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コリアンタウンの原点

2009年3月24日

  • 筆者 八田靖史

写真長年使われている「武橋洞」の看板写真店内には年季の入ったメニューが並ぶ写真サムゲタン写真牡蠣のチヂミ写真牛スジ煮込み

 東京の新大久保には韓国関連の店が集まっている。韓国料理店、韓国食材店、韓流グッズショップなど。遠くからわざわざ訪れる韓国ファンも多く、半日で韓国旅行を擬似体験できる街として人気が高い。こうした店が多く見られるのは、大久保通り、明治通り、職安通り、小滝橋通りに囲まれた一角。歌舞伎町などの隣接エリアにも韓国系の店は点在し、ハングルの書かれた看板を多く見かける。街を歩きつつ店舗数をまとめてみたところ、韓国料理店だけでも250店舗前後にのぼった。

 すっかり韓国一色に染まっているようだが、こうした現象はここ20年ほどのことと意外に新しい。もともと新大久保に韓国関連の店が増えたのは、歌舞伎町で働く韓国人が生活の拠点として暮らし始めたのが理由。人が増えるとともに、韓国人を相手にする簡単な飲食店が生まれ、それが少しずつ拡大していった。その草分けとなった店のひとつが1981年創業の「武橋洞」である。

 当時、新宿界隈にも焼肉店はあり、韓国式のスープなどを提供していたが、いわゆる家庭料理は珍しかった。「武橋洞」が目指したのは、テンジャンチゲ(韓国式の味噌汁)のような韓国版おふくろの味。その料理は韓国人客のみならず、韓国に関心を持つ日本人にも喜ばれた。まだ韓国の情報が少なかった時代、「武橋洞」は韓国を身近に感じられる貴重なスポットでもあったらしい。韓国に行った経験のある人は本場の料理を懐かしみ、これから行く人は情報を収集する。こうした姿は韓国料理店が増えた現在も、本質的にあまり変わっていない。

 その「武橋洞」は創業から28年を経て、まだ同じ場所で営業を続けている。創業者である鄭順子さんは引退したが、2003年に創業前からの知人であった鄭福子さんへとバトンタッチ。料理のレシピから手書きのメニュー、貼られたポスターに至るまで、一切変えることなく、そのままの形で残されている。「多くの人が愛着を持っている店だから、昔のままにして、変えてはいけないと思う」と鄭福子さん。韓国の店が増えた現在の状況から考えると、どこか文化財的な価値も感じさせる。

 事実、その変わらない姿に感動を覚えるかつての常連客は多い。80年代から足しげく通い詰めた佐野良一さんもそのひとり。先日、9年ぶりに店を訪れ、「当時のままということに感無量」と語った。

 現在、佐野さんはコリアンタウンの草分けである「武橋洞」を主題とした回顧録を執筆中である。3月21日発売の『月刊Suッkara(スッカラ)5月号』より、その連載はスタートするとのこと。多くの店がひしめき合い、たくさんの人が訪れる今だからこそ、草創期から振り返る歴史物語には意味がある。韓国好き、新大久保好きのひとりとして、この意欲的な連載を楽しみにしたいと思う。

●武橋洞の魅力

 「武橋洞」の人気メニューはいまも昔も変わらない。1キロの鶏肉を使うという巨大サイズのサムゲタン(鶏の腹にもち米、高麗人参などを詰めて煮込んだスープ)は、大勢で分け合って食べる定番メニュー。そのほか柔らかく煮込んだ牛スジ煮込みに、ピリ辛のケジャン(生ワタリガニの薬味ダレ漬け)、牡蠣のチヂミなど。長く来ている常連客のために味付けは一切変えないのがポリシーとのこと。

●店舗データ地図

店名:武橋洞(むぎょどん)
住所:東京都新宿区大久保1−1−9新宿フラワーハイムビル1階
電話:03−3209−8162

プロフィール

八田靖史(はった・やすし)

コリアンフードコラムニスト。1976年生まれ。東京学芸大学アジア研究学科卒業。1999年より1年3カ月間韓国に留学し、韓国料理の魅力にどっぷりとハマる。2001年に韓国料理をテーマにしたメールマガジン「コリアうめーや!!」を創刊。同名のホームページ(http://www.koparis.com/~hatta/)も開設し、雑誌、新聞などでも執筆活動も開始する。著書に『八田式「イキのいい韓国語あります。」』『3日で終わる文字ドリル 目からウロコのハングル練習帳』『一週間で「読めて!書けて!話せる!」ハングルドリル』(いずれも学研)がある。

日々、食べている韓国料理を日記形式で紹介するブログ「韓食日記」も運営中(http://koriume.blog43.fc2.com/)。 ※執筆者の新著が出ました。「魅力探求!韓国料理」(小学館)。

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