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きょうの社説 2010年7月23日
◎白山市長「合憲」 納得できる常識的な判決
白山比盗_社の大祭関連式典で祝辞を述べた白山市の角光雄市長の行為が、憲法上の政
教分離に反するかどうかが争われた住民訴訟で、最高裁が出した合憲判決は、常識に沿った納得できる判断である。2審の名古屋高裁金沢支部は、市長の祝辞を「特定の宗教を援助する行為」と認定した が、政教分離原則をこのように杓子定規に適用すれば、自治体が極度に萎縮し、地域の歴史に根ざした伝統行事や習俗なども衰退しかねない。 最高裁が「式典は一般施設で行われ、宗教的儀式も伴わず、祝辞の内容も儀礼の範囲」 と明確に合憲を打ち出したのは、実態にそぐわぬ「違憲論」の独り歩きに歯止めをかける点で意義がある。 政教分離訴訟は、1977年の津地鎮祭訴訟で最高裁が示した「目的効果基準」が物差 しになってきた。違憲になる宗教的活動は「目的が宗教的意義を持ち、効果が宗教への援助、促進、圧迫、干渉になるような行為」であり、それは「一般人に与える影響を考慮し、社会通念に従って客観的に判断しなければならない」とするものである。最高裁もこれに沿って検討し、全員一致で合憲とした。 今回の訴訟を含め、政教分離は1、2審、上告審で判断が分かれやすい。「目的効果基 準」のあいまいさに加え、そもそも「社会通念」は地域によって差があり、その認識が裁判官で食い違ってきたからである。 白山比盗_社の鎮座2100年大祭について、最高裁は「地元にとって神社は重要な観 光資源としての側面を有し、大祭は観光上重要な行事だった」と指摘した。大祭や式典を宗教の狭い枠に押し込めた2審と対照的に、観光という公的な性格も重視したことは、白山市における比盗_社の存在感を考えれば、多くの住民が理解できるものではないか。 政教分離原則は、政治と宗教の関係にけじめをつける意味があるとしても、運用が硬直 化すれば地域の感覚とズレが生じる。とりわけ神道は初詣で、七五三など習俗的な行事の定着をみても、他の宗教と同列に論じられない面がある。これからも個々の事例を丁寧に判断していくしかないだろう。
◎東アジアサミット拡大 地域安保に機能させたい
東南アジア諸国連合(ASEAN)10カ国と日本、中国、インドなど6カ国で構成す
る東アジアサミットに、米国とロシアが加わることになった。アジア地域の16カ国首脳が主に経済協力問題を議論してきた東アジアサミットは、米ロの加入に伴い、地域安全保障問題についても踏み込んだ議論を行うことになる。地域共同体の創設を視野に入れ、広域自由貿易協定(FTA)の研究などを進めてきた 東アジアサミットは経済中心から変化することになるが、アジア地域安定のために有効に機能させたい。 アジア経済は、新興国のリーダーである中国、インドがけん引する形で高成長を続けて いる。東アジアサミットに加わり、アジア経済の果実をより確実に得ることが米ロの第一の狙いであるが、日本やASEAN諸国などにとって、安全保障上の意義も大きい。 東アジア地域は朝鮮半島や台湾海峡、南シナ海などに紛争の火種を抱える。最近の中国 は南シナ海を「核心的利益」と位置づけて軍事的活動を拡大し、南沙諸島の領有権を争うベトナムなどASEAN諸国に脅威を与えている。 そうした中国をけん制し、バランスを保つ役割を米国が果たすことになる。またASE ANにすれば、自分自身が米中間のいわゆるバランサーとして存在感を高めることも可能になる。 東アジアサミット拡大の動きを静観してきた中国は、米国と一対一で向き合うより、周 辺国を巻き込んで議論ができる土俵に米国を引き込んだ方が得策といった判断が働いたとみられる。 東アジアにはASEAN、ASEANプラス3(日本、中国、韓国)、米国や欧州連合 (EU)、北朝鮮なども加わるASEAN地域フォーラムなどさまざまな地域協力の枠組みがある。東アジアサミットへの米ロ加入で、これら東アジアの重層的な枠組みは一段と幅広で多層になる。拡大、複雑化する国際的な枠組みの中で、日本の存在感がさらに低下するのではないかという心配は否定できず、日本の外交戦略や地域共同体構想があらためて問われている。
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