市民が行政・議会・一部のネット族を監視するための辛口情報紙・東村山市民新聞

汗を流した人々
「りんごっこ保育園」って、
どういう保育園? |
〈「りんごっこ保育園」の保育の理念 〉
りんごっこ保育園の創立者園長は、これまで28年間、保育者として勤務してきましたが、この中には児童福祉施設の乳児院(24時間保育)での勤務した5年間があります。
家庭での保護者の愛情をうけることのできない乳児院の子供達とのふれあいを通して、子供達の人格が形づくられる上からも、乳幼児期の子育てがいかに大切であるかということを実感してきました。
このような体験から、ひとり一人の園児が、心ゆたかに、そしてしっかりとした人格をつくっていけるよう、保護者の皆さんと手を携えて、愛情たっぷりの「家庭のぬくもりのある雰囲気」の保育園を開設したい、こういう考えに立って、りんごっこ保育園は創立の準備が2002年から始められました。
園長の人柄もあり、りんごっこ保育園は、 家庭的な温かい雰囲気が特徴の保育園です。決してイベント中心になったり、放任すれすれの非衛生的な「野放し保育」を「自由な保育」と呼ぶようなやり方ではなく、衛生面を第一として、人として当たり前のことが当たり前にできるように、日々の生活を大切にしながら、リトミックなど幼稚園で行われている幼児教育の良いところを取り入れています、やってはいけないこと、人として忘れてはいけないことを、集団の中で身につけることができるように、絶えず自分のやり方を点検し自己評価する保育者が、園児の目線で保育をし、保護者の子育て支援をしていきます。
〈「りんごっこ保育園」の歩み 〉
1 りんごっこ保育園は、5年間、長野県の乳児院で保育者として勤め、その後、17年間、保育士として育児の仕事を続けてきた園長が、NPO法人「ひがしむらやまFM」(現NPO法人「多摩レイクサイドFM」)の要請と援助で2001年(平成13)年1月15日に、東村山市野口町にNPO法人立の家庭的な小規模の認可外保育所を開設したのがスタートの第一歩です。
2 その後、2001年(平成13)年8月、東京都の厳しい審査をパス、同年9月1日に東京都知事の認証を受け「認証保育所B型」(0才から2才まで)となりました。このとき、東京都はNPO法人立のB型認証保育所を認めていなかったため、個人立に変更したのです。
この家庭的な温かみのある認証保育所(現「りんごっこ第一保育園」)は保護者からその保育内容が信頼されただけでなく、本当の意味での「子育て支援」となるように、東村山市内でも保育料が最も安く設定されたことから、こういった理念を生かして、5才までの認可保育園をぜひ作ってほしいとの声が高まりました。
3 そこで、園長は、熱心に説得して銀行から融資をうけ、市内恩多町に、ついに2003年3月、法令に適合した認可保育園の園舎を完成させ、4月から開園しようとしました。
ところが、東京都と東村山市から基本設計について了解を得て、2003年3月には園舎が完成しましたが、その後、常識では考えられないさまざまな問題が起きました。何の根拠もないにもかかわらず、市議会の一部の議員が 「設備が不備だ」などといって、りんごっこ保育園の関係予算を削除するなどして開園をさせないようにしたため、開園が大幅に遅れました。
しかし、結局、裁判所は、法令に適合している「りんごっこ保育園」を開園させないのは許されません、東京都や市に職権勧告したため、翌年の2004年10月、りんごっこ保育園は開園の運びとなりました。
4 園長は、当初、認可外保育所がNPO法人立(特定非営利活動法人)だったので、認可保育園はNPO法人立にしようと努力しましたが、当時、銀行はNPO法人には融資をしなかったので、園長は個人立で保育園を開設することにしたのです。
その後、4年が経ち、銀行もNPO法人に融資するようになりましたので、2007年末から、園長はNPO法人設立の準備を始め、2008年7月にNPO法人(特定非営利活動法人)林檎の木が東京都知事から、認証を受けました。そして、同年9月1日NPO法人立となりました。
このことから、りんごっこ保育園は、運営主体を、園長個人からNPO法人に切り替えて、再スタートすることになったのです。
5 東村山市は待機児が多いので、何とか保護者の願いに応えようと、2009年秋から準備を進め、翌2010年4月から、久米川駅5分のところに分園(12頁)を開設し、本園の定員を1名増としました。 |

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