俺は退屈だった。
何故なら対等の存在がいないからだ。
俺が今まさに感じてるのは、孤独でもあり、やり場のない憤りでもある、複雑な感情だ。 それはアドルフ・ヒトラーが全てを失い、迫りくるソビエト軍を目前にして、塹壕で自害した時のような無念さ、寂寥感が入り混じった感覚だろう。
まぁ俺はヒトラーじゃないし、そんな目に遭ったことなんてないからフィーリングだけど。
つまり何が言いたいかというと。
「退屈だ」と俺はわざわざ口に出してみた。
もちろん口に出しても意味なんかないので、どうやってこの退屈を紛らすか考える。
ゲーム、映画、外出、読書、すべて飽きた。つまらない。
いや、そもそも、一人だから退屈なんじゃないか?
そこで俺はふと思いついた。エリを呼べば退屈しのぎになるんじゃないかと。
「俺にしてはまともな考えだな。今日は最高に冴えてるわ」
ってなんだそれ。自画自賛かよ。
いつから俺はナルシストになったんだ?
最近になって。自分で突っ込みを入れることか増えている。意志と行動が一致しない。 これは異常なことだと思った。しかも突っ込み自体寒いし。
「いや、中二病こじらせてるだけだろ。ただ単純に」
……下らん。なんて意味のない思考回路なんだ。俺は自分自身のギャグセンスに呆れた。
そんなことよりも、俺はなにかやろうとしてた気がする。
ああ、そうだ、思い出した……というか、エリのことだろ。暑さで脳に虫でも湧いたようだ。
「痴呆症か、俺は」
ため息混じりに寒い突っ込みを呟くと早速エリに向けてメールを打ちはじめた。内容は、暇だし、暑いから俺の家に来ない?と言うもの。
理由になってないがそこは気にしない。会えればいいのだ。
それに何も用事がなければ来るだろう。あいつは一匹狼とみせかけた寂しがり屋だからな。
「これでよし」
俺は打ち終わったメールを送信し、エリからの返信をソファーに座りながら待った。
俺がエリと初めて会ったのが中学に入って一年後、つまり中二の時だ。
クラス替えで彼女と一緒になった時に、俺は運命を感じたのだ。
陶磁器のように白い肌と澄み切った茶色の瞳、肩まで伸びた美しい髪、そして制服を盛り上げる発育のいい胸は、母なる愛を連想させた。
何より目を引くのは整った顔立ちだ。娼婦のように媚びすぎず、刃物のように切れすぎず、といったエリの美しさと可愛さを兼ね備えた顔はクラスの奴らの関心を独占した。
勿論、最初はクラスの奴らと同じく俺もエリを眺めるだけだったが、俺は確実にエリを陥落させるため、誰よりも速く行動を開始した。
結果的に陥落はしなかったが、外堀を埋めて友好を結ぶ事が出来たのは、まさに誇るべき戦果だろう。
払った犠牲はかなり大きかった。俺への嫉妬による第三者の攻撃を受けたが、結果的に大勝利することが出来たのは、俺とエリとの信頼関係のおかげだった。
つくづく恋は戦争だと思ったものだ。そして戦争は行動と戦略で勝敗が決まると奴らに思い知らせてやったのだ。
死者に鞭を打つような物言いだが、俺も酷い噂を流されたり殴られたりした。 そこら辺はプラマイゼロということでいいだろう。
ん?ちょっと待て。何か大切なことが抜けてる気がする…けど、まぁ、いいや。
何だか、中学の頃がとても昔の事に思えてきた。エリの取り合いで熱くなってた自分がひどく懐かしい。
酷く不愉快なこともあれば爽快な事もあった。簡単なことで、悩み、葛藤し、熱くなって衝突した。
今の自分に純粋さとか、熱さとかはない。
高校に上がってからは、そんなものはすっかり消えてしまった。つまり、中学の最後の時、死んだのだ。
そこで、間抜けな電子音が聞こえた。そう、携帯の着信音だ。
心待ちしていたエリからのメールについ、にやついてしまう。
メールの数は二件ある。え?なんで二件?と思いつつ、とりあえず確認してみる。
「おいおい、生徒会かよ」
一件は生徒会で、内容は学園祭の準備のために明日来いとのことだった。
こちらは華麗にスルー、で、二件目を確認。エリだな。
『今行くからまってて』
ふ、まんまと釣れたな。釣った感覚は皆無だけど。餌も付けてねーし。
ということは、思った通りあいつも暇だったか。ま、普通そうだよな。連休はやること何もないからな。
エリと俺の家は結構近い、だいたい自転車で約八分位かな?
「家片付けないとな…」
ということで、 一応、女が来るので家を片付ける事にした。
今現在、両親と姉はハワイに旅行しているので、家には俺しかいない。まったく、掃除が面倒でたまらんよ。
と言っても俺は散らかさない性格だから、今は布団を押し入れにしまうくらいでいいんだけど。
さすがに布団出してるとアレをやる気満々にみえて警戒されるからな。礼節は保たないとダメだろう。
ま、あいつはそんなこと気にしないと断言出来るが、俺が意識してしまうから。
で、布団をしまって、昨日掃除機掛けたし、床は綺麗だよな、とか、いつ飯食ったっけ?とか、エリと飯食いに行こうかな、なんて考えてると控え目なチャイムが聞こえた。
きっとエリだ。俺は玄関まで行ってドアを開けた。
「よう。襟、元気?」
俺は目の前の女に挨拶した。
凄く凹凸が強調されたスタイリッシュなノースリーブに、周囲にとけこみそうな薄手で、淡い桜色のカーディガン、触ったらとても艶々してそうな、長くストレートな美足を惜し気もなく晒している純白のホットパンツ。
完璧だ。高身長ということもあり、まるでパリのファッションショーから、抜け出したみたいだ。
「熱い、中に入れて」
エリはめんどくさそうにいった。でも、嫌という感じには見えない。
嫌なら最初から来ない。そんな奴だ。
纏ってる雰囲気はとてもクールだけど意外と人懐こいんだよな。そこが、神宮 襟の良いところ。あと、細かいことは気にしないところとかが俺は非常にそそられる。
「俺の部屋に来ない?クーラーつけといたから涼しいよ」
俺の呼び掛けにコクリと頷く、髪の毛が僅かに揺れ、ほのかな香りが鼻腔を優しくノックする。
優しい香りだ、何だかやすらぐ。
ああ…そうだ、エリの格好はクーラーに弱そうだから、適温にしないと。
エリは玄関のドアを閉めた後、スタスタと先に行ってしまった。
いつまでも突っ立ってる訳にはいかないから。俺は少し表情を緩め、エリに続いて冷えた自室に入った。
「部屋をきれいにするクセは昔から変わらないのね」
リモコンを操作し、室温を設定してるところで、俺の耳たぶにエリの吐息交じりの言葉がかかる。
いつのまにか、近くに居たようだ。
そんな猫みたいに、気配を消して近づいたエリを愛しく思う。
「俺の変わったところってどんなところ?教えてよ。襟」
俺は肩が触れ合うくらいエリに近づき、耳たぶに優しく、吐息交じりの疑問を投げ掛けた。これは仕返しだ。結構くすぐったいんだぜ、エリ。
それに、エリの俺への評価はそこそこ気になる。それは、今にしろ、…昔にしろ、どっちもだけど。
俺の軽薄な態度が気に食わなかったのか、エリは急に少し沈んだ声で俺に語り始めた。いつもの鈴を転がすような美しい声よりも、少し低い声は、自然と乱してはいけない、侵してはならないような、そんな空気を作りはじめた、そして、エリの整った顔立ちもあり、俺はひどくこの雰囲気を神聖なものに感じた。
俺は不安になった。
「昔は真面目で、あつくて、常に真剣なひと、でも今は軽くて、つめたくて、常にふざけたひと」
エリの視線が真っ直ぐ突き刺さる。なぜか、心に鈍痛が走った。なんで?
でも、とエリは続けた。
「貴方はやさしい人だと思うわ」
「そんなことないね。俺は優しくなんかないさ。襟」
即答で言った。出来るだけ軽く、軽薄に、いつの間にか張り詰めた空気、神聖な雰囲気をあえて壊すように、…しかしおどけて言えた自信はなかった。声が震えていた。動揺と不安を隠せない。
ふと、エリが俺から一歩離れた。まるで、冷えたそよ風に吹かれて、地に落ちる枯れ葉みたいだ。エリの悲しげな顔。でもそれは、ほんの少しの時間でいつもの無表情に戻った。
「ごはん、食べてないでしょ」
エリが、淡々と俺に語り掛ける。無表情の奥に見えるのは、微かな気遣いと同情。
でも、俺はほんの一瞬の悲しげな表情が、脳裏に焼き付いて離れなかった。
「わたしがごはんつくってあげるから」
あまりにも美しすぎて、あまりにも儚くて。
「だから、待ってて」
結局何も言えなかった。
何もいわなくて、よかったのかもしれない。
「襟、お前が俺をこんな奴にしたんだ…」
俺は1人で喋っている。エリはさっき、買い物に行った。
「なぁ…襟、俺は退屈だ。…だから、傍にいてくれ」
そうだ、俺は退屈だ。
第一話
怠惰ライフ