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[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞)
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/05/23 08:29

     【 はじめに 】


・このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

  『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
   http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

 に触発され、書かれたものです。

・具体的には、『エンゲージを君と』第十七話以降のストーリーを、
 Nubewo様のご了承をいただき、中村成志が《独自に》書きました。

・したがって、『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、
 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、
 その文責はすべて中村にあります。

・TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。

・拙作からいきなり読み始めても、それなりに理解できるよう書くつもりですが、
 できればNubewo様作『エンゲージを君と』を読まれてから、目を通してください。

・設定は、出来る限り『エンゲージ~』に沿ったつもりですが、一部違ったり、変更したりしたところもあります。

・一例を挙げますと、『エンゲージ~』の魅力の一つである《魔術師としての衛宮士郎》を、描く予定はありません。
 (これは、主に中村の知識の無さによるものです)

・その他、間違い等がある場合、責任はすべて中村にあります。ご指摘ください。

・最後に、Nubewo様の手による正編『エンゲージを君と』の続編に期待し、
 併せて、このような無茶なお願いを、ご快諾いただいたNubewo様に、心よりお礼を申し上げます。

・それでは、どうぞお楽しみ下さい。


     中村成志


    --------------------------------------------------------


     【 ちょっとくだけた裏話 】


 士郎君と鐘ちゃんのイチャイチャが書きたかったからです。

 Nubewo様の作品には、
「続きはどうなるんだあ!」
と思わせる、吸引力があります。

 Fate登場人物ではセイバーに次いで氷室が好き、氷室を題材にしたSSも数本書いている私ですが、
 数ある(そんなに無いか)氷室SSの中でも、『エンゲージを君と』は、出色の出来だと思っています。

 何度も読み返し、わくわくしながら続きを待っているうちに、
「もし、自分がこの続きを書くとしたら、どうするだろう?」
という妄想にとらわれました。

 妄想で止めときゃいいんですが、書いてしまうのがSS書きの性、書いたら読んでもらいたいのがSS書きの業です。
 失礼は重々承知ながら、Nubewo様にお伺いを立てたところ、投稿を快く了承していただきました。

 Nubewo様、本当にありがとうございます。
 正編を汚さぬようがんばるとともに、正編『エンゲージを君と』十八話以降を、心待ちにしております。

 では、長い前書き(てゆーか言い訳)は、このへんで。
 どうぞ、ごゆっくり。





[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (一)
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/05/23 08:29

     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (一)





「ん……」


 突然で済まないが。

 私は今、衛宮の腕に抱かれている。
 すっぽりと包み込まれ、唇にくちびるを押し当てられている。
 ようするに、その、口づけをしている。

 場所は、衛宮の家の、衛宮の部屋。
 晩秋のことであるから、もう少しすると辺りも薄暗くなってくる時刻だ。
 ほとんど何も無い、彼の部屋の真ん中で、私たちは口づけを交わしている。


 もちろん、これが初めてではない。
 衛宮士郎と氷室鐘は、おおっぴらにはしていないとは言え、男女の付き合いをしているのだから。
 しかし、数え切れないというわけでもない。

 指を折ってみると、これで六度目だ。
 初めは、誰もいない美術室で。
 触れ合ったか、触れあわないか分からないくらいの、ソフトキスだった。
 それから、幾度かのデートの最中に、または彼が私の家まで送ってくれたときの別れ際に、
 もちろん人影の無い時を見計らって、私たちは口づけを交わした。
 たいがいの恋人がそうだと思うのだが、交わすたびにそれは、深く、長くなっていった。

 しかし、今回ほど長く、深い口づけは初めてだ。
 やはり、戸外ではなく、誰に見られる心配のない部屋の中、という状況も大きいのだろう。
 彼の求めは、いつになく激しかった。


 衛宮の部屋に入るのは、これで二度目だ。
 最初は、初めてのデートの時。
 あのデートの末、私たちは『エンゲージ』を交わし、付き合い始めた。

 今日は、あのときと同様、彼が昼食をご馳走してくれるというので、衛宮邸にお邪魔した。
 正直、間桐嬢や藤村教諭と顔を合わせるのは気が重かったが、邸に着いてみれば全員が出払っていて、今回は二人きりの昼食を堪能することが出来た。
 その後、改めて屋敷内の案内をしてもらい、衛宮の部屋で談笑していたのだが……


「ん…う、……」
 彼の舌が、私の唇を割る。
 歯茎をなぞり、歯をこじ開け、舌を絡める。
 時折、上唇を甘噛みしてくる。
 それは、彼の性格を現すごとく、焦らず、ゆっくりと。
 こちらに負担をかけないよう、やさしく、丁寧に。

 しかし、それに答える余裕は、私には無い。
 蒔寺や美綴嬢から借りた書物によれば、こういう場合、女性もそれ相応の反応を示さなければならないらしいが、
 まるで木石のように、彼の行為を受けとめているだけだ。
 正直、意識を保ち、膝の震えを押さえるのが精一杯で、他のことにまで力を割く余裕など無い。

 時間の経過が、分からない。
 数分は過ぎたのか、それともまだ数十秒なのか。
 分かるのは、いつもより長いということ。そして、もっと続けばいいと思っている自分を見つけ、混乱しているということだけだ。

 彼の左手はしっかりと私を支え、右手はやさしく髪や背中を撫でている。
 その右手が、ふいに違う動きをした。
 ゆっくりと前に回ると、私の左の胸に……


「!!」


 瞬間。
 私は、彼のやさしい拘束から逃れ、飛び退いていた。


「……え?」
 しばらくして漏れた声は、彼ではなく、私からのものだった。
 今……私は、何をした?

 彼と私は、誰はばかることのない恋人同士。
 それも、たった今まであれほど熱い口づけを交わしていた仲なのだ。
 ならば、彼が次の段階に進むことなど、当たり前ではないか。
 私とて、そうなった時の覚悟はしていたつもりだし、もっと言えば、その、期待すらしていた。
 彼に、さらに愛されることを。
 なのに、私は……


 彼は、初め驚いていたようだが、今は頬を指で掻きながら照れ笑いを浮かべている。
「…衛宮、その……」
 ようやく、言葉を絞り出す。
「いや、いきなりで驚かせちゃったな。ゴメン」
 私の言葉に被せるように、彼は頭を下げる。いつものように、誠実に。

「い、いや!決して嫌だったというわけではないんだ。ただ、その、心の準備が…」
 心の準備など、とうに出来ていたはずだ。彼が彼である限り、私は彼の求めに応じられる。
「ちょ、ちょっとびっくりしただけだ。済まない。だから……」

 そこまで言って言葉が続かなくなった私は、飛び退いた分の距離を詰めて、再び彼の胸に体を預けた。

 でも。
 その距離は、自分が想像していた以上に離れていて。

 目をつむり、顎を上げる。先ほどと同じ姿勢だ。
 だが、顔がこわばり、眉が寄っているのが自分でも分かる。

 こわいのだ。
 彼の求めに応じられなかった自分を、彼はどう思ったか。
 自分が飛び退いた分だけ、彼と距離が出来てしまったのではないか。
 その証拠に、彼は先ほどのように、私に腕を回してくれない。
 もし、このまま……


     ふわり


 怯えに肩が震えだしたとき、先ほどと同じく、いやそれ以上にやさしく、何かが私を包んでくれた。
 そして、唇にあたたかくて湿ったものが触れる。
 それは、初めてのときと同じ、ソフトキス。
 目を開けると、変わらぬ彼の笑顔が、そこにあった。

「お互い、無理はやめよう」
 笑顔のまま、彼は言った。
 そして、私の両肩を掌で包むと、自分から畳に座った。
 必然的に、私も彼の前へ腰を下ろす。
「む、無理などしていない。私は、き、君とならば……」
 そう言いかけた私に、彼はゆっくりと首を振った。

「いや、無理をしてるんだ。
 俺も最近分かりかけてきたけど、どうも、頭の覚悟と心の覚悟って、必ずしも一致しないらしい。
 自分では準備万端のつもりでも、いざその時になると慌てふためく、っていう事ってけっこうあるんだ。」
 彼は、私の目を見ている。薄暗くなった部屋の中でも、その光はしっかりと見て取れた。

「氷室が俺を好きでいてくれるのは、飛び上がりたくなるほど嬉しい。
 でもそれって、こういった心の準備とは、別のことなんだ。
 俺も男だからな。正直言って、氷室をもっと抱きしめたい、体を触りたいっていう欲望はすごくある。
 でもそれは、俺だけが突っ走っても意味がないんだよ。
 そんなことしても氷室が傷つくだけだし、俺にしたって、その場限りの満足は得られるだろうけど、後で後悔するのは分かりきってる。」

 いつもの笑顔のまま、彼は続ける。
「俺が氷室のことを好きで、氷室も俺のことを好きでいてくれるんなら、頭と心の準備が一つになるときは、きっと来る。
 それを待つ時間くらいは、俺たちにはあるんじゃないか?」
 そして、座ったまま私を抱き寄せると、またやさしく口づけをしてくれた。
 先ほどと同じフソフトキス。
 でも、今度は初めに負けないくらい、長い間。


「……すまない」
 ようやく、言葉が出た。
「なんで氷室があやまるのさ?」
 私は衛宮の胸に顔を埋め、彼はずっと髪を撫で続けてくれた。




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 このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

   『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
     http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。

 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、
 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、
 その文責はすべて中村にあります。





[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (二)
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/05/23 08:29


     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (二)





 腕時計を見ると、もうそろそろ帰らなければならない時刻になっていた。
「夕飯も食べていったらどうだ?」
 という彼の提案は非常に魅力的だったが、今晩は父が早く帰ってくる。

 冬木市長という要職にある父は、当然ながらあまりプライベートな時間が取れない。
 だから、その数少ない時間くらいは、家族みんなで過ごしたかった。

 彼と父を天秤にかけるようで申し訳なかったのだが、
「なんだ、それなら早く帰らないと」
 と、衛宮は当然のように言ってくれた。
 そして、腰を浮かしかけたとき、


     ちりりん


 玄関の方から、チャイムらしき音が鳴った。
 続いて、扉の引き開けられる音。

「あら?鍵が……
 先輩、もう帰ってらっしゃるん……」
 それから聞こえてきたのは、間桐桜嬢の声。なぜか、言いさしのまま絶句している、
「桜ちゃん、どうしたの?」
「シロウ、帰ってきてるの?あれ、この靴…?」
 藤村教諭の声と、初めて聞く少女らしき声が続く。


 靴……
 あ、私の靴は、当然玄関に…


 しばらく、無音。
 そして、幾人かが家に上がり、廊下を歩む足音。
 その足音はだんだん近づき、私たちがいる部屋の前で止まった。

「……先輩。帰ってらっしゃるんですか?」
 平板な声が、ふすまの向こうから聞こえる。
「あ、ああ。桜、おかえり。藤ねえやイリヤもいっしょか?」
 彼が答える。
 その声は、若干焦っているようにも、戸惑っているようにも聞こえる。
 普段の彼なら、ためらわずに立ち上がり、ふすまを開けているのだろうが、
 そうしないのは、横にいる私の存在のせいか、間桐嬢の声の冷たさゆえか。

「すみません先輩。ちょっとお邪魔してよろしいですか?」
 このふすまを開けて良いか、と間桐嬢が問うてくる。
「あ、いや…うん……」

 彼はふすまと、私の顔を交互に見比べている。
 この雰囲気の中、私と間桐嬢が顔を合わせることに躊躇しているらしい。
 彼らしい気遣いだ。
 もっとも、この空気の理由にまで思い当たっているかどうかは疑問だが。

「私ならかまわないぞ、衛宮」
 だから、彼を安心させるため、にっこり笑って私は言った。
 若干、声が大きく、明るすぎるくらいに響いてしまったが。


「!―――」
 ふすまの向こうで一瞬、何かが震える気配がする。
 それから

「―――失礼します」
 彼の返事を待たずに、ふすまが開かれた。
 その向こうにいたのは、無表情の間桐桜嬢。
 後ろには藤村教諭と、美しい銀髪の少女が立っている。

 三人は私たちを、いや、私を見ても何も言わなかった。
 特に間桐嬢は、不自然なくらい表情を消し、ただこちらを眺めている。


 奇妙な間。


 その沈黙を破ったのは、彼だった。
「あ、ああ。氷室にちょっと昼をごちそうしたくてな。上がってもらってたんだ。
桜たちもいるかと思ってたんだけど…」
「こんにちは、間桐さん。お邪魔している」
 彼の言葉に被せるように、私は笑って言った。
 それにより、間桐嬢の雰囲気がますます堅くなった、ような気がした。

 もうすぐ夕暮れの時刻に、電気もつけていない個室にいる男女。
 さすがに今は抱かれたり寄り添ったりなどしていないが、手を伸ばさずとも触れそうな距離で、隣り合って座っている。
 それが何を意味するのかは、子どもでも分かるだろう。


 彼女の気持ちは、私には痛いほど理解できる。
 なればこそ、ここで引くわけにはいかない。
 ここで引いたら、あれほどの思いをして手に入れたものを失ってしまう、と
 私は理屈でなく理解していた。


 私の微笑みと、間桐嬢の無表情。
 沈黙はどれほど続いたのか。

 ふいに、間桐嬢は何も言わず、何の予備動作もせず、その場を離れた。
「え、おい、桜?」
 困惑した彼の声にも反応せず、彼女は屋敷の奥へと去っていく。
 立ち上がって追おうとした彼の前に、銀髪の少女が立ちふさがるように動いた。


「イリヤ?」
 ますます戸惑う彼には答えず、イリヤと呼ばれた少女は、真っ直ぐ私を見ていた。
 イリヤ……ああ、以前、衛宮との話に出た…

 紅い瞳、抜けるような白い肌、雪を思わせる銀の髪。
 おそらく十歳をいくつも越えていないだろうその少女の、
 なんと美しく、また無機質な表情か。
 先ほどの間桐嬢の無表情とも違う。
 まるで、機械か骨董品を品定めするような目つきで私を見つめてくる。

 さすがに気まずくなり、私も立ち上がって、彼の隣に立った。
「あの、初めてお目に……」
「あなたがヒムロ?」
 お目にかかる、と挨拶しようとした私の言葉を無視して、イリヤという少女は発言した。
 それは、私の首からぶら下がっている見えないネームプレートを読むかのような口調だった。

「……」
 絶句している私の隣で、彼が取りなすように言葉をかける。
「あ、ああ、二人は初めてだったか。
 氷室、前に話したよな。この子がイリヤで、俺の義理の妹なんだ。今は藤ねえ…藤村先生の家に泊まってる。
 イリヤ、この人は……」
「知ってるわ。もう見たし」
 氷のような声で少女は言うと、もう一度私をあの目で一瞥した後、興味を失ったように背を向けた。
 そのまま、居間へと入っていく。

「な!おい、イリヤ!?」
 さすがに彼が、咎めを含んだ声を上げ、彼女を追いかけようとする。
 それを再度、やんわりと立ちふさがるように、藤村教諭がさえぎった。


「ふ、藤ねえ、ちょっと……」
 どいてくれ、と続けようとする彼に、教諭は微笑みながら首を振った。
「……」
 二人の付き合いは長く深いという。それだけで何か通じるものがあったのだろう。
 彼は、納得いかない表情ながらも、黙った。

「こんにちは、氷室さん」
 ひまわりのような笑顔を、教諭が私に向けてくる。でも、
「あ、お、お邪魔しています、藤村先生」
「そっか。噂は本当だったんだね。
 士郎もやるわねー。こんなかわいい子をゲットしちゃうなんて」
 その笑顔は、学園で見るときより、少しだけ寂しげに見えて。

「う、うわさって、藤ねえ…」
「んー?知らないとでも思った?お姉ちゃんの情報網をなめちゃいけないわよ。
 士郎がしあわせそうだったから、あえて口を出さなかったけどね。
 氷室さん、この子、頑固できかん坊だけど、根はとってもいい子だから、見捨てないであげてね」
「あ、いえ、私の方こそ……」
 あわてて頭を下げる。
 そろそろ噂になっていると知ってはいたが、藤村教諭の耳にまで入っているとは思わなかった。

「で、今日はどうするの?晩ご飯もいっしょに食べてく?」
「あ、いや。彼女、予定があるそうなんだ。これから家まで送っていくよ」
「そう。今日はそのほうがいいわね。
 じゃ、士郎、しっかりと送ってあげるのよ。氷室さんも、また来てね」
 そう言うと藤村教諭は、すっと横に寄って道を開けた。
「はい。失礼します、藤村先生」
 私は、もう一度頭を下げた。


『今日はそのほうがいいわね』


 教諭の言葉が、胸に刺さるのを感じながら。





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 このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

   『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
     http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。

 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、
 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、
 その文責はすべて中村にあります。





[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (三)
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/05/23 21:05



     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (三)





「……ゴメンな。二人とも、いつもはあんなじゃないんだけど」
 坂を下りながら、彼が頭を下げてくる。
 街はだいぶ暗くなっていたが、西の空はまだ幾分、明るさを残していた。

 二人、とは間桐嬢とイリヤという少女のことだろう。
「気にしないでくれ。
 以前、君の家にお邪魔したときも言ったが、状況は君よりも理解しているつもりだ」
 本当にすまなそうな顔をしている彼に、私は答える。

 もちろん、人にあんな態度をとられて傷つかないわけがない。
 だが、それはある意味、当然のこととも言えるのだ。
 私が彼を好きになり、彼のそばにいる限りは。

 しかし、彼はその当然の理由に、全く気付いていないらしい。
 今も、私の言葉に不思議そうに首を傾げている。
 それが、衛宮士郎の長所の一つでもあるのだが……

 私の吐くため息を、どんな風にとったのか、彼は続けた。
「とにかくさ、これに懲りてなかったら、また来てくれよ。
 そのときは二人の機嫌も直ってるだろうし、みんなで夕飯でも食おう」
「……そうだな。ぜひまたお邪魔しよう」
 そんな晩餐が開かれることは無いだろう、と内心思いながら、私は話を合わせた。


 坂を下りきり、新都大橋にさしかかる。
 お互い、ポツリポツリと話すものの、会話は弾まない。

 もともと、私も衛宮もおしゃべりというタイプではないので、二人でいる時も多くを話すわけではない。
 寄り添って歩き、たまに手をつないだり腕を組んだりして、視線を交わし、微笑みあう。
 それで充分、満たされる。
 しかし今日は、そういった沈黙とも違う雰囲気が漂っていた。

 原因が私にあるのは分かっている。
 彼は、先ほどの間桐嬢やイリヤ嬢とのやりとりのせいだと思っているようで、口には出さずとも気を遣ってくれている。

 しかし、そうではないのだ。
 そのことについて、気にしていないと言ったら嘘になるが、仕方がないと割り切ってもいる。
 気にしているのは、別のこと。
 彼に対する、私の立ち位置についてだ。


 先ほどのやりとりの中で、彼は間桐嬢に対し、
『桜、おかえり』
 と言っていた。
 藤村教諭やイリヤ嬢も、ごく自然にあの屋敷に馴染んでいた。

 そして、彼への呼びかけ。
 教諭やイリヤ嬢、あの場にはいなかったが遠坂凛嬢も、彼のことを
『士郎』『シロウ』
 と呼んでいた。
 間桐嬢は彼を
『先輩』
 と呼んでいたが、それは私に対する『氷室先輩』などとは明らかに違う、親しみのこもった響きだった。
 それに対し、彼もごく自然な愛情で、彼女たちに答えていた。

 つまり、彼にとって彼女たちは《家族》なのだ。
 気兼ねなくくつろげ、笑いあえる関係なのだ。


 浅ましいことを考えている、と自分でも思う。
 要するに、私は彼女たちに嫉妬しているのだ。
 《衛宮士郎の恋人》という、自他共に認める立場をもらいながら、未だ他人でしかない自分に苛立っているのだ。

「なあ、……衛宮」
「ん?」
「……なんでもない」

 このやりとりも、何度目だろう。
 望んで、ねだって、それで与えられるものではないことは知っている。
 そもそも、何をもって《家族》と呼ぶのか、自分をどう扱って欲しいのか、それさえ自分で分からない。
 焦らなくとも良いではないか。
 今の関係を進めていけば、いずれ自然と彼の《家族》になれるはずだ。

 だが、私の心は満足してくれない。
 至高の物を手に入れたはずなのに、さらなる輝きを、幸せを欲している。それも今すぐ。なんて浅ましい女。
 でも、せめて、その入口へと続くものだけでも……
 つないだ手に力が入り、彼は不思議そうにこちらを見た。


 新都大橋を渡りきり、私の家があるマンションに着く。
「送ってくれてありがとう。……衛宮」
「こっちこそ、今日はドタバタしてごめんな、氷室」
「今度、機会があれば私の家にも上がってくれ……衛宮。
 父にも、改めて会って欲しい」
「そうだな。前に変な形でお会いしたっきりだからな。よろしくって伝えてくれ」

 ずるずると別れを引き延ばす。
 いつもならば、短くも情のこもった挨拶をして別れるのに、今日は、たった一言が言えないために、他愛ない言葉ばかり接いでいる。


「じゃあ、ちょっと早いけど、おやすみ氷室。明日また学校でな」
「ああ、お休み士郎。また明日」
 私の言葉に、彼はいつもの笑顔を見せながら、手を振って去っていく。

 ……その時、きっと私は泣きそうな顔をしていたに違いない。

 そして、交差点を曲がる直前、彼は


     ぴたり


と止まり、そのまま動かなくなった。
 5秒。10秒。
 時が止まったように硬直したあと、彼はいきなり振り向いて、全速力で駆け戻ってきた。

「なっ、ひ、氷室、いま、な、んて…!?」
「あ、ああいや、『お休み』と……」
 彼のあまりの勢いに、少々のけ反る。
「い、いやそれは聞こえたけど、そのあと!その、し、し…」
「……士郎?」
「―――!!!……!!」

 目をまん丸にし、口をぱくぱくさせ、無意味に手を振り回す士郎。
 ……これは……彼には悪いが、けっこう、おもしろいかもしれない……


「え、い、いや、その…な、なんで!?」
「……ダメか?」
 うつむきながら、上目遣いで訊いてみる。

 そう、これが私の第一歩。
 彼の《家族》が、彼のことを『士郎』『シロウ』と呼ぶのなら。
 私にもそう呼ぶ権利を与えてくれても良いのではないか。


 ありったけの勇気を振り絞った問いに、彼はぶんぶん首を振って答えてくれた。
「だ、ダメなんてことあるわけない!!
 ただ、ちょっと、その、不意打ちだったもんで……」
 あさっての方向を向いて、彼が頭を掻く。その顔は、夜目にも分かるくらい真っ赤だ。
 ……まあ、この頬の熱さからして、私の顔色も似たようなものなのだろうが。

「ならば……これからは、そう呼んでも良いか?その…士郎」
「あ、ああ。かまわない。…って言うか、正直言って、すごく嬉しい。……鐘」
「え?」


 瞬間。
 思考が止まった。
 彼は今、何と言った?

「その…そっちが俺のこと名前で呼んで、俺が氷室って言うのもヘンだろ?
 だから……鐘、でいいか?」

 ……誤算。
 私が彼のことをファーストネームで呼ぶのならば、その逆のことも当然考えるべきだったのだ。
 なのに、その可能性はきれいさっぱり、頭から抜け落ちていた。
 先ほどとは比べものにならないくらい顔が、いや、全身が熱くなる。


 しかし、彼は答を待っている。なんでもいいから、しゃべらなければ。
「も、もちろん、私だけが名前で呼ぶのは不公平だ。だ、から、私のことも、それで、いい……士郎」
「あ、ああ。じゃあ、……鐘…」
「士郎……」
「……」
「……」

 どこの、数十年前ラブコメマンガだ、と心の隅で冷静な突っ込みが入る。
 しかし、そんな囁きにも反応出来ないほど、私の頭は茹だっている。
 混乱し、恥ずかしくて……そして、例えようもなく、嬉しい。
 いつの間にか、私は真っ赤になりながら、満面の笑みを浮かべていた。


 お見合いのまま、何分が過ぎただろう。
 脇をゆっくりと過ぎる車のヘッドライトで、私たちはようやく我に返った。
「あ……じゃ、じゃあ、改めて、お休み、鐘。また明日、学校でな」
「……ああ、お休み、士郎。また明日」
 手を振って、今度こそ彼は去っていく。
 交差点を曲がるまで、振り向く回数がいつもより多かったのは、私の気のせいではないだろう。

「―――」
 息をついて、空を見上げる。
 新都の夜空は明るすぎて、星はあまり見えない。


「―― 士郎。」


 何度か、言葉の響きを舌に転がす。
 顔に浮かぶ笑みが消えない。消す気も無い。
 私は、無意味にハンドバッグを胸に抱え、
 マンションのエレベーターホールへと足を運んだ。





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 このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

   『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
    http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。

 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、
 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、
 その文責はすべて中村にあります。





[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (四)
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/05/24 20:11



     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (四)





「―――」
 息をついて、空を見上げる。
 深山町まで帰ると、夜空には星も多くなってくる。


「―― 鐘、か」
 何度目だろう、言葉の響きを舌に転がす。


 若い女の子にしては、地味というか渋い名前だな、とは思う。
 しかしこの響きは、一見老成しているが、清々しい少女そのもののあの娘に、とても似合っていた。
 そう言えば本人も、この名前を気に入っているって言ってたっけ。

『歳をとってから本領を発揮する名前なんて、気が利いているだろう』
 いかにも彼女らしい感想に、思い出し笑いをする。


 そんな物思いにふけりながら歩いてきたので、帰宅したのはけっこう遅い時間だった。
 みんなもう、夕飯は済ませただろうか。
「ただいまー」
 玄関を開けると、
「あ…おかえり」
 居間から、藤ねえの声。
 あれ?いつもなら桜やイリヤも、元気よく迎えてくれるんだけど。

 靴を脱いで居間に向かうと、藤ねえがぼんやりと座ってお茶を飲んでいた。
「藤ねえ、ひとりか?夕飯は?」
「あ、うん…みんなまだいるよ。ごはんはまだだけど」
「まだ?」

 おかしい。
 仮に俺が帰るのを待っていてくれたにしても、この時間なら夕食の準備くらいはしてありそうなものだ。
 だが、台所は使われた気配もない。
 今日の当番は……桜か。

「桜は?」
「え……うん…」
 どうも今日は、藤ねえまでおかしい。体調が悪いのかとも思ったが、顔色を見る限りそういうことでもなさそうだ。
 桜にしても、様子がおかしかったとは言え、夕飯の当番をすっぽかすほどには見えなかったのだが……


「まあいいや。なら、腹減ったろ。着替えたら、なんか作るから」
「あ、士郎…」
「ん?」
「……ううん、お姉ちゃんが口出すことじゃないね」
 そう言って、藤ねえは微笑んだ。

「?」
 その笑いに含まれた寂しげな影が気になったが、夕飯を食べながらでも話は聞けるだろう。
 とりあえず着替えよう。

 廊下へ出て、自室へ向かおうとすると、
「――桜?」
 離れの方から、桜が歩いてきた。
 大きな、ボストンバッグを抱えて。


「どうした桜?その荷物…」
 まるで、一週間の海外旅行にでも出かけるような大荷物だ。
 それに、外出着を着てコートまで羽織っている。
「どっか行くのか?こんな時間に?」
「……うちに帰ります」
 桜は、俺と目を合わさずに、言った。
「うち、って…間桐の屋敷か?」

 あそこには今、誰もいないはずだ。
 桜の兄の慎二は、半年前の聖杯戦争以来、行方不明という扱いになっている。
 他にお祖父さんがいたという話も聞いたが、その人も行方が分からないらしい。
 そんな所へ、こんな時間に大荷物抱えて、いったい何を……

「今日じゃないとダメなのか?もう遅いし、外はけっこう寒いぞ。明日にしたら……」
 やはり桜は前を向かず、黙っている。
「どうしても急な用なら、送ってくよ。その荷物、持つの大変だろ」
 そう言って、荷物を受けとろうと手を差し出したが、桜は動かなかった。
 代わりに、何かを思いきるように顔を上げて、


「先輩、長い間お世話になりました。お体を大切にして、幸せに暮らしてください」
「……え?」
「使わせていただいたお部屋は、できるだけ片付けました。
 少し私物が残っていますが、申し訳ありませんけど、適当に処分してください」

 何を、言っている?

「……待て、桜。どういうことだ?」
「ですから、うちに帰るんです。
 これまで先輩のご好意に甘えてきましたけど、私にはそんな資格なんて無いって、ようやく気付いたんです」
「資格…って、なんだ?
 いったい何を……」
「私なんかがこの家に通うことを許してくださって、本当に感謝してます。でも、ご迷惑をかけるのはもう止めたいんです。
 今まで、色々とお邪魔してすみませんでした」
「だから!さっきから何を言ってるんだ!?俺がいつ、桜を邪魔者扱いした!?
 俺と桜は家族で……!」
「私には家族なんていません!!」


 思わず声を荒げた俺に、それに倍する音量で桜は叫んだ。
「……」
 そして、横を向きながらうつむく。

「私の…私の家族は、兄さんとお爺さまだけです。
 その兄さんも、半年前……から行方不明で、お爺さまだって……
 …でも、もう誰もいなくても、あそこが私の家なんです。あそこだけが、私の帰れる場所なんです」
 うつむいた桜の目は、髪に隠れて見えない。

「……先輩。
 先輩と私は、ただの上級生と下級生です。
 それだけの間柄なのに、甘えたり、余計な事したりしてごめんなさい。
 もうここには来ませんから、安心してください。それじゃ」
 そして、俺の脇をすり抜けようとする桜の前に、俺は体ごと立ちふさがった。


「……どいてください」
「どけるわけないだろう」
 相変わらず目を合わせようとしない桜を、俺はまっすぐ見下ろした。

「理由を聞かせてくれ、桜」
「……理由なら、今、言いました」
「あんな訳の分からない理由なんて、理由になってない。
 いったいどうしたんだ、桜。
 お前がこの家を嫌いになったって言うんなら、しかたがない。
 でも、仮にも二年間、俺たちは家族だったじゃないか。少なくとも俺はそう思ってきたし、今でもそうだ。
 それを、理由も分からずにいきなり終わりにするって言われても、納得なんてできない」
 そのまま桜からの言葉を待つが、返事は無い。


「…ひょっとして、鐘……氷室のことか?」
 まさかとは思うが、他に理由が思い当たらない。
 思い返してみれば、夕方、鐘と会ったときから桜の様子はおかしかった。
 現に今、《鐘》という言葉を聞いたとたん、肩を大きく震わせた。

「桜に無断で、氷室を家に上げた事を怒ってるんなら、謝る。
 確かに、家族に無断で、あまり知らない人間を招くのは、無神経だった」
 桜は、まるで時が止まったかのように身動きしない。
「でも氷室も、見た目はクールで取っつきにくいけれど、中身はとってもいいヤツなんだ。
 あまり嫌わないで、仲良くしてやってくれないか」
 再び、桜が大きく震える。

 ……以前、鐘と何かあったのだろうか。この拒否反応は尋常じゃない。
「もし、どうしても無理だって言うんなら、無理強いはしない。
 今後、氷室をこの家に招くのも控える。
 だから……」
「本気でそんなこと言ってるの?」


「え?」
 すぐ近くから聞こえた第三者の声に振り返ると、俺の横にイリヤが立っていた。





    ----------------------------------------------------------



このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

   『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
     http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。

 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、
 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、
 その文責はすべて中村にあります。





[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (五)
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/05/25 21:11



     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (五)





「私には関係ないし、見てておもしろかったから、今まで傍観してたけど。
 シロウがあんまり馬鹿なこと言うもんだから、おもしろいの通り越して腹が立ってきたわ。
 もう一度訊くわ、シロウ。
 本当に、本気でそんなこと言ってるの?」
 イリヤは俺を、真っ直ぐに見上げてくる。

「……知ってるのかイリヤ?理由を…?」
 俺がそう言うと、イリヤは深いため息をつき、
 続いて、笑った。
 その笑みは、いつもの無邪気で小悪魔的な微笑みではなく。


「本当に気付いてないとしたら、あなたは真の意味での馬鹿だわ。
 もし、分かってて気付いてないふりをしているのなら、最低の屑男ね」

 冷酷と嘲弄。
 初めて出会ったころによく見た表情。
 《マスター イリヤスフィール・フォン・アインツベルン》の笑顔だった。


「シロウ。あなた、なぜサクラが二年間もここに通ってたと思ってるの?」
 なぜ、って……

 きっかけは、俺のケガだった。
 そのころ、桜とは知りあったばかりだったけど、なぜか桜は一人暮らしの俺を気遣って、家事の手伝いを申し出てくれた。
 大丈夫だと何度も言ったのだが、
『兄さんからも言われましたから』
 と、おどおどした表情ながらも、決して引こうとしなかった。
 ケガが治ってからも、この家が気に入ったのか、ほとんど毎日来てくれて、
 来るたびに桜は明るく、綺麗になっていって……


 イリヤは、そんな俺の言葉を フッ と鼻で笑った。
「年ごろの女の子が、たとえ誰に命令されたとしても、一人暮らしの男の家に二年間も通うと思う?」
「……え?」

「それだけじゃないわ。
 朝は家主が起きる前から来て、家事全般をこなして、朝夕の食事どころかお弁当まで作って。
 最後の半年間なんて、いっしょに住んでたのよ?
 それをあなた、全部《家族》なんて言葉で片付けるつもり?」

「イリヤさん!!」
 桜が、蒼白になって叫ぶ。
 しかしイリヤは、桜などいないかのように言葉を接いだ。

「それほどまでして尽くしたのに、当の男は全然気付かずに、どっから沸いて出たのか分からない女のコとくっついて。
 そのコがどっかに消えて、やれやれと思ってたら、半年経たないうちに別の女作って、自分の部屋に引っぱり込んでるんですものね。
 いくらサクラが温厚だからって、さすがにキレるわよ」

 普段の彼女からは想像も出来ない、口汚い言葉の羅列。
 しかし、その口調には、

「しかも何?
 挙げ句の果てに、その女と仲良くしろ、ですって?
 シロウ、私がサクラなら、とっくにあなたのこと殺してるわよ。
 いいえ、どんな女性でも、あなたのこと刺したくなるはずだわ。
 出て行くぐらいで済ませてくれる、サクラの優しさに感謝するのね」

 冷笑と嘲弄でも隠せない、紛れもない怒りが籠もっていた。


 言葉が、出ない。
 桜が……俺を…?

 思わず桜の方を見ると、彼女は唇を噛み、必死で全身の震えを抑えていた。

 桜……

 無意識に、声をかけようとして、


「片手落ちなんじゃない?イリヤ」
 また、別の声に遮られた。
 見ると、いつの間に帰ってきていたのか、遠坂が桜の背後に立っていた。

「なあに、リン?異論でもあるの?」
 イリヤの言葉に、遠坂は肩をすくめた。
「まさか。
 こいつの馬鹿さ加減については、100%同意見だわ。
 私が言ってるのは、桜の方よ。この子のことについても言わないと、片手落ちだってこと」
 そして、今のイリヤそっくりの笑みを浮かべて、髪を掻き上げる。


「姉……遠坂先輩…」
「桜。
 今、イリヤがあんたのこと盛大に弁護してくれたけど、私に言わせれば、あんたも士郎と五十歩百歩よ。
 二年間もここに通ってて、どう振る舞えば、士郎に気付かれずに済ませられるのかしら?
 私にはそっちの方がよっぽど不思議だわ」
 そして歩を進め、桜の隣に立つ。

「この際、この馬鹿の鈍感さは、言い訳にはならないわよ。
 現に、氷室さんは気付かせた。
 コイツと氷室さんが、いつごろから接触してたのか、詳しいことは知らないけれど、この秋以降なのは確かよ。
 その一ヶ月にも満たない期間で、彼女はコイツを振り向かせた。
 この馬鹿に気付かせるくらいですもの。きっと、10回は死ねるくらいの勇気を振り絞ったんでしょうね。
 それに比べて桜、あんたはこの二年間、何やってたの?」

 桜は一瞬、遠坂を睨み、何か言おうとしたが、すぐに力無く視線を外した。

「まあ、だいたい想像はつくわ。
 衛宮くんのそばにいると、あったかいのは事実だものね。
 おまけに、ことあるごとに家族だ妹だって、ちやほやしてくれるんだもの。
 いったん浸かったぬるま湯からは、出たくないわよねえ?」

 遠坂の叱責は、桜だけでなく、俺にも向けられている。

「イリヤは士郎に、あんたの想いを《家族》なんて言葉で片付けた、って言ってたけど、
 あんたの方こそ、その《家族》って言葉にどっぷりと浸かってたんじゃないの?」

 棘を隠そうともしない声が、なぜか真摯に響く。


「まあ、家族ごっこに飽きて出て行くっていうんなら、私は止めないけど。
 それにしても、うまいこと考えたもんよね。最高のタイミングだわ」
「「え……?」」
 桜と俺の声が重なる。

「だってそうじゃない。
 さっき藤村先生に聞いたけど、氷室さんが帰ったのって夕方なんでしょう?
 それが許せなくて出てくんなら、さっさと出て行けばいいじゃない。
 それを、士郎が帰ってくるまで何時間も待ってて、玄関で音がしたところで部屋を出る。
 当然、二人は廊下で鉢合わせ。
 振った男に対する、とびっきりの嫌がらせだわ」
「遠坂先輩!」

「あら、違った?じゃあ、こっちのほうかしら。
 廊下で会った士郎に、帰る帰るとだだをこねて、惚れた男の気を引く。
 やさしいやさしい衛宮くんは、当然、桜のことを放っておけずに引き止める。
 さんざん焦らしたあげくに、しぶしぶ残る形を取れば、この家は出て行かなくて済む上、あわよくば愛しの衛宮くんのハートを奪い返せるかも……」
「遠坂、お前!!」

 いくらなんでも、言って良いことと悪いことがある。
 そう思って、思わず声を荒げたが、

「黙ってなさい。今のアンタには発言権なんて無いことぐらい、自覚しなさい」
 氷のような視線で返された。


「リン、シロウの言うとおり、言い過ぎよ。いくら本当のことでも、言っちゃいけないことだってあるわ」

 一見、楽しそうに談笑する二人。しかし、

「イリヤにだけは言われたくないけどね。先に禁句全開で士郎のこと嬲ってたのは、あんたじゃない」

 その姿が、切ないほど痛々しく感じるのはなぜだろう。


「二人とも、そのへんにしておきなさい」
 後ろを振り返ると、居間の入口から藤ねえが出てくるところだった。

「イリヤちゃんも遠坂さんも、やさしいのは分かるけれど、これ以上は非難中傷になるわ。
 士郎にも桜ちゃんにも、あなたたちの心は伝わったはずよ」

 藤ねえは、暖かい微笑を浮かべながら、イリヤと遠坂を交互に見つめた。
 二人とも、少し頬を赤くして黙り込む。
 そんな二人を見てうなずいた藤ねえは、桜の前に立った。


「桜ちゃん、今日はもう遅いから。
 ここにいたくないって言うんなら、私の家に行きましょう?
 誰もいないおうちに帰るのは、やっぱり良くないと思うの」
 桜は、うつむいたまま動かない。が、

「ね?」
 藤ねえが、もう一度やさしく言って、促すように肩を抱くと、抵抗もせずに歩き始めた。

 藤ねえはうなずき、また微笑んで
「イリヤちゃんも、いいわね?」
「そうね。言いたいこと言って、気も晴れたし。
 代わりにお腹空いちゃった。タイガの家でご飯食べようっと」

 そう言うとイリヤは、俺に一瞥も与えずに、玄関の方へ走っていった。
 俺の横を、桜が通り過ぎる。やはり、俺の方を見ない。
 桜の肩を抱いた藤ねえは、すれ違いざま、心配そうに俺を見たが、結局何も言わなかった。


 どれくらい、廊下の真ん中に立っていただろう。
 ふと顔を上げると、遠坂が感情の読めない目で、こちらを見ていた。

「……」
 しばらく遠坂は、観察するように俺を見つめた後、
 やはり何も言わないで踵を返し、離れの自室へと去っていった。



 あとには、俺だけが残った。
 誰からも、声をかけられないまま。





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 このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

   『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
     http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。

 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、
 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、
 その文責はすべて中村にあります。





[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (六)
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/05/27 20:52



     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (六)





 気がついたら、縁側に座って庭を眺めていた。
 上着を着ているので寒くはないが、別にわざわざ着たわけではない。
 家に帰ってから今まで、上着を脱ぐという行為に頭が回らなかっただけだ。
 空を見上げると、闇はますます濃く、星は数を増している。

 さっきの桜たちとのやりとりを反すうしてみる。
 いや、反すうできるほど、頭の中は整理されていない。
 会話の一つひとつ、そのまた断片だけが、ランダムに浮きあがってくる。


(本当に気付いてないとしたら、あなたは真の意味での馬鹿だわ。
 もし、分かってて気付いてないふりをしているのなら、最低の屑男ね)

 桜が、俺のことを……
 しかも、ここに通い始めたときから、二年間もずっと。
 だが、言われてみれば、思い当たる節はいくらでもある。


 この家に来て、どうしても手伝いをすると言った、あの必死のまなざし。
 初めておにぎりを作り、それを交換したとき、やっと見せた笑顔。
 朝、土蔵で眠ってしまった俺を起こしてくれた、やさしい微笑み。
 聖杯戦争中、遠坂と共同生活することを告げた時の、あの決然とした態度。

(先輩、ボタン取れてましたから)
(先輩、お味噌汁のお味、これでどうでしょう?)
(先輩、無理しすぎです。体こわしちゃいますよ)
(先輩、これからも私に、たくさん色々教えてくださいね)

     先輩……先輩……先輩……


 これだけ溢れるほどに向けられた好意に、全く気づけなかった俺は、
 イリヤの言うとおり、《真の意味での馬鹿》なんだろう。


 ……いや。
 本当にそうか?
 俺は、心の底では、桜の気持ちにとっくに気づいてたんじゃないか?

 さっき、俺自身が言っていた。

(ケガが治ってからもほとんど毎日来てくれて、来るたびに桜は明るく、綺麗になっていって……)

 そう、どんどん明るく綺麗になっていく桜を、俺はまぶしい気持ちで眺めていた。
 笑顔を向けられ、胸が高鳴ったことも、二度や三度じゃない。
 そのたびに俺は、桜は家族だ、大事な妹なんだ、と自分に言い聞かせてきた。
 それはなぜだ?


(あんたの方こそ、その《家族》って言葉にどっぷりと浸かってたんじゃないの?)
(いったん浸かったぬるま湯からは、出たくないわよねえ?)

 遠坂の言葉がよみがえる。
 俺は、この平穏を壊したくなかったんじゃないのか。
 桜の気持ちを認め、それについて答を出すことによって、
 《ぬるま湯》が冷めて、または熱くなってしまうのを、怖れていたんじゃないか?
 たとえ無意識にでも、《家族》という言葉を盾にして、気付かないふりをしていたのなら……


(私には家族なんていません!!)

 桜の叫びが、頭に響く。


「俺は、《真の馬鹿で最低屑男》、ってことか」

 的確すぎて、自嘲の笑みさえ漏れない。


 もうひとつ、ショックだったことがある。
 遠坂の言葉。

(現に、氷室さんは気付かせた。
この馬鹿に気付かせるくらいですもの。きっと、10回は死ねるくらいの勇気を振り絞ったんでしょうね。)


 そうだ。
 付き合い始める前、いっしょに下校するようになって数週間。
 俺は鐘から寄せられる好意に、全く気付けなかった。

 最後の最後、
 新都大橋のたもとで、鐘が心と体をぶつけてきてくれたから、俺もそれに答えることが出来たが、
 そうでなければ、彼女との関係はそれっきりになっていたはずだ。

 俺の中では、日常によくある、ちょっとした刺激として片付けられ、
 今、最も愛しく想っている女性を永遠に手放す、いや、手に入れることを考えもせずに……


 殺意を覚える。
 自分の、馬鹿さ加減にだ。
 遠坂の言うとおり、鐘は《10回は死ねるくらいの勇気》を振り絞ったんだろう。
 桜にしても同じだ。この二年間、どんな気持ちで俺に接していたのか。


 『正義の味方』が聞いて呆れる。
 最も身近な、大切な人たちが、そんな思いをしているのに全く気付かず、あるいは見て見ぬふりをして……


     ぼーん


 居間の柱時計が、一回だけ鳴る。
 見ると、針は11時半を指していた。

 ああ、もうすぐ鍛錬の時間だな、と思って、それから苦笑した。
 この状況でも、日課の方に頭が行くかという自嘲。
 ここに座ってから、時計なんか何度も鳴っているだろうに、この一回にだけ反応した自分が、妙におかしい。

 しかし、とりあえず土蔵には行こう。
 混乱したこの頭で、何時間考えても結論は出ないだろうし、精神集中をして気分を切り替えてから……


「今やったら、死ぬわよ」


 腰を浮かしかけた俺に、声がかかった。
 声の方向を見ると、庭の隅に遠坂が立っていた。
 いつもの真紅の服は、闇にまぎれて若干黒ずんで見える。


「そんな状態で魔術行使なんかしてご覧なさい。
 魔力の暴走、制御の失敗、フィードバックに体は耐えきれず、神経と魔術回路はズタズタ、あっという間にあの世行きだわ」
「……」

 遠坂の言うとおりだ。
 魔術の行使には、最大限の注意と精神集中が伴う。
 それを欠いたまま行ったとすれば、術者に待っているのは《死》あるのみだ。
 そんな、初歩の初歩すら忘れてしまうくらい、俺は混乱していたらしい。

「まあ、私は別にいいんだけど。
 でも、あなたにはもう、泣いてくれる人が出来たんでしょう?
 それに、《あの子》のためにも、アンタは一人前にならなきゃいけないのよ。
 こんなバカなことで死なれたら、二人に会わせる顔が無いわ」

 そう言いながら、遠坂はこちらに近づいてくる。
 そして、流れるような動作で、俺の横に腰掛けた。


 確かに、俺が死んだら、鐘は泣いてくれるだろう。
 遠坂が、セイバーを大事に思ってくれているのも、以前のままだ。

 そんな遠坂の気遣いが、とても嬉しかった。





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 このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

   『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
     http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。

 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、
 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、
 その文責はすべて中村にあります。





[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (七)
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/05/29 18:27



     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (七)





「だいぶ参ってるみたいね」

 俺は無言でうなずく。正直、声を出すのも辛い。

「まあ、参ってくれなきゃ困るわ。
 これで、いつものようにのほほんとしてたら、私もイリヤも、本気であなたのこと殺してる」
 さばさばした口調で、遠坂が言う。

 ……遠坂、言ってることがさっきと違うぞ。
 苦笑するが、相変わらず声は出ない。


「で、結論は出た?」
「……わからない」
 やっと声が絞り出せた。

「考えが全然まとまらない。
 桜が俺にしてきてくれたこと、俺が桜にしてきたこと……そんなことばっかりが頭の中を巡って…。
 桜に、なんて言えばいいのか、どんな顔をして謝ったらいいのか……」
「ダメよ」
 煮え切らない俺の言葉を切りさくように、遠坂は言った。

「桜にアンタから何か言っちゃダメ。アンタにはもう、言うべき言葉は無いわ」
「……」


 そう、かもしれない。
 二年間も桜の想いに気付かず、あるいは見て見ぬふりをしてきたんだ。
 今さら俺に、彼女に言葉をかける資格など……
「そうじゃないわよ」
 遠坂は、俺の考えを読んだかのように、苦笑しながら続けた。


「確かに、資格うんぬん、ってのもあるかもしれないけどね。私が言ってるのは、言葉どおりのことよ。
 アンタには、桜にかけるべき言葉は残ってないの。
 アンタはもう、桜に答えたんだから」

 ……意味が、分からない。
 俺が、桜に、答えた…?


「士郎。
 アンタが氷室さんのことを好きになって、それが桜に分かった時点で、アンタは桜の気持ちに対して答えたことになるのよ。
 桜の想いに気付いていたかどうかは、この際、関係無いわ。
 今日、氷室さんといっしょにいる所をあの子に見せたことで、言葉より雄弁に答えたのよ。
 『俺は、桜より氷室を選んだんだ』って」
「……」

「この状況で、桜にかけるべき言葉があるとすればひとつだけよ。
 『氷室とは別れるから、俺と付き合ってくれ』
 どう、言える?」
「………」


 言えない。

 鐘と出会う以前であれば、あるいはそういうことも有り得たのかもしれない。
 だが、今、俺が一番愛し、大切に思っているのは、氷室鐘だ。
 たとえ桜であっても、この想いを違えることなど、出来ない。

 俺の表情を見て取った遠坂は、にっこり笑って言った。

「正解。
 だから、今アンタは動いちゃダメ。アンタはもうボールを投げたんだもの。
 桜がそれをどう受けとるか、それはあの子次第よ。
 そのまま放り捨てるか、投げ返してくるか……
 あの子からのリアクションがあるまで、アンタに出来ることは無いわ」

 きつい言葉をやさしい声で、ズバズバと、染み通るように語りかけてくる。

 確かに、遠坂の言うとおりだ。
 俺は、鐘を選んだ。
 桜の想いを知っていようがいまいが、この事実は変わらない。
 ならば、俺に出来ることは何もない。桜が出す答を、待つしかない。


 ……ある意味、何よりも辛い選択だ。
 俺の大切な人が、俺の馬鹿のせいで苦しんでいるのに、それを傍観することしか出来ないなんて。

「衛宮くんにはちょっとキツいかもね。まあ、乙女心を踏みにじったバツとして、観念しなさい」
 気を遣ってくれているんだろう。遠坂は、ことさらに明るい声で言った。
 そして、そのままの口調で、


「じゃあ、バツついでに、もう少し落ち込ませてあげましょうか。
 桜一人じゃない、って言ったら、どうする?」


「え?」
 振り向いたその先には、

「この家に通い詰めてたのは一人じゃないってこと。藤村先生も、イリヤも、……私も、ね」
 切なげに微笑む、遠坂の顔があった。


「想いの深さでは、桜が一番でしょうね。
 そもそも、みんながみんな恋愛感情って訳でもないし。
 藤村先生は、ほとんど弟としてアンタを愛してるし、イリヤもそれに近いのかな。少なくとも、恋人にしたいっていう気持ちは無いみたいね。
 でも、二人とも《家族》って言葉で割り切れるほどの感情ではないことも確かよ」
 遠坂は、夜空の星を見上げながら、淡々と続ける。

「遠坂……」
 無意識に声が出る。彼女は、それをどう受けとめたのか、


「私?
 んー、私はそうね、『あわよくば』ってところかな。
 アンタが氷室さんとくっつかないで、桜もあんまりモタモタしてるんだったら、動いてもいいかな、って思ってた」

 彼女は笑みを浮かべたまま、透きとおった目で、しばらく星を眺めていた。


 やがて、その眼差しのまま俺に目を移すと、
「だからアンタ、幸せになりなさい。
 これほどいい女たちを袖にして、氷室さんとくっついたんだもの。
 生半可な覚悟だったら、承知しないわよ」

「―――」
 俺は、無言でうなずいていた。


 俺なんかが、幸せになれるのかどうか、それは分からない。
 鐘と、これからどうなっていくのかも分からない。

 しかし、この誇り高き女性に、ここまで言わせたのだ。
 自分の馬鹿さ加減を自嘲している暇など無い。

 全力で進んでいく。

 遠坂に、いや、彼女たちに酬いる方法は、その一つしか思いつけなかった。


 遠坂は、もう一度にっこりと笑って、満足そうに頷いたあと、勢いよく立ち上がった。
「さあて、じゃあ言うべきことも言ったし、私も帰るわ。
 また明日ね」
「え?」
 思わず間抜けな声を出す。帰るって…今からか?

「おい、もう12時過ぎてるぞ。いくらなんでも遅すぎるんじゃないか?
 どうしても用があるって言うんなら、送って……」
 そこまで言って、これがさっきの桜との会話と同じであることに気付く。
 遠坂は、呆れた顔でこちらを見ていた。


「アンタねえ……
 やっぱりその性格、いっぺん死なないと直らないのかしら?」
「……なんでさ?」

「なんでさ、じゃないわよ。
 いい?
 私は今、アンタに告白して、振られたのよ?
 まあ、順番で言うと、振られてから告白したんだけど。
 その直後に、振られた相手に家まで送られるなんて、我慢出来ると思う?
 ましてや、同じ屋根の下で眠るなんて」
 出来の悪い生徒に根気よく言い聞かせるように、懇々と遠坂が諭す。

「あ……」
 確かに、そうだ。
 今の今まで、遠坂自身に教えられてきたのに、それが全く身に付いていない。


 再び深い自己嫌悪におちいる俺に、
「まあ、そんなわけだから、気持ちだけ頂いとくわ。
 実際、襲われても大抵の人間なら大丈夫だし、むしろ相手が気の毒ってもんよ」
 明るい声で、遠坂は言う。

 その口調には、俺への優しさと、若干の虚勢が混じっているように思えた。

「私もしばらく、ここに泊まるのは止すわ。桜にも悪いしね。
 あ、でも魔術講義はもちろん続けるわよ。明日までに、集中力戻しときなさい」
 じゃあねー、と手を振りながら、遠坂は門の方に歩いていく。


「遠坂」
 俺は、立ち上がって声をかけた。
「ん?」
 振り返った彼女は、もう半分、暗闇の中にいる。

「ありがとな」
 その一言に、万の想いをを込めたつもりだった。

「……馬鹿」
 赤い衣装は、苦笑を一つ残し、影の中へ消えていった。





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 このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

   『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
     http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。

 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、
 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、
 その文責はすべて中村にあります。





[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (八) 氷室の視点
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/05/31 19:40


     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (八) 氷室の視点





 いつもの交差点で、バスを降りる。
 寒いというほどではないが、早朝の空気は稟としており、冬が間近に来ていることを教えてくれる。

 学園へと通じる坂道は、運動部の早朝練習に向かう学生がちらほら見える程度で、閑散としている。
 もちろん、私もそのうちの一人だ。

 12月にある競技会に向け、陸上部でも最終調整に余念が無い。
 私にとっても、学園生活最後の大会だ。自ずと気合いも入る。


 ……いや、認めよう。
 足取りが軽いのは、気合いが入っているからばかりではない。

 衛宮……いや、士郎との、夕べのやりとり。
 一歩、前進することができた、という満足感が、そうさせているのだろう。

 間桐嬢やイリヤ嬢とのことなど、まだまだ不安要素も多いけれど、
 彼の《家族》となるための一歩を踏み出せたという嬉しさの方が、今は勝っていた。


 そんな充足感に浸りつつ坂道を登っていると、まさに、脳裏に描いていた人の後ろ姿を見つけた。

 珍しい。
 彼は、確かに他の生徒よりは早く登校するが、朝練がある私と同じ時間帯、ということは今まで無かった。

 かすかに疑問を抱きつつ、やはり想い人に朝から出会える喜びには勝てない。
 私は、さらに足取りも軽く、彼の背中に駆け寄った。


「おはよう、士…衛宮」

 士郎、と呼ぼうとしたが、少ないとは言え他生徒が周りにいる路上では、やはり呼びにくい。
 別に隠しているでも無し、堂々としていれば良いのだが、そこはそれ、やはり照れというものがあるのだ。

「…ああ、おはよう鐘……氷室」
 やはり私のファーストネームを呼び掛け、苗字に言い直した彼に、嬉しさと気恥ずかしさを覚える。

 しかし、振り返った彼の顔を見て、そんな気持ちは吹っ飛んだ。


「……」
 いつもの笑顔。
 ぶっきらぼうで、照れくさそうな、でも、なによりも暖かい表情。
 なにひとつ、変わってなどいないはずなのに、

「どうした?」

 そう問いかける彼からは、決定的に《生気》が抜け落ちていた。


 おそらく、顔見知り程度の者が見たら、普段と同じ、と言うだろう。
 いや、彼の友人であっても、いつもより元気が無いな、くらいにしか思わないに違いない。

 しかし、私には分かった。分かってしまった。

 今の彼には人間が、いや、生物が必ず持っているエネルギーが、ほとんど感じられない。


 もともと、衛宮士郎という人間には、どこか空虚な部分がある。
 しかしそれは決して、中身がない、ということではないのだ。
 彼の性格同様、表に出ることはあまりないが、普通の人間を圧倒するほどのエネルギー、
 《生気》と呼び変えても良い物が、その空虚な部分をも含めて、彼を満たしている。

 そんなエネルギーの大きさ、暖かさに触れた者のみがそれを理解し、彼に惹かれるのだ。


 なのに、今の彼からは、そのエネルギー、《生気》が、ごっそりと抜け落ちている。
 視覚ではいつもどおりに見える彼の顔色は、私には土気色に見え、
 普段と同じはずの肉付きは、蚤で削いだかのようにげっそりとやつれて見えた。

「……どうした?氷室」
 いつもと同じ(ように見える)笑顔で、士郎が再度問いかける。
 しかし、私に返事をする余裕はない。

 これが……彼か?
 夕べまで生気に満ち、私を満たしてくれた、衛宮士郎か?
 まるで、一晩で地獄巡りでもしてきたかのようではないか。


「……鐘?」
 三度目の彼の問いかけに、私はようやく我に返った。
 他の生徒たちが、坂道の真ん中で突っ立っている私たちを、不思議そうに眺めながら追い越してゆく。

 とりあえず、動こう。
 私は二、三度頭を振り、彼と並んで歩き出した。
 まだ、声は出ない。

 隣を歩く彼を見る。
 思い違いであれば、という私の願いは虚しかった。
 一見、普段どおりに見える彼の足取りは、まるで鉄球でも引きずっているかのように重かった。
 一歩踏み出すのもやっとなはずのその足を、鋼の意思で動かしているのだ。


「……どうしたんだ?」
 私は、やっと声を絞り出した。
 そんな状態なのに、なおも私のことを心配そうに見つめる、彼の視線に耐えきれなくなったのだ。

「……」
 今度は、彼の方がしばらく無言だった。
 だんだん、二人の歩みが遅くなる。
 それでも、学園は着実に近づき、校門まであと数十メートルの所まで来た時、


「……鐘には、わかっちゃうんだな」
 彼が、ポツリと呟いた。

「心配かけてゴメン。
 なんでもない、って誤魔化したかったんだけど、鐘相手じゃ無理みたいだ。
 でも、一口で説明できることじゃないんで、後でいいか?」
 確かに、もう校門に達している。
 今からでは、詳しい理由を聞く時間など無いだろう。

「……分かった。昼休みに美術室、でいいか?」
「……ああ。ほんと、ゴメンな」

 そして私たちは校門で別れた。
 私は陸上部室へ。
 彼は、教室か生徒会室にでも行くのだろう。

 本当はずっと付き添っていたかったのだが、場所が学校であれば、私たちにはそれぞれの本分がある。
 後ろ髪引かれる、とは正にこの事か。
 彼の背中が校舎内に消えるまで、私はずっとそれを見送っていた。


 午前中は、散々だった。
 朝練習では、アップ終了の号令に気付かず、一人で延々と走り続け、ダッシュの合図に反応せず立ちつくしていた。
 授業が始まっても、機械的にノートを取りはするものの、教科書は前時限のものを開いていたり、
 シャープペンシルをカチカチ押し続け、芯のすべてを机に撒いていたり。

 以前、士郎に振られた(と思い込んでいた)時より、まだひどい。
 あのときは、自分自身をコントロールすればよかった。
 しかし今回は、原因が私ではない。
 他の人の痛みを自分に感じ、それを制御する。
 そんな、生まれて初めての事態に、私は戸惑うばかりだった。


 やっと昼休みのチャイムが鳴り、私は美術室へと向かった。

 最近は昼食のローテーションが確立され、週に三回は蒔寺、由紀香と三人で。
 一回は士郎と二人で。
 残る一回は、我々三人に士郎を交えての食事となっていた。

 その順番で行けば、今日は三人での昼食なのだが、蒔寺たちに詫びて別行動を取らせてもらった。
 彼女たちも、普段とあまりに違う私の様子に戸惑っていたのだろう。
 すんなりと許してくれた。

「……なんか、あったのか?」
 蒔の字が、恐る恐る聞いてくる。
「……わからないんだ」
 私の答も煮え切らない。
「鐘ちゃん……だいじょうぶ?」
 由紀香も、心配そうな顔だ。
「……だと、いいんだが…」
 こんな返事では、余計に心配させてしまうだろうが、そう答えるほか無い。


 美術室は、相変わらず閑散としていた。
 油絵の具や粘土の匂いがして、食事には不向きの場所だからだろう。
 しかし、私には慣れ親しんだ匂いだし、彼も特に気にはならないという。
『オイルやグリースの匂いより、よっぽど上品だよ』
 そう言って笑ったのは、いつだったか。

 いつもならば、軽やかに滑るはずの引き戸が、今日はやけに重く感じられた。





    ----------------------------------------------------------



 このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

   『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
     http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。

 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、
 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、
 その文責はすべて中村にあります。





[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (八) 衛宮の視点
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/06/02 19:41


     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (八) 衛宮の視点





 昨夜は一睡もしなかった。
 眠れるとは思えなかったし、眠るつもりもなかった。

 昨夜の出来事。

 桜の言葉を。
 イリヤの、遠坂の、藤ねえの言葉を、何度も、できる限り正確に思い出し、脳裏に焼き付けた。

 想像以上に辛い作業だったが、どうしても俺にとって必要な事だったし、
 辛いと感じる余裕も、今の俺にはなかった。


 空が白み始めたので、少し早いが道場で日課の筋力トレーニングをした。
 何しろ、今夜も遠坂の魔術講義がある。
 集中力を取り戻すには、ルーティンワークが一番だ。

 軽くシャワーを浴び、朝食を作る。
 桜は、当然来ない。
 遠坂も、昨日宣言したとおり、来ない。
 藤ねえもイリヤも、いつもは朝飯をねだりに来るのに、やはり来なかった。
 それでも人数分作り、テーブルに並べ、しばらく待って誰も来ないことを確認した上で、5人分を冷蔵庫に仕舞った。

 いつもよりだいぶ早いが、他にすることもないので家を出る。
 坂を下り、交差点で曲がって、坂を登る。


 こんな時、魔術師というのは便利だ。
 たとえ一睡もしていなくても、昨日の昼から何も食べていなくても、魔力さえあれば、体力の低下をある程度はカバーしてくれる。
 まあ、当然そのあとは揺り戻しがあるのだが。

 少しだけ重い足を動かして坂を登っていると、後ろから声をかけられた。


「おはよう、士…衛宮」

 鐘の声だ。
 そうか、今の時間帯は、ちょうど運動部の連中が朝練に通う時刻なんだな。
 士郎、と呼び掛けて、苗字に言い直す声がかわいい。

「…ああ、おはよう鐘……氷室」
 やはりファーストネームを呼び掛け、苗字に言い直す。
 別にやましいところがあるわけでもないが、そこはそれ、照れというものがある。

 振り返り、視界に入った鐘の顔は、嬉しさと気恥ずかしさに染まっていたが、


「……」
 俺の顔を見るなり、彼女は絶句していた。


「どうした?」

 そう問いかけたが、返事がない。
 彼女の、白磁のような肌から、見る見る血の気が引いていく。
 浮かびかけていた笑みは凍りつき、視線は固定され、俺の声も届いていないようだ。

「……どうした?氷室」
 立ちくらみでもおこしたのだろうか。
 そんな心配を抱きつつ、笑顔で再度問いかける。
 しかし、やはり返事は無い。
 ほとんど恐怖に引きつったその表情は、

 まるで、地獄巡りをしている亡者でも見たかのような顔だった。


「……鐘?」
 三度目の問いかけに、鐘はようやく我に返ったようだった。
 他の生徒たちが、坂道の真ん中で突っ立っている俺たちを、不思議そうに眺めながら追い越してゆく。

 二、三度頭を振った鐘は、無言のまま俺の隣に並び、歩き始めた。
 俺もそれに続く。
 まだ、鐘は声を出してくれない。

 ちらちらと、こちらを伺う気配がする。
 まるで、直視したら俺が壊れてしまうとでも言うかのように。
 彼女の足取りが重い。
 今の俺などより、よほど辛そうだ。
 どうかしたのか?と声をかけようとして、


「……どうしたんだ?」
 鐘は、やっとしゃべってくれた。
 が、それは、無理に絞り出したような声だった。

「……」
 今度は、俺の声が出なくなった。


 まさか……
 気付いているのか?

 今朝、顔を洗うときも鏡で確認した。
 特にやつれてもいないし、顔色も普段と変わらない。
 魔力が足りているせいか、体調もそんなに悪くない。
 少し、体が重い程度だ。

 魔術師ならば、あるいは達人クラスの武道家なら気付くだろうが、
 一般人なら、いつもより元気が無いな、くらいにしか思わないに違いない。
 そう思っていたのに……


 だんだん、二人の歩みが遅くなる。
 それでも、学園は着実に近づき、校門まであと数十メートルの所まで来た時、


「……鐘には、わかっちゃうんだな」
 自然と、口からこぼれていた。

「心配かけてゴメン。
 なんでもない、って誤魔化したかったんだけど、鐘相手じゃ無理みたいだ。
 でも、一口で説明できることじゃないんで、後でいいか?」
 もう校門に達している。
 今からでは、詳しい理由を話す時間は無い。

「……分かった。昼休みに美術室、でいいか?」
「……ああ。ほんと、ゴメンな」

 そして俺たちは校門で別れた。
 俺は教室へ。
 彼女は陸上部室へ行くのだろう。

 別れる間際の、彼女の表情が辛かった。
 ずっと付き添っていたい、とその顔は語っていた。
 しかし、場所が学校であれば、俺たちにはそれぞれの生活がある。
 校舎内に入るまで、背中に彼女の視線をずっと感じていた。



「じゃあ、朝のホームルームはここまで。
 今日も一日、がんばろうねー」

 ホームルームを終え、藤ねえが教室から出て行く。
 俺は、それを追いかけた。

「藤村先生」
 廊下で俺が呼びかけると、藤ねえは驚きもせず振り返った。
 俺を待っていたかのような眼差しだった。

「なんですか、衛宮くん?」
 一応、学園内なので、双方とも少し改まった口調だ。
「ちょっと、お話が……」
 俺がそう言いかけると、藤ねえは微笑んで頷いた。
 そして、人目に付きにくい階段の踊り場まで移動する。


「桜ちゃんのこと?」
 周りに人がいないことを確かめてから、藤ねえは自分から切り出してくれた。
「―――」
 無言で、頷く。
「とりあえず、今日は休ませてるわ。
 安心しなさい、って言いたいところだけど、正直、ちょっと参ってるみたいね」

 やはり――
 俺が俯くと、藤ねえは俺の髪を くしゃり と撫でてきた。

「士郎に、気にするなって言っても無駄なのは分かってるけど。
 桜ちゃんのことは、私とイリヤちゃんに任せておきなさい。
 士郎から、なにか言ったりしちゃダメよ」
「―――ああ、分かってる。
 昨日、遠坂からも言われたよ」

 俺がそう答えると、藤ねえは満足そうに微笑んだ。
「そう。さすが、遠坂さんね。
 彼女の言うとおりよ。
 士郎には辛いだろうけど、今は待つことが桜ちゃんのためよ」

 分かっている。だが……


 俺が俯いたままでいると、藤ねえは急に、掌を爪に変え、俺の頭をガリガリと引っかき回してきた。
「い、痛て!痛てってば!
 何すんだよ藤ねえ!!」
「ほーら!!
 若い男の子がウジウジしてるんじゃない!
 大丈夫よ。
 桜ちゃんは、見た目よりずっと強い子だもの。
 きっと立ち直って、答を出してくれるわ」

 髪をかき回されながら聞く藤ねえの声は、ひまわりのように暖かく、やさしかった。

 やっと魔の手から逃れた俺は、しばらく頭皮を撫でた後、

「サンキュ、藤ねえ」
 横目で視線を合わせながら、愛する姉に礼を言った。


 やがて昼休みのチャイムが鳴る。

 美術室は、相変わらず閑散としていた。
 油絵の具や粘土の匂いがして、食事には不向きの場所だからだろう。
 しかし、機械いじりに慣れた俺には、特に気にならない。
 彼女も
『小さいころから嗅いでいた匂いだ。香水などより、よっぽど落ち着く』
 そう言って笑ったのは、いつだったか。

 いつもならば、軽やかに滑るはずの引き戸が、今日はやけに重く感じられた。





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 このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

   『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
     http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。

 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、
 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、
 その文責はすべて中村にあります。





[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (九) 氷室の視点
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/06/04 19:32



     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (九) 氷室の視点





 予想どおり、彼は先に来ていた。

 いつものように、作業台に二人並んで座る。
 二人きりの昼食のときは、いつも彼が弁当を作ってきてくれるのだが、今日は言わばイレギュラーだ。
 私は持参の弁当。彼は、購買部で買ったパンと牛乳。

 食事中、あまり会話が無いのは、いつものことだ。
 ときどき、思いついたことをポツリポツリとしゃべる。
 あとは、彼の隣に座って、ときどき視線を交わして微笑みあうだけで、充分だった。


 しかし、今日はそのわずかな会話さえも無い。
 彼は、機械的に食事を進めていく。
 味など感じていないのではないか。
 いや、まるで鉄塊を噛み、溶かした鉛を啜っているかのような苦行にすら感じられる。

 私も当然、食欲など無いが、箸が止まると、彼が心配そうな顔をしてこちらを見る。
 無理にでも食べるしかなかった。


 食事が終わっても無言は続いていた。
 こちらから切り出してもいいのだが、怖くて出来ない。
 何が彼をそんなに苦しめているのか、それも分からずに安易に声をかけるのは、ためらわれるのだ。

 だが、ひょっとしたら……


「……ゴメンな」
 ポツリと、彼が言った。

「説明する、なんて言っといて、ずっと黙ったままなんて。
 …でも、すごく説明しづらい、言葉にしにくいことなんだ」

 辛そうな、彼の声。
 一言、言葉を吐くために、全身の力を振り絞っているのがわかる。


「ここに来るまで、鐘になんて説明しようか、ずっと考えてた。
 でも、詳しく話そうとすると、いろんな人に迷惑がかかっちゃうんだ。
 だから、……曖昧にしか言えないことを、許して欲しい」

 彼が話すたび、自分の身が割かれるように痛む。
 これは、彼が感じている痛みの、何千分の一なのか。


「……簡単に言うと、俺の馬鹿さ加減のせいで、ある人を傷つけた。
 それだけなんだ。
 ……それしか、言えないんだ。
 だから……ゴメン…」

 もういい。
 しゃべることが、そんなに苦痛なら、話さなくていい。
 私は、自分が感じる痛みに耐えきれず、彼の右手を両掌で掴んでいた。



「……わたしの、せいなのか?」
 無意識に、言葉が出る。
「……」
 彼は、目を見開いて、私を見つめた。


 やっぱり。


 私も、今までずっと考えていた。

 夕べ、私の家の前で別れたときまでは、いつもどおりの彼だった。
 ならば、彼が家に帰ってから、何かがあったということになる。
 そして、その前に起きた、私と、彼の《家族》との邂逅。

 その二つを合わせ、少し想像力を働かせれば、結論は簡単に出る。

 しかし私は、その結論を出すのが怖かった。
 私自身が原因で、彼がこんなにも憔悴するという事実に、耐えきれなかったのだ。

 しかし、現実はやはりそのとおりだった。
 私という存在が、彼と彼の《家族》の絆を脅かし、そのことで彼は……


「違う」


 きっぱりとした声が、耳元で聞こえた。

 いつの間にか俯いていた私は、その声に顔を上げる。
 そこには、
 普段に近い生気に満ちた、彼の顔があった。

「確かに、鐘もこの事に少し関係してる。
 でも、断じて鐘のせいじゃない。
 それだけは、信じてくれ」


 何度か見た、表情。

 付き合ってくれ、と海浜公園で言ったとき。
 私を抱きしめ、『氷室、好きだ』と初めて言ってくれたとき。

 本当に大事なことを言う時、彼はいつもこの表情をしていた。


「問題は、俺自身の根っこに関わることなんだ。
 鐘は、その問題に巻き込まれただけだ。
 そのことについては、ほんとに申し訳なく思ってるけど……
 頼むから、俺のためにそんな顔をしないでくれ」

 ならば、信じて良いのだろうか。
 少なくとも彼は、私のせいではないと、本気で思っている、と。


「……わかった」
 私は、言った。

 私が原因ではない、と思って安心したわけではない。
 むしろ、彼がそう信じているが故に、確信はますます深まった。


 だが。
 彼がそう言ってくれる以上、私はそれに従う。

 昨日の、間桐嬢との邂逅のときと同じだ。
 ここで引いたら、彼を失ってしまう。
 今は両手で、私の両掌を包んでくれているこのぬくもりを、永遠に失ってしまう。

 その思いがどんなに狡く、浅ましくても。
 その想いの故に、どんなに彼を傷つけてしまったとしても。
 この手を放してしまう恐怖には、代えることはできなかった。


「……君の思いは分かった。
 なぜ、と問うのも止める。
 だから、私もひとつだけ言わせてくれ」
 私も、彼の両掌を包み返すように握った。

「我慢しないでくれ。
 少なくとも、私と二人きりのときに、無理に笑ったりしないでくれ。
 先ほど、君自身が言っていたろう?
 私のために、そんな顔をされるのは、……辛い」

 私はそう言って、握りしめた手に目を落とした。

 私の浅ましさへの代償。
 彼が、私のために苦しんでくれるというのならば、
 私は、少しでもそれを受けとめる皿になりたい。
 彼の苦しみが、私の器などをはるかに超えるものであったとしても、
 せめて、それくらいの自己満足はさせてほしかった。


「ありがとう」


 そんな、彼の言葉に、ふたたび視線を上げる。
 彼の顔からは、一瞬だけみなぎっていたあの生気は、消え失せていた。

 かわりに、何とも言えない目で、私を見つめてくる。
 笑っているような、泣き出しそうな、苦しんでいるような、愛しんでいるような。

 そんな目のまま、彼は私を抱きしめてくれた。


 ああ。

 結局、私の苦しみの方を、彼が受けとめてくれたんだ。


 そんな、やるせなさが胸に満ちてくるのを感じながら、
 午後の予鈴が鳴るまで、私は彼の胸に身を預けていた。





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 このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

   『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
     http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。

 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、
 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、
 その文責はすべて中村にあります。





[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (九) 衛宮の視点
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/06/27 21:37


     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (九) 衛宮の視点



 1分も待たずに、鐘が入ってきた。

 いつものように、作業台に二人並んで座る。
 二人きりの昼食のときは、いつも俺が弁当を作るのだが、今日は言わばイレギュラーだ。
 彼女は持参の弁当。俺は、購買部で買ったパンと牛乳。

 会話もなく、食事が進んでいく。
 当然のことだが、食欲など無い。


 しかし、俺が食べないでいると、彼女も食べづらいのだろう。
 弁当の中身を見つめてため息をつき、俺の視線に気付いてあわてて箸を動かす。
 さっきから、この繰り返しだ。

 俺は、全く味のしないパンを噛み、やけに粘っこい牛乳で喉に流し込んだ。


 食事が終わっても無言は続いていた。
 説明する、と言ったのは俺の方だ。
 だから、俺から切り出さなければならない。


 しかし、どう説明する?
 端折ろうと思って端折れる話じゃない。
 第一、少しでも端折ったりしたら、全く意味が無くなってしまう。

 ならば、一から十まで全部話すか。
 それこそ、不可能だ。
 恐ろしく長い話になる上、
 桜の想い、イリヤや遠坂の叱責、藤ねえの心遣い、
 いや、そもそもの俺たちの関係から、引いては俺が魔術師であることまで、話さなくてはならなくなる。

 特に、桜や遠坂たちの想いについては、絶対に話せない。
 たとえ、相手が鐘であろうとだ。
 それは、俺が勝手に話していい事じゃない。

 では、どうすれば。
 じっと、俺の言葉を待っている少女に、なんと言えば……


「……ゴメンな」
 自然と、声が出ていた。

「説明する、なんて言っといて、ずっと黙ったままなんて。
 …でも、すごく説明しづらい、言葉にしにくいことなんだ」

 さんざ焦らしておいて、そんなことしか言えない。
 そんな自分に対して、吐き気がする。


「ここに来るまで、鐘になんて説明しようか、ずっと考えてた。
 でも、詳しく話そうとすると、いろんな人に迷惑がかかっちゃうんだ。
 だから、……曖昧にしか言えないことを、許して欲しい」

 俺が言葉を発するたび、鐘は辛そうに顔を歪める。
 俺を責めているのか。
 好きだ、恋人だと心を重ね合わせておいて、大事なことは何一つ話してくれない相手に、失望しているのか。


「……簡単に言うと、俺の馬鹿さ加減のせいで、ある人を傷つけた。
 それだけなんだ。
 ……それしか、言えないんだ。
 だから……ゴメン…」

 馬鹿な話だ。
 説明にもなっていない。
 これで納得できる人間がいたら、お目にかかりたい。
 彼女も、細い肩を震わせて、俯いて……


 その、白く小さな両掌で、俺の右手を掴んできた。

「……わたしの、せいなのか?」

「……」


 いま、なんと言った?


 『私のせい』
 彼女は、確かにそう言った。
 悔恨と苦渋に満ちていた頭の中が、急速に透きとおっていく。

 まさか、彼女は、自分が原因で俺が苦しんでいる、と思っているのか?


 思えば昨日、いや、初めてのデートの時にも、彼女は言っていた。

『状況は君よりも理解しているつもりだ』

 今なら、その意味が分かる。
 彼女は、桜の想いに、とうの昔に気付いていたんだ。
 そして、それでも俺を選んでくれた。
 桜やイリヤの視線にも、じっと耐えてくれていたのだ。

 ならば、後は少し想像力を働かせれば分かる。
 夕べ、彼女と別れてから、俺に何があったか。
 俺の家で、俺が《家族》とどんな会話をしたか。

 自分の存在が、俺と俺の《家族》の絆を脅かしている。
 そう、彼女が思い込んでいるのだとすれば……


「違う」


 きっぱりと、俺は言った。
 自分でも驚くくらい、張りのある声だった。
 そのまま、彼女の両掌を、両手で握り返す。

「確かに、鐘もこの事に少し関係してる。
 でも、断じて鐘のせいじゃない。
 それだけは、信じてくれ」

 詳しいことは言えない。それは変わらない。
 しかし、この誤解だけは解かなくては。


 桜を傷つけた。
 イリヤにあんな表情をさせた。
 遠坂にあそこまで言わせた。
 藤ねえの心を痛めさせた。

 この上、俺の一番大切な、この少女まで傷つけてしまったら、
 衛宮士郎は本当に、生きる価値の無いジャンクになってしまう。


「問題は、俺自身の根っこに関わることなんだ。
 鐘は、その問題に巻き込まれただけだ。
 そのことについては、ほんとに申し訳なく思ってるけど……
 頼むから、俺のためにそんな顔をしないでくれ」

 そう。
 究極を言えば、桜の事さえ、きっかけなのだ。
 問題は、俺の根幹。
 俺自身を形作る、この歪みこそが、すべての発生源。

 この少女が、こんなにも辛そうな顔をする理由など、
 どこを探してもあるわけがない。


「……わかった」
 どれほど時が経っただろう。
 吐息のように、彼女は言った。


 ……信じて、くれたんだろうか?

 いや、彼女の目に、安堵の色は見えない。
 その表情は、未だ辛そうに歪んでいる。
 だが、先ほどまでのように、彼女は震えてはいなかった。

 その瞳が物語るのは――決意。


「……君の思いは分かった。
 なぜ、と問うのも止める。
 だから、私もひとつだけ言わせてくれ」
 そう言うと、彼女は再度、俺の手をやさしく包んでくれた。

「我慢しないでくれ。
 少なくとも、私と二人きりのときに、無理に笑ったりしないでくれ。
 先ほど、君自身が言っていたろう?
 私のために、そんな顔をされるのは、……辛い」

 彼女はそう言って、握りしめた手に目を落とした。


 ……彼女に包まれている、と、俺は感じた。
 握られた手から、彼女の想いが流れ込んでくる。
 俺を支える、と。
 俺の苦しみを減じることは出来なくても、せめてその苦しみを受けとめると。


 人と心を沿わせ、重ね合わせたのは、初めてではない。
 セイバーの時も、確かに俺たちは心を共有した。

 だが、今感じる暖かさは、それとも違う。
 頼っていいと。
 苦しいときは、苦しい顔をしていいのだと、その温もりは告げてくる。


「ありがとう」


 ほんとうに自然に、唇から言葉がこぼれ出た。
 彼女が顔を上げ、俺を見つめる。

 空っぽのはずの俺の体に、何かが満ちてくる。
 喜び、哀しみ、苦しみ、愛しさ……

 気付けば俺は、鐘を抱きしめていた。


 ああ。
 なんて、やすらかな。


     (オマエニ、ソンナシカクガアルノカ)


 そんな声を、今だけは心の奥に沈めながら、
 午後の予鈴が鳴るまで、俺は彼女のあたたかさに身を委ねていた。





    ----------------------------------------------------------



 このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

   『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
     http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。

 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、
 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、
 その文責はすべて中村にあります。





[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (十)
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/06/08 21:02



     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (十)





 それから数日間、表面上は、なにごとも無く過ぎた。

 彼と私は、いつものように登校し、滞りなく授業を受けた。
 私の部活動が終わるまで、彼は学校の備品修理などで時間をつぶし、
 アルバイトの有る無しにかかわらず、私を家まで送ってくれた。


 本当なら、部活動も休み、少しでも彼のそばにいたかったのだが、彼の方が承知しなかった。

「最後の競技会まで、もう日が無いんだろう?
 こんなことで練習を休んじゃダメだ。
 これで鐘が悔いを残したりしたら、俺は二度とお前に顔向けできなくなる」

 真摯な目で見つめられながら諭されると、俯くしかない。

「それに、今は普段どおりにした方がいい。
 詳しいことを話せなくて、ほんとに申し訳ないけれど、今、俺に出来ることは無いんだ。
 だったら、何が起きてもすぐに動けるように、生活のリズムは崩さない方がいい」

 彼に何があったのか、それは問わない約束をしている。
 彼がそう言う以上、普段どおりに過ごすのが一番なのだろう。

 ……その、《普段どおり》という注文が、今の私には一番難しいのだが。


 彼の方の態度は、一見、本当に普段どおりだった。
 口数もいつもと変わらず、ぶっきらぼうながらも他人の面倒をよく見、外見も行動も、おかしな所は何もなかった。

 だが、私の目には、彼が日一日とやつれていくのが、手に取るように見えた。
 他の人が気付かないのが、不思議なくらいだ。

 いや、異常を感じた人間も、わずかながらいた。


「なあ、氷室。
 最近、衛宮おかしくないか?
 なんか元気が無いって言うか、気が抜けてるって言うか……」

 私と同じ学級の、美綴綾子嬢が、休み時間に私に尋ねてきた。
 その時は、曖昧な返事をして誤魔化したのだが……

 そのことを士郎に言うと、彼は苦笑した。
 彼も、親友である柳洞一成に言われたのだという。

「衛宮。
 近ごろ、どうも覇気が無いと感じるのだが、体調でも悪いのではないか?
 疲れているのなら、生徒会の手伝いなど気にせず、帰って休んでくれ」

 油断してカゼでもひいたかな、って、誤魔化したんだけどな、と彼は笑う。

 笑い事などではないのだが、
 それにしてもさすが、武芸百般の女武道家、美綴綾子。
 そして、古刹柳洞寺の跡取り、柳洞一成。


 しかし、逆を言えば、彼等ほどの者でも、その程度にしか感じられないのだ。
 実際には彼は、いつ倒れてもおかしくない、
 いや、倒れていない方がおかしいくらい、憔悴しきっているというのに。


 食事はしっかり取っているのだろうか。
 夜はちゃんと眠れているのだろうか。
 辛いのならば、休んだらどうだと勧めたのも二回や三回ではない。

 だが、
「鐘が言うほど、体調は悪くないぞ。
 確かに、食欲はあんまり無いし、夜眠れないときもある。
 でも、体が少し重いかな、っていうくらいなんだ。
 休んだりする程じゃないよ」

 そう言って、彼はいつもの笑顔で私を見るのだ。


 あの、昼休みの美術室。

『少なくとも、私と二人きりのときに、無理に笑ったりしないでくれ』

 という私の願いに、彼も頷いてくれたはずなのに。

 やはり、私では無理なのか。
 彼にとって私は、小さすぎる器なのか。
 恋人だと自惚れてはいても、彼が感じる痛み、辛さを受けとめ、支えるのは、
 《家族》ではない私には、重すぎる荷なのだろうか。


 そう思い、ひそかに落ち込んでいたのだが、
 そばで彼を見ているうち、

『どうも、事はそれほど単純では無いらしい』

 そう思うようになってきた。


 彼は、私だから弱みを見せないのではなく、
 他の誰に対しても、同じような態度を取るのではないか。

 彼の《家族》である間桐嬢、遠坂嬢、いや、一番の信頼関係で結ばれているであろう藤村教諭に対してすら、
 このような状況の時、彼は笑顔を見せ、辛さを表には出さないのではないだろうか。


 さらに、もっと根本的な問題がある。
 彼は果たして、痛みを《痛み》として、認識しているのだろうか。

 なにも、小説などでよくある、《無痛覚症》の話をしているのではない。
 正しく言えば、彼は

『自分が感じている痛み、悲しみを、自分自身の《辛さ》として、変換できているのだろうか』


 《家族》との間に軋轢があり、それによって彼が苦しんでいることは理解できる。
 だが、彼を見る限り、自分が負った傷が元で苦しんでいるようには、どうしても見えない。

 むしろ、大事な人が傷ついたことで、その痛みが何倍にも増幅されて彼に投射され、
 それが彼を苛んでいるように見える。


 士郎らしい。

 その事実に思い当たったとき、私はまずそう思い、
 次に、恐ろしさに慄然とした。


 彼と《家族》との間にどんな会話があったのか、それは分からない。
 しかし、それが争いであったのなら、どちらか一方だけが傷つくことなどあり得ない。
 相手が傷ついたのなら、彼もそれ相応の傷を負ったはずなのだ。

 なのに彼は、自分の傷のことなど全く無視して、相手の痛みのために苦しんでいる。


 だが。
 いくら彼が自分の傷に目を向けなくても、彼の肉体は、その傷を鋭敏に感知している。
 そしてその傷は、放っておかれたまま、彼の体を、心を、確実に蝕んでいく。

 もし、彼に、その傷を《辛い》と感じる回路が存在していないとしたら……


 自分の傷を辛いと感じず、体をすり減らし、
 他人の傷に何より苦しみ、心をすり減らす。

 こんな事を繰り返していたら、衛宮士郎という存在は……



 そして、金曜日の朝。
 ついに、私は行動に出た。

『詮索はしない』
 という、彼との約束を破ってしまうことになるが、
 正直、何でも良いから動かないと、私の方がどうにかなってしまいそうだったのだ。


 やったことは一つだけ。
 朝練習の時、二年生の女子に、何気ない風を装って尋ねた。

「間桐さんですか?
 月曜日からずっと休んでますけど。
 なんでも、風邪をこじらせたとかで……」


 ……やはり。


 後輩との話題をさりげなく他へ移しながら、
 私は心に、苦い水が満ちるのを感じていた。





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 このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

   『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
     http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。

 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、
 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、
 その文責はすべて中村にあります。





[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (十一)
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/06/10 18:41



     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (十一)





「衛宮、お前なんかしたのか?」

 金曜日の昼、
 みんなで弁当を囲んでいるときに、蒔寺がいきなり切り出した。


『いつも通りに過ごそう』
 という彼の言葉どおり、ほぼ確立されている昼食のローテーションも、普段どおりにしていた。

 ただ、月曜日にイレギュラーで二人きりの食事をしたため、
 次に彼と昼食を共にしたのは、蒔寺、由紀香も交えた今日だった。

 あと数日で十二月だが、今日は天気も良く、久々に屋上で弁当を広げている。
 私が食べている弁当も士郎のお手製だが、正直、あまり味がしない。
 いや、月曜日から、何を食べても砂を噛んでいるようだ。

 彼も似たような状態らしく、いつもより一回りは小さい弁当箱を、ぽつぽつと突ついている。


「え?」
 士郎は、その弁当箱から顔を上げ、声の主を見つめた。

「え、じゃないよ。
 お前、氷室になんかしたんだろう?」
 眉をひそめ、挑みかかるような口調で、蒔寺が続ける。

「蒔?」
 私は、咎めるような声音で、彼女を制す。
 しかし、蒔寺はちらりとこちらを見たが、追求は止めなかった。


「今週になってから、ずっとメ鐘の様子がおかしいんだよ。
 集中力は無いは、会話は上の空だは、四六時中沈んでて、この二、三日で見る見るやつれちまった。
 おまけに、アタシらが何聞いても『何でもない』の一点張りだ。
 コイツがこんなになる原因は、お前以外に考えられない」

 士郎は、箸を置いて蒔寺の顔を見ていた。


「蒔の字、やめろ」
 私は、今度ははっきりと威嚇するような声を出した。

 なるほど、私の親友であるとはいえ、蒔寺は士郎とは付き合いが浅い。
 だから、今の士郎の状態が分からないのだろう。

 本当は、誰よりも沈み、やつれているのは、士郎自身なのに。
 私は、その苦しみの数千分の一を投射されているだけなのに。


 蒔寺は、私の眼光に一瞬ひるんだようだったが、
「いいや、止めないね。
 お前に聞いてもラチあかないから、コイツに聞いてるんだ。
 衛宮、答えろ。
 返答によっちゃ、アタシはお前を許さないぞ」

 ……彼女らしい、友情の表し方なのだろう。
 その心遣いは嬉しい。
 だが……

「蒔、もう一度言う。それ以上は止めろ。
 私のことで君を心配させたことは済まなく思う。
 だが、これは士郎とは何の関係もないことだ。
 もしこれ以上、士郎のことについて何か言うのなら……」

「いいよ、鐘」

 私と蒔寺の睨み合いに割って入ったのは、当の士郎だった。


「蒔寺、まず、お前に心配かけたことを謝る。
 確かにここ数日、鐘が落ち込んでるのは、俺のせいだ」
「士郎!」

 思わず叫ぶ私を、士郎が手で制する。

「俺が馬鹿なことやって、ちょっと参ってたもんだから、鐘がそれを心配してくれてるんだ。
 事情があって、詳しいことを鐘にも話せなくてさ。
 だから、余計に心配をかけてるんだと思う。
 それが、俺の未熟だって言うんなら、正にそのとおりだ。
 すまん」

 そうして、あぐらの姿勢のまま、蒔寺に深く頭を下げた。


 ここまで誠実に謝られるとは、蒔の字も思っていなかったのだろう。
 慌てたように、目を泳がせた。
「……い、いや。
 だ、だからって、だな……」


「もういいんじゃない?蒔ちゃん」
 振り返ると、今までずっと黙っていた由紀香が、何か諭すような目で蒔寺を見ていた。

 蒔の字が、救いを見つけたように黙る。


「衛宮くん、鐘ちゃん、ゴメンね。立ち入ったこと訊いちゃって。
 でも、蒔ちゃんもこの五日間、ほんとに心配してたんだよ。
 何か私たちに出来ることはないか、二人の役に立てることは無いかって」
「ゆ、由紀っち……」

 真っ赤になって慌てる蒔の字。

 ……二人の友情が、身に染みる。
 由紀香も、きっと蒔寺と同じくらい心配してくれたのだろう。


「でも、今の衛宮くんのお話聞いて、分かった。
 鐘ちゃんだけじゃなくて、衛宮くんもなんだか元気無いなって、ずっと思ってたんだけど、
 むしろ衛宮くんのほうが、ずっと苦しんでたんだね」

 ……由紀香も、気付いていたのか。
 士郎の状態について、ほとんどの人間が顧みもしない中、
 たとえ漠然とであっても、違和感を感じただけでもたいしたものだ。

「なんだよ由紀っち。
 結局、全然気付いてなかったのは、アタシだけってことか?
 そんなら、言ってくれりゃいいじゃんか」
 蒔寺がむくれる。

「違うよ。
 私だって今、衛宮くんや鐘ちゃんに聞いて、初めて思い当たったんだもの。
 それに、なんとなくだけど、私たちが深入りしちゃいけない事のような気がしたし……」
 そんな蒔の字を、由紀香はいつものようにあやす。
 それから、私たちに視線を向けて、


「鐘ちゃん。衛宮くん。
 今、私たちにできることは、何にもないみたいだけど。
 なにかあったら、いつでも言って?
 そのときは、何でもするから」

 ほにゃっと、いつもの暖かい微笑みを見せてくれる由紀香。
 その隣で、蒔の字も真っ赤な顔をして頭を掻いている。


「……ありがとな。蒔寺、三枝さん」
「…今は言えないが、事情を話せるときが来たら、きっと話す。
 それまで黙っている私たちを、許して欲しい」

 士郎といっしょに、二人に頭を下げる。
 正直、心が弱っていた時だけに、不覚にも涙が滲みそうになった。


「……だけど、鐘ちゃん」
「うん?」
 暖かいままの由紀香の声に、顔を上げる。

「いつの間にか、衛宮くんとお名前で呼び合うようになってたんだね」

「「………あ」」


 私たちは、二人揃ってバカみたいに口を開き、
 しばらくお互いを見つめあったあと、

「「………」」

 申し合わせたように、これ以上ないくらい真っ赤になった。





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 このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

   『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
     http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。

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[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (十二)
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/06/12 19:47



     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (十二)





 陸上部の練習が終わり、いつものように彼と二人、家路につく。
 今日は、昼休みの一件があったせいか、普段より少しだけ空気が軽い気がする。

 しかし、問題は何も解決していない。

 彼と、彼の《家族》との葛藤。
 そして、もっと根本的なこと。
 彼が言うところの、『俺の根っこに関わる』問題。


 二番目の問題については、おそらくすぐには解決しないだろう。
 何しろ、これに取り組もうと思ったら、衛宮士郎という存在のあり方にまで遡らなければならないのだ。

 とりあえず、と言うほど軽くはないが、最初の問題。
 しかし、これも彼によれば、
 『今、俺に出来ることは何もない』
 という。
 ならば、私に出来ることは、さらに無いのだろう。

 なのに、私は……


「士郎……
 君に、謝らなければならない」
「え?」
 不思議そうに、彼がこちらを見る。

「私は、この問題について問うことはしない、と約束した。
 それは、下世話な詮索はしない、と言うことでもある。
 しかし……」
 彼への申し訳なさに、言葉が詰まる。

「今朝、陸上部の二年生に聞いた。
 間桐桜嬢が、月曜日から休んでいるということを」
「……」


 彼の《家族》。

 藤村教諭は、少なくとも見た目は普段どおりに教壇に立っていた。
 遠坂嬢とは同級であるため、毎日顔を合わせてはいたが、特に変わった様子は見受けられなかった。
 ……もっとも、二人とも内心の動揺を表に出すほど、未熟ではないだろうが。

 イリヤ嬢に関しては調べようがないが、初めて会った時の印象から、彼女が原因とも考えにくい気がする。

 となると、残るは一人。
 ある意味、初めから分かっていたことを確認しただけのことだった。


「……知って、どうかしようと思った訳ではなかった。
 ただ、耐えられなかったんだ。
 君の言葉を信じて、黙って君の隣にいる。
 ただそれだけのことに、私は耐えられなかった。
 ほんの小さな事でも良いから、客観的な事実が欲しかった」

 そして、その《客観的な事実》を知った後に味わったのは、以前にも増した苦しみだった。
 自分が原因であるという答の再確認。
 彼を裏切ったという悔恨。

 浅はかな女の独りよがり。
 それを、彼はいったい……


「……ゴメンな」
 呟くように、彼が言った。

 ……え?

 なぜ、彼が、謝る?


「鐘、前に俺の家に来たとき、言ってたもんな。
 状況は、俺より把握してるって。
 いや、その前からずっと言ってた」

 それは……確かにそうだ。
 およそ、恋する者ならば一目で分かるであろう、間桐嬢の熱い視線。
 それに、まったく気付いていない彼に、苛立ちすら感じたものだが……。

「鐘は、その時から気付いてたんだよな。
 今なら、俺もそれが分かる。
 なら、全部は無理にしても、そのことだけでもお前に話せば良かったんだ。
 なのに、そんな簡単なことにも頭が回らないで、それで鐘に余計なことさせて、傷つけて……」


     また、君は。


「少しでも自分が関わってることについて知りたいのは、人として当然の事だ。
 なのに俺は、別のことばっかり考えて、鐘のことは……」


     そうやって、他人のことばかりを。


「確かに、桜の想いに二年も気付けなかった。
 骨身に染みたはずなのに、また、こうやって、鐘のことに気付くことができなかったなんて。
 なんで俺って、こんなに進歩が……」

 それ以上は聞けなかった。
 私は彼の言葉をふさぐため、鞄を放り捨て、士郎の胸に飛び込んでいた。


「……鐘?」
 彼が、呆然とした声を出す。
 だが、そんな声さえ、もう聞きたくない。

 私は、自分の口を彼の唇に、思いきり押し当てた。


 一年でもっとも夜が長い季節。
 街はすでに闇に覆われていた。
 人通りはほとんどなく、我々が立っている所には、街灯の明かりもうっすらとしか届かない。

 しかし、そんなことはどうでもよかった。
 誰に見られようと構わない。
 今は、この男の言葉を断ち切ることが、私にとって最も重要だった。


 長い間、押し当てていた唇を離す。
 そして、彼の胴に両手を回し、硬い肩甲骨に額を押しつけ、私は言葉を絞り出した。


「もう、いいから。士郎」


 士郎は無言で、私の為すがままになっている。


「自分のために、泣かないと」


 瞬間。
 彼の全身が、大きく震えた。

 全力で抱きしめているため、彼がどんな顔をしているのかは分からない。
 しかし、私の表情は自分で分かる。

 私はきっと、大泣きをしているような顔だったろう。
 しかし、涙は出ない。
 そんな段階は、もうとっくに通り越していた。


 彼は長い間、そのままの姿勢で立っていたが、

「……」

 やがて無言で、私の髪に顔を埋めてくれた。





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 このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

   『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
     http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

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[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (十三)
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/06/14 19:03



     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (十三)





 手をつないだまま、海浜公園に出る。
 あれから、彼も私も無言だった。

 私の思いは、彼に伝わっただろうか。
 いや、そもそも、何が私の思いなのか。

 自分でも自分の考えが分からない。
 しかし、つないだ手の温もりが、彼の気持ちを代弁してくれているように思えた。


 水銀灯の光りに照らされながら、プロムナードを歩く。
 いつもの道筋だ。
 そして、新都大橋の歩道に続く、登り口にさしかかろうとしたとき、
 彼が突然歩みを止めた。

「?」
 私も彼に倣い、その方向を見る。
 そこには。


 街灯の光が直接届かない薄暗がりに、
 紫の髪。臙脂のリボン。
 ピンクのカーディガンに、薄いコートを羽織った、

「桜……?」

 間桐桜嬢が、佇んでいた。



「……桜」

 士郎が、もう一度呟く。
 その一言には、ありとあらゆる感情が籠もっていた。

 私も、複雑な思いで、まだ薄暗がりにいる彼女を見つめる。

 自分のとった行動に、悔いは無い。
 私はどうしても、そうしなければならなかったのだから。
 しかしそれは、結果的にこの少女を傷つけたのだ。
 恋の倣いとは言え、そんな彼女を見るのは……


 だが。

 しずかに歩を進め、街灯の明かりの下に立った彼女の目を見たとたん、
 私のそんな感傷は吹っ飛んだ。

 思わず、士郎の手を握る掌に、力を込める。
 それは、おそらく《女》としての、本能的な行為だったろう。

「……?」
 彼が、不思議そうに私を見る。
 彼には、分からないのだろう。
 だが、ここにいるのは、恋に破れ、打ちひしがれた少女などではない。

 その瞳に宿るのは、決意。
 そして……


「すみません先輩。ちょっとお時間いただけますか?
 お話したいことがあるんですけど……」
 自分の前でも繋いだ手を離さない、そんな私たちに何を感じているのだろう。
 間桐嬢は、少なくとも表面上は穏やかな態度を崩さずに、そう言った。

「あ、ああ。
 もちろん、いいけど……」
 そう言った彼は、私の方を振り返る。

 確かに、これからの話は容易に想像が付く。
 仮にも恋人である、私の前で話すには、少々問題のある内容だろう。


 だから、ことさらに明るく言った。

「私は席を外そう。
 二人とも、積もる話もあるだろうしな。
 ここからなら、一人で帰っても問題無い。
 士郎、送ってくれてありがとう」
「え、鐘……?」

 訝しげな声を出す彼に笑いかけ、少々オーバーアクション気味に手を離す。

 もちろん、これはブラフだ。
 なぜなら……


「いえ、ご迷惑でなければ、氷室先輩もご一緒していただけないでしょうか?」

 彼女が、こう言うのは分かっていた。
 士郎と二人きりで話をしたいのならば、なにも今この時を選んで、待ち伏せをしなくても良いのだから。

「あ、いや…でも……」
 彼が、困惑したような顔で、私と彼女を交互に見つめる。

「私ならかまわないぞ、士郎。
 彼女は、私にも話があるようだしな」
「……いいのか、鐘?」

 ファーストネームで呼び合う私たちを前にしても、彼女の視線は揺るがない。


 そう。
 間桐嬢の瞳に宿るのは、決意。
 そして、挑戦。

 恋する女にとっては、もっとも馴染みのある光だった。


 彼女は静かに頭を下げると、私たちを先導するように、先に立って歩き始めた。

 なるほど、めったに人は通らないとは言え、ここは新都へと続く、一種の公道だ。
 こんな所で、これから始まるであろう微妙な話をするのは、うまくない。

 いくらも歩かず、間桐嬢が足を止めたのは、公園の少し奥まった場所だった。
 一応、歩道に面してはいるが、そこから半円形状に窪み、言わば簡易休憩所になっている。
 ベンチも一つ設置されていたが、もちろん誰も座らない。

 そこまで辿り着くと、彼女は静かにこちらを振り返った。
 そのまま、私たちを見つめる。


 私は、士郎から一歩後ろに下がり、二人を静観することにした。
 同席を促されたとは言え、今の時点では私は部外者に近い。
 まずは、彼ら同士で話し合うことが先決だろう。


 そして士郎と私は、間桐嬢が口を開くのを待った。





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 このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

   『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
     http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

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[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (十四)
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/06/16 18:38



     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (十四)





「……」
「………」

 話がある、と我々を誘った間桐桜嬢は、未だ口を開かない。
 士郎も、彼女の言葉をただ待っている。

 それも当然か。

 士郎は、間桐嬢に対し、負い目を抱いている。
 自分から話しかける資格など無いと、思い込んでいる。

 間桐嬢も、並々ならぬ決意であるとは言え、
 この場に立っているだけで、相当にエネルギーを消耗しているのだろう。

 しかし、このままではいつまで経っても話が進まない。


 仕方がない。
 塩を贈るか。

 とは言っても、私に出来ることは、きっかけの水を向けることだけ。

「間桐さん?」

 促すように、問いかける。
 さて、この一言が、私にとって吉と出るか凶と出るか。

 私の言葉に、間桐嬢は頷く。
 私に向けられた視線に、感謝の意が込められていたと見るのは、自惚れか。


「衛宮先輩。
 最初に、いろいろなことについて、お詫びします。

 今日、こんな所で待っていたこと。
 あの時、ひどいことを先輩に言ってしまったこと。
 あれから今まで、連絡もしなかったこと。

 本当に、すみませんでした」

 そう言って、彼女は深く頭を下げる。

 それに対し、士郎はただ、首を横に振るだけだった。
 まだ、自分は彼女に話しかけることは出来ない、と思っているのか。


「その上で、厚かましいことは分かってますけど、聞いてください。
 私、今から先輩にいくつかお願い事をします。
 叶えてくれ、なんて言いません。
 でも、最後まで聞いていていただけますか?」

「……分かった、桜」
 彼が、大きく頷く。
 この場所に来て、初めて発した彼の声は、この上なく誠実だった。

 間桐嬢は嬉しそうに微笑み、それから大きく深呼吸した。
 両掌を組み、胸に当てる。


「じゃあ、ひとつ目のお願いです。
 氷室先輩と別れて、私とお付き合いしていただけませんか?」


 ……これはまた……

 願い、と言うには、あまりに直球過ぎる物言いだ。
 しかも、当の私を目の前にして。

 二年間培ってきた、彼への信頼に寄るものなのか。
 それとも、玉砕覚悟の体当たりか。

 ……いや、違う。
 彼女の目の光は……


「それはできない、桜」

 間桐嬢の願いが直球なら、士郎の答も迷い無きフルスイングだった。


「あれから、俺もずっと考えてた。
 《家族》なんて言葉で、お前をずっと閉じこめてたけど、
 俺にとってお前は、きっとそれ以上の存在だったんだと思う」
 間桐嬢の目をじっと見つめながら、士郎は続ける。

「でも、今俺が愛しているのは、鐘だ。
 氷室鐘が、俺にとって、一番大切な存在なんだ。
 桜、たとえお前であっても、この気持ちに嘘はつけない」


 ……喜びが、湧き起こってくる。

 二人きりのとき、『好きだ』とは何回か聞いたが、第三者の前で、きっぱり言ってくれたのは初めてだ。
 それも、私にとって恋敵である女性の前で。

 浅ましい女と言われようが、この喜びを消すことは出来なかった。


 しかし、彼は辛そうに顔を歪めている。
 当然だ。
 自分が大切にしている人の気持ちを、否定したのだから。
 彼らしい苦悩だが、それは……


「はい、わかりました」

 満面の笑みを浮かべた、間桐嬢の顔によって、かき消された。


「……桜?」

 あっけにとられる士郎。
 まあ、普通の反応だろうが、一歩後ろで双方の姿を見ていた私には分かる。

 あの願い事を口にしたとき、間桐嬢の目に期待の色は無かった。
 いや、あるいは多少は滲んでいたのかもしれないが、それよりも遙かに光るものがあった。

 それは、あえて言葉に直せば《決着》。
 今までの自分の想い、自分の立場、自分そのものに対する、区切りと言うべきもの。
 言わば道程標(マイルストーン)を設置し、新たな一歩を踏み出すための行い。


「今、先輩の恋人になることはあきらめます。
 氷室先輩といっしょにいる先輩を見てて、私の入り込む隙間なんて無いって、分かってましたし」
「……」

 目を白黒させながら、頭を掻く士郎。
 今まで、死にそうなほどに悩んだ分だけ、ギャップも大きいのだろう。

 しかし、その驚き故に、言葉の裏に隠された意味には気付かないようだ。
 いや、それは普段の彼であっても同じことか。


 ……《今》は、あきらめます、と来たか。


 ふと思ったのだが。
 彼女と私は、案外似ているのではないだろうか。

 物事を深く考えすぎる点。
 思考ばかりで、なかなか行動に移さない点。
 一度行動に移すと、徹底的に突っ走る点。
 策謀を巡らしながらも、行動は意外に単純、という点でも同じだ。

 ちなみに、極秘に入手した情報によると、スリーサイズも私と近似値であるという。
 ……どちらが勝っているか、士郎の前では言わないが。


「じゃあ、ひとつ目はこれでお終いです。
 二つ目のお願い、よろしいですか?」

 明るく笑っていた間桐嬢の顔が、表情はそのまま、目の光だけ真剣さを帯びる。
 士郎も私も、改めて背筋を伸ばした。





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 このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

   『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
     http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。

 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、
 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、
 その文責はすべて中村にあります。





[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (十五)
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/06/18 19:18



     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (十五)





「先輩……
 私を、もう一度先輩の《家族》にしてください」

 間桐嬢の、二つ目の願いは、これだった。


「あのとき……私、すごく混乱してて……
 心にも無いこと言っちゃって……
 すごく後悔したんです。藤村先生のお宅で」

 少し俯きながら、彼女は言葉をつなぐ。

 『あのとき』とは、士郎の家で何かがあった、日曜の夜のことを指すのだろう。
 士郎も、その時のことを思い出しているのか。
 真剣な眼差しで、彼女の言葉を聞いている。

「……でも、あのときの私の言葉どおりでもあるんです。
 今、私には、本来の意味での家族はいません。
 でも、だからこそ……
 先輩といっしょにいられた二年間が、
 先輩が私のこと《家族》って呼んでくれた、その言葉が、
 私を支えてくれてたって、やっと気付いたんです」

 ……間桐桜嬢の兄である間桐慎二は、半年前から行方不明だ。
 他に、彼女に肉親があるという話も聞かない。
 彼女の言葉には、事情をよく知らない私にも感じる重みがあった。


「あのとき、遠坂先輩に言われたことについても、この五日間、ずっと考えてました。
 私、先輩に……
 《家族》っていう言葉に甘えて、
 ずっとぬるま湯に浸かってたんですね。
 今なら分かります」

 『ぬるま湯』という言葉に、士郎は肩をピクリと震わせた。

「それで……それでも、思ったんです。
 そんな、なし崩しな関係じゃなくて、自分の意思で……
 私が私であるために、改めて、先輩の家族になりたい、って。
 だから……」

 そして、間桐嬢は、深く頭を下げる。

「厚かましいことは承知してます。
 今さら、こんなこと言える出来る義理じゃないことも、分かってます。
 でも、お願いです。
 私を、もう一度《家族》にしてください。

 私のこと……そう、呼んでください」


 頭を下げた姿勢のまま、彼女は動かない。
 そのまま、どれほど時が過ぎたのか。
 それとも、何秒も経っていなかったのか。


「桜、それって、お願いすることじゃないぞ」


 クスリ、という笑い声に、間桐嬢は顔を上げた。
 私も振り返ると、そこには、困ったような、やさしく包み込むような、士郎の笑顔があった。

「してくれ、も何も、桜は最初から俺の家族だ。
 この間も言ったろう?
 少なくとも、俺はずっとそう思ってきたし、今もそうだ。
 桜も、そう思ってくれてるんなら、別になんの問題も無いじゃないか」

「先輩……」
 彼の暖かさに直に触れたかのように、間桐嬢が目を潤ませる。
 そんな彼女に、士郎は改めて向き直り、


「それに、お願いするのはこっちの方だ。
 俺も桜のこと、遠坂やイリヤに言われたことをずっと考えてた。
 確かに、俺は《家族》っていう言葉で、桜を縛りすぎてたんだと思う」

 彼の言葉には、微かに苦渋が滲み出ている。

「そう考えた上で、改めて思う。
 桜は、俺の家族なんだって。
 俺が大事にしなきゃいけなくて、俺を大事に思ってくれる、大切な人なんだって。

 だから、俺の方から頼む。
 桜。
 これからもずっと、俺の《家族》でいてくれ」

 今度は、士郎の方が真摯に頭を下げる。

「せ、先輩、やめてください、そんな……」
 あわてて手を振る間桐嬢。
 彼女は、しばらくおろおろと視線をさまよわせていたが、


「……分かりました。
 先輩が、そう言ってくださるんなら、確かに『お願い』することじゃないですよね。
 私、これからもずっと先輩の《家族》でいます。
 いやだ、って言っても、もう聞きませんよ?」

 深呼吸を一つすると、彼女は、それこそ桜の花のように笑った。

 その笑顔は、悔しいが同性の私から見ても、惚れ惚れするほど美しかった。


「誰もそんなこと言わないし、言わさないよ。
 これからもよろしくな、桜」

 それに答える彼の笑顔も、清々しく、あたたかだった。


「じゃあ、その家族の権限として、三つ目のお願いをしちゃいます。
 私、今日までは藤村先生のお宅に泊まりますけど、
 明日は朝一番で先輩の家に帰りますから。
 明日の朝食は、私に作らせてください」

「え?
 だって、明日の当番は俺だぞ?」

「いえ、五日間も留守にしてて、当番も放っぽってたんですから。
 お詫びの意味も含めて、私が作ります」

「そんなこと言ったって、この五日間、誰も来なかったから、料理もほとんどしてないし……
 だいたい、冷蔵庫にもろくな材料残ってないぞ?」

「あ、それなら大丈夫です。
 私、これからお買い物してから帰りますから。
 藤村先生のお宅に置かせてもらって、明日の朝、荷物といっしょに持ってきます。
 先生やイリヤさんも来るでしょうし、遠坂先輩にも連絡して、久々にみんなで食べましょうよ」

「なら、余計に大変じゃないか。桜一人には任せられない。
 よし、折衷案だ。
 明日は二人で作ろう。
 この間みたいに、抜け駆けはするなよ?」

「望むところです。
 先輩こそ、いつものように、土蔵で寝過ごしたりしないでくださいね?」


 絶妙の呼吸で、話を進めていく二人。

 ……そろそろ、限界だ。



「話がまとまって、良かった。
 二人の仲も修復したようで、目出度しめでたし、だな」


     パンパンパン


 と拍手をしながら士郎の隣に立ち、腕を彼の左腕に絡める。
 さりげなく、胸を押しつけることも忘れない。

 ついでに、彼の左手の甲を、思いきりつねってやった。

「いっっ!!
 か、鐘!?」

 驚き、慌てたように、私を見る士郎。


 だが。

 たとえ、《家族》で《妹》であるとは言え、
 ここまで息の合ったイチャイチャ振りを、延々と見せつけられて来たんだ。

 《恋人》として、これくらいの悋気は当然だろう?衛宮士郎。


「で、間桐さん。
 君の『お願い』も、もう終わりかな?」

 そろそろ、こっちの身が持たないんだが、というニュアンスを、言外に含ませる。

 少し寂しげながらも、口に手を当てて笑いを堪えていた間桐嬢は、私の言葉に、


「氷室先輩。ずっとわがまま言って、申し訳ありません。
 あとひとつだけ、よろしいですか?」

 そして彼女は、改めて私たち二人に向き直った。





    ----------------------------------------------------------



 このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

   『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
     http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。

 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、
 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、
 その文責はすべて中村にあります。





[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (十六)
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/06/20 18:43



     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (十六)





『あとひとつだけ、よろしいですか?』

 と言う、間桐桜嬢の真摯な表情に、私は士郎の腕に絡めていた手をほどいた。
 だが、先ほどのように後ろに下がったりはしない。

 何も、所有権を主張しているわけではない。
 今までの『お願い』と違い、これは私も正面から聞くべきことだと判断したからだ。


 間桐嬢は、最初の願いのときと同じように、胸の前で掌を組み、大きく深呼吸する。
 そして、


「先輩。
 好きです。」


 あらゆる感情を込めた目で、そう告げた。


「初めて会ったときから…
 初めて私の作ったおにぎりを食べてくれたときから、ずっと好きでした。
 あれから二年間、先輩だけを見て過ごしてきました」

 間桐嬢は、胸の前で組んだ掌を きゅっ と握りしめる。

「けど、それは許されないことなんだって、いつも自分に言い聞かせてました。
 私なんかが、先輩を好きになっちゃいけない。
 こんな私が、先輩の隣にいる資格なんか無いって。
 ただ、そばにいられて、ときどき微笑んでくれるだけで、分不相応なほど幸せなんだから、って……」

 士郎が、思わず何か叫びそうになり、 ぐっ と飲み込む。
 そう。
 まだ、彼女の話は続いている。


「でも……
 セイバーさんとのことがあって、氷室先輩とのことがあって、
 イリヤさんや遠坂先輩に言われたことを、ずっと考えて……
 それで、気付いたんです。
 『資格』なんかで諦められるのなら、こんなに苦しまない、って」

 そう言って彼女は、もう一度、彼を《あの眼差し》で見つめた。


「先輩、好きです。
 二年間も黙っていられた自分が、馬鹿に思えるほど。

 先輩が一番好きなのは、氷室先輩だって分かってます。
 でも……」

 おそらく、無意識なのだろう。
 彼女は、士郎に向けて、一歩、歩を進めた。


「先輩のこと、好きでいさせてください。
 お付き合いしてください、なんて言いません。

 二年間、先輩のことを好きでいた私が、先輩が知っている私でした。
 だから……
 私が、これからも私のままでいられるように……

 ずっと、先輩のこと、好きでいさせてください」


 打算も思惑も、微塵も感じられない、
 正真正銘の、真心の発意。

 間桐桜の愛情は、私にすらストレートに響いた。


 そして、それに対し士郎が何か言う前に、


「これは、お返事していただかなくていいお願いです。
 私が勝手に決めて、勝手に思ってるだけですから。
 つまり、何が言いたいかっていうと……

 今までどおり、よろしくお願いします」


 場の雰囲気を暗くしないためだろう。
 彼女はまた、桜花のように微笑み、ぺこりと頭を下げた。


 そんな彼女の振る舞いに、
 士郎は、眼差しのみで答えた。

 首を縦に振ることも、横に振ることもしない。

 彼女が言うとおり、返事をして良い願い事ではない。


 ただ、受けとめる、と。
 彼女の想いを、
 覚悟を、
 ありのままに受け入れ、背負ってゆく、と。

 その眼差しは、告げていた。


 間桐嬢にも、その誠実は充分に届いたのだろう。
 瞳を潤ませ、もう一度、組んだ掌を自分の胸に押しつけた。


 ……全く。

 胸に感じる嫉妬すらも清々しいとは、この二人はどういう関係なのだろう。

 本当の《家族》でも、これほどの絆はあるまい。
 いや、たとえ《恋人》であっても、私はこの領域まで近づけるのだろうか。

 そんなことを思ってしまうほど、彼女と彼の間にある信頼はうらやましく、
 微笑ましかった。



 とにかく、これで士郎を苦しめていた問題の《一端》は、解決したと見て良い。
 彼も、この五日間のようには、悩まなくとも済むようになるだろう。

 だが。
 その他の、いや、彼の根本に関わる問題は、一朝一夕で答の出るものではない。

 それは、ひょっとしたら彼自身が、一生をかけて突き詰めていく問題。

 その道程を思うと、私ですら目眩を憶えるが。
 今度の出来事は、きっと彼にとってプラスに働いてくれるだろう。


 ……そう。
 今度のことは、私にとっても、私と彼の関係にとっても、プラスになったと思う。

 何よりも、彼のことをより知ることが出来た。

 彼が持つ歪みを、悩みを、私自身の体に刻みつけることが出来た。
 そして、それに対して私が何をすれば良いのか、考える機会を与えてくれた。

 その答は、彼同様、すぐに出るものではないけれど。
 答を追い求めなければならない、と教えてくれただけで、私にとっては、本当に感謝すべきことだったのだ。


 彼のために、考えることが出来るのだから。
 それがすなわち、私のことを考えることになるのだから。

 彼といっしょに歩める道を、探せるのだから。



 私は、妬心を抱きつつも、ある意味、惚れ惚れと二人の絆を見つめていた。





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 このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

   『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
     http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。

 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、
 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、
 その文責はすべて中村にあります。





[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (十七)
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/06/22 20:48



     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (十七)





「これで、私のお願いはおしまいです。
 長々と聞いてくださって、ほんとにありがとうございました」

 間桐嬢がもう一度、ぺこりとおじぎをする。
 想いのたけは全部伝えた、という満足感からだろう。
 その笑顔は清々しかった。


「ああ。
 じゃ、えっと、帰るか。
 もうすっかり暗くなって…、と……」

 歩き出そうとした士郎が、ふと足を止めた。
 私の顔を見、間桐嬢の顔を見て、それから腕を組んで、なにやら考え出す。
 視線は時折、新都の方向や、深山町の方角を向く。

 いったい何を……
 ああ、なるほど。


 要するに彼は、私と間桐嬢を、どうやって送っていこうかで悩んでいるのだ。

 もともと彼は、私を送るためにここまで来た。
 しかし、この新都公園からなら、私の家は橋を渡って程近い。

 対して、間桐嬢が現在住んでいるのは、藤村教諭の自宅。
 ここからだと少々距離がある。
 だが、歩いて帰れないことはないし、バスに乗っても良い。

 だいたい、暗くなっているとは言え、陽の一番短い時期のことだ。
 いくら私たちが女性であっても、送ってもらうような時刻でもない。


 しかし彼には
 『暗くなったら女性は自宅まで送り届けなければならない』
 という信念があるらしい。

 過保護の父親でもあるまいに、と呆れるが、
 同時にそんな彼を微笑ましく思うし、その気持ちを嬉しくも感じる。


 だが、彼の信念に従うとするなら、確かにこれは難題だ。

 私を、当初の予定どおり送っていくか。
 そうなると、せっかく仲直りしたばかりの間桐嬢を一人で帰すことになる。

 では、《家族》の方を送るか。
 それでは、ここまで送って来た《恋人》に対し、義理も人情も欠いてしまうだろう。


『三人で新都へ行き、私を送り届けた後に、間桐嬢を深山町まで送る』

 という案も、無いではないが、
 それこそ机上の空論だ。

 たった今この場で『好きです』宣言をした女性を、恋人との道中に同行させる。

 いくら彼でも、そんな好んで血を見るような選択をするはずが……


「……あのさ、鐘…?」
 士郎が、実に言いにくそうに頭を掻きながら、私を上目づかいに見る。


 …………前言撤回。

 彼は正に、今、私が否定したそのとおりの案を思いついたようだ。

 全く。
 彼は、この五日間の経験で、本当に学習したのだろうか?
 いや、一応は済まなそうに、私にお伺いをたててくる辺り、成長したと言えなくもないのかもしれないが。


 間桐嬢は、今にも私を拝みそうな士郎と、額に掌を当ててうつむく私を交互に見比べ、くすくす笑っていたが、

「氷室先輩。
 申し訳ありませんが、このあとお時間ありますか?
 二人きりで、お話をしたいんですけれど」

 そんな言葉で、士郎の悩みを解消した。


「え、桜……?」

 驚きの声は、士郎から。
 私は、

(やはり……)

 と、内心で深く頷いていた。


 間桐嬢が、今この場にいるのは、過去の自分と区切りをつけ、未来に向かって改めて歩き出すためだ。

 衛宮士郎に関しては、その区切りはついた。
 残るは、私という存在。

 五日前。士郎の部屋の前で、彼女は逃げるように立ち去った。
 以来、全く接点の無かった私に対しても、新たな一歩を踏み出さなければ、間桐桜の目的は達せられない。


「いいとも。
 私も、間桐さんと少し話をしたかったところだ。
 喜んでおつきあいしよう」

 だから私も、笑みを浮かべて答えた。

 私にとっても、これは避けて通れない道だ。
 彼女の方から切り出してくれたのは、正直言ってありがたい。


「ありがとうございます、氷室先輩。
 そんなわけですから先輩、すみませんけれど、先に帰ってていただけます?」
 間桐嬢が、にっこり笑って士郎に告げる。

「あ……、いや、でも…。
 あ、なんなら俺、話が終わるまで、あっちで待ってようか?」
 狼狽する士郎。


 それはそうだろう。
 恋敵同士である、自分の《恋人》と《家族》が、この暗い中、二人きりで話をしようと言うのだ。
 間に立つ男性として、これほど気がかりなシチュエーションは無い。

 しかし。

「いえ、ちょっと長くなるかもしれませんし、氷室先輩とゆっくりお話したいんです。
 本当に、申し訳ないですけど……」

 言葉は丁寧だが、

『アンタがそばにいると、落ち着いて話せないのよ』

 という意味だ。


「うーん……
 でも、ここは暗いし人通りも無いし。
 それに、鐘と桜を、一人で帰らすのはなあ……」

 送るのにかこつけて、あくまで私たちを二人きりにさせまいとする士郎。
 ……いや、ひょっとして彼のことだから、純粋にそっちの方を心配しているのか?


 何にせよ、このままでは埒が明かない。
 なので、私が助け船を出す。

「ならば、大橋のたもとのバス停で話そう。
 あそこなら、車通りも多いから、変な輩も現れないだろうし、
 話が終われば、私たちはそれぞれのバスに乗って帰れば良い」

「あ、それいいですね。
 先輩、それなら心配じゃないでしょう?」
 私の提案に、間桐嬢が即座に乗る。

 それで、士郎には表だって反対する理由が無くなった。


 しぶしぶ頷いた彼は、私たちをバス停まで送ってくれた。

「いいか、話が終わったら、寄り道したりしないで真っ直ぐ帰るんだぞ。
 それと、何かあったらすぐに連絡しろ。飛んでくるから。
 分かったな?」

「まったく君は。
 実の父でも、それほど過保護ではないぞ?」
 呆れる私の横で、間桐嬢も口に手を当てて笑っている。
 だいたい、『連絡しろ』と言ったって、君は携帯電話も持っていないじゃないか。


 彼は、なおも未練がましそうに何度も振り返りながら、もと来た道を帰ってゆく。
 そんな彼を、手を振って見送った私たちは、
 彼の姿が見えなくなると、同時に視線を合わせた。


「ここでは話しづらいな。少し動こうか」
「……そうですね」

 終点に近いとは言え、バス停だ。いつ誰が来ないとも限らない。
 そんな所で、これから始まる話をするのはうまくない。

 私は先に立って、歩道を新都の方向に向かって歩いた。
 あとから間桐嬢が付いてきているのは、気配で分かる。


 バス停から50メートルほど歩いたところで、私は振り返った。
 そこは、街路樹の茂り具合で、周りからの視線を遮ってくれている。

 間桐嬢も、歩みを止める。
 私との距離、2メートル弱。
 このような話をするには、ちょうど良い距離だ。


 まだ宵の口の幹線道路。
 車はひっきりなしに大橋を渡ってゆく。

 向かってくる車のヘッドライトのせいで、間桐嬢の顔は影になって見えづらい。
 向こうから見れば、私の顔は始終光に照らされ、眼鏡が光って見えていることだろう。


 光と影の合間を縫って、彼女が微笑んでいるのが分かる。

 私も彼女に倣い、決意と挑戦を込めた微笑を浮かべた。





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 このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

   『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
     http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。

 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、
 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、
 その文責はすべて中村にあります。





[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (十八)
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/06/24 18:38

     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (十八)





 車道を、数え切れないほどの車が通りすぎてゆく。
 彼女と対峙して、どのくらい時が経っただろう。

 彼女は、言葉を発さない。
 もちろん、私から話しかけたりもしない。


 『人生、先出し』
 を座右の銘にしている女傑もいるそうだが、
 その伝で行けば、私は圧倒的に『後出し』派だ。

 まず、受ける。
 相手の手、呼吸を把握し、そこから己の動きを作ってゆく。
 どのような《闘い》も、私はそうして潜りぬけてきた。

 ……それを思えば、自分から衛宮士郎にアプローチし続けたあの一件は、
 我が生涯における唯一の例外であるのだろう。


 彼女、間桐桜も、『先出し』派には見えない。
 思えば、先ほどの士郎との問答も、私と彼の交際に対する、彼女なりの返答とも言える。

 多分に推測が入るが、私に会見を求めたこの行動は、
 ひょっとして彼女にとって初めての能動的行為だったのではないか。


 その、もしかしたら初めての『先出し』を行った彼女は、微笑んだままこちらを見つめている。
 こちらの《先手》を促すように。

 もちろん、それに乗る義理は無い。
 会見を求めたのは彼女だ。
 ならば、彼女から話を切り出す義務があるのが道理。


 根比べにしびれを切らしたのか。
 いや、おそらく予定の範囲内だったのだろう。


「……私、負けませんから」


 間桐嬢は、確定事実を告げるような声音で、呟いた。


 ……先ほど、

『彼女と私は、案外似ているのではないだろうか』

 という感想を、ふと抱いたが、
 改めて考えてみると、それは半分は合っていて、半分は間違っている、と言うべきだろう。

 思索や行動パターンは、似てはいる。
 しかし、私が意識的に思考を練り上げ、策を構築してゆくのに対し
 彼女は半ば無意識にそれを行っているように見える。

 それは、《直感》や《思いつき》などとは違う。
 要するに、答に辿り着くまでの道程を、自分で意識しているかしていないか、の違いだ。
 どちらが良い、悪い、ではない。
 もはやそれは個性の問題に属するだろう。


 とにかく彼女は、絶妙の間で、絶妙にストレートな先手を打ってきた。

『私、負けませんから』

 ジャブとしては完璧だ。
 間合いを正確に測ることが出来、貫通力もある。
 おそらく、私が彼女でも、同じ間で同じ語を発するだろう。


 士郎なら、それに対し、素直に直球で返すのだろうが、私としてはそれでは面白味に欠ける。
 なので、少しひねりを加えてみた。

「ふむ…。
 何に対して『負けない』と言うのかは、問うだけ野暮だが……
 私の想像どおりだとすると、間桐さん、その物言いは、的がずれていないかね?」

「?」
 小首を傾げる、間桐嬢。
 会話をスムーズに運ぶための、ワンアクションだ。

「君が、士郎との交際について言っているのなら、彼の現在の恋人は、私だ。
 彼も、先ほど言っていただろう?
 『氷室鐘が、俺にとって、一番大切な存在なんだ』
 と。
 ならば、君の言う《勝負》は、すでに着いているのではないかな?」

 ジャブに対し、少し強めのジャブを返す。
 タイミングが良ければ、カウンターにはなり得る。

 実際、言葉どおりに私がそう信じているわけでは、もちろん無い。
 特に先ほど、《家族》としての二人の絆を見せられた今となっては。


 その言葉に対し、間桐嬢は素直に頷いた。

「そうですね。
 ちょっと、言葉が足りませんでした。
 ですから、言い直します。

 氷室先輩、
 次は、負けません」


 私の言葉に全く動揺せずに、彼女は言葉を繋ぐ。

「確かに先ほど、あの人は言ってました。
 氷室先輩が、一番大切だ、って。
 でも、こうも言ってましたよね。

 『《今》、俺が愛しているのは、鐘だ』
 って」

 ……士郎の言質を武器にした私に対し、同じ武器で返してくる。
 本当にこの少女は、相手として歯応えがある。


「氷室先輩もご存じでしょうけれど、衛宮先輩には以前、好きな人がいました。
 私は、その人とほんの少ししか、会ったことはないけれど……
 お二人が、本当に信頼し合い、心をゆだね合っているのが、見ていて、痛いほど分かりました」

「……」

「その人は、半月も経たずに先輩の元からいなくなってしまった。
 どんな理由があったのか……私には分かりません。
 でも、先輩はあの人を愛していた。
 心から、愛していた。
 それだけは、私にも分かります」

「……」

「それが、今年の冬。
 そして、半年経って、衛宮先輩はあなたを愛し、付き合い始めた。
 なら……

 同じことが起こる、と期待するのは、おかしなことでしょうか?」


 ……士郎が、かつて愛したという女性のことは、士郎自身から聞いている。
 確か、名を《セイバー》と言ったか。

 もっとも、きちんと経緯を説明してもらったわけではない。
 だが、言葉の端々からも、その女性に対する彼の想いは伝わってきた。

 それほど愛した女性と別れ、それから半年で私と付き合うようになった。
 ならば……


「……間桐さん」
 私は、知らず諭すような口調になっていた。

「気持ちは痛いほど分かるが、それはいささか不用意な発言だ。
 それでは、結果的に彼を侮辱することになってしまう」

「……」

 自分でも分かっていたのだろう。
 間桐嬢は、申し訳なさそうに俯いた。

「彼がどれほど誠実な人間かは、むしろ付き合いの長い君の方がよく知っているだろう。
 彼は以前、その人について言っていたよ。
 『忘れたって意味じゃなくて、綺麗に別れたからな』
 と。
 本当に自然な、穏やかな笑顔だった」

 初めて彼と昼食を共にしたときの、あの屋上を思い出す。

「彼がそう言うのなら、その言葉のとおり、その人とは未練無く別れたのだろう。
 それについては、たとえ私たちでも口出しをして良いことじゃない」

「……すみません」
 彼女は、しょんぼりと俯く。
 そのまま、先ほどまでの強気が嘘のように、押し黙ってしまった。


 ……こういうところも、彼女と私の違う所だ。
 私ならば、反省は反省として、勝負は続行するだろう。
 もっともこれは、性格の違いと言うよりは、人付きあいの場数の差、
 もっと言えば、生い立ちも含めた生活環境による違いだろう。

 とにかく、対戦相手がオウンゴールで自滅しては、勝ちにはなるが決着にはならない。
 なので、私は話を元に戻した。


「それに、その『セイバー』さんと私を比べるのは、筋違いだぞ?
 その人と士郎は、愛し合い、そして未練も無く別れた。

 しかし私は、彼と別れる気など毛頭無い。
 士郎と私が、未練無く終わるときがあるとしたら、ただ一つ。
 終生添い遂げ、死が二人を分かつときだけだ」


 そう。
 それは、ブラフも間の取り合いもない、掛け値無しの私の本音。


 初めてのデートのとき、私は彼に言った。

『少なくとも私は、その、なんだ。付き合ったからには、添い遂げたいと思う』

 そのデートの最後。
 私は、この新都大橋の川を挟んだ反対側で、彼に抱きしめられ

『氷室、好きだ』

 と言われた。

 そして私たちは《エンゲージ》を交わし、付き合い始めた。

 同時に、彼に抱かれながら、私は思ったのだ。
 昼間の言葉を、願望にはしない。

 『終生、この男と添い遂げてみせる』

 と。


 それは、彼にも話したことの無い、私だけの《エンゲージ》。

 《誓い》と《願い》の区別も分からぬ、子どものたわごと、
 と、笑わば笑え。

 その《エンゲージ》は、彼のことを知るにつれ、強固になりこそすれ、衰えなど微塵も無い。
 それはすでに、私自身の一部分となっているのだ。


 私の喝が功を奏したのか、俯いていた間桐嬢に、目の光が戻った。
 私に一礼したのは、感謝の表れか。

「……そうですね。
 なら私も、ずっと思ってたことを、今ここで、言葉にして誓います。

 衛宮先輩と、ずっといっしょにいます。
 ずっとずっと、そばを離れません」

 そして彼女は、にっこりと笑った。


「……こう言える勇気をくださったのは、氷室先輩です。
 前に、遠坂先輩に言われたんです。

 『現に、氷室さんは気付かせた。
 この馬鹿に気付かせるくらいですもの。きっと、10回は死ねるくらいの勇気を振り絞ったんでしょうね』
 って。

 衛宮先輩を意識して一ヶ月足らずの氷室先輩が、そこまで勇気を出したんですもの。
 私が出せない言い訳なんて、ありませんよね」


 ……やれやれ。
 遠坂嬢も余計なことを。

 今振り返ってみれば、確かにあの時は、それくらいの勇気を振り絞った気もするが。
 正直、自分が何をしているのか分からなかった、と言う方が正しい。

 ともあれ、結果的に私の行為は、最強のライバルを私自身が育ててしまったことになるのか。


『因果』

 とは古い言葉だが、実にうまいことを言ったものだと思う。
 一つの行為がひとつの原因となり、それによって生まれた結果が、また一つの原因となる。

 だから人生面白い、
 と、達観できるほど老成はしていないつもりだが。


 とにかく、
 ライバルの復活を前に、私の心は何故か爽快感に満ちていた。

 目の前の彼女の心も、おそらく同じだろう。



 私たちは、流れる車のヘッドライトに照らされながら、
 笑みを浮かべつつ、いつまでも見つめあっていた。





     ―――――――――――――――――――



   【筆者より】


 Nubewo様お休みの間、

『士郎くんと鐘ちゃんのイチャイチャが書きたかったから』

という理由で始めたこの企画。

 気付けば筆者もビックリの、どろどろの愛憎劇になっていました。
 何故だ。

 とにかく、この回で一応、区切りがつきました。
 次回から、今度こそイチャイチャを、《イチャイチャ》を!!
 書きたいと思っております。

 そんなわけで、(多分に筆任せの感はありますが)
 もうしばらくは続く予定ですので、
 お付き合いの程、よろしくお願いします。



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 このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

   『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
     http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。

 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、
 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、
 その文責はすべて中村にあります。





[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (二ノ一)
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/07/03 15:45



     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (二ノ一)





「そう言えば、以前に尋ねかけたままだったのだが……」
 私は、隣を歩く士郎を見た。

「君の一番の記録は、いくつだったんだ?」
「へ?」

 間の抜けた声を出して、士郎が振り返る。
 まあ、突然こんな問いをされれば、当然か。



 いつもどおりの帰り道。
 彼は相変わらず、バイトも無いというのに部活動終了まで私を待ってくれていた。
 とても嬉しいが、同時に申し訳なくも思う。
 何度かそう言ったのだが、彼は

「そんなに済まなそうな顔をされると、こっちが困る。
 俺は、鐘といっしょに帰りたいから、待ってるだけなんだからさ」

 いつもこう言って、変わらぬ笑顔を見せるのだ。
 それが、こちらへの気遣いでなく、本気で言っているのが分かる。
 だからこそ、余計に申し訳なく、しかし、無性に嬉しかった。

 しかし、その申し訳なさも、あと数日で終わる。
 その事実は、ほっとするような、少し残念なような、複雑な感慨を抱かせた。


「……しかし、士郎。
 待ってもらっている私が言えることではないが、いくらなんでも、今日のアレは無いだろう。
 せめて、前もって言っておいてくれれば……」

 私は少し恨めしそうに、彼を見る。
 頬が熱くなっているのも、自覚できる。

 その士郎は、頭を掻きながら、こちらに済まなそうな目を向ける。

「いや、ゴメン。
 ちょうど、生徒会の手伝いも無かったし、いっぺん近くで見てみたいと思ってたんだよ。
 まさか、鐘があんなに動揺するとはなあ……」


 そう。
 今日、彼はどんな気まぐれか、校庭の隅に立ちながら、陸上部の、
 いや、私の練習風景を、じっと見ていたのだ。

 目立たぬ所に立っていたから、最初は私も気付かなかった。
 私が気付いたのは彼ではなく、下級生からの視線と、ひそひそ声だ。

 こちらと、校庭の一角を見比べるような目。
 それと、


(……あれが…)
(……氷室先輩も)
(へえ、意外と……)


 という、切れ切れに耳に入ってくる言葉。

 集中できないだろう、と下級生を一喝しようとして、
 その視線を手繰り、やっと彼に気付いた。


「………」
 絶句する私と、

「―――」
 無言で手を振る士郎。


     きゃー


という抑えた悲鳴が、下級生から上がる。

 その下級生たちの動揺は、蒔寺と由紀香が治めてくれたが、
 私の動揺は、誰も治めてくれなかった。


 気付いたのが、部活動も終了間際の頃だったから良かったものの、もし初めから分かっていたら、今日一日、練習にならなかっただろう。

 なにしろ、ハイジャンプの最後の一本など、盛大にバーを蹴飛ばしてしまい、

「4メートル72」

 蒔の字に、バーが飛んだ距離を正確に測られてしまったくらいだ。


「だから、ほんとに悪かったって。
 いつも、備品を修理したりしながら、校舎の中から見たりはしてたんだけどさ。
 鐘の練習してる姿を見られるのも、あと少しだろ?
 だから、つい、な」

 ……まあ、彼の言うとおりではある。
 12月に行われる、今シーズン最後の陸上競技会は、六日後に迫っている。
 私たち三年生にとっては、最後の大会だ。

 いや。

 本来ならば、三年生は夏の大会で引退しているのが普通なのだ。
 現に、穂群原の陸上部でこの競技会に出場する三年は、私と蒔寺だけだ。
 依然マネージャーとして現役の、由紀香を加えれば三人か。

 ふとした偶然で始めた陸上競技ではあるが、三年間、それなりに全力を尽くした、という自負はある。
 その最後を締めくくる大会だ。
 自ずと、気合いも入る。


「その、最後の調整を、俺が乱しちまったんだからな。
 ほんと、ゴメンな」

 ……そんなにも真摯に頭を下げられては、こちらもこう言うしか無いではないか。

「……そこまで気にしなくてもいい。
 大会まであと六日、とっくにクールダウンの時期だ。
 むしろ、無用の緊張がほぐれた、とも言える」

 ますます頬が熱くなるのを自覚しながら、私は続ける。


「それに……
 正直、嬉しくもあった。
 誰かに見守られつつ、何かを行うというのは……わ、悪く、ない……」

 ……しばらく、無言で俯きながら、坂を下る。
 横目で ちらり、 と彼を見ると、

「……」

 彼も、顔を赤くしながら、頬を掻いていた。


「そ、それでだ、士郎」
「あ、ああ。なんだ?」

 空気を変えるため、ムリヤリに話題を移す私に、士郎も即反応する。

「先ほども言いかけたが……
 君の最高記録は、いくつだったんだ?」
「へ?」

 さっきと変わらず、間の抜けた声を出す士郎。


 やれやれ。
 これでやっと、始めに戻ったわけだ。





    ----------------------------------------------------------



 このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

   『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
     http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。

 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、
 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、
 その文責はすべて中村にあります。





[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (二ノ二)
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/07/05 21:14


     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (二ノ二)





「以前、帰り道に尋ねたことがあったろう?
 君はこの学園に進学する前、ハイジャンプをやっていたというじゃないか。
 その時の記録は、どのくらいだったんだ?」
「ああ、その話か」

 そう、まだ私たちが付き合い始めていなかったとき。
 私が、半ば無理やり、彼との下校をセッティングしていた時に出た話題だ。
 あのときは、私の情緒不安定により、答を聞き逃してしまったのだが……


「あとで、陸上部の仲間にも聞いてみたが、君の逸話は、半ば伝説になっているそうじゃないか。
 なんでも、決して越えられるはずのない高さのバーに、陽が暮れるまで挑戦し続けたとか……」

 実際に見た者が、どれほどいるかは分からない。
 が、その挑戦し続ける姿を見て感動したあるランナーがスランプを脱出、インターハイで新記録を出した、などという、おまけの伝説まで聞かされた。

 そう言われて、彼は頭を掻く。


「伝説とか、そんなおおげさなもんじゃないと思うんだけど……
 ……うーん。
 以前、同じことを、他のヤツにも言われたんだけどな」

 こちらを見る彼の瞳は、本当に困っているようだった。

「正直、そんなことあったっけ?っていうのが本音なんだよな。
 あの頃って、いろんなことに馬鹿みたいに挑戦しててさ。
 走り高跳びも、やった憶えはあるんだけど……」

 満足にバーを越えられた記憶も無いし、ましてやそんな伝説など、どこの話だ、という感覚らしい。


 彼らしい、と内心で微笑みつつ、
「ほう。
 では、なぜその時期に、ハイジャンプだけでなく、様々なことに挑戦したのかな?」

「いや、その頃にちょうど爺さん……義理の親父が死んでさ。
 今思えば、焦ってたんだよな。
 早く爺さんに追いつきたい、って」

「……」

 さらり、と。
 なんでもないことのように、彼は言う。

 が。

「……すまない。
 興味本位で尋ねて良い話題では無かった」

「?
 なんでさ?」

 顔を暗くする私に、彼は本当に不思議そうに尋ね返す。

 ……なんでもないことのように、ではない。
 彼にとっては、これは本当に『なんでもないこと』なのだ。
 誰にはばかることのない、彼にとっての事実であるのだから。


 そんな彼の、無意識の善意に甘え、私は話を戻した。

「では、記録もきちんと測ったことが無い?」
「ああ。
 真剣に競技をやってる人には申し訳ないんだけどな。
 ベリーロールも、背面跳びのやり方も知らなかった。
 いつも正面跳びで、今日の鐘みたいに、バーを蹴っ飛ばしてばっかりいたよ」
「……また君は、そういうことを言う……」

 いくら話を戻したからと言って、そこまで戻すこともないじゃないか。

「ははは、ゴメンゴメン。
 でもさ、今日、じっくり見てて分かったけど、鐘って、ここぞというときは正面跳びなんだな」

 笑いながら彼は、なかなか鋭いところを突いてくる。

「……ああ、そうだな。
 確かに私は、数ある跳び方の中で、正面跳びを最も多用する」


 実際、部活動レベルの競技会に置いては、正面跳びが見られる機会はまず無い。
 あれは、まだクッションが未発達の時代、安全に着地できるように考案された跳び方だ。

 以前、士郎に言ったとおり、正面跳びはベリーロールや背面跳びに比べ、バーを越えるときの重心が高い。
 故に、エネルギーロスも大きく、近代陸上には不向きとされている。

「だが、いろいろな跳び方を、いろいろな場面で試してみて、分かった。
 私に相応しいのは、最も馴染むのが《正面跳び》だと」

 由紀香もそうだが、私はもともと、文化系の人間だ。
 それが、ふとしたきっかけで陸上競技を始めるようになった。
 そのとき、私は思った。
 ストイックに記録のみを追い続けるより、
 《三年間を全力で楽しみながら》勝つ道を見つけよう、と。


「他の跳び方も、しないではない。
 だが、自分自身に最も合う技法で、自分の限界に挑むことこそ、私に似合っている。
 ……三年間、そう思ってきたし、その考えは、今も変わらないつもりだ」

 先輩たちに、跳び方を変えるよう言われたこともある。
 だが、学園卒業後もこの競技を続ける意思の無い私にとって、

 《本気で楽しい陸上競技》

こそが、目標だったのだ。

 そして三年間、その想いはほぼ達成された、と自分では思っている。


 ……そんな私の、青臭い理想話を、彼は真剣に、やさしい目をしながら聞いてくれた。

「そうだな。
 記録とか技術とか、難しいことは俺には分からないけれど、
 三年間見てきて思うよ。
 正面跳びが、鐘に一番似合ってる、って」

 穏やかな口調で、私を肯定してくれる士郎。
 嬉しさに、思わず頬がゆるむ。

 ……待て。
 『三年間見てきて』?


「あれ、言わなかったか?
 俺、一年のころから、陸上部の練習は、けっこうよく見てたぞ」

 きょとんとした顔で、士郎はとんでもないことを言った。

「まあ、だいたいは学園の備品を修理したりしながらだけどな。
 他の部活も見てたけど、なんでか知らないが、陸上部が一番面白かった。
 それも、やっぱり自分が少しでもやってたからかな。
 走り高跳びに、自然と目が行ってた」

 こちらの気持ちも知らぬげに、淡々と続ける士郎。

「その中でも鐘の、あ、いや、当時は名前と顔もろくに一致してなかったけど、
 灰色の髪の女の子が、やけに目についてさ。
 本当に、楽しそうに跳ぶなあ、って。
 だから俺、鐘の顔はけっこう前から知って……

 ……って、鐘?」

「……」


 ……ここまで、人の気持ちをかき乱す台詞を連発しておいて、なぜこの男は、のほほんと、
 心配げにこちらの顔を覗き込むのか。

 こちらは、顔の温度と呼吸の調整に手一杯で、まともに歩を進めることさえ覚束ないというのに。


「…えっと……
 俺、また何かやったか?」
「……いや。
 単に、君が君であることを、私が再確認しただけだ。
 何も心配はいらない。だから、頼むからそう顔を覗き込まないでくれ」

 必死に顔をそらしながら、私は言葉を絞り出す。

 数回の深呼吸をしているうちに、いつの間にか大橋を渡り、私の家があるマンションにたどり着いていた。


「……ではな、士郎。
 毎回のことだが、送ってくれてありがとう」
「ああ、お疲れさま、鐘。
 きちんと疲れ抜けよ」

「調整にヘマはしないさ。
 万全の体勢で、競技会に臨んでみせる」
「……」

 私の表情から、何を読み取ったのだろう。
 微かに眉をひそめた彼は、すでに闇に沈んだ周りを見回すと、


「!」


 瞬間的に体を寄せ、私の口に唇を重ねてきた。

「――― し、しろう!?」

 無論、口づけなど初めてではないが、予備動作無しに行われると、さすがに狼狽する。
 慌てふためく私を見て、彼は、

「どうだ、肩の力、抜けたか?」

 いつもの笑顔で、問いかけてきた。


「……」

 言われて、気付いた。
 体が、軽くなっている。
 軽くなって初めて、私は緊張していたのだと、
 来るべき競技会に向けて、必要以上に力が入りすぎていたのだと、気付いた。

「……全く、君は」

 苦笑、いや、感謝の笑みか。
 私は自然と微笑みながら、彼を見つめた。


「ありがとう、士郎。
 改めて言おう。
 最後の競技会も、全力で楽しむ、と」

「ああ。
 俺も楽しみにしてるよ。
 鐘が楽しそうに跳ぶ姿。

 じゃあな、お休み、鐘」

「ああ。
 お休み、士郎」


 去っていく彼が交差点の向こうに消えるまで、いつものように見送る。

 無意識に、指を唇に持って行く。

 ……今夜は、きっとぐっすりと眠れるだろう。
 できれば、楽しい夢が見られますように。

 そんなことを思いながら、私はエレベーターのボタンを押した。





 そして、その夜半。
 私は、激烈な背中の痛みに、目を覚ました。





    ――――――――――――――――――



【筆者より】

 氷室鐘の、走り高跳びに関する姿勢は、

   TYPE-MOON 公式コミカライズ
   『氷室の天地』(磨神映一郎 一迅社)

の設定を参考にさせていただきました。



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 このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

   『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
     http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。

 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、
 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、
 その文責はすべて中村にあります。





[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (二ノ三)
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/07/07 20:30


     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (二ノ三)





「《尿路結石》?」
「……ああ」

 息を整えつつ聞き返す士郎に、私は布団から目だけを出し、うなずいた。




 尿路結石。

 読んで字のごとく、尿路系に石が結晶する病気だ。
 発症すると激痛を伴い、血尿、排尿不全等につながる。

 壮年男子や更年期を過ぎた女性に多い病気だが、近年、若い女性の間でも増加傾向にあるという。
 ただ、その原因の多くが、糖分や脂質の取りすぎにあるそうで、そのどちらも過度には好まない私が発症したのは、もう体質としか言いようが無いらしい。

 全く、父系にも母系にも、尿路結石の発症者などいないというのに……




 ベッド上に体を起こし、そんな話を両親としていたら、ノックもそこそこに、いきなり士郎が病室に飛び込んできたのだ。

「っか、鐘!
 だ、だい、じょう…ぶ、か!!?」

「……
 !!」

 一瞬、呆然とした私は、次に自分の格好に気付き、あわてて布団に潜り込んだ。
 いくら士郎とはいえ、いや、士郎だからこそ、愛用のパジャマ姿など見られたくない。
 ……ちなみに、クマ柄だ。

 しかし士郎は、そんな私の混乱に全く気付かず、ベッド際に走り寄ってきた。

「怪我か?病気か?
 熱は?意識ははっきりしてるみたいだけど、どっか痛いところは……!?」

 息せき切って走ってきたのだろう。
 呼吸を整えもせず、矢継ぎ早に質問を重ねてくる。

「ま、待て、落ち着け士郎。
 だ、大丈夫だ。
 今のところ、体にまったく問題は無い。
 だ、だから……」

「本当か?
 なんか、顔が赤いぞ。やっぱり、熱が高いんじゃ……」

 あ、当たり前だろう。
 そんなに息を荒くしたまま、のしかかるがごとくに覗き込まれてみろ。
 ……ま、まあ、決して不快なわけでは無いのだが…

 あ、馬鹿!額に手を当てたりするんじゃない!!


 必死の攻防を繰りひろげる私たちを、両親はあっけにとられて眺めていたが、

「……いや、士郎君。
 鐘の言うとおりだよ。少なくとも現在は、病状は安定しているし、すぐに命がどうこうという病気じゃない」

「そうですよ。
 心配してくださるのはとても嬉しいけれど、少し落ち着いて……
 お茶でもいかが?」

 さすが現市長夫妻と言うべきか。
 すぐに立ち直り、横から士郎に声をかけた。


 その声で、士郎は初めて両親がいることに気付いたらしい。
 ぽかん、と口を開けたあと、あわててベッド際から離れ、直立不動の体勢をとった。

「す、すみません!!
 いきなり飛び込んできて、大騒ぎして……!
 あ、あの、お久しぶりです、それから、えっと…
 は、初めまして、衛宮士郎です!!」

 混乱丸出しの挨拶をしたあと、最敬礼する士郎。

 そんな彼を、父と母は優しくなだめ、とにかく椅子に座らせることに成功した。


「改めて、久しぶりだね、士郎君。
 鐘と仲良くしてくれていることは、この子から聞いているよ。
 できれば、もっと違った場所で会いたかったが……」

「初めまして。鐘の母です。
 お噂は、この子から聞いてるわ。
 本当に、鐘の言うとおりの子なのね」

 万感籠もった目で士郎を見つめる父と、その隣で穏やかに微笑む母。

 ……そう言えば、士郎と父は、あの日、藤村雷画氏立ち会いの下、衛宮邸で顔を合わせたきりだった。
 母とは、むろん初対面。

 あのときの騒動の原因であった《許嫁》の一件を思えば、特に父の、士郎に対する思いは浅からぬものがあるだろう。

 ……それにしても、お父さん、お母さん。
 私が、士郎の話ばかりしているような口ぶりは、止めてもらえませんか……?


 そんな私の気持ちも知らぬげに、両親は士郎に、私の病状を説明している。
 ……正直、そのことも頬を熱くしている原因の一つだ。
 あの痛みを思えば、そんなのんきなことを言う方がおかしいのだろうが、
 若い婦女子にとっては恥ずかしい病名であることは間違いない。


「まあ、そんなわけで、石さえ尿管に触らなければ、通常とほとんど変わるところはない。
 もちろん、治療が必要なのは言うまでも無いがね」

「はあ。
 治療、ですか……」

 一応、命に別状は無いと知って、ほっとしたらしい。
 士郎は安堵の表情を浮かべたが、すぐにまた、不安そうに私を見た。
 治療、という言葉が、引っかかっているのだろう。


 だから、彼を安心させるため、私もベッドの上から言葉を添えた。

「そんなに心配することはない。
 治療、手術と言っても、副作用の出る薬を用いたり、体にメスを入れたりする訳じゃない。
 この病気の場合、体に負担の少ない治療法が確立されていてな。

 『体外衝撃波結石破砕術』と言うんだそうだが……」

「体外、しょう……
 なんか、すごい名前だな」

 余計に不安そうな顔をする士郎。
 まあ、字面だけを見れば、その不安も無理もない。
 私も初めて聞いたときは、どこの格闘ゲームの必殺技だ、と思ったくらいだから。


 しかし、原理は簡単だ。
 要するに、音波の一種を結石に当て、石を細かく砕くのだ。
 尿管に触らないくらい細かくなれば、あとは自然と体外に排出される。
 この施術が確立されてからは、尿路結石の治療の安全性は飛躍的に向上したそうだ。

「……はあ。
 医学の進歩って、すごいな。
 そんなこと、ほんとに出来るんだ」

 彼は感心したような、何か腑に落ちないような、複雑な顔をして首を捻っている。
 気持ちは、分からないでもない。


「そんなわけで、その機械とそれを使える医師が、2日後には空くそうだ。
 だから、明後日に手術、そのあと3~4日の入院、それから大事を取って、2日ほど自宅安静、といったところらしいな」

 あえて事務的に、今後のスケジュールを告げる。
 そのことによって、彼の不安を取り除くことが、目的の一つ。
 そして……


 彼の顔をもう一度見たが、不安そうな、
 いや、心配そうなその色は、薄れてはいなかった。






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 このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

   『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
     http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。

 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、
 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、
 その文責はすべて中村にあります。





[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (二ノ四)
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/07/09 20:10



     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (二ノ四)





 妙なときに妙な場所で実現した、士郎と私の両親の顔合わせ。
 だが、意外に話は弾んでいるようで、気付けば、私の発症時のことに話題は移っていた。

「娘自慢をするわけじゃないんですけれど、本当に、あの時のこの子は偉かったんですよ。
 痛みを堪えて、自分の足で私たちの寝室まで歩いて、ドアをノックしたんですから」

「お、お母さん……」
 そんな、変な娘自慢をされても困る。

「うむ。
 この病気が発症すると、大の男が痛みで気を失うことも多いそうだからな。
 女は男より痛みに強い、とは言われるが、それを差し引いても大したものだ」

 父も、盛大に親馬鹿を発揮している。
 ああ、士郎。君もそんなに大まじめに頷くんじゃない。


 まあ、正直な話、自分でもよくあの痛みに耐えられたとは思う。
 それは、今まで味わったことのない、いや、想像すらしたことのない、激烈な痛みだった。
 『それはまるで』、と、比喩を探すことすら馬鹿馬鹿しいほどの痛みだ。

 だが。
 その痛みに耐えながら、父母の寝室へと足を運んでいるとき、
 私は、心のどこかで思っていた。

(まだまだ、《あのとき》に比べれば)


 《あのとき》が何の時だったのか、痛みに朦朧とした頭では、はっきりと思い描くことは出来なかった。
 しかし、今なら分かる。
 私は、あの《五日間》を思い出していたのだ。


 士郎の、彼の家族との葛藤。
 その原因の一端が、自分にあると知った時の衝撃。
 そして、苦しむ士郎を間近に見続けた、あの体験。

 あの心労と、今回の肉体的痛みを、比べることは出来ないのかもしれないが、
 《あのとき》を体験していなければ、私はこの痛みに、あっさり音を上げていただろう。

 いろいろと得ることの多い体験だったが、これも、《あのとき》が与えてくれた、大いなる副作用と言うべきか。


 私が物思いにふけっていると、
「あ、いかん。
 士郎君、せっかく来ていただいて済まないが、私はこれで失礼させてもらうよ。
 公務を放り出して来てしまったものでね」
 父が時計を見て慌てて立ち上がった。

「じゃあ、私も席を外させてもらうわ。
 入院の手続きや、必要な物を家から持って来なくてはならないの。
 士郎君、申し訳ないけれど、お時間があったら、鐘のことを見ていてくださる?」
 母も、いつもどおり微笑みながら、腰を上げる。

「あ、もちろんです。
 俺で良ければ……」
「《俺》でないと、鐘は嫌なんじゃないかしら?」
「お、お母さん!」

 父と母は、笑いながら私たちに手を振り、病室を出て行った。

 ……全く。
 私の両親は、あんなにラディカルな性格だったか?


 さて。
 二人きりになってみると、改めて恥ずかしさが増す。

 ここは病院の個室。
 私はベッドの中。
 しかも、パジャマ姿(クマ柄)。

 父母もよくぞ、こんな状況に思春期の男女を置いていったものだ。


「あ、あー。で、士郎」
「お、おう?」

 いかにも、取って付けました、といった私の発言に、彼は過剰に反応する。

「い、いや。
 来てくれたのは非常に嬉しいんだが、学校はどうしたんだ?」
 今は午前10時前。
 本来ならば、面会時間ですらない。

 そう聞くと、彼は頭を掻いた。
「いや、ホームルームのあとに、蒔寺と三枝さんが、俺の教室に来てくれてな……」

 私が急に入院した、という事実を聞くと、原因も何も確かめずに学園を飛び出したのだそうだ。


「……」
 …確かにあの二人には、母から連絡を入れてもらっていたが……

 一人の女生徒が急病で入院したと聞いたとたん、授業を放っぽらかして駆け去ってゆく男子生徒。

『私たち、お付き合いしてます』

と、全校放送で流しているようなものではないか。


 ……まあ、今まで積極的に言わなかっただけで、別に隠しているわけでもないが。
 だいたい、毎日いっしょに下校し、週に一度は私の教室で蒔寺たちも交えて昼食を取っているのだ。
 今さら、と言われれば、返す言葉もない。
 つい先日も、美綴嬢から

『最近、美術室に近寄るのが申し訳なくてなあ』

と、ケラケラ笑いながら言われてしまったばかりだ。


「……悪いな。そこまで頭が回らなかったんだ」
 彼が、申し訳なさそうに頭を下げる。

「…だから、そういう風に謝らないでくれ。
 多少恥ずかしいのは事実だが……私が嬉しくないとでも思っているのか?」

 言った後、再び布団を目元まで引っ張り上げる。
 だが、視線は彼に固定。
 彼も、赤くなりながら、笑って見つめ返してくれた。



「……それにしてもさ。
 命に別状無くて、良かったよ」

 彼が、本当にほっとしたように言う。
 だが……

「……ああ、そうだな。良かった」
 同じように微笑み返さなければならないのに、私の口調は、そうなってはくれなかった。

「……」
「……」


 ……そろそろ、布団を引っ被ったまま話を続けるのも、申し訳なくなってきた。
 パジャマ姿を見られるのも恥ずかしいが、横臥しているところを見下ろされるのも、また恥ずかしい。

 なので、私は起きあがり、足だけ床に降ろした。

「おい、大丈夫か?
 安静にしてないと……」
 そう言いながら、彼はベッドサイドにあったカーディガンを取りあげ、私に着せてくれる。

「なに、問題無い。
 さっきも言ったが、石さえ触らなければ、普段と状態は変わらないんだ」
 視線で礼を言いながら、彼に答える。

 ……そう。
 普段と、なにも状態は変わらないのに。


「明後日、手術。その後、3日間入院。自宅安静が2日。
 計、8日か」

 入院してから今まで、ずっと頭の中で繰り返していた算数を、口に出す。

 それは、つまり。
 五日後に迫った、陸上競技会への参加は、絶望的ということだ。


「……」
 彼も、とっくにそのことに気付いていたんだろう。
 辛そうに、顔を歪める。

「……こんなに元気なんだ。
 いっそのこと、大会が終わるまで手術を伸ばせないものか、医師に聞いてみたんだが……」

 私の言葉に、士郎が否定的な視線を向ける。
 その眼差しに、私は笑って答えた。

「とんでもない、と却下されたよ。
 日常動作ならともかく、激しい運動は厳禁だと。
 当然だな。
 動けばそれだけ、石が触る確率が増えるわけだから」

 あげく練習中に、ましてや大会当日に発症でもしたら、みんなに迷惑をかけるだけでは済まない。


「……本当にな。
 いっそ、もっと寝たきりになるような重い病気だったら、諦めもついたんだろうが……」

 そう言いかけて、 はっ と気付いた。

「……すまない。
 不謹慎な発言だった」
 本当にそんな病気で苦しんでいる人に対し、失礼極まりない。


 二重の意味で沈んでいる私に、

「まあ、確かに今のは、ちょっとアレだったけどな」

 彼は、いつものあたたかい笑顔を向けてくれた。

 立ち上がり、私の隣に腰を下ろす。
 そして、やさしく肩を抱く。

「そんなに強くならなくてもいいぞ。
 いつか、鐘も言ってくれたろう?
 俺と二人きりのときくらいは、辛そうな顔をしていいんだ」


 肩に感じる、彼の掌が温かい。
 頭を傾け、彼の肩に乗せると、とても落ち着く。

 落ち着いてから、今まで私は落ち着いていなかったんだと、
 ひどく不安で、さみしくて、混乱していたんだと、分かった。

「……しろう」

 気付けば私は、彼の服を握りしめ、
 その胸に顔を押しつけていた。





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 このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

   『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
     http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。

 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、
 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、
 その文責はすべて中村にあります。





[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (二ノ五)
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/07/11 18:05



     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (二ノ五)





 士郎のシャツが、濡れていく。
 押しつけている頬が、それを感じる。

 私は、泣いているのか。

 思えば、物心ついたころから、私には泣いた記憶が無い。
 幼稚園の時も、小学校の時も。
 政治家の娘として、嫌がらせを受けたことも一再ではなかったが、涙を流したことは一度も無かった。


 憶えがあるのは、ごく最近。
 一度は、士郎に振られたと思い込んでいたとき。
 わずかに目尻に滲む程度で、確認する前に顔を洗った。
 二度目は、あの《五日間》の最後の夜。
 顔では大泣きをしていたが、涙が出るほど悠長な状況ではなかった。

 それを思えば、士郎のシャツにどんどん広がっていく湿りが、不思議ですらある。

『泣けることは、救いだ』

 と言ったのは、誰だったか。
 確かに、涙を流すたびに悲しみ、悔しさを再確認する一方、
 甘美とも言える切なさが、胸を満たしていく。

 それはきっと、やさしく私の髪を撫で続けてくれる、あたたかい掌のせいでもあるのだろう。
 私は、声もあげず、しゃくり上げもせず、ただ静かに士郎のシャツを濡らした。


「……」
「……」

 士郎は、何も言わない。
 何も言ってくれないことが、心地良い。

     (仕方ないさ)
     (元気出せよ)

 この状況でそんなことを言われたら、私はその人物を許さないだろう。

 それよりも、私を分かってくれる、分かろうと努力してくれている男性に、こうして黙って抱かれている。
 これ以上の幸せがあろうか。


 だが。

「昨日、さ」

 いつでも、こちらの期待以上のことを、してのけてくれるのが衛宮士郎なのだ。

「帰り道に言ったろ?
 三年間、鐘が跳ぶところを見てきた、って」

 沈黙を押し退け、彼は静かに語り始める。

「もちろん、毎日見てたわけじゃないけどさ。
 俺、本当に好きだったぞ。鐘が跳ぶ姿」

「……」
 沈黙こそが心地よい、と今の今まで思っていたのに、彼の語る言葉はさらに安らかだった。

「楽しんでるのが、遠くから見てても伝わってきた。
 思い返してみると、鐘はずっとそうだったんだよな。
 三年間、全力で楽しんでた」

「……」
 彼の胸に押しつけた頬から、彼の声が、響きが直接伝わってくる。

「競技場で見ることは、もう出来なさそうだけれどさ。
 想像で言うけど、鐘なら、きっと同じじゃないかな、って思うんだ。
 校庭で跳ぶのも、大会で跳ぶのも」

「……」

「だから……
 昨日、思い切って、近くまで見に行って良かったな、って思う。
 鐘は、最後の一本まで全力で、本気で楽しんで跳んでた」

「……」

「……って、俺の感想ばっかり言ってるな。
 もっと気の利いたこと言えればいいのに。
 こんなときに、変な話して、ゴメンな」

「 ――― 」
 シャツに額を押しつけたまま、首を横に振る。

 まったく、この男は……


 そうだ。

 私は、記録を出すことだけを目的に陸上競技を、ハイジャンプを続けてきたわけではない。
 それは、良い記録が出たら嬉しい。
 常に高みを目指し、精進してきたという自負もある。

 しかしそれは、彼の言うとおり

《全力で楽しみながら》

 という条件が、いつも付いていたのだ。
 そして、その理想はほぼ達成された、と思っている。


 最後の競技会に出られないことは、もちろん悔しい。無念だ。
 だが、それは、決して未練に思うことではない。

 私にとって競技会とは、一種のマイルストーン。
 目標であり、区切りではあっても、《ゴール》では無いのだから。


「……ありがとう、士郎」

 静かな安らぎに、私の涙は止まず。

 昼食の配膳の気配がするまで、
 彼はずっと、私の髪を撫で続けていてくれた。





 そして、競技会当日。
 私は、士郎に付き添われ、競技場の観覧席に座っていた。

 天候は高曇り、やや肌寒く、風は無し。
 絶好の陸上競技日和だ。


 手術は、問題なく成功した。
 退院は明日で、本来ならば私はまだ病院にいなければならないのだが、
 予後が良好だったこともあり、主治医が特別に、半日の外出を許可してくれたのだ。

 もちろん、付き添いは必須。
 普通なら、両親がその役目に就くところなのだが、


「お父さんは公務で忙しいし、私もその日は、どうしても外せない用があるのよ。
 困ったわ。
 士郎君。あなたさえ良かったら、鐘の監督役を引き受けてくださるかしら?」

 全然困った風に見えない母の微笑みだったが、断るような士郎ではない。

 ……それにしても、
 改めて思うが、私の母は、あんなファンキーな性格だったか?


 観覧席にいる私を見つけ、部の仲間たちが駆けつけてきてくれる。
 これまでの競技会を通して知りあった他校の生徒も、顔を見せに来てくれる。

 来て良かった。
 参加は出来なかったが、この競技会は私にとって、やはりマイルストーンの一つなのだ。


 ……ただ、
 どの友人たちも、私と士郎を見比べ、少し話しただけで去っていくのは、

「お邪魔しちゃ悪いわよねー」

と、去り際に口をそろえて言うのは、何故なのだろう。

 ……入院の時、士郎が授業をすっぽかして駆けつけたのが、校内発表なら、
 この観覧席は、対外発表の場、ということか。

 まあ……
 本気で《今さら》ではあるのだが。


 我々の目の前で、複数の競技が同時進行していく。

 思えば、純粋に観客として、競技を眺めたことは今までになかった。
 常に選手として、あるいはそのサポーターとして、グラウンドに立っていた。

 珍しさも手伝い、あちこちの競技を観戦したが、
 やはり目は、自然にハイジャンプの競技所に行く。

 ……感慨はある。
 この状況なら、このバーの高さなら、私ならばどう跳ぶだろう、と、
 自然に体のあちこちが、選手の動きをなぞっている。


「……鐘?」

 彼が、そっと掌を握ってくる。
 振り向くと、そこには微かに心配そうな目。


「……心配ない。
 無念はあるが、未練は無い」

 私は、微笑みながら彼の手を握り返す。

 そう、私の未練はあの日、君の胸の中で、すべて流し去ってしまったのだから。


「そっか……」
 彼は満足そうに頷き、再びグラウンドに目を向けた。

 そのまましばらく、二人とも無言で競技の進行を眺める。


「そういえば」
 ふと気付いたように、彼は言う。

「鐘の《無念》って、何だ?
 やっぱり、参加出来なかったことが……」

 まあ、それはそのとおりだ。
 三年間の締めに参加できず、画竜点睛を怠ったことまでさらりと流せるほど、私は人間が出来てはいない。

 しかし、素直にそれを認めるのも何となくシャクなので、少しひねりを加えて言った。


「決まっている。
 今後、陸上競技をやる予定のない私にとって、
 最後のハイジャンプは、君の前で見せた盛大な大失敗だったんだぞ。
 無念に思わないわけがないだろう」

「ああ、そう言えば、そういうことになるのか。
 確か、4メートル72、だっけ?」

「士郎!!」

 まったく、いらん記録ばっかり憶えていて……



 怒る私と、なだめる彼。
 揉み合う二人の後ろに、

「……なあ、おふたりさんよ」

 いつのまにか、疲れたように腕を組む蒔寺と、苦笑を抑えかねている由紀香が立っていた。

「よっ、蒔寺。調子良さそうだな」
「こんな所に来ていて良いのか?
 もうすぐ、準決勝が始まるだろう。そろそろ準備をしないと……」

 そんな私たちの言葉に、蒔の字はさらにがっくりと肩を落とす。


「……もうすぐ準決だから、来たんだろうが。
 アンタ等、仲のいいのはけっこうだけどな」

 そう言うと、彼女は腰に手を当て、私たちを冷ややかに見下ろした。

「勝負を前にだ。
 必死でコンセントレーションを高めているアスリートの目の前でだ。
 手を握りあって、イチャイチャ囁きあって、
 あげくにじゃれあって絡み合う、ってのはどういう了見だ?

 ここの参加者全員に、ケンカ売ってんのか?」

「「は?」」


 そう言われて周りを見ると、
 観覧席からは、微笑ましそうな、うらやましそうな視線が。
 グラウンドからは、質量さえも測れそうな、ある種の《気》が、私たちに向けられている。

 そして、改めて自分たちを見ると、
 掌を握りあい、体を寄せ、じゃれあっているような体勢。


 ……い、いや、
 これはあくまで、士郎の不用意な発言を、懲らしめようと、だな……


 私たちは、そそくさと居住まいを正し、
 これ以上無いくらい体を縮こまらせて、必死に周りからのプレッシャーに耐えた。


 ……まあ、
 それでも掌だけは離さなかったから、圧力はいつまでたっても減じなかったのだが。





    ―――――――――――――――――――



【筆者より】


 『陸上競技会編』、やっとこさ終了です。
 冬になっても部活にがんばる鐘ちゃんに、なんとか区切りを付けさせてあげたいな、という発想で書いてみました。
 合わせて、二人の仲を内外に公表する機会も作ってみたかった。

 二ノ二話の欄外にも書きましたが、鐘ちゃんの走り高跳びに関する姿勢は、

   TYPE-MOON 公式コミカライズ
   『氷室の天地』(磨神映一郎 一迅社)

の設定を参考にさせていただきました。

 このマンガはすごいですよ。
 氷室好き、陸上部三人娘好きは必読の書です。
 もし未読の方がいらしたら、ぜひご覧ください。


 さて、次はどんなエピソードとなりますやら。
 筆者にもとんと予測が付きませんが、もうしばらく、お付き合いをお願いいたします。



    ----------------------------------------------------------



 このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

   『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
     http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

 TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。

 『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、
 今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、
 その文責はすべて中村にあります。





[18987] クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (三ノ一)
Name: 中村成志◆01bb9a4a ID:76af8d97
Date: 2010/07/21 20:15



 時は、午前10時45分。
 私は、新都駅前広場で、士郎を待っている。

 胸をときめかせて、待っている。

 久しぶりのデート、ということももちろんある。
 しかし、たとえ昨日一日会っていたとしても、このときめきは変わらないだろう。

 なぜなら、今日は……





     クロスゲージ (『エンゲージを君と』異聞) (三ノ一)





「えっと、さ……、鐘…」

 いつもの、いや、久々の帰り道。
 士郎は、珍しく語尾を濁らせつつ切り出した。


 入院騒動も一段落し、自宅安静を経て、私が学園に登校したのが昨日。
 その放課後に陸上部のみんなが、私の快気祝いを兼ねた、三年生の引退謝恩パーティーを企画してくれた。

「衛宮くんも、来ればいいのに」

という由紀香の言葉は、陸上部全員の希望でもあっただろうが、彼は苦笑しつつ辞退した。

 まあ、それはそうだろう。
 先日の競技会の一件を思い出すまでもなく、もし彼が同席すれば、私とセットでみんなのオモチャになることは、目に見えている。

 なので、今日が私の再登校後、初めての二人きりの帰り道、ということになるのだが。


「その……
 終業式の日の夜とか、その次の日とか、空いてるか?
 良かったら、だな……」

 よほど言いにくい、いや、照れることなのだろうか。
 士郎は、顔を赤くしながら、言いよどむ。

 終業式の夜?
 その日は確か、学園は午前中で終わって、夜は家で……

 あ……

「……つ、つまり、士郎。
 12月24日と、25日のこと、か……?」
「あ、ああ……」


 ……あまりにも遠回りな言い方をするから、理解するまでに時間がかかったじゃないか。

 12月24日と言えば、終業式であると同時に、紛うことなきクリスマスイブ。
 その翌日は当然、クリスマス当日である。


「その……
 24日の夜は、俺の家で、みんなでパーティーする予定なんだよ。
 遠坂や桜や、藤ねえとイリヤもいてさ。
 で、鐘にも参加してもらえると、うれしいな、って……」

 頬を掻きながら、彼が続ける。

 ……彼の、ぶっきらぼうな心遣いが、とても嬉しい。
 あの《五日間》にもなんとか区切りがつき、私と彼の《家族》との溝は、かなり埋まったと言って良い。
 とは言え、まだ多少ぎくしゃくしているはずのその間柄を、少しでも取り持ってくれようとしているのだろう。

 しかし。

「……すまない。
 イブの夜は、毎年、両親と過ごすことになっているんだ」

 私の家はクリスチャンではない。
 だが、母方の祖父母がそうであったせいか、この日は特別な日、という認識が子どもの頃からあった。
 父もこの日だけは、忙しい公務を割いて、できる限り早く帰宅してくる。

 私が成長している今、いつまでこの習慣が守れるかは分からない。
 だからこそ、守れるところまでは守っていきたかった。


 彼と父母を天秤にかける申し訳なさに俯く私に、

「なんだ、それならそっちを優先しなきゃ。
 こっちは、ただ飲んで食べて馬鹿騒ぎするだけなんだから」

 当然のように、彼は微笑む。

 ……実際、二の足を踏む理由は、それだけではない。
 以前ほどではないにせよ、私は衛宮家にとってはまだまだ《お客様》である。
 彼の言う《馬鹿騒ぎ》でコミュニケーションを深める《家族》の中に、いきなり混ざるのは、いささか気後れがするのだ。

 なので、いつもどおり、彼の無意識の善意に甘えることにした。


「ありがとう。
 ……で、士郎。
 イブの夜は、お互いに予定があるとして、その《次の日》とは?」

 我ながら、意地の悪い質問であると自覚はしている。
 しかし、彼の口から答が聞きたくて、わざととぼけて見せた。

「と、とは?……って……」
 案の定、彼は髪を引っかき回しながら、視線をさまよわせている。

 こんな彼を見て楽しめるようになったあたり、私も少しは余裕が出てきたのだろうか。


 彼はしばらく向こうを向いて歩き続けていたが、

「 ――― 」

 やがて、深呼吸を二、三度繰り返すと、体ごとこちらを向いた。


「……もし、鐘の都合が良ければ、俺に付き合ってもらいたい。
 その日は、ずっと鐘といっしょにいたいんだ」

「………」


 前言撤回。

 たったこれだけの台詞で、私の《余裕》とやらは、跡形もなく吹き飛んでしまった。

 いや、この男から、こんな直球すぎるアプローチを受けて、冷静でいられる女性などいるか?


「……」
「………」

 しばらく、無言。

 しかし、ボールを投げてきたのは彼で、受けとったのは私だ。
 ならば、次は私が言葉を発さなければ。

「……あ、ああ。
 その日なら、一日空いている。
 だから、……私も、その……
 き、君とずっといられると、うれしい……」

 とても、顔を見ながら返事など出来ない。

 ……しかし、最近思うのだが。
 私は、こんなストレートに感情の発露が出来る人間だったろうか?


「……そ、それでだ、士郎」
 羞恥の袋小路に入ってしまうことを防ぐため、私はあえて事務的なことを口にした。

「一日、というと、夕食も君と共に、と考えて良いのか?
 一応、両親にも許しを得ておかなければならないのだが……」

 近ごろ、フランクさが垣間見えてきてはいるが、基本的にうちの親はそういったことには厳しい。
 まあ、士郎は父母の信頼を得ているようだし、夕食くらいなら許してくれるだろうが。

 ……そこまで考えて、ふと、先ほどのやりとりを反すうする。


『その日は、ずっと鐘といっしょにいたいんだ』
『私も、君とずっといられると、うれしい』


 ……《一日》がどこまでを指すのかは、様々な見方があろうが、
 最長で見ると、次の日の朝まで、という解釈も……


「ああ、できればそうしたいと思ってる。
 ご両親、許してくれるかな?」
「し、士郎!?
 い、いくらなんでもそれは許……」

 …………。

「…遅くなるし、やっぱりダメかな?」
「……」

「?
 どうした、鐘?」
「……いや。
 夕食くらいなら、おそらく許してくれると思う。心配しなくて良い」

 思いきり明後日の方向を向いて、なんとか言葉を絞り出す。


「そっか。なら良かった。
 あとは……」

 語尾にいささかの苦悩を聞いた私は、彼の方を振り返る。

「士郎?
 何か問題が……」
 尋ねかけて、一つの可能性に思い当たった。

 もう12月の半ば。
 約束の日まで、あと10日を切っている。
 クリスマスというスペシャルイベントを前に、夕食の話題で男性が苦悩することと言えば……


「……実は、お見込みのとおりなんだよな。
 昨日、やっとそれに気付いて、あちこちの店に当たってみたんだけど、どこも満席でさ。
 ほんとに、情けないんだけど……」

 頭を掻きながら、彼が申し訳なさそうに呟く。

 士郎らしい。

 彼はもともと、そういったイベントには無頓着だ。
 加えて、あの《五日間》以来、様々なことが私たちの周りに起きた。
 むしろ、この段階で準備万端整えられていたら、私の方が仰天しただろう。


 なので、悩む士郎に、小さな助け船を出す。

「ならば、夕食の手配だけは、私がしても良いか?
 心当たりの店が、いくつかあるのだが……」

「え?
 でも、普通そういうことって、男が用意するんだろ?」

 意外と古風なところがある。
 と言うより、こうしたことにはとんと疎い彼のことだ。
 誰かに、吹き込まれたのかもしれない。


「些細なことにこだわって、充実した食事が取れなくなるより良いだろう?
 その代わり、その他の予定は、全部君にお任せする」

 肩肘張らずに楽しもうじゃないか、という私のメッセージを受けとってくれたのだろう。
 彼も、笑って頷いた。

「オーケー。
 じゃあ、申し訳ないけど、お願いするよ。
 それじゃ、当日のプランは気を入れて考えないとなあ」

 さっそく腕を組んで考え込む彼を見て、私も笑った。

「せいぜい、頭を悩ませてくれ。
 しかし、あまり凝りすぎなくても良いぞ。
 なにしろ……」

 確か、最初のデートの時だったか。
 彼に言ったセリフを、もう一度繰り返す。


「私達はどこかへ行きたくて集まるのではなくて、集まりたくてどこかに行くのだろう?」





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このストーリーは、「SS投稿掲示板Arcadia」で連載されている、

『エンゲージを君と』(Nubewo 作)
http://58.1.245.142/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=type-moon&all=1034&n=0&count=1

に触発され、書かれたものです。

TYPE-MOON風に言えば、第十七話から分岐した、平行世界と考えていただければよろしいかと思います。

『エンゲージ~』を下敷きにはしておりますが、
今後書かれる、正編『エンゲージ~』第十七話以降とは、ストーリー的に《全く》関係は無く、
その文責はすべて中村にあります。




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