私と社会福祉法人のかかわりの歴史。
テーマ:芸能・スポーツ・経済さてグループホームに入るまでの経緯。私と支援する社会福祉法人のかかわり、歴史を知らない人のため、書くようにしよう。読みやすくするように気をつけよう。
※設立の経緯と沿革
カリスマ的魅力のある学者が大学で実践した子ども相談と連携して、障がい児の相談事業を世田谷の本部で実践した。土地はオーナーが寄付しました。
① 1965年に障がい児相談事業を行う。(当時私も幼児期園支援を受けた。この社会福祉法人創設期から支援を受けている。)幼児保育園と、自閉症児通園施設、知的障がい児通園施設開設。
② 1966年に社会福祉法人認可。
③ オーナーが1976年、千葉県袖ヶ浦市の土地を社会福祉法人に寄付する。
④ 1977年袖ヶ浦に児童施設開設。(私は1978年に児童施設入園する。)
⑤ 1980年世田谷の法人本部内に、精神薄弱児通園施設開設。
⑥ 1984年に成人施設開設。(私も入園する。)
⑦ 1991年板橋区から高島平の心身障がい児生活実習施設委託。(1995年3月受託終了)
⑧ 1993年板橋区から赤塚の知的障がい者通所施設と知的障がい者授産施設、障がい者緊急一時保護事業が複合した施設委託。
⑨ 1999年法人本部改築を機会に認可保育所、知的障がい者通所更生施設開設。
⑩ 1999年、成人施設袖ヶ浦市内にグループホーム、カフェ設置する。(私も入居する。)
⑪ 2003年、袖ヶ浦の事業所、相談支援事業と、短期入所事業、ディサービスなどの地域生活支援事業センター設置。
⑫ 2003年 東京都から委託を受けて、東京都自閉症・発達障がい支援センター設置運営。
(現在は東京都発達障がい者支援センターと名称変更)
⑬ 2007年 認可保育園世田谷に設置する。
⑭ 2009年 世田谷区から世田谷区発達障がい・療育センター委託運営する。
⑮ 2009年 清瀬市から子どもの発達支援センター委託・運営する。
支援を受ける側からすると自分を支援する法人の事業所が拡大をしていくと、グループホーム住人である自分まであった支援が受けられるか不安になる。支援者の対応が悪いとやっぱり法人が組織として大きいから自分まで合う支援が出来ないマンモス化していると不安になる。
支援者はその思いに気付いていない。
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