもの行軍に加わるのであった。

「着いたわ、たぶん、ここが私たちの目的の場所みたいね」

ルイズがそう言った。見ると、泉のように、黄色い水が湧き出している。
そのとなりの壁に、ロウソクの立てられた奇妙な祭壇(Goat Shrine)が立てられている。これを使った呪術で、泉の水を毒に変えていたのだろう。
この祭壇を破壊すれば、泉の水はもとの質へと戻るに違いない。

「さあ、みんな、ぶち壊してちょうだい」

ルイズはネクロマンサーの杖を振るい、自慢のゴーレムとスケルトン軍団へと、祭壇の破壊を命じた。
よかった、これで第一関門はクリアか……と、モンモランシーが肩をなでおろし、そっと後ろをみたとき―――

闇の中でキラリと光る、なにかを見つけた。ふたつある。それは四つ、六つ、八つ……

「ねえ、ちょっと……」

モンモランシーは、雪風のタバサの袖を引っ張った。彼女も気づいていたらしい、杖をかまえ油断無く闇を見つめている。
ルイズへと声をかけると、ルイズは杖を振って祭壇の破壊にまわしていたゴーレムとスケルトン四体を、そちらの方向へと回した。

―――ヴェー!!!

何かが飛んできて、ルイズのスケルトンへと着弾した。びちゃり―――液体のかたまりのようだ。
近くに居たモンモランシーの服に、ぴぴっ、と数滴付着する。
服に、穴が開いた。とたん襲い来る、火傷のような痛み―――

「きゃああ、あつっ、あつ!!」

モンモランシーが飛び上がって叫ぶ。先ほど液体を浴びたスケルトンは、体中から煙を発し、じゅうじゅうと溶解しかけていた。
酸だ―――ひどく強力な酸性の液体が、飛んできたのである。

―――ヴェー!!! ヴェー!!! ヴェヴェーッー!!! ヴェー!

それは灰色の、犬のような生き物だった。二十匹ほどの群れが、遠巻きにルイズたちに向かって、いっせいに酸の唾液を吐きかけてきていた。
守りに回ったゴート・スケルトン三体は、みるみるうちに骨を溶かされ、全身ぐだぐだに崩れてゆく。
それでも必死にバルディッシュをかまえ、なんとか攻撃がルイズたちに届くのを防いでくれている。でも、もう限界だ。
フォワードの一体が群れへと突貫したが、あっという間に集中砲撃をうけて、粉々のばらばらになってしまった。

「ううう……た、退却ぅ!」

ルイズが悔しげにそう言って、『イロのタイマツ』を振るう。せっかくできた立派で格好いいガイコツ軍団は、活躍の場もほとんどなく溶かされてしまった。
ここから敵までは、遠すぎる―――射程距離のそとから、攻撃を受けている。
あたりに、隠れる場所は―――ひとつしか、無い。

ルイズの作った、ゴーレムの背中のかげだ。ラズマ秘術のゴーレムは、いち術者につき一体しか運用できない。

ヴェヴェーッー!!! ヴェーッ、ヴェーヴェーヴェー!!

えんがちょ酸のかたまりが、大砲の弾のように飛来する。ここで反撃など、とてもじゃないが出来ない状況である。
じゅうじゅう、じゅうじゅうじゅう……ぽたり、ひいいっ! あちい、あちゃち! やっ、どこ触ってんの!
狭いゴーレムの背中で、ほっぺたをくっつけるほどにぎゅうぎゅう詰めになって、きゃあきゃあと隠れている三人の少女。

頼りになるゴーレムも、土がしだいに酸の液体を吸い込んで、ぼろぼろと劣化しつつある。
そろりそろりとゴーレムを移動させ、自分たちのやってきた方向の通路へと向かっているのだが……それまで持つかどうか。

「ど、どうしろっていうのよこれ!」
「わかんないわよルイズ、お願いだから、わたしに聞かないでよ、ねえ、さっきまでの余裕は何処いったのよう!」

モンモランシーは泣いた。その涙が、彼女とぴったりくっついている涙目ルイズの髪の毛に付着した血液と混ざり合った。
ルイズは頭を回転させる―――これをどうやって切り抜ける、どうやって……
風の防壁、水の防壁は、すぐに破られてしまうだろう。タマちゃんは一度突撃させたら、復活にちょっと時間がかかるし……。
呪いは完全に射程外だ―――射程外、そうか―――

「あちっ、あちあちち!」

彼女のおしりに、酸がぽたりと落ち、思考が中断されてしまう。
涙目でおしりを押さえて痛がるルイズを、タバサが抱きしめてよしよしと撫でてやっていた。
こんなときに何いちゃついてなごんでんのそこ! と、モンモランシーは本気で怒りを覚えた。

「そうだ、タバサ!! ギトー先生の課外授業よ!」

ルイズは叫んだ。タバサがこっくりと頷く。

「きゃっ、何するのよ!」
「ポーション! 毒! 毒のやつ! さっさと出して!」

モンモランシーは、とつぜんルイズに背中のかばんの中をごそごそと漁られて、そのせいでゴーレムの影から飛び出してしまいそうになった。
飛び出せば、彼女の身体はたちまちのうちに、なにか怪しい黄色の液体へと成り果ててしまうことだろう。必死にタバサにしがみつき、彼女は耐えた。
あった、これよっ、と白髪の少女は、ひとつの小瓶を取り出した。

「モンモランシー、これに『レビテーション』をかけて!」
「え? ……あ、うん」
「タバサお願い!!」
「了解―――『ウインデ(風よ)』」

そう、風は、ものをはこべるのだ―――

ルイズの手の上から、魔法で浮遊した小瓶、緑色の液体に満たされたそれが、風に乗って、ぽーん、と飛ばされていく。
遠くの敵の犬の群れのちかくに、ふわふわと空をとび、着弾する。かしゃん、もわもわ、と緑色の煙が広がる。続けて二個、三個と投擲される……
ルイズ愛用の、毒蛇の毒を発酵させて作った猛毒ガスポーション(Rancid Gas Potion)である。

風は、こちらから吹いている―――人それを、追い風と呼ぶ。

犬の群れは口から黄色い液体を垂れ流し、ばたばたと倒れていった。三人は何度も投擲をつづけ、風で猛毒の霧を敵陣へと押し流し、じっと耐えた。
モンモランシーは、そんな物騒な液体をいままで背負わされていたのかと思い知らされ、心底恐怖した。
ゴーレムは途中で崩れそうになったが、タバサによって氷づけにされ、強靭な防壁として最後までよく耐えきってくれた。

犬の群れの攻撃が終わったとき、ルイズとタバサは、血だらけ酸で穴だらけの服で、かたく手を握り合ったと言う。

―――受けていてよかった、疾風ゼミ!!

モンモランシーは、私も受けようかな、と思ったとか思わなかったとか。




//// 13-2:【風のまにまに】

さてそのころ、港町にて一夜をすごしたトリステイン魔法学院の教師、ギトーとコルベールは、明日まで船が出ないと知って愕然としていた。
なんのために、ここまで急いで来たのだろうか、と思ったが、来てしまったものは仕方ない。

馬にはスタミナ・ポーションと回復ポーションを飲ませ、かなり無理をさせてしまった。
その分を差し引いて考えれば、いまは多少の余裕が出来たことだけでも喜ぼうと考える。

今日一日ぶん開いてしまった。することもない。
昨夜この宿の酒場で会ったスクウェアの子爵でも誘って街に繰り出そうかと、ギトーが言った。
同じ風のスクウェア同士、腕試しもしてみたい、とギトーは意気込んでいた。
なので二人で彼の部屋を訪問すると、疲れているのでよしてくれ、と心底嫌そうな顔をして断られた。

学院の少女たちは、いまごろ必死に秘薬の調合をしているのだろう、とコルベールは言った。
なによりも大切な授業を休んでまで来ているのに、我々が遊んでいてよいものか、と頭の薄い彼は渋い顔をして言う。

ギトーは、ならば、もっと風のように柔軟に考えようではないか、と言った。
今すぐ行こう、フネの風石の足りない分は、風のスクウェアたる私が精神力で負担する。
ロサイスまでのフネをまるごと借りなければならぬだろう、そのための資金は、心苦しいが金持ちのあの少女たちに請求しよう。
貧乏貴族のわたしには家庭があり、残念ながらそれほど余裕があるわけではないのだ、と彼は言った。

宿屋の部屋にカギをかけ、『門よ』と唱え、<タウン・ポータル>のスクロールを開けば、それはルイズ・フランソワーズの住居へと繋がる。
いったん戻って状況を確認しあおう、と二人は銀貨をはじき、コルベールが部屋に残る。ギトーはゲートをくぐって学院へとワープする。

―――さて。
ひとり残されたコルベールは、うねうねとゆらめく青いポータルを眺めながら、ベッドに寝転がって考え事をする。

ジャン・コルベールは研究のため、自分の相続した屋敷その他の財産をすべて売り払った過去がある。
なので、現在のポーション販売が軌道に乗るまで、なかば赤貧といった生活を送ってきていた。
爆薬のほうは教え子のギーシュとともに現在試作品第二号をつくり、売り込み先を探し中である。

彼は机の引き出しにしまったままの、ロマリア秘宝『炎のルビー』のことを思い出す。
それは、彼の罪の象徴だ。あれを持っていることは、誰にも教えるわけにはいかない。
彼を慕い尊敬してくれて、強い絆を結んでいる共同研究者の少女、ルイズ・フランソワーズにさえ教えていない。

いつか、触れただけでマジックアイテムの正体を知ってしまう彼女に、教えることになるのだろうか、と彼はひとり嘆息した。

ギトーはすぐに帰ってきた。新しいスクロールと、金貨の袋をかかえている。
ルイズたちは留守だったが、何かあったときのため、とシエスタが託されていたらしい。
さあ行こう、と二人は明日への想いを胸に、そびえる巨大な桟橋、船着場へと向かった。

時刻はまだ朝早くであり、宿屋に残してきた若い子爵の彼は疲れ果てて眠っている。
ひょっとするとアルビオンに行くのか、それなら一緒に乗せてやってもよいのではないかとも思ったが、こちらは詳しい話のできない秘密任務だ。
彼は誰か人探しをしているらしい、ならば違うのだろう。コルベールとギトーは、彼の健康と幸運を始祖に祈る。
どのような仕事でここに来ていたのだろうか、あれほど疲れ果てるまで仕事にはげむとは、なんとも見上げたものだ、立派な貴族だなあ、と感心しきりだ。

あの若い子爵も、だれか麗しの婚約者がいたりするのだろうか、と二人は、かのスクウェアメイジの話題で盛り上がった。

コルベールはちょうどよい、とギトーに直接訊いてみることにする。
さて、どうしてギトー君はそんなに風が好きなのに、水の国に住んでいるんだ、と問えば―――
わたしの妻は水のメイジなのだ、という言葉が返ってきた。だからわたしは彼女のトリステインを離れない。
君ならば風のメイジを伴侶としているのだろうとばかり思っていたのだが、とコルベールが問えば、彼は―――

―――何を言う、風は美しき湖面を揺らすものだろう、と語った。詩人である。





//// 13-3:【ともだち:Quest Completed】

「『錬金』!!」

ドカーーーン!!!

ルイズは失敗魔法の一撃で、祭壇を粉々に破壊した。水の質は、みるみる透明で清浄なものへともどってゆく。
依頼を達成するために、猛毒やら血やら骨やら内臓の欠片やらたくさんたくさんばら撒いたけれど、これで要求は果たしたわね!とルイズは満足そうに笑った。

帰る前に、ここに誰がいたのか、いったい何のためにこんなことをしていたのかを調べなくてはならないのでは、とルイズは思った。
ここは、サンクチュアリの魔物をハルケギニアへと召喚している人物に、いちばん近い手がかりなのかもしれない。

それとも、あの祭壇は手先の器用な山羊の悪魔によって作られたものなのだろうか。
偶然召喚された魔物が、好き勝手やって毒を流していたのだろうか……その行動原理が、さっぱり、わからない。

サンクチュアリの魔物たちは、あの『地獄の肉屋』のように、ガリアにもいくらか居るようだ。
ルイズはガリアとの山中にウェイポイントの術式を繋げて以来、ほんのたまにだが、あのあたりに修行という名の魔物退治に行っていた。
出会うのはたいていオーク鬼だったが、『ラカニシュ』と叫ぶ小鬼やらなにやらが出てきたこともある。それは、たぶんサンクチュアリの魔物だった。

今回のように、トリステインにもサンクチュアリの魔物がいるのは、ひょっとするとおかしくないことなのだろうか。
それともひょっとすると全世界を巻き込むような危険な事件の、ほんの一部を、私たち三人の少女はかいまみたのか。

―――いや、今は姫さまを治療するのが、なによりも先だ! そしてタバサも、ついでにギーシュも……

ルイズはそう考え、一刻も早く、水の精霊のもとへと戻ることにした。タバサがそっとそのあとに続く。
モンモランシーは、またあのカラフルでハッピーな通路を通らなければならないのね、と泣きそうになった。

さて―――

洞窟を出て、山道を下り、血まみれで穴だらけでぼろぼろの服を着た三人の少女は、湖畔へとやってくる。
キュルケは馬車で寝ているのだろう、ならばわざわざ起こしてつれてくることもない。

そう考えていたのだが。
当の赤い髪の少女、キュルケ・フォン・ツェルプストーが、ぼろぼろになって、湖岸で倒れているのを発見し、飛び上がらんばかりに驚くのであった。

「キュルケ!」

ルイズたち三人は、ひどく慌てて駆け寄った。まさか―――
だが、近づいてよく観察したあと、彼女たちはほっ、と安堵の表情を見合わせた。

「……良かった、呼吸してる」

ぐったりとしてはいるが、眠っているだけだった。
キュルケの服はやぶれ、からだのそこかしこに火傷、足には凍傷、髪の毛の一部がひどく痛んでいる。
自分たちもひどいものだが、なぜ馬車で寝ていたはずの彼女が、こんなにひどいことになったのか、と三人は不思議に思った。

「……ルイズ? おかえり……何よそれ、すてきな格好ね」
「ただいま、あんたもじゃない……ねえ、何があったのよ」

眠りから覚めたキュルケに、ルイズは回復ポーション(Health Potion)を飲ませ、傷を癒してから、事情をたずねた。
キュルケはいきなりヘンな奴に殺されかけた、と事情を語った。

「……浅黒い肌の……魔道師?」
「そうよ、あんまりじっくり顔を見てる暇はなかったけど……いったい、何だったのかしら」

四人で首をひねるばかりだ。
ルイズは、コルベール先生の爆薬の直撃を無傷で防いだ、と聞き、『エナジー・シールド』ではなく古代魔術の『マナ・シールド』だろうか、と推測した。
なんで爆薬なんて持ってたの? 前にひとつもらったのが、ポケットに入ってたのよ。 なにそれ危ないわね。 普段から毒ガス持ち歩いてるルイズに言われたくないわよ。

「召喚士(The Summoner)……」

タバサが、ぽつりと言った。
知っているの? とルイズが問えば、よくは知らないが、そう呼ばれている褐色肌の人物が居たらしい、と答えた。
ルイズは、ガリアの内情の話かしら、と推測していた。

さて―――

ラグドリアン湖畔、モンモランシーが、ふたたび水の精霊を呼び出した。
水の精霊は、あの魔道師によって身体をごっそりと削り取られたせいか、サイズが小さくなり、全裸の幼女モンモランシーとして出現した。
全員が、目をまんまるにして驚いた。直後、モンモランシーは真っ赤になって顔を覆った。

「よく約束を守ってくれた、我はそなたら個なるものを信用しよう」

ルイズたちが魔物を倒し水源を清浄に戻したこともあるが、どうやらキュルケがその魔道師を撃退したことが、水の精霊にとっては大きかったらしい。
あれが赤い扉で去ってから、この湖の周辺から魔の気配が完全に消えたという。洞窟にいたサンクチュアリの魔物は、その魔道師が召喚していたもののようだ。
水の精霊は四人にとても感謝しており、生涯をかけて指輪をとりもどすことを条件に、これ以上水位をふやさないことも約束してくれた。

三人は持ってきたビンに、<水の精霊の涙>を受け取った。

ルイズが手にして調べたところ、やはりというか、<水の精霊の涙>は多少汚染の被害をこうむっていた。
どうやら、精霊に直接ダメージを与えるたぐいの毒だったらしい。
例の魔道師は、ひょっとすると<汚染された水の精霊の涙(Polluted Tears of Water-Elemental)>が必要だったのかもしれない。
そんなものなんに使うのか、などとはルイズにもさっぱり想像しえないことだった。

さて、襲撃と汚染によってダメージを受けた精霊は回復に専念しなければならないため、渡せる体の一部の量は少なく、それでも汚染はわずかばかり浸透しているようであった。

この量では、ぎりぎり三人分である。失敗はゆるされない。
また、汚染を完全に取り除くまでに、かなりの時間もかかりそうだ。一刻も早く、姫のために……

ルイズは歯を食いしばって、悔しさをこらえた。姫を、そしてタバサを、ギーシュを治療しなければならない。
そんなルイズの手を、ぎゅっと握ってくる少女がいる。タバサだ。
いつものあまり表情の感じられない顔で、じっと、見つめてくる。

「タバサ、どうしたの?」
「……水の精霊は、永遠に生きるから、誓いの精霊と呼ばれているという話を聞いた」

青く短い髪が、湖面をゆらす風に、ふわりと舞った。涼しい風は、トリステインからガリアに向けて流れているようだった。

「誓って」

タバサの青い目が、ルイズをじっと見つめている。
しっかりと手を握り、はなさない。

「ルイズ……あなたに、お願い」

ルイズは、たじろいだ。なにか自分はこの子に、とてもいけないことをしてしまったのではないかという、切ない気持ちになっていた。
キュルケとモンモランシーも、それはそれは驚いた顔をしていた。

「……あ、愛を?」
「似たようなもの、でもちがう」

タバサは、そっと目を伏せた。

「生きていて、良かった」

しばらく、なにかを考えていたようだが、やがて目を開けると、反対側の手で、キュルケの手をにぎった。
キュルケはしばらく驚いていたが、やがて満面の笑みになり、反対側の手で、モンモランシーの手をにぎった。

四人は誓う。

「シエスタも、ギーシュも、ミスタ・ギトーも、ミスタ・コルベールも……」

みんな一緒に、ずっと、笑顔で―――


―――

―――


ゼロのルイズは、このとき、抱えていた大きな<難問>が薄れてゆくような、不思議な気もちになっていたそうな。

一方、モンモランシーは、もはや陥落するほかなかったという。

―――さあ、頑張ろう!

誰もが、気合を入れなおした。





//// 13-4:【プロジェクトなんとか~調合者たち~】

四人は、まず顔や髪の毛を洗い、血まみれでチーズのように穴だらけの、ぼろぼろの服を着替えた。

ルイズ・フランソワーズのスカートとパンツのおしりの部分には、酸をうけたときの穴が開いており、このときようやくそれに気づいた彼女は、とても赤面したそうな。

馬車は、付近の住人をやとい、魔法学院へといずれ送り返してもらうことにし―――

四人は<タウン・ポータル>を使用して、ラグドリアン湖畔から一瞬のうちに帰還する。

『幽霊屋敷』にはシエスタが震えながら待機しており、しばらく前にギトーが来て金貨を取っていったと伝えた。

それと、それより前にはヒゲの生えたイケメン貴族も来たけど、ルイズが留守だと知ったとたんすぐにどこかへ行ってしまった、という。

誰だろう?
ルイズは首をひねるが、ヒゲのイケメンの知り合いなどに心当たりはない。
王女来訪の式典にも使い魔品評会にも出ていないので、幼いころに会ったきりのイケメンの婚約者が今はヒゲを生やしているということを、ルイズは知らない。

拉致監禁の被害者である姫は、ぐるぐる巻きにしばられたまま、少年と愛の言葉をささやきあっていた。とても幸せそうだった。
ルイズははやく姫さまを治療しないと、と気合をいれなおす。
モンモランシーとルイズは、解除薬の調合にかかる。からだは汚れているが、お風呂は交代で入りにいこう。

―――み゙ょわーーーん

とつぜん裏庭に<タウン・ポータル>の青いゲートがひらき、ギトーとコルベールが戻ってきた。

たったいま交渉と出港準備が終わり、これからフネに乗るのだという。風石が足りず、風のメイジの精神力で補う必要がある。
ついさっき彼らは、精神力を回復する『マナ・ポーション』の存在を思い出した。なので取りに来た、という。
疾風のスクウェアメイジは、これさえあれば疲れも知らず、さながら風を切る矢のように、アルビオンめがけて飛び続けるにちがいない。

互いの状況を確認しあったあと、しばし瞑目し健闘を祈りあい、二人はいくつかのマナ・ポーションと新しいスクロールを手に、ゲートをくぐって去ってゆく。
さあ、ルイズたちは薬を作らなければならない。

材料を砕く。
皮をむく。
すりこぎでする。
煮詰める。
干す。

蒸留する。ろ紙のうえに慎重に慎重にそそぎ、ろ過してゆく。
魔法をかける。
<水の精霊の涙>のよごれた部分を分離させる。沈殿させてうわずみをとる。タバサに魔法をかけてもらう。
ホラドリック・キューブで合成する。

ぐりぐりぐり……

材料を計る。天秤のかたほうにおもりをのせて、慎重に慎重に。
触媒を投入する。
小さく切って、成分を抽出する。

タバサがじっとルイズを見つめている。
楽しい? と聞いたら、それなり、とのこと。頑張っているあなたが、とても輝いてみえる、と言った。

素材を火から下ろしてさます
だめだはやすぎたわ
これは失敗、やりなおし……水の精霊の涙をまだ入れてなくてよかったわ

「シエスタ、悪いけど、ちょっと裏庭に生えてるマンドラゴラを抜いてきて欲しいのよ……えっとね、これを着けないと危なくて」
「は、はい、逝ッテキマス!」
「あ、ちょ待って、耳栓つけないと……」

―――ギャー!!

……

……

「ちょっとルイズ、わざと? 今のって、わざとなの?」
「…………う、うっ、わざとじゃないわよモンモランシー……ほんとごめんなさい、シエスタ……」

……

「……ちょっと裏庭に行ってくるわ……シエスタの口に回復ポーション突っ込んで、ついでにマンドラゴラ拾ってこないと」
「ちゃんと謝ってきなさいよ」
「……うん、ごめんね」

ホラドリック・キューブはゼロのルイズにしか使えない。
液体をいれた小瓶ふたつと宝石のカケラ(Chipped Gem)を放り込んで、かちゃかちゃかちゃ、と真剣に、すごい勢いで回転させている。
どう見てもキューブ本体の見た目の容積よりも大きなものが中に入る、不思議アイテムだ。

モンモランシーが、それ何なの、秘薬調合の器具なの、便利そうね、と言った。
一個しかないから、あげないわよ、とルイズは言った。

「はぁいみんな、食事もってきてあげたわよ」

疲れているだろうと、栄養満点で精のつくもの―――ゲルマニア高級焼肉料理―――を差し入れに持ってきたキュルケは、二人から心底恨みのこもった視線をぶつけられた。
モンモランシーはガタガタと震え、タバサは顔を青くして口を押さえ、ルイズは心底困ったような表情をしている。
三人の事情を知らないキュルケは、ただただぽかんとするばかり。

「……なによ、どうしたのよ」
「夢と希望」

料理を指差し、ぽつりとタバサがそう言った。とたん、モンモランシーがすごい勢いで外へ飛び出していった。目に涙が浮かんでいた。

けっきょく三人の分の高級ゲルマニア焼肉は、キュルケとシエスタが食し、そして地下の囚人たちへとたっぷり振舞われた。
もし、地下の彼と彼女に、これ以上精がついたら―――いったいどうなってしまうのだろう!!
シエスタは『毒は入っていませんか? 本当に大丈夫なんですか? それともこれは毒見をしろということですか? 何の肉ですか?』と怯えた。

その料理をもって来たのがキュルケだと知ったとたん、シエスタはとても明るい笑顔をして、それはそれはおいしそうに食べたそうな。

ルイズたちはパンやサラダを食べた。モンモランシーはやつれた表情で、あまり食欲がないようだった。
タバサがはしばみ草のサラダをフォークに突き刺して、ルイズへと突き出し、「あーん」と言った。
ルイズは笑顔をすこし引きつらせながらも、それをもぐもぐと食べた。
モンモランシーが、なにこんなときにいちゃついて和んでやがんのよ、と怒りを覚えていた。

じっくりかきまぜながら材料を煮詰める。
蒸気を冷却しフラスコへとあつめる。
不純物やアクを取り除く。

「……モンモランシー、悪いんだけど、ちょっと代わって」
「こっちも手が離せないんだけど」
「タバサそっちは?」
「まだ」

ルイズが顔を赤くしつつ、もじもじとしながら材料をかきまぜている。
火にかけたるつぼの底のほうでこげ付いてしまえば、それだけ貴重な原料が無駄になってしまう。

「あたしがやろうか?」
「おねがいキュルケ、恩に着るわ! ……あっ、こう十回ほど時計回り、そのあとにすくいあげるように底のほうからまぜて」

そういうやいなや、ルイズは猛ダッシュで飛び出してゆく。
すっきりした顔で戻ってきて、再開。

「モンモランシー、何やってるのよ」
「……え? これで手順は正しいはずよ」
「最初に確認しあったじゃない、私がひとつ飛ばすから、ここは別の手順になるって」
「き、きいてないわよ!」

ケンカをはじめそうになった二人を、タバサとキュルケがとめる。
姫をトイレにつれてゆくのはシエスタ、ギーシュをトイレにつれてゆくのはモンモランシー。
床板には『ブッチャーズ・ピューピル』が突き立ったまま。ときおり通りかかるシエスタは、それを見るたびに死んだような目になる。

「お風呂」
「……そうね、ひと段落したし」

顔や髪の毛のよごれを落とさなければならない。
タバサが、なにやら期待のこもった目でルイズを見ている。

「一緒に」
「……うぅ」

しばらくひきつった顔をしていたが、やがて観念したようで、ルイズは手をつかまれておぼつかない足取りで引っ張られていった。
同性の友人同士だ、一緒に風呂に入ることはこれまでもとくに珍しいことではなかったが、今だけは事情が違う。
モンモランシーとキュルケは、そっと二人の後姿に向かって、手を合わせた。

交代で休みながらも、四人の解除薬の調合は、夜を徹してつづく―――




//// 13-5:【風になりたい】

コルベールとギトーの乗ったフネは、夜を徹して空を飛ぶ。

スクウェアクラスは伊達ではなく、ギトーはフネの動力部にありったけの精神力をそそぎこみ、まさに疾風のごとく走らせる。
しばらくは多少余裕があったようだが、やがてくたくたになったときに、彼は『マナ・ポーション』を飲み干す。

むう、慣れぬ味だな、とギトー。
それでも改良して、良くなったほうなのだ、とコルベール。

ギトーは三十前半の若い教師。体力精神力とも、ちょうど今こそが人生でいちばん溢れているときなのであろう。
コルベールは四十二歳の中年だ。彼はとある事情から、人に向けて自分の炎を放つことを、自らに禁じている。

「以前など、干しブドウから甘さと酸味を取り除いたような味だったなあ」

コルベールが顔をしかめて言った。ゼロのルイズとコルベールは、それを何度改良しても、比較的まともな味にするので精一杯だった。

「……今も似たようなものだ、だが……ふむ、これはいい―――ふっ、みなぎってきた!!」

ギトーは声高らかに、そう言った。
これから向かうは風の国アルビオン。自分の疾風が、つめたい潮風を散らす山から吹く風のように、王女と妻の住むトリステインを守るのだ。
いまの彼の心は、あらゆるものを追い越さんばかりに、一陣の大風(おおかぜ)のごとく雲を突き抜け、はるか天空を舞っているにちがいない。

なんとも一途な男だ、とコルベールは思う。
『幽霊屋敷』が出来るまで、コルベールとギトーの間にはほとんど接点らしき接点もなかった。
ただの同僚だった。ギトーは周囲から嫌われている。陰気で不気味なやつ、いやみなやつ、授業はきびしく、風の自慢話しかしない。

ギトーが陰気で不気味だとよばれていることにも、理由がある。学院の誰もが、彼が風の話をしているのを、まるで聞こうとしないからだ。
見よ、風の自慢話をきちんと聞いてくれる人間の前にいる彼は、どれほどまでに活き活きと輝いて見えることか。

「風は最強……それすなわち、あらゆるものをなぎ倒す」

しかり、かの猛将烈風カリンは、たちはだかるあらゆる敵をなぎ払ったそうだ。

「風は最強……それすなわち、風は『遍在』する」

しかり、ただでさえひとりだけでも恐ろしい烈風カリンが、八人に分身するのだ。恐ろしいどころではない。

「風は最強……それすなわち……」

努力に努力をかさね、研鑽をかさね、疾風のギトーは風のメイジとしての頂点、スクウェアメイジにまで登りつめた。誰も、そこに注意を払ったことはない。
彼はもともとあまり素質もなかったそうで、やっとそこまで到達したときは、すでに三十近くだったそうだ。スクウェアスペルの『遍在』も、いまのところひとつが限度。
昨日宿で会ったスクウェアの子爵は、二十とすこしの年齢だった。あいつはいくつ『遍在』を出せるのだろうか、とギトーは悔しそうに言った。

ギトーは妬み深い男だといわれている。裏返せば、その妬みぶかさが、彼の努力を後押ししているのかもしれない。
他人を見下していると思われている。裏返せば、その強固な自信こそが、彼を駆り立てる力となっているのかもしれない。
事実そのような部分も大きくあるかもしれない。なげかわしい、誰も彼もが風の本当の素晴らしさに気づいていない、と彼は誰にでも口すっぱくして言うからだ。

「……」

自分の魔法系統にこれほどの自信をもち、はるか高く目指す先―――烈風の騎士姫―――が見えている。
なんとうらやましいことか、とコルベールは思う。
コルベールの系統は火、一般的に戦場と破壊にしか用途のない魔法系統と呼ばれている。

ギトーと対照的に、コルベールは自らの魔法系統にたいし複雑な感情を持っている。

コルベールは昔、軍に所属していたとき、自らの炎で、無実の民を焼き払ったことがある。
ダングルテール村……二十年前、彼はそこで、伝染病をくいとめる任務だとだまされて、異教の民をたくさん殺した。
それ以来、彼は軍をやめ、自分の炎の魔法を人に向けることを封印し、教師研究者としてただひたすらに炎の平和利用の方法を考え続けていた。

屋敷財産を売り払い、マジックアイテムを買いあさり、一心不乱に炎の『創造のための』用途を探し続けた。
炎は決して破壊のためだけにあるのではない、ということを、教師として子供たちに辛抱強く教え続けた。
もちろん、『炎に破壊以外のなにがある、だから戦闘技術を教えてくれ』、という子供や親や教師たちに、良い顔をされるはずもない。

かようにして、ギトーとコルベールは、学院奇人変人ランキングの三位と二位にそろって、堂々と君臨しているのである。

さて―――

「ギトー君、私はきみが心底うらやましいよ」

時間は流れ、もうすぐアルビオンのロサイスに着くか、というとき、コルベールが言った。

「私の炎とちがい、君の風はなんともひとびとの役に立つものだ、それが本当にうらやましい」

ふっ、当然だ、とギトーは言った。
だが……と彼はにやりと笑って、続ける。よく聞け、ミスタ・コルベール―――

「炎、それすなわち、『あらゆるものを破壊する程度の能力』……限界こそを破壊せずになんとする―――風と同じくらい、それは自由なものだろう」

ジャン・コルベールは後年、このときのことを、『まるで突風にでもなぎ倒されたかのような衝撃を受けた』と語ったという。

やがて夜も白みはじめたころ、二人を乗せたフネは、空賊などに襲われることもなく、静かにロサイスの軍港へと入っていった。




//// 13-6:【癒し系(前編)】

ここは、トリステイン王国、王都トリスタニア。
みなが、アルビオンにて起きている戦乱を恐れ、失われる命、これから襲い来るであろう<レコン・キスタ>の存在に、怯え嘆いている。
王女アンリエッタの住む王宮にも、嘆くものたちがいる。

「くう!」

ひとりの貴族が、苦しげにそう漏らした。

「……なんと、嘆かわしいことなのだろう」

別の貴族が、その貴族の肩に、そっと手を置き慰める。

「私も同じ気持ちだ……これほどまでに、心苦しいことがあったのだろうか」

誰かが、『鳥の骨め!』と毒づいた。
鳥の骨、とは、ロマリアから来たマザリーニ枢機卿のあだ名である。
彼はトリステインの人間ではないにもかかわらず、トリステインの政治に深くかかわっている。
なので、妬み深い者たちは彼を憎んでいたりもする。

「ぎたぎたにして、煮込んでやりたいくらいだ」
「それでは足りん、しっかり出汁をとって、オーク鬼どもに振舞ってやりたいくらいだ」

ハンカチを噛みしめ、貴族たちはひそひそとそうつぶやき、涙を流す。
ひとりが杖を取り出そうとして、別の貴族がそれをとめる。気持ちは解るが、やめておけ、と。
マザリーニは有能であり、トリステインのために、ガリガリにやせるほど尽力し、政治をおこなっている。

かのマザリーニ枢機卿がいなければ、小国トリステインはやっていけないのだ。
現在のトリステイン王国の王位は、空位である。王妃は、先王が亡くなってより、喪に伏したまま。
外交や政治を行うのはマザリーニ、みなの心を集めるのは、先王の娘アンリエッタ王女である。

「……ああ、なんてことだ……これほどまでに、自分の無力を痛感したことはない」
「私もだ」

全員の、涙にうるんだ視線は、王女へと向かっている―――

そこには―――

「おっ♪ おにく、おにくがいっぱい~♪ うーれしーいなー」

満面の笑顔で、食事をほお張るアンリエッタ王女の姿が…………!!!!

「ふぉいひい! ふぉいひい!」
「殿下……もうすこし、……どうか、その、上品に……お食べください」
「こんなに美味しいのに、楽しんで食べなきゃ損なのね、るーるるーるるー♪」

誰もが、食事中の王女を、滂沱たる涙を流しつつ眺めている。

一同の内心は、こうである―――

『『『ああ―――なんと、可憐な……!!』』』

その場にいる全員が、『どうしてこの可愛すぎる王女をゲルマニアなんぞにやらなきゃいけないんだボケェ!!』と、心のなかで叫んでいた。

数多の策略や陰謀が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)するトリスタニア王宮は、本人たちも含めて誰も知らないことだが、こうして、ひとつにまとまりつつあるようでもあった。
彼らは壁の影に黒山の人だかりのように集まりつつ、祖父と孫のようなほほえましい光景を繰り広げる二人を眺めている。

「マザリーニおじいちゃんも、食べる?」
「いえ、私は……」
「美味しいよ、もっと食べて太ったほうがいいよ、身体こわしちゃう」

貴族の一人が悔し涙を流す―――鳥の骨め、でしゃばりやがって、ギタギタに、グイッタグイッタにしてくれる……!!
当のマザリーニは、そんな視線に気づいており、胃がしくしくと痛み出していた。とても食事どころではない、ますます彼は痩せることであろう。
枢機卿は、この王女が持ってきた自分宛の手紙を読んで、これが偽者であることを知りつつ、『数日後には戻る』という言葉を信じ、皆にそれがばれないようにとどうにか頑張っている。
昔からアンリエッタ王女は『フェイス・チェンジ』というスペルで誰かと入れ替わってさぼったりもして、マザリーニを痩せさせたりもしていたので、多少慣れてはいるのだが。

「そうだ! ほら、そっちのみんなも食べようよ!! ごはんはみんなで食べたほうが美味しいのよ、きゅいきゅい!!」

王女が笑顔でそう言ったとたん、全員がすこし頬を染め、心の中でガッツポーズをしつつ、『では、失礼ながら……』と席に着いたり、皿を手にしたりするのであった。
ここはいまや、立食パーティ会場となりつつあった。

「ほら、あーん」

まさか、生きているうちに王女に『あーん』をしてもらえるとは……と、トリステイン王国に絶対の忠誠を誓う貴族がひとり。

「王女、お口のまわりが汚れておりますぞ」
「んー、むぐむぐ、ありがとう、きれいになったのねー♪」

誰もが、今日の王女の天真爛漫さに、心のツボをど突き抜かれていた―――ああ、これが伝説の、『今日の王女はひとあじ違う』という感覚か!

この日、『癒し系王女伝説』が誕生する。

もはや戦乱の気配も忘れ、今日のここトリスタニア王宮は、枢機卿マザリーニの胸中をのぞき、いまのところ実に平和のようであった。



だが、そんな可憐なる王女に、やがて忍び寄る魔の手が―――!!

ジャン・ジャ(省略されました:後編へとつづく)

////【次回、アルビオン手紙編:戦いの歌へと続く】



[12668] その14:戦いのうた
Name: 歯科猫◆93b518d2 ID:b582cd8c
Date: 2010/03/30 14:38
//// 14-1:【入城:タッチダウン】

ここは、浮遊大陸アルビオン。

王党派の本拠地、ニューカッスル。
アルビオン王国の王ジェームズ一世、その王太子ウェールズの旗印のもとに、ここへ集っている。
彼らはねばりづよく戦っており、敵はなかなか城を包囲することができないでいた。

王党派と敵対している貴族派<レコン・キスタ>は、<虚無>の使い手だというクロムウェル総司令のもとに集うものたちである。
事実、まるで<虚無>であるかのように、かの男は死人を蘇らせたり、奇跡を起こすのだそうだ。

<虚無>のメイジには、伝説の使い魔が授けられるのだという。

<神の左手>ガンダールヴ、あらゆる武器を使いこなし、千の兵に匹敵するのだという。
<神の右手>ヴィンダールヴ、あらゆる幻獣や魔獣を従え、あらゆる場所へと赴くのだという。
<神の頭脳>ミョズニトニルン、あらゆるマジックアイテムを使いこなすのだという。
もうひとつ、記すことすらはばかられる何かがいるらしいが、それについては語られていない。

「ガンダールヴだ……」

王党派の兵士のひとりが、遠い戦場を見て、ぽつりと言った。はて、とコルベールは首をかしげる。なぜそんな単語が、今出てくるのだろうか。

「見つかったらまずい、急いでこちらへ」

撤退途中の王党派の小隊と遭遇し、ギトーとコルベールは、ニューカッスル城まで同行することになっていた。
やがて激戦がはじまり、王党派の旗色はあきらかに悪く、ほうほうの呈で逃げ出している現状である。
我らはおそらくニューカッスルに篭城することになり、敵はそこに殲滅戦をしかけてくるのだろう、と兵士のひとりが語った。

「敵にガンダールヴが居るんだ、勝てっこない……だが、最後まで誇り高く戦って散るのみ、か」
「いや、我らにはウェールズ王太子がいる、サモナー殿もいる……彼らなら、ガンダールヴにだって勝てるだろう」

彼らは、そのように語り合うことで、士気を維持しているようだった。もっとも撤退戦だ、それほど効果はないだろうが。

(サモナー……だって?)

コルベールは、その単語に聞き覚えがあった。
ラ・ロシェールにて<ポータル>をひらき、いったん『幽霊屋敷』に戻ったときに、聞いた話だ。
彼の生徒であるキュルケ・フォン・ツェルプストーが、アルビオンから遠く離れたラグドリアン湖で、それらしき男に襲われたのだという。

そいつは、赤いポータルに飛び込んで消えたのだそうだ。
コルベールたちも、青いポータルを使って、なんども旅先から学院を一瞬で往復している。
つまり―――アルビオンまでも、一瞬でくることの出来る輩が、ここに居るのかもしれない。

「……ギトー君、どうやら、たとえ城に入ったとしても、安心のできる状況ではないようだ」
「ああ、ミスタ……たしかに、油断はできぬ」

二人は頷きあい、ひたすらに急いで歩みを進める。

(あれが、ガンダールヴだというのかね? ……なるほど、クロムウェルとやらの使い魔というわけか)

はるか遠目に戦場をのぞめば、黒い甲冑を身につけた騎士が、王党派陣に突入し、暴れまわっているのが見えた。
なるほど、あれは恐ろしい。銃弾も氷の矢も炎の矢も、巨大な盾にはばまれている。剣をふるたびに、血しぶきが舞っている。
一騎当千、とはよく言ったものである。

(なんと……むごい……あんなものが、始祖の使い魔の力だというのか)

コルベールは、ぐっと歯噛みしつつ、学院で今も必死に解除薬の調合を続けているであろう少女のことを想う。
彼女も、始祖の使い魔としての力を持っている。だが、あちらはなんと平和なことに役立つ能力なのだろうか。

コルベールは思う、彼女たちのために、たとえ微力だとしても、できるかぎり、力になってやりたいものだ。
『幽霊屋敷』に集うみなと引き合わせてくれたのは、あのルイズという小さな少女。
コルベールは、ギトーも自分と同じ気持ちなのだろうか、と想像してみるが、この疾風のメイジの考えていることはまさに風のようにつかみどころがない。

「なあそこのきみ、サモナー殿、とは何者なのかね」
「東方のロバ・アル・カリイエから来なされた魔道師の御方だ、われらが王子の賓客でもある」

コルベールの問いに、兵士はそう答えた。
いわく、王党派がここまで戦えたのは、最強のメイジ、彼のおかげだ。
彼がいるかぎり、我々は負けない、と。

(ふむ……なんにせよ、私たちの任務は『ニューカッスル城』に到達するまでだ、しかし、出来る限り慎重に行動せねば)

敵にであえばギトーは風のスペルを、コルベールは所持してきた『やさしい毒ヘビ君』を駆使し、戦場を城へと向かう。
嬉々として毒ガス砲を振り回す、頭とメガネの輝きも頼もしいコルベールを、王党派の兵士たちはなんともあぶないものを見る目で見ていたそうな。

「しまった、『ガンダールヴ』が来る……」
「……こっちに来るぞ、まずい、退路をつぶす気だ!」

兵士たちが慌てふためく。
禍々しい四本角の黒いフルフェイスメットの騎士―――『ガンダールヴ』と呼ばれている者が、血染めの剣をさげて、こちらを殺そうとやってくるのだ。
あれとやりあって無事で居られる戦力も気力も、おそらくこの小隊には無いだろう。

「よし、私が囮をやろう」
「ギトー君!」

疾風のメイジの一言に、コルベールは驚いた。

「ふっ、ミスタ・コルベール、私を誰だと思っている」

ギトーは不敵に笑い、杖をかまえ、呪文を唱え始めた。

「私が二つ名『疾風』、疾風のギトー! 風のスクウェアメイジだッ! ……ユビキタス・デル・ウインデ―――『風のユビキタス』―――風は『遍在』するッ!!」

巻き起こる風をまとったギトーの姿が、二つに分かれた。
それは魔法を使うことのできる、本体とまったく同じの、自立した分身を生み出すスクウェアスペルであった。
びしっ、とポーズを決めると、ギトーの分身は、こちらへと向かってくる『ガンダールヴ』を迎え撃たんと、『フライ』で空を飛んでいった。

「さあ、今のうちに城へ向かうのだ!」

小隊全員に、歓喜がひろがった。遠くで戦闘音がひびく。
コルベールたちは『ガンダールヴ』をやりすごし、一心不乱にニューカッスルへと走った。

「……むっ、必殺『神砂嵐』が破られた! なんという使い手!!」

途中でギトーが悔しそうにそう言っていた。

やがて―――

とうとう『ニューカッスル城』へとたどり着き、城門をくぐったギトーとコルベールは、いま王子は出かけているのだ、と言われ、困り果てていた。
夕方には帰るだろう、と言われ、与えられた部屋にてひたすらにじっと待っている。
遠くからは、砲撃の音が聞こえてくる。
なんとも戦場とは心のおちつかないものだな、とコルベールは昔のことを思い返していた。



//// 14-2:【悪魔みたいなものを召喚】

貴族派は、『ガンダールヴ』と呼ばれる黒い甲冑の騎士を先頭に、王党派の陣へとなだれこむ。その勢いは、とどまるところを知らない。
出陣していたウェールズ王太子も、とうとう撤退し、城の中へと戻ってきたようだ。
王党派の軍勢も、どんどんと城の中へと戻ってきている。これから彼らの軍は、篭城戦になるだろう。

自称トリステインの使者、コルベールとギトーの二人が、ようやくウェールズ王子と会えることになったのは、夕方にちかいころだった。

「……では、正式な使者であるところの、彼女を喚(よ)ぼうかね」
「うむ、我々の任務は、ここまでだ」

心底疲れた顔のギトーがそう言ってうなずき、懐から一本のスクロールを取り出し、コルベールに手渡した。

<タウン・ポータル>である。

それは旅先と出発点とを結ぶゲートを開く、サンクチュアリの魔法を封じ込めた、マジックアイテムであった。
寝不足で目をギラギラひからせ、目のしたにはくまができ、そんな二人の怪しすぎる人間が、何者かをここに呼び出す。
その光景を、事情を知らない人が見たならば、あたかも邪教の悪魔召喚の儀式をとり行っているようにも見えたことであろう。

「えー、おほん……さあ、『門よ』!!」

み゙ょわーーん……と音がして、二人の居た部屋に、青いゲートが現れる。
しばらくして、そこから、二人の少女が出てきた。

一人は、白い髪の少女。
もう一人は、青い髪の眼鏡をかけた少女だ。二人とも、戦場に似合わぬトリステイン魔法学院の制服を着ている。

「ミスタ・コルベール!!」

白い髪の少女は、コルベールに駆け寄ると、いきなりばっと抱きついた。
コルベールは体勢を崩しそうになり、目を点にしながらも、おっとっと、と彼女の体重を支える。

「ミスタ・ギトー!!」

つぎに、ギトーにも抱きつく。ギトーは、長く白い髪を、そっと撫でてやった。
離れてから、その少女は、目じりに涙をためながら、二人の男に向かって深々と礼をする。

「本当に……ここまで……本当に、ありがとうございました!!」

二人の怪しい男たちはがしっと肩を組んで、同時にだあっ、と拳をつきあげた。
大きな任務をやりとげた感慨と、襲い来る疲れにあふれた、それはそれは不気味に輝くような笑顔だったそうな。

―――

トリステインからの自称使者が四人に増えていたので、ニューカッスルの兵士たちはさぞや怪訝に思ったことであろう。

(だめだわ……非戦闘員を除いて、ほとんど兵士全員に、ひどい死相が出てる)

白髪のメイジ、ルイズ・フランソワーズは城内を歩く。隣にはタバサ、背後にギトーとコルベールがつづく。

コルベールが、タウン・ポータルを使えば皆を逃がせるのではないか、とルイズに問うた。
なるほど、だが無理だ、とルイズは思う。ポータルをくぐれる人数は、たったの8人(8ppl)が限度だ。
ウェイポイントという技術もあるが、落城までに作れそうにもないし、そもそも他の場所の履歴を持たない人間は転移できない。

それに―――

兵士たちには完全な死相が出ている。もし彼らを無理に逃がせば、運命の自然な流れを乱すこととなり、ひどく恐ろしいことが起きかねない。おそらく、戦乱がもっと広がることだろう。
非戦闘員には、見た限り死相が出ていない。放っておいても、無事に脱出できる可能性が高い。
かつてのタバサのように、放っておけば死相が出るだろう、というのと、すでに死相が出ている、というのの間には、このように決定的な違いがあるのだ。

ルイズは寂しげに首を振った。やがて、無表情になる。目の焦点が、しだいにずれてゆく。
コルベールはそうか、とつぶやいて、少女から目をそらした。

(そう、この人たち……みんな、あと数日のうちには死ぬんだ)

運命の流れは、ときに非情である。どうやっても逃れられない運命というものも、存在するようである。
そして、ゆがめられた運命というものは、不必要な悲しみと心の闇を増大させるばかりなのだという。
いっぽう、ラズマ聖職者にとって、生と死とはあくまでも等価なものである。
ルイズは思う―――それは、ただのあきらめなのだろうか?

いや、違う―――

ルイズは信じる。ネクロマンサーとして、生と死との平面に立つものとして、なにか大切なものを、掴みつつあるような気がしているのだ。
生だけでなく死すらもが、ひとびとの味方をしている、と感じる。そんな不思議な感情に顔を青くしながらも、ルイズは笑った。
そんな、ひどく薄気味悪い笑みをうかべたルイズを見たとたん、ニューカッスルのものたちは背筋に寒気を覚えたという。

さて、四人は杖をあずけ、身体検査をされ、敵意が無いことを示した。
使者として見栄えをよくしようと胸に詰め物をしていたことも、ついでに示してしまったが、あまり関係の無い話である。

そうしてルイズたちは、金髪のりりしい若者、ウェールズ王太子に会った。
戦を終えたばかりの彼も、疲れ果てているように見えた。ルイズは、その顔を見たとたん、針で貫かれるような、何かを感じた。

(……死相……だけじゃない……もっとひどい……なによ、これ!!)

王太子は<水のルビー>によって、ルイズたちが使者たることを確認してくれた。王子のもつ<風のルビー>との間に、魔法の虹がかかったのだ。
彼は怪しすぎる使者たちの登場に顔をひくつかせながらも、四人のここまでの旅路をねぎらった。実際に苦労したのは男二人だ、ルイズは申し訳なさで心がいっぱいになった。
そして、彼がアンリエッタからの親書を読んでいる最中、ルイズの感覚は、えもいわれぬものを掴んでゆく。

(逃れられない死の運命、だけじゃない……魔の気配……ゆがめられた運命が、この人に、まとわりついている……)

彼らが言うには、自分たちは死ぬことを覚悟しており、それが避けようの無いことだと知りつつ、誇りを胸に、なお戦っているそうだ。
でも、運命の流れをせき止めるような、なにかひどいことが、この人の身に起こる、とルイズには感じられた。そのあとは、どんな悲しいことになるか解らない。

「そうか……彼女は、結婚するのだね、あの愛らしい従妹は」

王子はとても寂しそうな顔をしていた。王家のものとしての運命が、彼と王女との仲を引き裂いたのだ。
いま彼女は別の金髪のヤローといちゃいちゃ愛を語り合ってますとは、口が裂けても言えないルイズであった。
解除薬の調合作業はもう、モンモランシーがひとりでも完成させることのできる段階だ。もうほんのあとすこしで、出来上がることだろう。

「わかった、今すぐに、あの手紙を返却しよう……自室にあるんだ、ついてきてくれ」

たったいま外では戦闘が行われている最中だし、申し訳ないが、あまりもてなすことはできない、と彼は言った。
居室へとやってきて、机の中の、小さな箱から取り出された<王女の恋文>を、ルイズは受け取った。それは何度も何度も読み返されたのか、ぼろぼろだった。
王子は、ルイズにそれを渡す前に一度ゆっくり読み返し、そっとその手紙にキスをした。よほど想いのつまった手紙だったに違いない。

「確かに、返却したよ」
「ありがとうございます、王太子殿下……使者ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール、確かに、受け取りました」

さて―――これで、王女から託された任務は完了である。
ルイズたちはウェールズに、自力で帰ることを伝えた。

「私はこれから、ちょっと休まなくてはならない……神経が高ぶっていて、眠れそうにもないのだが……せめて、身体だけでも休めねば」

彼は、アンリエッタには『ウェールズは勇敢に戦って死んだ』と伝えてくれ、と笑いながら言った。
どうやら王女は、叶わぬことだとは解りきっていても、それでもなお亡命を促す一文を、親書の末尾へと付さずにはいられなかったらしい。
ウェールズは自分に従う者を決して見捨てないため、そしてもしどこかに亡命したりしてトリステインへと戦乱の火種をまかぬように、ここで果てるつもりなのだろう。
それを聞いて、ルイズはとあることを試してみようか、と決意した。


//// 14-3:【誘惑】

青い<タウン・ポータル>のゲートが、トリステイン魔法学院の敷地の隅っこ、『幽霊屋敷』の裏庭に開いている。
ルイズ、タバサ、コルベール、ギトーが、そこから出てきた。こっそりと、ニューカッスルを抜け出してきたのだ。

疲れきった顔のモンモランシーが、四人を出迎えた。たったいま、一人分の解除薬が完成したところだという。
ルイズとモンモランシーは、手を繋ぎあってぴょんぴょん飛び跳ね、そして抱き合って喜んだ。

ギトーとコルベールは、私たちはもう休ませてもらうよ、言った。
待機していたキュルケも含め、みんなで握手し、抱擁を交わしあったあと、教師たちはルイズに『あとは姫をよろしく』と言って、それぞれの部屋へと帰っていった。
ルイズはしっかりと頷いた。

「姫さま……任務、達成いたしました」

そしてルイズは、アンリエッタを地下から解放し、モンモランシーとタバサの見守るなか、解除薬を飲ませた。
完全に正気に戻ったアンリエッタ王女は、目をぱちくりとさせ、何が起きたのかよく解っていないようだった。だが、みるみる顔が赤くなってゆく。
惚れ薬の効いている間の行動は、記憶にのこるようである。ちゅっちゅっちゅも、いやんばかんも、アンアンも、くんかくんかも、その他なにもかも。
そして、ウェールズより返された、かつての恋文を渡されると、涙ぐんだ。

「わたしは、なんて罪深いことを……」

そう言って泣くアンリエッタにたいし、ルイズたちは平身低頭に頭を下げ、謝罪するほか無い。二人とも『ごめんなさい』と書いたハチマキを締めている。

「姫さま、すべて、私たちの責任です」
「どんな処罰でも受けます、美味しいお菓子も食べません」

ルイズもモンモランシーも土下座している。王女は苦笑いしながら、ふたりにそんなことはしないでちょうだい、と言った。お菓子は食べてもいいのよ、と。

「あれは……なかば私の不注意から生まれた不幸なめぐりあわせの事故で、あなたたちは精一杯、私の純潔を守ってくれたではないの」

薬が効いていたうちは、わたしもとても幸せでしたし……と言葉を続けてルイズたちの顔をひきつらせ―――
まあ、うやむやにはせず、あとで責任はきちんと取ってもらいますが……と告げ、ルイズたちを震えあがらせたあと、王女は言った。

「わたしのおともだち……あなたは無事、任務を果たして下さったようね、国を救っていただいたこと、心より感謝いたします」

ここで説明するまでもなく、行ったのはルイズではない。
ルイズは頬をひきつらせ額に汗を流したまま、その事情を述べた。教師の方たちに、魔法で連れて行ってもらったのです、と。
アンリエッタはみるみる目をまるくして、まあ、その方々に会ってみたいわ、と言った。疲れ果てて寝てしまわれました、というと残念そうな顔をした。

「やはり、ウェールズさまは、トリステインにはいらっしゃらないのね……亡命を望むことは……」
「姫さま、王太子さまは、死ぬおつもりです。実際に、死ぬでしょう……ですが、いまから会いに、行けます」

アンリエッタの言葉に、瞳孔の完全にひらいたルイズが、そう答えた。にやりと、だんだん口の端がつりあがっていった。
その言葉は、まるで悪魔のささやきのように、アンリエッタには聞こえたという。
事実、これから死ぬ人間に会わせ、叶わぬ一抹の希望を見せようとは、抜け出せぬたちの悪い悪夢への、悪魔の誘いなのかもしれない―――

―――

しばしの間、『幽霊屋敷』は静寂につつまれていた。
アンリエッタは、とても迷っているようであった。

「行きます!」

やがて、王女ははっきりとそう言った。



//// 14-4:【- D U R I E L -(From Diablo2 Act.2 Boss)】

戦乱のど真ん中、太陽も西へとずいぶん傾いたころ、ニューカッスル城へと繋がる<ポータル>を抜けて、ルイズは戻ってきた―――
アンリエッタ王女を、ウェールズの寝室へと放り込むために。
二人が、自分たちの心に、どのような結論を出すのか……それとも、ただ傷つくだけに終わるのか、ルイズには解らない。
これが正しい行動なのか正しくない行動なのかどうかはともかく、良い結果になってほしいと、ルイズはただ願うほかない。

「ウェールズさま!」
「……なんと、アンリエッタなのか……本当だ、夢みたいだ」

二人は手を取り合って再会を喜んでいた。もはや、二度と会えるはずがない、と思っていた二人だった。
立場がどうあろうと、たとえあとで悲しく思い出すことになろうとも、会いたかった人に会えて喜ばぬわけがない。
ルイズとタバサ、そしてついてきたキュルケは、二人を残して、そっと扉の外に出た。

―――ルイズ・フランソワーズは、背中に大きな剣を背負っていた。

コルベールにも、ギトーにも内緒で、彼女はここへとやってきたのだ。
運命のゆがみを修正し、アンリエッタの愛するウェールズの心を救わなければならない。
ルイズ・フランソワーズは、ひとりのネクロマンサーとして、ここに戻って来た。

「タバサ、いままで、本当にありがとう……でも、お願い、もう帰ってちょうだい」

タバサは静かに首をふった。
ルイズは、これ以上タバサを巻き込んでしまうことが、とても心苦しかった。タバサの分の解除薬も、あともうすこしで出来るはずだ。
城じゅうには、恐ろしい魔の気配が漂っている。なにか、とても恐ろしいことが起こるにちがいない。

「お願い、帰って」
「いや」
「危険だわ」
「心配」

ドドーン!! ドーン!!

大砲の音は、やけに激しくなっていた。ルイズは背筋を凍りつかせる。
彼女の予感は告げている―――王子の運命をゆがめるようなものと、ここアルビオンに大きな悲しみをもたらすなにかが―――来ている。

「……キュルケ、なんであんたまで来るのよ」
「ヴァリエールのことはともかく……悪い魔女にかどわかされたタバサを、放っておけるわけないじゃない」

キュルケはウインクしてそう言った。ルイズは、この女はここで帰れと言っても絶対に帰らぬだろう、ということを良く知っている。
きっとこの城には、おそらくあの魔道師<サモナー>がいるのだろう。いまは王党派の味方のようだが、よからぬことを、たくらんでいるのだろう。

それは、すぐさま、目に見える現実としてあらわれる―――

「なに……あ、れ……」

ふと、窓の外へ視線を向けたキュルケが、みるみる表情をこわばらせた。
ルイズたちも駆け寄り、それを見たとたんに、同じような表情になる。

なにか、巨大な怪物が、たった一体だけで戦場を蹂躙していた。
それが近づくだけで、あらゆるものが凍りついていた。

残忍そうにつりあげられた大きな口、鋭い牙がずらりと並ぶ。白い角が頭部と背中に生えている。
うじ虫のような下半身に五対の足、カマキリを太く筋肉質にしたかのような上半身。銅色の肌が、不潔そうな液体に西日を反射してぬらぬらと輝く。
それが、とても俊敏なうごきで、魔法や大砲や銃弾をはじき、貴族派の兵をたたき、王党派の兵をふみつぶし、ところかまわず暴れまわっていた。
ひとりそれと奮戦していた貴族派陣営の黒い甲冑の騎士も、全身を凍りつかせられて攻めあぐね、やがて撤退していった。

「大変だ、王子はおられるか!!」

ひとりのメイジが、息をきらせてやってきた。
部屋から出てきた王子は、彼がもってきた知らせを聞いて、顔に絶望の色をうかべた。

「サモナー殿が―――裏切りました! 陛下を殺害し、巨大な魔物を召喚して、敵味方かまわず殺し、暴れさせております!」

王子は真っ青な無表情で、ぼんやりと窓の外の光景をながめていた。信じていたものに裏切られたとき、ひとの心はもろくなるという。
ウェールズは知らせを伝えにきたメイジに、出ている軍をなるべく後退させるように、と力なく命じた。部下が去った後、ふらりと王子はよろめき、壁を背にする。

「これは……これは、きっと……私にたいする、始祖の罰なのだろうな」

そう言って、ウェールズは、不安そうに近づいてくるアンリエッタを、そっと手で制した。

「不審な行動をとっていたあの男の力を、魔のたぐいと気づかず―――ずっと魅せられていた私は……きっと、王族としての誇りさえ見失っていたのだろう」

劣勢の王党派がここまで持ったのは、あの魔道師が助けてくれていたからであった。
あの男に頼るほか、王党派が<レコン・キスタ>の大軍に対抗する方法は、無かった。

……彼が王党派をどうやって助けてくれていたのかは、王子本人も、知らない……どうやって?
簡単、ほら、今、窓の外に、見える。
あんな風な、巨大な、邪悪―――
あんなようなものを、おまえは、いままで、使っていたのだ―――

そんな非情な現実が、王子の心を打ち据えていた。

「私の愛らしい従妹、アンリエッタ、どうか、私のようにならないでおくれ」

王子は、ただ放心しながら、虚空をみつめ、そのように、か細くつぶやきつづけていた。アンリエッタ王女は口もとを押さえ、よろりよろりと王子へと近づこうとした。
ルイズ・フランソワーズは、そんな王子を見て、とてもとても嫌な予感に、襲われた。

―――人の心のバランスがもろくも崩れたとき、魔に属するものは、そこにつけこむものだという―――

「『テレキネシス(Telekinesis)』」

乾いた音がして、空間に静電気が走った。
青白い光をまとい、青い服と金色の杖の魔道師が、いつの間にかそこに現れていた。
なにか小さな宝石のカケラのようなものを、ウェールズの額へと打ち込んだ。それは発光し、ふっ、と吸い込まれるかのように、消えた。

一瞬のことだった。誰もが、動けなかった。


しまった―――

ルイズは、『テレポート(Teleport)』というサンクチュアリの瞬間移動魔術と、それを極めたものの恐ろしさに、このとき初めて気づいた。
だが、もう、遅かった。

「……う、ぐ」
「あ……―――ああっ、ウェールズさま!!」

額を押さえて膝を突き、苦悶の声をあげはじめたウェールズに、アンリエッタは泣き声のまじった声をあげてすがりついた。
キュルケがその男を見て、叫んだ―――「こいつよ!」

「ははははは」

褐色肌の男は、ただ笑った。それはあまりに人間的でない、奇妙な笑いだった。

「ヨルダンの石は崩れ去り、浮遊大陸には十分な恐怖と絶望がひろがった」

そして、ちらりと少女たちのほうを見て、続ける。

「―――<DIABLO>を知っているか、そこの死人占い師」
「知っているわ」

答えたのは、ルイズだ。両手をだらりと下げ、右手に緑色に発光する『イロのたいまつ』を握っている。
彼女は静かに怒っている―――
その目はこの世の何処でもないところを見据え、唇は薄くにやにやとほころんでいる。
『骨の鎧』の白く細い螺旋が、体の周囲をしずかに回転している―――

対する浅黒い肌の男は、全長二メイルはありそうな金色の杖をにぎり、反対側の手をあごに当てて、淡々とした言葉をつづける。

「博識な少女よ、われはあれを喚(よ)ぼうと思うのだが、如何(いかん)」
「却下よ」

ははははは
うふふふふ

あまりに不気味すぎる、ひとりの黒い男とひとりの白い少女の彼岸の笑い声が、その場に響いた。傾いた太陽が、城の廊下を不気味に染めていた。
展開についてゆけないキュルケは、そんな光景を、ただあっけにとられた表情で、見ているほかなかった。

「王子殿には、ただの恐怖の大王の写し身などではなく」

その男、金色のラインの入った青い服を着た魔道師は、少女を見て、言葉をつづける。

「―――本物の恐怖の権現<Uber-Diablo>をその身に降ろしてもらう」
「自分のほうから、地獄まで会いに行けばいいじゃない」

ははははは
うふふふふ

「邪魔はさせぬ」
「むしろお手伝いよ」

ははははは……はあーっはっはっはっは!! はははは!! あーっはっはっはっは!!
うふふふふ……アーッハハハハハ!! アハハハハ! アッハッハッハッハ!!

二人は、ひとしきり笑った。城中に響きそうな大きな大きな声で、笑った。
そして……ほぼ同時に、呪文を唱え始めた―――

『―――ライトニング(Lightning)』

男の杖に、電光がまとわりつく。キュルケは、それがいかに恐ろしいものであるかを良く知っていた。避けられないものであることも、すぐに解った。

『召喚―――鋼鉄のゴーレム(Iron Golem)!!』

対して、少女は―――

背中の剣を、鞘ごと床に放りなげた。

「私を守って、私の剣、私の騎士!! お願い―――<デルフリンガー>!!」

―――バリバリバリバリ!!

少女の願いの直後、強烈な雷光が、その場を照らす。キュルケは思わず、目をつぶっていた―――

しばしの静寂―――自分の身には、なにも起こっていない。
果たして、ルイズが今の一撃で丸焦げにされてしまったのだろうか、と思い、キュルケはおそるおそる目を開けた。

しゅうう…… しゅうう…… しゅうう……

ルイズは、相変わらずの状態で、無傷のままに立っていた。浅黒い肌の魔道師は、ひどく驚いたような目で、それを見ていた。
白髪の少女の身を守るかのように、その全身からほそい煙をあげつつ、立つ存在があった。

かつーん…… かつーん…… かつーん……

銀色に光り輝く身体、無骨なシルエット、黒いふちどり。
その片手は鋭い剣。太い足の元を回転する細い線のような、美しいオーラの光。

ラズマ秘術によって生み出された生ける鉄の塊―――『アイアン・ゴーレム』、ルイズ・フランソワーズの騎士。その名を、『デルフリンガー』という。
低く響く男性の声で、インテリジェンス・ソードの彼は、驚いたように喋り始める。

「おおお! 何だこりゃ! すげえ、思いどおりに動けらぁ! やべえ、力が―――力がみなぎってきやがるぜ!!」
「うふふふ、ねえデルりん、あいつ捕まえてちょうだい……さあっさと外のアレ、止めてもらわないといけないからっ!!」

剣の歓喜の声が響き、ルイズは口の端を思い切り吊り上げて笑った―――彼女には、勝算があった。
男の展開する『マナ・シールド』という魔術は、精神力を身代わりにダメージを吸収するものだ。ならば転移すらできないほどに、削り取ってしまえばいい―――
ルイズは『イロのたいまつ』をぐっ!と突き出し、男―――『サモナー』を捕らえるように、命じた。

「いっけぇええーーー!!!」
「合点だぁ!!」

―――ダアッ!!

大きく太く鈍重そうな鉄の塊が、風のように軽く、走った―――カカカチャカッ、と白銀と黒の装甲を鳴らして。
作られてから六千年、初めて得た本物の自分の身体と、あふれる生命が、剣の心を振るわせる。かつての使い手から得た戦闘技術が、それを高みへと押し上げる。
彼は背後にいる使い手ではない不本意な主を、今こそ自分の手で、守ってやりたいと思っていた。
ごつごつした太い右腕の拳を握り、左手と一体化した剣をかまえ、目前の敵を叩かんと、飛び掛った。

「電撃無効か……ならば、これにて―――『インフェルノ(Inferno)』」

くるりと回転する杖が男の前方、垂直に構えられ、敵を吹き飛ばし、鉄をもたちまち溶かすであろう、ひとをたちまち焼き尽くすであろう、猛烈な勢いの業炎が吹き出される。
なんて禍々しい、情熱のカケラもない炎だろうか、とキュルケは思った。

「はっ、んなもん効かねえっつの!!」

ゴオオオッーーー!!

ラズマの生命観において、生命とは『土』、『血肉』、『鉄』、『火』が結びついて成り立っているものなのだという。
土を使う『クレイ・ゴーレム』の上級に位置する、金属に生命を吹き込む秘術『アイアン・ゴーレム召喚』は、その媒体となったものの性質をコピーする。
そして、古きインテリジェンス・ソードのデルフリンガーには、対魔道師戦闘における、とある究極の特性が備わっていた。

その名も、『魔法吸収・無効』である―――

噴出される火炎のなかへ、ルイズの勇敢なる騎士は躊躇せず飛び込んでゆき、自らの身体で遮る。ばあっ、と対流を起こした空気がルイズの白い髪を舞わせる。
タバサの展開した障壁、<思い出の杖>で強化された雪風のヴェールが、熱風の余波から背後のものたちを守っていた。

「ふむ、ならば、『ストーン・カース(Stone Curse:石化呪)』―――」

男の杖が振られた―――それでも、鉄のゴーレムは、止まらない。

「―――うぐっ!!」

剣が振り下ろされ、ばちばちばちっ、と男の周囲に静電気の障壁が展開される。転移しようと振り上げた杖を、切り上げた左手の剣がガキッと音を立ててはじく。
太く巨大でたくましい鉄の右腕が、相手の精神力に直結する障壁の魔法を吸収しながら、斥力を放ち続ける障壁ごと、男を押さえつける。ぐうっ、ぐうっ―――!!

「オッケー、そのまま! いい、いいわよっ! あはっ、いいわ、アッハ、アーッハハハ!! そぉのままあぁ―――ひねり潰しなさいっ!」

ルイズは瞳孔を完全に開いて、高らかに笑った。

(あれ? ……捕まえるって言ってたわよね……私の聞き違いかしら?)

キュルケは冷や汗を流しつつ、ふとそんなことを思ったが、口には出さなかった。
やがて、べしっ、と何か骨の折れる音がして、<サモナー>との戦闘は、終わった。

―――

「ウェールズ王太子にかけている術をさっさと止めて、さもないとブチ殺すわ」
「不可能だ、召喚の術がかかり、そしてヨルダンの石がすべて砕けた今、彼はもうすぐ<UBER-DIABLO>になるほか無い」

拘束された『サモナー』を、ルイズは尋問していた。がしっ、と蹴りつけた。うぐ、とうめき声があがる。キュルケが炎で、ちりちりと焦がす。
隣の部屋にいるウェールズ王太子は、いまやなかば錯乱しつつ、怖い怖いと震え、アンリエッタにしがみついている。
『自分が自分で無くなる、助けてくれ、身体の中から何かが出てくる!!』と声をからして泣いていた。
あの誇り高き王子の心は、もはや完全に壊れてしまっていた。ルイズたちは、それを見るのがとても辛かった。

<サモナー>は淡々と話を続ける。

「彼が<DIABLO>になれば、その恐怖する心が扉となり、数多の魔物に実体をもたせて、この世へと降ろすだろう」

そうなれば、アルビオンどころかハルケギニアすべてが、魔の手に沈んでしまうだろう。
何のためにこんなことをしたのか、という問いには、男はただ『混沌が必要なのだ、汝も探求者ならば解るだろう』と繰り返し言うだけだった。

「もし止めたいなら、いまのうちに王子殿を殺すがいい……彼に流れ込む<恐怖>の奔流は、われにすら予想できぬ、いずこかの他の者へと向かうだろうがな」

はははは、と青衣の魔道師は笑った。

「……じゃあ先に、外で暴れている、あのでっかくて気持ち悪いのを止めてちょうだい」
「あれは、……『デュリエル』は止められぬ、御しようというつもりなど、当初よりない」

男は超然とした態度を崩さず、どこか浮世離れした会話を続けていた。ルイズはいったん尋問をきりあげて、隣の部屋へと向かった。

「アンリエッタ……私のアン、助けてくれ、怖いんだ……恐怖が、『恐怖が怖い』、私は無力だ、無力だ」
「ウェールズさま、私はここにおります、大丈夫です」

憔悴しきったアンリエッタが、王太子をなだめながら、ルイズに涙のあとのついた顔を向けた。

「ルイズ! ウェールズさまを、トリステインに連れて行きましょう! あなたなら、出来るんでしょう!」

そう問われたルイズは、何と答えればよいか解らず、うっと喉が詰まったような声を出した。ところが彼女にとっての助け舟は、意外なところからやってきた。

「駄目だアン、私はトリステインには行けない……もっと、もっと恐ろしいことに、きみを巻き込んでしまう……」
「そんな!」

ウェールズ王太子が、恐怖に怯える壊れきった心を押してまで、亡命を断ったのである。
ルイズは沈み込んだ表情で、ひとつの決意をかためる―――彼と彼女の心を、なんとしても救わなければならない。
魔王級のものを寄り代へと降ろす召喚の術は、いちど発動してしまえば、二度と元にはもどれぬものだという―――よほどの方法を、使わぬかぎり。

サモナーの拘束と尋問をタバサとキュルケに任せ、隣の部屋にタウン・ポータルを開いた。
ゴーレムを連れて転移する先は―――自分の住居、『幽霊屋敷』である。

部屋の中に入り、棺おけに向かって、ルイズは深々と頭を下げた。ぐっと唇をかみ、力なくふるふると肩を震わせながら、言った。

「司教さま、私の至らなさで……私の失態で、ご迷惑をおかけいたします……」

声が震え、目には、じわりと涙が浮かんでいる。いまの彼女はきっと、多重の借金を抱えて首が回らなくなったときのような気分に、なっているに違いない。

「……必ず、必ず……すぐに、絶対に、代わりのものを作って、必ずお返しいたします―――どうか、力を貸してください!!」

もはやこらえきれなくなり、ルイズは無力さと情けなさを痛感して、わあわあと泣いた。

泣きながら、プライベート・スタッシュより、ひとつの小瓶を取り出す。それは―――オリジナルの『黄金の霊薬』だ。
少女の身体のうちがわに潜むラズマの魂、『ボーン・スピリット』は、反対しなかった。ラズマの徒の作りしもの、今使わずに、いつそれを使うのだ、といわんばかりに。

ただ病気を治すためにではなく、死する定めのものの魂を、強大なる魔の呪縛、運命の歪みより解き放つ―――そのためにこそ霊薬は作られ、存在するのだから。
この誇り高い少女は作り方もすでに暗記しているし、近いうちに必ず製作中のものを完成させて、必ず司教へと返すことだろう。
ここで使わなければ、たとえヨルダンの石を使わずとも、かのカンデュラスのアルブレヒト王子のように、ウェールズは恐怖の王の写し身を、その身へと降ろしてしまうだろう。

骨の精霊は、少女の心を、あつくつめたく包み込み―――そっと痛みから守ってやるのであった。

「ルイズ、できたわ! ……はやく持っていって、飲ませて!」

モンモランシーが、最後の一人ぶん、雪風のタバサの分の解除薬を作り終え、ルイズへと手渡した。
そして、ルイズの涙に気づくと、きょとんとした顔をする。

「……なあに泣いてるのよ、ルイズ……あなたはいつもどおり、余裕ぶっこいて薄気味悪く笑ってなさいな、そうでないと他の人が安心できないわ」

モンモランシーは微笑んで、頬に手をのばし、そっと指でルイズの涙をぬぐってやるのであった。
彼女の顔ももはや、重なる疲れで少し不気味になりつつあるようだった。その表情はおどろおどろしい『幽霊屋敷』に、なんともよく馴染んでいた。
そして彼女はルイズの肩をぽんぽんと手のひらで叩いたあと、ふらふらばたん、とルイズがいつも使っているベッドへと倒れ込んで、すうすうと寝息を立てはじめてしまった。

―――

どおん―――どおん―――

ニューカッスルの外では、今なお、巨大な悪魔が暴れ続けていた。
そして、ウェールズ王太子は、今もなお内側から湧き出る恐怖に、苦しんでいた。

「姫さま……これを」

アンリエッタへと、ルイズは金色に輝く薬の入った小さなビンを渡した。

「また惚れ薬?」
「いいえ、これを飲ませれば、王太子殿下の壊れた心を、救うことができます」

ルイズは説明する。壊れた心も傷ついた身体も、呪いすらも、みんな一発で治す万能薬です―――そんな会話を偶然耳にした青い髪の少女の肩が、ぴくりぴくりと震えた。

ルイズは、隣の部屋へと入ってゆく。
魔道師<サモナー>は、ルイズの様子をみたとたん、ふむ、汝、なにか精神を癒す薬でも使うつもりか、と言った。

「無駄だ、ヨルダンの石が崩れた今、<UBER-DIABLO>の降臨は、たとえ伝説の『黄金の霊薬』を使おうとて、止められぬ」

この男の表情からは、何を考えているのか、さっぱり読み取れない。こんな状況でも、ときおり、ははは、はははと笑っている。

「へえ」

とルイズは、まったく無関心そうに返した。知らないわよそんなこと、と。

だが、しばし静寂がつづいたあと―――<サモナー>はとつぜん顔をこわばらせた。みるみるうちに態度に余裕がなくなり、その顔は真っ青になっていった。

「……術式が、ずれていく……何故だ? 消えた……あれでは写し身すらも、呼べぬ、いったい何をした死人占い師」
「知らないわよそんなこと」
「なんという失敗だ! こんなこと、『ヨルダンの石』が足りなかった、としか―――」

男はまさか、信じられないという表情でルイズを見て、言葉をつまらせ、黙ってしまった―――ルイズは、にいっ、と笑った。

「いいわ、だいたい見当つくから―――つまり、あなたはこう言いたいのね」

ルイズは口の端をつりあげ、焦点の定まらない開ききった眼で―――
男に向けて、言った。

「『石はどこだ』……知らないわよそんなこと……ウフフフフ」

うふふふふ……

……

トリステインの魔法学院にある、ゼロのルイズの住居である物置小屋―――通称『幽霊屋敷』の天井裏には、たまに古代幻獣『エコー』たちがたむろって居るそうな。
シルフィードと仲の良い彼らイタチのような生物は、先住魔法『変化』のエキスパートであり、トランプのカードにだって、指輪にだって、化けるのだという。
ルイズは『私が勝ち取ったのよ』と彼らの所有権を主張するが、彼ら自身はそれを否定している―――『借りはもう返した』と。

『黄金の霊薬』が無くなって一箇所ぽっかりと空間の開いたスタッシュの、底のほうの隅っこには、青く小さな石のはめこまれた指輪が、そっと仕舞いこんであるのだという。

―――

「わたしのおともだち、ルイズ……しばらく見ないうちに、ずいぶんと変わってしまったのね」

アンリエッタは、ルイズを呼び出して、静かに言った。
手紙を持って帰ってきてくれて、自分を王子と再会させてくれて、貴重な薬を使って王子の心を救ってくれて、恐るべきたくらみを防ぎ、あの魔道師を捕らえてくれて、感謝してもしきれない、と。

「そして、あなたは系統魔法ではない、とても不思議な術やアイテムを使うようね」

ルイズは静かに、聞いている―――

「外で暴れているあの恐ろしい怪物を、どうにかするための方法を―――ひょっとして、あなたは持っているのではありませんか?」

王女は、幼馴染の少女の、隠している真実と怯え迷っている心を、見抜いた。そして、言葉を続ける―――

幼馴染の友人としては、自分の不注意からこうむったことで、あなたを責めるつもりなど全くありません。
何も考えていなかったおろかな私の書いた手紙が、あの事態の原因なのですから。

あなたはとても素敵な友人たち、そして良い教師たちにかこまれているようで、なんとも羨ましいものです。
非公式な任務でしたが、あの任務を手助けして国を救ってくださった、ご友人や教師の方がたのご恩にも、いずれ報いましょう。
あなたにも、私はウェールズさまの分まで、いずれ個人的にお礼をしなければなりません―――

でも―――

「トリステイン貴族である以上、たとえ不本意な事故であっても、いかなる理由目的があろうとも、王女の身を害し拉致監禁して王国を危険にさらした責は、どこかで取らねばならない―――」

ルイズにとって、それもまた事実だった。
ラズマ聖職者として、および自分の失態で悪化した事態への自責の念から行ってきたことで、国に対する自分の責が晴れたと考えることは、どうしても出来なかった。

そんなルイズを見て、王女は続ける。
そうでしたら―――それにつけこむようで、心苦しいのですが、これをもって、わだかまりをすべて清算する機会といたしましょう。

「あれはこの世界に居てはならぬもの。アルビオンのみならず、放っておけばいずれトリステイン、ハルケギニア中にまで害を与える存在です」

王女は命令を下す。
持てる技をつかい、あれを打ち倒せ。
そうすればあなた、そしてあなたと共に状況改善に尽力した者、およびあの少年の行為はすべて不問に処し、私一人の胸にしまい、あなたにはしかるべき恩賞を与えましょう、と。

「はい、王女殿下―――その任務、私にお任せ下さい」

この瞬間、ルイズ・フランソワーズの、トリステイン貴族としての誇り、ネクロマンサーとしての使命、そして友人を守りたいひとりの少女としての心が、ひとつの運命の流れに乗った。
その強い強い運命の奔流は、この少女に、ネクロマンシーを学んでから今までずっと、どうしても怖くて怖くて出来なかったことを、やろうと決意させるに十分なものだった。

―――

風の大陸アルビオン、夕焼けの戦場。

すこし強めの風に混じって、声にならない声がきこえる―――それは色であったり、表情であったり、温度であったりするそうだ。

『このままでは、死んでも死にきれない』
『あれを打ち倒す力を、我らに与えてくれ』

白い髪のルイズ・フランソワーズは、恐ろしい怪物の暴れている戦場へと、歩みを進めた。彼女は、ひとりでは、ない。
白銀と黒のデルフリンガー・ゴーレム、そして赤い髪のキュルケと青い髪のタバサが、彼女を守るように付き添っている。
タバサはすでに、惚れ薬の解除薬を飲んでいた。なのに、「本心から誓った」、とそれだけ言ったので、なら私も、とキュルケも行くことにしたのだそうな。

キュルケは『ルイズが今から何をやっても、行った先で何が起こっても、口外しない』という約束を、微笑みながら、とうとう受け入れた。

その三人と一体のゴーレムの後ろに、霊薬によって正気と健康を取り戻した王子ウェールズと、王女アンリエッタが続く。
二人は、ひとりとひとりの王族として、これからの戦いを見届けるためについてゆく、と言ったのである。二人も、杖に誓って見たものを口外しない、と約束した。

目下では、王党派の兵士、貴族派の兵士たちが、巨大な一体のバケモノを相手にできず、叩き潰され、泡を食って撤退してゆく―――もはやここは、戦争どころではないようだ。

そして―――あたりには、たくさんの躯(むくろ)が転がっている。

『さあ少女よ』
『王のもとに』
『友のもとに』
『われらをみちびいてくれ』

一行は、ちいさな丘の上に立っている。ここからなら、目下で暴れまわるあの巨大な一体の凶暴な悪魔『デュリエル』の進路を、一望できるのである。
白い髪を風に舞わせている少女、ルイズ・フランソワーズは、すこし青ざめた顔で笑った。その細い細い体中から、青白い霊気が、うっすらと立ちのぼった。
彼女の着ているトリステイン魔法学院の制服が、アルビオンの強い風にあおられて、ばさばさとスカートを翻した。

『われらが無念、彼奴に』
『このアルビオンにかつて生き、笑い、泣き、惑い、散りたわれわれの誇りを、もう一度取り戻すために』

ルイズは、緑色の宝石の杖、ネクロマンサーの杖を振る。火の粉が、運命の流れへと、小さな渦をつくる―――いくつも、いくつも、いくつも。
そんなルイズの手を、タバサが握っている。タバサの肩に、キュルケがそっと手を置いた。
後ろでは、アンリエッタとウェールズが、しっかりと見守っていた。万が一にもこの二人の身に危険が及ばないようにと、鉄の騎士デルフリンガーが、ガードに立っている。
これから行う、小さな人間たちの大きな戦いに、この場に存在する生ける者と死せる者、みなの心がひとつの方向を向いているようであった。

『ぶつけさせてくれ』
『もう一度、チャンスをくれ』
『われらが躯(むくろ)、思う存分使うがよい』

ルイズはゆっくりと、深呼吸をする。そして―――

レイズ・スケルトン―――おいで、戦場に倒れた戦士たち。さあ、共に戦いましょう―――

とても穏やかに、そう宣言した。
この日、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、初めてヒトの躯(むくろ)を媒介に、持てるラズマの秘術を行使した―――
彼女がネクロマンサーとして、大きく成長した日である。

『友のために』
『王のために』
『恋人のために』
『わが子のために』

まるで高らかに声を張り上げているかのように、かしゃり、かしゃりと音を立てて、いくつも白銀の骨格をさらす、スケルトンが立ち上がった。
ルイズの呼び出した骨の軍団は、かぶとをかぶり、その手には生前使っていた、おのおのの愛用の武器を持っている。
武器の刻印には、王党派のマークも、貴族派のマークもみられた。

ざっ、と骸骨たちは一斉にそれらを捧げ、戦場の礼をとった。
それは禍々しくも恐ろしく、力強く、どこか美しいものだ、と見ているものが思わず感心するほどの、なんとも颯爽たるいでたちだった。

『杖にかけて』
『剣にかけて』
『勝利を誓う』

死や恐怖はときに、ひとに美しさを感じさせるものである。ルイズの心のうちを、とても優しく心強いなにかが満たしていった。
ラズマ死霊術の粋を初めて目にしたキュルケ、そしてウェールズとアンリエッタの心にも、それはただ不気味で恐ろしいだけでなく―――
きっとどこかしら、大いなる愛に満ちているもののように、映っていることであろう。

『王子よ、王女よ、われらかつて人だったものとしての誇りと、約束されし勝利とを捧ぐ』

暴れ続ける、醜い虫のような巨大な悪魔へと向かって―――ルイズは力強く杖を突き出す。
ラズマのネクロマンサー、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールがスケルトン軍団に告ぐ―――

「全軍―――前進っ!!」
『『アイ・アイ・サー(Aye Aye Sir)!』』

おのおのの武器をかかげ、骨だけの死者たちの行軍が始まった。
この巨悪をいまここで倒しておかなければ、アルビオン全土は、さぞや早いうちに荒廃し、滅びてしまうことだろう。
彼らの故郷で、沢山の人が死ぬだろう。運命の流れはもっと大きくゆがみ、ひとびとはますます泣くだろう。混乱と恐怖とが広がり、もっとおそろしい魔を呼ぶだろう。
スケルトンたちは全部で六体―――あの悪魔の巨体と戦うには、あまりにも心もとない、ちっぽけな軍団だ。

その骨しかない白い手に大事そうに抱えられた得物も、あの巨体には、通用するはずがない。それが大砲をはじく表皮を、突き破れるはずがない。

さて、敵はこちらに、目をつけたようだ―――

一体ずつ、一体ずつ、死から蘇りし骨の戦士たちが、かしゃりかしゃりと、巨大な悪魔の目の前へと、進んでいった。

―――そして、当然のようにスケルトンたちは、無力にも、たちまちのうちにビシリ、ビシリと身体を凍りつかせ、その動きを鈍らせていった。

夕日の丘で、ルイズは少し青い顔のまま、口の端を吊り上げて笑った。夕日を浴びて、昏い昏い目が、敵を力強く見据えていた。
だんだんと、目の前の巨大な悪魔の姿が、いままでのようにひどく恐ろしいものには見えなくなっていったのだ。

『強い少女よ』
『これは勝利が約束され、喜びに満ちた戦い、さあ、共に笑おうではないか』
『我々は不死(アンデッド)、我々は死なない、ただ誇りを胸に、前へと進む、そなたらもそうあれ』

かの悪魔は、不浄なる凍結(Unholy Freeze)のオーラを纏っている。近づくものは、みな凍ってしまう。
死者の軍団(Burning Dead)は、あたかもその骨に宿る魂を轟々と燃やしているかのように、じっくりと一歩ずつぴきぴきと音を立て、身を砕きながら進んでゆく。

「『―――アイアン・メイデン(Iron Maiden)』!!!」

ルイズの杖から、火の粉が散った。彼女は笑った。
丘の下の大きな悪魔へと、この場の運命の流れとよどみに割り込み、強力な呪いをかけるのだ。ようやく使いこなせるようになった、中級の呪いだ。
それは、他人に負わせた体の痛みが、倍以上になって当人へと返る呪術―――ラズマ死霊術の<呪>系統、『物理ダメージ反射』の秘技であった。

カタカタ、カタカタ、とスケルトンたちが笑う。そうだ、いいぞ、よくやった、と。

「ふふっ……よーし、根比べになるわ、さあみんなっ、あの気色悪いヤツに―――やり返せ! 私たちは絶ぇっ対に、負けないって……思い知らせて、やるのよっ!!」

目の前にいる巨大で恐ろしい悪魔は、かまのような豪腕を獰猛に振り回すだけ―――ならば、こちらは大量の死体を得たネクロマンサー、勝てない道理など、存在しない。

丘を降りていったスケルトンが凍りつき、動きを止め、振りぬかれた巨大な悪魔の豪腕に砕かれるたびに―――悪魔自身が苦悶の声をあげていく。
死者の軍団がカタカタと笑いながら凍りつき、敵に踏み潰され粉々に砕け散るたびに―――銃弾も魔法も通さぬ悪魔の体に、ヒビや亀裂が入ってゆく。

ルイズは何度もマナ・ポーションを飲み干し、大きな声で笑い、足を踏ん張って呪いを維持し、次の躯から、そしてまた次の躯から、スケルトンを呼んでいった。

「キュルケ、歌って!」
「へ? ……あたしが? 何で」
「お願い!」
「……ま、いいけど……ゲルマニアの歌でいい? へたっぴだけど」
「ありがとう! ……これで、まだまだ行けるわっ!!」

それは、成りあがりの国とよばれるゲルマニアの、野卑で奔放な歌であった。
人の心の暖かさがユーモラスにつづられた歌詞の、明るくのびのびとした独唱が、太陽の沈んでゆく戦場に響いた。
どうやらトリステインの王女も、アルビオンの王子も、ガリアのもと王女も、古き剣のゴーレムも、おもに平民たちの間で歌われる、その有名な歌を知っていたようである。
彼ら、彼女らは、苦笑しつつも、それぞれ口ずさんだり、鼻歌であわせたり、足でたんたんとリズムを取ったりしていた。

白い骨どもの笑い声が、カタカタ、カタカタとそれに乗る―――いいぞ、われらにこそ相応しい、と言わんばかりに。

いままで戦場に渦巻いていた、あの巨大な悪魔にたいする恐怖の感情のよどみは、まるで霧が晴れるかのように、すっぱりと薄れてゆくのであった。

『次は、われらがいこう』
『その次はわれらだ、もうすこしだ、こころをつよくもて、耐えろ』
『まだいけるか少女よ』
『栄光あれ』

そして―――

―――ぐらっ、どどぉおおーん!!

日が暮れて、あたりに骨のかけらが山のように、花のように雪のようにつもるころ、戦いは終わった。
身の毛のよだつような音をたてて巨体が崩れ、腐った匂いのする黄色や緑色の液体と、いもむしたちを振りまいて―――とうとう悪魔は、倒れた。

『少女よ、出会えたことを、感謝する』
『また会えることを願う』
『感謝を』
『人のこころに、栄光あれ』
『栄光あれ』

あは、ははっ―――

ルイズは、疲れた顔で笑った。目じりには、涙が浮かんでいた。
はあっ、と安堵の息をついたあと、ふらふらとタバサとキュルケにしがみついた。
どうやら、緊張の糸が切れ、足に力が入らなくなってしまったようであった。

「みんな、ありがとう―――! また会いましょう!! <存在の偉大なる円環>がある限り、絶対にわたしたち、また会えるわっ!!」

感謝の言葉が、空に響いた。くたーっと力の抜けた身体で、空に向けてゆらゆらと手を振った。
ルイズの二人の友人は、静かに微笑んで、戦いを終えた少女を迎え入れた。ルイズは、二人の友人にも、ありがとうと言った。
白の国アルビオン大陸に吹く強い風が、強い想いの残り香を、はるか夜空の果て、天高くへと運び去っていった。
アルビオンの王子とトリステインの王女が、杖を胸に、じっと黙祷を捧げていた。


このときの、歴史に伝えられぬ戦いのあった場所―――この小さな丘は、アルビオンにおけるすべての戦乱が終わったのちに、『白の丘』と名づけられることになる。
誰かが植えた白い花の、いつまでも咲き乱れる、それはそれは美しい場所となったのだそうな。



//// 14-5:【Quest Completed】


ルイズは、思いっきり泣いたり笑ったりしたあと、ポーションでたぷんたぷんのお腹をかかえ、慌ててお花を摘みにいったという。

敬礼していた大勢の幽霊たちが、いっせいに反対側を向いたそうな。

//// 【次回、小さな恋の歌(アルビオン手紙編エピローグ)へと続く】



[12668] その15:この景色の中をずっと
Name: 歯科猫◆93b518d2 ID:b582cd8c
Date: 2009/11/09 18:05
//// 15-1:【癒し系(後編)】

(省略されております:前編よりつづく)ック・フランシス・ド・ワルドは<レコン・キスタ>の工作員である。
イケメンとは彼のことを指して言う固有名詞なのだと、巷では噂のようである。二つ名は、『閃光』。
彼は栄誉あるトリステイン王宮衛士隊グリフォン隊の隊長という身分にありながら、他国のために働いている。

凄腕の工作員たる彼が、かつて司令部より受けていたミッションは、ふたつあった。
ひとつは、来るべきトリステイン侵攻戦を楽にするために、ゲルマニアとの軍事同盟を破棄させる工作を行う。
そのためには、アンリエッタがもののはずみでウェールズにあてて書いた、婚約を妨げる手紙を奪取することが、ぜひとも必要な……はずだった。

本当にその手紙は必要なのか?
と任務失敗中の彼は、イライラと考えている。

王女は手紙の危険性に気づき、幼馴染のルイズ・フランソワーズを使者にたて、アルビオン王党派のもとへ送るつもりのようであった。
だから彼は、その任務に乗じて、もうひとつの任務と、彼自身のとある目的を果たそうと考えていた……数日前までは。

彼に与えられていたふたつめの任務は、ウェールズ王太子を殺害せよ、とのこと。

放っておいても城が落ちれば死ぬだろう、どうして自分がわざわざトリステインから出向いて殺す必要があるんだろう?
と任務失敗中の彼は、イライラと考えている。

そして彼自身の目的とは―――婚約者、ルイズ・フランソワーズの身柄の確保であった。結局、めぐり合えずじまいだ。

彼はそのために、王女アンリエッタより、婚約者たるルイズ・フランソワーズの極秘任務への随行を命じられ……
共にアルビオンへと乗り込み、上記の目的すべてをいっぺんに果たしてしまおうと思っていたのであった。

それは、なんとも良いアイデアだと思われ、必ずうまくゆくはずだったのだが……

結局、彼は一度たりとも、港町ラ・ロシェールおよびそこまでの道中で、ルイズ・フランソワーズに接触することは出来なかった。
その代わり、彼が心底ウンザリするほど頻繁に接触してきたのは、目つきの悪い痩せぎすの男と、ハゲの中年教師だった。

むろん、彼はひどくイライラした。


なので、彼は思った。

もう少し、柔軟に考えてみるべきではないか―――そう、あの目つきの悪い男の言っていたように……


風のように自由に、頭を働かせるのだ。


今回のミッション、自分は何処で間違ったのか、要点を振り返ってみよう。

最初に自分は何をしたのか?
夜、ひとりルイズのもとへと出かけていたアンリエッタ王女へと、極秘任務を授けてもらいに行ったのであった。
あのとき、自分は魔法衛士隊の隊長として、王女から信用を受け、ルイズへの随行護衛任務を任された。

―――果たして、そんなことをする必要はあったのだろうか?
どうせ旅先で裏切るのだし、あの場には王女と自分の二人しか居なかった。王女とは永久におさらば、誰も証人はいない。
ならば、王女に任務を授けられていなくても、勝手にルイズについてゆき、会ったときに『王女から授けられた』と嘘をつけばよかったのだ。
あれさえなければ、ルイズとめぐり合えていたかもしれない。

彼は悔しがる。むしろ―――

最初から、あのときに―――王じ……おっと、大きな声では言えない―――『ぉぅι゛ょゅぅヵぃ』をしておけばよかったのだ。
あのときは護衛もつけず、夜中にたった一人で無防備に出歩いていたではないか。

彼は想像してみる―――

トリステインの象徴が崩れたぞ!
ゲルマニアとの同盟ってレベルじゃねーぞ!
たったいま国は大混乱だ!
あばばばば!
あれ、これってチャンスじゃね? そうじゃね?
よろしい、ならば戦争だ!

―――ほら、なんと簡単なことなのだろう!と彼は考える。

ああ、わざわざ婚約を妨げる手紙を奪取するためアルビオンまで行く必要など、何処にも無いだろうに。
と風のように自由に考えた彼は、もともとの任務を放り出し、王宮へと戻ってきていた。何気に、彼は自分の婚約者と波長が合っているようでもあった。



「きゅいきゅい! おにくうまうまーなのねー♪」

さあ、以前の彼には無かった、王女を護衛もつけずにひとりきりにするネタが、今の彼にはある。

「王女殿下」
「えーと……あなたは確か、ルイズさまの婚約者の、ワリオさま!」
「ワルドです……あなたに極秘の話があるのです、我が婚約者ルイズ・フランソワーズについての」

アンリエッタ王女へとそう耳打ちすると、たちまち彼女は不安そうな表情になる。
今の彼女は、『大事な幼馴染であるルイズに、任務の最中、何かがあったのだろうか』とさぞかし混乱していることだろう。
なぜか周囲の貴族たちから刺すような視線を感じるが、どうせもうこの国ともおさらばだ。
この少女を連れて行けば、<レコン・キスタ>では相当に高い地位を約束されるに違いない。

「ワルドさま……ルイズさまたちが、どうしたの? 何か大変なことが起きたのです?」

この子供のようにくるくると表情のかわる、いとも愛らしい王女をだますのは、すこしばかり心苦しいが―――
いっそのこと、<レコン・キスタ>にて高い地位となったあかつきには、俺の嫁にしてやろうか、と彼は考える。

「例の任務にかかわる、とても内密な話なのです……ぜひ、他人の居ない場所に」

そうささやきかけ、アンリエッタ王女を連れ出すワルドであった。



さて、その二人の背後を、まるで隠密やゴキブリのようにコソコソカサカサと追いかける誇り高きトリステイン貴族が四人ほど。
全員が、このイケメン!ギタギタに!出し汁!オーク鬼に振る舞いッ!という邪念を心の中でウォークライしている。彼らの罵りの語彙は、やけに貧弱のようであった。

月夜の王宮の庭へと、ワルドは王女を連れ出した。

「ルイズさまたちに、何があったのですか」
「その前に、こちらをどうぞ、王女殿下……ゲルマニア産の高級な牛肉、そのブランド名も『夢と希望』、100%使って作られた特性ジャーキーで御座います」

王女は顔の半分で不安そうな、もう半分で期待に溢れたなんとも複雑な表情をしながら、それをほお張った。

「おいひい!」

その無邪気な笑みに、ワルドは非常に心苦しくも思い、同時になんと愛らしい、と感じる。いや、これは<レコン・キスタ>のためなのだ。
スペル『眠りの雲』よりもずっと効果の長持ちする、竜すらも眠らせるであろう強力な睡眠薬が混入されている。
たちまちのうちに、王女は眠りの中へと落ちた。

「おなかいっぱい、幸せ……眠くなっちゃった……のね」

しめしめ、と彼は笑う。戦乱が激しくなれば、この周辺上空の飛行も厳しくなる。
だから、チャンスは今しかない……ただちにグリフォンを呼び―――



背後の茂みのなかで、誰かが、「よし、殺す」とつぶやいた―――それがワルドの命を救ったのかもしれない。

「『ギタギタ・エア・カッターッ』!!」
「『ギタギタ・ストーン・バレットッ』!!」
「『出し汁・ファイアー・ボールぅ』!!」
「『オーク鬼に振る舞い・ウォーター・スピアーぁあっ』!!」

とたん、彼はすさまじい勢いと猛烈なる殺気のこもった攻撃の嵐にさらされることとなった。
裏切った! イケメン!となにやら叫んでいる追っ手どもの攻撃を、風のスクウェアであり確かな実力のワルドは、慌てながらもどうにか凌いだ。
出会え出会え、王女がさらわれた! なんと! ワルドか! 彼奴め!! ええい王宮衛士隊から二重の意味での裏切り者が!!

ワルドは王女をかかえ、グリフォンに乗って、ひたすらに逃げた。彼がトリステイン王宮に戻ることは、二度とないだろう。



―――

彼はラ・ロシェールへと向かい、予約していたロサイスへと向かう貴族派の船に乗ろうと考える。

その旅路の途中……王女は忽然と、彼のもとから消えることになる。
風竜が一匹、きゅいきゅいと空を飛んでいるのを見て、彼は……まさか、王女が竜に変身する魔法を覚えている……そんなはずもないだろう、と疲れた頭で考えた。

ならば、グリフォンで飛行中に彼女を落としてしまったのだろうか……と、林や森や川や道中を探し回るも、見つからない。
追っ手から逃れるため数日間身を潜めていたところ、「誘拐されていたはずの王女がひょっこり帰ってきた」という噂を聞いた。

俺は、無能なのか―――
もはや、聖地が遠ざかったとか言っている場合ではない。
夢は、完全に、潰えた、と彼はヒゲ面を悔し涙でくしゃくしゃにしたという。
なにしろ任務も失敗、むしろ無視して投げ出してしまい、王女も誘拐しそこね……もう<レコン・キスタ>に戻るわけにも、トリステインに戻るわけにもいかない。

さあ、どこへ行こうか。

彼は、これからは風のように自由に、どこかへ旅にでも出ようか―――と考えるのであった。


―――

さて、王宮では、スクウェアメイジによる誘拐から自力かつ無傷で帰還した王女(本物)が、「うわ王女つよい」となかば英雄に祭り上げられ目を白黒させていた。
『癒し系王女伝説』に、さらなる一ページが刻まれた日であった。






//// 15-2:【負い目】

金髪の少女モンモランシーは、恋人のギーシュ・ド・グラモンと、ここ数日間顔を合わせることが出来ていない。

自分は彼に、あまりにひどい仕打ちをしてしまった、と思っている。
自分のせいで彼は、何も悪くないのに、惚れ薬を飲まされ、崇拝していた王女への狼藉をはたらかされ、ワインの瓶で頭をどつかれ、拘束されて地下へと監禁されたのだ。
正直、嫌われても仕方の無いことを自分はしてしまった、としか思えない。悲しいことだが、むしろ嫌って欲しいくらいだ。

ギーシュと遭遇するたび、彼は慌てて彼女へと話しかけようとするのだが、モンモランシーは顔をあわせる資格が無いと感じて、いつも逃げ出してしまう。
彼が部屋のドアの前までやって来ても、申し訳ないとは思いつつも、部屋に篭ってしまう。
胸のうちのトゲが、もはやどうすればよいのかわからず混乱している彼女を、責めている。

たとえ王女に対する罪はゆるされたとしても、彼に対する罪は、許されていない、と感じているのだ。

アルビオンに行ったルイズ・フランソワーズが何か大きな手柄をたてたらしく、そのおかげで王女本人の言によって、彼女たちの罪は不問ということになった。
解除薬の調合のために、モンモランシーはたしかに多くの苦労をしていたのだが―――心のなかの負い目は、とても強く残っている。
ちなみに夢と希望は、心の奥底のパンドラの箱へと、厳重に厳重に封印されている。

―――

先日、王宮へとひとり呼び出され、本物の王女と面会したモンモランシーは、ルイズの話をしてくれとお願いされた。
なので、モンモランシーは普段のルイズについての話や、今回の冒険の話を、たくさんたくさん語った。それはもう、面白おかしく。
すでにゼロのルイズ本人からは、王女へと洞窟の話をする許可を得ていたので、問題はなかった。

アンリエッタ王女は時に笑いながら、時に震えながら、モンモランシーの話を聞いていた。
カラフルでハッピーなところをどんなにソフトに表現しても、それでもクライマックスにさしかかると、二人は震えながら顔を青くしたものだ。
そして王女とモンモランシーは、「こいぬ、こいぬ」とひとしきり震え、やがて目じりに涙を貯めて笑ったという。
どんなに怖かったからといって、自分でも、『こいぬ』は無いと思ったのだ。それが二人のツボにはまり、いつしか二人は友人のように共に笑っていた。

それから、王女は―――

「あなたの大事な恋人を一時的とはいえ取ってしまって、ごめんなさいね」

とモンモランシーに告げた。
優しく愛嬌もあって、勇敢で頭も回る、とっても素敵な方じゃない―――大事にしなさい、と言われ、モンモランシーは泣き崩れた。

これは一時とはいえ同じ殿方を愛した私たち二人だけの女の秘密、内緒の話よ―――と王女はモンモランシーに向かって続ける。

自分は、想い人のウェールズと結ばれることができず、そして望まぬゲルマニア皇帝へと、身売りのようにして嫁がねばならない身である。
薬の効果とはいえ、彼女は顔のいい優しく愛嬌のある殿方に一途な想いでひたすら愛され、ちゅっちゅとされ、ここしばらく無かったほどにどきどきわくわくしたそうな。
当のモンモランシーが、そんな一途さを求めて高価かつ禁制の惚れ薬まで作ったほどだ、モンモランシーにも、その気持ちを理解できないこともなかった。

『幽霊屋敷』の地下牢で二人して監禁されていたとき、ギーシュは王女の王宮生活での愚痴や不満、望まぬ結婚にたいする悲しみの心情の吐露をよく聞いてやり、たっぷりと慰めてくれたのだという。

正気にもどったとき、かつて愛し合ったウェールズ王子にたいして、ひどく心苦しいと思ったが……それは直後に本人に会えたので、喜びに吹き飛ばされ、すぐに消えてしまった。
だからあなたが気に病むことは無い、と王女はちょっと汗をかいて耳たぶだけ真っ赤にしながら、済ました顔をとりつくろい、モンモランシーの耳元でこっそりと言った。

モンモランシーの愛するナンパ男ギーシュは、恐るべきことに、王女を攻略していたようだった。
なるほど、こんな畏れ多きこと他言できようはずもない。一生自分の胸だけにしまっておこう―――そうかたくかたく誓うモンモランシーであった。

「ごほん……とはいえ、私がひどい目にあったのも事実です……えー、王女として、これだけは言っておかなければなりません―――『惚れ薬、ダメ、絶対』、いいですね」
「はい」

もう頼まれたって二度と作りません、本当にごめんなさい、とモンモランシーは恐縮した。
さて―――アンリエッタ王女は、あの数日間に起きた出来事のなかで、これまでの人生観を大きく覆されたようだ。

「わたしは普通の女の子として生まれたかった、とずっと思っておりました……王族としての自覚もなく、機会さえあればすぐに逃げてしまうほどに、弱かったのです」

実際にウェールズ王子本人と会って話したことで、アンリエッタ王女は、彼の王族として戦う覚悟がどれほどまでに強いものであるかを、実感したのだという。
ウェールズは、他のものを見捨てて自分だけ逃げることは、王族として決して出来ないことだ、と言い、きみも王家に生まれた者として強く生きなさい、とアンリエッタへ告げた。
そんな決して結ばれることはできぬという現実を認めたとき、王子と王女との関係はただの恋愛を越えて、いつしか王族としての在り方、生き方についての師弟のように変化していたそうだ。

これから生きてゆくものに、何かを残す―――
親愛なるアンリエッタが、これからの人生を強く生きてゆくためだ、とウェールズは優しい笑顔を崩さず、言葉で無言の行動で、さぞかしたくさんのことを教えたのだろう。

「真に罪深かったのは、わたしだったのです……自分の心の弱さに、恐怖したの」
「え?」
「……あのとき―――ほら、モグラの穴から逃げて、ルイズが来たとき、わたしは……自分のせいでわたしの国がなくなる、恐ろしい幻影を見たのです」

わたしはそれを笑いながら見ていたのです、それが、いちばん恐ろしい―――
何もかも放り出して国から逃げる自分が、彼女にとって、なにより一番醜いものであり、怖いものだったのだろう。
いったん逃げてしまえば、大切な恋さえもきっと、ただの醜い言い訳へと成り下がってしまうのでしょう、と王女は、しゅんと下を向き、鼻をすすって、言葉をつづけた。

「今までのわたしは、王女失格でした―――あの数日間で、思い知らされました……王族としての覚悟が、どれほど大切であるかを」

二日のあいだ、王女はニューカッスルに滞在し、やがて<風のルビー>と<始祖のオルゴール>とを託され、ひとりそっと<タウン・ポータル>でトリステインに帰還したという。

そのときには既に、シルフィードが「ワリオさまに誘拐された」と学院に戻ってきていたので、では私が入れ替わりに、と王女は王宮へと戻った。
ワリオって誰のことだろう、と王女は首をひねったが、やがて王宮魔法衛士隊グリフォン隊のワルド子爵のことだということが判明した。
タバサの使い魔の秘密が、今回の事件に関わったキュルケ、アンリエッタ、モンモランシーに知られてしまったが、その全員が杖や命にかけて他言しないと誓った。

マザリーニ枢機卿ががっかりとした顔で「もうおじいちゃんとは呼んでくださらないのですか」と言ってきて、王女はとても驚いたという。

そんなわけで―――アンリエッタ王女は、国のため皆のため、ゲルマニアへと嫁ぐ運命を、勇気を持って笑って受け入れることにしたそうだ。

あの数日のうちで見たものや、死を統べる魔女のごときルイズと比べれば、成り上がりゲルマニアの皇帝なんて、これっぽっちも怖くない―――

でも、それまでの間は、楽しく過ごしましょう―――と、王女は笑いながら言った。
このあいだ王女は、シルフィードに頼んでもういちど入れ替わってもらい、お忍びでルイズやタバサ、キュルケと一緒に街に出てたっぷりと遊んだそうだ。
もうすぐ、アンリエッタの自室に<ウェイポイント>が完成するらしい。
そうすれば、婚姻までの期間のうち、退屈なときにはいつでも、友人たちのつどう『幽霊屋敷』へと、こっそり遊びに来られるようになるという。
王女は、それを今か今かと楽しみに待っている……

「王宮は息苦しく、とても退屈でした……ゲルマニアの皇帝と結婚すれば、もうどうなるかもわかりません。きっかけはどうあれ、今ほど幸せな時は、二度と来ないでしょう」

ひとりの王族たる運命に殉じようとする娘として、アンリエッタはそう言った。

ああ―――

あれだけの人生最大の危機、取り返しのつけようのない出来事が、なんとも丸く収まったものだ―――と、モンモランシーは、背筋に寒気を覚えるほどだった。
自分ひとりの足元だけを残して、世界すべてが崩れ去ってしまったのではないか、というような、なんともいえない気分になっていた。
まったく人生とは何が起こるかわからないものだ、と彼女はただ呆気にとられるほか無かった。
そのせいか、釈然としない気持ちが、残っている。

『王女に許してもらった』、『ルイズに助けてもらった』という感覚を強く感じているモンモランシーは、自分は責任を果たしきれていないと、アンリエッタ王女に頭をさげた。
じゃあ、と王女はしばし考えたあと―――

「わたしの結婚式で、詔(みことのり)を読み上げる巫女をやってください」

という爆弾発言を投下した。それはなんとも名誉ある役割ではあるが、逆から見ると―――
自作の恥ずかしいポエムを全世界からの偉い偉い来賓の前で朗読して、どうぞ恥ずかしさとプレッシャーにもだえ苦しんでくださいな、ということである。
事実そのように、アンリエッタはニコニコ笑顔で言ったそうな。この王女、鬼! 悪魔! ルイズ! とモンモランシーは戦慄した。

泡を食ったモンモランシーが、自分は何の手柄もたてていない、と言ったところ―――
あなたは魔物を退治して、ラグドリアン湖の水質汚染と水位上昇を食い止めたじゃないの、それは誇ってよいことよ、と返された。
そのうち、モンモランシーには学院長オスマン経由で、トリステインの秘宝『始祖の祈祷書』を渡されるという。

あらゆる外堀を埋められ、モンモランシーはただ口をあんぐりとあけたまま、頷くほかなかったという。
こうして、モンモランシーの、王女にたいする問題は大きく片付いた。だが、もうひとつの問題が残っている。

「はあぁ……」

憂鬱そうなため息をひとつつき、コルベールとともに仕事の話で王宮へと呼び出されていった、ギーシュのことを想う。
『数日中に大もうけのチャンスあり』というルイズによる占いを思い出す―――それは、どうやら今でも続いているらしい。
彼の運気は上々、ギーシュにとって、今回の事件は、なんと『大もうけのチャンス』のひとつだったのだ。
王女と枢機卿とのコネが出来たので、鉱山資源採掘用の炸薬、宝石、薬やら生活雑貨やらを、王宮に卸しているのだという。
いまやグラモン家が総力をあげて、ギーシュの働きをバックアップしはじめたそうだ。
王宮を通じて、貴族たちにも覚えやコネクションがひろがっており、将来の莫大な収益が軽々と予想できる。
ひょっとすると、今回の事件を通じて一番役得だったのは、彼だったのかもしれない。

ギーシュは、「王女を一度は落とした男」として自信と度胸をつけ、どんどん遠いところへ行ってしまう。
自分は、彼に相応しくない……
今までもナンパであった彼は、これから沢山の女性を愛し、自分のことなど忘れてしまうのだろう……
そうすれば、自分は今までよりもっと苦しくなるだろう……
ルイズ・フランソワーズの婚約者が、なんと裏切り者だったのだという。なので彼女も今やフリーの身だ。
ギーシュは自分より、彼女を取るのではないか……
ああ―――またこうやって、自分のことばかり心配してしまう。こんな気持ちも、また彼に対して非常に失礼なことなのではないか……
かといって、彼の要求どおり顔を合わせたとしても、自分は何と言えばよいのか……
モンモランシーは、ひとり憂鬱に、悶々としている。

ゼロのルイズからは、『痛かったり足腰立たなくなったりしたら飲んだらいいわ』と回復ポーションの瓶と、『スタミナ・ポーション』の封入された試験管を渡されたが―――いったいどうしろというのか!!


―――こんこん、とノックの音がひびいた。

「こんにちはミス・モンモランシ、私です、シエスタです」

またギーシュが来たのかと思ったら、違ったようだ。
この時間は彼女の休憩時間なので、よくこうやってモンモランシーの部屋に遊びに来るのである。
モンモランシーは彼女を部屋に迎え入れ、この平民の友人に、自分が首を吊るときに使った椅子へと座るよう薦めた。
この友人のおかげで、自分は今生きてここにいるのだ、と、感謝してもしきれないモンモランシーであった。

「ミス、これ……見てください」

二人でお茶を飲みながら、シエスタは、モンモランシーへと、柄のところにひとつの赤い宝石のカケラ(Chipped Ruby)のはまったフライパンを見せた。
どうやら、シエスタはそのフライパンを、ゼロのルイズから貰ったらしい。青い顔で腰の引けたシエスタは、それを両手で持って、ふるふると揺する。

「ほら……こう揺すっていたら、火にもかけていないのに、調理が出来るんです……!!」

何か変な呪いでもかかっているんでしょうか、と怯えるシエスタを、そんなわけないじゃない、とモンモランシーはなだめた。
洞窟で見たアレに比べれば……と、モンモランシーは危うく記憶の封印を解いてしまいそうになり、慌ててかぶりを振った。
二人はその場で、さっそく香草をバターでいためて、パンのかけらに塗って、お菓子として楽しんだ。
普通に火にかけたほうがずっと楽なのに、なんでこんなヘンな物を作るのよ、とモンモランシーは笑いをこらえるのが大変だった。

「それでは、私はそろそろ厨房の仕事のほうに行かないと」
「ええ、また明日ね、お仕事がんばってちょうだい」

しばし二人で談笑したあと、シエスタは礼をしてモンモランシーの部屋を辞していった。
あんな事件に巻き込んだのに、今でも友人をやってくれているとは、なんと良い子なのだろう、とモンモランシーはしみじみと感じ入る。
ふと、机の上に一本の薔薇のついたひとつの封筒を見つけた。
どうやら、シエスタがそっと置いていったものらしい。
それは、ギーシュからの手紙だった。

「まあ……」

なんとも、率直な想いのつづられた手紙であった。
直接相手のもとへ乗り込んで『愛してる』と繰り返したり、大きなバラの花束をいくつも置いていったり、そんな今までの彼と比べれば、どれほど粋な気持ちの伝え方であったろう。

「……あはっ、ほんと、ひどいわ」

全く気にしていないから、戻ってきておくれ、いつでも僕がいちばんに愛するのは君だ―――

「一番にじゃなくて、私だけを……愛して欲しいのに」

どんなに成長しても、これはずっと変わらないのかな、とモンモランシーはそんなギーシュのことをとても愛しく感じ、鼻をすすりつつ、鏡にむかって髪を整える。
やっぱり、勇気を出して、自分自身と―――そして彼と、きちんと向き合おう。
そろそろ帰ってくるであろう彼を迎えに行こう、そうして気持ちを打ち明けて、しっかりと謝ろう―――と、鏡の中の自分に笑って見せて―――やがて、部屋を出て行った。


部屋の天井の梁(はり)、タバサの<エア・カッター>で切断されひっかかったままのロープの切れ端が、ドアの閉まる風圧で、ゆらゆらと揺れていた。



『努力次第で、他人との間に、それこそ一生ものの強い絆を結ぶことができる』……というルイズの占いが静かに的中していたことに、モンモランシーは気づいていないようだ。
いつかそれを思い出して、ますます驚愕する日が、いずれ彼女にも来るのかもしれない。





//// 15-3:【この景色の中をずっと】

ある日の昼ごろ、ラグドリアン湖の岸辺に、三人の少女、一体のゴーレムの姿があった。
ルイズとタバサ、キュルケ、そしてデルフリンガー・ゴーレムである。

ルイズたちがここで魔物退治をした数日後、ちょうど入れ違いになるかたちで、タバサにもガリアより『水質汚染を食い止めよ』との任務が来たそうな。
そこで本日、ルイズはアンリエッタ王女からの依頼で、タバサはガリアの騎士として、<サモナー>の足跡をたどるため、ふたたびあの洞窟を訪れたのだ。
あたりをどんなに念入りに調査しても、<サモナー>の居住していた跡などは見つからなかった。
ここは拠点ではなく、どうやら召喚した魔物に水質を汚させていただけだったらしい。

「……居なかったわね」
「仕方ない」
「あーあ、のこのこ戻ってきてたら、今度こそアイツをこんがりと焼いてやろうと思ってたのに、つまんないわね」

洞窟から出たルイズたちは、湖畔を歩いている。ルイズは日傘をさして、タバサは大きな杖を片手に、キュルケはデルフリンガー・ゴーレムと並んで一歩後ろをついていく。

アンリエッタの言によると、褐色肌の魔道師<サモナー>は、一日拘束されたあと、精神力が回復したとたん、あっさりとニューカッスルから逃亡したらしい。
『ヒーリング(Healing)』と自分の傷を癒し、『フラッシュ(Flash)』という魔術で拘束をはじいてテレポート、杖と帽子を取り返しにいったん戻ってくるという余裕ぶりだったそうな。
彼は杖がなくとも魔法が使える、とキュルケはすでに伝えていたのだが、残念ながらその情報は活かされなかったらしい。

とはいえ、ルイズがニューカッスルにて『デュリエル』を倒してより、ハルケギニアの運命の流れのなかの、<恐怖>の感情のよどみは、相当に薄れていた。
再び<サモナー>が石を使って魔王を召喚しようと思っても、またあれと同じ程度の戦乱や、王族の身体や、大量の恐怖と絶望を演出し用意しなければならないことだろう。
それは、次の大きな戦乱が起こるまでの猶予があるということでもあり、ルイズたちにとっては、今のところ一応の安心をもたらすことでもある。
トリステイン王宮では現在、ゲルマニアとの同盟が成ったあとの相互不可侵条約の締結について、アルビオン貴族派特使との間で調整と根回しの最中だという。
なので、大きな戦乱の気配も、今のところ遠ざかりつつある―――

アンリエッタ王女は、あの褐色肌の男<サモナー>が次に何か行動を起こす前に先手を打たんと手がかりを求め、今回、ルイズへと調査任務を依頼したのであった。
勇敢なるウェールズの誇りを汚した、いずれトリステインのみならず、ハルケギニアに魔と混沌と害悪を撒き散らすであろう存在―――あの男を放っておく訳には、いかない。

では、はたして、魔王ディアブロを召喚することそれ自体が、魔道師<サモナー>の真の目的だったのか―――いや、どうやらそうでは無かったらしい。

『あの死人占い師の少女に伝えよ―――<宇宙で一番美しいもの>を見たくはないか……汝も道の探求者であるならば、われに着いてくるがよい、と』

<サモナー>はその場に居た王党派兵士にそう言い残して、はははとうつろに笑いながら赤いポータルを開き、いずこかへと去ったという。
アンリエッタよりその話を聞いたルイズは、驚き呆れ、背筋がぞっとするとともに、非常に不思議にも思うのであった。
どうやら<汚染された水の精霊の涙>の採取も、失敗したとはいえ魔王召喚も、その目的のために行っていたことだったようだ。

去り際の様子からかんがみるに、<サモナー>は失敗した魔王召喚からも、何らかの結果を得ていたものと思われる。
彼はたしか、尋問のさいに、『混沌が必要だ』と言っていた。なるほど、恐怖は薄れても混沌はいまだ残っており、彼は今後ますますそれを広げるつもりでいるようだ。

それらはすべて、<宇宙で一番美しいもの>を召喚するための布石なのだろうか? それは、魔に属するものなのだろうか―――?

あの男は今までも魔物をたくさん召喚してきたのだろうが、あんなに醜い魔を、それほどまでに美しく感じるものなのだろうか?
魔に魅入られたものの感覚は、本当にわからない。誰にとっても宇宙でいちばん美しいものが存在すると、あの男は本気で考えているのだろうか?

ルイズはそんな風に、春先よりあさっての方向へと進化しつつある自分の美的感覚を棚に上げつつも、あれこれと考えている―――

「宇宙でいちばん美しいもの、ねえ……」

キュルケがうーんと唸った。

「あたしかしら? 少なくともこの国の王女様よりは美しい自信はあるわよ」
「ちょっとキュルケ、いったいどっから来るのよ、その気持ち悪い自信は……」

ルイズははあーっと息をついた。そして、考えてみる。自分にとって宇宙でいちばん美しいものとはなんだろう―――
すぐに答えは出た。<存在の偉大なる円環(Great Circle of Being)>の、自分たちの生きるこの世界における、自然なバランスのとれた現れだ。

ほら、ただありのままに生きるだけで、世界はこんなにも美しい―――

「見て」
「……んあ!? ……あ、ええ……」

タバサが、ちょっと危ない表情で意識を浮遊させていたルイズの服のそでを、そっと引っ張った。
あわててよだれを拭きつつタバサの指差す方向を見ると、汚染が消えて静かな風にそよぐ湖面が、名所との噂にたがわず、宝石のように、きらきらと陽光を反射して輝いていた。
ルイズは一連の事件へと彼女を巻き込んでしまったことのわだかまりを、今も引きずっている。
たくさんたくさん助けてもらった礼を、気持ちを、まだこの小さな青い髪の少女へと、伝え切れていない。

それはルイズが裸で部屋へ来訪し迷惑をかけたあの日から、ずっとこの二人の間に、正常な関係が戻っていないということでもあった。

(……ちょっと、行くわよ)
(ん? ……おう、俺たちゃこれ以上は野暮だあな)

キュルケが苦笑しつつ、デルフリンガーをつれて、そそくさと離れていった。
苦労人同士のこの二人は、なんとも気が合うようである。
あとには、静かな風の吹く湖畔、白い髪のルイズと、青い髪のタバサ、二人の少女が残された。

「……」

しばし、静寂が舞い降りる。あたりには、やわらかな風のそよぐ音だけが満ちる。
前にここに来たときのように、もう、二人がその細い手をきゅっと握りあうようなことは、ない。
タバサのちいさな初恋は、もう、終わってしまっていた。

「そだ、部屋に行ったとき言おうと思ってたことなんだけど―――タバサ、使い魔品評会、優勝おめでとう……あなたのシルフィードは本当に素敵な娘だわ、とても助けてもらっ……」

なるべく明るい声を取り繕って、そう言いかけたルイズの言葉は、しだいに小さくなってゆき、やがて途切れる。
シルフィードの秘密が数人にばれてしまったのは、ルイズのせいだ。
また、二人の間に沈黙が下りる。ルイズはタバサへと何を言ってよいのか、もう解らない。

「……あのっ……」
「……」

ルイズは、それだけ言って、ぐっと言葉につまる。
やがて、静かに顔をうつむかせる。そして、しばらく、言葉を出せずにいた。握り締めたこぶしが、肩が、ただ震えていた。
二人とも動かずにじっと黙っているので、ただ湖面をゆらす風だけが、この世界のなかで唯一動いているもののようであった。

「……」
「……ごめんね」
「……」
「はじめてが、私なんかで、……本当にっ―――、…………ごめ、ん……ね」

ルイズがうつむいたまま、とぎれとぎれに、かすれた声で言った。タバサから、ルイズの表情は見えない。
タバサは、ただルイズのとなりに立って、いつもどおりの静かな表情で、黙っていた。
そして、眼鏡のレンズ越しの青い澄んだ目で、きらきら輝く湖面を、じっと眺め続けていた。

「綺麗だった」

ぽつりと、タバサが言った。
いったい何のことを言っているのだろうか、ルイズには解らない。
また、少し間をおいて、小さな唇が言葉をつむごうと、ひらかれた。

「決してわたしと一緒になれないあなたが、宇宙でいちばん綺麗に見えた」

その言葉をきいたとたん、ぐうっ―――と、ルイズの胸の奥を、押さえ切れないほどの切ない気持ちが、あふれださんばかりに駆け抜けていった。
やがて、じわり、ぽろぽろと、ルイズの目から、涙がこぼれおちていった。

「……ごめん、ね」
「幸せだったから」

ルイズは、ただ震えながら、ごめんねと繰り返すことしかできなかった。
湖を見つめるタバサの青い目からも、つっ―――と、涙がひとすじ、こぼれていった。

「はじめてが、あなたで良かった……あなたは、とても優しいから」

とうとうルイズは、日傘を取り落とし、顔を覆い、大きな声をあげて泣き出した。
私はちっとも、やさしくなんてないのに、とルイズは思った。

ルイズはずっと、他の二人と比べてタバサの症状は軽いものだとばかり、思いこんでいた。
でも、もしかするとあれが、人付き合いの不器用なこの子の、精一杯の愛情表現だったのかもしれない―――
そんな可能性に気づいたとたん、ルイズは、自分は何てことをしてしまったのだろう、と悲しくて悲しくてたまらなくなっていた。

「大丈夫」

タバサは杖を足元の砂の上に置き、ルイズのほうへ向くと、その小さな細い身体におずおずと腕を回し、泣いている少女の白い髪を、あやすようにそっと撫でてやった。

「安心して、わたしは大丈夫だから……楽しかった―――思い出を、ありがとう」

穏やかにそう言葉をつむぐタバサの腕の中で、ルイズは、この優しい友人へと伝えなければならないひとつの言葉を、泣きながら、少しずつ形にしていった。
そして、いままで溜め込んでいた気持ちをすべて、胸の中の想いを全部、その言葉に込めて―――

「―――あ、りがと……」
「そう、それでいい」

たとえ恋でなくとも、実を結ぶことがなくとも、互いを想いあう気持ちが伝わることは、あるという。

「わたしからも、ありがとう」
「……うん」

白い髪の少女はぐすぐすとしゃくりあげ、青い髪の少女はただ静かに目を伏せる。
水の国トリステインの象徴、永遠の湖ラグドリアンの美しい景色の中でずっと、二人の少女は寄り添って、涙を流しつづけていた。
輝く湖に宿る水の精霊だけが、実を結ぶことの無かったひとつの小さな初恋の、確かに在った意味を、はるか未来まで残さんとばかりに、じっと見守りつづけていた―――

―――……

……

「はあーあ……」
「どうした? 赤い髪の娘っ子」

同行者二人を残して遠くまで離れ、草の上に腰掛けていたキュルケが、吐息をもらした。
白銀と黒のゴーレム、インテリジェンス・ソードのデルフリンガーが、赤く長い髪のキュルケへと尋ねる。
キュルケは草を数本ぶちっと抜いて、放り投げて風にはらはらと舞わせたあと、両腕を枕に寝転がり、空を眺める。

「あたしの二つ名は『微熱』、今までたくさんの殿方と本気の恋をしてきたけど……あれには何て言ったらいいのかしらねえ、さっぱり解んないわ」
「……何も言うこたあねえさ……俺っちは剣だが、これでも長く生きてきたもんだ、いろいろ物を知っていると自負してたんだが……俺っちにも解んねえや」

白銀の装甲をかちゃかちゃと鳴らして、デルフリンガーも「おっと」とふらつきながら、あまり長くない足を曲げて、どすんと地面に腰掛けた。
黄金色に放射状にひろがる細い線のオーラの光が、くるくると草の上を回転していた。キュルケはそれを見て、綺麗ねえ、と目を細めた。

「ふふっ、あなたは誰かに―――たとえば美しい装飾のレイピアなんかに恋をしたりすることも、あるのかしら」
「よせやい、俺っちは剣の本分を忘れちゃいねえ、色恋の相談に乗ったこたあ昔にもあったが、俺っち自身が恋することなんてねぇや」
「でもちょうど今は、剣とはずいぶんかけ離れた格好してるじゃないの」
「ああ、まったく驚きだあ、こんなん初めての経験だしよう……自由に動けるようになる代わりに、そのあとしばらくはスクラップっつーのが玉に瑕だが」

ラズマ秘術の『アイアン・ゴーレム召喚』、その媒体となった金属製の武器や防具は、術を解かれ(アンサモン)ゴーレムを崩したとき、通常の場合スクラップとなる。
古き剣デルフリンガーには、ルイズが額のルーンを使って見出したことであるが、サンクチュアリのものよりも強力な『破壊不能(Indestructible)』の特性が備わっていたようだ。
ニューカッスルより帰還したあと、秘術を解かれ潰れてスクラップになったデルフリンガーは、これはあんまりだとしくしくと泣いていたが、ルイズが呆れた顔で言ったのだ。

『ねえ、あなたどうやって六千年も折れないで剣やってたのよ―――今までも魔法で姿かたちを変えていたんでしょう、頑張ればたぶん数日で元に戻れるわよ』

たぶんかよ! とデルフリンガーは戦慄したが、言われたとおり数日しくしく泣きながら剣に戻ろうと頑張っているうちに、なんとかスクラップから元の古びた剣の姿にもどることができた。
それもどうやら、あのとき<サモナー>より吸い取った、大量の精神力が残っていたおかげのようだった。
さて今回また<サモナー>がいるやも知れぬとアイアン・ゴーレムにされてしまったが、結局のところ、居なかった。意気込みは空回り、ただの成り損であった。
精神力が足りない(Not Enough Mana)……はて、もとの剣へと戻るのに、こんどはいったい何日かかることだろうか―――

ということで、苦労人デルフリンガーは使い手ですらない不本意な主に、ゴーレムにされてはスクラップになる、という想像するだに恐ろしい使い方を見出されていたのである。
でもこんな主に捕まってしまったからには仕方ない、使い手の身体を乗っ取ることもせずに自分で好きなように動けるのは、これはこれで……と甘んじて受けるデルフリンガーであった。
あなたも大変ねえ、とキュルケは嘆息する。

「長い人生、恋しないと損よ……こんどなにか買ってあげようか? あなたの恋人―――ほら、たとえば、ゲルマニアのシュペー公の鍛えた剣とか、素敵そうじゃない?」
「悪いが、あんなナマクラいらねえよ……こっちから願い下げだあ」

だいたい剣にオスもメスもねーよ、とデルフリンガーはかっかと笑った。装甲がかちゃかちゃと、楽しそうに鳴った。初めての自力での散歩は、彼にとって新鮮なもののようだ。
キュルケは、あたしもそろそろ、もっともっと燃え上がるような素敵な恋をしてみたいな、と思い―――二人の友人のような青い空と白い雲を見上げて、そっと微笑むのであった。

―――

そして―――



大泣きしていたルイズ・フランソワーズがようやく泣き止んで、落ち着いて、ハンケチで鼻をちーんとかんで、二人でそっと微笑みあったあと―――

「……あなたに、お願いがある」

青い髪の少女タバサは、じっとルイズを見つめ、なんどもなんども何かを言おうとして、言葉につまることを繰り返していた。
なにやらずいぶんと、迷っていたようだが―――やがて、静かに言った。

「母さまを―――助けて」




//// 15-4:【微熱と情熱】

トリステイン魔法学院の隅っこに、ゼロのルイズの住居である物置小屋、通称『幽霊屋敷』がある。
そこから少し離れたところに、教師ジャン・コルベールの研究室の掘っ立て小屋がある。

もともと彼は自室で研究を行っていたのだが、臭気と音に苦情が来て、外に研究施設を建てることとなったのだ。
じじつ、危険な実験は外でやったほうがよい。それを彼はここに越してきて以来、たまに痛感することがある。

なので、共同研究者であるゼロのルイズの作った地下ダンジョンに新しいポーション研究施設が完成したとき、換気は大丈夫なのか、とまず彼は心配した。
このあたりは学院の水道も繋がっておらず、ルイズの住居には井戸しかないので、水まわりについても、ずいぶんと居住性を心配したものだ。

一方、ルイズは風を起こすハルケギニア製のマジックアイテムを購入してきたらしく、それを活用して地下の換気設備を整えたらしい。
同様に水周りの設備も完成したそうで、ぼろぼろでおどろおどろしい外見の地上の『幽霊屋敷』よりも、もっと薄暗く恐ろしい雰囲気の地下室がいくつか出来た。

幽霊屋敷担当のメイドのシエスタは、今後ますます掃除が大変になるだろうと、皆に同情された。
というわけでモンモランシーが皆を代表して、ルイズへと文句を言った―――だが、それがいけなかった。

なら自力でやるわ、とルイズが『何者か』に掃除をさせていたのを目撃し、あのメイドは可哀想に、とうとう泡を吹いて気絶してしまったそうだ。
「見ていません! わわわ私は何も見ていません!!」という嘆き声がきこえ、丁度ルイズを訪ねてきていたコルベールも、すわ何事かと慌てたものだ。
コルベールには『何者か』の正体が解らず、バツのわるそうな顔をしていたルイズに尋ねても教えてもらえなかったので、ただ首をひねるばかりだ。

かつてギーシュと姫を拉致監禁していた地下牢はそのままにしてあり、地下への入り口のすぐそばにある。
律儀にも鉄格子のついているその地下牢の前を通りかかるたびに、中に誰かの白骨死体でも転がっているのではないかと、いつもシエスタはびくびくとしている。
あれもたしかに不気味だなあ、何とかならないものか、とコルベールは嘆息するしかない。

ルイズ・フランソワーズはここ最近、ひとつの薬を作ろうと、毎日毎日地下室に篭っているようだ。
根を詰めすぎなのではないか、とコルベールが言っても、彼女は大丈夫だと言うばかり。睡眠時間も削っているようで、授業に出ても居眠りばかりしているようだ。
話を聞けば、『黄金の霊薬(Golden Elixir)』という、古今東西あらゆる医学の常識を覆す代物らしい。
それについてコルベールの手伝えることは少ししかなく、彼はただ教師として、睡眠をしっかりとって、真面目に授業を受けなさいと言うほかなかった。

昨日はコルベールの研究室に、疾風のギトーが訪ねてきた。知り合いからペリカンの配達で酒を送られたのだが、私も妻も嗜まないので、是非貰ってくれと彼は言った。
先日二人揃って王宮に呼び出された際、あの一件の功労者として、二人はアンリエッタ王女およびマザリーニ枢機卿と面会し、王女より直々に褒賞を賜った。
ギトーはこれで生活も楽になる、と大喜びであった。彼は王女の指にはまった<風のルビー>を心底もの欲しそうな目で見ていたが、その場の誰もが空気を読んでスルーしたそうな。

コルベールは『戦に使わない』という枢機卿からの約束を得て、教え子のギーシュとともに、新型の炸薬を王宮へと売りつけることに成功していた。
現在、平民をあつめて取り扱い方法の講習を行っているそうで、トリステイン王国は近々新しい鉱山を開発する予定らしい。
たとえ不可侵条約が結ばれたとしても、いつか来るかもしれぬアルビオンの<レコン・キスタ>との戦も、国の財政が潤えば、比較的楽になることであろう。

さて、今日も彼は、炎の魔法の限界を己の情熱で破壊し突破せんと、薄気味悪い笑みを浮かべつつ、ピカピカと研究に励んでいる―――

「ミスタ、いらっしゃるの?」
「おお、ミス・ツェルプストー、私はここにおるぞ……おや、君たちはラグドリアン湖に行っていたのではないのかね」
「今は日帰りの時代ですわよ」

どうやら彼女たちは、ラグドリアン湖の近くにある、タバサの実家に寄ってきたらしい。
キュルケはお土産です、と特産だという新鮮なリンゴをいくつか差し入れに来たのだ。
二人は丁度よい、と炎の魔法で焼きリンゴを作り、それをお茶請けにティータイムを楽しんだ。
コルベールとキュルケは、これまでもあまり接点のなかった組み合わせだったが、会話にも、自然と花が咲いていた。

「……で、彼はこう言ったんですの、『笛を吹けばほら、ツボの中からにょきにょきと、ミスタ・コルベールの輝く頭が……』」
「むうう、こ、こわっぱどもが……好き勝手いいおってからに……!」

さて、コルベールは、アルビオンへの旅から帰ってから、なんとも今までに無かったような明るい表情で、活き活きと炎の魔法を使うようになったようだ。
そのたび、同じ火のメイジであるキュルケは、とても優しい笑顔で、この頭の薄い中年教師を見守るようになっていた。
二人の間にどんな関係が結ばれつつあるのか、本人たちも含め―――まだ誰も、知らないようである。




//// 15-5:【いいひと】

ある日のトリステイン魔法学院、午後の授業。
これは魔法ではなく教養の授業であり、ハルケギニアの歴史についてのものだった。
長かった本日の授業がすべて終わり、教師が退室したあと、退屈な勉学から開放された教室は、おしゃべりの渦に包まれる。

「……」
「……なに、どうしたの? タバサ」
「来て」

タバサに服の袖を引っ張られ、ルイズは慌てて抱えていた本や勉強道具を落とさないようしっかりと持ち直し、歩き出した。
二人が向かったのは、ちょうど談笑しながら教室から出て行こうとする、数人の女子のグループだ。
ゼロのルイズが近づいたので、ひっ、と息を呑む音が女子たちより聞こえる。
タバサはこの女子たちに用があるようだ。果たして何の用だろう? とルイズも女子たちも首をひねるしかない。

「ルイズ……友達」

タバサはただ、いつものような無表情で、女子たちに視線を向け、それだけ言った。
女子たちは、その怖いのがゼロのルイズだってことは十分すぎるほどに知っているわよ、といぶかしむばかり。

「そ、そう、あなたたち……と、とと友達に、なったのね―――ねえ大丈夫?」
「たっ、食べられちゃわ、ないようにね……油断しちゃだめよ」
「変な薬でも使われて、洗脳されちゃったの? まあなんて可哀想……!」

ルイズにとっては、いくら噂を気にしていないといっても、面と向かってさんざんな言われようだ。でも、ここで笑ったり怒ったりすれば、噂はもっとひどくなる。
『変な薬』のあたりに事実のかけらも混じっているので、ただへこんでうなだれるしかない。白い髪のひとふさが、ぷるぷると震えていた。
ところで、タバサの用事は今ので終わりだったらしい。
タバサはルイズを解放すると、来たときと同じように唐突に、静かにその場から去っていった。

―――いったい、今のは何だったのだろう?

ルイズも女子たちも、誰もがさっぱり理解できない。
微妙にしらけた空気で、タバサのどこか誇らしげな後姿を、呆然と見つめているほかなかった。

さて、どうやら彼女たちのうちで、タバサに『いい人できたら紹介して』と言った約束を覚えていたものは、誰一人としていなかったようである。
キュルケとモンモランシーの二人だけが、互いに目を丸くして顔を見合わせたあと、噴き出しそうな赤い顔で同時に机に突っ伏し、うーうー唸りながらいつまでも机をばしんばしんと叩きつづけていたそうな。
モンモランシーの恋人ギーシュは、ああまたいつものが始まったのかね、やれやれ、と微笑みつつ、そっと優しいため息をつくのであった。


//// 【アルビオン手紙編(了):次回、ルイズ殿、そこは三途の川でござる……!の巻……へと続く】



[12668] その16:きっと半分はやさしさで
Name: 歯科猫◆93b518d2 ID:b582cd8c
Date: 2009/11/15 18:50
//// 16-1:【むぎゅう】

アルビオン王党派の最後の拠点『ニューカッスル城』は、世界中の識者たちの予想以上に、持ちこたえたという。
現在、浮遊大陸は<レコン・キスタ>が占領しており、クロムウェルを皇帝として、神聖アルビオン帝国が樹立されたそうだ。
一方隣国トリステインでは、アンリエッタ王女の婚約が正式に発表されるとともに、ゲルマニアとの軍事同盟が結ばれた。

そのおかげで、神聖アルビオン帝国と小国トリステインの間には、相互不可侵条約が結ばれた。
こうして今までトリステインを脅かしていた戦乱の気配は、ここに一時の終わりを見せたのである。

結婚式を一ヵ月後にひかえ、それが政略結婚とはいえ王都トリスタニアの街は、なかばお祭りモードに入っている。
どんなきっかけであれ、国の安全が高まるのは、民にとっては良いことなのだろう。貴族も平民も、誰もが王女に感謝していた。
王女を敬愛する国民たちは、夜空の星にきゅいきゅいと微笑むアンリエッタ王女の姿を、「無茶しやがって……」と敬礼しながら涙と共に見あげているという。

さて、ルイズたちの住むトリステイン魔法学院では、いつもと変わらぬ日常が繰り返されていた―――

「ただいま、司教さま、ただいま、デルフリンガー」
「しくしくしく……俺っちはもうだめだあ」
「ちょっと、あんまり泣かないでよ……そんなに泣かれたら、これから使いづらくなるじゃない」
「俺っちのこたあ気にしないでくれよう娘っ子、ただ何度やってもこれは慣れねえだけなんだよう……今は放っておいてくれよう……しくしく」

どこかやつれた様子のルイズ・フランソワーズは、授業が終わったあと、自分の住居『幽霊屋敷』へと戻ってきた。
部屋の中に置かれた、大量の青い液体―――マナ・ポーションの満たされた洗濯桶(Mana Shrine)には、ちょっと前にはデルフリンガーだった物体が、漬物のように漬けてある。
こうしてしばらく置いておけば、古い剣の彼は元の姿へと戻ることができるのであるが……どうにも、今の自分の状態があまりに情けないと、泣いていたようだ。
これのせいで、最近学院の生徒たちの間で新しい噂、『ゼロのルイズはコルベールを培養している』というものが流れ出したのだが、関係の無い話である。

「ねえ、あなた……また私の身に危険がせまったときには……そんな風になるのを承知で、私を守ってくれるかしら」
「ああ間違いなく守ってやるよちくしょう、俺っちはあんたのナイトだよちくしょう、そんな自分が誇らしいんだよちくしょう、だがこれだけは慣れねえんだよちくしょう……しくしく」

ルイズはひとつため息をついて、目を閉じて、ありがとう私の騎士、デルフリンガー、と、そっと触れるようなキスをした。
泣き声が止んだのを確認してから、ルイズは自分の住居の地下へと向かう。
地下牢のそばを通り過ぎ、通路を抜ければ、そこはルイズの秘密基地、ポーション研究室である。沢山の機材や、ビーカーやフラスコや試験管が、ずらりと並んでいる。
ルイズは使ってしまった『黄金の霊薬』を、一刻も早く精製しなおさなければならないと、最近は毎日ここに篭って、奮闘している。

ニューカッスルは先日、貴族派の攻撃によって、とうとう陥落したのだという。アンリエッタの愛したあの勇敢な王子も、そこに躯をさらしたことであろう。
ラズマの知る宇宙の理(ことわり)から見ても当然のように、たとえ黄金の霊薬を用いたとしても、ウェールズ王太子の死相が消えることはなかった。
それが霊薬によって修正された死すべき運命、いちばん自然な状態だったのだと、ルイズは悲しみながらも納得している。

本当に悲しいことだ、とは思いつつ、ルイズは安堵を得ていた。戦乱の気配が消え、どこかに潜むあの魔道師<サモナー>も、いまのところ動く気配はないようだ。
さあ今は自分に出来ることをやるしかない、とルイズは気合を入れなおし、手にしたビーカーの液体へと、よく混ざるように慎重に別の液体を注ぎこんだ。

(材料が無くなりそうだわ、またペリカン配達で取り寄せないと……またたっぷりとお金がかかるわね)

アンリエッタ王女からは、一連の任務に対する謝礼として、王女の自由になる範囲で多少ではあるが、資金援助を受けることが出来るようになった。
また、ウェールズ王子のほうからも感謝の印として、ほとんど空っぽのニューカッスル城の宝物庫から、アルビオンでは換金できず軍資金に出来ないものを、いくつも譲ってもらった。
今はそれが、とても心強い。
とはいえ、金も時間も、そして体力も―――小さな少女、ルイズ・フランソワーズには、圧倒的に足りないのであった―――

ひとつ、ラズマ大司教トラン=オウルの躯より借りて使ってしまった霊薬を返却せねばならない。
ふたつ、愛する姉であるカトレアの身を今も蝕み続けている、不治の病の治療を行わねばならない。
みっつ、ガリアの騎士ラックダナンの魂を、永劫の呪縛より解き放たなければならない。
よっつ、タバサの母親―――薬によって心を壊された、オルレアン公夫人を救わなければならない。

先日、ルイズはキュルケとともに、ラグドリアン湖のガリア側、タバサの実家を訪問した。
ルイズはそこで、あらたな霊薬の精製を、大切な友人であるタバサから依頼された―――

ルイズは、タバサの母親の症状を見せられて、断ることができなかった。
彼女はガリア王宮の陰謀から幼いタバサを守るために、心を壊す毒を盛られた料理を、食べたのだという。
これまで試されたどんな薬も、効果は無かったという。ルイズがニューカッスルで王子に与えたあの霊薬だけが、ようやく見つけた、ただひとつの希望なのだそうだ。
ルイズの大切な友人であるタバサは、どんなことでもするから、なんでもするから、わたしのすべてを差し出してもいいから助けてほしい、とルイズに願った。
彼女は今まで皆に秘密にしていたこと、ずっと自分ひとりの心に氷で閉じ込めたようにして秘めていた辛い事情を、ルイズへと語ったのだ。

だが、もうルイズは魔王の写し身の降臨を防ぐために、司教より借りた『黄金の霊薬』を使ってしまっていた後だった。
そんなルイズにとって、タバサの事情は、心のシーソーの片一方へと勢いをつけて飛び乗られたように、非常に重たいものとして響いた。
それ以来、再び周りが見えなくなってしまったようにだんだんと余裕の無くなっていったルイズは―――今日もフラスコにかじり付かんばかりに、霊薬の精製へと取り組み続けている。

さて―――

莫大な資金と手間をつぎ込んだ、世にも貴重な、『黄金の霊薬』―――ようやくひとつは、あと数日ほどで完成のめどが立っている。
それをルイズは、ただちに司教へと返さなければならないと考えている。
そして、完成したらまたすぐに使ってしまいたいと思う自分の心を嫌悪し、その誘惑に必死で抗っている。
もし今後二度や三度も司教より借りて使ってしまうようなことがあれば―――ただでさえ小さく薄い胸のうちがわのルイズの誇りは、完全に押しつぶされてしまうことだろう。

(―――そうなったら……きっとえぐれちゃうわ! それだけはダメ!)

ルイズはひとり、背筋を凍りつかせ、せっせと調合に励む―――想像する内容がどこかズレているようなのは、きっと余裕のなさの現われにちがいない。

そして、永劫の呪いに縛られた騎士ラックダナンの身のことについては―――彼はいつまでも待つと言ってくれていた。
彼は<存在の偉大なる円環>における自然な生命の流転から外れてしまった者の、典型だ。ラズマの聖職者としてのルイズは、彼のようなものこそを救わねばならない。
非常に心苦しいが、それでも今のルイズは彼に甘えるほかない。

(ラックダナン卿……カンデュラスの誇り高きロイヤルガード、英雄のなかの英雄……騎士様……どうか、今しばらく、お待ち下さい)

アルビオンにて教師コルベールとギトーが遭遇し、ルイズ自身も城の窓から見た『ガンダールヴ』と呼ばれていた黒い甲冑の騎士は、あの特徴的な格好から、彼に間違いない。
どうしてガリアの騎士があの場にいて、貴族派陣営にて剣を振るっていたのか―――ルイズには想像もつかないほどに複雑な事情が、あるのだろう。
いつかトリステインの者や友人、自分自身が敵として彼と戦いの場で出会わないことを、ルイズはただ祈るほかない。

姉カトレアの身のことについては、ルイズは長姉エレオノールと手紙をやりとりしており、近いうちにマイナー版の試作品を、実家へと持っていく予定であった。
エレオノールは、たいそう喜んでいた―――だがルイズはそれも、アンリエッタのために使ってしまっていた。激怒する魔王ディアブロのような姉の顔が、目に浮かぶようだ。
もう、ルイズはひどい悲しみに襲われ、ふたたび襲いくるであろう強大なる姉の影におびえ、だんだんと憔悴しつつある。

「ちい姉さまを治さなきゃ……そして次はタバサのお母さまを治すのよ―――っていったい、いつになるのよぅ……」

というわけで、いまやルイズは、なかば地下(アンダーグラウンド)の住人のようになっていた。
睡眠時間も削り、スタミナ・ポーション(ねむらなくてもつかれないくすり)を一日に何本も何本も、ぐびぐびあはは、えへらえへら、とキメて―――いや、飲んでいる。
地上でも授業中以外はいつもかちゃかちゃと、彼女は宝石の破片と液体の封じられたいくつもの小瓶を放り込んだホラドリック・キューブを、片時も離さない。
はてさて、ひとりの人間がその小さな肩にひとりで背負えることの大きさは、往々にしてたかが知れているものだ。

「……ぅう」

こんなに頑張ったのは、出来なかった魔法の練習をしていたとき、苦手だった編み物の特訓をしていたとき、惚れ薬の解除薬を作ったとき―――
そんなことを考えながら、平民が一年は暮らせるであろう値段のする材料を煮詰めていたとき、彼女は不意に眩暈を覚えた。
栄養もちゃんと取らず、睡眠も削り、圧し掛かる重圧に心を苦しめつづけていた少女は、とうとう力尽きて、へなへなと倒れ込んでしまった。

かしゃん―――

手のぶつかった空のビーカーが、板の敷かれた床のうえに破片を撒き散らした。その破片の上に、ルイズは右手を突いた。痛っ―――

(あれ、どうしよう、立てないわ……)

過労だろうか。
目の前が暗くなり、気づいたときには天井が見えていた。
いけない、貴重な薬の材料が―――と上体を起こすが、足に力が入らない。右手を破片で切ったらしく、たらたらと血が流れている。
棚から回復ポーション(Health Potion)を取らないと……と思い、ルイズは左手で『イロのたいまつ』を力なく握る。

『召喚(summon)―――ブラッド・ゴーレム(Blood Golem)……』

ここはせっかく作った地下室、床や壁から土を取るのは、あまりいただけない。金属製の道具も今は身につけていない。もちろん、周囲には死体も存在しない。
なのでルイズは、いちばん身近なところにあるもの―――自分の血液から、ソレを召喚した。
とつぜん血だまりから、もりもりと血管のようなものが伸び、筋繊維が伸び、ぐにょぐにょと固まる―――やがてソレはずんぐりとした体型の、肉と血管むき出しのヒトガタをとる―――
ラズマ秘術、『土』の上位、『鉄』の下位に位置する、『血』のゴーレムである。

「ゴーレムちゃん……助けへぇえぅ……」

力の抜けた声で、ルイズは自分の呼び出した外見のあまりよろしくない血肉のゴーレムへと、指示を出した―――回復ポーションを取って、鍋をかきまぜてちょうだい。
ゴーレムは忠実に、鍋をかきまぜながら回復ポーションを取ってきて主へと手渡そうとし―――使役者の焦る気持ちを忠実に反映して、それらを同時にやろうとしたので、当然のように、失敗した。

かしゃん、すとん、ころころぱしゃん―――

「へぐう……」

ルイズは受け取りそこね、落下してフタの外れた小瓶から散った赤い液体が、トリステイン魔法学院の制服とマントの布地に染み渡っていった。
鍋はひっくりかえってしまい、もう台無しだ。非常に残念なことだが、あきらめるほかない。
もともとゴーレムは、こういった細かい作業には向かないものである。疲れ果て制御も甘くなっているルイズに、上手く扱えようはずもない。
自分の体力の限界を省みなかったことを、ここにきてルイズは、深く深く反省していた。ああ失敗しちゃったわ、いったい何やってるんだろう私―――

(あっ……上に誰か……来たみたいね……この合図、タバサだわ……)

玄関から地下へと通してある紐が引っ張られたようで、呼び出しのベルがちりちりと鳴った。

ルイズは正直助かった、と思った。地上の『幽霊屋敷』には、先日作った、体力精神力状態異常を回復する上級の紫色回復ポーション(Rejuvenation Potion)が置いてある。
タバサにあれを薬棚から取ってもらって飲めば、この体調不良も収まることだろう、とルイズは、ぼんやりとした思考のなかで考えた。
ルイズはブラッド・ゴーレムに火の始末をさせてから、その肉もむき出しの腕に自分の身体を抱えさせて、石の敷き詰められた階段を上がっていった。

そしてルイズは―――ゴーレムに指示を出し、タバサを招き入れるべく、玄関のドアを、開けてもらった。
そこには、最近あまり外へと出てこないルイズを心配してやってきたのであろうタバサと―――シエスタが、立っていた。


さて、ここでいったん、現在の状況を整理してみよう―――

ルイズは真っ青な顔をして、ぐったりとしている。
ルイズの制服は、血のように赤いポーションで染まっている。
ルイズは、ブラッド・ゴーレムに、抱えられている。
ブラッド・ゴーレムは、むき出しの血管と皮膚の無い筋肉がぴくぴくと動く、非常にアレな外見をしている。
やってきたのは、雪風のタバサ、シエスタ、である。
彼女たちは、ルイズがこのようなゴーレムを召喚し使役できることを、知らない―――

ああ、いったい―――どうなってしまうのか!!


タバサ が あらわれた!
シエスタ が あらわれた!

シエスタ は にげだした!
タバサ は おどろき とまどっている!

ブラッド・ゴーレム は ようすをみている―――

雪風のタバサは、幽霊を苦手とするが、それでもなお多くの戦いを経験してきた、ガリアの騎士である。
髪の色と同じくらい真っ青な表情になり、腰を抜かしそうになっていたのだが……彼女は勇気を出してこらえ―――大切な友人を魔の手から守ろうと、呪文を唱えた。
誰かを守りたいという強い想いは、ときに精神力の最大値を、魔法の威力を、高みへと押し上げるという―――

タバサ は ジャベリン を となえた!
ブラッド・ゴーレム に 149 の ダメージ!

さて、ラズマ秘術によって召喚された『ブラッド・ゴーレム』は、術者とその生命力をなかば共有している存在である。
このゴーレムは、太い腕の先についた短い触手のような器官から敵の生命力を吸い取って、術者へと還元する能力を持つ。
その代わり―――このゴーレムの受けたダメージは、術者にもいくぶんかフィードバックされるのである。
ルイズは、げふっ、と吐血した。杖をころりんと取り落とし、青白かった顔色はますます白く、表情がだんだんと力なく、ふにゃふにゃと緩んでいった。

一方、ブラッド・ゴーレムは、傷口から血と体液をだらだらながしながらも、主の撤退の意思を受けとり、主をかかえたまま逃げ出そうとした。
ルイズの喉は血にあふれ、突如始まった戦闘をとめようにも、声をだせない。その表情は緩みきってもはや虚ろなものとなり、彼岸への道を渡りつつあるようだ。
このままでは、ルイズがさらわれてしまう! と、タバサは震える足を踏ん張って、追撃する。

『エア・スピアー』

がはっ、ルイズはふたたび吐血した。このときルイズにはもう、<存在の偉大なる輪>をめぐる大いなる生命の旅の、次の行き先がちらちらと見えてきていた。
<チキュウ>とかいう魔法の無い世界―――へえ、わたし、来世でもういちど女の子をやれるのね―――

(……ああ、川の向こうで、ワルドさまが手を振ってるのが見えるわ―――)

ルイズの表情は緩みきり、他人から見れば、どこか微笑んでいるようにも見えることであろう。
逃げたはずのシエスタが、途中で遭遇したらしいキュルケを引っ張って戻ってきた。キュルケはファイアーボールを唱えた。
キュルケの火球もブラッド・ゴーレムへと着弾し、ゴーレムはルイズを落として、じゅうじゅうと肉の焼ける匂いを漂わせつつ、血しぶきを撒き散らす。

『ウィンディ・アイシクル―――』

そして、タバサのとどめの魔法が直撃し、ゴーレムは砕け散った。
ルイズの体中の骨が、べしべしといやな音を立てた。

ルイズの小さく細くやつれた体は、ほよほよと地面を転がって、仰向けにぺたりとはんぺんのように倒れた。タバサとキュルケ、シエスタが慌てて駆け寄ってきた。
残った体力をふりしぼり、ルイズは激痛に耐え、震える手を必死にうごかした。
やっとのことで、胸の前に、手を組んだ。そして、無念の涙を流しながら、祈りをささげる。

まだ司教さまのご遺体をお返しできてないのに……本当に申し訳ありません……でも、ここまでか……ざんねんむねん不覚のいたり……
ルイズ・フランソワーズは、生と死との平面にたつものとして、そっと静かに安らかに―――自らの短かく目的も果たせなかった十六年間の人生の終わりを、受け入れようとしていた。

(そうか―――死ぬって、こんなことだったんだ……さよなら、みんな、ありがとう……ごめんなさい、ちい姉さま、騎士さま、タバサ、司教さま、天使さま……)

次の行き先も魅力的だけど……やっぱり私は地獄に堕ちるか、それとも『タマちゃん』みたいに、ボーン・スピリットになって、ラズマの皆の役にたたないと―――
ああ、無念……なんということか、遺体を返却できなかったことの、申し訳がたたない―――
司教の遺体を永遠に失ったラズマの人々は、襲い来る魔の手から自分たちの仲間や家族を守ることだけで精一杯になり、魔王退治どころではなくなる。
自分が約束を果たせず死ぬことで、向こうの世界の時間は再び流れ出すのだろうが、人々は大いなるラズマ秘術の助け無しで、強大なる邪悪に対抗しなければならなくなる。
冒険者たちが魔王どもの軍勢に勝てる確率は、はるかに小さなものとなり、まるであのアルビオン王党派のように、絶望しかない戦いになる。
自分のせいで、運命がゆがみ、たくさんの人が死に、涙を流す―――
ああ、どうしよう、どうしよう―――

ルイズは力の抜けてゆく体と、しだいに薄れてゆく意識のなかで、そんなことを考えていた。
内心はともかく、その力の抜けきった表情だけは、どこか安らかに微笑んでいるようにも見える―――きっといまはこの地の始祖が、彼女の顔を見るものすべてに『あなたはこんな顔で死ねますか?』と問いかけているにちがいない。

(あっ、ワルドさま待って、私も今そっちに……あら、あなたは、私に憑いていた昔の教皇さま……行っちゃダメ? どうしてですか? ……はあ、そっちは違う?)

「ぐふっ」と吐血して、それきりルイズの意識は途切れる。
どうやら裏切りを信じ切れない少女の心の中では、イケメンの婚約者は『勇敢に戦って死んだ』ことになっているらしいが、それはあまり関係のない話である。

タバサが気絶したルイズの青紫色の唇へと自分の唇をぐいっと押し付け、ルイズの喉に詰まった血液を吸い出した。
呼吸を安定させ、そしてルイズの喉の奥へと指を突っ込んで、回復ポーションを無理矢理流し込んだ。そのあとは水の回復スペルを、必死の想いで、ずっと唱えつづけた。
キュルケが慌ててコルベールを呼びに行った。
シエスタはモンモランシーを呼びに行った。

さて、ルイズはタバサの応急処置、皆の治療のおかげで、なんとか一命をとりとめたのであるが―――しばらくのあいだ、寝込むはめになるのであった。



//// 16-2:【冥土のシエスタ】

騒ぎがひと段落したあと、『幽霊屋敷』のベッドで、ルイズはじっと天井を見つめながら横になっている。
口には、体温計をくわえているようだ。

「もう、熱は下がっているようですね、お加減はどうですか」
「……んー、何ていえばいいのかしら、痛みはもうないけれど、なんだかとても重たいわ、水の中にいるみたい」

身の回りの世話をしてくれているメイドのシエスタに、ルイズはそう答える。
紫色のポーションを飲んで、痛みは消え楽にはなったのだが……連日の過労と先ほどの事件で、気力体力がかなり低下してしまっていたようで、身体に力が入らない。
スタミナ・ポーションの乱用と連日の無茶が、ずいぶんと少女の身体にダメージを貯めこんでしまっていたらしい。

「シエスタ、ドアの外のサラマンダーちゃんにも、晩御飯をあげてちょうだい」
「かしこまりました、ミス・ヴァリエール」

まだいくつかストックのある紫色の上級回復ポーションは、試作マイナー霊薬の代わりに、そろそろ来るであろうエレオノールに、カトレアへと持っていってもらうことにした。
根治までには到底至らぬであろうが、症状が悪化したときに多少持ち直すくらいなら、今回瀕死だった自分の身で試してみた感覚からは、あれでも可能のように思える。
霊薬が出来るまで、姉にはしばらくのところ、それで繋いでもらうほかない。エレオノールにも、納得してもらわなければならない。
ルイズは反省とともに、霊薬精製を中断して、薬にあまり頼り過ぎてこれ以上身体に負担をかけないように、元のバランスに戻るまで、自然な方法で身体を休めることに専念している。

ルイズは、あの外観のお世辞にも良いとは言えない『ブラッド・ゴーレム』が敵や魔物ではなかったことを、とうとうタバサに伝えることができなかった。
精神力を限界以上に振り絞ってルイズを治癒し、『友達を助けることが出来た』と心底安堵して気絶してしまった彼女に、いったいどんな顔をして真実を告げよというのだろうか!
それはルイズと、あとでルイズより事情を聞いたキュルケ―――たった二人だけの、秘密だ。

キュルケは抵抗できないルイズの頬を何度かつついたあと、苦笑いをうかべながら、疲れ果てたタバサを引っ張って、さきほど寮へと帰っていった。
タバサは「弱ったルイズがまた襲われるかもしれない、わたしが守る」と残りたがっていた。
だが、彼女はキュルケによる「フレイムをルイズの護衛に置くから、あなたは休みなさい」という説得に折れ、やがて半分は無念そうな、もう半分は安堵の表情をして帰宅したのである。
薄暗い夜の『幽霊屋敷』は、どうやらあの冷静な雪風のメイジにとっては、まだまだ想像するだけで怖くてたまらない場所らしい。

夕方には、コルベールが、モンモランシーとギーシュが、それぞれルイズを見舞いに来た。
アンリエッタ王女も<ウェイポイント>を使って自室より転移してきて、幼馴染の惨状に驚いたあと、過労だという事情をモンモランシーから聞いて、顔をしかめた。
王女には、前回遊びに来たときにルイズに「無理をしないで」と言って、ルイズが大丈夫です、と答えた記憶があったからだ。

「わたしのおともだちルイズ、ゆっくり休んで、どうか元気になってくださいね」と怖い顔で言った。

かくして、王女主催の裁判で、ルイズ・フランソワーズ(16)トリステイン在住、自称占い師:前科15犯(王女拉致監禁その他余罪多数)は『何が何でも休むの刑』に処されたのだ。
このたび執行猶予がつかずめでたく前科16犯となったルイズは、大いに反省しながらも、大人しく脱力の刑へと服している。

さて―――

本日はメイドのシエスタが、青い顔をしながらも『幽霊屋敷』に泊り込んで、ろくに動けないルイズの世話をしてくれている。

「……お風呂に入りたいわ」
「寝汗が気になるのですか? では、体をお拭きいたしましょうか、ミス・ヴァリエール」

タコのようにふにゃふにゃと……いや、髪も肌も白いのでイカのようにかもしれない―――顔と身体全体を脱力させているルイズへと、シエスタが答えた。
すぐそばの棺おけの中には死体があり、部屋の隅では青い液体に浸かった謎の物体がときおりしくしくと泣いているこの部屋で、メイドはひどく居心地が悪そうだ。
天井裏を何かが走り回るたびに、びくびくと怯え、ときどき両手でフライパンをぎゅっと握り締めている。
もう今すぐにでも、出現した『何者か』に向けてガツンとやりそうだ。ルイズはただ、アンリエッタ王女が飛び出してきてゲッチュされないことを祈るほかない。

「体中がむくんでるから、あったかいお湯にゆっくりと浸かりたいのよ……待ってて、今起きるから」

身体を起こそうとしたルイズは、とてもふらふらとしていた。慌ててシエスタが支え、肩を貸してやった。

「ねえシエスタ……あなたもたまには、貴族用の浴場に入ってみたいと思わないかしら?」
「えっ、平民の私が、貴族さまの浴場などに……」
「いいじゃない、私の付き添いってことにしておけばいいわ」

二人は風呂の用意をし、『幽霊屋敷』を出て、学院の浴場へと向かう。
数歩歩いてへばったふにゃふにゃルイズを、とうとうシエスタが背負うはめになった。謝るルイズにシエスタは、「田舎育ちなので、力には自信があるんです」と健気に返した。
このときから『ゼロのルイズは平民のメイドを乗騎としている』という噂が生徒たちの間で流れることになったが、関係の無い話である。
やがて浴場へと到着し、ひいと息を呑んで逃げる先客たちを気にせず、すぽぽんと二人でまっぱだか。
シエスタに手伝ってもらって、ルイズは薫り高き湯船へと浸かる。素肌に当たる柔らかすぎる感触に、ルイズは悔しがる。

(シエスタ…………このメイドっ……やっぱり着やせっ……大きいわっ……!!)
(まあ、ミス・ヴァリエール……あばらが浮いて……きっと人間の新鮮な肉や血がなかなか手に入らず、苦労しているのですね……)

と、ゼロのルイズが来たとたんほぼ貸切となった風呂を、ゆっくりと堪能する白と黒の二人であった。
念願の暖かいお湯につかりにこにこと微笑むルイズと、普通平民は入れない貴族の風呂に緊張しつつもわくわくを隠せないシエスタである。

(このでかいのを爆破したら……どのくらいの威力が出るのかしら……)
(ひっ……今、何か背筋に寒気が……!!)

ルイズにとって、シエスタの胸には、さぞやたくさんの夢や希望が詰まっているように見えたに違いない。
ぎりぎり歯をならそうにも身体全体にほとんど力の入らないルイズは、黙ってシエスタに、細い身体を隅々まできれいきれいにつるつるりん、と洗ってもらったという。

さて―――

おどろおどろしい雰囲気、夜の『幽霊屋敷』に、ベッドはひとつしかない。
ここに自分から泊まりにくるような奇特な生きた人間は、あの国家の一大事、惚れ薬解除薬作成プロジェクトのとき以外は、今まで誰一人として居なかったからだ。
ベッドの代わりに棺おけなら石製も木製も沢山あるので、ルイズが「使う?」と聞いたところ、シエスタはただ黙ったまま、その死んだような目からひとすじの涙を流したという。

よよよ……

(あっ……また怖がらせちゃったわ、いけないいけない)

シエスタに優しい(を心がけている)ルイズは、健気に世話をしてくれている彼女に、それなら自分のベッドを使わせてやろうと考えた。
シエスタの心友モンモランシーも、監禁されていたときに丁寧に世話をしてもらい感謝しているアンリエッタも、この不憫なメイドに気を使うようにと、何度もルイズに注意をしている。
意味も無く怖がらせたり危害を与えたりすれば、またルイズには前科が増えてしまうことであろう。

(新しい棺おけ……ガリアの上質の木材を使ってるから暖かくて、たぶん寝心地もいいと思うんだけど……そう、シエスタにはまだ早いのね)

そんなわけで―――
司教の棺おけに寄り添って床に寝ることに慣れているルイズは、自分は床で良いと言った。当然のようにシエスタが止め、結局、同じベッドで寝ましょうということになった。
たしかに今のふにゃふにゃの自分が床に寝たら、誰かがじゅうたんと勘違いして踏んづけてしまいそうね、とルイズは納得したのだ。
部屋の隅のほうのカーテンのかかった場所で、それぞれの寝巻きに着替えた白髪と黒髪の少女二人は、さあ寝よう、という段階になって―――

「み、ミス・ヴァリエール、私、今日、覚悟してきたんです」
「……へ?」
「ど、どうぞ、私を……」

明かりの消えた、暗い幽霊屋敷―――
黒い髪のメイド、シエスタは、窓のカーテンの隙間から入るほのかな月明かりに、死んだように据わりきった目だけを光らせ―――動けないルイズへと、迫っていた。

「わわ、私は……男のひとと、こ、交際した経験も……無いんです……だから……」
「はあ……何を? えっ……そ、その、シエスタ? ちょっと―――」

シエスタは、するすると上半身の寝巻きをはだけ、滑らかな首筋のラインを、薄明かりのなかに露にしていった。ルイズは驚き、息を呑む。

「汚れては、おりません……きっと、美味しく、いただけるはずです、さあ、どうぞ……その、どうか、できるだけ優しく……」

小さく無防備なルイズ・フランソワーズは、ただ焦るしかない、まな板の鯉だ。
カーテンの隙間からの月明かりが、ぬうっ、と迫りくるはあはあと息も荒いシエスタの影を、怯え震える小鹿のようなルイズへと投げかける。
薄暗がりと静寂のなか、はりつめた空気に、ごくり、とつばを飲む音―――二人の少女しか居ないこの場で、そのどちらが発したものなのかは、解らない。

「ま、待ってシエスタ、あなた何をしようというのよ……お願い……やめて……」

ルイズは思う。やさしくしろとは言われても、普段より自分はこのメイドに、結果はともかく―――出来る限り優しく接しようと、心がけてはいる。
それはいい、とはいえ今この場この状況で、できるだけ優しくすることといえば―――ああ、いったいなにをしろというのだろう!!

「駄目……やめて……シエスタ……」

すわ普段よりさんざん怖がらせられていることに対する、スーパー逆襲タイムが始まったのだろうか。
それとも―――モット伯の一件のせいで男性に絶望し、とうとうそっちの趣味に目覚めてしまったのだろうか。
白髪の少女ルイズ・フランソワーズには、同性とちゅっちゅいやーんするような趣味など無いし、シエスタにも無かったはずだ。圧し掛かる黒髪のメイドが、とても恐ろしい何かに見える。

「そうですか……やっぱり、これじゃ駄目だったんですね……ではっ……道具っ……」

シエスタは、ぶつぶつと何かを呟きながらルイズから身体を離して、寝巻きを着なおした。
そして、立ち上がってスリッパを履き、何かを取りに行った。

「さあ、準備ができました……」

すぐに戻ってきた彼女の、その手には―――ひと振りの、ナイフ。
薄い月明かりを反射して、ぎらぎらと鋭そうに輝くナイフだ。それを震える片手に握りしめ―――シエスタは、静かに笑っていた。ルイズは、背筋が凍った。

「……すみません……死んじゃうかもしれませんが……やっぱりこっちのほうが、良かったのですね……さあ、いきますよ……!」

それはまさに、こう名づけるほかない状況であった……そう、『逆襲のシエスタ』。ああ、いったい何の準備を完了したというのだろう!
そして黒髪のメイドは、心のどこか大事な部分を、はるか遠くに置いてきてしまったような目で、にっこりと儚げに―――

―――洗面器を、ベッドの上に置いた。

「どうか……たっぷりと飲んで、元気になってください!! ……私みたいなしがない村娘の血で、すみませんすみません!」

―――……

……よよよよ、とメイドの泣き笑いの声が、部屋の中に満ちる。

「……ちょ、はあ? ……あのね? ……えーと」
「ミス・モンモランシも、ミス・タバサも、私から見ると雲の上のお方アンリエッタ王女殿下までもが、あなたが元気になることを望んでいて……だから、私は、もう……!!」

シエスタは、ぎゅっと閉じた目に涙をたっぷりと貯めて、上を向いて歯を食いしばり、ぷるぷると震えながら、洗面器の上で、自分の左手首へとナイフをあてがった。
ルイズは目を見開き、口をあんぐりとあけて驚くが……やがて、あんまりにもあんまりすぎる状況にフリーズしていた汗腺が開き、背筋にだらだらと、もうやばいくらいに汗が伝いだした。

(ああ、せっかくお風呂に入ってきれいきれいにつるつるりんしたのにぃ―――)

―――などと考えている場合ではない。

「やめて、シエスタ、私は血なんて飲まないから」
「いいえわかってますからもう私には隠さないでいいんですミス・ヴァリエール、ちょっと待っていてください自分の手首を切るのはかなり勇気がいるんです……!」
「お願いそんなことやめて、意味ないわ、ただ痛いだけよ」
「でも―――私がやらなければ……他の誰が、誰があなたに今すぐ新鮮な血を提供できるのですか!」

もうダメだ。いろんな意味でダメだ。なんとかしなければ。体中から嫌な汗が出る、この混沌のなかではそのうち何か間違って変な汁まで出てくるかもしれない、それもダメだ。
身を呈して自分を元気にしてくれようとする、美しき献身に……いや、もっとたくさんの事情で、涙が出るのを禁じえない。
もうすぐシエスタがメイドから冥土奉公人にジョブチェンジしてしまう。
ああ、このまま放っておけば彼女に―――運命の流れが告げている、ほらもうすぐそこまで、あとちょっとで死相が―――死相がもう出てしまう!
ありありと想像できるではないか―――失血多量で人形のように倒れるシエスタ、そしてベッドで動けずにただ血まみれで震えていることしかできない自分(前科17犯)が―――!!

(どうしよう、5つか6つくらいの意味で、どうしよう―――)

さあ、止めようにも、ルイズは身体に力が入らない。こんなときにタバサが居てくれたら、と思うが居ないものは仕方ない。
このまま目に涙をうかべて、シエスタの冥土行きを、ただ見ていることだけしか出来ないのか―――考えろ、考えるんだ!!

どうする、ルイズ・フランソワーズ―――!!

ルイズは力の入らない身体で、出せる限りの声で、叫んだ。

「―――止めてっ、タマちゃん(Bone Spirit)!!」

ばあーっ、と白い光が、室内に満ちた。それは、ルイズにとって間違いなく、希望の光だった。
頼もしいルイズの使い魔、数多の祈りを受けて純化されたラズマの徒の魂―――骨の精霊が、ルイズの身体のうちより浮かび上がる。
燃え盛る白い髑髏のヒトダマが、今にも手首を切りそうなシエスタへと突撃し―――炸裂する!

バシン―――!!

「はゃわあーーっ!!」

閃光とともに、夜の幽霊屋敷に、不憫なメイドの悲鳴が響き渡った。月夜の森で、フクロウがほう、と鳴いた。

一方、ルイズ・フランソワーズ(前科17犯)は、シエスタからボーン・スピリットを通じてたっぷりと吸い取った生命力のおかげで、そこそこ元気になったそうな。



//// 16-3:【奴が来る!:振り向けば青いあの子】

白髪の少女ルイズは、シエスタの献身のおかげで、翌々日にはもうふにゃふにゃ状態から復帰し、普通に立って歩けるようになったようだ。
毛布に包まれて安置してあったシエスタは、翌朝やってきた第一発見者のタバサによって口に回復ポーションの瓶を突っ込まれ、なんとか復活したのだという。

その日の昼は、授業をさぼったらしいタバサがずっと『幽霊屋敷』で、薬の鍋をかきまぜつつ読書をしていた。
タバサは夕方になって、キュルケの使い魔、サラマンダーのフレイムに何かをじっくりと頼んでいたあと、とぼとぼと帰っていった。

そして、シエスタの代わりに今夜は自分がここに泊ると申し出たのは、モンモランシーだった。
ルイズの友人、金髪のクラスメイトは、夜の怖い怖い『幽霊屋敷』へと果敢にも泊り込み、額に青筋をたてて文句を言いつつも、ルイズの世話をしてくれたのである。
モンモランシーとルイズ、この珍しい二人だけの組み合わせは、夜に同じベッドのなかで、それはそれはたくさんのおしゃべりをしたそうな。

場面は昨夜へと時をさかのぼる―――

暗闇のなか、布団の中に、金髪と白髪の少女二人。モンモランシーはどうやら、なにかを喋っていないと、やはり怖くてたまらないようだった。
シエスタのこと、タバサのこと、キュルケのこと、アンリエッタのこと、ギーシュのこと……話題は尽きない。
そしてとうとう、モンモランシーは、あの惚れ薬の一件の原因となった心情を、ルイズへと打ち明けたという。

「あのね、ルイズ……私正直に言えばね、ずっと、あなたとギーシュの関係を、心配してたのよ……あなたに取られるんじゃないかって、怖くて……」
「なあにを言ってるのよモンモランシー……私が、他人の恋人を取るわけないじゃない、ツェルプストーじゃないんだから」

ルイズは震えるモンモランシーに、笑いながらそう言ったという。かつて言われた言葉は、『必要なのは、人を信じること』だった。
これから、モンモランシーは、さぞや勇気を出して、ルイズを信じることだろう。
さて、ナンパ男ギーシュについて、二人の間でなにやら約束が交わされたようだが……それは、二人の少女だけの秘密だ。

その後も魔法のことや薬のこと、授業のこと、コルベールのこと、ギトーのこと、美味しい料理のこと、おしゃれのこと、話題は尽きない。
まるで教師ギトーのような勢いで、大いなるラズマのボーンファッションの美しさ格好よさ機能性と素晴らしさを、うふふうふふと完全にイッてしまった目で主張するルイズに、モンモランシーはあきれるほかなかったそうな。

「ねえ、ルイズ……」
「……」
「……ルイズ……もう、寝たの?」
「……」

先に、連日の疲れのたまっている白髪の少女が、眠りについたあと……
すぐ横にいる金髪の少女は、すやすやと眠っている、かつて運命共同体だった友人の顔を、じっと静かに眺めていた。
やがてそっと微笑みながら、「……あのときは、助けてくれて、ありがとう」と小声で言ったが、物言わぬ幽霊たちのほかに聞いている者は、だれひとり居なかったという。

「おやすみなさい」

女同士の内緒の話だ、というわけで、部屋の隅でぺしゃんこになってしくしく泣いていたデルフリンガーは、<ホラドリック・キューブ>の中に泣き場所を移していた。
ニューカッスルその他からせしめてきた物品の貯まっているルイズのスタッシュにはもう、大きな剣の入る余地が無かったので、そちらに放り込まれたのだ。
かつて魔王すら封じ込めた実績のある結社、古代ホラドリムによって作られた<ホラドリック・キューブ>は、外見よりずっと大きなものの入る、不思議アイテムである。
古き剣デルフリンガーは異空間のなかで、あんまりだとひたすら泣く事しか出来なかった―――だがそれは彼にとって、やがて思わぬ喜びの結果をもたらすことになる……。

―――

フクロウが鳴き、やがてニワトリが鳴き、『幽霊屋敷』のお泊り会の、夜が明けた。
ドアの外のひさしの下で、サラマンダーのフレイムが欠伸をするように、朝一番の火をぶぼーぼぼぼと吹いた。

「おはよう、モンモランシー……おはようございます、司教さま」
「……おはよう……ねえルイズ、前から気になっていたんだけど、司教さまって何なの?」
「あら、教えてなかったかしら? ……今もほら、すぐそこで眠っておられるお方よ」
「ひっ……本当だったのね……あれが、噂の……!」

元気になっていたルイズは、今日からまた授業に出ることにした。本日は、ミスタ・ギトーの授業があるからだ。
風の魔法の授業、スクウェアメイジである教師ギトーは、『遍在』を背後から出して浮遊させ「幽体離脱ッ!!」と言った。
だが、もちろん誰も笑わず、教室にはすきま風が吹いているようだった。
ルイズの隣の席の雪風のタバサが、ギトーを指差した。
そして、ぽつりと、言った。

「滑りやすい」

とたん、教室の空気は、完全に凍った(Holy Freeze)。
誰もが、怒り狂って風の魔法を放つスクウェアメイジ、ギトーを想像し、ただ震えることしかできなかった―――
だが―――ギトーは、にやりと不気味に笑う。

「ふむ、その通り―――ジョークやユーモアは人間関係を風のように軽く滑らかにする、心の潤滑油である」

なんと、ギトーは褒め言葉だと受け取ったらしい。満足げに、タバサを賞賛した。彼女が尊敬している風の教授ギトーに褒められたタバサも、どこか嬉しそうな表情をしていた。
のちに判明することだが、教師ギトーの妻や子は、彼がどんなクールなジョークを放っても、いつも笑ってくれているらしい。
彼女たちが優しいのか、それともただの彼の同類でしかないのかどうか―――きっと、そよ風だけが知ることであろう。

―――

さて、授業に出た後、ふたたび霊薬の製作に取り組もうと、ルイズは意気込みをあらたにしていた。
だが―――一日も半分が過ぎたころ、どうやら別の深刻な問題が、発生していたようである。

「……無理しないで、まだ治ったばかり」
「大丈夫よタバサ、もう前みたいな無茶はしないわ……あれはやりすぎだったって、私も反省したもの」

授業が終わったあと、ルイズについて『幽霊屋敷』へとやってきた青い髪の少女タバサが、心配そうにルイズをじっと見て、そう言った。
雪風のメイジ、タバサは、ルイズがあの<サモナー>の遣わした気味の悪い外見の魔物に襲われて死に掛けたのだと、信じ込んでいる。

過労のせいで、ルイズはあの程度の魔物に負けたのだ、他の皆には心配かけないように、魔物のことは伏せて、ただの過労だと言っているのだろう―――
今回は退けたが、きっと次々と、あれよりももっと強く恐ろしいものがやってくるのだろう。

なので、事情を知っている自分が彼女を守ろう、とタバサは厚い氷の内側の燃えるような心で、決意をかためている。
ルイズが薬の精製のために過労となったのは、自分が母を救ってくれと頼んだからにちがいない。
無理をさせてしまったからには、何を押してでも、自分がそばにいて、彼女の身を、恐ろしい魔の手から守ろう―――それが、わたしにできること。

(あははは……どうしたらいいのよ、ほんと、コレ……)

壮絶な勘違いが発生していることは、もはやここで説明するまでも無いだろう。ルイズはひきつった笑顔で、冷や汗を流すほかない。
昨日キュルケから聞いた事情を思い出し、そんなタバサの気持ちに、ルイズは今になって、ようやく気付いたようである。

魔物なんて来ないわよ、と告げても『悪魔の証明』のように根拠がないし、タバサは「実際にいちど来た、次も来るのが定手」と言ってきかない。
ルイズはタバサの真剣な心遣いが空回りしていることに心を痛め、かといって自分が死に掛けた事件の真実を告げるわけにもいかず、もうどうすればよいのか解らない。

説明しよう! さて今日一日の、雪風のタバサの行動は、こうだ―――

ルイズが何処へ行っても、タバサはとことこと、ルイズのあとを着いてくる。

「……どうしたのタバサ、何か私に用事でもあるの?」
「何でもない、気にしないで」

ルイズの近くに陣取って、タバサは静電気のようにぴりぴりとした雰囲気を振りまき、何か怪しい気配がするたびに、杖をかまえる。

「……?」
「……男子生徒」
「ああ、かぜっぴきのマリコルヌね……何だかしらないけど、ときどき今みたいに目が合うのよ……とくに害は無いから、放っておいていいわ」
「わかった」

ルイズの姿を見失えば、タバサはまるで親鳥を見失ったヒナのように、不安そうにあたりを探す。

「……」
「……」
「…………どこ」
「……」
「……」
「―――ウフフフ、ねえ誰を探してるのかしら?」
「!!―――」

ルイズが笑ったりしておっかない表情をしていても、タバサはびくびくと震え肩をすくめながらも、ちょっとだけ距離をとるが、それ以上離れない。

「ねえタバサ、どうしてずっと私についてくるの? ……ひょっとして、まだ、その……惚れ薬が効いてたり、するのかしら」
「それはない」
「まさか……私の監視任務を受けていたり……」
「それもない、本当にないから、安心して……来たら、最初にあなたに知らせる」
「……そう、ありがとう……で、何でトイレにまでついてくるのよ」
「……」

ルイズは無言無表情のタバサにずっと付きまとわれ、どうにも落ち着かない。

「……」
「……」
「ふーっ!」
「!!―――」

ルイズが体中から青白い霊気を発して「ふーっ!」と威嚇すれば、タバサは顔を青くして離れるが、壁や柱や扉の影にかくれて遠くからじっとこちらを見ている。
仲間になりたそうな目で、こちらを見ている。
捨てられた子猫のような、眼鏡のレンズ越しの青い目で、不安そうな表情で、ルイズを見てくる―――

ああ―――

ルイズはほろりときて、慌ててタバサへと走りよった。逃げようとするタバサを、掴んで止めた。

「ごめんなさいタバサ、もうしないわ」
「……」

ルイズは、その後むっすりと拗ねてしまったタバサの機嫌をとるのに、それはそれは難儀したのだという。

―――さて、回想は終わり、舞台は現在の『幽霊屋敷』へ。

「ただいま、司教さま、ただいま、デルフリンガー」

部屋に入っても、ルイズの同居人の返事はない。あっ、そういえば、とルイズは思い出す。
スタッシュを開き、中からホラドリックキューブを取り出した。デルフリンガーは、昨夜からこの中に、閉じ込められたままになっていたのだ。
ルイズは箱を開いて、中の囚人を解放しようとし……箱に触れて、気づいた。

(……あれ、ちょっと待って……これって、ひょっとして、いけるんじゃないかしら……)

思考をめぐらせ、<ミョズニトニルン>のルーンを発光させ、ルイズはキューブの複雑な構造を、読み取ってゆく。
そしておもむろに、箱の入り口をあけ、マナ・ポーションの小瓶いくつかと、なにやら模様の描かれた小石(Ort Rune)をひとつ、投入した。
しっかりと箱のフタを閉じ、ルイズは棺おけに寄りかかって、じゅうたんのひかれた床に座り込み、いつものようにかちゃかちゃとやりだした。

「……何してるの?」
「デルフリンガーを、すぐに修理できる方法を見つけたの」

タバサの見守るなか、ルイズは少しキューブをいじっていたあと、箱のふたをひらいた。
そこからは、見慣れた古びた剣の柄が見えた。ルイズはそれを掴んで、えいっ、と力を込めて引っ張り出した。

「できたあ!」
「おお、いきなり直った! 礼を言うぜ娘っ子、伝説の剣デルフリンガー様大復活だ!!」

どう見てもこのサイズの剣など入りそうもない、小さな箱からにょきにょきと剣が出てきたので、タバサは驚いて目をまるくした。

「……手品?」
「そうね、ウフフ、そんなようなものよ」

むかしむかし、小さなシャルロットは、当時実家で働いていた手先の器用なコック、トマのやってくれた手品が好きだったものだ。
タバサがルイズにむかってぱちぱちと拍手をすると、白髪の少女は調子に乗って、デルフリンガーを抱えてくるくる踊りだした。

「やった、あは、やったわうふふふ、デルりんあなたは最高のナイトよ!」
「はっ、照れるぜ娘っ子、でもよ、あんまりはしゃぐと怪我するぜ、おっとっと」

古き剣デルフリンガーも、嬉しそうな声をしていた。ゴーレムになることに異存はないが、スクラップ状態だけはどうにも彼のプライド的に辛かったらしい。
ルイズは、強い自意識を持った対魔道師戦闘用の究極兵器、アイアン・ゴーレム『デルフリンガー』だけでなく、秘術のゴーレム使役の錬度(Golem Mastery)をあげるための練習をしなければならないため、通常の『アイアン・ゴーレム』や、地下ダンジョンの拡張作業などに汎用性のかなり大きな『クレイ・ゴーレム』を使うことも多々ある。
そして、デルフリンガーは剣としての状態での持ち運びの利便性のためにも、<サモナー>がルイズの前に現れるなどといった緊急時のためにも、スクラップから召喚媒体としての元の剣の状態へとすみやかに戻れるようになる必要があった。
もともと「そのほうがずっとカッコいいわ、はやく自由に変身できるようになるための特訓をしておいてね」と主にひどく不本意なことを言われ、スクラップにされ、マナ・ポーションの漬物にされていたのだ。

さて、すぐに元に戻れる方法を見つけてもらって、これで安心、地獄の特訓から開放される! と思っていた彼だが……その喜びも、次のセリフを聞くまでだった。

「でも、<ルーン石>が勿体無いから……この方法は非常時にしか使えないわ、ヴェルダンデの手間も考えれば、そうそう安いものじゃないし」

デルフリンガーのしんなり漬物生活は、いましばらく続きそうだった。

―――

黄金の霊薬の作成プロセス、自己へと課した本日のノルマ……過労で倒れて以来ゆるやかになったそれをいったん切り上げ、ルイズは地上で休憩をとっていた。
日はずいぶんかたむいており、もうすぐ暗くなることだろう。外に引っ張り出されたテーブルのうえには、ティーセットと、ランタンが置いてある。
タバサが自分の読んでいた本を閉じて、オープン・テラスでラズマ秘伝書をひらき読書を始めたルイズへと、声をかける。

「本、読んで」
「へ?」
「……前に、約束した」

そういえば、いつか、そういう約束もあったわね、とルイズは思い出した。そこに、ひとりの来訪者がやってくる。

「こんにちは、ルイズとそのお友達……窓から覗いても中に居ないから、また地下に居るのかしらとおもったら、こっちに出て来てたのね」
「あっ、ごきげんよう、姫さま」

アンリエッタ王女が、裏庭の『ウェイポイント』を通じてやってきたらしい。手には、お菓子の入った袋を抱えている。
本日分の仕事から解放されたのだろう、彼女は風呂上りの、昼寝などをするときの部屋着で、マントもつけず、メイクも落としたようで、すっぴんのにこにこ笑顔だ。
あら何をしているの、タバサに本を読むのです、わたしにも興味はあるけどその文字は読めないわ、丁度よいですねご一緒にどうぞ……といった会話があり……

ルイズは、秘伝書のページをうやうやしくまくり、えへんと咳払いをしたあと、ラズマの神話を語りだした。
敬愛する王女への布教の許可と機会を得たのだ、これほど嬉しいことはない。

「宇宙全体を、聖なる竜トラグールが、その背中に背負っているの……それはそれは大きい大きい竜なのよ、私たちの想像もできないくらい……」

アンリエッタとタバサはお菓子をつまみお茶を飲みながら、それはもう嬉々として語るルイズの言葉に、じっと耳をかたむけた。
ルイズは「うふふ、これが神竜トラグールの『歯』よ!」と言って、イロのたいまつから『魔獣の牙(Teeth)』をうねうねと放ち、実演して見せた。

「ラズマの民に邪悪から身を守る術を与えたもうた、偉大なる竜トラグール……古代文字を、別の読み方をすれば、『トラン=オウル』となるの。偉大で優しい大司教さま、私の部屋の棺の中に眠っていらっしゃるあの方は、数千年にいちどだけ生まれる、聖竜の化身(トラン=オウルズ・アヴァタール)なのよ、とっても素敵なことだわ」
「先住魔法? 竜が人になる……シルフィードと同じ」

タバサがそう言ったので、ルイズは慌てて訂正しようとする。

「違うわタバサ、生まれたときから、彼は人だったの……『化身』っていうのは、そういうものよ……大宇宙の神獣が、人の世に人として遣わした『遍在』みたいなものかしら」
「あれは人ではなく、風の魔法ですの? それとも竜の死体なのかしら?」
「違うのです姫さま……竜は存在性、それ自体を身体としているので、いかなる時や場所にあろうと不滅なのです……あれ、解りませんか? んー、なんて説明すればよいのかしら」

今度はアンリエッタが理解できず、首をひねりはじめた。ルイズは頑張って教理を二人へと説こうとする。二人は理解できず、ますます話は混沌とし、わき道へとそれてゆく。

「……では、あの棺おけの中のお方が、わたしのおともだちルイズにとっての始祖ですの?」
「違います、私たちラズマ教徒の始祖はラズマ、ラズマというのはもともと巨人族ネフィリムの一人の名で、彼は聖竜トラグールの弟子となり、生と死をあやつる神聖なる技を授かったのですが……」
「竜が神なのですか……ところで、神と始祖とは、どのように違うのですか?」

異教の理(ことわり)を他人へと伝えるのは、往々にして難しいものである。
ラズマの大いなる数万年の混沌とした宇宙観を、ブリミル教徒へと一日で説明するのは、さぞかし骨の折れることだろう。

この地の始祖は神より魔法を授かったというが、神の使いたる始祖が信仰されており、六千年のブリミル教のうちで神それ自体については、ほぼ忘れ去られているようだ。
『貴族は魔法をもってその精神となす』……始祖の御技たる魔法が、貴族たるメイジの権威と生き方、そして誇りを支えている。

一方、ずっと魔法を使えなかった少女、ルイズにとっての魔法はいまや、宇宙の理、ラズマの秘儀と言っても過言ではない。
そして、ハルケギニアにおいては<水の精霊>のように精霊信仰などもないことはないが、大宇宙のなかでの一、生命の在り方、自然や生と死との調和を尊ぶような思想は、エルフや翼人、エコー、シルフィードのような先住の種族たちにとっては馴染みのものでも、貴族にとってはなかなか理解できないもののようであった。

「あなたは……巨人になるの?」
「違うわ、タバサ……ラズマ信徒の一族は、たしかに宇宙の始原の巨人族を遠い遠い祖先にもつけど……普通の背丈の人よ、わたしも巨人にはならないわ」
「小さい」
「くっ……あなたもね、タバサ」

ルイズは拳をにぎりしめ、アンリエッタとタバサをラズマ狂信者になるまで洗脳してしまおうと奮闘するが、まず無理のようであった。
なので、ルイズはとうとう、自分の人生観をがらりと変えるきっかけとなった、あの<存在の偉大なる円環>について説明をはじめた―――「宇宙ヤバイ!」と。
もうそのときには、タバサと姫の混乱は最大になってしまい、目を回さんばかりだ。

(とほほ、これじゃ聖職者失格ね……まるで『コンフューズ(Confuse)』の呪いをかけちゃったみたいじゃない……)

ルイズはがっくりと、肩を落とすのだった。
そんな落ち込むルイズへと、もうひとりの何者かが―――とどめをさしに、やってくる。ブロンドの髪を逆立てんばかりに振り乱し、肩をいからせ、やってくる。
それは、憤怒の姉、エレオノールだった。タバサとアンリエッタも、戦慄するほどに、姉は怒っていた。

「ちょっと、そこのおちび! ……こんなところでのんびりして、薬を持って実家に帰るっていう約束はどうしたの!」
「ひいっ!!」

きつい目つきのエレオノールは、怯える二人のルイズの友人たちに、ちらと興味なさそうな一瞥をくれたあと、末の妹の、脂肪が薄くなりもう皮しかないようなほっぺたを、ひっぱる。

「どれだけ……私が……待っていたか! 私が、両親やカトレアに、あなたの変な噂がいかないように、どれだけ、どれだけ苦労しているか……思い知りなさい!!」
「ほへは! ひだいひだい、ほへえはは、ひゃべへええ……」
「さあ、さっさと薬を持ってくる! 三十秒で!」
「ひゃい!」

ぷちん、とほっぺたを離され、ルイズは涙目で頬をさすりながら、走って部屋の中へ。タバサとアンリエッタは、呆然と見ているほかなかった。
ルイズはやがて紫色の液体の入った小瓶、上級回復ポーション(Rejuvenation Potion)をいくつか持って、出てきた。

「……何よこれ、金色の薬じゃないようね、聞いていた話と違うわ」
「それについて、ご説明します、姉さま」

ルイズはしゅんとして、渡す予定だったマイナー版の薬を手違いで使えなくしてしまったこと、本家も出来ていないこと、その代わりに、これら紫色の薬を用意したことを伝えた。
この紫色の薬の効果を伝えられたあと、それがその場しのぎの対症療法にしかならないだろうことについて、エレオノールは、とてもがっかりした様子だった。

「一体何やってたのよ、前にもらったおちびの手紙の文面から考えたら、もう本物が出来ていてもおかしくない頃合じゃないの……私にさんざん期待させておいて……!」
「うっ……そ、それは……」

エレオノールは、自分がカトレアを治せる水のメイジでないことを、ずっと悔やんでいた。だから、妹の薬に寄せる期待も、それはそれは大きいものだったにちがいない。
ルイズは言葉につまった。説明できようはずもない。たとえ説明したところで、信じてもらえようはずもない。
姫に惚れ薬を飲ませてしまい、その治療のためにマイナー版を使い、本家霊薬のほうも、アルビオンの王子の心を救い魔王ディアブロの降臨を防ぐために使ったのだ、などと。
見かねたアンリエッタが、姉妹のあいだに割って入った。

「どうか、お説教はそこまでに……ルイズは、過労で倒れるほどに、頑張っていたのですよ」
「何よあなた、ルイズの召使かなにか知らないけれど、ずいぶんえらそうな平民ね……邪魔しないでちょうだい……って、あなたどこかで見たような顔だわ……」

エレオノールは、ぎろっ、とアンリエッタを睨んだ。姫はひっ、と息を呑んだ。タバサが、立ち上がりかけた。アンリエッタが、大丈夫よ、とタバサを手で制す。
部屋着一丁で髪の毛の手入れもせずメイクもしていない王女が、王宮から遠く離れたこんなところに居ようなどとは、想像のつこうはずもない。

「あなた学院のメイドかしら? 名前を教えなさい使用人、文句を言ってクビにしてやるわ」
「私は使用人ではなく、ルイズ・フランソワーズの友人、幼馴染でございます……お久しぶりですね、ルイズのお姉さま……私の名前は、アンリエッタ・ド・トリステインですわ」
「……え」

アンリエッタはそう言って、水のトライアングル・メイジとして肌身離さず身につけている、この国に住む誰もが見たことのある王女の証、水晶のついた大きな杖を取り出した。

しばらく後、事情を聞いた姉は、紫色のポーションを手に、ルイズに身体を壊さないようにと優しく言って、妹の白い髪をくるくる撫でたあと、優雅に帰っていったそうな。
このときエレオノールが持ち帰った紫色のポーションは、のちにカトレアの具合が悪いときに、根治までゆかずとも、何度も確かな効果を上げたのだという。

//// 【次回へとつづく】



[12668] その17:雨、あがる
Name: 歯科猫◆93b518d2 ID:b582cd8c
Date: 2009/11/17 23:07
//// 17-1:【ふしゅるる】

白髪の少女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、ここ三日ほど、お日様が昇ってから沈むまでの間ずっと、友人の雪風のタバサに付け回されている。
ルイズ自身には既に昔のロマリア教皇の霊が憑いているので、多少慣れてはいるのだが、まるであたかももう一人背後霊が憑いたかのようだ。
タバサは無口で静かだし、ルイズが薬の調合をしているときなどは邪魔することもなく、たいていは本を読んでいるので、害もないのだが……
うしろぐらいところのあるルイズは、あまり落ち着かない。

(どうしようかしら……たぶん、そろそろ不審に思ってるわよね……)

ルイズの友人の静かな雪風のメイジは、実際のところは勘違いなのだが、ルイズが魔道師<サモナー>から遣わされた魔物に襲われて殺されかけたと思っている。
魔法学院の中まで魔物を送り込める敵だ、一度失敗したならすぐに次の手を打ち、より強力な魔物をたくさん送り込んでくるはずだ……
彼女はそんな風に考え、ルイズを守ってくれているつもりなのだ。

でも、三日待っても、次の魔物の来る気配はない。
タバサは、どうしてこないのだろう、と不審がり始めたようだ。たぶんルイズが何かを隠している……とも気づかれたようだ。
どうやら、襲われて死に掛けたのに何も危機感を感じていないような、不自然に普段どおりのルイズの様子からも、タバサは何かがおかしいと思い始めたらしい。

(さすがタバサ、見事な洞察力だわ、そうやって今まで生き残ってきたのね……おかげで隠し続けるのにも、ボロが出てきちゃった……まいったわ)

ときどきじと目で見つめられ、ルイズは冷や汗を流すほかない。
それもそう、ルイズが死に掛けたのは、当のタバサが、ルイズと生命力を共有する『ブラッド・ゴーレム』を敵と間違えて撃破したからなのだ。
その真実を、ルイズはどうしてもタバサへと伝えることが、出来ていなかった。キュルケとルイズ、二人だけで秘密にしている。

「タバサ、わざわざついてこなくてもいいのよ、私はもう元気になったし、自分で自分の身を守れるから」
「……」

当の事件の現場に居合わせたのは、ルイズとタバサ、キュルケのほかにシエスタだけ。
他の知人友人一同には、ただ『過労で倒れた』と言い、シエスタには<魔物のようなもの>のことを他言しないようにしてもらっている。
ルイズがいちばん真実を知られたくないのは、タバサだ。もしばれてしまえば、悲しむのだろうか、傷つくのだろうか、怒るのだろうか……
でも、彼女の善意をこれ以上空回りさせることも、ルイズにとっては本意ではない。ばれて取り返しがつかなくなる前に、手を打たねばならない。

(うーん、真実を伝えず……タバサが私に付きまとわなくても良くなるうまい方法……ないかしら)

ルイズは頭を回転させる。そして、ひらめいた。口の端が、にやにやと吊りあがった。
そうだ、真実を、捏造すればいい―――
嬉々として、ルイズはとある計画を実行に移す―――

「ねえタバサ、あなたに紹介したい子がいるのよ」
「?」
「ちょっとユニークな外観をしてる子だけれど、慣れたら素敵に見えるはずよ……だから、どうか怖がらないでね、ウフフフフ」

『幽霊屋敷』で薬のなべをかき回していたタバサは、読んでいた本を閉じて、ルイズに向かって居なおした。
ルイズは焦点の合わない目で自慢げに笑い、まるで可愛がっているペットを紹介するような軽い調子で、『じゃじゃーん』とカーテンを開いた。

ぬらりっ―――

『幽霊屋敷』の部屋の隅、カーテンのかかっている場所から、ルイズの背丈よりもふた周りか三周りほど大きなソレが、出てきた。
赤と青の血管、むき出しの筋繊維がぴくりぴくりと動くそれは、ルイズの呼び出した『ブラッド・ゴーレム』だ。

「新しく私の友達になった、血まみれ肉お化けの『ブゴちゃん』よ、よろしくね」

肉の頭部には、サイズの釣り合わない羽帽子が、ちょこんと乗っかっている。ルイズがお洒落をさせるつもりで、乗せたらしい。
ブラッド・ゴーレムはその帽子を、うねうねと動く短い触手のような指でつかみ、ひょいと持ち上げ、タバサへと礼をした。
あまりにショッキングすぎる外観をもった『ともだち』の登場に、タバサは真っ青な表情で、慌てて杖をかまえた。

「!!―――」
「待ってタバサ、この子は敵じゃないわ、どうか杖を下ろしてちょうだい」

タバサが警戒するのも無理はない、出てきたそのクリーチャーは、タバサにとっては、どう見てもルイズを殺しかけたあの化け物なのだ。
ルイズは慌てて、タバサを止めた。
タバサはしぶしぶ杖をおろし、気味の悪いバケモノから視線を外し、代わりにルイズへと説明をもとめる刺すような視線をなげかける。

「……えっとね、この子たちはあの<サモナー>が送り込んできた魔物じゃなかったの、もう改心したので悪いことはしない、ってお詫びに来てくれたのよ」
「……」
「ほ、ほら、『このあいだはごめんなさい』って、お土産のお菓子まで持ってきてくれたの、あとで頂きましょう」

タバサのルイズへと向ける視線と無言のプレッシャーは、ますますきつくなる。
ルイズの笑顔はひきつり、背筋にはだらだらと汗が伝っている。

「あのねタバサ、このブゴちゃんは、話してみたら解るいい子よ! ……ほら、『ぼく悪いお化けじゃないよう』って言ってるわ」

ブラッド・ゴーレムの皮膚も無くむきだしの大胸筋が、ぷるぷると震えた。連動して他の筋肉や血管の束も、ぐねぐねと動いた。
小さな口のような部分から、ふしゅるふしゅると生暖かそうな吐息がもれた。
ゴーレムの太い腕の先の短い触手のような指が、ルイズの頭をぐちょぐちょと撫で、その白い髪の毛に透明な液体をこすりつけた。ルイズは満足げにえへへっ、と笑う。
それはタバサにとって間違いなく、身の毛のよだつほどにおぞましく、気味の悪い光景だった。
タバサは血の気の引いた顔で、ただ見ていることしかできなかった。ゴーレムのまぶたのない眼球と、タバサは目が合い、ひっ、と息を呑んだ。

「ほら、タバサとも……仲良しになりたい、って、言ってる……ウフフフフ、タバサも……『なでなで』してもらうと、いいわ」

羽帽子をちょこんと頭にのせたブラッド・ゴーレムは、あぶない目で微笑むルイズの頭から手を離し―――怯えるタバサへと、迫る!!
のしっ、のし、と一歩ずつ迫ってくる血管むきだし肉の塊クリーチャーに、タバサは足がすくみそうになる。
ぬうっ、と手を伸ばされたので、タバサは逃げるように数歩あとずさった。

「……いや、……やめて」
「いいじゃないいいじゃない……うふ、うふふふ……」
「だめ、近づかないで……こ、来ないで……」
「そんなに照れなくてもいいのよ、タバサって人見知りするのね……大丈夫よ、すぐ慣れるから……」
「い……や……」

醜悪な外見の肉のクリーチャーを使役し、怯えるタバサへとけしかけるルイズ。それにしてもこのルイズ、ノリノリである。
伸ばされたゴーレムの腕の先、うねうねとした指らしきものから、部屋の隅に追い詰められたタバサの青ざめた頬へと、ぽたりと何かの液体が落ちた。
タバサの体中に、ぞぞぞ、と鳥肌が立った。
耐え切れ無くなったタバサが、杖をぶんぶんと振った。がしん―――

「……っ!」
「!!」

対象の防御力の一部を無視する杖<メモリー>は、ゴーレムの手に当たった。とたん、使役者であるルイズが、伝わってきた痛みに笑顔をこわばらせた。
タバサの肩がぴくり、と震え―――同時にぴたっ、とゴーレムの腕が止まる。しまった……と、ルイズは緊張する。

「……お、落ち着いて、タバサ、こここの子たちが私を襲ってくるようなことは、も、もうないわ……安心してちょうだい、だからもう私を守らなくてもいいのよ」
「……」

ゴーレムが退くと、タバサは壁を背に、へたへたと座り込んでしまった。呆然と、ルイズとゴーレムとを見つめている。
ルイズはタバサに気づかれていないこと、この作戦がうまくいっていることを願うほかない。
上手く行けば、これでタバサは納得してくれて、自分を意味も無く心配して心を痛めたり、これ以上つきまとうようなことは無くなるはずだ―――

「その……ブゴちゃんが帰るって言ってるから、私ちょっと、そこまで見送りにいってくるわ……こ、今度来るときは、タバサもお友達になれたらいいわねっ」

さて、あとはこのブラッド・ゴーレムを崩す(アンサモン)だけで、作戦は完了だ。外に、崩れた血肉を処理するための桶は用意してある。
ルイズはブラッド・ゴーレムを連れて、そそくさと部屋から出て行こうとし―――

「……嘘はもういい」

―――出て行こうとしたルイズの背中へと、青い髪の少女の血の気の引いた唇から、ぽつりと小声で、そんな言葉が投げかけられた。
ルイズは、振り返った。

「タバ……サ?」
「いま確信した……それはもともと魔物ではなかった」

壁を背に座り込んでいる少女の、眼鏡のレンズ越しの氷のように青い目が、ルイズを冷たく見据えていた―――

「それはあなたが使役している、……おそらく、『血』のゴーレム」
「え……な、何を言ってるのよ、ブゴちゃんは血統書のついた由緒正しい『血まみれ肉お化け』だって……」
「もういい」

タバサはそれだけ言って、立ち上がってマントの埃をはらった。
顔についた液体を袖口でぬぐい、ルイズをいつもの感情の篭っていない目でちらりと見たあと、すたすたと『幽霊屋敷』を出て行ってしまった。
あとには、引きとめようとして言葉が出ずに片手を伸ばしかけたルイズと、羽帽子を乗せたブラッド・ゴーレムが、残された。

「……えーと」

ルイズはぽかんと、ブラッド・ゴーレムのつぶらな瞳と、顔を見合わせた。みるみるうちに、ルイズの顔は青くなっていった。

「……どうし……よう……何で、バレたのかしら」
「娘っ子、バレた理由なんざともかく、さっさと追いかけてきちんと謝ってこいよ」

ゴーレムには返事をする能力などない。この部屋の中で唯一答えることのできるであろう、デルフリンガーが代わりに答えた。

「な、何て謝ればいいのよ……何がなんだかわかんないけど、たぶん私また、あの子を、たくさん傷つけちゃったのよ」
「観察してた俺っちが思うに、怖がらせたこともあるだろうが、たぶん秘密にしてたこと、騙そうとしてたことが気に食わなかったんだろうさ……『嘘はもういい』って言ってたよな」
「そ、そう、ありがとっ! 出てくるわっ」

ルイズはブラッド・ゴーレムへと、「ありがとう、またね」と投げキッスを放ち、玄関を出たところに桶を置いてゴーレムを乗せ、アンサモンの宣言を行い、崩した。
桶のなかにでろでろと、気持ちの悪い生ゴミがひろがった。羽帽子がぷかぷかと浮いていた。しばらく放っておけば、この生ゴミは溶けて気体になって消えるのだ。
この直後に掃除に来たシエスタがそれを見て、悲鳴を上げて逃げ出すことになるのは、言うまでも無い。

「行ってきます司教さま、デルフリンガー」

きちんと戸締りをしたあと、ルイズはタバサを探しに、駆け出した……



//// 17-2:【とんでもないものを盗んでいきました:The Thief(that stole my sad days)】

雪風のタバサは、『幽霊屋敷』から去ったあと、自室にも戻らず、学院近くの森の中の泉のほとり、シルフィードのねぐらへとやってきていた。
明るいうちは本を読んでいたが、日が傾いてシルフィードの夕食時になると、何もせずただ自分の使い魔と、湧き出る小さな泉とを、かわるがわる眺めている。

「お姉さまどうしたの、不機嫌そうなの……おなかすいたの?」
「すいてない」

シルフィードは、厨房のマルトー主任から貰ってきた牛肉の塊に、美味しそうにかぶりついている。以前、貧乏なタバサは彼女に合成肉ばかりを与えていた。
タバサの使い魔、風韻竜のシルフィードは、偽王女として王宮でたくさん美味しいものを食べたせいか、舌が肥えてしまっているようだ。
彼女はもう、タバサが合成肉を与えても、つらつらと文句ばかり言うようになってしまった。本物の肉をたっぷり食べることができて、今はとても幸せそうだ。
竜は、身体も大きくエサ代がかかる。なので、以前リュティスでのカジノの一件のときに稼いだ資金が、彼女のエサ代として今、役に立っている。

(ルイズのヒトダマ……あれはえさ代も、かからない……そこは、うらやましいところ)

近くの朽ちた木の上に腰掛けて、タバサはぼーっとシルフィードの食事風景を眺めていた。そういえば、これもまたルイズのおかげなのだ、とぼんやりと考えた。
イライラに任せて飛び出してきてしまったが、いったい何に苛立っていたのか、もう自分でも解らなくなってしまっていた。
今頃ルイズは自分を探しているのだろうか。それとも、また地下に潜って、あの霊薬の精製に取り組んでいるのだろうか。

(……どうすれば、いいのだろう)

かつて幼くして優しい父を失い、母の心を壊されたタバサは、先日友人のルイズが死にそうになったとき、これ以上誰かを失うのは嫌だ、と痛いほどに感じていた。
ひと昔前のタバサ―――ガリア王族の娘、本名シャルロット・エレーヌ・オルレアンは、実家の忠実な執事ペルスランを除いて、たった一人だった。
心の壊れた母は、かつてタバサという名だった人形をシャルロットと呼び、自分の娘のことを認識できなくなっている。会うたびに、心が痛む。
かくして、シャルロットはタバサと名乗り、必ず母の心を治し、いつか仇敵ジョゼフを打倒せんと誓った。

叔父ジョゼフの統べるガリア国内に居れば、タバサは父の派閥『旧オルレアン派』の旗印とされかねない。
なので、彼女は厄介払いのようにして、トリステイン魔法学院へと送り込まれた。そこでは、たった一人だった。
ガリア北花壇騎士団の七号として、たくさんの任務を与えられた。何度も危険な目にあった。
そんないつ果てるとも知れぬ身だ、友人をつくる必要も感じられず、作ろうとも思わなかった。ただ本だけが自分を裏切らない、傷つけもしない、物言わぬ友人だった。
以前のタバサの人生は、ただ母を救う一念と、父を謀殺した簒奪者の叔父、ガリア国王ジョゼフに対する復讐の念、それだけで動いていた人形のようなものだった。

でも、やがて、キュルケという友人ができた。他人との心地よい距離というものを心得ている彼女は、自分の事情に踏み込んでこようとはしなかった。
そして、シルフィードという使い魔ができた。純粋な彼女は、主人たる自分に、とてもよく仕えてくれている。
さらに、ルイズ・フランソワーズと知り合った。彼女は、自分の弱点を容赦なく攻めてくる、とても恐ろしいバケモノのような存在だ。

(……彼女は、泥棒……わたしの踏み固められた泥雪のような日々を奪った、泥棒……)

春先、最初に声をかけられたときの勘どおりに、計り知れないところのあった友人―――彼女は、タバサの氷で出来た読書人形のような生活を、たちまち奪い去った。
あの常識外れの少女は、タバサにとって、真に最初の『計り知れない』という勘どおりの、評価を与えにくい存在だった。そう―――
彼女は異教徒、その気持ちも考え方も行動も、理解しようとして得るところのない存在だ。

まさかあれほどに怖くてやっかいな存在だったとは、思わなかった。
まさかあれほどに強くて頼もしい存在だったとは、思わなかった。
まさかわざわざ任務に付いてきて、自分の命を救ってくれることになるとは、思わなかった。
まさか自分に何人もの友人が増えるきっかけになるとは、思わなかった。
まさか自分の初恋の相手になるとは、思わなかった。
まさか自分の母の心を救う可能性を持っているとは、思わなかった。

まったく、あの恐ろしい白髪の少女は、呆れるほどに常識はずれだった。

(わたしは、彼女に、誓いを求めてしまった)

そして、タバサは、ラグドリアン湖畔で永遠の精霊の前で、友人たちと共にした誓いを、思い出していた。

(みんな、ずっと一緒に、笑顔で―――あんなことを願う資格が、わたしに、あったのだろうか……)

あの時までのタバサは、自分などと一緒に歩んでくれる存在など何処を探してもいないだろうし、必要もない、むしろいないほうがよいと考えていた。
だから、解除薬を飲んで、薬の効果が切れたあと―――あの誓いを守れていないのは、もしかして、ただ自分だけなのではないか、と考えるに至った。
自分ほど笑顔の似合わない人間など、魔法学院中どこを探してもいないだろう。

でも、あの誓いは間違いなく、自分の本心だった、とタバサは今でも思う。
そして、ルイズが死に掛けたとき、タバサはとてもとても辛くて、彼女のことを絶対に失いたくない、と思った。
母を救ってくれる可能性を持つ少女だから、ということは、正直に言えば、あのときはなかば頭から消えていた。
あとで気づいたのだが、ここまで母以外の誰かを大切に思うことが、こんな自分にも出来たのかと―――タバサは、それはそれは愕然としたものだ。

(あんな辛い思いは、もう嫌……守りたいのは、本当……でも、彼女を傷つけたのは、たぶん、わたし)

自分の唇に、そっと指で触れてみる。必死に応急処置をしたときの、生気の抜けたルイズの唇の感触が、今も残っているかのようだ。
もしあのとき彼女を助けられなかったら、と想像し、背筋を震え上がらせ―――そして、ひどく呆れたように、はあ、とため息をつく。

(でも……『血まみれ肉お化け』、は無い)

さて、『血』のゴーレムについて、タバサが気づいたのは、理由の無いことではない。
ルイズを殺しかけたのが自分なのではないか、ということにも、怖くてあまり認めたくは無いことではあるが、なんとなく気づいている。
たとえ恋心は消えても、あの白髪の友人を大切に感じる気持ちは、むしろあの惚れ薬の一件によってまるで再確認されたかのように、強く残っている。心の奥が、ちくちくと痛む。

タバサは、昨日のことを、思い出していた―――

―――

昨日もまたアンリエッタ王女が来て、ルイズの元気そうな様子を見て、帰ったあとのことだ。
王女が自分の結婚式で詔(みことのり)を読み上げる役を、幼馴染の自分ではなくモンモランシーに頼んだと知ったルイズは、笑った。

「ウフフフフ……どうして……私じゃ……ないの、かしら? ……なんで? 私じゃ駄目なの? ……あはっ、どうして、モンモランシーなのかしら?」

虚ろに笑いながらナニカの小瓶を取り出すルイズをそばで見ていたタバサは、冷や汗を流しながらも、「これだから駄目」と至極真っ当なことを考えていた。
もしルイズがこの調子で、全世界からの来賓の前で自分の考えた詔(みことのり)を読んだとしたら―――きっとまたたくまに、世界大戦へと発展することであろう。
だが、それを口に出せるほどの勇気を、タバサは持てなかった。

「待って、どこへ行くの」
「モンモランシーを狩りに(Montmorency Run)行くわ……倒せばきっと『始祖の祈祷書』を落とすと思うのよ」

すぐに「うふふ冗談よ」とルイズは言ったが、これは止めないとまずい! とタバサは本を取り落とし、慌てて白髪の少女を追う。
『幽霊屋敷』を出たルイズは、怪しい液体の封じられた小瓶をポケットに、うふふうふふと女子寮への冒険の旅に出る。残像が見えるんじゃないかと思うほどに、それは迅速だった。
途中で行き会った生徒や教師や使用人の誰もが、瞳孔の完全に開いたルイズのまとう危なすぎるオーラにあてられて、慌てて逃げたり隠れたりするのであった。

「―――モーンモランシーっ、いーるのねっ、あはっ、こーこにぃ、いるのねっ!! ……わぁーたしーがぁ、入るわよっ!!」

ズバーン! とモンモランシーの部屋の扉をひらき、ゼロのルイズが状況を開始した。それは、追いついたタバサが止める間もない、早業だった。
部屋の中に居たモンモランシーとシエスタ、そしてモンモランシーの恋人ギーシュ・ド・グラモンが、飲んでいたお茶をいっせいにぶーっと噴出した。

「えっ……ルイズ!? ちょっと、な、な、何なのよ!」
「モーンモラーンシー♪ あーらお茶してたのね……ねえ、私もどうかご一緒させて、くださらないかしら? ……っていうか一緒させなさい」

ルイズはずかずかと部屋に入り、モンモランシーの手から、飲んでいたお茶のカップをひったくった。
そしてルイズは、ポケットからひとつの怪しい小瓶を取り出し、そこから手にしたカップへと、緑色っぽい液体を、なみなみと溢れるほどに注いだ。

トクトクトクトク―――

空気が固まる。
モンモランシー、シエスタ、ギーシュ、そしてタバサの顔は、みるみるうちに真っ青になっていった。

「……ほーら、どうぞ、私が手ずから入れた、とってもとおーっても、美味しいお茶よ……さあ、飲んでちょうだい」

ルイズの口の端が、みるみるうちに、にやにやと吊りあがっていった。
そして、怪しすぎる液体の満たされたカップを手渡されたモンモランシーは、顔を青くして、だらだらと冷や汗を流すほかなかった。

(なにこれ? ちょっと、これって、いったい何がどうなってるの? ひょっとして私ってば、これを飲まなきゃだめなのかしら……)

モンモランシーは、とりあえずこの唐突な来訪者へと、尋ねてみることにする。

「ね、ねえルイズ、……いちおう訊いておくけど……これって、何なのかしら?」
「たぶん、お茶だと思うわ……勘違いかもしれないけれど、美味しいはずよ」

うふふふふ……

「そう! あ、ありがとうルイズ……で、あ、あなた、いったい何しに来たのよ」
「モンモランシー、あなた持ってるんでしょう、『始祖の祈祷書』……ちょっとだけ見せて、欲しいかなーって」
「持ってないわよ! 国宝なんかを四六時中持ち運ぶのなんて、私には畏れ多すぎて……だから、オールド・オスマンに預けてあるの」

ルイズは、ふーん、と言って、モンモランシーをじーっと眺めた。
謎の液体の満たされたティーカップを、震える両の手にもったまま固まっているモンモランシーへと、ルイズは問う。

「でも……詔を考えるときには、あなた、ひと月は肌身離さずもっておくのが慣わしなんじゃないの?」
「だって白紙の本なのよ……役に立たないし、汚したりしたら怖いから……学院長にお願いして、預かってもらってるのよ……詔は、もう考えて、学院長よりオッケーも貰ったわ」

それを聞いたとたん、びくっ、とルイズの肩が震えた。そして、みるみる無表情になってゆく。
どうやらルイズは、畏れ多くも全世界からの来賓の前で読み上げる王族の結婚式の詔など、一月やそこらでは考え付かないものだと思っていたようだ。
そんなルイズとモンモランシーの間には、『文才の違い』というものがあったらしい。ルイズはたった今、それを思い知らされ、大いにショックを受けたようでもあった。

「……へえ……そう、あなた、凄いのね……うふふふふ、これから私、あなたのこと本気で尊敬しようかしら……」
「そう、あ、ありがとルイズ……べ、別に尊敬まではしなくてもいいわよ……それで、もう用事は終わったのかしら」
「あら、モンモランシー、私ってば、お茶の席にお招きいただけたのではなくて?」

ルイズは、シエスタが慌てて『ど、どうぞ!』と差し出した椅子へと、ずっかと座り込んだ。
だめ、そんなことしちゃだめ! とモンモランシーは焦るが、もう遅かったようだ。
無表情の白髪少女の、焦点の合わない目は、どうやらモンモランシーの手にしたカップを、「さあ飲め」と言わんばかりに、眺めているようであった。

(だ、誰か、助けて……)

モンモランシーはシエスタへと救いを求める視線を送ったが、シエスタの目がもう死んでいるのを見て、すぐに諦めた。
だが、救いの手は、別のところからやってくる―――

「ははっ……な、なんとも美味しそうなお茶だねルイズ! ああ麗しのモンモランシー、どうか僕にも味見をさせておくれ!」

最近とみに男をあげつつあるギーシュが、モンモランシーの手からカップをひったくって、飲み干した。
モンモランシーが、驚いて悲鳴を上げた。

「ああっ、ギーシュ、だ、大丈夫なの!?」
「だ、大丈夫……す、すまないねモンモランシー、なあルイズ……ま、まま間違って全部飲んでしまったようだ、ははは…………って……」

ギーシュは立ち上がりかけたモンモランシーを手で制し、ルイズに向けてひきつった真っ青な笑顔を見せた。
誰かが、ごくりと、つばを飲む音がした。
モンモランシー、シエスタ、タバサが口を押さえて、怪しい液体を飲み干したギーシュの行く末を、見守っていた。

「うまい! ……どうやら本当に、美味しいお茶だったみたいだよ」
「だから言ったじゃない、美味しいお茶だって……このあいだ姫さまが持ってきて下さった、質の良い水出しのお茶よ」

ギーシュは目を丸くして、空になったカップを見ていた。ルイズを除いた四人は、ただただぽかんとしていた。
ルイズは残念そうに、ため息をついた。どうやらひどく解りにくい行動だったが、彼女は本当に、モンモランシーにただ美味しいお茶を飲ませたかっただけのようらしい。
やがて、安堵の息が、ちらほらと聞こえた。
ルイズの持ってきたお茶はまだ有ったらしく、モンモランシーも恐る恐る口にしてみて、「本当だ……見た目はともかく、美味しいわ」と笑顔になった。
しばし、室内に歓喜が満ちる。

「……お願いモンモランシー、読んでみてくれないかしら」
「えっ?」
「私たちの大切な姫さまの結婚を祝う詔(みことのり)……よほど立派なものを考えたんでしょう、どうか聞かせてくださらない?」
「わ、解ったわルイズ、ちょっと待ってちょうだい」

モンモランシーは、慌てて机の引き出しへと原稿を取りに向かう。すでに清書したものらしく、立派な羊皮紙に書かれているそれを手に、モンモランシーは戻ってきた。
ギーシュとシエスタも興味津々だ、まだ二人とも、その名誉ある原稿の中身を、聞かせて貰ってはいなかったようだ。
タバサも席に着き、シエスタがお茶を淹れた。

「は、恥ずかしいけど……えへんえへん……さあ行くわ……えー……われらが始祖の光臨を願いつつ、このめでたくも良き日、トリステイン王女アンリエッタとゲルマニア皇帝アルブレヒト三世の婚姻の儀の詔、畏れながらトリステイン貴族モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシが、ここに読み上げたてまつる……」

最初はちいさくとつとつと―――やがて乗ってきたらしく、モンモランシーのおごそかな言葉が、室内を満たしていった。

「……火、われら迫る敵を打ち払い、われら住まう場にぬくもりをあたえし……かつて始祖のみわざにてともされし炎、われら貴族おのおのの心にいまもなお宿りしこと……」

挨拶、始祖の残した火、水、土、風の四系統のみわざに対する感謝、トリステイン王家とゲルマニア皇帝の両家を称える文言などが詩的に韻をふみつつ、つづく。
ルイズもタバサもシエスタもギーシュも感心しつつ、モンモランシーの粛々と読み上げる詔の文言に、まるで呑まれるかのようにして、しばし聞き入っていた。

そして―――

「……えへん……これで、終わりよ……どうかしら?」

頬を染め、すこし自慢げなモンモランシーは、やがて詔を、静かに読み終えた。全員が呆然としたまま、黙っていたが―――突如、ぱちぱちぱちと拍手をしだした。
それはまるで、この場の誰もが、彼女こそが適役なのだと、納得させられてしまったかのようだった。
モンモランシーは照れたようで、顔を真っ赤に染めて原稿をしまい、席に着いて、シエスタから受け取ったお茶をあおるように流し込み、喉を潤した。

「いいじゃない、雰囲気出てた……正直、なんで姫さまは幼馴染の私を指名しなかったんだろうって思ってたんだけど……今ので私には無理かも、って痛感させられたわ」
「ふふっ、ルイズ、あなたの大切な姫さまの大切な日を祝う役、私でごめんなさいね……でも、あなたの考えた詔も、ちょっと聞いてみたかったわね」

なかば落ち込んだ様子のルイズを励まそうと、モンモランシーは微笑んで、そう言った。とたん、タバサは、嫌な予感がした。
それは、もしこの場にキュルケがいたら、苦労人センサーが最大限に針を振っていたかもしれない、と思えるほどだった。
やはり、モンモランシーによる、ルイズを焚き付けるようなその言は、禁句だったようだ―――

「うふふふふ、実は私もすこしだけ、詔を考えてきてたのよ、……みんな、聞いてちょうだい!」

とたん、ルイズが立ち上がって、瞳孔の開いた目で、拳をにぎりしめ、力説を始めた―――!!

「『土』、安価で固いメイン盾! いつでもどこでも呼び出せて、鍛えれば鍛えるほどに硬くなるのっ!」

魔法の四系統に対する感謝のつもりだろうか―――と、誰もが思ったが、様子がおかしい。

「『火』、近づいたらとっても熱いので、注意することっ! 炎をぶつけられたら回復するのよ! うふふ、倒されても爆発して、敵をけちょんけちょんに燃やすわ!!」

いったい何を言っているんだ、と誰もが疑問に思ったが、嬉々として語るルイズは止まらない。

「『鉄』、敵の攻撃を跳ね返す、素材を選びぬいて極めれば、物理ダメージ反射はなんと脅威の600%! 理論上だけなら、魔王様でもやっつける!」

ますます様子がおかしい、どうやら四系統に対する感謝では、なかったらしい。もっと理解できない、別のナニカだった。

「『血』、術者とその生命を共有し、敵のいのちをもりもり吸い取る! ……えっと……えっと……あとは……外見が、その、とってもプリティだわ!!」

ルイズは、そこまで言ってから、がぶがぶとお茶を飲んで、けほけほとむせた。
まるで大切なことを語り終えた、とでもいうように、この場ではルイズだけがいい笑顔で、余韻に浸っている。
モンモランシーが、呆れる皆を代表して、ルイズへと尋ねた。

「……その、ルイズ……何なの、今の……四系統への感謝……じゃ、ないわよね?」
「<生命>を成り立たせている四要素への感謝よ! 私もあなたたちも、みんなソレで出来ているのよ……だからみんなも、たっぷり感謝してね!」

……あははっ、あははははっ!!

―――

―――

タバサがどうしょうもない回想を終えるころには、あたりは日が落ちて、もうかなり薄暗くなってきていた。

『ゴーレム……これは、系統魔法?』
『違うわ、かりそめの生命を吹き込んでいるのよ』

タバサは、いつかのガリア山奥の村で、ルイズと一緒に魔物退治をしたときの会話を思い出す。
先日、ルイズによる王女への布教活動がなされたときにも出てきた、ラズマの生命観『土』、『血』、『鉄』、『火』の四要素についての話も、タバサは覚えていた。
そして、タバサは、ルイズが秘術で操るゴーレムのうち、『土』と『鉄』とを見たことがあった。

(あれは、十中八九『血』のゴーレム……術者と生命力のラインで繋がっている……やっぱり、彼女を傷つけたのは……)

勘の良いタバサは、それらの要素を総合し、つらい真実へとたどり着いていた。
思い返せば、自分が魔物だと思って攻撃したアレは、外見の気持ち悪ささえ考慮しなければ、ルイズの普段使っているゴーレムに、とてもよく似ていたではないか。
『術者と生命を共有する』―――ルイズが死に掛けたのは、外見が『ルイズにとってはプリティ』なそれを、自分が撃破したからなのではないか―――
あれを最初にみたときは、ひどく動転したものだが……冷静に思い返し、今になって推測したことと合わせてみれば、ルイズの不自然な行動も全部、筋が通る。
あれはひょっとすると、ただルイズが過労で倒れていただけ、服についていたのは血液ではなく、こぼれた回復ポーションだったのかもしれない。

そして、まったくもって信じがたいことだが、ルイズは、自分が『醜悪な外見』と断じたアレを、本気で『プリティ』だと思っていたようであった。
そんなルイズにとっては可愛い存在を、自分は即座に『醜悪至極』と断じて撃破し、その結果、ルイズを殺しかけたのである。

(でも、彼女は、わたしを許してくれている……たぶん彼女は、わたしがショックを受けないように、傷つかないように、配慮してくれていた)

だから、自分が正直に謝れば、ルイズはきっと、薄気味悪く笑って許してくれることだろう。そこまで考えて―――
さあ、どうして自分は『幽霊屋敷』を飛び出してきてしまったのだろうか……と、もうタバサには、その理由がまったく解らなくなってしまっていた。
食後に眠くなったのであろう、居眠りを始めたシルフィードを眺めつつ、タバサはゆっくりと、自分の気持ちを整理している。

(わたしは、自分の過ちを認められないほどに弱くはない……そんな気持ちもあった、だから苛々とした……配慮が相手を傷つけることも、よくある)

ならば、ルイズに対して取った自分の態度は、ただの八つ当たりだったのだろう、とタバサは反省する。

(そして……わたしのために、彼女は心に大きな負担を抱えていた……たぶんわたしは、それを見るのが、辛かっただけなのかも、しれない……)

タバサは、来ない敵からルイズを守っている最中、ずっと考えていた―――自分がルイズという大切な友人を守っているのか、それとも母を救える唯一の大切な希望を守っているのか、どちらなのか―――もうそれらがこんがらがって、解らなくなってしまっていたことにも、気づいていた。
ある意味、それは自分が母のために、友人へとただ依存するかのように、どこか不自然すぎる関係のようにも感じられていた。
ならば、自分にとって、本当に大切なものとは、いったい何なのだろう―――

(……どっちも、間違いなく、大切……わたしは、とても欲張りになった……誰かさんの、せいで)

タバサは苦笑して、立ち上がった。考える時間をとった対価は得られ、気持ちの整理は、しっかりとついた。てくてくと歩み寄り、シルフィードの頭を、そっと撫でた。
気づけばもうあたりは薄暗く、お化けだって出てきそうだ。こんなところに『血まみれ肉お化け』がぬらりと出てきたら、いつかのように自分は気絶するかもしれない。
他人との深い交わり、慣れぬ人付き合いというものは、ときにあのお化けにしか見えないゴーレムと同じくらいの恐怖を、もたらすものだ。

(でも、どう考えても、アレが『プリティ』は、無い……やっぱり、彼女はおかしい)

タバサは呆れて、大きくため息をつく。そっと微笑んだあと、こんどは呪文の詠唱のために、息を吸い込む。
さあ、今から勇気を出して、お化けよりも怖い大切な友人に、会いに行こう―――タバサはその友人にいろいろと奪われたものの代わりに得た、大切な<思い出>のたっぷりとつまった杖を、かまえる。
そして、ゆっくりと、『フライ』の呪文を、唱えた。

青い髪の小さな少女は、太陽が沈んで薄暗い森の上空を、学院めがけて飛んでゆく。
ああ、『母を助けてくれたら、自分の全てを差し出してもいい』なんて―――そんなこと普通だったら言えないだろうに、と、自分自身に苦笑しつつ。

(そうなったら……彼女は、わたしの復讐の道にまで、笑いながらついてくるのだろうか……それとも、わたしは彼女のために、復讐を捨てることになるのだろうか)

あのとき、雪解け水のようにあふれ出る感情に任せて、大切な友人に向けて放ってしまった、あの言葉が……言いすぎだったのか、そうでないのか……
いつか、この少女の胸のうちで、いっぺんの迷いもなく決まる日が、来るのかもしれない。


//// 17-3:【雨降ってなんとやら】

「ねえキュルケ、タバサ来てない?」
「あらルイズ、タバサは来ていないわ……今取り込み中だから、後にしてちょうだい」

一方ルイズは、自室に居なかったタバサを探して、キュルケの部屋にまでやってきていた。
もとルイズの部屋だった場所、今は空き部屋のとなりの部屋、扉を開けたキュルケ―――上半身の服は乱れており、頬はすこし赤い。
扉越しに、ベッドの中にはだかの男性の姿がちらりと見えた。ルイズにも見覚えのある、上級生の男子生徒だ。
学院でもっとも危険とされる生物、ゼロのルイズの登場に、彼は慌てて、がばっと布団を頭から被った。
キュルケはそれを、「何よ、情けないわねえ」と言うような困った視線で眺めていた。ルイズもそれを見て、うふふと笑う。

「……今の、あなたの恋人? うふふふ、素敵な肩甲骨ね、取り出してじっくりと調べてみたいわ」
「け、肩甲骨を? ……ま、まあ、それは、いい? ……けど……と、ともかくタバサはここには居ないわよ、シエスタのところでも探してみたら?」

キュルケはなかば迷惑そうに、ルイズにお引取りを願おうとする。
ルイズは、どこか迷っているようだ。焦点の合わないぼーっとした目で、キュルケを見ている。

「あのね、ツェルプストー……」
「なあに? 見ての通りあたしは暇じゃあ無いから、簡潔にお願いね」
「タバサに、たぶん……あれが、バレたわ……それで、居なくなっちゃったの」

とたんキュルケは、みるみる真顔になる。「困ったわね」と、あごに手をあてて考えはじめた。
引っかかっていただけの上半身の服がずりおちそうになり、慌てておっとと、と押さえた。

「タバサ、怒ってたかしら?」
「怒ってたわ……どうも私また、あの子をたっぷり傷つけちゃったみたい……」

しゅんとしたルイズの様子に、キュルケは苦笑する。今のルイズに、アルビオンであの大きな悪魔に挑んで打ち破ったときのような勇ましさは、みじんも感じられない。
なので、手を伸ばし、ルイズのほっぺたをつつこうとした。それをひょいっ、と避けるルイズ。
キュルケは少しムキになって、何度もつつこうとする。ルイズはひょいひょい、とそれをかわした。

「……何で避けるのよ」
「ばっちいわ、ベッドで震えておわす、あの誇り高き殿方のお身体を、さぞやたっぷりといじくりまわしていらっしゃった手なんでしょう」
「ま、まあ、否定はしないけど……案外露骨に攻めてくるわね、あなた」

キュルケは赤くなった。
そして、慌てて状況を整理する。

「あたしはやっぱり―――結局のところ、過労でタバサに心配をかけて、さらに誤解されるような状況を作ったルイズが、大部分悪いと思うわ」
「ええ……そこは、痛いほどに……わかってる」
「でもタバサも、頑固なところがあるから……どっちが悪いって話になると、こじれそうなのよねえ……昔みたいにあの子、一人で抱え込まなきゃいいんだけど」

結局、今回の件はお互いさまってことにして、さっさと謝りあって決着をつけなさいな、とキュルケはルイズに助言し、手を振ったあと、扉をばたんと閉め、カギをかけた。
ルイズは扉に向かって礼を言ったあと、今度は使用人の宿舎、シエスタの部屋へと向かった。

「大変、シエスタの『ご主人様』が来たわよ!」
「ひいっ! とうとう来た、怒り狂ってるわ!」
「すみませんすみません、このシエスタがあなたさまのお屋敷の掃除を放り出して逃げたことは、使用人一同で謝罪いたしますから」
「えっ……ちょ、ちょっと、何よ使用人一同って! 私は関係ないわ、お願いだから私を巻き込まないでちょうだい!」

さあ、ゼロのルイズの来訪に、使用人の寮は、蜂の巣をつついたような大騒ぎだ。
大部分は逃げていったが、シエスタの友人らしき数人のメイドが、足を震わせながらもその場に残った。ああ、美しき友情かな―――
それでも引っ張り出されてきたシエスタは、死んだような目をして、ルイズの前に力なく座り込んでいた。

「申し訳……あり、ません、あとで、きちんと掃除に行きますから、お許しください……ヨヨヨ」

黒髪の彼女は、なにやらひとつの人形をぎゅっと抱きしめて、泣き笑いをしながら、震えていた。
シエスタと同じ黒髪の、男の子の格好をしたちいさな人形で、背中に剣のようなものを背負っている。ルイズは、ひとつため息をついた。

「シエスタ、掃除のことについては全く気にしてないから、顔をあげてちょうだい」
「ほ、本当ですか!」
「ええ、ちっとも怒ってなんていないのよ……うふふふ……で、それなあに? あなたの大事なお人形さん?」

そうルイズが尋ねたとたん、一度は明るくなっていたシエスタの顔は、みるみる真っ青になっていった。
どうやら、掃除を放り出して逃げた罰として、彼女が大切にしているものを奪い取られるのだと思ったらしい。

「な、ナイトさんは……いくらミス・ヴァリエールのご命令でも……渡せません!」
「取らないわ、ちょっと気になっただけよ」

使用人仲間やシエスタ本人から聞いた話を総合するに、それは最近シエスタが自分で作って、とても大切にしている人形らしい。
いわく、自分と同い年の、同じ黒髪で、魔法を使えない平民なのにとてもとても強く、あの恐ろしいルイズですら指先ひとつでダウンさせるほどの、凄腕の剣士なのだそうだ。
シエスタの脳内設定では、ルイズはその剣士に惚れていて何度もアプローチをかけているが、優しい自分のほうが十歩も二十歩もリードしているらしい。

「あの……シエスタ……その……」
「ひゃいっ……」
「何ていうか、その……本当に、ゴメン」

ルイズは、あまりに不憫すぎる彼女にたいし、肩を力なく震わせて、ただ謝ることしか出来なかった。
そして、今までの優しさじゃあ、まったくもって足りなかったわ、これからはもっともっとシエスタに優しくしよう! と、かたく誓うのであった。
そんなルイズの決意が、黒髪の彼女にとって、果たして今後の救いとなるのかそうでないのか―――推して知るべし、である。

「で、タバサ来てないかしら」
「……ミス・タバサは、こちらにはいらっしゃっておりません」

そんなわけで、ルイズは結局、タバサの部屋の前で、ずっと夜まで待ちぼうけをする羽目になった。

(……来ないわ)

通りかかった生徒たちは、暗がりでうずくまる闇の化身のようなルイズの姿をみたとたん、ひっ、と息を呑み背筋に冷や汗をつたわせていたという。
窓の外では、ぽつぽつと雨が降り出したようだ。

(……帰ってこない)

一方、ルイズのお目当てのタバサのほうはというと……暗くなりつつある怖い怖い『幽霊屋敷』の玄関前で、がたがた震えながら、待ちぼうけをしているのであった。
ひさしのしたで杖を抱えて雨宿りをしているのだが、雨音にまじって何か怪しい物音がするたびに、ひっ、と息を呑み背筋に冷や汗をつたわせている。

さて―――

実りの無いハリコミに疲れて一時帰宅したルイズが、小さくなってがくがくと震えているタバサを見つけ、ようやく二人は再会し、手を取り合うことができた。

そして、タバサとルイズとの間で話し合った結果、今回の一件はお相子だという風に落ち着き、お互いに罰を与え合うこととなったそうな。

タバサは、エレオノールがやるように、ルイズのほっぺたをぎゅーっと引っ張った。
よく伸びるあれを見て以来、一度、やってみたかったらしい。真っ赤になった頬を押さえる涙目のルイズを見て、タバサはそっと、口元をほころばせたのだという。

一方ルイズは、『ブゴちゃん』を召喚し、タバサを『なでなで』した。
むろんタバサは気絶し、その結果―――怖い怖い『幽霊屋敷』にて、(舞踏会のときと同じく気を失ったまま)一夜を明かすはめに、なったのだという。

夜半には雨も上がり、雲も晴れ、星ぼしのかがやく夜空には二つの月がかかり―――

翌日の朝早く、ポーションをいじるため、水溜りをよけながらやってきた教師コルベールは、ひとつしかないベッドで幸せそうに眠る、二人の少女を目撃したそうな。
彼は二人の教え子を起こしてしまわないように、必要な材料をいくつか取ったあと、そろりそろりと静かに部屋を出て、自分の研究室へと向かったのだという。


//// 17-4:【ルイズ、隊長になる】

ある日、『幽霊屋敷』にて司教の棺おけにもたれかかり、ホラドリック・キューブをいじくっていたルイズのところに、シエスタがやってきた。
まったくもっていつものように、彼女は目が死んでいた。なのでルイズは、出来る限りになごやかな笑顔で、彼女を迎えようとする。
その笑顔は恐ろしいもので、シエスタはますます怯えることになるのだが、ルイズは気づいていないようだ。

「どうしたの、シエスタ」
「あの……ミス、ヴァリエール……これ、友人たちより、ミス・ヴァリエールに渡せって言われて、いただいたものなのですが」

きょとんとするルイズへと、シエスタがおずおずと差し出したのは、一本の細長いナニカ。
ルイズは、その物体に、よくよく見覚えがあった。

「……これって、アレよね」
「ええ、アレです……」

しばし、二人で硬直する。シエスタの友人とやらが何を思ってこんなものを持たせたのか、ルイズにはさっぱり想像もつかない。

「おしりとかを、ぺしぺしと、するやつよね」
「はい、そうです」

シエスタの手に握られているのは―――一本の、乗馬用の鞭(むち)だった。

「ひとつ訂正させていただけるなら、馬のおしり、ですけれど」
「そうよね、これって馬のおしりをぺしぺしとするやつなのよね」

貴族の少女ルイズ・フランソワーズは、乗馬を大の得意としていたものだ。
最近は出不精だったり、たまに街などへ出るときも友人のタバサに頼んでシルフィードに乗せてもらったりしているので、鞭を握る機会も、ほとんど無かった。
それでも、この道具の扱いは他人よりも心得ているほうだと、自認できる。でも、いまのところ使い道も、自分へとプレゼントされる理由も見出せない。

「……で、何でこれを私に?」
「これをくれた友人が言うには、いい音が出るけど痛くない鞭だとか……あなたのご主人様には、これを使ってもらいなさい、だそうです」

二人の間に、静寂が舞い降りた。

「えっ、使うって、何に?」
「……その、私に、乗るときに……だそう、です」

死んだような目をしたシエスタ、硬直した怖い笑顔の、白髪のルイズ。数分ほど、静寂が続いた。

「あっ、退かないでください! ヘンな意味じゃないですよ、ええと……」

シエスタは怯えながらも、固まっているルイズへと、事情の説明を始めた。

いわく―――

あのふにゃふにゃルイズの一件以来、『ゼロのルイズは平民のメイドを乗騎としている』という噂が、学院内で流れている。
そのメイドとは、目撃された情報などから、誰が想像したとしても、間違いなくシエスタのことであると断言されるのだそうだ。
そこで、彼女の同僚や友人一同は、不憫な黒髪の彼女が、毎日毎日あの恐ろしいゼロのルイズに鞭をふりふりちいぱっぱとされ、ひいひいと泣いている、と想像した。

「だから、せめて『痛くない鞭を使ってもらいなさい』ということで……友人一同がカンパを募って、その筋の道具店より、購入してくれたものだそうです」

ルイズは、硬直した手から、ホラドリック・キューブを、ことりと取り落とした。その手は、キューブを握っていたかたちのままだ。
そんなルイズの手に、シエスタは震えながら、そっと鞭を握らせた。そして、儚げに微笑んだ。

「はい―――さあ、どうぞ!」
「えっ……ど、どうぞって言われても」
「叩かれても痛くない鞭だそうですので、私のことはお気になさらず……どうぞ思う存分、ひっぱたいて下さい(Smite Me)!!」

ルイズは、いったい自分の何がこの不憫なメイドをここまで追い詰めたのか……と悲しく思いつつも、肩をすくめ怯えるシエスタを、ぼんやりと見つめていた。
ここで彼女を叩けば、なにか取り返しのつかないことになってしまいそうだ。固まるルイズをよそに、シエスタはぎゅっと目をつぶり、歯を食いしばっている。

「なによ、私……その、あなたを……た、叩かなきゃダメなの?」
「そのムチ、けっこう高かったそうです……なので、せっかくの友人一同の好意を無にするようなことなんて、私には……」

ルイズは、メイドのあまりの健気さに、ほろりときた。
なので、ルイズは―――シエスタの肩にそっと自分の手を置いて、この可哀想なメイドの手へとそっと鞭を返し、握らせる。

「わかったわ、シエスタ……その、鞭が、きちんと使用されればいいのね」
「へ? はあ……ですから、私を好きなように叩いて下されば」
「いいのよ、シエスタ……わかった、わかったから……もういいの」

ぷるぷると肩と白髪を震わせ、儚げに笑いながら、シエスタに優しい(を心がけている)ルイズは、怯えるメイドへと―――自分のおしりを、突き出した。

「それで……私を、叩けばいいわ」
「え、ええっ!?」
「痛くない鞭なんでしょう……せっかくだし、日ごろの鬱憤もこめて、叩きなさい……恥ずかしいから、三回だけね」

当然、シエスタは渋った。鬱憤なんて、ありません! それに、貴族さまのおしりを平民のわたしが、などと畏れ多い!
ルイズは穏やかに首を振って、ただ、ぐぐいっ、とおしりを突き出すだけだ。

「……あの……みみみミス・ヴァリエール、その、あとあとまで根に持って、復讐したりするんでしょう」
「しないわよ! ほんとあなたってば、私のことをいったい何だと思ってるのよ……」
「……言ったら、怒りませんか?」
「怒らないわ、さあ言ってみなさい」

シエスタは、しばらく迷っていたようだが……やがて、震えるか細い声で、言った。

「こころのやさしい、おに、です」

ルイズはにこやかな笑顔で―――いつも自分の世話をしてくれているこの不憫なメイドへと、ただ自分の小さなおしりをますます突き出すことしか、できなかった。
ごめんなさい、制服のマントが邪魔だったようね、と脇にまとめて、よけてもやった。
最近、学内での罵り言葉に、『鬼、悪魔、ゼロのルイズ!!』というものが発生していることを、ルイズは知っていた。
だから彼女は、シエスタに自分がどうにかして鬼のたぐいではないことを行動で示そうと、頑張るしかないのだ。

さて―――

シエスタは、やがて観念したのか、震える手でぐっと鞭をにぎりしめ―――大きく、振りかぶった。
なにやらぶつぶつと祈りの言葉を呟き、精神を集中しているようだ。
ルイズは、静かに目をつぶった―――その筋の道具屋で買った、高価な鞭だって言うじゃない―――果たして自分のおしりは、どんな素敵な音がするのかしらね……

「ぷっ、くくくく……」

そこに、押し殺したような笑い声が、流れてきた。ルイズがそちらの方向を見ると―――

「ご、ごめん、お、お邪魔しているわ……で、でもそれは……ぷくくく」

―――そこには金髪の少女モンモランシーがいた。なんと、顔を真っ赤にして、おなかを押さえて、じゅうたんの上を転げまわっているではないか。

「ちょ、ちょっと、あなた何時からいたの? な、何笑ってんのよモンモラ」
「ええい、ままよっ―――せえーーいっ!」

スパーーーーン!!

「あぴっ!」

シエスタの容赦ない一撃が、ルイズのおしりに直撃した。気を抜いた直後の、まるで不意打ちのようにタイミングの外れた打撃に、ルイズはヘンな声をあげた。

「ぷふふっ……あ、あはははははっ、る、ルイズ、あなたってばとっても可愛い声あげて……ほんとおかしい……もうだめ、ああはは!!」

とうとう堪えきれなくなったモンモランシーが噴き出し、目に涙をためて、げらげらと大笑いを始めてしまった。
この時になってようやくシエスタは、モンモランシーの存在に気づいたようだった。彼女は、次撃を繰り出そうとした姿勢のまま、硬直してしまった。
客観的に見てみれば、これはあまりにも恥ずかしくヘンテコ極まりない状況だ。二人はようやくそれを認識し、ルイズもシエスタも、耳まで真っ赤になるのであった。

「お願いシエスタ、それ貸してちょうだい」
「へ、あ、あの……」
「いいから……うふふふふ、さあこっちの準備は出来たわ……ウフフフ、ねえ、覚悟はいいかしらモンモランシー」

ルイズはどす黒いオーラを放ち、瞳孔の開いた目で危なく笑うと―――シエスタの手から、素敵な音の出る鞭をびしっ、とひったくった。

「ちょ、ルイズ……ま、待って、息、できない、おなかいたい……」
「だぁーめっ、待ってなんて、あげないわよっ!」

笑い転げて力が抜けて、立つこともできないモンモランシーへと、ルイズは馬乗りになった。
スカートがまくれるのも気にせずに、マウントポジションからルイズはえいっ、と気合一発、モンモランシーの身体をうつぶせにひっくり返した。
ひいひいと息を荒げる金髪の少女を、白髪のルイズは笑いながら、無理矢理に四つんばいの状態にさせる。

「さあ行くわよおーっ、はいどうー、はいどうーっ!!」

スパーーーーン!!

「ぴいぅ!!」

そしてルイズは、手にした乗馬用の鞭を、それはもう嬉々として振りかぶり―――モンモランシーのおしりを、ぺしぺしとしばき始めるのだった。

「あははははっ、歩きなさいモンモランシー、走りなさいモンモランシー、さあ馬のようにっ、風を、切ってっ、はいどうーっ!!」
「ちょっ、あははっ、いたっ! いやっ! ま、まってっ、あいたっ、あれ、あんまり痛……くないけどやめてルイズ! あはははっ!!」
「そら行きなさいっ、あんよはじょうず! あはははっ、ほーら、いちにっ、いちにっ!!」

モンモランシーは大笑いしながらも、白髪の友人の遊びに付き合ってやり―――背中に小さくて軽い、きわめて乗馬に向いた体型の少女を乗せたまま、ふかふかのじゅうたんの上やちょっと固い板敷きの床の上、『幽霊屋敷』じゅうを、ぐるぐると回るのだった。
一方シエスタは、自分の身代わりになってくれた身分の違う友人モンモランシーに、いたく感謝し、そっと涙をながしつつ、静かに見守っていたという。
そんな、きゃっきゃうふふとほほえましい光景は、やがて遊びに来た、アンリエッタ王女殿下に目撃され―――

このたび目出度く、貴族の少女ルイズ・フランソワーズは、王宮魔法衛士隊『モンモランシー隊』(ふたりしかいない)の隊長に、任命されることとなったのだそうな。
伝統ある『グリフォン隊』、『マンティコア隊』、『ヒポグリフ隊』につづいてひっそりと新設されたそれは、『トリステイン王宮:魔法学院幽霊屋敷分署』の守護を、任されたのだという。

//// 【次回へと続く】



[12668] その18:炎の食材(前編)
Name: 歯科猫◆93b518d2 ID:b582cd8c
Date: 2009/11/24 17:56
//// 18-1:【素敵な冒険はじまる:しかしゲーム名は『pkpkpkpkpkpkpkpkpk』】

剣士のアニエスは、剣を振るときに邪魔にならぬよう眉毛の上で切りそろえた前髪もりりしい、二十代前半の女性である。
ある日彼女は、王女からの任を受け、魔法学院のルイズ・フランソワーズという名の少女を訪ね、『幽霊屋敷』へとやってきた。


(……棺おけ?)

最初に目に入ったのは、ぼろっちい物置小屋の横に、ずらりと並んでいる棺おけだ。
貴族の子息や少女の集う学院のはずれに、いったい何のために棺おけがこんなに沢山あるのだろうか……と、アニエスは不思議に思う。
それは、なんともシュールな光景だった。

(ここは棺おけの倉庫なのか? ……寡聞にして知らぬが、最近の魔法学院の授業は、死人が出るほどにきついものなのだろうか? 貴族も大変なのだな)

と彼女は首をひねる。ガリア産のものであろう、上質な木材の棺おけだ、たぶん、自分のような平民にたいして使うものではなかろう。


「……頼もう」

王女が『屋敷』と言うからには大きな建物を想像していたのだが、指定された場所には結局、ぼろっちい物置小屋があるばかりだった。
何かの間違いのようにして、ドアの横に公爵家の家紋がとりつけてある―――そのとなりには、立て看板。書かれている赤い文字は雨で血のようににじみ、ほとんど読めない。
畏れ多くもトリステイン有数の大貴族、ヴァリエール家の子女が、こんな場所に住んでいる筈も無いだろうに―――と、途方にくれたアニエスは、あたりをしばらく彷徨ったあと、だめもととばかりに、まるで冗談のようにして物置小屋の玄関に取り付けられている呼び鈴を、鳴らしてみた。

ちりちり―――

「あら、お客様かしら……えっと、どちらさま?」
「私はアニエス、平民なので苗字はありませぬ。アンリエッタ王女殿下より、貴殿を訪ねよと命じられ、参上いたしました」

しばらくして、自分を迎えに出てきたのは、身体が細く、妙に目の焦点の合っていない、白い髪の少女だった。
王女より聞いた特徴から推測するに、彼女が王女の幼馴染に間違いないのだろう。この悪ふざけのような小屋になんともよく似合う、ひどく薄気味の悪い少女だった。

「姫さまから? ああ、そういう話もあったわね……うん、よろしくね、私がラ・ヴァリエールのルイズよ! さっ、どうぞ、中に入ってちょうだい……うふふふふ」

アンリエッタ王女からの紹介状を差し出したアニエスは、それを受け取って笑う少女をみたとたん、ぞぞっ、と背中に鳥肌が立った。
昼だというのに日もあまりさしておらず、この棺おけ倉庫はどこかおどろおどろしい雰囲気をかもしだしている。
夜になれば、幽霊が出てもおかしくないような様子であった。
アニエスは王女から、『いずれあなたには、私たちの想像もつかないような恐ろしいバケモノを相手に、戦ってもらうことになるかもしれません』、と言われている。

「剣士さん、あなた、強いのかしら」
「魔法こそ使えませぬが……少々、剣と銃との扱いを心得ておりますゆえ、失礼ながらドットやラインのメイジ相手には、正面からでも遅れをとらぬであろうと自負しております」

あの王女殿下が信頼を寄せており、自分を見定めんとする相手だ、必ずや実直な話を求めているのだろう―――なので、率直に答える。
メイジでも幽霊でもバケモノでも、鍛えに鍛えた剣で切り伏せる自信は、あるのだが……そんなアニエスにとっても、なんとも、ここは落ち着かない場所である。
そして、どう割り引いて見ても、王女が信頼しているのだというこの目の前の少女こそが、『私たちの想像もつかないような恐ろしいバケモノ』に見えてしかたがない。
部屋の中へと案内され、ああ、ここに住んでいるのか、嘘だろう冗談なのだろう、自分の家よりはるかにひどいぞ、とアニエスは自分の見ているものを信じることが出来なかった。

「あら、ティーカップどこやったかしら……えっと、ごめんこれしかないの、失礼するわね」

少女より、怪しい液体をとくとくと満たされたビーカーを突き出され、アニエスは冷や汗をながし、うっ、と喉をならした。
部屋の中にはじゅうたんがひいてあったが、なにやら動物の骨のようなものが、ところどころに散らばっている。はっきり言って、不気味すぎる。
すぐそばにある大きな棺おけには、どうやら中身が入っているらしい。棺おけの中身など……この部屋の主に問わなくとも想像がつく―――十中八九、人間の死体だ。

(……ここは、一体、何なんだ? 死体置き場(モルグ)か? 少女がひとり、本気で、こんなところに住んでいるというのか?)

部屋の中には、あきらかに人間や動物のものではない、おかしな気配が漂っている。
背筋が妙に、ぞくぞくとうすら寒い。
ときどき天井裏を、何かがととととっ、と走り回っているようだ。壁には、赤やら青、紫やら緑やら黄色やらの怪しげな液体の封じられた小瓶が、たくさん並んでいる。
開いたままの窓から、びゅうう、と風が吹き込んできて、アニエスの背筋をますます冷やした。思わず、ぶるっと震えてしまう。

「ちょっとさっきまで猛毒をいじってたから、いま換気してるところなのよ、どうか寒くても我慢してちょうだい」
「はあ、も、猛毒っ……?」

アニエスは目を白黒させて、自分に渡されたビーカーと少女とを、かわるがわる眺めるしかなかった。

(……これは、お茶……なのか? ……そうか、お茶、なのだな?)

尋ねるのも無礼だろう―――そして、少女が自分の手にしたビーカーを口元へと運ぶのを見て、すこしだけ安堵する。
出されたビーカーの中の液体は、怪しいことこのうえない―――でも、少女が自分で飲んでいることからも推測するに、どうやらお茶のようだった。
平民の自分が、貴族の手ずから入れた茶を、無駄にするわけにはいかない……
おずおずと、液体を口に含み―――なまぬるいぞ、生ぐさいぞ、なんだ、これは……貴族の飲む上等なお茶とは、こんなに奇妙奇天烈な味なのか―――

と、しみじみと感じ入りつつ―――

「あら大変、これお茶じゃない! 昨日作ったどばどばミミズ溶液だったわ……てへっ、間違えちゃった」
「―――ぶふっ!!」

盛大に、噴出した。

せっかく作ったのにああ勿体無い、とか魔法加工して無いせいでルーンが発動しなかった、とか訳のわからないことを言っている少女をよそに、アニエスは涙目で咳き込む。

「けほっ、けほけほっ、な、ななななんて、ものを!!」
「ごめんなさい、落ち着いてちょうだい……飲み物ではないけれど、べつに命に別状の無い液体だから……不安なら、はいどうぞ、これ解毒剤よ」

きびしい修行や実戦の場で、野原や森に寝ることも多くあり、ひもじい時にはさまざまなものを食べてもきたが―――無論、ミミズなどは論外である。
よく見ると、また何か怪しい小瓶を自分へと差し出す白髪の少女の手は震えており、顔もすこし青い。
どうやら彼女は、なにやら『ぞわぞわ』とした感覚に、耐えているらしい。

(来た……私にも、ぞわぞわと……気のせいか? いや、気のせいではないだろう……な? ミミズの溶液を飲んだのだ、来てもおかしくないだろう……)

アニエスは、少女の手から解毒ポーション(Antidote Potion)を受け取り、飲み干した―――直後、さらに背筋を、冷や汗がだらだらと滝のように伝う。
ひょっとすると、これにもミミズ溶液のような、怪しい材料が使われているのではないか―――と、飲んだ直後に気づいてしまったのだ。
しかし、まったくなんということか。訪ねてきていきなりミミズ汁を飲まされる羽目になるとは……次こそは猛毒とやらか、と、今後の自分の運命を思い、なかば絶望するアニエスであった。

「姉ちゃん大変だな……あの赤い髪の娘っ子と同じ匂いを感じらあ、ここじゃ、俺っちやあんたみてえな常識人が、割を食うんだ……あんたとは、仲良くやれる気がするぜ」

どこかから、くたびれ果てた亡霊のような、男性の声が聞こえてきた。

「ちょっとデルりん、あなた、私が常識人じゃないっていうの?」
「あーあー、そういや娘っ子はとっても『常死奇人』だよな、たんなるちんけな常識なんか目じゃねえ、伝説の剣の俺っちにすら到底理解のおよばねえ、大宇宙の理(ことわり)ってやつまで、たっぷりとわきまえてやがるんだなこれが」
「あら! うふふふ、デルりんってば……あはっ、照れるわ! そんなに褒めないでちょうだい」

部屋の壁には古い剣が立てかけられており、妙に上手に主をおだてるそれは、珍しくもインテリジェンス・ソードのようだった。
まったくだ、とアニエスはぴりぴりと痺れる舌をちょこんと出して冷ましながら、剣と仲良くやるのはたしかに自分の仕事に間違いないな、とぼんやり思うのであった。

(王女は言った、働き次第で、私をシュヴァリエに奉じると……平民出身の私を、貴族にして下さると……それを信じて、今はがんばれ耐えるんだ自分!!)

真っ黒な液体、解毒薬は、どばどばミミズ茶よりも、ずっとずっと危険な味がしたようだ。
折れぬくじけぬ強い心をもった女性アニエスの目にうっすらと浮かんだ涙は、きっと、そのせいだ、ぜったいにそうにちがいない。


―――

さて先日、ルイズはアンリエッタの願いで、王女の運命を占ったのだという。
王宮関係や国家関係の問題をはらむ王女の運命には、あまりにたくさんの人間たちの運命が複雑怪奇に絡まっており、ルイズにはほとんど把握しきれなかった。
たったの一言で、なにもかもを崩してしまうかもしれない……
ルイズは、自分の漠然とした占いの結果に、そこまでの自信を、もつことができなかった。

なので、「平民をひとり腹心とするが吉、王女が選びぬいたその人物は間違いなく信頼できる」といういちばん無難な良い結果だけを、告げることとなった。

「はあ、占いで……」
「あなた信じてないでしょう、まあ、いいわ、半信半疑でも……だけど、きっかけはともかく、あなたが姫さまにとって必要なのは確かなことよ」
「はい、そこは、しっかりと心得ております……王女殿下の信頼を得たこと、私アニエス、心より名誉なことだと感激しておりますがゆえ」

たしかに、あのアルビオン王国を滅ぼした魔道師<サモナー>の今後の動きに対応するためにも、心から信頼でき、自由に動ける部下が、王女には必要だったのである。
ラグドリアン湖での一件のように、またあの魔道士が何かをたくらんで、トリステイン国内に現れることも、あるかもしれない。
そんなときに迅速な対応を可能とするため、情報を集めるものが必要だ。
それぞれ貴族としての重いしがらみや仕事をもつメイジではなく、平民の腕の立つ者のなかから、王女は有能な人物を選ぶこととなった。
かくして見出された凄腕の剣士アニエスは、王女より<サモナー>を調査し足跡をたどる役目を任じられ、まず最初にわたしのおともだちに会っておきなさい、と、ルイズへと紹介されたのだった。

「ミス・ヴァリエール、まずは貴殿の持っておられる、魔道師<サモナー>という男に関する知識を、どうかご教授願いたい」

そんなわけでアニエスは、メイジのひとりやふたり殺すなど、経験豊富な自分にとっては、いくらでもやりようはある―――と、心底王女に感謝しつつ、嬉々として任務を拝命した。
たとえスクウェアメイジを相手にしたって、鍛錬をおこたらず、しっかりと作戦を練って、負けない状況を作ればよいのだ、そうやって自分は今まで生き延びてきたのだ、と。
ルイズは、そんな自信と士気、高い志と王女への忠義に満ち溢れる剣士アニエスを見て、うふふふふ、と怪しく笑う。

「わかったわ、話しましょう……ところで、お茶はいらないの?」

『お茶』という言葉のせいで思い出したせいか、アニエスの舌によみがえる、強烈な味としびれ。

「げふんげふん、い、いえ、もうお茶は結構……その代わりに……みっ……み、水を一杯、いただけましたら」

アニエスがそう言ったとたん、なぜか、少女の顔がこわばる。

「えっ、あ、あなた、そんなに気に入ったのかしら―――どばどばミミズ溶液……もう、さっきのでおしまいなんだけど」
「ちち違う、ああどうか、そんな変人を見るような目で私を見ないでくれないか、欲しいのは水、アクア、ウォーター、井戸から湧き出て雨の日に空から降ってくるアレなんだ!」

今度こそ正真正銘の水の入ったビーカーを受け取り、口に含み、アニエスは痺れた舌を休め、はふう、とひとつ、大きな息をつくのであった。



さて―――

ルイズは、実際に自分で体験したこと、書物や夢、骨の精霊によって与えられた知識すべてを検索し呼び起こしながら、アニエスへと語り始める―――
浅黒い肌の男。
身長170サントちょい、青い服に金色の刺繍、へんてこな帽子、先端に竜魚の飾りのついた巨大な金色の杖。
その杖にルイズが触れて調べたところ、強力な『スキルブースト』のついた、サンクチュアリ世界産のものだった。装備可能レベルは、70を軽く超えていた。

「容姿特徴の次は、あの男の扱う魔術について、教えておきましょう」
「魔術? ……ひょっとして、系統魔法では、ないのですか」

あの男は、確かな知識と経験に基づいた、強力な魔術を操る。もしあのときデルフリンガーが居なかったら、と思うと、今でもルイズは冷や汗が出る。

「系統魔法じゃない、あいつは、ただのメイジじゃなくって……魔道探求者<ソーサラー>なのよ」
「はあ……ソーサラー? ……はい、解りました」

ルイズいわく、舐めたり油断したら痛い目にあうどころか、死ぬのだそうな。
聞きなれぬ単語に戸惑うアニエスをよそに、ルイズは神妙な表情で、語り始める。
キュルケの証言から得た情報も総合すれば、『精霊魔術』も含め、あの男の使いこなす魔術は絶大な威力、かつ多種多様だと言えよう―――


『ファイアー・ボール(Fire Ball)』、ハルケギニアのものと違い誘導性を持たないが、炸裂したときの威力はスクウェアメイジのそれを超えるだろう。

―――ふむふむ、とアニエスは、手にしたメモへと、ペンを走らせる。

『ライトニング(Lightning)』、強烈な一条の電撃は、ハルケギニアの『ライトニング・クラウド』と比べはるかに射程も長く、人をたちまち撃ち痺れさせ、焼き焦がすだろう。

―――ふむ、強敵だな、かなり苦戦しそうだ、だがそれを攻略してこその自分の任務なのだ、とアニエスはますます真剣な表情になる。

『テレキネシス(Telekinesis)』、離れた場所にあるものを、手を使わずに拾ったり操作することができる。喉をつかまれたり、頭を殴られたり、ものをぶつけられたりする。

―――そうか、視覚外から襲う必要があるのか、とアニエスは攻略法を考えはじめるが思いつかず、ルイズの話が続くようなので、いったん保留する。

『テレポート(Teleport)』、壁だって越えられる、短距離の瞬間転移魔法だ。その怖さ嫌らしさを、ルイズは痛いほどに知っている。

―――なんだと、とアニエスは驚愕する。無防備な背後をとられない方法を、なんとかして考えなければ……と、背筋に汗がにじむ。

『グラシアル・スパイク(Glacial Spike)』、対集団戦闘に特化した魔法だ、それなりの広範囲を、瞬時に零下へと誘い、凍りつかせる氷弾を放つ。

―――なんだと、傭兵などをやとい、多人数でいっせいに襲い掛かる方法もとれないのか、とアニエスの背筋にわきでる汗の粒は、倍プッシュだ。

『マナ・シールド(Mana Shield)』、受けたダメージを精神力を身代わりにして、完全に防ぐ。もちろん展開中には、別の魔法を使用可能だ。
それはダメージを減衰する『エナジー・シールド』とは異なり、教師コルベールの作った爆薬の直撃から腕に抱えた壷すら無傷で防げるほどの、高性能な防壁だ。
最初の詠唱時は少し精神力を使うが、いったん詠唱したあとは消さないかぎり、ずっと身体の周囲に常時展開されており、維持のための精神力を消費しない。

―――いったい何を言っているんだ、そんないんちきな魔法存在していいはずがない、すわエルフの技か、とアニエスの背筋を伝う汗は、まるで滝のようになってゆく。

『インフェルノ(Inferno)』、地獄の業火の呼び名の通り、強烈な火炎を前方へと放つ。威力熱量だけなら、ファイアー・ボールよりも高い。
『ストーン・カース(Stone Curse)』、ひとつの対象に効く石化の呪い、かけられた敵は、一定時間身動きを取れなくなり、相手のなすがままだ。
『タウン・ポータル(Town Portal)』、遠距離転移魔術。基本的に<拠点に戻る>魔術なので、あらかじめ拠点と定めてある場所に対してしか使えないのが、唯一の救いだ。

―――もうだめだ、よしてくれ、私の人生(ライフ)はゼロなんだ……と、アニエスはもはや冷や汗をだらだらと流し、顔面蒼白だ。
それでも有能な彼女らしく、手にしたペンだけが、メモの上に動揺のせいでミミズののたくったような、それでも頑張れば読みかえすことの可能な文字を、どうにか書き連ねている。

『ヒーリング(Healing)』、自分ひとりの傷を瞬時に癒す魔法だ。
『フラッシュ(Flash)』、射程は相当に短いが、強烈な閃光と、極限まで圧縮された電撃を身体の周囲に放つ。敵と接触時の威力は、想像もつかない。


さらにルイズが確認し得なかったことだが、あの男は、アルビオンの戦場で貴族派の軍にたいし、もっと数々の恐ろしい魔法を、たくさんたくさん放っていたのだという。
ときに、生身で戦艦を落としたのだという。もちろん、杖が無くとも魔法は使えるという。とどめに、おそろしい魔物も、たくさん召喚できるのだという。
内に秘めた精神力は莫大で、詠唱もきわめて短く、スクウェア級のファイアーボールを休みなしで何十発も放てるのだという。


(ああ……王女殿下は……ひょっとしてわたしに、死ねと? 十七回ほど死ねと? ……ちょっとまて、スクウェアどころでは、無いぞ?)


たったいま、聞いた限りの信じがたい話が、全部本当なのだとすれば―――

何度も何度も自分の頭の中でシミュレーションをしてみても、アニエスは、たとえ可能な限り可愛らしい笑顔で逆立ちをしてみたとしても、自分の勝てる状況を想像できない。
剣を振っても銃を撃っても高性能防壁とやらに阻まれ、追い詰めてもこちらが逃げても転移魔法とやらで台無しにされ、水を含んだ耐火布を被っても防ぎきれない炎や電撃を放つ……
多人数でかかっても氷漬けにされて、なんど傷を負わせても即時回復し、懐に飛び込んだらフラッシュとやらの電撃で即死、石化の呪いで動きをとめられる……


(これは……まさか王女殿下は、『せめて良い棺おけを十七個ほど貰いなさい』と、この少女を紹介したのか? ……シュヴァリエというのは、二階級特進……だというのか?)


アニエスは、ルイズの語る情報に真っ青な顔をひきつらせ、冷や汗をだらだらと流すほかない―――そんないんちきなメイジと、王女は自分に、ひとりで戦えと言うのか!!
命を賭して国に仕え、わずかながらにも役に立つことは、確かに名誉なことではあるが―――これはいくらなんでも、自分ひとりでは無謀すぎる!!
この目の前の白髪の少女は、そんな男を一度は倒し、捕らえたというのか―――ああ、いったいどんないんちきを使ったというのか―――!!

「あ、あなたに、尋ねたい……いったい、どうやって……そのメイジに、勝利したのですか?」
「いんちきに対して、ただ初見殺しの別種のいんちきをぶつけただけよ……だからもう、対策をとられてるかもしれない」

アニエスは、絶句するほかない。
自分は子供の頃から、あまり幸福とはいえない人生を送ってきたのだが―――
そうか、この任務を受けた時点で、もうすでに、終わっていたのか―――
いや、『死というものは、たとえ女子供にだって平等に訪れる』……
幼少期より痛いほどに理解しているそれが、とうとう私にも来たということか―――

「あら、怯えてるのかしら、剣士さん? ……うふふふ、大丈夫よ、あなたの仕事は、おもに調査なんだから……もしも戦闘になったら、すぐに逃げていいのよ」
「……怯えてなどはおりませぬ、でもしかし、敵を前にして逃げるなど、王女殿下が剣士たるこの私に、望んでいるのでしょうか」
「ええ、あなたは王女殿下の大切な腹心……『絶対に生き延びて確実に情報を持ち帰ること』―――剣士さん、それこそが、あなたに託された任務なのよ」

ルイズのそんな言葉をきいて、アニエスはしばしなにやら考えていたが、やがて「うむっ」、と真顔になった。
なるほど、王女からも、『打ち倒せ』などとはひとことも言われていない。即座に国が対応するために、足どりを追え、調査して情報を持ち帰れ、というのが任務なのだ。
そのような任務(Hardcore Mode)、たしかに、貴族以上に生き延びる術に長けた、平民の私のようなものにしかできぬことだ、しかるに適役なのだろう、とアニエスはしみじみと納得した。
この後、ルイズからアニエスへと与えられる『タウン・ポータルのスクロール』や、『ヒーリング・ポーション』、その他たくさんのマジックアイテムたちが、きっとこの勇敢な剣士の任務を大きく助け、何度も窮地より救うことになるのだろう。


さて―――

「……その男は、いったい何者なのでしょうか、ご教授ねがいたい」
「あいつは、異世界の、古代ヴィジュズレイ(Vizjerei)魔道氏族の一派の人間よ……かの歴史はとても古く、ホラドリムの誕生よりも、千年以上も前から続いているの」
「はあ……異世界……そんな御伽噺のようなものが、本当に在るのですか……」

でも、大いなるラズマの永い歴史に比べたら、どっちも可愛い赤ちゃんみたいなものですけど……うふふふ、とルイズは怪しく笑いながら、続ける。

「むかしむかし、古代ヴィジュズレイは、『悪魔を支配下に置く』ための研究を、長い歴史のなかで練り続けていたわ……もちろん成功も、大きな失敗もあった」

予備知識の足りないアニエスは、はてなマークをいくつも浮かべながら、半分以上理解できない、という顔をして聞いていた。
だが、彼女にとって<サモナー>は、これから出会うかもしれない強大な敵だ、ルイズのたまに脱線しズレる話を、どうにか頑張って少しでも理解しようとしているようだ。
むかし必死に頑張って学び覚えた読み書きで、せっせとルイズの話のメモをとり、ときどき重要と思われる単語にびびっと二重線をひっぱったり、丸で囲んだりしている。

「かつて<サモナー>という言葉は称号であり敬称だったわ……今も昔もヴィジュズレイの者は、ふつう魔術師<ソーサラー(Sorcerer)>と呼ばれる……だから、強大なる魔を召喚して思うがままにあやつる術をきわめて、<サモナー>とまで呼ばれるようになったのは……はるか昔の<ホラゾン>という人物ひとりくらいしか、いないみたいなのよ」

あの男は、おそらく異世界<サンクチュアリ>からやってきたのであろう、ハルケギニアのものとはまったく異なる大系(たいけい)の魔術を扱う魔道師だ。
<サンクチュアリ>の魔物をこちらの世界へと召喚する技を持ち、<召喚士(The Summoner)>と呼ばれ、その力でアルビオンに死と恐怖と混沌を振りまいた。
何か<宇宙で一番美しいもの>を召喚するために、あらゆるものを犠牲にして『ハルケギニアに混沌を広げる』というのが、彼の行動原理のようだ。

「そしてあるとき、とうとうヴィジュズレイ一派は、<ホラゾン>とその弟<バータック>の兄弟が悪魔をたくさん利用したことで、地獄の軍勢どもの怒りを買ったの」

そして、ホラゾンとその弟、魔の力に魅せられた<バータック>の処遇をめぐって起こった、血で血をあらう大抗争のせいで、いちどヴィジュズレイは滅びかけた。
かくしてヴィジュズレイ魔道氏族(Vizjerei Mage Clan)はその教訓を活かし、悪魔使役を禁忌とし、精霊魔法(Elemental Magic)の研究を行う組織としての再出発を果たした。
同じ過ち、同じ悲劇を繰り返さぬように、禁忌の術に手を出そうとする魔術師を見つけしだい誅殺するために、暗殺者(アサシン:Assasins)の部隊まで組織したのだ。
だが、ルイズが戦ったあの<サモナー>と呼ばれている褐色肌の男のように、それでもなお禁忌の術を求め手を出し、一定の成果を得る人間は、いたようだった。

「……では、私たちの敵、その男の本名が<ホラゾン>というのですか?」
「違うわ、ホラゾンは誉れも高き歴史上の人物……でもあの男は違う、まがい物よ……ほら、確かここに、ホラゾンの肖像画があるはず……あったわ、見て」

ルイズは一冊の本を取り出し、ぱらぱらとページをまくり、アニエスへと見せる。
学院の図書館の最奥、禁書ばかりが集められた『フェニアのライブラリー』へと教師コルベールの協力を得て忍び込んで、見つけ出し奪って―――いや、借りてきた本だ。
始祖の使い魔のルーンをつけたルイズ以外の、誰もが読めない文字で書いてある、異世界の古い歴史書だ。
そのページに描かれた肖像画は、確かに、アニエスが王女より与えられた、王女およびニューカッスルの者の記憶による人相書きとも、まったく異なっていた。

「あの男はたぶん、ホラゾンの遺した悪魔使役の技をどこかで見つけ出し、研究していたんだと思う……きっと本物の<サモナー>に、なりたかったのよ」

ルイズは、王子の心を壊されたときのことを思い出し、悔しそうに、アニエスへと語る。

「あいつが、なにか禍々しい気配を帯びた、宝石のカケラみたいなものを使ったのを見た……たぶんアレが、高等な魔を召喚するためのカギ」

キュルケを殺しかけ、王党派を裏切り、ウェールズの誇りを笑いながら踏みにじった、人を人とも思わない男(Player Killer)。
魔道の探求者は、往々にして、自分の目的以外のあらゆるものの犠牲をいとわないものである。
そして、悪魔召喚とも似た、サンクチュアリにおいても一般的に『暗黒の技』と呼ばれ、忌み嫌われる秘術を行使するひとりの少女が、ここにいる。

「―――あいつ、私のことを自分と同類の『魔道の探求者』だと思ってるわ……なんて失礼なのかしら、私は、私はっ―――大いなる宇宙の理に仕える聖職者なのよ!!」

とうとう、ルイズは握り締めた拳でずどーんとテーブルを叩き、大きな声で叫んだ。

「信じられない、馬鹿みたい! なんてこと! おぞましい、吐き気がするわ! ああ―――ああ、なんで私が、あんなのと!」

ルイズは、ひどく悔しげにそう言って、唇をかんだ。その焦点の合わない目には、じんわりと薄く、涙が浮かんでいた。
学院でヘンな噂が広がることには耐えられても、<サモナー>自身に同類扱いされたことには、どうにも耐えられなかったらしい。
ラズマ僧(Rathma's Priest)というものは、かの魔道師のような、生と死とをただのゲームのようにしか見ない『生命の本分を忘れたもの』へと、激しい憤りをおぼえるものだ。
敵や邪魔するものをときに容赦なく殺しつくすネクロマンサーにとっても、守るべき、宇宙の理というものがある。
ただの見さかいの無い混沌の拡大を行うものは、そんなラズマの聖職者たちにとって、唾棄すべき邪悪にほかならない。
それがわからないアニエスは、ただ呆気に取られて、「どう見ても同類なのでは?」と思いながら、白髪の少女を眺めているしかない。

「私も、姫さま……いえ、アンリエッタ王女殿下も、思ってるわ―――『あいつだけは、どんなに泣いて謝っても、絶対に許してあげない』、って」

だが―――なるほど<サモナー>とは、いずれ必ず叩かねばならない敵なのだ、という気概は、アニエスにも伝わってきたようだ。

「……ミス・ヴァリエール、あなたは、異教徒なのだと王女殿下より聞きました」
「そうよ、ブリミル教徒の籍もあるけれど……私は大いなるラズマの聖職者、まだまだ見習いだけど……こんなままならない世の中でも、いつか堂々と、そう名乗りたいわ―――剣士さん、あなたは?」
「私は新教徒……ときに異端の烙印を押され、虐げられたこともある、民の出なのだ」

アニエスは、そう言ってどこか遠くをみるような目をした。
ルイズは、ひとつため息をついたあと、にやにやと笑った。この剣士の女性にたくさん取り憑いている、『何者か』を見たらしい。

「あら大変そうね……うふふ、いっそのこと、あなたもラズマに入信しないかしら、幸せになれるわ! いまならこの猛毒ワナつきの立派な壷(Jar)がついてきてとってもお得!」
「謹んでご遠慮させていただきます」

凄腕の剣士、アニエスの冒険は、まずこの気味の悪い白髪の少女をどうにかするところから始めないといけないらしい。

「タバサ、あなたはどうかしら?」
「要らない」
「あらそう、残念だわ……」

ルイズが誰かへと問いかけ、自分とインテリジェンスソード以外の誰かの返事がきたので、アニエスは「ひっ」と息を呑み、表情を硬くした。
まるで置物であるかのように、ずっと無言で読書をしていた眼鏡の少女が、最初からこの部屋の中に居たことに―――
このときになって、ようやく、気づいたのであった。

(くっ……この少女、かなり出来る! いったい何者か……この私に気配を悟らせないとは、すわ只者ではない―――)

とも思うが、あまりに怪しい気配ばかりに満ち溢れている部屋だ、仕方が無いか、まだまだ私も及ばぬな―――と、肩をすくめる、アニエスであった。




//// 18-2:【PVP:骨球ネクロは見かけたらまずPKだと疑えって婆っちゃが言ってた】

話がひと段落したころには、もう夕刻だった。
ルイズとアニエス、そしてタバサは、『幽霊屋敷』の裏庭に出てきている。近くの林でカラスがかあ、と鳴いた。

「腕試し、ですか」
「ええ、それと、<サモナー>や魔物と出会ったとき、あなたが生き延びるためのコツを、実際に体験して覚えておいて欲しいのよ……一回私とあなたで、やっておきましょう」
「承知した、それでは私アニエス、王女殿下のために、生きるために、学ばせていただく」

すこし距離をとって、向かい合う二人。真剣での勝負だ、タバサが万が一のための救護班として、『回復ポーション』を用意して見守っている。
ルイズは、夕暮れの裏庭で、『イロのたいまつ』へと精神力を流しこみ、緑色に発光させた。『骨の鎧(Bone Armor)』を展開し、身体の周囲を旋回させる。
たいするアニエスは、戸惑いつつもすらりと剣を抜いて、真剣な表情で、開戦前の礼をとる。

「最初はこれね……ゴーレムちゃん、出てきてちょうだい」

ルイズが杖を振ると、土が盛り上がり、『クレイ・ゴーレム』が召喚された。
アニエスは、なんだ、<サモナー>をいちど倒したと聞いたが、この不気味な少女は土のドットメイジなのだろうか……と、思う。
まずは、『ドットやライン相手なら正面からでも勝てる』という自分の言葉を証明するために、このどうみても普通のゴーレムの相手を、しなければならないようだった。

「―――やあっ!」

戦術もなにもなく、ただ一直線に襲い掛かってきた土のゴーレムを、身をかがめ、単純に剣で凪ぐ。腕の土は厚く重く、アニエスの技量と『固定化』のかかった剣でも、一撃で切りとばすことはできなかった。
ただちに再生はしないようだ、それなら足を重点的に狙えば、しばらくゴーレムの攻撃をかわし、何度も攻撃しているうちに、倒すことは出来るだろう。

(ふむ、妙に……硬いゴーレムだな、まあ、使えるのは一体だけらしい……ドットメイジで正しいのか、さて、このあと、どんないんちきを使うのか)

やはり、何度か同じパターンでちまちまと繰り返し攻撃しているうちに、アニエスは少女のゴーレムを倒壊させることが出来た。
この少女のゴーレムの扱いは、学生にしては悪くないほうなのだろうが、実戦の場で何度も相手にしてきた土のメイジのそれと比べれば、やはり見劣りするものだ。
すこし呼吸をととのえてから、剣をかまえ、少女へと告げる。

「貴殿がこの程度とも思えぬ、次、頼もう!」
「……じゃあ、ここからが本番、いきましょう……あなた、怪我するわよ」

白髪の少女がにやにやと薄気味悪く笑い、一本のナイフを取り出した。柄のところに、水色の宝石のカケラ(Chipped Sapphire)がひとつ、とりつけられている。
それを投げるのか、それとも猛毒とやらを塗って、「へあーっ」などと奇声を上げつつ腰だめにかまえ突撃してくるのか……アニエスは、緊張する。

少女、ルイズ・フランソワーズは―――ただそれを、目の前の地面へと、ぐさり、とつきさして、数歩ぶん後ろへさがった。

「つぎは……うふふふ、剣士のあなたにとって、ひどくイヤラシイの、いくわよっ―――うふふふ、おいで、『鉄のゴーレム(Iron Golem)』ちゃん!」

ばあっ、と杖が振られ、緑色の光が宙に模様をえがく―――
そうか、また『錬金』か―――とアニエスは、次のゴーレムの出現を警戒し、油断無くかまえる。

カチャ、カカ……カカ……

もういちどゴーレムが来るのだ、と思ったとおりに、またたくまに、白銀に輝くゴーレムが、形成された。
ほう、とアニエスはそれを目にし、思わず感心してしまう。
無骨でずんぐりとした体型のゴーレムだが、パーツの継ぎ目つらなりも細密で無理なく、重なり合った輝く装甲は美しく―――なんとも見事な、騎士甲冑のようだ、と。
造形、戦術的機能美ともに、どこか長い年月による研鑽と洗練を得たもののような、気配を伺わせる……先ほどの土製と似たようなものと舐めてかかっては、いけないようだ。
足元を、なにやら美しい線のような光がゆっくりと回転している―――それが何なのか、アニエスにはわからない。

「ねえあなた、べつに腰にさげてあるその銃をつかって、直接私を狙ってもいいのよ」
「……これは腕試しなのでしょう、銃を使えば、王女殿下の幼馴染のあなたを、殺してしまうかもしれない」
「これでも三発くらいまでなら、耐えられるのよ……この『骨の鎧』が砕けても、もし手とかおなかとか狙ってくれるのなら、ケガはポーションで治せるし」

誇り高きアニエスは、気づかいなどいらぬ、とばかりに、剣をかまえる。

「出来るなら、貴殿のいんちきとやらを、使って欲しいのですが」
「あら、もう使ってるのよ、うふふふ……」

白髪の少女ルイズも、杖をかまえる。

「いくわよーっ!!」
「さあ来い!」

鉄のゴーレムの左腕は、一本の剣で出来ている―――

―――ガキイ!

その剣から繰り出される一撃は、剣術などとはとても呼べぬ、お粗末な打ち込みだった―――使役者である少女は、剣術など習ったこともないのだろう。
アニエスは堅実に、即座の反撃を考えて、自分の剣の根元で、それを軽々と受け流す―――
が、様子が、おかしい―――

(なんだ……寒気!!)

剣士アニエスの背筋に、怖気がはしる。手の感覚がおかしい。じんじんと、しだいに鈍ってゆく。
見ると、手にした剣、それを握る自分の手に霜が降り、薄い氷に包まれているではないか―――

「まだまだいくわよっ!」
「……っく!!」

速度と体重にまかせた鉄のゴーレムの攻撃は、しのげないでもないが、しのぐたびに自分の手が、だんだんと凍り付いてゆく。
ハルケギニアの系統魔法で、<凍結>は通常、水と風を足した、ライン以上のスペルである。
少女の父親ヴァリエール公爵や、姉のエレオノールは、すぐれた土のメイジであると聞く。なるほど、そうか―――

「……これは、『土』に、『水』と『風』を足したゴーレム……貴殿は、土のトライアングル・メイジだったのか」
「違うわ、私はゼロ―――『ゼロのルイズ』よ、うふふふふ」

この凍結ダメージは、ゴーレム作成基体となったナイフの、ソケットにはめ込まれていた、『サファイアの破片(Chipped Sapphire)』の効果だ。
武器防具にふたつ以上のソケットをとりつけるのは、ルイズにとってもかなりの高等技術なのだという。
いまのところ、希少な『ルーン石』を使わず<ミョズニトニルン>に頼った自力の方法では、ひとつの穴をあけるのが限度なのだが、それでも使い道はある。
そして、たった『1-3 cold damage』でも、手先の感覚を頼りにする剣士相手には、そこそこの効果が見込まれるようである。

「ゼロなどと……ご冗談を!」

アニエスは動き回って攻めに転じ、先ほどの土くれ相手のときと同じく、ゴーレムの脚部を狙い、切り払う。
いちばんよいのは使役者を直接攻撃することなのだが、それができないときの対ゴーレムや対ガーゴイル戦の常套手段は、間接部分を攻撃することである。たくさんの種類のゴーレムと、アニエスは今までの人生で、なんども戦ってきた。
土をかためて動かすもの、金属をむりやり伸縮させるもの、装甲に間接をもうけて動かすもの―――
この不気味な少女の使役するゴーレムは、今まで見たそれらどれよりも、間接部分の継ぎ目もなめらかに美しく、相当に頑丈のようだが……
氷の斬撃を放つゴーレムなど、見るのも戦うのも初めてだ、だが所詮これも素人剣技、勝てないこともなさそうだ―――

「うぐっ!!」

アニエスが額に脂汗をにじませ、苦悶の声をもらす。
こちらからゴーレムの間接の継ぎ目を正確に狙い、攻撃するたびに、なぜだか自分の身体へと、鋭い痛みが襲い来るのであった。
鉄のゴーレムは、敵から与えられる物理的なダメージを、反射する―――
ゴーレムからの攻撃はいちども受けていないのに、アニエスの全身は、たちまちのうちに、打撲擦り傷、切り傷だらけになっていた。

「へえ、それでもまだまだ使役者の私じゃなくて、そっちを攻撃しようとするんだ……あなたって、痛くされるのが好きな趣味の方なのね」
「そ、そんなわけないだろう!」

にやにやしたルイズの一言に、アニエスは真っ赤になって返した。私は優しくされるほうが……などと沸いてきた雑念を、一秒半で振り払う。
どうやらアニエスは、凍結攻撃だけではない、このゴーレムのもともと持っている『いやらしさ』に、気づいたようだった。
アイアン・ゴーレムの特性、『スキルレベル比例の反射ダメージ』、プラス、『ソーンズ(Thorns)』オーラの効果である。

「剣士さん、覚えておいて、サンクチュアリの打撃系(Melee Attacker)冒険者に多い死因は……敵の自爆に巻き込まれること、物理ダメージ反射に気づかないこと、って話よ」
「はあ、私が冒険者? ……そ、そうか、……ともかく理解した、ご教授、感謝する―――だが」

ガキッ―――!!

せめて一矢報いてやらんと、アニエスは痛みに耐えつつ、鋼のゴーレムの足を、とうとう打ち砕いた。ゴーレムはもう立てずに、地面へと転がった。
続いて剣士アニエスは、にやにやと笑う白髪の少女ルイズの首元へと、びしっ、と剣を突きつけた。

「このくらいなら、どうということはない」

全身傷だらけで、痛みをこらえながら、アニエスは力なく微笑む。
なるほど、この少女はトリステイン有数の大貴族の娘だけあって強い、良い勉強になった、と実感する。
そして、ルイズの手から、ひょい、と緑色の宝石のついた杖を、取り上げた。これは私の勝ちで、よいのだな、と安堵する。

「でも、まだ」

この戦いを見学していた、青い髪の眼鏡の少女が、ぽつりと、それだけ言った。何を言っているのだろう、とアニエスは怪訝に思う。
貴族の決闘でも、杖を手から離すのは、敗北のしるしである。首筋に剣を突きつけられ、杖を取り上げられたルイズは、薄気味悪い笑みを浮かべている。

「剣士さん、今回はそこそこ硬い鉄のゴーレム相手で良かったわね、どうかさっきの感覚を覚えておいて……反射に気づかず一撃で敵の首をはねたら、あなたは即死するわ」
「むう、なんと、いんちきな……だが感覚は多少だが、掴むことができた、しかと……心得て、おきましょう」

アニエスは、頷く。体中が痛み、肩がもうさがってしまいそうだ。

「ミス・ヴァリエール、良い経験になりました―――」
「……そう、よかったわ! うふふふ、なら特別に、もっともっと良い経験をさせてあげる……まだ、終わってないのよ」

アニエスが覗き込んだ、ルイズの瞳孔は、完全に、開いていた―――ぞぞぞっ、と背筋に、怖気が走り―――

「うっ!?」

ルイズの身体の周囲を旋回していた、白い『骨の鎧(Bone Armor)』の一部がカシャリと砕け散り、首もとへと突きつけられていた、アニエスの剣をはじいたのだ。
剣を逸らされて体勢を崩し、とたん、アニエスは恐ろしいほどの殺気を感じる。

「―――これは決闘じゃないの……愛されてるわね、どうかあなたを死なせないでって、あなたの背後のひとたちが、訴えてる」

ばあっ、と、閃光―――!!

「でも私……うふふ、あなたのこと―――今ここで、殺しちゃうかも!」

白いなにかの光の弾が、少女の細い身体の内側から飛び出してきて、アニエスを襲った。

(なにっ!?)

殺気に身体が反応したアニエスは、自分の顔面のすぐそばを通り過ぎた白い髑髏の、虚無の炎をたたえる、うつろな眼窩と目が合った。
何だ今のは、しかし回避には成功した―――反撃しなければ、と、剣の柄で少女を叩こうとするが、再び、少女の周囲に浮かぶ骨のカケラに、邪魔された。
そうか、杖が無くとも魔法が使えるとは、こういうことも起きうるのか、とアニエスは実感した。

「そうよ、……うふふっ、今みたいな状況でも、油断できないのよね」

アニエスは、こんどは蹴りで打撃を与えようとするが、不気味に笑う少女の周囲に残っていた最後の『骨の鎧』が、反応し、砕け散って衝撃を吸収し、防ぐ。
そして、高い誘導性を持ち、対人戦に優れた性能をもつ『骨の精霊(ボーン・スピリット)』が、なすすべもない剣士の背後へと、戻ってきた。慌てて振り向くが、もう遅い。

「でもね、実はね、……ついつい、敵のことをねっ、……ゴミクズとか、ミルクを拭いたあと放置したゾウキンとか、薄っぺらい<サンク>のカードを立てて作ったお城のように見ちゃう私こそねっ!! 人のこと、言えないのよ……ほんと困ったわ、あははははっ!」

バシイ―――!!

「……うん、だから、お互い慎重にいきましょう!」
「そうか……しかと自分の体で、理解した、感謝を、ああ、ミス……」

剣士アニエスは、そう言って苦笑し、剣を取り落とし、力なくかくりと両膝をつき、倒れた。
ああ、ミス・ヴァリエール、あなたが一番、五つか六つくらいの意味で、油断がならん―――と、言いかけたのであった。

「おつかれさま」

青い髪の少女、雪風のタバサがそう言って、回復ポーションを、倒れてうめくアニエスの口の中へと、突っ込んだ。
剣士の女性は上体を起こし、怪我が治ったことに目を丸くしながら、恥ずかしそうにぽりぽりと頬を掻いたあと、「ずいぶんとよく効く薬だな」と、しばし感心していた。
ルイズは剣士からたっぷりと吸い取った生命力のおかげでつやつやとしている頬をほころばせ、うふふふ、と笑いながら、「気に入ったわ」と、あれだけ『反射』をうけた上にボーン・スピリットの一撃まで受けても、気を失わなかったアニエスの生命力の強さを、賞賛するのであった。

「頑丈でしなやかな剣士の骨格……きっと、とっても綺麗なスケルトンが作れると思うの……まあ、素敵だわ……うふふふ」

いや、違うものを賞賛していたようだが、アニエスは嫌でも耳に入ってくるその言葉を、聞かなかったことにした。




//// 18-3:【PKPKPKPKPKPK!!!!!より愛をこめて】

その後、戦闘の反省会を終えたあとも、しばらくルイズと話し込んでいたアニエスは、今夜はここに泊まっていけと言われた。
好きな棺おけを使っていいわ、という申し出をアニエスは丁重に断り、結局、何度か茶や夕食を運んでくるシエスタという平民のメイドの寮に泊まることとなった。

この死体置き場らしき幽霊の出そうな部屋に、こんな薄気味の悪い少女とともに泊まるなど―――ああ、いったいどうなってしまうのか!!

(……私は猛毒を飲まされ、骨だけにされ、今後は棺おけで寝泊りするようになるのか?)

昼にも顔を出したキュルケというゲルマニア出身のメイジが、たくさんの『宝の地図』とやらを持って、ルイズとアニエスのもとへやってきた。

「ルイズ、あなた薬の材料を買うお金に困っているんでしょう、どうかしら、一緒に宝探しで一攫千金してみない?」
「うさんくさいわね、その地図だって、偽ものじゃないの?」
「でも、この中のうちひとつくらいは、本物があるかもしれないじゃない……ほら、イイ女になりたいなら、夢やロマンを追うことも大切なのよ」

ルイズ・フランソワーズは、渋っていた。「授業があるわ」、「サボればいいじゃないの、どうせいつもあなた、内職してるか寝てるかなんだし」
二人の間で、行きましょう、行かないわ、の問答が続いていた。
だが、キュルケが「タバサも行くって言ってた」という話をしたとたん、白髪のメイジも、行くことにしたようだ。
タバサといえば、あの大きな杖を持った、青い髪の眼鏡の少女のことだろう。日が落ちて暗くなったとたん、彼女は逃げるようにこの部屋から出て行ったのだ。
アニエスにも、その気持ちは解らないこともない。

「あの子、あなたが作ってくれるお薬の資金を、自分で稼ぎたいんですって」
「……わかった、わかったわキュルケ……そんな話を聞いてしまったら、私も行くしかないようね」

初対面のアニエスにも、この友人らしき三人の少女の関係がどのようなものであるか、なんとなくつかめてきたようだ。


さて―――

剣士アニエスは、火のメイジが大嫌いである。キュルケの髪や服やマントから、アニエスは、嫌な嫌な火の匂いを感じていた。
しかし、いずれトリステイン史でもなかなか例を見ない平民出身シュヴァリエになるという夢をどんなに強くみていたとしても、今はただの平民剣士でしかない自分が、身分の違う貴族にたいし、無礼をはたらくわけにはいかない。

「ねえあなた、ルイズと一戦まじえたんですって? それなら、たっぷりといろんな汗かいたんでしょう……どうかしら、貴族用のお風呂に入ってみない?」

インテリジェンス・ソードの『常識人』という評価どおり、赤い髪のメイジは、アニエスから見ても、性格だけなら非常に好感の持てる人物のように感じられた。
なにより、彼女は平民の黒髪のメイドにたっぷりと気を使い、来訪者で平民の自分にまで、よくよく気を使ってくれている。
さらに現在、キュルケは親切なことに、土地勘のないアニエスを、シエスタの住む寮まで案内し送り届ける役割を買って出てくれているのだ。

「いえ、結構……」
「あらそう、残念ね……サウナの場所は、シエスタに聞いたらいいわ、その綺麗なお肌を痛めないためにも、きちんとケアしなさいな」

たしかに、ミミズ茶も<サモナー>の話も、手合わせの最中もその後も、さまざまな原因で、冷や汗あぶら汗を嫌と言うほどにかいた。もう、汗疹(あせも)が出そうだ。
それを察してくれるとは、この赤髪のグラマーな少女も、あの白髪の少女のことで、普段よりたっぷりといらぬ苦労をしているにちがいない。

(この私が……まさか、心底憎むべき火のメイジなどに、同情心を感じるなど……!!)

そんな風にアニエスが、自分自身の感情に愕然としながらも、キュルケとともに『幽霊屋敷』から遠ざかっていたときのことだった。

「……なあ、ほら誰か来たよ、いい加減恥ずかしいから、やめなよ」
「ああ、彼女なら大丈夫さ……ぼくの、同士、なんだ」

暗い夜道、二人分の人影が、遠目に『幽霊屋敷』をのぞむ、植え込みの陰にかくれている。どうやら、学院の男子生徒のようだった。
それを見たキュルケが、慌ててそのうちの一人へと声をかける。

「ちょ、ちょっとそこのあなた、お願いだから私を同士扱いしないでよ!」
「やあミス・ツェルプストー、こんばんは……ど、どうだい、今日もゼロのルイズは、闇の女神のごとくう、うううううウゥツクシ! ……かったかい?」

ふとっちょの少年が、なにやら一言のうちで急激にテンションの上がり下がりする妙な調子で、キュルケへとそう尋ねていた。
アニエスはひとり、なにがなんだか解らず、ただ呆気にとられるほかない。
しばらくの言い合いのあと、キュルケは目に涙を浮かべ―――

ドカーン!!

『ファイアー・ボール』で少年を焼いた。アニエスは目をまんまるに開いた。

ギャーーー!!

(……焼いた……火のメイジが……炎……人が……)

アニエスは、呆然として、炎の魔法が人間を焼く場面を、見ていた。

(あれ? ……おかしい、おかしいぞ……何故だ?)

それは彼女にとっては衝撃的な場面のはずなのだが―――子供の頃に体験した同じような場面、嫌な思い出が脳裏に蘇ることは、なぜかどうしてか、なかった。
どうやらマリコルヌという名らしいその丸焦げ少年が、一分ほど前に「ぼぼぼぼくのホーリーウォーター・スプリンクラー(Holy Water Sprinkler)がアヴェンジャー!」などと言っていたあたりで、アニエスはもはや、完全に現状の理解が出来なくなっていたようだ。

「ありがとうミス、また君のおかげで、ぼくのグッドスピードな熱情(4 Frame Zeal)の暴走が、抑えられたよ……礼を言わせておくれ」

黒々と焦げた少年はそう言って、がくりと気を失った。
焼いたほうのキュルケは、鼻をくすんくすんとすすっていた。もうひとりの少年、眼鏡をかけた気弱そうな少年が、ハンケチを取り出して、彼女へと渡した。

「本当に申し訳ない、ミス・ツェルプストー……僕はこいつに、キモいからやめてよって何度も言ってるんだけど……聞いてくれないんだ」
「こちらこそ、あなたにはヴァリエールのことで苦労かけているようね、レイナール」

レイナールと呼ばれた真面目そうな少年は、キュルケへとぺこぺこと頭をさげていた。キュルケと彼は心底、同情しあっているようだった。
こんがりと焼けて倒れ伏すぽっちゃり男子生徒の前には、なにやら持ち運びを便利にする取っ手のついた、小さな祭壇のようなものがあった。

(礼拝……していたというのか? あのルイズ・フランソワーズを?)

ようやくアニエスは、事態の把握が追いついてきた―――この学院、マトモではない、あの白髪の少女を中心として、なにかおかしなものに浸食されつつあるようだ。

「迷惑かけたね、このマルコゲ……いや、マリコルヌは僕が『レビテーション』で持っていくから……あとのことは気にしないで」
「ありがとうレイナール、そうだ……これ、よく効くお薬よ……今回は加減を間違えたかもしれないから、もし彼の命が危なそうだったら、どうか飲ませてあげてちょうだいね」
「そうするよ、こちらこそ本当にありがとう、ミス・ツェルプストー」

二人の間には、なにやら美しい友情のようなものが生まれていたようだ―――
レイナールという少年は、アニエスを見て、すこし頬を染めたあと、彼女にもぺこりと礼をして「お騒がせしました」とマルコゲ物体を運びながら、去っていった。

「ごめんなさいね、この学院の恥ずかしいところを見せちゃって……」
「いや、なんとも……」

アニエスは、ただそれだけ言って、呆然としているほか無かった。
涙を浮かべながら人間を焼いていたキュルケと、その強烈な炎が、なにかとても深い慈しみに満ちているものに、見えてしまったのだ。

(大嫌いな炎の魔法が……あんなにも優しいものに、見えたなんて……私はいったい、どうしてしまったんだ?)

首をひねりつつ、アニエスは、疲れ果ててよろよろとした足取りのキュルケに肩を貸し、今宵の宿泊場所を教えてもらい、しっかりと覚えたあと―――
これはただの苦労人同士の労わりあいだからな、決して火のメイジを許したわけじゃないからな、と自分に言い聞かせながら、女子寮のキュルケの部屋にまで、そっと親しみすら感じざるを得ないこの火のメイジの少女を、送り届けてやるのであった。



//// 18-4:【私はPKでもヘンタイでもない!】

翌日―――

剣士アニエスは、平民使用人の宿舎にて一夜を明かし、『幽霊屋敷』へと向かう。
彼女は今、腰に愛用の剣を帯びていない―――昨夜、あのルイズ・フランソワーズが、「改造するわ!」と言って奪い取ったのであった。

(きちんと固定化のかかった剣だ、あれでも平民の平均年収よりも高かった、だから壊されたり何か怪しげな改造をされたり、していなければ良いのだが……)

アニエスは、昨夜のことを思い出す。

―――

「明日までには改造しておくわ、それまで代わりに、これを使っていてちょうだい」

白髪の少女より渡されたのは―――なにやら乾いた血痕のたっぷりとついた、巨大な肉切り包丁だった。

(今言ったではないか、明日までには、改造は、終わるだろうと―――ああ、いったい今夜、これをなんに使えというのだろう!!)

むろん、アニエスは即座に断った。

「いいの? ……なにか武器を帯びていなければ落ち着かないんでしょう、無理しなくていいのに」

むろん、アニエスは冷や汗をだらだらと流しながら、さらに固く固く断った。
すると、白髪の少女は、ひどく残念そうに―――

「あなたなら扱えるのよ! この包丁なら、どんな敵でも人間でも美味しく料理して、みんなを笑顔にできるのよ!」

笑顔にできるのよ!! ―――

―――

回想を終え、アニエスはため息をつく。

(あの少女は……あれを振り回して他人を笑顔にできると、本気で思っているのだろうか? それに私は、血染めの巨大な包丁を帯びて心休まるような、危険な人間ではない―――!)

むかし、他人の鍛錬につきあってやったとき、『厳しすぎる、アニエスお前は他人が傷つくことに性的嗜好をもつヘンタイなのか』、と言われたことがある。

(……ちがう、ちがう、私は断じてヘンタイなどではないんだ!!)

もちろん自分にそんな趣味など無いのだが、昨日、血まみれの肉切り包丁で人間料理を作って安息を得る人物のように想定されたのは、あのときよりもはるかに堪えたものだ。

(だいたいあんな物騒なもの、どこから拾ってきたのやら……もはや包丁ではなく、両手斧といったところだな)

一撃の威力よりも、攻撃の正確さ、スピードを重視する自分には、剣と銃とを場面に応じて使いわける(Weapon Swapping)戦い方が向いている。
あの巨大な包丁がいくら強力な武器であり、扱えるのが自分しかいないのだろうと、自分の戦い方に向いた武器ではない。
刀が折れ銃弾が尽きるときもある、なので他の種類の得物……斧や弓の扱いも、出来ないことは無いのだが、あれだけはいろんな意味で嫌だ。

さて、自分の愛用の剣は、どんな改造を受けたのだろうか―――
『杖』が貴族の魂(たましい)の象徴であるのと同様に、あの『剣』は剣士たる自分の魂の象徴である。魂そのものを、改造されているような気分だ。
わずかな期待と、絶大なる嫌な予感が、胸のうちにある。

果たして―――

昨日の物置小屋を訪ねると、白髪の少女が、ひどく申し訳なさそうな顔をしていた。
もう、嫌な予感しか、しなかった。

「本当にごめんなさい、私の責任だわ……あなたの剣を<キューブ>で改造して、ソケットが二つ開いて、切れ味と攻撃速度補正も段違いにアップしたまでは良かったんだけど……かかっていた『固定化』が、消えちゃったの」

アニエスは、目の前が真っ暗になった。

「なんとかして、絶対に、もとのより頑丈な『固定化』をかけるから、しばらく預けておいて欲しいの……代わりに、完成するまでは、これを使っていて……うんしょ、重たいわ……はい、どうぞ」

アニエスは、『ブッチャーズ・ピューピル(Butcher's Pupil)』を、渡された。
それは包丁と言うには、あまりに、大きすぎた。大きく分厚く重く、そして大雑把すぎた―――それはまさに人肉料理の鉄人の魂(たましい)だった。
何度洗っても取れないのであろう、たぶん人間のものであろう、乾いた血液の染みが、たっぷりとついていた。
そして妙に自分の手になじむような、あまりに嫌すぎる感触のする、血染めの肉切り包丁を手に―――剣士アニエスはいつまでも、石になったように、立ち尽くすほかなかった。

(包丁を手に戦う……これから私は『包丁人アニエス』と名乗らなくてはならないのか?)

脳裏に『アレ・キュイジーヌ(料理開始:Allez cuisine)!!』と高らかに宣言するアンリエッタ王女の姿が浮かぶ。
料理とは、人を笑顔にするものなのだという―――さようなら剣士の魂、そしてこんにちは料理人の魂。

(むう、炊事洗濯に掃除……家事はあまり得意ではないのだが……花嫁修業など、この年になって今まで考えたこともなかったからな……)

もう、なかば現実逃避しつつ、そんなどうでもいいことを考えているほか、なかったそうな。


―――


石像のように硬直しているアニエスの横を、青い髪の少女が、とことこと走り抜けていった。

「あら、タバサ?」
「……今夜は、無理」

雪風のメイジは、ルイズへと、そう言った。

「ひょっとして、あれが来ちゃったの?」
「そう」
「そっか、わかったわ……じゃ、終わったら、たっぷりとね、ウフフフ」
「楽しみ」

しばしの静寂。
アニエスは硬直から復活し、いったい今の会話は何だったのだろう、と考える。

(少女が二人、夜に約束……あれが来たから無理……それが終わったら―――たっぷりとお楽しみだって?)

アニエスは昨日、平民の宿舎に泊まったとき、使用人たちからこの白髪のメイジについての危険な噂を、嫌というほどに聞かされていた。
そのせいか、変な方向に想像が向かってしまうのも、しかたのないことである―――むろん、ぜったいそうにちがいない。

―――ああ、自分の目の前にいる、この小さな青い髪の少女は背も小さく、まるで子供のような体型にしか見えないが……

(この白髪の少女、ルイズ・フランソワーズ……まさか、こんなに小さな子を……見境なしなのか? やはり、『おに』のたぐいなのか?)

だが、そうか、この青い髪の少女も、もう月にいちどのあれが来るような年なのだな―――
自分が女性として成長したときには、祝ってくれるような家族も、もはや居なかったのだが―――
このどこか薄幸そうな少女は、優しい家族に、たっぷりと祝福してもらえたのだろうか―――そうだったら、いいな……

「剣士さんも、……ご一緒にどうかしら、タバサ、異存は?」
「ない」

怪しい笑顔と無表情、白髪の少女と青い髪の少女が、じーっとアニエスを見ている。
とっても仲良しのようにも見える、この二人の少女たちは……いったいどんな怪しい関係を、築いているというのだろうか。
彼女たちは自分に、何かを期待しているようだ―――それはきゃっきゃうふふの秘密の花園か―――それともサバトか、サバトなのか!! 
アニエスは沸騰しそうなほどに顔を真っ赤にして、だらだらと汗を流すほかない。私は断じてヘンタイじゃない、ヘンタイじゃない……!!

「ちょうどいいわ、この機会に<ウェイポイント>を開通してもらって、<タウン・ポータル>を使った作戦遂行にも、慣れてもらいましょう」
「へ? ……は、はあ……」

どうやら、真面目な話だったらしい。
アニエスは、自分の想像のあまりの的外れっぷりに愕然とし、おそるおそる物騒な包丁を床に置いてから、がばっと両手で頭をかかえてしまった。

(いかんいかん……何なのだ、ここに来訪してから、まだほんの一昼夜しかたっていないというのに……自分の大切なものが、どんどん崩壊していくような……なんと、恐ろしい……)

タバサという少女は、どうやら今夜は別の用事ができて、今日からの予定だった『宝探しツアー』に予定通り行けなくなったということを、ルイズに伝えに来たようだった。
その『別の用事』、とやらに、アニエスは付き合うことになるのだろう。
王女からは、アニエスが捜査員として本格的に実働を始める日時まで、この白髪の少女から、出来うる限りのことを学べと言われている。
なので、任務とは矛盾しない、むしろ彼女たちへの同行を、進んで願うべきところだ。

「姫さまからの呼び出しにしてもらって、ミスタ・コルベール経由で、授業のほうは『公欠』ってことにしてもらいましょう……さあ、今夜からガリアに遠征して、終わりしだい、宝探しに移行ね」

さて、このずっしりと重たい包丁で人間を料理するような用事でなければいいのだが―――と、肩を落とし、大きなため息をつく、アニエスであった。


////【次回後編:まぎらわしいタイトルだけど白炎さん出てこないよ、そして『なあ冗談だろう、強大で恐ろしいアレを料理せよというのか?』の巻、『まさか、この包丁で本当に炎の魔法を使う人間を(ピー)する羽目になるとは……!』の巻、へと続く】



[12668] その19:炎の食材(後編)
Name: 歯科猫◆93b518d2 ID:b582cd8c
Date: 2010/03/30 14:37
//// 19-1:【ドラゴンスレイヤー料理人伝説、はじまるよー】

ガリアとロマリアの国境につらなる、火竜山脈。
常時溶岩流が湧き出し、蒸気熱気につつまれたここは、キュルケの相棒サラマンダーの出身地でもある。
ここには、その名のとおり、ハルケギニアでも有数の強大で恐ろしい野生生物、火竜(Fire Dragon)がたくさん生息している。
強い生命力にあふれ、猛烈な炎のブレスを吐く、それはそれは獰猛でおそろしい竜なのだという。

(まさか……いきなりドラゴンと戦えと……言うのか? 生身で竜と戦うなど無謀すぎる、六回ほど死ねと?)

何がなんだか解らないままに、白髪の少女の「チュートリアルよ」との一言で、こんなところにまで連れてこられた剣士アニエスは、唖然とするほかない。
昨日アニエスは<ウェイ・ポイント>という転移魔法陣の使い方を習い、利用登録を行った。
そのあとに開かれた<タウン・ポータル>という青いゲートをくぐれば、そこはどこかの山奥、荒れ果てた屋敷の中庭だった。
話を聞けば、トリステインからはるか遠く離れた、ガリアの地なのだという。
そのガリア山中二つ目の<ウェイ・ポイント>の登録を行えば、魔法の使えないアニエスでも、白髪の少女の住居からいつでもガリアに密入国転移できるようになるのだという。
王女の自室にある魔法陣でも同様のことを行えば、そこにもアニエスは自由に転移できるようになるのだそうだ。
また、アニエスにも使用できるマジックアイテム<タウン・ポータルのスクロール>とやらも、あとで譲ってもらえるそうである。

(いや、火竜に出会ったら即時あのポータルの巻物で逃げるのだろう、きっとそうにちがいない……でないと私の任務は、始まる前に終わってしまうだろう)

これら二種類の転移術を駆使し、トリステインじゅうを飛び回り、危険すぎる状況に出会えば即座に脱出し、王女のもとへと生きた情報を届ける―――
旅先からいつでも拠点『幽霊屋敷』と王女の自室とを往復でき、アイテムの補充から情報交換、活動費やお給金の受け取りまでもが自由自在だ。
神出鬼没かつ凶悪無比の魔道士<サモナー>に国をあげて対抗するためには、そこまでやらなければいけない。

(私は国のためにも王女殿下のためにも、自分のためにも、あらゆる最悪の状況から生還しなければならない)

それこそがトリステイン王女がアニエスに望んでいる、国家にとって重要な名誉ある任務なのである。
そして白髪の少女に連れてこられた今回のあまりに危険すぎる冒険が、いまや包丁人となり果てたアニエスにとっての予行演習なのだそうだ。
アニエスは額に汗を流す―――まさかいきなり最強種ファイアドラゴンが相手とは―――まったく想像の埒外(らちがい)も、良いところであった。

(火竜にこんがり美味しく料理される任務と、この包丁で人間をすぱすぱ美味しく料理する任務……さあ私アニエスよ答えられるか、なあどちらがマシだ?)

三人は<ウェイ・ポイント>のある山奥から風竜シルフィードの背に乗って飛び、いちど王宮に寄るためにリュティス近郊の森を経由していた。
そしてタバサがプチ・トロワで任務を受け取り、また竜に乗り、三人で長い間空を飛んで、目の前の火山のふもとまで来たのだが―――

「暑いし、きつそうだわ、……でも地道に登っていくしかないようね」
「仕方ない」

白い髪と青い髪、この二人の少女は、なんと珍味『極楽鳥のタマゴ』を取るためにわざわざ火竜どもの群生地に乗り込んでいこうというのだ。
今の季節はちょうど竜の繁殖期、巣へと近づくものは、みなブレスで丸焼きにされてしまう。
なので通常この付近に巣を作る鳥『極楽鳥のタマゴ』の採取は、こんな季節に行われることはなく、火竜のいない季節に行われるのだという。

「きゅいきゅい……」
「大丈夫、必ず戻ってくる……学院で待っていて」

心配そうな使い魔、シルフィードの鼻つらを撫で、タバサはそう言った。
空を飛んで直接極楽鳥の巣へと向かえば、途中で火竜の群れに包囲されかねない。
大きな風竜の姿で登っても竜に発見されかねない―――なので、タバサの使い魔のシルフィードは、<ポータル>で学院に戻ることとなった。

「……ねえタバサ、アニエスは信頼できるって、私の占いがそんなに信じられないの?」
「あなたの占いはいつも必ず、思わぬところで裏目に出る。だからわたしは慎重な行動をとらせてもらっている」
「うぐうっ! そ、そうね……確かにそうするべきだわ……」

ルイズはタバサにはっきりとそう断じられ、思わずヘンなうなり声をあげ、目を白黒とさせた。
二人に着いてきたアニエスは、なにやら自分のことを相談されているようだが、内容が解らず怪訝な顔をする。
この青い髪の少女には自分にたいし、なにか隠しておきたいことがあるのだろう―――と推測するが、踏み込んでよいものでもなかろう、と気にしない。

「ミス・タバサ、私は自分の分をわきまえている、なにも余計な詮索はしない、安心されよ」
「……」

いつも無表情のこの青い髪の少女の無愛想ともとれる態度に、アニエスはなかなか慣れることができない。
むろんそのとなりのいつも危なすぎる表情の、白い髪の少女の読めない行動にも、アニエスは、ぜったいに慣れることなどできそうにもない。

「剣士さん、私はあなたのこと信用してるわよ……もし、あなたが私や姫さまを裏切ったら―――」
「さ、さあ行かん、火竜どもを蹴散らし、ご、極楽鳥のタマゴだったな、百個か二百個くらい持ち帰ってやろうではないか!」

ともかく、登山である―――

「うふふふ、裏切ったらどうなるかしら、ウフフフフフ……」

忠義の士アニエスには、勿論最初から『最期』まで裏切るつもりなどカケラもないのだが……ああ、いったい―――どうなってしまうのか!!!
このときの剣士の彼女には、目の前の白髪の少女が、火竜と同じくらい危険きわまりないものに見えたのだという。

ここはひどく蒸し暑い、究極の食材『極楽鳥のタマゴ』を求め、でっかい包丁を背負って険しい山に挑む、強くくじけぬ心を持った料理人アニエスの、ぱっつりと可愛く切りそろえた前髪の下、額にながれる滝のような汗は、きっと暑さのせいにちがいない、ぜったいそうだ。

「ウフフフ―――さあ、帰りましょう!」
「えっ?」

ルイズの一言で、アニエスの『さくせん:あたってくだけろ』な意気込みすべては、いきなりくじかれる羽目になった。


//// 19-2:【ポケットの中のモンスター戦争】

タバサパーティの三人がごつごつした手袋の内側の指にはめている、赤い宝石のついた指輪は、火炎によるダメージを25%ほど軽減してくれるのだという。
でも、猛烈なる火竜のブレスの前には、ほとんど役にたたない代物であろう。一撃のブレスで四回死ねるのが三回になるだけだ。
そんな恐るべき火竜を「なるべく」避けながら、極楽鳥の巣のある場所をめざし、こそこそとじわじわと三人は山を登る。

「ここは暑い、暑すぎるわ……この指輪って蒸し暑さは軽減できないのよね……タバサが『チリング・アーマー(Chilling Armor)』使えたらいいのに」
「無いものは仕方ない」

15分ほど登っては休憩を繰り返す、タバサ、ルイズ、アニエス。少女ふたり、大人の女性ひとりの三人とも、服の中は上着から下着まで汗でぐちょぐちょ―――
とは言っても、溶岩流から飛んでくる火の粉や熱気、熱せられた鋭い岩肌から手や肌を守るために、三人はごつい手袋をはめフードのついた全身を覆うローブを着ている。
なので、服が肌にはりついて体のラインが浮き出たり透けたりして艶(あで)やかに見える―――などといったことは、ない。そう、ないのである。

(なるほど、あらかじめさまざまな攻略対象や攻略地点に合った装備を、拠点に準備しておけば、いつでも瞬時に取りに戻ることができるというわけか……)

理解力のあるアニエスは、ハルケギニアでは知ることすらできなかった『目からうろこ』の戦術に感心しきりであった。
これら対火山用の登山装備は、いったん<タウン・ポータル>で学院にまで戻って取ってきたものだ。
教師コルベールとやらが炎の魔法の実験でやけどしないために作り、ルイズたちにも用意してくれていたものだというが、むろん通気性はサウナのように最悪だ。

「おねがいタバサ、ひんやり、して……」
「……」

へなへなとした白髪の少女の力ないリクエストに、青い髪のトライアングル・メイジが応え、杖をかまえ呪文を唱える。

「……ん、んっ……うーっ、んあっ、タバサぁ……きもち、いいよぅ……」
「…………………………」

こんな風にときどき雪風のタバサが、自分自身も含め三人の身体を氷の魔法で冷やしてくれるのが、唯一の救いである。
杖のルーンワード<メモリー>の特殊効果と、持ってきたマナ・ポーションのおかげで、タバサの精神力にもずいぶんと余裕があるのだが―――

「―――くっ、また竜が来るぞ」
「ええっ、またなの? あぁー、鬱陶しいっ!」

荷物はこび、および周囲の油断なき警戒をまかされているアニエスが小声でそう言ったので、ルイズが額に汗し、『イロのたいまつ』を取り出す。
出来る限り竜の巣のなさそうなところを見つからないように避けて進んでいるのだが……なぜか先ほどから、何度も遭遇しているのだ。
全長15メイルはありそうな巨大なからだ、赤く輝く硬いうろこ、するどく太い爪と牙―――恐ろしい咆哮をあげながら三人へと襲いくる竜の口や鼻の穴からは、呼吸するだけでめらめらと炎がふきだしている。

「あーもう、しつこいわしつこいわ、『ディム・ビジョン(Dim Vision:視野狭窄の呪)―――!!!』」

ルイズが杖を振ると空中に火の粉が散り、とたん火竜はそそくさと逃げるこちらの姿を見失って、すぐそばを通り過ぎていく。
先ほどから何度も何度も、ずっとこのパターンを繰り返しているのだ。三匹ほどの火竜が入れ替わりたちかわりにやってくる。
いちど追い返そうと『テラー(恐怖)』の呪いをかけたが、逃げ出したあと戻ってきた竜はますます怒り狂い、三人は逃げるのにずいぶんと苦労したものである。

「うふふふ……あれ、ブチ殺していいかしら? ねえ、ねえタバサ、あの子今すぐブチ殺して三枚におろしていいかしら? いいわよね、いいって言ってちょうだい」

白髪のメイジは、静かに怒っている―――
神竜トラグールがラズマに見せた宇宙の理とやらは、ネクロマンサーを邪魔するものに、けっこう容赦ないらしい。
また、この火竜山脈に住む野生種の火竜どもは、去勢された飼育種とは桁違いに獰猛凶悪であり、ハルケギニア全土にちらばり、よく人や村や家畜を襲うのだという。
なのでガリアやロマリアでは数年に一度ほど間引きの竜退治も行われるのだが、それは軍隊の出動する国家事業であって、ときに多大なる犠牲を払うのだそうな。
だから個人での竜退治などは自殺行為もよいところ、むしろ『イーヴァルディの勇者』などの御伽噺の世界にしか存在しない。
かくして雪風のメイジは、静かに答える―――

「すぐに倒せるという保証はない、一匹倒すのにかかる時間や消耗を考えればやりすごすのが得策」
「そう、残念……」

どうやらこの冷静な青い髪の少女は、いまのところはまだパーティリーダーとして、白髪の危険きわまりない少女のストッパーとして、どうにか機能しているようだ。
だが剣士アニエスは別のことに驚愕している―――今、何と言った!? この少女たちは二人とも、本気で火竜を倒せると思っているのか!!

「待て、アレを倒すつもりなのか? ひょっとして何か策でもあるのか?」
「無いわ」
「おい、無謀すぎるぞ」
「だって、ここには新鮮な死体が無いし……」

なにやら焦点の合わぬ目をじーっと、アニエスへと向けている。

「わ、私に、その、死体に……なれ、と?」
「あはっ、そんな訳ないじゃない、うふふふふ……ただ、死体が欲しいなーって思っただけなのよ」
「ではなぜ、私を見るんだ!」
「だってあなた、とっても死体の才能がありそうなんですもの……ウフフ」

そうか、やはり私には死体の才能があるのだな……と、思わず納得してしまい、とうとう頭痛がしてきておでこを抑えるアニエスである。
仲間なんだからタメ口でいいわよと言われたせいか、窮地に追い込まれ慌てているせいか、相手が自分よりも年下のせいか、少しだけ発生しつつある仲間意識のせいか、けっこう口調もフランクになってしまう平民のアニエス、さあ彼女の明日はどっちだ。
いっぽう白髪の少女は、暑さでくらくらとしつつある頭を働かせて考えている。

「私が『火』のゴーレム(Fire Golem)を召喚できたら、あのブレスに対して無敵の壁役に回せるんでしょうけれど……残念ながら、まだお勉強中なのよ」

ちなみに、デルフリンガーはブレスを防げるはずもないのでお留守番である。
アニエスの銃やコルベール製作の爆薬や爆裂ポーション、オイル・ポーションなどの発火物は、引火して大惨事になる可能性が大きいので、今回は持ってきていない。
猛毒を使ったとしても吹き散らされるだろうし、その効果もあまり期待できない。
なにより、こちらには火竜を倒せるだけの大技がほとんど無い―――

「来た」
「あーもう……面倒くさいわね、ツェルプストーみたい」

タバサの一言に反応しルイズがしぶしぶ杖を構えたとき、アニエスは別方向からやってくるもう一匹の火竜を発見する。

「あっちからも来たぞ……いちばん大きな奴だ」
「三匹目も来た」

タバサがそう言った。状況は―――そう、もはやチェックメイトである。
今までは一匹一匹襲ってきていた獰猛かつ凶悪な火竜が、今度はなぜか三匹まとめて襲ってくるのだ―――
アニエスも、タバサも、顔色が悪い。ここはポータルでいちど撤退するべきなのではないか、と考えたが……なにか様子がおかしい。

―――きゃあーー!! たーすーけーてー!!

「……ねえタバサ、あれは何かしら」
「人が竜に追われている」
「なんだあれは、単身こんなところに来ているのか、なんと無謀な、……いや、私たちも人のことは言えぬだろうが」

火竜三匹に追われつつ山を転がるように降りてくる、ひとりのメイジらしき人物を、発見したのであった―――

「あら、火竜っていう名前のとっても優しいお友達を三匹も紹介してくれるみたいね……その筋のひと(MPK)かしら?」
「たぶん違う、あれは本気で逃げている。それにここに人が居ることは、ふつう想定外」

三人は息をころし身をひそめる。そして、つらなる火竜(Dragon Train)に追われ悲鳴を上げながら逃げ惑うメイジを、呆然と眺めているほかなかった。
悲鳴からすると、そのメイジは少女のようだった。
いまのところ三匹の火竜は、ルイズたちの姿が目に入らず、そちらの哀れなメイジを追いかけることに専念しているようだ。
かのメイジの『土』の魔法の腕は確からしく、よくもまああれだけ上手に逃げ回れるものだ。
そんな風にアニエスは思わず呆れながら、タバサとルイズに判断をあおぐために、視線を向ける。

「どうするんだ? 貴族の子女のようだぞ、あれを助けるのか、それともあれは運が悪かったと諦めるのか?」

さて、ルイズは、なにやら目をつぶり、なむなむとつぶやきながら手を合わせていた―――その様子は、このまま彼女を見捨てるつもり満々のようにも、見えたという。

「……だめ、方向を変えた―――こちらに来る……はち合わせる」

タバサが冷静にそう言った。アニエスは、ルイズへと問いかける。

「ミス・ヴァリエール、ここはあのメイジを助けてからすぐに<ポータル>とやらを使って、いちど出直すことを提案する」

ルイズは答えず、静かに手を合わせて、祈りの言葉をつぶやいている―――
アニエスは、ルイズがあの逃げているメイジや自分たちの死後のための祈りでもしているのだろうか―――とも思うが、今はそれどころではない。
そしてルイズが目を開けた。その瞳孔は、もう不必要なほどに、拡大していた―――

「さて、お祈り終わりっ、と―――あのね、二人ともちょっと聞いて、私ね、あのね……その、決めたんだけど……」

白髪の少女はもじもじとしながら、不気味に笑っている―――うふふふふ……
嫌な予感に襲われたアニエスとタバサの顔面は、たちまちのうちに、蒼白を通りこしていった。

「あのね、……うん!! 全部まとめてブチ殺すのよあいつら、そしてすっきりしましょう!」

ルイズは、どこかサワヤカさまで感じさせるような明るい口調で、そう言い放った。
なんとまあ、白髪の彼女の、たったいましていたお祈りとは―――まさに、これから襲い来る野生動物を返り討ちにして殺すことにたいする、祈りのようであった。
アニエスとタバサの内心は、こうである―――ああ、願わくばルイズの言う『あいつら』の中に、逃げていたあの少女メイジが含まれていないことを!!

「―――『骨の鎧(Bone Armor)』!!」

そしてルイズは防御術も展開し、あろうことか―――この最悪きわまりない状況で臨戦態勢を取っているのだ―――
状況はもはや、絶望的とかいうレベルをはるかに超越していた。いわば前門の火竜、後門のゼロのルイズである。
獰猛かつ凶悪な……いやか弱い少女ルイズ・フランソワーズが、今度は三匹まとめて襲ってくるか弱い……いや凶暴なる火竜どもを、迎え撃たんとしているのであった。

「うふふっ、さあっ! 二人ともガチ気合入れて戦闘準備してちょうだいっ!! ……ウフフフフフ、あはっ、あはははっ、アーッハッハッハ!!」

ルイズはとうとう恐ろしい火竜に発見されることも気にせず、大きな声で笑い始めてしまった。
戦闘準備とは言われたものの、すでに詰んでいるこの状況で、何をどうすればよいのか解らない―――
そんなアニエスはとりあえずひきつった笑顔で、血染めの巨大な包丁を意味も無く構えてみるほかなかった。
タバサはやれやれとひとつ大きくため息をついたあと、『エナジー・シールド』を展開した―――どうやら彼女はルイズのことを、心より信頼しているようでもあった。
確かに、本日この領域にいる火竜は三匹だけのようだ、ならばそれら全てを倒せば、自分たちは目的地へとたどりつけるのだろうが―――

「まず、お城をつくりましょうね、タバサお願いっ―――『クレイ・ゴーレム(Clay Golem)』!!」
「―――『水よ』」

ゼロのルイズは、土くれのゴーレムを召喚する―――即座にタバサが、それを魔法で水びたしにし、続いて、カチカチに凍らせる―――
そんな一連の作業を何度も繰り返し、たちまち三人の周囲には、ブレスの余波から身を守るためのちいさな凍土でできた砦が形成された。
二人の少女は、何度も同時に、ぐびぐびぐびとマナ・ポーションを飲み干し、二人同時にけふうと息をつく。
することのないアニエスは、互いに心の底から信頼しあっているのであろう、そんな二人の少女の見事なコンビネーションを、ただ呆然と見ているほかなかった。

―――グオオオオ!!

さて、火竜どもは、どこかに魔法で隠れたのであろうあの名も知らぬ少女メイジを探すのをあきらめ、ルイズたち三人の待ち受けるささやかな『雪風タバサ城』へと、興味の対象を移したようだ―――

たちまち牙をむき襲い来る三匹の巨大なドラゴンを前に、杖を握りしめるルイズは、とてもとてもご機嫌そうだった。

「さあさあ行くわよ、さあ行くわっ、あははっ! ねえタバサっ、行くわよっ、アレをヒキニクにするのよ、シエスタへのお土産に、持って帰ってあげるのよおっ!」

そしてルイズの杖が、振られた―――空を舞い散る火の粉、ドラゴンの頭上に走る光の線―――

「『TERROR(恐怖せよ)』!!―――さあ恐れなさい、畏れなさいチビりなさい! ビビって巣の中でぴいぴい震えてママに助けを求めなさあぁい! アハハハハハ!!」

人間にたいしてはほとんど効果が無いが、人間以外のもの、とくに弱肉強食の世界に生きる知性の低いものに対しては問答無用の効果を発揮する<呪い>である。
かけられた対象の心のうちから、生涯を通じても出会うことのできなそうな、最も恐ろしく見えるナニカの幻影を引き出す―――
これまでの百年以上の生涯を、地上空中の生物のなかの暴君として君臨しつづけた火竜にとって、初めて味わう絶大なる<恐怖>とは、さぞかし強烈なものであろう。

―――グアアアアオオォオオッ!!

最初に三人のもとへ到達しそうになった一匹が、徹底的なる『恐怖』の呪いを身体の芯へと叩き込まれ、ひどい幻覚に襲われる―――
最強種、あの獰猛きわまりないドラゴンが、怯えた咆哮をあげている。何も無い空中にむけて息もたえだえに、とぎれとぎれの業火のブレスを吐きちらす―――
あの恐ろしいファイアドラゴンが、たちまちのうちに突進の勢いをそがれ、翼を返して―――逃げてゆく。

(……何度見ても、慣れぬな、これは……まったくも常識外れな……)

アニエスが見るのは本日二度目だが―――それはなんとも目を疑うような、希少な光景であった。
『ドラゴンすらもビビらせる、それがルイズ・フランソワーズ』―――雪風のタバサは静かにぽつりとそんなことを、背後のアニエスへと語ったのだという。
かつてこの静かな青髪のメイジは白髪のメイジにたいし、『火竜よりも怖い』という感覚を抱いていたというが―――あながちそれは、間違いでもなかったようである。

「さあ次いくわよぉ、身体のでっかい、そんなステキなあなたに贈る『ディム・ビジョン(Dim Vision)』―――そして続けてぇ……そっちの小鳥ちゃんには『コンフューズ(Confuse)』!!」

強大なる敵の一団を、<呪い(Curse)>によって思うがままにコントロールする―――それこそがラズマ秘術三大系統のうちのひとつ、<呪>系統の真骨頂である。
ラズマの秘められし大いなる『暗黒の技』のひとつ、敵や場所の運命の流れを読み取り干渉し、何かを割り込ませる―――ああ、敵の身体の中へと流れ込み、ぞわぞわぞわっと取り憑いた、たちの悪い雑霊どもの、声にもならぬつぶやきが、敵の心に深い深い<混乱(Confuse)>をもたらす。

殺せぇ―――
殺せぇ―――
殺せぇ―――
それはぁ、敵だ、敵なのだ―――
殺さないとぉ、ほら、ほら、おまえ自身が、殺されるぅ―――
さあ見てみろよ、ここにいるぅ、おまえ以外の、ぜんぶが敵だ―――!!
おまえの仲間も同胞も親も兄弟も娘も息子も、今すぐさあ、皆殺しにしろぉ、さもないと、おまえ自身が殺されるのだあ―――!!

グガアアアアアア―――!!

またたくまに、獰猛なドラゴンが―――爪をむきだし、牙をむきだし、業火のブレスを撃ち―――

グオオッ―――ガアッ! ガアオウッ―――!!

同士討ちを、始めた。
視野を狭められた身体の大きなドラゴンは、混乱したドラゴンに襲われ―――反撃し、怒り狂い、互いのあらゆるものを切り裂く鋭い爪で、あらゆるものを噛み砕く牙で―――

ガアオオウ―――!!

二匹の巨大な竜は、ただただ互いの体を、ひたすらに傷つけ合うのであった。
牙で首もとに噛み付きあい、ブレスを打ち合い身を焼き焦がしあい、爪でうろこや翼を引き裂きあい―――

「わあっ、見てタバサ! すごいわ、殺しあってる! ドラゴンが本気で殺しあってるわ、なんて素敵なのかしら! ほら頑張れ、どっちも負けるな頑張れえーっ!」

すぐ近くの上空で、また山肌に降り立って繰り広げられる大迫力のモンスターバトルに、ルイズはもう満面の笑みで、子供のようにおおはしゃぎだった。
さあ、『恐怖』でいちど逃走させられた最初のドラゴンも戻ってきて、混乱中の竜がそっちにも襲い掛かり―――もはや、二対一、そして三つ巴の大乱闘に発展する。
やがて時間が経って<視野狭窄>や<混乱>の呪いも、解けていったようだが―――知性がきわめて低く獰猛で互いのライバル意識も強い火竜たちは、ルイズたち三人のことなどさっぱりと忘れてしまったかのように―――いったんはじめた戦いを、なかなかやめられないようだった。

「いけっ、そこで火炎放射よっ、炎のうずよっ! あれ、火竜相手には効果がいまいちね……なら、噛みつけっ、引っかけぇ―――さあ今よっ、追いうちっ!!」

ルイズはもはや感極まったように、陶酔しきった笑顔で、左手につかんだタバサの手をぶんぶんと上下に振り回し、右手の杖で上空の殺しあう竜たちを指してけらけらと笑う。
そこでは比較的身体の小さい竜二匹がいったん争いをやめて、暴れまわる比較的大きな竜を先に倒そうとしているようであった。もはや三匹とも、満身創痍だ。

「ねえタバサ、友情タッグとチャンピオン、どっちが勝つと思う? アニエスはどっち? あはははっ、どっちかしら、私はチャンピオンにモンモランシーを賭けるわよっ!」

ただ包丁を手に呆然としていたアニエスと、タバサの目が合った。
タバサは疲れきった表情で、そっと静かに首を横に振った―――こうなったらもう、したいようにさせるほかない、と言わんばかりに。
なるほど今回の冒険は大いに勉強になった、異世界サンクチュアリとやらの敵にはまず常識を捨ててかからなければならぬようだ、とアニエスは思った。

「何ぼんやりしてるのよ二人とも、さあ一緒に応援しましょう! いっせーのーせっ、頑張れーっ!!」
「がっ、頑張れーっ!」
「……」

はい、自分なりに頑張ったつもりだったのです―――

『私を見る雪風の少女の同情の視線が、その優しさが、怖かった』―――
と、後に帰還した剣士アニエスはこのときのことを、主君であるアンリエッタ王女に、そのように語ったのだという。

やがて―――

もはや体中もぼろぼろの弱りきった火竜たちのうち一匹が、ルイズたちの近くまで―――つまり『呪いの射程圏内』にやってくると―――

「さて、『TERROR(恐怖せよ)』―――ありがとう、とっても楽しかったわ!! 負けドラゴンちゃん、あなたは見逃してあげる、そろそろ尻尾をまいて自分の巣へとお帰りなさい」

ルイズは微笑みながら、<恐怖>の呪いをかけた。
火竜は文字通りに尻尾をまくようにして、ぼろぼろの翼をひろげ、はるか遠くへと飛び去った。きっと傷が癒えるまでは巣から遠く離れないことだろう。
さて上空では残った二匹の戦いにも、決着がついたようであった―――

―――ずどおおおおん!!

爆裂音―――どうやら一方の火竜の喉元の引き裂かれた燃料袋に、身体の大きいほうの竜の放ったブレスが引火したらしい。
ふたたび、どどどおん、と轟音―――ルイズたちの小さな氷の砦のすぐ近くの山肌に、息も絶え絶えの火竜の巨体が落下してきたのだ。

「ねえ見て二人とも、すごいわ! あれが伝説のチャンピオンね! ほら、私の予想のとおり!」

ルイズは勝ち残った身体の大きい竜、雄たけびをあげながら上空を旋回する巨体を指して、心底嬉しそうにそう言った。
かのサンクチュアリ世界にも、魔物の群れのなかにときおり<チャンピオン(Champion)>と呼ばれる、通常の二倍近く強力な個体が数匹存在するのだという。
タバサがそんな浮かれるルイズへと、冷静に事実を告げる。

「だめ……こっちに来る、手負い、相当に怒ってる」
「さあアニエス、タバサ、いったんここからお出かけよ」

たちまちルイズは、氷の砦から飛び出した。
アニエスとタバサも、それぞれの武器や杖を手に、慌ててルイズのあとを追った。
三人が岩肌をずぞぞぞと滑り降りるようにやってきたのは―――さきほど落下した、敗者の火竜の近くである。
その竜は、喉元の燃料袋が炸裂したせいでもはやブレスを吐くこともできず、ただぴくりぴくりと震えている。
もうこの火竜は、ここ火竜山脈のきびしい環境のなかで、生きてはいけないことだろう。
もし、この致命傷が治るとしても、またどこかで人や村を襲うようになる前に、一匹でも多く、倒せるときには倒しておくべきだ。
少なくとも野生の火竜の被害に悩まされている国、ガリアの騎士タバサには、余力があればそうする義務がある。
ルイズは、『イロのたいまつ』を振った。

「『アンプリファイ・ダメージ(ダメージ増幅)』……剣士さん、とどめをお願い」
「む、承った」

アニエスは『ブッチャーズ・ピューピル』を上段にかまえる。
火竜の、爆発のせいでいまにも千切れそうな首へと、刃渡り一メイルはありそうな血染めの刃が、振り下ろされる―――

ズバン―――!!

「ううおっとと!!」

このときのアニエスは、いままでの人生で出会ったこともないほどのあまりに良すぎる切れ味に、心底怖気を抱いたのだという。
手ごたえも殆どなく、まるで熱したバターを切るかのようにして竜の太い首を切断した物騒な包丁は、勢いあまって地面にすこしめり込んだ。
体勢を崩してしまい、えいっと力をこめて地面から刃を抜いたアニエスは、背筋に嫌な汗がつたう―――

「何だこの包丁……切れすぎる」
「ウフフフフ、とっても素敵な調理器具でしょう、気に入ってくれて良かったわ。ずっと大事に使ってちょうだい」
「……うっ、ご、ご遠慮しよう……」

一瞬でも返答を迷ってしまった自分が、なにかひどく危険なものに感じられてしまい、私はヘンタイじゃない、と落ちこむアニエスであった。
だが、今の状況、そんな暇はないのである―――

「伝説のチャンピオン」

タバサの一言が、二人の背筋を凍らせる。
油断はいけない―――そう、いちばん身体が大きく、いちばん獰猛で強くいちばん怒っていて手負いの火竜が、こちらを焼こうとやってくる。
巨大な身体が、三人の近くに降り立ち、猛烈なるブレスを吐かんと口をひらく―――

グオオオオ―――!!

「アニエス、私を抱えて、タバサについて走って! タバサ氷防壁全力全開! 行くわよ―――『アンプリファイ・ダメージ』!!」
「『氷壁(アイス・ウォール)』―――」

杖を振り火竜へと<呪い>をかけたルイズは、包丁を放り捨てたアニエスの腕におなかのところを抱えられ、その勢いに「むぎゅう」、と唸った。
どどおっ!! ―――間一髪、それまで三人の居た場所にすさまじい炎の吐息、柱のような業火が着弾する。
タバサの雪風の防壁、ルーンワード<メモリー>によって詠唱短縮され、練度の底上げされた強固なるそれが、熱風の余波を完全に防ぐ。

「けほけほっ……いい、いいわぁドラゴンちゃん、その位置が……とってもとおぉおってもイイわよ、最高よ!!」
「『空力盾(エア・シールド)』―――」

アニエスに抱えられたままのルイズが笑う。三人は岩陰へと滑り込み、タバサが障壁を張り―――
白髪の少女ルイズ・フランソワーズが、なんとも心底嬉しそうに、火竜へと『イロのたいまつ』を突き出した―――

「さあ今までの人生でも一番でっかいやつが行くわよぉ! タバサ風障壁全開私たちを守って! みんな、伏せてっ―――『コープス(Corpse:死体)』―――」

地上と空中の暴君、強大なるファイア・ドラゴンがブレスを吐かんと、目の前の小さなゴミクズどもを焼きはらわんと、牙の生えた口をひらく―――
自分の竜としての百年以上続いた生において、はじめて<恐怖>などという下劣な感情を与えた目の前の敵どもを、消し炭になるまで、焼き尽くすのだ―――

「―――『エクス―――プロージョン(Explosion:爆破)』!!!」

白髪の少女のそれは、死の宣告―――こうして火竜の願いは、果たされずに終わることとなる。
ラズマの殺戮秘技、『死体爆破』とは……新鮮な死体に詰まった断末魔の力の総量と、その圧縮開放の効率とによって、炸裂時の威力が決まるものなのだという。
そして断末魔の力の量とは、もともとその生物の持っていた生命力の強さと大きく連動して、増大するものなのだという。

ずぅ―――ど―――ど―――おっ――――――

さて、ハルケギニアにおいても有数の膨大な生命力に満ち溢れた種族、火竜の死体に詰まった断末魔の力とは、いったいいかほどのものであったろうか―――
物理的な衝撃として開放されるただでさえ筆舌につくしがたいそれが、『物理ダメージ増幅の呪い』をかけられた火竜にとって、いかほどの威力であったろうか―――

「……」
「…………っぐ……これ、は……」
「けほっ、けほっ……けほっ……」

少女二人、大人の女性ひとりのパーティは、山肌をすこし転がり落ちていた。
隠れていた岩までもが、吹き飛んでしまったのである。アニエスが先ほどの爆発のあった場所を眺めると、岩肌がえぐれ、浅いクレーターのようなものが出来ていた。
その周辺には、まるで黒い岩肌の山に突如として咲いた巨大な花のように、真っ赤な血や何かのリングが出来ている。
至近距離で直撃を受けた身体の大きい火竜は―――首や羽、腕や腹をごっそりと持っていかれ、まさにヒキニクのようになっていた。
そしてタバサの、アニエスの、そしてアニエスの腕の中のルイズの服は、まるで染料のバケツをぶつけられたかのように、竜の血で染まっていた。

「ルイズ」
「大丈夫、私が守ったし、あの『骨の鎧』とやらが発動したらしい、頭は打っていない。ただ衝撃で気を失っているだけだ……しかし、何なのだ一体、今のは……」
「……ルイズは大丈夫? わたしは守りきれなかった……頭を打っているかもしれない、治療しないと」
「ん? ああ、そうか、耳が……」

アニエスもタバサも鼓膜がきんきんと鳴っており、互いの声をうまく聞き取れないようであった。会話がかみあわない。
タバサが起き上がり手袋を外して、ずれた眼鏡をいったんはずし、べっとりとついた血のりを指でふきとってから自分の顔のただしい位置へと直す。
そしてとことこと力なく歩き、近くに転がっていたルイズの愛用の杖、『イロのたいまつ』を拾ってくる。
一応このパーティのリーダーであるタバサは、アニエスにルイズを運ぶように身振り手振りで示し、二人はさきほどの小さな氷の砦へと進んでいった。
回復ポーションの入っているアニエスの運んでいた背中の荷物は、あの場所に置いたままだったのだ。
タバサの所持していた小瓶は、今の衝撃と落下のせいで破損してしまったようであった。

「埋まっているな、私が探そう」
「……ルイズを起こす」
「ん、うう……」

アニエスがグローブをはめた手で、すこし前まで『タバサパーティの砦』だった場所につもる、もと『クレイ・ゴーレム』の凍土の瓦礫のなかから自分のかばんを発掘する。
中から回復ポーションを取り出し、ルイズも含めて全員で飲み干した。みなの怪我も治り、鼓膜も正常に戻ったようだ。

(本当にあの火竜を二匹も倒してしまうとは……ありえん、信じられん……なんともすさまじいものを見せてもらったものだ)

アニエスは、はあっ、とため息をついてから、白髪の少女ルイズ・フランソワーズを見た。
気絶から復帰したばかりのルイズは、ただぼーっと焦点の合わぬ目で空中と、自分の作った巨大で真っ赤な花とを、見つめていた。

「ルイズ」
「……」
「まだ痛む?」
「あっ、タバサ……」

白い髪の少女は、線の細い身体をぞくぞくと震わせながら、とても、恍惚とした表情をしていた―――
やがて唇をふるふると震わせ、その焦点の合っていない目には、じんわりと涙が浮かんでくる。そして、言った。

「あのね、すごかった……本当にすごかったわ、今の……最高だった……ドラゴンの死体を、爆破なんて……ああっ本当にっ、(ピー:聴取不能)、だったの……!!」

タバサとアニエスは、ただちにこの白髪の少女と、その危険すぎる感動を分かち合うことを諦めたのだという。
「どうしましょう今夜は眠れないかも」などと言われてしまっては、もはや『この自分たち、生来耳が聞こえぬ!』と後付け設定を捏造するほかない。
うつろで危なすぎる表情をしているルイズの、ぴく、ぴくと震える肩を、何を思ったかそーっと人差し指でつついてみようとしたタバサの手を、アニエスは「なにをする血迷ったか!」と慌ててとめて、咳払いをする。

「ごほん、余韻に浸っているところ悪いのだが―――ところで、あのドラゴンから逃亡中だった少女のメイジは、いったいどうなったのだ?」
「「あっ」」

そんなアニエスの一言で、竜の返り血に染まった白い髪の少女と青い髪の少女の二人は、思ったという―――ああ、いったいどうなってしまったのか!!

さて―――

かの少女メイジは、すこし下ったところで下半身だけ土に埋まり目を回しているところを、無事に発見することができたのだという。
優秀な土のメイジだったらしく、魔法で即席のトーチカを作ってドラゴンの視界から逃れていたのだが、さっきの爆発で埋まりかけて必死に這い出し、そこで力尽きたのだそうな。



//// 19-3:【ダイヤモンドよりも砕けない】

ブレスから逃げるさいに邪魔だとアニエスが放り捨てた肉切り包丁『ブッチャーズ・ピューピル』は、爆心地(グラウンド・ゼロ)付近で発見され回収された。
いっそのこと粉々になっていてくれれば―――ともアニエスは思ったが、まるで嫌がらせのようにして、『破壊不能』のそれにはかすり傷ひとつついていなかったそうな。
もはや『固定化』がどうとか言っているレベルではなかった。ナニカの怨念である。
どんなに手入れをしなくとも、寒気のするほどの切れ味とこびりついた血の落ちることのない、一生使える、全世界の人肉料理人垂涎(すいぜん)の包丁だ。

それはさておき―――ここは火竜山脈、爆心地の近くに張られたテントの中。

現在、ルイズはポータルで学院へと補給その他に向かっており、タバサとアニエスが、救助され治療された貴族の少女の、事情聴取の最中である。
補給と休憩とを終えたら登山を再開し、極楽鳥のタマゴ―――モンスターバトルとドラゴン花火の余波で粉々になっていなければの話だが―――を取りにいくつもりだ。
二匹倒して一匹を追い返したので、このあたりに火竜はいないのだろうが、また日がたてば別の火竜がやってくる可能性もある。
つまり、迅速に行動する必要があるのだが……

「あなたがあの、『合成代用肉』の発明家?」
「はい、そうです、本物みたいに美味しい肉を『錬金』で作りたいと願い、世界中の美食をもとめて修行の旅をしているのです」

あの火竜から逃げていた少女は、リュリュと名乗った。
貧乏だったタバサが以前よくシルフィードに与えていたあの『偽もの』の肉は、このほんの十七歳ほどの少女が考案したものなのだという。
貴族とちがってお金の無い平民たちにも、美味しいお肉をたっぷり食べてほしい、そんな気持ちがあったそうだ。
でも、安かろうまずかろうの評判どおり、『肉っぽいナニカ』までしか作ることが出来ず―――ならば真に美味しいものの感覚をつかもう、と旅に出たのだという。

「季節外れの『極楽鳥のタマゴ』は、誰もが食べたことの無い美味にちがいない―――そう思って、危険を承知で取りに来たのですが」

ふむ、自分たちと同じ目的とは、とアニエスは驚く。
だが、ここからリュリュは、もっと驚くべき事実を語り始めるのであった―――

「もっと上にのぼったあたり、極楽鳥の巣のちかくで、ほら穴を発見しまして……その中にいたメイジの男に、襲われて捕まって、三日ほど監禁されて……」

すわ何事か―――タバサとアニエスは、緊張をかくせない。
か弱い女性が監禁されたとき、されることと言えば―――そんな想像をし、表情のこわばった二人にリュリュは気づいたようだ。

「いいえ、からだに手は出されていません……むしろ忘れられていたみたいで、食事も与えられず、狭く真っ暗な部屋のなかでずっと放置されていました」

リュリュは、その間に予備の杖の魔法でなんとか穴を掘って脱出し、また見つかって必死に逃げる途中に、三匹の火竜にまで目をつけられてしまったのだという。
さて、こんな火竜だらけの山中で、そのメイジはいったい何をしているのだろうか―――と、タバサとアニエスは首をひねる。
だが、リュリュはますます恐るべきことを語り始める―――

「最初襲われたとき、私がゴーレムを出して身を守ろうとしたら、とつぜん男の姿が消えて、ゴーレムの背後に瞬間移動していたんです」

そして『フラッシュ』とかいうヘンな呪文(スペル)で、まぶしい光とともに、私のゴーレムは一撃で破壊されてしまいました―――
あんな恐ろしい魔法、見たことない―――
それを聞いたタバサとアニエスの二人の脳裏には、ひとりの男のことが浮かぶ―――そう、あの魔道士<サモナー>だ。

「どんな男?」
「ちょっと黒めの肌で……大きな杖を持っていて……さっき逃げるときにも、ファイアー・ボールをたくさん撃ってきました……本当、死ぬかと思った……」

そのファイアー・ボールには誘導性が無く、そして男が深追いもしてこなかったので、なんとかリュリュは逃げきることが出来たのだという。
もうタバサとアニエス、二人の緊張は大きくなる。まさか、こんなところで出会うとは―――

「助けていただき、食事をいただき、傷を治していただきまして―――本当にありがとうございます」

リュリュは、深々と礼をした。
タバサとアニエスは、顔を見合わせた。

「……タマゴを取ったら、調査」
「ミス・タバサ、失礼だが、そこから先は私に与えられた任務だ」
「あなたは危険を冒してわたしの用事についてきてくれた、一個借り」

冷静なタバサにそう返されると、ぐうの音も出ないアニエスであった。

「ただいま……あれ、どうしたの二人とも?」

学院へと戻っていたルイズが、補給を終えたらしい。四人分の着替えやらなんやらを、手にしている。
彼女は、先ほど土のゴーレムを使役し、巨大な火竜の死体をでっかい血染めの包丁でひどく不器用にうふふうふふと小分けして、お土産だと肉のかたまりや、記念品として首印やら骨やらウロコやらその他を、ポータルで『幽霊屋敷』へと運んでいたようだった。
それを見たシエスタの目が、何割くらい死ぬのか―――もはや、語るまでもなかろう。

さて―――

三人……いや、ひとり増えて四人となったタバサ・パーティは、当初の目的を達成することに成功した。
タバサ、ルイズ、アニエス、リュリュは、無事目的の『極楽鳥のタマゴ』を発見し、いくつも採取することができたのである。
あの爆発の正体や、途中で火竜にまったく出会わなかったことをリュリュは不思議がっていたが……事情を教えてはいない。

タマゴのほうはいったん学院を経由して、たった今あらたに出来た用事が片付き次第、山奥のウェイポイントからシルフィードで王宮へと運ぶこととなった。
かくして一同はリュリュに案内してもらって、例の魔道士の潜むというほら穴へとやってきたのだ。
あの魔道士が出たらあたしを呼んでちょうだい、と言っていたキュルケを連れてくることも考えたが―――

いくつも予定がつぶれて拗ねていたキュルケは本日、恋人かどうかは知らないが、誰かと一緒にどこかへ出かけているようだった。
アニエスが訪問した初日の昼に「街に行きましょう」と誘いにきたのが無駄になり、こんどは宝探しツアーまでもが延期になったので、仕方のないことだろう。
さて、ほら穴の前の一同は、今回は調査目的、様子だけでも見ておこう、という話だったのだが……

「うふふふ……ここがあの男の住処ね、たっぷりと痛めつけてあげるわ」
「だがよ山登りに戦いのあとだ、疲れてるんじゃねえのか? 無理すんなよ娘っ子、また出直すって手もあるぜ」

ルイズはやはり倒す気まんまんで、デルフリンガーを持ってきて、アニエスへと渡していた。
剣士であるアニエスは大喜びで肉切り包丁を返却しようとした。そして、まだ背負っておきなさいと言われて落ち込んでいた。
戦況を見て判断し、デルフリンガーをアイアン・ゴーレムにするほうが、単純にこちらの人数だって増えるのである。

「あのいつもかぶってるっていう、お気に入りのヘンテコな帽子を地面に叩きつけて、さんざん踏んづけてやるのが私の夢よ」

デルフリンガーとアニエス、そしてタバサは「なんと小さな夢か……」と呆れる。
だが、そんなルイズの一言に、リュリュだけが不思議そうな顔をしていた。

「帽子……ですか? あの男は、かぶっておりませんでしたが」

三人は首をひねる。
あれも強力な特殊効果のついた魔法の帽子だが……自分の部屋の中だ、かぶらないこともあるだろう……
タバサが、リュリュへと問いかける―――

「その男は青い服で、金色の杖を持っていた?」
「いえ、赤い服でした……紺色の長い柄で、先端に赤い宝石のようなもののついた杖を持っていました」

三人はますます首をひねる。
ニューカッスルでは、まるでトレードマークや制服のように、毎日同じあの金色の刺繍のはいった青い服を着ていたというが……
あの男も人間だ、着替えることも、装備を変えることもあるだろう……

「……この男か?」

アニエスは肌身離さず持っていたのをすっかり忘れていた、と取り出した<サモナー>の人相書きを見せた。
対火服のうちがわ、シャツのポケットにいれていたせいか、汗で濡れてしわしわになってしまっている。

「違います、もっと年をとっていて、白いあごひげを生やしていました」

とうとう三人の意気込みは完全にくじかれてしまった―――どうやら、別人のようだった。

「どのように殺されかけ、監禁されたのか話して」
「最初に話しかけたら、わしの研究の邪魔をするな、これをやるからさっさと帰れって……どうやっても封の開かないへんな巻物を投げつけられたんです」

タバサの問いにリュリュは肩を落とし、目に涙を浮かべながら答える。
こんな巻物より、きちんと読める、美味しい食べ物を『錬金』する方法の書物などがありましたら見せていただけませんか、と本棚に近寄ったら―――

「やはりきさまも、わしの貴重な資料や研究業績を狙うのか、殺してやる、って―――違います、って言ったのに攻撃されて、捕まって三日間、暗闇に……」

リュリュは、ひどく落ち込んでいるようだ。くすんくすんと泣いている。
たった十七歳の貴族の少女が、他人に監禁され、憎悪をぶつけられ殺されかけて、それが自分の不注意な行動のまねいた結果であるとき、落ち込まぬはずがない。
いっぽうガリアの騎士タバサには、その男について、<サモナー>ではなく別の、なにか思い当たるふしがあるらしい。
アニエスはふうっ、と大きく息をつき、ルイズへと問いかける。

「別人のようだがミス・ヴァリエール、異世界の魔法を研究している者はよくいるのか? 他国の問題のようだが、このような場合にも調査を続行するべきか?」
「初めてのケースよ、でも、どちらにせよ―――私は個人的な用事で……その人に……会わなきゃいけないわ」

一方、そう答えるルイズは緊張している。
相手は貴族の少女をいきなり殺しかけ拉致監禁した、危険な人物のようだ。
だが、ひょっとすると……その人物はルイズの人生の目的の、とある大きな約束を果たさんがための手がかりを、持っているのかもしれない。
司教の遺体を返却するために求めている、<サンクチュアリへの道>へのカギを握っているのかもしれないのだ―――

「指名手配の犯罪者の可能性が高い……交渉は、おそらく無理」
「うん、でも、駄目もとだとしても、……いちどだけ試させて欲しいの」

ルイズはタバサに、そう答えた。



//// 19-4:【魔道師ザール(Quest From DiabloⅠ:Zhar The Mad)】

洞窟のすこし奥、その部屋にいた初老の男は―――完全に、狂った人間の目をしていた。
ルイズが見たところ、その男はもうほとんど、いびつな魔の気配のうちにのみこまれつつもあるようだった。

「また来たのかごうつくばりめ、しかもうじゃうじゃと仲間をつれて……何もかもがわしの邪魔をする、わしを狂わせんばかりに妨害ばかり!」

部屋の中は、なにか魔法の研究をする部屋というにはあまりに空っぽで、いくつかの巻き物立てとひとつの本棚がある限り―――
深い狂気に囚われているのであろうその男へと、ルイズはひとまず対話を試みる。
この男を刺激するかもしれないリュリュは、「お礼に騎士さまのお仕事を手伝います」と付いてきてくれていたのだが、今は部屋の外に居てもらっている。

「待って、すこし話をしたらすぐに出て行きます、何も取らない……お願いします、どうか私の話を聞いて欲しいの……」
「話すことなど何も無い……もう巻き物もやらん、出て行け」
「あなたと取引をしたいのです、私は貴族です。対価として出せるかぎりのお金もその他の報酬も、支払う用意があります」

ルイズはただ切に、この誘拐犯へと下手に出て、対話と取引を持ちかけようとするほかない。
ようやく見つけた手がかり、<サモナー>と<ラックダナン>以外の、<サンクチュアリ>世界からの来訪者らしき人間である。
意味も無くたくさんの人を殺してきたのだろう、ひどい恨みの表情の幽霊が、この男に大勢取り憑いている。
だが震える足をこらえ、ルイズは大きく頭をさげる。

「出て行けと言っている、何度も何度も、邪魔をするなと言っているのが何故理解できん、お前らのせいでまったく研究が進まん」
「申し訳ありません、それではあなたが忙しくないときに、また伺わせてください……いつ予定が空いておりますか」
「―――二度と来るな! わしの、わしの研究を、資料を、奪いに、妨げに!」

果たして―――本当にこんな空っぽの部屋で、彼がなにかの魔法の研究をしているのかどうか―――それすらもルイズには、もはや定かではなかった。

「お願い、これだけ聞いたらすぐ帰ります、二度と来ません……<サンクチュアリ>に繋がっている道を、知りませんか! もし知っていたら……どうか教えて欲しいの!」

さて、返答は―――

「あぁがああっ―――<好奇心は猫を殺す>と知れ!!」

男は奇声をあげ、杖を振り上げた。
放たれたのは『ファイアー・ボール』ではなく『ファイア・ボルト(Fire Bolt)』―――下位魔術、炎の矢、である。
なるほど、ハルケギニアの人間が見ればサンクチュアリ魔術の火球状のマジックアローは、『ファイアー・ボール』のようにも見えなくはない。
それを詠唱も短く、矢継ぎばやに放つ男は、まるで火のトライアングル・メイジのようにも見える。

「……ごめん、無理だったみたい」

どうやらルイズは、踏み込みすぎたようであった―――
焦りすぎたのかとも自分を責めるが、目の前の狂った男性にたいし、やはり最初から話し合いの余地などまったく存在していなかったようである。
そして、魔道の探求者は往々にして、自分の目的以外のあらゆるものの犠牲をいとわないのだという。
彼らはときに深い狂気にのまれがちであり、何かおかしなものに偏執し、邪魔するあらゆるものにたいしいっさいの容赦をしないのだそうな。

三日間、捕らえたリュリュを、暗く狭い部屋に放り込んでいたというのも―――
忘れられていたと考えるよりも、リュリュには解らないであろう、何かの異端魔術の実験などの理由があったと考えるほうがずっとしっくりくる。

「いや、ここは私も手伝おう」

背負ったままの包丁の代わりにデルフリンガーを構えたアニエスが、魔法の矢を打ち払い吸収させる。
ルイズは沈んだ表情で『骨の鎧』を展開し、そっと後ろへさがり、タバサと並ぶ。タバサが男を杖頭で指し示し、ルイズに言った。

「ザール、二つ名は『狂人(The Mad)』―――貴族にたいする数件の殺人その他多数の容疑でガリアから指名手配中、デッドオアアライブ」

その魔道師の男はただただこちらに、狂ったように奇声をあげながら、ファイアボルトを放つばかりだ。
タバサが、雪風の魔法でそれをはじいてから、言葉を続ける。

「……交渉は駄目もと、落ち込む必要はない」

人の命の価値が低くなりがちな<サンクチュアリ>から来た、闇に心を飲まれて狂った人間が、故郷での流儀をハルケギニアでも行おうとすれば―――
たちまち指名手配の殺人犯と、なってしまうことであろう。
ガリアの民を守る騎士であるところのタバサは、無表情で続ける。

「その代わり、打倒または拘束する必要がある」

雪風の呪文が放たれる―――とたん不思議な音とともに男の姿は消え、別の場所にあらわれる。
その男は瞬間転移術も、たしかに使った―――だがそれはあの恐ろしい『テレポート』などではなく、『フェイジング(Phasing)』という下位魔術だったようだ。
目標地点を選べない、ただ敵の包囲網から逃れるための、短距離ランダムジャンプの転移である。
男は剣を構えたアニエスの目の前に出現してしまい、慌てたように杖をかまえた。閃光(Flash)―――アニエスを襲う強烈な電撃を、伝説の剣が吸収する。

「……魔法吸収、便利なものだな。私の任務のためにぜひとも欲しいと思うのだが」
「おうともよ、これであんたが<使い手>だったら最高なのになあ、姉ちゃん……ま、残念ながら頼んだって譲ってもらえねえとは思うがね」

アニエスはデルフリンガーを振るい、ルイズは男へと呪いをかけ、クレイ・ゴーレムを召喚し『ボーン・スピリット』を放ってアニエスを援護する。
男は高位の『マナ・シールド』を展開していたようだが、炎の矢を軽々とさばき斬りつけるアニエスの猛烈な剣技のまえに、あっけなく削られたようだ。
たちまちのうちに男は、意識を失って倒れ伏した。アニエスは杖を蹴り飛ばし、男に剣を突きつけながら、ルイズに問いかける。

「こいつをどうする? 意識を取り戻せば、杖が無くとも転移魔術とやらで逃げられるのだろう」
「そう、そこがやっかいなのよ……本当どうしましょう、今すぐ死んでもらったほうが……良いの、かしら……」

寂しそうな表情のルイズの力ないつぶやきは、どんどん音量も小さく、とぎれとぎれになってゆく。
他人の生死に関わる判断というものは、通常の場合、人の心へと大きい負担をかけがちなものである。
あらゆる敵を容赦なく殺すラズマ僧として多少成長してきたとはいえ、まだ彼女にも年相応の少女としての感性も幾分かは残っているらしい。
そしてこの男は、狂った指名手配犯とはいえ、ルイズの大切な目的のために重要な手がかりをもっているかもしれない人間である。

(でも、何かヘンな、嫌な予感みたいなものがするわ、頭のどっかにひっかかってるような―――)

下位ながらに<サンクチュアリ>の転移魔法を使える危険な殺人犯を、いつまでも拘束しつづけることは難しいものである。
なぜならハルケギニアのメイジの拘束方法は、単に『杖を取り上げて監禁する』ことしかないのだから。
いっぽう<サンクチュアリ>の世界では、シビアである―――見つけしだい即座に殺すのが、常なのだから。

「役人に突き出し、拘束に成功してもどのみち死罪―――暴れたら、いらない被害が増えるだけ」
「拘束して可能な限り情報をしぼりとり、精神力が回復する前に、とどめを刺すのが得策だろう」

タバサとアニエスは、疲れきったような声でそう言った。彼女たちもなかなか、シビアな世界で生きてきたようでもあった。
それは現実的な判断だが、ルイズはまだ諦めきれないようだった。もっと良い方法を必死に考えて、思い出す。

「そうだ、<サモナー>のときに考えた拘束方法なんだけど……スペルを唱えられないように、頑丈な口枷をはめてしまえばいいんだわ」

そう言ってルイズは焦点の合わない目で、倒れている男をもの欲しそうな目で見つめている。

「このおじさま、私のおうちの地下牢で飼っていいかしら? 毎日授業が終わったら、たっぷりと生かさず殺さずに可愛がってあげるのよ」

まさかこの少女、初老の狂人殺人犯をペットにしようと言うのか―――!!
もはやあきれ果てた表情のタバサへと、ルイズは『氷』の魔法で『口枷(くちかせ)』を作ってもらうように頼んだ。
今後の処遇はともかく、この男がハルケギニアの法で裁かれなければならないことは確かだ。今のところの拘束方法としては、悪くないアイデアである。
本格的な拘束具は、あとでリュリュに『錬金』で作ってもらえばよい。
静かにタバサは頷いて、杖をかまえて男へと近づき―――

「駄目、たぬき寝入り」

眼鏡の奥の、青い目を、見開いた。とたん―――

「『フェイジング(Phasing)』―――」

アニエスの手にしたデルフリンガーの切っ先のすぐそばの、男の白い口ひげが、かすかに上下に動く―――
どうやら精神力の回復速度のあがる装備かなにかをつけていて、反撃の機会をじっと狙っていたようであった。

びゅびゅん―――

不思議な音が響き、倒れていた男の姿が部屋の中から消え去った。
そして、この下位転移魔術は『テレポート』と異なり目標地点を選べないが、消費精神力もずっと少なく、壁すらも飛び越えることが出来るのだという。
石の中に融合してしまうようなことや、地面のないところに出るようなことも無いのだそうだ。

「くっ、何処へ行った?」
「たいへん、部屋から出ていったわ、リュリュは大丈夫? リュリュは今ひとりだわ、こっちに来て!」
「わ、わたしは大丈夫ですけど、みなさん大丈夫ですか? いったいどうしたんですか?」

慌てるアニエスとルイズ、そしてタバサのもとに、ドアの外に待機していたリュリュが杖をかまえながら駆け込んできた。

「あのおじさまが逃げたのよ……どこから来るかわかんないわ、私たちの近くにいてちょうだい」
「ええっ、そんなっ!」
「次はどんな手を打ってくるのか解らぬな」
「ここのように狭い場所では、避け切れない可能性がある……一時、退却」

四人と一体のゴーレムは、いったん洞窟から出て敵を迎えうたんと、出口にむけて、駆け出した―――

このとき四人が<タウン・ポータル>で即座に脱出しておけば、非常に痛い思いをせずに済んだのかもしれない。
だが、ここで迎撃という選択をしたことはのちのちのために、おそらく正しいことだったのだろう―――
運命の流れというものは非常に複雑にからまりあっており、なかなか正否の判断を行いえないものなのだという。

かくして火竜すら打倒した実績を誇る、この平均年齢も低い女性だらけのパーティは、たった一撃の魔法によって、壊滅寸前に追い込まれる―――



―――

出口の近くに、男が立っていた。
四人は、足を止め、杖をかまえ剣をかまえ、臨戦態勢を取った―――

「もう、許さん、許さん! わしの研究を狙う奴ラメ、ワシヲ狂わせる奴ラメ、こうなれば、ミナ、焼き尽くして、やろう―――」

狂った男は、一本の杖を持っていた―――
それは先ほどまで使っていた、赤い宝石のついた立派な杖ではなく―――
背のたけもあるほどの、赤銅色の、なんの装飾もついてない素朴な杖だった―――

(あれは―――まずいわ―――!!)

ルイズはとても嫌な嫌な予感に襲われ、相手の行動を阻止しようと―――『イロのたいまつ』をかまえ呪文を唱え始める。
魔に属するなにか強い力の気配を、男のもつその杖から感じたのだ。
使い魔の『タマちゃん』は先ほど炸裂させたばかり、復活するまで間に合わない、失敗魔法は射程外―――ならば―――
タバサも杖をかまえ、みなを守る空気の障壁を張ろうとする、アニエスが魔法を吸収するデルフリンガーをかまえる―――
リュリュが攻防一体の土の壁を展開せんと、スペルを詠唱しはじめる―――

「駄目! 『骨の(Bone)―――槍(Spear)』!!」

サンクチュアリのアイテムには、相応の技量や魔力を持つものであれば誰にでも使用できるように、魔術の封じられている物品が存在するのだという。
暗記魔法のかかった本(Book)や、ルイズもよく使う『タウン・ポータル』の巻き物(Scroll)のような、いちど使えば消えてしまう使い捨てのものも存在する。
そして、使い捨てではなく繰り返し利用可能なアイテムのなかでも、魔法使いの使う杖(Staff)というものは、そのような魔法を一定の使用回数分チャージしておくためにもっとも適した形状なのだという。

ルイズが杖を振り、あらゆる敵を一直線に貫くという神竜トラグールの爪(タロン)、小さく鋭い骨の槍『ボーン・スピアー』が放たれ―――男に迫る。
同時にばっ、と男の杖が振るわれる―――

杖にチャージされた魔術というものは―――『たとえ魔法を使うための精神力が、まったく残っていなかったとしても、使える』のであった。
ルイズは先ほどは比較的あっけなく倒されたこの男が、メイジたる貴族を実際に何人も殺害しているという事実を、甘く見てしまった、と後悔した。
なにかそうしうる切り札の存在を徹底的に疑うべきだったのだ、とも思うが―――もう、遅かった。

「―――『アポカリプス(黙示録:Apocalypse)』」

たった一撃の魔法、一瞬のうちに、虚無の色をした炎の魔法で―――

ルイズの『骨の鎧』がすべて粉々に砕け散った。
アニエスがとっさに構えた『魔法吸収無効:破壊不能』のデルフリンガーにめきめきとひびが入り、衝撃で手からはね飛ばされていった。
タバサの張った強固な風防壁と『エナジー・シールド』があっというまに突破された。
いちばん防御の薄いリュリュは―――あれだけ全身を焦がされ、それでも生き延びたことは奇跡だった―――と、のちに述べたのだという。

―――ドドドドッ!!!

四人の身体を、まるで人体発火現象のように、ルイズの失敗魔法にも似た、この世界に普通存在してはならない色の無属性の炎が、焼いた。
魔道師の杖には、ときに、人間が決して覚えることのできない術法―――たとえば魔王ディアブロの魔法などが、込められていることもあるのだという。

全身を焼かれた少女三人が、ばたばたと倒れた。
ルイズのゴーレムは、今の一撃に耐えたようだが、ルイズが制御を失ったせいかもはや動きを止め、崩れはじめていた。
そして、たった一人、高い生命力とど根性、盾となったデルフリンガーのおかげで<魔王の炎>に耐え抜いたアニエスだけが―――叫んだ。

「―――うああああっ!」

目の前の初老の男が、幼いころに自分の住んでいた村を焼き払った仇敵の炎のメイジであるかのように、見えたのだった。

火傷の激痛に歯をくいしばり、背中に背負ったままだった、破壊不能の肉切り包丁、『ブッチャーズ・ピューピル』を振りかぶり―――
包丁と呼ぶにはあまりに大きく分厚く重く、そして大雑把なソレで―――
次撃を放たんとばかりに、『骨の槍』の着弾によって落とした<黙示録の杖>を血だらけの手で拾い上げて構えていた、狂気の男の左半身を―――

ズバン―――!!

ずっぱりと、杖ごと、切り倒した。
まさか自分は本当にヘンタイなのだろうか、と、あとで思い返すたびに落ち込んでしまうほどの、背筋がぞくぞくとするような切れ味だったそうな。
『あのときの自分の感情が、今になっても理解できず、恐ろしいんだ』……と彼女は、のちに親しい友人となった一人の火のメイジの少女へと、語ったのだという。


//// 19-5:【Quest Completed】

ルイズたち四人のパーティを一撃で壊滅させた魔法『アポカリプス(黙示録)』は、一定圏内のすべての敵を、問答無用で攻撃するものなのだという。
魔法無効(Magic Immune)すら突破する特性を持ち、その代わり『ファイアー・ボール』などよりも殺傷力そのものは低いと、魔道の研究者は言うそうだ。

「……ルイズは?」

回復ポーションを取り出そうと、かばんをあさるアニエスの耳に、気絶から復帰したらしいタバサの声が聞こえた。

「全員、なんとか生きている……しかしリュリュ嬢のやけどがいちばんひどい。今、あのよく効く薬を探しているところだ」

火傷の激痛に顔をしかめ、立ち上がろうとして失敗し、それでもタバサはふらふらと、アニエスのそばに這うようにしてやってきた。
そしてタバサはアニエスの横に割り込んで、紫色の上級ポーションを取り出して、これを、と言った。
アニエスは、いちばん重症のリュリュにそれをまず飲ませた。彼女の火傷はみるみる軽いものになってゆく。
つづいてなんとか立ち上がった青い髪の少女は、もうひとつの紫色の小瓶を手に、本日絶賛二度目の気絶中のルイズのところへ向かう。

「おい、無理をするなミス・タバサ」
「……大丈夫」

人間は全身の皮膚の大部分が焼ければ、痛みのショックで死に至ることもあるのだという。
でもアニエスが診たところ、リュリュに次いでルイズもひどい火傷だが、致命傷には至らなかったようだ。
アイテムのなかにチャージされた魔術にもスキルレベルの高低というものがあり、今回放たれた『魔王の炎』が低レベルのものだったのは、不幸中の幸いだ。
とはいえ全員がひどい火傷を負ったことに変りはなく、頑丈だった耐火服もぼろぼろにやぶれ、あちこちから焦げた素肌がのぞいている。

「いた、いたい……」
「落ち着いて、大丈夫、もう痛くなくなる」

どうやら意識を取り戻したようだがぐったりとしている白髪の少女の上体を、片手で起こしささえてやりながら、その口もとへと小瓶をあてがってやる。
ルイズは紫色の液体を、こくりこくり、と喉を鳴らして飲んだ。そして、じっとやけどが治るのを待ちつつ、ぼーっとタバサを見ている。

「ありがと……タバサ、あなただって、ひどい火傷なのに」
「後でいい」
「よくないわ、辛そうだもの」
「大丈夫。わたしも今すぐに飲むから、心配しないで」

タバサは杖を振って『レビテーション』の魔法で、ルイズの体をリュリュとアニエスの近くへと運ぶ。
そして、火傷の応急処置は、『冷やす』ことだ。雪風と剣士の二人もポーションを飲んでから、タバサの魔法で全員の肌を冷やしつつ、回復を待った。

「あーあ、また油断しちゃった……ねえ、アニエス……あなたがいてくれて、本当に助かったわ」
「うむ、今後はお互い慎重にいこう」

ルイズとアニエスは、そう言って、苦笑しあったのだという。
やがて全員の治療が終わり、回収されたデルフリンガーも<キューブ>その他の方法で修復は可能とわかり、三人は安堵のため息をついた。
四人全員が服もぼろぼろの半裸状態、そして煤(すす)まみれだ。『火竜にやられた』と言えば、きっと誰もが信じることだろう。

「この子、どうしようかしら……私たちを手伝ってくれるってついてきたばっかりに、黒こげにされちゃったのよね」
「学院へ運ぶ」
「そうね、お持ち帰り」

少女リュリュは傷が治っても、なかなか気絶から目をさまさない。
なので学院にポータルでつれてゆき、治療の続きや目をさますまでの世話をすることになったのだという。

さて―――

サンクチュアリ世界へと繋がる道の手がかりとなりそうな人物を失い、少女ルイズはさぞや落ち込んでいる、かと思いきや―――

「はっ……そうだわ、あの、あ、あぽ、かり、つえっ……!」

ルイズは動けるようになったとたん、忍者のように迅速に行動を起こした。
こそこそと残像が見えそうな勢いで、まっぷたつの魔道師ザールの死体のそばに近寄って、あの赤銅色の杖をルート……いや、入手しようとしていた。
そして断片を手に、みるみるうちに残念そうな表情になる。これを修理することは、かなり頑張れば出来なくもないようだが……

「勿体無い……おじさま、無理やりな『リチャージ』を繰り返しすぎだわ、使用回数の上限もひどく減っちゃってる」

アニエスが「それを使えるのか」と問えば、装備するための技量や要求値が厳しすぎて、ルイズやタバサにも使えそうにもないのだという。
しかし、この恐ろしいアイテムがいつか敵の手に渡ってばんばん使用される前に、こちらが入手できたのは喜ぶべきことなのだそうな。

「……」

ルイズは二つに切れた<黙示録の杖>を手に、血だまりの中に斃(たお)れている魔道師の遺体を眺める。
そして、遺体から視線をはずし、すぐ目の前の中空に、まったく焦点の合っていない瞳をむけて―――

「おじさま……心配しないで、今、しっかり供養します。そのあとで……良い棺おけがあるの、それに入れて、お役人さんに渡します」

……ナニカがそこに、いるらしい。

「そうすれば……あなたの魂もこれ以上魔に食べられないし、あなたが殺してきた人たちもみんな、<存在の偉大なる円環>の流転の中で、行くべきところに逝けます」

ルイズが思うに、二つの世界の運命はときにしなやかに、ときにいびつにゆがんで割り込みあっているようであった。
魔道師ザールはもしこちらの世界に来ず、ずっと<サンクチュアリ>に居たとしても、同じような運命をたどったことだろう。
ゆがんだ運命というものは、往々にして不必要な悲しみや混沌を増大させがちなのだという。
さて、この男がこの世界へと召喚されたのか、事故で来たのか、自力でやってきたのか、それとも誰かに連れてこられたのかは、まだ解らない。
それについては、今後の調査が必要だろう。

「おやすみなさい(rest well.)」

ルイズは目を閉じて、かけてもらっていた『固定化』が剥がれ焦げ付いてしまった『イロのたいまつ』を振って、祈りの言葉をとなえ、火の粉で邪気を払い、供養を行った。

―――

続いて、この洞窟のどこかに杖の置いてあった隠し部屋が必ずあるはず……
と探していたところ、果たしてルイズたちは洞窟の一角に<ウェイポイント>の魔法陣を見つけたのであった。

「なるほど、ファイアドラゴンどもを門番に人のよりつかぬ場所に隠れ住まい、転移術で出入りしていたというわけか」
「あのおじさま、ただの引きこもりじゃなかったみたいね」

おそらく魔道師ザールが外へと悪さをしに行くとき、火竜の居ない季節のために備えているであろう他の隠れ家へゆくときに、これを使っていたのだろう。
一方ルイズたちは、これのおかげで、ここ狂人ザールの隠れ家を、また明日にでも調査しに来ることができるようになる。


そして―――

ああ、今日は本当に大変な一日だった―――と、疲れ果てた顔で一同はポータルをくぐり、学院へと帰還してきた。
でもタバサは、また後でシルフィードとともに、リュティスまでタマゴを届けに行かなければならないのである。

「まずはお風呂に入りましょう。アニエス、あなたも私たちと一緒に貴族用の浴場を使えばいいわ」

そんなルイズの誘いを、今度こそはアニエスも断りきれなかったのだという。

(そうか……いわゆるその、あれなんだ、頑張った自分へのご褒美というものなんだ、仕方の無いことだ……)

さて、ようやく意識を取り戻し治療も終わったリュリュも含めて、一同は貴族用の風呂へと向かう。
言葉で形容しがたい壮絶なる格好の一団の登場で、もはや貸し切りとなったお風呂で―――
だばだばの汗やら血やら黒こげの煤やらを洗い流し、あたたかく薫り高いお湯にゆっくりとつかって、休息を得たのだという。

「タバサ、私の杖もそうだけど、あなたの眼鏡も焦げ付いちゃったのね……直るまで宝探しはまた延期だわ」
「……残念、予備を用意しておけばよかった」
「あっ、良かったら私が修理いたしましょうか? これでも私、『錬金』は大の得意なのです!」

妙にテンションの高い土メイジ、リュリュの提案に、青い髪と白い髪の二人の少女は迷うことなく飛びついたのだそうな。
やがて極楽鳥のタマゴや火竜の肉の調理法の話になり、ルイズとリュリュとの間で会話にも花が咲いている。

「……ええっ、あなた、お肉を食べられないんですか?」
「そうなの、たくさん取ってきたあれは私が食べるためじゃなくて……いつもお世話になってる、シエスタっていうメイドの子へのお土産なのよ」
「ああ勿体無い、きっとあなたは人生の半分を損しています! 三日間の暗闇の中あの断食に耐えた私は、今なら特上の肉を錬金できそうなほどにお肉が食べたいのに!!」

と、リュリュは感極まったように言っていた。
気絶のおかげで今回の凄惨な場面をほとんど見ていないせいか、肉を食べることにまったく抵抗が無いようである。
火竜の肉は、極楽鳥のタマゴのように美食というほどでもないが、飼育種の長命さ希少さや野生種からの採取の危険さのせいで、一般的に流通していない。
ある意味で極楽鳥のタマゴよりも希少な、それだけなかなか手に入らない食材はさぞかし美味なものなのでしょう! と懲りない少女は拳をつきあげたという。

実のところ、彼女は当初の目的達成のための成長のタイミングを逃してしまっており、『極上の肉』の錬金にこの後も失敗しつづけることとなる―――
でもある日それが一転、思わぬ発見となる―――かもしれないが、それはまた別の話である。

「ミス・ヴァリエール、どうか薬を作ったそのミスタ・コルベールという方を、私にご紹介ください!」
「ええ、今日は出かけていらっしゃるみたいだから、帰ってきたらね」

少女リュリュは、ここが火竜山脈から遠く離れたトリステイン魔法学院であることに、そこそこ驚いていたが……
彼女は美食のほかにも、どうやら瀕死の状態から自分の命を救ったあの『良く効く薬』に興味津々で、『山をえぐり竜を倒した大爆発』だの『ガリアからトリステインまでの超長距離の瞬間移動』だの、そんな細かいことは全く気にもしていないようだった。

一方アニエスは―――
あの強烈な『風のあざみの夢花火』でヒキニクの山を作っておいて『ルイズ本人は肉を食べられない』ということを知って、心底呆れるほかなかった。

(はてさて、まさか剣士の私が包丁を振るって、火竜と人間、一日で両方を討ち取ることになるとは……まったく人生とは、先が見えぬものだ)

そして、剣士は暖かいお湯に肩までつかり、からだを癒しつつ―――
視線の先には、湯船のなかで身体を弛緩させふにゃふにゃ笑顔のルイズと、かすかに口元をほころばせるタバサ、死地から一転の安堵を得て満面の笑みのリュリュ……
自分が包丁を振り回したことによって得ることのできた、三人の少女の笑顔という結果を眺めながら、そっと微笑み、ため息をつく。
今回の冒険の報告をしたとき、主君アンリエッタ王女は、いったいどんな顔をするのだろう―――と、想像してみるのであった。


//// 【次回:騎士団長タバサ(?)……の巻、へと続く】



[12668] その20:ルイズ・イン・ナイトメア
Name: 歯科猫◆93b518d2 ID:b582cd8c
Date: 2010/01/17 19:30
//// 20-1:【真夜中に背中のほうからだんだんと騎士になっていく恐怖と比べたら……ど、どうってことないんだからね!】

剣士アニエスは、王女じきじきに開いてもらったポータルで、いったん王宮へと帰還していった。

巨大な肉切り包丁は、「もう勘弁してくれ」と置いていった。
あの最中ずっとでっかい包丁を背負っていたのに、リュリュに一度たりとも「包丁でけえ!」と突っ込んで貰えていなかったことが、かなり堪えたらしい。
きっといままでの常識というものが、ぐらぐらと崩れそうになっているにちがいない。

「よく『類はともを』なんとやらと言います、……ひょっとすると私も、その『とも』なのではないかと思うと、恐ろしくて……」

アンリエッタ王女は、今回の一件の出来事をすべて正直に報告するアニエスを見て、彼女のことを心底気に入ったらしい。

「うくくくっ、あ、あなたって……ほ、本当に愉快な方ですのね」
「で、殿下、お言葉ながら言わせていただきますが、私は断じてヘンタイなどではありません!」

竜退治、魔道師退治をしたとはいえ、他国に無断入国したうえでの話―――
今回は秘密任務なので功績の大きさにたいし爵位も与えられないが、友達を助けてくれたお礼です、とお給金をかなりアップしてくれたのだという。
今後ますます彼女の忠実な剣士は、国のため王女のため騎士(シュヴァリエ)とならんがために、困難かつ死体一歩手前の任務へと果敢に励むことであろう。

……

ガリアの騎士(シュヴァリエ)、雪風のタバサは、上司の食べたがっていた『極楽鳥のタマゴ』をプチ・トロワへと運んだのだという。
季節外れの『極楽鳥のタマゴ』は、タバサやシルフィードが自分たちで食べてみた結果、採取に苦労した割にちっとも美味しくなかったのだそうな。
シルフィードは、「ざまあみるのねイジワル姫」と喜んでいた。

魔道師『狂人ザール』の遺体は、『幽霊屋敷』にたくさん置いてある棺おけが本来の用途で活かされ、タバサから役人へと引き渡された。
タバサはそこそこ高額の賞金を受け取り、四人で分配したあと、自分の分の金貨を「薬代の足しに」と言って、ゼロのルイズへと渡したのだという。

……

少女リュリュは現在、魔法学院に無許可滞在しており、『幽霊屋敷』でルイズたちの今回の一件で壊れた物品の修復作業を、手伝ってくれている。
「棺おけに寝るなんて、トリステインには変わった風習があるのですね」と言いつつ、本当に棺おけで寝泊りしているのだそうだ。
幼い頃より偉い役人の娘として何不自由なく育てられたことによる、多少天然の入った性格もあるだろうが……今回の一件で、彼女の順応力はかなり成長したようだ。
教師コルベールとの面識を得て、とても充実した日々を送っているようだ。

「ミスタ、ミスタ・コルベール、さっそくあなたの新しい発明を見せてください!」
「おおミス・リュリュか、待っておったぞ、さっそくこちらへ……」

彼女は、例の『安価で普通のものよりちょっとだけよく効く薬』の販売ルートを、かの『代用肉』発明時に培った商人たちの人脈で、目下どんどん開拓中なのだという。
美食を求めて火竜の群生地に飛び込むだけあって、それはそれはなんともすさまじい行動力だったそうな。

「本格的な製薬企業を作るのです! 社名はミス・ヴァリエールとミスタ・コルベール、頭文字を取って『V&C』などいかがでしょうか!」

どうやら彼女は今回何度も死にそうな目に会ったせいか、「せめて美味しいものを」といった目標にくわえ、「貧しい病人、怪我人の命を救う」という新しい目標にも目覚めたらしい。

……

そしてあのとき出かけていた微熱のキュルケは、翌々日あたりにコルベールとともに<タウン・ポータル>で帰還してきたのである。
実家のツェルプストー家の人たちとコルベールを会わせ、研究のバックアップを家の者に約束させてきたのだそうだ。
ゲルマニア国内に薬の販売を行うためのコネも得て、コルベールの『世のため人のために尽くす夢』のための研究資金は、今後ますます情熱的に大きくなってゆくことだろう。

「たぶん火のメイジのあたしが火竜を退治しに行っても、なんにもできなかったのでしょうね……」

キュルケは、またルイズとタバサの二人に自分だけ置いていかれていたことに、当初憤っていたが……
『幽霊屋敷』のそこらじゅうに巨大な火竜の残骸を見つけたとたん、冷や汗をだらだらと滝のように流したのだそうな。
でも、さあこれから一緒に宝探しだ、と気合を入れなおしているのだという。

……

シエスタは、『幽霊屋敷』に置いてあった、綺麗に磨き上げられた野生種ファイアドラゴンの頭蓋骨にむかって、ずっと微動だにせず笑顔を向けていたのである。
そう、笑顔だったのだが……やはり、目だけが完全に死んでいた。

(それでもナイトさんなら、ナイトさんなら強いから、ちょこっと修行すればきっと火竜だって……!!)

さて、シエスタにお土産よ、と容赦なくずしんと山のように渡されたホンモノの火竜の肉は、興味津々のリュリュとともにちょっとマルトーが調理に工夫をすれば、驚くほどに美味しい料理に化けたのだそうな。
ルイズ自身は、そのドラゴンを自分で狩ったとは言わず、『親切なおじさまに貰ったのよ』とにやにやしながら言っていたのだが……

『ハルケギニア中の貴族を敵に回しても、ゼロのルイズだけは敵に回すな』

という噂が学院内に流れるのも、もうすぐのことだろう。

……

一方、ゼロのメイジ、ルイズ・フランソワーズは、自分には使えない<黙示録の杖>を直そうと四苦八苦している。
瞑想や秘術のトレーニングや研究、霊薬の精製などにくわえ、またルイズの日課が増えたのだ。ずいぶんと忙しい毎日を送っているようだ。

「しくしくしく……娘っ子お、さっさと俺っちをあの箱で直してくれよう」
「ごめんねデルりん、『オート・ルーン(Ort Rune)』があればこの杖の修理やリチャージも可能だって解ったから、ついついもったいなくなっちゃって……」

デルフリンガーは、ひび割れた刀身を修復するために、またマナ・ポーションの満たされた洗濯桶で漬物になっているのだ。
ときどきギーシュの使い魔のモグラ、ヴェルダンデが発掘し、拾ってきて売ってくれる魔力の込められた小石<ルーン石>には、等級がある。
低い等級のものは、三つ合成すれば、ひとつ上の等級のものとなる。なので『低の上』の等級の石を作るには、低級の石が沢山必要になる。
武器の即時修復、および杖の魔法の使用回数リチャージが可能な『オート(Ort)』の石は、ルイズが手に入れられるもののなかでは、けっこう希少品なのであった。

「あの小石一個で平民が三年は暮らせる額を払ってるのよ、あなたを購入した金額よりもはるかに高いわ」
「お、おでれーた、そんなにするのかよ!」

だからこそルイズは、便利で貴重な石を節約しなければならないと、なるべく自力での修復を試み、自身の技術を向上させようとしているのであった。
デルフリンガーはカタカタと震え、洗濯桶の青い液体がちゃぷちゃぷと波紋をたてる。

「そう、だからあまり贅沢を言ったら毎日頑張ってるシエスタとか、貧しい人のために必死でニセお肉の『錬金』を研究してるリュリュにだって、申し訳ないじゃない」
「でもよう、だってよう……」
「それに姫さまや私の国トリステインが危機に陥ったら、きっとこの杖が役に立つと思うの……だから『オート・ルーン』は国の弾薬、無駄づかい出来ないわ」

以前の所持者であった狂人ザールは、自力で何度もその杖に、無理な魔力のリチャージを行っていたらしい。
なので杖には負荷がかかってしまい、チャージ可能な使用回数の上限がたったの3回にまで減ってしまっているようだ―――
それでも修理を終えて使用可能なメイジに渡して、<ホラドリック・キューブ>とルーン石で大事にチャージしながら細々と使えば、一個の石で三回は使用できる貴重で凶悪な兵器となるだろうことに、変わりはないのであった。

「だけど私が今こうして生きているのって、あなたのおかげなのよね。デルフリンガー、あなたはとってもステキな、私のナイトだわ」
「その口説き文句は嬉しいがよう、そう思うならもっと労わってくれっつの……杖なんかに浮気すんなよ、ヴァリエールは浮気しねぇんじゃなかったか」

そんな言葉を聞いたルイズの白い髪のひとふさが、ぴょこん、と震えた。

「あらいやだ、うふふ……そこまで言うなら、……今夜、あなたを抱っこして寝たげるわ」
「よせやい、あんたに触れられてると、ときどき暗くて気味の悪い、深いところに引きずりこまれちまうみてえなおっとろしい感じがするんだっつうの!」

相手が人間ではなく物体であるせいか、どこか遠慮のないルイズである。
いっぽう古き剣デルフリンガーも、自分が確実にこの少女の役に立っているという実感があるせいか、満更でもなさそうであった。

「ま、最近は多少も慣れて、落っこちねえコツもつかんできたけどよう……まったく今度の<虚無>はブリミル・ヴァルトリの一万二千五百倍は怖ええやな」

さて―――

デルフリンガーは、かつて伝説と呼ばれたこともある、古い古い剣である。

六千年の長き歴史のあいだ、彼は何故自分が剣のくせに意識を持たせられたのだろう、と何度も考えたことが、やはりあったらしい。
そんな疑問は、長い長い剣としての歴史のなかで記憶の忘却やら封印とともに、もう磨り減ったり掠れたりして消えていてしまっていたのだそうな。

さて、知性感性を持った人間は、通常、長く生きることができない。
あまりに長く生きすぎたとき、それはもう人では無くなるのである。天使も悪魔も、竜も剣も英霊も、人ではないので長く生きる。
デルフリンガーは、人にあまりにもよく似た知性と感性を持っていた。
そして彼は六千年の時のなかで、『過去を忘れ、封印すること』によって、自分の理性と感性とを守ってきたのであった。

だからデルフリンガーは、『俺っちは剣だ誰も守らない、俺っちを握った奴が誰かを守るのさ』と考え、それだけで納得していた。
それが動けないから仕方の無い『剣の本分』というものだ、とあきらめていたのである。
ときどき、それでは寂しいのではないかと、ずっと封印されていた何かの記憶が彼自身に問いかけるのだという。
なので、どうしてこんな人に似すぎた感性が自分に与えられる必要があったのだろうか、と考えたこともあったという。

いっぽうラズマの宇宙観において、あらゆる存在は<偉大なる円環>につらなっている。それは剣すらも例外ではない。
その自然なる秩序と混沌とのバランスというものは、あらゆるものを、あるべき場所へと運ぶのだという。ラズマの秘術は、そのためのスキルだ。
それは、剣であるには過ぎた感性をもつ剣を、ときに物体としての剣の限界を超えた存在の高みへと―――運ぶことも、あるのかもしれない。

そして、剣が動けるようになる方法が見つかってしまえば、もう今までの『剣の本分』だけで納得することはできないのである。

「デルりん、あなたは私の剣、そして私の騎士……いつも私を守ってくれてありがとう、とっても感謝してるわ」
「感謝してるなら、頼むから修理してくれよう!!」
「だぁめ、うふふふ……」

かつて始祖の使い魔『ガンダールヴ』が、象徴的な呼び名で<始祖の盾>と称されたように―――
ときに、姫を守り敵をうつ、忠実なる騎士というものは、人間であろうとなかろうと―――それこそが<剣>や<盾>と呼ばれ、称えられるものである。
俺っちは剣だ、とよく言う剣は、作られてから六千年たってようやく新しい意味での剣となりうる可能性を、見つけたのかもしれない。

―――

トリステイン魔法学院の夜。

青い髪の少女、ガリアの騎士、雪風のタバサは、おふとんにくるまってすやすやとベッドの中。
就寝中の彼女は今、夢を見ている―――

「だめ、それを食べちゃだめ」
「うふふ、大丈夫よタバサ……毒物マスターの私に毒なんて効かないの、見ていてちょうだい」

幼いころ、母の心を壊されたときの情景が、浮かんでいる。
タバサの大切な人が、タバサの身代わりに、毒入りの食事を食べさせられようとしているのだ。
危険な食べものを口に運ぶ人物は……史実では母だったのに、この夢では何故か、白い髪のルイズ・フランソワーズである。

「……う、うううっ、ごめん、私にも、無理だった……」
「ルイ、ズ……」

夢の中でも、母のときの事実のとおり、ルイズの心は悪い薬によって壊れてしまうのであった。
場面は変わって、ここは廃墟のようにぼろぼろのお城のなか。
怖い怖い幽霊や、『血まみれ肉お化け』、そして何百何千のスケルトンたちが、この城からどこかの街や村を滅ぼすために出陣してゆく。
心の壊れたルイズは絶大なる力を持った死者の軍団(The Scorge)の主、闇の王女となり、いまやハルケギニア全土に君臨しているのだった。

「タバサ、あなただけが真の私の騎士……いつまでも私を守って」

今のタバサは、悪いお化けに取り憑かれて、ルイズとおそろいの白い髪になっている。
恐怖と憎悪と破壊でハルケギニアを支配する『ゼロ死霊騎士団』の団長であり、そしてこの城のナンバー2として邪僧アコライトどもを統括し、主に仕えている。
狂ったルイズも、この城のお化けたちも、とても怖いけれど……ルイズは自分だけには優しくしてくれるのだ。
なにより彼女は母を治してくれたし、父を蘇らせてくれたし、祖国にいる憎い仇だってたちまち討ち滅ぼさせてくれた。

「ああっ面倒だわ、またキュルケたちが来たみたい」

死霊の姫(Lich Princess)、ゼロのルイズを倒さんと、この城へは沢山の勇者たちがやってくる。
それはかつてのルイズの友や恩師、知り合いだった人たちだ。城を守るゴーレムやスケルトンの軍団は、たちまち倒されてしまった。
キュルケ、ギーシュ、コルベール、ギトー、アニエス……そのほかに、ひとり見慣れぬ少年がいる。

「ヴァリエール! 今日こそあなたを……あたしの炎で焼いてあげる!」
「ほんと懲りないわねツェルプストー、……私が出るまでもないわ、タバサ、あいつらを皆殺しにしなさい」

白い髪のタバサはルイズを守るため、<思い出の杖>ではなく大きな剣を手に、無言で勇者たちの前に進み出る。

「タバサ! あなたどうしちゃったのよ、お願いだから戻ってきて!」

そんな風に叫んでいるキュルケを、タバサは氷のように冷徹な無表情で眺めている。

「ゼロのルイズめ……モンモランシーの仇!」
「ゼロのルイズ、アンリエッタ王女殿下の仇、貴様を討ち果たす!」

ギーシュが、アニエスが、杖や剣をかまえる。家族を失ったギトーも教え子と弟子を失ったコルベールも、臨戦態勢を取っている。
そして死の騎士(Death Knight)タバサは、キュルケたちに向かって、巨大な剣をかまえ、振り下ろす―――

「あなたたちを、殺す―――『エア・ブレイド・フューリー(Air Blade Fury:空手裏剣)』」

ゴオウッ―――!!

タバサの持つ剣から、廃墟の城のホールを埋め尽くさんばかりの、無数の真空の刃が放たれる。
この剣『氷の慟哭(Frostmourne)』は、ルイズにもらった強力な魔剣だ、そして三柱の魔神すら使役するルイズの力を得た今のタバサに、敵はいない。
何よりも大切なルイズ、主君を狙う敵をヒキニクにするのだ。

「よくやったわ、タバサ……ご褒美に、今日一日は手をつないでいてあげる」

白い髪のタバサは、敵をやっつけた。
タバサは氷のように冷たい主の手を握る。

「でも、まだ生き残りがいるようね」

その黒い髪の少年はデルフリンガーを握っており、タバサの魔法攻撃に耐えたようだった。
全身傷だらけになりながら―――このやろう、よくもみんなを、よくもシエスタを、と叫んでいる。
彼はたしかシエスタの騎士であった。持ち主の黒髪の少女の強い願いを受けて、人形が主人を守るために人になったのだ。
タバサが彼を殺そうと剣を向けるが、それはルイズによって止められる。

「うふふふふ……気に入ったわ、私がじきじきに相手をしてあげる」

ゼロのルイズは、怪しく笑うとタバサから手を離し、とつぜんもりもりと巨大化するのであった。
大きな城のホールの中はもう、全長50メイルはありそうな巨人となったゼロのルイズで、いっぱいだ。
タバサの位置からは、ルイズのスカートの中、でっかいパンツのおしりも見える。

―――あはっ、あはははっ、アーッハッハッハッハ!!

ルイズは城じゅうに響くような、地獄の底から聞こえてくるような大声で、笑った。
そして瞳孔の開いた目から不思議な光線を放ち、黒髪の少年とデルフリンガーを、一撃で焼き払うのであった。
敵を倒したあと、体が縮んでもとの大きさにまで戻ったルイズは、再び手をつないだタバサへと冷たく妖しく美しい微笑みをむける。

「ねえタバサ、あなたにお願いがあるの」

何だろう、と白い髪のタバサは思う。

「この薬を飲んで、死体になって……永遠に私と一緒にいてちょうだい」

差し出されたのは、キラキラと澄んだ黄金色に輝く、薬の入った小瓶だった。
これを飲んで死ねば、これ以上年を取ることも死体が腐ったり乾いたりすることもなくなり、ずっと一緒に居られるのだ。
タバサは迷うことなく頷き、それを受け取って、口元へ―――

「―――だめ、それを飲んじゃだめ!」

―――……

……

「はっ、はっ、はっ、はっ……」

自分の叫び声で、タバサはがばりと飛び起きた。
とても息が落ち着かない。体中にじっとりと、ひどい汗をかいている。タバサは混乱していた。
顔は真っ青、胸のうちで心臓がばくばくばくばく、と鳴っている。もう口から飛び出してしまいそうだ。

「はっ……はっ、……はぁっ……」

就寝時だ、ここは暗闇の部屋。タバサは自分が自室のベッドの上にいることに、しばらく気づけなかった。
今の今まで自分が眠っており、夢を見ていたことにまで、しばらく気づけなかった。

「……ゆめ」

ようやく事態を把握したようである。
タバサは夢の中の自分の行動にたいし、叫んでいたのだ。

「何て、ひどい、ゆめ……」

つくづく思い返してみるに、なんと恐るべき悪夢であったろうか。
夢にルイズが出演してタバサを怖がらせることは、これまでにもあったのだが……
今回は、輪をかけてひどい内容であった。自分までもがおかしくなって他人に手を下したのは初めてだ。体中がぶるぶると震える―――

(どうしよう、眠るのが怖い……)

しだいに夢の内容は、記憶のなかから薄れてゆく。
夢にルイズが出てきた、キュルケたちと敵対してタバサが殺した、ということだけが残り、他の内容は消えてゆく。
でも、またあの怖い夢を見るのではないか……と、タバサは心配で仕方が無い。
あんな夢をみるなんて、わたしはいったい、どうしてしまったんだろう―――とてもとても一人では居られそうにない。

(そうだ、キュルケの部屋に……)

ゼロのルイズは、タバサにとって大切な友人である。
しかし白髪の彼女は、いまだに雪風の少女にとって、この上なく恐ろしい存在でもあるようだった。
タバサは一人で眠れなくなってしまい、杖の先に煌々と魔法の明かりをともし、部屋を出て廊下を歩いていった。





//// 20-2:【なんとなく夢を】

さて、タバサは、階下のキュルケの部屋で一夜を明かす。
殺風景なタバサの部屋とは異なり、気移りしやすく飽きやすいキュルケらしく、雑多な調度品のある温かみに溢れた部屋だ。

「タバサ、あなたって最近、ルイズのことばっかりよね」

キュルケは、となりで横になって静かに目をつぶっている青い髪の少女に、心配そうに問いかけた。

「あのルイズがいろんな意味で心配なのは解るけど……あたしはあなたのことも心配だわ」

あの惚れ薬の一件以来、タバサの心の中でルイズの占める割合が以前よりはるかに大きくなっているらしいことは、キュルケにも解る。
いちどルイズが死に掛けたときも、タバサの取り乱しようはひどかったものだ。
それに、もしかすると―――

「タバサ……本当に大丈夫なのかしら? もう、ルイズと恋はできないのよ」

キュルケは思う。
恋愛に慣れていないタバサは、あの薬の効いていたときと同じ幸福感を得ようと、無意識にまたルイズを求めているのではないか。
でも、今後どんなにルイズにべったりとしても、それはたぶんもう、得られることはないだろう。
そして失ったものの大切さ―――恋愛、家族もそうだが―――というものは、ときに人を追い詰めるほどに大きく膨らむのだという。
この静かな少女タバサはキュルケと違って、熱しやすく冷めやすい性分なのではない。

「それはないと、何度も言ったはず……あなたはしつこい」
「でも……」

少し気に触ったようだが、赤い髪の友人が本気で心配してくれていることは、青い髪の彼女にも伝わったらしい。

「大丈夫……解っている、困っているのは別のこと」

タバサはすこしだけ目を開けて、ぼーっと天井を見つめていた。何を考えているのかは、キュルケにも解らない。

「ならいいんだけど、その……別のことっていうのは、あたしも聞いていい話かしら?」

先日キュルケがタバサと一緒に、王都トリスタニアの町に出かけたとき……
二人は本屋へと、寄ったのである。
そのときタバサはぼんやりと、一冊の本を眺めていた。それは―――

『恋愛の実践論―――女の子のハートを射止めるためには』

という衝撃のタイトルの本であった。たちまちキュルケは顔面蒼白になって、絶句したものだ。

(タバサ! あなたどうしちゃったのよ、お願いだから戻ってきて!)

キュルケは滂沱たる涙を流して、タバサに別の本を買い与えた。それは―――

『恋愛の方程式―――男の子に好かれるためには』

でも今になって思えば、あれが恋に恋する火種へと燃料を与えてしまったのではないか……ともキュルケは心配する。
恋を欲しているのなら、どうかタバサには自分ほどまでとは言わないが、男の子の一人や二人と恋愛でもして欲しい……と思わざるを得ない。
さてタバサはもう黙ってしまい、目をつぶっている。今の彼女に必要なのは、恋の話よりも、暖かい手だ。

「聞かれたくない話なのね、まあいいわ……話せるときに、話してね」

キュルケは、宝探しが終わったら、せめて誰かいい男の子でも紹介してあげようか、と思う。
最近友人となったあの眼鏡の誠実な男の子なら、タバサとも性格や趣味なども合うのではないか……そんなことを考えながら―――
タバサの小さな手を、そっと握り―――

「おやすみ、タバサ」

キュルケは目を閉じた。

―――

赤い髪の少女、ゲルマニアからの留学生、微熱のキュルケは、タバサと一緒におふとんにくるまってすやすやとベッドの中。
就寝中の彼女は今、夢を見ている―――

夢の中、キュルケは小さな教会にいる。
そこで雪風のタバサは、これからルイズと結婚式をあげるのだ。
ごーんごーんと鐘が鳴って、紙ふぶきが舞っている。白いハトの群れが、ばさばさと飛んでいった。

「おめでとう、タバサ」
「おめでとう」

タバサの家族―――心の病気の治った母親と、顔ははっきりしないが、優しそうな父親。
そして、執事のペルスランに使い魔のシルフィード。
友人や恩師たち……シエスタにモンモランシー、ギーシュ、ギトーにコルベール。
オールド・オスマン、アンリエッタ王女にウェールズ王子、アニエスに、リュリュも居る。
トリステイン魔法学院の生徒たちも居る。キュルケが留学前に通っていた、ゲルマニアのヴィンドボナ魔法学院の生徒たちもいる。
みんながわいわいと楽しそうに騒ぎながらも、タバサのことを祝福していた。

「雪風のタバサ、うらやましいぞ!」

風上のマリコルヌが、男泣きをしている。

「ギーシュ、次はお前たちか」
「はは、そろそろご両親に挨拶をしに行かないとね」

男子生徒たちがギーシュを冷やかしていた。
タバサが投げたブーケを受け取ったのは、モンモランシーだったのだ。

「みんな、本気なのかな」
「そうみたいね……本気みたいだわ」

そしてキュルケと眼鏡の少年レイナールだけが、少し離れたところで呆然と、その光景を見ている。

「女の子同士だよ、ありえないよ」
「たぶん、これは夢なのよレイナール」
「……うん、そうみたいだね、じゃあ僕もきみの夢の中の存在なんだろうね」

現実の常識人二人は、夢の中でもかなりの常識人であったようだ。
賢明にもキュルケは、これが夢だということに気づいたようである。
目の前で展開されているそれは、あまりに儚く、まぶしく、現実感のない光景なのだった。

「祝って」

純白のウェディングドレスを着たタバサが、キュルケたちのところへやってきた。
タバサは、キュルケさえも見たことのないほどの穏やかな笑顔で、すこし頬を染めており、とてもとても幸せそうだ。

「ねえ、同性なのよ」
「解ってる、でも父さまがガリアの、アンリエッタ王女がこの国の法律を変えてくれた……だから、結婚できる」

キュルケは思う―――自分は解っている、これは夢だ。自分は今レイナールと手を繋いでいるが、現実でこの手の先にいるのはタバサのはずだ。
目の前のタバサは、自分の想像の中のタバサなのだ。

「わたしに、祝福を」

解っている、自分の知る限り夢の中でも現実でも、世界中で誰よりもいちばん祝福が与えられなければならないのは、タバサだ。
間違いなく、彼女には幸せになって欲しいと思う。でもこれがその答えでは、ないはずだ。
とうとうキュルケは切なくて切なくて、あふれる涙を抑えきれなくなった。隣のレイナールが、そっとハンケチを渡してくれた。

「ねえ、ルイズ……」
「なによツェルプストー……今日からタバサは私のもの、あなたにも渡さないわよ」

ピンクブロンドの長い髪の毛の少女が、そこに居た。彼女も、けがれの無い白いドレス姿だった。

「私にはもう、死体もお化けも毒も、ヒトダマもガイコツも要らないの……だって、タバサが居るんだもん」

自慢げに笑う彼女は、心の底から幸せそうな、太陽のように明るい笑顔だった。
現実の彼女のよくやるにやにやとした薄気味悪い笑みではない、満ち足りた笑みだ。
そばにいてくれる人がいる限り、彼女はゼロではないのだ。

場面は変わる―――
そこは、ラグドリアン湖のほとりだ。
ルイズとタバサがいる。このときキュルケと手を繋いでいたのは、あのときと同じモンモランシーだった。

「永遠の愛を誓うわ」
「わたしも、誓う」

寄り添って手をつなぎあい幸せそうな二人の少女を、キュルケは見ている。
水の精霊―――全裸の幼女モンモランシーに愛を誓っている光景は、やはりどことなくシュールでもあった。

「あのね、レイナール」
「何だい、ミス・ツェルプストー」
「……こんなのがあたしの答えだとは、言えないわよね」
「そりゃそうだよ、たぶんこの夢はきみの願望ってわけでも無いんだろうから」

いつのまにか、となりにいたはずのモンモランシーは、レイナールの姿に変わっている。
彼はおだやかに言葉を続ける。

「きみはきっとミス・ヴァリエールにあの子を取られたって思って、悔しがってるんだろうね」
「そうなのかしら」
「こんなしょうもない夢でも、きみの心なんだよ……だから、探せば答えのかけらくらいは、あるはずさ」

レイナールが指差したところには、笑顔のルイズのとなりに、笑顔のタバサがいる。
視線を戻せば、キュルケと手を繋いでいた眼鏡の少年の姿は既に、金髪の少女モンモランシーの姿に戻っていた。

「私とも誓ったじゃない……ほら、みんな一緒に、ずっと、笑顔で、って」

モンモランシーは、そう言って底抜けに明るい笑顔で、笑った。

「キュルケ、あなたの手は、とっても暖かいのよ」

そして、つないだ手をちょっとだけ持ち上げて、キュルケへと見せるのであった。

―――……

……

……

キュルケは、夢から覚める。

(そう、あたしの杖を、振る意味……)

ぼんやりとした頭で、キュルケは考える。
ジグソーパズルの最後のピースがこつぜんとどこかへ消えていってしまったような、切ない気分であった。
でも、自分にだって、タバサにだって、ロウソクの炎のように一度きりの人生だ。迷うことも笑うことも泣くことも、沢山あるだろう。
タバサが自分の人生でどんな選択をしようと、自分は精一杯それを助けることしかできないのだろう、とも思う。

(この子のために、せめて笑顔のあふれる人生を……)

そっと、安らかそうに眠るタバサの小さな手をにぎり、ふたたび眠りの中へと落ちてゆくのであった。

あのときタバサが見ていたのは実はとなりのホラー小説で、ただ怖くなって目を逸らした先に例の本があっただけということを彼女は知らない。
赤い髪の苦労人少女の心配性と気苦労は、青い髪と白い髪の友人がいるかぎり、手を変え品を変え呪いのように張り付いて、終わらないのかもしれない。




//// 20-3:【タフになれ、おまえ】

ある日の魔法学院、学院長室には、ルイズを連れてアンリエッタ王女がやってきている。

「氷の杖を貸して欲しい、ですかな」
「ええ、偉大なるオールド・オスマン、あなたの所蔵する氷の杖が私たちには必要なのです」

お忍びの訪問だということで、歓迎の式典などは行われていない。
突然の王女来訪にオスマンは驚いたが、それでもいつものペースを崩さないのはさすがである。

「まあ仕舞っておるばかりで、使い道もないことじゃし……お貸しいたしましょうぞ」
「感謝いたします」

コルベールやらルイズやらが、学院で何かをこそこそとやっていることが、オスマンには気になっている。
有能な秘書が居なくなってから仕事が忙しいうえに、もともと面倒くさがりの自分は、とくにそれに参加するつもりはないのだが―――
覗き見が趣味な彼は彼で、好奇心旺盛なのである。
そしてなんと、一国の王女まで引っ張り出してくるとは、と驚くばかりだ。

「そして、『始祖の祈祷書』なのですが」
「うむ、確かにあずかっておりますぞい……そしてこれはヴァリエール嬢に、でいいんじゃの」

コルベールやらルイズやらがたまに忍び込んでいる、学院図書館の禁書ライブラリーの使用状況をチェックしたオスマンは、ルイズの額のルーンが『始祖の使い魔』のものなのではないかと、正しくも当たりをつけていた。
齢を重ねた彼には解る、この国もふくめ、ハルケギニアで大きな何かが動き出しているようだ。
そんなときに、伝説の『虚無』の系統が蘇るのかもしれない……
始祖の祈祷書は、きっと『虚無』に関係するものなのだろう。

「ほれ、これじゃ……おぬしは巫女ではないからの、ここで試すだけじゃぞ」
「ありがとうございます、オールド・オスマン」

うやうやしく受け取るルイズを見て、調子がいいのう、とオスマンは呆れるほかない。

「で、何かこのおいぼれめに話はしてくれんのですかな」
「では、正直にお話いたしましょう」

アンリエッタ王女は、<サモナー>のことについて、話した。
アルビオン王国を裏切り、王を殺し滅ぼした、危険な魔道士であること。
強大なる悪魔を召喚する技をもち、いずれトリステインやハルケギニアに災厄をもたらすであろうこと。

「……ルイズ、よいかしら」
「ええ、こうなったら仕方ありません」

ルイズが<ミョズニトニルン>であり、そのルーンでトリステイン秘宝<水のルビー>を調べたところ、<虚無>に関連するものだと判明したこと。
もしルイズ・フランソワーズが<虚無>のメイジであるなら、その力で強大な悪魔や、あの<サモナー>にだって対抗できるかもしれない……

「もうすでに、私の所持している『風のルビー』と『風のオルゴール』も試してみたのですが……」

しかしルイズに『虚無』のスペルは身につかなかった。
ならば、祖国であるトリステインの『始祖の祈祷書』はどうなのか……という話になったのである。
そして、この古い白紙の本がホンモノである可能性は、ほとんどない。始祖の祈祷書には、ニセモノが図書館を作れるほどに多く存在するからだ。
かくして―――

「姫さま、オールド・オスマン、これ……本物です、間違いなく六千年前に作られた、本物です」

<水のルビー>をはめて祈祷書を手にし、ルーンを発光させたルイズの一言に、二人は緊張することになる。

「読めますの?」
「どうかね、読めるかね」
「……いえ、やっぱり白紙のままです」

身を乗り出した二人に、ルイズは力なくそう答えた。
秘宝は、『虚無の呪文が必要なとき』でないと、使えないのだという。
二人は落胆した。
ルイズはショックを受けたのか、焦点の合わぬ目で、ただぼんやりとしている。みな期待は大きかったようで、空気は重たい。
アンリエッタ王女が慌てて空気を軽くしようと、話しはじめた。

「……そうでした、感謝のしるしに、オールド・オスマンにお渡ししたい宝物があるのです」
「ほほう、なんですかの」

アンリエッタがルイズを促す。それは、ニューカッスル宝物庫からルイズがせしめてきたアイテムのうちのひとつである。
我に返ったルイズが取り出して、うやうやしくオスマンへと差し出したのは、緑色の布切れ。
誰が見ても全くその価値を理解できないであろう、あまりに不恰好な、緑色に染めあげられた頭巾だった。

「これを、わしに、くださるので」
「ルイズが言うには、氷の杖よりもずっと高い価値のあるアイテムだそうです……ええと、『とれはん野郎の最終装備』の帽子、ですとか」

オスマンは笑顔をひきつらせた。
アンリエッタの表情も、ひきつっている。

(な、何じゃこりゃ、ダサイのう……)
(何度みても、ダサイですわ……)

おほんとひとつ咳払いをしてから、オスマンはルイズに問いかける。

「その、だな、ヴァリエール嬢よ、これは……頭巾、……でよいのかの?」
「いいえシャコー帽(Shako:目庇と飾りのついた高い円筒状の軍帽)ですわ、オールド・オスマン」

- - -
ハーレクイン・クレスト(Harlequin Crest)
シャコー(Shako)
防御力:135
装備必要条件:レベル62 :必要筋力50
耐久値:12
+2 全スキルレベル
+ キャラレベル1につきライフ1.5(最大148まで)
+ キャラレベル1につきマナ1.5(最大148まで)
ダメージ軽減 10% 
+50% マジックアイテム入手の確率アップ
+2 筋力
+2 敏捷性
+2 体力
+2 エナジー
- - -

「……一応聞いておくがのう、この頭巾のどこが、……その、『シャコー帽』なのじゃね」
「始祖の与えたもうた私の額のルーンが、その頭巾を『シャコー帽』なのだと主張しているのです」

さて、始祖の名のもとに白いものも黒となってしまう、ままならない世の中である。ルイズもオスマンもそれで納得するほかない。
オスマンはひきつった笑顔のまま、おそるおそる、それを被ってみた。

「おおっ……お、おおおお? おおっ!」

緑色の頭巾をかぶった老人オスマンは、驚く。
なるほど、体中に力が満ち溢れるようだ。魔法の技術もあがり、生命力と精神力がレベルに比例してとても強くなるのだ。
これを被っていれば、オスマンは女性にセクハラをして魔法攻撃を受けても、そう簡単にはくたばらないにちがいない。
きっとこれからは彼の怪しいアイテムのコレクションも、もっと充実するようになるにちがいない。

「に、似合うかのう」

何と言ってよいのか、アンリエッタは心底困っていた。だが、先に返事をしたのはルイズだ。

「わあっ、素敵! とってもシャコー帽がお似合いですかっこいいです、偉大なるオールド・オスマン!!」
「……お、お似合いですわ、っく、し、シャコー帽……っ!」

ルイズにつられて、つい似合っていると言ってしまったのは、アンリエッタ王女。もう、顔は真っ赤で、笑いを必死にこらえている。
このダサすぎる頭巾がオスマンに妙に似合ってしまっているからこそ、何も言えなかったのであった。

「……そ、そうかのう、おっほっほ、これは良いものをいただけて光栄ですな、大事にしますぞい」

怪しすぎる緑色の頭巾をかぶった自分の姿を鏡に映して、オスマンはひきつった笑顔で、額にびきびきと青筋をたてて乾いた笑い声を発するほかない。
このアイテムを『とても便利だけど、自分には装備できない』と譲渡することにした元凶は、ルイズである。
もし見た目も本気で良いと思っているのなら、ルイズはいずれ装備できるようになったら、きっとオスマンから取り返すに違いない。

「ところでオールド・オスマン、偉大なるメイジであるあなたに、お願いしたいことがあるのですが……」

やがてアンリエッタは姿勢をただして、オスマンへと話をはじめた。
それは<虚無>よりもずっと現実的な、この魔法学院とトリステインの国を守るための方法の話であった。
オスマンはその話をきいて、みるみる真顔になる。
そんなオスマンに、ルイズがまた何か、うやうやしく白い布切れを差し出している。
アンリエッタは耳から蒸気を噴出せんばかりに真っ赤になって、両手で顔をおおっている。
オスマンは、ひどく慌てる。

「……ひ、ひとまず、今日のところは考えさせてくだされ……このおいぼれの骨には、すこし堪(こた)える話ですのじゃ」

長い長い間トリステインという国に尽くし、やがて一線を退き魔法学院の長という席で、おだやかに余生を過ごすつもりだったオスマン。
アンリエッタとルイズが退室したあとも、彼は長いひげをなでながら、じっと考え込むのであった。

「しかし、このわしも、トリステイン貴族のはしくれじゃからのう……」

大きくため息をつき、手の中のものを見る―――それは、この国でも類をみないほどの至高の宝、壮絶なる破壊力の純白のナニカ。
彼はそんな恐るべき贈賄の証拠物件を、真顔でそっと、机の引き出しへと仕舞いこむのであった。

(……せっかくじゃし、サイン入れて貰っておけばよかったかのう……おっと、いかんいかん)

真剣そうな表情の老人の鼻から、真っ赤な液体が一筋たらりたらりと、白く長いあごひげを伝っていった。





//// 20-4:【触れてはならぬものもある】

ルイズ、タバサ、アニエス、キュルケの四人が、ウェイ・ポイントを通じて学院へと帰ってきた。
今回、宝探しも兼ねていた火竜山脈の『魔道師ザールの隠れ家』の調査探索を、いったん打ち切ったのだ。
<ミョズニトニルン>で壁に触れたり、ディテクトで隅から隅まで調べたりもしたのである。

「結局、収穫はあんまりなかったわね」

疲れ果てたように、ルイズが言った。一同もけっこう落胆している。
あの洞窟に魔道師ザールと<サモナー>との関連を証拠だてるようなものは、何一つ見つからなかった。
サンクチュアリへの道の手がかりも、無かった。
彼がどうやってハルケギニアに来たのかも、他のウェイポイントや隠れ家がどこにあるのかも、結局解らないままだ。

いくつか解ったことは、次のとおり。
狂人ザールは、タバサがガリア国内で<サモナー>の噂を聞くようになるよりも以前から、ハルケギニアに居たようであった。
そして彼はヴィジュズレイ魔道氏族(現在の精霊魔術研究機関としての)にも属さぬ一匹狼、サンクチュアリでも相当に異端の研究者だったようである。
ルイズたちが探索の結果手に入れられたのは、何冊かの本、いくつかの巻き物だった。
魔術組成も単純で作成にあまり手間のかからない<タウン・ポータル>の巻き物とちがい、ルイズにも複製がきわめて困難なアイテムばかりだ。

ハルケギニアにどの系統にも属さない『コモン・マジック』が存在するように、サンクチュアリにもそのようなものが存在する。
それらを封じた『識別(Identify)』や『タウン・ポータル(Town Potal)』の巻き物は、どのサンクチュアリの街にだって安価で売っているアイテムだ。
他方、高度な魔術や古代魔術の封じられた巻き物や本は、専門の高位魔道師でもなければ作成できないものなのだという。

「……隠し部屋も見つけられなかったな」
「こんどはギーシュとヴェルダンデに来てもらって、手伝ってもらおうかしら」
「ちょっとルイズ、それは危険よ! ヘンなところに穴を開けたらそれこそ焼け死んじゃうわよ」

アニエスとルイズのやりとりに、キュルケが慌てて割り込んだ。
あの洞窟のなかは魔法の結界でも張ってあるのか、そこまで暑くもなかったのだが、一歩外に出れば灼熱地獄の火竜山脈である。
下手にそこらに穴を開ければ、溶岩流が噴出してきてウェルダンな蒸し焼きになってしまうにちがいない。
リュリュが閉じ込められた部屋から脱出するときも、慎重に慎重に、三日かけて通路に向けて穴を掘ったのだった。

「ほんとやっかいよね、転移魔術って……ラズマの技に不可能はないけれど、テレポートは専門外なのよ」

ルイズの言うとおり、サンクチュアリ転移魔術は下位のものだとしても、異常なほどに便利なものである。
高名な魔道氏族ザン・エス(Zan-Esu)やヴィジュズレイでも、多くの魔道師が短距離転移魔術を使う。
なので、絶対に見つけられたくない隠し部屋は、『空気の通る穴だけをつけて出入り口を作らない』、なんてこともできる。
サンクチュアリの異端魔道師たちは、きっとそうやって工夫しつつ、今日も細々と生き延びているのだろう。

「それにしても、これ、どうしようかしら……」
「なによそれ、魔法の本?」
「そんなようなものよ、とってもとおーっても危険な本なのよ」

ザールの隠れ家より持ち帰った、わずかなアイテム類の仕分けを終えたルイズの手には、一冊の古い本。
ひとつだけの本棚の、ダミーだらけのなかに巧妙に隠されていたそれは、なんと悪魔使役の技……古代ヴィジュズレイのものと題されている。
悪魔そのものを直接使役する<ホラゾン>の系統ではなく、悪魔の力を人間に取り込む<バータック>の系統の術が記されているようだ。

兄<ホラゾン>はずっと正気を保っていたようだが、やがて他人に迷惑をかけぬため、追っ手から逃げるため<秘密の聖域>を作り、ひとりそこへと隠れ去ったのだという。
弟<バータック>は完全に発狂して死亡し、死後に恐るべきモンスター『鮮血の将軍』となり、魔神どもの手先として今も地獄を彷徨うのだという。

ルイズが触れて調べたところ、このバータックの術法の本は、贋作の可能性のほうがずっと高い。
だが、本物の可能性も少しだけ、なくはない……そして、偽者の開発した術が成果を得ることも、あるのだ。
しかし、いずれにせよ禁書もよいところである。サンクチュアリでは、許可無く所持しているだけで暗殺されかねない。

(リュリュ、良かったわね……あの子ってば努力と才能と天運をフル活用して生き延びたんだわ)

こうして魔道師ザールの研究内容というものが、ほんの少しだけ明らかになった。
あの少女リュリュが暗い部屋に閉じ込められたというのは……
やはり、これらの禁術の実験のために、少女を衰弱させてじわじわと恐怖やら絶望やらを感じさせる必要が、あったようである。
人間はその生のうちで、どんなきっかけで心のタガが外れるのか、なかなか解らないものだ。
想像してみるだけで、ルイズは身震いがする。

「うん、焼いてちょうだいキュルケ」
「いいの? 貴重な本なんでしょう」
「……仕方ないわ、どうしても私の手にあまっちゃうんだもの」
「本当にいいのか? 異世界の術の情報は少しでも必要だろう……きちんと読み終えてからでも、遅くはないのではないか」

杖を取り出し本を焼こうとしたキュルケを、アニエスが止めた。
この本は証拠物件でもあり、ハルケギニアという世界にとっても貴重な書物でもあるのだった。
それを聞いたルイズは、心底嫌そうな顔をした。
この本に書かれている術は<サモナー>の使う<ホラゾン>系統の術というわけでもないし、ルイズがその術を使うようになるわけでもない。
かといって―――

「そうよね、読めるのは私だけなのよね……でも、きっとじっくり読んだら晩御飯を食べられなくなるくらい、具合が悪くなると思うのよ……」

だが、ルイズは情報が必要なのはもっともだとも思う。
おそらく二度と手に入らないであろう、この本を読まずに焼いてしまえば、もしそのような術への対策が必要になったときに、後悔することであろう。
ルイズはしぶしぶと、キュルケから返された本を受け取り、うつろな目をしつつ、本を抱えて『幽霊屋敷』の中へと入っていった。
他の三人も、ルイズについて部屋の中へと入る。

「ただいま司教さま……、おそばを失礼します、どうか私に勇気をください……」

ルイズは大司教トラン=オウルの遺体の入っている棺おけに寄りかかって座り、震える手で本を開く。その顔は少し青い。

「平気?」
「ちょっと怖いわ……この本から、なにかヘンな強い悪意を感じるのよ」

心配そうにルイズへと問いかける雪風のタバサも、少し青い顔をしている。
彼女はなんとなく、あの夢の内容を思い出していたのであった。喉がからからに渇き、背筋が冷たくなる。
この本に書いてある術は、悪魔の力を得て、人の心を堕落させるものなのだという―――この世界に決して存在してはならない本だ。
もしルイズ・フランソワーズが悪魔の力を得て人の心を失えば、先日見たおそろしい夢の中で起きたような悲劇が―――

「駄目」
「えっ、タバサ?」

思わずタバサは、ルイズの手からその本をひったくっていた。
誰もがぽかんとした表情で、タバサを見ていた。タバサは、キュルケへとその本をぐいっ、と突きつけた。

「焼いて、今すぐ」
「えっ、どうして?」
「それは……」

タバサは、言葉に詰まった。キュルケの問いに答えられるような理由など、ない。
ただルイズのことが、とても心配になっただけだった。
『幽霊屋敷』のなかに静寂が満ちる。近くの林でカラスが鳴いていた。裏庭の毒蛇が、しゃかしゃかと尻尾を鳴らした。
しばらくの静寂の、後に―――

「危険な……罠の、可能性も……ある、から」

ようやくタバサは、とぎれとぎれにそう言った。口をついて出た、ただのでまかせの理由だった。
だが、それを聞いたルイズの顔は―――みるみるうちに真っ青になっていった。

「あ……あ、……わきゃああっ!」

ルイズが飛び上がり、上ずった叫び声を上げた。ばっ、と司教の棺おけにすがりついた。

「そ、そうだわ、そうなのよ、その可能性もあった……あ、あ、危なかったわ、ど、どうして、わたわた私、それに、気づかなかったのかしら……」

とうとうルイズは顔面蒼白でがたがたと、その細い体を大きく震わせ始めた。
悪魔使役を求めるものへの地獄の軍勢からのカウンターとして、そのような書物に心を堕落させる何かが仕掛けられていることも、あるのだという。
贋作らしき書物で、何かの悪意のかたまりともなれば―――そっちの可能性のほうがずっと高い。
この系統の始祖バータックしかり、闇に堕ちたサンクチュアリ魔道師たちのどれほど多いことか……かの狂人ザールも、その一人だったのかもしれない。
多くのメイジが貴族としての誇りを持っているこの世界、ハルケギニアに生きてきた少女には、まず想像もできないことだった。

「お、お願い、キュルケ、や、焼いて」
「いいのね?」
「うん、うん……早く……」

ルイズは完全にツヤの消えた目で、棺おけにすがりついて顔を埋めて、ただがくがくと震えつづけていた。
彼女にとって心を堕とされることは、火竜や<魔王の炎>に焼かれるよりも、死するよりも、はるかに恐ろしいことだったに違いない。
今度はもちろん、アニエスも反対しなかった。
彼女も事情を聞いて、みるみる顔を青くして申し訳ないと謝り、即座に焼くべきだと判断したのだった。

『ウル・カーノ(炎よ)』

キュルケは窓を開けて、本に魔法でたっぷりと火をつけて裏庭に放り投げた。毒へびたちが怒って、ますますしゃかしゃかと音をたてた。
ひどく怯えて震え歯をがちがちと鳴らし呼吸を乱しているルイズの背中に、タバサはそっと手を置いてやった。
恐ろしい本はみるみるうちに灰になり―――誰もが知らぬまにこの場で形をなしつつあった悪意も、たちまち霧散してゆくのであった。

「異世界サンクチュアリとは……なんとも恐ろしい場所なのだな……死すらなまぬるい地獄(HELL)とは」

アニエスも真っ青な表情で、怯えるルイズを眺めながらぽつりと、そう言うほかなかった。
ルイズは以前、彼女に向かってこんな恐るべき台詞を言い放ったものだ―――

『<サンクチュアリ>ではね……死体や棺おけは、夢と希望のいっぱい詰まった宝箱なのよ!』

もはや殺伐とかいうレベルではない、まごうことなき地獄だ。
魔王の居る世界ではどうやら、人として大切な何かが、簡単に崩壊してしまうものらしい。
一方、平民という身分の彼女は、『命よりも誇りを』との貴族の精神というものに、これまでほとんど馴染みがなかった。

(やっと理解した、……人が人でありつづけるためにも、あのようによく効く薬やらいんちきな技やらが生まれざるを得ないわけだ)

今の今までずっと平民によくある、ただ日々を生き抜くことが精一杯の幸せなのだ、という環境のなかで生きてきたものである。
彼女が忠実に国へと仕えて騎士という身分になりたいのも、誇りだけでなく別の大きな目的があるからだ。
そして彼女はこのとき、『死ぬよりも恐ろしいことが存在する』ということを、初めて心の底から実感したのであった。

(人として誇りたかくあることは、貴族だけではない……深い混沌のなかで自らを見失わないために、私のようなものにも必要なのだろうな)

誰にも平等に訪れる死―――それよりもはるかに恐ろしい、平民にも貴族にも女子供にも容赦しない『魂の堕落』というものがある。
悪魔どもは、人の心を闇に食わせ、心を狂わせ、魂を地獄の底に捕らえ(Trapped Soul)、魔の手先とし、ねじまげて変質させ、永遠の苦しみを与える―――
それは恐怖心や憎悪や破壊衝動、苦悶や苦痛、欺瞞や罪悪感、強欲や嫉妬心などの人間の負の感情を扉とし、現世へとやってくるのだという。
一方、このときルイズの心の中には、召喚の儀式のときに見た恐ろしい夢がフラッシュバックしている……

ひれ伏すがよい、死さえ救いとならぬ恐怖を与えてやろう―――と恐怖の王(Lord Of Terror)ディアブロは吼える。

かの邪悪の前では、小さなルイズ・フランソワーズは無力な少女だ。
ねじ伏せられ、焼き焦がされ、貪り食われ、未来永劫心を囚われ、悲しい偽りの力を他人にたいし振るうようになるのだ。
これまで彼女が必死にラズマの秘技を学び身につけんとしていたのは、あのときの恐怖に抗えるだけの強い心が欲しかったから、ということもあるのかもしれない。

「司教さま、司教さま、司教さま」
「大丈夫、怖くない……大丈夫、わたしたちがいる」
「ルイズ、大丈夫よ、もうあの本は灰になったわ、あたしがちゃんと焼いたのよ」

タバサとキュルケが、怯えて取り乱すルイズを、どうにかなだめようとしていた。
アニエスは呆然と壁を背に頭をかかえ、ずるずる床へと力なく座り込んだ。

「姉ちゃん、こんなときは俺っちにまかせろ、あっちに連れていってくれ」

背負っていたデルフリンガーがそう言ったので、アニエスはふらりと立ち上がり、言われたとおりデルフリンガーを運ぶ。
ルイズの同居人の剣である彼は、キュルケとタバサにルイズを落ち着かせるための助言を、あれこれと行った。

「怖い、怖いよう」
「ルイズ、ほらこれ、あなたの大好きな毒ガスよ」
「ほら、骨もある」

とりあえずデルフリンガーに言われたとおりにしてみる友人二人の図。

「うーっ……」
「よしよし、いい子ね、これを持ってなさいルイズ、あなたの作った猛毒よ、これさえあればもう怖くないわ」
「なにかの骨」

赤い髪と青い髪の友人たちは、ルイズの小さな手に毒ガスの小瓶やら怪しいなにかの骨やらを握らせ、あやす。
そのおかげか、白髪の少女、ルイズはしだいに落ち着いてゆくのであった。

やがて―――

「……ん、ありがとう二人とも、とっても助かったわ」

ルイズは毒ガスの小瓶と骨とを大切そうにきゅっと胸に抱きしめて、恥ずかしそうに頬を染め、にこにこと笑顔を見せるのであった。
二人の友人は、ほっと安堵の息をついた。
一方アニエスはそんなルイズを見て、いったん安堵しかけたあと笑顔をひきつらせ、そっと壁のほうを向いて、体育すわりを始めたのだそうな。

「姉ちゃん……いろんな意味でショックなのは解るけどよ、そんないちいち落ち込んでたら体が持たねえぜ」
「……おまえは本当に良い剣だな、だが私は今、毒やら骨やらで心安らぐ人間が実在することを認めたくないんだ、放っておいてくれ」

剣と勇気だけが友達なのさ、と現実逃避しながら、遠い遠い目をしはじめるのであった。

「……そんなの今さらだろ」
「言うな」

しかし彼女にとってのさらなるショックは、やがて愛用の剣が改造を終え返却されたときにやってくる……!

―――

キュルケとタバサが『幽霊屋敷』から出て、それぞれの自室へと帰る途中の話である。

「ねえ、タバサ……その、あたしたちって、さ……」
「そこまで」
「あの子にとって、毒ガスより……」
「言わないで、それは違うから」

タバサには、ルイズがそんなつもりもないことも解っている。
キュルケにも教えていないことだが、以前、ルイズは怖くてどうしょうもないとき、タバサを頼ってきてくれたものだ。
人の心を癒すために、他人の存在が必要なときもあれば、ときに人だけで十分ではないこともある―――
たとえば、愛用の毛布や、自分にとっての小さな宝箱、シエスタにとっての剣士の人形、ルイズにとっては毒ガスや骨など……
アンリエッタ王女は、いつも指に、かつて愛した人の形見の指輪をはめている。
心の壊れた母は、『タバサ』という名の人形をいつも抱いている。
そして人の心を癒すものには、本や歌や美味しい食べ物や、楽しい思い出なども含まれる。
剣士にとっては剣、貴族にとっては杖など、つらい運命へと立ち向かうための自分の力のときもある。

「あれはルイズ自身の力と、誇りの象徴……わたしたちがその代わりにはなれないものだから」
「そ、そう……そうよね、なら良いのよね」

話を聞いたキュルケは思わずそう言ってしまった自分に、直後に絶望する。

「ま、待って、もっと良くないわ、毒ガスや骨が……」
「言わない」

青い髪と赤い髪、二人の肩はとても力なく、へなへなと下がっている。制服のマントももう、しわしわだ。

「タバサ、ワインを飲みましょう……シエスタのつてで手にいれた、タルブ産の良いのがあるのよ」
「飲む」
「二人で飲むのもいいけど、ちょっと寂しいわね……あとでアニエスとシエスタ、モンモランシーも誘ってみましょうか」
「シエスタは危険」
「えっ?」

キュルケとタバサは、おしゃべりをしながら、寮へと歩く。
今夜は長い夜になりそうだ、とキュルケは登ってきたふたつの月を、遠い目で眺めるのであった。





//// 20-5:【それはまさに電光石火】

ある日のトリステイン魔法学院の夜―――

白い髪の少女、見習いネクロマンサーであるゼロのルイズは、毛布にくるまってベッドから落ち、死体のように床に転がっている。
うんうん呻きながら就寝中の彼女は今、夢を見ている―――

「ルイズ、ルイズどこへ行ったの! ルイズ、まだお説教は終わっていませんよ!」

トリステイン魔法学院から馬で三日ほど行ったところにある、ラ・ヴァリエールの領地、生まれ育った屋敷にいる夢だ。
夢の中の幼いルイズは屋敷の中を逃げ回っていた―――必死に赤と青のポーションを飲み傷を癒し精神力を回復し、『骨の鎧』を張りなおしながら。
騒いでいるのは母親カリーヌ―――だった生き物の成れの果て、今は恐るべきモンスター『公爵夫人(The Duchess)』である。

「ルイズお嬢様は難儀だねえ」
「まったくだ、上のお二人のお嬢様はあんなに魔法がお出来になるっていうのに―――」

雑魚モンスター、『堕落した使用人(Corrupted Employee)』たちがルイズの噂話をしている。
ルイズは悔しくて、悲しくて、歯噛みをした。ルイズは中庭の『秘密の場所』、血の池のそばの朽ちた東屋へと向かう。
そこは人のよりつかない、ルイズが唯一安心できる場所だ。

「うふふふ、これで……これで勝てるわ!」

中庭の血の池、東屋のよこに湧き出る清浄な水(Well)は、なぜかちょっと飲むだけで体力精神力が大幅に回復するのだ。
あたりには都合の良いことに、新鮮な死体もごろごろと、たくさんたくさん転がっている。
死体の中にはあの魔道士<サモナー>にザール、アニエスやマリコルヌ、かつて婚約者であったイケメン子爵の姿も混ざっている。
幼女ルイズはにやりと微笑む―――さあここからは反撃タイム、あの恐ろしい母親を迎え撃つのだ。

「レイズ・スケルトン!」

ルイズの導きにしたがって、白銀に輝く骨たちがぞくぞくと立ち上がってゆく。
サイキョーに強まった彼らは、地獄の魔王だってきっと集団リンチにかけてブチ殺してくれるにちがいない。
使い魔のヒトダマ『タマちゃん』もたくさんの仲間を連れて、ルイズの周囲をふよふよ旋回している。

「俺っちもいるぜ」
「デルりん!」

白銀に輝くゴーレム、デルフリンガーがルイズを助けに来た。その他のルイズの友人たちも、ぞくぞくと集まって来てくれたようだ。

「あなただけに、いいカッコはさせなくてよ」
「キュルケ……」
「正義の騎士は、あなただけではない」
「きゅいきゅい」
「みんな……」

ルイズは目をうるませた。『公爵夫人(The Duchess)』は「こ、これが友情パワーか」と驚いていた。
相手は立派なマンティコアに乗っているのだが、ルイズはもっと立派なモンモランシーに乗っている。乗騎という点でもルイズの勝利は揺るがない。
そして、幼いルイズは不敵に笑い、相手へと杖を振って『呪い(Curse)』をかける。

「よーし行くわよ、『デクレピファイ(Decrepify:老衰)!!』」

相手を一時的にみるみる老け込ませる、女性にとって最も嫌な呪いである。
動きもとってもスロウリィ、呪文詠唱さえおぼつかなくなったボスモンスターへと、幼女ルイズは骨の精霊軍団とスケルトンの軍団を突撃させた。
スケルトン軍団は全部で百体、もはや集団リンチとかいうレベルではなかった。暴動、革命……いや―――お祭りだ!!

「やったあ、みんなのおかげで勝ったわ! 今日から私は自由なの、もう血のお風呂に入らなくてもいいのよ!」

ルイズは小さな拳を振り上げて、勝利を喜んだ。みながにこにこ笑顔の幼女ルイズを胴上げして、おめでとうと祝福の言葉を述べていた。
白い霧とともに、大量のエキュー金貨が中庭を埋め尽くすかのように降りそそぐ。トレジャーハントは大成功である。みんなで山分けだ。
さて、『公爵夫人(The Duchess)』は、模様の掘り込まれた小石―――ルイズが喉から手が出るほど欲しがっている貴重な<ルーン石>を、いくつも落としたようだ。
忍者のようにこそこそと石を拾ったルイズの表情は、みるみるうちに驚愕に染まってゆく。

「『カニ・ルーン(Kani Rune)』……こんな貴重な石、見たことないわ」

むろんそのような石はサンクチュアリ世界にだって実在しない、ルイズの想像のなかだけのものである。
デフォルメされた甲殻類らしき模様のついた、そんな小石を、ルイズはこっそりとポケットのなかに放り込んだ。ネコババである。

場面は変わる―――
そこは現在の『幽霊屋敷』の地下、ルイズの実験室である。
あやしい薬やら実験器具やら、立派な拷問器具やらがひととおり揃っている素敵な部屋だ。

「な、何をするの」
「うふふふ、タバサ、頼みがあるわ」

青い髪の少女、タバサはもう髪の毛と同じくらい真っ青な顔をしており、ぶるぶると震えている。
ルイズは彼女を捕まえて地下実験室の診察台へところがし、両手両足を縛り付けているのだ。

「あなたを、改造させて」

ゼロのルイズは深い深い目でにやにやと笑い、手をわきわきとさせて、そんな怯えるタバサへと―――迫る!!
もうタバサは涙を流し、じたばたと暴れはじめた。

「だ、駄目」
「お願い!」
「嫌」
「強くなるわ!」

ルイズはタバサを押さえつけて、ぐいっとスカートをパンツごとずりさげ、背中と小さなおしりをぷりんと露出させる。
可哀想にタバサはぐったりとして、しくしくと泣いてふるふると震え、もう悪い悪いにやにやルイズのなすがままだ。

「ほら、あったわ……これを探してたのよ」

タバサの背中の白くすべすべとしたお肌、腰骨のあたりに、三つのくぼみを発見する―――『ソケット』だ。
ルイズはミョズニトニルンの導きに従って、魔力の順番を間違えないように、三つの小石を、タバサのくぼみ(ソケット)へとはめ込んでいく。

 ――Ral + Kani + Ith

タバサが発光する。火の文字が彼女にルーンを刻みつける。

「伝説のルーンワード『ラカニシュ(RW Rakanishu)』、完成よ! さあタバサ、世界を縮めなさい!」

部屋の中がまばゆい光に包まれ、<ルーンワード>が完成する―――

- - -
ヘルラカニシュのタバサ(Hell Rakanishu Tabasa)
RalKaniIth (ラル + カニ + イス)<ラカニシュ>
敵の電撃攻撃を無効化(Lightning Immune)
敵の火炎攻撃を無効化、耐毒物レジスト
自分の攻撃に同じダメージ量の66%から100%ダメージの電撃が付属、二回命中する
攻撃を受けた際にレベルと等量のチャージド・ボルト(電撃)を投射
相手の電撃耐性を基準値より100%下方修正(HELLレジストペナルティ効果)
超高速歩行・走行(エクストラ・ファスト:Extra Fast)
超硬防御力(ストーン・スキン:Stone Skin)
レベル10『ファナティシズム・オーラ(Fanaticism)』装備(ダメージと命中率と攻撃速度があがる)
ソケット3使用
- - -

さて、もともと速さに定評のあったタバサは、この日からますます電光のように速くなるのであった。
青い髪で背の小さな少女はあらゆるところへと瞬時にあらわれ、ところかまわず大量の電撃をばりばりばりと振りまいてゆく―――
この力さえあれば、ルイズの大切な友人である雪風の少女は、どんな悲しくきびしい運命だって楽々と乗り越えてゆくにちがいない。

「タバサ、調子はどうかしら?」
「超ユニーク(Super Unique)」

タバサは体中からバチバチと稲光を放出しながら、無表情でそう答える。

「よかったわね、タバサ」
「とっても嬉しい、ファンタスティック」

向かうところ敵なしの雷帝タバサはほんの少しだけ頬をゆるめ、超高速の電撃の力で、破壊の限りを尽くすのであった。
本日の標的は、今までの無力だった彼女がさんざんいじめられてきた相手だ―――
ルイズが「ミュージック!」とコールすると、スケルトン軍団が楽器を手にし、緊迫感のあるBGMを演奏しはじめる。ママ(The Duchess)より怖いおしおきタイムの始まりだ。

「あなたに足りないもの、それは情熱、思想、理念、頭脳、気品、優雅さ、勤勉さ……そして何よりも」

タバサの上司である従姉、青い髪でブスでふとっちょのお姫様(ルイズによる想像図)は、突然の部下の反逆に、ひいっと息を呑む。

「―――速さ(IAS)と、電撃レジストが足りない」

おデブ姫様はビリビリと感電させられて、体中から煙を出しながら「ごめんなさいブー」と、タバサへと謝罪する。
そんな光景を見ながらルイズは「本当に良い仕事をしたわ」と、満面の笑みであった。

―――……

……

「んん……タバサ、とっても素敵……うーん、骨の髄までしびれちゃうぅ……」

デルフリンガーがアニエスのもとへ出張中で、リュリュの睡眠も深かったので、『幽霊屋敷』の床に転がる白髪の少女のそんな幸せそうな寝言を聞いていたものは居なかったそうな。
翌日の朝になって夢の内容を思い出し、「……あれは無いわ」とルイズは恥ずかしそうにつぶやく。
自分があんな夢を見たことを、もしタバサに話したら、彼女には軽蔑されてしまうのだろうか……

「私ってば、夢だからといって……」

現実には『カニ・ルーン』や『RWラカニシュ』など存在しないし、人間にソケットがついているはずもない、あまりに荒唐無稽な夢だ。
そしてルイズは寝ぼけまなこをこすりつつ、反省する……夢の中の自分の所業を―――

「やっぱり無理矢理は良くないのよ、もしあんな改造が出来るとしても……タバサ本人の承諾を得てからするべきなんだわ、うん」

しかし反省の内容がどこかずれているようでもあるのは、大切な友人に明るい未来を、という強い想いのせいにちがいない―――たぶん、きっと。
ひょっとすると、その友人は明るい未来のためにも、改造される前に……いや、ただちにトリステイン魔法学院から逃げるべきなのかもしれない。

//// 【次回、剣士さんは大人でござる……の巻へと続く】



[12668] その21:冒険してみたい年頃
Name: 歯科猫◆93b518d2 ID:b582cd8c
Date: 2010/05/14 16:47
//// 21-1:【燃えるお姉さんは好きですか】

そのごま粒ほどの赤い石の欠片は、不ぞろいなものが十粒ほど、小さな袋に詰め込まれていた。
輝きも殆どなく、暖炉の置き火を閉じ込めたような、深く鈍い紅色をしていた。

むかしむかしガリアのエルフ戦線で鹵獲(ろかく)され、流れてきた貴重な品らしい。
アカデミーからの横流し品である。
『火の力が詰まっている』という触れ込みのその小さな石の欠片たちは、ひどく安定しており、どういじくってもその魔法的性質を外に漏らすことがない。

結果、アカデミーのメイジたちがどんなに試行錯誤しても、利用方法を見出すことは出来なかったという。
たしかに『ディテクト・マジック』で、炎の力を感じ取ることは出来るようだ……しかし、ただ感じ取ることが出来るだけにすぎない。
込められた魔法の力を利用できぬなら、それはただ珍しいだけの鉱石のサンプル。
装飾品にすら使えぬ、魅力の薄い石でしかない。かくして長らく仕舞いこまれていたそれが、ひっそりと横流しされたのだ。

それを闇市で目ざとく見つけ購入したコルベールは、嬉々として共同研究者の少女のもとへと持っていった。
二人は禁書ばかりの蔵書庫『フェニアのライブラリー』より取り出した、古い古い文献に載っていた情報と照らし合わせる。

「ミスタ、これはまちがいなく『火石』と呼ばれるものです」
「おお、やはり!」
「ええ、『風石』よりも珍しく、はるかに採掘の困難な品です」

風の魔法の力を帯びた『風石』は、おもにフネを飛ばす動力の源として、ハルケギニアじゅうで一般的に流通しているものである。
だが、火の力を帯びた『火石』は、地底のはるか深いところに眠っており、採掘は通常のやり方では不可能。その利用技術も、伝わっていない。

装飾品としての魅力も薄く、加工もできず、魔法の力も利用できないものを掘り出そうとする酔狂な者などおらず、一般的な流通は皆無である。
流通がなく話題にもならぬものは、忘れ去られる運命にある。
この魔法学院でも、教師ジャン・コルベールとルイズ・フランソワーズの二人くらいしか、その存在を知るものは居ないだろう。

「形もいびつですし、このくらいの大きさの粒でしたら」

ルイズは手に取ったそれらを、虫眼鏡を通してじっくりと見る。額のルーンが、うっすらと輝いた。

「全部いちどに力を解放しても、この魔法学院の敷地をひとつ消し炭にするくらいが精一杯のようですわ」
「ほう……どうやら」

コルベールは腕を組み、静かに眼鏡を光らせている。

「それを購入した私の目に狂いはなかったようですな!」
「さすがミスタ・コルベール……ああ、なんて素敵な石、ウフフフ……まるで世界の破滅と再生が見えるようです!」

頭頂部の薄い中年教師コルベールは、にやりと微笑んだ。白髪の少女もまた、不気味に口の端を吊り上げた。
少なくとも少女の目は瞳孔全開、男性教師の目はギラギラと、二人の目は危険極まりない方向に狂いまくっているようでもあった。

「おほん……それで、……加工できるのかね? その情熱的な火の力を、取り出せるのかね?」

この自慢の教え子ならばできる、と確信しての問いだった。
少女もまた、自らの力量を確信し、ぐっと拳をにぎりしめて答える。

「ええ、必ずや。額のルーンにかけて、やってみせましょう!」

<サンクチュアリ式>の道具には、<ソケット>という魔力回路の端子、くぼみをつけるのが一般的である。
宝石やルーン石を詰め込めば、自分の思うがままの効果をもつように道具をカスタマイズすることができる。
ルビーなら炎の力、サファイアなら凍結の力、エメラルドなら毒の力と言ったように―――

ハルケギニアの宝石とサンクチュアリの宝石は、世界が違うからといって異なるものではない。
『ただの宝石』でさえ、形をととのえてソケットに放り込みさえすれば、立派なマジックアイテムとなってしまうのであった。
さらに宝石を<ジュエル(装飾された宝石)>に加工すれば、もっと複雑多様な魔法効果を発現させることだってできる。
ガリア山中にて魔物退治をした際に手にいれたジュエルを参照して、加工のやり方はすでに身につけている。

そして、ここハルケギニアには、『火石』や『風石』のように、向こうの世界に存在しない鉱石がある。
それらをサンクチュアリ式のソケットに埋め込めるように加工すれば、どうなるのだろうか?
いま手の中にある、半径数百メイルを消し飛ばすような炎の石を、武器のソケットに取り付ければ―――ああ、いったいどうなってしまうのか!!

「これを合成して大粒にして、ジュエルに加工すれば、込められた炎の力を取り出せるようになるでしょう……簡単なことです」

マッドな二人は満足そうに、顔をみあわせ、笑いあった。
コルベールは感極まったように、ぐっと両手を天高くつきあげた。

「ああミス・ヴァリエール、どうか、是非とも、思う存分やってくれたまえ!」

彼の心中は、こうだ。
『風の石』が現在、あれほどまでに人々の生活の役にたっているのであれば―――
パワフルな『火の石』の利用方法を見出せば、情熱的な火の力だ、多くの人々の生活の役に立たせることができるにちがいない!

「君のような優秀な生徒を持ったことを、私は、ああ私は生涯誇りに思うでしょうぞ!」
「ミスタの教えを受けることが出来て、今私は、心の底から喜びを感じております!」

中年教師は、飛びついてきた白髪の少女の手をとって、その軽い身体ごとぐるぐると振り回した。

わーはっはっは……
あーはっはっは……

もし誰か見ているものがいたとしたら、まるで悪夢のような光景だと感じられたことだろう。


―――

三日後。

「なあ、どう思う? ……この改造は、わざとか? 私の過去に気づいていてやったのか?」

とデルフリンガーにアニエスは、こっそりと問うたものだ。

「さあな、あの白髪の娘っ子のやることはいつも、はっきり言って『おに』だが、今回は知っててやった訳じゃねえと思うがね」と古い剣は答えた。

改造を終え返却された愛用の剣に対し、以前教えられたとおりに『鑑定(Identify)のスクロール』を使用したところ、以下の内容が浮かび上がったのである。

- - -
機敏なる兵士の剣(Soldier's Sword of Alacrity)
マジックアイテム:装飾された剣(Gemmed Sword)
装備要求値:レベル49 必要筋力:73 必要俊敏・器用さ:62
耐久度:44+固定化値
両手持ちダメージ:27-58
攻撃時に153-306の火炎ダメージ追加(装備者のレベルに比例して強化)
+140 命中値(Attack Rating)上昇
+50% 強化ダメージ
+30% 攻撃スピード強化(IAS)
+45% 火炎耐性
+20% 冷気耐性
ソケット2使用済(ルイズ特製超級レアジュエル2個)
赤土のシュヴルーズによる固定化がかかっている
ゼロのルイズによって作成された
- - -

「……この、火炎ダメージとは、なんだ?」
「振ってみれば解るわ、ウフフフ、とっても楽しいのよ」

ルイズは自分の愛用の杖『イロのたいまつ』を天使と司教から貰ったときに、飽きずに振りまわしては火を出して遊んだものだ。
そのときのことを思い出して、白髪の少女は満面の笑みである。きっと自分のときと同じように驚き喜んでもらえると思っているのだろう。
アニエスは、剣を振る―――

ゴオウッ―――!

振れば、音がして、アニエスの愛用の剣に火炎がまとわりついた。目をまんまるに見開いた。喉がからからに渇いた。

「……何故、私が炎を」
「えっ? ……ああ、どうしてあなたがメイジじゃないのに炎を出せるのかってことかしら、それはね……」

剣士のつぶやいた言葉の中身を取り違えたのか、ルイズは嬉々として人差し指を立てて説明をはじめる。
石だけでなく、はめ込まれたものを通して得た魔力を道具のなかで作動させる窪み、『ソケット』のほうにも秘密があるようだ。

「石には先住の魔法の力が詰まっているんだけれど……もちろん、炎を出しても精神力を消費したりはしないわ」

この剣は、以前ルイズがシエスタにあげた『揺すれば火の出るフライパン』と同じ原理であるそうな。
ルイズ自身は、小さな金槌にソケットをひとつあけてルビーの欠片をはめ込み、普段の生活で火打石代わりなどに使っている。
そうやって系統魔法の使えないルイズは宝石(Gem)を駆使し、他のメイジがやるように、生活環境や研究環境を整えているのであった。

「あなたデルフリンガー欲しがってたけど、敵がメイジじゃないときは錆び錆びのデルりんより、こっちのがずっと強いわよ」

しかしアニエスは炎の魔法が、そして炎の魔法を使うメイジが大嫌いなのであった―――ただひたすらに、眩暈がした。
これからの自分は、これを武器に戦うのだ。
なんという皮肉か。

炎で敵を倒すのだ、まるで火のメイジのように―――





(……待て待て待て待て、押さえろ、キレてはいけないぞ剣士アニエス……私は大人で、国から重要な任務を与えられている剣士なのだ)

炎の色が嫌いだ。匂いが嫌いだ。ものが焼ける音も嫌いだ。相棒たる銃の硝煙の匂いも、好きになることはできなかった。
暖かな暖炉の火さえ好きになれなかった自分が炎を扱うなど、悪夢もよいところだ。
だが、『自分は火の魔法が大嫌いだ』という旨を他人に伝えたことは、そう言えば無かったな、とぼんやりと考えていた。

さて、上司である王女殿下いわく、どうやら自分は姫からも『身近な大人の女性』として頼りにされているとのこと。
だから、『大人は好き嫌いをしないものだ』と、アニエスはひたすら自分に言い聞かせるほかなかった。
いまのところ、目下緊急の任務は、『自分の心の不発弾処理』のようである。

「……感謝しますミス・ヴァリエール」
「えへっ、格好いいでしょう! 気に入ってくれたかしら」
「ああ……気に入ったとも!」

この剣は自分のために、常日頃忙しいルイズに手間をかけさせただけでなく、『宝石を三個』、『以前より強力な固定化』、『超級ジュエルを二個』も使って作られたものだという。
念のためにアニエスは白髪の少女に、『ジュエルは取り外せるのか』と訊いたが、「今はHELルーンがないから無理よ」との答えが返ってきた。

「えいっ、やあっ、とうっ……どうだ、私はカッコいいか!」―――ぼぼっ、ぼうぼうっ!
「ええ、とってもステキよアニエス!」
「ははっ、これは……これはな……ははっ楽しいなっ、どうだ惚れちゃうくらいにカッコいいか!」―――ぼうぼうぼう!
「惚れちゃうくらいカッコいいわよっ、きっと男のコも女のコも、ハートがヘルファイアトーチ間違いないわ!」

もはやヤケになり、ひきつった笑顔で剣をぶんぶんと振り回し炎を出して、少女をきゃあきゃあと喜ばせるアニエス。

(これを拒んだら、この子は悲しむだろう……そして私には再びあの血染めの包丁を渡され、今度こそ人肉料理人の道を歩まざるを得ないのだろうな)

もともと自分に合わせて選び抜いた一番使いやすい剣であるうえに、今回の改造によって得た特殊効果もただ無駄にするには、あまりに高い価値がある。
もし振れば火炎の出る剣などがハルケギニアに存在するとして、平民の自分がそれを買おうと思ったら、一生かかっても買えないものだろう。
店に置かれたとすれば『フレイムタン』やら『ファイアブランド』などの大層な名前が付けられて、それこそ伝説の剣にされているかもしれない。

「……ちょっと……その、泣くほど嬉しかったの?」
「ああ、その通りだミス・ヴァリエール、とても嬉しいのだ私は今、ああ私は大人だからな!」

私は大人だ、と繰り返し呟きながら幽霊屋敷を辞したアニエスは、学院の使用人宿舎、自分に割り当てられた部屋へ行き、2時間ねむった。

そして………
目をさましてからしばらくして、自分の愛用の剣が『炎の剣』に改造されてしまったことを思い出し…………

数々の葛藤については省略するが、ひとつ言えることは、彼女は自身が思っていたよりもずっと『大人』で居られるようだった。

『いずれ仇敵を見つけ出した暁には、この剣で焼き尽くしてやろう』と、燃えるような心で誓ったのだとか。



そのとき教師ジャン・コルベールの背筋が妙にゾクゾクとしていたのだが、原因は解らず、首をひねるほかなかったそうな。







//// 21-2:【タバサの冒険(タバサと闇のストーカー:決して外伝ではない)】

トリステイン魔法学院には一匹の「おに」的な白いナニカが住んでいるのだという。
雪風のタバサにとって、夜中に学院内を出歩くことは鬼門に近い。
静まり返った宵闇の中、月明かりを頼りに進む。頬と背筋が妙に冷たいのは、温度の低い夜風のせいだけではない。
なにより、彼女は幽霊が苦手である。
学院内にも数多くの幽霊が実在することは、友人のルイズ・フランソワーズによって証明されている。

『ゼロのルイズが真夜中に魔法学院の敷地内を徘徊している』

そして当のルイズ・フランソワーズ自身が、夜に出会うにはあまりにも怖すぎる存在である。

『もし夜中に出かける用事があったとしても、決してゼロのルイズと出会ってはいけない』

学院内にそんな恐ろしい噂が流れており、生徒たちは夜中、部屋のカギを厳重に締めるようになった。
『ばっちこい』とばかりに施錠していないのは、物好きな風上のマリコルヌただ一人くらいのものだ。
そんな風に夜はバケモノやら幽霊やらの時間と言われるが、忘れてはいけない、夜は恋人たちの時間でもある。
ひそかに不純異性交遊をしようとしている青少年たちにとって、この噂は致命的なものだった。

『見つかったらハラワタを喰われるぞ』

タバサはごくりとつばを飲み込んで、依頼人の少女に手を引っ張られるままに、ゆっくりと恐る恐る足を交互に踏み出してゆく。
草木も眠る丑三つ時、しんと静まり返った小道。鬼が出るか炎蛇が出るか、ルイズが出るかは解らない。
二人とも膝頭が小刻みに震えている。

(怖くない)

嘘である。だが、そう自分に言い聞かせ続けていなければならない。
夜のルイズ・フランソワーズの恐ろしさを、雪風のタバサは知っているはずだった。
夜に出歩くは自殺行為と呼ばれる―――それでもなお、冒険をせねばならぬ。

「お、お願いしますよう、止まらないでください、はやく探しに行かないと……」

シエスタの友人だという使用人の少女は、ときおり立ち止まるタバサの手を、ぐいぐいひっぱってゆく。

「し、しっかりしてください貴族さま、本当にお願いしますよう、あなただけが頼りなんですから……」

真っ青な顔色のタバサは彼女に促されるままに手を引かれ、歩みを再開した。
どんなに怖くとも、いちど引き受けてしまった以上、完遂しなければならない。そんな義務感が、青髪のメイジを突き動かしていた。

そして、花壇に差し掛かったとき―――それは、現れた。

「ひっ、ひっ……出たあ、ほ、ほ、ほら、あそこに……」

怯えきった使用人の娘が指差す先、暗闇のなかにめらめらと燃える白いヒトダマ、夜に咲き乱れる紅や黄の花の中央、ほのかに青白い人影が佇む。
日の光のもとでは白くよれよれにしかみえない髪の毛が、月の光のもとでは薄く銀色に透き通っているようにも見える。
そう、夜は彼女の時間なのだ―――

「―――『ミス・ゼロ』がぁ……!」

見よ、時の止まったような無表情、危ういほどに痩せてなお形のよい輪郭。
この世のものでないほどに美しく見える少女が、二つの月を虚ろな目でぼんやりと見上げ、立っていた。
身体の小さい彼女がそんな仕草をやると、どこか猫のようにも見えた。だが、夜中に見る猫ほど得体の知れぬものはない。

「……静かに、様子……が、おかしい」

タバサが掠れた声を吐く。
白髪の少女の折れそうなほどに細い身体をつつむ制服、マントとスカートの色は濃紺だ。
シャツは白い……はずなのだが。袖口と腹の辺りの、色合いがおかしい。
どす黒いナニカで、まだらに染まっている―――おそらく、日の光のもとでは赤く見えるであろう色の液体。

クエスチョン、白髪のあの子が身を染めた、あれは何の液体?
アンサー、ひとの血液。

彼女の片手には、先端に直角に刃の取り付けられた長モノ(Polearm)―――三枚刃の、園芸用の鍬(くわ)、てらてらと液体に濡れ輝いていた。
あれも、けつえきだ。
タバサにも馴染みの深いそれ、間違いなくも血の匂いが、自問自答に裏づけを与えている。

「い、いやぁ……」

使用人の娘は目に涙をうかべ、言葉を飲み込み、へたりと座り込んでしまった。
ゼロのルイズの足元に咲く花、その中から花壇の外へとはみだしている二本の棒状の何か、ズボンの先端には男物の靴。
足だ。どう見ても人間のもの。あそこには男性が倒れている。
倒れたニンゲンの傍らで、ああ、いったい何が楽しいというのか、不吉な夜の化身は笑いだす―――うふふ……

びゅうう、と風が吹いた。

白い人影は、ぽいっ、と凶器らしき鍬を投げ捨てた。
心の底から嬉しくてたまらない、そんな様子で、服を紅く染めた少女は夜空に向かって両手をひろげる。


「あ……は、は、あははっ、は、はははっ……ありがとうお月さま、ありがとう!」



アーッハッハッハ!!


月夜の花壇で、夜行性の少女は狂ったように笑っていた。

(……とうとう、本当に人を襲うようになってしまった)


見てはいけないものを見てしまった、そんな後悔が、タバサの心をいっぱいに占めていた。




さて、どうして雪風のタバサは、珍しくもこんな夜中に外へと出てきているのか―――時はさかのぼる。

切欠は偶然だった。
タバサは風呂と夕食を済ませたあと、使用人の住む宿舎に、今日はここに泊まってゆくというアニエスを訪ねてやってきていた。
そのころにはもう、シエスタとアニエスは酔っ払っていた。剣士の女性は、黒髪メイドの酒癖の悪さに早々に潰されてしまった。
悪酔い中のシエスタにタバサも捕まってしまい、大量に酒を飲まされ、気づけば時刻はもう夜中。
ぽやぽやと酔いのまわった頭で、今夜はもう自分の部屋に帰るのを諦めようか、と思っていたところだった。

「シエスタ、起きてる? ……あっ、失礼しました、貴族さまがいらっしゃるとは」
「……」

扉がばたんと開き、一人の使用人の娘が顔を出し、タバサの姿を見かけると慌てて礼をする。
こんな夜中に、何やらシエスタに用事があって来たらしい。タバサにとってもそこそこ馴染みのある顔であった。

いっぽう、ぎゅっとタバサの腰にしがみついて「ひょわひょわ」などと言っている黒髪のメイドが一人。
タバサは無言でそれを引き剥がして訪問者へと突き出そうとするが、なかなか離れてくれない。

「ああシエスタ、お酒を飲んじゃったのね……はあ、困ったわ困ったわ、ど、ど、どうしましょう」

訪問者、ブラウンの髪で背の高い少女は慌てだした。彼女の友人は酔いつぶれ中、返事も要領を得ない。
シエスタの酒が進んでいたのは、あのルイズ・フランソワーズについての恐怖譚を涙ながらに語っていたからだ。

幽霊屋敷担当の黒髪のメイドは、あの恐ろしい白髪の少女に対する、平民のお悩み相談窓口としても頼りにされている。
『我らのフライパン』と称され、まるで英雄のように尊敬を集めつつもある。
大方、今回の訪問者もそのような事情でやってきたのだろう。

タバサは、たまにはルイズとシエスタの共通の友人たる自分がフォローしてやるべきなのだろうか、と考えた。
大量に飲んだワインのせいだろう、気が大きくなっていたのだ―――

「何が?」
「はあ」
「何があったの、教えて」

雪風のトライアングルメイジ、タバサがルイズ・フランソワーズの友人であるということは、そこそこ知られている。
使用人の少女はしばし躊躇っていたようだが、タバサに何度も促され、やがて意を決したように語り始めた。


「ミス・ヴァリエールの祟りから、私の大事な人の命を守って欲しいのです……どうか、どうか!」


なんてことだ―――即座に「無理、諦めて」と言いたくなったタバサである。
しかし持ち前の忍耐力で、「それをシエスタに頼むのは荷が重過ぎる」と言うにとどめたのであった。
ぐでんぐでんに酔ったシエスタは、それを耳にしてかちんと来たようだ。

「ああっ、村娘だからってぇ、びゃかにしなひでください! わゃ、わたしだってへ、こう見えても……」

タバサの腰にいやいやと涙と鼻水をすりつけながら、シエスタは呂律の回らぬ口でそう言った。
こう見えて、黒髪の彼女には何か秘められた不思議パワーでもあるのだろうか?
何が出来るの、と優しく尋ねたところ―――


「死ねまふ!」


なんとも意味深な答えが返ってきたものである。
そしてどこか満足げに、夢うつつの笑みを浮かべ……

「……死ねうのれす!」

ああ、どうして強調するように二回も言う必要があるのだろう!!
タバサは悲しみにつつまれ、酔いつぶれた黒髪の彼女を、ベッドで眠るアニエスの隣に放り込んでやる他なかった。


―――兎にも角にも、話を聞かなければならぬ。

「わたしの、現在おつきあいさせていただいている男性のことなのですが……」

シエスタの使用人仲間、訪問者の彼女は語る。
彼女には、学院で知り合った、同じく使用人の恋人がいるそうな。
とはいえ、ここは貴族の子女が暮らす大きな学校であり、平民の町や村ではない。
個室は無く寮は相部屋が多々、若い使用人同士が恋愛をしようと、恋人たちの時間たる夜に自室で逢瀬を持つのは難しい。
そもそも使用人同士が勤務先で交際を始めるなどレアなケースなので、大っぴらな問題になってはいないのだが―――

「ある晩の、ことでした、……いつものようにわたしたちが……その……」

敷地内にも、夜間に人目につかぬ秘密の場所がある。
女性使用人寮のすぐ近くの、むかし学院の庭師が住んでいた小屋である。
先輩から教えられたそこは敷地内なので治安も安心、貴族たちの住む寮からも、恐怖の館『幽霊屋敷』から遠いことも安心だ。
恋人同士の二人は貴族にも使用人仲間にも迷惑をかけないよう配慮しながら、そこで存分にちゅっちゅしていたらしい。
頬を染め身をもじもじさせている少女のちょっぴり生々しい話に、タバサはぽつりと相槌をうつ。

「ラブラブ」
「はあ、恥ずかしながら……」
「いっそ既婚者寮に入ってしまえばいい」
「……そ、それはまだ、難しいので……」

ぽりぽりと頬をかいて、少女は話を続ける。
その小屋に持ち込んだ唯一の光源、仄かな暖かみのある光を放つランプは、簡易ベッドの近くに置かれていたという。
光の具合で、部屋の中がすべて見えるわけではない。
そんな薄明かりの中、愛の語らいの最中に、彼女は髪留めをひとつ床に落としてしまった。
優しい彼は苦笑しつつ、ランプを手にし、それを拾おうと身をかがめたのだという。

「そのとき彼はひきつった笑顔で……すぐに、『ここを出よう』って言ったんです……」

彼は口数も少なく、服を調える暇も与えず、彼女の手を掴んで強引に小屋から引っ張り出した。
落とした髪留めも拾っていないというのに、あまりに急な行動だ。
外に出て、使用人宿舎の入り口まで来てから、いったい何があったのかと彼女が問えば―――


「目が」
「……」
「『目が合った』って言うんですよう……!」

少女は涙目だ。宿舎の自室にたどり着いてからも、彼女はひと晩ずっと震えが止まらなかったのだという。
タバサは背筋にぞくぞくと寒気を感じた。この後の台詞を聞きたくなかった。絶対に後悔すると解っていたのだ。


「その……『ベッドの下に』」

なんてことだ―――たちまちタバサは深い後悔に襲われた。

「『ベッドの下に居た』、っていうんですよう―――」




刃物を持った、ミス・ヴァリエールが!!


「うっぐ」

タバサは喉を鳴らす。さああっ―――
と、音を立てるかのようにして、全身から血の気が引いていった。
これからタバサは、毎晩寝る前に、ベッドの下にルイズが居ないかどうか確かめなければならぬだろう。

「わたしたちは……相談しあって、もうあの場所を使うのは止そう、ということになったのですが……」

少女は、怯えるタバサに向かって容赦なく怪談(ノンフィクション)を続ける。
その出来事のあった翌日、使用人寮に一本の髪留めが届けられたという。彼女を名指しの届け物だった。
そこには、以下のようにメモが添付されていた。あなたの親愛なる隣人ゼロのルイズより―――


『あなたの彼氏に伝えなさい、ひと月の間、夜中に出歩くのをやめるように……命が惜しければね』


まるで『さもなくば殺すわ』と言わんばかりの、脅迫の手紙ではないか!
それを見た二人は驚き恐れるいっぽうで、憤りの感情をも抱きはじめていたという。
自分たちの安らぎと逢瀬の時間と場所を奪われたような気にも、なってしまうものだ。

「確かに、貴族さまがベッドの下でお休みになっているときに……その上で愛を語り合っていたら、お怒りになることもあるのでしょう」

あの場所がゼロのルイズの『ナワバリ』だとしたら、それを侵犯したのはこちらだ、十歩引いてこちらに非があるのかもしれない。
だが、夜中に二人愛を語りあうこと自体にまで文句をつけられてはたまらない。我々には断固として愛し合う権利がある。
若いうちで愛に溢れたひと月の時は貴重なのだ。怖い貴族の命令とて、理不尽なものならふつう拒否することもできる。

若き恋人同士であれば、ときに命を賭してでも口やらなんやらを吸いあわねばならぬときがある。
恐怖の象徴ゼロのルイズ、愛の前では何するものぞ―――

「それで……わたしと彼とは、『別の場所を探そう』ということになったのです」

そんな訳で、懲りない男女は別の安息の地を探し、敷地内を彷徨い歩いていたという。
だが、どこを試しても光の具合やら夜間警備の人通りやらで都合が悪く、失われたあの場所の良さを再確認するだけだ。
まるで、楽園を追放された二人の男女の神話のように。でも、必ず最後に愛は勝つはずなんです―――

(……馬鹿? 死ぬの?)

とは、話を聞いているタバサの感想である。
自分が同じ立場に置かれたら、夜は『任務』がない限り部屋に引きこもっていることだろう。
いっぽう使用人の彼は、少女がどんなに反対しても、強気だったのだという。愛は得てして人を盲目にするものだ。

「そう考えていたわたしたちは、愚かだった、と……うっ、ぐすん……い、今では思うのですっ……」

使用人の娘はすんすすん、と鼻をすすって、弱々しげに言葉を続ける。

「やっぱり、その日の夜中に出くわしてしまったんです―――あの白い『おに』に!」

口からタマシイが抜けてしまいそうなほどに怖かった、と彼女は語る。
そいつは無表情で、夜の小道で、あたかも自分たち二人を待ち受けていたかのようにして立っていたそうな。

恐怖の噂の当人―――宵闇から抜け出てきたような細い身体、白い髪のルイズ・フランソワーズ。

『出歩くなって言ったのに……まあ、警告はしたつもりなんだけど……』

不気味な彼女の傍らには、白いヒトダマが浮かんでいたという。
身体全体が薄く青白く発光していた。にやりと口の端を吊り上げて、笑った。ウフフ……ウフフフフ……
立ち尽くす二人に向かって、白い少女はやおら冷たい無表情に戻り、

こう言い放ったのだ―――

『で……死にたいのね?』

うわああああ―――!!


男女は手を取り合い、わき目も振らず逃げ出すほかなかった。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……
その日、恋人を寮へ送り届けた彼は自分の寮へ帰ることもできずに、女性寮の玄関近くのソファで夜を明かしたのだという。
少女は涙をだらだらと流して語る。

「そ、その彼が、『あんな理不尽な恐怖などに屈してはいけない、次も君を迎えに来る』と言っておりまして……」

何度反対しても、彼は聞かなかった。
そして今夜、迎えに来るはずだったのだ。
悪い予感がした通り、いくら待っても待っても来ない―――もう、とても一人じゃ居られないのに。
ここまでの事実から想像しうる可能性は、ただひとつだ。彼女の愛しい人は……もう―――

『ハラワタを』
『ゼロのルイズに』
『食べられた』

五七五である。
かくして恋人の安否が心配になった少女は、英雄シエスタを頼りに部屋までやってきたという次第となった。

「どうかお願いします、お願いします! わたし一人じゃ、心細くてぇ……」


恐怖にうち震え泣き、頭を下げる少女を前に、雪風のタバサはひとつの決意を固めていた―――

「……わかった、一緒に探しに行く」
「ほ、本当ですか! ありがとうございます貴族さま! あなただけが頼りなんです!」

たぶん、酔って気が大きくなっていたのである。

『怖くない、友だちならば、平気だよ』

ずっと前にルイズから言われたそんな言葉を、思い出してみたりもした。



―――

雪風のタバサは、夜中に出歩くことに恐怖は感じれど、そこまでひどい状況なのだとは信じていなかった。
だいいち、ゼロのルイズは肉を食べられない。よって、人のハラワタを食べることなどないはず。

(ルイズは聡明……彼女がそう言うのなら、おそらく『ひと月の間、彼に外を出歩かせてはならない』理由があった、はず)

タバサにとって、ゼロのルイズは大切な友人だ。
向こうもそう思ってくれていると、よく実感することがある。とても喜ばしいことだった。

では、いったい何が起こっているのだろうか?
明日にでも本人に聞けばよかろうなのだが―――依頼人いわく、今は人の命のかかった緊急時だ、そういう訳にもいかなかった。

タバサは不安に思う―――本当に大丈夫なのだろうか?

ゼロのルイズの味覚はころころと変わる。
昔は苦手だったハシバミ草を、一時期の彼女はもりもり食べていたが、今はそう食べられないという。
このあいだ彼女は王宮で、紅茶用の輪切りレモンを「美味しい、美味しい」とぱくぱく食していたのだという。
そのおかげで衛士隊のド・ゼッサール氏より「レモン嬢」なるあだ名をつけられた、今はもうレモンなんて食べられないのだけど、とルイズは恥ずかしそうに笑いながら言っていた。

それはともかく―――彼女の味覚はときに完全にイカレてしまう、これは確かなことだ。

……まさか、今の彼女は、本当に人のハラワタを食べるようになってしまっているのだろうか?
そんな想像をするたびに、タバサはお尻にツララを突っ込まれたような気分になっていたものだ。

だから、ワインの酔いに任せて、こう考えた―――『いい加減、そろそろルイズを怖がることはやめよう』と。

彼女が人を殺して喰らうなど、ありえない、ありえない。
幽霊の正体見たり枯れ尾花。普通、人間が幽霊を見ることはできない。見えるものこそ、すべからく枯れ尾花なのだ。
そう思い込むようにしていれば、怖がる必要もないはずだ。

なので、タバサは半ば前向きに、こう考えていた―――
この一件は、自分がルイズに対して持っている恐怖感を克服するためのチャンスとなるかもしれない。
枯れ尾花的な何かを見つけ出してやればいい。
わたしが探しに行ってやろう。
今までは、逃げてばかりだったから。

あの白髪のメイジの言動はひどく突飛に見えて、いつも何らかの理由のあることが多い。
彼女が夜に出歩いているということにも、何かの大切な理由があってやっていることにちがいない。理由さえ解れば、怖くはなくなるはず―――
かくして、勇気をふりしぼり、こうやって請われるままに付き添ってきたのだ。
ルイズのことを無闇に怖がるのは良くない、と、依頼人の少女に伝えてやりたいという想いもあった。

雪風のタバサは、夜のルイズ・フランソワーズがいかに恐ろしいものであるかを、知っていたはずなのだが……


場面は現在へと戻り―――タバサは再び思い知らされていた。



―――あーっはははははは!

わずかな打算と希望は、なけなしの勇気は、いまや笑い声によって粉々に打ち砕かれていた。
正直、舐めていたと言うほかない。
タバサは戦慄する。夜中に出てきてしまったことを、心の底から後悔する。
コレは悪夢か、狂気の沙汰か。頭の中が真っ白になって、自分の心臓の音が鼓膜と頭をどくどくぐわんぐわんと揺さぶっている。

ああ、夜はルイズの時間なのだ―――

(……何、これ……)

ルイズ・フランソワーズが、ニンゲンの血に服を染めて、笑っている。この情景に、なんと理由を付けよというのか?
花壇からにょきにょき突き出した男性の足は、相変わらず微動だにしていない。
大切な身近な人が、信じていた人が、気づけば理解できぬ一線を越えてしまっていた―――というのは、誰もが恐れるに足る現象だ。
タバサにとっても、これまで騎士として潜ってきたいくつもの修羅場が、霞んでしまうほどの恐怖であった。

「ひ、ひぅあっ……ひいやぁああああああ!」

使用人の少女がとうとう大きな叫び声をあげてしまい、ゼロのルイズはぬぬぬっ、と振り向いた。こちらに気がついたのだろう。
月の光も映さぬ深淵の瞳を二人へと向けて、歩いてきた。花壇を降りて、ぬたり、ぬたりと石畳を踏む音。

「……あら……そこにいるのは、タバサ?」

燃え盛るヒトダマと二つの月の逆光を背負い、彼女の表情は暗くて見えない。
びゅうびゅうと風が吹き、ぞわり、ぞわりと寒気が走る。
人たる道をたがえし夜の眷属がごとき、白い白い虚無の少女が、人の生き血に身を紅く染めて―――


「タバサ……よね? そうだわ、あなたはタバサだわ……ウフ、フフ、フフフ……こんばんは、たあァー……」

歩み寄ってくる。

「ばぁさっ♪ ……ねえ、とっても良い夜だと思わない? ほら月が綺麗よ、星も綺麗よ?」


タバサ、タバサ……と繰り返し名を呼ばれるたびに、青髪の少女の現実感は、がりがりとかき氷のように削られてゆく。

「思うでしょ? ……そう思うわよねタバサ?」

ただ真っ暗な顔の部分のなかで、三日月のように吊り上げられた口だけが―――にたあっ、と笑っていた。
まるで世界に開いた裂け目のようだ、とタバサは思った。
あの向こうは、どこに繋がっているのだろう?


「……何を」

ようやく、タバサは渇ききった喉を振動させ、言葉を搾り出すことができた。

「何を、しているの?」
「ちょっとね、私ね、……むしゃくしゃしてたの……だからね、つい、お散歩ついでにね」

恐ろしい三日月の口からは、最も聞きたくなかった類の、容赦なき答えを返されてしまった。

「……この人は?」
「私のね、警告をね……何度も何度も、もう何度も無視したからね、何度も何度も……」

何度も何度も何度もね、ウフフ……何度も無視したのよ、ほんとひどいわひどいわ、だから……


「……なるべくして、こうなっちゃったのよ」

びゅううう―――
冷たい風が、タバサの心に灯っていたわずかな勇気の炎を、いまや完全に吹き消してしまっていた。
アルビオンで見た大きな悪魔よりも、火竜よりも、地獄の肉屋よりもはるかに、今のゼロのルイズが怖かった。

「たすけっ、たた、たすけてくださいミス・タバサ、わ、わたし、しにたくない……」
「怯えなくてもいいのよ? そこのあなた、今日の私は、あなたに……とっても嬉しいお知らせを、持ってきてあげたんだから」

不吉なる白髪のメイジは、タバサの隣で怯え震える使用人の少女に向けて、告げる―――

「……安心してちょうだい! もう『この人のことを心配する必要は無くなった』わ!」

ああ―――そんなことひと目見れば解るだろうに、とタバサは思った。
腰を抜かしてしまった平民の少女に手を取られ、ここから逃げ出すこともできない。
一歩、二歩、ぬたり、ぬたりと近づいてくる―――

「ねえあなた愛する人とずっと一緒に居たいのよね? ね? そうよね? ……あなた死んでも一緒に居たいのよね? ね?」

なにかの熱に浮かされたように、白髪のメイジは次から次へと言葉をつむいでゆく。
そうなんでしょ? うふふふ……ねえそうなんでしょ?
結局、私、ほんのちょこっとだけ手伝ってあげたけど、別に御礼なんていらないんだからね……
良かったわね、ええ、もう私の知ったことじゃあないけど……

「いい? これはね、別にあなたたちのためにやったとか、そういうんじゃないからね。つい見ちゃって、どうしても気になったから、なんだからね?」

地獄式の照れ隠しのような台詞を聞きながら、タバサは思う。何のために、こんなことをしたのだろう。
いつしかタバサは『吸血鬼』のことを思い出していた。
あれは人に紛れ、人を喰らうバケモノ。ゼロのルイズも、その類になってしまったのだろうか?
いや、別の可能性もある。

以前、ルイズ本人に聞かされたことを思い出す―――『ゾンビとスケルトンの違い』についての話だ。

ラズマ死霊術師は、好んで人や魔物の『骨』を使役する。
死者を生前の姿のまま一時的に蘇らせる秘奥義もあるというのだが、どうして彼らはわざわざ肉を落とし、骨だけを使うのだろうか?
ルイズが言うには、『骨』は生命の根幹、ゼロの基準を安定せしめる文字通りのホネグミであり、聖なるものなのだという。

『半端に肉を残したら、他人の血肉を喰らい求めるゾンビになっちゃうわ……でもスケルトンになれば違うの』

血肉をそぎ落とされたスケルトンは、食欲などよりはるかに高尚な、かつ根源的な欲求に従って動くようになるのだという。
骨には食欲も性欲も睡眠欲も存在しない―――ただひとつ残された、その高尚な欲求とは何か?

『うふふふ……単純なことよ、それはね、―――生者の命を、奪うこと』


殺戮(はぁと)衝動―――!!


『ただそれだけ。食べたいわけでもない純粋な殺戮の衝動、<虚無へと向かう欲求>なの』

よりにもよって、そんなものを高尚と呼ぶか―――!!
知れば知るほど、じわじわと恐怖がやってくる。得体が知れぬにも、限度というものがあるだろうに!

この話を聞いた日の夜、タバサはひどく恐ろしい夢を見たものだった。
その悪夢と同じくらい恐ろしい光景が、現実で、目の前で展開されている。
そうか、ルイズは肉を食べられない、ハラワタを食べないのなら、そう―――
こうやって、彼女いわく高尚なる欲求、ただひたすらに純粋な殺戮衝動に突き動かされて―――

(今すぐ、わたしたちの身体で、殺戮衝動を満たす?)

かつて聞かされた異教ラズマの死生観や宇宙の理の話は、タバサには到底理解できないものであった。
タバサは、この大切な友人のことをもっともっと知りたいと思っていた。
だが今は、生半可に知ってしまった知識が、よけいに恐怖をかきたてる。

「ねえ、なぁにを怯えているのかしら? ……ウフフフ、ねえ喜びなさいよ、笑いなさいよ」
「し、しにたくない、命だけは、命だけはぁ……!」

平民の少女の、命乞いの声がひびく。
用心棒としてついてきたはずのタバサも、ただ怯えるほかない。ゼロのルイズ相手に命乞いなど、意味があるのだろうか?

「『イトシイヒトのところに、さっさとイキナサイ』って言ってんのよ、そして思う存分いちゃいちゃすればいいのよ!」

無い、無いのだ。
うふふふふふ……

「ぃいやあぁぁあーーっ!!」

哀れな使用人の娘が、声を枯らして叫ぶ。涙と鼻水をたらし、必死にタバサへとすがりつく。
真っ青な顔をしたタバサは、依頼人のほうを向く。そして―――

「ごめんなさい」
「……え?」
「無理」

と言ったあと、糸の切れた人形のように、パタリと倒れてしまうのであった。
タバサを頼りにしていた使用人の彼女にとっては、絶望の瞬間に他ならない。

「みきゃあああーーーっ!!」

たちまち使用人の娘はびえんびえん泣きながら、両腕を使ってカサカサと這うように、その場から逃げていってしまった。




一方、ぽかんと口を開けている、ルイズ・フランソワーズ。

「え、あれっ……ちょっと何で逃げるのよ? ねえちょっとー! あーあ、……行っちゃったわ」

引き止めるように宙へとのばした手をおろし、小首をかしげて、ルイズはその後姿を見送る。

「案外薄情なのね……迎えに来たんじゃなかったの? どうすんのよ、この人」

振り返ったルイズの視線の先、花壇より、血まみれのソレはむっくりと起き上がる―――

「うーむ……あれ? おかしいな痛くないぞ、ぼくは確か、そこで転んで、落ちていた鍬で……」

どうやら倒れていた彼は、死体ではなかったようである。
服はまぎれもなく血に染まっているが、今はもう怪我ひとつ無いようだ。不思議そうに、自分の胸の辺りを確かめている。

「おはよう、起きたわね。体の具合はどうかしら?」
「はあ、大丈夫で……ちょ、うっわ出たあッ!」

そこに突然声をかけたルイズを見るなり、彼は目を丸くし、たちまち脱兎のごとく逃げていってしまった。
ルイズは「もうスッ転ぶんじゃないわよーっ」とその後姿に声をかけてから、小さな肩を落とし、大きくため息をついた。
残されたのは、気絶した青い髪の少女がひとり。

「タバサ、タバサ、こんなところで寝たら風邪ひいちゃうわよーっ」

頬をつんつんしても、むにむにとしても、起きない。
なので、ルイズはタバサの大事にしている杖を拾い上げる。
続いて指をぱちんと鳴らして、『土のゴーレム』を召喚し、意識のない友人の身体を抱き上げさせる。

「……もう、仕方ないわね」

かくして、雪風のタバサは怖い怖い『真夜中の幽霊屋敷』へと、お持ち帰りされる羽目になるのであった。


―――


(なんだろう……)

意識を取り戻したタバサは、横向きに寝かされていた。
ここは幽霊屋敷、いつもルイズが着替えに使っている、カーテンで区切られた一角である。
かちゃかちゃ、とベルトを外すような音。ごそごそ、と下半身に違和感を感じた。

「……やっぱり、ついてないのね」

どこか残念そうな声が聞こえる。
目をやると、背中側にはルイズ・フランソワーズが居た。
彼女はなぜかタバサのスカートとシュミーズの内側に手を突っ込み、パンツをぐいぐいと引き下ろしていたのである。

「何をしてるの……?」
「きゃっ! ……お、おはよう、タバサ、お、お、起きたのね」

ルイズはひどく慌てたように、膝の当たりまで引き下ろされていた空色の下着から手を離す。

「こ、これはね、その……えっと……あのね、何というか……」

ばつが悪そうに、もじもじとしながら、言いにくそうにしていた。
まさか、とタバサは思い、問うてみる。

「あなたは、わたしの身体に興味があるの?」
「ち、ちちち違うわよっ! そんな、なっななな何考えてるのよ!」
「……ついているはずがない、わたしは女」
「ち、違っ、ソケッ……じゃなくて、あのっ、えっと……そうそう、尻尾が! こないだね、タバサにうさぎさんの尻尾がついてる夢を見たから!」

顔を真っ赤にしたルイズは手をぶんぶんと振って、断固として否定する。
タバサは自分の下着に手をやって、さらなる違和感に気づいた。ルイズはこほんこほん、と咳払いをする。

「ソレ、……その、濡れたままじゃ気持ち悪いだろうと思ったから……」
「……」
「穿き替えさせたげようと……思ったのよ」
「……わかった」

冷たい夜風と大量のアルコールが、諸悪の根源だったのだ。
今日のタバサは、ひたすらに『ツイてなかった』。
タバサは小さい肩をますます狭くすくめて、襲い来る空虚感と情けなさと羞恥に、ぽろりと涙をこぼした。
なけなしの勇気を振り絞って無茶をした結果が、春先(シエスタの世話になったとき)以来久々の雪解けだったのだ。それはそれは悲しく切なくも、なってしまうものだ。
ルイズは気まずげにタオルを差し出しながら、小声で言う。

「誰にも言わないから、元気だしてよ……私だって、ほら、前にお肉屋さんと戦ったときとか、やっちゃったことあるし」
「……」
「あのね、今、あったかいお風呂焚いてるんだけど、……入っていきなさいよ」
「……」

タバサは与えられたタオルを腰に巻きながら、こくんと頷いた。
いまだ混乱している彼女は、『とうとう今夜がわたしの最期なのだ』と、ひとり静かに死を覚悟していた。


―――

真夜中の幽霊屋敷の室内には、ふたつの棺おけがある。
ひとつは大司教の遺体の収められている石棺、もうひとつは木製……フタがされていなかった。
タバサがカーテンで仕切られた場所から恐る恐る顔を出すと、ぬうっ―――と『棺おけの中の人』が起き上がった。
またもや気を失いかけ、タバサは顔をぶんぶんと振って堪える。

「……んん……」
「ごめんなさいリュリュ、起こしちゃったわ」
「はうー……」

棺おけの中の人、ガリアから来た居候少女が、むにゃむにゃと呟きつつ目をこすっていた。
こんな恐ろしい部屋で良くもまあ泊まれるものだ、とタバサは呆れるほかなかった。
自分は今すぐにでも、ここから逃げ出してしまいたいというのに―――

「よう、真夜中の『幽霊屋敷』にようこそ、頑張ってるなぁ嬢ちゃん」
「!!―――」

背後から男性の声が聞こえ、タバサは本日何度目だろうか、またしても気を失いかけた。
デルフリンガーだった。

「ふわあ……いま何時ですかあ、ルイズさん」
「夜中の二時くらいかしら」

タバサの来訪に気づいたようで、リュリュはぺこりと「こんばんは、こんな時間に珍しいですね」と挨拶をした。
たたたたっ……と天井裏を走り回るナニカも、物言わぬ火竜の頭蓋骨も、タバサを歓迎しているようであった。
明日には自分も、ここの『物言わぬ置物』の仲間入りを果たしているのだろうか、とタバサはぼんやりと考えていた。

「リュリュ、あなたもお風呂入るかしら?」
「すいません寝ますう……おやすみなしゃ、ふわわ……」

リュリュが再び横になって寝息を立て始めたので、二人は着替えとタオルの入ったカゴを持って裏庭へと出た。
裏庭には湯をたたえた古い大釜が鎮座しており、ぐらぐらと火にかけられていた。かなり猛烈な勢いで煮立っていた。

「見て見てタバサ、マルトーさんから使わなくなった釜をいただいたのよ、それでお風呂を作ってみたの」

ルイズが得意げに胸を張ってそう言ったので、タバサは驚く。まさか、これにニンゲンを放り込むつもりなのだろうか。
自分の最期が『釜茹で』とは、あまりに予想外―――と考えたタバサは青ざめた顔で、大釜を指差して、言った。

「沸騰している」
「……ちょっと湯加減の調整が難しいのよ、こうすれば……あれ? ……えいっ、このっ!」

ルイズは頬を膨らませて、ああでもないこうでもないと、しばらく額のルーンを光らせながら制御装置をいじくっていた。
どうやら時々暴走するそれは、ミスタ・コルベールと共同開発した一品らしい。
まったく情熱的すぎだわ、などと言っていたが、やがてがっくりと肩を落とし、湯わかし装置のスイッチを切る。
そして、タバサに向かって両手を合わせた。

「お願いタバサ、……魔法で冷やして」

タバサは杖を構えて呪文を唱え、人が入れる温度にまで慎重に湯加減を調節してやる。
ルイズはお湯に手を突っ込んで確認し、満足げに微笑んだ。

「ありがとう、さあ、あなた先に入っていいわよ」

タバサは、ふるふると首を横に振った。
茹で殺されてはかなわない。もうすこしだけ、生ある時間を堪能していたかったのである。
少なくとも一緒に入れば、まさか自身もろとも茹で殺すことはありえまい、と踏んでいたからだ。



―――

二人は暖かいお湯で血糊やなにやらを洗い流したあと、湯船とは名ばかりの大釜に浸かる。
細く小柄な二人が入っても、まだ余裕のある広さだ。香草を入れた湯が、ここちよい香りを立てていた。
底には一枚の板が取り付けられており、中には椅子がひとつ沈められていた。

「どうかしら? 気持ちいいでしょ? けっこう自信作のつもりなんだけど」
「……あたたかい」

そこにはだかのお尻を半分ずつ、仲良くちょこんと腰掛ける。ちょびっと気恥ずかしいのはご愛嬌。
熱せられた部分に肌が触れぬよう、快適に入浴できるよう、ルイズなりの工夫がそこかしこになされているのが解る。
目の前には木製のスケルトン・アヒルのおもちゃが、ぷかぷかと浮いていた。
タバサはこの時になって、ようやく緊張を緩めることができていた。

「殺さないの? わたしを」
「? ……ねえ、あなたさっきから何を言ってるの、私がそんなことするわけないじゃない」

近くの林で、ほう、ほうとフクロウが鳴いていた。
コロサレルとばかり思っていたらほのぼのお風呂タイムが訪れていた―――何が起きているのかは解らなかったが、これはこれで落ち着くものだ。
なので、さっきから気になっていたことを、ようやく訊ねる余裕が出来たのである。

「それなら、どうしてあの男の人を殺したの?」

それを聞いたルイズは、「私がぁ!?」と、一瞬信じられないといった表情をした。
いやいやいや、と顔の前で手のひらをふる。

「まさかあ……殺してなんていないわ。逆よっ、ぜんっぜん逆。助けたのよ、私がね、あの男の人の命を助けたの!」

月明かりの下、薄いはだかの胸を精一杯張って、頬をぷんぷんふくらませつつ、ルイズは言った。
やがて目を閉じて、はふうと息をついたあと、説明を始める。

「すぐに傷は治したし、気絶してただけだから、さっきむっくりと起き上がって帰って行ったわよ」

血まみれで倒れていたあの男性は、ただ事故で怪我をして気を失っていただけという話だ。
もちろん、ルイズが彼の身を害したわけでもない。
暗い夜道で転んだところに、刃を上に向けて落ちていた園芸用の鍬(くわ)―――胸を貫かれ瀕死だった彼に、紫色のポーションを飲ませて助けたのだという。
さて、ルイズはどうやって、そんな事故の現場に居合わせることができたのだろうか?

「さっき見たときは、もう『ほつれ』が消えてたから、……たぶんあのバカップル、今後はどんなに夜にデートしていても大丈夫なはずよ」

先日よりルイズには、あのカップルの片割れの男性使用人の運命のうちに、確定ぎりぎりの死相が見えてしまっていたらしい。
気になって占ってみたところ、『ひと月以内にいちど、夜の外出中に致命的な災厄あり』と出たものだ。

見たままに放っておくのは、どうにも寝覚めが悪い。
他人の死の運命が勝手に見えてしまうというのも、相当に難儀なことのようだ。
愛の前に盲目となった本人たちに対し、何度警告しても効果が無かったので、わざわざルイズが出かけて毎晩見張ってやることとなったのだという。

「……ねえ、もしかしてタバサたちには、私があの男の人を殺したように見えてた?」
「そうとしか見えなかった」
「ふへえ……なんでそんなぁ……死体かそうじゃないかなんて、ひと目見ればすぐわかるじゃないのよお……」

それが解るのはルイズだけである。
全くもっていつものように彼女は、自分が他人を不必要なまでに怖がらせているという自覚を持っていなかったらしい。
ルイズの顔は、みるみる疲れと困惑に染まってゆく。

「たぶん今ごろ、おお騒ぎ」
「……そうよね、……まあほっといていいわよね、ガイシャは生きてるし、私はもう疲れたしぃ……明日よっ、明日!」

タバサの指摘で、ルイズは心底疲れきったように大きく息をつく。
「もう知らない」と言って、「んんーっ」と痩せた白い裸身をさらし背伸びをしたあと、全身を湯の中にふにゃりと弛緩させた。

(よかった……やっぱり、きちんとした理由があった……)

一方でタバサの心は、安堵と喜びに満たされていた。あれほどあった深い恐怖感は、見事に薄れつつもあった。
枯れ尾花を探していたはずが、美しい純白の花を見つけてしまったような気分だった。

この薄気味の悪い友人は、大きな誤解を受けつつも、ひとり人知れず頑張っていたのだ。
ラズマ秘術について、ルイズは信頼の置ける仲間や友人以外に明かすことはしない。
だからどんなに苦労して人一人の命を救ったとしても、たとえ本人たちにすら、そうと知られることはないというのに。

(ほら、ルイズは優しい……わたしを命の危機から助けてくれたときと同じ……)

ルイズはやはりルイズで、とてつもなく怖いけれど優しい、タバサにとって大切な、どうしようもない友人だった。
そんな風に、どこか誇らしい気持ちまでもが浮かんできていた。

「あーあ、慣れないおせっかいなんて……するもんじゃないわね、……はあ、けっこうな苦労しちゃったし」

綺麗な月夜と、難易度の高い死相の回避に成功した喜びで、ちょっぴりテンションが高まって笑い出してしまったのだという。
つい先ほどタバサが目撃した場面が、まさにそれなのであった。
こうして文句を言ってはいるが、人間一人の命を助けられたことであれほど喜んでいたあたり、ルイズも本心ではけっこう満足しているのかもしれない。

「おかげで……なんか……いろいろ、す、すすすごいの……みちゃったしぃ……うーう……」

少し頬を染め、顔を半分お湯の中に沈めて、ルイズはぶくぶくぶくと行儀悪く水面にアワをたてはじめた。
先ほどのあの場面での照れ隠しらしき台詞は、いろいろ見せ付けられた故の複雑な心持ちから来ていたものらしい。
そこで、タバサはふと、ひとつの疑問を覚える。

他人の死の運命を見るたび、タバサ自身のときや今回のように力いっぱい奔走していたら、いずれ背負いきれなくなることも、あるのかもしれない。
それは、ルイズにとっては解りきっていることなのかもしれない。
彼女が誇り高き貴族の卵だからこそ、『そんなときは放っておけばいい』などと言えないことなのだとも理解できるが―――

どうして彼女は今回、忙しい中で沢山の時間を割いて、あの自分たちとほとんど関わりもないカップルのために、人知れぬ苦労を引き受けたのだろうか?

さて―――

図らずもちょっとばかり濃ゆい、大人の世界を覗き見してしまう羽目になったルイズである。
毒物マスターの彼女でさえ、『目の毒』を相手にしては相当に手こずったらしい。

「<生命の神秘>とはいえ、アレは手ごわかったわ……こっちの気も知らないで、いちゃいちゃいちゃ……」

何度爆破してやろうと思ったかしら……、とツヤの消えた目でぶつぶつ文句を言っている。
なんとなく思うところのあるタバサは、多少いじわるな質問を投げかけてみたくなる。

もしかすると―――



「幸せそうで、羨ましかった?」

だから、何としてでも助けてあげようと思ったのだろうか?

「はあ!? え、えっと……」
「わたしは、……話を聞いて、少しだけ羨ましいと、思った」

青い髪の少女は、酒の入った体で暖かい風呂に入ったせいか、再び酔いが回り始めているようだった。
ただ、いつもと変わらぬ無表情、澄んだ青い目で、近い顔と顔の距離から、じっとルイズを見つめていた。
ルイズは驚いたように目を見開いた。タバサは静かに続ける―――

「あなたは……」
「待って! ……その、ううっ……」
「……」

ルイズは少し顔をひきつらせて、タバサの言葉を遮った。
おそらく、以前の自分たち二人の間にあったいろいろなことを、思い出しているのだろう。

「……まま、ままさかタバサ、あ、あなた、その」
「?」
「い、いやっ、いいわ言わないで! 何でもない、何でもないからっ!」

ルイズはしばらく戸惑っていたようだが、その顔はやがて再び沸騰するように真っ赤に染まる。
彼女が心の中で何を思ったのか、タバサには解らない。あのときの話については、ルイズは触れようとしないものだ。
ぷいっとそっぽを向いて、骨アヒルのおもちゃを指先でつついて揺らしながら―――

「こ、これっぽっちも……うらやましくなんて、無かったわよ……」

やがて小さな小さな声で、タバサの質問にたいする答えを返してきた。
それが、かつて婚約者に裏切られ深く傷ついた経験をもつ彼女の本心なのかどうかも、タバサには解らない。
ときどき、ギーシュとモンモランシーの二人を見るルイズの表情が、優しさだけでなく憧憬や寂しさのようなものを含んでいるように、タバサには思われていたからだ。

(わたしは……どんな答えを期待していたのだろう? ……解らない)

タバサは戸惑いつつ、考える。
ひょっとすると、ルイズの心のうちでも『恋愛』というものに対し整理しきれていない、複雑な感情があるのかもしれないと思う。
タバサ自身が『初恋の相手』に対して、ときどき自分でも把握しきれない不思議な気持ちを抱いてしまうのと、似たようにして。

(わたしは、まだ彼女に未練がある? ……まさか、そんなはずは、ない……)

空には双月と、金銀の針で突いたようにまたたく美しい星々。
かくして、微妙に互いとの距離をとりかねる二人は、どこか気まずげながらに、ぽつりぽつりと会話を続け―――
夜空を見上げながら、はあ……と、どちらからともなく息をつくのであった。



―――

お風呂から上がって清潔な服に着替えたあと、タバサは自分の部屋へと帰る。

「また明日ね、おやすみなさい」

と手を振ってくれたルイズに、手を振り返しながら。
どこか名残惜しい気持ちと、ほんのりと暖まった心と、ほんの少しだけ寂しくも切ない気持ちを抱きつつ……

(ちょっとだけ、歩み寄ることは出来た)

少なくともそこに冒険した甲斐はあった、と思うことにするタバサであった。

そして……


翌日にはもうケンカを始めてしまうあたり、この二人の少女の間柄は、とうてい一筋縄ではいかぬもののようである。


―――


九死に一生を得た男性使用人は、『ゾンビ君』というあだ名をつけられ、周囲から一歩距離を置かれるようになったとか。
生き延びることが必ずしもすべて幸に繋がるとは言えない、というひとつの実例である。
恋人の少女が離れていかなかったことが、不幸中の幸いだったそうな。

ルイズ・フランソワーズという災い、および周囲とのあれこれを乗り越えたことで、ますます燃え上がる恋……
その後の男女がどうなったのかについては、『禍福はあざなえる縄(なわ)のごとく』、といった話のようである。





//// 21-3:【風、おいしいです】

ある日の午後、ルイズの住居『幽霊屋敷』へと、風の授業の教授、疾風のギトーがやってきた。
彼はいつもこうやってあらゆる場所へと突風のように現れては、場をかき乱すだけ乱してゆくのだ。

「はい……あの、どちらさまでしょうか」
「君こそ誰だ? ……見ない顔だ、この学院の生徒ではないな」

ギトーが呼び鈴を鳴らし、応対に玄関まで出てきたのは、最近ここに逗留しているガリア貴族の少女リュリュである。
リュリュは、目つきの悪い不気味な男性ギトーにじろりと上から下まで眺められ、ひっ、と息を呑んだ。

「まあどうでもよい、この部屋の主かミス・タバサは居るか」
「今、ルイズさんは地下におります、なにか手の離せない作業中だとか……タバサさんは今は居ないようですが」

だが、ギトーはすぐに興味なさそうに視線を外し、リュリュはほっと息をつく。

「ふむ、ならば出てくるまで待とう」
「へ?」

勝手知ったる他人の家、とばかりにギトーはずかずかと上がりこみ、部屋の中のテーブル脇の椅子に腰を下ろす。

「疾風のギトーだ、この魔法学院で風の授業を受け持っている」
「は……あっ、ガリアから来た土メイジのリュリュです、よろしくお願いします」

変なタイミングでいきなり自己紹介をしてリュリュを戸惑わせたあと、ギトーはノートを一冊取り出してなにやらかりかりとやりだすのであった。
落ち着かないのはリュリュだ、彼女は地上で『錬金』の作業中だったのだが、初対面の男性が突如やってきて近くに堂々と居座っているのである。

「あ、あの、もしルイズさんに御用事でしたら、そこの呼び鈴を四回鳴らせば作業を切り上げて出てくるはずですが」
「とくに風雲急を告ぐ用事というわけでもなし、ならば急かす必要もない」

ギトーはノートに集中しているようで、視線を動かさず、そう答えた。
リュリュはますます落ち着かない―――テーブルの位置はリュリュの作業台の背後……この男、ずっとそこに居るつもりか!
おそるおそるギトーへとそんな視線を向けていたとき、彼は気づいたようだ。

「失礼、私が居ると落ち着かぬようだな……『サイレント(静寂)』」

学院でいちばん空気の読める男を目指しているらしい彼は、杖をかまえ呪文を唱え、自分の周囲の音を消すのであった。
さて、音だけが消えたせいで、なおさら背後にぞわぞわと高まる不気味このうえない存在感。
リュリュはますます落ち着かなくなり、どうしたものかと思う。

(トリステインには変わった方が多いのですね……)

なので彼女は修理を終えた物品を片付けて、材料を持って外へ出る。
実はもともと追求していた『極上の肉を錬金する』という目標を、いまだ果たせていないのである。
いちど三日間の断食に耐えたときに想像した美味しいお肉、それを食べたいという強い強い欲求を思い出して呪文を唱えてみたのだが……

「はあ……よく考えたら、おなかが空いていれば極上だろうがなんだろうが、どんな食べ物でも美味しく食べられてしまうようです……」

魔法の改良は、そうそう上手くいかないようだ。
台の上に置かれた材料たる大豆は肉っぽいナニカに変わるが、本物の肉にはまだまだ遠いものとなる。
匂いと味は多少焼き肉っぽく、そこそこ美味しくもあるのだが、食感はもそもそとスポンジのよう。これは彼女の作ろうと望んでいる肉ではない。
空腹は極上のスパイスとは言うが、行き過ぎると極上の料理さえがつがつと貪らせ、味など二の次とさせてしまうこともよくある。

「マルトーさんの調理した火竜の肉のほうが、ずっと美味しかったなあ……」

大味も許容し、質よりも量や手軽さを選ぶ―――人それをB級グルメと呼ぶ。

平民も貴族も、純粋な食材や料理の味そのものよりも、雰囲気や見た目、値段などで食べるものを決めることのほうがずっと多い。
また、そういった他の沢山の要素のほうが、ときに料理の味そのものの感じ方を大きく変えてしまうことだってある。
そこにはきっと、『シナジー(Synergy:相互作用、相乗効果)』と呼ばれるたぐいのものが、複雑にはたらいているのであろう。

トリステイン魔法学院の厨房の主、マルトーはリュリュに言ったものだ―――貴族はたいてい、こってりとした味付けや見た目の豪華さだけで満足しやがる、と。

「ミスタ、ミスタ・ギトー、ご相談に乗っていただけませんか」

人見知りをしない少女リュリュは、疾風のギトーを連れ出して教えを請うてみる。
先日コルベールに相談したときは、食材を黒こげにされたあげく『食えないほどまずくなければよい』という結論になってしまったので、今度こそはと思ったのだ。
ギトーは「私の風の知識が入り用か、何でも聞くがいい」と言った。風の話ではなく『錬金』の話なのだと知っても、彼はまったく気にした風もない。

「なるほど君にこそ、私の風の授業が必要のようだな」

いえ、私は土のメイジなので風は関係ありません……というリュリュの主張は、たちまち風のようにスルーされてしまった。
ギトーは懐から愛用のフォークとナイフをひょいっと取り出して、リュリュの作った数種類の合成代用肉を涼しい顔でいくつも味見する。
ふむ、とか、ほうほう、とか、これはこれは、とか呟いている。

「はっきり言って、まずい」
「ひぐっ!」
「これをあくまで肉なのだと主張するのなら、落第点を覚悟するがいい」
「う、う、う……」

歯に衣着せぬギトーの言葉が、リュリュの心の弱いところに容赦なくクリティカル・ストライク(Critical Strike)する。
そして、ギトーは続ける―――

「だが、ミス・リュリュ―――風味(ふうみ)という言葉を知っているか」
「へ? ……はあ、風味、ですか」
「そう、風の味、と書いて風味(ふうみ)と読むものだ、かように風はときに実体のないものを指して呼ぶ言葉としても使われる」

ギトーは語る。
私が思うに、君は実体のないところにいきなり肉そのものを作り出そうとするから、失敗しているのだろう―――
ならば風のように実体のないまま自由に加工し、風の味すなわち風味を作り出すほうが、ずっと実りが多いのではないか―――

「すいません、意味がわかりません」
「解らんか、ではこれを私の結論としよう―――『肉の味のするものが必ずしも肉である必要はない』、と」
「? ……ですから、大豆からこうやってお肉を作ろうとしているんです……いつも失敗していますけれど」

しゅんと落ち込むリュリュに向かって、ギトーは続ける。

「何を指して失敗と言うミス・リュリュ、君はこれほどまでに実に見事な『焼き肉風味のもの』を作ることに成功しているではないか!」

この風味に合う食感を探したほうが数多くのものが見つかると思うがな―――それを聞いた少女はただ、目の前に開かれた自由な可能性の大きさに震えるほかなかった。


のちに、ガリア貴族の娘リュリュはハルケギニア版『合成調味料』の発明者として、歴史に名を残すこととなる。
多くの魅力的な商品とともにリュリュの名が売れはじめたとき、「大元のアイデア提供者のきみは悔しくないのかね」と問われたギトーは、こう答えたという。

「料理など平民や女子どものすることだ、どうしてこの私が悔しがる必要があるというのかね?」


―――

さて、ようやくルイズが地下から出てきたので、立ち尽くし震えているリュリュを放置し、疾風のギトーは部屋の主へと声をかける。

「こらお前、最近授業をサボって一体どこへ行っている」
「わっ、ミスタ・ギトー……えっと、私たちの『公欠』の届けは、オスマン氏へと提出しているはずですが」

ルイズは慌てて、王宮に用事があったり、どうしても資金が必要なので『宝探し』をしたりしている、という理由を話した。
ギトーはたちまち不機嫌そうな表情になった。彼は教師、子供たちの学院におけるすこやかな育成を第一に考える者である。

「ふん、学び盛りの時というものは風の流れのように一期一会だ、……あとで後悔しても知らんぞ」

確かに彼の言うとおり、ルイズの『薬の費用を稼ぐ』という用事は、貴族としての授業を休んでよい理由にはならないのである。
学校をフケてダチとつるみ、オーク鬼どもからのカツアゲ(Hack and Slash)に精を出している不良娘ルイズは反省して、「申し訳在りません」と頭を下げる。
ときどき顧問としてコルベールに付いてきてもらって、『火』の特別授業としての体裁も取っているのだが、実質はただの怪物退治と宝探しだ。

「……まあ解ればよい、子供は風の子自由の子である……で、ミス・タバサは来て居ないのか」

ギトーの一言で、ルイズは顔をひきつらせた。青い髪の友人は、そばに居ない。
一緒に風呂に入った日の翌日から、とある理由でルイズとタバサは喧嘩中であり、宝探しのときでさえ、ここしばらく会話をしていない。

「た、タバサは居ませんが……何のご用でしょう、承っておきましょうか」
「以前私の書いた本は、思いのほか彼女に役立ったようだ……なので、もうそろそろ新しい本を書こうと思ってな」

彼いわくの『優秀な生徒たち』に触発されたらしく、彼自身アクティヴな気持ちになっているようであった。

「そのために少々フィールドワークが必要だ、助手を探している」

雪風のタバサは、疾風のギトーがいちばん目をつけて可愛がっている生徒である。
タバサは、ギトーが『昨年度の新入生は不作だ』と思っていたところに隠れていた逸材、それも風のトライアングルメイジだ。
使い魔として立派な風竜シルフィードまで召喚してしまい、ギトーのタバサへの評価はもう成層圏を突き抜けんばかりだそうな。
本日のタバサは予備の眼鏡を買いに行くとかで、キュルケとともに街へ出て行っている。

「あの……ミスタ、失礼ですがそこは先に男子生徒を当たるべきでは?」
「風のメイジの男子どもはみな、体調が悪いと断ってきたのだ……なんと軟弱な、トリステイン貴族が情けない」

ギトーは嘆かわしい、実に嘆かわしい、と拳を握り締め、震えている。
たぶん男子生徒たちは体調が悪いのではなく、こんなギトーについてゆくのが面倒なだけなのだろう、とルイズは思うが口に出さない。

(でも、いつもお世話になっているギトー先生の頼みなのよね……それまでにタバサと仲直り、出来るのかしら?)

開始は一週間後、期間は3日ほど。トリステインで浮遊大陸アルビオンに近い土地の、風の流れを調べるのだという。
ちょうど霊薬の材料の仕込みが終わり、時間を置いて熟成させなければいけない段階だ、そのくらいの暇なら出来ないこともない。
なによりギトーは、授業を休みがちになっているルイズにも、手伝いをしてくれるのなら実技を補って単位を取れるだけの点をくれるという。

(聞いた事のある名前の村だわ、確か『火竜の皮衣』とかいうマジックアイテムがあるって、キュルケの持ってきた『宝の地図』に書いてあったわね……)

ちょうどギトーの挙げた行き先候補地のひとつが、幽霊屋敷の愉快な宝探しパーティの行き先候補のひとつと、かぶっているようでもあった。
『火竜の皮衣』とは、身につけた者が火竜のブレスのごとき炎の力を得る……という噂の宝らしい。それの真偽もとても気になるルイズである。
なので行き先をそこに決めたうえで、快く了承することにした。


そしてギトーについていった先の村で、思わぬ出来事に遭遇することとなるのであるが、それはもう少し先の話だ。



…………

ルイズとタバサが喧嘩したのにも、少し複雑な理由がある。
「解毒ポーションの味を改善して欲しい」と、以前申し訳なさそうに、タバサが願い出てきたのだ。
そもそも当初よりルイズは、必ずしも『黄金の霊薬』だけがオルレアン夫人を救う手なのではない、と思っていた。

ラズマの徒は、霊薬のみならず、強力なポーションを製作する技術に長けている。
<サンクチュアリ>の薬学研究者やヒーラーたちも、ネクロマンサーの技術にたいし大いに興味をそそられ、また実際に目にしては驚嘆するのだという。
ラズマの徒はあらゆる『毒』を扱うことにかけてのエキスパートであり、したがってルイズも解毒薬精製の腕に関しては自信を持っていた。

魔法の毒、魔物の毒、虫の毒、キノコや植物の毒、鉱物の毒、カエルの毒、ヘビの毒、魚やイモガイの毒―――
サンクチュアリの薬学では、多種多様なそれらを何でもひとからげに『人の身体を害する毒』という概念で扱ってしまうものだ。
なので、これは心を壊す毒にも効くはずだ、とルイズは特製の『解毒ポーション(Antidote Potion)』を処方した。
いずれにせよ霊薬が出来るまでの夫人にとって、対症療法が必要なことも確かだからである。

ルイズの自信のとおり、解毒ポーションはある程度の効果を見せ、一定の時間、患者の心に多少の落ち着きを与えることに成功した。
飲ませたあとのしばらくの間、タバサの母は本を読めたり、少しだけだが他人と会話が成立したり、普段より安らかに生活することが出来る。

未だタバサのことを娘だと認識するには至らなかったが、それでも数年ぶりに母と会話をしたタバサは、涙を流すほどに喜んだものである。
毎日続けてゆくことで身体に耐性がつき、効果の時間も少しずつ延びていくようにも思われた。

だが、『良薬口に苦し』の例にもれず、味は壊滅的だった。
鉄の塊と称された女傑アニエスを泣かせた、あの舌の痺れる薬である。

<始祖のルーン>をフル活用して劇的な改善を見せた結果が『ミミズ汁よりひどい味』だというのが、どうにも救われない。
身体に吸収させるための特殊な溶液を使っている関係上、錠剤にするという選択肢も閉ざされている。

オルレアン公邸に勤める老僕ペルスランからの便りによると、薬を飲ませる途中、夫人は、調子の悪いときにはひどく暴れてしまうのだという。
薬の効果が切れるたびに、彼女は効果があったうちの心の安らぎを忘れてしまう。
夫人の立場からしてみれば、『信頼しているペルスランから、味のひどい、わけのわからない薬を無理矢理飲ませられる恐怖』が襲ってくるのだ。
むろん、母親を愛する娘タバサもまた、それが心苦しくてならない。

どうすればいいのだろう。むしろ徹頭徹尾壊れ続けていたほうが、かあさまにとっては幸いなのではないか。
余計な苦しみを負わせるくらいなら、いっそ解毒ポーションの使用は取り止めに……

などと言われてしまっては、ルイズはいたく自信を傷つけられ、ことさらに頑張って対策を見つけようとするほかなかった。
そうして得たいくつかの解決策を採用するか否かをめぐって、タバサとルイズは喧嘩をしたのである。


……

ルイズはタバサのことを思い出し、寂しく思い、不安にかられていた。
ふたたび、『自分にとって何がいちばん大切なのか』という心の軸が、ゆすぶられつつもあった。
というのも、どんなに泣いても笑っても自分の姉とタバサの母親、二人の人間を同時に霊薬で治療することはできないからだ。
だいいち、資金が圧倒的に足りない。
司教の遺体のことも、騎士のことも、なにひとつ役目を果たせていない現状である、はやる気持ちばかりが生まれてくる。

(自分でも解るわ、また余裕がなくなってきてるのよ……)

だから、せめて解毒薬の味の改善に成功しないと、仲直りしてもらえる資格がないと考えていたのである。
あのアニエスを泣かせた強烈な味である、ミョズニトニルンも涙目だ、相当な大仕事になるだろうと思われた。
しかし、現在の『幽霊屋敷』には、二人の救世主が―――!!

「ミスタ・ギトー!!」
「何かね、ミス・リュリュ」
「あ、あ、あなたの『風味』というアイデアは、すすす素晴らしいものです、風、マジすごい!!」

リュリュが硬直から復活し、部屋に飛び込んできたのである。
この頼もしい二人が、ルイズのクエストに大きなヒントを与えてくれる―――







//// 21-4:【THE薬のおはなし】

白い髪の少女ルイズと、青い髪の少女タバサは、たまに喧嘩をしている。
タバサは同年代の少女よりはずっと忍耐強いほうである。
それでもひどく怒らせてしまうルイズは、最近とみに他人の心の地雷を踏んでしまうのが上手になってきているようだ。
ルイズが『正しいのは自分』と意地を張ったときには、たいてい仲はこじれてしまう。

「良く考えたら、最近はあたしとヴァリエールが喧嘩するよりも、あなたがしてることのほうが多いのよね」

タバサの部屋のベッドの上を占領し、新品のジグソーパズルを弄りながら、寝転がったままのキュルケが少し感慨深げに問う。

「結局、今回は何が原因なのよ?」

街で買ってきたばかりの本を読みながら、喧嘩した当日のことをタバサは思い出す。

―――……

……

「あなたのお母さまを楽にする方法が見つかったのよ」

とルイズがタバサの部屋を訪問してきて、最初は喜んだものである。
もしかして、以前頼んでいた『解毒ポーション』の味の改良に成功したのかと思ったのだ。

ルイズの作った黒い『解毒ポーション』では、母の心を蝕む『心を壊す毒』を根治させることはできない。
だが、そこそこの精神的安定を与えることには成功していた。
だから霊薬が完成するまで、それで対症療法を行うことになっていたのだが、味が壊滅的にひどいという重大な問題を抱えていた。
それが改善されたなら、タバサは母親の苦しみを減らしてあげることができるのだ。

「見てちょうだいタバサ、秘密兵器を手にいれたの! これさえあればもう大丈夫!」

ところが友人の白髪の少女が嬉しそうに取り出してきたのは、一本の波打つ刃、禍々しい拵えの短剣だった。
いつしかデルフリンガーを購入したのと同じ店で手にいれた、『翡翠のタンドゥ(The Jade Tan Do)』という名の短剣らしい。

「この短剣に込められた<毒の力>を発動させて、身体のどこかに『ぷすっ』とつき刺したら……人ひとり四秒で死ねるの! ウフフフフ」
「!!―――」

ルイズは嬉々として説明という名の自慢話をはじめる。
『翡翠』は死体の新鮮さを保つという効果をもつ石であり、太古より死と復活の象徴とされ、副葬品としてもよく用いられるものだ。
つまり、ネクロマンサーに好まれがちな石なのであった。

- - -
翡翠のタンドゥ(The Jade Tan Do)
ユニークアイテム:クリスナイフ
片手ダメージ:2-11
装備必要レベル:19 必要DEX:45 耐久値:24
+150 命中値
四秒間に180の毒ダメージ
+95% 毒耐性
+20% 毒耐性の限界値アップ
凍結無効
- - -

『毒』とはラズマの僧にとって、『聖なる力』でもある。
ラズマ僧が短剣に毒を塗る技術『ポイズン・ダガー(Poison Dagger)』は、短剣に天の祝福を与えることと同義である。

不思議なことに、毒を短剣に塗布するだけで、命中率までもが上がったりもする。
それは運命論者たるラズマ教徒ならではの技術である。
俗に言う『誤ってトーストを落としたとき、バターを塗った面から着地する法則』と同じようなものらしい。
つまりただの短剣よりも、猛毒の塗られた短剣のほうが敵の急所に当たってしまう確率が高くなる―――と信じられており、事実そうなっているのだから恐ろしい。

キュルケの持っていた『ヒスイのフィギュア』には欠片の興味すら示さなかったルイズも、この『猛毒的な意味で正しく加工をされたヒスイ』の短剣は心底気に入ったようである。
抜き身のこれを振り振りしながら王宮に入ろうとして、衛兵(Guard!)に「ここは通さぬ(You may not pass)」と拘束されたという、心あたたまるエピソードもあったそうな。

「という訳なのよ、どう?」

タバサは喉をごくりと鳴らす。顔色は、たちまち真っ青になっていった。
「母さまの心は助からない、だからルイズは命を奪う選択をした」と勘違いし、静かに絶望していたのである。
もちろん、ルイズの自慢げな説明が本筋より脱線しまくって、あらぬ方向へ行ってしまったせいだ。

「殺すの? ……母さまを」
「違うわよ! これはね……」

ルイズが慌てて補足説明するに―――
この短剣には、手にした人間の『あらゆる毒』への抵抗力を、通常の人間がもつ限界を超えて大きく引き上げる特殊効果があるのだという。
これを装備させるだけで、あの味のひどい『解毒ポーション』を飲ませなくてもよくなるというのだ。
『解毒ポーション』を85%程度の効き目とすれば、これは95%もの効果があるという。
自信満々に語るルイズを、タバサは疲れたように肩と眉を落として見ていた。

「使えない」
「はあ……どうして?」

即座に却下するほか選択肢はなかった。
心の壊れた人間に、猛毒の短剣などを持たせたらどうなるのだろう、少し考えれば解りそうなものだ。

母親は他人に会うとヒステリーのような発作を起こす。
いつも抱きしめている人形を娘だと思い込み、悪人から守ろうとしている。
だから、暴れる。毒の短剣で自分の手でも傷つけてしまえば、母さまはコロリと死んでしまうかもしれない。
万が一、誤って他人を……たとえば老僕ペルスランを殺してしまうかもしれない。
この不思議そうに口をぽかんと開けて自分を見ている白髪の友人は、それが解らないとでもいうのだろうか。

「頑丈な鞘にいれて渡せばいいだけよ!」
「駄目、万が一のこともある……何があっても、母さまに刃物は持たせられない」
「ほら、金属の板で何重にもくるんで、ぜったいに抜けない鞘を作るから!」
「それでも駄目、危険」

ああだこうだと言い合った結果―――

「私のワザと始祖の<ルーン>を信じてくれないの?」
「信じていないことはない、それでもリスクが高すぎる」

大きな自信のあった案を何度も冷たく却下され、とうとうルイズは凹みに凹んでしまう。

「わかった、わかったわ……もうひとつ案があるんだけど、そっちで行くしかないわね」
「何?」
「濃縮したお薬をね、おしりから注入するのよ。ちょっとおなかがゆるくなるかも知れないけど、効くと思う」

タバサは怒った。

「誰が入れるの」
「えっ……」
「わたしは近づけない……母さまに近づける人は、ペルスランただ一人……彼は男性」

心を病んでも貴族であり女である母さまに、これ以上の屈辱を与えるわけにはいかない……と、タバサは譲らなかった。
ハルケギニアに坐薬の概念はないわけではないが、水魔法を病気治療の柱としている貴族にとっては、馴染み深いものではない。
毎日ひどくまずい薬を飲まされるのと、毎日お尻を狙われるのでは、まだ前者のほうがマシというものである。

「もし私のちい姉さまにそういう治療が必要だったら、私は迷わずブチ込むわよっ!」
「わたしの母さまは、あなたの姉ではない……それに、病気の種類が異なるから、比べても無意味」

このような問題は患者当人が了承するべき問題であり、ルイズは専門の医者ではないので、客観的な判断を下すノウハウも権利も無い。
そして、頼んだほうのタバサと、頼まれたほうのルイズでは、決定的な立場の相違がある。

「なによ何よっ! タバサってば、本気で良くしようというつもりがないんだわ!」
「……それはない……経口が望ましいと言っているだけ」

一足飛びにでも早々に結果を出してしまいたいルイズと、母の気持ちを考えてなるべく手段を選びたいタバサである。
結果、またもや話は平行線をたどらざるを得ない。
タバサの頑なさに、とうとうルイズは怒りだして、部屋を出て行ってしまう。

「も、もういいわよッ! 私が解毒薬の味を改善できないのが悪いって言うんでしょ! やってやるわよ!」
「誰も悪いとは言っていない……わたしも、もういい。解毒ポーションは使わない。味の件についても、頼みを取り下げる」

かくして、しばし顔をあわせても会話をしない状態が続くことになった。

―――……

……

回想を終え、ぽつぽつとキュルケへと語る。
キュルケはあごの下に指をあてて、しばし考えていたが、やがてはあっとため息をついて、感想をのべた。

「難しいわね……あなたの気持ちも解るけど、だからって、あの子の逸(はや)る気持ちも理解できないわけじゃないのよね」

タバサの目が、少し見開かれる。

「……どういうこと?」
「知りたい?」

タバサは頷き、キュルケは手にしたパズルの欠片をくるくるともてあそびながら、続ける。

「ケンカの初日あたりかしら? あの子がひどく落ちこんでたから、……揺さぶってみたら出てきたのよ、やり場のない弱音がたっぷり」

救うべき人が沢山居る中で先の見えぬ霊薬精製を続けていることで、そのときのルイズは、また精神的に参りつつあったようにも見えたという。

『ひょっとすると、私の姉さまの症状よりも、タバサのお母さまの症状のほうが優先されるべきなんじゃないか、って……』

事実、二人の女性の置かれた状況を比べてみれば、まだカトレアのほうが恵まれていると言えなくも無いのである。
というのも、カトレアの場合は紫色の『上級ポーション』がある。
ならびに、その後に送られた『体力自動回復促進(Replenish Life)』の効果をもつマジック指輪によって、以前と比べて僅かながら状況が改善されたとも言える。
効果を確かめたとき、あのきつい性格のエレオノールが、ルイズを抱きしめてほお擦りして喜んだという話だ。

『だけどタバサのお母さまは、四六時中ひどい苦しみの中にいるのよ?』

でもお薬はひとつしか出来ないし、ちい姉さまよりもタバサのお母さまを優先するわけにはいかないし……

「なあんてうじうじ無いものねだりなこと言ってたから、……あたしの方から聞き出しておいてなんだけど、ちょっと腹が立ったから、言ってやったの」

ヴァリエール、そんなのあなたのお姉さまに直接「あなたの分を他人のために使って良いか」って尋ねてみたらいいだけなのよ。
あなたの大好きな優しいお姉さまなら、きっと許してくれるんじゃないの?

いやよ!
―――と、何故かルイズは怒りだしたという。

私を含めて、ちい姉さまのお身体を心配する人だって、沢山いるんだから。
タバサのお母さまについても同じといえば同じだけれど……
トリステインの貴族でありヴァリエール家の娘である私が優先しなければいけないのは、お姉さまのお身体なの!

―――と言われ、キュルケは確かに筋が通っているとは思ったが、漠然と「それだけではないわよね」と思ったのだという。

「だからずばり、何でそんなに追い詰められてるの? って聞いてみたのよ、そしたらね……」

長姉エレオノールが、一度実家に帰って家族に顔を見せなさい、と何度もルイズに言ってきている。
だが、何度姉に叱られてもルイズはそれを断り、ひたすらに無視し続けている。
その真の理由とは―――


『もし実家に帰ったとき、カトレア姉さまのお顔に確定した死相が見えてしまったら、怖い』


そうなれば、ルイズは愛する姉の命を救うことを諦め、救おうとする努力を放棄しなければならない。
一般人には想像もできぬ、死人の占い師として生きる上での、いちがいに杞憂とも言い切れない懸念である。

何かしらの高い才能をもち、かつ不治の病にかかった人間には、通常よりもずっと死相が出てしまいやすいものなのだという。
かように『生まれたときから若くして死ぬことを運命付けられた人物』というものが、世の中には僅かながらも居るそうな。

あるかどうかもわからぬ、まだ見ぬその可能性を想像してみるだけで、ルイズは胸が張り裂けそうになるのだという。
『箱の中の猫』の寓話のように、あいまいなままにしておきたい気にも、なってしまうことだろう。

『結局私ってば、それから逃げ続けているだけなのかも……、笑いなさいよツェルプストー』とルイズは消え入りそうな声で言ったそうな。

「いけない、『タバサには絶対に言わないで』って言われてたけど、忘れてたわ……今のナシってことにしといてね、タバサ」

もし言ったと知られたら、赤い髪の少女は、お腹のなかでペットの毒虫を飼うことになるかもしれないそうな。
キュルケは「信じてるわよタバサ」とわざとらしくウインクひとつして、二、三度、形の良い大きなお尻を振る。
そして、鼻歌を歌いつつジグソーパズルの製作に戻った。余裕ぶってはいるが、微妙にその手が震えていた。
どうやら、言ってしまったことを後悔しているらしい。

(……キュルケは遠慮なく大笑いしたのだろうか、それとも……)

タバサはその場面を想像してみる。すると、笑ってハッパをかける様子が思い浮かんだ。
翌日のルイズには、少なくとも落ち込んでいる様子は見られなかったからだ。

(わたしは謝らなくてはいけない……ルイズはわたしの母さまのことを、とても真剣に捉えてくれているのに)

心苦しさが増してゆく。
ルイズにそれほどまでに大きな心労を負わせることは、タバサの望むところではなかったからだ。
でも、胸の中の落としどころのないわだかまりも、まだまだ残っている。

(何度も、わたしのほうは焦らなくてもいいと言っているのに……どうして彼女は)

血のゴーレム事件の時と同じように焦って、その結果、失敗やアクシデントでルイズ自身の身や母の身を犠牲にされてはかなわないのだ。


やがて―――

ノックの音。
ドアの向こうに、ルイズ・フランソワーズがやってきた。

「タバサ!」

タバサがドアを少しだけ開けると、どこか興奮した様子の喧嘩相手が、喜びの表情を浮かべて立っていた。
ルイズはぎゅっと握った拳をつきあげて―――

「ミスタ・ギトーが言ってたの! 『静かなること風の如し』よ!」
「……??」

いつものように意味が解らなかったので、とりあえず読書の邪魔をされたくなかったタバサは、静かにドアを閉めた―――ばたん。
そのような標語など聞いたことも無かった。大昔のチェザーレ大王時代の軍師の名言『疾(はや)きこと風の如し』の間違いなのだろうか。
たぶんギトーがその場のノリで言っただけだろう。

『疾きこと風の如く、静かなること風の如く、侵掠すること風の如く、動かざること風の如し』
『風林火山』ならぬ『風風風風』になってしまうではないか。

どんどんどん―――と、ドアが叩かれる。

喧嘩中のはずの友人は、扉の向こうでとてもとても嬉しそうに、「タバサ、タバサ!」と叫んでいた。
集中力を乱されたキュルケが髪をかきあげつつ、視線で「いいの?」と問うていた。
タバサは眉をひそめ、読書に戻った。
相変わらず、ルイズは興奮すると周囲のいろいろなことが見えなくなってしまうようだ。喧嘩していることすら、忘れているのではなかろうか。
<サイレント>をかけようと杖を取り出し……

「開けてくんないの? ……ウフフフ、盛大にドカーンと行くわよ!」

思いとどまる。どうやら、聞き捨てならない話題のようだった。

「あのねあのねっ―――風の味、すなわち『風味』は自由自在! だからお薬も、風魔法の<サイレント>と同じ要領でやればいいのよ!」

再びドアを開けると、ルイズはがしっ、と素早くドアの隙間に靴を突っ込んで閉じられなくしてから、そう言った。

「はちみつ飴玉とかと同じようにあの薬もね、ぎゅうっと限界まで濃縮してから、味のしない皮で包みこんでしまえば良かったんだわ!」

なんとまあ―――
白髪の友人は宣言どおり、解毒ポーションの味の問題を解決する方法を発見してしまったらしい。
ギトーのアイデアをもとに、リュリュに大豆を『錬金』してもらって、試作品がいくつか出来たのだという。
ハルケギニア版『カプセル剤』である。

あれほど苦心惨憺したあげく、なんとあっけない解決であることか。どうして今までそこに気づかなかったのだろうか、と思えるほどだった。
タバサは脱力し、大きくため息をついた。
わたしも現金なものだ、とも思うが、もはやここで意地を張り続ける理由はなくなってしまっていた。
やがてタバサは素直に、ルイズへと謝罪と感謝の言葉を口にする。ルイズはタバサの手を取って、笑顔でそれを迎え入れ……

「あれ? ……タバサ、今かけてるのって、新しい眼鏡なの?」
「そう……変?」
「ううん、そんなことない! 似合ってるわ! その、と、とっても可愛いと思うわよ!」

あたかもここ数日の空白を取り返すかのように、いっそう和気藹々と、仲良しこよしの様相を呈しはじめるのであった。




(あーあ、あたしってば……これ以上この子たちを仲良くさせて、一体どうするつもりなのかしら……)

一方、パズルのピースをぱちりとはめ込みながら、キュルケは頬杖をついて、ひたすらに心の中でやきもきとしていたという。

(あれ、ちょっと待って? 結局ルイズの方から強引に仲直りするんだったら、これってあたし……なんか、バラしただけ損……じゃない、わよね?)

たちまち背筋に滝のような汗が噴き出す。
ああ、いったいどうなってしまうのか―――!!






//// 21-5:【しかしシエスタに逃げ場は無かった】

「休みを……とうとう休みをもらえることになりました!」

黒髪のメイドのシエスタは、思わず見ほれるような明るい笑顔で、貴族の友人モンモランシーに向かってそう言った。

「へえ、良かったじゃない……どうして急に?」
「ほら、今度王女殿下がご結婚なさるので、私たち使用人も交代で、まとまった休みを貰えることになったんです」

ある日のことだ、モンモランシーの部屋で、二人はいつものようにまったりとお茶を飲んでいる。
シエスタの話によると『幽霊屋敷担当』は替えが効かないので、なかなか休みの目処がたっていなかったのだという。
今回ようやくお休みを貰えることになり、これを機に、実家のあるタルブ村へと久々に帰省するそうだ。

「ところで、ルイズの世話はどうするの?」
「王女殿下と学院長がじきじきにミス・ヴァリエールの生活態度を注意してくださったので、私が休みの間はご自分で、出来ることはなさるそうです」
「その……ねえ? えっと、大丈夫かしら?」

モンモランシーは、けっこう心配になってきた。
春先までのルイズは、自分の部屋の片付けや掃除なども自分で行っていたようだが……

今のルイズは物品収集が趣味のようで、どこからともなくたくさんの物をあつめてくる。
そして普段から薬やら干し首やら、何やら怪しすぎるアイテムを作ることにひどく忙しいらしく、片付けやら掃除はあとまわし。
生活面はシエスタにかなり、依存しているのだ。
食事を運んでくるシエスタが居なくなれば、食事も忘れてキューブいじりやらなにやらに没頭し、来ない親鳥を待つヒナのように衰弱しかねない。
いつか『幽霊屋敷』地下ダンジョンの奥深くで、片付けきれなかったモノに埋もれた少女の白骨死体が発掘されないことを、祈るしかない。

(いえ、樽を蹴り壊したら、中から出てくるのかしら……白く乾いた長い髪の、細く小さなスケルトンがケタケタと……)

そんな光景を想像し、すこし震えるモンモランシー。
一方シエスタは、あの恐ろしいルイズ・フランソワーズから離れることのできる休暇を、心底喜んでいるようであった。

「きっと私が居なくなっても大丈夫です……ミス・ヴァリエールは誇り高きトリステインの鬼族さまですから」

シエスタは、ぎゅっと拳をにぎりしめて、そう言った。ぼそっと、いっぺんに十二回殺さないと死なないでしょうし、と続ける。
とたんモンモランシーは、あら奇族じゃないのね、と思うのと同時に、何かひどく嫌な予感がしたものである。

「はっ……!!」

とたん、シエスタの目か光が失われ、みるみる死んだような目になってゆく。
気づいてしまったのだ、その可能性に……

「ど、どうしましょうミス……ああっ、どうしましょう」
「ちょっと、シエスタ……」
「もし、わ、わ、私が居なくなっても、大丈夫になってしまったら……」

シエスタは生気のない目をぐるぐるとさせ、モンモランシーへとひっしとすがりついた。
モンモランシーは、飲んでいた紅茶のカップが揺れたので、慌てておっとっと、と持ち直す。

「かか価値のなくなった私は、どうなるんでしょう、きっと地下牢に監禁されてあんなことや、こんなことを……!」

いえ、それでも命があるだけマシなんでしょうか、おにがみ様への生け贄にされたり、おなかを裂かれて直接(ピー:判別不能)とか……
そんなシエスタの話を聞いているのは、いちど実際にルイズにまっぷたつにされかかった経験のあるモンモランシーである。
「お茶が美味しくなくなるからやめて」としごく冷静に、穏やかにシエスタをなだめる。

「シエスタの手伝いが必要なくなったら、ただあなたが『幽霊屋敷担当』からはずれるだけじゃないの?」
「あっ……」

とたんシエスタは、恥ずかしそうに頬を染め、そそくさと席に戻った。
そういえばそうですね、と言って、そうであって欲しいです、と始祖に祈り始める彼女であった。

「でも私……『いつもありがとう、これからもわたしのおともだちをよろしくね』と、アンリエッタ王女殿下じきじきに言われてしまっていたんでした……!」
「あなた、大変なのね」

モンモランシーは、もはやシエスタにこの国中のどこにも逃げ場がないことを悟り、大きくため息をついた。

「ねえシエスタ、ルイズだってあんなのでも一応人間なんだから……死ぬときは死ぬし、苦手なものや怖いものだってあるのよ」

と、優しく説得しつつ、モンモランシーはルイズとそういう話をしたときのことを思い出す。
あの白髪の少女も、周囲から全く人間扱いされていないことを、多少は気に病むようになったらしい。

『いくら私だって、頭をブレスト・ハンマー(Blessed Hammer)で殴り続けられたら死ぬわよ!』

と、ほっぺをぷんすか膨らませながら言っていたものだ。

『私のスケルトン軍団も、聖域のオーラ(Sanctuary Aura)を張られたら手も足も出ないし、贖罪のオーラ(Redemption Aura)で死体を消されたら、もう目も当てられないわ!』

と、ガクガクブルブル震えながら語っていたルイズ。モンモランシーにとっては、ほとんど飲み込めない内容の話であったが……
それでも、ルイズにとっては『ザカラムの聖騎士(Zakarum Paladin Order)』とやらが大の苦手らしいことは理解できた。

『その聖騎士って、こっちの世界に居るの?』
『わ、わかんない……ただ、居たらヤダなぁって』
『何よそれ……そういえば、あなた幽霊も火竜も怖くないんだもんね。じゃあこの世界に居る存在で、あなたの怖いものって何なのよ?』

昔は少女らしく、カエルが苦手だったルイズである。
それでも最近は彼女自身毒ガエルを飼っているし、モンモランシーの使い魔『ロビン』とも仲良くやっているようだ。
ルイズはしばらくもじもじとしていたが、小さな声で答えてくれた。

『……牛』
『え? あなた牛が怖いの?』
『っく、わ、悪い? わわっ、わかんないけどなんか怖いのよ牛が! ちょっとでも油断したら即殺られる気がするの!』

その怯える仕草は、モンモランシーの母性本能を刺激して止まなかったらしい。
とまあ、ルイズにも怖いものやトラウマの三つや四つは存在するという話である。

「では、普段から牛を連れて歩けば……もうミス・ヴァリエールを怖がる必要はなくなるんですね!」
「止してシエスタ! そんなことしたら、あなたどうなるか……」

ああ、いったいどうなってしまうのだろう―――!!
シエスタは、モンモランシーと二人で鬱々とした午後のティータイムを過ごすのであった。

(そういえば、ルイズってただおなかを裂くどころじゃなかったのよね……すごい勢いで破裂させるのよね、パーンって……)

嫌な想像がますます嫌な想像を呼び、モンモランシーは気分転換をしようと窓の外を眺めていた。

「シエスタ、私もあなたの故郷に行ってみたいわ」
「是非遊びにきて欲しいですミス・モンモランシ、私の家族も、きっと喜びますから!」
「ギーシュも連れて行っていいかしら?」
「もちろんです! ……でも、授業はどうなされるのですか」

そんなシエスタの問いにモンモランシーは、ちっちっとひとさし指を振る。

「それがね、タルブまで日帰りでゆける方法があるのよ……いえ、休日を計算に入れてゆっくりと二泊くらいしても大丈夫ね」

タルブまではけっこう遠いのだが―――実は、授業を休まずに行ける裏ワザがあるのだ。
ルイズに貰ったアイテム<タウン・ポータル>の巻き物のおかげで、モンモランシーは行きも帰りも一瞬である。
パーティを組む(招待、受諾の言葉、あるいは同行の意思を確認しておく)ことで、あのポータルを8人を上限に共同で使用できるようになる。
タルブの村でシエスタにゲートを開いてもらえば、モンモランシーは『幽霊屋敷』からタルブへとワープできるのだ。

「あっ、アルビオンのときの便利なあれですね!」
「そう、本当に便利なアイテムよ……だから世間にばれないように秘密にしておかなきゃいけないみたいだけれど」

希望があると解り、二人はたちまち明るい表情になってゆく。
もう嫌な想像などは、カケラも浮かんでこなかった。

「私の故郷のおいしいワインとブドウ畑と、あの綺麗な草原を……ずっとミス・モンモランシに楽しんでもらいたかったんです!」
「あはっ、私も楽しみにしてるわよ、シエスタ」

二人はシエスタの休憩時間が終わるまで、タルブの村について、嬉々として語り合うのであった。
しかしたとえタルブまで行ったとしても二人に逃げ場はないのだということは、この時の誰もが知る由もないことである。


無情にも炎上する生家を見て二人が『らめぇええ!!』と叫ぶまでのカウントダウンが、いま静かに始まっているということも―――

//// 【次回、タルブ編:侵略者ルイズ……の巻】



[12668] その22:ハートに火をつけて(前編)
Name: 歯科猫◆93b518d2 ID:b582cd8c
Date: 2010/07/12 19:54
//// 22-1:【ルイズ、タルブへと侵攻す】

ここはトリステイン、ラ・ロシェール近郊のタルブの村。草の波を風がそよそよと渡ってゆく。
沢山の花が咲き乱れる雄大で美しい草原を、モンモランシーとギーシュは眺めている。

「綺麗ね」
「きみのほうが綺麗だよ、ぼくのモンモランシー」
「よしてちょうだいギーシュ、シエスタにとってはここが宇宙でいちばん綺麗な景色なんだから」

私にとっては故郷のラグドリアン湖が綺麗な景色の筆頭なのだけれど、ここも負けていないわね、とモンモランシーはうっとりと語る。

「……なら訂正しよう、ここの景色は綺麗だ、きみと同じくらいにね」
「それってあなたにとって私が、その……宇宙で一番、ってことかしら」
「もちろんだ、きみ以上に美しい女性をぼくは知らないのだから」

少年のキザ過ぎる台詞に、モンモランシーは呆れたように微笑む。

「嘘ばっかり! 知ってるわよ、アンリエッタ王女殿下にそれとおんなじ台詞を言ってたってこと」
「それはトリステイン貴族としての一般論を言っただけさ、だがぼくの本心は君にあるんだよ」
「……信じていいの?」

そんなあまーい会話をしつつ、寄り添って座る恋人同士の少年少女。
もちろんさ、というギーシュの手に、じゃああなたを信じるわ、と金髪の少女は自分の手を重ねる―――
二人は顔を見合わせ笑いあい、人を信じる少女モンモランシーはそっと目を閉じる。ギーシュは緊張しながら、彼女へと口付けをしようとし―――

―――ずどーん!!

「「ひわあっ!!」」

とつぜん何かが二人のすぐそばに落下してきて、甘い雰囲気はもう台無し(Realm Down)もよいところであった。

「な、何なのだね」
「知らないわよ! ……これは……凧、かしら」

落下してきた物体は、全長2メイルはありそうな大きな凧だった。誰が何のためにこんなところで凧揚げなどしていたのだろうか。
呆然とする二人のもとへ、ムギワラ帽子をかぶった少女がひとり、ちょこちょこと走り寄ってくる。

「すみません、お怪我はありませんか! ……って、モンモランシーとギーシュじゃない」
「「ルイズ……っ!」」

慌てて凧を回収しにきたのは白く長い髪の少女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールであった。
彼女は、本当にごめんなさい、いいところをお邪魔してしまったようね、とばつが悪そうに二人へと謝る。

「さあ、続きをしてちょうだい、ほらぶっちゅーっと、舌もいれちゃえ」
「でで出来るわけないじゃない!!」

自分の身を抱いて目を閉じちゅっちゅっと口を尖らせるしぐさをしていたルイズは、それを聞いて「あらそう」、と残念そうな表情になった。
モンモランシーは『ゼロのルイズからは逃げられない』という噂を思い出し、それは真実だったのだと、青ざめた顔で震えるのであった。

「あなた、な、何しに来たのよ」
「宝探しついでの、ギトー先生のフィールドワークのお手伝いよ。あっちにタバサとキュルケも居るわ……で、あなたたちこそ、何でこんな田舎の村でいちゃいちゃちゅっちゅしてるの?」

許すまじ疾風のギトー、とやり場の無い憤りをモンモランシーは想像の中のギトーへとぶつけ、想像の中でさえ「ふははは!」と風のバリヤーで跳ね返されて絶望する。
そして、自分たちがここに居る理由をルイズへと話してよいものか、と迷うが……

「それはだね、シエスタ君が僕たちを誘ってくれて、あの<ポータル>で連れてきてくれたのだよ」

モンモランシーは、ちょっとやめてよギーシュ! と思うが、もう遅かった。

「え、なんでシエスタが? もしかしてあの子もここに来てるの?」

ルイズは興味を示してしまったようだ。何も言わずに放っておけば、このまま大人しく帰ったかもしれないのに……
その上ギーシュは、ここがシエスタの故郷であることを自慢げにルイズへと伝えてしまった。
シエスタ本人はルイズに出身地を問われたときも「山のあなたの空とおくです、そこに『幸い』があるんです」と遠い目で答え、必死に隠しとおしてきていたというのに。
金髪の少女は、金髪の彼との今後の付き合いを考え始めるのだった。
同時に、いやこれは事前に根回しをしておかなかった自分の失態なのね―――とも気づき、シエスタにたいし申し訳なく思う。

「あら、そうだったの、ステキな偶然ね! お宝は見つからなくて残念だったけど、もっと良いものを見つけちゃった気分だわ」

宝探しパーティは『火竜の皮衣』とやらを探しに来たらしいが、地図が古いものだったらしく、『既に誰かが持ち去ったあと』だったそうな。

「うふふ、せっかくだからシエスタとご家族の方々にもご挨拶していきましょう……いつもあの子にお世話になっているし!」
「そうしていくといいよルイズ、彼女のご家族はとても気持ちの良い方々だったからね、きっと君も気に入るだろうさ」

ルイズとギーシュのそんな会話を呆然と聞きながら、モンモランシーは「シエスタ逃げて今すぐ一家総出で逃げて!」と心の友へと念波(Whisper)を送っていた。
それが届かなかったことは、もはや言うまでもない。



―――

黒髪のメイド、シエスタは大家族の一員である。長女である彼女には七人の弟や妹がいるのだ。
異様過ぎる雰囲気をまとった少女、ゼロのルイズが現れたとたん、それまで元気に遊びまわっていた子供たちは目に涙を浮かべて、一言も喋らなくなった。
『泣く子も黙る』とはこのことか、とモンモランシーは嘆きと呆れを通り越して思わず感心してしまうほどだった。

「よ、ようこそいらましゅ、たはぁ……!!」

心の休まるはずの故郷の村でルイズを見るなりたちまち死んだような目になったシエスタは、歓迎の台詞を思い切り噛んだ。

(な、何だあれは)
(あれが、貴族……だっていうの?)
(あれがシエスタのご主人様? そ、そんな訳ないよな、あってよいはずがないよな……)

驚いたのはシエスタの家族や親戚や隣人一同である。
健気な黒髪のメイドは、皆に心配をかけないようにという配慮からか、実家へと送る手紙には真実の大部分を書いていなかった。

いわく、『やさしく立派な貴族のご主人様に専属で仕えているんです!』
いわく、『あの方はいつもわたしの働きを褒めてくださり、とても気に入ってくれています!』
いわく、『わたしが居ないとやっていけない、と言ってくださりました!』

そしてお給料(危険手当)も他の人よりたくさんもらえて貴族の親友も出来て、なんと王女殿下へのお目どおりも叶った、など良いところばかりを書いていたのである。
シエスタの家族は、それはそれは喜んでいたものだ。
そして娘が貴族の友人、モンモランシーとギーシュを本当に実家へと連れてきたので、その喜びはますます大きくなっていた。

(正直言って信じられなかったが、シエスタに貴族の友人が出来たという話は本当だったのか……)

そうなると、シエスタのご主人様とはどれほどまでに立派な人物なのであろうか―――
家族は、相手がトリステイン有数の貴族の一族だと聞いて、娘の将来に夢を膨らませていたのだそうな。

「ラ・ヴァリエール公爵家の三女ルイズよ、シエスタにはいつもお世話になっておりますわ」

そこに来たのは地底からの物体Xがごとき少女(前科31犯)である。

その少女の髪は、真っ白でよれよれだった。
その少女の目は、ここではないどこかを見ていた。
首から「こわくないよ By アンリエッタ」と書かれた平べったい木札をぶらさげていた。
そんな気味の悪すぎる少女の渾身のスマイルは、田舎の家族一同のささやかな夢をこっぱみじんに打ち砕いたものである。
しかしそれだけで終わらせてくれないゼロのルイズは、たとえ自覚がなくとも、シエスタにとってひと欠片の容赦もない『おに』なのであった。

「うふふ、普段シエスタに良くしてもらっているお礼に、おみやげをたくさん持ってきましたの」

火竜の骨でできた幸運のお守りよ、身につけていればちょっぴり金回りがよくなるわ―――
病気や怪我や火傷にとってもよく効くお薬です、人間の血液のようにみえるけれど気のせいです―――
オーク鬼の干し首です、飾っておけば魔よけになります……装備しようとすると呪われますので、お気をつけ下さい―――
ガリア産の木材を使った棺おけです、家族のどなたかが亡くなられたりとかしたときにお使い下さい―――
猛毒の入った壷ですごにょごにょ、いけすかないアイツを暗殺ごにょごにょ……なときにお使い下さい―――

(ああシエスタよ、おまえはこの貴族の方に、いったいどんな恨みを買ったというのか―――!!)

シエスタの両親はそんな風に、ただ戦慄するほかなかったのだという。

土のゴーレムによって大量の『おみやげ』が持ち込まれ、そこらじゅうに干し首やら何やらが飾られたとたん、たちまち立ち込める怪しい雰囲気。
黒髪メイドの素朴な生家、不憫な彼女の心休まる暖かな憩いの家は、みるみるうちに背筋もひんやりホラーハウスと化してゆくのであった。
もし炎の河(River Of Flame)のように暑い夏が来たって、楽々と乗り越えることができるにちがいない。

「ありがとうございますミス・ヴァリエール、たぶんその棺おけ、明日くらいにわたしが使うと思うんで本当に助かります!」

怯え震える家族みんなの視線を背中にうけつつ、シエスタはルイズに向かって、完全に死んだ目で儚げに笑った。
「そうね、ただ置いておくだけじゃ勿体無いから是非活用してちょうだい!」、とこれっぽっちも悪気のないルイズはイイ笑顔である。

(ああシエスタ……強く生きて!)

このときモンモランシーとキュルケは、身を寄せ合ってしくしくと泣いたのだという。
元凶であるギトーはなんともマイペースなことに、必要なデータを取ったとたん、「ひらめいた!」と風のように一足先に学院へと帰ったのだそうな。
あの自重しない彼が居たらこれだけでは済まなかったかもしれない、ということだけが不幸中の幸いか―――

「おや、お前たちこんなところに居たのか、探したぞ。また調べなければならぬことが出来たのだ」

と思いきやそれはフェイントで、颯爽と現れる彼である。
資料を持ち帰ったのは『遍在』だという……まったく油断が出来ないというのは、彼についても同様のようであった。






//// 22-2:【な、なんだってー!!】

心底怯えつつルイズをもてなすシエスタの家族たちに、キュルケとモンモランシーは愛想を振りまき必死にフォローし、奮闘したものである。
干し首やら棺おけやら毒のツボやらは丁重に断られ撤去され、当然のように持ち帰ってもらうことになった。
さて、日も落ちて暗くなったころ、タルブの村ではたくさん村人を集めて、客人のギトーや貴族の子女一同に名産であるワインが振舞われることになる。
野外にテーブルを引っ張り出し、皆で「シエスタの明るい未来に乾杯!」とグラスを掲げ、夜の草原と星空を肴に酒宴が始まった。

「むん、疾風―――竜巻旋風殺(WHIRLWIND)!!」
「ぐあーっ! やられた! ……だ、だが覚えていろ、我を倒してもいずれ第二第三の悪のエルフが」
「はやてー!」
「すごいぞはやてー、わーわー!」

一方、特設ステージにて「変身貴族疾風(はやて)」とやらのショーを披露するスクウェアメイジのギトーは、なんと村の子供たちに大人気なのであった。
衣装を変えた敵役までも、風のスペル『遍在』で器用に演じ分けており、本当に必殺技をかましてずばーんと撃破するのである、その迫力は並ではない。
子供たちや一部の奥様方から沢山の声援を受け、「風のすばらしさを思い知ったか」と、ギトーは得意げである。

「本当にありがとうございます貴族さま、この田舎の村には娯楽も少ないものですから」
「ふん、なにお安い御用だ、この村の皆の手伝いのおかげで必要なデータも集まった……その礼である」

村長からお礼を言われて、ギトーは鼻を鳴らして笑った。
酒の飲めない彼は、村人たちから勧められたワインを「ここで飲まねば貴族がすたると申すか」とあおり、「うまい」とつぶやいてばたりと倒れてしまった。

「ああっ、大変、ミスタ・ギトーが……」
「やっぱり今夜はここに泊まったほうが良さそうね」

モンモランシーとキュルケは、ギトーを宿屋へ運んで寝かせ、水のスペルで治癒するのであった。
その後戻ってきてみれば今度はギーシュが、美しい造形のゴーレム『ワルキューレ』に炎の演舞をさせており、声援を受けていた。
惚れ薬の一件以来、ギーシュのワルキューレのおっぱいは『プリンセスサイズ』が忠実に再現されている。
青銅製なので残念ながらやわらかくないその内部には、燃料ポーションの小瓶をカートリッジとして詰め込んでおけるらしい。
以前白髪の少女から、『本物のワルキューレ』が存在するという話を聞いてより、日々改良を重ねているのだそうな。
ともかく、大人たちのウケが良かったそうだが、子供たちにはいまいちだったようだ。

「うふふ楽しそうね、私も何かやってこようかしら」
「後生だからやめて!」

今すぐにでも飛び出さんとしていたルイズは、友人一同により即座に止められる。
大きな焚き火がたかれ、ワインの樽があけられ、音楽や踊りもはじまり、皆がそれぞれ楽しい時を過ごしていた。
そしてやはりゼロのルイズに自分から話しかけようとする勇気ある村人は、一人たりとも居なかったのである。

「あらルイズ、飲んでないの?」
「うん、ちょっとね……」

キュルケの問いかけに、ルイズは困ったような表情をする。彼女のワインのグラスの中身はほとんど減っていない。
ちゅる、と舐めるようにほんの少しだけワインを口に含み、うう、と唸ったあと、ルイズはしばらく黙る。

「美味しいワインを勧めてくださったシエスタのご家族には、本当に申し訳ないわ」

そう、心底残念そうに言う。
夜の田舎の景色と、大きな焚き火とをぽけーっと眺めつつ、「最近ね……」と寂しそうに語りだすのであった。

「なんかね、お酒が飲めなくなってきたみたいなの」

ルイズの白い髪も、寂しそうにへなへなと夜の風に揺れていた。キュルケは驚く。

「どういうこと?」
「前から、私の体調に変化が起きているって話はしてたわよね……お肉のときもそうだったけど、最近だんだんとワインも危なくなってきたのよ」

酔いが回るのが速くなり、すぐに潰れるだけでなく、記憶が飛ぶようになってしまったのだという。
四日ほど前に飲んだときはワインをグラスに普段注ぐ分の半分までなら大丈夫だったそうなのだが、今でもまだ大丈夫なのかどうかは判断できないそうな。
ルイズは数回ほど、ワインをちょびっと口に含んでは頑張って飲み込むということを繰り返していた。
食べ物飲み物を残すことに強い抵抗を感じる彼女は、さっき倒れたギトーを見習って、なんとか全部飲もうとしているらしい。

「無理しなくていい、ぶどうジュースがある」
「ありがとう、タバサ」

タバサは自分の持ってきたワイングラスと、ルイズのそれとを取り替えてくれた。
不気味な白髪の少女を恐れ、それでも怖いもの見たさからか遠くでちらちらとこっちを見ている子供たちの集団は、ワインではなくジュースを飲んでいる。
ルイズは安堵の息をついて、小さな勇者である彼らと同じように、ぶどうジュースを口にするのであった。

「うん、とっても美味しいわ」

ルイズは微笑み、タバサも満足そうに少し頬を緩める。
それに……、とルイズはほんのりと頬をそめて、つづける。

「お酒が入ったら、その……か、体がね、ちょっとヘンになって」
「へえ、どんな恥ずかしいことが起きるのかしら」
「うっ……そ、それは……」

ルイズはもう耳まで真っ赤になって言葉につまる。
キュルケの勘は当たったようで、どうやらよほど恥ずかしいことが起こるらしい。

「それはね、もにょもにょもにょ」
「ええっ、おへその下がむぐぐ……まもまも」

そこまで言ったキュルケは、すごい勢いで口にサンドイッチを詰め込まれ窒息死しかけた。
タバサがとんとんと背中を叩いてくれる。

「ちょっとキュルケ、おっきな声で言わないでよ恥ずかしいわ」

キュルケはルイズがそうなったときの光景にかなり興味をそそられるが、無理に飲ませるようなことはしない。
何故なら酔っ払ったルイズの(他人に対する)安全性を、全く保証できないからである。
今のところ、このいつも危ない白髪の少女は比較的大人しくしていてくれているのだ、それだけで十分ではないか。

「ミス・ヴァリエール、飲んでいらっしゃいますか?」
「うん、美味しく飲んでるわよ、ほら」

ルイズのもとへ、どうやら自分も飲んでいるらしいシエスタがやってきた。
キュルケはたちまち青い顔になって、シエスタと一緒に来たモンモランシーを見る。黒髪のメイド少女の酒を飲んだときの暴走ぐせは、噂に聞くほどである。
そんなときに白髪の少女と接触してしまえば―――ああ、いったいどうなってしまうのか!

(だ、大丈夫なのかしら?)
(うっ、た、多分ね、三杯まで一気に行ってびっくりしたけど……あとはきちんと私とギーシュが止めたから)

今回は好きなだけ飲ませてあげたかったんだけど……とモンモランシーは悲しそうな顔をする。
本当よね、地元バレしたあげく、せっかくの休暇もなかば台無しだものね酔わなきゃやってらんないわよね、とキュルケもほろりと来てしまう。

「くんくん……はっ! 嘘はいけませんそれワインじゃありませんねジュースですね」
「そ、そうだけど」
「残念です、わたしの故郷のひとびとが心をこめて作った特産の美味しいワイン! ……味わっていただけないのですね」
「ごめんね私お酒飲めなくなっちゃってごめんね」
「やっぱり血が入ってないと駄目なんでしょうか、それとも、ブドウ畑に死体が埋まっておりませんから……」
「シエスタぁ……ほんとごめんね、今度からはもっと優しくするからっ……!」

あまりかみ合っていない会話を続ける二人、いやいやと駄々をこねるように首を振るルイズ、据わりきった目のシエスタ。

「では、どうぞ飲んでください! ……わたし前から、いちどミス・ヴァリエールと一緒にお酒を飲んでみたかったんです!」
「う、うん、私シエスタと一緒に飲むわっ!」

シエスタはルイズの手からジュースをひったくり、代わりにワインを押し付けてしまった。いわゆるアルハラである。
乾杯のあと、ルイズは目を白黒させながら、それをぐびぐびと飲んだ。
この二人が一度たりとも共に酒を楽しんだことが無かったのは、友人たちがそうならないように止めていたからなのだが……
慌てたキュルケとモンモランシーが駆け寄るが、止めることは叶わなかった。

「……やっぱりお口に合わないのでしょうか……残念です」
「い、いえっ、そんなことないんだけどっ!」
「今すぐわたし埋まってこなきゃだめなんでしょうか、そうすれば秋にはきっとミス・ヴァリエールにも美味しく飲める血のように真っ赤なワインが……!」
「いやぁ、あなたが居なくなったら私、ひとりじゃお片付けもお掃除もなんにもできない……お願いいかないでっ、私『生活力ゼロのルイズ』になっちゃうの!」

ぐじゃぐじゃ涙と鼻水でいっぱいの酔っ払いルイズの顔を、怪しい目のシエスタはさっ、と宴会芸のように抜き取ったテーブルクロスでくしゃくしゃと拭く。
酔ったルイズは甘えるようにシエスタにがしっとすがりつき、シエスタはよしよしと撫でて「ミス・ヴァリエールはゼロではありません!」と慰める。
「むしろマイナス七万くらいです! きっと大量虐殺だってできます!」と拳を握りしめるシエスタの励ましで、ルイズは次第ににこにことした笑顔になってゆく。

「私は無力じゃない……そうだ供養することができるわ……! そうよ、私あなたを供養できるのよ!!」

うふふ、だからあなた、いつぽっくり死んじゃっても大丈夫よ、安心してちょうだい―――!
そんなことを言われたシエスタは、輪廻転生の一歩手前であった。

「その必要はありません! わたし、わたしきっと自力で……この草原に吹きわたる千の風になってみせますから!」
「だめ、たっぷり供養するのっ!! それから月夜にみんなで一緒にダンス(Bone Bone Rock)を踊るのよっ!」

さあシエスタ、踊りましょう!

くるくるりん―――
ふわくるる―――
うふふふふ……

ひそひそ……

見ろよ、可哀想にあの子、不運(ハードラック)と踊(ダンス)っちまってるぜ……
などと村人たちが噂するなか……

ステージから流れてくる音楽に合わせ、手をつないでうふふうふふと、あちらこちらへふらふらと踊りまわる少女たち。
二人とも、けっこう酔っているのかもしれない。ルイズのほうはおへその下らへんに違和感が発生しつつあるらしく、どこかもじもじとぎこちない動きだ。
モンモランシーとキュルケとタバサ、そして料理の皿を運んで来たギーシュは、どきどきはらはらと白髪と黒髪の二人の少女を見守る。

「あははっ、楽しいなぁ……ねえシエスタ、私、あなたのこと大好きよっ! 貴女に出会えたことを、偉大なる骨の竜に感謝してるのっ!」
「そ、それは、光栄ですっ……!」

ひそひそ……
おい、あの白いのをやっつけた奴が『しんのゆうしゃ』だぜ……
などとヒーローショーに感化されたらしい、某砂漠の街の傭兵兄貴と同じくらい命知らずの子供たちが言い、血相を変えた親にげんこつを落とされている……

「そんなミス・ヴァリエールにわたしがあなたの大好物な果物を剥いてさしあげます!」
「わあい、うれしいわ」

そしてこの二人、これはこれでけっこう仲が良いのかもしれない。
酔いは相当に回ってきたようで、ほんわか笑顔で上機嫌そうなルイズと、ぐるぐる目で微笑みながらカゴからナイフと果物を取るシエスタ。
器用な手つきでくるくると林檎をむくシエスタを、椅子に腰掛けて眺めていたルイズは、唐突に恐るべきことを言い放つ……

「……ねえ、シエスタ」
「な、なんでしょう、ミス」
「この村、壊滅するわ」

目の焦点のずれたルイズの、そんな一言で、ぴたりと時空が静止した。偶然にもちょうど、ステージの音楽も終わったのである。
このとき人々には、草原を渡る風も虫の声も夜空の月と星も静止したかのように感じられたのだという。
空気が凍り、ルイズ本人を除いた、シエスタも含めて全員の酔いが吹き飛んでいた。それなりに騒ぎ宴を楽しんでいた村人たちも、もう沈黙していた。

「か、かっかかかか!?」
「滅びるのよ、みんな死ぬ」
「ほほっ、ほょほぶほ!?」

硬直したシエスタの手から、ナイフと果物がぽとん、と落下した。誰もが彼女へとかける言葉を見出せなかった。
一方、ルイズは酔いも限界に来ていたようで、こくりこくりと船をこぎだした。

「ウフフフ……もうすぐね……破滅がね、来るの……あなたもあなたのご両親もご兄弟もみんなみんな……幽霊とぉ、灰になるんだわ」

やがて不気味に薄目を開けたルイズは、にやあっと口の端をつりあげ、ふらりと片手をもちあげ、子供たちの集団を指差した。

「ほら、あの子たちも、みんな……死んじゃうのよお」

死の宣告である―――
たちまち料理や名産ワインはまずくなり、星空も綺麗ではなくなり、宴に参加していた親たちは「見ちゃいけません」と子供たちを連れてそそくさと帰りはじめた。
きっと『タルブの草原に出現し、見たら発狂してしまう白いくねくねしたナニカ』の恐ろしい伝説が生まれ、はるか後の時代へと語り継がれてゆくことだろう。

「でも安心してちょうだい、死はシアワセよ、あたらしい輪廻への旅立ちなのよ……さあ祝福しましょう……おめでとう、いってらっしゃい、って……」
「どどど、どういうことなの、ルイズ? あなた何を言ってるのか自分で解ってる?」

真っ青な顔になったモンモランシーが、半分眠りかけているルイズの襟首を掴んでかくんかくんと揺さぶる。

「言ってるのは私じゃあないわ、だってこんなにココがむずむずするんだもん」

霊気の貯まる、いわゆる『丹田』である。酒を飲んだせいで敏感になり、不穏な霊気の干渉を感知してしまったのだ。
ぽうっと頬を染め、下腹をきゅっと両手で押さえている。

「この村の幽霊さんたちが言ってるの……棺おけいっぱい……ゆめいっぱい……」

言うだけ言い放ったあと、ルイズはころんと地面に横になり、すうすうと寝息を立て始めた。

「お、起きなさいルイズ! さっきの発言は何? どういう意味なのよおーーっ!! お願い起きて、取り消してよおーっ!!」

モンモランシーは涙目で、幸せそうに寝ている白髪の少女を起こそうと、その頬にびしばしと4フレビンタを入れはじめた。
しかしルイズは目を覚まさない。彼女の頬が真っ赤にはれ上がるまで叩いたあと、モンモランシーはがっくりと肩を落とした。
あとにはがくがくと震えるシエスタ、呆然と固まっているキュルケとタバサ、静かに泣くモンモランシー、慌てて慰めるギーシュ。

ひどく薄ら寒い風が、なかば荒涼の平原(Cold Plains)と化しつつあるタルブの草原を、びゅびゅうと渡っていった。

一方、『らめぇええ!!』までのカウントダウンは、もう明日にまで迫っている―――







//// 22-3:【宇宙の風に乗る】

翌朝早くのことである。

「さあ朝よ、起きて、さっさと起きなさいよルイズ!」

ぺしっ、ぺしっ―――と音と、痛み。
ルイズは黒髪の少女シエスタの生家で目を覚ます。

(ほっぺいたい……いったい何が起きたのかしら?)

違和感のある頬を撫でつつあたりを見回すと、部屋の中にモンモランシーとギーシュ、キュルケとタバサ、シエスタがおり、ルイズは驚いた。
そう、誰もが、昨夜の爆弾発言の意味を知りたがっていたのだが―――

「えっ、私そんなこと言ったの?」

どうやら本人は全く覚えていないらしい。
なのでキュルケとモンモランシーは、渋るルイズを説き伏せ、シエスタを占ってもらうことにした。
占いが終わったあと、シエスタは緊張しつつも、火の粉を散らせた文字盤のこげ跡をぼんやりと見つめるルイズへと問いかける。

「あの、ミス……その、わ、わたし本当に死んじゃうんですか?」
「……んー」

白髪の少女は少し血の気の引いた表情で、片手でネズミの頭蓋骨をこりこりといじくりながら、答える。

「うん、死んじゃうわ……このままだと確実に、今日か明日にはこの世とお別れみたいね」
「はあう!」

とたん、ルイズは青白い霊気をまとった手をばっと伸ばす。
そしてシエスタの口から飛び出したらしい、他の人には見えないナニカをひょいっと手で捕まえて、元通りになるようぎゅーっと押し込んだ。
いったい今何が起こった、と誰もが突っ込みを入れる暇も無い、早業だった。

「原因は?」
「それが、ぜんぜん解んないのよ……たぶん、まだ死相は確定してないから、回避は出来ると思うんだけど」

タバサの問いに、ルイズは何度も何度も焦げ跡の付いた文字盤を読み返しながら、そう答えた。
一方、死の宣告を受けてしまった不憫な少女は、怯え震えているばかりだ。

「し、ししし、死……やっぱりわたしったら、死んじゃうんですね、あはっ、はははっ」
「大丈夫、大丈夫なのよシエスタ、あなたが死んじゃうなんて、そんなことない……」

壊れた笑顔で泣き笑いをしだしたシエスタを、モンモランシーがそっと抱きしめて慰めている。
そして不用意な発言をして大切な友人を泣かせたルイズを、責めるような視線でにらみつけた。

「ちょっとルイズ、もうちょっとソフトな言い方っていうものがあるんじゃないかしら?」
「た、確かにそうだけど……」

ルイズは「占えと言ったのはそっちなのに……」と釈然としない気持ちを抱いていたが、友人たちの冷たい視線を受けて「ご、ごめん」と頭を下げて謝った。
そして、反省する。

(まいったわ……昨夜は酔っていたとはいえ、罰点いちね……無闇に読んだ運命の流れを軽々しく口に出すのは、やめたほうがいいわね)

少し沈んだ表情で二人を一瞥したあと、はあっと大きくため息をつく。

「泣かないでシエスタ、あなたが死なない方法は、案外簡単なものだから」
「ミス・ヴァリエールぅ……」
「休暇を切り上げて、学院に戻ればいいの……ただそれだけよ」
「そういうのを先に言いなさいよルイズ!」

モンモランシーが額に青筋をたてて怒鳴った。
シエスタは顔を安堵の涙でぐしゃぐしゃにぬらし、がくんがくんと首を縦に振った。

「はい戻ります、今すぐ荷物をまとめてきます!」

しかし立ち上がりかけたシエスタは、何かに気づき、ルイズへと詰め寄る。

「あ、あのっ! ……ひょっとして、わたしの家族も危ないんですか?」

ルイズは少々気おされて、おずおずと頷いた。

「ご近所さんも、子供たちもですか!」
「え、ええ、たぶんそうね……」
「やっぱりこの村のひと、みんなが危ないんですね……じゃあみんなにも『はやく逃げて』って、知らせないと!」
「ちょっと待ってシエスタ……結論はもうちょっと他の人も占って、ちゃんと調べてからにさせてちょうだい」

しかし、ものごとはそうそう上手くゆかないものである。
ルイズの漠然とした占いに、他人がそれを信用できるような根拠など、何一つないのであった。

さて―――

まだまだ見習いのラズマ聖職者、それでも研鑽を怠らずにいたルイズの仕事は速かった。
最初にシエスタの家族を占う。続けて片っ端から村人の家へと押しかけては、ルイズは無理矢理彼らを占ってゆく。

(この人はたぶん、一生捜し物が見つからない……あの人は最愛の恋人に振られるわ……そして、あっちの人はいずれつらい病気にかかるのよ)

他人の運命を見てしまうことは、ときにルイズの年相応の少女としての感性にとって、とても辛いことでもある。
なので、普段はなるべく占いを控えている彼女である。

(でもそれも生き延びることができたら、の話……誰も彼も、みんなぼんやりと、とってつけたように死の運命が……)

いったん見てしまえば多少の責任感を感じずにはいられないし、口に出してしまえば、それを聞いた相手は嘆いたり苦しんだりすることもあるだろう。
とはいえ、そのせいで緊急事態に気づけたのであり、ルイズは複雑な気分である。
だが今回は降って沸いたような異常事態、なりふり構っていられないようだった。

(おかげでシエスタを危険から救えるわけだし……そこは、良かったと思わないと)

昨夜の自分は、『タルブの村が壊滅する』と言ったのだという……
確かに、よくよく感覚を研ぎ澄ませてみなければ解らないことだが、この村にはなにか不穏な空気が漂っているようでもあった。
大事になる前に気づくことが出来て良かった、とルイズは偉大なる存在もろもろへと感謝する。

「それで、ルイズ、結果はどうだったのかしら?」
「……あんまりよくないわ」

キュルケへとそう返し、ルイズはノートをぴっと破ってはささっと文字盤を作り上げ、村人を占って、また次の家へと襲撃する。
その表情は、一人、また一人占うたびに深刻さを増し、生気を失っていった。
十数人目で村長を占ったとき、ルイズは結論を出したようだ。

「貴族さま、うちの村人を無意味に怖がらせるようなことは控えて欲しいのですが……」
「解ってますわ、解ってます……」

平和で静かな村ではっきりと感じられる、異変の兆候―――
まるで落とし穴のような不自然な運命のほころびが、この素朴な村の空気の行く先にぽっかりと口を開け、獰猛な牙をむき出して待っているイメージ。

(ニューカッスルに居たときと比べたら、微弱だけれど……ちょっぴり魔の気配と、戦乱の気配……そして、運命の流れの大きな乱れがあるわ)

戦乱はありえない、と誰もが思っている。アルビオン貴族派とは、不可侵条約が結ばれているではないか。
ではこの平和な田舎の村に、いったい何がやってくるというのだろうか。

(生者への嫉妬に満ち溢れた悪霊さんたちも、たくさん集ってきてるし……ただごとじゃない、やっぱり何かが起きるのよ)

災害や疫病でも来るのだろうか、それともあの魔道士<サモナー>でも来るのだろうか?
それとも、大地震が起きたり、空から隕石でも降ってきたりするというのだろうか?
ルイズには判断がつかない……なのでただ、困惑するばかりだった。

(でも私ってば、ラズマの御技を扱う者としては普通、もしいつ何処で誰が死ぬとしても、とくべつ動揺する必要はないはずなんだけど……)

しかし、この小さな少女、ルイズ・フランソワーズの心に、生きることの喜びを与えたのもまた、ラズマの教えの為せる技なのであった。
最近、確信したことである。
ルイズが貴族としての精神をつらぬいて生きることを、もし宇宙において自然な運命の流れと一致させることができるのであれば……
それはたちまち、この国の人たちや友人を思いやる気持ちを大切にせよとの、ラズマや大宇宙を背負う竜からのメッセージともなりうる。
かくして信仰とは、小さな心の内側から外界の真理へと到達する方法となるのだろう。

(私が司教様に『魔法を使えるようになりたい』と願ったのは、立派な貴族になるためなのよ……ここで見捨てる訳にはいかない!)

ルイズにとっての魔法は、ラズマの秘術。それが今、こうして役に立っているのだ。
民を守るべきトリステイン貴族の卵として、少女は心のままに、皆に死の運命が迫っていることを伝えようと決意した。

「何の対策も採らずに居たら、この村は今日か明日には確実に滅びます……みんな死にます!」
「はははっ、ご冗談を……」

対する村長は、心底困った表情で空笑いしながら、そう言うほか無い。
この不気味な貴族の少女、突然やってきては訳のわからぬことばかり言う、うさんくさいことこの上ないのである。

「いいえ冗談ではありません、何か恐ろしいものが来ます……シエスタのためにも、どうか切にお願いいたします、信じてください」

無表情の白髪の少女に見つめられ、村長は背筋に氷を突っ込まれたかのような気分を味わった。
この少女は頭が可哀想な娘なのだろうか、それとも何か怪しげなものをゆんゆんと受信しているのだろうか?


「季節の変わり目によくある、アレでしょう……その、貴女さまは、宇宙から来る波かなにかを、受信しているというのですかね?」

それは貴族の子女に面と向かって、失礼きわまりない問いのようにも思われた。だが―――ルイズは力強く答えた。

「はいっ、受信してます!」



―――ああ、大宇宙にうねる運命の波よ!
この広い広い宇宙と永い時の中で、ちっぽけな私が優しいシエスタに出会えたこと、彼女を守るチャンスを貰えたこと……

「ありとあらゆる存在を背負う、聖なる竜のお導きなのです―――それこそが、宇宙のファンタジー!!」

とルイズは小さな両手のひらをばーんと天に突き上げ、陶酔した表情を見せ、ぷるぷると震えていた。
ああもうだめだ、と村長は思った―――これはいかん、はやく医者に診せないと。黄色い救急馬車に連れて行ってもらわないと。
付いてきていたキュルケとタバサも、その台詞を聞いて同様の想いを抱いたのだという。

「はあ……それでいったい、どうせよというのです?」

ルイズはノートを取り出し、なにやらかりかりとペンで書いている。何枚もの文字盤を見比べては、数字やらなんやらをメモしていく。
筆算(ひっさん)による検算をしているらしい。沢山の運命の絡まりを解きほぐし、最適の解を見つけ出そうとしているのだ。
何度も何度も見直して、やがて頷いた。

「ただちにこの村から逃げることが、一番です……本当に危ないのです、どうか村のみなさまにも呼びかけてください!」

しかし村長は当然のように、首を縦に振ることは出来なかった。

「貴族さま、お引取りください……なにも起こっていないのに、根拠もなく避難勧告など、いらぬ混乱をまねくだけです」

それもまた、もっともである。
今までの言動のせいか、信用は完全に失われてしまっていたようだ。ルイズはぐうの音もあげられなかった―――


「……ぐ、ぐうー」
「?」
「何でもないわっ!」

いや、あげた。
あまりに悔しかったので、少なくとも無理矢理に唸ってやることだけはしなければと思ったらしい。


―――

「申し訳ありませんミス・ヴァリエール……村のみんなにも逃げるように呼びかけたのですが、誰ひとり、聞く耳持ってくれません……」

疲れきった表情でしくしくと泣くシエスタを見て、ルイズは胸の奥がちくちくと痛む。

(ますます運命の『ほつれ』が大きくなっているわ……もう今日の午後から明日の朝までには、確実に来るわね)

この村で生まれ育ちこの村を愛する黒髪の少女は、家族や村の皆を見捨てて自分だけ逃げることはできないというのだ。
モンモランシーとギーシュも、黙って首を横に振った。彼女たちも疲れた表情をしている。

「大丈夫よシエスタ、私、決めたから! 杖にかけて、この村の人たちを助けるわ」

シエスタ一人を無理矢理連れ帰ることは、出来るだろう……だが彼女の愛する故郷の村の人たちが亡くなってしまえば、彼女は嘆くだろう。

いつも自分の世話をしてくれている、健気でやさしい黒髪の少女。
彼女が笑顔を失えば、皆が悲しむだろう。
自分だって、彼女にはもっと元気に長く生きてもらって、ずっと彼女の笑顔を見ていたいと思う。
そして、平民の笑顔を守るのは、いつだって自分たち貴族の役割だ。
なんとかしてやりたい、とルイズは思った。

「キュルケ、タバサ、モンモランシー、ギーシュ……お願い、力を貸して欲しいの」

友人たちは顔を見合わせる。
誰もがルイズの言うことを信じきれた訳ではないのだが……
彼女の占いの正確さを身にしみて理解している二人は、信じるほかない。

「やれやれ……このまま放っておくことは、トリステイン貴族の名折れのようだ」
「私もシエスタのために、力になりたい……ルイズ、さっきはきつい言い方しちゃって、ごめんなさい」

ギーシュとモンモランシーは杖を胸に抱き、協力を誓う。
他国からの留学生、タバサとキュルケも協力を快諾してくれた。

「友達」
「……まあ、仕方ないわね」

『全トリステイン・シエスタを守る会』が、今ここに設立され、こうして活動を開始する。

「……ファンタジー」

隣からぼそりとした呟きが聞こえたような気がしたので、キュルケが驚いてそちらを向いた。

「ねえタバサ、今何か言ったかしら?」
「気のせい」

ルイズはシエスタの頬にひんやりとした白く小さな手を添えて、穏やかに語りかける。

「ほら、私も、みんなも……あなたのことが大好きだから。お願い泣かないで、笑顔を見せてちょうだい」

皆の慰めで、黒髪の少女は涙を拭いて、ようやくほんの少しだけ、ちょっと壊れたような微笑みを、無理矢理に作った。

「あ、ありがとうございます……おおおお願いしますう、どうかっ、わ、わたしの村の人たちを助けてください!」

ニューカッスルのときは気づいたときにはもう手遅れだったが、今回は希望がある。
まだ滅びの運命が確定していないタルブの人たちは、自分たちの行動次第で助けることが出来る―――

「それで、どうするのよ?」
「まずは一刻も早く、姫さまに報告しましょう!」

キュルケの問いに、ルイズは<タウン・ポータル>のスクロールを取り出しながらそう答えた。

さて―――

モンモランシーとギーシュ、シエスタには、引き続き村に残って、村人たちへの避難を呼びかけてもらうことになった。
ルイズとキュルケ、タバサの三人は幽霊屋敷から王宮のウェイポイントへ向かい、アンリエッタ王女に直談判するつもりだ。
王女あるいは枢機卿からタルブ領主アストン伯爵へと直接に働きかけてもらえば、村のものたち全員を逃がすことが出来るかもしれない。
場合によっては、騎士を派遣してもらう必要があるかもしれない。

「―――『門よ』!!」

この村を襲うであろう悲しい運命を回避するために、少女は自分に出来ることすべてをするつもりでいた。
だが、想像もできないほどに数多の困難が、彼女たちの行く手に立ちふさがっているのであった。


ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、この国の行く先がすでに閉ざされつつあることを、知らない。








//// 22-4:【お腹いっぱいの危機】

王宮へと<ウェイ・ポイント>でワープしてきた三人は、マンティコア隊の隊長ド・ゼッサール氏に出会った。

「何者! ……って、またお前たちか! いつもいつも知らぬうちに忍び込みおって!」
「あっ、隊長さま! ご機嫌うるわしゅう!」
「こっ、このレモン娘、こんなときにご機嫌なわけがあるか!」

彼は、ルイズたちが王宮出入り許可証を兼ねた『姫さまのお友だち証』を持っていることを知っている。
隊長は顔をしかめ、自分の立派な口ひげをなでる。

「……う、む、ともかく今は緊急時だ! 枢機卿がお前たちを探しておられたぞ!」
「何があったのですか? 姫さまは?」
「姫殿下は……今朝、いや昨夜から、姿が見えぬ。まさか、またお前たちのところへ遊びに行っておられるのではなかろうな?」

ルイズはたちまち顔面蒼白になり、言葉を失った。
キュルケもタバサも、目を丸くしている。
しばらくルイズが何も言わずにいたので、髭の立派なド・ゼッサール氏はますますしかめ面になり、少女の頬をつねりあげる。

むにむにむに……

「……おい、どうなんだ! どうなんだ!」
「ひ、ひいえ、ひょんなことは……ひゃ、私のところには、来てませんでしたが」
「そうか、知らぬか……現在、魔法衛士隊が総力をあげて捜索しているところだ、お前も手伝え」

隊長の話によると、賊や曲者の目撃情報も何一つ存在せず、ただ王女一人だけが、自室からこつぜんと消えていたのだという。
たまに王女はルイズのところへ遊びに行くこともあるのだが、それも夕刻の休憩時間、ほんの一、二時間ほどだ。必ず枢機卿に一言告げてから出て行く。
何も言わず夜中に出かけて、朝になっても帰ってこないようなことなど、まずありえない。
間をおかず、ひどくやつれた様子のマザリーニ枢機卿が、ルイズたちの前にやってくる。

「ああ、殿下のご友人がた、よく来てくださった……待っておりましたぞ」
「枢機卿!」
「ミス・ヴァリエール、あなたの力を借りたいと思い、今朝学院にフクロウを飛ばしたのですが……」

おそらくこの国の誰よりも国の行く末を心配しているだろう人物こそが、マザリーニ枢機卿である。
彼は王女の友人でありアルビオンの一件で手柄をたてたルイズたちに、大きな信用を置いてくれている。

彼の話によると、ヒポグリフ隊と竜騎士隊が何度もラ・ロシェール方面への道を往復して探しているが、姫も賊も発見できていないという。
いちどワルド子爵に浚われたことのある王女だからこそ、警備はひどく厳重だった。
昨夜は何も変わった様子は無かったし、王女が部屋から出た事実もないのだという。

「ミス、これの履歴を見てくだされ……あと調べていないのは、これだけなのです」

部屋の中は綺麗に整ったもので、争った跡もない。ディテクトマジックで調べても、おかしい所は無かったらしい。
枢機卿が指差したのは部屋の隅、ルイズの作った<ウェイ・ポイント>の魔法陣だった。
ルイズの背中に、冷や汗が伝い始める。枢機卿は、彼女へと訊ねる。

「もしかすると、何者かがこの魔法陣を使って、殿下を遠くへと連れ去ったのではないかと」
「そ、そんなはずは……」

<ウェイ・ポイント>は転移先の履歴を持った者しか利用できない。
人を拉致することなんて、原理的に出来やしない。
たとえ水や先住の魔法で心を操られていたとしても、そこは同様なのである。

むしろ、王宮に異変があったときなどに『幽霊屋敷』へと緊急避難が可能となる分、はるかに安全なはずだったのだ。
これで王女が連れ去られる可能性など、どう考えても、絶対にありえない……
だからこそルイズは安全と判断し、きちんと枢機卿の許可も得た上で、王女の自室への設置を行ったのだ。

額のルーンを光らせて、魔法陣に触れ……

「嘘よ! こんなこと、ありえない、ありえないわ……」

ルイズは口をわなわなとさせ、動きはかくかくとして、まるで壊れたガーゴイルのようになっていった。
昨夜の使用履歴を調べてみたところ……


出たのである。


―――『ハヴィランド宮殿地下2階(Havilland Palace Cellar Level 2)』と。


ルイズは頭を抱えて絶叫するほかない。

「い、い、いやぁーーーっ!!」

ありえないことだからこそ、衝撃は大きかった。ああ、なんという痛恨の一撃であることか。

ルイズは卒倒しそうになった。
信じられない。レコン=キスタの根城に、王女が自ら行ったとでも言うのだろうか?

胸中は、こうである―――『なにこれ、詰んだ、詰んだ、なにもかも終わった、わたし死んだ』。

(どうやって? 姫さまが履歴を持っているはずも無いところに、自分から飛んで行ったというの? そんなの無理よ、ありえないわ!)

どう考えても原理上システム上起こり得ない出来事が、発生している。
賊の手によるにせよ、王女自身が進んで行ったにせよ、いずれにせよなにか原理的に想定外の使われ方をされたことは確かである。
ともかく、一刻も早く連れ戻さなければ―――それも、どうやって?
アンリエッタが行った先は、はるか遠き浮遊大陸、首都ロンディニウムのハヴィランド宮殿。貴族派の本拠地、いちばん守りの堅い場所だ。

(これから、全面戦争するの?)

いや、弱小のトリステインが、数で勝るアルビオンに攻め入って勝てるはずがない。
それまでに王女の身柄が無事である保証もない。人質に取られているということは、そういうことなのだ。
王女が居なくては、トリステインをひとつに結びつける者はおらず、ゲルマニアとの同盟の継続も望み薄である。
そしてルイズにとって大切な幼馴染、アンリエッタ王女に、何かがあったと考えるだけで……ルイズの心は締め付けられるように痛む。

(姫さまが連れ去られて、トリステインはもうお仕舞いなの? ……私の作った魔法陣のせいで?}

何度ありえないと断じてみても、証拠は依然として目の前にある。この国でもっとも大切にされるべき人が、居なくなってしまったのだ。
はるか遠くの白の国、アルビオンに行ってしまったからこそ―――『奪還は絶望的』である。
ひょっとすると、拷問をされていたり、もう貞操を奪われていたり、魔法で心を操られていたりするのかもしれない。

「いや、いやあ……いやああぁ……姫さま、姫さまぁ……いやぁ……」

とうとうルイズは顔を両手で覆って座り込み、びいびいと泣き出してしまった。
これが自分の作ったものの招いた事態であることを突きつけられ、これまでの生涯に無かったほどの、深い深い絶望に包まれていた。
そして、説明を聞いた枢機卿は、みるみる死んだような目になって、呟いた。

「そうか、殿下は……アルビオンに行ってしまわれたのか」

極限までやせ細った鳥の骨のような体が、まるで死体一歩手前のように、生気が抜けて見えた。

「わ、わたしっ、の……せい、……」
「……ミス、自分を責めないでくだされ。魔法陣設置の許可を出した私にも、責任があるのです」
「ううっ……」

ルイズと枢機卿の心のうちは、いまやひとつになっていた。

言わずもがな―――『この国は、もうすぐ終わる』である。

枢機卿は頭をフル回転させ、どうにかしてこの危機から起死回生の一手を打たんと、数多くの政治的方法を検討しはじめた。
もともと国王もおらず弱りきった国を、荒れ狂う国際情勢のなか妥当なところへ軟着陸させることを試みていた彼である。
これまでも長年にわたってずっと綱渡りの外交を強いられ乗り越えてきたせいか、彼のショックはルイズよりも少なかったのかもしれない。
そして、ルイズたちの見守る前で<ウェイ・ポイント>の術式が起動し、アニエスが現れた。

「ミス・ヴァリエール、探したぞ! いったい何処へ行っていた!」

彼女は枢機卿が居ることに驚き、慌てて礼をする。
ルイズがびえんびえんと泣いていることにますます驚く。

「何だ、この状況は……」
「あなたこそ何があったのよ、ぼろぼろじゃない」

泣いているルイズの代わりに、キュルケが問いかけた。
アニエスはデルフリンガーを背負っている。
顔は青ざめ、ふらふらとしており、全身の服や装備のいたるところに焦げ跡が見える。
どうやら、なにか大怪我を負ったあとにポーションで治療したといった風体である。

「報告いたします! 先ほどラ・ロシェールの街で魔道士<サモナー>を発見! 現在、守備隊が交戦中!」

アニエスは膝を付いて報告する。
枢機卿はますます苦い顔になり、「こんなときに」と呟いた。
そして剣士はきょろきょろとあたりを見回し……

「……ところで、殿下はどちらに?」

アニエスは事情を聞いて、たちまち顔を真っ青にするのであった。
そしてキュルケはふと思い出し、枢機卿へと、タルブの話を切り出す。

「そうですわ、枢機卿さま、こちらからも大事な話が……」

彼女たちは、タルブに関する問題をも抱えており、そちらも解決せねばならないのである。
枢機卿は、タルブの村に不穏な運命の予兆あり、との話を聞くと、ますます顔を青くした。
タルブ村とその草原は、アルビオンがラ・ロシェールの港街を攻撃するための陣地として最適な場所だと考えられるからだ。

「こんなときに……いや、こんなときだからこそ、やはり何かを仕掛けてくるつもりでしょうな……」

もしかすると、この混乱に乗じてレコン=キスタが不可侵条約を破棄し、戦争をしかけてくるのかもしれない―――
そして戦乱のあるところに、混沌の拡大を求めるあの魔道士は現れるのだろう。
さて、いよいよライフゼロのトリステイン王国に、オーバーキル級の危機がやってきているようであった。
いや、王女がレコン=キスタの本拠地へと連れ去られた時点で、政治的にも戦略的にも、すでにこの国の未来は終わっているのかもしれない。

(そういえば……ちょうどたった今、アルビオン艦隊がラ・ロシェールの近くへと来ている頃ですな)

枢機卿は、せまる結婚式への来賓の送迎のため、アルビオン艦隊が来ていることを思い出す。

「アニエス殿、これからラ・ロシェールへと行かれるのでしたら、トリステイン艦隊への伝書を運んでいただきたい」
「はっ、拝命いたしました」

アルビオン艦隊は、トリステイン空軍の保有する艦隊のおよそ二倍の数である。戦えば、まず勝てる見込みは薄い。
トリステイン王国の長い長い苦難の一日が、始まろうとしている―――
運命の転機とは、かように唐突に現れるものだという。
普通に考えれば、この国は既に終わっている。自分に出来ることは何なのか、ルイズには解らない。

「いずれにせよ、なんとかこの状況を打破しなければならぬでしょう」

彼はただちに戒厳令の要請、および軍をラ・ロシェールに集めるよう伝令を命じたあと、ルイズの涙の浮かぶ目をしっかりと見つめ、言った。

「……ミス・ヴァリエール、泣いている場合ではありませぬ。貴女のもつ不思議な力を、どうか今こそ、国のために役立てていただきたいのです」
「う……うう……」
「王女殿下は、このようなときには貴女の力を借りよ、と常日頃より言っておられたのですぞ……」

動揺し、がくがくと体中を震わせつつも、ルイズは頷きかねていた。
こんなときに役立てるって、何をどうやって?
状況は明らかに、ルイズの手におえるような範囲を、軽々と逸脱しているもののようにも感じられていた。

「ヴァリエール、あなた何やってんのよ」
「だって、だってぇ……」
「状況がサイアクなのは解ったけど……ここでグズグズしててもしょうがないでしょう?」

キュルケが呆れたようにため息をついた。

「落ち着いて」

雪風のタバサが、ルイズの震える肩に、そっと手を置いてくれる。
ルイズはタバサにすがりついて、うわんうわんと泣きだした。

「わたしに出来ることを、教えて」

目の前のことからひとつひとつやっていかなければ、何一つ解決しない……と、その眼鏡の向こうの青い目は語っているようであった。
やがて泣き止んだルイズは涙をぬぐい、瞳孔を限界まで開き、ふらりと立ち上がる。
素敵な使い魔を持っている雪風の友人へと、問いかける―――

「タバサ、タバサ……」
「何?」
「あなた、この国を影から支配してみるつもり、ないかしら……? 今がそのチャンスよ……」

枢機卿がますますやつれきって影のかかった顔で、おほんと咳払いをひとつ、「こら」とルイズをたしなめた。
自分のことを『おじいちゃん』と呼んでくれるきゅいきゅいお姫様も良いが、やはり本物のことを見捨てるわけにはいかないからである。
『ああ、こいつはもうだめだ、諦めるほかない』……と誰もが思ったとき。

くるっ―――どすん!!

「ひきゃあ!」
「……」

タバサは無言でルイズを投げたおし、マウントポジションを取った。
そしてじたばたと暴れるルイズが正気に戻るまで、彼女の良く伸びるほっぺたを、思い切りぐいぐいと引っ張りつづけてやるのであった。

やがて―――

「……ごめんなさい、ちょっと……取り乱しちゃったわ」
「大丈夫」

そっとやさしく、白い髪の毛を撫でてやる。
青い髪の彼女はどうやら、この娘の心のスイッチを入れることに成功したようだ。

これから、すさまじい逆境に立ち向かわんとするゼロのルイズは、ああ―――いったいこの世界に、どれほどの恐怖を振りまくのだろうか。
そんなこと、雪風のタバサの知ったことではない。<思い出>の杖に賭けて、知ったことではないのだ。




//// 22-5:【決意】

ルイズ・フランソワーズは、王宮から<ウェイ・ポイント>で帰宅し、自分の住居『幽霊屋敷』へと駆け込んだ。
最初に、洗面器に冷たい水を貯めて、涙と鼻水でくしゃくしゃになった顔を、きれいきれいに洗う。
タオルでしっかりと拭いてから、大司教トラン=オウルの眠る棺おけへと、額をくっつけた。

「司教さま……どうか、どうか私に勇気を、皆の笑顔を守るための心の力をお与えください」

白髪の少女は祈る。
虚無を映すような瞳孔の開かれた目から、一筋の涙がこぼれていった。
静かに肩を震わせながら、一分ほどそうしていただろうか。

(姫さまを助け出さなきゃ……あの男を倒さなきゃ……そして、守らなきゃ、シエスタの村の人たちを……)

敬愛する次姉カトレアのことを思い出す。
『貴族の条件』……それは、命を懸けて姫を守ること。
そんなことを常々言っていた姉に、あんなことやこんなことが知られたら、自分は心の底から軽蔑されるのだろうか?

(なんか、いつも私のやったことが姫さまを危機にさらしてる気がするわ……いったい何なのよ私ってば)

カトレアは病弱だが、優しく、そして他の誰にも負けぬほどに強い貴族としての精神を持っている人物であった。
不治の病に侵され、今までラ・ヴァリエールの領地から一歩も出たことの無い姉。
どれほどに貴族として生きたいと望んでも叶わず、先の希望もなく、ただ病魔と闘い続けるだけの人生。
だからこそ、ルイズは『黄金の霊薬』で姉を救いたいと思っていた。そしていつしか、手段と目的が逆転していたようにも思う。

(最近ようやく、解ってきたのに……それだけじゃないって……『人を死から救うってことは、必ずしも命を助けることだけじゃない』って……)

『その人がやりたかったことを、やる』ということ。
『その人が命を賭してでも守りたかったものを、守る』ということ。
そうすれば、たとえ命を救えずとも、その人の魂を救うことになる。死の恐怖から、その人を救い出すことになる。

もう姉に死相が出ていたらどうしようなどと、怯えすくんでいる場合では、ない。
霊薬が一人ぶんしか作れぬからなどと、無力感にうちひしがれている暇など、ない。
どうにかしなければ、この国は終わりだ。

ルイズは先ほど枢機卿たちにたいし、あらゆる手を使ってでも、必ず姫を助け出し連れ帰ると誓った。
もはや後はなく、その誓いは絶対に嘘にしてはならない。

(ここで何かが出来ないと……私、貴族を名乗る資格なんてない……それだけじゃない、司教さまにも、神竜トラグールにも顔向けできないわ)

ルイズは自分の原点というものに立ち返る。
ろくに魔法も使えなかった自分が、どこまでも立派な貴族になりたいと頑張ってこれたのは、どうしてなのだろうか?
今にして思えば、姉カトレアの果たされぬ志を、少しでも継ぎたかったから―――そんな気持ちが、心の底にあったのだろう。
カトレアのように優しく、カトレアが生きたかったように強く、自分は生きたかったのだろう。
先日のタバサとのケンカの一件で、それを確認したように思う。
なまじ霊薬という解決手段が舞い込んできたゆえに、忘れていたことである―――真に誇り高きトリステイン貴族とは何ものか?

答えは出ている。
積み上げられ託されてきた、みんなの大切なものを、たとえ命をかけてでも守るもの。
人の死すらも乗り越えて、はるか未来へと繋いでゆくもの。

(私は、立派な貴族にならないといけないの……死者の屍、拾うものになるんだわ!)

ルイズは国の危機に直面したことで、ここしばらく揺らいでいた己自身を、再びまっすぐに鍛えなおすことができたようである―――
やがて、壊れたように笑みを浮かべる。

(……そうよ! ステキな死体をたくさんたくさん拾うのよ! って……あれ?)

どこか、なにか人として大切なところがズレてしまっているようにも感じられるが、きっとささいなことにちがいない。
ルイズはたんなる気のせいだと思うことにしたそうな。

「と、ともかく……またしても国の一大事よ! さあ、あんたはどこまで行けるのかしら? ……ルイズ・フランソワーズ!」

立ち上がり、鏡のなかの自分に向かって、ひとさし指を突きつけてみる。
どんなに追い込まれても、絶望に囚われている理由はない。今の自分には力がある。やりたかったことをやるのだ。

ふらりふらりと歩き、自分のスタッシュへと向かう。
小さな赤い石のついた護符を取り出し、首にかける。
深く澄んだ輝きを放つ青い石の入った指輪『ヨルダンの石』を取り出し、白く細い指へとはめる。
ニューカッスルにていちど魔王召喚の機が失われた以上、今ならこれをつけてゆくリスクよりも益のほうがはるかに大きいと判断できる。
反対側の手の指に、もうひとつ水色の石の入った指輪『水のルビー』をはめる。
今こそ、これらの指輪に込められた力が必要な時のようである。

- - -
水のルビー(The Ruby Of Water)
ユニークアイテム:リング
装備必要レベル:25
+1 水のスキルレベル(水メイジオンリー)
+1 虚無のスキルレベル(虚無メイジオンリー)
+10 エナジー
+20% マジックアイテム入手の確率
- - -

ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールはトリステイン貴族の娘である。

(ちい姉さまのために、姫さま、そして友だちみんなのために、私の国のために……今こそ私の技が、心が、試されているのよ)

宝石のついた皮製のベストを着込む。
靴を魔獣の皮でできたブーツに履きかえる。
鞘に入れた毒の短剣『翡翠のタンドゥ』を腰に、杖の隣に帯びる。
さまざまなポーションとスクロールをかばんとベルトに、仕舞えるだけ仕舞いこむ。
マントを羽織り、指輪を隠すための手袋を取り出す。
薬棚の上に飾ってあった、うずまき状の角の生えた魔獣の頭蓋骨(Bone Helm)を下ろし、手に取る。
大粒のダイヤモンドを埋め込んだ魔法人形の頭部(Gargoyle Head:ネクロマンサー専用盾)を、紐で左手にくくりつける。
この兜と盾は、いずれ来るであろう戦いのとき、今日のような日のために作っておいたものだ。

(ああ、ちょっとわくわくしてる私もいるのね……私ってば、ひょっとして、おかしくなっちゃったのかしら?)

デルフリンガーの言によると、<虚無の系統>とは使い手と使い魔の心を沸き立たせ、強くするものなのだという。
今はもうはっきりと、戦いの運命を感じ取ることができる。
そして、たとえ地の果て雲の果て、アルビオン大陸に乗り込んででも、姫を取り返さなければならない。

王女は今も生きていて、助けを待っている。ルイズはそれを知っている。
アンリエッタ・ド・トリステインは、もしどこかで誰も知らないうちに死亡した場合、幽霊となってゼロのルイズに取り憑くと約束していたからだ。
亡霊がこの場に居ない以上、姫を助け出せる可能性はゼロではないのだ。

さて、虚無の系統の魔法というものは、ときに使い手の命を削ることもあるのだという。
自分は明日か明後日には、ここに戻って来る事ができるのだろうか。
解らない―――が、天使と司教と交わした約束のためにも、必ず戻ってくると誓わなくてはいけない。

「行ってきます、司教さま……どうか私が良き運命を掴み取れるよう、見守っていてください」

物言わぬ棺おけへと頭を下げる。
うまくやる自信はあるし、そのために今までもたくさんの修行をしてきたし、その他の適切と思われる行動をとってきた。
それを疑ってしまえば、その時点で自分は終わってしまうのだ、とルイズは考えるほかない。
強い信仰心と、身につけたラズマの秘技もある。
おどろおどろしい外見の、魔獣の頭蓋骨のヘルメットを小脇にかかえ―――

深呼吸をひとつ、ルイズは部屋をあとにした。

(私が行くわ、さあ警戒しなさい―――)

と、心の中でまだ見ぬ敵へと囁きながら。
行くべきところは三つある。
危機の迫るタルブの村、<サモナー>の出没したラ・ロシェールの街、そして助けを求めているであろうアンリエッタのもとへ……

(……警戒しなさいオールド・オスマン、今日こそアレを私のものにしてやるわ!!)

いや、違った。
まずは学院長室へと『始祖の祈祷書』をブン盗りにゆくつもりだったようである。

たとえば虚無の系統に目覚めて、攻めてきたすべての敵を焼き払うとか……
あるいは虚無の力で、はるか遠い白の国から一瞬にして王女を奪還するとか。

もう、そんな奇跡のような可能性にすがるほか、彼女に道は残されていないようでもあった。




―――

クロムウェル率いるレコン・キスタは、ひとつの大きな賭けに出ていた。
その賭けは、僥倖的にトリステイン王女の身柄を得られたことで、もはや成功を約束されている。

浮遊大陸の内乱は終わったが、まだまだ神聖アルビオン帝国は一枚岩と言いがたいものだった。
『共和制』をハルケギニアに広めることと、聖地奪還の二柱を掲げる帝国は、国土の拡大を止めてしまえば、有名無実と成り果てる。
そうなれば、待っているのは反逆、崩壊と戦乱の未来である。
虎視眈々と利権を狙う、かつてのアルビオン王家を裏切った欲深き貴族たちに、エサを与えておかなければならなかった。

議会では、トリステインを併合せねばならぬとの論が多数を占めていた。
<サモナー>の召喚した魔物によって泥沼化した戦乱と荒れた国土のせいで、帝国貴族たちの方針はすんなりとそう決まった。
兵も集い、先の戦の勝利で士気も高い今のうちしか、他国を攻めるチャンスは無いという。
当初、皇帝クロムウェルは戦争を始める気などなく、慎重策を押していた―――以前の内乱のときのような魔道士<サモナー>の横槍が気がかりだったのだ。

しかし彼は議会の決議を受け、ガリアからの協力者にも相談したうえで、トリステインとの開戦を承認する。
いつ知らぬうちに内乱の火種を撒かれるかと怯えているよりは、万全の状態の今、<サモナー>を誘い出して迎え撃てばよい。

戦乱が起きれば、あの魔道士は混沌の気配を察知して、姿を現すだろう。
そこを押さえ、ガリアと協力しあって、討つ。他国の領土へと釣り出せば、自国の被害はほとんどなく終わらせることができる。
この戦に成功すれば、同時にトリステイン国土を手にいれ、後のゲルマニア侵攻の足がかりとすることができる。

開戦を承認するに至った理由は、ほかにいくつもある。
たとえばトリステイン国内に潜むレコン=キスタ賛同者、高等法院長リッシュモンの王宮での立場が、最近危うくなってきているのだ。
最近、国内で出所不明の上等な宝石の流通が増えており、そのせいでリッシュモンが隠し鉱山を持っているのではと疑われている。
事実隠し鉱山があってしまうからこそ、冷や汗ものの現状だ。これ以上調査の手が回れば、レコン=キスタへの資金の流れが明るみに出てしまう。
このままだと、せっかくの大きな切り札を切らぬうちに失ってしまうことになりかねない。

もうひとつ、アルビオンにとっては、ロマリアの動向が気になって仕方ない。かの国とは、いずれ対決しなければならない。
始祖の血と既存の王権にこだわる各国の王家が、いつロマリアに従ってこちらに攻め入ってくるかわからない。
支援国ガリアの国内情勢が多少は落ち着いている今こそ、崩れ去ってしまう前に、足場をかためなければならない。

なんにせよ、トリステインを安全安心確実に攻略するための機会は、今を逃してはもうないようだ。
勝利を確実なものにするために、同時に三つの切り札を切った。
少しでも負ける可能性のある戦いや、戦いを楽しむかのような戦力の逐次投入などは、一切していられなかった。

ひとつは、トリステイン艦隊を奇襲し撃破したうえで、タルブへと上陸し迅速にラ・ロシェールを落すこと。
王都の喉元へと食い込めば、戦の行く先は勝利も同然である。
トリステイン王女の結婚式のためゲルマニアへと賓客を送るはずだった親善艦隊は、敵艦隊との戦闘準備をすでに整えている。
とくに新型の大砲があったりする訳でもないが、こちらは数で勝っている。ゲルマニアの援軍が来る前に事を為せばよい。

もうひとつは、アンリエッタ王女の身柄を手にいれること。
王女の身柄を押さえれば、トリステインをひとつに纏めるものはもう無いし、ゲルマニアも不利と見て日和見をするほかない。
それは、非常に冴えたやり方で為され、あっさりと成功した。
レコン=キスタを秘密裏に支援するガリアから借りた、一人の特殊工作員を送り込んだのだ―――

『彼』は<地下水>と呼ばれる、もと暗殺者であった。
それも人間ではなく、手にした者の身体を乗っ取る能力をもつ、インテリジェンス・ナイフである。
街中で使用人へ、使用人から衛士へ、最後に王女へと手渡され、王女の身体を乗っ取った。
そして『彼』は、王女の自室の隅に『とあるもの』を発見して、驚いたという。

『おっと、どうしてこんなところに<ウェイ・ポイント>があるんだ? ……まあいい、好都合だ! 予定を変更しよう、直接ハヴィランド宮殿に飛ぶ!』

彼はガリアの王宮と、アルビオン首都の宮殿にあるものと同じ、その転移魔法陣の利用方法を熟知していた。
彼の所属する国にも、国王ジョゼフの使い魔として、一時期<ミョズニトニルン>が居たことがあったからだ。
また、ナイフに独立した人格を持つ彼は、自身の『ウェイポイント履歴』を参照し、乗っ取った他人の身体で転移術式を利用できてしまう。
かくもあっけなく、誰も知らぬ一瞬のうちに、アンリエッタ・ド・トリステインは、はるか遠い国へと運ばれていったのである。

最後のひとつは……保険であり、駄目押しである。
『アルビオンに逆らえば、この国に未来は無い』と教え込まなくてはならない。
トリステイン貴族の、未来を担うメイジの卵たちが集う場所……

魔法学院、そこに『火竜の皮衣』を纏った伝説の傭兵を放り込むのだ……
多数の人質を取って、抵抗する気を根底から叩き潰す。

これでチェックメイトである。
レコン=キスタは今や、数年前までのような大国の操り人形ではない。自分たちで決めたことだからこそ、かなり及び腰ながらも、こうして本気を出すに至る。
たとえ<サモナー>に引っ掻き回されたとしても、たとえ敵に<虚無>やミョズニトニルンが居たとしても、アルビオンが負ける要素は何一つ無かった。



―――

着替えを取りに自室へと戻った雪風のタバサを、絶望が襲っていた。

(とうとう……来てしまった)

フクロウ型のガーゴイルの運んできた、一通の手紙である。タバサはそれを読んだとたん、蒼白になり、膝から崩れ落ちた。
それは、いつものプチ・トロワへの出頭要請ではなかった。
ガリア北花壇騎士団から……いや、ガリア国王ジョゼフから直接、北花壇騎士7号に宛てられた指令である。

『ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールを拉致せよ』







//// 22-6:【カウント・ゼロ:イグニッション】

幽霊屋敷を拠点と定めた<タウン・ポータル>の魔法を利用できる人数は、八人(8ppl)が限界である。
今回、ルイズ、タバサ、キュルケ、ギトー、アニエス、モンモランシー、シエスタ、ギーシュの8人が、すでに使用してしまっている。
この編成を組み替えるには、しばらく時間を置かなければならない。
ゴーレムやスケルトン、デルフリンガー、キュルケの使い魔フレイム、そしてシルフィードのような被使役存在(Minion)は、幸い一人としてカウントされないようだが。

なので、この8人のうちで、あちらこちらに人数を裂かなければならない。
微熱のキュルケとアニエス、そして雪風のタバサの三人は、先ほどアニエスが開いたままだったポータルをくぐり、ラ・ロシェールへとやってくる。
<サモナー>への敵愾心を燃やすキュルケと、彼女を心配するタバサが、アニエスについてこちらへと出向くことになったのだ。

「……これは、ひどいわね……いったい何があったの?」

王宮から運んできた空軍への伝書を飛ばし、見送っていたアニエスへと、キュルケが問うた。

「私のせいだ……」

アニエスはぎりりと奥歯を砕けんばかりに鳴らす。

「私のふがいなさが、<サモナー>との戦闘に、この方々を巻きこんでしまったようなものだ……」

青いゲートを抜けた先は、白い石壁の路地。街の人らしき、そして衛兵のものらしき数々の、黒こげの死体が目に入る。
あたりには黒煙がたちこめ、いくつもの建物が無惨にも破壊されている。
人びとが必死に消火活動や、救助活動を行っていた。
それを見ると、何かしらの犠牲が出ることだとは解っていても、やりきれない気持ちが浮かんでしまうものだ。

「そんなこたあねえよ……姉ちゃんのせいじゃあねえ、遅かれ早かれアイツが来ているなら、こういうことは起きただろうよ」
「デルりんの言うとおりよ、街中でためらいも無く仕掛けてくるような奴なんだから」

デルフリンガーの言葉に、さばさばとした調子で、キュルケが同意した。

「しかし……」
「アニエス、あなたは与えられた役目を立派に果たしたのよ、気に病むことはないわ」

剣士の彼女は、恐ろしい魔道士に遭遇し生き残り、『即座に』王宮へと報告したのである。
ここは王都へ馬で一日二日ほどの距離を離れた町であり、伝書ガーゴイルを飛ばしても情報の遅延は出るものだ。
なので、確かにキュルケの言うとおり、アニエスは最低限の任務を果たしたとも考えられる。
だが、こんな結果は、望むところではなかった。出来るなら被害が出る前に、敵を討ち果たして任務を終えたかった。

「それにしても、あれほど注意を払っていたというのに、遅れを取ってしまうとは……なんと情けないことか」
「まあ、過ぎたことは仕方ないだろうよ、生き延びただけでも幸運さあ……これからの事を考えようぜ」

ひとつの出張への出掛けにこの街へと立ち寄ったところ、<サモナー>らしき男が昨晩より宿をとっている、との情報を得た。
それを確かめるために、彼女はとある宿屋へと立ち寄った。
今までの通報は、ガセネタばかりだった。なので、まずはアニエスが事実を確かめなければならなかった。というのも―――

かねてより、アンリエッタ王女は<サモナー>を指名手配していた。だが、相手は民の不安や恐怖を力に変える男だ。
だからこそ表向きには通常の指名手配犯と同様の扱いをし、通報があり次第デルフリンガーを携えたアニエスが出向く……という運びになっていた。
また、『見慣れぬ怪物や魔物が出たら通報せよ』との触れも出されていた。
ハルケギニア固有種とは異なる、サンクチュアリ産の魔物の出所を突き止めれば、<サモナー>にたどり着くだろうとの判断による。

ところが、集ったのはどれもこれもガセネタばかり。
のさばるオーク鬼などの村を襲う怪物や、常日頃ごろつきメイジの被害に悩まされる辺境の人々が、これ幸いとお触れに飛びついた結果だった。
いちいちそこらへとドサまわりする役目は、小回りの効くアニエスに任されていた。
なので、今回もアニエスが出向き、本人が居るのかどうかを確かめなければならなかった。
油断しているつもりは無かった。だが―――まさか自分ごとき一介の剣士が、一度も顔をあわせていない相手から警戒されているとも、思ってはいなかった。

『汝か、女剣士よ、近頃我の行く先を探っているな』

ふと気づけば、背後に音もなく、青と金の衣の男が居たそうな。瞬時に気づけたことだけでも、彼女は一流の剣士なのだと言えるかもしれない。
男は街中で堂々と巨大な杖を振るい、盛大に四方八方へと電撃魔法『チェイン・ライトニング』をぶっ放したのだという。
背負っていたデルフリンガーのおかげで即死をまぬがれたものの、アニエスは大怪我を負ってしまい、結果逃がしてしまうことになった。

「未だ、この辺りに居るのかもしれないわね……」
「……ミス・ツェルプストー、ミス・タバサ、そのときは、どうか貴女たちの力をお貸し願いたい」
「まあ、この国は一応、あたしの国の同盟国だしね……任せて、あの男を焼くのは、このあたしの炎よ!」

キュルケは、いつも胸の谷間に仕舞っている愛用の杖の代わりに、自分の背丈ほどもある大きな杖を手にしている。
それは、先日ルイズ・フランソワーズより購入し、契約をすませた一本の戦闘用杖(War Staff)―――『RW Leaf』である。
タバサは、いつものような無表情だが……どこか顔色は悪く、心ここにあらずの様子だった。

「……どうしたのタバサ、ルイズたちのことが心配?」
「なんでもない」

静かに首を横に振って、タバサはシルフィードの背中へと飛び乗った。

「居た……追跡する」
「え?」

タバサが杖頭で指した先……ラ・ロシェールの、竜騎士隊詰め所のあたりから、数頭のドラゴンが飛び立っていった。
よくよく目を凝らせば、いちばん先頭をゆく風竜に、青い衣の男が乗っているようにも見えた。
他の竜には、誰も乗っていない。

「ねえタバサ、ドラゴンってあんな簡単に盗めるものなの? 騎士以外には懐かない生き物なんじゃないの?」
「……わからない、でも……今は追いかける以外に方法は無い」

キュルケの問いにそう答え、タバサは二人へと、乗るように促した。



―――


ずどおおおん!

爆発音、地面にはクレーターが出来ている……場面変わって、ここはタルブの村。
静かで平和な村に、突如そいつが現れ、爆発の魔法を放った。
その奇妙すぎるいでたちに、誰もが度肝を抜かれた。

「警告するわ(BEWARE!)―――この村はもうすぐ戦場になる……だから全員ただちに、逃げなさあい!!」

角の生えた髑髏の仮面を被っているせいで、表情は見えない。白くよれよれの長い髪が、背中側にこぼれている。
分厚い手袋をはめた右手には、骨で小奇麗に装飾された杖。反対側の手には、おどろおどろしい装飾のされた魔法人形の頭部。
爆風で翻るマントの下、肩から背中にかけて鞄とともに紐で提げているのは、皮製のケースに入った一冊の古い本。

「避難勧告の根拠が無いって言うんなら、私がその根拠になったげるわ! さあ全員泣いて私に感謝するといいのよっ!!」

細い身体の周囲を、『骨の鎧』が旋回していた。背後に、三体の禍々しいスケルトンを従えていた。
カタカタと笑うそのスケルトンたちは、それぞれの両腕の先に、溢れんばかりの魔法の力を蓄えていた。

『召喚―――ファイア・ゴーレム(Fire Golem)!!』

魔獣の頭蓋骨の内側で、少女は呪文を唱え、杖を振った。
どおん―――と地面から轟々たる火炎が噴出し、たちまち大柄のヒトのカタチを形成してゆく。

「さっさと逃げないと……焼き尽くしてやるわっ!! あはっ、あははっ、あーっはっはっはぁ!!」

狂ったような笑い声が響く。
たくましい炎の拳、太い炎の足もとに回転する聖なる炎のオーラ、ゆらぎたつ陽炎を全身に纏い、ぱちぱちと火の粉を散らす。
めらめらと燃えさかるファイア・ゴーレムが、吼える。オロロロロオオオオ―――!!

しずかな村を襲う、ルイズ・フランソワーズ。

「ワン・ツー・スリー……さあて、みんな呪ってやるわよ!」

うっくっく、と喉を鳴らし、踊るように足でリズムを鳴らす―――
片手の杖『イロのたいまつ』をバトンのように振り回し、ゆがんだ色の火の粉をあたりに振りまいてゆく。

「さあ恐れなさい恐れなさい―――TERROR!! TERROR!! TERROR!!」

WARNING! WARNING! WARNING!

「逃げなさいフナムシのように逃げなさい、さっさとここから逃げないとお……」

泡を食った村人たちが、老若男女問わず恐れ、泣き叫び、蜘蛛の子を散らすように逃げてゆく―――

「焼くわ、焼いてやるわ、焼いて焼いて焼き尽くしてみんなみんな灰にハイにHIGHにしてやるわああーっ!!」

あーっはっはっは! あーっはっはっはは!
少女は心底楽しそうに笑い、いちばん近くにあった家に、炎のゴーレムを突撃させた。
骨の魔法使、『スケルタル・メイジ』たちが、両腕の魔力を解き放つ。
それを見ていたシエスタとモンモランシーが、恐怖と絶望とに顔を蒼白にし、滂沱たる涙を流しながら叫んだ―――「「らめえぇえぇええええ!!」」

「シエスタのおうち焼いちゃいやぁああ!」
「やめてくらさいミスうぅうううう! わたひのおうちもえちゃいまふううう!!」

もう泣くしかなかった。
わめくしかなかった。

「あはははは、どうか気にしないで! 終わったら弁償するからっ! さあさ、あんたたちも逃げなさぁい!」

ルイズはくるくると踊るように、シエスタの生家を蹂躙しながら瞳孔を開き、実に活き活きとシアワセそうに笑っていた。
枢機卿自筆のタルブ領主への手紙は、顔見知りでありグラモン家のコネもあるギーシュに運んでいってもらっているところだ。
『それでは間に合わない』と踏んだルイズは、こうして村人の避難を促しているのだった。
なんともまあ、やりすぎのようでもある。

タアーン! タタアーン!!

銃声がひびく。自分たちの住む村を守ろうと、勇敢なる村人たちが発砲したのだ。
ルイズ・フランソワーズの周囲に浮かぶ骨の盾が次々と砕け散って、銃弾を防いだ。

「うわぁん、逃げてっつってんのにぃ!! 何で何で、何で逃げてくんないのよぉ! 口から手ぇ突っ込んで尾てい骨ヒキズリ出してやるわよッ!」

ルイズは骨の鎧を張りなおし、杖を振り、スケルトンの魔法使たちを突撃させる。
それらは骨格こそオーク鬼のようだが、宿っているのはトリステインのメイジの亡霊であった。
普通の人が見ればさぞかし怖かろうと、『幽霊屋敷』の棺おけにストックしてあったものを引っ張り出してきたのだ。

「何だアレは、が、ガイコツが……動いて、魔法を使っているだなんて」
「ビビるなよ! あれはゴーレムか、ただの魔法人形(ガーゴイル)だろう、見掛け倒しだ!」
「わが家を焼いたばかりでなく、わが娘シエスタを泣かしおって! 貴族とはいえただじゃおかないぞ!!」

だが、恐ろしいスケルトンから威嚇の魔法が放たれても、過去に従軍経験もあるらしい村の男たち(Militia)は果敢に立ち向かってくる。
基本的に人間に効きづらい『恐怖(TERROR)の呪い』である、彼らには全く効いていないようだ。
そして逃げつつあった他の村人たちも、幾人かは足を止め、遠くからではあるが、闘う彼らに声援を送りはじめてしまう。
ルイズは唇を噛んだ。

(どうして? ……いつも私が怖がられてるのと同じようにすれば、逃げてくれると思ってたのに!)

ひょっとすると、あまりに非日常的な要素、スケルトンや火のゴーレムを見せたことが逆効果だったのかもしれない。
ただシエスタをいつもの十三倍ほど怖がらせたばかりで、肝心の村人たちのほうは立ち向かってくるばかりで逃げてくれない。
他人を自覚なく怖がらせることには才覚を発揮しても、自分から進んで怖がらせようとしたとたん、まったく上手くいかないルイズである。
失敗したのか―――と、焦りはじめたときのことだった。

「何をしている、ミス……村への狼藉、見過ごせぬぞ」

平民たちを守るようにして、ルイズの前に立ちはだかったのは……昨夜この村のちびっ子たちのヒーローとなったスクウェアメイジ。
昨日飲めぬ酒を飲んで倒れ、この村の宿で起きぬまま放っておかれた男。
疾風のギトーだった。




―――

ジャン・コルベールは、魔法学院の片隅、幽霊屋敷の裏庭にて茶をすすりながら、どうにも落ち着かない気持ちを抱えていた。
あの魔道士<サモナー>が現れたと聞き、自分が出ていってやっつけてやりたいと思っていたのだ。
なのに、<タウン・ポータル>は定員オーバーという話。
つまり、彼は学院に置いていかれてしまったのである。

(アルビオンの時、ミス・ヴァリエールは私に内緒で、恐るべき魔道士や悪魔と戦っていたという……)

コルベールは、あの時自分とギトーが部屋に帰り眠った後、ルイズたちがもう一仕事したことを後に知って、驚いたものだった。
もしあの時点で、大切な教え子たち、それも若き娘たちが、決死の覚悟を決め戦場に向かうと知っていたら……
自分は疲れを押してでもついていき、彼女らを守ろうとしただろうに。

結果、ルイズ・フランソワーズは己が力でもって魔道士を撃退し、また巨大な悪魔を退け、めでたしめでたし、だったというが……
あのときも全てを内緒にされ、ギトーとともに置いていかれる形になったコルベールは、悔やんだものだった。
どうしてそんな危険な仕事に私を連れて行かなかったのかと、それはそれはきつく叱ったものである。

『ああミス・ヴァリエール、もっと大人を、我々を頼りたまえ! 君はこの国の……いやハルケギニアの宝なのだから!』
『それは……私に、始祖の<ルーン>がついているからですか?』
『そうではない! 君は若人なのだ、若く美しく健やかで、活気に溢れている、ただそれだけで何にも勝る宝なのだ!』
『……私、キレイ?』
『もちろんだとも!』

ひたすら褒めまくったところ、白髪の少女は顔中を真っ赤に染めて少ししおらしくなったものだ。
それ以来、どうしてかゲルマニアからの留学生の赤髪の少女が妙に馴れ馴れしく接してくるようになったものだ。
ともかく……

今回は、ルイズからひと声かけてもらうことができた。
だからこそ、彼女たちに着いてはいけないのだと知り、心底悔しがっていた。

魔道士<サモナー>は、自分の大切な教え子の一人キュルケ・フォン・ツェルプストーを出会い頭に殺そうとした男だ。
そのような危険な男の相手を、学生などにさせてはおけない。
やめろと言っても、やんちゃな彼女らは聞かずに戦いへと赴いてしまうのだろう、いずれあの男と出会い、戦い傷つくのだろう―――その前に。
自分がちょちょいと焼きをいれてやれば、すべての問題は解決するはず……と、思っていたのだ。

さて、教師ジャン・コルベールは、自分の魔法で人は殺さぬと誓っていたのではなかろうか?

(そこは……ああ、そこは……殺さぬ程度に焼いてやれば問題は無いのだよ!)

いや、何かに開眼していたようでもある。

「ミスタ、顔が怖いですよ」
「うむ、失礼……私にもなにか、もっと出来ることはないのかと、気が気ではないのだ」

リュリュの言葉に、コルベールはそう答えた。
ガリアから来た彼女も、通常の貴族がしない発想をよくする家出少女だ。
なのでコルベールとは、よくよく気が合うようである。最近ではすっかり、師弟のような関係を築いている。

「ですが、情報の中継も大事な役目だって、ルイズさんが……」
「……うむむむ」

現在、二人は『幽霊屋敷』の裏庭にテーブルを引っ張り出し、お茶をしている。
とくに和んでいるだけでもなく、以前のアルビオンの一件のときシエスタに任されていたポジション……
つまり、<ポータル>や<ウェイ・ポイント>で行き来する若人たちの補給や情報中継の役割を、任されているのだ。

「ところで、この国ではもうすぐ戦が始まるかもしれないそうだが、きみはいつ自分の国に帰るのかね?」
「え……」

リュリュは寂しげにうつむいて、答える。

「まだ、帰りたくないです……この学校、とっても居心地が良いですし……それに……」
「……ふむ?」
「やらなきゃいけないことが、まだ残っているような気がするんです……わたし、皆さんよりひとつ年上ですが、正式な留学研修の手続きを考えてまして」

ちょっぴり上目遣いで、寂しげなまなざしを、中年教師に送っていた。
コルベールは咳払いをひとつ。

「おほん、そうかね……まあ、この学院に居るかぎり、安全ではあるだろうが」
「はい」

リュリュは、顔を上げた。

「ミスタ、たぶんここがミスタに相応しい、一番大事なポジションなんですよ」
「はて、その心は?」
「みんな、帰ってきたときに『おかえり』って言って欲しいんです、ルイズさんも、タバサさんも、キュルケさんもアニエスさんも、デルフ君も」

コルベールは照れるほかなかった。


だが―――
もうすぐこの学院もまた、戦いの最前線のひとつとなるということを、いまの二人は知る由もない。

レコン=キスタに所属する傭兵のうち、最強のメイジが、もうすぐここにやってくるのだ。


//// 【次回、その23:ハートに火をつけて(中編):少女は愛をさけび、空が落ちてくる……の巻、へと続く……】



[12668] その23:ハートに火をつけて(中編)
Name: 歯科猫◆93b518d2 ID:b582cd8c
Date: 2010/07/17 17:57
//// 23-1:【ハートに火をつけて:前編】

レコン=キスタに雇われた大柄の男、白炎のメンヌヴィルは、盲目の傭兵である。
二十年前に両目の視力を失って以来、温度を感じることで周囲を『観る』能力を身につけた。
彼はその筋では伝説とまで呼ばれる、炎の使い手である。炎で人を焼くことの魅力に取り憑かれ、傭兵を自分の天職だと思っている。

彼自身、数々の強力きわまりない炎の魔法を使いこなす。
それだけでなく、近年の彼は『とある装備』のおかげで、戦場で『向かうところ敵なし』と呼ばれるようになっていた。
事実、レコン=キスタが彼へと寄せる期待は大きい。
ニューカッスル攻城戦で悪魔デュリエルが出現したとき、ガリアの黒騎士が撤退した際、対策として呼ばれたのは彼だったのだ。
実際に彼があの悪魔と戦って勝てるのかどうかはともかく―――誰もが、彼なら負けないだろうと思っていたようである。
結局彼が到着するまでの間に王党派側の何者かが悪魔を打倒したので、彼の出番は無かったのではあるが。

彼は自分の傭兵小隊をひきつれ、一隻のフリゲート艦でトリステインの空を行く。
この国の航空戦力は、アルビオン艦隊の来るタルブ方面へと向かい、地上の戦力は<サモナー>出現の報で浮き足立っている。
高等法院長リッシュモンの裏工作で偽装されたこの艦は、表向きには学院に駐屯する警備兵が乗っていることになっている。

これから攻めるのは沢山のメイジが住まう場所、トリステイン魔法学院だ。
ほんの一個小隊でそこを占拠し、貴族の子息子女、男女問わず二百人余、教師も含めそれ以上の人数を人質に取るなど、出来るのだろうか?
しかし伝説の傭兵、白炎のメンヌヴィルにかかれば、可能となってしまうのだ。

メイジは杖を持たなくては魔法を使えない。
メイジは呪文を唱えなくては魔法を使えない。
だが、彼の炎による攻撃に限っては、そうではないのである。

彼はいつも、マントの下に不恰好な皮鎧を身につけている。
だが、彼の格好を笑うものは居ない。もしいたとしたら、次の瞬間には、ひどい火傷を負う羽目になるからだ。
一説によると、それはマジックアイテム『火竜の皮衣』だと言われている。

彼は、二匹の絡み合う蛇と翼の飾りのついた笏杖(Caduceus)を愛用している。
『正義の手(Hands of Justice)』という名を与えられた、炎の力を秘める杖らしい。

普通、メイジが魔法を使うには、呪文を唱えなくてはならない。攻撃目標を目視しなければならない。
だが彼は呪文を唱えることなく、精神力すら消費せずに、自分を中心に半径数十メイルの間、近づいてきた敵すべてを炎に包むことができる。
彼の周囲には、いつも白い炎のようなオーラが立ち込めている―――『聖なる炎(Holy Fire)』のオーラだ、と彼自身は言っている。

彼がここ数年レコン=キスタに雇われ戦場で暴れているのには、貴族派への恩義のあることも大きい。
数年前、クロムウェルの秘書だったシェフィールドという女が、これらの装備を与えてくれたのである。
そして彼は、ガリアから来た黒い甲冑の騎士と同様に、戦場における切り札、いわば戦略兵器的存在にまで上り詰めたのだ。

(ガキどもには興味ないが……果たして教師どもは、このおれを満足させてくれるだろうか?)

向かうはメイジの巣だ。スクウェアもトライアングルもいると言う。
二百人以上のメイジの居る場所へ飛び込んでゆくというのに、彼は物怖じひとつしない。
かつて彼の目を焼いた火のメイジを相手にしたとしても、今ならまったく負ける気がしないからだ。

(ああ、はやく……人の焼ける匂いを嗅ぎたいものだ)

生徒に関しては『殺すな』と言われているが、その他に関しては問題ないという。
タルブのほうの戦場にただ放り込まれるよりは、こちらのほうがずっとやりがいのある仕事だろう。
メンヌヴィルは口の端を吊り上げ、心を浮き立たせるのであった。




―――

丁度このとき、ラ・ロシェール近郊の海上で、アルビオン艦隊はトリステイン空軍の艦隊に、一斉攻撃を加えていた。
トリステイン艦隊は来賓の出迎えにゆくつもりが、王宮からの警告を受け、慌てて戦闘準備をととのえようとしていたところ。
そこに宣戦布告、なかば奇襲を受けるかたちとなり、いきなりの劣勢である。

タウン・ポータル経由でラ・ロシェールからアニエスがいち早く放った伝令のガーゴイルが、ぎりぎり彼らの命を救ったのかもしれない。

開戦の理由は、『トリステイン艦隊から攻撃を受けた』だった。
むろんそんな事実はない、会うなり戦闘が始まったのだ。
だが、戦をはじめる理由など、勝ってしまえばいっそどうとでもなるものである。

トリステイン空軍の長ラ・ラメーは、少なくともこのまま全滅することだけはならぬ、と考えた。
敵はこちらより数ではるかに勝っており、強力な竜騎士隊もいるが、とくに射程の長い新型の大砲があったりするわけでもない。
最初の会敵よりひどく押されっぱなしで、もう数隻フネを落とされてはしまったが、じわじわと後退しつつも根強く応戦していた。

『アンリエッタ王女が暗殺されかけて、わがアルビオンに亡命してきている』

アルビオン艦隊からは、まったく眉唾物の信号がつづく。

『貴艦らトリステイン空軍の真の敵は逆賊マザリーニである、直ちに抵抗をやめ、降服せよ』

王宮も、ラ・ロシェールの守備隊も、どこもかしこも混乱状態のトリステイン王国である。
王女の身に何かがあったらしく、命令系統も乱れ、奇怪な情報も飛び交い、空軍は現在の状況を把握しきれないでいた。
この場はいったん退いて、情報を得て、体勢をととのえなければならないであろう。

アルビオン艦隊は、タルブの草原に上陸し地上軍を展開するつもりのようだ。
トリステイン空軍のほうも、ラ・ロシェールに地上軍の編成されるのを待ち、そちらと連携するべきであると考えた。
タルブの地を見捨てることにはなってしまうが、国がなくなるのを防ぐためには仕方も無い。
こちらは守る側だ、いくらレコン=キスタが強大と言えど、連れて来た地上軍が破られれば軍港の占領はできず、撤退するほかない。

地上は互いに血で血を洗う、激戦になるであろうと思われた。




―――


そして、タルブの村では……
疾風のギトーは村人たちを下がらせ、遠目からは、恐ろしいドクロのメイジとたったひとり相対しているように見える。
しばらくにらみ合ったあと、ギトーは相貌を崩し口を開いた。

「安心しろ、私はミスタ・グラモンより事情を伝えられている」
「はあ」
「だが、いくら急がなくてはならぬとはいえ、何をしても良いというわけではなかろうに」
「……ごめんなさい」
「私に謝るのではない、きみが国と民を守るべき貴族の身分を自負するのであれば、あとでしっかりと誠心誠意、彼女に償いたまえ」
「……はい」

シエスタの家を焼いたルイズが、ギトーにお説教されていた。基本、親しい教師にはとことん弱いルイズである。
考えた結果必要なことだと信じて行ったことなのだが、自分の占いがいつも裏目に出てしまうというのも、痛いほどよく知っていることでもある。
ルイズはドクロのヘルメットの前面をぱかっと開き、ぐすん、と鼻をすすった。

「こら、泣くな」
「……はい」
「そして、村人たちを逃がさねばならんというのだな」
「はい」

ギトーは不敵に笑って―――

「よろしい、ならばやりたまえ……この<遍在>は精神力をたっぷりと込めた特別製だ、中身の細かいところまで、しっかり詰めてある」

ルイズは一瞬、何を言われたのか解らなかった。
目の前の彼が<遍在>であることには気づいていたが、何のつもりでここに来たのか判断できなかったのである。
驚いて、ギトーの顔を見あげた。

「風のスクウェアたるこの私がやられたとなれば、この村できみに勝てるものなど無し。彼らも逃げざるを得んだろう!」
「……え、あの……」
「ふっ、きみの大根芝居に付き合ってやろうというのだ!」

ギトーは呪文をとなえ、杖に風を纏わりつかせ、長い長い『ブレイド』を形成した。

「では行くぞミス・ヴァリエール! きちんと防がなくては死ぬかもしれんぞ……新必殺技、ワールウィンド(WHIRLWIND)!!」

ド ド ド ド ド ―――

「はっ、ミスタ、まさか本気!?」
「そうとも! だが今の私は魔法を一撃入れられただけで死ぬぞおっ!」

<ブレイド>から横方向にジェット気流が噴出され、くるくると独楽(こま)のように回る疾風の教師が、スケルトン軍団を吹き飛ばしつつ、ルイズへと突っ込んでくる―――
それは、サンクチュアリ世界にて最強の戦士『バーバリアン』一族の使う技、ルイズから聞いた茶飲み話からヒントを得て、風の魔法流にアレンジしたものらしい。
昨夜ステージで見たものよりスペシャルに回っている。思わず『なにコレこわい』と背筋を凍らせるルイズだが……

「きゃあっ―――『錬金』!!」

ズドーーン!!
と、勝負は本当に一撃でついた。ギトーは本気と言いつつも、やはり多少の手加減はしてくれていたのだろう。
ギトーいわく『特別製の<遍在>』は、真っ赤な中身をあたり一面に撒き散らしてパーンと弾け、ルイズ自身も真っ赤に染まった。

「……」

しばしの間、疾風と爆発の余波で耳がキーンとしているのが治るまで、呆けるように突っ立っていたルイズである。
遠巻きに見守っていた村の住人たちも逃げ去り、ルイズを攻撃してきた勇ましい村の男たちも、泡を食って退却して行くのが見えた。

「……やった、あはっ、あはははっ……」

ギトーの芝居が効いたようだった。人死にが出て、それもスクウェアメイジとなると、はや平民の出る幕ではないと彼らも納得したのだろう。
泡を吹いて気絶したシエスタを背負って、ようやくモンモランシーもせっせと走って逃げてゆく。

(よく防いだミス、単位をやろう。私は村人たちの逃走経路に先回りし、安全を確保する……きみも早く逃げたまえ。また幽霊屋敷で会おう)

草原に吹く風に乗せて、魔法のメッセージが届けられた。
ふたたびルイズの目にじんわりと、涙が浮かんできた。

(ありがとう、ありがとうギトー先生! ……でも何なんですかコレ、絵の具入りの水か何かかしら?)

これから戦場になるであろう村に、たった一人残された少女、ルイズは赤い液体まみれで笑った。
大声で笑った。あははははは―――!!

そのほんの十数分後のことだった。

「あははっ、大好き、私、大好きなの、愛してるのよ! みんなみんな愛してるの!!」

空の彼方より高速で飛来した、炎に包まれたトリステイン空軍の戦艦が二隻、村のど真ん中へと墜落し……
シエスタの生家、スケルタル・メイジ軍団、ファイア・ゴーレム、笑い続けるルイズ・フランソワーズを巻き込み、辺りの家々を片っ端からなぎ倒していったのである。


後に『タルブ事変』と呼ばれる、これら一連の同時多発事件―――
トリステインとアルビオンだけでなく、同盟国ゲルマニア、暗躍するガリア、そして魔道士<サモナー>、それぞれの運命の複雑に絡み合った出来事。
終結するまで、レコン=キスタとトリステイン双方に、おもに軍人、ときにトリステインの民間人にも、犠牲者を出すことになる。
だが、戦場となったタルブの村の村人は、奇跡的なことにほんの一人たりとも犠牲者を出さずに終わったそうな。





―――

時はすこし遡る。
タバサ、キュルケ、アニエスの三人は、シルフィードに乗って青空を飛び、前方を同じく竜に乗って飛ぶ<サモナー>を追いかけていた。

「気づかれた……来る、避けて」

タバサの言葉に、使い魔が反応して旋回をはじめる。
一条の電流が宙を走り、シルフィードをかすめ、はるか後方の森林に着弾し、木々をなぎ倒しこげ跡を作ってゆく。
十分に距離を取っているので、射線から少し避ければ『ライトニング』が命中することはないようだ。

「きゅいきゅい! きゅいきゅいきゅい!」

タバサの呪文で作られた水の膜が、直撃コースの電流を受け流し、防ぎきれなかった分をデルフリンガーが吸収する。
危険な空中戦に駆り出されてしまい、シルフィードはひどく不満そうだ。
勝算は無くもなかったので、相手が空に逃げたから追いかけてはみたものの、このままでは分が悪すぎるというものだ。
サラマンダーのフレイムは空中戦だと邪魔になってしまうので、学院に戻ってお留守番である。

「悔しいけど、なんか一方的に攻撃されてばかりよね……出直したほうがいいのかしら?」
「……そうするべき」

攻撃を担当していたキュルケは肩をすくめた。
もう少し待てば、王都からの竜騎士隊が合流するはずである。<サモナー>の打倒は、この国の軍人にとっても急務だからだ。
あの魔道士<サモナー>が何を企んでいるのかは、いまだ不明のままである。
だがあの男の狙いが何であれ、まったくろくなものではないことだけは確かである。ぜったいに野放しにはできない。

<サモナー>はいったいどんな魔法を使ったのか、ラ・ロシェール守備隊の風竜数匹を軽々と奪い取り引き連れて、タルブ方面へと飛んでいる。
村ではルイズ・フランソワーズが待ち受けてはいるが、どうにかして到着するまでに打倒したいところである。
だが、タバサたちが魔法の射程距離まで近づくと、相手の電撃魔法が、引き連れている風竜が、こちらをけん制してくるのだ。

「こんなことなら、ミス・ヴァリエールをこちらに連れて来れば良かったな……」

いったん地上に降り、去り行く風竜の一群を見送りながら、アニエスが言った。
キュルケはきょとんとした表情を見せる。

「えっ、何言ってるのよ……ルイズが居たら、あの状況をなんとか出来るっていうの?」

先ほどルイズ・フランソワーズは、タルブの村人を逃がすといい、枢機卿からの一筆を手に、ポータルで向こうに戻った。
居なくなった王女のことも心配ではあるが、先に杖に誓ってしまったシエスタのほうも、早いところ何とかしなければならなかったのである。
ルイズは『もう今すぐにでも、あっちに何かが起きそうな予感がするの』とも言っており、自分が行かなければならないのだという。

「可能……彼女は、敵の幻獣集団を同士討ちさせる呪いを使える」

答えたのはタバサだ。ルイズの身につけたラズマ秘術には、このような場合に役立つ『呪い(Curse)』がある。
それを聞いたキュルケは頬を膨らませ、たちまち不満顔になってしまう。
いくら<サモナー>のマナ・シールドが強力でも、たくさん魔法を空ぶらせ、何度も強力な攻撃を当てさえすれば倒すことだって可能なはずだった。
キュルケは誘導性をもつ強力な炎の魔法を放てるのだが、高速で逃げる風竜にたいして撃っても、まず当たらないものである。

「何よそれ! どこまで反則なのよあの子ってば……あーもう、なんか妬けちゃうわね……」

最近ルイズのライバルと名乗ることに、だんだん自信をもてなくなりつつある彼女である。
だからこそ、ここで魔道士<サモナー>を討ち取って、久々にルイズを見返してやろうというつもりもあったのだが。
せっかく高いお金を払って作ってもらった新しい杖だって持ってきたのに……と、キュルケは悔しそうに眉をしょんぼりとハの字にしていた。

- - -
キュルケの杖(Kirke's Magic Staff)
<リーフ>(RW Leaf)
TirRal(ティル + ラル)
ルーンワード発動ウォースタッフ
両手ダメージ:12-28
装備必要レベル:24 耐久値:50 ソケット2使用済み
打撃時に5-30の火炎ダメージ追加
+3 炎のスキルレベル
+1 メテオ(炎メイジオンリー)
+2 ファイアー・ボール(炎メイジオンリー)
+3 ファイアー・ボルト(炎メイジオンリー)
+3 インフェルノ(炎メイジオンリー)
+3 ウォームス(炎メイジオンリー)
敵を倒すたびに2ポイントのマナ回復
装備者のレベルに比例して2の防御力強化
+33% 冷気耐性

キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーにパーソナライズされている。
- - -

以前よりキュルケは、タバサの杖<メモリー>をそれはそれは羨ましがっており、何度もルイズに『あたしにもなんか作って頂戴』とおねだりしていた。
だけれど「適当な発動ベースが無いのよ」、とすげなく断られ、キュルケはひどくがっかりしていたものだ。

先日ようやく『宝探しツアー』で見つけたソケット付きの炎杖を、キュルケは「これ、あたしのよ!」と言い張った。
それは今まで愛用してきた短杖とはまるっきり違う、自分の背丈ほどもある大きな杖だった。
形は違うが大きさ的にタバサとお揃いのようで、なんとなく気に入ったものである。
そして貴重なルーン石だが、霊薬のせいで万年資金難のルイズには、相応の金額を支払うことで、なんとか譲ってもらうことができた。

ジグソーパズルを完成させるように、どきどきわくわくしながら、ルイズに教えられたとおりに石をソケットに入れる。
そしてじっくりと契約を済ませ、<RWリーフ>は立派なキュルケの杖となったのだ。

杖の他にもキュルケは、ルイズよりいくつか『高額の買い物』をしていたのだが、残念ながらこの場で役立つようなものでは無かった。

「きゅいきゅい、きゅい!」

さて、シルフィードが主にたいし、何かを伝えたがっているようだ。

(おねえさま、おねえさま)
(何?)
(あの風竜たち、普通じゃないの! なんかヘンな力で操られてるのよ!)

タバサは首をかしげた。
以前、ルイズから聞いていた話では、あの魔道士の扱う魔法にそんなものは無かったはずだ。
シルフィードはアニエスにばれないように、なおもひそひそと言葉を続ける。

(おねえさま、応援の竜騎士隊が来るって言ってたけど、来たら大変なの! たぶんドラゴンがみんな操られて、やられちゃうの!)

ごくり、と喉が鳴った。それは最悪の結果を引き起こすであろう。やってくる竜騎士隊は、この国の王都を守る虎の子でもあるからだ。
シルフィードは半泣きで続ける。

「さっき少し近づいたとき、わたしもちょっと危なかったのね! 急に『この人と戦ってはいけない』って、ヘンな気持ちになったの!」

大声である。
キュルケと話していたアニエスが驚いて、こちらに振り向いた。
タバサとシルフィードは、慌てるほかない。

「今の話し声は?」
「……腹話術」
「きゅいきゅい!」

アニエスは呆気に取られていたが、「内緒」と言われ、察してこっくりと頷いた。
タバサは事情を説明したあと、アニエスを指す。

「戻って王宮へ報告……<サモナー>に幻獣を近づけないように、乗っ取られる可能性があると」
「あ、ああ……了解した」

続いて、キュルケを指す。

「わたしたちはここより街道を戻り、先に竜騎士隊と合流、この情報を伝える」
「わかったわ、急ぎましょう」

タバサによって<タウン・ポータル>が開かれ、アニエスは『幽霊屋敷』へと戻っていった。
シルフィードに乗り、空を飛びながら、タバサはキュルケへと唐突に切り出した―――

「あなたの力を貸して」
「? ……急に何よ、こんなときに、あらたまって」
「わたしと母さまの命に関わる話……断じて他言無用、杖に誓って欲しい」
「……ま、いいけど。……はい誓うわ、それで何なのよ」

タバサは肩を少し震わせながら、語る。

「ガリア国王からわたしに、ルイズを拉致せよとの勅命が来た」
「はあーっ!?」

キュルケはあごが外れそうなほどに、口をぽかんと開くほかなかった。
条約の庇護のもとに置かれた留学生に、しかも己が姪にそんな裏仕事をさせるなど、ガリアの国王は気でも狂っているのではないか。
捨て駒もよいところ、いわば外道の所業である。
しかも、タバサにとって大切な友人のルイズを。
よりにもよって、大貴族ヴァリエール公爵家の三女、様々な意味でハイエンドな少女を。最悪の場合、ガリアはトリステインと戦争になりかねない。

とはいえ、雪風のタバサの所属する『北花壇騎士団』がそもそも表向き存在しない組織であり、このような裏仕事こそが本業であると言える。
今の今まで、直接トリステインを害するような指令の無かったことが、むしろ僥倖だったのだろう。

「この騒乱を……、いえ、違う、レコン=キスタそのものを、わたしの国が裏で糸を引いている可能性がある」

だからこそ、このタイミングで命令を発したのかもしれない―――

キュルケは、この国と、大切な友人ルイズとタバサの二人を巻き込む悲しい運命を想像し、涙が溢れそうになった。

タバサが突然『レビテーション』を唱えた。
そこでキュルケは自分がたった今、せっかくの新しい杖を手から取り落としていたことに気づいた。
シルフィードが旋回し、ゆっくりと落下してゆくキュルケの杖を拾いに戻ってゆく。

「幸いなことに、期限の指定は無かった……わたしはこの騒動による混乱を理由に、終わるまでしらばっくれることにする」

悲しみを瞳に宿し、タバサは語る。
キュルケは、今回タバサがルイズのそばに残りたがらなかった理由を知った。
いつものタバサなら、何を押してでもルイズの隣へと、彼女を守りに行くだろう、と思っていたからだ。

「だけど、わたしに翻意ありとみなされた場合、母さまが危険に晒される……わたしは、どうしたらいいのだろう」
「あなた……ああ、タバサ……!!」

胸が詰まる。
この世界をつつむ荒々しい運命の流れは、罪も無い小さな友人をここまで追い詰めて、いったい何をどうしたいというのだろうか。
タバサの小さな肩を、キュルケはそっと背後より抱きしめてやるほかなかった。

「誓うわ! 守るから! ……この先何があっても、あたしがあなたの心を守ってあげるから……!」

折れそうな親友の心が、かすかな震えとともに、キュルケへと痛いほどに伝わってきていた。



―――

そのころ……
アンリエッタ・ド・トリステインは、祖国よりはるか遠く、アルビオンのハヴィランド宮殿の一室に居た。
全く何の予兆もなく、気がついたらここに居たのである。
いつどうやって拉致されたのかも、まったくわからなかった。
先ほど皇帝クロムウェルが現れ会話をするまで、ここがアルビオンであることにすら気づかなかった。
トライアングル・メイジの彼女も、杖が無ければただの無力な少女である。

(これで、もうわたくしの国は、亡くなってしまうのでしょうか……)

天蓋付きのベッドに腰掛け、自分の国と母、枢機卿や王宮の人々、そしてアニエスや友人たち、幼馴染のルイズのことを思い出す。

(みんな大丈夫なのかしら……そして、わたしはこれから、どうなるのでしょう)

もはや同盟国ゲルマニアの皇帝と結婚することもないのだろうか、とも思う。
あの政略結婚は、ゲルマニアのみならずトリステインにも始祖の血を残そうという、マザリーニ渾身の一手であった。
あたかも己が身体を武器にするように、無理にでも王子をふたりつくり、その片方をトリステインの王座に付かせる予定だったのだ。
とある白髪の幼馴染は、『やればできます!!』と怪しげに励ましてくれていたものだ。

今、王女がここから帰れないかぎり、ゲルマニアとの縁組みも破談に終わるだろう。
その代わりに、もっとひどい相手と結婚させられるのかもしれない。

拉致される前、ここ毎日王女は、婚約者であるゲルマニア皇帝、アルブレヒト三世の肖像画を眺めるのが習慣となっていた。
策略と政略争いの果てに他者を蹴落とし、皇帝となった四十歳の男。
彼はどんなに凛々しく描かれようとも、アンリエッタの心を惹くような顔立ちではない。

さぞかし心の乾いた男なのだろう、と容易に想像できる。
今の地位を得るために親族を幽閉するのも辞さなかった、血も涙もなさそうな男だ。
それでも、生ある限り愛してみせよう、と思っていたものだ。

そのゲルマニアは、今回トリステインを襲った一大事に、動いてくれるのだろうか?
先ほどのクロムウェルいわく、王女がこの場にいる限り、そうなる可能性は皆無に近いのだという。

もし国へ帰ることが出来たら―――

もしゲルマニアが動いてトリステインを守ってくれていたら、喜んで結婚しようと思う。
そうでなければ……大いに嘆きながらも、やはり結婚することになるのだろうか?

(それだけは、ぜったいに嫌!)

心の底から鬱になるアンリエッタ王女であった。

さて―――

王女は辺りを見回す。
果たして、ここから逃げ出せるのだろうか。
小奇麗な部屋だが、窓には鉄格子。王族のような位の高いものを閉じ込めるために作られた牢のようだ。
この部屋から逃げ出したところで、ここは浮遊大陸。国に帰れるという保証もない。

そして部屋の中には、アンリエッタ一人というわけではない。
ドアの近くのソファーには、フードのついた黒いローブを着た少女が一人腰掛けている。
先ほどひとり部屋に入ってきて丁寧な挨拶をしてから、部屋にあったティーセットで、アンリエッタに紅茶を入れてくれた。

おそらく、平民ではないだろう。
身体に何か怪我を負っているのだろうか、かた足を少し引き摺り気味に歩いていた。
だが、どこかしらアニエスのような戦士の気配を、仕草からは貴族の気品を感じ取ることが出来る。

ここは敵地だ、アンリエッタは喉の渇きを覚えるが、部屋にある水差しの水にも、入れてもらった茶にも手をつけていない。
黒いローブの少女が「毒などは入っておりません」と自分で飲んで見せたのだが、手をつける気にはなれなかった。

自分と同じくらいの年齢だろうか……
ローブのフードの内側の顔だちはとても整っており、相当の美少女であるように思われた。

(……青い髪と目? ……どこかで、見たような)

確か、ルイズと仲の良い友人の雪風のタバサが、この少女と同じような青い瞳をしていたように思う。
ガリアからの留学生らしい、あの少女の出自もまた謎に包まれていたものだ。

「過去に、わたくしと会ったことがありますか?」
「ええ、かなり昔のことです、覚えておられないでしょう」
「あなたは、どなた?」
「名乗るのが遅れ、申し訳ありません……ガリア国王ジョゼフの娘、イザベラでございます。お久しゅうございます」

アンリエッタは、驚くほかない。

「どうしてここにいらっしゃるの? まさか、このたびの戦は、あなたがたガリアの差し金だとも言うのですか?」

アンリエッタと枢機卿は、以前、ニューカッスルの戦場にガリアの騎士が居たことをルイズより聞かされていた。
なので、大国の裏からの関与を疑っていたものである。

「いきなり失礼な言い方をなされるのですね……否定しても信じて頂けるとは思いませんが」

相手は首を振った。
事実、今回の開戦はアルビオン議会の上奏を受けて皇帝が承認したものである。
ガリアは軍を動かす様子もないし、中立の立場を崩していない。
イザベラは神聖アルビオン帝国に対する親善大使として、父王よりここに派遣されて来ているだけなのだと、アンリエッタに語った。

まったくもって怪しすぎるものだが、アルビオンの大使のような来賓は、トリステインにだって来ることもある。
言い分に不自然な点も少ないので、囚われの立場のアンリエッタは納得するほかない。
少なくともこの少女が自分の味方でないことだけは、確かであろうと思われる。

「このたびの戦の結果しだいでは、いずれわたしと貴女は末永き付き合いになることもあるでしょう」と青髪の彼女は言った。
もしもガリアが黒幕であり、この期におよんで自分の前に姿を現したのだとすれば、ぜったいに逃がすつもりは無いという意思の表明にちがいない。

「わたしのおともだちになってくださるの?」
「ええ、是非とも……」

さて、第三国のやんごとなき立場、彼女が囚われのアンリエッタを訪ねてきたのにも、理由があるという。

「どうか、いくつかの質問に、お答えになって頂きたいのです」

その質問とは―――
王女の自室に<ウェイ・ポイント>を設置したのは何者なのか。
トリスタニアでよく効く薬『マイナー・ヒーリング・ポーション』を流通させている者と同じか。
ニューカッスルにて魔道士<サモナー>を捕らえ、悪魔デュリエルを打ち破ったのは、何者か。

「あなた自身と、あなたの幼馴染にして使い魔、ヴァリエール公爵家のルイズ・フランソワーズに間違いありませんね?」

アンリエッタは、顔を青くする。
どうやら、この少女は多くのことを知っているらしい。
だが、王女たるアンリエッタのことを<虚無>のメイジだと、そしてルイズをその使い魔だと勘違いしているようにも思える。

「……答えなければ、わたしをどうなさるのです?」
「別に、何もいたしません……わたしはただの客分、あなたをどうこうするような気もありませんし、そのような立場でもありませんから」

青い目の少女は、口の端に微笑みを浮かべた。
その微笑で、アンリエッタは幼いころに王家の園遊会で会った、同年代の少女のことをおぼろげに思い出す。
そのときのガリア王女は、自分の従妹だという一人の明るく元気な少女を連れまわしていたような気もする。

「それに、もうひとつ質問があるのでした……ニューカッスルにいらした、ウェールズ王太子についてですが……」

そんな話をされて、アンリエッタは身を強張らせる。

「あの方は城の落ちる前に、なにかの強力な水魔法の薬でも、お飲みになられたのでしょうか?」

先ほど、クロムウェルからも、まったく同じことを問われたのである。
ああ、いったいどうしてそんな質問をするのだろうか?

「実は……ウェールズ殿下は、生きておられるのです」

ガリア王女のそんな一言が、アンリエッタを驚愕で打ちのめしていた。



―――

トリステイン魔法学院に、一隻のフネがやってきた。
そこから、杖をかまえたメイジが続々と降りてきた。
生徒たちはちょうど授業中であり、それぞれの科目の教室に集っていたものである。

すわ何事か、と誰もが焦った。だが、ほんの十数分もたたぬ間のことだった。
傭兵メイジ集団は白昼堂々と、警備の者や教師たちをたちまちのうちに蹴散らし、教室をひとつ占拠した。
男子生徒たちのなかでは、抵抗を試みる者もいたが―――

「ぐうっ!」ぼうぼうぼう!
「うわあっ!」……ぼうぼう!
「あぎゃーっ!!」……ぼぼぼうっ!

たちまち衝撃とともに、杖を持った手を炎が包み、いっさいの反撃を許されない。
火傷の痛みをこらえ放たれた攻撃も、相手には届かずに取り巻きメイジの魔法ではじかれてしまう。
メイジ集団はぞろぞろと、身体のどこかしらを焦がされた捕虜たちをひきつれ、次の教室、そのまた次の教室へと襲撃を繰り返してゆく。

「ひるむな闘え、生徒たちを解放するのだ!」

と、教師たちも奮闘するのだが……

―――ボオウッ!!

「おわあーっ!!」

彼らの身体は賊へと近づくだけで、突如虚空より出現した衝撃と炎に包まれ、全身に火傷を負ってしまう。
精神力を消費せず、呪文の詠唱すらもないそれは、不思議な炎―――メンヌヴィルの纏う『スキルレベル30 ホーリー・ファイア(Holy Fire Aura)』である。
とくに建物が火事になっているというわけでもないのに、杖と人体だけがぼうぼうと発火してゆき、あたりは阿鼻叫喚の灼熱地獄となってゆく。

「何だあいつは……まさか、エルフなのか?」
「いや、杖を持っているぞ……しかし炎のメイジが、あんな芸当を出来るのか?」

白炎のメンヌヴィルは、人の身体の焼ける匂いに、周囲の人間の体温が『怯え』を示すことに、ぞくぞくと背筋を振るわせる。
ここは王都から馬で三時間以上かかる距離、応援を呼ばれるころには、学院全体の占拠は完了していることだろう。
そして、たとえトリステインの誇る王宮魔法衛士隊が来たとて、返り討ちにする自信がある。
今回のように、相手が竜や大砲を引っ張り出してこない場合の対人ゲリラ戦におけるメンヌヴィル小隊は、無敵とまで言われている。

さて―――

メンヌヴィル小隊は、非常に連携の取れた一団である。
隊長以外は、とくに防御術に秀でた面子で構成されている。
数多の戦場で不敗を誇るその戦法は、至ってシンプル。

敵の攻撃を多人数の連携によりひたすら防ぎ、隊長さえ守り通せばよい―――あとはただ進軍するだけで、敵が勝手に焼かれてゆくのだ。
まるでみずから篝火に飛び込む、夏の虫のようにして。
彼らの突き進む戦場において、兵士たちの銃は命中する距離まで近づけずに片端から暴発させられ、メイジたちは詠唱する一切のチャンスを与えられない。

「よし、奴らは気づいていない……背後から攻め……うわーーっ、あちちちち!」
「グウッ、この程度、ミス・ツェルプストーに焼かれたときと比べれば……ぎゃあやっぱ無理ぃーー!!」

―――ズドドドドッ!
物陰から攻撃しようとしても、同様である。

「水をかぶって、風の魔法で冷やしながら……ひいいいい駄目だあぁ!」
「よし、土の壁を作って……あちゃちゃひゃあああ!」

魔法で炎を遮断しようとしても、不可能。
認識と詠唱によるタイムラグの存在しない自動発火攻撃の前に、あらゆる抵抗は無駄に終わる。

「ああっ、トライアングルの先生自慢のゴーレムが……メイジに殴られて壊れるなんて!」

苦労して懐に飛び込ませても、翼の笏杖『正義の手』が一閃し、殴られたゴーレムはなぜか凍結し動きをにぶらせ、炎のうちに砕けてゆく。
なんとまあ腕っ節までも強いらしい、白炎の男に隙はなかった。
トリステインの未来を担うはずのメイジが、有事の際は軍隊に入るであろう兵士の卵が、彼らに魔法の使い方を教える腕利きの教師までもが……
誰もがろくな抵抗も出来ないままに、身体のそこかしこを焼かれ、ばたばたと倒れ、拘束されてゆくほか無かった。

「わあっ、俺のラッキーが! ラッキーが焼かれた!」

飛ぶ鳥さえも、空中で焼き鳥になる勢いである。
近づくことも出来ず、遠くからおずおずと杖をかまえる教師たちに向かって、メンヌヴィルは通告する。

「無駄な抵抗はやめろ、杖を捨てるがいい。こちらには人質が居る……抵抗するたびに、女生徒から殺してゆくぞ」

……といったように、人質を取られてはうかつに手出しもできない。トリステイン魔法学院は、あっさりと陥落されてゆくほかない。
杖を奪われた捕虜は、食堂へと集められ、ひとまとめにされることとなった。
使用人たちが恐々と見守る中、やがて続々と連れ込まれてゆくその人数は、百五十人ちかくまで膨れ上がっていった。
何十人かは学院の外へと逃げられたようだが、これだけ人質を集めればもう、政治的カードとしては十分であろうと思われた。

この国でもなかなか過去に例を見ないほどの、最大規模の人質事件である。



さて―――

アルヴィーズの食堂いっぱいに、焦げ臭い匂いが漂っている。
泣き声とうめき声が、そこかしこで聞こえる。男の子も女の子も服はぼろぼろ、髪の毛もちりちりだ。

「喉を焼かなかった分、ありがたく思えよ」

と、見張り役の傭兵団のひとりが言った。
水のドットメイジの生徒数人に杖が返却され、監視つきではあるが、火傷を負った者を治療することが許された。
幸いなことに死者は出ていないようだが、予断を許さないほどの怪我を負った者もいるからだ。
だが外には、負傷し倒れたまま救助を待つ教師もいることだろう。
逃げることができたのか、それとも死んでしまったのだろうか―――と、誰もが、ここに居ない者の心配をしていた。

「ところで、『疾風の』は何処だ?」
「フィールドワークをするとか言って、一昨日風のようにふらりと出て行ったぞ」
「くっ、あいつめ、いらぬ時にばかり現れて、この肝心な時に居ないとは」

いや、まったく心配されていない者も居るようだ。
敗北した教師たちが、火傷の痛みを堪えながらそんな会話をし、悔しげにため息をついていた。
びいびい泣いている男子生徒も居れば、なにかの持病の発作を起こした女子生徒もいる。

「……なあレイナール、さっきの薬はもう無いのか?」
「すまない、僕の持っていた分は、全部使い切ってしまったよ」

まれに、ルイズや彼女の友人から<良く効く薬>を購入して所持していた者も居たようである。
眼鏡の少年は、自分の火傷の痛みをこらえつつ、重症の生徒へとその薬を分け与えたようだった。
生徒たちはひそひそと噂しあう……話題は自然と、この場にいない白いあの子、ゼロの少女についてのものになってゆく。

(おや、ゼロのルイズの奴が居ないな……まだアレは捕まっていないのか)
(それはちょうどいい、こいつら全員、ゼロのルイズに喰われてしまえばいいんだ……アレを見たら、きっとびびるぞ)
(うむ、ゼロのルイズが現れたら……くくくく、こいつらも、泣いて命乞いをするだろうな)

だがしかし、彼らの想像は、どんどんと最悪の方向へとエスカレートしてゆく。

(待て待て、ゼロのルイズが空気読まずに暴れたら、俺たち真っ先にこいつらに殺されるんじゃないのか?)
(ひえっ、くわばらくわばら……)
(いや、待てよ……待て待て待て、駄目だ、あっちに味方する可能性もあるぞ!)

ああ、ありありとイメージできるではないか―――!!

『まあ素敵! 死体をたくさん増やしてくださるのね! さあ遠慮なくどんどんやってちょうだい!』
『応! がはははは!』

少年たちは自分たちの想像のあまりの恐ろしさに、ぶるぶると震えている。

『ちょっと何ちんたらヌルいことやってんのよ! いい? 私がお手本をみせたげるわ―――こうやんのよッ(Walk This Way)!!』
『ひいっ! す、すんませんでした……』

いまのところ、彼らの想像のなかの恐怖の度合いは『白炎<<<ルイズ』のようである。

(なんてこった、ありうる、ありうるぞ……!!)

ざわ…… ざわ……
一方、メンヌヴィル小隊の見張りメイジたちは、生徒たちのあまりの怯えっぷりに微妙に退いていた。

「おい、どうしたお前ら、何をひそひそとくっちゃべってやがる」
「終わりだ……」
「あ、アイツが来たら終わりだ、ぼくたちも、あんたらも!」
「……おい聞き捨てならんぞ、何だ、あいつとは?」
「口にするのもはばかられるアイツだよ!!」
「いいから話せ!」

傭兵たちは、生徒たちの語るゼロのルイズの噂をさんざん聞かされ、背筋を震わせる羽目になるのであった。
『火竜を踊り食いした』だの『ドラゴンは好きです、でも人の死体の方がもっと好きです』だの聞かされれば、嫌な想像はどんどん膨らんでしまうものだ。
とどめに『始祖の祝福を受けた聖なるハンマーで額の<第三の目>を潰さなければ滅びない』ときては、もう怯えるほかない。

「そ、そんなバケモンがここに居やがるのか……油断がならねえな」
「おい、隊長は大丈夫なのか……火竜が主食だっつうなら、皮衣を着てる隊長も火竜と似たようなもん(Dragoon)だ、あぶねえぞ?」

現在、白炎の男は数人の部下をひきつれ、本塔へと学院長オールド・オスマンの身柄を押さえに行っている。
隊長が出て行ってから、もう二十分ほどは経っただろうか。

「隊長、遅いな……」
「うむ、何か嫌な予感がするな……まさか、『ゼロのルイズ』とやらに喰われたのか?」
「ああ、無事でいてくだせえ……」

この場を任された傭兵たちも、なにか言い知れぬ不安をつのらせていた。
囚われの生徒の一人が、食堂の入り口に目をやる。

「おや……誰だろう、あの子は」
「あんな子、うちの学校に居たかな?」

背中に杖を突きつけられて、一人の髪の長い少女が入ってきたのだった。
彼女も体中焼け焦げだらけではあるが、手には杖を持っている。
彼女の操る二体のゴーレムが、倒れた数人の教師たちの体と、大きなかばんをひとつ運んできたようだ。

「二十五人分の秘薬を持ってきました……どうか、怪我の重い方から、治療をさせてください」

ゴーレムを操って教師たちの体をそっと下ろし、彼女―――ガリア貴族の娘リュリュは、侵略者へと許可を取る。
三日後に自国へと送り、知り合いの商人へと卸す予定だった『ヒーリング・ポーション』を、こちらへと持ってきたのであった。
待ち望んでいた治療薬の到着に、食堂のそこかしこで歓声が上がった。

(ミスタ・コルベール、どうかご無事で……)

リュリュは残してきてしまった教師のことを想い、上を向いて、涙をこらえていた。




―――

そのころの、タルブの村。
炎のゴーレムが一体、黙々と瓦礫の撤去作業をしている。頑丈なゴーレムは火事の火を吸収して、自動修復を終えたのだ。
ドクロのヘルメットを被った少女がひょっこりと、瓦礫の山から顔を出す。

「あちちち……まさかフネに轢かれるなんて、ほんと人生何があるかわからないのね」

ルイズ・フランソワーズはのそのそと這い出し、「ありがとゴーレムちゃん」と言った。
崩れて燃える家々を悲しげな目で見やってから、へたりと座り込む。
ガイコツ兜を脱いで、『ヒーリング・ポーション』を飲み下し、打ち身すり傷や火傷を治療してから、体中についた煤をぱんぱんと手で払う。

「はあ、死ぬかと思ったわ……」
「ちょっと待った! 『死ぬかと思った』じゃないだろう! おかしい、おかしいぞ! どうして今ので生きているのかねきみは!」
「えっ?」

そこへ息せき切って駆け寄ってきて盛大にツッコミを入れたのは、青銅のギーシュであった。

「あんたこそ何でここに居んのよ、モンモランシーに付いてなくていいの?」

ルイズは訝しげに彼を見やる。彼はとたんにくしゃくしゃと、顔をゆがめて答える。

「何だねその言い方は! いつまで経ってもきみが逃げてこないから、心配して様子を見に来たんじゃないか!」

難民となった村人たち、およびモンモランシーとシエスタのところには、領主アストン伯の派遣したメイジ数人と、疾風のギトーが付いているという。
ギーシュは領主の所から戻り、ルイズが難民のなかに居ないことを心配し、慌ててこちらへと来てくれたのだそうな。

「あら心配してくれたのね、嬉しいわギーシュ」
「そ、それだけかルイズ! これほど心配させておいて、それだけなのかね! 泣いたんだぞ僕は!」

彼はひどく怒っているようだった。

「ぼ、ぼぼ僕ぁねえ、巨大なフネが落ちてきてきみを弾き飛ばすのを見たんだっ! 他でもないきみがね、し、しし死んでしまったのではないかと!」
「わわ、わわわ……やめてやめて! 生きてる、生きてるからっ!」
「本当かね、血まみれじゃないか! それに、きみはいつ見ても、たいてい生きてるのか死んでるのか解らない顔色をしているんだよ!」

襟首をかくんかくんと揺さぶられ、ルイズは目を回しかけた。

「これ血じゃないし……いちおう、心臓、ちゃんと動いてるわよ……確かめてみる?」
「うむ、そうしよう! では失礼して……」

グローブをはずし差し出された白い手をスルーして、ルイズのおっぱいをフニフニとするギーシュ。

「ふむ、あまりやわらかくない。皮のベストが邪魔だな、さあ脱ぎたまえ」
「手首の脈の話なのに」
「えっ!? ……あ、ああ、結構! もう解ったよルイズ、実に結構、きみは生きている!」

ギーシュはルイズの隣に腰を下ろし、はーっとため息をついた。

「ところで、きみはミスタ・ギトーからも、逃げろと言われていたのだろう、どうしてここに残っているんだい」
「どうしてもなにも、人が残ってないかどうか確認してたのよ」

ルイズは、生命反応を探知可能な使い魔『ボーン・スピリット』を飛ばし、逃げ遅れた人が居ないかどうかを確かめて回っていたのだという。
実のところそれだけでなく、彼女がここに残り続ける選択をしたのには、別の大きな理由があるようだ。しかし、それを伝えたところで、納得してもらえる自信も無かった。

「きみは馬鹿か! それならそれで、あんな場面で、どうして退避しようとしなかったのかね!」
「……そ、それは」

ルイズはおずおずと、ベストの内ポケットからひとつの人形を取り出した。ギーシュはそれを見て、目を丸くした。
シエスタが気絶した際に落としていった、黒髪の剣士の人形である。
彼女がとても大切にしていたこれが、遠くの地面に落ちていたのを見つけてしまい、拾いにいっているうちに逃げ遅れたのだという。

「ああルイズ、きみってやつは、きみってやつは……」

ギーシュは心底呆れたような、それでいて何か溢れそうな胸のうちを堪えるような、何ともいえない表情になる。

「はあ、なんにせよ生きていてくれて、嬉しいよ」
「はうっ……う、うん、ありがと」

顔がとても近かったので、ルイズは照れて、頬を染めた。ちょっぴり胸がどきどき。

「あれに巻き込まれて生きているとは、きみはやはり噂の通り、人間ではないのかね?」
「なによ失礼ね!」

ルイズの纏う魔法のバリア、『骨の鎧(Bone Aromor)』は、攻撃を受けたとき砕け散ることで、物理的なダメージを虚空に散らす仕組みになっている。
普通は数度の攻撃を受けるたびに張りなおさなければならないが、うまくやれば一撃だけオーバーキル級のダメージすら逸らせることができるという。(旧Ver.仕様)
物理的な打撃は防げても、強力な攻撃が複数回来た場合には対処しにくい。
通常の鎧で防げるような風の刃や石つぶて以外の大抵の魔法を素通りさせてしまうのも、弱点といえば弱点なのだが。

「……うむ、さあ、気が済んだのならはやく、みんなのところへ帰ろうではないか」

立ち上がったギーシュはルイズの小さくてひんやりとした手をつかんで、歩き出そうとした。
でも、ルイズが動かないので、ギーシュは顔をしかめた。

「どうしたのかね? ここは、もうすぐ戦場になるという話なんだろう? だから……」
「うん、だから、残んなきゃいけないのよ……せっかく来てくれたのに、ごめんねギーシュ。モンモランシー達に会ったら、よろしく伝えてちょうだい」
「駄目だ、僕はきみを連れ戻しにきたんだよ!」

しばらく、帰ろう、帰らないわ、の言い合いとなる二人である。

「きみ一人ここに残って、どうなると言うのかね!?」
「解んない、解んないけど、残んなきゃなんないの!」
「……それは、きみのよく話す、運命とやらの話かね?」
「そうよ、もうすぐ何かヘンなのが来るのよここに!」

ギーシュは全く納得がいかない、といったこわばった表情をしていたが……やがて、地面にどっかりと胡坐をかいて座った。

「そうかい解ったとも! ならば、このギーシュ・ド・グラモンも残らせてもらおう!」

ルイズは慌てて目を大きく見開いた。

「だ、駄目よギーシュ、あんたに何かあったら、モンモランシーに顔向けできないじゃない!」
「それはきみにも言えることさ! この僕が、きみのような女の子をひとり残していけるとでも思っているのかね? 見損なわないでもらいたい!」

ルイズは、この異性の友人ギーシュ・ド・グラモンのことがわりと好きである。彼はルイズの好みのタイプではないようだが顔はよく、人柄も悪くない。
恋愛感情こそ抱いておらずとも、同年代の異性で、ルイズに普通によき友人として接してくれるのは、いまのところ彼一人だけなのだ。
よくよく服の趣味の悪さと浮気癖が欠点だと言われるが、服の趣味にかけてはルイズのほうがよほど常軌を逸しているものだ。
なにしろさっきまでの彼女は、おどろおどろしい魔獣の頭蓋骨製のかぶと(Bone Helm)を被っていたのだし。

「気に喰わないなら、実力行使でも何でもするがいいさ! ああ、僕はきみをひどいやつと呼ぶだろうがね!」

ギーシュは腕を組んで、そう叫んだ。
ルイズはどきどきと鳴る胸のうちを隠し、ツヤの消えた瞳で、そんなギーシュを見つめていた。

「……はっきり言うわ、あんた邪魔。ドットメイジが一人いたところで、足手まといなのよ」

嘘である。本心は、ギーシュのことが頼もしくて頼もしくて仕方が無いのだ。
アンリエッタ王女のことも、タバサとキュルケとアニエスのことも、心配でたまらないルイズ。
このまま一人で居たら、あまりの心細さに、どうにかなってしまいそうでもあった。
ギーシュは目を見開いてわなわなとしている……本当にごめんなさい、と、魔法を侮辱されることの辛さ悲しさを知る少女は心のうちでつぶやく。

「ぐっ……ああ、よく解ったよ、きみはじつにひどいやつだ! だがそんなことを言われたって、僕は帰らないからな!」
「何でよ! さっさと帰りなさいよ! ……そうだ、あなた今すぐ、このお人形さんをシエスタに届けてあげてよ!」

押し付けられた人形を、ギーシュは顔を憤慨に赤く染めてつき返した。

「きみが自分で届けたまえ! そもそも最初に力を貸してくれと頼んできたのは、きみだろう! 僕は杖に誓ったんだ!」
「もう貸してもらったわよ、お礼を言うわ! でもそれはここの村人を逃がすまでの話で……これからは私の戦いなの!」
「ああ! きみのことだから、これからの戦いはきっと、この国にとって大事な戦いなんだろうさ! ならばますます、僕が参加しない理由は無いのだよ!」

煙たなびくタルブの空に、しばらくの間、少年少女のけんかの声がこだましていた。


やがて―――
体育座りで膝をかかえながら、ルイズは疲れたように、ぽつりと言う。

「ほんと、困るのよぅ……」
「……どういう意味だい?」
「実は私さ、『あなたとなるべく二人きりにならない』って、モンモランシーと約束してんの」

それを聞いて、ギーシュは目を丸くしたが、やがて優しく微笑み、答える。

「おや、それは初耳だけれど……ルイズ、これが終わったらきみと二人で、彼女に沢山ごめんなさいすることにしよう」
「もう……」

結局、ルイズは折れるほかなかった。
コモン・マジックすら使えない自分には誰かの助力が必要だとも思われたし、なにより、いまのところ彼に死相は見られない。
このところ彼のまとう運気は、傍に居る人を巻き込むほどに、絶好調。相当な無茶をしないかぎり、大丈夫だろうと思われたからだ。
ルイズは彼の心遣いをとてもとても嬉しく思うが、同時に複雑な気持ちにもなってしまうものだ。

「ねえギーシュ、あなたこれ以上カッコイイ台詞言うの禁止ね」
「は? むう……きみはいつも唐突にヘンなことを言うなあ」

年若き少年少女は顔を見合わせ、苦笑しあった。
これからどんな恐ろしいものが来るのか、解らない。
ルイズ・フランソワーズが他のどの場所へも向かわず、この場に残ったのは、他でもない一冊の本にまつわる大きな理由があるのだ。

「……あなたと私がロマンスしちゃうとか、なんだかねえ……はあー」
「何を言う! きみとならトリステイン貴族の名にかけて大歓迎だよ! 薔薇はだね、きみのように美しき女性のために……」
「ごめんね、ストップ。私はモンモランシーを刺したくないの」

大きくため息をつき、ルイズはにっこりと微笑みながら、そう言った。
口説かれたことについては、ちょっとだけ嬉しくも感じていた。
でもルイズは彼への恋愛感情を持ってはいないし、大切な友人の恋人を取るつもりもないので、はっきりさせておかなければならない。

「ちょ、ちょっと待ちたまえ! きみが刺すほうなのかね?」
「どうかしら? ウフフフ……タバサもキュルケもシエスタも姫さまも、みんなみんな泣いている未来よ。私以外、誰ひとり幸せにはなれないわ」

ギーシュは自分が浮気な選択をした結果に現実となるであろう、そんな悪夢のような光景を、ありありと想像することができたようだ。

「……そ、そうかね……うむ、確かにそれは、もっともだ……気をつけることにするよ」

たちまち顔を青くして冷や汗をながし、自分の胸に手を当てて、何度も何度も頷くほかなかったそうな。




さて―――

「……それにしても、見事なゴーレムだなあ、やあ格好よい、惚れ惚れするよ」
「ありがと。いっぱい修行して、こないだようやく作れるようになったのよ……あなたみたいに、同時に複数のゴーレムを使役するのは、私にはどう頑張っても無理なんだけど」

ルイズは鞄からひと塊のパンを取り出して、ファイア・ゴーレムの体に近づけてあぶりはじめた。

「何をしているのかね?」
「わたしのお昼ごはん……美味しい豆パン。二個あるんだけど、あなたもいっこ食べる?」

ギーシュは辺りを見回して、げっそりとした表情になった。
さきほど落下してきたフネの搭乗員らしい黒こげの死体やそのパーツが、そこかしこに転がっているからだ。

「いや、結構……きみはよくもまあ平気で、こんなところで食事できるなあ」
「? ……そういえば、そうね……でもお腹がすいたら、戦はできないわ」

空きっ腹にマナ・ポーションはキツいのである。
はむはむとパンをほお張りながら、ルイズは『始祖の祈祷書』を開いて見る。
だが、虚無の系統の呪文を与えるはずの古い本には、未だに何の変化も見られない。
きちんと水のルビーもつけているのに、白紙のままだ。

(おかしいわ……使い手が大ピンチになったら、自動的に呪文が現れるんじゃないのかしら?)

デルフリンガーの言によると、虚無の呪文は、必要なときにしか現れないのだという。
そして<ミョズニトニルン>で読み取った説明と合わせて鑑みれば、もうルイズには読めてもおかしくない頃合である。
姫を連れ去られた今の時分で、もう十分どころか十二分なほどにルイズはピンチに追い込まれているからだ。
駄目押しとばかりに、占いの結果『この国のなかで、自分がいちばんピンチな状況に追い込まれそうな場所』に、わざわざこうして陣取っているというのに。

(……そもそも<虚無の系統>って何なのかしら?)

思えば、おかしな話である。
おおきな力を得たら、<虚無の使い手>もまた貴族であるかぎり、自分の国や大切な人を守るために、その力を振るうことだろう。
ならば、国同士がいさかいを起こした場合、双方の国の<使い手>が争う場面すら出てくるはずだ。国のピンチは、敵国の人を打倒したいという思いに繋がる。
その程度―――悪魔相手ではなく、よくある人間同士の戦いという意味での―――でいちいち虚無が発動していたのなら、いずれは虚無同士の潰しあいにエスカレートしてしまうことだろう。

それでは、何のための虚無なのだろうか。
王家の血筋に虚無を与えたのは、王族の権威を保つためなのかもしれない。
虚無と秘宝を四つの王家へと分けたのは、ひとつの国に力が集中しないよう、国同士のパワーバランスを取るためだろうか。
いずれにせよ、どこかひとつの王家が秘密に気づけば、世界中の虚無を独占しようと暗躍することになりかねない。
ときに悲劇さえ含むであろう、それらの争いすらも、未来における何らかの大きな脅威にたいする事前準備であり、始祖の狙いに違わぬものなのだろうか?
もしそうだとしても、世界のありようをかたち作る大いなる意思というものは大抵、そういう解りにくいものである。人はそれに乗ることも逆らうことも自由だ。
度を越えたゆがみを生命のバランスに与えないかぎり、ラズマ尼僧としてのルイズも、今のところとくにそこに文句は無いのだが……

(どうして私なのかしら……私には、宇宙の理には触れられても、この世界の大局なんてわかんないのに……)

ルイズ・フランソワーズは、異教ラズマの見習い聖職者である。
ラズマの徒は、ひとりひとりが直接<存在の偉大なる円環>と触れ合って生きている。
信徒たちはそれを通じて、生まれ、愛し合い、死に、ときに争い殺しあっていてさえも、心の奥底で、偉大なる運命の流れにおいて繋がりあっているのだそうな。

世界の大局は目に見える『利』に、宇宙の理は決して目に見えぬ『幸』を基準としている。
後者は直接見えないからこそ、得てして前者の基準で計られるものだ。
通常の人は、後者や『運命』といった、あいまいで理解できないものによって繋がる者たちを指して『狂信者』と呼ぶものである。

さて、ルイズは生まれたときより籍のあるブリミル教を、その始祖のことを信じていないわけではない。
天使と司教が神格と認めており、<ミョズニトニルン>のルーンを与えてくれた神だ、むしろ大いに感謝していたりさえする。
彼が過去にどのような人間だったのかは、どうでもよいことである。積み重ねられた信仰がひと柱の神を創るのだ。

(もしかして……私のことを、ブリミル教徒じゃないって判断したから、……始祖さまは、虚無の呪文を与えてくれないの?)

口の中に豆パンを含んだまま、もぐもぐと咀嚼しながら、ルイズはぼんやりと白紙の本を眺めていた。

(パンが美味しくて、心が満たされちゃってるから? もしかして私ってば、心の奥底では、国のことなんてどうでも良いのかしら?)

解らないことばかりである。
今の自分を成り立たせているいろいろなことを疑ってしまえば、そこから心ががらがらと崩れていってしまいそうな気分になる。
始祖のルーンを身に付けてよりこのかた、『自分にはけっこう即物的なところがある』というのが、彼女の自覚している欠点でもある。
裏を返せば、ラズマの教えに染まって、些細なことにさえ大きな生きる喜びを見出せるようになった、という成長とも言えることなのだが。

(隣にギーシュが居てくれてるから? やっぱり一人にならないと駄目なのかしら……実力行使してでも帰すべきなの?)

ルイズは想像する。
もし今ここにギーシュではなく、アルビオンの時のようにタバサとキュルケが居てくれていたら……どうなったのだろうか。
もっとたくさんの勇気を与えてくれて、自分はこんな風に思い悩むこともなく、強き心でひたすらに前へと突き進んでゆけるのだろうか?
想像はどんどんわき道へとそれて行く。

(……あれ? 今、ちょっとなんか、解りかけたような)

そんな風に、答えの糸口を掴んだような気がしたときのことである。

「おいルイズ、ルイズ!」
「ふぁひ?」

気づけば、ギーシュがルイズの肩をゆさぶっていた。

「何か来たぞ、あれがきみの言っていたヘンなやつかね? 敵なのかね?」

炎くすぶる煙の向こうから、黒い影がいくつも現れ、こちらへと近づいてきた。
二十数人ほどの集団だ。ルイズはひと目見て解ったが、おそらく、全員人ならざるものである。
その先頭を歩く一人の格好に、ルイズは見覚えがあった。

大柄な体躯を、重厚な黒い鎧が隙間無く覆っている。
剣を背負い、金の縁取りのされた巨大な『破壊不能の盾』を帯びている。
禍々しい造形の、四本の角がついた黒いフルフェイスメット。
彼が何者であるのか、ルイズ・フランソワーズはよく知っている。

「―――ふぃふぃひゃ!」
「何か喋るなら、まずは口の中のものを飲み込みたまえ!」

ギーシュにそう突っ込まれたが、食べ物を残すことに悲しみを覚えるルイズである。
見知った騎士らが近くに来るまでの間に、ぱくぱくと急いでパンを食べ終えるのであった。



―――

剣士アニエスが<サモナー>に関する新情報を得て、王宮への報告を行い、『幽霊屋敷』へと戻ってきたときのことだった。

(むっ……ポータルが全て消えているな)

こういった場合は、ここで待機しなければならない。
ゼロのルイズ、雪風のタバサのどちらかがポータルを開いてくれたら、即座にそちらへと加勢に行くことになるだろう。
自分はある意味彼女らの切り札ともなりうる魔法吸収の剣、『デルフリンガー』を背負ったままだからだ。いずれの戦場に自分と剣が必要となるのか、まだ解らない。

「おい姉ちゃん、何だか様子がおかしいぞ」
「……ああ」

アニエスは、学院を包む不穏な空気に気が付いた。嫌いで嫌いでしかたない、火の匂いがあちらこちらから漂ってくるのだ。
王宮に飛んで帰ってくるまで、ほんの二十分くらいしか経っていないというのに……
何より、先ほどまで裏庭に居たはずの教師ジャン・コルベールと居候リュリュ嬢の姿が見えないのだ。
テーブルはひっくり返り、焼け焦げている。地面には茶器が散乱している。

ルイズの飼っていた毒蛇が、ケージの中で焼け死んでいた。

キュルケの使い魔、サラマンダーのフレイムが、庭の隅にうずくまっていた。
アニエスを見ると、きゅるきゅる、と鳴いた。のそりと立ち上がって、ついてこい、と言わんばかりに首で促した。
フレイムに付いてゆくと、『幽霊屋敷』の屋根から、なにやらイタチのような生き物が数匹、ぴょんと飛び降りてきた。

「何だ?」
「……古代幻獣の<エコー>だ、近くの森に住んでいて、よくここの天井裏に遊びに来ている。何やら伝えてえことがあるみてえだな」

そのうちの一匹が、アニエスの手に飛び乗ると、ぼん、と変化する。
一枚の石版のようだ。

『こにんさわ』
『はじめまして、あにえす』

そこに、つたなくもハルケギニア語の文字が浮かび上がってくる。アニエスは驚いた。

『てきがきてる、たくちん、きおつけろ』
『わるいやつ』
『こわい』
『でも、てきい、もっさゃ、だめ』

どういう意味なのだろうか、とアニエスは不思議に思うほかない。

『てきい、ちつい、もつと、やかれるぞ、いたくてあついぞ』

<エコー>とやらの変化した石版は、そのようなメッセージを繰り返し浮かべるばかりだった。
アニエスは、こちらから質問したら答えてくれるのだろうか、と思った。

「……ここにいたミスタ・コルベールや、リュリュ嬢はどこへ行った?」
『せんせ、たたかてる。るる、こうちんし、つかまった』

戦っている?
たった今得た情報を総合するに、この学院に何者かが襲撃してきているらしい。
現在コルベールが交戦中であり、リュリュは降参して捕まった、と解釈できる。

「……その相手にたいし、敵意や殺意を持ってはいけないということか? 持ったとたん、焼かれるのか」

以前火竜山脈にて、似たような反則魔法を受けたことのあるアニエスである。飲み込みもはやかった。

『そのとうり、あにえす、かしこい』
「そうか、貴重な情報を提供してくれたことに、心から感謝する」
『かんしゃするなら、こんど、べりいぱいたくちん、もってこい』

妙にえらそうな態度だったが、アニエスにそれを不快に思っているような暇は無い。
手の中の石版は、そう伝えた直後、もとのイタチのような生き物に戻って、走り去っていった。
最後のメッセージの意味が解らず首をひねるアニエスに、デルフリンガーが補足する。

「……白髪の娘っ子と好物がかぶってるんだよ、いつも一切れしか分けてもらえねえからって、あいつらきいきいうるせえんだ」

どうやら、感謝の印にクックベリーパイをもってこい、という要求だったらしい。
とりあえず、彼らの伝えたい情報は理解できたように思う。

「まあ、パイは経費で落とそう……そして私は、今からミスタ・コルベールの援護に行くべきらしい」
「おっと、耐火装備してゆけよ。敵は炎の使い手らしいぜ」

コルベールのところへは、どうやらフレイムが案内してくれるようだ。
アニエスは、デルフリンガーを持っている。魔法吸収の剣がこの手にあるなら、そこらのメイジ相手には負けない自信もあった。
ポケットをあさって、炎レジストの上がるガーネット・リングを二つ取り出し、左右の指にはめる。
あとはコルベール謹製の耐火ローブを着れば、レジスト値は60%にまで上昇する。
これだけ耐性を稼げば、ドットやラインクラスの放つ炎の矢くらいなら、笑って耐えられることだろう。

(王宮のウェイ・ポイントから宿舎まで、全力で走って五分……あの剣を取ってくるべきか?)

先日ルイズに改造してもらった『炎の剣』を装備すれば、耐火ローブを着なくとも、レジストは最大の75%となるだろう。
だが……出張の際に一度、オーク鬼相手のときに使ったきり、あの剣はいちど手入れをしたまま宿舎におきっぱなしである。
毎度ルイズから渋られながらも貸してもらっているデルフリンガーが便利すぎるので、いつもかさばるあれの出番が無いのだ。




さて―――

アニエスの胸に不安がよぎる。
さっき<エコー>は、敵意や殺意を持って相対してはならない、と繰り返し言っていた。それは、考慮に値する情報である。

(敵と遭遇したときに、敵意や殺意なしに戦うということなど、果たして可能なのだろうか?)

そんなこと出来るはずがないだろう、と彼女は思う。
とくに炎のメイジと相対したときなど、少なくとも七回殺しておつりが来るほどの敵意や殺気を抱く自信があったからだ。
ならば、多少はこの身を焼かれることも、覚悟してゆかねばならないのかもしれない。

「おい、行くんじゃねえのか?」
「待て、焦るな。……やはり、先にこの件を王宮に報告しておかなければならん。今の私は剣士としてより、伝令として役にたっているのだからな」

アニエスは鞄より<スタミナ・ポーション>の試験管を取り出しながら、<ウェイ・ポイント>へと駆け戻っていった。




―――


トリステイン竜騎士隊と合流し、タバサとキュルケは<サモナー>の飛んでいった方向、タルブを目指して飛んでいた。

「他国から来たうら若き娘御たちが、これほどわが国のために動いてくれているというのに、我らが呆けてはおられぬ!」

と、国を守る男たちは気合十分である。
同盟国ゲルマニアから来た少女、キュルケが投げキッスを飛ばすと、男たちは杖を振り上げ歓声を上げる。

「うーん、素敵だわ! この国の男のヒトたちって堅物ばかりだと思ってたけど、なかなかノリもいいじゃない」

<サモナー>に接近する前に、そこでいちど竜を降りて進軍してでも、あの男を止めなければならない。
竜騎士が竜から降りざるを得ないのは、断腸の決断である。相手が上空から攻撃してくるなら、厳しい戦いとなるだろう。
しかし近づけば操られ奪われる危険がある以上、竜は足と割り切るほかない。今のところ、こちらの利は人数しかないからだ。
彼らは誇り高き貴族であり、たとえ竜から降りても一流とよばれる魔法の使い手たちなのである。

このまま行けば、村でルイズ・フランソワーズと合流することになるのかもしれない。
だが、タバサは浮かない顔をしている。
いまルイズの隣に立つ選択をした場合、『拉致せよ』という勅命にたいする不作為を問責されかねないからだ。

雪風のタバサは、友人ルイズのことを心配に思う。彼女は『私もすぐ逃げるから、心配しないで』と言っていた。だが、おそらく嘘だろうと思われる。
ギトー、モンモランシーやギーシュ、シエスタと一緒に、あの村から逃げだしていてくれればいいのだが。
同時に、実家の母のことも心配でたまらない。

不安が尽きない。どこかで、あるいは『遠見の鏡』のようなもので、ガリア国王の手のものが自分を監視しているのではないか。
自分が叔父ジョゼフに従わない素振りを見せたら、たちまち母は、彼の手にかかるのではないか。
今すぐ自分は母の元へ飛んでゆくべきなのではないか。

そんな深い悲しみと揺れる気持ちを抱きつつも、シルフィードを飛ばしていたときのことだった。

「何か居るわ……光ってるのが見えない?」

煙の上がっているタルブの村の方向、自分たちの進路上に、いくつものゆらゆらと陽炎のような白い光が浮かんでいる。

「怖いのね、危ないのねおねえさま、きゅい! あれは、あれはね……」
「知っているの? シルフィード」

キュルケが問いかける。
十数個のゆらめく幽玄の炎、それぞれの白い輝きの中には、うすぼんやりと黒い影……

「きゅいきゅい! あれは……なんでしょう?」とシルフィード。
「何だ知らないのね……お化けかしら?」とキュルケ。

タバサの顔から血の気が引いた。だが、幸いなことに、平静を失うほどの恐怖には至らない。
もっと恐ろしい友人を、彼女は知っていたからだ。

「知らないけどね、あのね、雰囲気がね、ルイズさまの使い魔のヒトダマと、すごく似てるの……」

そして真の恐怖は、直後にやってくる―――

「シルフィード、回避」

タバサは上ずった声で、使い魔へと命令を下す。
間一髪であった。

空気が乾燥する。耳の奥がキーンと鳴るような感覚のあと……

バ バ バ バ ―――

半ば空に溶け込む無数の陽炎から、こちらに向かって、いっせいに強烈な電光の帯が放たれたのだった。

―――があ、あ、あああ!!

ちょうど斜め先方を飛んでいた竜騎士が一騎、極限まで収束された幾条もの電光の集中砲火を浴びて、人も竜も黒こげになって落下していった。
風に混じったオゾンの匂いが鼻をつく。
タバサとキュルケの顔面は青一色に染まり、全身はこわばり、背筋は冷たい汗でぐっしょりと湿っていた。

どうやら彼女たちは、他の誰を心配するよりも先に、自分たちの命の心配をしなければならないようだ。

「きゅいきゅいきゅい!」

シルフィードが泣きわめく。
落とされぬよう、前に乗っているタバサの背中にキュルケがしがみ付くと、マントと髪の毛にばちばちと静電気が走った。
タバサの短く青い髪の毛が、もう面白いほどに逆立っていた。文字通り、総毛だったのだ。

『散開! 散開して反撃しろ!』

竜騎士隊の小隊長が、風の伝令魔法に乗せて、声をからして叫ぶ。
死の招雷は一撃では終わらない。ズ バ バ バ―――
第二射、第三射、第四射……収束する雷の光線が、長く長く太く、矢継ぎ早に宙を走る。

「っ、ぐああっ!!」

叫び声があがる。一騎が感電し、もう一騎が翼を焼かれ、森へと落下していった。
長年にわたって修練してきた王国のメイジたちの誇りと技とが、まるで児戯のようにあっさりと否定された瞬間であった。
ふっ、と陽炎の群れが消え去る……そして、数秒ほどの静寂のあと、ふたたび別の場所へと出現し、一斉射撃が放たれる―――

(何よ今の、テレポートしたの!?)

キュルケは戦慄する。
今度は、十数条の電光の帯がおりなす即死の網が、まるで死刑囚を閉じ込める牢獄の鉄格子のように、空飛ぶドラゴンライダーたちを襲う。
竜が傷つき飛べなくなったからといって<フライ>や<レビテーション>で脱出しても、待っているのは集中砲火の感電死だ。

カ カ カアッ―――ドオッ

シルフィードのすぐそばを、一匹のドラゴンの断末魔が、ドップラー効果をあらわしながら地表へとむけて遠ざかっていった。

「ななな、なによぉコレっ! インチキ! インチキ! やああだあっ!」

火のメイジらしく戦いを好み、いつも気丈に優雅に振舞うキュルケが涙目で絶叫してしまうのも、無理は無い。
もはやこれは戦いではなく、死の雷光弾幕ワンサイドゲーム。時間無制限のおまけつきである。
隣を飛ぶ若き竜騎士も、敵に向かって「ふ、ふ、ふざけるなあ!」と絶叫していた。

「……畜生、大概にしやがれ! こんなところで! こんなところでえ!」

また一騎、竜騎士が落ちてゆく。
少なくともこの場の全員がインチキだと思う程度には、恐るべき状況のようだ。
のちに判明することだが、敵は<サンクチュアリ世界>でも、冒険者たちに最も恐れられているモンスター『ウィル・オ・ウィスプ(鬼火)』の一種であった。
ラズマ武僧の精鋭さえも含め、過去にこの鬼火の群体の放つ『収束ライトニング』に殺された者は数知れずという話である。

カ カ カアッ―――ド ド ド……

今度は再びシルフィードに向かって電撃が放たれ、彼女たちは急降下して必死にそれを縫うように避けてゆく。
ほんの少しでもスピードを落とせば、たちまち二人と一匹仲良く感電死してしまうことだろう。
『ライトニング』が途中で曲がったりホーミングしたりしない直線的な攻撃であることが、彼女たちを救っていた。
幸いなことに、あの陽炎たちに相手の進む先を読んで当てる、などといった技術や知性も無いようだ。

「……駄目、上を取らないと……合図したら上昇、急いで」

収束した電光は、森へと着弾し、破壊のあとと黒い煙を残していった。タバサは必死に恐怖を押し殺し、使い魔に命令を下す。
低い位置に降りざるを得なかったのは、致命的である。見上げれば鬼火の光が陽光のなかに溶け込んでしまい、これでは何処から撃ってくるのか解らない。
こちらの攻撃は届かず、雷光が雨のように降り注ぎ、被害も広まるばかり。なにひとつ良いことは無い。

「―――今」
「きゅいきゅいきゅい!」

雷光の一斉射撃が途絶えた隙を狙い、タバサが合図を出した。
ぐぐっと体中に圧力がかかり、タバサは竜の背中へとしがみつく。止まったら死、振り落とされても死。
シルフィードは電撃をかわしつつ、全力で羽ばたいて青空へと昇っていった。
タバサの背中にしがみ付いていたキュルケが、ふと言葉をもらす。

「ねえ……ねえタバサ、……今ここに、ルイズが居たら……こんな状況を切り抜けられるのかしら?」
「楽勝」

そんな力強い返答を聞いて、キュルケは大きくため息をついたあと、口の端をかすかに吊り上げていった。
青い髪の少女は、淡々と続ける。

「……彼女は、敵を盲目状態にして遠隔攻撃を封じる呪いを使える」
「なあによ、それ。呆れたわ……もう全部あの子一人でいいんじゃないかしら?」
「冗談」
「まあね、さっきもぴいぴい泣いてたし……早く行ってあげないとね!」

ルーンを呟き、杖の先に火球を形成しはじめる。
キュルケ・フォン・ツェルプストーにとって、タバサの言を通じて見るルイズのことは、呆れるほどにまぶしくも映っていたようだ。
そんな大切な友人二人の信頼関係は、見ていてとてもうらやましくもあり、彼女たちのことを考えると、心の奥を焼き焦がされるようにして力が湧いてきたりもするのだ。

「―――上等よっ!」

<鬼火(Wisp)>の群れに向けて、巨大な『ファイアー・ボール』が放たれた。
<RWリーフ>によって5レベルのブーストをされ、炎魔法への熟練(Fire Mastery)も底上げされている火球の威力は、以前の比ではない。

「さっさとこいつら片付けて、あの子んとこに行くわよ!」
「でも……」
「タバサ! あなた、あの子のことも、お母さんのことも助けたいんでしょう? じゃあなおさら、早く行ってあげないと駄目よ!」

―――ズドーン!!
ファイアー・ボールが炸裂し、数体の鬼火を粉々に吹き飛ばしていった。

『見よ! ゲルマニアの娘御がやってくれた! 炎が効くぞ! 我々は負けぬ―――全騎援護せよ、炎メイジは続けぇ!!』

竜騎士隊の小隊長が、風に乗せて、決死の合図を飛ばした。



―――

そのころ……
タルブ村から西の森のなか、王都とラ・ロシェールをつなぐ街道を目指して進む、難民の一団がいる。

ズバ バ バ バッ―――

「ひゃあっ! あわわわわ……」

そんな中、貴族の少女モンモランシーが悲鳴をあげて、地面に座り込んで震えていた。
先ほど気絶から復帰したばかりのシエスタも、その家族も、目を丸くして立ちすくんでいた。
うっそうと茂る森のなか、村人たちとともに必死に歩みを進めていたところ……とつぜん風の魔法に吹き飛ばされたのだ。

その直後、上空からの流れ弾、幾条もの電撃が降り注いできて、目の前の木々をまとめて焼き焦がしていったのである。

「間一髪だったな」
「み、ミスタ・ギトー!!」

疾風の教師もまた、己の役割をしっかりと果たしているらしい。

「ふっ、やはり私がこちらに来て正解だったようだ……ここは危険だ、急ぐぞ」
「は、はいっ……!!」

本心を言えば、今すぐにでもひとり逃げ出してしまいたいモンモランシー。
だがこの場に水のメイジは自分ともう一人しか居らず、誰かが怪我をしたときに治療できるメンバーは貴重である。
友人シエスタが逃げないという選択をした以上、杖にかけて自分も残り、皆を守らなければならない。

この決意は、村に<タウン・ポータルの巻き物>を忘れてきてしまった、という致命的な失敗に開き直ったわけではない、たぶん。
そして、となりを歩む疾風のメイジは、どんなに彼自身がクールに振舞っているつもりでも、ただ無軌道にしかみえないし、目つきも笑顔も不気味なのである。

「……あの、ミスタ・ギトー、あなたは先ほど、ルイズにドカーンって、それで、パーンって……」

恐る恐る問いかけるモンモランシーに、ギトーは不敵に笑ってうそぶく―――

「ふっ、風は滅びぬ、何度でも蘇るのだ」

誰もが目を丸くした。
だが、それは何よりも心強い一言だった。



―――

ほぼ壊滅状態のタルブの村にて……
少女ルイズ・フランソワーズと青銅のギーシュは、ガリアの騎士と相対していた。

「……お久しぶりです、誇り高きサー・ラックダナン」

焼けた民家の煙を含んだ風に、少女のマントと、白く長い髪の毛が煽られ、たなびいた。

『やはり、そなたか……久しいな少女よ、しかし、まさかこのような場で出会うとは』

深く低く、くぐもった声が、黒いがらんどうの甲冑に反響している。
騎士は、槍を持った二十体ほどの鎧の群れを引き連れている。どうやら、戦闘用のガーゴイルらしい。
ギーシュ・ド・グラモンは、騎士たちの放つ威圧感に、少々顔を青ざめさせている。

「なあルイズ、きみはこの方と知り合いなのかね?」
「……ええ」

いっぽう、ルイズは警戒を解いていない。
かつて騎士ラックダナンは、ニューカッスルの戦において、レコン=キスタの先鋒として剣を振るっていたものだ。
彼は基本的に味方ではない。そして、この場にもおそらく、戦をしに来たのだろう。

「騎士さま、ここは私の住む国です。何をしに、ここへいらしたの?」
『我はいずれここに現れるであろう、ひとりの魔道士と、かの男の喚(よ)ぶであろう魔を打倒するために来た』

騎士は静かに答えた。

『そなたも知っておろう、青き衣、浅黒き肌をもつ、ヴィジュズレイの男だ』
「<サモナー>と呼ばれる男ですね」
『然り。かの男は、我と我が主、そして我が国の敵なり』

ルイズは、<サモナー>を止めに港町ラ・ロシェールへと行ったキュルケとタバサ、そしてアニエスのことを心配に想う。
彼女たち三人なら負けないだろうとは思っていたが、もし失敗していたのなら、次に戦うのは自分ということになるのだろう。

「さきほど私の信頼できる友人たちが、あの男を倒しに向かいました……彼女たちなら、きっと」
『残念ながら、そなたの友人らは、まだあの男を打倒してはおらぬようだ。感じ取れるか、少女よ』
「……ええ」

騎士の言うとおり、魔の気配はますます濃くなったように、ルイズには感じられていた。胸の奥が、きゅうう、と締め付けられた。
タバサたちを行かせて自分が行かなかったのは失敗だったのだろうか、とルイズはますます不安に思った。
今朝より感じられていた、この村に来るであろう恐ろしい気配というものが、呪われしラックダナンの来訪を予感していた可能性もあるからだ。
ルイズは、この騎士と戦いたくはない。

『……して、ルイズ・フランソワーズよ、そなたは何故、ここに居る?』
「私の国を守るために、ここに」

ルイズは青ざめた顔で、そう正直に答えた。
ひざががくがくと笑いそうになるほどの緊張を、彼女は必死にこらえていた。

『そうか、……ならば今の我とそなたとは、敵同士ということになるであろう』

その一言の放たれたとたん、ルイズの脳裏に、赤地に金の髑髏のマークのイメージが浮かぶ。
以前の邂逅より時が経ち、自分もある程度の実力をつけたとは思うのだが、いまだこの騎士と戦って無事に済む一切の保証はない。

「騎士さま、あなたはあの魔道士が倒されたあとは、私の国との戦に参加なされるの?」
『その予定だ……だが、我にそなたと事をかまえるつもりはない。……どうか、今すぐこの場より立ち去ってはくれぬか』

高潔な彼は、戦争や陰謀を好むような性格ではなかったはずである。
ハルケギニアに召喚される以前、トリストラムの街の人々を守るために、彼は狂った主君を殺害した過去をもつ。
その罪と矛盾、絶望に染まった心の隙をつかれ、恐怖の王ディアブロの呪いで、姿かたちをモンスターに変えられてしまったのだ。

「……どうしてあなたが、私の国を攻めるの?」
『賢いそなたならば、世には避けられぬ戦いのあることも理解できよう』

無益な戦を好まぬ彼がどんな決意をしてここに立ったのか、ルイズには想像もつかない。

「騎士さまは、レコン=キスタの一員になったの?」
『どちらとも言えぬ……だが、われが彼らを裏切ることもできぬ』

ギーシュは騎士の雰囲気が変わったので、血相を変えた。
ルイズの喉はからからに渇いていた。
自分たちは今、呪われたのだと解った。ルイズの使う<アンプリファイ・ダメージ>と似た呪いが、騎士の体の周囲より放たれている(Cursed)。
<血の騎士(Blood Knight)>……たとえ心をむしばむ狂気からは解放されていても、もはや彼は人ではない。
その呪われしゆがんだ運命に、たった今、ルイズとギーシュは巻き込まれている。
その気になれば、騎士の剣はここにいる二人を、たちまち物言わぬ幽霊と灰に変えることができるだろう。

「……騎士さま、差し出がましい願いではありますが、どうか私とした約束に免じて、帰ってはいただけませんか」

ルイズ・フランソワーズに一切の余裕はない。ひとつ交渉を間違えれば、自分たちは死んでもおかしくないのだ。
緊張でひゅうひゅうと鳴る喉の奥から、言葉を搾り出してゆく。

『そうはいかぬ……我に出来るは、再びそなた、およびそなたの友人を見逃すことのみ……ただちに立ち去るがよい』

黒い騎士に、一切の表情は無い。
だが、深く響く声には、どこかしら自分たちへの思いやりを感じとることが出来る。
ルイズはそれに賭けるほかない。

「では……せめて、あの魔道士との戦いを、ご一緒に!」
『危険だ、去れ。過去に我としたあの約束がある以上、そなたの身はそなた一人のものではない』

正論である。

「……ルイズ、その……ここは、この方に任せたほうがいいのでは、ないかね……?」

背後より、おずおずといった様子の声がかかった。

「なあ、ルイズ……敵国の方とはいえ、この方は、……その、きみの敵を倒してくれると言っているのだろう?!」

かすれきった声のギーシュ・ド・グラモンが、ルイズの細く小さな肩に、震える手を置いていた。

「もういいんだルイズ! ぼ、僕はね、……正直、そのあとの戦争も、きみのような女の子の仕事ではないと思うのだよ!」

彼が心の底から自分のことを心配してくれているということが、ルイズには痛いほどに伝わってきていた。
カトレアのこと、タバサのこと、アンリエッタのこと……沢山のことが、頭のなかをぐるぐると回っている。

「……でも、でも……」
「僕にだってなあ、この国の貴族として、敵国の方の手を頼るなんてのは納得いかないことだよ! だけど、ここじゃ……たとえどんなに格好悪くとも、退くべきではないのかね!」

刃のように鋭く冷たい運命の流れの先端で、騎士も、ギーシュも、ただひたすらに優しかった。
ルイズは、もうどうすればよいのか、解らなくなりつつあった。
大きな不安が、心を揺さぶる―――ひょっとして自分は、この緊急時に、間違ったことばかりをしてきたのではないだろうか?

『みずから虎口へと飛び込み、自身に眠る<虚無>の覚醒する可能性に賭ける』―――実のところ、それがルイズの導き出した最後の方法なのであった。
現実的な切り札『黙示録の杖』もあることにはあるのだが、それは戦場で役立つものにすぎず、王女を助け出すことは出来ない。

(私、私は……)

もうさっき、揺らぐ心を御して、覚悟を固めたはずなのに―――
検討に検討をかさね、考えに考え抜いて、この場に立ったというのに―――ルイズの心は再び、押しつぶされそうな不安に襲われている。
占いの結果の解釈を間違ったのではなかろうか。
村の皆を逃がしたあと、直ちにタバサたちと合流すべきだったのではないのだろうか。
そうすれば、すべて上手くいったのではないか……?

たったひとつ行動の選択を間違っただけで、すべてが崩れ去るかもしれない。運命の流れとは、ときに非情なものである。

そっと古い本に触れてみる。
少女の唯一の希望、<始祖の祈祷書>には、いまだ何の変化も起きていない―――




そして―――

ルイズはしばらくの沈黙のあと、口をひらいた。

「ギーシュ、ごめん、私やっぱり帰れないわ……」

青銅のドットメイジは、「はは」、と乾いた笑い声をあげた。
先ほど可愛い女の子、ルイズと二人きりになったので格好をつけてはみたものの、恐ろしい黒い騎士を見た今になって、もう帰りたい気持ちになっていたようだ。
軍人の家系とはいえ、戦いの素人(newbie)である彼にも、すぐに『この騎士は明らかに自分と格が違いすぎる』と感じ取れていたらしい。

「……そうかい、うん……そうだね」
「ねえギーシュ、あなたの命を預かることになっちゃうけど……お願い、私とモンモランシーのためにも、どうか無茶はしないで」
「おいおい……その言葉そっくりそのまま、杖にかけてきみに返すよ」
「それと、これからここであなたが見聞きしたことは、ぜったいに他言しないと誓って欲しいの」
「……う、うむ、まあいいけど」

もはや犀は投げられている。
ゼロのルイズは、自分の選択を信じるほかない。
騎士も、ガーゴイルの一団も、黙っている。

荒れ果てた村で動くものは、くすぶる煙と、風だけであった。

そして―――

騎士は、答えを出したようだ。

『誇り高き少女よ、そなたの気持ちは解った……我にそれを踏みにじることはできぬ』
「騎士さま!」

ルイズは胸が詰まり、目から涙が溢れそうになった。
彼はたとえ人としての身を失っても、人の心を失っていないようであった。

『我が盾は硬いが、そなたらを守るには十分ではない―――そなたの生存は我が希望なり。己の身を守り、我との約束を守るよう、心して欲しい』
「あ、ありがとうございます!」

ルイズは大きく頭を下げた。
どうやら、彼はいったん敵味方の問題を棚上げにしてくれるらしい。ルイズにとっては、願ってもないことだった。
直後、ラ・ロシェールの方向から、数頭の風竜が飛んでくるのが見えた。

「……そう、来たのね」

ルイズは、両手にグローブをはめなおす。そして、ギーシュに戦闘の準備をするように促した。
ギーシュは少し青い顔で頷いて、七体のワルキューレを召喚し、精神力を補うために『マナ・ポーション』を飲み下した。
彼も静かに、戦う覚悟を決めていたようである。少なくとも、ルイズが危機に陥ったときに、彼女を連れて離脱する誰かが居てやらなければならないのだ。

そして、三人のワンマンアーミーが、ひとりのドットメイジの少年が見守るなか、一同に会する―――

ヴ ヴン―――

空間が揺らぐ。

そいつは、いつのまにか居た。
上空を飛び回る竜の背より、ルイズたちの近くへとテレポートしてきたのだ。

「おや、カンデュラスの騎士団長どの……それに、いつぞやの死人占い師まで居るか……ふうむ」

やってきた人物―――青い衣をまとう浅黒い肌の男は、そう言って首をかしげた。
黒い甲冑の騎士が、じゃりっ―――と瓦礫を踏みしめ、無言で背中の剣を抜き放った。ばちばちっ、と剣に青白い電光が走っている。
どうやら彼は、この男といっさいの会話をするつもりもないようだ。
騎士と似た甲冑の戦闘用ガーゴイル軍団が槍を構え、がちゃがちゃと動き出す。

「まあ良きかな、良きかな……」

以前相対したときと相も変わらず、その男はどこか超然とした態度をとっていた。
ルイズ・フランソワーズに、この男のまとう複雑すぎる運命の流れを解釈することは、出来ない。

『用心せよ』
「!!」
「これ、そこな娘御よ―――」

ふたたび、少女たちの背後。
男が、ルイズへと語りかけてきていた。彼女を守るつもりだったギーシュは、とっさのことに動くこともできなかった。
魔道士は騎士とガーゴイル軍団に迫られ、接近され切りかかられる直前に、再びテレポートを行ったようだ。
ははは、と虚ろな笑い声が、あたりに響いた。

「汝、われとともに来るがよい。然(さ)らば、望むものを与えようぞ―――」

ギーシュ・ド・グラモンは、こいつは突然なにを言い出すのだろう? ……と呆気にとられつつ、その男を見ていた。
だが、魔道士は騎士とギーシュを無視しつつ、ルイズに向かって、この世のものでないような笑いとともに、ひたすらに言葉を続けていた。

「はは、ははは、娘御よ、喜べ。我は、汝が国を他国の侵略より守るために、ここに来たのだぞ」

ギーシュは戦慄した。この男の目、ルイズと同じくらいやばいぞ、と。そして、隣に居る少女を見たとたん、背筋にいっせいに鳥肌がたつ。
白髪の少女ルイズ・フランソワーズは、今まで彼が見たこともないほどに、その目をぎょろぎょろりと、大きく大きく見開いていたのだ。
様子がおかしい―――少女の瞳孔、鳶色の虹彩(こうさい)は、きゅううっと音を立てるかのように、針の穴のように小さく縮まっていた。ははははは、と男は笑った。

「われが、大いなるホラゾンの技を振るい、汝が国を守ってやろうぞ……始祖の<ルーン>に選ばれし同胞よ」
「ルイズ!」

ギーシュが叫ぶが、白髪の少女は答えない。
往々にして、魔というものは、ゆらぐ心につけこむものなのだという。

「われは汝に力を、富を、栄光を、神秘を……望むすべてを与えてやろう。汝の望むあらゆる場所へと、連れて行ってやろう」
『耳を貸すな、少女よ』

ルイズたちにとって敵国に属する、人ではない騎士が言う。
ルイズたちの味方だという浅黒い肌の男は、巨大な金色の杖で、空の彼方を指す。

「わが同胞たる少女よ、望むがよい。然らば、われがやつらを焼き払ってやろう」

金色の杖の先端、竜魚の飾りの示すはるか先―――
いくつもの黒い点のような何かが、こちらへと向かってくる。しだいに大きくなってくる。
この国を侵略するためにやってきた、アルビオンの艦隊だ。トリステイン空軍を退け、この村と草原を占領し、ラ・ロシェールを落とすために来たのだ。
男は続ける。

「われと共に来ると誓え、そして望むがよい―――然らば、われがたちまち姫君を取り返してやろう」

ははははは―――

ルイズ・フランソワーズは、小さな身体をぶるぶると震わせていた。
いつの間にか、この場にはもう自分と浅黒い肌の男の二人しか居ないかのような、錯覚に陥っていた。
ルイズは知っている―――この男には、間違いなく、今言ったことを実行できるだけの力があることだろう。
あわよくば、<サンクチュアリ>の世界へと、ルイズを連れて行ってくれるのかもしれない。
血の気の引いた唇をかすかに動かして……

「……ほんとに?」

いつのまにか、自分でも知らないうちに、ルイズはそんな言葉をつぶやいていた。
男の提案してきたそれは、追い詰められたひとりの少女にとって、あまりにも甘美な誘いのようである。

騎士ラックダナンは、どんなに高潔な魂をもっていたとしても、今この場では、ルイズの国を攻め滅ぼさんとする敵にほかならない。
そしてこの魔道士の男は、どんなに魔によって汚染された魂をもっていたとしても、ルイズの国と幼馴染の姫とを救ってくれるのだといい、事実そのための力を持っている。

―――さあ、どっちを選ぶ?

(もしかして……今の私には、このおじさまの力が必要……なの、かしら?)

ギーシュと騎士が彼女を呼び戻そうと何かを叫んでいるようだが、ルイズの耳にはもはや、まったく届いていないようだった。



//// 【次回:空も飛べるはず……の巻、へと続く】



[12668] その24:ハートに火をつけて(後編)
Name: 歯科猫◆93b518d2 ID:b582cd8c
Date: 2010/07/17 20:41
//// 24-1:【ハートに火をつけて:後編】

ジャン・コルベールはトリステイン魔法学院の教師である。
四十二歳の彼は、かつてアカデミーの実験小隊に所属し、あまたの裏仕事に携わった過去をもつ。

人を炎で焼くことの空しさに打ちのめされた彼は、退役した後、教師として炎の平和利用を二十年間追及し続けてきた。

そして―――

現在、魔法学院の広場にて、彼はおのれの過去の業と対面している。

「隊長どの! 幻滅したぞ! 俺から両の目を奪った男が、その程度なのか!」
「ぐっ……」

全身のいたるところを焼かれ、彼は広場に倒れていた。
彼を追い詰めた男は、白炎のメンヌヴィル、かつての部下、アカデミー実験小隊の副長である。
メンヌヴィルが捕縛に向かった学院長オールド・オスマンは、しばらく前に王宮へと向かったらしく、学院に不在だった。
そして本塔より引き返してきたメンヌヴィルは、『幽霊屋敷』にてコルベールとリュリュを見つけ、かつての上司に戦いを挑んだのであった。

このとき、すでに勝敗はついていた。
ジャン・コルベールの敗北である。

「無様なものだ! さあ杖を拾え、反撃してこい隊長どの! それとももう気力が尽きたか、炎蛇とまで呼ばれた炎の使い手が!」

白炎のメイジは、因縁の相手と会えたことで上機嫌になり、もはや人質のこともなかば忘れているようだ。
コルベールのほうも、形はどうあれ一対一で戦う機会を得たことは、僥倖だった。少なくとも、ほんの十分ほど前までは、そう思っていた。
自分が彼を止めさえすれば、他のメイジは恐れるに足らず、と踏んでいたからなのだが―――

「終わりか! 実に無様だな、二十年間も夢に見続けた男が、この程度だったのか!! 詰まらん、詰まらんぞ!」

全身くまなくホーリー・ファイアで焼かれ、両手はひどく焼け爛れており、もはや杖を握ることもできない。
大事にケアしていた側頭部の髪の毛も、もはやちりちりと焦げて見る影もないパンチパーマである。

「どうしてくれる! 俺は願っていたのだコルベール! ずっと! あんたみたいになりてえなって、憧れていたのだ!」

勝利を確信した白炎のメイジは、彼をじわじわとなぶり殺しにすることに決めているようであった。
白炎の傭兵は、膝をつくコルベールに向かって、『正義の手』を振り上げ―――

がつん!

「うぐっ!」

背中を打たれ、教師の全身が焼かれ凍りつく―――
同時に、杖に秘められた『一時盲目効果(Hit Blind Target)』が発動する。
コルベールの両目より、光が失われた。もはや、逃げることもできぬだろう。彼の命はいま、風前の灯火である。

- - -
正義の手(RW Hands of Justice)
(サー・チャム・アムン・ロー)Sur + Cham + Amn + Lo
ルーンワード発動カデューシアス
片手ダメージ149-181
装備必要レベル67 要求筋力97 要求DEX70 耐久値70+固定化値
レベルアップ時にレベル36『ブレイズ』発動
死亡時にレベル48『メテオ』発動
装備時にレベル16『ホーリー・ファイア』のオーラ展開(一定範囲内の敵を炎で自動攻撃、および武器攻撃に炎ダメージ追加)
+33% 攻撃スピード
+330% ダメージ強化
ターゲットの防御力を無視
命中時にダメージ分の7%のライフ吸収
目標の火炎レジストを20%引き下げる
20% デッドリー・ストライク
命中時に敵を一時的に盲目にする
+3 敵を凍らせる
ソケット4使用済
固定化がかかっている
シェフィールドによって作成された
- - -

メンヌヴィルの帯びる異世界の装備は、この超高級なルーン石をはめ込まれた杖『正義の手』ひとつだけではない。
彼がマントの下に身につけている不恰好な皮鎧、『火竜の皮衣』もまた、『装備時にホーリー・ファイアを展開』する装備のようである。
両方のスキルレベルを足して、対人戦闘においては強力きわまりない効果をもつ、30レベルもの<聖なる炎>を発動させているのだ。

「どうだ隊長どの、目の見えぬ気分は! これこそがかつて、ほかでもない貴様が! 俺に! 仕出かしたことだ! うはははは!」

白炎のメイジは大声で笑っていた。
この学院においても、戦闘力の高さにおいては上から数えるほどのコルベールを相手に、彼はあきらかに手加減していた。
そして、もはや完全に遊んでいる。いや、彼は最初から遊ぶつもりでいて、ただそれを実行しているにすぎないのだ。

「どうだどうだどうだ、俺のように周囲の温度でものを見てみよ! 出来ぬとは言わせぬぞ! かつてこの俺を返り討ちにした貴様なら、俺と同じことだって簡単に出来るだろうに!」

そんなことを言われても、すでにコルベールには打つ手もなく、重い火傷と凍傷を同時に負った身体は動かない。
戦いを始めてすぐに<ホーリー・ファイア>で攻撃され、毒ガス砲『やさしい毒ヘビ君』が暴発したことが、あっけなくも勝負を決めてしまったのだ。

「ああ、もう良い、そろそろ死なせてやろうではないか……ははは、さあ今のうちに何か、言い遺すことはないかね?」
「……守る……のだ……」

弱々しいつぶやきが、コルベールの口から漏れた。
メンヌヴィルはしばし何かを考えるような仕草をしていたが、ふむ、と鼻を鳴らした。

「よせ、隊長どの。俺や貴様のような人間に、そんな生き方は到底似合わぬ。炎のメイジは破壊の徒、他でもない貴様がそれを忘れては居ないだろうに」
「……それでも……だからこそ、守らなくては、ならないのだよ……メンヌヴィルくん」

この場で戦えるのは、ただひとり自分だけ。何があっても、皆の帰る場所を守りたい―――そんな強い願いが、彼の意識を繋ぎとめていた。

「きみは……今の私を、ブザマだとしか、見えないの、かね」
「当然だろう、あのとき俺の憧れた隊長どのが、見る影もないぞ……まあ、俺は目が見えぬがな。だが解る、今の貴様は、シケた炭みてえだ」
「……わ、私のように、なりたかったと、言うのなら……なりたまえ、今からでも、遅くはない。……己の生き方を、省みるんだ……」
「畜生め! 本当に……つまらぬやつに成り下がったな。いったいどうして、そうなっちまったというのだ?」

朦朧としてゆく意識のなかで、彼は効果のなさそうな説得をつづける。
ぜったいに諦めるわけにはいかない。必死に手探りで、落とした杖を探していたときのことだった。

「うははは! ―――俺の決闘に横入りか!」

ずどん、と<ホーリー・ファイア>の炸裂する音がひびく。
デルフリンガーを背負い、手には<炎の剣>を振りかざした、完全耐火装備のアニエスが斬り込んでいったのだ。
空中から現れた炎で剣をもつ手と全身をくまなく包まれつつもなお、彼女はほとんどダメージを受けていないようであった。

「ほう、この女、俺の炎が効かぬとは! 初めてだ! これは面白い!」

がきっ、がきっと杖で剣を受け止め、杖を持つ手を剣から放たれた炎で焼かれながら、メンヌヴィルは口の端を高く吊り上げた。
一方、アニエスは驚愕していた。ごおっ―――と、二人の間に猛烈な火炎が立ち上る。
不意打ちはあっさりといなされただけでなく、男の杖のまとう炎は完全耐火装備を突きぬいて、剣を持つ己の手を少し焼かれてしまったのである。

「なんと! 防がれるとは……!」
「ふん、温度でものを見る俺に、不意打ちは効かぬ! 女、貴様も多少は炎を使うようだな、もう貴様で良い。俺は今、機嫌が悪い! 全力で持てなせ、楽しませろ!」

うはははは、と笑い声が響いた。この程度のダメージで怯まぬ彼はまごうことなく、レコン=キスタ最強のメイジの呼び名にたがわぬようであった。
痛みを堪え飛びのいたアニエスに向けて、メンヌヴィルは呪文を詠唱しはじめた。
放たれたファイアー・ボールを、剣士は横にころがってかわす。炸裂した爆風が、アニエスを弾き飛ばす。ずどっ―――!!

「ぐうっ……だが、これしき!」

さきほど全力疾走して、自室へとこの『炎の剣』を取りに行ってよかった、とアニエスは心の底から思う。
<ホーリー・ファイア>の炎による範囲自動攻撃もまた、あの『黙示録』と似て、デルフリンガーが吸収する間もなく、虚空より直接目標を攻撃するもののようだ。
デルフリンガーだけを装備していたなら、自分は問答無用で黒こげにされていたことだろう。
炎の剣のもつ極めて高い火炎レジスト効果が、いまのアニエスを守っている。
そして、残念なことに相手は盲目のメイジのくせに、剣士としての修行をつんだ自分よりも、はるかに接近戦の腕が立つようだ。
いちど打ち合ったことで理解できたが、なにより火力が違う―――これほどの重装備をしてきても、勝ち目は薄いようだった。

「ミスタ、無事か!」
「そ、その声は……アニエス殿か……うぐぐぐっ」

アニエスはコルベールに駆け寄った。そして、彼の負った怪我の重さを見て息を呑む。
白炎のメイジの前に敗北した炎蛇のメイジは、ただひたすら苦痛のうめきをもらすだけだった。

「!? ……まさか、目をやられたのか……それに、なんてひどい火傷だ! すぐに治療いたしましょう……」

今は彼を引っ張って、一時撤退すべきだと考えたのである。
教師は全身に深刻な火傷や怪我を負っているようだが、ポーションを飲ませればなんとか助けることも出来るだろう。
だがしかし、敵の迫る今現在、そんなチャンスも無いようでもあった。

「……おい隊長どの、まさか、その剣士は貴様の女かね?」

下卑た笑い声とともに、メンヌヴィルが歩み寄ってきた。すぐ近くで立ち止まり、言葉を続けた。

「俺には解る! その女の声を聞いたとたん、貴様の体温に変化がおきたぞ!! 隊長どのにとって、そいつはよほど大切な女なのだろうな!」

……何だって!? アニエスは驚くほかない。腕の中のコルベールが、むぐぐ、と声を漏らした。
こんなときに、いったい何の話をしているのだろう?

剣士アニエスにとって、ジャン・コルベールは、存在感こそ濃く思えはしたが、接点の薄い男性だ。
<サモナー>を追う任務についてしばらく経つが、これまでに彼と会話したのもほんの二、三度だけである。

物騒な二つ名、『炎蛇』をもつ男。
あのルイズ・フランソワーズと関わるようになってから、学院内では、さまざまな噂によってその二つ名も変化してきているらしい。
『邪炎のコルベール』だとか『毒蛇のコルベール』だとか、ひどいときには『蛇王炎殺のコルベール』とまでささやかれている。
そんな噂のせいで、彼を見るなり女子生徒たちが怯えて逃げ出してしまうことが、近頃の彼の悩みらしい。

そんな不気味きわまりない炎の中年教師に、自分は一目惚れでもされていたのだろうか?
どうしてジャン・コルベールが、白炎の男が確信をもって言うほどに、自分のことを気にかけているというのだろう?
そんな疑問は、次の瞬間に崩れ去ることになる。

「傑作! おお、これは傑作だ! その年になって、色恋に腑抜けているのか! ダングルテールの村で女子供も情け容赦なく焼きつくした、あの『炎蛇』が!」

白炎のメイジは、笑いながら叫び続けていた。うはははは……懐かしい、ああ懐かしいなあ!!
剣士アニエスの目から、たちまちのうちに、輝きが失われてゆく―――

ダングルテール―――かつて新教徒の隠れ住んでいた村であり、アカデミー実験小隊によって焼き尽くされ、今はもう地図に無い村。
アニエスの出身地である。

二十年前のとある村で起きた虐殺事件に、それぞれ因縁をもつ三人の男女が、ここで偶然にも、一同に会していたのだった。





―――


異世界<サンクチュアリ>、東方の森林地帯の地下都市に住むラズマ教徒たちは、長き歴史のなかで、一般人には理解もできないほどに独特なる神秘学にもとづき、文化と倫理とを発展させてきた。

彼らの教義によると、大宇宙を背負う聖竜トラグール(TragOul)は、『確定していない未来』の象徴でもある。
その巨大な竜が存在する限り、天界の神々や地獄の悪魔どもが何を企んでどんなことをしたって、未来のありようを決定してしまうことはできない。
ありとあらゆる存在は、<存在の偉大なる円環>のなかで、はるか永遠の時の向こうへと回帰してゆくのだ。

そう信じ続けている限り、ラズマの教えは大いなる喜びと、邪悪に対抗する技と、無限の心の力を与えてくれる。
ただし、一歩足を踏み外せば、その教えはときに人の心を<虚無主義>的なものへと容易に陥らせるワナともなりかねないのだという。

決定的な行動の選択をなすのは運命であって、自分自身ではない―――という諦観、責任逃れにも似た心のワナが、慣れぬものを待ち受けているのだ。
ひょっとすると、人々はこのような理解しようのない深淵の匂いを無意識のうちに嗅ぎ取って、ネクロマンサーを忌み嫌っているのかもしれない。

ラズマの聖職者も、運命の流れの一部を読み取れるからといって、必ずしも正しい選択肢を選び取れるわけではないのだ。
占いというものは必ずしも、人の選択の正しさや無謬(むびゅう)さを保証してくれるものではない。

さて―――

一般的に占いと呼ばれるものは、人の心の内や運勢や未来など、直接観察することのできないものについて判断することを指すらしい。
他方ルイズがやっているのは、より良き運命の流れを見出して、それに乗るための祈願なのだという。
判断と行動はあくまでも、人の心の力にゆだねられるのだそうな。
ルイズ・フランソワーズが普段より、自分の占いについて『厳密には占いではない』と言っていたのも、そういう事情のせいだった。

そして、現在荒れ果てたタルブの村にて、見習いネクロマンサー、ルイズ・フランソワーズは、極限まで追い詰められたひとりのちっぽけな少女である。
魔道士の男の甘い誘惑は、姫を助け国を守りたい少女にとっては、十分すぎるほどに『理にかなった』もののようである―――

さらに、以前より懸念していたこともあった―――
<サンクチュアリ世界>へと繋がる確実な手がかりは、ひょっとすると、この魔道士の仲間になることを置いて、他に無いのかもしれない。
この男を嫌悪し敵視する彼女にとっては、まったく想像したくもない可能性であったが、悲しいことに、それはなによりも現実的なひとつの手なのである。

ルイズの好き嫌いと、心を支えるラズマの教義。あるいは自然なる生と死とのバランス。
もう一方の天秤の皿のうえには、国の存亡と幼馴染の無事、そして大司教との約束を果たすための、サンクチュアリ世界への道。

「……ほんとに?」

そんな呟きが聞こえたので、ギーシュは耳を疑った。

「お、おいルイズ! な、何を言っているんだ!」
「……嘘じゃ、ないの?」
『少女よ、その男の戯言に耳を貸すな!』

白髪の少女は、まるでギーシュやラックダナンなど何処にも存在しないかのように、うつろな表情で、魔道士の男へと問いかける。

「ほんとに、あなたが……姫さまを、私を、……私の国を……助けてくれるの? 私の行きたいところへ、連れて行ってくれるの?」

杖を握っていないほうの、白い手袋をつけた手を顎にあてて、<サモナー>は不気味に首をかしげ、笑っていた。

「はははは、然り、然り。汝がそれを望むのなら、われは為そう。わが言に偽りなし、同胞には嘘をつかぬぞ」
「そう、私がお願いしたら、なぁんでも聞いてくれるんだ……」

ゼロのルイズもまた、唇の端を吊り上げてゆく。

『誇り高き少女よ、止せ。己を見失うな。もしそなたがその男の力を借りるというのならば、われはそなたを斬らねばならぬ』

電光はじける剣をかまえ、ガリアの騎士が悲しげな声色でそう言った。だが、少女は騎士へと一瞥もくれない。どうやら全く聞こえていないようだ。
ガリアの甲冑ガーゴイル軍団が槍を構えたので、ギーシュは慌ててワルキューレに命令を下し防御陣形を取らせた。

ギーシュ・ド・グラモンは想像する。
少女ルイズ・フランソワーズが、自分の目の前で剣を振り下ろされ、すっぱりと左右二つの部分に別れて、花のように血しぶきを散らせる様を。
あるいは自分に「ばいばい」と一言告げて、甘い飴玉に釣られる幼子のように、二度と会えないだろういずこかへと消えていってしまう様を。
いずれも、悲しすぎる結末にほかならない。

うくくく、と喉を鳴らし、少女は上ずった声で言葉を続ける―――

「私が望んだら、おじさま、何でも叶えてくださるのね! それなら私―――あなたについていくことにするわ!」

青銅のギーシュは、ひどい眩暈に襲われた。
彼は、ルイズという友人の持つひたむきさが好きだった。

彼女がこの指名手配犯、王女の宿敵<サモナー>におもねるなど、考えたくもないことだった。
だからこそ、そんなルイズの言葉は彼をうちのめし、あらゆる言葉を奪うほかなかった。

「今、気付いたの! あなたこそが、私を助けてくれるって! ひょっとすると私、あなたに会うために、ここに来たのかもしれないわ!」

ギーシュは悲しみに拳をにぎり、わなわなとふるわせていた。声がでない。もうやめてくれ、と叫びたくなった。
国を守るため、貴族としての誇りを保つため、果たしてルイズは今、本当に正しい選択をしているのだろうか。
そんな彼の問いに正しい答えを与えてくれるようなものなど、どこにも居ない。ひょっとすると、もう正しい答えなど、どうやっても存在しえないのかもしれない。

いっぽう、青衣の魔道士は、壊れたような笑い声をあげるルイズに合わせるかのように、同じく壊れたように笑っていた。

「そうか! はは、ははは、はは―――聞こう、聞こうではないか、まずは何を望む? 娘御よ」
「ウフフフ……ねえ、おじさま、私、あなたにひとつお願いがあるの! いいかしら?」
「良かろう、何なりと望むがよい!」
「ええ望むわ! ―――それはね、とてもとてもステキなことなのよ!!」

少女ルイズ・フランソワーズは、虚ろな笑顔で、明るく言った。
ギーシュはほんの少しだけ、違和感を感じる。どこか、様子がおかしい。だが、今の彼にそれを検証している余裕は無かった。

「あのね、私ね、さっきね! とおーってもイイ事、考えたの! ……こんなステキなことを思いつく私ってば、天才じゃないかしら、って思っちゃうくらいよ!」

あはははは、と少女は笑った。
ははははは、と魔道士も笑った。
二人の笑い声は、ただひたすら虚ろに、荒れ果てた村に響いていた。

ギーシュはもう、座り込んで泣き出してしまいたい衝動に駆られていた。崩れそうな両膝に力を込めて必死に立っていた。
帰ったらモンモランシーに何と言おうか、と少年は回らなくなりつつある頭で、ぼんやりと考えていた。

『……残念だ』

黒い甲冑の騎士の纏う呪いの空気が、ますますいびつなものへと変化していった。

はるか上空の雲の影、煙と熱気による光の揺らぎが、あたかもこの場の空間そのものをゆがませているようにも見せていた。

めらめらと燃えるファイア・ゴーレムが、のっそりと少女の右斜め前へと歩いてきた。
ゴーレムが、ぐっ―――と、拳を握ってみせた。

「見て見て! おじさま、騎士さま、ギーシュも、ハイここに注目ね! ほら見て……このゴーレムちゃんの手、とってもでっかいでしょう?」

あは、あはははは、と少女はおなかを押さえ、虚ろに笑っていた。
この少女、突然何を言い出すのだろう―――と、その場にいる誰もが疑問に思っていた。ますます様子がおかしい。
騎士も、ギーシュも、もはや魔道士の男さえもが、少女のまとう異様すぎる雰囲気に飲まれ、ただ呆気に取られたように立ち尽くしている。

「この炎のゴーレムちゃんのゲンコツをねっ、めらめらでっかいバーニング・ゲンコツをね……」

ルイズは、死んだ深海魚もかくやと言うほどの、完全に瞳孔の開ききった深い深い目で笑っていた。
ぶるぶるわなわなと細い身体を震わせて、ばっと大きく両手を広げ、干し首盾をぶらぶら揺らし、少女は続けて、言った―――


「―――おじさまのおしりにブチ込んで、グリグリかき回すのッ! そんでね、ああっ―――なんてステキなことかしら、あひいあひいって泣きわめいて貰うのよっ!!」


時が止まったかのようだった。

誰もが、硬直していた。黒い騎士の身につけた背嚢(はいのう)の紐が、ずるがしゃん、と音を立てて下がった。
ギーシュも魔道士の男も、口をあんぐりと開けていた。
ゼロのルイズの感極まったかのように上ずった言葉だけが、とめどなく溢れてゆく。

そんでね、そんでね、そんでね―――

「どんなに泣いて謝っても許したげないの! ああ、こんなステキなこと思いつくなんて、私ってば天才かもね! ……ねえおじさま、あなた生きていて楽しい? 生きていて楽しい?」

はるか遠くから降りそそぐかのような現実感を伴わない声で、ルイズはひたすら躁病のように笑い、喋りつづけていた。

「あはは、生きていて楽しいの? バッカじゃなあい? ねえねえ『自称<サモナー>』のおじさま、そんな風に生きていて本当に楽しいのかしら? うふっ、ウフフッ……」

わあは―――

きゃあっははっ―――!!

白髪の少女はどこか恍惚とした表情で、全身をびくんびくんと痙攣させつつも、まるで闇の世界を支配する女王のごとく、大いに笑っていた。
そしてこのとき、ギーシュ・ド・グラモンはようやく理解した。違和感の正体は、これだったのだ。
ああ、少女ルイズ・フランソワーズは、そう……



「アハハ、ハハ、ハハハッ―――死ねばいいのにッ!!!」


完全に、ブチ切れていたのだ―――

それは、まるで牙をむく猛獣のような、あまりにも壮絶な笑みとともに放たれた罵りの言葉であった。
間近で見ていたギーシュは、意識をフッ飛ばされそうになった。
その刹那、―――ゴオオッ!!

「……む!?」

魔道士の男の身体を、たちまち炎が包んだ―――<ファイア・ゴーレム>の纏う<ホーリー・ファイア>のオーラによる、自動発火攻撃。
<マナ・シールド>の力場がゆがむ。まったくのノンアクションで放たれた、開戦の狼煙であった。

「さあさ私にひれ伏して! 私に跪いて身も心もぜんぶ私のモノになって!! それが望みよ、ぜえーったいに逃がしたげないんだからッ!!」

瓦礫の下から、魔力をまとった白い骨の手が伸び、魔道士の足首をがしっ―――と掴んだ。




―――

一方、アルビオンの首都ロンディニウム。
ハヴィランド宮殿の一室にて、アンリエッタ王女はかつての想い人と、思いもよらぬ再会を遂げていた。

「ウェールズさま……」

ベッドに横たわっている金髪の彼は、ただの屍、というわけではないようだ。
旧アルビオン王国の王太子ウェールズ・テューダーは、ぴくりとも動かず、眠っているように返事をしない。
クロムウェルいわく、『仮死状態』なのだという。

「ニューカッスルにて発見されてより、王子殿下はずっとこの状態なのだそうです」

青い髪のガリアの王女が、アンリエッタにそう告げた。
王子の体は、医学的にみてまったくもって不思議な状態にあるという。まるで時が止まっているかのように、呼吸もせず、心臓すら動いていない。
なのに顔色は生きているかのようであり、一月以上の時が経過しても、まったくの腐敗も劣化もしていないのだという。

「……どういうことなのです?」
「アルビオン名うての水メイジたちも、どうしてこうなったのか、詳しい原因は解らないといいます」

水の系統魔法には、『人間を仮死状態にする魔法』がある。
戦場にて人が瀕死となったときに、必要な治療が間に合わない緊急時に、まれに使われる高度な魔法である。
レコン=キスタに所属する学者たちは、何者かが傷ついた王太子の身体に、その施術を行ったのではないかと当たりをつけたのだという。
しかし、そうなると、どれほど治療しても目覚めないというのは、おかしいにもほどがある。

「あなたもご存知のとおり、彼は旧王族とはいえ、魔法の実力も人望も然り、この世から失ってしまうにはあまりに惜しい方だ」
「わがガリア国の王も、彼の死はこの世界にとっての大いなる損失と考えているのです」

皇帝クロムウェルいわく、彼らはウェールズを目覚めさせようと、<虚無>をふくむ多種多様な治療を試したのだという。
それでもウェールズは蘇ることなく、ひたすらに死んだように眠り続けるだけ。
まるで、遠くない将来に自分を眠りから覚ましてくれるであろう、誰かを待っているかのようにして。

そう、彼はまるで眠っているかのよう。
なにかのきっかけさえあれば、目覚めるのだろうか―――

「アンリエッタ王女殿下、あなたをわが国へとお連れしたのは、他でもない……彼を治療するためなのだ。王子どののこの状態に、なにか心当たりはありませぬかな?」

クロムウェルはアンリエッタへと問うてきた。
実のところ王女には、大きな心当たりがある―――ルイズ・フランソワーズに与えられ、王女が手ずから彼に飲ませた、『黄金の霊薬』である。
彼女は想像してみる。あの薬が体内に留まっているせいで、ウェールズは死を免れたのではないだろうか、と。

死んだとばかり思っていた愛しい彼と、もう一度話すことができるとしたら……ああ、それはどれほど素晴らしいことなのだろうか。

「どうか……」

遠い目でアンリエッタは、弱々しげにつぶやく。

「……どうか、今しばらく……泣かせて、……ください、まし」
「む、これは失礼いたした」

ガリア王女とクロムウェルは、寝台より離れ、衛兵をつれ、部屋を出てゆく。
小さな部屋には、眠り続けるウェールズと、アンリエッタだけが残された。

レコン=キスタの皇帝やガリア王女の言ったことのうち、どこからどこまでが真実なのか、確かめる術はない。
目の前の王子が本当に生きているのかどうか、いつか蘇るのかどうかについても、アンリエッタには解らない。
ただ、めちゃくちゃにかき回された心のうちから、悲しみ、愛しさ、寂しさ、切なさ、かすかな希望、その他たくさんの感情があふれ出してきた。

王女は崩れ落ちるように彼の胸元へと顔を寄せ、彼の生きているかのように暖かい手を握り、声を押し殺して―――

「くっ、は……あっ……うううっ……」

がくがくと肩を振るわせ、泣き続けるのであった。




―――

キュルケ・フォン・ツェルプストーは、隣国ゲルマニアからの留学生である。
故郷に居れば、いつも家族から結婚を急かされる。なので、自由な恋愛を満喫したくて祖国を飛び出し、トリステインへと来ている。
そんな他国の人間、しかも女性である自分が、まさかトリステインを救うために命をかけることになるなど、編入当初のころには思ってもみなかったものである。

「『ファイアー・ボール』!! ―――わっとっと、きゃあっ!」

シルフィードの背より落ちそうになって、キュルケが悲鳴をあげた。放った火球が、<ウィル・オー・ウィスプ>の群れに着弾し、数匹まとめて吹き飛ばしてゆく。
反撃の電撃の帯がばりばりと宙を走り、シルフィードが射線上の空間より離脱する。
ばちばちと電光がかすめ、熱せられた空気がキュルケの長く赤い髪の毛の先っぽを少しだけ焦がし、いやな匂いを風の中に散らせていった。

『続け! ファイアーボール!』
『ファイアー・ボール!』
『ブレス一斉に放て、直後に離脱せよ!』
『次は私が引きつける、迅速な援護を頼む!』

ド ド ド ドォッ―――

伝統ある栄光のトリステイン竜騎士隊の隊員たちは、強烈な電撃魔法によって数騎を落とされてもなお、ひるまずに敵へと立ち向かってゆく。
先ほどまで彼らを包んでいた深い絶望は、もはや勝利への希望へと変化していた。
冷静だった雪風のタバサが、この恐ろしいモンスター<ウィスプ>たちの持つ、とある習性を直ちに見抜いていたのだった。

ときおり鬼火たちは姿を消し、別の場所へと現れる。しかしよく見ると、テレポートしている訳ではないようだ。
移動時にだけ姿を消し、攻撃時に姿を現す―――移動速度こそ、こうして空飛ぶ竜に追いつくほどに速い(Minion;Extra Fast)ようだが、ただ姿を消して移動しているだけであり、攻撃中に移動はできないらしい。
キュルケの放った標的を追尾する魔法、ファイアー・ボールの不自然な動きを見たところ、タバサはすぐに勝利に繋がる答えへと、たどり着くことができた。

この恐ろしい幻影のモンスターの最大の隙は、攻撃時にこそある。
なかば力押しの魔法の打ち合いを観察するうちに、やがてもうひとつの、最も決定的な情報を導き出すことに成功した。

―――『鬼火の群れは、一番近いところにいる目標を攻撃する』。
なお、敵に戦術的に優先して標的を選ぶほどの知性はないと来れば。

これらに気づき即座に隊長騎へと伝令できたことが、一方的にやられるだけの絶望的な状況から抜け出し、反撃するチャンスを作ったのである。
そして、鬼火たちは、異様なほどに火の魔法にたいして脆弱のようだった。

囮役が敵からの注意と攻撃を引き受け、火のメイジが攻撃するという連携が、シルフィードの背の二人と竜騎士隊のメイジたちとの間に、自然と生まれていた。

だが……
勝つための情報を得られたとはいえ、必ずしもそれを実行することが容易だという意味にはならない。

バ バ バ バ―――

「うぐっ、やられた! すまん、あとは―――」
『次は私が行く! 援護頼む! しくじったら屍は拾ってくれ!』

囮役を務めていた一騎の竜が羽を貫かれ、その背から騎士が飛び降りていった。
すぐさま他の騎士が飛び込み、敵の注意を引き、彼の戦線離脱を助ける。脱出した騎士は『フライ』を唱え、眼下の森へと降下してゆく。
つい先ほどまでなら、竜の背より離脱したメイジは、電光の集中砲火の的になるだけだった。だが、今はもうそうではない。
タルブ近郊の上空にて、彼ら彼女らは国のために友のために、皆が命を預けあい、迫り来る死の運命と戦っているのだった。

「きゅいきゅいっ!」

そして、いまや形勢は逆転しつつある。
どき、どき、どき、と心臓が鳴る。

(すごいわ……あたしも、タバサもシルフィードも、この人たちも、今、命を燃やして戦ってるの……!!)

キュルケは感激していた。
彼女は成り上がり国家ゲルマニアからの留学生であり、この国に住むものたちと比べてずっと、戦いと死とは身近にあるはずのものだった。
とはいえ、タバサやルイズと比べて彼女には、命を賭けた戦いの経験もそう多いわけではない。

本気の命のやり取りの経験も、せいぜい数えるほどしかない。貴族の戦いは大抵の場合、どちらかが降参するか杖を落とすことで決まるからだ。
だから、これほどまでに死が身近な状況、近くで人間がばたばたと死んでゆくという凄惨な状況に、慣れているはずもなかった。

(ああ、こんなの、はじめて……!)

これが戦場の空気というものなのだ―――それも、絶望に追い込まれてさえ誰一人前向きな心を失わないという意味で、限りなく理想に近いもの。
情熱と破壊を司る炎のメイジたる彼女である、心燃えぬはずがない。
覚悟を据え明日への情熱につつまれ、死の運命をたちまち乗り越えてゆく人間たち―――そんな強き力を間近で目撃し、自分も参加している今こそ、胸の奥高らかに鳴り響かぬはずがない。

共に戦う竜騎士隊―――先ほど出会ったばかりの、会話をかわしたばかりの、それでも確かにひとときの仲間だったメイジたちの死が、キュルケの心に火をつける。
タバサのことを守ってやりたいという気持ちが、その炎をますます燃えさからせる。
心を燃やせば燃やすほど、想えば想うほどに、彼女の魔法の威力ははるか高みへと登ってゆく。
もはや恐れは無い。

ド ド ド ド―――

落ちた仲間を犬死ににはさせぬとばかりに、一騎が飛びこみ、雷光の檻の隙間をかいくぐり踊るように宙を舞う。
炎メイジの攻撃が、竜のブレスが、凶悪な鬼火(ウィスプ)たちを片っ端から焼き払ってゆく。飛んでくる死の電撃の帯は、ひとつまたひとつ、確実に数を減らしていった。

さきほど一度落ちそうになってより、戦っている間じゅうずっと、キュルケはシルフィードの背より落下しないように、タバサと背中合わせにロープで身体を結びつけあい、両手で大きな杖を振るい続けていた。
背中越しに、密着したタバサの心臓の鼓動が、呼吸のリズムが、汗で湿ったシャツの衣ずれる感触までもが伝わってくる。
同じ気持ちなんだわ、とキュルケは思った。

(ああ……あたしたちは、今確かに、戦いの中に生きてる……ニューカッスルのときのルイズも、ガイコツたちも、こんな気持ちだったのかしら?)

ぶるっと肩をふるわせ、呪文を唱える。

「これで、ラスト! いっけえええ!」

―――ずどおおん!

やがて<鬼火>の最後の数匹を巻き込み、猛烈な爆風でこなみじんに打ち砕いたあと、キュルケは体中が小刻みに震えはじめた。
そして、目にはうっすらと涙が浮かんできた。
戦いで泣くなんて自分らしくない―――とも思ったが、この涙は今まで流した涙のうちでも、いちばん自分らしい涙のようにも思えていた。

勝った、嬉しい! 生き延びた!
あたしたち二人、生きていることが、こんなにも嬉しいなんて!

重く使い慣れぬ杖を強く強く握り締めていた手が、なかば固まってしまっており、指を引き剥がすのにすこし苦労する。
この期に及んで絶対に落としてはいけないというプレッシャーが、いつも気丈で本番に強いキュルケをして、そうさせていたらしい。
杖を背中にひもで吊るし、タバサを抱きしめる。

「やったわタバサ! あたしたちの勝利よ!! んっむー」
「……」

ともに死地を乗り越えた親友のおでこやほっぺたへと、何度もちゅうちゅうとキスをしてやると、タバサはもじもじと身をよじった。
キュルケは優しく微笑んで、青い髪の友人のおでこの汗と、ついた自分の口紅の跡を、そっとハンケチで拭ってやる。
思わず手を滑らせたとたん、先日買ったばかりのお気に入りの柄のハンケチは風にまぎれて、たちまち後方へと吹き飛んでいってしまった。

―――うおおおォオ!

トリステインの竜騎士隊のメイジたちも、もはやずいぶんと数を減らしてしまったが―――誰もが勝ち鬨の声をあげ、杖を振り上げて喜んでいた。
その後、それぞれの竜の背で、全員がまるで申し合わせたかのように、すっ、と胸に杖を抱いて目を閉じ、ほんのひと時、仲間の死を悼むのであった。

キュルケとタバサ、そして竜騎士隊のメイジたちの戦いは、まだ終わっていない。
むしろこれからが本番である。タルブへ行き、ルイズを守り、あの魔道士<サモナー>を討つのだ。



「……あれは」

キュルケがマナ・ポーションを取り出し、片手で鼻をつまんでぐいっと飲み込んで苦い表情をしていたところ。
タバサが、煙のたつタルブ方面に起きている異変を発見した。

「戦闘が始まっている……」

それもまた、目を疑うに充分な光景だった。
はるか天空より、まるで流れ星のように、村のある場所に向けて、いくつもいくつも燃え盛り尾を引く火の球が落ちてゆくのが見えたのである。
あそこでいったい、何が起こっているのだろう。

「急ぎましょう! きっとあそこにルイズが居るわ!」
「きゅいきゅい! きゅい!」

キュルケの叫びにタバサはおずおずと頷き、シルフィードが答えた。




―――

ジャン・コルベールは、なにも無策で、白炎のメンヌヴィルを周囲に誰も居ない広場へとおびき出したというわけではない。
隙さえあれば、『爆炎』と呼ばれる、必殺のトライアングル・スペルを放たんとしていたのだ。
それは空気中の水蒸気を油に<錬金>し、一定範囲内の酸素を燃焼しつくして敵を窒息死させるという、容赦なき殺人用の魔法である。

ところが、とうとうコルベールが禁を破る機会はやってこなかった。
単純に相手に隙が無かったことと、自動発火攻撃<ホーリー・ファイア>のほうが、こちらが呪文を練るよりもはるかに早かったのだ。

また、爆炎のスペルは、いちど放てば確実に相手を殺してしまう。
そして、近くに味方が居ては放つことができない。もし、コルベールが先ほど一時盲目状態にされておらず、いちはやく杖を拾っていたとしたら―――
メンヌヴィルの背後で不意打ちの機会を狙っていたアニエスまでも、<爆炎>の範囲へと巻き込んでしまっていたことだろう。
それは敵の肺の中の酸素を奪う呪文だ。したがって、デルフリンガーや火炎レジストによってさえ、ダメージの軽減は不可能であるように思われた。

あとほんの少しで、二十年前に自分が秘密裏に助けたダングルテール村最後の生き残りを、自分の手で殺してしまうところだった。
それだけでも、かつての部下メンヌヴィルに感謝すべきだろうか、とコルベールは思う。
複雑にからまりあった運命の流れというものは、なにがどう結果に影響するのか、まったくもって予測不可能なものである。

確かなことは、コルベールは完膚なきまでに敗北し、アニエスでは彼に勝てないだろう、ということ。

「おい、姉ちゃん、大丈夫か! あいつが来るぞ!」

コルベールを引き摺って逃げていたアニエスへと、背中のデルフリンガーが呼びかけた。

「……アニエスどの、すぐに……私を、置いて、逃げなさい……ミス・ヴァリエールたちと、合流するんだ……」

アニエスの体は、小刻みに震えていた。
たった今、自分の腕の中に居る、傷ついた炎のメイジ……助けようとした相手が、仇敵だったのである。
そして、彼をそんな目にあわせた盲目の傭兵もまた、長年追い続けてきた仇敵なのだと知って、深い深いショックを受けていた。
白炎のメンヌヴィルが、笑いながら、歩み寄ってくる。うはははは―――

「私を置いて……いきたまえ、アニエスどの……私はもう、だめだ」

コルベールが弱々しく言った。
剣士アニエスは、がくがくと震えだしてしまいそうな身体を、そして溢れそうな胸のうちを、強い意思でもって必死に押さえ込んでいた。
彼女はプロの剣士である。すぐに思考の冷静さを取り戻し、彼を引っ張って離脱する余裕などないことを、半ば以上理解していた。

では、彼を置いて逃げるべきなのだろうか、と考える。
この教師は、自分にとっての仇敵の一人のようである。
だが、彼はルイズ・フランソワーズやキュルケ・ツェルプストーに、ガリアのリュリュ嬢にだって、とてもとても好かれている男である。
今ここで彼を見捨てて生き延びたとしたら、自分は彼女たちに何と言うべきなのだろうか。

ボウッ―――パアン!

アニエスがコルベールへと飲まさんと、ベルトより取り出したヒーリング・ポーションの小瓶が、たちまち炎をあげて破裂した。
破片と炎を受けた剣士の手はグローブと火炎レジストのおかげで、傷も浅い。

白炎のメイジは、<ホーリー・ファイア>を異様なほどの精密さでもって、手足のように使いこなしているらしい。
彼は目が見えず、温度で周囲を感じ取ることが出来る。
彼は周囲の気配、殺気や敵意、そして攻撃や防御に関わる筋肉の動き一本一本までも読み取って、即座にオーラの炎で焼くことが出来るようだった。
もはやここまでくると、人間ワザではない。

「……逃げ……なさい」
「喋るな、傷にさわるぞ」
「……どう、して……」

どうしてなのだろう? アニエスは、自分が彼を置き去りにこの場より逃げるという選択をしていない理由を、自分でも理解できていなかった。
仲間であるミス・ヴァリエールとミス・ツェルプストー、リュリュ嬢に免じて、というのが答えなのだろうか。
あるいは二人そろって生き延びることが出来たら、この男に問い詰めてやりたいことが沢山あるから……そんな理由もあるのかもしれない。

「さあ、待ちくたびれたぞ……話は終わったのか?」

二人のことをただならぬ仲だとばかり思い込んでいるらしいメンヌヴィルは、律儀にも待ってくれていたようであった。
アニエスは頭を回転させる。
片手で炎の剣の柄をぐっと握り締める。

心は決まっている……今はこの教師を助けよう、と。
―――だが、どうやって?

たとえ『ファイアーボール』を吸収しレジストしても、爆風の衝撃は物理的なものだ。
もしいちど剣を手からはじかれたら、あとは炎に全身を蹂躙され、黒焦げになるほかない。

「おい女、打って来い。まずはお前の両目を焼いてやろう。もがき苦しめ、俺とそこの隊長どのに、お前の焼ける匂いをたっぷりと嗅がせてくれ!」

伝説の傭兵は無情にも、休憩の終わりを宣言する。
二人とも助かる方法が存在しないことは、明らかだった。剣士はぐっと奥歯を噛む。

やはり手詰まりなのだろう。
自分ひとりなら、逃げ延びることは可能だろうと思われた。それでも、そうしたくないという気持ちが、胸いっぱいに溢れていた。

平民剣士のアニエスにも、強い意地と誇りがある。
それは、王女やルイズたちと触れ合うなかで、そしてここしばらく大きな任務に携わっているなかで培った、心の絆だ。
いっぽう復讐心というものは、悪魔どもが好んで喰らうような、何もかもを巻き込んで破滅へと向かう人間の負の感情の一種なのだという。
そう自覚したうえで、気持ちを裏返せば、過去の弱かった自分の心を乗り越え、選択したあらゆる行動を後押しするような意思の力ともなりうるのだという。

この二十年、復讐を夢見て乾いた人生を送ってきた彼女にとっても、出来ることなら後者のように、前向きでありたいと思っていた。
ここでひとり逃げたとしたら、自分を自分たらしめている何か大切なものを失い、自分の心のこれまでの成長を否定してしまうような―――
そんな気がしていたのだ。

ならば、せめてこのやりきれぬ気持ちを刃に乗せて、たとえ目を焼かれようと、一太刀でも―――と心を決めたときのことだった。

ときに、辛い運命への勝利というものは、くじけぬ者にたいし、あたかも天から降ってくるかのようにして、やってくるのだという。

ズド ドオッ―――!!

白炎のメンヌヴィルの全身を、突如虚空より現れた、強烈なる炎のかたまりが包んだ。アニエスは大きく目を見開いた。
その無属性の炎は、ありとあらゆるものを焼き尽くすような禍々しい虚無の色をしていた。

かつてアニエスもいちど身に受けたことのある、その凶悪な炎は、今や他でもない彼女にとっての、勝利の炎となっていたのであった。


―――

時はほんのすこしだけさかのぼる。

「オスマンだ! オスマンが出たぞ!」

傭兵の一人が、塔のてっぺんを指して叫んだ。
学院から出かけているはずの学院長オールド・オスマンが、敷地を見渡す塔の上、ばさばさとマントをひるがえし、そこに立っていた。

「メンヌヴィル隊長を呼べ! オスマンを見つけた!」

齢三百歳を越えるであろう老人が、自分の学校を見下ろして、その惨状に肩をすくめた。
頭には、不恰好な緑色の頭巾を被っている。
片手には、彼の身長と同じくらいに長い素朴な杖。

「まったく……面倒なことじゃのう……わしが留守にしたとたんに、学院のほうが攻められておるとは」

長い髪と長い髭の老人は、腰をとんとんと叩いて、ぶつぶつと文句を呟いた。

「白髪のガキが王宮へ行けと言うから行ってみれば、直ちに戻れとな……この年で馬車はきついというに……まあ、帰りは一瞬じゃったがのう」

どうやら彼は馬車で王宮に出頭してからフネでタルブへと向かうつもりが、到着してすぐに襲撃を伝えられ、慌てて学院へと魔法陣でとんぼ返りしてきたところらしい。
ぐるり、と学院の敷地内を見回して、苦々しげな表情をした。

「さあて、ちんけな賊どもめ、好き勝手に狼藉をはたらいてくれたもんじゃの……わしからのおしおきじゃ、たあんと喰らえい!」

赤銅色の素朴な杖、トリステインで彼しか使いこなせないであろう戦術兵器を、天高く振り上げ―――ぶん、と勢いよく振り下ろした。

キーワードを紡いだ。


『A P O C A L Y P S E(灼熱地獄の黙示録)』


この瞬間―――食堂を中心に、学院のそこかしこで、恐怖の王ディアブロの炎が炸裂する。ズ ド ド ド ド ド ド ド―――

実体をもたぬこの無属性の炎は、たとえ味方と敵が密着していてさえも、味方を傷つけることはない。大切な生徒たちの安全を守る、最適最上の魔法だ。
老人はひとかけらの容赦もなく、大きく杖を振り上げる―――「そうりゃ、もう一発!」 ド ド ド ド ドオッ!!!

学院を恐怖のどん底へと突き落としたトリステイン史上最大規模の人質事件は、この世に存在する何よりも深い恐怖の炎によって、あっさりと終幕を告げるのであった。



―――

アニエスは降って湧いた機を逃さず、炎の剣を振るって、白炎のメンヌヴィルを討ち取った。
生かして捕らえることは叶わなかった。黙示録の炎の蹂躙を受けたあとでもなお、<ホーリー・ファイア>の発動が止まらなかったからだ。
さすがに二発もの『アポカリプス』を受けた敵の隙は大きく、アニエスは素早く切り込み、一撃で決着をつけた。

こうして、アニエスは仇敵のひとりを討ったのだ。
大きく深呼吸をして胸に手を当て、はげしい鼓動を鎮めようとすると、体中に負った浅い火傷の痛みがどっと襲ってきた。

そして―――

盲目状態のとけたジャン・コルベールは、ポーションを飲み下したあと、治癒を待ちながら、アニエスへと問いかけていた。

「アニエスどの、きみのおかげで、ほんとうに助かった……しかし、どうして私を置いて逃げなかったのかね」

彼の言うとおり、あの場では彼を見捨てて離脱することが、最善の選択だったことであろう。
彼女にとっては、かつて彼女の住む村を焼き滅ぼした男を助ける義理も、なかったことであろう。
アニエスは数秒戸惑ったような表情をしたあと、ふっと息をついて、言った。

「そうだな……その面白い髪型に免じて、ということにしておこう」

コルベールはびくん、と震え、沈黙した。
彼の髪型は、確かに、この学院に住む他の誰よりもいちばん面白いものに成り果てていたようである。

「―――おい、おい、やべえぞあんたら! い、今すぐここから逃げろ! やべえのが落ちてくる! にに逃げろってえ!」

デルフリンガーが上ずった声で叫んだ。

「こいつぁ、ヘヴィすぎて、吸収できねえっつーの! 南無三!!」

直後、二人はそろって上を見上げた。そして目を丸くし、顔をひきつらせ、口をあんぐりと開けた。きゅうううん、と風を切る音が大きくなる。
この時、もはや逃げ場は無かった。

「うわあ……」―――と、二人は同時に、かすれた喉の奥から声を漏らすほかなかった。

空の彼方から飛来した、燃え盛る巨大な隕石が、二人をめがけて落下してくる。


ず、どおお、おおおん―――

ルーンワード『正義の手(Hands Of Justice)』の装備者が死亡した際に、一度きり発動する『擬似隕石落とし』の魔法―――スキルレベル48の『メテオ』であった。
そのダメージを数値に換算すると、ゆうに五千を越えるという。


―――

ごうごうと燃える炎の塊は、学院の広場だけではなく、トリステイン国内の別の場所、すなわちタルブの村にも降り注いでいる。
もちろん『正義の手』によるものではないので、こちらは一発きりではないし、その命を捧げた一発ほど強力な威力でもない。
だが、それこそ赤い雨のように落下してきては、あたりに大規模な火災を引き起こしている。

ずどーん! どーん!

先ほど<サモナー>が召喚したのは、黒衣をまとったミイラのモンスター、『ヴァンパイア』と呼ばれるアンデッドの一種であった。
そして、この惨状は、その魔物たちの放つ魔法『メテオ』によるものだ。
山羊の頭をした悪魔たちの軍団が、燃え盛る炎の中を突っ切って、ルイズたちへと迫ってくる。

「ああルイズ、これは何なんだ!」

現在、タルブの村があった場所は、呼び出された魔物軍団と、ガリアの騎士の引き連れてきたガーゴイルたちによる、激戦の場となっているのだ。
ルイズが死体よりスケルトンを作り、盾を構えさせて防御に回すと、付き添いの少年が叫ぶ。

「きみがやったのか! 何だそれは!」
「これはスケルトン、人間の骨で出来てるの。私たちのことを守ってくれる、勇敢な戦士よ」
「……な、なんてことだ、信じられないものばかり見ているよ!! ぼかぁもう、自分の目が信じられない!」

真っ青な顔をしたギーシュが、涙目で叫んだ。
昨日まで平和だったこの村は、もはやこの世のものとは思えぬ、地獄のような光景となり果ててしまっている。
なお、異世界の魔物たちとの激戦など、ふつう生涯に一度たりとて、見ることは叶わぬものだろう。

「……私のことは、信じてくれる?」
「むむむ、きみの何を信じよというのかね! ルイズ、今すぐ帰って二人で医者にかかろう! 僕は眼科に行く、きみは神経を診てもらうといい!」

青衣の魔道士は<テレポート>で拘束状態より離脱したあと、赤いポータルを開いて、そこからわらわらと山羊男(Goatmen)の群れとヴァンパイアどもを呼び出したのである。
空からはドラゴンたちが襲い掛かり、ヴァンパイアが杖を振り、いちめんに猛烈な炎の魔法を雨あられと降らせている。
以前ルイズが戦ったのとは別種らしい、赤い肌の山羊男(Fire Clan)どもは、いちめんの大火災のなかでも身体を焼かれずに、まったく問題なく戦えるようだった。

ずどーん! ずどどーん!

「「ひいええーっ!!」」と仲良く悲鳴をあげながら、ルイズとギーシュは必死に逃げまどうほかない。

『メテオ』の魔法によって召喚された擬似隕石は、タルブの村へ、そして草原やぶどう畑へと、つぎつぎと落下してはぼこんぼこんとクレーターをつくってゆく。
直撃をうけた大地の上にあるものは吹き飛ばされ、打ち砕かれ、焼き焦がされていった。
シエスタの生家を含む、素朴な家々の跡地は、もはや判別すらもつかない―――いったいどうなってしまったのかは、説明するまでもないだろう。

「ああお化けだよ! 動くガイコツだよ! 見たことも無い山羊の亜人の群れだ! おまけにでかい火の玉の雨だ! いったいこの村は今、どうなっているんだ!」

スケルトンの鉄の盾、そしてワルキューレの構える青銅の盾の影で、飛び散る火の粉と瓦礫に頭をかかえつつ、ギーシュがルイズへと問いかけた。
四方を炎で囲まれたら終わりである。頭上に直接『メテオ』の火の玉が落ちてきても終わりである。敵に囲まれたら終わりである。
ただの人間である二人は、火事の煙を多く吸い込むだけでも、危険に陥ってしまうことだろう。

「奴らは何者なんだ! そして、一番わけが解らないのはきみだよルイズ! きみはいったい何者なのかね!」
「あら? そんな風に私に正面きって訊ねてくる人、はじめてのような気もするわ、ウフフフ……あなたって勇敢なのね、でも、そんなに知りたいの?」
「むぐ……!!」
「勇敢なヒトね、本当に知りたいのかしら? ……ウフフフフ」

がきん、がきん―――と刃物を打ち合う音がひびく。魔法の炸裂する音、山羊の太いいななき声、甲冑のなる音。
そして、いつも唐突にはじまるルイズの笑い声。ギーシュにとっては、親しい友人であるはずの彼女もまた、悪夢のなかの住人のように見える。

『息苦しいから』と、ガイコツヘルメットの前面の覆いを引き上げているので、ギーシュからはルイズの整った顔だちが見える。
彼女の被っているそれ、本来はフルフェイスの兜であるが、前面の覆いを下げれば彼女もまた、異世界から来たモンスターの一種のようにしか見えなくなってしまうのだった。
可愛い女の子のためならなんとか頑張れる……この一念だけが、この場に不釣合いかもしれぬ実力の、ドットメイジの少年の体を突き動かしている。

「ま、まるで悪夢の中に居るみたいだ」
「あははは!! 気が合うわね、私も今そう思ってたところよ!」
「……って、笑ってる場合かね! きみが余裕そうだったから、何か策があるのかと期待してみたらコレだよ! さっきから逃げてばかりじゃあないか!」

体中煤まみれの少年少女は先ほどから、情けなく悲鳴をあげつつ、ひたすらにほうほうの呈で逃げ回り転げまわっている。

敵の使う『メテオ』の魔法は、発動してから実際に火の玉が落ちてくるまでにしばらくのタイムラグがある。
擬似隕石の落下目標の地面には、予兆として魔法の炎の円陣が出来る。それを見て避けていけば、おのずと直撃を回避することができる。

とはいえ、最初の<スケルタル・メイジ>たちとワルキューレ軍団のほとんどは、降り注ぐ隕石の一撃で、活躍の場もなく粉々に砕け散ってしまっていた。
残ったワルキューレたちは大きな盾を身につけてはいるが、しょせん青銅である。敵の強烈な魔法攻撃を防ぎきるのは難しい。

「やっぱり僕たちは逃げたほうが良いさ! 断言するよ、今すぐ逃げるべきだ! 情けなくて泣きたくなる! だって、反撃のひとつさえできていない!」

頼もしいファイア・ゴーレムが、スケルトンたちと連携し、敵の突撃を押しとどめ、瓦礫を拳ではじき、飛んでくる炎を吸収し、背後の二人をかろうじて守っていた。
魔道士<サモナー>は、騎士の鋭い攻撃と、ファイア・ゴーレムの纏う<ホーリー・ファイア>とを警戒しているのだろう、テレポートでルイズたちより離れて、上空を飛びまわる風竜の背へと戻っていた。
今はおそらく精神力を温存しているのだろう、攻撃は手下の竜や、地上の魔物たち任せである。
彼自身が上空から地上へと魔法を放つのは、ほんの時おりのことだ。

あの男がラ・ロシェール守備隊よりドラゴンを奪ったこと、また、ルイズへと直接に魔法攻撃を行ってこないことにも、理由があるのだろう。
前者は、ひょっとすると本気でアルビオン艦隊と戦うつもりがあって、その現れの行動なのかもしれない。
そして後者は、前回彼を痛い目に会わせた、魔法無効ゴーレムのようなこちらの策を警戒してのことだろうと思われる。
あるいは、ルイズを追い詰めて生かして捕らえ、拉致したり、本気で仲間にするつもりがあるのかもしれない。
だが、彼の攻撃のやり方からは、べつにルイズが死ぬならそれはそれでかまわない、という投げやりなスタンスが透けてみえてならない。


さて―――

空を飛べぬガリアの黒い騎士も、さすがに上空の敵へと手を出すことは難しいようだ。
まさか魔道士がこんな風にドラゴンをぞろぞろと引き連れてくるなどとは、歴戦の騎士たる彼にとっても、想定外の事態だったらしい。
なので彼は今、さきに地上を制圧し、魔物たちの湧き出る赤いポータルを占拠せんと、ガーゴイルたちを率いて、魔物の群れをばったばったと切り伏せている。
トリステインの少女ルイズ・フランソワーズと共に戦うことが、空飛ぶ<サモナー>に対する勝利への鍵―――ひょっとすると、そんな風に判断したからこそ、黒い騎士は彼女たちの参戦を許したのかもしれない。
ルイズは、そんな彼の期待に応えたいと、心より思う。

「べ、べつにただ逃げまわってるだけって訳じゃないからね! ……私だってきちんと戦ってるし、さっきから騎士さまたちの援護だってしてるんだから!」

ルイズは時おりネクロマンサーの杖を振っては、上空より襲いかかってくるドラゴンや魔物たちに呪いをかけ、敵集団を陰険にコントロールしているのだった。
たとえば、甲冑ガーゴイル軍団の攻撃目標に対しては『生命力吸収の呪(Life Tap)』、それ以外に対しては『視野狭窄』や『混乱』の呪いを振りまいている。
山羊の群れは同士討ちをはじめ、ヴァンパイアたちは視野狭窄状態となって、遠隔攻撃の手をとめ、ガーゴイルたちの接近を許す。
そして、ガーゴイルたちはいくら傷ついても<ライフ・タップ>の効果によって、敵を攻撃するたびに損傷が修復されてゆくのだった。

『生命力吸収の呪(ライフ・タップ)』―――それはルイズいわく、あたかも吸血鬼のように、『食事よりもずっとスマートにパワーを補給する方法』なのだそうな。

呪いによる強力な援護を受けたガリアの魔法人形軍は、勢いづいて、いまやぐいぐいと魔物たちを押し返している。
ルイズたちが魔物に追い詰められずに、こうして逃げ回っていられるのも、呪いによる魔法封じ、そして敵集団の分断や、かく乱のおかげなのだ。

ネクロマンサーは他力本願的な職業と呼ばれる―――混戦のなかでは何をやっているのか、傍目からはなかなかわかりにくいものだ。
なので、泣いたり笑ったり叫んだり、ちょこちょこと走り回ったりして忙しい……付き添うギーシュから見たルイズの印象は、そんなところである。

「さあ、ようやくこっちにも素敵な死体(ダンヤク)が出来た! ……うふふ、反撃するわ! 見てなさいギーシュ……『ロワー・レジスト(Lower Resist:属性レジスト低下の呪)』!!」

ガリアの甲冑ガーゴイル軍団と入り乱れて戦っている山羊男の一団へと、ルイズは呪いの火の粉を降らせた。
もしもここで『死体爆破』の技を使って魔物たちを吹き飛ばせば、ガーゴイルとはいえ貴重な味方戦力を巻き込んで、粉々に打ち砕いてしまうことになるだろう。
だが、ルイズはにやっと笑い、構わずに杖を高々とかかげ、高らかに呪文を唱える―――

「そーおれっ、かもしてあげるっ! ブチまけなさいっ―――『ポイズン・エクスプロージョン(Poison Explosion)』!!」

一体の山羊男の死体が青黒く変色し、むくむくむくと風船のようにふくらんでゆき―――やがて、ぼっすん、と鈍い音をたてて、破裂した。
形容しようの無いほどにおぞましいモノを直視してしまったギーシュは、みるみる顔を青くして「うぐぐ」と唸り、口元を押さえるほか無かった。
ああ、きみはどうして、『見てなさい』などと言ったのか!

それは、この大惨事に輪をかけるような、世にも奇妙な術であった。

ぶしゅううう! もくもくもくもく!!
ぼわわわわっ! ぼわあっ、ぼわわっ! ぶしゅううううっ―――!!

死体から緑色のガスが噴出し、騎士やガーゴイルや山羊の悪魔たちもろとも、あたりいちめんを包んでいった。
もはや説明するまでもない、強烈な毒性をふくむ霧である。

『何をする!!』

バイオテロに巻き込まれたガリアの騎士が、慌てたように叫んだ。
だが彼はすぐに、それが何たるかに気づいたらしい。生物でないガーゴイル、および甲冑の中身が入っていない彼には、いっさいの毒が効かない(Poison Immune)。
なので、敵味方入り乱れての大混戦においては、これこそが最善の援護なのかもしれない、と瞬時に理解する。

『すまない……少女よ、的確な援護を感謝する!』

新鮮な死体を瞬間的に発酵させ、危険極まりない毒ガスを調合し撒き散らす―――『死体毒爆破』、ラズマの聖なる御技、『骨・毒』系統のいち秘術。
呪いによって毒への抵抗力を下げられた魔物たちの肉体へと、猛毒は急速に侵食してゆく。弱った悪魔たちは次々と、ガーゴイルたちの槍に貫かれてゆく。
悪魔の死体の山ができ、ルイズは笑い、ギーシュはますます混乱し震えるほかない。

「ななな、なんだこれ! なんだこれ! だ、だだだ、大丈夫なのかね? ……って、うっわ、臭っ!!」
「大丈夫、ヒトには効かない毒だし、ましてやガーゴイルに効くわけもないじゃない……ってくさっ! な、なにこれいやだ、くっさあぁ!!」

すさまじい腐敗臭が、あたりに撒き散らされていた。
人間には効果のない、魔物だけに効くように調整された毒なのだが……どうやらルイズは、匂いのほうの制御を、間違ってしまったようである。

もはや山羊の悪魔たちもルイズたちも、敵味方そろって涙目になるほかない。
直撃をうけた味方が、匂いを知らぬガーゴイルばかりであることが、不幸中の幸いのようであった。

「うへえっ! 死ぬ、死んでしまうっ! くっ、なんて魔法だ!!」
「ごめ、に、逃げっ……けほけほ、けほっ……目がちくちく……ぜえ、ぜえ、ひいい、くしゅん、くしゅん!!」

ルイズとギーシュは鼻と口をおさえくしゃみや咳をしつつ、両目からだらだらと涙をながし、慌てて風上のほうへと退避するのであった。
不幸から出た幸運、この思い出したくも無い匂いによる一撃は、鼻の効く山羊男どもに、思わぬ効果的な打撃を与えたようでもあった。
だが、魔物たちは倒されても倒されても、ぞろぞろと赤い<ポータル>の奥から、吐き出されるかのようにしてやってくる。そして、地上戦力より厄介なものが、空に居る。

「っ……ルイズ危ない、臭いっ! う、上からドラゴンが来るぞぉ! って、臭すぎるっ、なんとかしたまえ!」

ルイズが先ほどのスキル、『ポイズン・エクスプロージョン』を実戦で使うのは、初めてのことであった。
このスキルの練習段階では、あのただでさえ不潔な悪魔ではなく、普通の動物であるネズミの死体を使っていたものだ。
そのときは大丈夫だったので、こうして術式の一部を変更し忘れた場合に、よもやこんな大惨事(バイオハザード)になるなどとは、思ってもみなかったのである。

「ご、ごご、ごめんねギーシュ、ちょっと失敗しちゃった! けほけほっ、こ、こここんなに臭くなっちゃうなんて、思わなかったのよお!」
「そ、そっちじゃない、ドラゴンのほうをなんとかしたまえと! 来てるから! 死ぬから! うっわ臭っ! ひどっ!」
「あ゙、あ゙ーーっ!! めんどくさあい!! もうやだあ!」

涙目ルイズは鼻をずびずびと鳴らし、喉もがらがらと叫びながら、なんとかファイア・ゴーレムを引き寄せて防御に回し、ネクロマンサーの杖をぶんっと突き上げた。
<ホーリー・ファイア>が風竜を焼き、吐きつけられたブレスを、たくましい炎の体が妨げる。
少女の手にした杖の先、緑色の宝石がびかびかと輝く―――

「こンのおっ……世界から憎まれちゃいなさいっ―――『誘引の呪(アトラクト:Attract)』!!」

戦場の上空を飛びまわるドラゴンの群れのうち、ルイズたちへの攻撃をしそこねてすぐそばを通過していった一匹へと、ルイズはすれちがいざまに呪いをかけた。
<誘引(アトラクト)の呪>とは、知性の低い対象を<世界の敵(Universal Target)>に認定するというものだ。
かけられた対象は混乱し、自分以外のあらゆるものが敵に見えるようになる。
それだけでなく、仲間たちからでさえ『殺害すべき敵』と問答無用で認定されてしまう、極悪きわまりない呪いであった。
ルイズの意趣返し……いや、ただの八つ当たりである。

―――があおう! ぴぎゃあぴぎゃあ!

飛び上がった一匹の不幸な風竜は、たちまち他の風竜たちに飛びかかられ、上空にて集団リンチにかけられることになった。
全身を噛みつかれ、ブレスを吐きかけられ、それでもなお狂ったドラゴンは、仲間たちへと攻撃するのを止めない。
慌てた<サモナー>は、竜たちへとふたたび操りの術をかけて同士打ちを止めさせようとしているようだが、どうやら不可能のようだった。

「あーははははっはっ! 見て見てギーシュ、ほらアレ寂しい子よ、味方がひとりも居ないの! イジメかっこわるいわ! アハハハ……あがっ! かっは……」
「あわわわわ、血が、血がっ! だ、大丈夫かね!?」

ルイズは目もうつろに、いきなり血を吐きだした。ギーシュは慌てるほかなかった。
短時間のうちに、煙だの毒だのと空気の悪い場所で大いに笑い叫びすぎたせいで、からからに乾燥しきって弱った喉が破れてしまったらしい。
彼女はただちに『回復ポーション』を飲み干し、喉を潤すとともに傷を治し、けほけほと咳をし……にやりと微笑んだ。

「あーあー、オッケー、治療したわ……ウフフフ、さあギーシュ、今からお空のアイツをひきずり落としにいくわよっ! ―――『コープス(死体)』……」

どおーん、と地響きをならし、空から一体の傷ついたドラゴンが落下してきた。
瀕死の竜の巨体の着弾地点、先の乱戦のあとに落ちていた山羊の悪魔の死体に向けて、杖を突きつけ、少女はタイミングを合わせて呪文を唱える。
かすかに見える勝利へとつなげてゆくための、次の一手だ。

「『エクスプロージョン(爆破)』!!」

―――ずどかーん!!

夢と希望の詰まったプレゼントボックスが開封される。

あたり一面に色とりどりの中身を撒き散らしてはじける、死体という名のびっくり箱。
壮絶な爆風が一帯の炎、数頭の山羊男を巻き込んで、ねじ伏せて、ちぎりとばしてゆく。
いくら生命力に溢れるドラゴンとはいえ、上空からの落下のダメージもあり、死体爆破の直撃をくらっては生命活動を停止せざるをえない。
一方ギーシュは、挙動不審にならざるをえない。
みるみる吐き気がこみあげてきたので、涙目で口を押さえ、ぷすうぷすうと詰まった鼻で呼吸しつつ、ひたすら貝のように口を閉ざすほかなかった。

「さあ、ひとりぼっちはもうオシマイよ、良かったわねドラゴンちゃん……きみに決めたわっ!」

べちゃべちゃと肉片や骨片を踏み、ぼろぼろとなったドラゴンの遺骸へと駆け寄ったルイズは、呼吸を整え、杖をかざして目をつぶり、ごにょごにょとスペルを唱え―――
口の端をつりあげて、宣言する。かっと目を見開く。

「ウフフ……あなたはわがしもべとして蘇るのよ! 始祖ラズマの御名において、あなたに祝福を。あなたの尊厳を取り戻すために、いまいちど機会を与えるわ!!」

ばあっ―――と振り下ろした。火の粉が宙を舞った。

「あなたに再び、生きることの喜びを、心燃やす炎とはずむ息を! 我が名はルイズ・フランソワーズ……死せるドラゴンよ、私にぃ、従えぇッ!」

大いなる宇宙、<存在の偉大なる円環>の優しいゆらぎが、この場この時において、ひとつの小さな奇跡の発動を承認する。
清らかな火の粉と聖なる霊気の光が、竜の死体にとりつくケガレをたちまち取り払い、タマシイの舞い降りる道を開いてゆく。
ラズマ死霊術の秘められし究極奥義、その名も……

「『リヴァイヴ(Revive:死者蘇生)』!!!」

どくん、どくん、どくん……母なる土、貪欲なる血肉と冷徹なる鉄とが結びつき、炎が突き動かす。
降り注ぐ光の粒、まばゆい光に包まれ、ドラゴンの死体の損壊が、たちまち修復されていった。

ギーシュは大きく目を見開き、額に手を当てて、うぐぐぐぐと唸り声をもらした。たったいま自分の見ている光景こそ、信じられないにもほどがある。
先ほど確かに絶命したはずのドラゴンは、体中に薄暗い影をまとってのっそりと起き上がり、翼を大きく広げ、首を振り上げ―――

ガアアオオウッ!!

高らかに、咆哮したのである。
それは、つい先ほどまで竜の受けていた、意に沿わぬ精神支配より解き放たれたことによる、歓喜の叫びのようでもあった。
そして死せる竜は、新たな主人ネクロマンサーへと敬意を表すかのように、あたかも女王の前にかしずく従者のごとく、地面へと長い首を降ろした。
ルイズはにやりと満足そうに笑ったあと、飛びつくかのようにして、ゾンビドラゴンの背中へとよじ登った。ギーシュに向けて、手を伸ばし叫んだ。

「乗って、ギーシュ!」
「ちょ……」
「いいから早くっ!」

ギーシュが慌ててルイズの手を取り、大きな背へとよじ登ると、死より蘇りしドラゴンは大きな翼をばさばさと上下させた。
二人を乗せて、力強く、タルブの大地から飛び立ってゆく。どおっ―――

「な、なななな、あわわわわ!!」
「行くわよ―――空へ!」

ずどん! ―――離陸したとたん、地表へと『メテオ』の魔法による擬似隕石が落下し、盛大なる炎をまきちらしていった。
もう少し離陸のタイミングが遅れていたならば、二人はあれの直撃を受けたか、あるいは炎に取り囲まれて、完全に逃げ場をなくしていたことであろう。
ばっさ、ばっさばっさ、と竜は力強く羽ばたき、どんどんと高度をあげてゆく。

「あははははは!! ねえギーシュ! 私たち、いま飛んでるわ! ほら、ほら見て、私のちからで飛んでるの!」
「そ、そうだね……は、ははは」

空へとあがり、新鮮な空気を吸い込んだことで、彼はようやく、ほんの少しだけ余裕を取り戻すことができていた。
はしゃぐルイズに、引きつった笑顔とやけくそに乾いた笑いで答えつつも、ギーシュ・ド・グラモンは思い出す。
少女ルイズ・フランソワーズは、メイジの家に生まれてこのかた、系統魔法どころか簡単なコモン・マジックさえも、使うことはできなかったものだ。

これまでの彼女は、どんなに努力しても、自力で空を飛ぶことなど不可能だった。
学院の授業の後、<フライ>や<レビテーション>で去ってゆく級友たちを寂しげに眺めつつ、『空を自由に飛びたいなあ』……なんて、ぽつりと呟いていた彼女の横顔が胸をよぎる。

「……嬉しいのかい?」
「うん! すごく嬉しい!」

少女は背後のギーシュへと振り返り、屈託のない笑顔をみせた。

「はは、そ、それはよかった……」

ギーシュは苦笑しつつも、思う。

―――ひょっとすると自分は今、彼女が願ってもやまなかった、『自力で空を飛んでみたい』というひとつのささやかな夢を叶えた、記念すべき瞬間に立ち会っているのかもしれない。

そう考えるとなんともまあ、コレはイイハナシだなあ……とギーシュはなかば以上現実逃避しつつも、しみじみと感じ入るほかない。
『自力』とは言えど、『山羊男の死骸を爆破してブチ殺したドラゴンの死体を、異教のワザで蘇生して従える』、などという理不尽極まりない方法を『自力』と呼べるのであれば、という条件付きではあるが。
成長の方向が間違っている? ああ、きっとそんな小さなことを気にしていてはいけないのだ―――と、ギーシュは冷や汗をながしつつも、自分に言い聞かせ続けていた。
今だけは、美少女とのドラゴン・タンデムの光栄にあずかろうではないか。
この美しく誇り高い異性の友のために、青銅の薔薇の杖に賭けて。

「なあ……正直に答えてくれたまえルイズ、王女殿下がかどわかされたというのは、本当の話なのか」
「……え、ええ……でもっ! 必ず助け出すわ! 枢機卿さまとも約束したし……今の私には、そのための策もあるの!」

全力で空へとのぼるゾンビ竜はぐんぐんと加速し、ルイズは「掴まって!」と言った。
ギーシュは、手綱を握るルイズの細い腰へとしがみつく。
少女の華奢な身体は、このまま力を込めたら、今にも折れてしまいそうだ。
それでも彼の腕の中にはたしかに、女性らしいかすかな柔らかさと、強い生命の鼓動が感じられていた。

「……ねえギーシュ、あなたは私を信じてくれる?」
「ああ、最初から信じていたとも! 信じていないわけがないよ!」

白くよれよれの髪の毛からは、ひょっとすると、いい匂いがするのかもしれないが……彼の嗅覚は先ほどの一撃で麻痺している。
いいや結局のところ、さっきのひどい腐敗臭がこびりついているというのがオチだろう、そんな想像をしてみて、ギーシュはすこしげんなりとした。

ギーシュは、もし今の自分たち二人を見たら、金髪の恋人モンモランシーはさぞかしやきもきすることだろう、と思う。
でも、思えば彼がルイズと親しくなってから、モンモランシー以外の女性への浮ついた気の起きる頻度も、かなり減ったものだった。
アルビオンの一件以来、多少なりとも『根拠のある自信』を身につけることができた、そのおかげなのだろう。
分をわきまえず、根拠の無い自信に振り回されていた以前の自分が、ひどく幼くも見えるほどだった。

なので現在、当初のすこしばかり不謹慎な気持ちはとうに消え去り、ギーシュは考える。
さっきから、これまでの常識からして全くもって信じられない出来事ばかりが起きており、そしておぞましい光景、あるいは奇跡のような光景をも見せられたものだ。
敵の苛烈な攻撃に追われ、ルイズの言動に振り回され、息を呑み、泣いて鼻をつまみ、手に汗を握ったものだった。

どうしてか一刻もはやく、モンモランシーの顔が見たくてたまらない。
きっと今夜は、つっけんどんながらも根は優しい恋人に、『あれは悪い夢だったのよ』と慰めてもらわないかぎり、神経が高ぶって眠れないことだろう。

それはともかく―――
どれほどに濃い存在感を放っていても、少女ルイズは、今にも宙に消えていってしまいそうなほどに儚くも感じられる。
こんなに華奢な女の子なのに……いったい彼女は、これから国のために姫のために、自分の持っているどれだけのものを犠牲にするつもりなのだろうか?

ならば自分も、ただ見ているだけではいけない。『女性に優しくあれ』、とグラモン家の血が命じている。
さあ思い返してみよ、さっきから自分は、彼女のそばに居ることを許されながらにして、ほとんど役に立っていないではないか。
せいぜい、ワルキューレの盾で瓦礫や火の粉をはじいたり、山羊男の突撃を押しとどめたり、その程度しかできなかった。

自分がどこまでやれるのかは不明だけれども、貴族として、男として、この少女を守ってやりたくもなるものだ。
それがきっと、さらわれた姫のためにも滅亡寸前の国のためにも、たとえどんなに遠回りをしても、最終的に愛するモンモランシーのためにもなるにちがいない、と思う。
そして今、彼の胸には、『コレは根拠のある自信だ』という確かな炎がともっていた。


さて―――

このドラゴンは生前、トリステインの港町の守備隊に所属していた一騎であり、幸いなことにヒトを背に乗せることに慣れているようだった。
とはいえ竜騎士としての訓練を受けたわけでもないルイズの操竜は、荒いことこのうえない。気を抜けば、たちまち落ちてしまいそうになる。

なるほど、万が一落ちたときに『フライ』や『レビテーション』を使えないルイズだからこそ、ギーシュがこうして付き添って居てやる必要があったのだろう。
ひょっとして、この高さから落ちて地面に激突したとしても、ルイズなら死なないのではないか……とも思うが、慌てて首を振って否定する。

「……ルイズ、きみは国から大いに信頼されているんだなあ。僕もトリステインのメイジとして、うらやましいと思うよ」
「ざ、残念だけど、そうでもないのよね……」

ルイズは複雑な感情のこめられているであろう、か細い声で答えた。
彼女のような一人の少女に国の命運を託すなど、国のトップにたつ大人としては、常識的に考えて、普通やってはいけないことのようにも思われる。
なのでマザリーニ枢機卿は、今のところルイズの行動については保険ととらえ、最小限度の期待をかけるに留まっているようだ。
彼は現在王宮にて、王女奪還作戦については、失敗を前提とした処理を行っているのだという。ルイズに残された猶予は、せいぜい良くて数日といったところが限度であろう。

「……今回、姫さまがさらわれたのだって、……結局、私のやったことのせいだし」
「な、なんだって!?」

そして、たとえ今回の危機を乗り越えたとしても―――
<ウェイ・ポイント>の一件のせいで、枢機卿やド・ゼッサール氏たちのルイズにたいする信用は、もはや地に落ちてしまっている可能性もある。
この戦いが終わった後、もし王女の身柄を取り返すことに成功したとして、そのあと……この子はいったいどうするつもりなのだろう?

ギーシュは嫌な想像を振り切って、慌てて話題を変える。

「まあ、それはともかく……さっき、あの不愉快な魔道士は『この国を救うために来た』なんて言ってたけど、本当のことかもしれないな」

ギーシュが前方を見やって、そう言った。
そこでは、レコン=キスタ艦隊のほうから飛んできたアルビオン竜騎士の軍団に、<サモナー>の竜たちが接敵している光景が見えた。
天下無双とよばれたアルビオンの竜騎士隊は、ただ<サモナー>の乗る竜へと近づくだけで動きがおかしくなり、陣形を乱されている。
<サモナー>はグローブのはまった右拳を天にかざし、彼へと近づく竜たちの背中からは、アルビオンの騎士たちが次々とゴミのようにふり落とされてゆく。

「見たまえ! 何なのだね、アレは……」
「……認めたくないけど……<ヴィンダールヴ>、ってやつかもしれないわ」

ルイズは、古い文献に載っていた『始祖の使い魔』についての情報を思い出していた。

『神の右手―――心優しき神の笛。あらゆる獣を操りて、導きし我を運ぶは地海空』

魔道士の男の魂胆はいまだ不明のままだが、どうやら先ほど宣言したとおり、その竜たちを操って、本当にアルビオン艦隊と戦うつもりがあったようだ。
しかし、以前戦ったときと違って今回は、どうもあの男の行動目的が読めない。
ひょっとすると、これは他国の王家の<虚無の使い手>に、命令されてやっていることなのだろうか?
あの男が自分と同じ、始祖のルーンを身につけた者だとするのならば……さきほど『同胞』などと呼ばれたことにも、意味が通るのだ。

(主人はアルビオン王家の血を引くもの? それとも、やっぱり……ロマリアが……異世界の悪魔の影響に、汚染されているというの?)

白髪の少女は背筋を震わせ、ひとすじの汗をたらりと流す。
以前『ヨルダンの石』の身代わりとなってさらわれた一匹の<エコー>、義理堅く勇敢な彼が帰ってきたときに聞いた、いやな報告を思い出していた。

<虚無>とその使い魔が、それも自分たちの宗教の総本山が、魔の影響に堕している可能性がある。
なんとも皮肉な話である。666的な意味での獣(Beast)をあやつり、赤いポータル(拠点間移動用)の呪文で東西南北ひとっとびだ。
ラズマ教徒であるのと同時に、ブリミル教徒としての信心をも併せ持つ少女ルイズにとって、それはひどくおぞましいことのように感じられていた。

「ルイズ、確かめたいことがある。きみは、『あの男の力なら、アンリエッタ王女殿下を助け出せる』―――そう考えているのだね?」
「ええ、忌々しいけど、その通りよ……今はそれがいちばん確実な方法だと思うわ」

一方、ルイズ・フランソワーズはこの時、雲を掴むような『虚無』の可能性よりも、ずっと確実に未来へとつながるであろう、ひとつの『道』を見出していたようである。

自分たちの普段使っている青いポータルの術式は、拠点への帰還用にすぎない。
いちどひとつの拠点を設定してしまうと、旅先とそことの間でしか機能しないものだ。
だが、あの魔道士の使う赤いポータルは、たまに天使や上位悪魔たちも使う術式であり、一般普及版のものよりも上位の魔術のようだ。
パーティ編成に関係なく、より多人数で潜れるだけでなく、過去に設定したことのあるいくつもの拠点のなかから、自由に行き先を選べる便利なものらしい。
そしてあの男は、むかしアルビオン王党派に所属していたという事実がある。

つまり、浮遊大陸のど真ん中……すなわち囚われの王女の居場所の近くに、道を繋いでいないはずがない。

「よし、わかった! 今すぐ『あの男を捕まえて言うことを聞かせる』……それがきみの目的というわけだな!」

ギーシュはようやく、ルイズの取っていた不自然な行動の理由について納得がいったようで、うんうんと頷きながらそう言った。
だが一方、ルイズはきょとんとした表情を見せていた。

「はあ? 何言ってるのよギーシュ、『捕まえて言うことを聞かせる』ですって? 違うわ違うわ、そんなことするわけないじゃない」

やがて、みるみる口を弓のように吊り上げ、うっくっく、と喉を鳴らして笑った。

「やあね、そんな面倒なこと……残念だけど今の私には、あんなやつ捕まえる余裕なんてないのよ。だからね、だからね……ウフフフ……」

ギーシュはたちまち嫌な予感がして、背筋に冷や汗をつたわせた。
ルイズ・フランソワーズはふるふると武者震いしつつ、言った。

「―――『ブチ殺してから言うことを聞かせる』のよ!!!」

アハハハハハ!
どうやら絶好調のようである。


……それが本当に可能なことなのかどうかについては、ともかくとして、さて―――

「『恐怖』せよ(Terror)!!」

―――ぎゃあがあ、がああおう!!

ルイズは襲い掛かってくるドラゴンどもを、恐怖の呪いで追い散らし、<サモナー>の竜へと接近してゆく。
リヴァイヴの術で蘇ったドラゴンは、ネクロマンサーより霊気を供給されることで、通常の竜よりも力強く羽ばたき、かなりの速度を出せるようだ。

「さあて、一撃で決めるわ―――落ちなさい木っ端ッ! 『コンフューズ(混乱)』!!」

ドラゴン・ゾンビは、敵のドラゴンたちの妨害を見事にかいくぐり、射程距離まで近づくことができた。
ルイズが『イロのたいまつ』を振り、火の粉と霊気が宙を走り、敵集団に問答無用の呪術が決まった。

運命の流れへと直接に働きかける、ラズマ呪術を回避する方法というものは、ザカラムの聖騎士の纏う『浄化のオーラ』を除いてほぼ存在しない。存在しないのだ。

青い衣の魔道士は大きく目を見開き―――暴走したドラゴンの背よりたちまち振り落とされ、次の瞬間……があっ、と噛み付かれた。

ばちばち、とマナ・シールドの力場が展開されたが、自力で空を飛べないその男は、はるか地表めがけて落下してゆくほかない。

「やった!」
「ええ、やったわ! とどめを刺しに行きましょう!」

ギーシュとルイズは、ぱしっとハイタッチを交わした。
その直後、ルイズたちが地表より飛び立ってより、三分の時が経過する―――

「……ごめんなさいギーシュ、ひとつ大事なこと忘れてたわ……どうか怒らないでね」
「な、何かね?」

少女は頬をぽりぽりと掻いて、ひどく言いにくそうにしていた。

「……このリヴァイヴド・ドラゴンね、たった三分しか持たないのよ……マジごめん……」
「は?」

ああ、いったいどうなってしまうのだろう!!

奇跡の時間は、オルゴールのぜんまいが切れるかのように、終わりを告げる。

「いぃやあぁああぁーーっ!!」
「だっはああーっ!!! き、きみってやつは、ああ、きみってやつはぁ!!」

煙たなびくタルブの空……そこには喉もはりさけんばかりに絶叫しながら、パラシュート無しのスカイダイビングに挑む、ルイズとギーシュの姿が!!







―――


アニエスが意識をとりもどしたとき、その体中はかすかに痛んでいた。どうやら、打ち身のようだった。
気を失っているうちにポーションで治療されたのだろうか、しだいに痛みのひいてゆくのが解る。
そして、どうやら自分はたった今、誰かに背負われて、どこかを移動しているようだった。

「……」
「起きたかね」

男性の声が聞こえる。
自分を背負って歩いている人物は、ジャン・コルベールらしい。
彼もすでに治療を終えたのだろう、装備のせいで重たかろうアニエスを背負っていても、足取りはゆるぎない。
アニエスは、幼いころ、二十年前にも確かに味わったことのあるものと同じ、年上の男性の背中のぬくもりを感じていた。
その男の首筋には、火傷の跡があったはずだ。

いま自分を背負っているジャン・コルベールの首筋に、あのときと全くおなじ、火傷の跡があるのだろう。
彼こそが、アニエスの故郷を焼いた男であり、幼いアニエスの命を救った男なのだろう。
今回、自分は彼の命を助けた。これで昔の借りは返し、心に残るは、もはやどこにもやり場の無い復讐心だけだ。

「降ろしてくれ、歩ける」

コルベールの背より降りたアニエスは、辺りを見まわしてみた。
いっさいの明かりのない、真っ暗闇である。何一つ見えるものは無い。手を伸ばせば両手が壁に触れる。やけに細い通路のようだ。

「……ここは?」
「ここは、あれだ。学院の地下。あの白髪の娘っ子の掘った、地下迷宮だぜ」

デルフリンガーの声が聞こえる。どうやら、自分たちは魔法学院の地下に居るらしい。
そして、自分が気を失う直前のことを思い出そうとして、アニエスは首をかしげる。
火の玉が降ってくるところまでは覚えている。その後に何が起きたのか、どうして自分たち二人がこんな暗闇に居るのか、まったく想像もつかない。

「それにしてもおでれーた、さっきのは、絶体絶命だったなあ……よく助かったもんだよ」

デルフリンガーが少し感慨深げに言った。

「教えてくれ、……私たちは、どうやって助かったのだ?」
「ミスタ・グラモンの使い魔、ジャイアント・モールのヴェルダンデくんに、助けられたのだよ」

コルベールが答えた。それに続いて、はあ、と彼のため息が聞こえた。

「とつぜん地面に穴が開いて、私たちは転がり落ちた。全身を打ってしまったが、そのおかげで助かったのだ……しかし、落ちた先のこの通路は、ひどく入り組んでおってな」

先ほどの戦闘で杖を失ったせいで、コルベールは明かりを灯すこともできない。
アニエスは落下時の打ち所が悪かったらしく気を失い、コルベールは暗闇のなかで彼女へと薬を与えるために、ずいぶんと苦労したそうな。
―――手探りということは、からだのそこかしこをベタベタと触られてしまったのだろうか……とも思うが、今はそんなことを気にしている暇もない。

「迷ったのか」
「むむむ……さっきから空気の流れのやってくる方向に、こうして進んでは居るのだがね」

地下通路は予想外に広く、進んでも進んでも外に出られずにいたのだという。
なんともまあ、あの白髪の少女、学院側に隠れて、いつのまにこれほど無駄に広い迷宮を作っていたのだろうか。
というか、はっきり言って、いったい何のためにこんなものを作ったのだろう?
アニエスは呆れるほかなかった。そして、今更ながら自分たちの命の助かったことに安堵する。

ようやくめぐり合えた故郷の仇、炎蛇のコルベールに何か言わなければと思うのだが、なんだか気が抜けてしまい、言葉がうまく出てこない。

「おい姉ちゃん、二人助かったのは何よりだが、うかうかしてる暇はねえ。はやく娘っ子たちのところに行ってやろうぜ」

デルフリンガーが言った。
彼はアニエスに貸与されているとはいえ、ルイズ・フランソワーズの騎士である。アニエスの身を守れと主より命ぜられ、その任務を果たした。
今は主人の身が心配でたまらないという気持ちも、あるのだろう。

「……私のかばんに<ポータル>のスクロールがある。それで戻るぞ」

気持ちを切り替え、アニエスはそう言った。
あの<黙示録>の攻撃で、襲撃者たちは一掃されたと思われる。そして学院の危機が去ったとはいえ、今が国の緊急時であることに変わりはない。
なので、一刻も早く『幽霊屋敷』の裏庭へと戻らなければならないのだ。少女たちの戦場へ、デルフリンガーを連れて行ってやらなければならない。
優先順位というものがある。自分の仇敵だったらしいこの男に対する追及は、その後にすべきことなのだろう。

「むう……しかし」

コルベールが唸った。

「定員のせいでな、私はそれを利用できないのだよ」
「そうか……ならば、私は先に一人で戻る。あなたは自力で帰還しろ」

アニエスは力のこもっていない声でそっけなく言って、かばんをあさり、一本の巻き物を探り当てた。

「ミスタ」
「……」
「帰る前に、ひとつだけ、あなたに訊いておきたいことがある」
「何なりと、答えよう」

闇の中で姿こそ見えないが、空気を通して、コルベールの緊張が伝わってくるような気がした。

「知っていたのか? 私があの村の生き残りだと」

教師は数秒の沈黙のあと、低くしずかな声で答える。

「確信は無かったがね、そうではないかと思っていた……以前ミス・ヴァリエールより聞いた話に、思い当たるところがあったのだ」

ルイズ・フランソワーズいわく、ひとは大抵、背後に何者かの幽霊を引き連れているものだという。

「いつか、必ずきみに、名乗り出ようと思っていた……しかし、まだその時期ではないとも、思っていた。私には、やらなければならないことがあった」

コルベールとアニエスに取り憑くそれらは、ルイズがいままでに見てきたなかでも、とくにその数が多かったのだそうな。
それも、アニエスに憑いているものたちは、コルベールを見るとひどく悲しそうな色へと、その魂を染めるのだという。

「ここはひとまず、あずけておこう。話はあとだ。ジャン・コルベールどの、私が戦いを終えて帰ってきたら、そのときは……解っているな?」
「……ああ、私は逃げぬとも。どうか無事に戻ってきてくれたまえ、いつまでも待っている」

コルベールが重々しい声で答えた。

「あの子たちのことを、守ってやってくれ……どうか、頼む」
「……それは私の仕事だ、言われなくてもそうする」

アニエスは巻き物の封をちぎって、キーワードを唱えた。

「『門よ』!!」

しーん……

しかし何もおこらなかった。
暗闇のせいで、間違って『識別のスクロール』のほうを開いてしまったらしい。
しらけた空気が、教師の沈黙が、ひたすら気まずいことこのうえない。

「……」
「……何だい、しまらねえなあ」
「う、うるさい!」

デルフリンガーが茶化したので、アニエスは暗闇の中で羞恥に頬をそめ、慌てて別の巻き物を取り出すのであった。




―――

そのころ、タルブを脱出した難民の一団は、王都トリスタニアと港町ラ・ロシェールとをつなぐ街道にたどり着いていた。
ここまで来れば、被害はおよばないものと思われる。もう安心だろう。
アストン伯のところから来たメイジの隊長と、疾風のギトー、タルブの村長を含む大人の男たちが、これからどうするかを話し合っていた。

そして貴族の少女モンモランシーは、先ほどギトーよりネタ晴らしをされたことで、ルイズが村を焼いたことの真意を知った。
安堵するとともに、また別の大きな不安に飲み込まれそうになっていた。

無理もない。自分の恋人、青銅のギーシュが戻ってこないのだ。
どこへいったのだろうか?
村を襲った大災害に、巻き込まれてしまったのだろうか?

無事で居て欲しい。心配で心配でたまらない。

そして……とある可能性を思うと、ますます心配ごとが生まれてくる。
もし無事で居てくれたとしても……案外男気のある彼は、友人ルイズ・フランソワーズを守るために、あの場に残ったのかもしれないではないか。
モンモランシーのことを平気で他人任せにして、ルイズと二人きりで居るのかもしれない。
そうなると、ルイズは自分とした約束を破ったことになるのだろう。

やむを得ない事情もあるのだろう、とも思う。約束の内容には『なるべく』という留保もあるので、きちんとした理由があるのなら、許してやれないこともない。
でも、もしあの二人が、お互いに守り守られ、ともに危機を乗り越えることを通じて、心を深く結びつけ合ってしまったら……

(ああいやだ、いやだわ。どうして私こんなときに、そんなヘンなことを心配してるのよ! また私ってば、こんな風にぐだぐだと自分のことばかり……)

モンモランシーは道端の岩に力なく腰掛けて、ぽーん、と足元の石ころを蹴っ飛ばした。
ルイズやキュルケやタバサのように戦いもせず、自分ひとり安全なところで、いらない心配ばかり。そんな自分の性根が、ひたすら悲しかった。

(友達の命や国の存亡がかかっている時に、『許してやる』だの偉そうに、いったい私、何様のつもりなのかしらね)

もやもやとした気持ちが、心を満たす。
この気持ちのせいで、以前の自分は、国を揺るがすほどの大失敗をしたというのに……まだ成長できていないというのだろうか。
平民の友人、黒髪のシエスタは、そんな浮かない表情の貴族の友人のそばで、所在なげに立っていた。

「……ねえ、シエスタ」
「はい、何でしょう」
「『人を信じる』って、こんなにも大変なことなのね……」

シエスタは、きょとんとした表情を見せた。モンモランシーは淡々と続ける。

「私……自分でも、なんだか面倒くさい女だなあ、って解ってる。でもそうすると、ますますこの先やっていけるのかなあって、自信をもてなくなってしまうの」

金髪の少女モンモランシーは、ルイズ・フランソワーズのことを嫌いではない。
他人にはなかなか解らないだろう彼女の優しいところも、可愛いところも、良く知っていると思う。
むしろホレ薬の一件以来、あれこれと振り回されつつも、ここしばらくは確かな友愛の情を互いに育みつつあったようにも思う。
だから、よけいに悶々とやるせない気持ちも浮かんでくる。

モンモランシーは思う。
あの子にはギーシュ以外の、異性の友人が居ない。ましてや、これから先、彼女と親しくなってくれる異性とめぐり合える可能性など、あるのだろうか?
普段のルイズを見ているからこそ、『ありえない』としか結論できない。

「好きな四文字熟語はなあに」という話の流れで「ず、頭蓋骨陥没……?」と答えやがった、ときに『ゴア・ブル・デス』を平然と地で行く頭のネジの飛んだ少女。
ああ―――いったいどんな男性が、進んで彼女と親しくしたいと思うのだろう!

一方自分は、思っていたよりも独占欲の強い、自分勝手な人間のようであった。
ギーシュ・ド・グラモンは、多くの異性にちやほやされるのが大好き。可愛い子に想いを寄せられたら、すぐに二股でも三股でもかけることができるだろう。
今のところ、彼は、モンモランシーのことを『いちばん好きだ』と言ってくれている。

しかし彼にとってのナンバー・ワンでなくオンリー・ワンになりたい自分の気持ちが、本当に彼へと伝わっているのかどうか、まったく自信がもてないのだ。
たとえ伝わっていたとしても、自粛してもらえる保証もない。だからこその女の誓い、淑女協定だったというのに、ままならないものである。
万が一、本格的に、ルイズを含めた三角関係になってしまったら……ああ、最悪のヴィジョンしか思い浮かばないではないか!!

「もういっそ、ギーシュのこと諦めて、ルイズに譲っちゃおうかしら……そうすれば、こんなにやきもきしたり、ヘンに怯えたりする必要も無くなるのに」

ルイズはヴァリエール公爵家の令嬢であり、いっぽうのギーシュもまた、グラモン公爵家の子息。
普段よりあの二人は仲が良い。お互い信頼しあってもいるようだ。身分からしても問題はなく、ますますお似合いの二人のようにも思われる。

そしてモンモランシーは、これ以上情けない人間になりたくないし、自分自身のことを嫌いにもなりたくない、と思う。

「どうしてそんなこと言うんですか!」

シエスタは、がしっとモンモランシーの手を握り、しっかりと目を覗き込んでくる。

「ミス・モンモランシ、あなたは臆病者です!」
「そ、……そうね……」
「ミスタ・グラモンのことが大好きなのでしょう? 大事なのでしょう? 離したくないのでしょう? じゃあ迷うことないじゃないですか! やることは一つです!」

金髪の少女は、この黒髪の友人が自分のことを励ましてくれていることについて、純粋に嬉しいと思うのだが……

(や、やること!? ……って、や、やっぱり……)

真っ赤になるモンモランシー。

(……清楚にみえて、あんがいシエスタって、大胆なのね)

キスより先に進むことに、あこがれはないこともないが、まだまだ怖くてたまらない。
だいいち取り返しもつかなくなってしまう、……そして彼と一線を越えたうえで、それでもなお裏切られてしまったとしたら、二度と立ち直ることはできないだろうとも思う。
そんな風に思い悩み、なんだかんだと理由をつけて、未だにソレを先延ばしにしつづけている彼女である。

(シエスタの言うとおり、私は本当に臆病者よ……だけど、そういうことを『しなきゃいけないから、する』っていうのも、何だか違う気がするのに)

しかし、このときすでに、話の雲行きは斜め上の方向へとおかしくなっていたのだった……

「そう、やることは一つ! ミス・ヴァリエールを退治するんです!」
「……え?」
「まずは学院長をこちらに取り込むんです! 次にミスタ・ギトーとアニエスさん! 王宮から騎士を派遣していただきます、竜退治のプロや、吸血鬼退治の専門家をたくさん!」

ぐるぐると死んだような目で、熱弁するシエスタ。
モンモランシーは呆気に取られて、それを聞いているほかない。

「わ、わわわ、わたしも戦います、牛さえ連れて行けば勝てます! 一緒に、ミスタ・グラモンの命を守りましょう! みんなで決戦です! もう怖がっている暇なんてありません!」

ああそうか、とモンモランシーは納得がいった。不憫なこの子は、まだ先ほどの大惨事のネタ晴らしを受けていないのだ。
いや、すでにネタ晴らしを受けていたのかもしれないが……まったくもっていつものように、ヘンな風に解釈してしまったに違いない。
いずれにせよ、モンモランシーの悩みごとの解決のために、心の友シエスタは、ほんの欠片ほども役に立ってはくれなさそうであった。

(え、ハルマゲドン魔法学院……やだ、ソレ、ちょっと……)

モンモランシーは、炎に包まれる魔法学院、ばたばたと倒れる人間、アポカリプスなう、降り注ぐ隕石……そんな地獄のような光景を幻視した。
ちょうど学校で似たような経緯の人質事件が発生しており、あっさりと鎮圧されていたということを、まだこのときの彼女たちは知らないようだった。


…………

さて、思い出してみよう。
ルイズ・フランソワーズは、自分の占いの結果に従って、<虚無>の覚醒を促すために、『自分がいちばんピンチに追い込まれるであろう場所』に居座ったのであった。
しかし一言で『ピンチ』と言ってもいろいろな種類のあることに、先のテンパっていたルイズは気づいていないようだ。

いっさいの予想もしえない方向からやってくるからこそ、人は真のピンチへと追い込まれることになる。

さて、その結果、ルイズはまさに自分の占いのとおりに、大ピンチを経験することになるのかもしれない。
それはひょっとすると、ほかでもない人間関係的な意味においてだったり、……ああ、いったいどうなってしまうのだろう―――!!


//// 【次回:たとえば、きみがいるだけで……の巻……へと続く】



[12668] その25:星空に、君と
Name: 歯科猫◆93b518d2 ID:b582cd8c
Date: 2010/07/22 14:18
//// 25-1:【ルイズ・フランソワーズの死相学的愛情】

アンリエッタは涙をぬぐい、冷静になる。

(わたくしの、やるべきことは何?)

最初にでてきた答えは、『必ずや来てくれるだろう助けを信じて、待つ』ということだった。
常識にとらわれない幼馴染、ルイズ・フランソワーズが、思いもよらぬ規格外の方法で、助けに来てくれるにちがいない。

これ以上、心から取り乱すようなことがあってはいけない。『囚われの王女』として適切な態度を取り続けなければならない。
自分を捕らえている相手に、これ以上のこちらにとって不利な情報を与えないことが必要である。

クロムウェルやガリア王女の機嫌を損ねてもならない。手の内を読まれてもいけない。
『所詮は箱入り娘』だと、『アホの子』だと、油断させておかなければならない……実際自分がそうでしかないのかどうかについては、いったん置いて。
いつでも殺せる、いつでも堕とせる、そして絶対に逃げられないという事実が、今のアンリエッタの身を救っているのだ。

心をゆがめる水の秘薬が入っているかもしれない、いっさいの飲み物を口にしてもいけないだろう。

ひどく喉がかわく。
杖さえあれば―――と歯噛みをするも、無いものはしかたない。

情報を得ることが必要だ。帰ったらどうするのか、いまのうち決めておかなくてはならない。
ここはアルビオン、首都ロンディニウム、ハヴィランド宮殿、敵の本拠地。ただ居るだけで、多くのことを知ることができるのだ。

さきほどまでに、皇帝クロムウェルおよびガリア王女と交わした会話より得た、いくつもの情報を整理してみる。

ひとつ、軍事大国ガリアがレコン・キスタに裏で組しているというのは、確かなことのようだ。
そしてガリアは、表立ってトリステイン・ゲルマニア同盟と事をかまえるつもりはないらしい。
かの大国に内乱の下地があり、いつも内情が不安定だというのは、以前より知っていたことである。

レコン・キスタとトリステインを争わせ、いずれ漁夫の利を得るつもりだったのだろう。
いまのところトリステインの勝てる要素は無い……とはいえ、万が一トリステインが逆転勝利しても、第三国が損をすることはないのだから。
法王の統べる国ロマリアとレコン・キスタの不仲、およびロマリアとガリアの不仲もまた知られている事実だ。
ガリア内情の不安定を、ロマリアが煽っているのではないかという噂もきく。

一方、トリステイン・ゲルマニア同盟とロマリアは、いまのところ正常な国交を保っている。
トリステインの王宮で宰相をしているマザリーニ老も、出自からいえばロマリアより派遣された枢機卿なのだった。

いつかロマリア・トリステイン・ゲルマニアの三国と、ガリア・アルビオンとの間で、戦争になるのかもしれない。
トリステインが落とされた場合、今回日和見をしたゲルマニアは、結局のところガリア側へと付くのだろう。

いずれにせよ、世界中の狙いはロマリアへと絞られてゆくようだった。
このたび、トリステインが生き延びることができたら……立場を決めなければならない。

ひとつだけ、痛感したことは……
自分がさらわれたのは、今回、公式で二度目だ。そのたびに国が存亡の危機に陥っていては、たまらない。

黄昏の小国には、ゆるぎない中心、王権が必要である。
そして、たとえ王がひとりやふたり斃れても、まったく問題ないほどに結束の強い国を作らなければならない。
貴族たちが安心して命を捧げることのできるような国を、死者の屍を拾う下地を育てなければならない。

戴冠、という言葉がアンリエッタ王女にとって、結婚という言葉よりも現実味をおびてきた瞬間であった。



さて―――

ウェールズ・テューダーは、依然として王女の目の前で眠り続けている。

(ほんとうに、あなたは生きていらっしゃるというの?)

彼が目覚めてクロムウェルの補佐を行うようになれば、アルビオン国内で、皇帝はますます大きなリーダーシップを得ることができるだろう。
しかし、そのためだけにアンリエッタを『招待した』などという彼らの言は、あきらかに真っ赤な嘘。ただの口上であり、建前だ。

(ひと昔まえのわたくしなら、何も知らないお姫様……きっと取り乱して、やつらのいうことをホイホイと信じていたに違いありませんね)

いくつもの、嘘がある。

トリステインの王女は、今にも折れてしまいそうな自分の心へと、言い聞かせる。アンリエッタよ、お前はもう、甘ったれの箱入り娘ではいられない……。
希望的観測に従わず、ひとりの王族として、シビアに考えろ、考えろ……

推測の前提となる確かなことは、今回は王女の身を拉致することがメインで、眠るウェールズへと引き合わせたのは『ついで』だということだ。
ほんとうにこちらに期待しているような様子は、いっさい見られなかった。
『霊薬』について、王女は話していない……が、『霊薬』という万能薬の存在することは、どうやら彼ら彼女らも知っていたことのように思われる。

どこから知ったのか、というのはナンセンスな問いだ。
<サンクチュアリ>という異世界からの来訪者の存在が、彼らの国の奥深くと繋がっている。
騎士ラックダナン、魔道士<サモナー>、狂人ザール、あるいはルイズのように異世界のマジックアイテムの使い方を知るもの、いくらでも可能性はある。
はるか昔から、来訪者たちは存在してきたのだろう。

(皇帝クロムウェルは、ほんとうに<虚無>なのかしら?)

これについては、ただ<虚無>のように見せているだけの、偽ものである可能性が高い。
気にかかるのは、以前ルイズの言っていた、ラグドリアンの水の精霊のもとより失われし『アンドバリの指輪』の所在だ。
クロムウェルの指にはまっていた、きらびやかなその他のものとくらべて、たったひとつだけ不自然に装飾の素朴すぎる指輪……
あれが、以前ルイズ経由で形状を伝えられた、クロムウェルが奪っていったというアンドバリの指輪に違いない。
だとすると、皇帝はアレの効果を<虚無>だと言い張っているだけなのだろう。

かの指輪は死人を生き返らせるという。そして、思うが侭に操るのだという。
自他共に認める死体ソムリエール、ゼロのルイズは言っていたものだ……あれは『死体を動かす』だけで、『よみがえらせる』ものではないと。
『勿体無いわ、なんという死体の無駄づかいなのかしら』とも一笑に付していた。
彼女いわく、ただ死体を動かすだけなど、粋がった素人(NOOB)にほかならない。
<存在の偉大なる円環>への回帰、死者の魂をよりふさわしい運命の流れへと乗せてこそ、真のネクロマンシーなのだという。
正直具体的にどう違うのか解らず、理解したいとも思えなかったが突っ込むのも怖かった、インパクトのある話だった。だから、はっきりと覚えている。

もうひとつ、ルイズの言動のうちで、思い出すことがある。
それは、かつて王太子が王女へと誓ったことであり、『ウェールズは勇敢に戦って死んだ』、ということ。これは、百パーセント確かなことである。
なぜなら、ニューカッスル陥落より数日たって、王宮に知らせが届く直前の日、ルイズと会ったとき……

彼女は椅子より立ち上がり、アンリエッタ王女の背後に向かって、にやっと笑ってスカートの両端をつまみ、ふわりと優雅に一礼し……
こう言い放ったからだ。

『ああ、王太子殿下、……ご機嫌麗しゅう』と。

勇敢な王子も人の子である。人は往々にして死後に本性が現れる―――とルイズは言う。だからこそ、ひとは誇り高く生きなければならないのです、とも。
ウェールズは、あれだけ『アン、きみと一緒にはなれない』と言っていても、結局、アンリエッタとの愛を成就できなかったことが、大きな心残りとなってしまったのだろう。
迷って、成仏できず、死後に化けて出てしまったのだ。
これは、彼を弱い人間だと責めるようなことではない。どこまでも人間らしい心の、ひとつの自然なる現われである。

それは、アンリエッタにとって、とても悲しいことでもあり、切ないことでもあり……
いつも彼が見守ってくれている、というなによりも心強いことだった。

また、自室で夜中にひとりきり、乙女のプライベートな空間でのあれやこれや……
亡霊となった彼に見られてしまったのではないかと思い、窓を突き破って飛び降りたくなったほどに恥ずかしかったものだ。
試練を乗り越えた……いや開き直った王女は、愛しさと切なさと強靭なる心とを手にいれた。

そんな黒歴史はともかく……いちど亡霊が目撃された以上、彼が眠っているだけというのはありえない。
やつらの言ったこと、『発見されたときからこの状態だった』というのは、まちがいなく嘘。

(なんということ! クロムウェルめ、ウェールズさまのご遺体を弄んだのだわ! 勇敢に戦って、命をかけて守った誇りを……踏みにじろうと!!)

やつらが、ウェールズの遺体を手に入れた直後に、そうしなかった一切の理由はない。
むしろ、先の理由から鑑みて、そうしないほうが不自然だ。
そうなれば、いまだに死体が新鮮さを保っているということのほうが、むしろ水魔法の指輪の効果の発露なのかもしれないと推測しうる。

結論は近い。

(そうよ、『黄金の霊薬』の残滓が……そしてウェールズさまの誇りが、<アンドバリの指輪>の効果を中途半端に妨げているのよ!)

おそらく、これがいちばん真実に近いのだろう、と思う。さもなくば、わざわざいちど彼を殺してしまったことの説明がたたない。
黄金の霊薬は、死すべき運命のものを蘇らせたりはしない。
むしろ、運命の流れを捻じ曲げて蘇らせようとしたときに、そんな水魔法の効果すらもキャンセルしてしまうほどに『強い薬』であるはずだ。

やつらはいちど、ウェールズを蘇らせて手下にしてしまおうとして、失敗したのだ。
嘘をついて、アンリエッタへと死体を見せて、反応を見ているのだ。貴重な霊薬の在りかを喋らせて、手中に収めるつもりなのかもしれない。
そのついでに彼の復活をエサに、わたしの心を奪ってしまおうとしているのだ……

(騙されるな、やつらが何と言おうと、ウェールズさまは生き返らない。わたくしは彼の誓いを信じなければならない……『ウェールズは勇敢に戦って死んだ』と!)

王女の心に火がともる。
今なら、たとえ泥の中を這いずることになろうとも、渇こうとも飢えようとも、自分の手足を犠牲にしようとも、笑って耐え切れる気がしていた。

王女の指に、もはや風のルビーは無い。きっと奪われてしまったのだろう。
だが、形見を失ったとしても、心はいつでも、誇り高きウェールズと共にある。胸の奥でなにかがかちりとはまったような、そんな確信があった。

かつて愛した人の『遺体』の上に、しなだれかかる。
情けなく世間知らずの、弱い王女を演じろ、力を抜け、ショックから立ち直れぬフリをしなければならない。
隙だらけに見せて、油断を誘え、あえて幼い心のままにふるまい、わざとらしさを消せ。どんな屈辱にも、顔で泣いて心で耐えよ。

(あのときのキュルケさんの冗談が、本当になってしまいましたね……)

王女は『幽霊屋敷』の皆とお茶会をしていたときのことを、思い出す。
きっかけは……確か、シエスタが、「おひめさまっていいですね」との発言をしたことだったような気がする。

キュルケ・フォン・ツェルプストーが言った……「あたしは嫌ね。お姫さまってなんだか、さらわれるのが仕事みたいじゃない」と。
タバサという少女が、ぽつりと「物語のなかでは、そう」。
ルイズ・フランソワーズがにやにやと、「たとえ死んじゃっても、素敵な殿方のキスで蘇るのよ」と補足する。

再び、タバサが「騎士が、かならず助けにくる。救出の成功率は百パーセント」と力強く言った。

モンモランシーが「ギーシュ、私がさらわれたら、あんた助けにきてくれる?」
ギーシュ・ド・グラモンはすかさず「もちろんさ、ぼくはきみの永遠の奉仕者なんだから!」

いっぽう、黒髪のシエスタはひとりぽつんと、物言わぬ人形を抱きしめていた……その後、心やさしい友人らが声をかけ、彼女はその日の茶会のおひめさまになった。

今でも思い出すたびに優しい気持ちになれる、穏やかでまぶしいひとときだった。
トリステインに生まれてよかった。ゲルマニアへの輿入れが迫ってきていたので、このまま時が止まってしまえばいいのに、と心の底から思ったくらいだ。


閑話休題。

こうなってしまってはもう、二度とあそこへは戻れないかもしれない。
でも、必ず戻ってみせる、そして守り抜いてみせる、とアンリエッタは静かに誓う。

さて、王族の身体は国の身体……裏を返せば、国こそが、王族の身体であるともいえるのだという。
最初から囚われており、四方を敵に囲まれてナンボの世界でしぶとく生き残る、それこそが小国の王族の役割だとウェールズは言った。

ならば、囚われの身にしかできない、自分だけの戦いがあるはずだ。その勝ち目の無い戦いは、もう始まっている。
決してくじけないこと、それだけが武器なのだ。かつて白髪の幼馴染は言った―――心をつよくもてば、ひとは魔王にだって、ぜったいに負けないのです、と。

喜ぶべきことに、やつらはアンリエッタのことを侮ってくれている。今はやつらを調子に乗らせて、得られる限りの情報を引き出してやれ。
それは必ずや、トリステイン王国の生き抜く力へと、そして愛する皆の笑顔あふれる明日への鍵となり、はるか未来へと繋がってゆくことだろう。

(水の精霊に誓ったとおり、今でもわたくしは、あなたを変わらずにお慕いしております。今生において、わたくしとあなたとが結ばれることは、決してありません)

王女は祈る。

(しかしウェールズさま、はるかヴァルハラにてわたくしたちは、必ずや、再び巡り合うことでしょう。そのときまで、どうか見守って居て下さいまし。わたくしの心に、力を……)

眠れる王子の手の甲へと、そっとキスをした。
ああ、このわたくしが、ご遺体に口づけをするなんて、まるでルイズみたいなことをしてしまったわ……ああおかしい、と、アンリエッタは笑い出してしまいそうになるのを、必死に我慢するのであった。
ルイズが綺麗な王子様の死体の手の甲どころか異教徒の乾ききったミイラの唇にぶっちゅーしたとまでは知らない、王女殿下であった。



―――

雪風のタバサ、微熱のキュルケ、そして彼女たちの引き連れてきた竜騎士隊のメイジたちは、タルブ村の思いも寄らぬ惨状に、戸惑うほかない。

「なによ、なによこれ……一体何があったのよ!」
「これはひどい……まるで地獄のような光景ではないか」

キュルケが声をあげ、男性メイジのひとりがぽつりと漏らした。タバサは無言で、ルイズを探す仕草をしているようだ。
午前中までの穏やかな村はもはや見る影もなく、炎、煙、瓦礫、クレーター、魔物ときどき肉片といった風情である。
この荒れようでは今後、ペンペン草のひとつさえも生えてくるかどうか怪しいものだ。
そしてタルブの草原の向こうには、アルビオン艦隊がやってきており、これから上陸活動にうつるらしい。

「ところで、あやつらは何者だ? タルブ領主配下の守備隊……ではないようだ、我らの味方なのだろうか?」
「化け物どもの同士討ちかもしれぬ、……ともかく事情が解らぬ以上、うかつに手出しはできぬな……ところで、<サモナー>は何処にいる?」

村の中心に近い場所に魔法の赤いゲートが開いており、そこからわらわらと異様きわまる魔物どもが湧いて出てきているようだ。
それら異形どもと激戦をおこなっているのは、甲冑を着た謎の一団だ。魔物たちを圧倒しており、あともう一押しで勝利しそうな勢いだ。
そして、災厄はいつも、唐突にやってくるものである。

『チェイン・ライトニング(Chain Lightning)』

地の底からわきでるような低い声が響いた。
ふたたび、みなの背筋に寒気が走る。閃光―――
キュルケはタバサに押し倒された。バ バ バッ―――あたりを強烈な電撃が縦横無尽に走り回り、幾人かのメイジが悲鳴をあげ、感電して倒れた。
肉の焼けるいやな匂いが漂う。

それは、異世界サンクチュアリに現存するなかでも、一、二の使い勝手を誇る強力な精霊魔術。
たったの一撃で、トリステインの誇る歴戦のメイジの一団は、ほぼ壊滅状態となってしまっていた。

「おお、……ウィスプどもを倒したか。何故そんなことをする、あれらを放っておけば、上空の侵略者どもよりこの国を守ってくれたものを」

いつのまにか現れていた、年齢不詳の青い衣の男が、いっさいの感情を読み取らせないような平坦な声でそう言った。
われはこの国を守りに来たのだ、と、この場に居る誰もにとって、到底信じられぬようなことを告げたのだ。

「まあ、どうなろうと、われは知らぬ、ははは。汝らも、汝らの好きなようにするが良かろうぞ、ははははは」

次の瞬間、「邪魔したいのならするがよい、国の破滅を選べ」と言い残し、魔道士の姿は消えていた。
村の中央にすさまじい魔法の閃光(Flash)が迸る。
劣勢となっている魔物軍団を援護するべく、魔法でそちらへと転移したようだ。こちらのメイジの面々については、まったく眼中にないようでもあった。

「ど、どうなってるのよ……」

キュルケが呆然と言った。足がふるえ、力が入らなかった。あの男にもこちらへ構っている余裕はないらしく、この場は放っておかれたのかもしれない。
なんということか、倒してやろうと意気込んでやってきたのに、ほんの一撃であしらわれてしまった。そして、あの男の魂胆も、さっぱり見えなかった。
ただひとつ、はっきりしたことは、あの男に本気でこの国を守るつもりもなく、敵も味方もないということだ。
深い理由もなく、ただの気まぐれや思いつきで、平然とひとをムシケラのように殺すのだろう。

ひとは言う―――根っからの殺人者(PK)に理由を求めるだけ無駄ですよ、と。

「うっ……」
「タバサ!」

タバサが苦痛の呻きをもらしたので、キュルケはあわてて彼女を見た。青い髪の少女は、足に火傷を負っていた。
竜騎士隊の面々は、とうとう隊長をやられてしまったようだ、ひどく混乱している。
指揮を引き継いだ副長が、点呼を取っている。今の一撃を生き延びることができたのは、ほんの10人ほどだった。出発時の三分の一にも満たない。

必死の治療活動、救命活動が始まった。タバサやその他の重症のけが人へと、キュルケは持って来たポーションを配布し、飲ませた。
感電のショックで心臓の止まってしまった隊長へと、魔法の救命マッサージが行われた。
しばらく治癒の呪文をとなえていたタバサは、やがて静かに杖をさげ、肩を落として首をふった。

「ねえタバサ……ルイズはさ、あたしたちならあの男を倒せるって思ったから、行かせてくれたのよね?」
「……」

キュルケはそう言って、ぎりりと親指の爪をかんだ。
ただひたすらに、泣きたいほどに悔しかった―――『無理、アレはぜったい無理』なんて思ってしまったのだ。
今までの自信が、完膚なきまでに打ち砕かれてしまった。そんな後ろ向きの気持ちも、ひどい恐怖を覚えたことも、悔しくて悔しくてたまらなかった。

「アニエスとデルフリンガーとの合流が遅れた」

タバサは冷静に敗因を語った。

「わたしたちのほうにデルフリンガーをつけたから、ルイズは勝てると踏んでいた。あの剣があったら、隙を突いて倒せるはずだった」

さきほどの空中戦では、さすがにシルフィードの上に三人もの人間を乗せて戦うことに無理があった。なので、アニエスとの合流を後回しにした。
そして、戦いを終えシルフィードや竜たちと別れ、地上に降りたとき、いちどポータルを開いて、補給のため魔法学院に戻り―――そこの惨状に唖然とした二人である。
そのときは、ちょうど剣士たちは地下迷宮を彷徨っていたタイミングであった。
キュルケたちは、そんな事情を把握するすべもなかった。

二人はコルベール、そしてアニエスとリュリュを探したが、『幽霊屋敷』の裏庭に彼らの姿はなかった。
使い魔のフレイムと視覚を共有してみても、しっぽの灯りに照らされた、細く薄暗い通路がうつるだけ。
彼はヴェルダンデの助力を得て、地下迷宮へと教師コルベールを救出しに向かっていたようだ。

「そうね……焦らずに、もうちょっと待ってれば良かったのかしらね……」
「……」

とはいえ、こちらも時間が惜しかった。
すぐに引き返し、剣士の戻って来るまでの間、自分たちは先にタルブの村の近くまで移動距離を稼いでおくべきと判断し、慎重に森の中を進軍した。
かくして、合流直前にあの男に見つかって、攻撃されてしまったのである。

(いえ……アニエスが居ても……あれは無理だったわよね)

キュルケは思いなおす。
たとえアニエスとデルフリンガーが居ても、あの放射状に広がる強烈な一撃だ、一本の魔法吸収剣で守れるのは精々自分たち三人の身だけ。
直後に隙を突いて反撃することくらいは出来たのかもしれないが、結果、あれだけの被害の出ることは防げなかっただろう、と。
竜騎士隊の副長もまた、ひどく悔しそうに拳を震わせていた。

「<サモナー>という男、まさかこれほどの使い手とは……圧倒的ではないか」

たった一撃の魔法で蹴散らされてしまうなど、いったい自分たちは何をしにここへ来たのだろう、と彼は苦々しげにつぶやいた。

理不尽だ―――皆の胸に、いくつもの疑問が浮かぶ。去り際のひとことも、あやしいことこの上ない。
―――あの男が、アルビオンの侵略よりこの国を守るつもりで、村で暴れている魔物たちや、あの恐ろしい<鬼火>の魔物どもを放った?
たとえ本当にそうだったのだとしても、たちの悪い冗談のようにしか思えない話だ。

「……冗談じゃないわよ!」

キュルケが目じりに涙を浮かべ、吐き捨てるように言った。
馬鹿にされているどころではない。ふつふつと怒りが湧いてきた。
本当に味方だと言うのであれば、どうしてこの国の人間まで攻撃するのだろうか―――とも思ってしまい、慌てて顔を覆ってかぶりをふる。
混沌を広げるもの、理不尽の権化、魔の力を振るうもの、ひっかきまわすもの。
あの男は、それ以上でもそれ以下でもない。なにかを期待するなど、筋違いにもほどがある。キュルケはそれを良く知っている。

「愚弄しおって……ただでは置かぬ……!」

子供のようにあしらわれた竜騎士隊の生き残りメイジたちも、憤懣やるせない様子である。
魔道士<サモナー>がどこの勢力に肩入れしていようとも、問答無用で撃退せよ―――というのが、王宮からの命令である。
彼らに迷うところは無いようだ。

「……おーい! おーい! キュルケー、タバサー!」

少女の声がひびき、彼らのもとに、上空よりなにかが降りてくるのが見えた。
レビテーションの魔法を使う、ギーシュ・ド・グラモンであった。その手に抱えているのは、白髪の少女ルイズ・フランソワーズだ。
ルイズは地表に到達すると、ギーシュに「ありがと、助かったわ!」と笑顔で一言つげてから、転がるようにしてキュルケたちへと走り寄ってきた。
ギーシュは精魂つきはてたように大きく息をついて、薔薇の杖を降ろし、くたくたとその場に座り込んだ。

「来てくれてありがとう、キュルケ!」
「ルイズ、無事だったのね!」

ルイズは脱いだ髑髏のヘルメットを放り投げ、キュルケの豊かな胸へと飛び込んで、顔をうずめた。
竜騎士隊の隊員たちは何が起きているのかわからず、タバサは複雑そうな気持ちのこもった視線をルイズへと向けていた。

「タバサ!」
「……」

続いて、ルイズは雪風のタバサへと抱きついた。
青い髪の少女はびくっ、と震え、しばらく何かに戸惑っていたようだが、そっと目を閉じて、やがて少し震える手で、ルイズの背中をぽんぽんと叩いた。

「……無事でよかった」

タバサにとって、北海の氷河のなかに放り出されたかのごとき厳しい状況のなかで、それはひとつだけ確かな、偽らざる気持ちのようである。
ルイズはにっこりと笑って、ちょっぴり鼻声で答える。

「あなたたちもね!」

妙な匂いが鼻をついたが、キュルケとタバサは気にしなかった。
疲れ果てた表情のギーシュ・ド・グラモンは、その光景を微笑みながらも眺めていた。

さて―――死地を乗り越えたもの同士の、再会タイムは終わる。
ルイズによって青いポータルが開かれ、そこから間髪入れずアニエスが飛びだしてきて、「ただちに事情を説明してくれ!」と息巻いた。
キュルケも「ねえ、どうして裏庭に居なかったのよ!」と返し、アニエスも「むっ」と不愉快そうに唸り、けんかになりそうなところを、慌てて周囲のものたちが止めた。
ルイズとギーシュ、そしてアニエスはそれぞれ、混乱中の竜騎士たちへと身分を明かした。

(なるほど、コレがあの噂のレモン嬢か……)

と、彼らは納得したようだ。どうやら出発前に枢機卿より、いろいろ取り扱い注意事項を聞かされているらしい。

「ねえ、いったい何がどうなってるの? あなたが嘘をついてここに残ってたことはともかく……それで、残った目的は果たせたのかしら? 説明してちょうだいルイズ!」

キュルケはルイズへと問いかけた。
アニエスも、タバサも、竜騎士隊の面々も、じっと白髪の少女を見つめている。
確かに、状況は相当に混沌としており、この場でいちど整理しておくことが必要のようであったが……

「村人たちを逃がすことはできたけれど……説明してたら長くなっちゃう、ごめんなさい時間がないわ、あとにして欲しいのよ!」

白髪の少女はそう言って、焦点の合わない目を、アニエスや竜騎士隊の面々へと向け、がばっと頭をさげた。

「お願いします、どうか、あの男を倒すのを手伝ってください! 早くしないと、あいつの操るドラゴンがたくさん戻って来るのです、今しかチャンスはありません!」

一同は唖然とするほかない。
魔道士の連れていたドラゴンの一群は、上空にてルイズの『恐怖』と『混乱』の呪いをうけて追い散らされてより、いまのところ呼び戻せてはいないようである。
ならば、ドラゴンたちの戻ってくるまでの今しか、あの魔道士を倒す機会はないのだろう、とルイズは考えているようだ。

「時間がありません! あの男さえ倒せば、必ずや、姫さまを救出するための道がひらけるのです!」

ルイズの当初の狙い……『始祖の祈祷書』には、いまだに何の変化も見られていないようだった。
ならば、別の方法を取らなければならない。

「やっと道が繋がったの! 姫さまを助けるためには、あの魔道士を倒して、その遺体を手にいれることが必要なの!!」

完全にイッてしまったような目で、少女は根拠の薄いことを力説している。
はるか浮遊大陸より、さらわれた王女を助け出す……それは蜘蛛の糸のうえを綱渡りするような、かすかな希望でしかない。
それでもルイズは、いまだ<虚無>を覚醒させられない以上、別の見えるほうの可能性に賭けるほかないと、気持ちを切り替えていた。

侵略戦争の始まってしまった今、こういった裏ワザ的ショートカットを除いて、アルビオンへと乗り込んでゆくいっさいの方法が存在しないというのも、確かなことだからである。

―――実のところ、<サモナー>ほどにあまりにも強力な魂を持った対象(Super Unique)については、リヴァイヴの術ですら蘇らせ従えるのは不可能なのだが……
試したことのない今のルイズを含め、この場の誰一人として知りえないことであった。
ルイズは諦めず、頑張れば必ず出来ると信じ、露ほどもそれを疑っていない。この気持ちが吉と出るか凶とでるかについては、まだ闇の中のようだ。

「どうかお願いします、手を貸してください! あとできちんと事情を説明することを約束いたします!」

白髪の少女は、震えながら、ふたたび大きく頭をさげた。一同の間に動揺が広がる。
キュルケたち、そして竜騎士たちにとってはなおさら、この不気味な白髪の少女が正気なのか、信じて良いのか、さっぱり判断がつかない。
おまけにこの白髪の少女、奇妙な造形の人形の首を片手に括り付けているだけでなく、全身くまなく煤や焼け焦げや土や血のような液体で汚れており、うっすらと生ゴミのような異臭まで放っているではないか。

「どのみち、私に異論はない。行こう」

アニエスが静かに言った。
わずかな可能性に賭けなければならないというのは、この国に住むものたちにとって、共通のことのようである。
可能なのは、行動することだ。
竜騎士隊の副長が、無表情で、キュルケを見た。彼らにとって信頼の置ける仲間となっていた彼女は、しっかりと頷きで返した。

「まあ……信じようにも信じられぬ話だが、<サモナー>打倒については、今回我々に与えられた任務である……急げというのなら、そうしてもよいだろう」

副長はドスの効いた声でそう言い、にやっと笑う。

「そして『あのド畜生』を倒し、そのおかげで姫殿下を助け出すことができたとするならば、……さきに散っていったものたちへの手向けとしても、特上の手柄となろう!!」

「「杖にかけて!」」、と皆が唱和し、それぞれの杖をかかげた。
ルイズは涙ぐんで、副長のごつごつした手を取って、そっと身体をよせ、ありがとうございます、と震える声で言った。
副長は少女の左手の『ガーゴイルヘッド』がべちゃりと体に当たったことと、漂うヘンな匂いに、ますます顔をしかめた。キュルケとアニエスは、肩をすくめて微笑んだ。
かくして、トリステイン王国特殊チームのこれからやるべきことは、大きな混乱もなく決まったようである。

「……とはいえ、いくつか確認しておかねばなるまい。あの黒い甲冑の一団は何者だね?」
「あれは、レコン=キスタから、あの魔道士を倒すために派遣された小隊です……いまのところは味方ですが、あの魔道士を撃破したとたん、敵にまわるかもしれません」

戦場では、<サモナー>の加わった魔物たちの軍団が、ふたたびガリアのガーゴイルたちを押し返しつつあるようにも見える。
黒い騎士はときおり魔道士に切りかかったり、なんと魔法(!)を放ったりもしているが、マナ・シールドではじかれたりテレポートでかわされたり、なかなか決定打を与えられないようだ。

ガーゴイルたちは劣勢となり、次々と倒されてゆく。
敵国の者たちとはいえ、<サモナー>打倒、という目的の一致している以上、ここは一時共闘が自然であろうと思われた。
起き上がってきたギーシュもくわえ、おのおのがマナ・ポーションを飲み下し、トリステインの一同は、ふたたび激戦のなかへと飛び込む準備を整えた。

ルイズが一同へと、山羊男には炎魔法が効かないこと、そして『メテオ』で降って来る火の玉の避け方をレクチャーしたあとのことだった。

「……待って」
「どうしたの?」

ずっと俯いて黙っていた青い髪の少女が、震える手で、ルイズの袖をそっと引っ張った。
耳元に血の気の引いた唇をよせて、もそもそと何事かを伝える。それを聞いたルイズの表情は、みるみるうちにひきつり、青ざめていった。
弱りきったように、タバサは顔をうつむかせたまま、かすれた声を出す。

「ごめん、……なさい」

タバサの眼鏡の奥、青い目より、ひとすじの涙がこぼれる。白髪の少女は、はあ、と切なげなため息をもらした。

「いいのよタバサ……あなたが謝るようなことじゃない。でも、後にしてね。姫さまを助けて、戦いが終わったあとに、拉致してちょうだい」
「……本当に、ごめんなさい……わたしは、逆らえない」
「いいの」

ルイズは手袋をはずす。
白く小さな手で、そっとタバサの頬をなでて、涙をぬぐってやってから、……自分に出来る限界までの、優しい声をこころがけて、耳元に唇を添えて、そっと囁き返す。
なにがあっても、私はあなたを嫌いになんて、ならないから……
それは言葉以上の気持ちのこめられた、メッセージだ。
たちまち少女の震えが止まり、ルイズは微笑んだ。二人を見ていたキュルケは、今にも泣き出してしまいそうな気持ちになった。
ルイズはポケットをあさり、キュルケのほうに向き直り、ちょちょいと手招きし、取り出したそれを手渡す。

「キュルケ、これ……南側のいちばん下の薬棚のカギよ、『アンロック』は効かないから。……中にね、こんなこともあろうかと作っておいた、マイナー版霊薬が入ってるのよ。あとで必要になったら使ってちょうだい」
「え? あ、ありがとう、ルイズ……でも、何であたしに渡すのよ?」

キュルケはそれを受け取って、戸惑ったように目をみひらいた。それから、「ああ、そういうことね……」とたちまち不機嫌そうな顔になる。
白髪の友人は、さらわれた姫を助けるために、このあとすぐに敵地のど真ん中……アルビオン大陸へと、飛んで行くつもりなのだ。
そして、失敗してすぐに帰れなくなった場合にそなえ、こうしてキュルケに、タバサの実家のことを頼んだのである。

ルイズは『イロのたいまつ』を取り出して、『骨の鎧』を張る。顔をあげたタバサが、『エナジー・シールド』を展開した。
白髪の少女はこの世の外を映すかのような深淵を瞳にうかべ、青い髪の少女は、その青く澄んだ瞳に強い決意を宿しているようであった。
疲れ顔のギーシュも、まだまだいけるぞ、と杖から花びらを飛ばし、ワルキューレを作り出す。
ゼロのルイズはグローブをはめなおし、髑髏のヘルメットを拾い、ぱんぱんと土をはらって、かぶった。そして、杖をかかげ、叫んだ。

「さあ、行きましょう!」
「トリステイン王国竜騎士隊、竜を降りても我らは負けぬ! 勇敢なる少女たちに続け!」

みなが決意の声をあげた。
『タルブ事変』、歴史の裏のひとつの重要な戦いが、幕をあける。


「我々はそこで真の地獄を見た」―――とは、のちに生還したひとりの竜騎士の言である。



―――

『トリステインの貴族たちよ、われら今ひととき杖と剣とをならべること、光栄なり』

黒い騎士が剣をかかげて、深い声をひびかせた。劣勢の彼らは、こちらとの共闘を受け入れてくれるようだ。
ガーゴイル軍団と競り合う魔物の群れを、背後より挟み撃ちするように、トリステインのメイジたちは戦闘を開始する。
山羊男たちには炎の魔法が効かない。炎メイジたちは直接、魔道士<サモナー>を狙い、そして黒衣のミイラ『ヴァンパイア』たちへと一斉射撃をかけた。

「行け、『ワルキューレ』ッ!!」
「ナイス、ギーシュ! 行くわよぉ―――『メテオ(Meteor)』!!」

新しい杖<RWリーフ>によって得た力、キュルケの呼び寄せた擬似隕石が、囮をつとめる一体のワルキューレごと、数匹のヴァンパイアたちを叩き潰した。
青銅のドットメイジの操る、土メイジなら誰にでも出来るような呪文は、恐ろしい敵モンスターからの呪文攻撃を防ぐために、このとき確かに役立ったのである。
ルイズの呪いがまきちらされ、雪風のタバサの呪文が、竜騎士たちの呪文が、ワルキューレにむらがる山羊男たちを刺し貫いてゆく。
アニエスはデルフリンガーをかまえ、呪いで皆の援護をしているルイズへと攻撃魔法のいかないように、しっかりと陣取っている。

「みんな下がって! でかいの行くわよ! コープスぅ……エぇクスプロージョンッ(Corpse Explosion:死体爆破)!!」

味方の目標地点からの退避を促したあと、満を持して解放されたのは―――死体に秘められし断末魔の苦しみパワー。
圧縮、増幅、そして解放のプロセスを経て、それは炎をともなう物理衝撃として、戦場に恐怖の華を咲かせる。
ズドオオオーン、と常識的に考えて普通飛び散ってはいけないものが飛散し、すさまじい熱と爆風が皆の一般常識と魔物たちとを同時に打ち砕き、屠りさってゆく。

あーっははははッハッハハハハハ……

「え、ちょ……やだ、なにこれ……」
「なんだろうね! なんだろうね! すまないが僕に問われても困るのだよミス!」

意外なことに初見であったキュルケは顔面蒼白になって口もとを押さえ、問われたギーシュはやけっぱちになって叫んだ。

「ふむ、汝、あくまで我の邪魔をすることを選ぶか」
「今日はおじさまの命日だからね……花火でお祝いしてあげてんのよ! さあ喜んでちょうだい!!」

続いて、近くへと出現した<サモナー>の足元の死体へと、ルイズは躊躇なく霊気をそそぎこむ。
さながら祝砲、誕生日パーティの主役へと捧げる豪勢なクラッカー、鳴らすタイミングはばっちりだ―――ずどーん!!

「ああ! おじさま、とってもしぶといのね……そんな詰まんない人生を続けてないで、今すぐ私のお願いを叶えてくれたらいいのに!」

直撃のはずが無傷であり、すぐそばに現れた魔道士に向かって、妖しく笑うルイズ・フランソワーズ。たちまち飛んできた氷魔法を、アニエスが打ち払う。
見るも無惨な爆心地を見て、かくんと顎をおとす一同。ひとり浅黒い肌の男は、あごに手をあてて奇妙な角度で首をかしげている。

「これ、死人占い師……汝もまたルーンに選ばれし同胞であり、魔道の探求者であるならば、われわれは共に歩むことができると思っていたぞ」

魔道士に真顔でそんなことを言われたので、ルイズは思わずびくっと硬直した。

「しかしな……このたび思うに、どうやら吾(われ)等二人は互いを理解しあえぬようだが、如何」

ルイズはうぐ、と唸った。「何を今更!」とも苛立たしく思うが、ひょっとするとこの男、今の今まで、本気でルイズを仲間に出来ると思っていたのかもしれない。
たちまち瞳の奥にドス黒いナニカの沈殿してゆく少女にかまわず、男はマイペースに続ける―――

「つねづね理解しようと努めれど、われには汝が何を言うておるのか、さっぱりと理解できぬのだ」
「……はぁ?」

正論だった。
このとき偶然、ルイズの友人を含めたトリステインのメイジたちも全員、気持ちをひとつにしていたのだという―――『おっしゃるとおり』と。
あたかもそれは戦場の奇跡。万に一つも通じ合うはずもなかろうと思われていた、敵味方の気持ちが、このとき確かに通じ合っていたようだった。
いっぽう、全身から青白い霊気を立ちのぼらせる、ゼロのネクロマンサー。

「なな何でわかんないの? ねえ、ねえあなた私のキモチ解ってくれないの? 馬鹿なの? 何で? わっわ私はね、私はねぇっ……」

真昼のなかでも宵闇を映す、深淵の瞳で男を睨みつけ、少女は杖を振る。
ずどん、ずどんと重たい爆音を、呪いの火の粉を、炎や衝撃や血肉やハラワタを戦場いっぱいにまきちらし、少女は叫ぶ。

「アナタの全てが欲しいのよ! ―――さぁっさと私のために[ピー]んでちょうだいって、いっいいい言ッてんのになんでわかってくんないのよおッ!!」

―――ずどどーん!!
一方、浅黒い肌の魔道士は、ぎりぎりのタイミングで今の一撃を逸らし、つづく爆風にもなんとか耐え切ったようだった。
はははは、と笑う男はよほど豪胆なのか、それとも彼もまた、すでに通常の人間の感覚からはズレたところにいるのか。

「残念ながら、われは魔道の探求のため、すでに全てをささげた身。それゆえ、汝には差し出せぬ。別の対価を求めるがよい」
「じゃあ今すぐ犬のように四つんばいになって、おしり出して! 出して!!」
「断る」

射程距離内に居さえすれば必中となる攻撃、ファイア・ゴーレムの纏う<ホーリー・ファイア>のオーラが、魔道士の<マナ・シールド>をぼうぼうと削ってゆく。
<マナ・シールド>による防御は、装備によって高められた属性レジストの恩恵を受けることができないようだ。
つまり、装備でどんなに高い火炎レジストを稼いでいたとしても、ルイズのゴーレムの近くに居るだけで、魔道士の精神力は時とともにごっそりと奪われてゆくのである。

ずど ど ど ど どぉおお……

「嘘つき! 嘘つき! さっきおじさま、何でもしてくれるって言ったのに! 私のためにぃい、いっ、言ってたのにこンのぉおお嘘つきぃッ!」

激昂する少女。
爆風で翻る煤だらけのぼろぼろマントとめくれるスカート。
「……痴話喧嘩……だと?」と小声でつぶやく竜騎士がひとり。
突っ込まない仲間たち。
飛び交う魔法と身の毛のよだつ叫び声。
ばらまかれるおぞましき呪いの火の粉、惜しみなく振るわれるやばすぎるスキル。
炎と煙と瓦礫と隕石と爆音とクレーターと猛毒とヘンな匂いとフネやガーゴイルの残骸とばらばら黒こげ死体と悪魔の骨と血肉とハラワタに彩られてゆくシエスタの故郷跡地。
遠いおそらに浮かび消えてゆく優しくはかない笑顔のシエスタ。
「自重してよ!」と泣き叫ぶキュルケ。腰を抜かすギーシュと死にそうなタバサ。
いろんなものを諦めた剣士アニエスはもうすぐ24才、またひとつ大人になる。
もう一刻もはやく帰りたいトリステイン特殊チーム一同。
かくも戦場は地獄である。

いっぽう<サモナー>は、呼び出しうる魔物のストックも、シールド維持のための精神力の余裕も、底をつきつつあるらしい。
その証拠に、男はここしばらく、ほとんど威力の高い攻撃魔法を放っていなかった。
それでもなんとか、決め手となる魔物を呼び出そうとしていたらしいが……やがて思いなおし、諦めたようである。

「ふむ、やはり旗色が悪い」

魔道士の男は悠然と、辺りにちらばる魔物の死体の山を見わたして、そう言った。はははは……

『魔に魅入られし男よ、観念せよ……地獄にて己が所業の報いを受けよ!』

太く深い叫び声。魔物の包囲を突破し、電光からみつく剣をふりかざし、ガリアの黒い騎士が斬りかかっていった。
人の身を失った騎士による、人の心を失った魔道士への、渾身の斬撃。
<サモナー>はとっさにそれを金色の杖で受けたが、すさまじい圧力、そして剣より発せられた追加の電撃攻撃が<マナ・シールド>を歪ませる。
すかさずワン・ツーのリズムで反対側から襲い来る、大きく頑丈な盾による一撃。

「むう……」
「―――『ウィンディ・アイシクル』」

脱出の方向を読みきって待ち構えていた、雪風の必殺魔法が直撃する。
いっぽう、ゼロのルイズはあたりを漂う霊魂のささやきに応え、古代語の呪文を詠唱し、始祖ラズマへと祈り、強く強く念じていた―――

……死者よ蘇れ、ラズマの大いなる導きにしたがい、わが戦場の儀式(Space Ritual)に集いたまえ!!

「『リヴァイヴ(蘇生)』!! もいっぴき『蘇生』!!!」

駄目押しとばかりに、ルイズは『ヴァンパイア』の死骸を二匹、立て続けに蘇らせて自軍へと参加させたのであった。
残っていた最後の敵『ヴァンパイア』たちに向けて、ルイズの手下は『メテオ』をぶちかまし、焼き尽くした。
間髪入れず、リヴァイヴド・ヴァンパイアたちは<サモナー>へとファイアー・ボールの照準をあわせ、放つ―――それいけっ、どーん、どどーん!!

かくして、この戦いの趨勢は、完全に決まったようである。

「潮時か、ははは、はは、まあ良かろう……」

あらかたの魔物を倒され、四方八方を敵にかこまれ窮地に追い込まれてもなお、男は超然とした態度を崩していなかった。
豪胆、というには語弊がある。この男、もしかすると、恐怖などのいっさいの感情が麻痺しているのかもしれない。
あるいは、この男にとっては、ありとあらゆることが、もはやただの遊びにしかすぎないのかもしれない。

「そろそろわれは帰るが―――汝ら我が助力、すなわち大いなるホラゾンの加護を拒否したことを、いずれあの世で後悔するがよい」

一切のやる気を感じさせない、捨て台詞であった。
ずれた金色の帽子を直しながら、男は赤い<ポータル>の前へと転移してゆく。
今回の彼の態度は、アルビオンの時と異なり、始終一貫して、与えられた仕事を嫌々と投げやりにこなす者のそれだったようにも思われた。
もう満足したと言わんばかりに、カードゲームの勝負を降りるかのように、あっさりとこの国での活動を放り出し、逃げるつもりのようだ。

「あっ、だめ、いやっ、帰っちゃだめぇ! 私のそばに居てよ!」

いっぽう、白髪の少女は必死に走る。ファイア・ゴーレムとリヴァイヴド・ヴァンパイアたちが追従してゆく。
彼女の目的は、彼の遺体を入手し、秘術リヴァイヴで従えることである。
せっかくここまで追い詰めて、結局逃げられてしまっては、その目的を果たせなくなってしまうではないか。

押し切れなかった―――とはいえ、無理もないことなのかもしれない。
今回は、ニューカッスルの戦場と異なり、彼の精神力の残量も膨大のようであった。
それは『デュリエル』のような大物を召喚していないせいだろうか、あるいは『別の場所』にあらかじめ大量召喚しておいた魔物を連れてきたただけだったのか。
いずれにせよ、彼の身を守るマナ・シールドの硬度は、ルイズが当初より想定していた分をはるかに超える、頑丈きわまりないものだったのである。

「に、逃がさないわよ! 今行くわ! 約束だから、どこまでもついてったげる!」

いつでも逃げられる、そんな自信があったからこその、余裕あふれる態度だったにちがいない。

『逃がしはせぬ』
「逃がすかッ、撃てえぃ!」
「ちっ、姉ちゃん走れえ! なんてこった、娘っ子のやつ、行っちまうつもりだあ!」
「あ、ああッ!」

魔法が飛びかい、黒い騎士が甲冑を鳴らしてがちゃがちゃと走り、一拍遅れてアニエスが駆け出した。

「キュルケ、母さまたちのことをお願い……シルフィードにも、よろしく伝えておいて」
「え? 何? 何?」

このとき小さな青髪の少女もまた、キュルケの返事を待たずに、全力で走り出していた。
逃げる青衣の魔道士へと、黒い甲冑の騎士が飛び掛っていった。
<サモナー>とラックダナンは、ほとんど同時に、赤いポータルの奥へと消えていった。
それに続く、ルイズ・フランソワーズ。

少女は、ポータルの前でくるり、とターンを決めた。ガイコツ兜からこぼれるよれよれの白い髪の毛を、ゆらり、と舞わせた。
埃や煤だらけの目じりに、涙が浮かんでいた。手を貸してくれたメイジたちへと、大きく一礼をした。

「ありがとう、ございました! 行ってきます、待っていてください! 私、ルイズ・フランソワーズは、杖に誓います……かならず、ぜったいに姫さまを無事に助け出してきます!!」

あっという間のことだった。
少女が消えたあと、炎のゴーレムとリヴァイヴド・モンスター二匹が、続いて飛び込んだ。
それに息を切らせた剣士アニエスと雪風のタバサが続き、近くに居た一人の竜騎士メイジがつられたように走りこんでゆく……

フワアアア……

次の瞬間、残された者たちは目を疑った。ルイズたちを飲み込んだ赤いポータルは、煙のように消えさってしまった。

行ってしまった。




そのあと―――

タルブ上空へと舞い戻ってきたドラゴンたちは、支配から解き放たれたらしく、アルビオン艦隊のほうやラ・ロシェール方面へと飛び去っていった。

指揮官の居なくなったガーゴイルたちが、槍をおさめた。
それらは、あらかじめ決められた魔法プログラムに従うかのように、戦闘を放棄して隊列をくみ、たちまち去っていってしまった。
やたらと高い魔法耐性をもつらしい頑丈なガーゴイルたちである、残ったメイジたちへと襲いかかってこなかったというのは、彼らにとって幸いなことであった。
もしかすると、この停戦は一時でも共に戦った者たちへの、ガリア騎士によるはからいなのかもしれない。

唖然とするキュルケとギーシュ、生き残りの竜騎士隊の面々、のこりわずかな山羊男たちが、『むかしタルブの村があった場所』に立っていた。

「うぐ、……ま、まずは、こやつらを掃討するぞ!」

副長の号令で我にかえった一同は、慌てて魔物たちへと攻撃を加える。
これを全滅せしめるまで、ほとんど時間はかからなかった。

火山の噴火や暴風雨にもまさる混乱のひとときが、こうして過ぎ去り―――

「終わったな」
「ああ、終わってる戦いだったな」
「終わってんのかな、この国」
「なんだかいろんな意味で終わっていたな、正直無いですわアレ……」

決死の戦いを終え、やつれ果てた竜騎士メイジたちが、ぽつりぽつりとそんな会話をしていた。
一同は事前に枢機卿より『ルイズ嬢に関するものごとは国家機密であり、他言してはならぬ』と仰せつかっていたので、多少は覚悟してきていたのだそうな。

「でも、姫殿下がいちばん信頼を置いている令嬢なんだよな、……ごにょごにょ、らしいし」
「間違いないんだろうな……だがよ、信じられるか?」
「信じるほかないだろう、おれたちの王女さまなんだ」
「それにしても、なあ……」
「ああ……」

そこから先は言葉に出せぬ。

((……なんてこった、あんなのが、伝説の<虚無>だなんて!))

おお始祖ブリミルよ―――いったいあんたナニ考えてあんなひどすぎる系統を作りたもうたのか!!
混乱を避けるため、行った先でゼロのルイズが見慣れぬワザを使うかもしれないが、それは伝説の『虚無』だから問題ナシですよ、と説明されていた彼らである。
無理もない。枢機卿の方便のせいで、彼らのなかの始祖の株はダダ下がりのようであった。むろん全くのとばっちりである。

「行っちゃったわね」
「ああ……そうだね」
「ルイズたちなら、大丈夫よ」
「そうかな? ……僕は心配でたまらないよ。ミス、きみはどうして大丈夫だと思うのかね?」

ギーシュがそんな風に問うてきたので、キュルケは少し苦笑いをして、答える。

「だってあの子、いつもどおり余裕ぶっこいて、笑ってたじゃない。あれを見ると、なんだか安心しちゃうのよね」

自分の正気を疑うような、認めたくもないことだが、それは赤い髪の少女にとって、いまのところ正直な気持ちである。
少年は冷や汗を流し、頭を掻いた。

「はあ、そういうものかね? ……逆に、よけいに心配になるじゃないか」
「ま、あれだけ大口叩いて人を振り回したあげく、失敗するなんて、無いわ。アニエスもタバサも居るし、世界中どこに行っても、ポータルで戻ってこれるわよ」
「……そ、そうだね、きっときみの言う通りだとも」

二人は笑いあった。自分たちがこの場で出来ることは、ここまでのようである。

「さあて、あたしたち、学院に戻らないとね……向こうから、またすぐに呼び出されないとも限らないし」
「うむ、ぼくたちは帰ろうか、ミス・ツェルプストー」

キュルケが遠い目で言った言葉に、ギーシュが背伸びをしつつ答えた。
焦げた髪の先をいじくり、あくびをしかけて、たちまち二人して真顔になって……

「……来てるよ」
「ええ」
「この国は、どうなるのかなあ……」
「ごめん、あたしに聞かれても、解んない」
「終わりたくないね」
「あたしも……」

二人そろって、ただ静かにおのれの無力さを感じつつ、迫り来るアルビオン艦隊をぼんやりと眺めていた。
竜騎士隊の生き残りたちも、心底疲れきった顔で力なく杖をおろし、その終末の光景を見上げていた。

「今までのは一体、なんの騒ぎだったのか……悪い夢でも見ていたかのようだ」

ひとりの髭のりりしい男性メイジの、そんなつぶやきが、皆の気持ちを代弁していた。
大きな不安が一同を包んでいた―――結局国が滅びてしまうのなら、自分たちが命をかけてやったことは、無駄に終わってしまうのではなかろうか?
この煮え切らない結果へとたどり着くまでに、たくさんの犠牲を出した……そんな事実が、戦いを終えた今になって、身を切られるようにして、彼らへと襲い掛かっている。
やがて、副長が重々しく口をひらいた。

「わけがわからぬのは私も同じだ……だが、我々はベストを尽くし、力を合わせてあの男を追い詰め、最低限にせよ任務を果たしたのだ。それだけは、間違いない事実だ」

隊長の遺志をひきつぎ、はからずも責任ある立場となった副長は、いくつものおぞましい光景をその目で見るなかで、ひとつのことを理解していたようである。
それは、たとえ一時でもあの魔道士の力を借りたとしたら、この国はアルビオンに占領されるよりも、もっとひどいことになっていたにちがいない、ということ。
―――我々は、この国のひとびとの未来を守るために、間違いなく正しい選択をし、出来る限りのことを成し遂げたのだ、と。
とどめを刺す役割は、追って行った彼女たちに任せるほかない。

「我々は祈ろうではないか―――どうか彼女たちに、始祖ブリミルの加護のあらんことを」

副長はぱん、と手を叩いて場を締めた。続いて、杖を胸に抱き、それぞれ祈りをささげることになる。
過程はどうあれ、彼らは見事に<サモナー>の撃退に成功したのである。ここから先は、彼ら彼女らの仕事ではない。きちんと編成された軍隊の出番である。
『正直、あんなのに目ぇつけられた時点でもう終わりだろ』と思っても口には出さない。
竜騎士のひとりが、「アルビオン艦隊の偵察のために、私は竜を呼んでここに残ろう」と言い、副長がそれを承認した。

「本当に、ありがとうございました……あなたがたの情熱、この微熱のキュルケ、生涯忘れません」
「いや、なに、国のため家族のために、当然のことをしたまでだ」
「これからも、そうするだけさ……きみたちは若い娘で、他国からの留学生なのに、本当によくやってくれた」

心のこもったキュルケの言葉に、隊員たちは口々にそんな風に答えた。
直後、大切なことを思い出したかのように、キュルケははっと顔をこわばらせる。そして、青銅のギーシュへと呼びかけた。

「あっ、大変……待って」
「何だね?」
「ギーシュ、あなた<ポータル>を使わないで帰って欲しいのよ。いったんシルフィードのところに行って、乗せていってもらってくださらない?」
「え?」

赤い髪の少女には、青い髪の親友より託された、大切な用事があったのだ。
そろそろギーシュとモンモランシー、シエスタ、そして疾風のギトーの四人が、昨日最後にポータルを使用してから、二十四時間の時が経過するころだ。
大きなアドバンテージ―――すなわちパーティの一部の編成組み換えが、可能となるかもしれないのである。

「このままだと、あの竜騎士のお兄さんが帰れなくなっちゃうわ。それに、ルイズのため、お姫さまのため……タバサのためでもあるのよ……ねえ、お願いギーシュ」

ルイズが王女との合流に成功したときのために、あるいは親友の大切な家族を守るために、三人に着いていった竜騎士の帰り道を確保するために。
『幽霊屋敷パーティ』は定員8人の人数枠を、いくつか空けておかなくてはならないのである。ギーシュは血相を変えた。

「ああっ、じゃあ僕は今すぐに、モンモランシーたちを探しにいかなければ! ポータルを使わないように頼んでおかないと!」
「ありがとう、そうしていただけると助かるわ」

竜騎士隊の面々は、このあといったん自分たちのドラゴンと合流し、森に落ちた仲間の捜索に向かうつもりのようだ。
すべての戦いが終わったとき、彼らはふたたびこの場所に、仲間たちの遺体を回収するためにやってくるのだろう。
ギーシュは立ち去りかけて、ああそうそう、と振り向く。

「……ところで、ミス・タバサの使い魔は、ぼくが話しかけても解る子なのかね? ぼくだけがひとりで行って、乗せてくれると思うかい?」
「え……ええ、そうね。とても頭のいい子だから、きちんと説明すれば……うん、きっとわかってくれると思うわ」

赤い髪の少女は、表情を少しひきつらせて、そう言うほかなかった。

(あらタバサってば、シルフィの秘密、ギーシュにも話してないのかしら? こうしてみると、案外イイ男だし、信頼できそうなのにね……)

不意に、今回の戦いで散っていった、男たちのことを思い出し―――

(イイ男といえば……居たわ、すごく、たくさん……もう、会えないひとたち……奥さんとか、婚約者とか居たのよね、きっと)

戦いというもの、そして命のやりとりというものが、ただ華々しいだけのものではないことを知る。

(もう素敵な恋も、出来ないのよ……ああ、人が死ぬって、そういうこと……)

異国の少女を、現実が襲う。
往々にして、人の死を受け入れるためには、人の心の容量はあまりに狭すぎるものなのだという。

(ああ、ルイズ……あの人たちのためにも、自分で誓ったことくらいは、ぜったいに果たしてきなさいよ。お願い、ほんとお願いだから……)

ぐぐっと胸をおさえ、荒れ果てた村の跡に吹く煙混じりの風の中へと、キュルケはひとりはらはらと、涙を散らせるのであった。









//// 25-2:【星空に君と(Quest From Diablo2:The Arcane Sanctuary:Act2 Q4)】

―――Now Entering...

星空だった。それも見渡す限りいちめんの、漆黒のなかに銀砂をばらまいたかのような。
二人の少女と、ひとりの大人の女性、ひとりの大人の男性は、あんぐりと口をあけて、その摩訶不思議な光景へと見入っていた。
燃えさかる炎でできたゴーレムと、薄暗い影をまとう二匹のミイラのモンスターが、傍に控えている。

「なんて、素敵(Fantastic)……」

禍々しい髑髏の兜をかぶった細身の少女が、ぽつりとそう言った。
彼女の隣に居る、長い杖を手にした青い髪の少女も、きっとこの景色に圧倒されているのだろう、青い目を大きく見開いていた。
周囲は静まり返り、ときどき炎のゴーレムのぱちぱちと燃焼する音だけが、あたりに響いている。

「……」
「……な、なな、何だ、ここは……」

思わず三人に付いてきてしまった一人のトリステイン竜騎士隊の男性メイジも、大きく口をあけ、驚愕の表情を張り付かせている。
彼は本日、いくつも信じられないような光景を見てきたのだが、まだまだ彼の驚愕タイムには終わりが見えないようだ。

「解るか、ミス?」
「ええ」

前髪を切りそろえた剣士の女性アニエスが、ドクロの少女……ルイズ・フランソワーズへと問いかけた。
古き剣デルフリンガーも、「おでれーた……」とひとこと言ったきり、口をつぐんでいる。
そこは、あまりに常識からかけ離れた空間―――先ほどまでは昼だったのに、赤い<ポータル>を抜ければ、どうしてかその先は夜の世界。
奇妙なことに、夜空にはあの見慣れた二つの月さえも無い。

それどころか、上下左右何処を見ても、星、星、星……自分たちの立っている道を除きどこまでも、星空はひたすらに広がっていたのだ。
輝く星々は、どういうわけか高速で、一方にむかって流れてゆく。

四方どこにも壁が存在しない。空も、大地すらもが存在しない。
ただ、薄灰色の石の道が何本か、短い階段で繋がりあい、どこまでも遠くに向かって長く長く続いているだけだ。四人と三体は、その道の上に立っている。
幅2メイルほどの石の足場を虚空より支える無数の太い柱、そのひとつひとつには、精巧な悪魔の姿の彫刻がなされている。その下は、また星空。

「ここが、『秘密の聖域(The Arcane Sanctuary)』なんだわ……大昔に大魔導師<ホラゾン>の作った、隠れ家よ」

無数の『またたかない星』の輝きの流れてゆく漆黒の宇宙空間、そこに浮かぶ壁の無い足場、彫刻のついた柱、足場同士をつなぐ階段、薄暗くぼんやりと発光するタイルの道、点在する篝火や青白い街灯が、ここのすべて。
ルイズ・フランソワーズは、以前読んだ禁書、異世界魔術の歴史書の内容を思い出していた。
聞き覚えのない話ばかりをされて、三人についてきた若い竜騎士の男性は、目を白黒させ、額に手をあてている。

「……いかん、目が回りそうだ」
「どうなっているんだ……おかしいぞ、いろいろと」

剣士アニエスが夜空を見上げると、そこには右隣の足場に掘り込まれた精巧な彫刻が見える。
石の足場からは、装飾の施された柱が何本も垂直に伸びており、それは『となりの足場へと繋がっている』―――信じられるだろうか?
右を見れば、真上が見える。正面を向いて目を凝らせば、はるか遠くに、なんと自分たち四人と三体の背中が見えてしまう。

「ええ、その通り、おかしい場所……はっきり言って、天才の所業ね。私たちの想像もつかないほどに高度な、失われし魔法技術の結晶なのよ」

ここは文字通り異次元の空間。
時間と空間がねじまがってあちらこちらで繋がり合っており、道が現実には存在できない、いわゆる『不可能立体』を形作っているのである。

おまけに夜空を埋め尽くす星々は、かなりの勢いで一方へと流れてゆく―――それは、この場所が高速で宇宙空間を移動していることを示している。
この場所は、ルイズの生涯の目的のため求めてやまなかった、ハルケギニアの外。この空間のどこかに、はるか遠きサンクチュアリ世界との接点があるにちがいない。
白髪の少女は悲しそうな表情で、ため息をつく。どうして、こんなに忙しいときに……

「はあ……時間さえ許してくれるのなら……じっくりと研究するのになぁ……」

ここに居れば、上下左右の感覚だけでなく、時間の感覚さえも失われてゆくようだ。夜も昼の区別すらも存在しないのだろう。
事実、この不思議な空間はあちらこちらで、時間の進み具合もいくぶんか異なっているようでもあった。
自分たちより先にポータルへと飛び込んだはずの<サモナー>の姿も、騎士ラックダナンも、いまのところ四人の周囲には見当たらないのである。

「……きれい」
「そうね、とっても綺麗なところだわ」
「こんなにも美しい景色があるなんて、信じられない」
「うん、私も……」

ルイズとタバサ、二人の少女は、あたかも戦いの最中だということを忘れてしまったかのように、いちめんの星空を眺めていた。
360度、どこを見わたしても星の海原。赤や黄色、橙、ときに青白く光る星。流れてゆく光の粉のような天の川、そして時と共に姿を変えるまったく見覚えのない星座たち。
幽霊屋敷の裏庭から眺めたものよりも、昨夜のタルブの草原の空に広がっていたものよりも、それははるかに圧倒的で、神秘的な光景だった。
吸い込まれそうになる。まるでたった二人、宇宙のど真ん中に放り出され、迷子になってしまったかのようにして……

「広い」
「……そうね、宇宙はこんなにも」
「これが、あなたのいつも見ている世界?」
「えっ?」

青い髪の少女が、不意にそんな不思議な質問をしてきたので、ルイズは戸惑った。
そして、やがて意図を読み取ったかのように、静かに微笑んで答える。

「んー……いいえ、似てるようで違うわね。このあたりには、生命の輝きも、ほとんど感じられないもの」
「そう?」
「そうよ、さびしい場所なの……ここは言ってしまえば、ホラゾンが自分のために作った牢獄みたいな場所。……彼はたった一人きりで、何世紀もの間、ここに住んでいたんだわ」

タバサは静かに聞いている。

「気の遠くなるような長い時間、ひたすら悪魔に対抗するための技を研究しつづけて……きっと疲れたらこうやって、星を眺めてたのよ」

ルイズは目を閉じて、ただこうして隣に居てくれるだけで不思議と心を強くしてくれる友へと、心の底から自然と湧き出してくる素直な言葉をつむいでゆく。

「どんなに星を眺めても、どんなに強い力を持っていたとしても、どんなに富を持っていたとしても……、一人きりじゃ、意味ないのにね」
「……」

人間一人の生涯において、決して手の届かない、大いなる輝き……星空はときに人を素直にする。
どんなに美しいものも、たった一人で見るだけでは、その価値も半減してしまうことだろう。美味しいものを食べるときも、そうだ。
人が着飾るのも、本を書くのも、美術品を作るのも、歌を歌うのも、どこかにいる他者へとむけて、おのれという存在を表現するためなのだという。
彼ら美に携わるもの曰く、世界中にたった一人だけでも理解してくれようとする人が居てくれるだけで、ずいぶんと違うものらしい。

ここにいるのは、かつて他の誰と比べても、たくさんの『ひとりきり』を経験してきた、白髪と青髪の二人の少女。
このとき、絆に飢えた二人の気持ちは、寂しい心の奥底のほうで、しっかりとつながり合っているようでもあった。

「私は、どんなに綺麗なところでも……一人きりで居るのは、いやだわ」
「……わたしも」
「うん」

言葉がとぎれる。言いたいこと伝えたいことが、星の数のようにたくさん湧き上がってきてしまう。
しかし小さな二人は、同じ方向を見つめたまま、語らない。
お互いに、これ以上何を言っても、大切な今を打ち砕いてしまうような、取り返しのつかない不必要などこかへと踏み込んでしまうような気がしていたからだ。

目の前の星空は音も立てずに動き続け、ひとたび生まれた星座も、次の瞬間には消えてゆく。
―――いったいどうして、時間は止まってくれないのだろう。
明日は今日よりもきっとマシな日になると、明後日も今までのようにいっしょに居られると、大好きなみんなで笑いあえる日がくると、信じていたいのに。

ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、これからの戦いを無事に終えたとしても、あとで友人に拉致されてゆかねばならない。
これからの戦いに勝てる保証もない。無事に今までどおりの生活を送ってゆける保証もない。

戦いに勝って、王女を助け出すという目的を果たせて、万が一、その後のガリアへの拉致から帰ってこられたとしても……
先に、今回の戦争で、トリステイン王国は滅びてしまうのかもしれない。
たとえ国が滅びずに済んだとしても……次はレコン・キスタおよびガリアとの全面戦争になるのかもしれない。
帰る場所がなくなってしまえば、今までのようにはいられない。

王女誘拐に利用された<ウェイ・ポイント>を設置したルイズは、国をふたたび危機にさらした責を問われるのかもしれない。
大貴族の娘を拉致する命令を受けたタバサは、留学生保護のための条約に違反したことがばれてしまうと、トリステイン国内に居られなくなるのかもしれない。
一緒にきれいな星空を見ていられるのも、これが最後なのかもしれない。
何をやっても、無駄に終わってしまうのかもしれない。

ただ、この先どうなろうとも……
二人の少女はただ、今このとき、互いが隣に居てくれて、同じ美しい景色を見ているということを、とてもとても嬉しく感じていた。
それだけが、確かなことであった。

―――カラン、どすん。

ポータルへと飛び込んでから三分の時がたち、リヴァイヴド・モンスターの二匹の『ヴァンパイア』が力なく倒れ、杖が音を立てて石のタイルに転がった。
大人たち二人、そして空気を読んで黙っていたデルフリンガーが、そろって「おほん」と咳払いをした。
少女二人はひどく名残惜しそうに、二人だけの世界から現実へと戻ってきた。

「えーと、そのだな……」と真面目な剣士は気まずそうに話しかける。
彼女は未だに、この仲良し少女ふたりの関係がいったいどういうものなのか、図りかねているようだ。

「すまない、私たちのことを忘れないでくれ……一刻もはやく、あの魔道士を捜しだし、今度こそ打倒せねばならんのだろう」
「こんな得体の知れぬ場所まで付いてきてしまった以上、おれにはきみたちに同行するほか、一切の選択肢がないのだ。どうか指示をたのむ」
「え、ええ……」

若い竜騎士の男性も、心底困ったように弱々しい表情で、アニエスの言葉をひきついだ。
彼は不幸なことに、この敵よりも得体の知れぬ少女についてゆくほか、ここから生きて国へと帰れるいっさいの方法がないのである。
ルイズは頷き、まず彼とタバサへとマナ・ポーションを手渡し、飲めという。アニエスは苦笑して、鞄より自分の水筒を取り出した。

「勝利を願って……かんぱい!」
「……か、乾杯」
「乾杯!」
「…………」

音頭をとって、ぐい、といっせいに小瓶や水筒の中身をあおる。
お世辞にも美味しいと言える液体ではないので、アニエス以外の一同は微妙な表情となるほかない。

続いて、ルイズはさきほど自分に従い戦ってくれたヴァンパイアたちの躯へと視線をむけ、「ありがとう、お休みなさい」と声をかけた。
最初に付いてきてくれていたスケルタル・メイジたち、盾で守ってくれたスケルトンたち、背に乗せてくれたドラゴン、そして散っていった者たち……タルブの村に漂っていた、たくさんの霊魂たちのことを思い浮かべる。
振り返るのは、またいずれ。『イロのたいまつ』をかかげ、疲れきった体に活を入れ、今は進軍のときだ。

「さぁて……お願い私のタマちゃん! 道案内よろしく!」

ふわん……と、白髪の少女の体内より、白く輝く炎の人魂、『ボーン・スピリット(Bone Spirit)』が浮かび上がってきた。
周囲の生命力を探知する能力をもつこの自慢の使い魔ならば、あの魔道士のもとへと、四人を導いてくれるかもしれない。
度重なる理解不能なブツの登場に、竜騎士の彼はうぐぐ、と喉を鳴らして堪え、アニエスが「まあまあ」となだめた。
そしてルイズの表情は、みるみる残念そうなものになってゆく。

「あーっ……そ、そっか、駄目なのね」

どうやらあの男は、骨の精霊によって探知可能な距離の、外にいるらしい。
ボーン・スピリットは、白髪の少女の周囲をくるくる回って、残念無念の意思表示をしていた。
私たちには時間が無いのに……とルイズは焦るほかない。このまま、広い迷宮内を足を使って探索するしかないのか、と思ったとき。
救いの手は、思いもよらぬところからやってきた。ルイズの表情は、驚愕、そして歓喜へと移り変わってゆき、とうとうじんわりと目じりに涙が浮かんできた。

「あ、あなたは……ああっ、ありがとうございます!」

いつも危なっかしい白髪の少女を、いつも背後より見守ってくれている、物言わぬそれ―――昔のロマリア法王の亡霊が、このときしっかりと一方を指差していたのである。
他人には見えぬ彼へと、ルイズは頭を下げて、丁重に礼を言った。他のメンバーは不思議そうに、そんな不可解な行動をとる不気味な彼女をぼんやりと見ているほかなかった。

「行きましょう! あいつの首根っこ脊髄ごと引っこ抜いて、ついでにクロムウェルを締め上げて、姫さまを連れて帰りましょう!」

守護霊の指差した方向へと、星空に浮かぶ石畳の上を、ゼロのルイズは迷いなく歩み出した。骨の精霊が力強く、彼女の行く手を照らしていた。
<思い出>の杖を握りしめ隣を行くのは、雪風のタバサ。背後に炎のゴーレムが続く。若い平民剣士が堂々と、若い竜騎士がおっかなびっくり、追従していった。
やがて、ぽつりとアニエスが言う―――

「ところでミス・ヴァリエール、我々は、走るべきだ」
「……そ、その通りかも……だけど」
「ほら、<スタミナ・ポーション>なら、こうして持ってきているぞ……戦士はスタミナが売りだからな」
「っ……ありがと! ―――走りましょう、みんな!!」

この宇宙の片隅に放り出された四人、その心のいずれにも、実のところは大きな無力感―――もう何をやっても無駄なんじゃないか、との弱く悲しい気持ちが無いわけではない。
しかしこの四人の心には、来たる荒々しい運命の大波にたいし、『逃げる』という選択肢だけは頑として存在しない、存在しないのだ。




―――

黒い甲冑の騎士ラックダナンは、かつてサンクチュアリ西方の王国、カンデュラスの騎士団長であった。
名君レオリック王に忠誠を誓い、人々の信頼もあつく、腕も立ち、誉れも高く『英雄のなかの英雄』と呼ばれていた。

彼は魔王ディアブロ(Diablo)のせいで、悲惨なる運命へと巻き込まれていった。
トリストラムの街の荒れ果てた修道院……その地下奥深くで、封印されていた恐怖の王(Diablo:Lord Of Terror)が目覚めたときから、彼の人生は否応なく転落の一途をたどる。

魔王の影響によって、ある日とつぜん、レオリック王は変心した。
寡黙になり、人を信じられなくなり、ささいなことに怯え、残虐になった。側近をつぎつぎと追放し、ときに殺していった。
カンデュラスの国は、たちまちおかしくなった。
あろうことか、レオリック王は隣国ウェストマーチへと勝てる見込みの無い戦争を始めるに至った。
無意味で不利な戦争、死を約束されし最前線へは、王をいさめた忠義の側近たちが次々と送り込まれていった。

ある日、王の息子アルブレヒト王子が誘拐された。王子はトリストラムのダンジョン地下深くへと連れ去られたのだという。
狂気のレオリック王は、近衛兵に命じて、街の住民をたくさん処刑した。
それだけでなく、ラックダナンが街の住民と共謀して王子を連れ去ったのだと決め付けた。

正義の心を失っていない仲間の騎士団員たちを連れて、修道院のダンジョン地下深くへと呼び出されたラックダナンを待っていたのは……
自分たちを皆殺しにしようとする、変わり果てた主君、そして邪悪に堕した近衛兵たちによる、十重二十重の包囲網だった。

どうしてこうなったのか?
何がいけなかったのだろうか?

そんな疑問に答えを与えてくれるような者など、どこにも存在しなかった。
騎士団長は、幾人もの仲間を失いつつも、とうとう近衛兵たちを打ち破り、レオリック王へと詰め寄った。

王よ、どうしてあなたは、こんなひどいことを繰り返すのか?
罪もなき人々をたくさん処刑し、あなたはいったい何を望むのか?

レオリック王は返答の代わりに、呪った。
トリストラムの住民に災いあれ、滅びあれ、何度失敗しようと、余はおまえたちを皆殺しにするまで止めぬ、と。
わが憎悪をぜったいに忘れるな、昼夜問わず恐怖におののけ、完全なる破壊にその身をさらすがよい。
ラックダナン、おまえもだ、おまえもだ、おまえこそが呪われるに相応しい……

高潔だった名君は見る影もなく、完全なる狂気に落ちていた。
聡明なる騎士団長は、すぐに理解した。なにか得体の知れない恐ろしいものが、国王の身を乗っ取ろうとしている……!!
このままでは、取り返しのつかないことになる。いずれにせよ、放っておくという手は無かった。

王のために、民のために、世界のために、やれるのはこの場でただひとり自分だけだった。
彼は涙を流し、剣を抜く。繰言のように呪詛をはき続ける王を―――斬った。……おおぉぉぉぉおお!!

王の死の間際の言葉を通じて、魔王ディアブロの呪いが、ラックダナンの身を縛った。

その日より、呪いあれ、災いあれ、堕ちよ、堕ちよ、堕ちよ堕ちよ堕ちよ堕ちよタマシイを委ねよ委ねよ委ねよ―――と、万物がひっきりなしに彼へと囁きかけるようになったのだ。

それから、どれだけの時がたったのか……
魔の迷宮の地下十四階、ディアブロのダンジョンは彼の身と魂を押しとどめ、逃さなかった。
入れかわりたちかわりやってくるおぞましいモンスターどもの襲撃により、仲間はすべて倒れてしまった。
魔物の返り血を浴びるたび、ひとり迷宮を彷徨うラックダナンの身体は、しだいに魔物のそれへと変質していった。

かつて銀色に磨き上げられていた鎧は、ますます硬くなり、迷宮の闇を吸い取って、黒く黒くなってゆく。
疲れ果て、飢えて渇ききった彼の肉体は、ますます強烈な魔の気配をおびてゆく鎧に食われ、身体の内側からじわじわと吸収されてゆく。
血の騎士(Blood Knight)……ここに、ラックダナン(Lachdanan )という名の一匹のスーパーユニーク・モンスターが誕生する……
しかし、強靭なる彼の心は、誇り高き人間のままであろうという意思は、恐怖の王の揺さぶりに耐え、魔物の身体のなかに宿るようになってさえ、決して折れてはいなかった。

迷宮で見つけた一冊の書物に書かれていた、『黄金の霊薬』という薬の存在だけが、彼をむしばむ狂気と魔物の身から解き放ってくれるであろう、かすかな希望となっていた。

そんなある日、迷宮を彷徨う彼の元に、三人の人間が通りかかった。
魔物と見るなり襲い掛かってきた彼ら三人を、必死に止め、ラックダナンは和解に成功した。
その三人は迷宮の中で出会い、利害が一致したために探索を共にしている、腕利き冒険者のパーティなのだという。

ひとりは筋骨たくましい、さすらいの冒険者の男(Warrior)……ひたすらに寡黙だが、強い自信と意思とを感じさせる目つきをしていた。
おれは王子を助け名をあげる、と言った。「旅費と強い装備」、とも、ぼそぼそと言葉少なに語った。
彼は名に聞こえた装備をまとい、強力な『迅速なる王の剣(King's Sword Of Haste)』を帯びていた。

もうひとりは、女性だった。『見えざる目教団』の戦闘シスター(Rogue)大隊の長であり、『血の大鴉(Blood Raven)』という二つ名をもつという。
彼女は盲目のようだが、研ぎ澄まされた心の目であらゆるものを見通し、ひとたび弓を射れば百発百中なのだという。
世にはびこる邪悪の元凶を倒すため、そして腕試しのために来た、と言った。おまえの魂を尊敬し、境遇に同情しよう、とも。

最後のひとりは、ヴィジュズレイ魔術氏団より派遣されてやってきたという、浅黒い肌の魔道師(Sorceror)だった。
精霊魔法の実戦テスト、およびこの迷宮に眠る古代魔術の秘密を得るために来たのだが、そのついでに魔王ディアブロを倒してやろうと思ってな、と浮世離れした態度で言った。
わがヴィジュズレイにとっても、邪悪の打倒は急務である、われが汝らの仇をとってやろう、ははははは、と笑いながら。

その三人(DiabloⅠPlayer Characters)は、おのおのが異様きわまる雰囲気を放っていた。
皆がそれぞれ、騎士団長をつとめた自分よりも、ずっと腕の立つ冒険者なのだろう、と思われた。

騎士は、彼らへと『黄金の霊薬』の探索を依頼する。
報酬はラックダナンの身につけている強力な装備(兜や盾や籠手)を与える、ということで彼らは引き受けてくれたのだが……

そのクエストが果たされることは無かった。

ある日、ディアブロの断末魔の声が迷宮を揺るがした。
それを機に、魔物たちの出現は止まった。しかし、魔王が倒れたはずなのに、ラックダナンが迷宮と呪いから解放されることは無かった。
あのときの三人によって、魔王ディアブロ……その写し身は倒されたのだろう。

そして、魔王は新しい寄り代……つまり、凶悪な魔物の徘徊する迷宮を少人数で突破し、あげく自分の写し身を打ち倒すほどの『世界最強の冒険者』の肉体を得たのかもしれない。
結局、彼らは何のために戦ったのだろうか―――この迷宮そのものが、狡猾な恐怖の王による、新しい強力な肉体を得るためのワナだったのだ。
その後の冒険仲間、残りの二人がどうなったのかについては、想像もつかなかった。
地上のトリストラムの街がどうなったのか……そして恐るべき魔王の完全復活が、このサンクチュアリ世界をどうしてしまうのかについても、いっさいの想像はつかなかった。

ふたたび時がたち……はるか遠い異世界ハルケギニア、ガリアの地にて、騎士と魔道師の二人は思わぬ再会をとげたのである。

さまよえるラックダナンを異世界へと召喚したのは、青髪のうら若き王女であった。
騎士は、魔王の影響の及ばぬ地に来たことにより、狂気の呪いから解き放たれることができ、それはそれは喜んだものである。
彼は王女へと忠誠を誓い、北花壇騎士団の一員として働き、性格のひねくれた彼女の面倒を見る日々を送っていた。

一方、あの魔道師は、国王ジョゼフに取り入って、何事かの企みを成そうとしていたらしい。
無能王と呼ばれるジョゼフは、まるで狂人かと思われるほどに、やりたい放題の男であった。魔道士は王に気に入られ、一緒にさまざまな暗躍を行っていたようだ。
王は己が虚無の使い魔<ミョズニトニルン>の女をアルビオン大陸へと派遣し、反王権組織レコン=キスタを立ち上げさせ内乱を煽ったりもしていた。

ある日、アルビオン大陸とガリア国内に<サンクチュアリ>世界のモンスターが発生するようになり、浮遊大陸にて<ミョズニトニルン>が消息を絶つ。
その最後の知らせにより、王はあの魔道士の企みに気づいたのだという。
翌日、魔道師<サモナー>は魔王ディアブロを、ハルケギニアへと降ろそうとしていた。
ほかでもない、国王ジョゼフの身体を寄り代にしようとしたのであった。そして、その試みは……王の捨て身の抵抗を受けて、失敗に終わる。

男はガリアの地を追われたが、ヴェルサルティル宮殿の地下に『ホラゾンの聖域』へと繋がる、ひとつの赤いポータルを残していった。

その日から今に至るまで、赤いポータルは際限なく異形の魔物たちを吐き出しつづけている。
ガリア腕利きのメイジたちが昼夜奮闘し押し返し、土メイジによる物理的封印を繰り返しつづけている。
これら一連の事件、および赤いポータルの存在は、ガリアの恥部とされ、国家最大の機密とされている。

ラックダナンがルイズ・フランソワーズへと、このことを告げられなかったのは、騎士として守るべき機密のゆえだった。
強行軍により、何度も聖域内部の探索が行われ、一基の<ウェイ・ポイント>、および過去に<サンクチュアリ世界>のどこかへと繋がっていたらしい石のゲートが発見された。
それらは作動せず、壊れているようであり、修復できる見込みもなかった。
なので、彼がルイズへと「知らぬ」と言ったのはまんざら嘘というわけでもないのだが、それは今のところ関係のない話である。

きっかけとなった事件以来、ガリア無能王は言葉を発することさえできない、と噂されている。
魔物の存在は恐怖をあおり、恐怖は不信と狂気を呼び、ただでさえ現王派と旧オルレアン派との軋轢、内乱の下地のあったガリアは、ますます傾いてゆく。
この世に<サモナー>の存在し続ける限り、ガリアという国そのものが脅かされているのだ。
あの男を討つことがガリア王国に属する者にとっての至上の急務とされ、騎士たちが行方を追っていた。
幾つかの理由により、これら一切の事情を知らされていない北花壇騎士七号―――雪風のタバサを除いて、である。

その後―――
あの男はアルビオン王党派ウェールズのもとへと活動の場をうつし、一方ラックダナンは主たる王女とともに、レコン=キスタ側について剣を振るうこととなった。
ディアブロたち三兄弟の登場する以前に四大邪悪と呼ばれ、かつて魔界を統べたこともある、強大なる悪魔のうちのふたつ―――
苦悶の女王『アンダリエル』、および苦痛の帝王『デュリエル』の写し身の出現により、彼らは大苦戦を余儀なくされた。

そしてアルビオン戦線では、王党派に勝利することはできても、魔道士を打倒するまでには至らなかった。

このたび、騎士ラックダナンは魔道師の男を討つ任務を与えられ、トリステインのタルブ村へと派遣されてやってきた。
だれもが善人となりきれぬ世の中だ、彼はかつてのカンデュラスでの過ちと悲劇とを繰り返さぬよう、今度こそ主へと忠義を尽くすことを自身に誓っている。
理由なき戦争を好まぬ彼であるが、共に戦ってきたレコン・キスタの仲間たちを裏切ることや、いちど承諾した任務を意味も無く投げ出すことはしない。

実のところ、あの男が追い詰められたときに拠点『秘密の聖域』へと逃げ込むであろうことも、彼らガリア側にとっては想定内の出来事だったのである。

たった二つの計算違い……
トリステインにおける『アポカリプスの杖』の存在、そしてルイズ・フランソワーズたちが聖域へと飛び込んできてしまったこと……
その二つが、レコン=キスタの者およびガリア王家にとっての、想像の埒外の出来事だった。
まるで機械に飛び込む虫(Bug)のようにして、レコン=キスタにとってのトリステイン攻略戦における完全勝利の歯車を、大きく狂わせることとなるかもしれない。

……

聖域の内部、黒い騎士は周囲を見回す。ここには自分ひとり、一緒に飛び込んだはずの<サモナー>の姿はない。
この空間には何度か来た事がある……ここは広く、どこもかしこも似たような景色、こんがらがった空間で、初見であればかならずや迷うことだろう。
騎士は星の流れる方向を見て、道や階段のつながりの法則に照らし、記憶の中のマップにておおよその自らの位置の当たりをつけ、<サモナー>の居るであろう方向にむけて、甲冑を重く石畳に鳴らし、歩みだす……


―――

レコン=キスタ皇帝クロムウェルは、安楽椅子に腰掛けた青髪の王女へと問いかける。

「どう思われますかな」
「あれはねぇ……無理してんのがみえみえだよ。ははは、可愛いもんだわ」

ガリアの王女はにやりと笑い、浮遊大陸を統べる皇帝へと乱暴なタメ口で返した。
そんな彼女の態度に慣れているらしい皇帝は不快な顔ひとつせず、彼女の言葉を吟味するように、うむむ、と首をひねった。

「無理している、とは?」
「飲み食いくらい、すりゃあいいのにって話さ……こっちが毒を飲ませるつもりなら、最初からやってるわよね」

心をゆがめる毒など手元にないし、使う必要もない、と思っている。
知りたいことは知っているし、そんな薬を飲ませて役に立つのは、万が一誰かが囚われの王女の身を救助に来たときだけだろう。
本当にここまで救助に来られるような規格外のやつが居たとして、そいつは強力な治療薬を持っていることだろうし、どのみち毒を飲ませても意味が無いのだ。

「私には、ただ怯え命乞いをするばかりの小娘にしか見えないのですがね」
「わざとそんな風に振舞ってるつもりなんだよ、でも残念ながらバレバレだ。隙あらば情報を引き出してやろうと、こっちのハラを探っていやがんのさ」

はあ、とイザベラはため息をついて、顔をしかめた。
彼女は、囚われのトリステイン王女のように、無意味な努力を続ける者を見ると、あの人形のような従妹のことを思い出してしまい、いつもいらいらとした気持ちになってしまうのだ。
東方からの輸入品、水パイプをぽこぽこと鳴らし、形の良い唇からぷふーっもくもくと煙をふいた。

「もうすぐ無くなる国のために、けなげなもんだわ……あれ見てたら何だか、ちょっぴり同情心が湧いてきちまう、おお嫌だ嫌だ」
「……上手くいくのでしょうか?」
「おい、この期におよんで、何を弱気になっているのよ。もっと皇帝らしく堂々としていろ……ほれ」

吸い口を手渡されたクロムウェルは、「で、では失礼」と戸惑いつつ、水パイプをぽこぽこと鳴らす。
少女の好みそうな甘ったるい果物の香りが口内にひろがり、彼は微妙きわまりない表情になった。
青髪の王女はにかっと笑い、うっくっくと喉を鳴らしながら、彼のしぐさを見ていた。

この男、皇帝クロムウェルは、さきのアンリエッタの推測どおり、<虚無>の使い手ではない。
それだけでなく、彼はもともとは貴族でもメイジですらもない、貧しき田舎の村のいち司祭であった。
ある日村の酒場にてシェフィールドと名乗る女と出会ってより、彼の人生はがらりと変わった。
『王になりたい』との望みをかなえてやると言われ、2年前にラグドリアン湖にて『アンドバリの指輪』を与えられた。

欲深き貴族たちを言葉巧みに焚き付け、ときに『アンドバリの指輪』を駆使して<虚無>を演出し、彼はとうとうレコン=キスタの長へと上り詰めた。
しかし―――かの女性<ミョズニトニルン>シェフィールドは、アルビオンに魔物が大量発生した際に、突如行方不明となってしまった。
ひたすら命令をこなさねばならぬ立場だったクロムウェルである、これからどうすればよいのかと、頭をかかえたものだ。

そんなとき、あの女の代わりにガリアからやってきたのは、不気味な黒い甲冑の騎士をひきつれた、青い髪の王女だった。

彼女らは貴族派軍と協力し、湧き出る恐ろしい魔物をばったばったと倒し、王党派を追い詰め、とうとうレコン=キスタを勝利へと導いた。
もともと小心者の彼が、ここまでボロも出さずうまくやってこれたのは、彼女たちが力を貸してくれたおかげなのである。

クロムウェルが出世街道を上り詰め、皇帝となるまでには、こうしたいきさつがあった。

むかしシェフィールドの居た時代、クロムウェルは大国ガリアの王の言うがままの、ただの操り人形だった。
だが、今はそうではない。かつてのように、一切の拒否権を与えられない理不尽な命令をされることは、無くなった。
ガリア王女たちは、とくに裏で指図するわけでもなく、むしろ積極的に戦場の最前線へと出てゆき、体を張って、今も国土を荒らす魔物たちと戦ってくれている。
彼女には、誰もを自然とついてゆきたくなる気にさせるような、不思議な力強さがあった。

なので現在のクロムウェルは、彼女たちの助力に応えようと思い、浮遊大陸の主としてふさわしい行動をとらんと、日々努めているようだ。

甘ったるい匂いの煙をふかしつつ、クロムウェルは考える。
このたびのトリステイン侵攻戦―――万が一にも敗北する要素は無い、無いはずなのだが。
小心な彼は、心配で心配で仕方が無いのだ。

彼は皇帝となったものの、自分などは国を統べる器ではないと思っている。日々いっぱいいっぱいだ。
とくに、こちらへと寝返ったもと王党派の貴族どもと話すときは、いつも胃に穴が開きそうなほどのストレスを感じてしまう。
なので以前、ニューカッスル陥落の際、彼は『アンドバリの指輪』を使い、死したウェールズ王太子を蘇らせて、従えてしまおうとしたのである。

だが、その試みは、失敗した。
指輪の先住の水魔法の力で、遺体は『生きているかのように』なったが、ウェールズは目を覚まさなかったのである。
実のところ、当初は蘇った彼をトリステインに送り込み、アンリエッタを誘拐してしまおうという作戦をたてていたのだが……
結局ウェールズが使えなかったので、王女誘拐に関しては、もと暗殺者にしてガリア北花壇騎士団ノーナンバー、<地下水>の協力を得ることとなった。

アルビオン空軍は無敵だ、連れて行った地上軍も敵より数ではるかに勝っている。
相手国の王女の身はこちらの手にあり、間違いなくゲルマニアは日和見をする。
あの傍に居るだけで身の毛のよだつ白炎のメンヌヴィルが負けるところも、想像つかない。
<サモナー>退治には、他の誰よりも信頼できる騎士ラックダナンを派遣してもらった。

万が一、あの男が拠点たる『秘密の聖域』へと逃げ込んだとしても―――あの場所には現在、最大のサプライズが待っている。
これこそがレコン=キスタおよびガリア王国による共同『サモナー釣り出し作戦』の肝である。

他でもないガリアが、『秘密の聖域』内部へと、今まさに花壇騎士の精鋭をひきいて一斉侵攻をかけているのだ。
目標地点は、先日ようやく発見できたという、聖域内の<サモナー>の研究区画である。
長々とリベンジの下準備を続けてきたあの国だ、負けるはずがない。

それでも、言い知れぬ不安は消えないのである。






//// 25-3:【小休止の話:TCP-IPアドレスの数よりも人生はある】

青い髪と青い瞳も麗しきガリア王女イザベラさんは、ガリア国の裏仕事専門の秘密組織『北花壇騎士団』の団長である。
彼女のもとに集う腕利きの工作員たちは、日々ガリア国内やアルビオン大陸内で、その力を振るっている。

高慢でねじまがった性格をしている彼女も、騎士を召喚して以来、自分の立場にいろいろと思うところがあったようで、そこそこ鍛えてもいる。
かねてより彼女は黒い騎士ラックダナンたちをひき連れて、秘密裏にちょくちょく前線へと出て行っては、魔物との戦いを繰り返しているのだそうな。

ガリアの各地とアルビオンの各地の間には、かつて父王の使い魔シェフィールドが使用していた名残り……つまり転移魔法陣<ウェイ・ポイント>のネットワークが繋げられており、迅速な行き来が可能なのである。
トリステインの少女ルイズ・フランソワーズのまったくあずかり知らぬところで、異世界からの来訪者と深くかかわり、日々邪悪と戦いつづけているものがまた一人、ここに居たという話である。

現在、王女イザベラは、そろそろ囚われのアンリエッタを牢へと連れ戻してやろうと、ウェールズの遺体を安置してある部屋へと向かっていた。
今の彼女には他にできることがなかったので、敵国のお姫さまのケアを引き受けたのである。
トリステイン王国が滅びてレコン=キスタに併合されたあと、亡国の王女アンリエッタの取り扱いこそが、必ずやその後のあれこれを楽にしてくれることだろう。

イザベラ王女は、先日の魔物との戦闘で負った傷が治りきっていない。とくに無理をさせすぎた片足が、思うように動いてくれない。
一月以上前の話だが、対『アンダリエル』戦で受けた猛毒や、対『デュリエル』戦で受けた凍傷などが積み重なった結果、とうとうガタが来てしまったのだった。
幸いなことにきちんと治療を続ければ後遺症にはならないらしく、もうすぐ完治する見込みもある。

この足さえちゃんと動けば、ラ・ロシェールか聖域か、どちらかの侵攻作戦に参加していたものを……と悔やむが、それも仕方のないことだ。
危険な戦場においては、ほんの少しの不調が命にかかわるからである。
騎士ラックダナン、およびガリア本国選り抜きの聖域侵攻軍が、国を乱したあの魔道師を必ずや打ち倒してくれるだろうと、信じるほかない。
大きな不安要素はあったが、そこは信頼できる手持ちの部下ひとりも、付いて行かせたことだし……

(おや、部屋の中の様子が……)

なにがあったのだろうか?
アンリエッタを置いてきた部屋の、扉の横に立っていた衛兵たち二人が、今にも自殺してしまいそうなほどにげんなりとした表情を見せていた。
イザベラ王女は、扉の前で足を止め、耳をすませた。
中から、異様な物音が聞こえてくる。

はあ……んっ、うっ、……はあ、はあ……ああっ……

それは、なんとも切なげな吐息、そしてなにやらくねくねとせわしなく動く気配であった。

(なあ!?)

―――ああ、いったい中で何が起こっているのだろう!
たしか、この部屋の中には、囚われのアンリエッタ王女と、かつて彼女が愛したウェールズ王太子の死体があり、他になにもない、誰も居ないのだ。
ガリア王女は、表情を自分の髪の毛と同じくらい蒼白に染め、ドン退きしていた。

(えっ、ちょ、マジで!? おいおいおいおい、なな、ナニやってんのよこいつ!!)

自分はなんて最低の想像を―――とも思い、吐き気までもを覚えてしまうが、無理もなかろう。
ああ、そんな最低の行為の他に、なにを想像せよというのだろう!
人の死体については王女イザベラもそこそこ見慣れてはいるが、死体にあれやこれやの気持ちを抱くなど、もってのほかである。

イザベラと親しい、扉を守る二人の衛兵メイジは、「あんな可愛いお姫様が……」だとか、「俺にはここを開ける勇気なんてないっす」だとか、ひどく弱々しげに言っている。
いつも気さくな彼らが「なんか、もう死んでしまいてえ」だとか「この大陸今すぐ落ちないかな」とか言うほどに、女性というものに絶望しているらしい。
どうやら彼らの精神衛生のためにも、イザベラは一刻もはやく、ここを開けぬわけにはいかないようだ。

(ええい、ままよっ!)

イザベラ王女は意を決し、鍵をひらき、ずばーん、とドアを開いた。

「あっ」
「……あっ」

部屋の中には、額に汗をうかべ、つややかに頬を上気させ、ぐったりと床に寝そべっているアンリエッタ王女が居た。
ひとつしかないベッドの上では、亡国の王太子の亡骸が、さきほどと変わらずに安置されている。
ガリアのお姫様は、扉を開いた姿勢のままあんぐりと口を開き、問いかけるほかない。

「……ナニしてんのさ?」
「うう、え……そ、その」

目が合って、思わずかぶっていた猫がすぽぽんと脱げにゃーと飛んでゆき、タメ口になってしまったガリア王女である。
トリステインの囚われの姫君は、スカートの乱れを直し、よろよろと身を起こし、ぜえぜえと呼吸を整えながら、恥ずかしそうに言いよどんだ。

部屋の中、彼女がひとりで……何をしていたのかについて、イザベラ王女はひと目見て理解できたようである。


「……腹筋?」
「は、はいっ、腹筋です」
「……はあ、……いや、ちょ……あのさあ、な、何で腹筋してんのよ?」

幸いなことに、当初のおぞましき『最低の想像』については、外れていてくれたようである。
だがしかし、現実はそれ以上に理解不能にもほどがある光景だった。この女、どうしてこんなところで、腹筋などを始めたのだろう。
硬直するイザベラに、身体を起こしたトリステインの王女は、慌てて弁明を始める。それはですね……

「わたくしには杖がありませんし、このように囚われの身では、ほかにできることもありません……なにかしていなければ、どうにも落ち着かないのです」
「ぶっふ」
「……」
「おっと、失礼……」

イザベラ王女は耐え切れなくなって、とうとう噴き出してしまった。落ち着かぬのはともかく、それでどうして腹筋しようだなんて思うのだろう?
一国のやんごとなきお姫さまが、囚われていった先、かつて愛した王子の死体のある部屋で、よりにもよって腹筋だなんて……!!
アンリエッタは荒い息をととのえつつ、寂しげなまなざしで、弱々しくかすれた言葉をつむぐ。

「……い、いいえ、お気になさらず、どうぞお笑いになってくださいまし……やはりわたくしは、ダメダメですから……」
「い、いえ、そんなことは」
「この通りひ弱な身ですし、……運動をしたせいで、よけいに喉が渇いてしまいました……ほんと、ダメダメ……最近はお菓子の食べすぎで、おなかの肉もこんなにぷにぷにと……」

いっぽうイザベラは、こみあげる笑いの衝動を堪えているせいで、ふるふると震え、もう顔中真っ赤になっていた。

(やばっ、この娘、スゴク面白い……いったい頭の中、どうなってんのかしら?)

こんな風にいじらしくも盛大に空回りするアンリエッタの気持ちについては、なんとなく理解できないでもなかった。
一人きり知らぬ場所へとこうして連れ去られ、不安でたまらなかったことだろう。
杖をなくしたメイジのひ弱さを痛感し、杖がないときにも役に立つ何かがなければ……と考え、筋力トレーニングでもしてみようと思い立ったのだろう。

もちろん「なにを今更」というほかない話である。
きっとアンリエッタにとっても、承知のことなのだろう。じわじわと襲いくる大きな不安を紛らわせるための、彼女なりの努力なのだろう。
それでもイザベラは呆れるほかない―――だからといってそこで腹筋はないだろう、腹筋は!

「うっ……」
「あっ、お、おい、大丈夫かい!?」

アンリエッタ王女は、意識も朦朧としている。
どうやら彼女の必死の空回りな行動は、水分を取っていない彼女に、とうとう脱水症状を起こさせるまでに至ってしまったようだ。

「待ってろ、今、水を出してやるから!」

水のドットメイジ、イザベラ王女は慌てて、自分の魔法で生成した水を彼女へと与えた。
それは、混じりけのない水である―――ふたり共通する系統、水のトライアングルたるアンリエッタ王女にとっても、周知の呪文で作られたもの。
アンリエッタの目の前で、たった今作られたその一杯だけには、いっさいの毒や秘薬の入れようもないことは確か。
これならば、アンリエッタ王女も安心して飲めることだろう。

「……ありがとうございます、落ち着きました」
「い、いいえ」

ガリア王女、イザベラは思い出す。

(そういえば、最近腹筋してないな……)

魔法の才能に乏しかった彼女は、自分に見向きもしない父にいつか認められたいと願い、それはそれは多種多様な努力をしたものである。
彼女は国の役にたつため、魔物と戦うために、異世界の騎士ラックダナンの教えを受けて、武器による戦闘技術を身につけた。
体力や身のこなしの基礎トレーニングも、たくさんやったものだった。
無力なアンリエッタの姿に、イザベラはとうとうかつての己自身の姿を、重ねてみてしまったようである。
このままずるずると同情してしまってはいけない。慌ててかぶりをふり、やれやれ、と大きくため息をついた。

かくして―――

この日、アルビオン首都ロンディニウム、ハヴィランド宮殿の遺体のある一室にて、いっしょに腹筋をする二人の王女の姿が見られたとか。
そんな世にも希少かつシュールきわまりない光景に直面した皇帝クロムウェルは、やはり笑顔をひきつらせて、硬直するほかなかったのだそうな。

「どうして貴女まで腹筋などをしていたのですか」とのクロムウェルの問いに、青髪のガリア王女はにかっと笑って一言、こう答えたのだという―――


「釣られたのさ」、と。



//// 【次回:ディアブロ2における最短のクエスト:もうちょっとだけ続くんじゃ大ピンチ、そしてブレイク・オン・スルーの巻、へと続く】




※日常編のコメディを期待されていた皆様におかれましては、このところバトルが続いてしまい、息の詰まる展開かとは思われます。
ここまで読んでいただきまして、ありがとうございます。どうかあと2話だけ、お付き合い下さいませ。その後はふたたび日常編に戻ります。


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