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2100-01-01

当サイトをご覧いただくに当たって

  • 当サイトは、bewaad institute@kasumigasekiミラーサイトですとして発足しましたが、現時点ではこちらに暫定的に移行しております。
  • 当サイトのエントリは本サイトのテキストをそのままペイストしており、はてな記法での記述にはなっていないため、本サイトとは異なって表示される部分があります。
  • 当サイトでコメント・トラックバックを受け付けておりませんることといたしました。それらは本サイトにお願いいたします
  • 他方、本サイトは負荷のためサーバが極めて重いのですが、当サイトははてなダイアリーを使用しているためそのようなことはなく、快適に閲覧可能となっております。
  • 以上を踏まえ、本サイトと当サイトの使い分けとしては、コメント等をする場合は本サイトを、ROMで概要を押さえたい場合は当サイトを、という形でいかがでしょうか。

#以上、2008/3/26に修正。

2010-07-21

無期限休筆宣言

webmasterは、書きたいことが書けなくなるおそれが生じたことから、期限を定めず休筆いたします。おそれが生じたとは、具体的には次を指します。

それはおめでとうございます笑。ところで彼の正体を知っちゃったんですよね。で、ますます彼とのやりとりは非生産的だと確信しています笑RT @smith796000 すげー、bewaad氏が脊髄反射してる。なんか嬉しい。私ってタダものじゃないみたいです。エリート官僚公認になりますた!!

http://twitter.com/hidetomitanaka/status/18915329571

ここしばらくの「変節」や、彼の日本語のわからなさ、さらに議論してても単に日本語の解釈論ばかりでいっこうに得るものがないなど、本体知ってもあいかわらずわけわかめですが 笑。その脊髄反射の部分は本体知ったので読む動機も失ってます。時間のムダ 笑@smith796000

http://twitter.com/hidetomitanaka/status/18915990055

もちろんいままでと同じように誰であれ、僕はネットで匿名でつきあった人たちの本名・所属を知ったからといってそれをネットで不特定多数に知らせるつもりはない。ただ個人的にいろんな意味ふくめて、どーでもいいや。次いこ。と思ってるだけ。

http://twitter.com/hidetomitanaka/status/18916391125

いえ、個人名と所属ですよw まあ、だからどうしたというと最近の評価に影響なしですが 笑@smith796000 @night_in_tunisi

http://twitter.com/hidetomitanaka/status/18918422964

つまり、webmasterの正体が暴かれるおそれが出てきたのです。なぜwebmasterにとって正体を隠し続けることが重要なのかは、次のとおりです。

webmasterがbewaadとしてウェブ上で言論活動を始める前、2001年12月に、内閣府の枝廣参事官(当時)が、村上龍さんが運営するJMMへの投稿にて「予算編成の方針を経済財政諮問会議が策定する意味は、政治との関係を断ち切るということだ」「私は、諮問会議をやっかいものとしてしか見ようとせず、予算獲得にしか関心を示さない昔ながらの政治に当惑している」と記したことが自民党総務会にて問題視されたことがありました。どんな組織にも当てはまることではありますが、とりわけ霞が関においては、所属組織を隠さない形での言論活動は、それがあくまで個人的見解であっても、組織への影響を完全に遮断することは不可能なのです。そうした影響にどう向き合うかは、人それぞれでしょう。少なくともwebmasterは、それはそれでしょうがない、と考えられるタイプの人間ではありません。書きたいことを書くには、どうしても所属組織は隠しておかなければならないのです。

そもそも、所属を隠しておこう、とは虫のいい考えではあります。世の中に問うてみたい考えがある、その考えを明らかにするに匿名では信頼性に欠ける、しかし自らの素性を明らかにすれば組織に影響が及ぶ可能性があり、それを気にしないでいられる人間ではない、というトリレンマを解決しなければ、bewaadという存在は誕生しませんでした。ではいかに解決されたかといえば、その答えはいわゆる黒木ルールでした。

筆者が運営している math.tohoku.ac.jp 内の掲示板においては、「匿名」で他人を批判することを禁止します。批判が的を外していた場合には、恥をかくことで責任を取ってもらいたい。

ただし、ここで「匿名」とは、自分自身の趣味・嗜好を明らかにせず、自分の所属も E-mail address も web site の URL も公開してない方のことです。最終的に「匿名」であるか否かの判定は管理者の主観によって行なわれますが、その基準は大体以下の通り。

実名や所属を隠し、ハンドルを用いている方であっても、自分の趣味・嗜好を十分に表現している方は「匿名」とはみなしません。例えば、ウェブ検索エンジンでハンドルを検索することによって、他の場所で自分の趣味・嗜好を十分表現していることを容易に確認できる方は「匿名」とはみなしません。もちろん、作家のペンネームなども「匿名」とはみなしません。

一方、たとえ実名であっても、それが有名でもなく、所属も E-mail address も web site も公開してなくて、趣味・嗜好を明らかにしてない場合は「匿名」とみなします。 (そもそも、実名であるか否かを調べることは困難なので、判定基準に用いることはできない。)

また、所属のわからない E-mail address もしくは中身のない web site の公開だけでは、趣味・嗜好を明らかにしているとは言えないので、「匿名」とみなすことがあります。自分がどこの誰なのか隠したい方は、全力で自分の趣味・嗜好を明らかにするよう努力して下さい。それができないのなら、他人を批判せずに穏当な発言のみをするようにして下さい。

黒木のなんでも掲示板:利用上の注意

これこそが、ネット上でのbewaadというアイデンティティ誕生の契機でした。所属組織を隠したままであっても、ネット上で自らの文章を積み重ねていけば、議論をしてもいいのだと。蒙を啓かれるとは、こういうことを言うのでしょう。黒木ルールに、そしてそのルールに基づき活発な議論がなされている黒木掲示板の存在に励まされて、bewaad.comのドメインでのサイト運営は2003年初にスタートすることができたのです。以後、皆様のお力に支えられ、もしネット上での言論活動をしていなかったならば到底得られなかったであろう、様々な貴重な経験をさせていただきました。これからもそうした活動を続けていけると、何の疑いもなく信じて今日に至りました。

しかし、それははかない夢に過ぎませんでした。上記のとおり、もはやbewaadとして発言することは、webmasterの所属組織に影響を及ぼすおそれと不可分となってしまいました。繰り返しになりますが、webmasterは、その影響に目を瞑っていられるパーソナリティの持ち主ではありません。そして、くどくど経緯を説明させていただいたとおり、書きたいことを書く、というのはbewaadというアイデンティティの根幹です。

書きたいことを書けなくなったそのときに、bewaadは死んだのです。

仮に正体がある時点まではバラされず、あるいは、正体を知ったとはブラフで/人違いで杞憂であり、組織への影響なくbewaadの名において書き続けたとしても、こんなことを書いたら逆ギレされて正体を暴露されるのではないか、とおびえながら続けることとならざるを得ず、それはやはり書きたいことが書けない、つまりはbewaadではない、別の誰かに過ぎません。

とはいえ、7年半あまり連れ添いはぐくんできたbewaadが、「変節」「反リフレ」「増税派の走狗」と何ら根拠を示すことなくレッテルを張られ、ついには脅迫による言論統制に屈してサドンデスを強いられることに対して何の手向けもないというのでは、あまりに忍びないです。これから、7年半の集大成として、リフレ政策についてのエントリを書きます。それを公開し、皆様に御礼を申し上げてから、筆を置くこととしたいと思います。再び筆を執るのは、転職か定年退職かそれ以外の事情か、いずれにせよwebmasterが組織から離れたそのときに・・・。

2010-07-19

田中先生の論争術と上念さんの戦略眼と‐続・ネットではいろいろ勉強の材料がいただけてありがたい限りです。

なんと実り多き連休なのでしょう! ネットではいr(ry

田中先生の論争術

何らかの意見を表明する際、きちんとソースを明かすことは重要ですよね!

ここでの「公式」は当事者が「これが法案でござい」という程度のものですよ。その程度のソースも示せないなら議論以前の脳内超能力対戦で、エスパーでないので僕は遠慮(笑)@Keyray7

http://twitter.com/hidetomitanaka/status/18804016896

多分またこの僕らの発言で意味不明&ソース不明のレスがあるでしょうけど、ただの世論工作と無視がいいかと。真実はやがて明らかになるでしょうから@smith796000

http://twitter.com/hidetomitanaka/status/18812516536

ところが、

わかるのは高橋さんへの誹謗と、それと彼の量的緩和解除以降から基本的には継続している反リフレ的態度ですね。まあ、僕らを釣りたいのかもしれないですが 笑@smith796000

http://twitter.com/hidetomitanaka/status/18806739254

この「高橋さんへの誹謗」「反リフレ的態度」のソースは、(前々日のエントリでお示しいただければと記した「財務省増税派の走狗」とご判断されたソースもあわせ)田中先生のご発言の中に見出すことができません。前者については、なぜ高橋先生の法律家としての素養に疑問をいだいたかのソースをお示ししたにもかかわらず、なぜ「誹謗」とおっしゃられるのかわかりませんし、そうしたwebmasterの見解にご異論があるのであれば、webmasterの立論はかくかくしかじかで誤りであると論じていただければと思うのですが、「誹謗」と決め付けられるのみです。

後者については、反田中先生風日銀批判的態度とおっしゃられるのであれば、まことに当を得たご指摘でわざわざソースをお示しいただければとお願いするまでもないのですが、リフレ政策そのものへの反対論など書いたことは記憶の限りでまったくなく、「走狗」とあわせ、ソースをお示しいただければ、とwebmasterのような一般人は思ってしまうのです。これに対していちいち付き合う義務は田中先生には一切ないのですが、単にスルーするだけでは、webmasterの主張に屈したのか、と早とちりしてしまう軽率な輩まで出てくるかもしれません。

しかし、賢明なる田中先生が、このような点に思いが至らないはずがありません。

そもそも何度読んでも彼が何をいいたいのか僕には日本語のレベルでわからんのです。彼を弁護して、僕らの物言いに「お説教」したい人たちがいるのは理解しますが 笑。他方でその人たちはbewaadのいってる日本語を整理し、またソースを明示するなんて全然しませんね笑@smith796000

http://twitter.com/hidetomitanaka/status/18806468331

「何をいいたいのか・・・日本語のレベルでわからん」のですから、スルーするしか対応はあり得ないのも当然である、と完璧な理由を提示されています。にもかかわらず、「高橋さんへの誹謗と、それと彼の量的緩和解除以降から基本的には継続している反リフレ的態度」はわかるとは、神のごとき洞察力をお持ちに違いありません。あるいは、「その程度のソースも示せないなら議論以前の脳内超能力対戦で、エスパーでないので僕は遠慮(笑)」というのは実はご謙遜で、webmasterの書く日本語が意味不明であっても、テレパスとして真意はご理解されるお力を持っていらっしゃるとか・・・。

#ちなみに「法案」のソースとして、webmasterはWSJの記事を挙げ、その報道どおりであれば、という仮定を明示した上で論じております。

本件をめぐる混乱も、webmasterの表層心理には「高橋さんへの誹謗と、それと彼の量的緩和解除以降から基本的には継続している反リフレ的態度」なんてものは存在しないのですが、実は深層心理にそうしたものが存在していて、それを鋭く見抜かれた田中先生と、自分のことなのにそこまで思いが至らないwebmasterとの認識のギャップに起因するのかもしれません。そうであるならば、まさしく「真実はやがて明らかになるでしょう」し、あらゆる論争において敵う論客はいらっしゃらないことでしょう。恐るべし、田中先生!

上念さんの戦略眼

【Z】ついに日銀法改正が俎上に上がったので、日銀貴族はすべての貴族パワーを総動員して宣伝戦を仕掛けてきます。ネット上でも工作員たちが一斉に動きますので、みなさん負けないでください。正に、「皇国の興廃この一戦にあり」です。【Z】 #デフレ危機_

http://twitter.com/smith796000/status/18726737843

ネット界隈の一部では、今般の参院選における民主党敗北をもたらしたとの見方もある、ネット上での情報戦に着目されるとは、上念さんの戦略眼たるや只者ではありません。「キムチ 在日選挙権 夫婦別姓 工作員」などでぐぐると、webmasterごとき凡人の目の届かぬところで、日本のサイバースペースにおける情報戦の最先端で如何に熾烈な争いが繰り広げられているかの一端を知ることができます。そんな只者でない戦略眼をお持ちの上念さんなのですから、

@hidetomitanaka エリート官僚としての上から目線でこういった誹謗を繰り返していて、しかも匿名ということならもう相手にしなくていいんじゃないでしょうか?とはいえ、私のような小物に彼の工数を割かせておいた方が戦略的に有利なら泥仕合演じても全然OKです。

http://twitter.com/smith796000/status/18807335777

と、「戦略的に有利」と明示されているにもかかわらず、「くやしいっ…!ビクンビクン」とばかりにwebmasterが上念さんのつぶやきを取り上げてしまうのも、やむを得ないことでしょう。そんな上念さんの戦略眼に基づく手筋は、

@hidetomitanaka そうですね。また、仮に行政府の役人が国会で審議されるであろう法案に対して、提出される前からケチ付けるのって三権分立から考えて越権行為じゃないんでしょうか?そのために細かい話を持ち出して世論工作してるなら笑止です。

http://twitter.com/smith796000/status/18806630522

@hidetomitanaka なんかわざとこちらの工数を割かせるようにしてるんじゃないでしょうか。実名晒して正々堂々やればいいのにっていつも思いますけど。実名晒せないってことは終身雇用のレール(=天下り)から外れたくないんでしょう。役人にも国士とそうでない人がいるんですね。

http://twitter.com/smith796000/status/18807000554

というもの。越権行為として問題になるならば、終身雇用のレールから外れるでしょうし、問題にならないならば(あるいは、問題にならないとわかってやっているならば)「終身雇用のレール(=天下り)から外れたくないんでしょう」という仮説の蓋然性が高まるでしょうし、と王手飛車取りの完璧な一手です。でまあ実際に、webmasterは問題にならないと承知でやっているので、天下り目当ての下劣な官僚であることが満天下に明らかになったわけです。

#瑣末な揚げ足取りをすれば、三権分立の問題ではなく公務員の政治的活動の問題で、浦部先生の解説などを読むのが吉。

・・・ハッ! 上念さんは、

@hidetomitanaka 私は彼の昔からの読者ですが、最近の脊髄反射っぷり&内容が2ch的なのは大変残念です。かつての青雲の志を取り戻してほしい。役所を辞める覚悟で実名晒し、今のような主張を堂々とやったら、内容はともかく態度としては見直しますね。

http://twitter.com/smith796000/status/18807202142

とのこと。つまり、官僚の「国士」気取りや「青雲の志」といったものにwebmasterが冷笑的であること(例:プロジェクトK)を百も承知で・・・「ジャーン ジャーン ジャーン」「ゲェーッ! 孔明の罠だー!」

2010-07-18

ネットではいろいろ勉強の材料がいただけてありがたい限りです。

from typeA_acさん

@night_in_tunisi @hidetomitanaka 私も賛同を表明させてください。私にはbewaad氏が想定する程度のことを暗黒卿が想定していないわけないと思っていますので、彼の批判を意に介する必要はないように思われます。

Twitter / typeA: @night_in_tunisi @hidetomi ...

webmasterは、高橋先生の次に列挙するような法解釈の開陳等から、高橋先生には法律家としての素養がないかと考えていたのですが、それは浅はかだったようです。webmasterが指摘するような法的問題は想定済みとのことですから、きっと次の問題も解決されているのでしょう。どんな解決策を高橋先生がご考案であるのか、じっくり考えてみたいと思います。

ネットではいろいろ勉強の材料がいただけてありがたい限りです。これらについて考えるだけで、この連休を有意義に過ごせそうです!

from 上念司さん

みんなの党が提出するデフレ脱却法案が予算関連法案だったとして何が問題何でしょう?提出前に国対レベルのネゴで例えば民主党との共同提案になれば何の問題もないです。bewaad氏はネゴがうまくいかないという政局を語りたいのでしょうか?良く分かりませんね。 @hidetomitanaka

Twitter / 上念 司: みんなの党が提出するデフレ脱却法案が予算関連法案だっ ...

前回のエントリにて、

コーディングスキルがないと察せられる状況があり、バグの入ったスパゲッティを書きかねないおそれがあるので、コーディングスキルをチェックした方がいい(で、チェックの結果スキルがないと判明したら、よりまともなコーダーを採用した方がいい)よと警告を発することが「財務省増税派の走狗なら当選(ママ)の反応」とは恐れ入りました。バグのせいで設計どおりにスキームが動作しなかったら、どうするんですか?

と書いたことが、良く分からないどころか政局に関するネタだと解されるとは、webmasterの文章能力には多大なる問題があるようです。どうしたら意が伝わるような文章をきちんと書けるようになるのか、課題はあまりにも多いようです。

ネットではいろいろ勉強の材料がいただけてありがたい限りです。これらについてかn(ry

from 田中秀臣先生

リフレ政策支持とかもう言わない方がいいと思う。ちゃんと見てる人はもうそういうふうに君を思っていない。リフレ政策が現実的選択肢にあがってくると、それの批判に特化する。建設的な意見などゼロ。どんなに好意的にみても、君はリフレ政策支持で君に期待していた人たちの気持ち、故ドラエモンの好意すらも逆手にとって(しかも死者に口なしをいいことに、彼がリフレ派という言葉を否定したと嘘まで弄している)、反リフレを扇動するただのノイズです。

bewaadに一言

webmasterの主観では、リフレ政策ではなく日銀批判のあり方を批判しているのですし、実現可能なリフレ政策案も提示しているわけですが、webmasterの文章能力には多大なる問題があるようです。どうしたら意g(ry

なお、「リフレ派」の呼称については、岡田靖さんが亡くなられた際のエントリに関するものかと察しますが、そこでwebmasterが書いた趣旨のものは未発掘であるものの、別の趣旨で、岡田さんが「リフレ派」の呼称を、他にいい言い方がない故の消極的な選択と認識され、もっといい言い方を模索されていたことは次のように見つけることができました。

◆ あれれ (2005-11-18 07:01)

リフレな人はそもそもその手の政府介入はそれが適切かどうかが事前に分かるわけが無いというミクロ不介入を身上としていて、こういう中小企業の苦境はとにかく経済全体を拡大・活性化させることで救済するという立場かと思っていました。

別に煽っているわけではないので教えてください。

銅鑼衣紋 (2005-11-18 09:10)

>>あれれさん

そういうのは、僕とかすの字とか、ここのマスターとかの趣味であり(もちろん本人達は正道だと思っているが)「リフレな人」というくくりでは不当な一般化との誹りは免れないです。公共事業バリバリで受動的金融緩和で「リフレ」なひとも居ますし、為替介入で「リフレ」な人も居るし、「ケチャップ」「ポテト」「銃」買いオペな人もいるし、段階的消費税引き上げな人もいますしね。

要するに、漠然と「リフレな人」というのは「デフレは悪い。今は不況。マクロ政策で状況の大幅な改善余地あり」と考えている人であり、反対概念は「デフレ上等。今は自然失業率。マクロ政策は不要」という主張を続けている人でしょう。

(略)

◆ bewaad (2005-11-19 08:54)

>銅鑼さま

ご指摘の点については当サイトでも「リフレ派」とバンバン使いまくってますので、それに引っ張られてしまったという面もあると思います。その点、かつての「インタゲ派」的な呼称をインフレターゲットのみに矮小化されたくなくて「リフレ派」という言葉を意識的に多用してきましたが、「インタゲ派」の方が紛れは少ないのかなと思います。

(略)

◆ 銅鑼衣紋 (2005-11-19 23:28)

>bewaadさん@http://www.bewaad.com/20051115.html#c22

かつて「インフレターゲット派」を改名して「リフレ派」と言い出した責任の何割かは僕にあるので、あなたの責任ではないです。そもそも、この呼び換えは、正統インタゲ派(笑)つまり「インフレ抑制のためにインタゲするんで、デフレをひっくり返すような奴は、裁量政策でありルール重視のインタゲではない」というご批判にお答えして、かつ必要なら財政出動も辞さずなんていうお前はインフレターゲット派ではなく、腐れケインジアンの生き残りに過ぎないというご批判にもお答えすべく、差別化のために導入したわけです。ところが、ルーカス先生の「銃でもポテトでも」とか、バーナンキ先生の「ケチャップ」とかいう不規則発言まで飛び出したことや、例のシニョリッジで公共投資だけな人たちが自分たちもリフレ派だと言い始めた結果、またもやわけわかめ状態にorz

論文に「銅鑼すりbewaad型リフレ政策」とも書けないし(爆

(略)

◆ bewaad (2005-11-20 13:44)

>銅鑼さま、fhvbwxさん

まじめな話は終わったようなので呼称を蒸し返しますと(笑)、リフレ派ってのは生じる経済の変化に着目したもので、インタゲ派ってのは手段に着目したものですが、インタゲ・リフレ派ってのが双方を包含する消極的解決では(爆)

しかし、下記の自分の過去のエントリを見ると、そのあたりを織り込んで再整理した方がいいのかな、という気も。

http://bewaad.com/20050214.html#p01

◆ 銅鑼衣紋 (2005-11-20 14:45)

>bewaadさん

いや、最初の頃はそれを意識して「インフレターゲット付き量的緩和」と言ってたんですけどねぇ。インフレ上限以外は制限なしに(今は「日銀券発行残」が上限ですが)量的緩和しろということですが。長すぎると駄目みたいね。

2005年11月15日エントリコメント欄

webmasterも記憶していなかったのですが、この辺りの状況を田中先生にお伝えしたのはwebmasterだったようで、しかるに嘘吐きと批判されるようになるとはいかなる身の不徳の致すところか、あまりに不徳が多すぎてにわかにはわかりかねるので、じっくり検証する必要がありそうです。

ネットではいろいろ勉強のz(ry

2010-07-17

続・みんなの党の日銀法改正案

その1

前回のエントリに、次のようなコメントをいただきました。

aquamarine 2010/07/16 02:09

長年興味深く拝読しております。

産業再生法に損失補填条項を入れたときは、損失発生時に予算措置という理屈で予算計上していないと聞いています。同じスキームにしたら非関連法案にする余地があるようにも思うのですが、どうでしょうか。

間違っておりましたらすみません。

産業再生法には詳しくないのですが、経済産業省のページを見る限り、損失補填とは日本政策金融公庫が行うものと思われます。すなわち、産業再生法に基づく損失補填に係る予算とは、一義的には日本政策金融公庫の予算であって、(狭義の)政府の予算ではありません。予算関連法案という場合の「予算」とは、この狭義の政府の予算を指しますので、本件損失補填を盛り込む改正法案は、予算非関連法案として取り扱われたものと推測いたします。

なお、当該法改正時に「損失発生時に予算措置という理屈で予算計上していない」との説明がなされたのであれば、それは日本政策金融公庫に対して行う政府の予算措置は、日本政策金融公庫において一定の損失が発生した際に行われる、というスキームだったのではないのかな、と個人的には思います。たとえば、産業再生法の時限措置が切れた際、損失補填業務について損益通算を行い、トータルで損失が確定した場合に政府が穴埋めする、といったような具合ではないでしょうか。

その2

twitterは見ていないのですが、HALTANさん経由で。

公務員改革にビビってるんでしょうか? RT @hidetomitanaka: またbewaadがおかしなことを慌て書いてるのか。財務省増税派の走狗なら当選の反応そのもので、やはり完全にリフレ政策支持を偽装しているのが丸わかり(笑)。見るひとがみたら噴き出す。

Twitter / 上念 司: 公務員改革にビビってるんでしょうか? RT @hid ...

コーディングスキルがないと察せられる状況があり、バグの入ったスパゲッティを書きかねないおそれがあるので、コーディングスキルをチェックした方がいい(で、チェックの結果スキルがないと判明したら、よりまともなコーダーを採用した方がいい)よと警告を発することが「財務省の増税派の走狗なら当選(ママ)の反応」とは恐れ入りました。バグのせいで設計どおりにスキームが動作しなかったら、どうするんですか?

#あ、「霞が関の抵抗勢力が法律に反して勝手な運用を行っている!」と批判すればいいんですね(笑)。

webmasterがウェブ上で駄文を書き散らし始めてから7年半が経つものの、現下の経済情勢において増税せよといった類のことを書いた記憶は一切ありませんが、「財務省の増税派の走狗」とはどこから読み解けるのでしょうか? お得意の「ジャーナリズム的匿名記事」などを用いての、快刀乱麻を断つ見事な謎解きを胸を躍らせて期待しております。ここに縦読みでメッセージを隠しているとか、あそこにサブリミナル効果のある画像が仕込んであるとか。webmasterは、武田了円さんが喝破するところのニャントロ人の巣窟である東大法学部出身ですから、それぐらいやりかねないですよね!

2010-07-15

みんなの党の日銀法改正案

Wall Street Japanの記事にて、みんなの党が提出を予定している日銀法改正案が明らかになりました。しかしながら、当該記事が正しいのであれば、この法案は、少なくともみんなの党単独では、国会に提出できません。

2 中小企業者に対する事業資金の貸付けに係る債権の買取りに係る臨時措置

(1) 政府は、中小企業者に対する金融の円滑化を図る必要があると認めるときは、日本銀行に対して、金融機関の有する中小企業者に対する事業資金の貸付けに係る債権の買取りを要請することができる。

(2) 日本銀行は、(1)の債権の買取りの要請があったときは、(3)により当該要請を拒否する場合を除き、当該要請に係る債権の買取りを行うものとする。

(略)

(5) 政府は、(2)の債権の買取りにより日本銀行に損失が生じたときは、当該損失の額として政令で定めるところにより計算した金額の範囲内において、当該損失の補てんを行うものとする。

みんなの党・日銀法改正案の概要

上記引用中2(5)によれば、この法案は政府支出を伴います。霞が関ジャーゴンで言えば、予算関連法案です。

第五十六条 議員が議案を発議するには、衆議院においては議員二十人以上、参議院においては議員十人以上の賛成を要する。但し、予算を伴う法律案を発議するには、衆議院においては議員五十人以上、参議院においては議員二十人以上の賛成を要する。

国会法

引用した国会法の規定に明らかなように、予算関連法案の提出には、参議院議員であれば20人以上が必要ですが、みんなの党の参議院議員数は11人ですので、この法案を国会に提出することはできません。仮に巷間言われているとおり、政策工房がみんなの党の知恵袋であるならば、という前提ではありますが、同社の原社長は経済産業省出身ではあれど、法案作成に必要な専門知識・技術が足りないのでは、という疑念が。高橋会長にその手の知識・技術がないのはわかっていましたが・・・。

#うかつにも失念していましたが、そもそも予算提出は内閣の専権事項(日本国憲法第73条)なので、議員が何人集まってもできないのですが、どうするつもりなんでしょう?(7/15追記)

2010-06-17

「戦争の体験談を語るわ」後日談

祐希 ◆.0dKn/WD26さん自身による後日談がアップされましたので、ご紹介いたします。

2010-06-02

「戦争の体験談を語るわ」後編

「戦争の体験談を語るわ」第3章:フォーチャ

f:id:bewaad:20100601005806p:image

彼の帰りを待ち続けてから、4時間か5時間ほど経過していたと思う。時計を持っていなかったから、何時頃かまでは正確にはわからないけれど、お昼近かった、もしくは過ぎていたかもしれない。待っている途中に、何度か道路を車が通り過ぎて、その度に皆で伏せたりして身を隠し、物音を立てないようにしていた。普通であれば、通り過ぎる車は市民であったり、伐採した木材を運ぶトラックだったりしたのだけれど、この時通過していった車は、武装警察か民兵、あとはユーゴから抜けたスルプスカの軍隊ぐらいだったと思う。

もしかすると、フォーチャも既に同じ状況かもしれないという不安が、車を目にするたびに確信に変わってきていた。それでも、街から彼が戻ってこない限りは、どうする事も出来ない。何時になったら戻ってくるんだろう。もしかして何かあったのかもしれない。そんな不安も過ぎっていた。だけど、何かあれば街から音がしたりするんじゃないか、いや、距離があるから聞こえないといったやり取りを、大人たちはしていた気がする。俺やメルヴィナたちは、特にする事もなく、息を潜めながら、小さい子ども達をあやしたりして待っていた。

すると、朝に食料や水を取りに行ったボシュニャチの人が、スルツキの青年二人を連れて、俺達の隠れている方向に向かってきたんだ。皆混乱した。何人かの大人は、彼が俺達を売ったと言ったり、仲間になってくれるんじゃないかと言ったりして、話し合っていたんだ。しかし、このままここで待っているのは危険すぎる。もし本当に彼が俺達を裏切ったとしたら、俺達の運命は終わったも同然なんだ。だから、この場から離れて逃げようといったり、隠れてスルツキの青年たちの様子を見て、隙があれば殺そうといったりして、揉めたんだ。この時、話し合いを聞いていたけれど、子ども達は長時間の移動と、緊張の連続で疲れ果てていた。だから、淡々と、「どうなるんだろう」と考えたりしていて、子ども達は静かだった。

結局、すぐに結論が出る話ではないわけで、俺達は見つかる前に、とりあえず隠れる事にしたんだ。様子を見てから決めても遅くは無いってね。相手は武器も持たない青年二人。両手に大きな荷物を持っている。例え武器だとしても、取り出す前に殺せると考えたんだろうと思う。恐らく、100メートルぐらいまで近づいてきた頃かな。ボシュニャチの彼と、スルツキの青年二人が、手を振り出したんだ。

もしかして、俺達を狙っていないんじゃないかって大人が言い出した。でも、また別の人が、いや、これは罠だ。って言い出した。どっちかわからないんだ。他民族どころか、もう同じ民族の人間ですら、朝まで仲間として共に行動していた人間ですら信用できなくなっていた。おれ自身も、日本人ではあるけれど、この時は自分もボシュニャチの仲間・同胞といった様な意識が芽生えていたように思う。

それからしばらくの間、俺達は三人のことを注意深く観察したんだ。実際に観察していたのは大人で、俺達子どもはその様子をちらっと見たり、聞いたりするぐらいだったけれどね。何か手を振る以外に何らかの行動を取ると大人たちは思っていたみたいだけど、彼らが何かをする素振りは見せなかったんだ。ただ、手を振って、そしてじっと待っているだけだったんだ。

そしたらさ、こんな時に限って、先ほどまで静かにしていた赤ちゃんが泣き出したんだ。そりゃそうだよね。もう丸一日以上ろくに水分補給もしていないし、赤ちゃんが泣くのは仕方が無い。でも、タイミングが最悪だった。当然、彼らはすぐにこっちに気づいたよ。大人たちは、彼らと目があったのか、それとも彼らがこっちに振り向いたのか、「あぁ・・・。」といったような諦めの言葉を発した気がする。

気づかれてしまい、もう駄目だといったような雰囲気が、俺達の中を包み込んだんだ。だけど、彼らはこっちに気づくとさ、ニコニコしながら向かってきたみたいで、俺達の目の前まで来た時も、安心したような表情を浮かべて、3人で来た経緯を話してくれたんだ。彼らが話していた内容は、長くて殆ど覚えてないから、簡単に要約するけれど、スルツキの青年二人の街ミジュヴィナでもカリノヴィクと同様の事が起きたんだ。つまり、非スルツキの人々にスルツキの警察が襲い掛かってさ、連れて行ったり、抵抗する者は見せしめに殺害・レイプしたりしたらしいんだ。それでさ、ハーフの彼が街に入った時、ちょうど亡くなった遺体とかを積み上げていたところだったらしい。

それでさ、この時一緒についてきたスルツキの青年二人が、ハーフの彼に気づいたらしいんだ。そして、ここは危ないから、早く逃げるように言ってくれたんだって。だけど、食料と水がない状態ではゴラジュデどころか、近くのフォーチャにもたどり着けないって言ったんだって。小さい子どもや、年配の老人もいるから、食料と水が必要って。そしたら、二人がわけてあげるって言ってくれてさ、そして自分たちもついていくと言ったんだって。ハーフの彼は断ったらしいんだけど、もし自分達がついていけば、万一民兵や警察に見つかった時でも、二人が出て行けば誤魔化せるかもしれないからってさ。

彼らが言うには、ミジュヴィナの街で、その虐殺というか、さっき言った様な事態が発生した時に、何人かのスルツキの人々は、ボシュニャチやフルヴァツキの人々に危害を加えるのに反対したらしいんだ。昨日まで隣人として暮らしていた人を殺すのは止めようって。でも、そう言った人たちの殆どは、警察に酷い暴行を受けたり、殺されてしまったんだって。だから、自分たちはこんな所に居れない。居たくないって事だったらしいんだ。

話を聞いた後、大人たちだけで話し合って、結果的には一緒に行動する事になったんだ。それで、山の中で食事や休憩を済ませた俺達は、夕方になるのを待ってから、フォーチャに向けて歩き出したんだ。フォーチャへの道のりは、車だとそこまで遠いわけでもないのに、とても長く辛く感じた。これからどうなるかもわからない不安の中で歩くのは、とても根気のいる事だったんだ。夕方の時間帯は何とか大丈夫でも、夜になればどうしても眠くなるんだ。ただ、夜のうちに行動したほうが安全だからと言われて、歩くしかなかった。

人間ってさ、本当に眠い極限状態の時は、どんな状況でも寝れるみたいでさ、子どもだけでなく、大人でさえも、半分寝ながら歩いていたんだ。子どもに至っては、ふらふらしながら歩いていてさ、危ないからということで、皆で手を繋いで、一列になったんだ。小さい子がうとうとしても、大きな子や俺達ぐらいの年の子が転ばないように注意しながら支えて歩いたんだ。それで何とか、朝が明ける前にフォーチャ付近までたどり着いた。

フォーチャの街に入るには、本当は橋を渡った方が近いし楽だったんだ。だけど、橋の付近にはスルプスカの警察や軍が検問を張っているかもしれない。一緒について来てくれたスルツキの二人が、橋は避けたほうが良いと言うので、俺達はフォーチャ手前で川を直接泳いで渡り、超えることにしたんだ。

ただ、体力的にも限界が近づいていた俺達には、水の中を泳いで渡るのはとても過酷だった。渡る途中で、母親におんぶされていた幼児が流されてしまってさ。助けなければいけないのに、誰も泳いで幼児の所まで行く体力が残っていなかったんだ。母親は子どもの元へ泳いでいこうとしたんだけど、他の男の人に止められたみたいで、結局俺達は、その幼児が流されて沈んでいくのを見ているだけしか出来なかった。

川を渡って、山の方からフォーチャ市内へ向かった。街は、カリノヴィクやミジュヴィナと違って、家が燃えたり人の悲鳴が聞こえたりといった状態にはなっていなかったんだ。俺達はほっとして、そしてスルツキの二人が念の為様子を見てくると言って、先に街の中へ入っていった。多分1時間くらいして戻ってきて、大丈夫だから行こうという事になった。

この日は、カリノヴィクから逃げてきてから大体二日ほど経った日で、92年の4月7日だった。もし、フォーチャでもカリノヴィクと同じ事が起きていたらどうしようと思っていたけれど、実際にはまだ何も起きていなくてさ。とりあえず、皆安堵して、親戚や知人がいる人たちはその家に向かい、行き場のない人達はモスクへ向かったんだ。以前ソニアやソニアパパと来た時は、街もかなり活気があって、人々が溢れていたのだけれど、この時は人が少なくて、多分外に出ていなかったんだと思う。それがとても印象的だった。

俺達が向かったモスクはさ、前にソニア達と一緒に来たモスクだったんだ。あの時は、まさかこんな形で再び来ることになるとは思わなかったけれど、安心した気がする。これからどうしたらいいのかとか、父さんは無事なのかとか、色々と聞きたいことや不安は山積していたのだけれど、緊張や疲労から体力的に限界がきていた俺やソニア達は、着いてからすぐに寝てしまったんだ。

たったの数日、二日ほどの出来事だったのに、ゆっくりと安心して建物の中で寝られるのが、とても久しぶりに感じた。

目が覚めたときには、もう辺りは暗くなっていて、夜になっていたんだ。かなり長時間、寝入ってしまっていたんだ。起きたら何だかトイレに行きたくなってさ、俺は大人の人を呼んで一緒に行ってもらおうと思ったんだ。早朝まで暗い山や森の中を歩いて来たというのに、トイレに一人で行くのが怖かったんだ。変だよね。でも、周りを見渡してもモスクの中には大人が誰も居なかった。あれ?おかしいな。もしかして夢なのかな?とか、まだ寝起きで頭がぼーっとしていた俺は思っていたんだ。だけど、少ししてさ、外が騒がしいのに気づいた。

どうしたんだろうと不思議に思って、モスクの外に出て周りを見渡したんだ。そしたら、街中から人の悲鳴とかが聞こえてきてさ、時々、つい先日耳にしたのと同じような乾いた銃声の音が聞こえたんだ。嘘だと思った。やっと安心できると思ったのに、たった一日、いや一日も経たずにこんな事ってあんまりだと思って、自分の目を疑った。

でも、何か目を擦っても、耳を叩いても、目に見える光景や音は変わらなかったんだ。そしてよく見るとさ、街の所々から火とか煙が上がっていて、信じたくなかったけれど、これが夢の世界の出来事なんかじゃなく、現実に起きている事だと受け入れるしかなかった。そう考えたらさ、さっきまで何ともなかったのに、急に足の力が入らなくなってしまって、地べたにペタンと座って立てなくなったんだ。心のどこかで、もう逃げ切れないんだな、ここで死ぬしかないんだなと感じた。希望を持たなければここまでショックを受けなかったと思う。だけど、フォーチャに着いて、もう大丈夫かもしれないと希望を持ってしまったんだ。それをもがれるのは、まだこの時は耐えられるものではなかった。

それから少しの間、その状態のまま座っていたと思う。気づいたら、周りに一緒にここまで行動してきた大人達が居て、その人たちも同じように唖然とした表情で街を見つめていた。恐らく、最初から近くにいたのかもしれないけれど、街の状態でショックを受けていた俺は、気づかなかったのかもしれない。そのまま俺はまたじっと、燃える街を見ていたんだ。そしたら、ソニアが起きてきて、俺の隣に来たんだ。

「祐希ー、街綺麗だねー。わー赤い星がいっぱいだよー。」

といった感じの事を笑いながら言うんだ。一瞬、俺はソニアが何を言っているのか理解できなくてさ、表情を見たら、何か笑っているけど、ぼーっとしていてさ、目の焦点が合わないような変な表情をしていた気がする。おかしいって思って、何言ってるのか何度も聞いたんだ。だけど、ソニアは笑って綺麗だね、しか言わないんだ。物じゃないけどさ、ソニアが壊れちゃったと思った。

俺はどうしたら良いのかわからなくて、ソニアの事も相まって少し混乱しちゃってさ。もう考えるのは無駄かもだとか、諦めようとか、マイナスの事を考えたりしたんだ。だけど、このまま諦めたらソニアやメルヴィナ、サニャはどうなるって思って、このままだとカミーユの行動が無駄になるって考えたんだ。サニャ達を守るって誓ったのに、このままだとその誓いも破ることになってしまうって。だから、3人を連れて街から逃げようとしてさ。行くあてもないし、ましてやこの国の人間ではない自分には頼れる人もいない。それでも、ここに留まっているよりは、マシな選択に思えたんだ。

逃げるなら、今のうちしかないと考えた俺は、ソニアの腕を引っ張って、モスクの中に戻った。そしてまだ寝ていたメルヴィナやサニャを起こして、「ここは危ないから街の外に逃げよう。」と言ったんだ。メルヴィナもサニャも、起こしたばかりだから少し寝ぼけて反応が薄かったけれど、外の音が聞こえたみたいでさ、何が起きているの気づいたらしく、「うん。」と答えてくれた。

だけど、遅かったんだよ。余っていた食べ物とかを集めていたら、もうモスクの直ぐ近くにスルプスカの警察が来てしまったらしく、大人達が騒ぎ出したんだ。大人達がスルツキだ警察だって叫んで、早く逃げなきゃって思ったんだ。ソニアは警察だから大丈夫だよって笑っていたけれど、その警察がボシュニャチやフルヴァツキの市民を連行したり暴行したり、殺したり、レイプしたりしてるんだよ。もうこの街に正義の味方、少なくともボシュニャチを助けてくれる味方はいなかったんだ。

そんな感じでモタモタしている内に、モスクの周りのは更に騒がしくなっていた。外に居た大人たちは、慌てながらモスクの中へ逃げ込んできたり、他の場所に逃げようとしたみたいだった。だけど、他の場所へ逃げようとした人に向けて、警察は銃を発砲したらしく、乾いた銃声が周りから聞こえて、外の悲鳴とかは少しずつ聞こえなくなった。その状況を見ている内に、もうモスクは警察に囲まれていたんだ。

モスクから逃げようにも、幼い俺達が走って警察から逃げ切れるはずもない。最悪、カミーユのように俺がお取りになって、サニャやメルヴィナ、ソニアの3人だけでも逃がそうと思った。もう9人の中で、男は俺しか居ない。俺しか3人を守れる人間はいないって思ったんだ。

でも、現実はそんな英雄的な行動をおいそれと取れるものじゃなかった。少し間をあけて、警察たちが銃を手にしながらモスクの中に入ってきたんだ。多くの人は、隅っこに下がったり、布を被ったり、伏せたりした。だけど、そんな事をしても意味なんてないんだよね。彼らは俺達の様子を見に来たわけじゃないのだからさ。警察官達は、大人の男だけじゃなく、隅っこで震えている子どもや女性、お年寄りの顔を一人ひとり確認していった。俺達の所にも近づいてきて、俺はさっきまであんなにお取りになろうと考えていたのに、怖くて足も動かないし、声も出ないんだ。本当に動かないんだ。動かそうと思っても、心が折れてしまっていたんだ。

警察の人の顔は、暗くてよく見えなかったけれど、その時はとても怖い顔をしていたように見えた。一通り、性別や年齢とかを確認し終えると、警察官は大人の男性や女性を無理やり引っ張って連れて行ってしまったんだ。当然、男の人は暴れたけれど、外に引きずり出された後に銃声が聞こえて、その人の声はもう聞こえなくなっていた。変な話だけど、この時ぐらいからだと思う。人が殺されても、あまり感情とかが湧き上がらなくなってきていたんだ。ああ、またかといった感覚に似ているけれどさ。

警察が去った後は、皆ぼーっとしながら、夜が明けるまで座っていたと思う。赤ちゃんとかは泣いたりしていたけど、それをあやす母親はとても憔悴しきった顔をしていた。もしかしたら夫があの時連れて行かれたのかもしれない。だけど、そんな事を聞けるような状況でもないし、正直に言えば、もうソニア達3人以外の事を考える余裕なんて俺にはなかった。

それから数日経ったけれど、時々街中で銃声や悲鳴が聞こえるぐらいで、初日ほど騒々しい状況になることはなかった。スルプスカやスルツキに忠誠を誓う印として、生き残ったボシュニャチの人々は家の前や屋根に白い布とかを掲げて、自分もスルツキの一員だといったような合図をしていた。後で調べて、これが警察とかから指示されたものだと知ったよ。この白い布や旗っていうのはさ、今考えてみれば、自分がボシュニャチですと公言しているようなものなんだよね。この家や建物にはボシュニャチがいるぞ!って。かといって、白い布を掲げなければ、殺されたり拷問されたりするんだ。掲げても暴行やいやがらせを受けて、時には見せしめとして殺害されレイプされ、掲げなくても殺害・レイプ・暴行をされる。自分が標的にならないように祈ることしか出来なかった。

もう希望なんて正直消え失せていた。この街から逃げたくても逃げ出せない。街の所々にはボシュニャチの人々の収容所とかが作られたりしてさ、男の人は暴行、処刑されて、女性は数人がかりでレイプされていたらしい。この時は、そんな事になっているとは知らなかったけどさ。

何もする気力が起きないし、する事が無い。何日もぼーっとしてたんだ。そしたら、モスクに元々いた年配の人がさ、

「君はムスリムなのか?」

って聞いてきたんだ。だから、違うって答えた。そしたら、

「何で我々と一緒に行動するんだ」って言うんだ。

何でってそんなの俺が知りたかったよ。だけど、友達と離れたくないから、友達を守らなきゃいけないからって答えたんだ。

そしたらさ、君は異教徒で異民族かもしれない。だからこそ、生きて目にしたものを伝えなさいって言って、藁半紙みたいなノートを数冊くれて、鉛筆も何本かくれたんだ。

今こうして書いている内容の元は、この時にもらったノートに書いてある日記というか、起きたことを書いた文なんだ。元々さ、カリノヴィクに居た頃から絵日記みたいのはつけていたんだけど、あの時は急だったから持って居なかったし、取りに行ける状況じゃなかった。だから、このカリノヴィクから逃げる時期やフォーチャでの出来事、これから先の出来事は多少細かく書けるんだけど、その前の出来事は、時々思い出みたいのが書いてあるぐらいだから、今じゃどんどんその時の記憶が思い出せなくなってきているんだ。それがとても怖い。

日にちは経って、4月22日になった。この日も、ここ数日のように過ぎていくと思っていたんだ。だけど、違った。スルプスカ軍か、民兵か、警察かはわからないけれど、フォーチャにある歴史あるモスクが次々に破壊され、爆破されたんだ。

もう俺達が気づいた時には、街中から轟音が聞こえて来ていた。また始まったと思ったけれど、この日はいつもと違ったんだ。この日の標的は、俺達とは関係ないボシュニャチの人ではなく、俺達自身だったんだ。急いで荷物をまとめて、モスクから逃げようとした。大半の人は逃げていたけれど、サニャが忘れ物をしたといって、モスクに走って戻ったんだ。俺は駄目だよ。危ないよって何度も叫びながら止めようとしたんだ。

でも、サニャはカミーユの荷物があるから取りに行くって言って、止まってくれないんだよ。

必死に追いつこうとしたけど、この時のサニャの足は速くて追いつけなくてさ、モスクのすぐ隣に生えている木の所でやっとサニャの手を掴んだんだ。そして、危ないから俺がとりに行くって言った瞬間だったと思う。耳がつぶれるかと思うくらいの轟音と一緒に、目の前が真っ暗になって、気づいたら10数メートル吹き飛ばされてたんだ。

一瞬、何が起きたのかわからなくてさ、耳もキーンとして聞こえないし、目もよく見えなかった。体中にも激痛が走ってた。だけど、感覚はあるし、どうやら自分が無事だって事は何とかわかったんだ。

それではっとしてさ。そういえばサニャはどこだって。でも、自分の手はサニャの手を握ってるんだよ。だから、無事で良かったって思ったんだ。

だけど、違ったんだよ。耳とか目の視力が回復してきて、よく見たら、サニャの手しかないんだよ。俺は丁度木の陰に隠れて、打撲で済んだけれど、サニャは木の陰に隠れてなかったんだ。

俺よくわからなくなっちゃってさ。サニャどこに隠れたんだろってサニャの事必死に探したんだよ。でも、周りにサニャ居なくてさ。あ、モスクの中に隠れたかもって思ってさ、崩れ落ちたモスクに行こうとしたんだ。モスクの中に運よく隠れたんだって思ってさ。

そしたら、メルヴィナが俺のところに駆けてきてさ。危ないから早く離れるの!って言うんだ。でも、まだサニャがモスクにいるから、いるから!って俺何度も言ったんだ。サニャに手を返さないと、くっつかなくなっちゃうから早くしないとって。

よくわからないけど、俺泣きながらサニャ早く出てこないと、手返さないよって叫んだんだ。そしたら、メルヴィナにビンタされてさ。かなり痛かった。

「サニャはもう駄目なの!祐希まで死んじゃったら私たちどうしたらいいの!」

みたいな事を泣きながら言うんだ。

もう駄目だってそんなのわかってるんだよね。わかってるんだ。木の陰がとか、そういうのはその時は気づいてなくてもさ、手首から少し先がもぎ取られたみたいになってるのを見れば、そんなのわかるんだよ。

でも、そういった現実は俺には認められないんだよ。だって、俺はカリノヴィクでカミーユにサニャを守ってねって言われて、約束してるんだよ。その後、カミーユの代わりに俺がサニャを守るって誓ってるんだよ。

情けないけどさ。俺それから数日の記憶なくてさ、気づいたらフォーチャからソニアやメルヴィナ、そして何人かの大人と、赤ちゃんとか小さい子ども数名と一緒に山の中にいたんだ。

俺さ、サニャよりも足はずっと速いんだよ。怪我でもしてない限り、サニャに追いつかないはずないんだ。

あの時、俺が追いつけなかったのは、多分、俺がビビッてたからなんだ。俺は守るとか調子良い事言ってたにも関わらず、またビビッて、何も出来ずに今度はサニャを見殺しにしたんだって気づいてさ、悔しくて、悲しくて、そして憎くて涙が止まらなかったんだ。

それから1ヶ月か2ヶ月ちょっとは、山の中で生活していたんだ。フォーチャにはもう戻れないから、結構離れた山中で静かにしていたんだ。幸運な事にさ、一緒に脱出した人の中に、ミジュヴィナからついてきてくれた青年の一人が居て、薬とかを時々歩いて5時間くらいかけた所にあるらしい集落に取りに行ってくれていたんだ。

ただ、食料は毎回のように貰いに行くわけにはいかなかった。なぜなら、それで俺達の存在がスルツキの人々に知られてしまう可能性があったんだ。だから、この山中での生活は、食べ物が少なくて辛かった。食べられそうなものは何でも食べたんだ。葉っぱも食べたし、変な虫も食べた。動物も居たけれど、捕まえられたのは数回だった気がする。食べ物が少なくて、大人の人も生きている動物を捕まえるほど体力がなかったんだ。

それでさ、動物を捕まえたとしても、火は起こせなかったんだ。夜といっても、月だとか星の光で煙が見えちゃうらしいんだ。だから、動物の肉は生のまま、皆でわけあって食べていた。

水も、何時間も歩いた場所にある池から取ってきて、濁ったまま飲んでいたんだ。それでも水が足りなくてさ、ずっと空腹と喉の渇きに飢えていた。それに耐えられなくなった俺達より少し上の子が、木の窪みみたいな所に溜まった水を飲んでしまって、お腹を壊して、何日か経った後に亡くなった。

男の人が、何日かごとに結構離れた農地へ作物を盗りにいって、野菜とかを手に入れてくるんだ。だけど、その食べ物は幼児や赤ちゃんにおっぱいをあげなきゃいけないお母さんに食べさせて、俺達を含めた他の人は、食べられそうなものを食べて我慢してた。

葉っぱはさ、たまに毒があるものがあって、最初のうちは見分けられなくて舌がしびれたり、唇が腫れたりした。だから、食べる時はまず唇に10分くらいつけて、それで大丈夫だったら口の中に入れて、そこからまた10分ぐらい口の中に入れたまま、咬まずにしておくんだ。それでさ、舌に痺れだとか痛みがなければ、よく噛んで飲み込んでた。美味しくはなかったけど、食べられずにはいられなかった。

その点、虫は栄養もあるっぽくてさ、最初は気持ち悪かったけど、途中から抵抗なく食べられるようになってた。特にイモムシみたいなのとか、何かの幼虫はおいしかった。結構大きめのクモも、肉に歯ごたえがあって、味は鶏みたいな感じだった。とはいっても、この時はずっと空腹で味覚も狂っていたと思うから、実際はそんなに美味しいものではなかったと思うんだけどね。

色々と慣れてくるものだけど、一つだけ慣れないものがあったんだ。それは夜の山なんだ。時折、別の山とかに移動して転々としていたけれど、どの山も怖かった。別に幽霊だとか、動物が怖いわけじゃないんだ。

もしかしたら、スルツキの警察や民兵、軍がくるかもしれない。もしかしたら、この場所が知られているかもしれない。そんな恐怖が子どもや大人全員にあって、夜は必ず大人二人と子ども一人が起きて、見張りをしていた。それでも、物音がしたり、風で木が揺れる度に、皆が目を覚まして、息を潜めてさ、場所を移動してもそれはその恐怖は消えなかった。

ごめん。書くのを躊躇っていたけれど、やっぱり書く。この山中の生活でさ、子ども一人と年配の人が一人亡くなったんだけど、俺達はその人の遺体を食べたんだ。とても気持ちが悪くて、最初は吐いたんだ。吐いたけれど、食べないと死ぬぞって言われて、皆泣きながら食べた。俺はさ、この時、別の肉もソニアやメルヴィナと食べたんだ。そんな多い量じゃないんだけどさ。

フォーチャから脱出した時、俺はずっとさ、サニャの手を持ってたらしくて、目を覚ました時にサニャの手がバックに入っていたんだよ。捨てるに捨てられなくてさ、腐ってきていたけど、ずっと手元に置いていたんだ。それでさ、今書いた人の肉を食べた後、お腹がすいたって鳴いているソニアを見てさ、じゃあ、サニャの手を食べようって言ったんだ。

もう、サニャの手は腐ってて、臭いもきつかった。それでも、栄養があるものを食べなきゃって自分達に言い聞かせて、メルヴィナも呼んで三人でこっそり食べたんだ。口の中に入れた瞬間、へんな臭いと味が広がって、思わず吐きそうになったけど、サニャの分まで生きようって三人で言い合って、食べた。

この時が、空腹とかの絶頂だったように思う。友達を食べるって、やっぱ違うんだよ。一緒に行動していた人も大切な仲間だけど、やっぱりその人のとは違うんだ。味とか臭いだけじゃなくて、言葉に言い表せない気持ち悪さとか悲しさとか色んなのがごちゃまぜになった状態で、涙が出そうになるんだ。声を出して泣きたい位の涙が出そうになるんだ。でも、出ないんだ。水が殆どなかったからかもしれないけれど、サニャの手を食べた時は、ソニアもメルヴィナも、もう泣かなかった。

この時ぐらいからだったと思う。俺も含めて、ソニアやメルヴィナもあんまり感情を表に現さないようになっていった。

そんな生活をして1・2ヶ月経った頃、皆の体力もかなり落ちていて、このまま生活していても先がないという話になったんだ。それで、本来の目的地だったゴラジュデに向かうことになった。毎日日記はつけていたつもりなんだけど、フォーチャから脱出して数日は記憶が殆どなかったせいで、正確な日にちはわからない。だけど、恐らく6月に入って数日程度経った頃だったと思う。

ゴラジュデへの道のりは、大体3日間ほどだったんだ。それでも、体力が落ちていた俺達には、過酷で辛かった。ああ。

ゴラジュデに向かいだして二日目の昼頃。山の中を進んでいくとは行っても、道路とか人の生活圏を完全に避けて通過するのは厳しかったんだ。本来であれば、夜にそういった場所を通過した方が安全なのだけれど、俺達には体力的にもそんな余裕がなかった。

この時は、丁度山道を横切る時だった。道の200Mぐらい手前で、道に銃を持った人間がいるのが見えたんだ。警察か民兵か、それとも軍の兵士なのかは見分けがつかなかった。だけど、そこを通らないと山が越えられなかったんだ。

俺達、というか大人達は選択に迫られたんだ。このまま気づかれないように進むしかない。だけど、それには大きな障害があったんだ。それは、赤ちゃんだったんだ。赤ちゃんはさ、泣くのが仕事っていう位、よく泣く。このときは、元気もあまりなくて、そんな泣くほどでもなかったんだ。それでも、もし万が一泣いてしまったら、俺達はつかまってしまう。全員の安全の為には、赤ちゃんを連れて行くことはさ、出来なかったんだ。

でもさ、さっきも書いたように、俺ぐらいの子どもも、大人達も、赤ちゃんや幼児の為にどんなにお腹が空いていても、我慢して、耐えて、その子たちに優先的に食べ物をまわしていたんだよ。そんな簡単に、皆の為にといって、赤ちゃんを連れて行かないなんて、決断は出来なかったんだ。

少しの間、沈黙が流れてさ、言いたいことはわかってる。だけど、誰も言い出せない状況が続いた。ここまで一緒に生き抜いてきたんだ。こんな小さい赤ちゃんでも、皆にとっては大切な仲間で、気持ちとしては、家族同然のようなものだったんだと思う。

赤ちゃんの母親はさ、皆が言いたいことは十分わかっていたんだと思う。そして、皆がそれを言い出せないという事も理解していたんだと思う。誰も言い出さない中さ、笑いながら、皆が言いたいことはわかるって。自分もこの子も、自分たちの為に皆が危険な目に合うのは望まないって言ってさ。自分が母親だから、きちんと責任を持つって言ったんだ。だから、皆は先に進んでください。この子とお別れをしたら、私も後から追からって。

何とも言えない空気の中で、そう言った母親は、さっき来た道を戻って行ったんだ。大人たちは、母親の姿が見えなくなった後に、「すまない。」って一言二言いって、武装したスルツキの近くを通過していくことにしたんだ。

スルツキ達が居る場所を過ぎて、少し数百メートル歩いたところで、俺達は数時間待ってたんだ。母親が後から来るっていってたからさ。でも、結局母親は来なかった。

今思えばだけど、後から追うっていうのは、赤ちゃんの後を追うって意味だったんだろうな…。

次の日になると、先頭を進む人と、後方の人の距離がかなり広がっていた。もう休んでいる時間も体力もない。もし休んだら、そのまま動けなくなってしまうような状態だったんだ。だから、この時になると、暗黙の了解じゃないけど、体力のない人はどんどん遅れていくようになった。幼児とかは、まだ小さいから、体力のある大人が背負えるんだ。だけど、俺達ぐらいになると、体重が多少あるから、背負えないんだよ。

そして、丁度最後尾に居たのは、俺とソニア、メルヴィナだったんだ。ソニアは体力的にも、精神的にも参っててさ、俺とメルヴィナが引っ張りながら歩いていたんだけど、子どもだからただでさえ歩くのが遅いんだ。引っ張りながらだと、さらに遅くなって、全然追いつけないんだ。

気づいたら、俺達は皆とはぐれてたんだ。遠くの方からは、爆発音みたいな音とかが聞こえてきてて、どこかでまたあのような惨状が繰り広げられているかもといった考えが過ぎった。もしかしたら、大人が心配して引き返してきてくれるかもって思った。だから、俺はメルヴィナにここで大人達を待とうって言ったんだ。だけど、メルヴィナは駄目って言うんだ。

「戻ってこないよ。自分達で進まなきゃ。」

って言うんだ。

俺達は三人だけで、道もわからないのに、進んだんだ。メルヴィナがさ、もしかしたら、味方が来てスルツキの兵士をやっつけてるかもって言うんだ。確かに、そうかもって。何かにすがりつかないと前に進めなかった。だから、俺達は、音がする方に味方がいるって希望を持って、そっちに向かったんだ。

でも、それが間違いだった。

山と山の間に、少し開けたところがあって、俺達はそこに出たんだ。あんなに体力が落ちてなければ、疲れていなければ、もっと冷静に考えられたのかもしれない。だけど、この時の俺達は、子どもでそこまで思考能力もなかったし、そして疲れ果てていて、頭が回らなかったんだ。

開けた場所の半分くらいまで歩いた時だった。横の道から、振動と共に何かが近づいてくる音がしたんだ。もうさ、前の方からは爆発音とかがしてて、そんなの聞こえないはずなのに、聞き間違いだって思いたかったんだ。だけど、爆発音の合間に、何かが向かってくる音がするんだ。

味方かもしれない。でももしスルツキだったらどうしよう。色々不安と期待があった。俺は怖くて、迷って、そしてその場で止まってたんだ。そしたら、メルヴィナがとりあえず逃げなきゃって言ってさ、俺はソニアの手をつかみながら全力で前の森というか、山に向かって走ったんだ。

それで、何とか木のところまで来て、良かった。何とか隠れられたって。そう思ったんだ。それで後ろを振り返ったら、メルヴィナがいないんだよ。何でって思ったら、メルヴィナがさ、メルヴィナがこんな時にだよ。こんな時に限ってさ、転んじゃってるんだよ。

もう近づいてくる音もかなり大きくなっていて、振動もしてきていたんだ。メルヴィナ早く立ってこっちに来いって叫んだんだ。だけど、メルヴィナは立たないんだ。いや、立てないんだよ。3日間も、殆ど寝ないで飲まず食わずで歩いてきたんだ。体力的にも精神的にも、限界なんてとっくに通り越してたんだよ。

俺は助けに行かなきゃって、もう見つかってもいい。ここで俺がおとりになれば、もしかしたら二人は助かるかもしれないって。それで飛び出してメルヴィナの所に走って駆け寄ったんだ。でも、メルヴィナを起こそうとしても、メルヴィナは足に力が入らない、立てないって言うんだ。だけど、こんな所で見捨てるなんてできるわけないじゃないか。ここまで一緒に生きぬいてきたのに、もう三人だけになってしまったのに、見捨てるなんて出来るわけじゃないないか。

だから、メルヴィナを背負ったんだ。だけどさ、情けないよ。全然前に進めないんだ。この時、俺は8歳で、小学3年ぐらいだったんだ。男女の差といっても、体格的にも、肉体的にもまだそこまで差がなかったんだ。普段だったら、それでも何とか歩けたはずなんだ。でも、この時の俺にはそんな力なんて残っていなかったんだよ。頼むから前に進んでくれって頭の中で思っても、全然前に進めないし、足のふんばりも効かないんだ。もう、向かってくる音はかなり鮮明になっていて、金属音も混じっていたんだ。俺とメルヴィナの姿が相手に見られるのも、時間の問題だった。

俺はメルヴィナに大丈夫だから、俺が何とかするからって言ったんだ。だけど、メルヴィナがさ。泣きながら、

「もういいから、ソニアの所に行って隠れて」って言うんだ。

そんな事出来るわけないじゃないかって怒ったんだ。だけど、メルヴィナはこのままじゃ見つかるって。今ならまだ間に合うって。今隠れれば、ソニアと俺は助かるって言うんだよ。

俺は嫌だ嫌だって言って、背負ったまま前に進もうとしたんだ。そしたら、メルヴィナが暴れてさ、地面に落ちてしまったんだ。すぐにまた背負おうとしたんだけど、メルヴィナがあばれて、背負えないんだよ。何するんだって言ったらさ、お願いだから隠れて!って。俺とメルヴィナが見つかったら、ソニアはどうなるって、このままじゃ全員捕まっちゃうって叫ぶんだ。だから二人だけでも逃げてって泣きながら叫ぶんだ。

俺は弱虫なんだよ。俺はメルヴィナの所に留まっておくべきだったんだ。それなのに、体が勝手にソニアの所に向かってるんだよ。何やってるんだよ やめろって自分にいっても、体が勝手に逃げちゃうんだよ。

ソニアの所へ入る直前か、直後かわからない。隠れて振り返ったら、戦車が向かってきていた。メルヴィナは俺が隠れたのを確認したら、横になりながら体を動かして俺達の方向に背を向けたんだ。

頼むから味方でいてくれって、敵だとしたら、気づかないでそのまま通り過ぎてくれって、そう祈った。だけど、現実は全然幸運なんてないんだよ。思ったとおりにならないし、神様なんていなかったんだ。戦車はメルヴィナの横で止まって、上からスルツキの軍服を着た兵士が出てきたんだ。

ごめん。あんまり細かく書きたくない。ごめん。

降りてきた兵士はさ、メルヴィナの事を蹴ったんだ。メルヴィナは濁った叫び声を一瞬だしてさ、生きているって確認した兵士は、笑いながら何かを言った。そしたらもう一人、兵士が出てきて、暴れるメルヴィナを叩いて、服を脱がせて乱暴したんだ。たった8歳の少女に乱暴したんだよ。メルヴィナは泣き叫んでもおかしくないのに、自分の口を手で押さえて、叫ばないようにしてるんだよ。

俺らに助けを求めないように、俺らが見つからないようにしてるんだよ。自分が酷い目にあってるのに、怖くて痛くて辛いはずなのに、メルヴィナは自分よりも俺達を心配して、自分の口を押さえてるんだよ。

俺とソニアを助ける為に必死に耐えてたんだ。

すぐにでも飛び出さなきゃいけない。助けなきゃいけない。でも、それをしたらメルヴィナの行動は全て無駄になってしまう。俺には決断できなかった。何でこんな選択をしなきゃいけないんだって、山中の生活を通して、感情をあまり外に出せなくなっていたソニアや俺は泣きながら見ていることしか出来なかった。

これが戦争なんだって。これが人間なんだって。これが神様の作った世界なんだって。神様なんて、残酷な悪魔だと思った。

俺は本当に無力で、何も出来ない弱虫で、本当は俺があそこで殺されているべきなのに、俺はメルヴィナに代わって死ぬほどの勇気を持っていなかったんだ。持っていたとしても、それは本当の勇気だとか決意じゃなかったんだ。

日本に居る頃は、自分は何でも出来る、やろうと思えば何でも出来る人間だと思っていた。だけど、実際の俺はあまりに無力で何も出来ない弱虫だったんだ。

ソニアはずっとごめんなさいと繰り返し言っていた。俺は、メルヴィナが乱暴されて、連れ去られるのを見ている事しか出来なかった。この時だったよ。今まで憎しみだとか、悲しみだった心が、自分には抑えられないぐらいの怒りと殺意みたいなのに変わっていた。絶対にあいつらをころすって。

ころしたいって。

目次

「戦争の体験談を語るわ」第4章:ゴラジュデ

それから数時間くらい、俺とソニアはそこから動けないでいたんだ。だけど、ここにずっと居たって何も変わらない。俺とソニアは手を繋ぎながら、轟音止まない方向へ向かった。世界は不幸なことばかりじゃなくて、幸せもあるかもしれない。だけど、不幸幸せ不幸みたいに、交互に来るとは限らないんだ。俺達は、ずっと目指していたゴラジュデに、沢山の大切な犠牲を払って辿り着いたと思ったよ。だけど、街には入れないんだ。

近づくことも出来ないんだ。もう、街はスルプスカの軍に包囲されて、攻撃を受けていたんだ。山の中にもスルプスカの兵士が大勢居て、全ての希望を打ち砕かれてさ。声も出なかった。

ここに留まることも、街へ入ることもできない。俺とソニアは、世界で二人だけ取り残された気分になってさ、でも諦めたら駄目だって。自分に言い聞かせて、ゴラジュデから離れて延々と、山の中を歩き続けたんだ。

ここらへんは、日記もちゃんとかいてなくてさ、何日歩き続けたかわからない。でも、今思えば、約2ヶ月くらい山中で生活した経験がなかったら、俺とソニアはここで死んでいたと思う。

歩き続けて何日目かわからないけどさ、小さな川というか湧き水みたいなところがあって、そこで休んでいたら、銃をもった人が駆け寄ってきたんだ。スルプスカの兵士かと思ったけれど、そうじゃなくてさ、ボシュニャチの民兵の人たちだった。

それから93年の10月くらいまで、一年半くらいボシュニャチの民兵の人と行動を共にしたんだ。俺はさ、彼らと過ごして1ヶ月ほど経った頃に、俺も戦わせてと頼んだんだ。何でもするって。死んでもいいって。だから俺も戦わせてって頼んだんだ。

勇気を出すって。勇気を出して戦う。もう逃げないって。だからお願いって。でも、彼らはそれを許してくれなかった。中学生くらいの子どもにも銃を持たせているのに、何で俺は駄目なのかってしつこく聞いたんだよ。スルプスカの兵士が許せないって。そしたら、名前は書けないけど、民兵の一人が俺に言うんだ。

戦いに勇気なんて必要ない。生きる事にこそ勇気が必要なんだ。君は戦う以外にも出来る事があるだろう。君だから出来る事があるだろう。俺達は戦争が終わるまで生きていられないだろう。君は、ここで何が起きたかを伝えなさい。同じ事が起きないように。辛くても生き抜いて、そして胸を張って友人に天国で会えるようにしなさいって。

彼らと過ごした間、俺は色んなものを目にした。俺の中で、この時スルツキの人々や軍、警察、民兵は絶対的な悪のような存在になっていたんだ。そして、ボシュニャチは被害者だと。だけど、違ったんだよ。民兵の人たちはさ、スルツキの集落を襲って、食料を奪ったり、スルツキの大人や子どもを殺害したり、女性をレイプしたりしていたんだ。

俺はわからなくなっちゃったんだ。何が正しくて、何が間違っているのかとか。何が悪で、何が正義なのか。あんなに被害を受けて、その苦しみを知っているはずの人たちが、同じ事を、相手の民族に、人々にするんだ。

俺は、何でそんなことをするの?やめようよって何度も言った。それはやっちゃいけないことだよって。

そういうと、決まって民兵の人は悲しそうな顔をしてさ、そんなのはわかっているんだって。でもこうしないと、自分達の仲間が同じ目に合うって。矛盾に気づいているのに、それをしなければいけない状況だったんだ。ボシュニャチもスルツキも。俺はこの時、まだ彼らの紛争の歴史も何も知らなかった。前にも書いたと思うけれど、スルツキの人々も同じように、歴史上で何度もこういった虐殺の被害に合ってるんだ。どちらも被害を受ける苦しみや怒り、恨みをしっているのに、それでも尚、お互いにそうしなければ、やられる状況になっていたんだ。

恨みや禍根は残されたまま、次の世代へと引き継がれて、また同じ悲劇を繰り返している。それがこの時の紛争だったんだ。

前に、国は3つの勢力に別れたって書いたよね。ボシュニャチ、フルヴァツキ、スルツキの3勢力に。

ボシュニャチとフルヴァツキは最初は味方同士のような感じだったけれど、連携は取れていなくてさ、国内で、つまりヘルツェグ=ボスナではフルヴァツキの軍や人々によって、ボシュニャチやスルツキの人々が虐殺された。一つの民族が、一方的に虐殺するのではなく、お互いに民族浄化の応報を繰り広げていたんだ。

9月に入ると、フルヴァツキとスルツキの二つの勢力が同盟を結んでさ、ボシュニャチは二つの民族から挟まれる状況になったんだ。その理由は、フルヴァツキの人々も、自分たちによる、自分達の国が、このボスニア・ヘルツェゴビナの領内で欲しかったんだ。そして、最初は共に戦ってもヘルツェグ=ボスナ内でスルツキの人々が一掃されて、領地の争いが減ったんだ。フルヴァツキからすれば、次はボシュニャチだったんだ。

10月の中旬ぐらいだった。ボシュニャチの勢力は、スルツキ・フルヴァツキの二つの勢力に挟まれ、絶望的な状況になっていた。俺はそういった経緯は、日本に帰ってきてから知ることになったけど、この時、自分達がかなり追い詰められているというのは何となく認識していた。

俺とソニアが一緒に過ごしていた民兵達の部隊も、人数がどんどん減っていって、人手が不足していた。この日も、殆どの人が離れた街に行ってしまって、拠点としていた洞窟には十数人しか残っていなかったんだ。

もう秋になって、辺りが暗くなる時間も早くなってきていた。拠点に残っている大人はさ、殆どが負傷した人だったんだ。だから、俺は暗くなる前にさ、水を汲んでくる必要があった。この時、ソニアも一緒につれて行けば良かったんだよ・・・。だけど、誰かが負傷した人を見てなきゃいけなくて、俺が水を汲んできて、その間ソニアが負傷した人を看ているってするしかなかったんだ。

水を汲む場所までは、山を下らなきゃいけなくて、子どもの足で往復4時間くらいかかるんだ。水を汲んで洞窟の近くまで来た時には、もう辺りは暗くなっていた。ソニアはちゃんと看てるのかなって心配しながら、水汲んできたよって洞窟の中に入ったんだ。

だけどさ、洞窟の中に明かりが点いてないんだ。もう外は暗くて、洞窟の中も真っ暗なのに、明かりが点いてないんだよ。最初はおかしいなって思ったんだ。だけど、ソニア疲れて寝ちゃったのかって。ちゃんと看病しなきゃ駄目じゃないかって。ソニアちゃんと看ててって言ったでしょって言いながら、スイッチを押したんだ。

だけど、明かりが点かないんだ。何回押しても点かないんだ。俺さ、民兵の人たちと過ごしている間、前のように本当に危険な目に合う事が殆どなかったんだ。ソニアを守るって、だからどんな時でも俺はソニアから離れちゃ駄目だし、どんな時でも警戒して、気をつけてなきゃいけないんだ。でも、馬鹿な俺はその大切なことも忘れて平和ぼけしてさ、それを怠ったんだ。信じたくなかった。ただ電球が切れただけだと思いたかった。

確かめるのが怖かった。誤解であってくれって、神様どうか誤解であってくださいって祈ったんだ。だけど、洞窟の奥に進んでいくに連れて、真っ暗で何も見えなくても、嗅いだ覚えのある臭いがするんだ。錯覚だって。これは錯覚だって。気のせいだって。でも、うめき声とかも微かに聞こえてきて、何かが焼ける臭いもしてきてさ、気づいたら両手に抱えていた水の入れ物を落としていた。

ソニアの名前を何度も呼んだんだ。ソニアソニアどこにいるのって。隠れないで出てきてよって。だけどソニア全然出てこないし返事しないんだ。

酷い話だけどさ、横で兵士の人がうぅって苦しそうに声を出していたんだ。だけど、俺はそれどころじゃなかったんだ。必死に地面に這いつくばって、ソニアが居ないか手探りで探したんだ。何人か、冷たくなった大人の死体とかに触れたけど、それに驚いたり気遣ってたりする余裕なんてなかったんだ。

どれくらい探してたのかわからない。もう時間の感覚とかもよくわからなくなっていた。気づいたら、洞窟の奥まで来ててさ。壁に手を付きながら探していたら、小さな体に触れたんだ。すぐにわかった。夜になると、いつも一緒にくっ付きながら寝てたんだ。すぐにソニアだってわかった。

頭が真っ白になって両手でソニアに触れたんだ。でも、ソニアの体は温かかったんだ。

息もしていて、ソニアは生きていたんだ。良かった。何が起きたかわからないけど、ソニアは生きてる。良かったって。ソニア大丈夫?って声をかけたら、小さい声でうん。って言ったんだ。

離れてごめんねって。ソニアを追いて水汲みにいってごめんって言いながら、ソニアを抱き寄せたんだ。

そしたら、手に生暖かい液体がついてさ、最初は何かわからなかった。でも臭いを嗅いだら、血ってすぐにわかったんだ。慌ててソニア怪我してるの?ソニア大丈夫なの!?って聞いたんだ。ソニアはまた小さな声で、うん。って言ったんだ。俺は急いで傷の手当しなくちゃって思って、洞窟の中は暗くてよく見えないから、ソニアを背負って外に出ることにしたんだ。

ソニアの体がいつもより軽く感じて、そしてソニアの体から垂れる血のピチャ、ピチャ、って音が、洞窟の中で響いていたんだ。不安になった。だけど、ソニアは返事をしているし、ちょっとした怪我なんだって、ちょっとした怪我だって、悪いことを考えないように必死に自分に言い聞かせたんだ。

洞窟の外に出た時は、もう外も真っ暗で、月が綺麗に輝いていたんだ。俺はソニアを草の上に下ろしたんだ。最初は見間違いかと思った。だけど、何回目をこすってもさ、ソニアのお腹から血が一杯出てるんだ。

頭の中で理解できないような色んな感情とかが渦巻いてきたんだ。だけど、血を止めなきゃって。俺は上着を全部脱いで、ソニアの上着を捲ってさ、血を止めようとしたんだ。そしたら、ソニアのお腹に大きな穴が何個も空いてて、そこから沢山の血が流れてたんだ。俺ってば、分厚いコート着ててさ、背負ってるのに、こんなに血が出てるのに気づかなくて・・・

シャツでソニアのお腹を抑えたんだけど、全然血が止まらなくて、どうしようどうしよう、誰か来てよって泣きながらソニア大丈夫だよ大丈夫だよって何度も叫んだんだ。

でも血が止まらないんだ。そしたら、ソニアが血を口から垂らしながら、うん。だいじょうぶ。って言ってさ。しゃべっちゃ駄目って言ってるのに、小さな声で喋り続けるんだよ。月が綺麗だねって。どうして祐希泣いてるのって。

ソニアを心配させちゃ駄目だって思って、泣いてないよ。だから喋らないでって言ったんだ。だけどソニアはそれでも話すのをやめなくて、声を出すたびに血が溢れてくるんだ。混乱してて、慌てて、怖くて、正確には覚えてないんだ。だけど、ソニアは昔の話をしだしてさ。

特別な日覚えてる?って。俺すぐには思い出せなくて、何?って言ったんだ。そしたら、祐希にお友達になってくれたお礼をした日って言うんだ。俺は覚えてるよ。忘れるわけないじゃんって泣きながら答えたんだ。そしたら、ソニアはちょっと笑いながら良かったって言って、あの時も綺麗な月だったねって。

俺はうまく言葉が出せなくて、うん、うん、って相槌しか打てなかったんだ。それでもソニアは喋り続けて、ずっと一緒にいれなくてごめんねって言うんだ。

ソニアはわかっていたんだ。自分が大怪我して、もう助からないってわかってたんだ。もう俺は何て言葉を返したらいいかわからなかった。

ソニアは、もうお腹押さえなくていいって、その代わり手を握ってって言うんだ。もうソニアは手に力が入らないみたいで、俺の手を握り返せないんだ。

手を握ってさ、目の前にいるのに、ソニアが言うんだ。祐希、ちゃんと手にぎってる?そこにいる?って。

俺はちゃんと握ってるよ。隣にいるよって答えたんだ。

そしたら、そっか。良かったって言ってさ、ごめんね、ありがとうって小さな声で言った後、何も喋らなくなったんだ。

息はまだしてたんだ。もし医者がいれば、医者じゃなくても大人が居ればソニアは助かるかもしれないんだ。でも、俺は何も出来ないんだよ。大切な子がソニア以外いなくなったり死んじゃったりして、もうソニアしかいないのに。たった一人の大切な人なのに何も出来ないんだよ。

ソニアの息が少しずつ弱くなって、体が冷たくなっているのに、横でただ泣きながら見ているしか出来ないんだよ。

俺は目の前で起きた現実を受け入れることが出来なかった。やらなければいけない事は沢山あったんだ。洞窟の中にはまだ生きている民兵の人がいたんだ。

でも俺はソニアの傍から離れる事が出来なかった。

この日まで、沢山の人に助けられて生き延びてきた。沢山の人の、仲間の友達の犠牲の上で、生きてきたんだ。なのに、何もお返しも出来ずに、逃げてばかりで、まだ生きている民兵の人だけでも助けなきゃいけないのに、その人たちに助けられて、今まで面倒をみてきてもらっていたのに、頭で理解してても何も行動できないんだ。

気づいたら朝になっていて、洞窟の中でまだ息のあった人たちも、皆亡くなっていた。もう心が耐えられなかった。情けない自分が、同じ過ちを何度も繰り返す自分が許せなかった。

それから数日間、ソニアや民兵と一緒に過ごしていたんだ。でも、外に出ていた民兵の人は誰も帰ってこなくて、もう全てが終わった事に気づいた。本当はとっくに気づいていたけど、もう現実を受け入れるほど俺の心は強くなかったんだ。

それから、少しして、俺は皆の遺体を埋めることにしたんだ。スコップとかがないから、木の棒でひたすら彫り続けて、全員の遺体を埋めるには数日かかった。

俺ムスリムじゃないからさ、お墓に何をすればいいかわからなかったんだ。だから、棒を立てて、咲いていた花を移して植えるぐらいしかできなかった。

ボシュニャチの民兵の人に、辛くても生き抜けって言われたけど、もうそんな気力もなかった。もう全てを失って、希望だとか光も何もないんだ。その場で死のうと思って、銃を探したんだけど、銃が全部なくなってるんだ。

食料もとっくに尽き果てていて、飲まず食わずでいた俺は、もう疲れて眠くなっちゃってさ、そのままソニアを埋めた場所の前で寝たんだ。

目を覚ましたら、夢の中みたいで、どこかの家のベットに寝てたんだ。おかしいな、これは夢なのかなってそれとも今までのが夢なのかなって思ってたんだ。そしたら部屋の中に中年ぐらいの女の人が入ってきてさ、何か俺にいいながら、水とか食べ物をくれたんだ。

それから少しして、これが夢じゃないってわかってさ。俺は山で倒れていた所を、スルツキの民兵に保護されて、そこから結構離れた民兵の暮らす集落に連れて来られていたんだ。

もう死にたいって思ってた俺はさ、スルツキの民兵がソニア達を撃ったんだろって、絶対に許さないって暴れたんだ。

でも、この家の奥さんや、民兵の旦那さんは悲しそうな顔しながら、自分たちはしていないって言ってさ、俺が暴れてるのに抱きしめてくるんだ。

俺は嘘つきめ、嘘つきめって叫びながら暴れたんだけど、離してくれなくてさ、寝るって言って部屋に篭ったんだ。

それから何日も、部屋にもって来てくれたご飯とかも食べないで、ずっと篭っていてさ、そうだ、ここから逃げればいいんだって思ったんだ。それで夜になるのを待って、窓から外に飛び出して、辺りを見渡したら、十何キロ先かわからないけど、前いた山っぽいのが見えたんだ。

俺はソニア達の所に戻らなきゃって、あそこに戻らなきゃって思って、山に向かったんだ。途中で、道がわからなくなったりして、何とか洞窟についた時には3日以上経っていたと思う。

その後、2日くらいまた洞窟で一人過ごしていたんだ。そしたらさ、集落の民兵の人が来たんだ。気づいた時にはもう洞窟の入り口の所まで来ていて、逃げ場はなかった。

ああ、俺も撃たれるんだな、良かったってほっとしたんだ。だけど、彼らは俺を撃たないんだ。撃たないどころか、一人で何してるって怒るんだよ。意味がわからないんだよ。お前らスルツキは子どもでも女の人でも殺して、子どもに乱暴だってするだろって。俺の事も同じようにしろって泣きながら叫んだんだ。

だけど、彼らはただ無言のまま俺を担いでさ、洞窟から連れ出そうとするんだよ。嫌だ嫌だって言っても離してくれなくて、バックがバックがだから離しせって言っても離してくれなくてさ。バックはどれだって言うから、答えたら、俺が預かるとかいってさ、俺の事を下ろさないまま山を下ったんだ。疲れていたのもあって、俺は途中で寝ちゃってさ、起きたらもう集落のすぐ近くまで来てたんだ。

その後、また同じ家に連れて行かれて、家に入ったら、あの二人が怒りながら俺の事をビンタしたんだ。それから俺の事、この前よりも強く抱きしめてきて、また暴れようとしたんだけど、力が強くて暴れられなかった。

それから知ったことなんだけど、この集落の人たちは元々民兵じゃなかったんだ。ボシュニャチの民兵に襲われて、村の女の人や男の人、子どもも何人か殺されたり連れ去られたりして、それで武装してたんだ。俺を世話してくれた夫婦にはさ、俺よりちょっと年上ぐらいの子どもがいたんだ。だけど、彼は襲われた時にボシュニャチの民兵の人に殺されてしまっていてさ…。その時、漠然と皆が苦しんでるっていう感じだったものがさ、スルツキの人も苦しんでいるんだ、被害にあってるんだ、皆が辛いんだって確信に変わったんだ。

多分だけど、俺がお世話になっていたボシュニャチの民兵の人達なんだ。この集落を襲ったのはさ。そして同じような事を他の集落でもやっていたんだ。

中には、本当に悪い奴もいて、虐殺や暴行、レイプをしている人間もいるんだ。それは否定しようがない事実なんだ。そしてスルツキが今回の紛争で大勢のボシュニャチの人々を殺してたり、暴行したり、レイプしたのも事実なんだ。だけど、彼らもまた、同じような被害にあってるんだ。

自分達を守る為に、家族を守る為に、お互いにお互いを殺しあってるんだ。望んでいるのは、形は異なっていても、同じ 平和に暮らす ってことなのにさ。

でも、昔に起きた虐殺や戦争の禍根が未だに残っていて、それがお互いの理解とかそういうのを邪魔するんだ。積もりに積もったものが、阻むんだ。

今までの歴史が、彼らに人を殺させるんだ。やらなきゃ、やられるって思わせるんだ。

それから俺は、彼らと1年ちょっと生活した。スルツキの人を憎む気持ちは薄れることはないんだ。だけど、彼らにも彼らの事情があって、それを俺は否定出来ないんだよ。否定する事が出来ないんだ。少なくとも、全員が望んで人を殺しているわけじゃないんだ。罪悪感とかそういうのと戦いながら、それでも殺さなきゃいけないって、それで相手を殺している人たちもいたんだ。

彼らと暮らして半年ぐらい経った頃だったと思う。アメリカを始めとするNATOが、スルツキの勢力下の地域に爆撃を始めたって聞いた。後で知ったけどさ、もっと前から国連として活動はしていたんだけど、遅すぎるんだよ。もう何もかもが遅すぎるんだ。

そして彼らと暮らして大体1年2ヶ月ほど経って、1994年の12月になったんだ。1月から停戦になるから、祐希はサラエヴォへ行って、そこから国に帰りなさいって言われたんだ。

でも、俺はもう嫌だった。というより、これから先、全てを背負って生きていく自信がなかったんだ。

集落を出発する朝、俺を世話してくれた夫婦とか、民兵の人が集まってくれたんだ。だけど、俺はもう無理だって、もう死にたいって思ってさ、頼んだんだ。頼むから俺を殺してって。痛くても我慢するから、殺してって。大切な友達達も皆いなくなってしまったのに、生きていても辛いって言ったんだよ。

そしたら、周りの兵士たちもお世話をしてくれた二人も悲しそうな、少し困ったような顔したんだ。そしてお互いに見つめあいながら、何かを早口でいってさ、俺を取り囲んだんだ。

俺はソニア達に、もうすぐそっちに行くよって、心の中で呟いたんだ。

やっと終われるって思ったんだ。

だけどさ、彼らは俺に何かをするわけでもなく、歌を歌いだしたんだ。

何が起きたかわからなかった。違う国の言葉だし、意味もわからなかったんだ。

意味を知ったのは、日本に帰って数年してからだった。

日本語訳です。音楽を聴きながら、読んでみて下さい

青々とした木々、そして真っ赤に咲くバラが見える
僕と君のために、咲き誇っているよ
僕は自分に語りかけるんだ、「なんて素晴らしい世界なんだろう」って。

青い空、そして真っ白な雲が見えるよ
光り輝く日が訪れ、夜がやってくる
僕は自分に語りかけるんだ、「なんて素晴らしい世界なんだろう」って。

美しい虹が、大空に架かっている
道を行き交うみんなの顔も輝かせているよ
人々は「元気かい?」と手を振りながら握手をしているよ
皆心の中で「愛しているよ」と言っているんだ

赤ちゃんの泣き声を聞き、その成長を見守るんだ
この子たちは皆、僕が知らない世界も目にしていくんだろう
そして僕は思うんだ、「なんて素晴らしい世界だろう」って。


そう、僕は思うんだ。「なんて素晴らしい世界だろう」って。

I see trees of green, red roses too
I see them bloom, for me and you
And I think to myself, what a wonderful world

I see skies of blue, and clouds of white
The bright blessed day, the dark sacred night
And I think to myself, what a wonderful world

The colors of the rainbow, so pretty in the sky
Are also on the faces, of people going by
I see friends shaking hands, sayin' "how do you do?"
They're really sayin' "I love you"

I hear babies cryin', I watch them grow
They'll learn much more, than I'll ever know
And I think to myself, what a wonderful world

Yes I think to myself, what a wonderful world
Woo yeah

この歌はさ、今の戦争の世界が素晴らしいって言ってるんじゃないんだ。きっと、世界は素晴らしくなるんだ。そう皆が願い、思えば、素晴らしい世界になるんだって意味なんだ。愛でね。

皆、好きで殺してるわけじゃないんだ。そうしないと自分達の仲間が子どもが殺されてしまうからなんだ。そして、相手も同じなんだ。

それをお互いにわかっているんだよ。わかっているのに、止められないんだ。泣きながら歌ってるんだ。ボシュニャチやフルヴァツキを殺した民兵たちが泣きながらさ。彼らは好きで殺してるわけじゃないんだ。そしてそれが許されない行為だと知っているんだ。知っていながら、どうすることも出来ないんだ。お互いにね・・・。

この時、英語が理解できていれば、彼らに何か言えたかも知れない。でも、当時の俺には何の歌かわからなかったんだ。悲しい歌なのかと思った。平和を願う歌とは知らなかったんだ。

その後、俺はサラエヴォまで連れて行かれてさ、解放される時に手紙を貰ったんだ。その手紙の内容は、ちょっと長いから要約するけど、

人生は不公平だ。一生平穏に暮らす者もいれば、一生紛争や貧困に喘ぐ者もいる。
だけど、人生には、神様が皆にチャンスをくれるんだ。学校やお父さん、お母さん、
大人や友人、彼らは何度でも君にチャンスを与えるんだ。それを活かすかどうかは、
君次第なんだよ。

小さな贈りものになるけれど、私は君に生きるチャンスを与えよう。
強く優しく、そして誠実に人生を全うしなさい。そして、
素晴らしい世界を作りなさい。子どもが笑いながら育つ世界を。
君達子どもに託そう。素晴らしい世界を。

こんな感じの内容なんだ。

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「戦争の体験談を語るわ」終章:日本、再び

その後、1995年1月から4ヶ月の停戦が結ばれ、俺は首都で再会した父と共に、オーストリアに向かい、後に日本に帰ってきた。結局、この一連のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が終結するのは、俺達がこの国から脱出した10ヶ月後の事だった。

1995年7月、安全地帯となっていたスレブレニツァが包囲され占領されたんだ。多くのボシュニャチが処刑、強姦、拷問され、生き残った中から一部の女性は解放されたけれど、男性は殆どが順次処刑されていった。

殺されたのは、大人、子ども、男女、老若女男問わず虐殺されたんだ。犠牲者は、8000人を超えていて、未だに身元がわからない人も多く居る。もし、サラエヴォから脱出できなければ、僕らはそこにいたかもしれない。

良い人もいれば、悪い人もいる。スルツキが憎い。憎いけど、全てのスルツキが悪というわけじゃない。どうしたらいいんだ。どうやって生きていけばいいんだ。平穏な日々に戻ってからも、それを悩んでいた。そして、いつの間にかドラガンに責任を押し付け、うらんで、生きていくようになった。

それも間違いだった。前に書いたとおり、彼は裏切ってなんか居なかった。Facebookで彼の弟を見つけ、コンタクトを送ったら、俺達がカリノヴィクで襲われた日に、彼は殺されていた。俺達を庇おうとして。俺達を庇ってくれた仲間を裏切り者として、15年以上も憎んできた、「ずっと仲間だ」って約束したじゃないか、それなのに、その言葉を忘れて、俺が彼を裏切っていたんだ。

今までの人生が全て崩れるような感覚に陥って、俺はもう生きていけないと思った。罪悪感だけじゃない。俺には荷が重過ぎるんだよ。気づいたら、会社に退職願を出していた。

丁度さ、いい機会だったんだ。ドラガンの弟から、サニャとかの家族の現住所も教えてもらえてさ。サニャとカミーユの家族は、全員ではないけれど、生きていたんだ。だから、まずはドラガンのお墓で謝って、そしてドラガンの家族に謝罪して、そして感謝を述べて。

それでさ、その後は、カミーユの家族に会いに行って、サニャの家族に、サニャの遺品を渡してさ。全てを終わらせようと思ったんだ。

ただ、ボシュニャチの人との約束の一つ、話を広めるというのは俺には出来なかった。そして、もう時間もなかった。だから、こうして色々考えた末、vipにスレをたてて、今に至るんだ。

もし何かを感じてくれれば、それでいい。

欲ではあるけれど、俺自身、彼らが何を伝えようとしていたか、そして俺が何を伝えればいいか考えて、それを少しでも感じ取ってくれれば、なお嬉しい。

大切なのは、素晴らしい世界を願い、それを伝えて、実現に近づけていくことなんだと思う。文章を書くのが苦手な俺には、俺の気持ちだとか、どんな事が起きたかを上手くは伝え切れなかったと思う。だけど、もし、読んでくれた中で、何か感じるものがあったとしたら、バルカン半島、ボスニアのことにも少し目を向けてくれると嬉しい。日本だからこそ出来る事があると思う。

断罪するだけではなく、罪を犯してしまった民族にも、救済の手を、救いの手を差し伸べて欲しいんだ。それは偽善かもしれない。それは意味がないことかもしれない。だけど、今ある禍根を…もしだよ。もし取り除くことが出来れば、いつか素晴らしい世界になるんじゃないかな。僕はそう思うんだ。

彼らが歌ってくれた歌に、そのヒントがあるような気がしたんだ。

”この子たちは皆、僕が知らない世界も目にしていくんだろう”

彼らが知らない世界、それは、民族融和かもしれない。でも、それは簡単なことじゃないんだ。

恨みや禍根は、今現在一時的に裁きによって蓋をすることが出来たかもしれない。だけど、それが消えたわけじゃないんだ。

行いが間違っていても、全ての民族に正義や大義名分があったんだ。一方的に絶対悪にして断罪しても、その恨みや禍根は蓋で隠されているだけで、子どもたちに継承されていくんだ。

子どもたちに継承された恨みや禍根が、何度も、何度も同じ悲劇を繰り返してきたんだ。

それを断つには、周りの、世界の人々の手助けが必要だと思う。そして、そういった時に、日本だからこそ出来ること、日本だからこそ手助け出来る事があると思う。パレスチナとイスラエルの子どもを結びつけたように。

最後になるけれど、この紛争で亡くなった全ての方々のご冥福をお祈り申し上げます。

253 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage]:2010/05/23(日) 06:28:23.21 ID:OtPEKa6o
すまんいくつか質問させてくれ。答えにくかったらスルーで構わないから
メルヴィナの行方は分からないままか
>>1は向こうで死ぬつもりなのか
もし何らかの形でこの話が金銭を生んだ場合、>>1が望む使い道(出来れば「勝手に使ってくれ」という解答以外で)

このスレは、約束を果たすケジメみたいなものだからさ。読んで何かを感じてくれた人に、ボスニアについてもっと関心を持ってもらえれば、それで俺の役目は果たした事になると思う。

俺が伝えたかったのは、ボスニアの話であって、俺の事じゃないんだ。ごめんね。別に悲観的になる必要はないんですよ。安心してください。大丈夫です。

メルヴィナの行方はわからない。ドラガンの弟も知らないんだ。探しても、どこにも情報がないんだ。

あっちに行ったら、探してみようとは思う。

出来れば、ボスニア・ヘルツェゴビナの為に使ってくれると嬉しい。民族融和の活動もやっていたと思うから。

今、あの国は綺麗に民族の分布といったら失礼だけど、住んでいるところが綺麗にわかれているんだ。そして未だに問題は解決していない。あっちの偉い人が言ってたけど、未だに「世界の火薬庫」のままなんだ。それを解決する為に使って欲しい。

それじゃ、長い時間、そして長文なのに最後まで読んでくれてありがとう。

ああ・・・。ごめん言い忘れてた。この話の全ては信じないで。日記を元にしているから、実際は間違っている事もあるかもしれない。こんなこともあったんだと、感じてくれればいいんだ。自分自身で調べてくれるのが一番いいけどね。

俺よりも辛く壮絶な経験をした人は沢山いるんだ。紛争を生き抜いた孤児たちは、心に大きな傷を負って暮らしているんだ。それは一生消えることはないと思う。

さっきボスニアのためにっていったけど、こういった世界の子ども達や人々の為に、たとえ金額が少なくても寄付なり何なりしてもらえれば、嬉しいです。

俺の事は本当に大丈夫だから。心配しないで下さい。それじゃ、元気でね。

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2010-06-01

「戦争の体験談を語るわ」前編

「戦争の体験談を語るわ」目次

本エントリに続く各エントリは、「戦争の体験談を語るわ」の一連のスレにおける祐希 ◆.0dKn/WD26さんの書き込みを編集したものです。編集の方針は次のとおりです。

  • よくあるスレのまとめ形式はすでにもじゃもじゃVIP、略してもっぷ2ちゃんぬるのものがありますので、それらとは異なり、文章をつなげた上、適当な分量に分割して章立てし、適宜章名をつけました。
  • レスへの返答は基本的に略しておりますが、本文の補足となるものに限り、引用形式(blockquote要素でマークアップ)で関連する本文に追加しております。
  • 誤字等の訂正及び若干の句読点の追加以外、祐希 ◆.0dKn/WD26さんの書き込みを変更したり、書き換えたりはしておりません。
  • 本スレ、及び上記2サイトでのまとめでは、開始直後に祐希 ◆.0dKn/WD26さん自身によるネタバレがありますが、ここでは略しております。

  1. 前編
    1. 目次(本エントリ)
    2. お読みいただく前に
    3. 序章:日本
    4. 第1章:カリノヴィク(上)(6/17に追記しました。)
    5. 第2章:カリノヴィク(下)
  2. 後編
    1. 第3章:フォーチャ
    2. 第4章:ゴラジュデ
    3. 終章:日本、再び
  3. 後日談(6/17追記)

「戦争の体験談を語るわ」お読みいただく前に

これから書き進めていく体験談は、筆者が可能な限り客観的な視点に基づきつつ書き記したものである。フルヴァツカ紛争やスロベニア紛争に端を発した一連の所謂ユーゴスラビア紛争に関して、筆者はどの国家・民族・宗教・勢力に対しても賞賛や批難・中傷を行う旨はないと予め表明しておく。

これから読み進めていく読者の中には、見知らぬ言葉や表現を多々目にすると思われるが、それに対して出来る限りの補足を付け加えていく。この中では、多くの歴史的背景や宗教が絡むが、どうか一つの物語のように読んでいただけると本望である。

なぜなら、これは戦争の悲惨さや愚かさを伝え、平和主義の啓蒙を行う為のものではなく、そこで何が起きたかを一つの体験談として記し、読者の方々に何かしらのものを感じて頂きたいからである。そして、一般的なマスメディアが活字や映像といった媒体を通して語りかけてくる途方もない情報群の中において、絶対というものはないという事を感じていただきたい。戦争とは悪であるかもしれない。しかし、戦争において絶対的な悪というものは存在し得ないのだ。全ての勢力や人々に、各々が信ずる正義や大義名分というものが存在しており、それがぶつかり合い、折り合うことが不可能になる故に戦争が形となって現れてくるのだ。以上の事を、どうか読み進めていく前に考えて欲しいのである。

目次

「戦争の体験談を語るわ」序章:日本

昭和天皇が崩御あらせられた年から1年程経った頃だった。保育園の卒業が間近だった俺は、卒園式で披露する歌の練習を友達の園児とした後、教室で紙ヒコーキを作ったり絵を描いたりしながら母さんが迎えに来るのを待っていた。

母さんはパートの仕事をしていて、俺を迎えに来る時間は何時も6時過ぎで、女の先生(保母さん)と一緒に二人で待っていた。この時間にもなると、残っている園児は俺一人である事が殆どで、何時もまだかまだかとソワソワして待っていた覚えがある。

以前は、俺が楽しみにしていた戦隊シリーズ(確かターボレンジャーあたり)が土曜日に放送されていた為、寂しさはあれど不満はなかった。だけど、途中から金曜日の5時過ぎに放送曜日と時間が変更されてしまった為、テレビで見れなくなってしまったんだ。当時は確かベータとかいう変なビデオデッキがあったけれど、予約機能なんてものがなかった為に、シリーズ途中から見れなくなっていた。

この日も曜日は金曜日だった。今日だけでもいいからお母さん早く帰ってきてと祈っていた記憶がある。だけど、5時になり、そして6時になり、普段と変わらない時間になってしまった。ああ、今日もか。そう思って先生に駄々をこねていたかもしれない。

少し時間が経って、普段と違う事に気づいた。遅くても6時半頃には母さんが迎えに来るはずなのに、時計を見たときには7時近くになっていた。先生も今日はお母さん遅いねと言いながら、母さんの仕事場に電話をする為に俺を一人残して教室を出て行った。

カチカチと秒針を刻む時計の音がひどく不気味に感じたし、普段は気にしないような電気が消えた奥のトイレが怖く感じた。数分程経過した頃、先生が戻ってきて俺を家の近くに住む爺さんの家に送り届けてくれることになった。

爺さんの家に着いてから、お母さんお仕事遅いねといったやりとりをしたが、その時の爺さんの表情は暗いものだった。保育園で過ごした日々の記憶は今になっては殆ど薄れ、忘れてしまったけれど、この日の記憶は今も鮮明に覚えている。

それから何日も母さんを待ったけれど、結局母さんは帰ってこなかった。後に知った事ではあるけれど、母さんはとっくにパートを辞めていて、外に男を作っていたらしく、つまりは俺と単身赴任している父さんを捨てて二人で駆け落ちをしてしまったんだ。

父さんは海外で仕事をしていたから直ぐに会えるわけでもない。俺は一人ぼっちになった。父さんの親族も母さんの親族も、小学生にあがる程成長した俺の養育を拒否してさ、当然といえば当然ではあるけれど。誰が好んで面倒がかかる時期の子どもをわざわざ引き取るんだって話だ。

子どもなのに、少し諦めに近い感情を抱きつつあった。だけど、父さんと一緒に暮らせるとわかった時は、とても嬉しかったんだ。母さんと一緒に暮らしていた期間の方が断然長く、父さんとは殆ど会えなかったけれど、俺は父さんが大好きだった。

だから、婆さんからもうすぐ父さんが迎えに来ると言われたときは、ほっとすると同時に、嬉しかった。諦めのような感情があったとはいえ、これで自分の居場所が出来る様な気分だったように思う。まだ幼い俺にとって、爺さんや親戚の家は、とても息が詰まって、そして肩身が狭かった。一種の悲劇のヒーローのような気分を味わっていた。

父さんが迎えに来た日、確か4月の下旬頃だった。1年ぶりの再会であり、あまりにも久しぶりすぎた俺は、最初父さんの顔が認識出来なかった。いや、父さんかもしれないけれど、父さんではないかもしれないといった感覚だな。それ程、当時の俺にとって1年という期間は長いものだった。父さんは「すまない。」と一言俺に言って、「大きくなったな。」と微笑んだ。そんな事を言う前に、俺からしてみれば最初から日本で仕事をしていてくれよ、といった感じだったな。

俺は色々あって、母親に捨てられちゃってさ、海外に単身赴任している父親と一緒に暮らす事になったんだ。

153 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/05/19(水) 16:16:22.71 ID:P0/+v6OY0 [3/3]
親父の仕事聞いてもいい?
161 名前:祐希 ◆fyiPNhmVqk [sage] 投稿日:2010/05/19(水) 16:22:17.73 ID:60HAO/620 [59/70]
遅れてごめん。
>>153
研究者だった。といっても、自然科学系だったんだけど、資料がある部屋とかには
入っちゃ駄目って言われたりしてたから、ボスニアの研究機関で仕事してるってことしか
知らなかったよ。

目次

「戦争の体験談を語るわ」第1章:カリノヴィク(上)

トルコ経由で向かったわけだけれど、機内から見る空は美しかった。というより眩しかった。途中で降りた空港には、飛行機の中とは比べ物にならない程の異国の人々がごった返していた。

そこから首都まで乗り換えて向かい、初めて降り立った外国の地というものは、少し気持ち悪かった。日本と違い、建物はみな似たような作りと色合いで、何で?と疑問に思ったものだ。外国人も背が高く怖いし、そもそも日本語ではない言葉を話している。

俺が父親と住む事になった街は人口数千人ぐらいか。日本と比べたら人口密度はかなり低い場所だった。周りは山に囲まれてる盆地で、建ち並ぶ統一された住居は、とても綺麗だった。オレンジ色の屋根は当時日本(といっても俺の地元)では目にする事が無かったから、初めは奇抜だと思ったよ。

19 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/05/19(水) 13:19:40.52 ID:uKzE7YX+0 [1/2]
戦争のくだりは何時頃になるのか不安です
20 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/05/19(水) 13:22:59.41 ID:sViwJ6eP0 [10/18]
>>19
まだ先が長い。俺が暮らしていたのはボスニア・ヘルツェゴビナだったんだけど、
その時はまだユーゴスラビア連邦の構成国だったんだ。
そこには大体3つの民族、ボシュニャチ(ボスニア人)、スルツキ(セルビア人)、
フルヴァツキ(クロアチア人)が混在して一緒に暮らしてたんだ。
そこからどうやって泥沼の紛争になったかを書かないと意味がないと思うから、
まだ長くなる。今話してるのは戦争が始まる2年前の話。
37 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/05/19(水) 13:37:35.83 ID:AGBuz6HR0
スレブレニツァじゃないよな?
39 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/05/19(水) 13:38:29.51 ID:sViwJ6eP0 [17/18]
>>37
あそこは悲惨だったと思う。でも、俺はカリノヴィクだ。

f:id:bewaad:20100601005149p:image

出所:File:General Map of BiH.jpg - Wikimedia Commons

子どもが親についていき、海外で暮らす場合、多くは日本人学校等に入る事になると思うのだけれど、俺の住む街には日本人学校どころか日本人すらいない。いや、俺と父さんの二人はいたけどさ。不安を抱きながら学校へ行っても、皆何を言っているのか理解出来ないわけだ。当然、俺は一人ぼっちだった。自己紹介すらきちんと出来なかったからな。もう少し年を取っていれば、ノリで仲良くする、フレンドリーに接するなんて事が出来たかもしれない。だけど、当時の俺にそんなスキルがあるはずもなく、どうしようもなかったんだ。その為、最初の2週間ほどは非常に苦痛だった。

遊びたい盛りの当時の俺にとって、こうした寂しさを我慢するというのは、限界が近づきつつあったんだ。だから、何か遊ぶものを探そうと思って、休みの日にふらっと一人で街を散策していたんだ。一人で街中に行くのは初めてだったから、少し迷ったりしたけれどね。街を行きかう人々を見ながら、学校の方へと歩いていくと、道の端にある空き地で子ども達がサッカーをしていた。

とても羨ましくて、「いいなぁー。」と思ったわけだけれど、「いーれーてっ!」といった言葉はかけられない。というより、その言葉が話せないからな。だから、何も声に出せず、もじもじしながら、その子ども達が遊んでいるのを空き地の端っこでぼーっと眺めていたんだ。

そうとう入れて欲しそうな顔をしていたのかもしれない。サッカーをしている男子の輪の中にいた一人が、じっと見つめている俺に気づいてさ、「一緒に遊ぶ?」と聞いてきてくれたんだ。実際には、そう言ったのだろうというレベルで、俺にはまだこの子が何を話しているのか理解できなかったけれどね。

仮にその男の子をカミーユとしておく。最初は「?」状態だった俺も、ジェスチャーで身振り手振りで話してくれたおかげで、俺を誘ってくれているんだと理解してさ。とても嬉しくなった。これが現地の子と初めて会話?した日だったと思う。やっと友達が出来るってウキウキしたよ。

お互いに言葉は通じなかったけれど、子供同士、皆で一緒に遊ぶサッカーは最高に面白かった。子どもの頃はさ、身長や体格といった差は人種が違えどさほど変わらないもので、意外とサッカー中にはボールを触ったり、奪ったり出来た。これも、カミーユがパスをくれたお陰だとは思うけどね。泥まみれになって遊ぶのは楽しい。遊びつかれて夕方家に帰ると、久しぶりに父さんが早く帰ってきていてさ。「どうしたんだ?友達でもできたのか?」みたいな事を聞いてきて、「もちろん!」ってニコニコしながら答えたよ。思えば、この街に来て初めて笑った日だったかもしれないなー。

次の日学校へ行ったらさ、小さい街だからやっぱり同じ学校だったわけよ。放課後に校庭でカミーユ達がサッカーしているのを見つけて、そこに駆けていったね。カミーユも俺を見るなり駆けてきてさ、「サッカーやろう!」って誘ってくれたんだ。昨日いたメンバーの他にも、クラスの子とかがいたりして、身振り手振りのコミュニケーションしかできなかったけれど、仲良くなるきっかけになったよ。

<以下、6/17追記>

その日以降から、言葉は殆ど通じなくても、一緒に鬼ごっこしたりサッカーしたりして遊んでさ、クラスでも徐々に一緒に過ごす友達が増えてきて、学校がとても楽しかった。特にカミーユとかドラガンはクラスが違うっていうのに、休み時間になると俺のクラスまで来てくれてさ、一緒にくだらない遊びしてたな。昼休みはワンバンっていって、サッカーボールを一回のバウンドだけでキャッチして相手に蹴るゲームとかやったりしたなー。何でここまでカミーユ達、特にカミーユが仲良くしてくれるのかはわからなかったけれど、ありがたかったよ。その理由がわかった時は、すごく辛かった。

とはいってもさ、学校のない日はやっぱ暇な時が多い。毎回カミーユ達と遊べるわけじゃないしね。それで色んな所を一人探検したりしてた。高原っていうか平原が無限に広がってる感じで、なかなか面白かったよ。

そんなある日、カミーユ達はモスクだとか教会がどーのこーので遊べないから、いつものように一人で探検してたんだ。そしたらさ、少し丘を登って過ぎたあたりに、家があったんだよね。結構ぼろっちい。最初廃墟かと思って、潜入を試みたわけなんだけど、庭に入ったところで同い年位の女の子とばったり鉢合わせちゃったんだ。二人同時に「ビクッ!」ってなったね。ヤバイ。人が住んでたってわかった俺は、そのまま逃げればいいものをさ、慌てちゃって何故か自己紹介しちゃったんだ。日本語でだけどね。

<以上、6/17追記>

そしたら、俺が大体何言ったのか理解したっぽくて、名前を教えてくれてさ、豆?みたいなお菓子をくれたwwあ、仮にこの女の子をソニアってしとくわ。

街の中心からソニアの家までは子どもの足で大体1時間か2時間ぐらいなんだけど、ソニアは同じ学校じゃないんだよね。同じ学年なのになんでだろうって思ったけど、当時はまだ何も知らなかったから、ふーんって位にしか思わなかった。それから夕方ぐらいまで近くの丘で花摘んだりしながら遊んでたんだけど、気づいたら暗くなってきてたんだ。このまま歩いて帰っても、また1・2時間かかっちゃう。どうしようって思ってたら、丁度ソニアパパが帰宅してさ、ソニアと何か話した後に俺をソニアと一緒に車で街まで送ってくれたんだ。

夏休みに入った時期だったかな。学校で普段一緒に遊んでたメンバーと飽きずにサッカーしてたんだ。まだこっちの気候に慣れていない俺にとって、乾燥した夏ってのはそれはそれで辛いものだった。喉が凄い渇く。日本のじめじめした夏が懐かしかったな。

少しサッカーして、休憩した後にさ、俺が休みの日に何してるのかって話しになって、ソニアって同い年の女の子の家に遊びに行ってる事を話したんだ。俺らの居る街は人口も少ない。だから子どもは殆ど同じ学校に通っているわけだけれど、ソニアは通っていない。じゃあ、俺らで遊びに行っちゃうか!?という話へ自然となったんだ。

ただ、女の子の家に男だけで行くのも少し恥ずかしいらしい。そういうわけで、他に学校の女の子二人と俺を含めて6人の男子、8人でソニアの家に向かったわけだ。当時ペットボトルとかいう画期的な容器はないから、重い水筒らしきものを背負って皆で高原を歩いていったわけだ。日本に比べて気温は高くないんだけどさ、日によっちゃ凄い熱くなったり、夏なのに気温低かったりしてな。その日は凄く暑かった。皆汗だくになってヒーヒーいいながらも、何時もより時間かけつつも到着したわけだ。

あー、俺以外の7人は、
カミーユ
ミルコ
メフメット
カマル
ドラガン
サニャ
メルヴィナね。

ソニアの家の前でさ、皆で

「ソニャー!ハンデダゼニカフゥバルサマナー!」って呼んだんだ。

少ししたらバタバタしながらソニアが出てきてさ、俺達みた瞬間目が点になった様に固まってた。俺はさ、学校の友達連れてきたから、皆で遊ぼうって言ったんだ。そしたらソニアは少し怯えながら

「こんなに大勢で遊んだことないから怖い」って言うんだよ。

そうなのかーとは思ったけど、なら良いチャンスだ!というわけで、皆でサッカーをする事にしたんだ。実際は、男子6人がサッカーをしてソニアたち女子は3人で花を摘んだりしてたわけだけどさ。

帰り際にソニアが目をキラキラさせながら、今日は楽しかった!ありがとう!と言っていたのが印象的だった。帰り、街までソニアパパがいつものように送ってくれると言ってくれたんだけど、8人は流石に乗れないので、サニャとメルヴィナだけ車で送ってもらって、カミーユや俺といった男子は歩いて帰る事にしたんだ。夏だからまだ外も明るいしね。

この年の夏は、俺がこの国に滞在した期間の中で最良の夏だった。毎日何も心配せずに遊び、疲れたら寝て、そして朝起きて遊ぶを延々と繰り返していたよ。ただ、金曜と日曜は殆どの子達がモスクやら教会に行く為暇なんだ。だから、その日は大体ソニアの家で過ごしてたな。当時は宗教というものをよく理解していなかったし、何かのイベント程度に思っていた。

初めて皆で遊んでから少し経った金曜日、この日も毎週と同じく非常に暇を持て余していた。じゃあ、またソニアの家に遊びに行こう!と考えた俺は、水筒を担いで向かったんだ。家に行っていつもの様に遊んでいると、お昼ぐらいになった。ソニアパパとママは礼拝があるからと言って、お昼を準備した後、ソニアと俺を残してモスクへ出かけていった。この日は普段と違って特別な昼食だったよ。

いつもはご飯の後にデザートなんて出ないんだけど、この日はバクラヴァが出たんだ。最初は、ただのデザートだと思っていたんだ。だけど、ソニアがニコニコしながら、

「特別なんだよ」って教えてくれた。

このバクラヴァは今でこそ日本にもあるらしいけれど、現地では特別な日に食べられる事が多いデザートなんだ。何故、この日が特別なのかは最初俺にはわからなかった。だから、「何で?」と質問したんだ。

すると、ソニアは少しモジモジと照れながら、

「祐希が私の友達になってくれた。一杯のお友達を連れてきてくれた。そのお礼の日だから。」

確かこんな事を言われたんだ。当時の俺は気づかなかったんだけど、前にも書いたとおり、ソニアは俺達と同じ年齢にも関わらず学校へは行っていなかったんだ。学校自体に通っていなかったのか、それとも不登校だったのかは未だにわからないけれどね。

だから、ソニアには全然友達が居ないんだ。俺はソニアにとって、初めて出来た異性の友達で、そして久しぶりに出来た友達だったんだ。こんな目と鼻の先、数キロしか離れていないのに、不思議だよな。おかしな話だ。でも、それがこの国の現実だったんだ。この時は、そういった事を何も知らなかった俺には、そうなんだー位にしか思わなかった。

そういった事もあって、ソニアパパは、一ヶ月前に出会った日の帰りの道中、ニコニコしながら俺に一杯話しかけてくれたし、遊びに行くたびに歓迎してくれて、そして帰りはわざわざ車で送ってくれていたんだ。この時は謙虚だとか遠慮だなんて言葉すら知らなくてさ、ソニアパパやママには図々しい事を沢山してしまったなと思う。

バクラヴァを食べながら「美味しいね。」ってソニアに言うと、ソニアは照れくさそうにしながら、

「私も作るの手伝ったんだよ。」と言ったんだ。

そしてこの日、俺は夕飯前に帰ろうと思っていたんだけど、ソニアパパやママの勧めで夕飯を食べていくことになったんだ。ソニアのパパやママは朝と昼のご飯を食べていなかったから、夕飯はとても豪勢だった。お肉はなかったけれどね。ソニアも笑顔で笑っていてさ、とても幸せな食卓だった。優しい家族だった。

夕飯を食べ終わった後はソニアの家族と日本の話はこの国の話をしたりしてた。気づくと時間も遅くなっていたんだ。父さんに連絡して早く帰らなければと、慌ててソニアパパにそろそろ帰るという事を伝えた。すると、「今夜は遅いから、家に泊まりなさい」と言われたんだ。

流石に一緒のベットではなかったけれど、俺とソニアは夜遅くまでおきて、ベットの横にある窓から、澄んだ夜空を見上げて、色々と話していた。初めてヒジャブを外したソニアを目にした。照らされた褐色の髪がキラキラしていた。この時だったと思う。漠然としたソニアに対する自分の好意が、ソニアに対する恋だと気づいたのは。月明かりに照らされたソニアの顔は、とても綺麗だった。短い6年という人生しか歩んできていなかった俺にとって、この時のソニアは美しすぎた。そして、こうして26歳になった今でも、この夜のソニアを超える美しい女性とは出会えていない。

ずっとこうしていたいと思っていたよ。二人で顔を手を繋ぎながら、

「ずっと一緒にいたいね。」、「ずっと一緒にいようね。」

そう約束したんだ。

朝になったソニアママに起こされた時、俺とソニアは同じベットで寝てた。多分、話している途中で寝ちゃったんだろうな。ソニアママは少し驚いていたけれど、俺達の頭を撫でながら、パパには内緒だね。と微笑んでくれた。その意味は当時理解できなかったけどね。

気持ちとしては、家に帰りたかったのだけれど、ソニアパパがフォーチャの街に買い物に行こうと言うので、一緒に付いて行く事にしたんだ。フォーチャまでは基本的に一本道で、高原を抜けた後は延々と山と山の間の道を通り抜けていった。途中で沢山の木を積んだトラックがかなりゆっくり走っていたりしたな。トラックは相当年季が入っていた。

フォーチャの街が、ドリナ川の対岸に見えた時は、その景色がまるで絵画のように綺麗で、感動したよ。街にはカリノヴィクと比べて沢山の人たちがいて、活気があった。日用品を買ったりしたり、ご飯を食べたりしたよ。

昼食を済ませた後だったと思う。結構古い雰囲気のモスクがあって、まだきちんとしたモスクを実際に目にしていなかった俺は、

「あれは何?」って聞いたんだ。

そしたら、歴史あるモスクだから、見学してみるか?ってソニアパパが言ったんだ。

俺は当然異教徒なわけだけれど、丁度礼拝みたいのをやっていてさ、俺も混ざっていい?って聞いたら、勿論って言われて、一緒にアッラーフアクバルーみたいな言葉を唱えた。貴重な経験だった。まさかこの場所にまた来ることになるとは、この時はまだ想像もしていなかった。

8月になると、9人で一緒に遊ぶことが多くなった。ソニアの家が遠いから、殆どソニアの家かその付近で遊んでいたけれどね。ソニアの家から少し歩いた所にある山に、秘密基地のような場所を作って遊んでいたよ。カミーユが持ってきた立派な双眼鏡みたいなのを使って、街を見たり、遠くを眺めたりしてよく遊んだなー。この双眼鏡のせいで、後であんな事になるとは思いもしなかったよ。

あー、そうそう。山と言えどもこの地域は木が少なくて、動物もあんまりいなかったな。今はどうか知らないが。

確かドラガンだったと思う。ドラガンが敵の攻撃に備えるといって、草を結んで罠を作ったりしていたんだ。そしたらサニャがそれに引っかかってしまって転んでさ。そこにカミーユがすっ飛んできて、

「サニャが怪我したらどうするんだー!」ってすごい怒っていたよ。

それでサニャを慰めていたんだけど、それを見た俺以外の男子は皆で

「カミーユはサニャが好きでーす!みなさーん!カミーユはry」

ってからかったりしてたな。

カミーユはそんな事ない!って怒って否定してたけどさ。当時の俺達にはそういった行為は格好のからかいのネタだった。見かねたメルヴィナが「やめないよ!」って怒ったから、収まったけどね。オロオロしていたソニアは、後でこっそり俺の所に近づいてきて、

「内緒だよ。内緒。」と言ってきた。

俺は理由がよくわからなかったけれど、「うん。」と答えた気がする。

メルヴィナも俺達と同い年なわけだけれど、かなり精神が大人だったな。仲良くても、子どもだからほんのささいな事でどうしても喧嘩をしてしまう。そんな時は、いつもメルヴィナが間に入って、「喧嘩しちゃだめ!」って言うんだ。どっちも悪いって言ってね。ドラガンやミルコ達がイタズラをしても、危ないから駄目って叱ったりして、俺達のお姉さんみたいな存在だったな。

ソニアは大体オロオロしてて、小動物みたいだった。男だから母性本能みたいのはないはずなんだけどさ、守ってあげなきゃって自然と思ったりしたな。

ああ。ごめん。何で戦争が起きたかとか、そういうのを説明しなきゃ駄目だよな。じゃあ、軽く書くね。補足とかあれば言ってください。

この国一帯はさ、昔はキリスト教圏だったのだけれど、15世紀くらいにオスマントルコの支配下に入ってさ、非キリスト教徒であった人とか、現地のスラブ人がムスリムに改宗したりして、ムスリムの比率が高まったんだ。

その後、セルビア王国だったかな。当然、スルツキ(セルビア人)を優越して、他のフルヴァツキ(クロアチア人)やらボシュニャチ(ボスニア人)は長年不満を抱いていたんだ。特に、フルヴァツキの人々は民族意識が高くてね。

そして各民族の民族意識の高さが、第一次世界大戦へと繋がっていくんだ。この事は、皆知っていると思うので書かないけどね。

そして第二次世界大戦期、この地域の大半がナチスドイツの傀儡国家としてのクロアチアの支配下に組み込まれたんだ。この支配下ではさ、フルヴァツキの民族主義組織、確かウスタシャだ。ウスタシャによってスルツキの人々は激しい迫害を受けて、数十万人(30〜100万?)の人々が殺害されたんだ。

また、これに対してスルツキの民族主義者チェトニクによって、フルヴァツキやボシュニャチの人々が殺された。つまり、この時期、フォーチャをはじめとする各地で、ウスタシャとチェトニクによる凄惨な民族浄化の応報が繰り広げられたんだ。チェトニクはさ、フルヴァツキやボシュニャチの人々を徹底的に虐殺して、犠牲者はフルヴァツキ20万人、ボシュニャチ9万人ぐらいって、チェトニク側から公表されてる。

この民族浄化っていうのはさ…つまりは市民を襲うんだ。村を。女や子どもはレイプしたり殺したりして、男は喉を切って殺したりして。

何でここまで殺しあうんだ?って思うかもしれない。これはWW1以前の因縁もあるけれど、やはりWW1後に誕生したユーゴスラビア王国による政策に問題があったと思う。建国当初からさ、スルツキによって国は占められていてさ、民族意識の強いフルヴァツキの反発が絶えなかったんだ。

そこにウスタシャがつけこんで、反セルビア、打倒セルビアへと支持を拡大しながら突き進んでいったんだ。これは、ユーゴ崩壊につながるフルヴァツカ紛争(クロアチア紛争)やボスニアの紛争にも繋がっていくんだ。

一方で、チェトニクは大セルビア主義という、西部バルカンの大半はセルビア人の土地っていう認識を持っていたんだ。

この主義は、セルビア人とセルビア人の土地をひとつの国家に統一するという第一の目標があり、中にはセルビア人が少数であっても、セルビアの土地という認識があるものもあった。セルビア国家にとって、大セルビアは必要不可欠であり、セルビアの歴史的格言「統合のみがセルビア人を救う」との事で、正当性・必要性を訴えていた。第一次世界大戦ではこの主義が原因となり、国境外各方面でセルビア人たちが統一セルビアの建設の為に戦い、1990年代の紛争では統一されたセルビア維持のために戦った。また、ユーゴスラビアはWW2以降もセルビア人以外を軽視しており、それが各民族を刺激してしまった。

現在においても、セルビアのセルビア急進党という右翼政党では、ボスニア・ヘルツェゴビナとクロアチアの大部分のみならず、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリーの一部をも含めた大セルビアを建設すべきという綱領を掲げている。この方針によって、クロアチアではユーゴ紛争時にクライナ・セルビア人共和国、ボスニア・ヘルツェゴビナではスルプスカ共和国が建国された。(スルプスカ共和国は現在もボスニア・ヘルツェゴビナとの連邦制を採用し残っている)セルビア人からすれば、歴史的仇敵であるクロアチア人などの、敵対勢力の支配下を避けることで、これらの地域におけるセルビア人の権利を守る必要があったんだ。

スルツキの人々を貶めるつもりも、批判するつもりもないんだ。だって、歴史を見れば、他の民族の勢力下にいたスルツキは、何度も虐殺とかの犠牲になってるんだ。だからこそ、自分たちによる自分達の国家を作ろうって、そして守ろうって考えたんだ。

皆、殺したくて殺してるんじゃなくて、殺さなければ殺されるって意識の下で戦ってたんだ。だからこそ、単純に誰が悪いとは言えなくて、そして未だにバルカン半島が火薬庫である理由なんだ。

続き書くね。

楽しい夏休みはあっという間に過ぎ去ってしまい、気づけば9月になっていた。学校が始まると、それまで毎日のように会っていたソニアとも会えなくなり、とても寂しかった。それでも、一つ変化があったんだ。今までは、平日は学校の8人で遊び、休みの日にはソニアの家に俺一人で行っていたのだけれど、夏休み明けには、土曜日には皆でソニアの家に行くようになってた。俺の場合は、次の日の日曜日にも一人で遊びに行っていたけれど。

今考えると行き過ぎだったと思う。でもソニアと会いたくて、遊びたくて仕方が無かったんだ。ソニアやソニアのパパ・ママもまた来週って帰り際に言ってくれてさ。出会って数ヶ月だというのに、まるで小さい頃から一緒だった幼馴染のようだったな。

9人で遊ぶ時は秘密基地で、ソニアと二人で遊ぶ日曜日はソニアの家で過ごしていた。たまに学校の別の子と遊んだりもしたけどね。

今と違って携帯電話とかがなかったから、遊んだ日に大体次の約束をして、どうしても行けない時はソニアに電話して伝えてた。

12月に入るとスルツキやフルヴァツキの人々が慌しくクリスマスの準備をして、小さい街ではあるけれど、少し華やかになったのを覚えている。ボシュニャチの人たちは基本的にムスリムだから、普段と変わらない生活だったんだけどね。

俺と父さんは久しぶりに休日を一緒に過ごした。休みの日は殆ど家に居なかったからね。父さんは色んな料理を作ってくれたよ。どれもやっぱり美味しくなかったけれど、それでも嬉しかった。「外国で生活させてしまってごめんな。」といった事を言われたけれど、俺にとっては、既にこの国が故郷のように感じていたし、何より俺に居場所があるというのが嬉しかった。だからこの国で一生暮らしたいって言ったよ。

父さんは笑いながら、ここしか仕事ないし、永住するかみたいな事を言ってた気がする。

新年が過ぎ、冬の季節になった。日本と比べてそこまで寒いわけではないと思っていたけれど、実際には急に冷え込んだりするから常に厚着をして、厚い時は脱いで手に持ったり、リュックに入れたりしていた。

皆で雪だるまを作ったり、丘から雪だるまを落としたりして遊んでいた。周りは広い平原というか高原、そして山々に囲まれた盆地だったから、本当に一面が真っ白で、ソニアの家から見る景色は綺麗だった。

確かこの時雪合戦をしたんだ。皆で雪の壁で陣地を作って、4・5に別れてさ。ドラガンの奴が雪をかなり硬く固めてさ、痛かった。あぶないなぁーなんて思ってたら、それが丁度サニャの目に当たっちゃったんだ。サニャは涙ぼろぼろ流しながら大丈夫、大丈夫って言ってたんだけど、それを見たカミーユがぶち切れてしまって、ドラガンにつかみ掛かってた。止めなきゃって思ったんだけど、この時はメルヴィナが好きにさせときなって言ってさ。

「男の子なんだから、たまにはああやって喧嘩しないと分かり合えない。」

みたいな事を言っていたよ。やべーメルヴィナやべー。って皆で口々に言ってた。

少し経つとさ、二人とも青タン作りながら喧嘩をやめて、ドラガンがサニャに謝った。「怪我をさせるつもりじゃなかった。ごめんね。」みたいな事言ってたな。メルヴィナが俺の後ろでぼそっと言ったんだ。

「悪いと思えば、悪いと思うほど、素直に謝れない時があるよね。あそこで二人が喧嘩をすれば、ドラガンは素直に謝れる。良かった。」

ってね。

サニャは大丈夫って言ってたけど、結局雪合戦は近くで座って見てることになってさ。カミーユも雪合戦をやめて、サニャと一緒に座ってたな。今思えば、子どもって素直で正直だなぁ。

うん。メルヴィナは長女でさ、弟が確か何人かいたんだ。だからかもしれないけど、色々と観察して、何時も一人冷静に俺達の見守り?じゃないけど、注意とかしてくれた。とても優しくて、強い子だった。

この時期は、ソニアママの言いつけで、危ないから秘密基地には行かないって皆約束させられてたな。

そして気づけば5月。この国で過ごして1年が経過していた。毎日が充実して、予定が一杯あって、忙しい日々だったと思う。それでも、当時の俺にとっては、この一年がとても長く感じた。充実した一年ではあったけれど。

俺の家に8人を招待して、皆でお祝いパーティーみたいのをしたんだ。父さんは料理が下手だっていうのに、気合を入れて日本料理を作ったりしてさ、でも皆の口には合わなかったらしく、全員引きつった顔をしていたよ。俺も不味くて引きつった表情してしまったけれどね。それでも、父さんは俺が友達を作って、そして毎日仲良く過ごしている事に喜んでくれているようだった。

この時は、ずっとこの幸せな期間が永遠と続くと思っていたよ。6月末頃だったと思う。隣のフルヴァツカで戦争が始まったんだ。隣国だけれど、自分達には特に関係がないものだと思っていた。

しかし、実際にはそう簡単な問題ではなかったんだ。街だけでなく、学校のクラスにおいても、スルツキ・フルヴァツキ、そしてボシュニャチの間で気まずい状況になり、ついにはクラスの席が民族ごとに別れる様な状態になってきた。

言うまでも無く、今までのように放課後一緒に遊ぶ事は出来なくなったんだ。ただ、それでもまだ大きな紛争にはなっていなかった。まだフルヴァツカだけの話で済んでいたんだ。

だから、民族間の陰での対立が始まる兆候が見えてからも、俺達は大人に隠れてこっそりと秘密基地に集まっては、9人で遊んでいた。自分達には関係ない話だったんだ。俺達にとって大切なのは、民族や宗教じゃなくて、目の前にいる友達だった。だから、何があっても俺達は仲間だ。一緒に助け合っていこう。ずっと一緒だ。そういった約束を交わしたんだ。

ごめん。言い忘れてたけど、

俺は日本人で、

ソニア、サニャ、メルヴィナ、カミーユ、メフメット、カマルはボシュニャチでムスリム

ミルコはフルヴァツキでローマ・カトリック

ドラガンはスルツキでスルプスカ・プラボスラニナ

あ。スルプスカ・プラボスラニナっていうのは、セルビア正教ね。

俺達は友達であり、お互いに信頼し合う仲間だったけれど、同じ言葉を話しているとはいえ、違う民族、そして違う宗教を信ずる集まりだったんだ。

夏休みに入っても、去年のように一緒に表立って遊ぶという事は出来なくなっていた。少しずつではあるけれど、着実のこの国でも民族間の対立、宗教の対立、そして過去の負の因縁の対立が次第に高まってきていた。大人たちは違う民族間で極力話さないようになっていたし、話してはいけない雰囲気になっていたんだ。

うん。実際、俺達の地域は5割くらいがボシュニャチで、4割がスルツキ、1割がフルヴァツキみたいな感じだったと思うんだ。だから、俺の地域では少なくともスルツキは少数派ではなかったよ。

父さんは、もしかしたら戦争になるかもしれない。お父さんは仕事をやめる事が出来ないが、祐希は日本へ帰りなさい。って何度も言われた。でも、俺は友達を残して自分だけ日本に帰るなんて出来なかった。それに戦争というものを理解していなかったんだ。戦争にならないようにすればいいでしょ。そんな風に思っていた。

基本的に同じ民族、殆ど同じ宗教の人々が暮らす日本で育ったから、理解できなかったんだ。民族間の対立というものを。子どもだったしね。

目次

「戦争の体験談を語るわ」第2章:カリノヴィク(下)

そして9月になった。今まではフルヴァツキの軍とフルヴァツカ在住のスルツキの人々との衝突だった紛争が、9月末頃にはフルヴァツカ軍とスルツキを主体としたユーゴ連邦軍の戦争へと発展したんだ。

この国では、ボシュニャチが人口の過半数を占めていて、俺の住んでいたカリノヴィクも例外じゃなかった。日が経つに連れて、街の中ではフルヴァツキとスルツキの人々の関係が悪化して、時々通りで大人同士が喧嘩をするようになってきていたんだ。

そして10月に入ると、ボシュニャチが大半を占めるこの国では、連邦から脱退しようという声が広がって、ついに政府が主権宣言みたいのをしたんだ。つまり、連邦内の国家じゃなくて、一つの独立した主権を有する国家となるという宣言なんだ。

父さんから説明されても、当時は理解できなかったけれどね。その宣言によって、街の中はさらに緊迫した状況になった。学校の中でも、子どもであるにも関わらず、民族どうして一緒に行動して、そして喧嘩が起きたりしていたんだ。つい最近までは一緒に遊んでいたのに。

街や学校、恐らく国内全域で、フルヴァツキ(クロアチア人)・ボシュニャチ(ボスニア人)とスルツキ(セルビア人)の間で緊迫した状況になっていたんだと思う。親には外で遊ぶのは止めなさいと言われるようになっていたし、一緒に遊んでいた8人も親から同様の事を言われていた。

大人は、例え子どもであったとしても、他民族の子には冷たくするようになってきていた。今の東京の比じゃないくらい、寂しく悲しい街へと変わっていたんだ。

ちょっと違和感あるけど、日本語の読み方で書くように努力する。

年が明けて1992年になっても、状況は好転せず、ますます混迷を極めてきていた。民族ごとに武装の準備を始めたり、時には街中で銃を持ってあるく市民も出始めていたんだ。初めて目にする銃は、とても怖かった。でも非現実的な光景に見えて仕方が無かったんだ。まさか、そんなのを使うわけ無いでしょってね。

俺もこの時は何でボシュニャチ(ボスニア人も?)って思ったんだよ。だけどさ、最初のフルヴァツカ紛争(クロアチア紛争)の発端は、どっかの競技場?でボシュニャチ(ボスニア人)がスルツキ(セルビア人)を殺してしまった事から始まったらしい。勿論、それ以前から問題はくすぶっていたんだけど、それが爆発するきっかけを作ってしまったんだ。

そして、第二次世界大戦中、ボシュニャチ(ボスニア人)も、スルツキ(セルビア人)を殺してたんだよ…。

そして、今から書くけど、連邦からの独立をセルビアは反対していた。そしてボスニア・ヘルツェゴビナのセルビア人も。しかし、ボスニア人とクロアチア人は独立に賛成していたんだ。

そして2月に入って、ついに独立の国民投票が始まった。ドラガン達のようなスルツキ(セルビア人)の人々は、この投票に怒りをあらわして、投票を棄権したんだ。それと同時に、俺達が住んでいた地域はスルツキ(セルビア人)や連邦軍によって、ボスニア・ヘルツェゴビナからの離脱が表明されたんだ。

つまり、連邦からの独立に反対する人々と、独立を推し進める人々によって、俺達が居た国は三つの勢力にわかれた。言うまでも無く、ボシュニャチ・フルヴァツキ・スルツキの民族ごとの三勢力にね。

178 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/05/19(水) 16:39:10.27 ID:35C/73760
クロアチア人も独立に賛成していたのか

賛成していた。だからこそ、クロアチアとしてユーゴから独立を宣言して、クロアチア紛争が始まったんだ。そして、ボスニア領内でも、彼らは自分達の国を作ることを望んでいた。

自分達の国を持って、自分達で国を動かし、自分達が自分達を支配する。それが最も安全だったんだ。

つまり、俺達が住んでいた国、即ちボシュナは連邦から独立を宣言したんだ。それと同時に、このボシュナは三つの国にわかれた。

一つはボシュニャチの人々のボシュナ。もう一つはフルヴァツキの人々のヘルツェグ=ボシュナ。そしてスルツキを中心とするスルプスカに。俺達の居たカリノヴィクはこのスルプスカの領内だったんだ。

この時点で、もうこの国において、民族同士の衝突、戦争は避けられない状況になっていた。俺達の街からも、首都サラエヴォに向けて脱出する人がちらほらと出てくるようになった。あ、脱出したのはボシュニャチの人々ね。

ただ、まだ血で血を洗う戦争には発展していなかった。スルプスカ共和国(セルビア人共和国)となったとはいえ、実際にそれを世界に向けて宣言したわけでもないし、まだ平和的に解決出来るかもしれないという希望があった。俺はまだ小さくて理解しきれていなかったのだけれど、こんな状況でも9人でこっそり会い、秘密基地で遊んだり出来ていた。以前のように堂々と遊ぶことが出来なくなっても、俺達の友情というか結束みたいのは少しも崩れて無かったんだ。むしろ、大人たちや周りから、もう遊ぶなって言われれば言われるほど、強くなっていったように思う。

そして3月後半になってくると、首都サラエヴォの方でスルツキの民兵達が何かをするらしいという噂が、街で絶えなくなった。とはいっても、この時はまだ民兵という言葉自体を理解していなかったから、何かあるんだーといったような感じで、気にも留めていなかったんだ。

4月に入って、どうやらボシュナが国連に加盟するといった情報が流れてきた。その意味が理解できなくても、周りの大人たちが深刻そうに、そして民族ごとに緊迫した空気を出している事から、俺達子どもも、かなり不安になってきていた。俺達子どもは、昔この地域でおきた民族同士の争いや悲惨な歴史を殆ど知らなかったんだ。

特に、親からそういった事を聞かされる機会があるはずもない日本人の俺には、こうした状況を理解できるはずもなかった。だけど、俺以外の8人は、ある程度理解しているみたいだった。ドラガンが

「何か起きたら、一旦皆で秘密基地に集まろう。俺達はずっと仲間だ。」みたいな事を言っていた。皆も

「うん。そうしよう。」って相槌を打って、約束したんだ。

約束したんだよ。

父さんは、この緊迫した状況を考えて、俺だけでも日本に帰国させようとしていた。当然、俺はそれを断固拒否するだろうと考えたらしく、俺には内緒で、仕事でサラエヴォに行くと言って、俺をソニアの家に預けたんだ。今思えば、あれは俺を一人残して、航空券を買いにいったんだと思う。一人だったのは、サラエヴォが危険だったからなんだろうな…。

「明日になったら、帰ってくるから、いい子にしていなさい。」と言ってた。

翌日の4月5日だったな。俺は父さんが帰ってくるまで遊んでいようと思って、秘密基地でいつものように遊んでたんだ。ただ、この日に限ってドラガンだけは来なかった。用事があるとか言って。夕方近くになった頃だった。街の方から大きな音がしたんだ。皆びっくりして、急いで丘を駆け上がったんだよ。そしたら、街から黒い煙が上がっていて、時々小さな乾いた甲高い音が聞こえてきてた。俺は何の音かわからなかったんだけど、ミルコが「銃の音だ!」って叫んだんだよ。

293 :祐希 ◆.0dKn/WD26[sage]:2010/05/21(金) 03:31:53.21 ID:c1y0p92o
>>281
彼らと再会できるなんて思ってない。俺は地獄行くからさ。
ドラガンが俺達の場所ちくったと思って、ずっと憎んで生きてきたんだっつうの。
それだけが俺の生きる支えだったつうの。俺は何かを憎まなきゃ生きれない弱虫なんだよ。

血の気が引いたのを覚えてる。ソニアやサニャ達はおろおろして泣き出しちゃってさ。ミルコやメフメット、カマルは家に帰らなきゃって叫んで、街に向かって走っていった。止めればいいものを、状況が理解できていなかった俺はぼーっと立ち尽くしていたと思う。

多分、30分位そこでぼーっとしていたかな。もっと長くそこで立ち尽くしていたかもしれない。大きな音を出しながら、何台かの車がソニアの家の方向に向かって来てた。あれって何だろうって思っていたんだけど、カミーユが

「スルツキの奴らだ…。」って呟いたんだ。

ソニアは家に帰ろうとしたんだけど、カミーユや俺で必死に止めた。それで、様子を見ようってことで、カミーユが何時も持ってきていた双眼鏡でソニアの家を覗いてたんだ。最初は、

「スルツキの兵士が家の中に入ってる、外にも何人かいる。」って感じで説明してたんだけど、途中で

「あっ。」って言った後、カミーユは何も言わなくなっちゃったんだ。

メルヴィナと一緒に、どうしたの?って何度聞いてたんだけど、何も言わなくてさ。おかしいな?って思って、少し身をを乗り出して見たんだ。そしたら、さっきの車二台が俺達の方向に向かってきてるんだよ。

「何で!?何でわかっちゃったの!?」って口々に言ってたんだけどさ、カミーユが涙目になりながら、わからないけど目が合っちゃったって言うんだ。

今考えれば、その理由はすぐわかるよ。でも当時はそんなのわからなかったんだ。ただ、カミーユは俺のせいだ。俺のせいだ。って泣いてた。

151 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage]:2010/05/21(金) 01:42:31.49 ID:yuaiZ6wo
双眼鏡の反射か。狙撃手の基本だがガキじゃ仕方が無い
153 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage]:2010/05/21(金) 01:43:04.26 ID:n1..lig0
>>151
お前何者だよ
158 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage]:2010/05/21(金) 01:46:21.92 ID:yuaiZ6wo
>>153
いや、双眼鏡で光が反射すると場所バレるじゃん。それかなと思った
162 :祐希 ◆.0dKn/WD26[sage]:2010/05/21(金) 01:49:03.82 ID:c1y0p92o
>>158
そうだったのか…。てっきり相手と目があったからだと思ってた。

このままだと、もしかしたら俺達は捕まってしまうかもって思ったんだ。考えてみれば、敵かどうかもわからない。それなのに、俺達はもうそのスルツキ達を敵だと思ってた。多分、あれは直感というか本能的なものだったと思う。だって、味方は銃を持って来ないでしょ。

少しずつ車が近づいてくる音がして、この場所にいるのは不味いと思ったんだ。俺は4人に急いでこの場所を離れて隠れようって言った。俺は泣いているソニアの手を引っ張って、カミーユとメルヴィナはサニャの手を引っ張って、急いで走った。だけどさ、結局俺達は8歳そこそこの小学三年生ぐらいの子どもだった。例え俺達が必死に走ったところで、逃げ切れるわけがなかったんだ。

200Mくらい離れた小さな木の下に隠れたけれど、ゆっくりと車が近づいてくるのがわかった。心臓が高鳴って、次第に息苦しくなってきたんだ。頭の中では落ち着け。落ち着けと言っているのに、体中から汗が出てきて、静かにしなきゃいけないのに、鼻から息が吸えなくてさ。口で音を出しながら息をしてた。すぐ隣のソニアやサニャ達は、泣かないように必死に口を押さえてるんだよ。でも、カチカチって歯の音がしちゃってさ。止めようとしても、その音が止まらないんだ。

正直に言って、俺はもうだめだと思った。殺されるとか、そういうのはまだわからなかったのに、ああ。もう終わった。そんな感覚に陥っていた。多分、皆も同じ感覚だったと思う。車の音も大きくなってきて、スルツキの民兵達の声も、鮮明な声ではないけれど、聞こえてきた。何か恐ろしいことを言っていた気がするけれど、恐怖でそれを理解するほど、覚えているほどその時の俺には余裕がなかったように思う。

見つかるのも時間の問題だったんだ。そしたらさ、少し離れた所に隠れていたカミーユが俺を後ろに引っ張って、小声で囁いたんだ。他の女の子には聞こえないようにしながらね。

「このままだと見つかってしまう。俺がスルツキを引き付けるから、その間に皆を連れて逃げてくれ。」

それを聞いて驚いたよ。そしてもしかしたら助かるかもなんて考えてしまった。でも、それをやったらカミーユはどうなる?

「危ないよ。ここで皆で静かに隠れてよう。」

俺は慌ててそう言い返したんだ。だけど、カミーユは、それだと見つかるって。皆殺されるって言うんだ。

「引き付け終わったら、後を追いかけるから大丈夫。」

俺はわかったって答えた。もうそうするしかないように思えたんだ。そしたらカミーユはニコって笑ってさ、良かったって言うんだ。そしてさ、

「サニャの事、俺が戻るまで守ってあげてね。」って。

そう言い終わると、俺の返事を聞かずにカミーユは俺達が隠れている方向とは反対側に身を低くしながら走っていったんだ。俺は3人に、カミーユが引き付けるから、その間に逃げるって伝えたんだ。ソニアやサニャは駄目駄目って言うんだけど、メルヴィナは「そう。」って呟いただけだった。

スルツキの民兵が俺達まで20、30メートルぐらいまで近づいた時だったと思う。向かい側の離れたところから、カミーユの声が聞こえたんだ。たしかスルツキを馬鹿にするような言葉を発していたと思う。それに気づいたスルツキの兵士たちが大声を出しながらそっちに走っていってさ。俺達はそれを見て少し経ってから急いでその場から逃げたんだ。

メルヴィナがサニャを、俺がソニアの手を引きながらガムシャラに走った。そしたら、後ろの方から乾いた音が何回か聞こえたんだ。パパン、パパンだったかな。それと同時に、さっきまで叫んでいたカミーユの声が聞こえなくなった。俺は、まさかと思って、立ち止まりそうになったんだ。引き返さなきゃって。

そしたら、メルヴィナが

「止まっちゃ駄目!」って言ったんだ。引き返したら、カミーユの行動が無駄になるって。

息が続く限り走ったと思う。それでも、移動した距離は1キロにも満たなかっただろうけれど。肩で息をしながら、もう大丈夫だね。って言い合った。

そこからは歩いて山の下まで行ってさ、夜になるまでカミーユを待ったんだ。だけど、結局カミーユは来なかった。薄々皆気づいていたよ。あの音がしたときに、カミーユは殺されちゃったんだって。でも、信じられなかった。もしかしたらって思ってさ。口にする事が出来なかったんだ。

気づいたら、皆涙流しててさ、人が死ぬって事はまだそんなに深く理解できる年ではなかったけど、それでも涙が一杯出てきたんだ。カミーユがさ、サニャの事が好きだってのは気づいてた。それに、サニャもカミーユが好きっていうのは知ってたんだよ。俺は。だけど、怖くて止められなかった。カミーユが引き付けてくれれば、助かるかもしれないって思って。

泣きながら、サニャに「ごめん。ごめん。」って何度も謝った。俺が殺したようなもんじゃないか。そしたら、サニャはさ、自分だって悲しいはずなのに、無理して笑顔作って、

「祐希は悪くないよ。」って言うんだ。

太陽が沈んで、辺りが暗くなった頃、夜の山に子どもだけだと危ないからといって、山から出て道をあてもなく歩いた。何でこんな事になってしまったんだろうとか考えながらさ。沢山の星が綺麗に輝いてるのにさ、下は地獄だって思ったよ。

1・2時間くらいかな。それくらい歩いてたと思う。いきなり草むらから音がして、何人かの大人が出てきたんだ。またスルツキかと思って、びっくりして逃げようとしたんだ。だけど、ソニア達のヒジャブを見たからか、俺達がボシュニャチだとわかったみたいでさ、ボシュニャチの大人がこっちに来なさいって言ってくれたんだ。あ、俺は日本人だけどね。

その人たちは、街で起きたことを教えてくれてさ、これからフォーチャへ向かって、それからゴラジュデに向かうから一緒に来なさいって言ってくれた。ソニアやサニャは家に帰りたいって言ったんだ。だけど、街にはスルツキの民兵や軍が来てボシュニャチやフルヴァツキの人たちを連れて行ってしまったから、行っちゃ駄目だって。首都のサラエヴォでも戦争が始まったって言っててさ。俺達は黙ってついていくしかなかった。

ライトを着けないで、街の反対側の山から向かったんだ。車の中でさ、俺はまた泣きながら、カミーユに親切にしてもらったのに、俺は…って泣き言を言ってたんだ。そしたら、サニャが俺の背中を擦りながらさ、

「カミーユが小さい頃に死んじゃったお兄さんが祐希とそっくりだったんだよ。初めて会った日にカミーユは嬉しそうに話してて、友達になりたいって。大丈夫だよ。カミーユは怒ってないし、悲しんでもいないよ。安心して。」って。

そんな感じの事を言われたんだ。その時、俺が空き地で眺めていた時に何で話しかけてくれたのかとか、何で休み時間に教室に来てくれたり、一緒に沢山遊んでくれたり、優しくしてくれたりしたのかとか、不思議に思っていたことが繋がってさ…。好きだった子が死んじゃって、俺よりも長く一緒に過ごしてた子が死んじゃったっていうのに、メソメソしている俺を慰めてくれてるサニャを見てさ。あの時俺が勇気を出して行ってればって。俺が行けば良かったって後悔した。それと同時に、カミーユとの約束、サニャを今度は俺が守らなきゃって。何かあったらカミーユのようにしてでも守らなきゃって誓ったんだ。

まさか、これからさらに悲惨な未来が待っているとは、想像もしていなかったよ。

車で舗装された道の近くまで来たところで、大人たちがここから先は歩いて向かうって言ったんだ。俺達は、何で歩いていくの?まだ遠いよって言ったんだけどさ、フォーチャへ向かう道はここしかなかったんだ。サラエヴォでは、スルツキ(セルビア人)の警察や軍が都市を包囲して戦いが始まっててさ、この道にもスルプスカの軍がいるかもしれないから、歩いて山を越えることになったんだ。とはいっても、実際に山中を登って下ってというわけではなくて、道から数百メートルはなれた木々の中を歩いていったんだけどね。まだ夜で周りは真っ暗でさ、すぐ目の前もよく見えなかったんだ。

月明かりだとか、星空だとかで案外見えるんじゃないかって気もしてたんだけど、木々に覆われた中では光が枝や葉に遮られてしまって、本当に暗かった。周りは風で揺らされた枝や葉がこすれる音とか、時折鳥か何かの声がしたりして、とても不気味だった。それでも、例え怖かったとしても、進まなきゃいけなかったんだ。サラエヴォに向かうのは危険なんだ。だから俺達に残された道は、ゴラジュデしかなかったんだよ。

幼い俺達にとって、夜寝ないで歩き続けるって言うのは、想像以上に辛いものだった。家族がどうなったかわからないし、俺も父さんがサラエヴォでどうなったか、生きているのか、それとも俺がカリノヴィクを脱出した後に戻ってこれたのか、心配してないか、色々と不安だった。不安という一言では伝えきれないほど、頭の中では色んな事がごちゃごちゃと渦巻いていたように思う。体力的にも、限界は近づいてきていて、足は重いし、足元も良く見えなくておぼつかない。時折、ガサガサと音がするだけで皆が伏せてさ、常に周りを警戒しながら歩いてた。真っ暗でよく見えないお化け屋敷の中を延々と歩くようなものかな。いや、起伏に富んでいて、足元が悪く、そして見つかったら殺されるかもしれないという不安が追加されているけれどさ。

もう歩きたくなかった。大人におんぶしてもらえたら、どんなに楽だろうって何度も思ったよ。でも、俺達は言い出せなかったんだ。なぜなら、俺達よりも小さい子が歩いてるんだよ。俺達よりも辛いはずなのに歩いてるんだ。だから耐えるしかなかったんだ。とはいえ、徒歩で山中を歩くのは時間がかかる。

空が赤くなり、少しずつ夜が明けてきた頃だったと思う。フォーチャ途中にあるミジュヴィナという街のすぐ近くまで来ていたんだ。内心、やっと休めると安心したよ。だけど、周りがどんどん明けてくるに連れて、その考えが甘かった事に気づかされたんだ。小さな街なのだけれど、そこからは黒い煙が立ち上っていた。誰も口には出さなかったけれど、カリノヴィクと同じ状況になったというのは明白だった。

しかし、このままフォーチャに向かうのは不可能だったんだ。俺達のグループは、大人数名に子ども数名、そしてまだ1歳ほどの赤ちゃんまでいたんだよ。まだ4月とはいえ、喉はカラカラに渇いていたし、お腹もすいていた。赤ちゃんに至っては、もう元気がなくてぐったりしていたんだ。

だから、一人の男性が街に行って、食料とかを調達してくることになった。もしスルツキ(セルビア人)に見つかったら殺されてしまうのではないか?といった疑問もあったけれど、彼はスルツキ(セルビア人)とボシュニャチ(ボスニア人)のハーフだったから、大丈夫だよといって出かけていった。

待っている時間はとても長く感じた。もし帰ってこなかったらこのままフォーチャに向かうしかない。そして、向かったとしても、このミジュヴィナと同じ状況になっているかもしれない。未来が見えなかった。希望の光が見えなかったんだ。幼い俺ですらその状況なのだから、大人たちはもっと深刻に感じたいたかもしれない。まだ肌寒い季節なのに、そういった変な興奮状態からか、体は火照っていたように思う。恐らくは、疲労の為に体が熱くなっていたのかもしれないけれどね。

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2010-05-31

田中先生のエントリについて

前回のエントリに、田中先生よりご批判をいただきました。ある程度の議論のまとまりに分けて、論じてみたいと思います。

ひとつめ。

ああ、あの三点でまとめたもの。全体のたかだか数頁をあたかもこの本の中心のようにして「言論統制」への批判がこの本の中核であるという誤った印象操作をした個所ですか。「不適切」すぎてそれは前提だと理解してますが?*1 もっと分量的にも内容的にも読むべきところがあると信じてますが、まるで最初の1章だけを流し読んだだけで書ける要約であると思い、まとめ以前のものだと思いますよ。

(略)

*1:また前回エントリーでも要約が不適切であると指摘した個所もありますが、なぜそれを「不適切」とは認識していないのかも不可思議ですが、これまた日本語の解釈学の問題でしょうか。いささかその種のやりとりは、おたがいの発言の不毛な訓詁学だとおもいますので、ここではただ単にbewaadの要約は不適切であり、著者としてはただ単に迷惑である、とだけ認識してください

一度たりとも、「『言論統制』への批判がこの本の中核である」と書いた覚えはないのですし、あの「まとめ」を書籍全体のまとめなり要約なりであると書いた覚えもないのですが・・・。で、不適切とのご指摘は、仮にwebmasterがあれを全体のまとめだといった類の記述をしていたとして、あれをもって全体のまとめだとした点、いわば対象のずれについてのものであって、「数頁」のまとめとしては概ね妥当だとの理解でよろしいのでしょうか? そうであれば、前回のエントリでの議論は、その枠組みにおいて問題ないものと理解するのですが。

なお、注記にある「前回エントリーでも要約が不適切であると指摘した個所」は何度読み直しても見当たらないのですが、きっとwebmasterの日本語能力のなさゆえなので、魚拓などご覧いただいて「ここだ」とのご指摘があれば、田中先生に限らず、後学のためご教示いただければ幸いです。

ふたつめ。

 しかも面白いのは、僕は「すべての日本の経済学者は言論統制されている」などとは一言も書いていないのに、bewaadが経済学舎たちのアンケート調査、また個別の著名経済学者を反証事例に持ち出していることだ。正直、これだけ悪い宣伝もないわけで(笑 僕が言論統制の事例としてあげたのはふたつの事例であり、それは日本の経済学者がすべて言論統制されているのではない(硬貨洗浄、クルーグマンの件の二例のみ)。いわば「日本銀行の内部」からの情報を書いたわけである。なぜbewaadがここで僕の主張を「(すべての)日本の経済学者は言論統制されている」とでもいうような主張に読み変えてそれを喧伝しているのだろうか? 理解の範囲外である。

前回のエントリにて書いた、「あるいは、責任を追及すべき立場にあるのが『まともな経済学』を学んでいない者ばかりである、という理由付けも、田中先生はわざわざ書くまでもないとご認識の上で略したとwebmasterは拝察しますが、もちろんあり得ます」と書いたのは、田中先生のご意見は「(すべての)日本の経済学者は言論統制されている」などというものではないとwebmasterは考えていますよ、ということに他なりません。webmasterは、「田中先生は『すべての日本の経済学者は言論統制されている』と書いた」などとは一言も書いていないのですけれども・・・。

ちなみに、日本において日銀批判がそれほど行われない理由として田中先生が挙げていらっしゃるのは、次のとおりです。

実際にはわたしのように「日本銀行の政策やガバナンス(統治)はおかしい」と批判する声は、日本国内において見る限り、いまだ少数意見にとどまっています。

それはなぜなのでしょうか。

三つの原因を考えることができます。

第一に、日本銀行の経済政策については、日本銀行内部やその関連研究機関は一切批判することができません。

第二に、経済学者やマスメディアが、日本銀行を批判しづらい構造になっています。

第三に、市場、とりわけ日本銀行の政策を最も間近で見ている金融機関やその傘下の研究機関に対しても、日本銀行は強い影響力を持っています。

わたしは以上三つの点で、日本国内の経済学者や研究機関、さらにマスメディアにおいて、日本銀行に対する批判の声が小さくなっていると見ています。

pp52,53

「第二」の「日本銀行を批判しづらい構造」とは何か、少なくともwebmasterには明確な記述が見つけられなかったのですが、おそらくは対応するであろうと察するのは、次の記述です。

日本銀行はまた、日本銀行出身の学者、もしくは有名国公私立大の金融理論やマクロ経済学の専門家に対しても、日本銀行の政策を支持するよう、陰に陽にネゴシエーションを行っています。

p56

webmasterが読んだ限り、これ以外に、なぜ世の学者やマスメディアが日銀を批判しないのかの理由は、本書においては述べられていません。本書に明示的に記されたことのみに依拠するなら、すべての日銀擁護者は、日銀の「言論統制」に服したから擁護しているのだとしか解せません。加えて、日銀擁護者には「『まともな経済学』を学んでいない者」もいるであろう、とwebmasterが察した手がかりとしては、たとえば次のような記述があります。

これはわたしの想像ですが、おそらく日本銀行の金融政策は世界の経済学の常識から大きく外れてしまっているために、世界標準の経済理論のペーパーを書いてしまうと、どうしても日本銀行の政策に対して否定的な結論になってしまうのでしょう。

p55

ある命題があった際、それと論理的に同値なのはその対偶となります。「世界標準の経済理論のペーパーを書いてしまうと、どうしても日本銀行の政策に対して否定的な結論になってしまう」という田中先生のご意見の対偶は、「日本銀行の政策に対して肯定的な結論になるのは、世界標準の経済理論のペーパーでない」というもの。もちろん後段の「世界標準の経済理論のペーパーでない」とは、世界標準を上回っているのではなく、下回っているとの含意になるわけですから、「『まともな経済学』を学んでいない」者もまた日銀擁護者になり得るわけです。

つまり、少なくとも本書の記述にのっとれば、田中先生のご見解は、日銀擁護者は日銀の「言論統制」に服しているか「世界標準の経済理論」に届かない者のいずれかということになります。これに対してwebmasterは、日銀擁護者の中には、「言論統制」に服しているわけでもなければ、「世界標準の経済理論」に届かないわけでもない者もいるのではないか、ということを申し上げているわけです。

なお、今般のエントリで田中先生は、

 ちなみにもし経済学者アンケートの調査をみれば、僕の意見は、1)それぞれの経済学者の抱懐する理論による、2)日銀の政策への理解の度合い などを主因とするだろう。もっとも毒舌な僕は、後者に「無知・無理解」の可能性をみ(まあ、これは別な人が書くかもですが)、さらに第3の要因に、日銀とそのアンケートを答えた人たちとの関係をみてみたい誘惑をもってしまうが、まあ、それは別途考えるべき問題だろう。

とお書きになられています。ご指摘の第2の要因は「世界標準の経済理論」に届かない(ご指摘の点は事実認識の問題であって必ずしも理論の話ではないのですけれども、不勉強に起因するものとして括らせていただきます)ものと、第3の要因は「言論統制」に服しているものと、それぞれ本書のご指摘に沿ったものと理解いたしますが、第1の要因の内訳はどのようなものとなるのでしょうか。

「それぞれの経済学者の抱懐する理論」中の日銀を擁護するもののうちに「世界標準の経済理論」があるのであれば、本書はこの問題については田中先生のご意見のすべてを表したものではなく、田中先生のご意見とwebmasterの意見との間には、あったとしても程度の差しかないということになります。他方、「それぞれの経済学者の抱懐する理論」中の日銀を擁護するもののうちに「世界標準の経済理論」はないのであれば、田中先生のご意見は本書と今般のエントリとでずれはなく、webmasterとは異なる見解をお持ちだということになります。

みっつめ。

田中先生は、日銀にはマイルドインフレ実現というミッションが課せられているとお考えになっている一方、webmasterは、日銀にはマイルドインフレ実現よりバブル防止を優先すべしというミッションが課せられていると考えている点にあるのだと、webmasterは認識しています

 いいえ、違います。この本全体で書いていることは、一言でいえば、日銀のミッションの不明な点です。僕はいまの日本銀行が「マイルドインフレ実現というミッション」を課せられているとは「現実」として考えていません。またbewaadのようにBISビューでもバブルつぶしでもなんでもいいですが、特定のミッションを実現すべく動いてるとも「現実」は異なると思います。例えば、本にも書きましたが、日銀の昨年の11月から12月にかけての「政策転換」はその具体例です。特定のミッションをとっているようにはまったくみえない、というのがこの本の主張と言い換えることができるでしょう。この整理からもあなたが本書を読んでないか、あるいは誤誘導を行っているかいずれかではないかと疑います。

田中先生は本書で、

この深刻なデフレ不況に立ち向かう立場にあるのが、日本の金融政策を担う日本銀行です。

p22

と書かれていますが、これは、「田中先生は、日銀にはマイルドインフレ実現というミッションが課せられているとお考えになっている」ことのひとつの表れだと思うのですが、いかがでしょうか。

また再度、本書から引きます。

1990年以降、日本銀行が繰り返している愚かにして最大の過ちは、このように「バブルの発生を幅広く点検」することに注力しすぎて、日本経済をデフレに陥らせてしまったことです。

pp47,48

他方で実際に日銀が何をやっているかは、ご指摘の「政策転換」といったぶれはあれど、大枠として「バブル潰し」「バブル予防」に括られるものであるとは、この記述からは、田中先生もご同意いただけるものとwebmasterは考えます。なぜそのようなことを日銀はしてしまうのか、田中先生は、日銀は「この深刻なデフレ不況に立ち向かう立場にある」(デフレ脱却というミッションを課せられている)にもかかわらず、ガバナンスの問題からそうしたミッションに反した行動をとっているとの分析で、webmasterは「バブル潰し」「バブル予防」というミッションを課せられているのだとの分析で、ということで、「本書を読んでいない」「誤誘導を行っている」とのお疑いは晴れるのではないでしょうか。

webmasterが日銀に課せられたミッションがそのようなものと考える点についても、次のようなご指摘をいただきました。

 それとbewaadは「日銀にはマイルドインフレ実現よりバブル防止を優先すべしというミッションが課せられていると考えている点」を、日本の経済学者たちのアンケート調査から導きだしている。

先に書いた日本の経済学者の認識等に照らし、現在の日銀のミッションとして(日銀自身を含め)社会的な共通認識となっているのはこれであろう、と分析しているということです

 しかしアンケート調査からbewaadの推理を裏付けるいかなる証拠もないのは自明である。もしこれが「社会的な共通認識」(経済学者だけでもないようだ……ますます意味がわからない日本語だ)ならば、それをbewaadがはっきりと検証すべきである。

デフレ下で金融政策について緩和を拒んだり引締めを求めるのは、デフレ脱却よりも優先すべきことがあるからこそであって、それが少なくとも日銀にとってバブル対策だったとは、上記のとおり田中先生もお認めのことです。また、今般の局面についても、たとえば次のような報道がありました。

 他方、政権交代の可能性や実体経済の弱さに引きずられ、過剰流動性の供給が長期化することを懸念する声も多い。日銀短観からもうかがえるように、大企業を中心に資金繰りや借り入れ環境は改善傾向にあり、日本国内における金融システムの状況は、危機を脱したとの見方が政策当局から出ている。

 野村総研の井上氏は「現在は世界中の中央銀行が大量の資金を供給している状況。超金融緩和からの出口が遅れ、過去の教訓が生かされないという懸念もある」と指摘する。

 熊野氏も「金余り」の状況は徐々に強まっていると述べ、「過剰流動性供給が続く一方で、経済活動には結びつきにくい状況。企業の資金需要は弱含み傾向が続くため、金融機関は運用難に直面している」として「バブルの予兆」に警鐘を鳴らしている。

 国内では、だぶついたマネーは再び債券市場に向かっているように見える。国債増発シーズンを迎えても長期金利が抑制されており、「一種の国債バブルが始まっている」(菅野氏)との見方もある。

 海外では、米国やEU(欧州連合)などを中心に、中央銀行が非伝統的手段を駆使して大量の流動性を供給しており、原油や商品市場などに再びマネーが流入しやすい環境にある。水面下でマネーのゆがみが進行している可能性に対し、市場の警戒感が足元で急速に強まっている。

朝日(ロイター)「不透明な民主党マクロ政策、日銀出口戦略に影響も」

にもかかわらず、「bewaadの推理を裏付けるいかなる証拠もないのは自明」とおっしゃられても、田中先生のおっしゃるとおりwebmasterの日本語能力に問題があるせいでしょうか、webmasterには自ずから明らかではありません。仮に自明だというのであれば、今般の局面において彼/女らが緩和を拒んだり引締めを求める理由は何なのか、過去の経緯等とは異なり今回はかくかくしかじかでバブル警戒ではないのだ、という立論が必要であるように、webmasterには思えます。

また、「経済学者だけでもないようだ……ますます意味がわからない日本語だ」とのご指摘ですが、経済学の研究対象であるデフレ脱却について、経済学者とそれ以外の人々で、誤った認識を持っている者の比率がどちらが高いかといえば、当然経済学者以外(6/1訂正)のはずです(こういう前提がなければ、かつてのように「世間知」「専門知」を対比して「世間知」を批判することはできませんよね?)。加えて、リフレ政策を採用すべきというのが「世界標準の経済理論」から導かれるとは田中先生のご所見です。この両者と矛盾しない推論は、現下の状況においてもリフレ政策を採用すべきでないと考える者の比率は、経済学者の中でのそれよりも、国民全般の中でのそれの方が高い、というものではないでしょうか。

よっつめ。

 さらに申し訳ないがこの修辞を使わせてもらうが、意味がわからない「官僚文学」はこれである。

たとえば営利企業を考えてみましょう。利潤追求というミッションに対して、マクロ経済環境の悪化で赤字になったとすれば、ミッションは果たされていないわけですが、これはガバナンスの問題ではありません。他方、役員が自らの親族が経営する取引先に優遇を図ったために赤字になったとすれば、これはまさしくガバナンスの問題となります。また、NPOを考えれば、字句どおり非営利団体なわけですから、NPOが利潤を追求しなかったために赤字になったとしても、それはミッションの問題であってガバナンスの問題ではない、ということになります(もちろんNPOとて、ガバナンスの問題ゆえに赤字になることもあるわけですが)。

 このbewaad流の「ミッション」と「ガバナンス」になぜのらないといけないのか意味が不明だし、彼のいっているようなことは僕の本には全然でてきてない、以上終わり。でもいいのだ。

 しかしbewaadの解釈とはずれると思うが(そもそも彼流の解釈が間違っているのでどう処理していいのかわからないので)「ミッション」を物価の安定としよう。次に「ガバナンス」に関わる問題を、日銀の政府からの独立としよう。インフレではなくデフレであり、これは物価の安定ではないので、「ミッション」は果たされていない。そしてこの「ミッション」がずっと果たされていないのは、日本銀行が政府からの独立を事実上すべての責任免除と考えているという「ガバナンス」の問題がある。

 さてbewaadは先の僕の本のまとめで、あたかもこの本が「ガバナンス」だけに注目しているかのようにとっている。しかしそんなバカなことはないわけで、いま僕が書いたように、「ミッション」には物価安定に加えて雇用の安定の考慮、「ガバナンス」には責任義務を生じさせ、政府との目的を共有するインフレ目標の導入を図る、ということである。もしそれで足りなければ「ミッション」」でも「ガバナンス」でもいろいろ改革すればいい。

 官僚のこて先の日本語遊び(論点以前の「ミッション」と「ガバナンス」の自己流解釈)に付き合う暇はない。むしろ彼のこて先の日本語遊びにはげんなりである。いまこれ書いてても得るものがひとつもない。

まず、webmasterのガバナンス論を「bewaad流」「自己流解釈」とおっしゃられていますが、たとえば、

コーポレート・ガバナンスとは、株主から任された受託責任を負っている会社役員がその受託責任を全うすることを確保するための仕組みである。

新コーポレート・ガバナンス原則(日本コーポレート・ガバナンス・フォーラム(2006年12月15日))

とあるように、一般的に「ガバナンス」の語が議論の対象となる際の用法から外れたものとのご批判は納得がいきません。この日本コーポレート・ガバナンス・フォーラムによるコーポレートガバナンスの定義を援用して改めて記せば、日銀がデフレ脱却に失敗していることがガバナンスの問題であるとは、日銀がそのデフレ脱却という国民からの受託責任を確保するための仕組みがないことが、デフレ脱却ができない理由であることです。他方、国民から任されたのがデフレ脱却よりもバブル警戒を優先せよ、ということであれば、デフレ脱却ができない理由はガバナンスの問題ではありません。

でまあ結局のところ、「『ミッション』を物価の安定としよう。(略)インフレではなくデフレであり、これは物価の安定ではないので、『ミッション』は果たされていない」とのおっしゃられるのを拝見するに、webmasterの申し上げたいことはまったく伝わっていないようです。同様のことを、田中先生は次のようにもおっしゃっています。

 ちなみにこれも前回書いたが、ここにbewaad流「ミッション」という用語法のおかしな点がある。「日銀にはマイルドインフレ実現よりバブル防止を優先すべしというミッション」でみると、90年代以降はかなりこの「ミッション」は成功しているようにさえ思える、と彼はいいたいのかもしれない。彼のはてブなどをみると、それを支持する意見さえある。正直、いおう。これは単にトンデモなだけである。どの中央銀行もその国の経済が望ましい成長をとげることが最重要な目的である。ところが日本経済は「バブル潰し」には成功しているのかもしれないが(そのこと自体も論議があろう)、90年代からずっと低成長やマイナス成長を続け、失業率は高止まりし、デフレは持続している。それは言葉の本当の意味でいえば、単に中央銀行のミッションがうまくいっていない証拠として十分である。なお日銀法には物価の安定とは書かれているが、「バブル防止を物価安定よりも優先すべし」という内容も、またそれを示すbewaadの使う「ミッション」なる用語もでてこない。

物価の安定という場合の「物価」には資産価格を含めるべきではないし、本来達成できたはずの成長が実現しなかった原因は金融政策に多くを求められるとは、webmasterにも何の異論もありません。「どの中央銀行もその国の経済が望ましい成長をとげることが最重要な目的である」とは、そのとおりでしょう。「べき」論としては。

しかし、プリンシパルたる国民がマイルドインフレ実現よりもバブル防止を望むのであれば、それが「べき」論から見れば誤っていたとしても(で、くどいようですが、webmasterは誤っていると思います)、エージェントたる日銀にとってはそれがミッションとなるわけで、それが日本の現実ではないでしょうか、ということを申し上げているわけです。先のアンケートを見ても、経済学者の多く、さらにはそれより「世界標準の経済理論」から遠くにいる一般国民の多くは、今なお緩和を拒み、引締めを求めているわけです。そうした声に日銀が傅くゆえのデフレ継続は、誤ったミッションを付与されたことの帰結であって、ゆえにミッションを正さねばならないのではないか、とwebmasterは考えているのです。

#国民については、経済学者アンケートからのwebmasterの推測です。既述のことではありますが、念のため。

いつつめ。

 さてロゴフの件である。これは僕については、bewaadがロゴフの援用をなぜしたのか、という方に注目している。なぜならばロゴフは別に日銀的な見解を持っていないからだ。なぜならロゴフは日本銀行のデフレ政策(bewaadのいうような「日銀にはマイルドインフレ実現よりバブル防止を優先すべしというミッション」)を失敗に思っていることは下の記述をみれば明瞭である。

大恐慌を防ぐにはインフレ政策しかない――ケネス・ロゴフ ハーバード大学教授 - 09/01/16 | 17:3

http://www.toyokeizai.net/business/international/detail/AC/829d806c1f49099efa0cc0578e4619f5/

インフレが再燃するのではないかというおそれから、10年にわたって日本銀行の機能はマヒしてしまった。

 ここでロゴフは1)日銀はインフレ懸念をしていた→bewaadのバブルのおそれという理由ではない、2)日銀のデフレ政策は失敗、ということが明瞭である。

 また同時に、前のエントリーでも書いたが、ロゴフが従来のインフレ目標に加えてプラスアルファの部分でバブル防御を考えてても不思議でもなんでもない。

ロゴフがインフレターゲットを否定しておらず、デフレよりはマイルドインフレを是としていることなんて百も承知です。前々回のエントリにて、ロゴフの「日本は今デフレ状況に見舞われており、日銀は安定的なインフレになるように環境を整備しなければならない」というコメントも引用しているのですから。webmasterの議論の本筋からいえば略してもよかったのですが、それではアンフェアな紹介だと思い、(雑誌記事なのでコピペもできず)手ずから打ち込んだぐらいです。

他方でなぜか田中先生がwebmasterの引用から読み落とされているのが、ロゴフがそうしたデフレ脱却を課題と認めつつも、最大の課題は将来のインフレ予防だとし、日銀が各国(の主に中央銀行でしょう、明示はされてませんが)から教えを受ける立場だと、今の日銀を肯定的に評価していることです。デフレ脱却できないことは問題ではあるが、それはあくまで小さな瑕に過ぎず、概ね日銀のやっていることは妥当だという以外に、ロゴフの意図をどう解釈できるのでしょうか? 少なくともwebmasterは、デフレ脱却よりもインフレ予防を重視し、FRBやBOEより日銀を高く評価する論者=ロゴフを、リフレ政策支持者とは認められないと考えています。

むっつめ。

 ところでbewaadはロゴフがBISビューであることを取り下げて、今度は「日銀にはマイルドインフレ実現よりバブル防止を優先すべしというミッション」を支持しているかのような発言を書いているが、それは上に説明したように単にbewaadの誤読である。問題は前回も書いたが、bewaadがいまや「日銀にはマイルドインフレ実現よりバブル防止を優先すべしというミッション」という見解が、国際的にもいいのか悪いのか決着のついていない問題であるとして、事実上、ロゴフを利用して日銀流理論を弁護することに、結果的にか最初からかはわからないが、なっていることだ。彼の内心の変化などわからないが、少なからざる人々は彼の言動が以前とは異なる方向にかなり変化しているという印象を持つだろう。

webmasterの主張は、たとえば2004年のものと変わっていません(読み返してみると、マネーサプライの定義が間違っていたりして恥ずかしいものがありますが)。すなわち、「まずデフレをとめよ」、換言すれば、リフレ政策の実現を最優先とし、そのためにどうすればいいのかをあれこれ考えてきているわけです。

#その時点で既に、日銀に対する責任追及は(リフレ政策実現の)手段であって目的ではない、なんてことも書いてます。

残念ながら日本では、「専門知」「世間知」を問わず、日銀を擁護する声が多数派であるようです。それが現実だと認識することは、自分自身が日銀を擁護する意見であることとも、日銀のやってきたことは仕方がないと免罪することとも、イコールではありません。まずはそうした現実にしっかり向き合った上で、もっとも有効な対策を詰めていく、それこそがリフレ政策の実現に向けた道でしょうし、webmasterは(主観的には)今も昔も変わらず、そうした考えであれこれ駄文を公表してきているのです。

末筆ながら、過度に煽るような語り口は、もう少し手加減いただけませんでしょうか。できるだけ建設的な議論をしたいと思っているのですが、人間が出来ていないもので、煽られると、冷静に考えをまとめるのにそれなりの時間と労力を有するので・・・。

2010-05-19

前回のエントリについていただいたご意見等について

多くいただいたコメントへの回答‐ロゴフ関連

まず、コメントでいただいたロゴフの意見をめぐるあれこれについて。昔はロゴフもリフレ政策を提言していたわけで、昨日のエントリでのロゴフの意見は誤訳なのでは等のご指摘がありました。前回エントリのインタビューとほぼ同じタイミングの講演についてのhimaginaryさんの翻訳が格好のお答えで、詳しくは当該エントリをご覧いただければと存じますが、himaginaryさんのお言葉を借りれば、「ロゴフは自分のリフレ論をそれこそ「撤回」して、中央銀行の独立性と構造改革を重視する、いわば昔のIMF的立場に舞い戻っているようにも見える」ということではないかと理解しています。

なぜそうなったのか、もちろんwebmasterがその論拠を知る立場にはないのですが、おそらく手がかりになるのは竹森先生の「資本主義は嫌いですか」での記述ではないでしょうか。

新興国についてのロゴフの提言は妥当であり、また、アメリカについての診断も妥当である。だが、世界経済全体の整合性については、ロゴフはどう考えているのだろう。アジアの新興国が国内投資を抑制する結果、資本が海外にあふれる。これに対してアメリカまでが、彼の提言にしたがって、投資も、消費も抑制し、慎ましい生活をすることに方向転換したならば、それは単に「世界的貯蓄過剰」を深刻化させるだけではないか。そうなれば一層の「金利の低下」と「不況圧力」が起こる。それを受けて、アメリカでなくても、世界のいずこかでバブルが続々と発生する。筆者にはそう思われた。だから、この点についてロゴフがどう考えているかを知りたかったのである。このような重大な問題について、彼のような頭脳明晰な人物が考えていないはずがない。横道にそれるが、ロゴフのチェスという「余技」はよく知られている。いや、「余技」というには、あまりにも見事な実績である。チェスの全米選手権で2位になったことがあり、さらに全世界で50人ほどしかいないチェス界の最高位の「グランド・マスター」の称号まで取ったのだから。彼のように、一分の隙も赦されない、緻密な作戦の構築を必要とする「ゲーム」に抜群の能力を持った人物が、「詰め」まで考えず議論をするはずがない。しかし、彼の考えていることは一体何だろう。と、いろいろ思い浮かべてみた結果、最近ようやくその答えが見えてきた。(略)

内需依存型の経済運営ということのほかに、ロゴフは「グローバル・インバランス」を解消する方法として、もう一つの「落とし所」を考えていると筆者には思える。つまり、世界経済全体の成長率を、現在よりも引き下げることである。簡単なようだが、実はこれによって、現在世界が抱えている「矛盾」のほとんどが一気に解消する。

竹森俊平「資本主義は嫌いですか」pp115,6(強調はwebmasterによります)

で、こうしたロゴフの議論は正しいのでしょうか。昨日のエントリへのarnさんのコメントでは、その点に疑義が示されています。

リフレ政策がまともな経済学から導き出した唯一の帰結があるとの結論を下すのは難しいところではりますが(有力な解決策のひとつであることは疑いないとはいえ)、ここで引用されるロゴフの言い分がまともな経済学から導きだされるものであるかは怪しいように見受けられます。

少なくとも成長率の上昇が求められるならば日本はインフレになっているはずで、デフレに陥っていることがおかしいですし、デフレ下で税収も減少を続ける中、純債務ベースで見れば(現時点に限れば)さほど問題ではない状況で財政再建を迫るのも理解不能です。労働人口もその減少率は問題ではあるもののたかが知れており、とうてい日本の低成長率を説明できない。

arnさんがおっしゃるように、「ロゴフの言い分がまともな経済学から導きだされるものであるかは怪しい」のであれば、話は簡単でしょう。しかしwebmasterは、ロゴフに向かって「あなたの言っていることは経済学的におかしいですよね」というような勇気はありません(笑)。権威に盲従するわけではありませんが、少なくとも国際マクロ経済学の分野で多大な業績を残した専門家(しかも現役)に比べ、自分の方がマクロ経済がよくわかっていると信じるのは、よほどの根拠がなければ不可能です。

arnさんのご主張に関していえば、「少なくとも成長率の上昇が求められるならば日本はインフレになっているはずで、デフレに陥っていることがおかしい」とは断言できないのではないでしょうか。たとえば現在のリフレ政策論の原点ともいえるIt's baaack!論文では、将来の成長率が低下するとの期待の下では、期待均衡実質金利がマイナスの値をとり、流動性トラップに陥るモデルが示されています。もちろんIt's baaack!論文の肝は、そうした状況下でも将来の金融政策へのコミットメントによりデフレから脱却できるとの立論ですが、「(将来の)成長率の上昇が求められる」状況において現時点のデフレが生じることは、こうしたリフレ政策のフレームワークと矛盾なく説明可能なわけです。財政赤字や労働力人口減少についても、それが将来において大きな問題となり得ることは、いみじくもarnさんが「純債務ベースで見れば(現時点に限れば)さほど問題ではない」と「現時点に限れば」と限定を付されていることとも整合的でしょう。

#だからデフレでよい、ということを言いたいわけではありませんので、念のため。

田中先生のエントリについて

前回のwebmasterのエントリに対して、田中先生が「bewaadの発言が単に意味が不明な件」というエントリを書かれました。

正直、このbewaadなる人物が何をいいたいのか、最近の彼のエントリーを読むと、過去の彼の発言と違うような不明瞭な印象をもつし、そもそもこのエントリーも僕には何を彼がいいたいのか皆目理解できない。まず日本語として意味が不鮮明なことこの上ない。このbewaadの発言もただ単なるノイズと考えるべき段階にきているのかもしれない。

まず彼は拙著『デフレ不況』の批判として、ロゴフのインタビューを持ちだしてきている。その上でこのロゴフの発言をBISビューだとし、さらに「であるならば」とした上で、日銀がBISビューにたつのでそれはいまだどちらが正しいのか決着がつかない問題である、としている。

まずそもそも日本銀行がBISビューに立つのでもどんなビューに立脚するのでもいいが、日本銀行の政策のミスが単に特定のビューに立脚しているがゆえに免罪されているとはとてもいえない。デフレが継続し、生産(雇用)が落ち込み、資産価格が不安定で、過度の円高の進行が、その中央銀行がfedビューにたとうがBisビューにたとうが、その政策の責任を免れるわけもない。bewaadのような論法をまさに「ためにする」議論という。問題は彼はいまや何の「ためにする」議論を行っているかが、彼の発言を昔から追ってきたものの素朴な疑点としてあるのではないか?

 そして日銀のガバナンスの改革が、むしろbewaad的には現行の日銀のビューを強固なものにしてしまう、という。正直、まともな論理とは思えず。これではいかなる改革もすべて日銀の特定の見解(改革側からすると誤った見解)をかえって強化してしまうといっているに等しい。少なくとも「リフレ政策」の肝であるレジーム転換を彼が理解していないのは明白である。これでは単なる改革の選択肢をうけつかない、と天下りに宣言しているに等しい。また彼がここで何をいいたいのか、正直にいえば、僕には日本語としても意味がとれない。

日本語として意味が不鮮明なことこの上ないとのことですので、なるべく明らかになるよう努めて、以下綴ります。

田中先生は日銀について、「免罪されているとはとてもいえない」「その政策の責任を免れるわけもない」とおっしゃっていますが、「べき」論としてはwebmasterも何の異論もありません(免罪されるといったことを書いた覚えはまったくありませんし)。しかるに現実には、厳しい責任追及がなされているわけでもないというのが客観的に妥当な認識でしょう。この点については、田中先生もご異論がないものと察します。田中先生とwebmasterとの間に相違が生じるのは、その理由をめぐってのこととなります。

前回のwebmasterのまとめを再掲すれば次のとおりです(それ自体が不適切とのご指摘はいただいておりませんので、とりあえずそのままにしてあります)。

  1. まともな経済学から現下の日本経済の処方箋を導き出すならば、それはリフレ政策であるはずで、にもかかわらず日銀は誤った「日銀理論」に固執しリフレ政策を採用していない。
  2. そのような日銀への批判が少ないのは、日銀による言論統制ゆえである。
  3. 日銀のガバナンスを改めることができれば、そうした日銀の姿勢は正され、日本でもリフレ政策が実現されるはずである。

上記1.が正しい限り、日銀への責任追及がさほどでないのは、田中先生のおっしゃるとおり2.ゆえということになるでしょう(あるいは、責任を追及すべき立場にあるのが「まともな経済学」を学んでいない者ばかりである、という理由付けも、田中先生はわざわざ書くまでもないとご認識の上で略したとwebmasterは拝察しますが、もちろんあり得ます)。しかし、webmasterはこの田中先生のご見解には疑問を感じざるを得ません。

理由の第一として、前回のエントリでも書きましたが、田中先生が挙げられている「言論統制」の証拠が、如何にも客観性がなく、信頼するに足りないことがあります。たとえば、日銀の組織としての見解に背く論文を書いたから左遷された、と伝聞を挙げられても、クロスチェックもできません。信頼できないとは日銀への敵愾心が足りないとのご批判があるのかもしれませんが、クロスチェックできない情報は信頼に足らないとする人間は、世の中にはそれなりにいるのではないかと思いますので、際立って狭量なわけではないとご容赦いただきたく。

第二として、「まともな経済学」を学んだ人でも、リフレ政策よりもむしろ日銀の政策に傾斜する者が少なくないと見込まれることがあります。たとえば、昨年10月16日の日経朝刊で記事になった、日本経済学会と日経が共同して行った経済学者アンケートがあります。母集団が明らかでないなど、信頼するにはいささか不備があるアンケートではありますが、それによれば、日銀の金融政策に対する意見は次のような分布だったとのことです。

  • 「出口戦略」を考慮すべき:38%
  • 現行の金融緩和政策のままでよい:35%
  • よりいっそうの緩和が必要:20%弱(数字は明記されてませんが、グラフの目分量で)

このとおり、反/非リフレ政策で7割強が占められている状況です。母集団が明らかでないとはいえ、「経済学者アンケート」と題して日本経済学会が共催者として行ったアンケートで、数字に有意に影響を与えるほど非経済学者が混入しているとも考えにくいです。「まともな経済学」を学んでいたとしても、リフレ政策に賛同しない者は相当程度いるのは客観的事実と認めざるを得ないのではないでしょうか。まさか、経済学者の過半が日銀の「言論統制」に服しているわけでもないでしょうし。

最後に第三として、上記第二で取り上げた経済学者はマクロ専門家に限らないのでマクロ専門の経済学者に限ったとしても、状況はそれほど変わらないと予想されることがあります。大瀧先生や福田先生、脇田先生、植田先生など、日本の経済学界において第一線で活躍されているマクロ経済学者の少なからぬ人々が、リフレ政策には批判的でむしろ日銀を擁護する傾向にあります。これらの方々が「まともな(マクロ)経済学」をご存じないとは考えづらく、かといって皆日銀に瞞着されているというのでしょうか?

以上はあくまで、日銀をめぐる情勢についてのwebmasterなりの認識であり、価値判断は含んでいません。webmasterはリフレ政策が実現されるべきと考えているわけですが、それとは切り離して、日銀を論ずる人々の中の多くは、リフレ政策が実現されるべきとは考えていないであろうし、それは経済学的知識の不足が理由でもなければ、日銀による「言論統制」が理由でもないだろう、と分析しているわけです。もちろん、それはそうした考えを妥当だと思っていることと等価ではありません。くどいようですが、webmasterはリフレ政策が実現されるべきと考えています。

さて、これらを前提に、ガバナンスの話に移ります。前回webmasterは、「そのミッションが変更されない限り、ガバナンスが改善されれば改善されるほど、BISヴュー的な政策運営が強化されざるを得ないのではないでしょうか」と書きました。これに対して田中先生からは、「まともな論理とは思え」ないとのお叱りを受けたわけですが、webmasterなりの論理はあります。

その議論の前置きとして、「ミッション」「ガバナンス」という用語の(webmasterなりの)整理をします。ある主体にミッションが与えられたとして、客観的に無理だ等の事情ではなく、その主体固有の組織・体制的な問題ゆえにミッションが果たされないときに、ガバナンスの問題があると言えるとwebmasterは考えています。

たとえば営利企業を考えてみましょう。利潤追求というミッションに対して、マクロ経済環境の悪化で赤字になったとすれば、ミッションは果たされていないわけですが、これはガバナンスの問題ではありません。他方、役員が自らの親族が経営する取引先に優遇を図ったために赤字になったとすれば、これはまさしくガバナンスの問題となります。また、NPOを考えれば、字句どおり非営利団体なわけですから、NPOが利潤を追求しなかったために赤字になったとしても、それはミッションの問題であってガバナンスの問題ではない、ということになります(もちろんNPOとて、ガバナンスの問題ゆえに赤字になることもあるわけですが)。

では、日銀はどうでしょうか。デフレを脱却できていない、という結果を問題と考える点において、田中先生とwebmasterには違いはないと認識しています。デフレ脱却の手段がないから脱却できないのではなく、その手段を用いていないから脱却できていないのだ、という点についても同じでしょう。ここで言う「手段」とは、すなわちリフレ政策です。

違いは、田中先生は、日銀にはマイルドインフレ実現というミッションが課せられているとお考えになっている一方、webmasterは、日銀にはマイルドインフレ実現よりバブル防止を優先すべしというミッションが課せられていると考えている点にあるのだと、webmasterは認識しています。くどいようですが、これはそうしたミッションが正しいとwebmasterが考えていることを意味せず(「べき」論であるならば、webmasterは田中先生に全面的に賛同し、現在のミッションは不適切と考えております)、先に書いた日本の経済学者の認識等に照らし、現在の日銀のミッションとして(日銀自身を含め)社会的な共通認識となっているのはこれであろう、と分析しているということです。

#BISヴューもろくに理解していないとのお叱りもいただいたので、前回のエントリから表現を改め、「マイルドインフレ実現よりバブル防止を優先」という表現にいたしております。

前回のエントリの冒頭、webmasterは「今の日本が、田中先生が本書で描く状況だったならば、日銀が果敢にリフレ政策を遂行しているifシナリオの次ぐらいにいい状況にあるのではないか、とwebmasterは思います。しかしながら、実はもっと悪い状況にあるのでは、との危惧はwebmasterの頭の中からなかなか去ってくれません」と書きました。この言葉に嘘偽りはありません。日銀役職員が私利私欲を追求して「日銀理論」に拘泥していることがリフレ政策実現の妨げとなっているのであれば、まさしく問題はガバナンスにあり、日銀という組織にメスを入れればいいだけですから、話は単純です(単純だからといって容易なわけではありませんが)。

では現実はどうかといえば、webmasterは、今回延々と書いてきたように、問題はガバナンスよりもむしろミッションにあるように見えてなりません。このwebmasterの認識が正しいのであれば、リフレ政策を実現するには、ガバナンス問題と捉えて対策を講じるよりもむしろ、日銀のミッションを変更するのだと、社会的な共通認識にアプローチしなければなりません。その困難たるや如何ほどかと考えれば、webmasterとて自らの分析は誤りで、田中先生と同じ意見であればと切に思っているのです。しかし、彼を知り己を知れば百戦して殆うからず、リフレ政策の実現には、自らの願望よりも客観的な情勢分析の方が有益なはず。webmasterの分析が論破されやはり問題はガバナンスだとの田中先生のご認識が正しいのであれば、まさしく本望なのです。

2010-05-14

田中秀臣「デフレ不況 日本銀行の大罪」

今の日本が、田中先生が本書で描く状況だったならば、日銀が果敢にリフレ政策を遂行しているifシナリオの次ぐらいにいい状況にあるのではないか、とwebmasterは思います。しかしながら、実はもっと悪い状況にあるのでは、との危惧はwebmasterの頭の中からなかなか去ってくれません。できることなら、田中先生の分析のとおりだと信じたいのですが、かく信じるためには見たくないものが、webmasterの目には見えているような気がしてならないのです。

田中先生の本書でのご主張をwebmasterなりにまとめるなら、次のようなものとなります。

  1. まともな経済学から現下の日本経済の処方箋を導き出すならば、それはリフレ政策であるはずで、にもかかわらず日銀は誤った「日銀理論」に固執しリフレ政策を採用していない。
  2. そのような日銀への批判が少ないのは、日銀による言論統制ゆえである。
  3. 日銀のガバナンスを改めることができれば、そうした日銀の姿勢は正され、日本でもリフレ政策が実現されるはずである。

しかしたとえば1.については、次のような主張を無視できないのではないでしょうか。

―日本が成長率を高めるために、どのような構造改革が必要か。望ましい財政、金融政策は。

ロゴフ教授 まず最初に取り組まなければならないのは、労働市場の改善だ。金融政策は魔法のような解決法にはならない。(略)

次にできることは何か。それは生産性の伸びを高めることだ。日本は20年前まで顕著な生産性の伸びを経験してきたが、今はそれが停滞している。だから、労働人口を増やすことに加えて、生産性の改善が必要だ。この二つが経済成長の源泉になろう。

(略)

金融政策は、予見可能な将来は緩和的なスタンスとなっている。日本は今デフレ状況に見舞われており、日銀は安定的なインフレになるように環境を整備しなければならない。金融政策の根本的な大改革を行う、というわけではないが、政策を変えるのが一番簡単だから、最も頻繁に話題に上るのは金融政策、ということになる。

しかし、やらなければならないのは財政再建だ。そうすれば金融政策も、今後大きなインフレを招くことを阻止できる、という意味において役立つ。日本では長い間インフレがなかったが、財政再建が実現しなければ、金融政策も効力を発揮できない。

より正確に言うなら、日銀が独立性を維持できるなら、日本は穏やかなインフレでとどまるだろう。しかし、巨額の財政赤字をコントロールできなくなる中で、日銀に対する政治圧力が強まったとき、日銀の完全な独立性が維持できなくなる可能性がある。それは、日銀が大きなインフレを食い止めることができなくなる、という意味だ。

―日銀はインフレターゲットを採用すべきか。

ロゴフ教授 長い間、その是非を考えてきた。標準的なインフレターゲットを採用している中央銀行に日銀がならなくてもよい理由は見つからない。しかし、そうしたターゲットを持つ中央銀行であっても、金融危機には直面した。グリーンスパン氏が率いた米連邦準備制度理事会(FRB)がそうだったし、イングランド銀行(英中央銀行)でも同じことが起きた。

従って、日銀は今までの狭い考え方の枠組みにとらわれず、新しい考え方を追求し、より融通の利くアイデアを採用すればよいのではないか。そうすれば、資産価格の高騰や借り入れレバレッジの膨張で再び金融危機に陥る事態を回避できる。

長い目で見ると日銀は今、世界の中央銀行で最も良い立場にいる。これまではいろいろな人が来て説教を受ける立場だったが、今や突如としていろいろな国からどういう対策を講じるべきなのかについて、アドバイスを求められている。

2010.3.8 金融財政ビジネス pp4-9

1.に関連して、田中先生はクルーグマンやスティグリッツ、バーナンキといった錚々たる学者による日銀批判を紹介していますが、ロゴフとて彼らに決して勝るとも劣らない業績を誇る学者です(こと国際マクロ経済学に関して言えば、素人目には、クルーグマンらを上回るかにも見えます)。リフレ政策関連の話題に親しんでいる方々なら、このロゴフの見方はいわゆるBISヴューに属するものであることをご理解いただけるでしょうけれども、BISヴューとFEDヴュー(クルーグマンらの見解)のいずれが正しいかは、経済学的には未だ軍配の行く末が定まらない問題ではないでしょうか。

であるならば、2.についても違う可能性が考えられます。田中先生が本書で挙げられている言論統制の数々は、裏取りを可能とするような固有名も明かされなければ、反対尋問的な検証もなされていない事例であり、そのまま真実であると信頼するに難がないとは言い切りづらいです。少なくとも状況証拠を見る限り、ロゴフを代表とする世界中のBISヴューを主張する経済学者が日銀の言論統制に呼応しているとは考えづらいですし、こと日本に限っても、大瀧先生や福田先生、脇田先生といった数々のマクロ経済の専門家が反/非リフレ政策を唱えているのは、日銀の鼻薬のせいなのでしょうか? 逆に、日銀の言論統制がそれほどのものであるならば、日銀出身の深尾先生がリフレ政策を唱えていることの説明はつくのでしょうか?

3.についてはどうでしょうか。新日銀法制定時の議論を渉猟したことがある人ならば、新日銀法において目指す理想像とされていたのはFRBでもなければBOEでもなく、Bundesbankであることに異論はないと思います。そして、BundesbankとはBISヴューの象徴であることに異論がある人も、まずいないと思います。少なくとも新日銀法制定時の日銀のミッションとは、日本のBundesbank足れということだったのですから、そのミッションが変更されない限り、ガバナンスが改善されれば改善されるほど、BISヴュー的な政策運営が強化されざるを得ないのではないでしょうか。

冒頭のwebmasterなりの本書の整理に対応させるように以上の危惧を整理するならば、次のようなものとなるでしょう。

  1. 中央銀行の政策運営姿勢としてのBISヴューとFEDヴューについては、いずれかが経済学的に妥当で他方が非経済学的というものではなく、まともな経済学に基づいて議論しても(少なくとも現時点では)甲乙つけがたいが、現在の日銀は、このうちBISヴューに基づき金融政策を運営している。
  2. 日銀への批判が少ないのは、日本においてはBISヴューを妥当とする論者が多いため。
  3. 日銀に係るガバナンスが改善されれば、日銀の政策運営はよりBISヴュー的色彩が濃いものとなる。

以上は素人に過ぎないwebmasterの愚昧さゆえの杞憂であり、田中先生こそが正しいことを心より願う次第です。