日本に手を出した国は必ず滅びる・・・それが歴史の事実です。 日本は相互信頼主義を根本とする国です。 命をかけて戦った先人たちの努力を見直し、日本の素晴らしさを再認識して、階級闘争主義の汚染から日本を守ろう。

日本国憲法という欺瞞

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世界史年表
世界史年表


世界史の教科書などをみると、必ず載っているのが、世界史年表です。

そこにはそれぞれの国毎に、国の変遷が描かれています。

たとえば、ローマ帝国と、いまのイタリアは、政治、経済、通貨、体制など、まるで違う国であることは、みなさん、よくご存知のことと思います。

地理的な場所は同じでも、国家の統治体制が異なったら、それはまぎれもなく「別な国」といえます。

これに対し、日本は、2700年の昔、はるかな縄文時代の昔から、日本という一国として認識されています。

これは、実は、ウソです。

皇統2700年などといいますが、たしかに古来、日本はご皇室を日本の中心とする国家体制を築いていました。

そしてその時代は、昭和二十(1945)年までは、まぎれもなく続いていました。

しかし大東亜戦争が終わり、日本にGHQが降りて来た時から、日本は、日本でなくなっています。

正確に言うと、戦闘を停止した昭和20年8月15日から、昭和27年4月28日のサンフランシスコ条約発効の日まで、日本は「日本」という国ではなかった。

では、その間の日本は、なんだったのかというと、
当時の国名は

─────────
「連合国統治領日本」
─────────

です。

ですから、その頃の日本からの輸出品は、Made in Japan ではありません。

──────────
Made in Occupied Japan
(占領された日本製)
──────────

です。

国旗も、日の丸ではなく三色旗です。
  ↓
連合国統治領日本の時代の日本の国旗
(1945〜1952年)
連合国統治領日本の国旗


日教組などは、日本が占領統治下にあった昭和22年にできた組織です。

ですから彼らが日章旗を国旗として認めないのは当然です。
彼らにとって日本の国旗は連合国統治領日本の時代の「三色旗」なのですから。

同時に、この時代、昭和二一(1946)年11月3日に、日本国憲法が公布されました。

この日本国憲法の原文は、ご存知の通り英語で書かれています。

それを翻訳したものが、われわれの知る日本国憲法です。

その第一条は、われわれは次のように教わっています。

第1条
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

原文は、↓です。

Article 1.

The Emperor shall be the symbol of the State and of the unity of the people, deriving his position from the will of the people with whom resides sovereign power.

よく見てください。

The Emperor(天皇)は、the State(国家) ならびに the unity of the people(人々のまとまり)の the symbol と書いてある。

あくまでも、people です。
どこのpeopleとは書いてない。

つまり、ここでいう people とは、必ずしも日本に住む日本人のことを指していなくて、世界の市民との統合の象徴であると書いている。

そして世界の市民とは、連合国を指し、連合国の象徴機関がGHQだから、人々の象徴というのは、言いかえれば、GHQの日本国統合の象徴、という意味にも受け取れる言葉となっています。

同様に、国民主権といいますが、そこでいう国民も、people です。
つまり、世界の人々に主権を委ねると書いてあるわけで、なにも日本人のひとりひとりに主権があるわけではない。

世界の人々の代表機関が、GHQなのだから、日本国憲法は、主権在民ではなくて、GHQ主権を高らかに謳った占領統治下の最高法規である、という意味になります

そんなバカな。そんなことは認めたくない、とおっしゃるなら、どうぞ、英文(原文)の日本国憲法の、どこに「Japan people」と書いてあるのか、ご指摘ください。

そんなもの、どこにもない。

三権分立などというけれど、それについても、互いにけん制しあって、意思決定をさせない、という意図で書かれたものであり、三権の上に、連合国と打ち領日本には、GHQという「主権者」が厳然と存在していた。

第9条は戦争放棄というけれど、世界の市民(連合国市民)の代表機関であるGHQが統治する日本なのです。
その日本が、連合国市民に向かって戦争をしかけるなどとはもってのほか、というのが、第9条の意図です。

あたりまえです。GHQに支配された日本人が、GHQに向かって交戦するなど、認めれるはずがない。

要するに、昭和21年に制定された英語名「THE CONSTITUTION OF JAPAN」は、日本国憲法というよりも、あくまで最高の意思決定機関をGHQに置く、占領統治のための最高法規なのです。

ですから、昭和27年のサンフランシスコ条約以降、主権を回復した我が国が、この日本国憲法と訳された「占領統治のための最高法規」を、いつまでも後生大事に保持しても、なんにもいいことはない。

要するに簡単にいえば、すべての意思決定権を社長(GHQ)に委ねるとした社内規定を作っていた会社が、社長退任後、社長不在のまま、社の運営をしているようなものです。

だから何も決めれない。
社として何もできないまま、社員が口々に好き勝手なことをしているというのがいまの日本の姿です。
普通に考えて、そういう会社は倒産します。

日本が、本来の日本の姿を取り戻し、国家国民の繁栄を図ろうとするなら、なによりもまずやらなければならないのは、占領統治下の最高法規である、現・日本国憲法と呼ばれる占領統治法を廃棄することです。

そのうえで、道義と志操に基づく、本来の日本の姿、勤勉で謙虚で安心で安全で、公徳心に基づく、あるべき「新憲法」を、うち立てるのが、まずは第一といえるのではないでしょうか。

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先人たちの創り上げた国、日本


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やまと新聞0717


今日は、みなさんへのご提案です。
それは、「やまと新聞」をみんなで育てよう!というものです。

今後の保守系市民活動において、民主党の日本解体法案提出の阻止は、とても重要な課題です。

参議院の過半数割れですが、部分連立(政策連立)で、法案が提出されない保証はありません。

これに対抗するのに、もちろん街宣デモも必要ですが、できればもっと広く、日本国民を大々的に巻き込んだ運動への展開が、不可欠です。

そのとき、メディアの力は、とても大きな役割を担いますが、ほぼすべてのマスコミが、反日に与する中、正しく本当のことを報道してくれる新聞社が1つだけあります。「やまと新聞」です。

日本解体法案が提出された時、「やまと新聞」の号外がすぐにでも打ち出せれば、全国各地で日本国民全体に知らせることが可能になります。

そして、やまと新聞が動き出せば、他のマスコミも巻き込んだ「反民主、反日本解体法案」の運動を展開することも、夢ではなくなります。

このことは、「口蹄疫号外」で証明済みです。

この号外の規模をさらに大きくすれば、国民的運動へと広がっていけるものと思います。

ただし、このやまと新聞さんの力を借りた国民運動への準備として、2つの課題をクリアしておく必要があります。

■1つは資金です。
 お金がないと号外を刷れません。

■もう1つは、やまと新聞の存在を多くの保守市民が知る事、興味を持つことです。

この2つをクリアしておく必要があります。

そのために、一万人規模の「やまと新聞応援キャンペーン」を実施したいと思います。


─────────
やまと新聞応援キャンペーン
 実施要綱
─────────

┏━┓
┃1┃ 8月10日をやまと新聞の日と定める。
┗━┛ (やまと新聞社了承済みです)
┏━┓
┃2┃ 「月々500円で購読者になれる、
┗━┛ みんなで入会しようよ」と、
    やまと新聞を推薦する。
┏━┓
┃3┃ 8月10日に向けて、
┗━┛ ブログなどの各自の情報発信の場で、
    一斉にやまと新聞の紹介をする。


フライング紹介もOKですが、8月10日までは、みんなで必ず実施する。
この期間、どこのブログでも、どこの団体でも、どこの情報発信網でも、やまと新聞の名を出すことが、とても重要です。

みんなの力で、大々的に広めていってもらいたいと思います。


─────────
キャンペーンの効果
─────────

┏━┓
┃1┃ 不当法案抑止力効果
┗━┛

日本解体法案をマスコミが報道しないのは、日本人全体に正しい情報が広まったら、法案を提出した政党、賛同した政治家が壊滅的なダメージを受けるからです。

やまと新聞が多くの会員数と資金力を持ち、日本解体法案が提出されたと同時
に、号外を出すことを表明するだけでも、それは大きな圧力となります。

さらに、実際に多くのボランティアが各駅前において号外を配布する準備を整えていると知れ渡ったら、それだけでも日本解体法案の提出に対する強大な抑止力になります。

ネット上の抗議活動だけでも、抑止力になるのですから、新聞で号外が出されるとなると、政治家がためらうのは間違いありません。

「提出推進派の中心人物の選挙区では、全世帯に配布する」

ぐらいの意気込みを表明しておけば、提出を口にする事すらなくなるかもしれません。


┏━┓
┃2┃ 報道関係者への圧力
┗━┛

やまと新聞が、多くの国民の支持を受けて、規模を拡大していったら、日本のマスコミも正常化する可能性が高まります。
(もちろん、一部の新聞社は廃刊してもらうしかないのですが)

保守系新聞のやまと新聞が、ビジネスモデルとして成功を収めた場合、売り上げ減少に苦しんでいる大手新聞社が、保守系に乗り換えることもありえます。
少なくとも、そういった記事を増やそうと、現場の報道関係者が動いてくれる可能性は、おおいにあります。

そうでなければ、やまと新聞に読者を奪われて、消えてなくなるだけなので
すから。

日本の新聞社が、業界内の動き(自浄作用)によって正常化する最後の機会が「やまと新聞」の購読者拡大にあるということができます。


┏━┓
┃3┃ どこでも手渡せる新聞
┗━┛

日本解体法案反対のチラシやビラの配布は思うようにいきませんが、「新聞の号外」ならば、駅前で「号外でーす」と言うだけで、手が足りないと思うぐらいに配布することが可能になります。

また、職場でも、「こんなチラシやビラがあるんだけど。」と見せるのはためらってしまう方であっても、「こんな号外を駅前で配っていたよ。何部かもらってきたから、読んでみる?」と、簡単に話題にできます。

号外を普通に手渡すことも可能です。

号外は、チラシ・ビラ配り未経験の方であっても、ベテラン級の保守活動家と同じだけの実行力を私たちに持たせてくれます。

それだけ、歴史と伝統ある新聞社の情報の発信力は大きいのです。

それを、保守活動に活かしましょう。

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売国土下座外交のウラ

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朝鮮人0718


2010/07/16 21:16 共同通信から、爆弾報道がなされました。

まず、記事をご紹介します。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【日韓併合百年で「おわび」検討 政府、韓国国民に】
http://www.47news.jp/CN/201007/CN2010071601000993.html

政府は16日、「日韓併合100年」を迎える8月に向け、韓国国民に過去の植民地支配へのおわびの意を示す方向で検討に入った。
韓国の意向に配慮することで、歴史問題に一定の区切りを付けたい考えだ。

「首相談話」発表も視野に入れているが、日本国内には閣議決定が必要な首相談話をあらためて出すことへの根強い反発もあり、世論の動向を見極めながら慎重に判断していく。

これに関連し、岡田克也外相は16日午後の記者会見で、村山富市、小泉純一郎両元首相が「植民地支配と侵略」への反省とおわびを談話で表明したことに触れ、

「(日韓併合)100年という区切りの年に、政府としてどう対応するか検討している」と説明した。

外交筋によると、韓国は日本政府に対し、日本による支配からの解放を祝う「光復節」(8月15日)に合わせた首相談話発表への期待感を伝達している。

また、在京の韓国政府筋は、
「同時期に菅直人首相が韓国を訪問すれば、韓日関係が前進するのは間違いない」
と述べた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

とんでもない話です。

さらにこれにオマケがつきます。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【韓国市民団体が天皇謝罪訴訟検討 併合百年で】
2010/07/16 21:01 共同通信
http://www.47news.jp/CN/201007/CN2010071601000998.html

【ソウル共同】韓国の市民団体「太平洋戦争犠牲者遺族会」などは16日、ソウルで記者会見し、植民地時代に多くの朝鮮半島出身者が日本に強制動員され犠牲になったとして、天皇陛下の謝罪などを求める訴訟を起こすとの声明を発表した。

今年8月で植民地支配が始まった日韓併合から100年となるのに合わせ、日本の弁護士の協力も得て訴訟準備を進めているという。

声明によると、朝鮮王朝がかつて所蔵し、現在は日本の宮内庁に保管されている書物などの返還や、朝鮮王朝末期の1895年に王妃だった閔妃(死後に明成皇后と呼称)が暗殺された事件の真相究明を求める訴訟も計画している。

一方で仙谷由人官房長官が7日の記者会見で、韓国との「戦後処理」問題に積極的に取り組む意向を示したことを高く評価。声明は、謝罪の特別談話発表や犠牲者の個人補償を行うための法的措置を求め、訴訟を起こす前に問題が「解決」されることへの期待も示した。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

要するに、一部の韓国政治団体に、天皇謝罪論まで持ち出させ、そこまでする代わりに、カネで解決することで、穏便に図ろうともちかける。

全部、裏取引です。

韓国が求めているのは「謝罪」ではなく、「謝罪論」に偏向した日本の政治屋が求めているものも、正義や道徳ではありません。

すべては、カネ、です。

日本の政府が謝罪し、韓国に慰謝料を払う。

慰謝料は「円」建てで、日本国内にある韓国の政府系銀行の口座に送金される。

そしてその一部が、韓国の政府系銀行内の日本の政治屋の個人口座に振替えられる。

海外金融機関で、しかも全部円建てですから、外為法にも触れない。

まさに「打出の小槌」です。

動くお金は、兆の位です。
キックバックは、だいたい2割。千億円規模のカネが懐に入ります。

ですから、日韓両国の特定の政治屋にとっては、慰謝料は多ければ多いほどよく、毎年継続すればなおありがたい、という話になる。

これが、選挙資金や、マスコミへの対策費になる。

彼らには、事実関係など、どうでもいい。
目先のカネと都合が何よりも優先する。

そして彼らに共通しているのは、日本が、日本人が、そしてこの国を守るために「命を賭けて散華された英霊」たちが、いかなる辱めを受けようとも、知ったことか、という身勝手です。

それが、売国運動を推進する、あさましい腐れ政治屋の姿です。

政府には、埋蔵金がたっぷりあるから、高速道路も無料にせよ、子供手当を支給せよ、麻生内閣が辞職し、解散総選挙をするのが最高の景気対策だと言っていた民主党は、実際に政権を取ると、

埋蔵金などなかったし、
事業仕訳しても、六千億程度しか予算が浮かないし、
その一方で、子供手当は半値に値切るし、
高速道路は、実質値上げした。

ウソばかりです。

そのくせ、7月1日には、支那人に、1兆7000億円もの大金を渡し、ビザ要件を緩和して、支那人を現状の年間160万人から、10倍の1,600万人受け入れるとした。

その支那人が、ひとりあたり11万円買い物してくれるから、景気対策になるのだというけれど、よくよく考えれみれば、日本では「元」は通用しません。
連中が買い物するのは、全部「円」です。

その「円」はどっからきているかというと、不思議なことに、1600万人×11万円で、なぜか日本政府が支那に支給する1兆7000億円になる。

なんのことはない、日本が全部カネを出ている。

そんなことをするくらいなら、ハナから日本人にカネを渡せばいいものを、わざわざ支那を経由させるのは、なぜなのか。

すこし考えれば、誰だってカラクリがみえてきそうなものです。

そんなミエミエの工作を、世間に騒がれたら困るから、いきなり出してきたのが消費税の増税。それも、いきなり2倍です。

ただでさえ、景気が悪いのです。

景気が悪いというのは、どういうことかというと、みんながカネを使わない、使えないということです。

そこへ消費税2倍などとやったら、よけいに消費者の財布のヒモは固くなる。
あたりまえのことです。

日本の政治は、いったいどこを向いて政治をしているのかと考えれば、すくなくとも、日本国民の方を向いていないのは、明白です。

それでもなお、R4に票を入れるアホが、東京だけで170万人もいる。

日本には3種類の日本人がいます。

幕末、欧米列強が黒船でやってきたとき、国家のために身を捨てて立ち上がった志士たち。

ええじゃないかと、享楽にふけり、踊り明かした日本人。

そして、時代がどうあれ、しっかりと農耕や商いを続けていた日本人。

幕末、安政の大獄で投獄されたのは、わずか125名の志士たちでした。
当時の武家の数が、250万人。男子が125万人。
その1万分の1が動いたとき、安政の大獄が起こった。
そして攘夷の志士が、1万の大軍となったとき、時代は動いた。
武家の100分の1です。

いま日本の有権者は、約1億人です。
今回の参院選で、たちあがれ日本が得票した票は135万票です。

その百万人が結束したとき、日本は変わる。日本は動く。

保守は、いまこそ、団結すべきときです。

さて、日韓関係について、その真実を暴く本が、amazonで予約開始となりました。

本の名前は、「日韓併合の真実」です。
著者は、日本保守を代表するジャーナリストの水間政憲氏です。

日韓併合100周年(8月22日)を前にして、戦後の韓国や反日左翼の歴史認識を、一撃で粉砕できる資料本です。

在日韓国人は、「外国人参政権付与」を要求する根拠に、「強制的に連れられて来た」などと嘘をついていますが、それを一撃で粉砕する内容です。

日韓関係の歴史認識を戦う上で、「核弾頭ミサイル」に匹敵する威力のある内容でます。

ボクも買って読みます。
周りの人にもすすめる。

ネットを見ない多くの人に、覚醒していただくための本です。
これを活用しない手はない。

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神風特攻隊員たちの遺書


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水雷屋気質・・・佐藤康夫中将

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駆逐艦「朝潮」
駆逐艦朝潮


最近の日本人は、ほんとうに大人しくなったといいます。
その日本人が、昔はとてつもなく強かったといいます。

当時の日本人は、いまよりもずっと小柄だし、食べ物も粗末だった。
その日本人が、世界中の港町で、絶賛を浴びています。もはや伝説にすらなった。

明治時代に作られたこの伝説のおかげで、なんとそれから60年くらい、昭和40年代頃までは、貨物船などの普通の日本船員さんまでも、日本人というだけで、モテた。
一晩中、お相手をしてもらって無料だというので、お礼に気持ちで着ていたTシャツ1枚をあげてきた、なんて話もあちこちであったようです。

どうして?と聞くと、昔おばあちゃんが若かったころ、日本人の船員さんに助けられたこ

とがある、などと言う。

こちらがちゃんとお金を払うというのに、向こうがいらないというのです。
どうして?と聞いてみると、1890年代といいますから明治の中ごろのことです。
おばあちゃんが日本人に命を助けられたという。

当時の東南アジアや南米の港町は、白人天国です。
絶対的支配階層である白人に対し、現地の人々は人間としてすら認識されなかった。
黒人や東洋人は、魚や虫たちのように「痛覚がない」とすら本気で信じられていた時代です。

男性は単なるモノとしての労働力だったし、すこし気の毒な言い方だけど、若い女性は単なる性器でしかなかった。

とりわけ港町というのは、気の荒い白人たちが集まります。
白クマのように毛むくじゃらで大柄な白人の大男が、大酒を飲んで好き放題に暴れまわる。

そういうところに、海軍の軍服を小ざっぱりと着こなした日本人がやってきます。
みんな小柄で、やせっぽちです。
どうみてもあまり強そうにはみえない。

日本人水兵さんたちが酒場で飲んでいると、いつものように酔っぱらった白人が女性にからんで暴れ出します。
巨漢です。丸太のような腕をして、大暴れする。
こうなると手がつけられません。

そこへ日本人のちっちゃな水平さんが、
「オイ、ヤメロッ!」と割ってはいる。

ちなみに日本では昔も今も、仲間の男性が殴り合いの喧嘩をはじめると、まわりのみんなが「オイ、ヤメロ」と割って入ります。
ときにはみんなで囲んで、ケンカをしている二人を引き離す。
日本人の心なんて、昔も今もかわりません。

ところが欧米の人(というより大陸系の人すべてに共通ですが)は、ケンカがはじまると周囲に人だかりがして、どっちが勝つか応援を始めます。

このあたりのマインドの違いは、実に顕著です。

酔っぱらって女性を乱暴に組み敷こうとした毛むくじゃらの白人巨漢。
でっぷりと太った身長190cmくらいの大男です。

「ヤメロ!」と割って入った日本人は、身長150cmくらいです。

どうみても、オトナと子供のケンカです。勝敗は明らかです。

日本人が叩きのめされるのは時間の問題。
まわりには、面白がって人が集まってきます。

白人の大男が何かわめきながら、日本人水兵さんに殴りかかります。
ところが、そのパンチがまるで当たらない。
毛筋一本で、ひょいひょいと避(よ)けられる。

それもそのはずです。
当時の軍隊は、剣道が必須です。
木刀や竹刀の切っ先のスピードは、プロのボクサーのパンチよりもはるかに早い。
まして酔っ払いの大振りなパンチなど、スローモーションビデオを見ているようなものです。

ちなみに、日本の剣道には、「盾」の概念がありません。
「盾」で相手の剣を受けて、自分の剣で相手をブン殴るという欧米方式と異なり、日本の剣術は、素早さと相手の動きを「読む」ことで敵の攻撃をかわします。

実は昨今のように剣道が防具を付けるようになるのは、比較的最近のことです。
もともとは木刀を持って、防具なしで練習した。

木刀は、当たれば痛いし、打ちどころが悪ければ死にます。
だからそれを交わす訓練を徹底的に受けた。

ついでにいうと、最近の時代劇で、相手の剣を、自分の剣でチャリーンと受けるけれど、あれはウソです。

日本刀で日本刀を受けたら、歯こぼれするし、刀身が折れてしまい、相手を斬れません。
だいたい力一杯撃ち込んでくる相手の剣を、まともに受けたら、猛烈に体力を消耗するし、下手すれば突き飛ばされてしまいます。

ですから日本刀対日本刀の闘いは、刀身と刀身を合わせない(ぶつけない)というのが、基本中の基本です。

そういう訓練を受けてきた日本人水兵さんと、欧米式のブン殴り水兵さんの闘いです。
大男が、いくら拳をブン回しても、まるで日本人には当たらない。

そのうち、ハッと気がついたときには、大男は力一杯、硬い床に叩きつけられている。

そうです。柔道の投げ技です。

柔道の投げ技というのは、柔らかい畳の上で、ちゃんとした受け身をするから怪我をしな

いのです。

受け身を知らない人が、そのまま硬い床に投げられたら、痛くてしばらく体が動きません。

さらに転んだところを間接技や絞め技で決められる。
関節技は、痛いです。
絞め技は、頸動脈を締め付けるので、一瞬で気を失います。

気を失った男は、日本人にエイッと「活」を入れてもらうと息を吹き返しますが、目を覚ました瞬間は、自分がどこにいるかさえわからなくなっています。

どうみても、誰が見ても、絶対に負けると思われた小柄な日本人が、あっと言う間に、大男の白人水兵を、のしてしまう。
バーの店内は、拍手喝さいです。

こういうところは白人のいいところで、ウエットに自分たち人種の勝ちにこだわるのではなく、相手が「すごい!」となったら、ドライに一瞬でみんなの尊敬が集まる。

勝った日本人は、バーでおごられ、襲われていた女性店員には感謝され、それでも鼻高々となることなどなくて、どこまでも謙虚です。

こうした日本人の逸話は、世界中の港町で起こります。日本人は有名になったし、信用され、地元ではそれが伝説にさえなった。

いつもは酔っぱらうと乱暴を働く白人の暴れ者も、日本の軍艦が港に着いたよ、と聞くとおとなしくなったともいいます。

おかげで、日本人がだいぶ弱くなった(笑)戦後も、昭和50年頃までは、日本人とい

えば、世界中の港町でモテモテにだった。

それも、もとをたどせば、戦前の帝国海軍の水兵さんたちが、世界の港で築いた伝説と信用です。

さてその帝国艦隊の中でも、とびきりの荒くれ者揃いだったのが、水雷艇部隊です。

彼らには「水雷屋気質」という言葉があったくらいで、この連中は怒り出すと手がつけられない。

だいたい艦長からして気が荒く、「このばかもんッ」と怒声を発すればまさに雷のごとくで、階級が上の若い将校が、恐れをなしてマストの上まで逃げたという逸話まであるくらいです。

同時に、過ぎてしまえば春風駘蕩としてあとに何も残さない、というのも水雷屋の特徴で、こういうところは実にさっぱりしている。

豪放磊落で笑いが絶えない。
けれど、怒ると怒髪天を抜き、あとはさっぱりして何も残さない。
これが水雷屋です。

水雷部隊出身者といえば、このブログでもご紹介した終戦時の内閣総理大臣鈴木貫太郎は、日清・日露戦争の水雷艇の花型でした。

「水雷の鬼」と呼ばれた吉川潔中佐は、世界の海戦史を塗り替えています。

鈴木貫太郎は、千葉県関宿のご出身。
吉川潔中佐は、広島市段原のご出身。

そして水雷艇といえば、もうひとり、忘れてならないのが、佐藤康夫大佐(戦死後二階級特進して中将)です。

佐藤康夫中将
佐藤康夫中将


佐藤康夫氏は、明治27年、東京の文京区小石川で生まれています。
もともとは、神奈川県の牧野村で代々医師の家系だったそうです。

幕末、徳川さんが江戸城を空け渡して、駿河(静岡)に移ったとき、一緒に静岡に移った。

ただ、母方の祖父が東京にいたので、小学校にあがる直前までは、小石川で過ごされたようです。

小学校から、静岡で過ごします。
通った小学校が駿河城址二の丸あとの学校で、お堀を隔てた向こう側は、静岡連隊の練兵場です。

そこでは毎日勇ましい訓練が行われています。
これが実にかっこいい。

練兵をみて育った佐藤少年は、いつか軍人になろうと志ざします。
静岡中学(いまの静岡県立静岡高校)に進学した佐藤は、そこで猛勉強をして、海軍兵学校に入学します。

ちなみに最近、格差是正だのすべての子供に子供手当を支給するだのという「たわごと」がまかり通っていますが、当時の兵学校というのは、授業料も寮費も、全部免除です。親に負担をかけることなく、自分の努力で国内最高の教育訓練を受けることができた。だからみんな猛勉強したのです。

人は格差があるから努力するのです。
努力しようが何しようが、結果がすべて平等だというなら、まじめに努力する者より「努力しない者」の方が、ラクです。
こういうことは、子を育てようとする教育とはいわない。むしろ教育を奪う愚民化政策です。

兵学校時代の佐藤には、さまざまな逸話があります。
どうも成績はあまりパッとしなかったらしい。
ところが、とてつもなく柔道が強かった。
太めの短躯で、まるでクマが歩くように、のっしのっしと歩いた。
棒倒しが大好きで、、真っ先に突進してゆくときの気迫は物凄く、同期生から本気で恐れられたといいます。
ついたあだ名が「ブルドック」です。

ところが海軍士官候補生でありながら、水泳はからっきし。
まるでブルドックが、溺れているような泳ぎ方です。

体が太いのだからよく浮きそうなものだけれど、ぜんぜんダメです。
海軍にいながら、陸では向かうところ敵なしといっていいくらい強いけれど、水にはいると、からっきし泳げない。

佐藤のこういうところが、実にかわいい。

そのくせ頑張り屋です。
冬でも毛布を用いずに、シーツ一枚で寝た。

その一方で、知的なんですね。
休暇の都度、鎌倉の円覚寺に行って座禅を組んでいます。

日ごろから豪放磊落で、大酒のみで、ひとたび血がたぎれば猛烈果敢に突進する。
その一方で、静かな禅を好む。

大酒のみといえば、佐藤は任官してからも、一行動を終えて泊地に入ると、その夕食時から酒を飲みはじめ、翌日の夕方近くまで、じつに二十四時間近くも、眠りもせずに飲みつづけたなんて逸話も残されています。
まるで日心会関西の某さんと某さんみたいです(^^)b

任官した佐藤は、もっぱら水雷艇を歩み、水雷長、駆逐艦長、駆逐隊司令と進みます。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
水雷ほどいいものはない。
おれは水雷に入って本当に良かったと思っている。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

それが佐藤の口癖だったそうです。

後年、佐藤に仕えた海軍兵学校66期生の西野恒郎氏が、当時の佐藤について、次のような手記に残しています。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
この時期、私が仕えた指令は、後にガタルカナル進攻作戦で2階級特進し中将になられた佐藤康夫指令でした。

「俺は若い頃、司令官の五藤存知大佐から、頭脳雑駁にして勇敢なりと考課表に書かれた」と大笑する豪傑でした。

静岡育ちの佐藤指令は、宴会では必ず

「♪仁義すごろく丁半賭けて〜」と調子外れに歌いだす。

いたずらざかりの少尉の私が
「今日は私が歌います」と言って先に歌いだすと満足そうに聞かれていました。

「航海士、君は俺が何故この歌を歌うか知っているか」と突然聞いてきた。

「知りません」と答えると、

「何時か米国と戦争が始まる。今度の戦争は無傷ではすまない。
戦争がはじまったら俺は駆逐艦を率いて、やるかやられるか敵艦に向かって突っ込み魚雷を打ち込む、博徒が丁半かけるように」

と決意に満ちた表情で言われました。

先輩佐藤指令は、酒席の間にも戦いへの準備をしていたのです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

太っちょで、丸々とした童顔。

佐藤は、何ごとも「信を相手の腹中におく」という人柄で、まさに戦国武将の風格が感じられた人だったともいいます。

戦闘の最中、至近距離で敵弾が飛んでくると、緊張のあまり大小便をチビル奴も出る。

ところが、佐藤司令の顔を見ると、常にかすかな笑みを浮かべて敵の陣地を見据え、微動だにしない。

佐藤の姿を目にするだけで、乗員は勇気100倍だったそうです。

そんな佐藤の日ごろの楽しみはタバコで、毎日二百本入りのチェリーの大函を買ってくる。それで足らない日があったそうで、佐藤の右手はヤニで黄色くなっていたそうです。

加えて、大飯食いで、菓子も大好き。
そこに置いてあれば、どんな菓子でもぼりぼり平らげてしまったそうです。

肥満体で、大酒のみで、大のタバコ好きで、大飯食いで、甘党。
どう考えても不養生です。

ところが佐藤の健康はまるで「巌」で、血圧も糖尿もまったく心配がない。
内臓も頑丈で、あるといえば足の水虫くらいだった。
これには軍医長も舌をまいたといいます。

のちにガダルカナルの補給や撤収で全軍が苦労した頃、制空権を奪われた危険極まりないガ島往復任務で、これを三回もやると、たいていの士官は眼がくぼみ、頬が尖って異相となり、体重も激減して、血尿が出て、ひどいときは神経衰弱になった。

ところが佐藤はガ島往復を12回もやったのに、顔色ひとつ変わらないし、むしろ以前より太ったそうです。
これには誰もが驚いた。

佐藤は、上海事変、支那事変といく度も戦ったが、大東亜戦争だけでも、何と27回もの戦闘に参加しています。

昭和17年2月27日のスラバヤ沖海戦のときの出来事です。

米英蘭巡洋艦5、駆逐艦9の大艦隊と、西村祥治少将率いる駆逐艦6隻が艦隊戦を行った。

14対6の戦いです。
どうみても勝ち目はない。

両軍が、1万7000メートルに迫ります。
まず「神通」が砲撃を開始した。

米英蘭艦隊も撃ち返してきます。

米英の艦隊は、各艦の砲撃効果識別のために、砲弾に染料を使用しています。
だから轟音とともに、巨大な赤や青や黄の水柱があちこちに立ちます。

西村少将の第四水雷戦隊はさらに突っ込んで魚雷を立てつづけに撃つけれど、これがなかなかあたらない。

しばらく激しい砲雷撃戦がつづいたが、そのうち「羽黒」の一弾が英巡エクゼターに命中します。

さらに魚雷がオランダ駆逐艦に命中する。
轟沈です。

大混乱に陥った連合軍は、全軍退避を始める。
追撃する日本艦隊。

駆逐艦は、距離7500メートルまで接近して、魚雷を発射し、反転するというのが、当時の海戦のセオリーです。
あんまり近づきすぎると、敵弾の餌食になるからです。

ところが、その中で、佐藤康夫司令指揮する第九駆逐隊の「朝雲」と「峯雲」が、7500メートルを超えてさらに全速で突っ込んで行く。

敵弾がすさまじい勢いで、艦の両舷で炸裂し、轟音とともに水しぶきをあげます。

「朝雲」の艦橋では、水雷長が気が気でありません。

「司令、もう撃ちましょう」という。

佐藤は前方をぐっと睨んだまま、

「まだ、まだッ」と答える。

こんな言い合いが二、三度くり返されたそうです。

それでも佐藤は発射を許可しない。

たまりかねた岩橋透艦長が、

「司令、他の隊は反転しました。当隊も反転したらどうですか」と進言すると、
佐藤は、

「艦長ッ、うしろなど見るなッ、前へ!」

ものすごい気迫の大声を飛ばした。
あまりの気迫に、岩橋艦長は思わず首をすくめたそうです。

二艦は、並列して走る単縦陣です。
東方へ逃走する連合軍艦隊に対し、距離4000メートルになった。
海上4000メートルというのは、感覚的には25メートルプールの先の人を撃つ感覚です。もう目の鼻の先に敵がいる。

その頃には、日本側がたった二隻の駆逐艦であることに、敵艦隊も気づきます。
敵は反転攻勢に出る。

多勢に無勢なんてもんじゃありません。
反転攻勢に出られたら、袋叩きです。

そのとき、佐藤司令が

「発射はじめッ」と号令した。

満を持した「朝雲」と「峯雲」が、いっせいに魚雷を発射します。

日ごろの訓練の賜物です。

この距離の日本軍水雷艇の魚雷攻撃は、まさに百発百中です。

放った魚雷は、英国の旗艦マーブルヘッドに命中。
轟音とともにマーブルヘッドは、なんとわずか7分で沈没してしまった。

敵艦隊は、英国駆逐艦「エンカウンター」と「エレクトラ」が捨て身の反撃に出てきます。
なんと距離3000メートルという、超至近距離での砲撃戦となった。

しかしなおも全速力で近づきながら、砲撃してくる「朝雲」と「峯雲」の砲撃に圧倒さ
れた「エンカウンター」はあわてて反転離脱する。

単艦となった「エレクトラ」は、缶室に砲弾が命中して航行不能となる。

しかしこのとき「エレクトラ」の放った反撃の一弾が「朝雲」の機械室に命中した。

「朝雲」は電源故障を起こし電源が止まる。

電源が停まると、主砲が動きません。
砲撃隊は慌てるけれど、電力は戻らない。

佐藤がすぐさま司令を発します。

「砲は人力で操作ッ、砲撃を続行せよッ」

落ちた電源の修復に必死になっていた砲撃隊は、佐藤の命令で、まるで目を覚ましたように人力による砲撃を開始します。

「朝雲」の照準砲撃が再開されます。

さらに「峯雲」が、一撃必中の砲撃を加える。
そして、ついに「エレクトラ」も撃沈してしまいます。

この戦闘は、3時間に及ぶものでした。
敵に大損害を与えた佐藤は、午後8時になって、悠々と現場を引き上げます。
にくいばかりの豪胆さです。

全軍司令であった高木惣吉少将は、当時を振り返って、佐藤の艦隊を次のように激賞しています。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
この突撃戦のとき、巡洋艦は1万7千メートルくらい。
駆逐艦もせいぜい8千〜1万メートルくらいから酸素魚雷を発射していたのです。

ところが佐藤司令だけは、第九駆逐隊をひきいて、勇敢に敵に向かって突進してゆく。

艦長が敵の集中射撃を心配すると、彼は、

「艦長、戦場ではうしろなんか見るな」とたしなめ、友隊の射程距離の半分の四千メートルに迫って魚雷を発射し、悠々と引き上げてきました。

敵の被害の大半は、この佐藤司令の働きによるものです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ちなみに、この戦いによって、英重巡洋艦「エクゼター」と「エンカウンター(1,350トン)も轟沈しました。

そして両艦艦長を含む約450人の英海軍将兵が漂流の身となったとき、日本の駆逐艦「雷(いかづち)」の工藤俊作艦長が、英国人水兵450名全員を救助した。

そのときのお話が、
≪エクゼターとエンカウンター・・・日本の武士道精神≫です。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-532.html
よろしかったら、是非、ご一読を。

佐藤の駆逐艦隊は、戦局厳しいガダルカナル島への輸送作戦の任務に就きます。
佐藤は、日誌に次のように記した。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
難局に
 男冥加と突入す
  なるもならぬも
    神に任せて
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

制空権を奪われ、まる裸で輸送任務を負うのです。
本来、輸送船というものは非武装船です。

国際法上は、攻撃禁止となっている。
だから日本側が米英艦隊の輸送船を攻撃したという記録は、誤射を除いてほとんどありません。

ところが、日本の輸送船は、武装していない船だけに、米英から格好の標的とされた。

やむをえず日本は、戦闘船である駆逐艦で輸送任務を行うようになったのです。

敵軍がうようよいる中でのガ島への輸送作戦です。

ただでさえ小型の駆逐艦は、積荷を艦一杯に積むと、重量がかさんで、軽快な戦闘行動がとれない。船が重たければ、敵が来たら逃げ切れないし、戦闘中の乗員の艦内通行にも支障が出ます。

なので、中にはすこしでも船を軽くするため、積荷を減らすように何かと文句を言う艦もあったそうです。

ところが佐藤は出撃前、「おい、もっと積むものはないか」と逆に催促をしてまで、めいっぱい積荷を積みこんだ。

何事も「俺がやる!」と率先垂範だった佐藤ならではの振舞いです。

当時、船が深夜にガ島に着いて、積荷を降ろしていると、かならず敵機が襲来したそうです。

すると佐藤は、まっ先に司令の乗艦の探照灯をつけるように命じます。

真っ暗闇の中で、煌々(こうこう)とライトを点けるのです。
敵爆撃機に、まさに撃ってくださいと、いわんばかりです。

当然、敵が群がり寄ってくる。
それを友軍の他艦とともに、狙いすましてはたき落とす。

敵が逃げてく。墜ちて行く。

肉を切らせて骨を断つといいますが、射撃場の標的になるようなものです。
普通の神経でできるようなことじゃない。
まさに、佐藤司令ならではの豪胆な作戦です。

昭和17年11月、第三次ソロモソ海戦を戦い、2回も感状を受けた佐藤は、休暇を得て静岡の自宅に帰ります。

彼には、年老いた母と、妻と4人の子供がいました。

ほんの数日の家族との団欒でした。

そしてこの休暇が、佐藤と家族との永久(とわ)の別れとなります。


昭和17年8月、大本営はガダルカナル島奪回作戦を命じます。

しかし、すでに制空権を失った日本側に、ガ島での勝機はなく、
「糧食は9月13、14日で食い尽くし、一粒の米もなく、全員絶食の状態で5〜6日行軍し、檳榔樹の若芽が唯一の食糧であった」という、状況となってしまった。

これについて、たまに大本営はまったく補給を無視した無謀な作戦をやったなどというおバカな歴史家がいますが、とんでもないことです。

輸送船を襲われたのです。
だから糧食を届けることすらかなわなかったのです。

結果からみれば、無謀な作戦といえるかもしれないけれど、補給を無視したなどというのは、当時の海軍将兵に失礼というものです。
彼らは、命がけで輸送任務を遂行した。
実際そのために、多くの船と将兵が犠牲になっています。
ガ島輸送作戦が、我が国「駆逐艦の墓場」とさえ言われたのは、そのためです。

昭和18年2月1日から7日間、ガ島撤収作戦が行われました。

このときガ島から救助できた将兵は、わずかに約1万3千名です。
そしてそのほとんどが飢餓と疫病、戦傷に苦しみ、戦力を失っていた。

敵機の襲撃をうけながら、幾度となく決死の撤収作戦に従事した佐藤は、そのつど剛胆

にして細心な指揮によって、ようやく無事撤収作戦を終わることができたけれど、

陸軍側から、最後の一兵が乗船し終わりました、との報告をうけてもなお、佐藤は陸上

をいつまでも確かめることをやめなかったといいます。


ガ島での困難な輸送、撤退作戦のほとんどに参加した佐藤は、昭和18(1943)年2月末、東部ニューギニアの要衝ラエに対する増援作戦「八一号作戦」の護衛任務につきます。

この作戦は、当初から成算の見込みは、まず無い、とされた。
不成功に終わるということは、全滅する、ということです。

佐藤はラバウル出撃の前の晩、海兵の一期下で同じ分隊であった特務艦「野島」艦長松
本亀太郎大佐と酒を酌み交わします。

彼は言った。

「今度の作戦は危ないかもしれん。
だがな松本、貴様の艦がやられたときにはすぐに飛んでいって救助してやるから安心しろ」

作戦は、米軍機による一方的な爆撃によって、輸送船団、護衛部隊ともに壊滅的な損害を被るものとなります。

すでに無抵抗となった輸送船団に、敵機は、さらに再来襲をかけてくる。
これは戦闘ではありません。屠殺です。

第三水雷戦隊司令官木村昌福少将は、3月3日10時30分、残存艦艇に一時退避命令を下します。

このとき佐藤は、後方の第八駆逐隊の旗艦「朝潮」に座乗していて、まだ無傷だった。

佐藤は、約束を守る男です。

作戦前に松本大佐と交わした、「どちらかがやられたときは必ず救援に駆けつける」という約束を守り、

「我、野島艦長との約束有り、野島救援の後避退する」との信号を発します。

木村少将も、佐藤なら成功させてくれるに違いないと、祈るような思いでこれを許可した。

「朝潮」は、他艦が避退に移る中、単艦で「野島」救助に向かう。

ようやく「野島」を見つけて近づくと、近くに航行不能となった「荒潮」も漂流している。

佐藤は「朝潮」を駆って、松本大佐を含めた両艦の生存者を全員救助し、付近にいた輸送船を連れて避退に移ります。

ところが、この直後、B−17爆撃機16機、A−20攻撃機12機、B−25爆撃機10機、ブリストル・ボーファイター5機、P−38戦闘機11機、合計54機の敵機が来襲し、輸送船団を攻撃します。

この攻撃で、すでに無力化していた駆逐艦、非武装の輸送船「神愛丸」「太明丸」「帝洋丸」「野島」が被弾沈没します。
被弾し航行不能となっていた「大井川丸」、駆逐艦「荒潮」「時津風」も撃沈される。
これが所謂「ダンピールの悲劇」とも呼ばれる「ビスマルク海海戦」です。
海戦というより、屠殺そのものだった。
米英濠の飛行機部隊は、無抵抗の救命ボートの乗員にまで、反復継続して機銃攻撃を加えています。

敵機来襲時、攻撃・・・というより反撃力を持っていたのは、佐藤の乗船する「朝潮」だけです。

「朝潮」は猛烈に反撃したけれど、敵機に袋叩きに遭います。
そして、ついに航行不能になった。

艦長吉井中佐や、救助されていた「荒潮」艦長久保木中佐以下多数の将兵が「朝潮」船内で戦死しています。

やむなく「朝潮」に、総員退艦命令が下された。

この時、この時点でまだ生存していた松本大佐が退艦しようとしたところ、佐藤大佐はまだ無事で、松本大佐を見つけて

「早く退艦しろよ」と、にっこり笑った。

松本大佐が、「司令こそ早く退艦してください」というと、
司令は笑いながら、

「いや、俺はもう疲れたよ。
このへんでゆっくり休ませてもらうさ。
さあ、貴様は早く退艦したまえ。」

そう言って、沈みつつある「朝潮」の前甲板に、背中を向けてどっかりと座り込んだ。

松本大佐は、瞬時に佐藤の覚悟を悟ります。

松本大佐の目から、滂沱の涙が流れた。
松本は、意を決して別れを告げると海に飛び込み艦から離れます。

そして、しばらく泳いでから「朝潮」を振り返った。

そこには、沈みつつある「朝潮」の前甲板で、悠然と手足を組みながら、大空を見上げてタバコを吸う、佐藤大佐の姿があったといいます。

佐藤の駆逐隊司令としての海戦参加回数は27回。
ガダルカナル島への輸送作戦参加が12回。
挙げた武勲は数知れず、その挺身精神とその適切な状況判断能力には定評のあった歴戦の水雷屋、佐藤康夫は、こうして戦死しました。

「水雷の鬼」と呼ばれた吉川潔中佐らと並び称される卓越した水雷指揮官として惜しまれる戦死でした。48歳でした。

佐藤は、生前の軍功に報いる形で戦死後二階級特進、海軍中将に任ぜられています。

みなさんに、これだけは言いたいのです。

日本の軍人さんたちは、無力化した敵や、輸送船のような非武装船に対する攻撃などは一切しなかった。
あくまでも、武をもって立ち向かってくる者に対してのみ、全力を挙げ、正々堂々と戦った。
ましてや、救命ボートにいる敵は、救助こそすれ、攻撃を加えるような卑怯な真似は一切しなかった。
それは武人としての誇りでもあったのです。

そして、そういう正々堂々の戦いを挑んだのは、間違いなく、わたしたちの祖父や曾祖父の若き日の出来事であり、私たちは、彼らと血のつながった孫や曾孫です。

敵兵とはいえ、抵抗できなくなった者に対し、まるで牛や豚を殺処分するかのように平然と攻撃を加えて殺しまくった者たちを「正義」と讃え、正々堂々と戦い、散っていかれた自分たちと血のつながった父祖たちを見下すというのは、絶対におかしな話です。

そういう、おかしなことを、私たち日本人は、戦後65年間、ずっとしてきた。

いい加減、もう目を覚ましましょうよ。

そして、命を賭けて、堂々と戦いぬいた帝国軍人さんたちを、もういちど見直してみましょうよ。

彼らは、私たち自身の民族としての誇りであり、私たち自身の誇りなのですから。

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History of warfare of Japan


日本の心を伝える会 日心会

都民の100人に1人が中国人

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年配のチベット人女性を襲撃する中国人
年配のチベット人女性を襲撃する中国人


以下は、Record Chainaからの抜粋です。

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都民の100人に1人が中国人、日本のネットユーザーが過剰反応―中国紙
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=43688&type=1

2010年7月12日、中国紙・環球時報(電子版)は、日本の華字紙・中文導報が東京都民の100人に1人が中国人だと報じたところ、日本のネットユーザーが「東京が呑み込まれる」などと過剰に反応していると伝えた。

東京在住の中国人は07年には13万人を突破し、都民の100人に1人が中国人となった。

07年以降、都内在住の中国人は毎年約1万人ずつ増えており、このままのペースで増え続けると、15年には20万人を突破する。

記事によると、中文導報のこうした報道に対し、日本のネットユーザーが過剰に反応。

「事実上、東京はすでに中国人の植民地と化した」
「中国人はわれわれを呑み込もうとしている」
「占領されるのは時間の問題」
「都内で電車に乗ると必ず中国語が聞こえてくる」
「これこそが中国の新たな植民地主義ではないだろうか」

などと一様に反対意見を示している。

記事はまた、
「中国人は民度が低く、危険」との声も多く、
公然と「中国人は全員強制送還すべき」と呼び掛けるユーザーまでいると不快感を示したが、

一方で
「中には話の分かるユーザーもいる」とし、
「北京、南京、西安はすべて中国。いっそのこと東京も中国にしてしまえば良い」
との書き込みもあったと紹介した。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

いまげんざい年間160万人の支那人が入国してきているのです。
7月1日からは、現内閣の支那人ビザ条件緩和によって、10倍の1600万人が日本にやってくる。

ひらたくいえば、数年を経ずして、支那人の割合は、100人にひとりではなく、10人にひとりの割合になる、ということです。

先日、用事があって郵便局の本局に行ったら、書留の受取窓口に出てきたのはあきらかに日本語のおかしい支那人女性でした。
深くは聞かなかったが、日本人と結婚して日本国籍をとっているのかもしれない。

いま、都内の駅の立ち食いそば店は、店員さんは、ことごとく支那人。

先日もご紹介しましたが、昨年民主党政権になって以降、なんと国会議事堂裏の議員会館(参議院、衆議院第一、衆議院第二)の地下レストランのパートのおばちゃんが、支那人。

ビル清掃に来るおばちゃんたちも、いまではほとんどが支那人です。

もともとは、日本人の中高年のおばちゃんたちの職場だったのです。
その職場が、支那人たちに奪われている。

最近、日本の景気悪化で倒産する企業が続出し、旧社長宅や本社ビル、土地などが次々に競売に付せられているけれど、その競売物件の買受人は、最近ではよい物件ほど、支那人の買受けが目立ちます。
(参考:支那人による日本買占めの恐怖)
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-915.html

支那の歴史をみるときに、歴代最高の名君とされる人のひとりが、清王朝の第四代康熙帝(こうきてい:在位1661年〜1722年)です。

康熙帝の功績は様々なものがあるけれど、なかでも名政策と呼ばれているのが「封禁令」です。

「封禁令」というのは「漢人は清国皇帝の聖地である満洲国に入るべからず」というものです。

清王朝は、満洲地方にいた女真族が、漢人たちを支配した王朝ですが、康熙帝の時代に発布された「封禁令」は、その満洲の地に、漢人たちが立ち入ることを全面的に禁じたのです。

さらに康熙帝は、漢人の立ち入りを禁じただけでなく、支那と満洲の国境である山海関に、関所を設け、支那人の入国を規制した。

万里の長城の出発点である山海関一か所以外、漢人たちの満洲への侵入を一切厳禁としたのです。

じつは、清王朝が興った事情事態が、漢人たちの満洲進出にありました。

明王朝の末期、支那は国が乱れ、治安も経済も大混乱状態になった。
多くの漢人たちが、明を捨て、満洲の地に流れ込んだ。

おかげで遊牧と農耕で平和に暮らしていた女真人たちは、漢人たちによって酷い仕打ちを繰り返し受けてしまいます。

そこで女真人の部族長のヌルハチが立ち上がり、女真の六部族を統一し、明王朝に戦いを挑んでこれを滅ぼした。

そして漢人たちの満洲地方への入植を一切がっさい禁じたのです。

おかげで、その後200年間、満洲地方は、平和の大地となった。

ところが、清朝末期、欧米列強の進出によって清国の力が弱まり、国内に内乱の嵐が吹き始めると、ふたたび漢人たちが、満洲地方に入り込みます。

その数、年間100万人。

下にあるのは、昭和5年の満洲の人口構成です。

------------------------------
【昭和5年当時の満洲の人口】

満蒙人   300万人
支那人  2600万人
朝鮮人   100万人
日本人    23万人
------------------------------

わずか20年の間に、もともと満蒙人しかいなかった満洲の地に、なんと2600万人の支那人(漢人)たちが入り込んだのです。

そこで彼らが何をしたかというと、窃盗、破壊、強姦、虐殺。
やりたい放題です。

そして人口の9割が漢人であるという事実をネタに、満洲の自治を奪った。
これが、張作霖(ちょうさくりん)です。

張作霖は、もともと匪賊(ひぞく・盗賊集団)の頭で、勢力を伸ばして軍閥となり、ついには、満洲国に軍事独裁政権を打ち立てた。

昭和4年、全満洲の歳入は、1億2千万元だったけれど、そのうち、1億2百万元を、張作霖は自己の利益と軍事費につかいます。
なんと歳入の8割を軍事費にしたわけです。

しかも張作霖の軍事力の矛先は、なんと自国に住む満州人達です。

強大な武力(軍事力)を背景に、もともと満洲の地に住んでいた満蒙人から、徹底的な収奪をする。

要するに、せっかく都市インフラが進み、みんなが豊かに生活できるようになったと思ったら、その富を横から出てきた漢人で、まるごと横取りしようとしたのです。

以下は、張作霖政権が実際に行った政策です。

張作霖が、実質的な満洲の支配者となって行った政策の、一端が、次に示すものです。

1 財産家、思想家の誘拐、処刑

2 過酷な課税
  なんと5年先の税金まで徴収した。
  農作物や家畜にまで課税し、
  なんと130種類もの新税を導入した。

3 通貨の乱発
  自らの利益のために通貨を印刷しまくり、
  通貨を大暴落させた。

4 請負徴収制度
  税吏は、税額を超えて集金した分は、
  奨励金として自分の収入になった。

これで満蒙人、日本人は、満洲で築いた財産をまるごと張作霖政権に搾取され、まるはだか同然にされています。

要するに張作霖は、満洲を軍事制圧し、満蒙人、日本人から税をむしりとり、自身は「老虎庁」と呼ばれる豪邸に住んで、贅沢の限りを尽くした。

なるほどそうか。でもそんなの昭和5年ごろ、いまから80年も前の話でしょ?
いまどき、そんな横暴なんてありえねえよ、と思う方もおいでになるかもしれません。

しかし漢人という独特の遺伝子を持った「郷に入って郷に従えない」というDNAを持った民族は、いまだにチベット、ウイグルで同様の弾圧や搾取、暴行、強姦を行い、法輪功を大弾圧している。

漢人という民族は、強い者にはひたすら媚びるけれど、徒党を組んで大人数になり力関係が相手より上位になると、弱者に対して徹底的な弾圧や暴行を厭わない民族です。

いまは東京で100人にひとりの支那人が、数年を経ずして10人にひとりとなったとき、いったい日本で何が起こるのか。

一国の政府というものは、その国の市民の生活の安全と安心を守るのが本来の役目です。

他国民の利益を図り、自国民を犠牲にするような政府は、最早、その国の政府ではない。

以下は、2ちゃんねるの反応です。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

3:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
2010/07/13(火) 05:35:52
景気が良くて皆働いているならともかく、職も無い住所不定の中国人が増えるのは危険過ぎる。
こんな状況で永住許可を大幅緩和したり、外国人参政権とか正気の沙汰ではない。

6:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
2010/07/13(火) 05:45:58
中国人を入れると、日本の若者が失業する
民主党は分かっていながらこの事態を推し進めている

11:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
2010/07/13(火) 06:03:55
2007年12月1日 ... レコードチャイナ:11月30日、
米シンクタンク「移民研究センター」の統計によると、

中国系移民の人口は200万人を突破、メキシコに次ぐ第2の移民グループに。
イタリア政府、中国系移民の取締に軍隊を派遣―世界各地で中国人移民 ...
イギリス総選挙に中国系移民7人が出馬
【ニュージーランド】民族問題相に中国系

ニュージーランドは 中華系移民が増えすぎて 中華系移民を 制限する法律がある
ニュージーランドって相続税がないので、資産持った中国人が一族で移住してる。

以前は韓国人が大量に出産にやってきて子供に市民権を取らせていたが、それも 禁止にしちゃったしな。

12:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
2010/07/13(火) 06:05:49
タイの状況を見よ。国を陰で操っているのはシナ。
日本がこうなる前に一人残らず追い出さねば。
特に大学などにいる奴らは全てスパイと見て良い。
地球のゴキブリ民族は宇宙から追い出さなければならない。

14:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
2010/07/13(火) 06:08:32
中国人は犯罪が多すぎなんだよ
あと生活保護にタカるのをやめろ

15:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
2010/07/13(火) 06:16:39

>>1
これが、日本の現実。
昨日、コンビニで立ち読みした実話系の漫画で
ある地方の住人だが、近くの工業団地に勤めている、外国人労働者(外国人労働者の絵は、黒髪のシナ人風)が、白昼堂々、集団で、チャリで乗り付けて農家の田んぼや畑から、農作物を略奪していく。

日本人農家は、アメリカみたいに身近に、自衛用の銃があるわけでもなし怖いので、見て見ぬふり。
という投稿があった。

17:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
2010/07/13(火) 06:27:40

田んぼから略奪
鎌を持った中国人が一斉に稲刈りを…

19:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
2010/07/13(火) 06:34:05
>>17
鎌を持ったなんて温いもんじゃなく
>>15のレスにあるように、投稿者の手紙を漫画にして書いてあったが、真昼間に、集団でチャリで乗り付けて田畑から農作物を引っこ抜いて奪っていく。

ちなみに、シナ本土の農家も、 24時間体制で、武装警備員(常時2人以上)雇ってるって、 BSでやってたな。

掠奪者らがきたら、マジで「戦闘」になるから、農民ごときじゃどうしようもないらしい。

22:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
2010/07/13(火) 06:50:43
少なくとも、入国規制を80年代並に戻す必要はあるよね。
後、在日への指紋押捺復活は絶対だ。

25:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
2010/07/13(火) 07:14:10
韓国・朝鮮の在日を合わせれば、東京の40人に1人が三国人です。(2009年調べ)

つまり、学校の教室の中の1人が必ず三国人という状況です。
ちなみに、都心の新宿区・港区あたりは10人に1人が外国人です。
http://blogs.yahoo.co.jp/takada_jyun1/12887268.html

27:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
2010/07/13(火) 07:19:26
新宿とかすげーよ。
日本語より外国語の方が聞こえてくるし、コンビニ店員に日本人は非常に稀な存在になってる。

29:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
2010/07/13(火) 07:21:37
 r───────────────────
│ このまま行けば、中国人の不法滞在者が
│ 日本を占領するアル!
└──v──────―─────────

30:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
2010/07/13(火) 07:26:19
2010/04/12
中国、3400万人「余剰男」の行方
【石平のチャイナウォッチ】

2006年時点で中国の0〜26歳の若年層は男が女よりも3402万人多いという。
問題を中国の外部に転嫁させることである。
要するに、中国国内では男女比率の不均衡で「嫁不足」は決定的なものとなっている以上、この余った3400万人の男たちを外国に出してしまい、滞在国の女性と国際結婚をさせることによって彼らの悩みを一挙に「解消」してしまうのである。

その際のやり方は二つがあろう。

一つは日本などの諸先進国が直面していく労働力不足の問題につけ込んで、それらの先進国への大量移民を組織的に行い「余った」男たちをどんどんと送り込む戦略である。

その際、相手国の政府からの協力は必要不可欠だがたとえば日本の場合、大政党の中でも「一千万人外国移民の受け入れ」を提唱している政治家がいるから、中国にとってとりわけ好都合であろう。

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成22年(2010)7月7日(水曜日)
通巻3016号 

日本にやってきたばかりの中国人48名が生活保護申請事件、その後。
在日華字誌、新聞各紙も大報道。「いかにして生活保護を獲得するか」と。

中国中間層へも観光ビザ=発給要件を大幅緩和−政府

なぜ、「7月1日から実施」なのか。
中国からの渡航者に対する「ビザ発給」緩和を、なぜ、7月1日から「実施」するのか。

年度の冒頭でもない、年初でもない。
その不自然さを問う時に、毀日国、とりわけ、中国共産党の政治的な動きの「何か」に符合している、 と認識すれば事の次第が分かりやすくなるのではないか。

この7月1日は、中国で、自国民に対する「国防動員法」が中国共産党政府によって施行される日でもある。
http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-3467.html

37:オープナ◆OpoonalMH.
2010/07/13(火) 07:54:16
景気のよろしい中国本土から、わざわざ厳しい日本に来てるってことは
祖国でも食いっぱぐれの連中ってこった。

72:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
2010/07/13(火) 09:27:39
これで外国人参政権とかやったら終わるわwww

84:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
2010/07/13(火) 09:56:05
「レンホウ圧勝」見て恐怖に思わない奴はよっぽど暢気な奴だわ


85:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
2010/07/13(火) 09:58:47
今のチベットが50年後の日本

87:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
2010/07/13(火) 10:17:00
「日本人男性が認知するだけで子供に日本国籍もらえる法案」

国籍法改正を民主党が強行採決したのをおぼえていますか?
中国籍がどんどん日本籍になっていってますよ。

113:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
2010/07/13(火) 12:09:21
中国は日本に軍隊を送らなくてもマスコミ、政治家を落とせば併合出来ると思っている
民主党がいる限りどうしようも無いね

127:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
2010/07/13(火) 16:46:49
13億の人口を賄いきれない中国は世界中に中国人を拡散する国策をとっている。
その一環である。
愛ちゃんが出場する卓球の国際大会などで、多くの国で帰化した中国系の選手が大活躍しているのをみればよーくわかる。

この流れが必然なら、少なくとも、中国人は日本において郷に入れば郷に従う態度でなければ無制限に移住を受け入れるべきではない。

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大東亜戦争の真実


国旗の重み 海洋国家日本の海賊退治 第四集


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参議院選挙結果への疑問

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投票箱


いつもコメント欄で情報を下さる愛信さんのHPからです。
http://www.aixin.jp/skjh/sjmenu.cgi

選挙結果について、非常に不思議な傾向がみてとれます。

第22回2010年参議院議員選挙情報]のに対する分析です。

すこし数字が続きますが、よくご覧になってみてください。

─────────
 参院選の全体像
─────────

有権者数 : 104,029,135人
投票者数 :  60,251,214人
投票率 :    57.92%

─────────────────────
 当選者数 得票総数 政党名得票数 候補者名得票数
─────────────────────
【政党】【得票数】【政党名得票】【候補者名得票】
民主  18,450,140 14,433,171  4,016,970
自民  14,071,671 10,657,166  3,414,505
みんな  7,943,650  7,229,391   714,259
公明   7,639,432  3,555,970  4,083,463
共産   3,563,557  3,259,068  304,489
社民   2,242,736  1,614,821   627,915
たちあが 1,232,207   757,939   474,268
新党改革 1,172,395  1,050,977   121,418
国民新  1,000,036   481,892   518,144
女性党   414,963   341,625    73,339
日本創新  493,619   321,123    172,497
幸福実現  229,026   161,018    68,008


この数字から、得票総数に対する政党名票の割合をみると、次の数字が出てきます。

─────────────────────
 得票総数に対する政党名票の割合
─────────────────────
みんなの党   91%
共産党     91%
新党改革    90%
女性党     82%
民主党     78%
自由民主党   76%
社民党     72%
幸福実現党   70%
日本創新党   65%
たちあがれ日本 62%
国民新党    48%
公明党     47%

要するに、2枚目の投票用紙の全国比例区について、政党名を書いたか、候補者名を書いたかの違いの数字です。

基本的に、作為がなければこうした数字は、統計的にみてほぼ同様の数字となるはずです。

つまり、自民、民主のような巨大得票政党の得票比率にあるように、おおむね76〜78%内外に落ち着くものなのでしょう。

ところが、実際の政党ごとの得票比率は、47%〜91%と、その差はなんと44ポイントに達している。これは、あきらかに異常値です。

ある程度は説明がつきます。

たとえば、公明党や共産党のように、特定の組織票で固められた政党は、組織が「政党名を書け」と指示すれば、投票者はそのように投票用紙に書く。

おそらく、共産党は組織上部から「比例区は共産党と書きなさい」と指示されていたのだろうし、公明党は「候補者名を書きなさい」と指示されたのでしょう。

ある意味、非常にわかりやすい話です。

一般に、比例区の候補の応援者は、候補者名を書いてくださるよう、親戚やお友達にお願いしていると思います。
それでも実際に投票所に行くと、2枚目の比例区の投票用紙に、政党名か候補者名か、どっちを書いたらいいかわからなくなる。

ボクの友人なども、あとで聞いたら、「いやあ、投票所行ったら、どっち書いたらいいかわかんなくなっちゃってさ。普通、政党名かくだろ? だから政党名の方を書いちまったよ、ごめんなあ」なんて方が、けっこうおいでになりました。

そして、あれやこれや入り混じって一般的、平均的な解は、76〜78%が政党名を書いた。民主党や自民党の数字をみたら、大数の法則があてはまるので、おそらくはそのあたりが平均的な得票パターンなのでしょう。

そんななかで、5割以上の方が候補者名を書いた公明党や、国民新党はすごい。たいしたものだと思います。

たちあがれ日本や、日本創新党の62〜65%というのも、支援者のみなさんの相当な努力があったものだろうと思います。

ところが一方で、みんなの党の91%というのは、どういう数字なのでしょうか。
10人のうちの9人が政党名を書き、1名だけしか候補者名をかくことがなかった。

つまり、ほとんど全部の得票が、いわゆる浮動票?
それにしても異常値です。

なぜなら、組織的に政党名を書くことを指導した共産党と、同じ比率になっている。

みんなの党には、バックとなる強烈な組織があるのでしょうか。
答えはNOです。

この数字を見て愛信さんは、もしかするとこれは、たちあがれ日本、国民新党、日本創新党の票が抜き取られ、同数の票が、みんなの党、新党改革の名前が記された捏造票にすり替えられた可能性がある、と分析されています。

あり得ない話ではありません。

民主党に投入された票で白真勲氏など低得票数11万台の比例代表(全国区)候補が4名当選となります。

その一方で、国民新党郵政民営化の象徴的存在の長谷川憲正氏は40万票を得票したが比例代表(全国区)落選している。

捏造票がみんなの党に重点配分されたとすれば、みんなの党の大勝利7議席獲得を可能にすることができる。

実際、選挙前の駅前の応援演説等では、都内でみんなの党の候補者の乗った選挙カーの前には、ほとんど人だかりがありませんでした。
来ていたのは、選挙管理委員会の発行する腕章をした応援者と、テレビカメラくらい。(なぜかテレビ局が来ています)。

候補者の話も、日本が貧乏なのは政治が悪いからだくらいの話で、特別目新しいものはない。
ある程度、世の中のわかった中高年なら、
「悪いというのはわかった。現に悪いんだから。だからそれをどうするのかが問題なのだ」と普通に、思ってしまう演説内容です。
簡単に言ったら、青臭い。それはそれで決して悪いことではないのですが、だからといって、それだけのことで795万表も集まるとは、どうにも考えにくい。

愛信さんは、さらに続けます。

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選挙前、テレビ局がみんなの党の支持率を2桁で報道していた。

NHKなどは、たちあがれ日本の政党支持率は0.1%しかないなどとさかんに言っていた(実際の得票は2.11%。事前のNHK報道の210倍です)。

選挙中に菅首相が「みんなの党」との連立について言及していた。

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開戦前の議席数は、みんなの党「1」に対し、たちあがれ日本は「3」です。
普通なら、テレビの討論番組等では、自民、民主、公明、共産などと交じって、たちあがれ日本の代表が出てもおかしくない。

にもかかわらず、たちあがれ日本の政治家がテレビ出演することはまずなく、その一方で、みんなの党の露出は、ほとんど自民、民主なみの扱いとなっていました。

これはいったいどういうことなのでしょうか。

さらに、もうすこし細かな選挙区をみてみると、さらにおかしなことが出てきます。

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大量の無効票(ブログ:およよと驚く毎日)
http://oyoyo7.blog100.fc2.com/blog-entry-532.html

輿石氏といえば、日教組を牛耳る大ボス。
いわば、日本の教育行政を大きく歪めている極悪人です。

彼の選挙区で、大量の無効票が見つかったそうです。
その数、15000票ほど。
http://twitter.com/youarescrewed

どうも胡散臭いですね。

当 輿石  東 187,010
△ 宮川 典子 183,265

その差、僅かに3700票余り。

投票総数が、約43万票余り。
15000票は、不自然に多い数です。
また、その取り扱い如何によっては、十分逆転がありうる展開です。

日曜日深夜まで、開放速報(NHK)をずっと見ていたのですが、その時点では宮川氏が有利でした。
翌朝になって逆転し、輿石氏が当選と決定。

なにやら、管理委員会も絡んだ(?)不正の臭いがします。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

もし、その無効投票が、実際には宮川候補の票だとするならば、実際には宮川候補が圧倒的大差の大勝利となっていたことになります。

私たち日本人は、正直であることが美徳であると普通に考えています。
ウソをつくこと、人を騙すこと、不正をすることは、イケナイことだと考えているし、お上は、不正などするものではない、とどっかで信じている。

だから選挙管理委員会が不正をするなど、ボクなんかでも想像もつかないことです。

しかし、よく考えてみると、こういう「ウソをつかない」「正直がいちばん」「お上は、正しい」という日本の常識は、世界の非常識でもある。

ある、中国人が、日本に住むことになったそうです。
彼は支那で育ち、子供のころから徹底的にこう教えられたそうです。

≪正直であってはいけない。正直でいたら殺される≫
≪ウソをついてついて、つきまくって日々を過ごさなければならない。そうしなければ生き残れない≫

その人は、日本に住むようになり、日本でも、毎日ウソをついて暮らしていたそうです。
そうしなければ命がいくつあっても足りないと思っていた。

ところが3年ほどたったある日、自分が1日ウソをつかなかったことに気がついた。
思い返してみると、もう何日もウソをひとことも言わずに暮らしている。

にもかかわらず、自分はちゃんと生きている。

愕然としたそうです。
そして彼は、その日から、日本が大好きになったといいます。

今回の選挙における争点は、消費税などでは決してないし、自民対民主の戦いでもない。

最大の争点は、実は、親中親韓、在日外国人や、国内に巣食う反日売国勢力と、真の日本を守り育みたいとする親日勢力の戦いです。

そして親日勢力は、かろうじて、衆参ねじれ現象を起こし、売国勢力の日本壟断を、寸でのところで阻止した。

しかしもし、選挙結果が、不正なく、真に公正な選挙となっていたのなら、結果ははるかに異なっていたのではないかという気がします。

いずれにせよ、目的のためならウソを厭わない勢力というのは、いちにちも早く国内から駆逐したいものです。

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産経新聞報道;【山梨選挙区】民主党輿石東氏、不正政治資金疑惑


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風が変わり始めている

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映画「アバター」
映画アバター0714


映画「アバター」といえば、世界中でメガ・ヒットを記録した映画です。
製作費は、史上最高の300億円。
3DのCGを駆使し、映画を「観る」ものから「体験する」ものに変えた初の映画とも言われています。

監督のジェームス・キャメロンは、この映画を「映画史の革命」と銘打ち、なんと興業開始からわずか39日で約1700億円を稼ぎ出すという世界新記録も樹立しています。

「アバター」は、全編CG(コンピューターグラフィック)を駆使した映画です。人間以外は、ほぼすべてがリアルなCGで描かれている。しかも3Dです。

ここで描かれる世界は、もちろんジェームズ・キャメロン監督のオリジナルなのだけど、その世界観は、かなりの部分、日本アニメの影響を受けているといいます。

六本木ヒルズで行われたジャパンプレミア出席のため来日したキャメロン監督は、短い舞台挨拶の中で「僕は宮崎駿の大ファンだから」と語っています。

実際、光る芝生のような糸は、「風の谷のナウシカ」のオームの髭だし、ドラゴンに乗る姿も、ナウシカの飛行機に乗った姿。

空中に浮かぶ島は、「ラピュタ」そのものです。

天空の城ラピュタ
天空の城ラピュタ0714


もしかすると人間が乗るニューマン型戦闘マシンは、「エヴァンゲリオン」かもしれない。

また欧米的な収奪目的で圧倒的火力を誇る武闘民族と、森や自然に神が宿るとして木々や自然と調和して生きようとする誇り高き民族の戦いは、いっけんすると白人とインデアンの戦いであり、日米の大東亜戦争のようでもあります。

よくよく考えてみると、昔の60年代のたとえばインデアンものの映画などでは、常に、白人の側が正義として描かれた。

しかし、昨今の潮流を見ると、たとえば日本アニメが全世界に受け入れられ、また、今般の「アバター」のような映画が大ヒットするという風潮の背後に、もしかすると世界的に、大きな価値観の変動(パラダイム・シフト」が起こっているのではないかと思わされます。

このことについて、≪ゆるちょの「海の上の入道雲」≫というブログに、非常に面白い記述がありましたので、ご紹介します。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「アバター」大成功に見る「日本人的美意識」の雄飛

欧米的価値観から、民族的価値観へ価値観がシフトしているんです。
特に日本的価値観というものが、これだけ世界中から注目され、ファンを獲得している背景には、日本的価値観により創作された漫画やアニメが世界中で注目され、売られ、放送されている事実がまずあります。

アメリカンコミックのような単純な世界観ではなく、日本のアニメや漫画に見られる日本人的美意識に裏打ちされたサムライ的構図、「大切なモノに殉じたり、そのために死をも恐れずに戦う。どんな状況にも絶望せず、誇り高く戦う!」、といった姿勢が、人間の根源に訴えるのではないでしょうか。

自分は日本人で、日本人的美意識旺盛な人間なので、それ以外のひとが、どういう意識で日本人的な美意識にあこがれていくのか、よくわかりませんが、本能的に惹かれていると見ていいでしょう。

そういう日本的美意識に惹かれる素地というものは、欧州にはあったということでしょう。
そして、ほぼ日本的価値観や美意識を下敷きにして、作られたこの「アバター」の大成功はそれだけ、日本的価値観や美意識が世界的に受け入れられ、主流にさえ、なりつつあるということを表現していると見るべきでしょう。

近年、世界各国で、ジャパニメーションのイベントが行われ、日本の漫画が普通に売られています。日本食は大ブーム、日本人のアイドルが欧米で活躍し、ツール・ド・フランスに日本人が久しぶりに出場すると、各国の報道陣が先を争って報道する。

そういう事実を鑑みれば、日本人的価値観や美意識というものが、世界の潮流の中で、大きな位置を示し始めているということが、納得できると思います。

そういうことから言えば、この「アバター」という作品は、「日本人的価値観や美意識は非常にすばらしいものなのだ」、と全世界の人間に認めさせた、日本人にとって記念碑的作品ということになるのです。

我々は、そういう世界に今、日本人として生きているのです。
それは、大きな誇りでもあります。
我々は今や、日本人であることを大いに誇りにすべきなのです。

今が大きなチャンスじゃないですか。
世界に打って出るのは、今が最高にいいときです。

日本人的価値観や美意識が今、大きく世界に羽ばたき始めているのです。

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そして今度公開されるのが、「ザ・パシフィック」です。

こちらは、ジェームズ・キャメロンと並ぶ、ハリウッドの巨匠スピルバーグ監督と、トム・ハンクス、ゲーリー・ゴーツマンが総指揮を執ったテレビシリーズです。

この映画は、大東亜戦争をテーマに扱ったものですが、従来のアメリカ映画の第二次大戦ものにありがちな、米軍礼賛や、日本=悪の枢軸という図式ではなく、「我々は、日米の戦争ではなく、戦争そのものを描きたかったのだ」というスピルバーグ監督の話にあるように、米軍の犯した様々な日本兵等に対する残虐シーンも出ているのだそうです。

戦記そのものとしては、ガダルカナル島の戦い、ニューギニアの戦い、パラオ・ペリリューの戦い、硫黄島の戦い、沖縄戦と、まさに激戦の地について、史実にできるだけ忠実に描いたとしている。

実際に予告を観ると、米軍が機銃を乱射するのに対し、日本人がまさに軍服一枚で突撃するシーンや、無抵抗の日本人少年を、銃で撃ち殺すシーンなども出ている。

日米どちらが正しいかではなく、戦争そのものを忠実に描くことで、戦争とは何かそのものを、両軍のどちらをひいきするとか抜きに、描写する映画になっているのだそうです。

楽しみにしたいと思います。

ザ・パシフィック
ザパシフィック0714


それにしても、日本の軍部は、戦後65年もの長い間、反日左翼や特ア三国から、ひどい誹謗中傷を受け続けてきました。

日本の軍人さんたちは、最後まで立派に戦い散華されたのに、国のため、私たち子孫のために、苦しい戦いを命がけで戦って来られたのに、濡れ衣を着せられても、言い訳ひとつしないで、じっと耐えてこられた。

すこし考えれば、誰でもわかることなのです。
軍は、国家の命令がなければ、動きません。

「腰の軍刀は竹光か!」とまで謗(そし)られても、命令がない以上、じっと我慢するしかなかった。

支那事変の前、多くの日本の軍人さんや民間人が、支那の国民党兵に酷い殺され方をしています。

仲間を、家族を殺されたのです。
それらすべてに対し、じっとこらえ、耐え忍んできた。

そして日本が国家として、これ以上はもはや耐えきれないとなったとき、はじめて国家の命令によって軍は動いたのです。

すこし考えれば、誰だってわかることです。
軍が勝手に兵を動かし、国家規模の戦争などできることではない。

にもかかわらず、命令があったから動いた兵隊さんたちに、戦争の罪を全部きせて、過去を他人事として目をそむける。

それは、人間として、ボクは恥ずべきことだと思います。

その恥ずべきことを、戦後の日本人は、国をあげてやってきた。

そしていま、日本アニメやマンガというまったく武力とは異なる分野から、日本的美学が世界に普及し、その精神を受け継いだ「アバター」が世界的ヒットとなり、スピルバーグ監督が、大東亜戦争の真実の姿を描いた映画のメガホンをとった。

以前、ボクは、大東亜戦争で、日本が玉砕を伴う苦しい戦いを行い、戦艦大和すら、戦艦として玉砕させるという行動に出たのは、死して名を残す日本武士道の精神からきたものだ、と書きました。

アメリカインデアンは、かつて北米に800万人いたとされます。

それが白人の入植によって、次々に殺され、いまやわずかに35万人が残るのみです。
しかも、遺伝子レベルでは、そのほぼ全員が、白人種のDNAを持っている。
(これが何を意味しているかは、わかりますよね)

インカ帝国は滅びました。
いまでは、当時の言語、風俗、習慣、社会システム等のすべてが、わからなくなっている。

アメリカインデアンは、それぞれの地域ごとにいろいろな部族がいて、部族毎に言語・習慣等がまるで異なっていたであろうけれど、いまではほとんどわからなくなっている。

ただ、その文化や伝統の破壊がインカほどではなく、ある程度でもインデアンの生活様式がいまでもわかるのは、アパッチ族が最後まで白人に抵抗して勇敢に戦ったからです。

インデアンの習俗・習慣等は、インデアンの側というより、むしろ白人の側に、アパッチ族への強力な印象とともに残っている。

戦争というのは、民族の存亡を賭けた国家規模の一大賭博である、と書いたのは司馬遼太郎ですが、その賭けに敗れ、まさに民族自戒、民族滅亡の危機に瀕したとき、日本が行ったのが、もしかすると玉砕戦だったといえるのではないか。

激しく、勇敢に、最後の最後まで戦いきることによって、日本側だけでなく、米軍の側にも、日米戦の激しさの記録が残る。

もし仮に日本民族が、滅亡の危機に瀕したとしても、昨日の敵が、まさに日本民族の凄みを、思い返し、訴えてくれる。

そういう時期が、やってきたのではないのでしょうか。

日本が、日本人が、日本人としての誇りと自信を取り戻すべき時、それが戦後65年という時を経由して、いま再び、めぐってきた。

そのことを「アバター」のヒットや、「ザ・パシフィック」が、いまあらためて、われわれ後世を生きる日本人に教えてくれようとしているのではないか。

よく、潮目が変わる、という言い方をします。
これまで封印されてきた日本の近代史、辱められ中傷され続けてきた日本の名誉が、いま再び回復されようとしている。

まさにいま、その潮目にある。ボクにはそんな風に思えるのです。

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日本こそアジアの盟主・・・山鹿素行
実在した怪傑ハリマオー
勝利の要諦は至誠と愛情と情熱・・・藤原岩市陸軍中佐
六十年の時を経て届いた手紙・・・長田和美中尉
日本を救った古代の英雄・・・大伴部博麻
西郷頼母と姿三四郎
昭和の巌流島決戦・・・国井善弥
会津藩の二人の女性・・・中野竹子と瓜生岩子
古くて新しい中江藤樹郎
稲むらの火・・・浜口儀兵衛
なにくそ!・・・早川徳次
身を投げ出して乗客の命を救った車掌・・・鬼塚道雄
新手一生・・・升田幸三
不屈の精神とユーモア・・・高崎弥生さん
男の生きざま・・・山下太郎
老農と呼ばれた男・・・石川理紀之助
宮古湾海戦と甲賀源吾
不自惜身命・・・小原竹五郎と江崎邦助
白虎隊と歴史への姿勢
名将、山口多聞
社員は家族だ・・・出光佐三
人情と情けの人・・・小園安名大佐
戦時下のノーヒトノーラン・・石丸進一
滅んでも勝つ・・・山川大蔵
良心を生きた人生・・・新島襄
天祐ハ常ニ道ヲ正シテ待ツベシ・・・長瀬富郎
ライト兄弟より早く飛行機を飛ばした日本人・・・二宮忠八
単騎シベリア横断・・・福島安正
一死をもって責任を貫く・・・石黒小右衛門
愛のかたち・・・快心隊隊長藤井一少佐
歴史から学ぶべきこと・・・広瀬武夫中佐
人情と情けの人…小園安名大佐
プロ野球の特攻隊員・・・石丸進一
滅んでも勝つ…山川大蔵
へりで救出された1200頭の牛の物語
38年間無報酬で働いた村長・・・鎌田三之助
石門心学と石田梅岩
竹カゴとカーボンナノチューブ・・・飯島澄男博士
なりあき少年物語

≪戦後教育の常識を疑え≫
白旗の少女
ちいさくても強いサムライ
赤穂浪士の真実
日本は一国一文化
日本刀と鉄砲伝来
貧農史観というウソ
これでもあなたは日教組に子どもをまかせられますか
聖徳太子と十七条憲法
ハーグ陸戦条約

≪戦記≫
義和団事件とコロネル・シバ
アロハ・オエ
パラオ・ペリュリュー島の戦い
アッツ島の戦い
グアム島の戦い
タラワ・マキンの戦い
拉孟の戦い
騰越の戦い
占守島の戦い(1)
占守島の戦い(2)
回天の志
回天・後日談
マレー沖海戦と戦艦大和
勇敢で高潔で誰からも好かれた日本軍人
三宮事件
日清戦争
日露戦争・・・亡くなられた方の気持ち
日露戦争の勝利はアジアの偉大な救い
日本軍の蛮行・・・デビンティンギ事件
戦争の体験談
義烈空挺隊を忘れるな
第二次上海事変
石頭予備士官候補生の戦い
沖縄の二人の知事・・・泉守紀と島田叡
セヴァストポリの戦いと旅順要塞戦
天誅組に学ぶ、尊王攘華、尊王攘韓
セヴァストポリの戦いと旅順要塞戦
サイパンの玉砕戦(1)
サイパンの玉砕戦(2)
アンガウルの戦い

≪大東亜戦争≫
開戦の詔勅と終戦の詔勅
大東亜戦争に勝利した日本
日本に手を出した国は、必ず滅びる
大義のために戦った日本
12月8日を記憶せよ
大東亜戦争に関する各国の評価
日本の再生こそ世界を救ふ
公正な世界を目指して戦った日本
日本兵の手紙
戦没者の遺書
玉砕までして戦った理由
英霊たちが守ろうとしたかけがえのないもの
植民地支配への戦い
腰の軍刀は竹光か
バシ―海峡の慰霊
戦没者の遺書
インパール作戦とパル判事
五族協和を目指した満洲国
南京の攻防
体験的歴史の真実
B−29との戦い
サンフランシスコ条約と日本
伊58潜水艦と原爆のお話
駆逐艦「雪風」の幸運

≪事件≫
通州事件
尼港事件
斉南事件
通化事件に学ぶ国を失うことの過酷
ノモンハン事件
盧溝橋事件
リットン調査団
重慶空爆
満洲国開拓団の殉難
沖縄の集団自殺の虚構
小野田寛郎さんが語る従軍慰安婦
南京大虐殺というデタラメ
慶長の爆弾三烈士
北条時宗と元寇
大津事件
天狗党の乱
天誅組に学ぶ、尊王攘華、尊王攘韓
刀伊の入寇と竹島

≪台湾≫
台湾2・28事件
日本の台湾統治
日本の台湾統治の真実
台湾・高砂義勇隊

≪支那≫
支那人の残虐性
支那人の“避諱”観念と虚言
支那「日本支配工作要領」
支那に支配された国の実情
「日本は唯一の被爆国」に隠された嘘
支那の盗掘
カネを吸い取られ続ける日本企業
ロシアも怒る支那のパクリ
支那・文化大革命の恐怖
女真族と満洲の話
いまなお続く法輪功弾圧
停車場
カナダの悲劇 中国移民に占拠されたバンクーバー
支那人による日本買占めの恐怖
支那・国防動員法

≪韓国≫
「警戒」を「差別」とすり替える在日朝鮮人
従軍慰安婦問題
在日コリアンたちの本音
犯罪をしたら日本人になりすませ
民団の驚くべき活動
李氏朝鮮の時代(1)
李氏朝鮮の時代(2)
閔妃殺害事件
関東大震災の記憶
朝鮮進駐軍の非道を忘れるな
李氏朝鮮時代の刑罰
在日朝鮮人
韓国建国の英雄
ダライラマの法話で見た韓国人の民度の低さ

≪その他の国≫
アンコール遺跡とカンボジア
ビルマの近代史
アフガンの地雷
二つのアメリカ
ハバロフスク事件顛末(1)
ハバロフスク事件顛末(2)
ハバロフスク事件顛末(3)
シベリアのトイレ
ウクライナ物語
地上の楽園のウソ
インカ帝国の滅亡

≪メディアの偏向≫
毎日新聞英語版のあまりにひどい報道
マスコミが反日になっている理由

≪時事≫
自国の防衛は自国で
日教組に立ち向かえ
外国人参政権
政治資金規正法
竹島問題の真実
夫婦別姓などもってのほか!
子供手当が在日外国人の母国に残した子供にも出る?!
奴らを許すな
中国産新型エイズの恐怖
口蹄疫問題に関する衆議院の質疑の模様
口蹄疫は韓国の陰謀という噂の真相を問え!

≪コラム≫
日本の心をつたえる会
階級闘争主義と信頼主義
「ススキ」と「セイタカアワダチソウ」の戦い!
大麻についての考察
日本人が知らない資源のお話
悪は断じて許さないという心が大切
犬種と人種
ヤプー人の伝説
文化は武器より強し
小学生の妊娠
ギリシャ神話と日本の心
もうひとつの赤穂浪士・矢頭右衛門七
伊勢神宮の式年遷宮
近世のニッポン
正しい万歳
持てる力のすべてを未来への建設に傾け
日本国憲法を否定せよ
華僑と植民地統治について
いくつかの主張
歴史に対する姿勢
仁徳天皇陵を大仙陵と呼ぶまやかしを許すな
ニホンミツバチの勇気ある行動
「理論」と「心」と「都合」のお話
軍艦島のお話
伝書鳩物語
元来日本社会は窮屈、でも窮屈ゆえに安心
Made in Occupied Japan
日本再生のために民度の向上を
地方行政とゴミ処理問題
消えた歴史
核のお話
やまと新聞を守れ
ブログの拡散効果
たった一度の敗戦で日本を失ってはならない
魚沼産コシヒカリ物語
小麦のお話
中国四千年の歴史という馬鹿げた妄想
世界四大文明の嘘
縄文人と渡来人の相克
世界に誇る縄文文化
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ねずきち

Author:ねずきち
日本が好きです。ていうか人間が大好きなのかな。心って、ものすごく大きなこともなしとげる。その時代時代に、真剣に生きた人たちから学ぶこと。歴史って、いまを生きる人が過去に学ぶためにあると思う。だから、歴史にIFは禁物だなんて思わない。歴史を学び、もし〜だったらと考えることで、人は何かを感じることができるんだと思う。

政治に混迷が続く中で、もういちど私たちは過去を振り返ってみる必要もあるのではないか。そうすることで、もしかしたら一条の新しい光を見出すことができるのかもしれない。

このサイトで扱っている動画はYouTubeにアップロードされているもので版権物の知的所有権は、それぞれの著作者・団体に帰属してます。問題があればすぐ削除しますので、

nezu@nippon-kokoro.com

までメールでご連絡ください。

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コメントをくださる皆様へのお願い
いつもたくさんのコメントをいただき、ありがとうございます。
ほんとうに皆様のコメントが、ねずきちにはとっても嬉しく、かつありがたく拝読させていただいています。

議論というものは、すくなくともこのブログのコメント欄が、国政や地方自治、あるいは組織内の意思決定の場でなく、自由な意見交換の場であるという趣旨からすると、互いに互譲の精神を持ち、相手を尊敬する姿勢、ならびに互いに学びあうという姿勢が肝要であると存じます。

ねずきちは、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

従いまして、謙譲・互譲・感謝、そして学ぶという姿勢のない連続投稿、粘着投稿に類する投稿をされた方については、以後のコメント書き込みを、管理人であるねずきちの判断で投稿の禁止措置をとらせていただきますので、あしからずご了承ください。
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伊勢神宮式年遷宮奉賛金寄付について
日本の心をつたえる会では、20年に一度行われる伊勢神宮、式年遷宮のための寄付を会として行っています。
平成23年末まで、みなさんから寄付を募り、日心会としてこれをとりまとめて伊勢神宮に寄付を行います。

■関連記事
「伊勢神宮の式年遷宮に
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■ゆうちょ銀行からお振込
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番号   57524261
口座名
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(ニッシンカイシキネンセンク゛ウホウサンキンシ゛ムキョク)

■他の金融機関からお振込
銀行名  ゆうちょ銀行
支店名  〇三八
(読み:ゼロサンハチ)
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口座番号 5752426
口座名
   日心会式年遷宮奉賛金事務局
(ニツシンカイシキネンセンク゛ウホウサンキンシ゛ムキヨク)

神宮遷宮は、1300年間行われ続けた伝統行事です。
日本の歴史では、古来国家の歳費で行われてきましたが、これが歳費で行われなかった時代が2つあります。
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