日本に手を出した国は必ず滅びる・・・それが歴史の事実です。 日本は相互信頼主義を根本とする国です。 命をかけて戦った先人たちの努力を見直し、日本の素晴らしさを再認識して、階級闘争主義の汚染から日本を守ろう。

小麦のお話

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農林10号(写真下)
農林10号は、ターキーレッド(上)、フルツ達磨(中)を交配して生まれました。
農林10号


ルーピー君が政権を取ってから、日本の世界における信用はガタガタになっているといわれています。
沖縄基地の問題をめぐっては、日米の信頼関係は、まさに地に落ちている。

日米関係というのは、基地だけの問題じゃありません。

たとえば、小麦。

日本の年間小麦使用量は、約6百万トンです。
そのうち、90%を輸入に頼っています。

そしてその最大の輸入先はアメリカです。2位がカナダ、3位がオーストラリアです。
要するに大東亜戦争の戦勝国から、いま日本は小麦を買っています。

万一小麦の輸入が停まるとどうなるか。

小麦でできている食品は、パン、うどん、ラーメン、味噌、醤油、ビスケット、スパゲティ、マカロニ、餃子の皮、和菓子、カステラ、ケーキ、天ぷら、トンカツのコロモ、お好み焼きに、もんじゃ焼。。。。

それが、全部、食べれなくなる。

小麦というのは、世界三大穀物のひとつです。
世界三大穀物というのは、コメ、小麦、トウモロコシです。

なかでもいちばん生産量(消費量)が大きいのが、小麦です。
小麦は、人類の生存に欠かせない食料です。

特にパンやパスタが主食となる欧米では、小麦は、国家規模の食糧自給のための最重要品目です。

ですからどこの国でも、小麦の生産は国が統括します。
これは当然のことなのです。
国民あっての政府です。まずは自国のことを最優先する。あたりまえです。
国が管理し備蓄しなければ、万一の際に国民が飢えてしまう。

だからどこの国でも、国内で生産された小麦は、まず自国で消費、備蓄する分を、政府が取る。そして余った分だけ輸出にまわす。

日本が、米国や、カナダ、オーストラリアから小麦を買っているのは、彼らの国に余剰生産があるからです。

そして彼らが余剰生産できるようになったのには、実は日本生まれの小麦です。

どういうことかというと、GHQが関係しています。

戦勝国として日本に乗り込んできたGHQは、日本人が用いている有用と思われる農作物の品種の種子を、大量に収集して、アメリカ本国に送りました。
全部持ってった。

その中心となったのが、アメリカ人農学者のS・C・サーモンです。
彼はGHQの農業顧問として来日し、日本の農業の実態調査を行いました。

そして、その過程で、日本で開発された「農林10号」と呼ばれる小麦を知ります。

彼は、みずから岩手県立農業試験場に出向き、収穫前の「農林10号」を視察しています。

で、驚いた。

当時、世界で生産されていた小麦の品種は、背が高い種類の小麦です。高さが1m20cmくらいある。
ところが「農林10号」は、背が低くて、高さが60cmくらいしかない。
そのくせ、たわわに稔った実は、アメリカ産の小麦の数倍の量がある。

これは実はとても重要なことで、背の高さが半分しかないということは、体積にとか質量にしたら、簡単にいうと8分の1しか、地面から栄養分を吸わない。
要するに、葉や茎で余分な栄養分を地面から吸い取らない。

それまでアメリカ産の小麦は、背が高く、大きくて、実が少なかったから、小麦の収量をあげるためには、とにかく密度を濃くして小麦を植えなければならなかったのです。
だいたい苗から苗まで、およそ15cm程度の間隔で植えたというからすさまじい。稔る頃にはものすごい密度です。

ところがこれをやると、農地の栄養分が吸い取られ、またたく間に土地が痩せてしまうから、何年に一度は土地を休ませないといけない。

つまり、広大な農地が遊休地になってしまう。
その間、別な農地で小麦の栽培をしていたのです。

ところが「農林10号」は、なんと50cm間隔で植えられています。
しかも背が低く、茎と葉が小さい。余計な栄養分を地面から吸い取らない。
それでいて、背の高い小麦より、はるかにたくさんの実を稔らせます。

つまり、土地が枯れない。
しかも収穫量は、当時の米国産小麦よりはるかに多い。

サーモンが、これに驚かないはずはありません。

これはすごい!ということになって、彼は「農林10号」の種子を全部集めて米国本国に持ち帰り、アメリカの農業学者たちに、「ノーリン・テン」の名前でこの種子を送ります。

これを受け取ったなかのひとりが、ワシントン州のO・A・フォーゲルです。

彼は、サーモンから入手した「ノーリン・テン」に米国品種を掛け合わせて量を増やした。
えっと、これはそうしなければならいのです。
育った小麦のおしべの花粉をめしべにつけなきゃ、種子は収穫できません。

フォーゲルは、栽培することで「ノーリン・テン」の量を増やし、新型小麦「ゲインズ」という名前で、全米の農家に売りに出します。

これが当たった。

「農林10号」を親とする「ゲインズ」は、全米で驚異的な出来高をあげ、米国の小麦の収穫高が、一気に4倍に膨れ上がったのです。

さらに農家が大喜びしたのは、「農林10号」を親とする「ゲインズ」が、背が低かったことです。

どうして喜んだかというと、背が低くて安定しているから、たわわに実を稔らせても「倒れない」のです。

このウワサを聞きつけたのが、メキシコで農業研究をしていた、米国人農学博士ノーマン・ボーローグです。

彼がどうしてメキシコで小麦の研究をしていたかというと、メキシコは、高温多湿な国で地味が肥えているから、小麦の栽培に適していたからです。

ところが問題があって、メキシコの小麦は、なぜかサビ病という病気に弱く、病気が発生すると、収穫が激減する。その都度メキシコは飢饉に見舞われていたのです。

米国人農学博士ノーマン・ボーローグは、自らメキシコに行って、伝染病に強い小麦を研究します。

そして彼が完成した小麦は、背が高くて、病気に強く、収穫高の多い品種に育ちます。素晴らしいことです。

ところがこの品種、背が高くて、稔りが多い。

そのため、麦が収穫前に倒れてしまう。
収穫前です。
倒れた小麦は、育たず、収穫もできません。

これでは肝心の収穫高が増えないどころか減ってしまいます。
ボーローグ博士は困り果てていたのです。

そこにフォーゲル博士の、背の低い麦の成功を知らせがはいります。

ボーローグ博士は、大喜びしてさっそくその小麦、「農林10号」の子孫たちを取り寄せます。

そして自分が開発した、背が高くて病気に強く稔りが多い品種と、「農林10号」の子供たちをかけあわせます。

一方、「農林10号」には、問題があって、背が低くて稔りが多くて倒れないけれど、病気に弱い。
なので、実は日本国内でもあまり高く評価されず、生産者は増えなかった。

その「農林10号」が、ボーローグの「病気に強い」品種と組み合わさることによって、ついに、

稔りがめちゃめちゃ多くて、
背が低く、
収穫期に倒れず、
土地を痩せさせない、

まさに理想の小麦が完成するのです。

この功績で、ボーローグは国連農業機関員となります。

彼は、国連の機関員として、発展途上国各地の農業を視察するとともに、各国から農業研究者をメキシコに呼び寄せて技術指導をし、指導を受けた者たちにこの「農林10号」から改良した新種の麦の種子を持ち帰らせる制度を開始します。

「制度を開始」したのです。
冒頭に申し上げたように、小麦は大切な国内食材です。
だから、メキシコでも、他国への種子の持ち出しは禁止だったのです。

その法を改正して、世界にむけて新種の小麦の普及を図った。

ちょうど、その頃です。

昭和40(1965)年から、41年にかけて、インド、パキスタンで、冷害による大凶作が起こります。

数千万人が、飢えて死亡する事態になった。

ボーローグ博士は、インドに数万トン単位で、この新品種の種子を送り込みます。
この種子が実を稔らせると、なんとインドの小麦の収量は、全土で2倍になり、パキスタンでも自給自足が可能なレベルに食が安定します。

ボーローグの小麦の種子は「奇跡の麦」と呼ばれ、さらに世界に普及して世界の小麦生産量を激増させることに成功しています。

現在、世界全体で生産される小麦は、年間約6億トンです。
ところが、農地(作付)面積は、1960年から、まるで増えていません。

そして1960年の小麦生産高は、全世界あわせて2万トンでした。
つまり、奇跡の麦は、世界の食糧生産量を3倍に増やしたのです。
これが「緑の革命」です。

そもそも今から200年前、イギリスの経済学者トマス・ロバート・マルサスという人が、世界の人口は「まもなく食糧栽培能力を上回る」と予測していたのです。
ノーマン・ボーローグの小麦は、世界の食糧事情を好転させた。
そのおかげで、いまや世界の人口は、200年前の3倍に増え、ボーローグは世界の食糧不足の改善に尽くしたとして、1970年にノーベル平和賞を受賞しています。

長い間、ボーローグ博士の「奇跡の麦」は、なぜ、どうしてできあがったのか謎に包まれたままでした。

ある日、博士の口から、「奇跡の麦」は、実は日本で生まれた「農林10号(ノーリン・テン)」が親の品種であると語られます。

いま、世界の人類の生存を支えている小麦は、数百種類に及びますが、それらはことごとく「農林10号(ノーリン・テン)」の子供たちです。

そしてその「農林10号」を開発したのは、間違いなく日本人の稲塚権次郎さんです。

ちなみに稲塚権次郎さんは、「農林1号」の開発者でもあります。
「農林1号」は、コシヒカリ、ササニシキの親でもあります。


さて、ここから先は、ボクがなんとなく感じたことです。

はっきりはわかりません。
カルトっぽいと思われるかもしれないし、失礼だと叱られてしまうかもしれない。
ただ、なんとなく思ったことです。

先の大戦で、日本は、前半戦、まさに破竹の快進撃をしました。
帝国陸海軍は、まさに神がかり的な強さを持っていた。
米、英、濠、仏、どこも日本に敵わなかった。
フィリピンを守っていたマッカーサーは、強大な陸軍を持っていながら、一瞬にして制海権、制空権を日本軍に奪われ、陸軍も制圧されています。

しかも日本は、ハーグ陸戦条約を守り、あくまで戦地の民間人が退去するまで、その地への攻撃をしかけなかったし、攻撃するのも敵の軍事施設等にピンポイントで限っていた。

まさに最強の皇軍兵士だった。

ところが、ある日を境に、日本軍は、敗退につぐ敗退になります。
それはまるで、ツキが落ちたかのようです。
打つ手、打つ手がことごとく裏目にでた。

もしかすると、ほんとうにもしかするとなのですが、日本の八百万の神々は、未来を知っていたんじゃないか。

もし、日本があの戦争に勝つか、あるいは昭和18年頃の時点で米英と講和条約を結んでいたらどうなったか。

米英とは、敵対関係は維持されます。
そしてインドもパキスタンも、英国領のままです。

日本では、当時「農林10号」が開発されていたけれど、それは、収穫量は多いけれど、麦の病気に弱く、普及はしていません。

つまり、背の高い従来型の麦が世界に普及していたわけで、そうなるとインドやパキスタンで昭和40年に起こった冷害による凶作は、おそらくインド、パキスタンで、億単位の餓死者を出しています。

日本が戦争に負け、GHQが日本で開発された「農林10号」を米本国に持ち帰ったから、米国の農業生産高は劇的に上がり、メキシコで開発された病気に強い品種と交配することで、収穫高が何倍にもあがり、農地を休ませる心配がない、奇跡の麦が誕生し、世界に普及したのです。

それにより、世界の人口は、3倍にも増えて、いまや60億人です。

そしてインド、パキスタンでも、餓死者を出さずに済んだ、済んだどころか、インドは小麦の「輸出国」にまでなった。

もし、八百万の神々なら、どう判断しただろうか。
日本を勝たせて、世界の飢えを招くか、それとも日本を敗戦に導き、世界の人口を養うことを選択するか。

たぶん、後者だと思うのです。

そして日本が掲げた人種の平等、植民地支配の終焉という壮大な目的は、日本は焼け野原になったけれど、現に実現した。

ちゃんと戦争の目的は達成し、しかもその後の日本は、終戦直後の世界の最貧国状態から、ほんのわずかな期間で、世界第2位の「富める国」になった。

おかげで政治家まで「平和ボケ」するくらいの平和と繁栄を手に入れた。

そして日本で生まれた「農林10号」は、病気にも強い最強の品種として、いまや世界中で栽培され、世界中の人々のお腹を満たしている。

神々のお考えは、ボクたち人間にはわかりません。
それは計り知れないことです。

ただ、ほんとうにもしかしたら日本は「神の国」なのかもしれない。
そんな気がします。

元寇のことを言っているのではありません。

日本は、ヨーロッパがまだ旧石器時代だったころに、集落を営み、土器をつくる文化がすでにあった。そのお話は≪世界に誇る縄文文化≫で、ご紹介させていただきました。

8000年前には、布製の衣服を着、うるし塗りの木器を使い、言語があり、集落があり、社会的分業を行い、世界最古の灌漑農業をはじめていた。

いいえ、大昔のことだけではありません。

考えてみると反日政権の村山内閣のときには阪神大震災が起こり、細川政権のときには冷害でコメ騒動が起こり、タイ米を輸入した。そしていま、鳩山政権のもとで口蹄疫事件が起こっています。

そういうことも、もしかしたら神々からの何らかのメッセージだったのではないか。

ソドムとゴモラが神の火によって焼かれたように、神々というのは決して温かいばかりじゃない。ときに厳しく成敗を下すことがある。

これは、別に何らかの宗教上のこととして言っているのではありません。
個人的には、ボクはほとんど無信心者(汗)です。

ただ、小麦のことを考えたとき、なんだかそこに大きな神の意志みたいなものを感じた、と、ただそれだけの話です。

日本は、日本人は、だからこそ、襟を正し、ひとりひとりがしっかりとした国家観を持ち、歴史に謙虚に学び、目先の利益だけにフンドウされることなく、しっかりとした道義心をもって生きなければならない、そんな気がします。

いま、日本は、大切な食料のひとつである小麦を、粒の状態で大東亜戦争の戦勝国から輸入しています。

ちなみに、小麦の生産高だけでいうと、中国が世界第一位です。
しかし中国が「もともと世界第一位」だったわけではなく、戦時中に、「農林10号」を開発した稲塚権次郎さんが、中国の農業指導に招かれ、中国で小麦の改良と指導を行っています。

稲塚さんは、終戦後も中国から「帰らないでくれ」と懇願され、終戦後2年も中国に留まり、本土に復員されたのは昭和22年になってからです。

中国は人口が多いので小麦は国内で消費され輸出はされませんが、いま、中国人のお腹を満たしている小麦は、まちがいなく稲塚さんが開発した「農林10号」の子供たちです。

結局、コキントウさんが食べている餃子も、ラーメンも、日本生まれの小麦です。

ボクたちは、実は、すごい国に生まれたのです。

しかも、そのすごい国が、平和と繁栄と飽食を享受しているという、これまたすごい時代に生まれ、育ち、生きています。

そういうことに、まずは感謝する。
それって、やっぱりとても大切なことだし、感謝するだけでなく、この国のために、そして人類の福祉と共存のために、自分でできることをする。
すくなくとも、世のため、人のために、自分の人生を、ほんのちょっぴりで構わないから、使ってみる。

そんなことが、とても大切なことに思えます。

「農林10号」の開発者、稲塚権次郎さんに関しては、また項をあらためて、詳しく書こうと思います。

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日本の心を伝える会 日心会

陛下と、へりで救出された1200頭の牛の物語

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山古志村の牛の角突き
山古志村の牛の角突き


5月13日に、このブログで口蹄疫に関する、江藤拓(自由民主党・無所属の会)、長島忠美(自由民主党・無所属の会)の質疑の模様をご紹介させていただきました。

長島議員は、口蹄疫で疲弊している宮崎のために政治家が何をすべきか、赤松農林大臣に切々と訴えられました。

以下は、日心会MLで紹介されたお話の転載です。

長島忠美議員は、元、新潟県山古志村の村長さんを勤められた方です。
村長だった当時、新潟で、あの中越地震が起こりました。

そのときのことが、
「天皇陛下が我が町に」(明成社)という本に書かれています。

トップとは如何にあるべきか・・・、困難に直面したときにこそ、その人間性が現れると言うことがよくわかる、良いお話です。

以下にご紹介するお話は、被災地の山古志村を、ご視察される天皇皇后両陛下のお話も含め、この日本という国柄を再認識できるお話です。

天皇陛下が居られる日本の国民でよかったと、両陛下というかけがえのない存在がいてくださる幸せを感じます。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「へりで救出された千2百頭の牛」
   新潟県・山古志村
 
平成十六(2004)年十月十三日、新潟県で中越地震が発生した。
この地震で壊滅的な被害を受けた新潟県の中間に位置する山古志村は「日本の原風景が残る村」としてPRされていたが、その一方で、急速な過疎化と高齢化は深刻な問題だった。

(中略)

実際、地滑りによって東京ドームの六十三個分の斜面が崩れ、国道と県道合わせて百カ所近くの土砂が崩れ、上水道は全壊し、百九十四カ所の棚池、四百六十カ所の水路、千二十九カ所の農業道路が被害を受け、住宅の四十パーセントが全壊していた。

このような絶望的状況の中、当時の村長であった長島忠美さんは、日本初となる全村避難勧告を決断する。

村民二千二百名余りの避難を見届け、最後に長島さんは村を離れた。

当時の長島さんの姿はテレビでも良く放送されていたため、長島さんの名は一躍世に知られるようにもなった。

私たちは、現在は衆議院議員となった長島さんのご厚意により、お忙しい時間をいただいて、お話を伺うことが出来た。全村避難の決意をした時のことを、次のように話された。


「あの時は、自分が情けないのと、何をしたらいいのかわからない絶望感で一杯で、涙が止まりませんでした。

村民を避難させた後、自衛隊の方と村の中を最終点検をすることになりました。

その時、口が裂けても村民には言わないでおこうと思ったことがありました。

二度とこの場所には住むわけにはいかないかもわからない、実はそんな気持ちを抱いてしまったんです。

絶望という言葉は知っていましたが、なにをしたらいいかわからない、何ができるかわからない、というそれが絶望だと思いました。」


その後、避難所に到着した長島さんを待っていたのは、山古志村の村民だった。

長島さんを頼る声や、感謝の声と、被災後の対応への怒りの声など様々あったが、村民と再会した時、長島さんは一つの決意をしたという。


「国破れて山河ありというけれど、その山河がなくなった。
けれど山古志はどこに消えたわけでもない。
今みんながいるここが山古志村だと思いました。

この人たちのためにやらなきゃならないことは何でもやる、できないこともやる、それが山古志を再生する唯一の道だと思いました。」


山古志村へ必ず戻る、長島さんのその決意が前代未聞の牛の避難という決意も生んだのだ。

そのときのことを次のように振りかえられた。

「私たちの戦いは、復旧と同時に中山間地域の過疎との戦いでもあります。

もちろん生活を取り戻さないことには、何にもできませんからそれを最優先で行い、文化的なものは後でいいという議論もありました。

しかし、最終的に私たちは1200頭の牛をヘリに乗せて救出すると言う決断をしました。

これは、お金のことだけを考えてはとてもできることではありませんでしたよ。

ですから、それぞれにとっても大変な決断だったと思います。

でも、牛の命を救うことと文化を守ることは私たちにとっては一つでした。

仮設の闘牛場でもいいから闘牛という文化を再生しようと考えていました。

牛が元気になれば私たちも元気を出せるという思いがそこにあったからです。」


こうして村を取り戻そうとする長島さんに大きな勇気を与えたのが天皇陛下だった。

天皇陛下は皇后陛下と共に、震災より僅か2週間後の平成十六年十一月六日に山古志の被災状況をヘリでご視察になり、長岡市、小千谷市、川口町の各避難所をお見舞いになった。

長島さんは、陛下が視察に来られた時の感動を次のように述べている。


「両陛下がお越しになることは、その二日前に聞きました。

お会いできると思っていませんでしたから、どうしていいかわかりませんでしたよ。

飛行機にお迎えにあがりましたが、頭を下げるだけで何を申し上げていいかわかりませんでした。

新潟空港からすぐヘリに乗って山古志に向かうことになりました。

そして山古志に入り、私が説明する番になりました。

ヘリって騒音が大きくて、通路を挟んでお話ししたらあまりきこえないんですよね。

すると隣に座るように言われまして、陛下のお耳元でご説明することになったんです。

そのとき私は、両陛下のいらっしゃる日本国民でよかったと思いました。
陛下は
『牛はどうしていますか』
『錦鯉はどうしたんですか』ってご質問になるんです。

もちろん我々の事も心配してくれました。


そのあとで言われた

『きれいな村だったんでしょうね』

というお言葉がずしんと胸に刺さりました。

両陛下がきれいな村だったと言ってくださっている村を取り戻さないわけにはいかないと思って、私の勇気を奮い起こしてくれました。」


また避難所のお見舞いでご案内をした山古志村議会元副議長の青木幸七さんは、大事そうに箱にしまわれていた長靴を恭しく見せながらこう話された。

「本当に信じられない光景でした。
いろんな人がお見舞いにこられましたが、陛下の時は、全く雰囲気が違いました。

ホコリまみれの避難所ですが、陛下が入られる瞬間は本当に清らかな雰囲気になりました。

本当に皆感動していました。

両陛下が膝を曲げ、目線を下げて一人一人に話しかけられる姿ははっきりと覚えています。

特に皇后陛下、私たちが用意していた順路を殆ど気にせずに、どんどん中に分け入っていかれる姿が印象的でした。

避難所を出たとき、皇后陛下の膝が汚れておられたので、私が

『皇后陛下失礼します』といって土を払ったんです。

光栄でしたよ。これが、私が陛下を案内した時にはいていた長靴です。

陛下を案内する為に買って、そのときだけしかはいていません。

一生の宝です。」


その姿は実にうれしそうだった。

また、避難所で皇后陛下にお声をかけられた坂牧さんご夫婦にお会いした。

坂牧さんご夫婦は、農作業中だったが、私たちの為に手を休め、話しをしてくださった。

「避難所に来ていただいたことは本当に有り難たかったです。

涙が止まりませんでした。

皇后陛下のお顔が本当に穏やかで、私はそれ以来、両陛下のお写真を家に飾り毎朝両陛下に『今日も穏やかであられますように、私も穏やかな一日をすごせるように努めます』と手を合わせているのです。」

と当時を思い出し、目に涙を浮かべながら話しをしてくださった。

それから、四年後の、平成二十年九月八日、再び両陛下は、山古志をご覧になった。

今度はヘリコプターではなく、直接お歩きいただくことができた。

両陛下は、特産の錦鯉の生産業者や牛の角突きをご視察になられた。

長島さんの話によれば、皇族が山古志にお越しになるのは、有史以来のことだったという。

それだけに、村民の気持ちも高まり、誰が言ったわけでもないのに、全ての家に国旗が掲揚されていた。

このことを長島さんはとても誇らしく話された。

両陛下は山古志でのご感慨を、次のようにお詠みになられた。


天皇陛下 中越地震被災地を訪れて (平成二十年)

 なゐにより
 避難せし牛 もどり来て
 角突きの技 見るはうれしき 
  (なゐ=地震のこと)

皇后陛下 旧山古志村を訪ねて (平成二十年)

 かの禍ゆ
 四年を経たる山古志に
 牛らは直く角合はせる

(かのまがゆ 
 よもせをへたる やまこしに
 うしらはなおく つのあはせる)

(中略)

現在、我が国の中山間地は日本の約七割を占める。

それらの地域では、過疎化や高齢化の問題を抱えつつ、村の維持に苦労を強いられている。

その代表とも言える山古志村では、過疎化や高齢化の問題の上に、大震災、全村避難という苦難を強いられた。

しかし、山古志は僅か四年で見事に復興を果たした。

平成二十年の両陛下のお歌は、その復興の中核を担ったのが牛の角突きであることを鮮やかに謳いあげられたものであると感じる。

復旧作業の苦難の中で、牛の角突きを復活させようと考えた村民の決断を、お歌をお詠みになることで、ご評価なさったように思うのである。

中越地震から五年を経た平成二十一年十月十一日、闘牛場が改修され、その場内に両陛下のお歌を刻んだ御製・御歌碑が建立された。

両陛下に見守っていただいたことへの、村民の感謝の思いがこもっている。
(平成二十年五月二十七日、二十八日取材/竹下博喜)

 〜引用終わり〜
  
◆私がこの本を読んで、感動したもう一つのこと・・。
この本を作った全日本学生文化会議の学生さん達について。

自己の生まれた国とその文化への関心に目覚めた学生達が、日本全国につながりを築きできた「全日本学生文化会議」というグループがあるそうです。

その参加者達は、天皇が我が国至尊の御存在であると覚知し、その所以を知ることが、日本とその文化の根源を知ることだと感じ、その思いにより探求を始めました。

学生達の覚知は、全国をくまなく御巡幸されている両陛下のお姿を実際に拝したことがきっかけとなり起こったそうです。

そういう体験を持った学生達は、尊貴なるものを仰ぐ心が自己の内面に有ることを知ります。

この本は、そうした学生達が、自ら日本全国に足を運こび、全国を御巡幸、被災地をお見舞いされる両陛下のお姿と、陛下をお迎えした人々の反応を取材し、そのままに記述したものだそうです。

国内の御巡幸を通して、両陛下の暖かい眼差しと励ましによって、困難を克服しつつある人々を描き出しています。

また、この本は、その学生達が、即位二十周年という佳節を言祝ぐ志からできたもので、平成二十年三月に調査を開始し、平成二十一年十二月二十三日、天皇誕生日が初版第一刷となっています。

その学生が書いた、あとがきの一節をご紹介します。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

日本という国は、天皇陛下の国民に対する深い御心と、それに感謝しお応えようとする国民のまごころによって発展している国ではないかということに気がつきました。

自虐的史観に基づく謝罪外交、自然災害、社会全般を揺るがす様々な事件に直面する度に、それらを乗り越え、日本を支える原動力となっているのが、皇室と国民の心の交流だったのです。

そのことを一人でも多くのかたに知っていただきたく、ここに取材の成果を一冊の本にまとめさせていただきました。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

私は、両陛下の御巡幸に触れた学生さんの素直な感想に、この国のあるべき姿が見事に書かれてあるのに驚くと共に、この国をいつまでもこの様な国柄のまま守るためにも、両陛下の御心に添う人間でありつづけたいと思いました。

この学生さんが言うように、自虐史観が蔓延する戦後の日本に住む我々が、正しい日本人の誇りを取り戻すためにも、両陛下の御心に触れるように「勅語」の復活が望まれます。

私には陛下の御心に触れ勇気を貰った長島さんの活躍と、今は宮崎の東国原知事の奮闘振りがダブって見えます。

ヘリで大切な牛を運び守った長島さんのように、知事が宮崎の宝の種雄牛を守れますように、宮崎の口蹄疫被害が一日も早く治まりますようにと祈ります。

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スエズ運河を造った男たち
チャンドラ・ボーズ
小灘利春元海軍大尉の遺稿
渡邊美光上等飛行兵曹の遺稿
世のために生きる・田島道治
重き荷を背負いて・・・玉井浅一
自転車で転んで農機具発明・・・佐藤忠次郎
二千人の命を守った警部・・・廣枝音右衛門
日本こそアジアの盟主・・・山鹿素行
実在した怪傑ハリマオー
勝利の要諦は至誠と愛情と情熱・・・藤原岩市陸軍中佐
六十年の時を経て届いた手紙・・・長田和美中尉
日本を救った古代の英雄・・・大伴部博麻
西郷頼母と姿三四郎
昭和の巌流島決戦・・・国井善弥
会津藩の二人の女性・・・中野竹子と瓜生岩子
古くて新しい中江藤樹郎
稲むらの火・・・浜口儀兵衛
なにくそ!・・・早川徳次
身を投げ出して乗客の命を救った車掌・・・鬼塚道雄
新手一生・・・升田幸三
不屈の精神とユーモア・・・高崎弥生さん
男の生きざま・・・山下太郎
老農と呼ばれた男・・・石川理紀之助
宮古湾海戦と甲賀源吾
不自惜身命・・・小原竹五郎と江崎邦助
白虎隊と歴史への姿勢
名将、山口多聞
社員は家族だ・・・出光佐三
人情と情けの人・・・小園安名大佐
戦時下のノーヒトノーラン・・石丸進一
滅んでも勝つ・・・山川大蔵
良心を生きた人生・・・新島襄
天祐ハ常ニ道ヲ正シテ待ツベシ・・・長瀬富郎
ライト兄弟より早く飛行機を飛ばした日本人・・・二宮忠八
単騎シベリア横断・・・福島安正
一死をもって責任を貫く・・・石黒小右衛門
愛のかたち・・・快心隊隊長藤井一少佐
歴史から学ぶべきこと・・・広瀬武夫中佐
人情と情けの人…小園安名大佐
プロ野球の特攻隊員・・・石丸進一
滅んでも勝つ…山川大蔵
へりで救出された1200頭の牛の物語
38年間無報酬で働いた村長・・・鎌田三之助
石門心学と石田梅岩
竹カゴとカーボンナノチューブ・・・飯島澄男博士
なりあき少年物語

≪戦後教育の常識を疑え≫
白旗の少女
ちいさくても強いサムライ
赤穂浪士の真実
日本は一国一文化
日本刀と鉄砲伝来
貧農史観というウソ
これでもあなたは日教組に子どもをまかせられますか
聖徳太子と十七条憲法
ハーグ陸戦条約

≪戦記≫
義和団事件とコロネル・シバ
アロハ・オエ
パラオ・ペリュリュー島の戦い
アッツ島の戦い
グアム島の戦い
タラワ・マキンの戦い
拉孟の戦い
騰越の戦い
占守島の戦い(1)
占守島の戦い(2)
回天の志
回天・後日談
マレー沖海戦と戦艦大和
勇敢で高潔で誰からも好かれた日本軍人
三宮事件
日清戦争
日露戦争・・・亡くなられた方の気持ち
日露戦争の勝利はアジアの偉大な救い
日本軍の蛮行・・・デビンティンギ事件
戦争の体験談
義烈空挺隊を忘れるな
第二次上海事変
石頭予備士官候補生の戦い
沖縄の二人の知事・・・泉守紀と島田叡
セヴァストポリの戦いと旅順要塞戦
天誅組に学ぶ、尊王攘華、尊王攘韓
セヴァストポリの戦いと旅順要塞戦
サイパンの玉砕戦(1)
サイパンの玉砕戦(2)
アンガウルの戦い

≪大東亜戦争≫
開戦の詔勅と終戦の詔勅
大東亜戦争に勝利した日本
日本に手を出した国は、必ず滅びる
大義のために戦った日本
12月8日を記憶せよ
大東亜戦争に関する各国の評価
日本の再生こそ世界を救ふ
公正な世界を目指して戦った日本
日本兵の手紙
戦没者の遺書
玉砕までして戦った理由
英霊たちが守ろうとしたかけがえのないもの
植民地支配への戦い
腰の軍刀は竹光か
バシ―海峡の慰霊
戦没者の遺書
インパール作戦とパル判事
五族協和を目指した満洲国
南京の攻防
体験的歴史の真実
B−29との戦い
サンフランシスコ条約と日本
伊58潜水艦と原爆のお話
駆逐艦「雪風」の幸運

≪事件≫
通州事件
尼港事件
斉南事件
通化事件に学ぶ国を失うことの過酷
ノモンハン事件
盧溝橋事件
リットン調査団
重慶空爆
満洲国開拓団の殉難
沖縄の集団自殺の虚構
小野田寛郎さんが語る従軍慰安婦
南京大虐殺というデタラメ
慶長の爆弾三烈士
北条時宗と元寇
大津事件
天狗党の乱
天誅組に学ぶ、尊王攘華、尊王攘韓
刀伊の入寇と竹島

≪台湾≫
台湾2・28事件
日本の台湾統治
日本の台湾統治の真実
台湾・高砂義勇隊

≪支那≫
支那人の残虐性
支那人の“避諱”観念と虚言
支那「日本支配工作要領」
支那に支配された国の実情
「日本は唯一の被爆国」に隠された嘘
支那の盗掘
カネを吸い取られ続ける日本企業
ロシアも怒る支那のパクリ
支那・文化大革命の恐怖
女真族と満洲の話
いまなお続く法輪功弾圧
停車場
カナダの悲劇 中国移民に占拠されたバンクーバー
支那人による日本買占めの恐怖
支那・国防動員法

≪韓国≫
「警戒」を「差別」とすり替える在日朝鮮人
従軍慰安婦問題
在日コリアンたちの本音
犯罪をしたら日本人になりすませ
民団の驚くべき活動
李氏朝鮮の時代(1)
李氏朝鮮の時代(2)
閔妃殺害事件
関東大震災の記憶
朝鮮進駐軍の非道を忘れるな
李氏朝鮮時代の刑罰
在日朝鮮人
韓国建国の英雄
ダライラマの法話で見た韓国人の民度の低さ

≪その他の国≫
アンコール遺跡とカンボジア
ビルマの近代史
アフガンの地雷
二つのアメリカ
ハバロフスク事件顛末(1)
ハバロフスク事件顛末(2)
ハバロフスク事件顛末(3)
シベリアのトイレ
ウクライナ物語
地上の楽園のウソ
インカ帝国の滅亡

≪メディアの偏向≫
毎日新聞英語版のあまりにひどい報道
マスコミが反日になっている理由

≪時事≫
自国の防衛は自国で
日教組に立ち向かえ
外国人参政権
政治資金規正法
竹島問題の真実
夫婦別姓などもってのほか!
子供手当が在日外国人の母国に残した子供にも出る?!
奴らを許すな
中国産新型エイズの恐怖
口蹄疫問題に関する衆議院の質疑の模様
口蹄疫は韓国の陰謀という噂の真相を問え!

≪コラム≫
日本の心をつたえる会
階級闘争主義と信頼主義
「ススキ」と「セイタカアワダチソウ」の戦い!
大麻についての考察
日本人が知らない資源のお話
悪は断じて許さないという心が大切
犬種と人種
ヤプー人の伝説
文化は武器より強し
小学生の妊娠
ギリシャ神話と日本の心
もうひとつの赤穂浪士・矢頭右衛門七
伊勢神宮の式年遷宮
近世のニッポン
正しい万歳
持てる力のすべてを未来への建設に傾け
日本国憲法を否定せよ
華僑と植民地統治について
いくつかの主張
歴史に対する姿勢
仁徳天皇陵を大仙陵と呼ぶまやかしを許すな
ニホンミツバチの勇気ある行動
「理論」と「心」と「都合」のお話
軍艦島のお話
伝書鳩物語
元来日本社会は窮屈、でも窮屈ゆえに安心
Made in Occupied Japan
日本再生のために民度の向上を
地方行政とゴミ処理問題
消えた歴史
核のお話
やまと新聞を守れ
ブログの拡散効果
たった一度の敗戦で日本を失ってはならない
魚沼産コシヒカリ物語
小麦のお話
中国四千年の歴史という馬鹿げた妄想
世界四大文明の嘘
縄文人と渡来人の相克
世界に誇る縄文文化
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ねずきち

Author:ねずきち
日本が好きです。ていうか人間が大好きなのかな。心って、ものすごく大きなこともなしとげる。その時代時代に、真剣に生きた人たちから学ぶこと。歴史って、いまを生きる人が過去に学ぶためにあると思う。だから、歴史にIFは禁物だなんて思わない。歴史を学び、もし〜だったらと考えることで、人は何かを感じることができるんだと思う。

政治に混迷が続く中で、もういちど私たちは過去を振り返ってみる必要もあるのではないか。そうすることで、もしかしたら一条の新しい光を見出すことができるのかもしれない。

このサイトで扱っている動画はYouTubeにアップロードされているもので版権物の知的所有権は、それぞれの著作者・団体に帰属してます。問題があればすぐ削除しますので、

nezu@nippon-kokoro.com

までメールでご連絡ください。

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コメントをくださる皆様へのお願い
いつもたくさんのコメントをいただき、ありがとうございます。
ほんとうに皆様のコメントが、ねずきちにはとっても嬉しく、かつありがたく拝読させていただいています。

議論というものは、すくなくともこのブログのコメント欄が、国政や地方自治、あるいは組織内の意思決定の場でなく、自由な意見交換の場であるという趣旨からすると、互いに互譲の精神を持ち、相手を尊敬する姿勢、ならびに互いに学びあうという姿勢が肝要であると存じます。

ねずきちは、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

従いまして、謙譲・互譲・感謝、そして学ぶという姿勢のない連続投稿、粘着投稿に類する投稿をされた方については、以後のコメント書き込みを、管理人であるねずきちの判断で投稿の禁止措置をとらせていただきますので、あしからずご了承ください。
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中山先生ブログ:http://nakayamanariaki.cocolog-nifty.com/blog/ Twitter:http://twitter.com/nakayamanariaki
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ねずきち並びに日心会について、中傷やご批判をしている特定の方々には、専用のトピを立てています。
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なお、下のURL以外の場所では、他のコメンテーターの皆様にご迷惑となりますので、中傷非難の書き込みはご遠慮ください。
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伊勢神宮式年遷宮奉賛金寄付について
日本の心をつたえる会では、20年に一度行われる伊勢神宮、式年遷宮のための寄付を会として行っています。
平成23年末まで、みなさんから寄付を募り、日心会としてこれをとりまとめて伊勢神宮に寄付を行います。

■関連記事
「伊勢神宮の式年遷宮に
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■ゆうちょ銀行からお振込
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記号   10380
番号   57524261
口座名
   日心会式年遷宮奉賛金事務局
(ニッシンカイシキネンセンク゛ウホウサンキンシ゛ムキョク)

■他の金融機関からお振込
銀行名  ゆうちょ銀行
支店名  〇三八
(読み:ゼロサンハチ)
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口座番号 5752426
口座名
   日心会式年遷宮奉賛金事務局
(ニツシンカイシキネンセンク゛ウホウサンキンシ゛ムキヨク)

神宮遷宮は、1300年間行われ続けた伝統行事です。
日本の歴史では、古来国家の歳費で行われてきましたが、これが歳費で行われなかった時代が2つあります。
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