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【コラム 私は見た!】

豊真将の相手が巧すぎた

2010年7月22日

 毎度のことだが、琴奨菊が相手になる対白鵬戦は、遠慮なくいって、まったく勝負にならない。本人はもとより、周囲もどうしたものかと、いっては悪いが思案投げ首なのではないだろうか。

 こういった、いってみれば眼に余るような例も、大相撲が総当たりを売りものにしている以上、どうしようもない結果になってしまうのだろう。

 これも遠慮ない言い方になるのだが、そんな取組も番付に堂々とくるところが、大相撲ならではのものといえよう。

 こういった対戦成績が大きく開いてしまう取組でも、客は熱い拍手を送ってくれる。これも、いってみれば長いこと相撲文化を支えてくれた日本文化が持つゆとりからくるものだろう。そういったゆとりにつながっていく母胎として、どんな観客も心得ていることが大相撲にはある。白鵬戦では惨たる成績の琴奨菊なのだが、今場所がそうであるように、立派に関脇に位置することができるし、上位陣に位置して活躍したことを、ファンたちは忘れていないのだ。

 ことをひと言でいおうとすると、取る者も見る者も、相互に持ち合わせている文化ならではのゆとりなのだろう。

 大袈裟ないい方をするのは避けたいが、日本文化ならではのこうした余裕の代表のひとつが大相撲だといっても良さそうだ。

 十戦無敗と相撲ファンを驚かせた豊真将が、いとも簡単に負けた。いまごろ、豊真将は“負くまじき角力を寢ものがたり哉”という蕪村の名吟を思い出しているかもしれない。

 まあ、しかし“負くまじき”ところに至るまでの豊真将は、今場所実に見事な相撲を展開した。妙な慰めようをしようというのではないが、“負けちゃってはいけなかったのだ”と蕪村の句にあるような悔いは、豊真将には無いのではなかろうか。遠慮なくいえば、相手が悪かった。相手が巧すぎたというべきか。どっちにしても、攻める豊真将の読みが甘かったことは確かである。それに比べれば、鶴竜の攻めは、妙な方向から手を伸ばす投げといい、背に手をあてがった攻めといいひと癖もふた癖もある攻撃だった。

 全勝が途切れた豊真将にいいたいことがひとつある。それは相撲はまだ四日あるということなのだ。気張れ豊真将。 (作家)

 

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