日本に手を出した国は必ず滅びる・・・それが歴史の事実です。 日本は相互信頼主義を根本とする国です。 命をかけて戦った先人たちの努力を見直し、日本の素晴らしさを再認識して、階級闘争主義の汚染から日本を守ろう。

本気で日本を解体しよとする奴らを許すな

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コウズザクラ


昨日、ある議員の方から聞いて愕然としたことがあります。

今年2月に、埼玉のアリーナで「友愛公共フォーラム発会記念シンポジウム」という会合が開かれた際の発言です。
もうご存知の方も多いかもしれない。

それは、鳩山総理の施政方針演説などの重要演説の草案を書いている平田オリザ内閣官房参与と、松井孝治官房副長官の、シンポジウムでの対談です。

そのシンポジウムで、この二人から次の発言が飛び出したというのです。

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【平田オリザ氏】
鳩山さんとも話をしているのは、21世紀は、近代国家をどういう風に解体していくかという百年になる。

しかし、政治家は国家を扱っているわけですから、国家を解体するなんてことは、公にはなかなか言えないわけです。

それを選挙に負けない範囲で、どういう風に表現していくのかっていうことが僕の立場です。

【松井孝治氏】
要はいま、平田さんがおっしゃったように、主権国家が、国際社会とか、地域の政府連合に、自分たちの権限を委託するっていう姿・・・流れとしてはそういう形になっているし、そうしないと、解決できない問題が広がっている。

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この発想の延長線上に、外国人参政権付与、東アジア共同体構想、夫婦別姓、戸籍廃止、沖縄米軍基地の海外移転などが重なると、その先に見えてくるのは、日本という国家を解体し、日本を中共の属国にしてしまおうという野望が、明確に見えてきます。

民主党や社民党が、国家解体を進めようとしているなら、彼らは日本国に対する破壊活動集団です。

どうりで口蹄疫に関しても何もしない、何も動かないわけです。

もはや民主党は、国家解体のテロリスト集団、テロリスト政党とみなして良いのではないか。

参院選は、7月11日が投票日となる模様です。

もはや、この選挙は、日本の政党同士の戦いではありません。

日本破壊を目論むテロリスト対、日本を守る護国の戦いです。

民主党というのは、国家破壊主義者と、選挙に勝つことだけを目的としたご都合主義者が合体した政党です。

いっけん耳触りのよい言葉の羅列で、国民の眼をあざむき、その実、わたしたち国民を、他国に売り渡そうとする破壊集団でしかない。

中山成彬先生は、ご自身のブログで次のように書いておられます。

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そもそも、「国民のため」とか、「平和、人権、福祉」とかいった、誰も反対できない言葉を多用する政党や政治家はあまり信用しない方がいい。

それにしても、選挙に大勝して政権交代したのだから何でも許されるのだといわんばかりの言動には「ちょっと、それは違うよ」と言いたくなる。

昨年末、天皇の国事行為に関する小沢氏の発言には驚かされたが、「天皇の象徴としての地位は主権者たる日本国民の総意に基づく」と憲法に書いてあっても、それは一回だけの選挙の結果(総意?)ではなく、過去、現在、未来の日本国民の総意に基づくものなのである。

権力者たる者は、その権力の行使に当っては、ひたすら謙虚でなければならない。

・・・・・・・・・・・・

目くらましをくらった中で参院選を迎え、民主党が過半数を制するということになれば、その後に予想されるのは小沢強権政治であり、日本解体法案の成立と共に日本は一挙に亡国の途を辿ることになるだろう。
 
新党乱立は民主党を利するだけである。民主党の単独過半数を阻止するには、やはり自民党が中心となって、保守陣営が一つになって戦うしかない。今、自民党には日本の将来がかかっていると言っても過言ではない。自民党は早急に国民の信頼と求心力を取り戻さなければならない。

≪中山成彬「建て直そう日本」≫
http://nakayamanariaki.cocolog-nifty.com/blog/

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その通りだと思います。

いまは、保守同士で、細かな対立をしているときではありません。

まさに小異を捨てて大同団結すべきときです。

そのことを強く申し上げたいと思います。

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口蹄疫「とっくに涙も枯れた。声を出して泣いた」涙のインタビュー


日本の心を伝える会 日心会

サイパンの玉砕戦(2)

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バンザイクリフの両陛下
バンザイクリフの両陛下


昨日に引き続き、サイパン島の玉砕戦について書いて行きます。

昨日の記事の最後のところで晴気少佐の遺書をご紹介しました。
晴気少佐は、参謀です。

軍に参謀というのは、国家における国会に等しいものです。
国会は立法者です。参謀は軍の作戦の立案者です。

そして日本の晴気参謀は、自身が立案した作戦の失敗に対し、立派に割腹して責任をとった。

まさに参謀にとって作戦は、戦地における兵士たちと同様「命をかけた」作戦です。
いまの国会に、命をかけて国政を担うものはいるのか。
普天間の右往左往で日米を振り回した総理は、その責任をとって割腹することはないのか。その覚悟があるのか。

口先だけの金儲け主義政治屋に本当に政治が務まるのか。
そんなことをあらためて考えさせられます。

さて、話を昭和19年6月18日に戻します。

なんとかしてサイパン島で戦う兵士達、および被災している民間人たちを助けようと、東条英機首相は、米艦隊の重包囲をおして、救援を差し向けようと「あ号作戦」を発動させます。

しかし、作戦のために出撃した日本側の機動部隊は、マリアナ沖で敵の物量の前に大敗を喫し、18日から19日にかけてのたった2日間で、艦載機400機を失ってしまいます。

これにより、帝国海軍航空部隊は無力化され、完全に制空権を失ってしまう。

マリアナ諸島の日本軍は孤立し、サイパンにいた3万の日本軍は、24日の時点では、重傷者ばかり、わずか6000名が残るのみとなってしまう。

島の守備隊の斉藤中将は、海岸防備から籠城戦に作戦を切り替え、島の中部の山岳地帯にあるタポチョ山に防御線を敷いて、洞窟を利用した抵抗戦を開始します。

この間、山岳地帯に籠城して戦う日本軍の前に、米軍のサイパン島攻略戦は、20日以降、まるで進撃が進まず、死傷者ばかりが続発するという事態になります。

この米軍の戦闘の模様は、ジャーナリスト達によって、逐一米国本土で報道されていた結果、米国本土では、世論が沸きたち、大部隊によって「楽勝」だと宣伝していた米軍に対し、世論の非難が集中します。

このため、米軍は、攻撃手であった第27師団長のラルフ・スミス少将を更迭している。

普通なら、瀕死の重傷として病院のICUで絶対安静を言い渡されるくらいの重傷を負い、食べるものもなく、火力もない6000の日本兵対、うなるほどの火力を備え、日本の11倍の大兵力を持ち、空と海からも援軍を得ていた米軍が、島中央部で互角に戦ったのです。

島の守備隊の敢闘精神や、讃えるべしです。

しかし空爆によって防衛ラインを破壊され、火炎放射機によって洞窟を焼かれた日本は、6月27日には、ついにタッポーチョ山を米軍に占領され、島の北側にあるサイパン最大の街、ガラパン市街に逃れる他なくなるという事態になります。

市街は、民間人が多数いるところです。
民間の施設もあれば、中立的医療施設もある。

こうした市街戦を行う際は、本来なら、ここでも民間人の避難のための警告と避難のための時間を、本来は攻守軍、ともに充分与えなければなりません。

しかし、米軍は、容赦なくガラパン市街を空襲し、艦砲を撃ち込み、陸戦隊によって銃撃を加えた。

このため、2万人の民間人がいるガラパン市街で、必死で民間人を守ろうとする日本軍と、民間人、軍人の区別なく容赦ない攻撃を加える米軍との間で、6月28日からなんと5日間にわたる激戦が繰り広げられることになります。

そしてついにガラパンも墜ち、日本軍と民間人たちがついにサイパン島最北部にあるマッピ岬まで逃れる。

しかしそれでも、ガラパンの街の中の倒壊した家屋の中には、多数の日本兵が隠れ、陸続と侵攻してくる米軍を撃ち、手榴弾を投げ、銃剣で刺し、米兵をその場に釘付けにします。

ここで、サイパンにいた民間人について触れておきます。

米軍迫る、との情報に基づき、サイパンでは、軍が民間人の疎開を勧奨します。
米軍が来る前に、なんとかして民間人を先に避難させようとしたのです。

このため、サイパン戦がはじまる前の3月3日に、「あめりか丸」と「さんとす丸」、5月31日には「千代丸」という船に島民を満載して、疎開をさせている。

ところが、この船は、疎開用の非武装船の旗を掲げていたにも関わらず、米軍の潜水艦によって撃沈され、沈没。乗員はほぼ全員が行方不明(死亡)となっています。

その状況では、それなら兵隊さんと一緒に島に残って、なんでもいいからお手伝いしよう。そう思うのが人情というものです。

実際、島に残留した民間人2万人は、最後まで日本軍を信じ、ガラパンを失ったあとも、日本兵について島北部にあるマッピ岬まで逃れてきた。

一方で、米軍に拿捕された民間人も多数います。

その人たちについて、サイパンの戦いに従軍した田中徳祐陸軍大尉(独立混成第四七旅団)が、次の目撃談を残しています。

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米軍は、拡声器をいくつもすえつけ、一日中、「米軍は虐待しません。米軍によってよい待遇が受けられます。みなさん投降してください」と呼びかけた。

しかし、その呼びかけを信じて洞窟から出てきた婦女子は、全員が素っ裸にされ、数台のトラックに積み込まれた。

「殺して!」「殺して!」の絶叫を残してトラックは走り去った。

滑走路に集った老人と子供の周りにはガソリンがまかれ、火がつけられた。
たちまち阿鼻叫喚のちまたと化した滑走路。

我慢ならず我兵が小銃射撃をしたが、米軍は全く無頓着に蛮行を続けた。

火から逃れようとする老人や子供を、米兵はゲラゲラ笑いながら火の中へ蹴り飛ばしたり、銃で突き飛ばして火の中へ投げ入れた。

二人の米兵は、草むらで泣いていた赤ん坊を見つけると、両足を持ってまっ二つに引き裂いて火中に投げ込んだ。

「ギャッ!」といふ悲鳴を残して蛙のように股裂きにされた日本の赤ん坊とそれを見て笑う米兵士。

こんなに優勢な戦闘にも拘らず、米軍は毒ガス弾(赤筒弾)攻撃まで仕掛けてきた。

マッピ岬では、岩の間に一本の青竹を渡し、それに裸にされて股から串さしにされた婦人を見た。

自分と同じ洞窟に居た兵士や住民が、五体をバラバラに切り刻まれて倒れているのを眼前に見た。

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結局、日本軍はマッピ岬のある島の北端に押しこめられます。
約2万人の日本民間人も、日本軍とともにマッピ岬周辺まで逃れてきます。
日本の民間人たちにとって、この情況下で頼れるのは、日本軍だけです。

洞窟の外では、米軍の砲弾が炸裂し、走り回る戦車のキャタピラ音、機銃の掃射音、火炎放射機の焦げた油の臭い等で、この世のものとは思えぬ惨状がくりひろげられています。

逃げのびる日本兵と民間人たちには、女子供老人の区別なく、水も食べ物もない飢えとの戦いが何日も続いています。

7月6日、日本軍最期のときを迎えて、南雲中将、斉藤中将以下陸海軍の最高首脳は地獄谷と呼ばれる司令部壕内で、敗戦の責任をとって、自決します。

陸海二人の将官を失った守備隊本部から、この日、次の2つの命令書が出されます。
命令書は謄写版で印刷され、壕の外を通る将兵に手渡された。

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【命令書1】

今や止まるも死。進むも死。
人の死生はすべからく、その時を得て、帝国男児として本懐なり。

今ここに米軍に一撃を加え、太平洋の防波堤としてサイパン島に骨を埋めんとす。

戦陣訓に曰く「生きて虜囚の辱めを受けず」。

勇躍全力を尽くして従容として悠久の大儀に生きるを悦びとすべし。

ここに将兵とともに聖寿の無窮、皇国の弥栄を祈念しつつ敵を索め進発す。続け。

【命令書2】

サイパン守備隊は先に訓示せるところに随い、
明日7日、米鬼をもとめて攻勢に前進し、

一人よく十人をたおし、以て全員玉砕せんとす。

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この命令書は、南雲中将、斉藤中将の起草のように言われますが、ちがうと思う。

おそらく、ふたりの尊敬すべき最高首脳の自害に立ち会った副官が、壮絶な覚悟のもとに玉砕戦を呼び掛けたというのが実際のところなのではないだろうか。

命令書は謄写版で印刷され、壕の外を通る将兵に手渡されていきます。
玉砕命令は口伝えに生き残りの将兵に伝えられます。

7月7日、マッピ岬から約5キロ南方のマタンシャに集結したのは、静岡・名古屋・岐阜で編成された第四三師団を中心とした3000名です。

一説によれば、この時点で生きていた日本の将兵は1万人程度だったともいいますが、片手片足がなくなっていても、とりあえずこの時点で歩行が可能だった、もしくは「動ける」者が、約3000名だったといういうことであろうと思われます。

サイパン戦に終始従事した加賀学氏は、当時の様子を次のように振り返っています。

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大半は何のための集合かも知らず、

「ガラパンに友軍が上陸するから、北方からも進撃する」とか
「玉砕突撃だ」
「ガラパン奪回だ」とかささやかれていた。

そうして集まった“最後の兵”たちも、小銃を持つ者は少なく、特科兵(大砲や戦車などの兵)や軍属は竹竿や木の枝に鉄棒や帯剣を付けた槍を持ち、素手の者は手榴弾を吊っているのみというありさまだった。

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3000名は、三つのグループに分かれ、それぞれ生き残りの佐官クラス(少佐、中佐、大佐)が指揮し、ガラパンのアメリカ軍陣地へ向けて突撃します。

指揮官の一人だった平櫛孝氏(第四三師団参謀、中佐)は次のように書いています。

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7月7日午前3時30分を期し、ワーッと喚声をあげて米軍に向かって突進した。

私とともに山際を進む者は約千名。
小銃を持たぬ兵もいる。

この突撃は、はじめからその効果を期待しない突撃だ。

世によく「万歳突撃」というが、そんな浅薄なものではない。
アメリカ側は“狂気”というが、むしろそれに近い。

しかし、病的な狂気ではない。
十分に己れをコントロールして、誰からも強いられたものではない「狂気のごとくみえる本心」からの行動である。

したがって突撃前進の姿勢も大きい。

敵との距離が150メートルにせまっても誰も伏せもしない。

アメリカ側でも、この戦闘の基本動作以前の突撃に面食らったのか、たちまち今までの静寂を破って、赤、白、緑、黄の曳光弾とともに機関銃をアメあられと撃ちこんできた。

(「第四十三師団サイパン玉砕戦」所収)

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この突撃を目の当たりにした米国人ジャーナリストのロバート・シャーロッドは、このときの模様を次のように書いています。

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この日本軍の大逆襲がおわったとき、山と重なった日本兵の死体は、タラワ島の玉砕戦の場合よりもさらに密度が高かった。

すなわち、幅300メートル、長さ約2000メートル足らずの場所に、およそ2000名の日本兵の死体が横たわっていたのだ。

そしてある場所では、これらの死体は四段に高くかさなりあっていた。

私の推測では、四人のうち一人の割合で自殺をとげていた。

そしてここでも、自殺の証拠は右手と胸部が吹飛ばされて、死体からなくなっていることであった。

鉄道の土手の反対側には、少なくとも40名の日本兵の死体が、これまた地上に横たわっていた。

しかし、その付近に小さな家があり、その床下にはさらに何人かの日本兵の死体があった。

私は死体の数を6個まで数えたが、たぶんそこには1ダースぐらいあったであろう。

私の見たこれらの死体は全部、自決したものであって、いずれも自分の手投げ弾によって、その右手はもぎ取られ、胸部または首は吹きとんでしまっていた。

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一方、マッピ岬に取り残された民間人は、岬からつぎつぎに身を投げて自決しました。

あるいは断崖を降りて円陣を組み、手榴弾で集団自決しました。

ある者は幼子を抱えて入水して命を絶ちました。

日本民間人の玉砕のもようは、米軍の目前でくりひろげらます。

マッピ岬は、後にバンザイ・クリフと呼ばれるようになりますが、このとき、岬から身を投げた民間人は、最低でも8000人だったといいます。


サイパンの戦いで玉砕した日本軍は41,244名です。

そして重症のため、米軍に捕獲され、捕虜となったのが、2438名。

米軍の死傷者は、公称で、戦死3441人、負傷11,465人です。

ただし、初日の死傷者はこの数に含まれず、戦傷して病院に担ぎ込まれたあとに死亡した者は戦傷者、治療のあと隊に復帰した者は戦傷者に含まれていないことからすると、米軍の死亡者は、約15000人であろうかと思われます。


戦争は悲惨なものです。
絶対にふたたび起こしてはならないものだと強く思います。

しかし、だからといって、軍備そのものまでなくていいということにはなりません。

先日、日本に核が落とされたのは、その時点で「絶対に日本から報復される惧れがなかったからだ」と書かせていただきました。

そういうものなのです。

サイパンで、民間人の婦女子や老人、子供が、ひどい目に遭わされました。

それは、最早その時点の日本側守備隊、あるいは日本本国から、報復の惧れがまったくなかったからなのです。

もし、サイパン戦の時点で、日本に強大な軍事力があり、米国本国への巨大は報復力があったなら、米軍は民間人の家屋への爆撃や艦砲射撃はできなかった。

なぜなら報復の恐怖があるからです。

こういうことを書くと、歴史にIFは禁物だよ、という声が聞こえてきそうです。
しかし、誤解を恐れずにいうならば、歴史はIFをもって学ばなければ、現在や未来に役立たない。

「ボクはケンカはしません」ということは、立派な心がけです。

しかし、だからといって体を鍛え、何ものにも負けない強い体と心を鍛えることを怠ったら、万一のときにあなどられるだけです。

国家でもおなじことです。

スイスは永世中立を宣言しているから責められないのではありません。

万一の場合、スイス人全員が最後のひとりまで武器を持って戦うとしているから、そんなヤバイところを誰も責めようとは思わないのです。

サイパン戦は、悲惨な戦いです。

しかし、悲惨だからといって、そこから目をそむけるのでなく、二度とそのような悲惨が起こらないよう、平素から120%の準備を怠らないというのが、本来の国家のあるべき姿だと、ボクは思います。

ちなみに「右翼」というと、戦後世代の我々は、なんとなく戦争礼賛者たちという印象を持っている人が多いようです。
ネトウヨとか、ミギというだけで、戦争主義者みたいな印象にされている。

けれども、それは違います。断じて違う。

チョーセンウヨクの連中はどうかしらないが、ホンモノの右翼というのは、戦争の悲惨さをよく知っている。

だから戦争が嫌いです。
だから二度と悲惨な戦争が起こらないよう、備えを十分にしようとする。
過去を踏まえて、未来に備えようとする。

軍備を持つからイケナイのではないのです。
武器を用いて威嚇して他人に言うことを聞かせようとする無法者が現にいるから、日ごろから備えを充分にして、武器を持っている無法者達にすきなようにさせない、強い心を持った人たちが、ホンモノの右翼です。

ですから右翼というのは、誇るべき言葉です。
ボクはそう思っています。

平和は大切なことです。
しかし、平和を守るためには、口先だけで一国だけにしか通用しない平和主義のお経をいくら唱えても、ダメです。

ちゃんと自国の民は自国で守るという強い心と具体的備えがなければ、日本は潰れてしまう。

そう思います。

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サイパン島玉砕 5


日本の心を伝える会 日心会

サイパン島玉砕戦(1)

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サイパン島最大の町ガラパン
サイパン島最大の町ガラパン


サイパンの玉砕戦について書いてみようと思います。

ご存知の通り、サイパンは北マリアナ諸島にある島です。

面積は、115.39km²ですから、岐阜県美濃市、土岐市、福井県なら、あわら市、北海道 の滝川市、千葉県の柏市、神奈川県なら小田原市、愛知県なら一宮市と同じくらいの面積の小さな島です。

この島で、昭和十九(1944)年六月十五日から七月九日にかけて、日米の大激戦が行われました。

もともとサイパンは、気候もよく、高温多湿で気温変化が少ない海洋性亜熱帯気候の常夏の島です。

一年中泳ぐことができ、海水の透明度は世界一といわれるくらいの美しい自然を持った島です。

南洋諸島にもともと暮らしていた人々は、もともと武器を持たず、所有の概念がなかったといいますから、おそらくは、サイパンの人々も、長年にわたって平和な暮らしをしていたのだろうと思います。

そこに、1521年、日本では武田信玄が生まれた年の3月6日、マゼランがやってきます。そして1565年には、マリアナ諸島全域の領有を西欧諸国に布告する。

以降、サイパンは、三世紀に渡ってスペインの統治下におかれます。

統治するスペイン人と、抑圧されたチャモロ人との間には、数限りない戦いがあったようです。

しかし、1695年、スペインは、サイパン以北のマリアナ諸島の島民全員をサイパン島に強制移住させたあと、3年後にサイパン島の島民を含む全員を、グアム島に強制移住させています。
おかげで、サイパン島は、この後、約120年間、無人島となっています。

他国に支配されるというのは、こういうことなのです。
日本でもいま対馬に韓国が、沖縄に中共が触手を伸ばしてきています。

「まさか」が現実になるのです。日本本土も同じです。

清王朝は、もともと満洲人たちの王朝です。
大清帝国を打ち立てたヌルハチは、満人たちの保護を図るために支那に攻め込み、そこに王朝を樹立します。そして万里の長城から北側、つまり満洲の地に「漢人立ち入るべからず」の高札を建てた。

その後200年にわたって安住の地となった満洲は、清国の崩壊とともに漢人たちに蹂躙されています。

なんと、人口わずか300万人の満洲人の居留区(満洲)に、2700万人の漢人たちが押し寄せた。
そして今度は、自分たちの方が人口が多いからと、漢人による満洲の統治を要求します。
それを認めたらどうなったか。
彼らは満人たちに、何十種類もの税金を課し、5年先の税金までも武器を手にして強硬に取立ます。
しかも税を取り立てる税吏は、政府が要求する税金以上に取立ができたときは、多く取った分は、自分のフトコロに入れてもいい、とした。

結果、満洲人たちは、まる裸にされてしまいます。

周囲が騒然となり、暴動や暴行が近所で日常的に行われるようになったら、我が家は我が家で守らなくちゃならないのは、当然のことです。
でなければ、家族全員が殺されてしまう。

国を守るということは、私たちの生活と未来の子どもたちの生命と財産を守るということなのです。

ごめんなさい。話が脱線しました。
サイパンに話を戻します。

無人島となったサイパンに、1815年、ナポレオンがヨーロッパで戦い、日本では南総里見八犬伝が刊行された頃、サイパンには、カロリン諸島のサタワルから酋長アグルブに率いられた一団が移住し、人が住むようになります。

1898年、スペインはアメリカと戦い(米西戦争)、敗北して賠償金の支払いのために、マリアナ諸島をドイツに売却します。

ドイツは、マリアナ諸島にはあまり興味がなかったらしく、サイパンなどは、流刑地にしています。ずいぶんと待遇の良い流刑先です。

大正三(1914)年七月、第一次世界大戦が勃発します。
この年の十月には、連合国側であった日本が、ドイツ軍を蹴散らし、赤道以北の南洋諸島全体を占領します。

そして、大正九(1920)年には、マリアナ諸島他、赤道以北の太平洋諸島は国際連盟から正式に日本が委託を受けた日本の委任統治領となります。

この頃、サイパン島は、日本の地図には「彩帆島」と表記されています。

日本は、サイパンに、南洋庁サイパン支庁を置き、サイパンは内地から南洋諸島に出かける玄関口としておおいに栄えます。

昭和十八(1943)年八月時点のサイパンの人口は、

日本人(植民地の台湾人、朝鮮民族含む)
   29,348人
チャモロ人、カナカ人
    3,926人
その他外国人 11人
となっています。

大東亜戦争は、日本対米・英・豪・仏の太平洋をめぐる戦いでもあったわけですが、緒戦で日本軍に大敗し、フィリピンや、東南アジア諸国、太平洋で、あっという間に駆逐され、追い出されてしまいます。

なにせこの頃の日本軍の強さは、鬼神もこれを避けるというくらいのすさまじいものです。

駆逐され、排除された米国は、豪と結び、チェスター・ニミッツ提督率いる太平洋艦隊と、レイモンド・スプルーアンス提督率いる中部太平洋艦隊、それと新しく大統領令によって編成された南西太平洋方面軍の大部隊で、日本に対抗します。

よほど日本軍が怖かったのでしょう。

米国は、豪と組み、空母15隻を含む750隻の大小艦隊と、10万の歩兵部隊、約25万の水兵を包含した大部隊で、マリアナ諸島作戦を開始します。

そして空母搭載の艦載機は、なんと902機です。

この時点で、日本側は、昭和十七(1942)年のミッドウェー海戦で、主要な海軍力を失っています。

それでも、残存する兵力を結集して、米豪の艦隊に挑んだけれど、その陣容は、わずかに空母9隻、戦艦5隻、重巡洋艦11隻、軽巡洋艦3隻、駆逐艦28隻、合計56隻です。

艦載機も、439機。

守備隊の飛行機は、規定では1750機となっていたのだけれど、実際に配備できたのは、米軍の半分にも満たなかった。

日本側はマリアナ沖でおおいに奮戦するけれど、衆寡敵せず、結果として制海権、制空権とも奪われる。

とりわけ、米軍が新たに配備した高射砲は、VT信管といって、飛行機の近く50メートル付近に達したときに熱を感知して爆発する。
そしてその破片が飛行機に当たって致命傷を与えます。

これによって、マリアナ沖海戦では、航空部隊同士の戦いでは、力量にまさる日本側が圧倒的勝利を飾るけれど、巡洋艦や戦艦に搭載した高射砲によって、300機以上も発進した日本軍機のうち、目標とする米空母の上空には、わずか数機しか達することができなかった。

この件について、よく日本軍は精神力に頼り近代兵器の開発を見下したからだ、という戦後の論調をよく耳にします。

なるほど、科学力、技術力、工業力で、日本が圧倒されたのは事実です。
しかし当時の日本の状況を考えれば、科学技術、工業力の前に、すでに経済力が壊滅していた。軍の装備を全部新装備に改めたくても、配給する銃器、弾薬にすら困っていた。

敵の戦闘機や爆撃機が群がって攻めてきたからと駆逐艦ゆきかぜが弾薬を湯水のように使って敵機を撃退したら、大本営から大目玉をくらった。
弾を撃ちすぎた、というのです。
そういう状況で、日本は、それでも戦っていたのです。
戦わなければ、日本人という民族そのものがなくなるからです。

このことは先に書いておきたいのだけれど、たしかに大東亜戦争は悲惨な戦争です。
236万人もの英霊の命が失われた。

しかし、当時の日本人の人口は約8000万人です。
人口損耗率からいえば、わずか3%(すみません。あえてわずかと書かせていただきます)で、日本という国を、植民地化から守りぬいた。
戦争の目的である、人種平等を実現した。

もし戦わずに降伏していたら、アメリカインデアンや、他の植民地支配を受けた国々が皆、そうであるように、人口の8〜9割を失っているのです。
つまり、8000万人のうち、7000万人が、拉致され、殺され、そして東亜もアフリカも、いまだ植民地支配を受けたままであったであろうことを、理解すべきと思います。

アメリカインデアンは、北米に約800万人いたそうですが、いまやわずかに35万人です。そしてその全員が、DNAに白人のDNAを持っています。

大東亜戦争において、日本は科学力や技術力を十分に発揮できなかったけれど、経済力が復活してからは、イラク戦争で、日本の装備を施した米軍戦車隊は、わずか5分でソ連軍の最新型大戦車部隊、最新型の世界最強最大規模の戦車部隊を壊滅させています。日本の先人達を馬鹿にしちゃいけません。


さて、マリアナ沖海戦で、制海権、制空権をものにした米軍は、いよいよ日本の南洋諸島への玄関口であるサイパン島に迫ります。

昭和十九(1944)年五月三十日、いまではナウル共和国(主都がない珊瑚礁の共和国)となっている日本海軍ナウル基地を飛び立った偵察機「彩雲」が、マジュロ環礁に停泊するアメリカ軍の大艦隊を発見します。

六月五日、ふたたび「彩雲」がマジュロ環礁を偵察し、米軍が出撃準備を整えているころを目視確認します。

六月十一日、米豪軍艦載機1100機が、サイパン島を空襲します。
空を覆わんばかりの戦隊からの空爆です。

さらに十三日には、戦艦8隻、巡洋艦11隻を含む上陸船団を伴った艦隊が来襲。
なんと18万発もの砲弾で、3500トンもの艦砲射撃を行います。

米軍の攻撃開始前の時点での双方の兵力は次の通りです。

【日本側】

陸軍部隊(第三一軍北部マリアナ地区集団)
 28,518名
海軍部隊(中部太平洋方面艦隊の第五根拠地隊、第一四航空艦隊)
 15,164名
合計
 43,682名です。

このうち海軍部隊は、地上戦闘部隊ではなく、その多くが補給部隊、陸軍部隊も急遽、満州の内陸部から送られてきた部隊です。
なかには輸送船が撃沈されて、駆逐艦などによって救助され、身体一つで上陸した将兵も少なくなかった。

実際のこの当時の日本軍の戦闘能力は、わずかに2万人程度です。
しかも、航空機は壊滅。海軍軍船による保護もない。武器弾薬の補給もない。食料も水も供給がない。

そこに米軍は、ありあまる物資とともに、35万の兵力を差し向けてきたのです。

敵上陸を水際で食い止めようとして、沿岸部の陣地を固めていた日本側は、この空爆と艦砲射撃で、せっかくの水際陣地をすべて失っただけでなく、内陸部の陣地も半壊、サイパン基地にあった航空機150機も、すべて壊滅、一般人の住む民家や、宗教施設、商店街、学校等も、すべて壊滅してしまう。

本来、これはハーグ条約違反です。

条約に従うなら、民間人がいる以上、攻撃前に、攻撃の予告をし、一定の時間をかけて攻撃開始時間を遅らせ降伏を勧奨する、最低でも一般の民間人をきちんと避難させる。
そのうえで、戦闘を行うが、その際、軍事施設以外の施設に関しては、これを爆撃、攻撃してはならない。

それが国際法のルールです。
どこの戦地でも、日本は、そのルールを守っている。

これに対し、米軍が行ったのは、日本に数倍する航空兵力、海軍力がありながら、予告なく、民間人施設を含む、完全な無差別攻撃を行った。

6月15日7時、米軍は上陸を開始します。

東京大空襲に使用した量の2倍の火力を、小さな島に集中したのです。
当然、日本軍の大砲はすでに全滅したものと考える。
米艦隊は、上陸部隊の先発隊を島の沿岸に向かって出発させます。

上陸用艇がリーフを越える。
盛大な艦砲射撃のあとです。
日本側がこさえた遮蔽物は、ことごとく破壊されている。

米軍の第一陣が、島に上陸します。
島からの砲撃、銃撃はありません。

米軍は、続いて大量の上陸用艇を、一斉に出発させる。
兵員を乗せたもの。戦車を乗せたもの。武器を積んだもの。
まるで群がる蜘蛛の大軍のように、一斉に島に向かって上陸用艇が進んでくる。

米軍が、次々と島に上陸します。
島からの砲撃はありません。

午前7時からはじまった、上陸作戦は、約2時間で、300以上のLVT(Landing Vehicle Tracked、上陸用装軌車)を接岸させ、海兵隊8000名がサイパン島の西海岸に上陸した。

そして米軍上陸部隊が、火器を整え、島内への侵入を開始しようとしたそのとき、日本軍から猛烈な砲撃がはじまります。

日本側の攻撃は、米軍のような物量にまかせた乱射ではありません。
日ごろの訓練の賜物です。
一撃必殺。
ただでさえ、火力が不足しているのです。
日本側は、一発一発を大事に撃つ。
そしてその砲弾は、まるでピンポイント砲撃のような正確さで、米軍の上陸用装軌車、戦車、火薬庫、兵士たちを直撃します。

もはや撃ってくる力はないと過信していた米軍は、水際でパニックに陥る。
第二海兵師団では四人の大隊長が負傷し、米軍は騒然となります。

米軍は、上陸作戦で、もっとも死傷者が集中する初日の攻撃作戦については、そのときの死傷者数を島での戦闘による死傷者数にカウントしていません。
死亡者は行方不明に、戦傷者は送還兵としてカウントしています。
なので、この日の緒戦で、米軍側にどれだけの死傷者が出たかは、正確にはわかっていません。

しかし、米軍側の資料によれば、この日の上陸後の、日本側の充分敵を引きつけた上での猛反撃により、米兵2000名が死傷したとされています。

他の史料等によると、緒戦における戦傷者というのは、即死ではなく、しばらく息があった者は、戦傷扱いにカウントしていますから、実際には米軍は、このとき上陸した8000名の海兵隊のうち、2000名を瞬時に失い、他の6000名も、ほぼ壊滅に近い打撃を受けたのであろうと推測されます。

本来、死傷者の数というのは、軍の無線が崩壊しているのでもない限り、正確に把握できなければ軍とはいえません。当然米軍はこの日の死傷者を正確に把握したでしょうし、それが「2000名の死傷」としか発表されてないということは、実際には相当な被害が発生したであろうと推測できるわけです。

日本軍の猛反撃に驚いた米軍は、慌てて洋上の艦船から爆撃機を発進させるとともに、日本軍が撃ってくる場所を特定して、そこに猛烈な艦砲射撃を行います。

これにより、日本側は、戦車第四中隊、独立混成第四七旅団等が全滅してしまいます。

日本側の砲が沈黙することにより、米軍は、日没までに海兵2万名を新たに上陸させ、海岸に幅10km、奥行き1kmにわたる前進拠点を構築します。

ちなみにこれは、米軍にとっては、当初の予定の半分の広さです。

ロバート・シャーロットという従軍記者が書いた「死闘サイパン」という本があります。

その本の中に、上陸第一日目の午後遅くにシャーロット自身の目の前で起こった出来事が書かれています。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

チャラン・カノアの未完成の滑走路の端で、その夜のためにタコツボをせっせと掘っていると、突然けたたましい叫び声が聞こえた。

「あの穴のなかに日本兵がいるぞ!」

そう叫んだ海兵隊員たちは、私がタコツボを掘っているところから約3メートルばかりはなれた、丸太でおおわれた砂丘の方を指さした。

その声が終わるやいなや、穴にひそんだ一人の日本兵が、われわれの頭上に乱射をあびせながら飛びだしてきた。

彼はそのとき銃剣で武装しているだけだった。

一人の海兵隊員が、この小男の日本兵を目がけて手榴弾を投げつけた。

その日本兵は痩せていて、身長1.5メートルにも足りなかった。

彼は爆裂によって吹きたおされた。

すると、この日本兵はふたたび立ちあがって、手にしていた銃剣を、敵に向けないで自分の腹に、差し向けた。

そして彼は、自分で腹を掻き斬ろうとしたが、まだハラキリをはじめないうちに、海兵隊の誰かが撃ち倒してしまった。

そのため、だれも切腹をおわりまで見られなかった。

しかし、日本兵はじつに頑強であった。
彼はまたもや起きあがった。

カービン銃を持った海兵隊員が、この日本兵にまた一発、撃ちこんだ。
それからさらに三発も撃った。

その最後の一弾は、この日本兵の真っ黒な頭の皮を3センチばかりはぎとった。

彼は苦しみでのたうちながら死んだのである。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

いまとなっては、このときに勇敢な戦いをした日本人が、誰であったのかすらわかりません。

水際作戦のために、海岸沿いに掘った穴のなかで、米艦隊からの猛爆の中を他の兵士たちとじっと堪え、おそらく、戦友たちは全員爆撃にやられて死んでしまった。

その深い悲しみといかり。

彼は、米兵たちが上陸してくるのを、タコつぼの中でじっと堪え、夕方の薄闇を待って、たったひとりの斬り込み突撃を図ったのだろうと思います。

当時としても、身長150cm足らずというのは、かなり小柄です。
しかも、痩せこけていた。

艦砲射撃のために、体中、大怪我をしていたかもしれない。

シャーロットは、「乱射をあびせながら飛びだしてきた」と書いているけれど、日本兵の持っている銃は、速射、連射のできる機関銃ではありません。
三八式歩兵銃です。

明治三八年制のこの銃には、米軍の銃のような速射能力はありません。
一発ごとに、ガチャンと弾をこめる。

なんと幼稚で古臭い銃を使っていたのかと、笑う人もいるかもしれません。
しかし、軍の装備というものは、その国の哲学が反映されるものです。

ハンディタイプの歩兵用機銃は、5.5ミリ弾を用います。連射するから反動を抑えるために、弾が小さくなる。
そして弾が小さい分、敵兵を容易に殺さず、重傷を負わせるにとどまります。

戦場は過酷なところです。平時とは異なる場所です。
軍にとって、死亡した兵はそれまでですが、戦傷者は、救助しなければならない。
そして戦傷者の増加は、軍の機動力を損ね、軍の敗北を招きやすい。

しかし同時に、大怪我をした兵士の多くは、結果としてはほとんど助かりません。
長く、痛い思いをして苦しみ抜いたあげく、結果として死亡する。

これに対し、三八式歩兵銃は、6・5ミリ弾です。
この弾は、殺害力が大きく、当たった相手は、まず即死します。

敵兵に余計な負担をかけず、殺すときも苦しませずに殺す。
しかも三八式歩兵銃は、連射や速射には向かないけれど、命中率が極端に高い。

敵軍に対し、正々堂々、最小の被害で戦意そのものを削ぎ、降伏に導く。
古臭いとか、連射力がないとか、後世の人間からはボロカスに言われる歩兵銃だけど、そこには、戦に対する明確な日本軍としてのポリシーがある。

したがって、シャーロットが目撃した日本兵も、持っていたのは三八式歩兵銃であり、この銃は、乱射できるようなタイプの銃ではない。

おそらく、タコつぼから這い出した日本兵は、歩兵銃で、二発撃って、二人の米兵を倒し、そのまま銃剣突撃して、敵をひとりでも多く倒そうとしたに違いない。

身長150cm、敵の米兵は、190cm台。
オトナと子供くらいの体格差があり、しかも、敵は多数です。

その中を、戦友を思い、たったひとりで斬り込み突撃をした日本兵は、手榴弾に吹き飛ばされても立ち上がり(おそらくこの時点で、重傷を負っています)、万事休すと、腹切って戦友のもとに行こうとしたところを、銃で撃たれて転倒し、さらに3発を撃ち込まれ、頭の皮をはぎとられて(顔の傷はものすごい血が流れる)、苦しみのうちに死んだ。

彼だけでなく、この時点で、すでにサイパン島に立て篭もる日本兵(わたしたちひとりひとりにとっての若き日の祖父たち)は、最早、勝ち目はない、と知っていたろうと思います。

しかし、問答無用で殺戮をしかけてくる敵に対し、もはや戦うことしか選択肢はなかったし、サイパンを奪われることは、サイパンから日本本土に向けての空襲を許すことになる。
そうなれば、祖国にいる父や母、幼い兄弟姉妹、友人たち、大好きだった彼女たちが、蹂躙され、殺される。

それを防ぐためには、一日でもいい。
戦って、敵をこの島に釘付けにして、日本軍の怖さ、恐ろしさを、敵に知らしめる他はない。

この日、夜襲をしかけようとする日本軍に対し、米軍は休みなく照明弾を打ち上げ、一晩中、海岸一帯を真昼のように明るく照らし出して防御を図ります。

日本軍は夜襲によってなんとか頽勢を挽回しようとするけれど、真昼のような明るさでは、夜襲の効果も半減してしまった。

この「夜襲」についても、すこし補足しておきます。
よく「日本軍は夜襲が得意だった」という人がいます。

別に「得意」というわけではない。
実際、支那戦線では、特段、日本軍は夜襲を好んでいません。

しかし、圧倒的な火力を持ち、しかも自軍に補給がない、という過酷な環境下で、敵の猛烈な弾幕に対抗するには、敵から自軍の姿が見えにくい夜に、暗闇にまぎれて攻撃するしか他に方法がなかったし、弾薬も底が見えているという状況下では、銃剣と軍刀をもってなんとか1:1の白兵戦に持ち込むしか、敵と戦う手段がなかった。

日本の兵士たちは、夜襲が「得意」だったのではなくて、それしか他に方法がなかった、というのが正解だと思います。

この日の夜襲は、米軍の絶え間ない照明弾によって、夜襲の利点が損なわれた結果、圧倒的な米軍の火力によって日本側の2個大隊と、横須賀第一陸戦隊がほぼ全滅しています。
日本軍は、島の北部へ退却せざるを得なかった。


翌16日、米軍第二七歩兵師団が上陸し、日本側の飛行場に向かって進撃します。
途中には、サトウキビ畑が広がっている。

日本軍は、このサトウキビ畑にひそみ、米軍を襲います。
捨て身の戦法です。

やわらかいさとうきびでは、姿は隠せても、敵の猛射は防げない。

それでも果敢に抵抗する日本人に対し、米軍は火炎放射器で、畑をまるごと焼き払うという挙に出ます。

日本兵が、体中火だるまになって飛び出すと、それを全員で撃ち殺す。
火が燃える。日本人が飛び出す。よってたかって撃ち殺す。

射撃する米兵にめがけて、体中を真っ黒に焦がした日本兵が立ち上がって銃撃を加える。米兵が撃ち殺される。

この日いっぱい夜半まで、そうした攻防戦が繰り広げられます。

夜になると、日本軍は、飛行場奪回のために、戦車第九連隊(44輌)を先頭にたてた8000名が、米軍に総攻撃をかけます。

しかし、数十発連続して撃ったら、砲身が真っ赤に焼けて、撃てなくなる日本側の砲門に対し、米軍は、一時間に、野戦砲800発、機銃1万発という猛射で、対抗します。

これにより日本側守備隊8000名が、ほぼ全滅する。


18日の時点で、日本陸軍サイパン守備隊の斎藤義次中将は、飛行場を完全に放棄。そのため南部に残された日本軍が完全に孤立してしまいます。


この段階で、重要な事件が起こっています。

敵の上陸を水際で食い止めるという作戦は、大本営の指示によるものです。

しかし、敵の圧倒的な火力の前に、敵上陸を許し、さらに敵上陸後3日間の戦いは、日本側の敗退と多大な兵力の損耗に終わっています。

そもそも水際作戦のために、日本軍の陣地、火力は海岸付近に集中していたし、これが敵の艦砲射撃や空襲の的にもなった。

このため守備隊は早々に壊滅しています

サイパン攻防戦における水際作戦を指示した大本営の晴気誠陸軍参謀は、この作戦の責任を感じ、自らサイパンへ行って玉砕戦を行いたいむね、志願します。

しかし、いまさらひとりの参謀が行ったところでどうなるものでもないし、晴気参謀を送り届けるために損耗する兵力の方が、逆に高くつくし、有能な参謀を失うことは、日本としても避けなければならなかった。
当然、志願は、却下されます。

しかし、晴気参謀は、このときの作戦の失敗を、ずっと胸に抱き続け、もはや水際では防衛戦はできないからと、この後の作戦では、すべての作戦において、敵を内陸部に誘い込んでの抵抗戦に切り替え、米軍の損耗を増やしています。

常識的に考えて、いわばマシンガンを持った100人の敵に対し、たったひとりで銃剣だけを頼りに戦うような戦いです。

火力と兵力の違いを考えれば、いかに日本の軍人さんたちが、すさまじい戦いを行っていたかがわかろうというものです。

そしてすべての戦いに、頭脳と智慧の限りを尽くした晴気参謀は、終戦を迎えた昭和20年8月17日、それまでの戦いの全責任をとり、大本営馬場の上にある大正天皇御野立所に正座し、同期生に介錯を依頼して古式に則り割腹自決を遂げています。

晴気誠陸軍少佐
晴気誠陸軍少佐


晴気少佐は、8月10日に遺書を先にしたためています。
割腹は、覚悟の上のものだったと推察されます。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

戦いは遠からず終わることと思う。

しかして、それが如何なる形に於て実現するにせよ、予はこの世を去らねばならぬ。

地下に赴いて九段の下に眠る幾十万の勇士、戦禍の下に散った人々に、お詫びを申し上ぐることは、予の当然とるべき厳粛なる武人の道である。

サイパンにて散るべかりし命を、今日まで永らえて来た予の心中を察せられよ。

武人の妻として、よくご納得がいくことと思う。

しかして、予の肉体は消ゆるとも、我が精神は断じて滅するものにあらず。
魂はあく迄皇国を護持せんのみ。

予はここにこの世におけるお別れの言葉を草するにあたり、十年間、予と共に苦難の途を切り抜け、予が無二の内助者たりし貴女に衷心より感謝の意を捧ぐ。

又、予は絶対の信頼を以て、三子を託して、武人の道に殉じ得る我身を幸福に思う。

然るに、夫として、又父として物質的、家庭的に、何等尽すことを得ざりし事を全く済まぬと思う。

今に臨んで、遺言として残すべきものは何ものもない。

予が精神、貴女が今後進むべき道は、予が平素の言、其の都度送りし書信に尽く。

三子を予と思い、皇国に尽す人間に育ててもらえれば、これ以上何もお願いすることはない。

三子には未だ幼き故に何事も申し遺さぬ、物心つくに伴い、貴女より予が遺志を伝えられよ。予がなきあと、予が残したる三子と共に、更に嶮しき荊の道を雄々しく進まんとする貴女の前途に、神の加護あらんことを祈る。

予が魂、また共にあらん。

昭和二十年八月十日記

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(明日の記事に続く)

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サイパン島玉砕1


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中国産新型エイズの恐怖

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元警視庁通訳捜査官で、坂東忠信さんという方がおいでになります。

「いつまでも中国人に騙される日本人」、「通訳捜査官―中国人犯罪者との闘い2920日」などの本を書かれておいでになります。

チャンネル桜にも何度かご出演されているので、ご存知の方も多いかと思います。

その坂東さんのブログに、支那からの新種の病原体についての記事が掲載されました。

たいへん気になる内容です。
坂東先生のご了解をいただきましたので、以下に転載させていただきます。

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【冷静にお読みください】

みなさん、こんにちは。
今日はちょっと長いですが、かなりやばそうで、とても大切な事ですので、どうぞ冷静に、ご覧ください。

       
中国では、今、感染力の強いエイズのような奇病が広まっています。

しかし中国政府は、現在開催中の万博への影響を恐れてか、この一大事を公表していません。

この事実は中国でも記事になっていますが、その名前は「エイズ恐怖症」(北京語で「恐艾症」)で、エイズに過敏になる心理的要因の疾病とされて、対策がなされていません。

http://gcontent.nddaily.com/d/fb/dfb84a11f431c624/Blog/93a/0fdb2e.html

マイミクのツテで翻訳してくれた方によると、概要は

・彼等は絶対にAIDSに感染していない。
・彼等に医学上の身体的特徴は全く見られない
・患者の免疫指標はみな非常に良好
・精神的な高度の焦燥が、全ての免疫能力の低下をもたらしたから。
・極度の思い込みから、一部は精神的苦痛に堪えられず自殺した。
・リンパ節の腫れは、彼等が触った浅い表面的な慢性の炎症が引き起こしたリンパ節で、おそらく皮膚炎。
・彼等は皮膚に発疹があると言い、医師は誰の皮膚にも発疹はないと言う
・うつ病の患者はCD4が低い。AIDSノイローゼも重度の精神問題である。
・専門家の間では「AIDSノイローゼ」が定説
・未知病原体検査の研究部門はたくさんの訴えがあったが患者からの血液サンプルを検査したが、病原体感染の痕跡を発見しなかった
・しかし新病原体感染を完全に排除することもできない。

とのこと。

しかし一方、この病気にかかって症状を訴える中国人の悲痛なブログも存在します。
 ↓
【原文】
http://blog.sina.com.cn/s/blog_5e8fd1270100d807.html

(注:この翻訳は、ミクシィの私の日記のほうにアップしておりますが、感染者であるブログ主が感情的になっている部分がありますので、冷静にご判断いただくため、こちらには掲載しません。ご興味のある方は私のミクシィ「坂東忠信」の日記「注意 中国は隠している」からご覧ください。)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1496479700&owner_id=16406968


この患者のブログを要約すると、

1 HIV検査をしても陰性反応しか出ない。
2 コンドームをしていても感染する。
3 病原菌が攻撃するのはCD4である

ということで、症状としては

1 できものができて、破れる
2 頚部リンパ球がしこりとなって浮き出て、押すと動く
3 舌が白くなる
4 疲労倦怠感が強まる
5 歯茎から出血し、異臭がある
6 体の表面に血の点々ができる

などなど。これらが二年間続いているというのです。

さらに、この患者から感染した女性は、筋肉痛、吐き気、めまい、のどの痛み、下痢、特に強いのは疲労倦怠感とのこと。

この病気は以前も、中国から宗教弾圧を受けている宗教団体「法輪功」の機関紙「大紀元」にも掲載されていたようで、
http://www.epochtimes.jp/jp/2009/06/html/d68015.html
↑こんな病気なのです。

そしてこれが、すでに日本人に感染しています。

中国から帰国して、現在は関東在住とのこと。ご自身の容態を公開し、情報を求めています。
http://ameblo.jp/maruobarca/entry-10541119036.html

この日本人患者の訴えている症状は上記の中国人患者のブログにあるものと共通するものがいくつかあり、同種のものではないかと思われます。

注意すべきはこの「エイズ恐怖症」とされる奇病が、唾液感染するらしいということ。

そして他の記事を読む限り、エイズ検査では陰性反応ながら、エイズ同様の症状があり、潜伏期間は一年間ほど(個人差があるようです)とのこと。

この日本人感染者の方は、自身の容態を随時アップしています。
過去の日記を見ると、彼が感染者同志で連絡を取り合い作成した感染者リストには、他にも日本人の名前が見られるとのこと。

今、日本にはたくさんの中国人が合法違法を問わず来日、滞在し、さらにたくさんの中国人女性が風俗で働いています。
アンダーグラウンドながらネット販売などで売り上げ好調といわれるアダルトグッズも多くが中国製造だそうです。

さらに、たくさんの食品や品物が中国で生産され、私たちと密接にかかわっています。
どう対処を取るか、それ以前に、日本は中国に対して対処を取れるのでしょうか?

この病気に関する賛否両論を知り合いの政治家先生や、いくつかの情報発信局などに連絡しました。
政治家の先生方は忙しく、確証がなければ動きません。
私としては、情報があれば確認と対処に動いて欲しいのですが、そうは行かないようです。

死者やより多くの感染者が出てからでは、情報の拡散に恐怖がついて回りますので、皆さんが冷静に受け止められる現段階で、事前知識として周知頂き、感染予防にご注意いただきたいと思った次第。

この記事を書いている私自身がデマであることを願うのですが、万博開催中の中国が相手では隠蔽されている可能性もありますし、日本では豚があの始末、日本在住の日本人が感染している以上、スルーするわけにはいきませんでした。

本件は私坂東忠信独断のお知らせです。

万が一これらのリンク先の情報がデマであったなら、お金はないから頭丸めて責任とりますので、ご覧の皆さんもどうか冷静な予防対策をお願いします。

多くの人がひとつの情報としてこれを知り、冷静な行動と、うがい手洗いなどの衛生管理、危ない火遊びなどの自粛と、MY箸の携行活用をお勧めします。

この話はヤバイとお思いの方、どうぞご協力をお願いします。

追記:先ほど某有名週間雑誌編集社に連絡、近日中に取材に向かうそうです。
日本人感染者の方からも、喜びのメッセージをいただきました。彼のこの反応からも、ガセではないと思われます。
皆様方も、手洗いうがいで健康管理、お気をつけください。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

すこし補足します。

文中に出てくる「CD4」というのは、ヘルパーT細胞の膜表面にある抗原(糖蛋白のしるし)の名前です。

ヘルパーT細胞というのは、生まれてからの経験の中から作られた人体防衛の司令官的役割をする細胞です。
ちなみに、人体に侵入するバイ菌をやっつけるのは、先天的に受け継がれるものと、後天的に体内に出来上がるものがあります。

ヘルパーT細胞は、後天的な人体防衛細胞です。

ヘルパーT細胞は、体内に外敵が侵入すると、敵の性質や弱点、特徴を捕捉し、B細胞に「敵をつかまえろ」、キラーT細胞には「敵を殺せ」と命じます。

「敵をつかまえろ」という命令を受けたB細胞は、敵の情報をもとに、捕まえるための特別なタンパク質を作ります。これが「抗体」です。

この抗体は水に溶け、血液にまざって体中をまわり、敵をみつけては、捕獲し、敵を無力化します。


「敵を殺せ」と命令を受けたキラーT細胞は、たくさん増え、力も強くなり、抗体がつかまえたた敵を破壊して殺すだけでなく、敵にのっとられてしまった細胞も、外敵もろとも破壊します。一種のターミネーターみたいな細胞です。

CD4というのは、そのターミネーター(ヘルパーT細胞)の触覚のような働きをしている部分です。
いわばターミネーターのためのレーダーシステムみたいなものです。

HIV(エイズ)というのは、このレーダーがことごとく無力化されてしまう病気です。

HIVは、CD4の鍵穴を全部ふさいでしまうのです。
このため、ヘルパーT細胞の指揮系統が壊滅し、キラーT細胞も無力化されます。

ために、人体防衛力が壊滅。免疫不全が起こります。

免疫力(防衛力)がないのですから、あらゆる病原体が体内で暴れ放題になります。

日本の防衛力が壊滅したところに、中共や南北朝鮮の兵隊たちが入り乱れて入り込んでくるようなものです。

通常なら発病しない細菌やウイルスでも発病し、体中に悪性腫瘍が合併し、死に至る。

エイズは、血液や精液、腟分泌液を通じて感染し、感染の有無はあらかじめ、検査で知ることができます。


今回、坂東さんが問題にされた中国産の新種エイズは、実際に感染していてもエイズ検査では陰性となり、さらに性交渉をともなわなくても、飛散した唾液だけで感染する、いわば人間版口蹄疫です。

そしてこの病気に感染した中国人が、アリの大軍のように、いま陸続と日本に上陸している。

そして風俗店等に入り込み、日本人に感染を広げている、というものです。

もし、それが本当なら、大問題です。

日本の国家転覆を狙う民主党の現政権は、なにもしません。なにもできません。

最近、妙に、疲労倦怠感が強まってきたという、そこのアナタ!大丈夫ですか?

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【坂東忠信】元通訳捜査官から見た中国人犯罪の実態[桜H22/1/14]


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ご連絡と政局のこと

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民主党恐怖政治


まずは、ご連絡事項から。

平成22年6月5日(土)午後18時半から20時半、大阪、上本町「たかつガーデン8階」で、札幌医科大学教授高田純理学博士の「核と刀」出版記念の会が開催されます。

関西のおつるさんが幹事役の会合です。

日心会として協賛します。

当日、ボクも伺います。

【概要】
名称:札幌医科大学教授 高田純理学博士「核と刀」出版記念講演会
主催:日本シルクロード科学倶楽部
共催:放射線防護医療研究会
日時:平成22年6月5日
   午後18時半から20時半
会場:上本町 たかつガーデン8階
   大阪市天王寺区東高津町7番11号

参加費一人 2500円
  (図書1冊込み 図書 定価 1890円)
     1000円 (図書含まない場合)
懇親会  3500〜4000円

プログラム 18:00 開場 受付 18:30 開会

主催者挨拶
ご来賓挨拶

スライド「誇りある国史」上映

講演 高田純
「核と刀 核の昭和史と平成の闘い」 20:30 閉会

その後、 懇親会 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

つぎに、去る5月23日に東京で、某国の情報捜査官による講演会が開催されました。

そのときの内容から、一部を抜粋して皆様にご報告させていただきます。

ボクの主観は入れません。
みなさんは、どうご判断なさいますか?

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

1 民主党について

小沢一郎を政治家としてみるからおかしくなる。
彼は政治をやっていない。喧嘩をやっている。

小沢一郎の選挙はもともと金がかかる。
ゼネコンからの金だけで100人からの候補者の工面をすることは、日本国内のカネだけでは到底無理だし、選挙費用の捻出のために小沢氏の不動産が抵当にはいったという話も聴いたことがない。

沖縄米軍基地は、辺野古で調整となる。
なぜなら小沢が辺野古に土地を持っているから。

ちょうど滑走路の先の位置の土地である。
この土地所有は、利殖ではない。
軍事的な意味合いを持つが、日本と米軍のための所有でもない。

民主党は、支持率が1%になっても解散総選挙はしない。
そうそう簡単に絶対安定多数を手放すことはない。

民主党は、外国人参政権は参議院選挙前にはやらない。
なぜなら、本当の狙いは人権保護法案にあるからである。
反民主の声を抑えるよりは、反民主の人を抹殺したほうが手っ取り早い。
これは実際にチベットやトルキスタンで行われていることである。



2 保守政党について

新党乱立は、民主党を利するだけである。

「新党改革」「創新党」は、アブナイ政党である。

中田宏に関しては、ゴミ関連の箱物で20億円が消えている、
母親が統一教会の役員という話もある。

「みんなの党」は、国籍条件緩和を言っている。売国とみていい。


民主党による大連立構想は、小沢を生き残らせる。
電通の成田がシナリオを書き、ジョイント役は、ナベツネ・中曽根。ナベツネに好かれている中畑が立候補する。
堀内はナベツネに嫌われているために、自民党から立候補となる。

半島の息のかかっていない政党は自民党の一部にしかいない。

「真の保守の統一」というテーゼは、保守(日本)のためになっていない。

民主党という売国反日政党が巨大政党となっている中で、保守の分裂は悪である。
分裂した時点で小沢のシナリオになっている。

同じことは、有権者側にもいえる。
日本を護りたいなら、有権者も分裂してはいけない。


3 保守運動について

デモは本来示威行動であるが、マスコミを押さえられていることから、小沢は全く意に介していない。

大きなデモになれば、マスコミはデモの団体のネガティブ報道を始めることになる。

いま必要なことは、クラスター方式である。
小さなクラスターを増やしていくこと。

オバマは、日を追うごとに支持者を増やしていった。


4 最悪のシナリオ

2010年05月
事業仕訳による劇場型政治。
レンホウ議員がマスコミに登場し、これまでの自民党政権時代の垢の見直しを印象付ける。

2010年06月
子ども手当の支給が開始となるが、事務手続きの遅れ?で、実際の支給が遅れる。

2010年07月
参議院議員選挙公示
6月に支給がもたついた子ども手当が、公示前後に一般家庭に届く。
マスコミの民主応援継続。

保守は分断工作の影響で結束出来ず、次期衆院選まで民主は持たないという言葉だけで抜本的対応策を打ち出せない。

参議院議員選挙投票によって、民主党が衆参両院で絶対安定多数を確保。

社民および国民新党は基地問題の影響で惨敗。
自民党を含めた保守勢力惨敗、みんなの党が微増。

2010年秋〜冬
国会開催

国会に「人権擁護法案(正式名:人絹侵害救済法案)」提出→可決
事業仕分けで劇場型政治継続
子供手当て財源確保のため、赤字国債増発

2011年
人権擁護法施行、同法案を実行するために「人権擁護局」発足
国会に「外国人参政権法案」提出→可決

景気悪化、失業者増大。

生活保護費用や子供手当て財源確保のため、さらに赤字国債増発

2012年
衆院選準備のため、敵勢力による「人権侵害申し立て」が続出
人権擁護法を利用した粛正、弾圧が行われる。

最初のターゲットは「野党議員、保守系有力者、保守系論壇、保守系市民」

2013年
敵勢力による粛正、弾圧が完了。民主にとって不利な人は「物理的に排除」。
衆院選公示、投票。民主党が絶対安定多数を確保。


最悪、3年後の衆議院選挙で保守議員がいないと言うことも想定される。


5 口蹄疫

10年前の森内閣の時には、総理はゴルフ中だったけれど、その場ですぐにゴルフクラブ内に対策本部を設置し、100億円の支援を決定した。
迅速な対応によって、結果37億円の支出で済んだ。

今回の口蹄疫は、韓国から輸入された稲ムラが原因である。
発生源の牧場は、統一教会の息がかかっていて、岩手県に本部があり小沢との関係がウワサされている。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

いかがでしたか?

いろいろなご意見があろうかと思います。

ショッキングな内容ですが、いくつかのポイントがあります。

なかでも大切なことは、日本を愛し、日本を守ろうとする人は、いまは団結し、結束しなければならない、ということです。

「保守」については、さまざまな定義や議論があります。

しかし「保守」についてはっきりといえることは、「保守」は、日本の歴史、伝統、文化を尊重し、かつ、日本の未来のために新たな創造をまじめに考える人たちである、ということなのではないでしょうか。

これに対し、民主党は、単なる選挙対策政党です。
「選挙」という「都合」がすべてに優先される。

そして選挙には現実問題としてカネがかかり、票が必要だから、国を売ってでも海外からでもカネを求め、票のためにはいっけんおいしそうなバラ巻きをする。

さらに邪魔な者は追いだし、選挙に不利益になりそうな現実の口蹄疫のような問題は、スルーして「なかったこと」にしてしまう。

全否定のご都合主義集団、それが革新と呼ばれている政党、なかでも民主党の本質そのものといえるのかもしれません。

すくなくとも、そこには日本国家百年の大計などなく、日本の未来、わたしたちひとりひとりの子や孫の未来の社会の建設など、微塵もない。

そして、悲しいことに、<都合>は、<論>や<情>より優先度が高いのが事実です。

しかしです。
たとえ<都合>が悪くても、やらなければならないことは、やらなければならない。
<都合>では、日本の未来を築くことはできません。

ここは、ほんとうに保守のみんながオトナになって、互いに協力し合い、日本を守るための戦いをしていかなければならない。
ほんとうにそういうときにきていると、思います。

日本を守りたいという思いは、保守系の様々な会派を超えて、同じ思いのはずです。

そして日本の心は、人の悪口を言わない。
和を尊ぶ精神です。

もちろん敵に対しては、敢然と立ち向かう。
しかし、目前の敵は、すくなくとも日本を守りたいという同志ではないはずです。
ならば、日本を守るという一点において、かならず、保守層のみんなが団結できるはずです。

先日、国家的災害といえる口蹄疫問題についての江藤議員の衆院本会議での質問の模様をご紹介させていただきました。

地元選挙区の惨状をいちばん理解している江藤議員が、野党の立場でありながら、涙ながらに「党派を超えて対策にあたりましょう!」との呼びかけに対し、民主党議員は口々に、「ヤメロ〜!オラァ!!」などと罵声を浴びせていました。

それが日本なのでしょうか。
それがわたしたちの国なのでしょうか。

日本人なら、日本の心を持っているなら、いまは小異を捨てて天道のために戦う。

それが日本人としての道であろうかと強く思います。

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ハーグ陸戦条約

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ハーグ陸戦条約
ハーグ陸戦条約


ハーグ陸戦条約について書いてみようと思います。

この条約は、明治三十二(1899)年五月一八日ににオランダ・ハーグで開かれた第一回万国平和会議において採択されました。

正式名称を「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約(英: Convention respecting the Laws and Customs of War on Land, 仏: Convention concernant les lois et coutumes de la guerre sur terre)」といいます。
附属書に「陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」があります。


第一回万国平和会議は、ロシア皇帝ニコライ2世の提唱によって開催されました。

ニコライ二世は、皇太子時代に来日し、このとき起こった事件が「大津事件」です。

大津事件については、
≪大津事件≫
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-754.html
で、詳しく述べていますので、参照してください。

ニコライ二世は、たいへんな日本好きな人です。
来日したときには、長崎停泊中の軍艦に市内の彫り師を招いて右腕に入れ墨をしたり、煙草盆、茶箪笥、金作陣太刀、山水蒔絵長角箱、七宝焼の花瓶、竹杖、吸物椀、香炉台、竹製茶籠、美人画団扇、柳行李、鉄瓶、有田焼、長崎の全景写真など、手当たり次第日本の工芸品その他を買い込んでいる。
日本を愛し、尊敬してくれていた。

大津事件に遭遇しても、当時の明治大帝のお気遣いなどに、ニコライ二世は、きちんと誠意を持って返しています。

不幸なことに、その後、日本とロシアは、戦争(日露戦争)をすることになってしまいますが、この日露戦争は、両軍ともに、以下にご紹介する「ハーグ陸戦条約」をきちんと遵守して、両軍ともに正々堂々と衝突した世界史上の唯一の戦争です。

他の戦争では、条約を最後まで遵守し抜いた日本があるだけで、他の国にはあきらかかな条約違反の行為が目白押しです。
されにいえば、大東亜戦争以降のあらゆる戦争、内乱において、このハーグ条約が守られた形跡はありません。

日本は、いつの時代においても、正々堂々であると、まず申し上げておきたいと思います。

さてそれでは、ハーグ陸戦条約とは、いったいどのようなものなのか。

これは、戦闘当事国における交戦者の定義、宣戦布告、戦闘員・非戦闘員の定義、捕虜・傷病者の扱い、やってはならない戦術、降服・休戦などについてを定めた国際法規であり、最も根源的な戦時国際法の基本ルールです。

日本では、明治四五(1912)年に、ハーグ陸戦条約に基づいて、「陸戰ノ法規慣例ニ關スル条約」が公布されています。

末尾に転載しますが、この「陸戰ノ法規慣例ニ關スル条約」は、明治大帝のお言葉が冒頭に記されています。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
朕、樞密顧問ノ諮詢ヲ經テ明治四十年十月十八日、
和蘭國海牙ニ於テ、
第二囘萬國平和曾議ニ賛同シタル帝國及各國全權委員ノ間ニ議定シ、
帝國全權委員カ第四十四条ヲ留保シテ署名シタル
陸戰ノ法規慣例ニ關スル条約ヲ批准シ茲ニ之ヲ公布セシム
(總理 外務大臣副署)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

明治大帝ご自身のこの宣言です。

敵にどんなに非道な振舞があっても、自らは法を遵守し抜く。
これは、日本の軍人の誇りであり、矜持です。

いまの政治家においても、また日本人ひとりひとりにおいても、

「陛下がお嘆きになるようなことはしない」

このことは、固く心に誓っていきたいものだと思います。


ところで、この条約付属書の第43条には、次の記述があります。

「占領者は、占領地の現行法律を尊重して、その国(占領地)の公共の秩序と生活を回復確保しなければならい。」

その国の憲法を勝手に書き換えて良いなどとは、どこにも書いてありません。
つまり、日本国憲法は、国際法(ハーグ陸戦条約)に対する明らかな違反行為の上に書かれた憲法ということができます。
そんなものをありがたがっている国民というものは、いったい・・・?

他にも、読み進めて行くとはっきりと「わかる」ことがあります。

それは日本が先の大戦において、このハーグ条約を、「自分たちですら満足に食べれない状況の中で、必死に守りとおした」ということです。

戦況厳しくなった外地において、日本兵が受けた数々の非道な仕打ち、支那国民党による非道、米軍や豪軍による数々の戦時捕虜に対する虐殺や非道、一般市民への虐殺等々、日本人が被害に遭った事件は、数限りなくあります。

しかし日本は、ほんとうに貧しく、苦しい中にあっても、「きまり」は最後の最後まで守りとおした。

日本の軍人さんたちは、すべての外地において、その国の市民を大切にあつかい、戦っている日本人ですら満足に食べれず、いつ敵の攻撃を受けるかわからない危険な状況の中でさえ、ルールを守り、その国の市民を必死で守り、死んで行ったのです。

一方、戦時中、日本側が受けた仕打ちは、まさに捕虜虐殺そのものであり、無辜の市民への大量虐殺であり、しかも戦争終結後、武装解除したあとも、虐殺され、強姦され、抑留された。

ほんとうの世界史・・・・

私たちは、ほんとうの事実を事実として、未来永劫、きちんと語り継いでいかなければならない、と強く思います。

この陸戦条約を読んでいて思ったのですが、この条約をきちんと守って戦争を遂行するためには、組織された軍人の指揮官だけでなく、武器を持って戦う兵士たちのひとりひとりに、きちんとした教育が施され、かつ、よほどしっかりとした道徳観、国家観、歴史観、誇り、規律を守るという鉄の意志がなければ、条約を守りとおすことはできないのではないか、ということです。

すくなくとも、この条約のひとつひとつを、ちゃんと理解し、敵弾の飛んでくる、命と命をやりとりするという異常な戦場にあって、それでもなお、規則を守りぬく。
教育、訓練、誇り、歴史観、国家規模の確固とした統制、そうしたものがちゃんと整った軍団であり国民でなければ、これだけの条約をきちんと守り、戦うことはできないです。
そして、それができた国は、このハーグ陸戦条約が誕生して以降の人類の歴史において、

“日本ただ一国しかなかった”ということを申し添えておきたいと思います。

ぼくたちは、あの厳しい先の大戦を戦いながらも、立派に規律を守りとおした、ぼくたちの、若き日のおじいちゃんたちを、亡くなられた英霊たちを、生涯、誇りに思える、その人たちと、わたしたちは血のつながった同じ国の国民である、ということを、みなさんとご一緒に確認したいと思います。

最後にもうひとつ。

ネットで検索すると、このハーグ陸戦条約についての口語訳を掲載しているサイトがいくつかあります。
その口語訳なのですが、原文と比べるとまるで逆の意味になっているものがある。

あえて細かなことは書きませんが、ほんとうのことの間に、ちょこちょことウソを交えて洗脳するというのは、古来左翼のよくやる手法であり、こんなところにまで、そういうウソをならべているのかと思うと、暗澹とした気持にさせられます。

以下の口語訳は、ねずきちが原文にできるだけ忠実に口語に直したものですが、意味はちゃんと原文のままにしているつもりです。

原文は、↓にあります。
http://homepage1.nifty.com/SENSHI/data/haug.htm

もし、対比してみて、意味の間違いがあれば、ご指摘ください。
また部中の「※」マークのところは、ねずきちのコメントです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

【ハーグ陸戦条約(口語訳)】

陸戰の法規慣例に関する条約

 1907(明四十)年10月18日、ハーグにおいて調印
 1911(明四十四年)11月6日批准
 同年12月13日批准書来ル
 1912(明四十五)年1月13日公布

ドイツ皇帝陛下、プロイセン皇帝陛下(以下締約国の元首名略)は、平和を維持し、かつ諸国間の戦争を防止する方法を講じると同時に、その期するところに反し避けることのできない事件のために、そのような非常の場合においても、なおよく人類の福祉と文明の進歩を希望して、戦争に関する一般の法規慣例をいっそう確かなものすることを目的に、なるべく戦争の惨劇を起こさないように制限することを目的として、1874年の会議において、聡明で慈愛ある先見から出た思想のあらわれとして、陸戦の慣習と諸法規を採用した。

条約締結国の所見によれば、この条約は、軍事の必要の許す限り、努めて戦争の惨劇を軽減する希望をもって定めたものであり、交戦者相互間の関係、および人民との関係において、交戦者の行動の一般の規則となるべきものである。

ただし、実際に起こる一切の場合に適用すべき規定は、明文がないからといって、軍の指導者の独断に任せるということではない。

もっといっそう完備した戦争法規が定まるまでは、条約を批准した各国は、以下の条規に含まれない場合でも、人民および交戦者が、依然として文明国に存在する慣習や人道の法則、公共の良心の要求から生まれる国際法の原則を持たなければならない。

とくに採用した規則の、第一条と第二条は、特にこの趣旨をもってこれを理解べきものであることを宣言する。


第一条 締結国は、その陸軍に対し、本条約に付属する陸戦の法規の慣例に関する規則に適合する訓練を行う。

第二条 第一条の規則および本条約の規定は、交戦国が本条約の当事者であるとっきに限り、これを適用する。

第三条 前記規則の条項に違反した交戦当事者は、損害あるときは、その損害の賠償の責任を負う。交戦当事者は、その軍隊を組成する人員、一切の行為について責任を負う。

第四条以下略(条約批准の手続き的な内容なので省略します)


 【条約付属書】

 陸戰ノ法規慣例ニ關スル規則

  第一款 交戰者
 第一章 交戰者ノ資格

■第一条■
戦争の法規および権利義務は、単にこれを軍に適用するだけでなく、以下の条件を具備する民兵および義勇兵団にも、これを適用する。

1 部下のために責任を負う者がその頭にあること。
2 遠方より認識できる定まった徽章を持っていること。
3 公然と兵器を携帯すること。
4 その動作について戦争の法規慣例を遵守すること。

民兵または義勇兵団をもって軍の全部、または一部を組織する国においては、これを軍の名称の中に含める。

※最近、支那軍の潜水艦が、本部の意向を無視して日本領海内を通行するという事件があったけれど、彼らの軍には、「責任を負う士官」があるのだろうか。
※公然と兵器を携帯するのが軍とするならば、まさに朝鮮進駐軍は、軍である。彼らにこの陸戦条約の一端でも守る意思があったのだろうか。


■第二条■
占領された地方の人民で、敵の接近するにあたり、第一条によって編成をなすいとまがなく、侵入軍隊にあらがうために自ら兵器を操る者が、公然と兵器を携帯し、かつ、戦争の法規慣例を遵守するときは、これを交戦者と認める。


■第三条■
交戦当事者の兵力は、戦闘員、非戦闘員をもって編成することができる。敵に捕まった場合は、両者ともひとしく捕虜の取り扱いを受ける権利を持つ。


 第二章 俘虜


■第四条■
捕虜は、相手国の政府に属する。これを捕えた個人や部隊に所属することはない。

捕虜に対しては、人道をもって取り扱わなければならない。

捕虜の一身に属する物は、兵器、馬、および軍用書類を除く他は、依然、その所有者である捕虜に属する。



■第五条■
捕虜は、一定の地域外に出て、一定の義務を負わせて、都市や城砦、陣営その他の場所に留置することができる。
ただし、やむをえない保安手段として、かつ手段を必要とする事情が継続しているときに限り、これを幽閉してもよい。


■第六条■
国家は、将校を除く捕虜を、その階級や技能に応じて労務者として使役することができる。
その労務は、過度なものであってはならない。

捕虜は、公務所、私人または自己のために労務することを許可されることがある。

国家のためにする労務については、自国の軍人が同一の労務をしたときに払われる賃金と同額御賃金を支払わなければならない。

公務所や私人のためにする労務に関しては、陸軍の官憲と協議して、条件を定める。

捕虜の賃金は、その境遇辛苦を軽減するに必要な部分を払い、残りは、捕虜解放のときに、交付すること。


■第七条■
政府は、その権限内にある捕虜を給養(食べさせ養う)すべき義務を持つ。

捕虜が逃走し、自分の軍隊に帰りつく前、あるいは軍の占領地を離れる前に捕まえたときは、懲罰を与えてもよい。


■第八条■
捕虜は、捕えた側の国の陸軍現行法、規則、命令に服従しなければならない。
服従しないときは、捕虜に対して必要な厳重手段を講じてもよい。
捕虜が逃走を遂げたあとに、ふたたび捕虜となった場合は、前の逃走に対しては何等の罰を受けることはない。


■第九条■
捕虜が、その氏名、階級について尋問を受けた場合は、真実を答えなければならない。
もしこの規定に背くときは、同種の捕虜に与えるられるべき給与その他を減じても構わない。


■第十条■
捕虜は、その本国の法律が許すときは、宣誓のあと、解放してもらえることがある。
この場合、本国政府および捕虜を捕えた政府に対し、一身の名誉を賭してその誓約を厳密に履行する義務を有する。

この場合、捕虜の本国政府が当該捕虜に対して、その宣誓に違反する勤務を命じたとしても、当該捕虜はこれに服さなくてよい。


■第一一条■
捕虜は宣誓解放の受諾を強制されることなく、また敵の政府は宣誓解放を求める捕虜の請願に応ずる義務はない。


■第一二条■
宣誓解放を受けた俘虜で、その名誉を賭して宣誓を行った政府、あるいはその政府の同盟国に対して兵器を操って再び捕えられた者は、捕虜の取扱を受ける権利を失うべく裁判に付せられることがある。


■第一三条■
新聞の通信員や探訪者、あるいは酒保用達人等、軍の一部ではない従軍者で、敵の権内に陥り敵に於いてこれを抑留することが有益であると認められる者は、その所属陸軍官憲の証明書を携帯する場合に限り、捕虜の取扱を受ける権利を有する。


■第一四条■
各交戦国は、戦争開始の時から、また中立国は交戦者をその領土に収容したときから、捕虜情報局を設置しなければならない。

情報局は、捕虜に関する一切の問い合わせに応える任務を持ち、捕虜の留置、移動、宣誓解放、交換、闘争、入院、死亡に関する事項その他、各捕虜に関し、めいめいの票を作成し、かつ補修するために必要な通報を各当該官憲より受けるものとする。

情報局は、その票に番号、氏名、年齢、本籍地、階級、所属部隊、負傷並びに捕獲、留置負傷および死亡の日付および場所、その他一切の備考事項を記載しなければならない。

それぞれの票は、平和回復のあと、これを相手国交戦国の政府に交付しなければならない。

情報局は、また宣誓、解放され、交換され、逃走し、または病院もしくは待機所において死亡した捕虜の遺留し、並びに戦場において発見された一切の自用品、有価物、手紙等を収集して、これをその関係者伝送する任務を負う。


■第一五条■
慈善事業の仲介者として、合法的に設立された戦争捕虜の救済社交団体は、それ自体または代理人が交戦国から軍事的必要と行政が許す範囲で、人道目的のあらゆる便宜が計られる。
これらの社交団体の派遣団は、帰還捕虜の一時収容所または捕虜の抑留施設に援護物資の配布のため入場が許可される。
この場合、軍事当局の許可証を携帯し書面により警察および秩序についての法令を遵守する旨承諾しなければならない。

※日本人市民が樺太や満州、朝鮮で受けた仕打ちはいったい何であったのか。
本土等での艦砲射撃や本土無差別空爆は、いったい何であったのだろうか。

■第一六条■
情報局は郵便料金免除の特権を受ける。
捕虜に送られるたり戦争捕虜が発信する手紙、支払い指図書、郵便小包、その他の貴重品は発信地または受領地もしくはその中継地点のいずれの国においても郵便料金は免除される。
戦争捕虜あての贈り物と援護物資は郵便料金が無料のみならず、国有鉄道の輸送費も免除される。


■第一七条■
捕虜となった将校は、必要があれば、国家の規則に応じて階級に応じた満額の給与を受け取ることができる。
その給与は支払い国に返還されねばならない。


■第一八条■
捕虜は、軍事当局の命令する秩序や風紀に関する規律に服従することを唯一の条件として、自らの信じる宗教への信仰が認められ、その宗教上の礼拝式に参列することができる。


■第一九条■
捕虜の遺言は国軍の兵士に準ずる条件で書かれ、受け取られる。
捕虜の埋葬および死亡証明の発行についても、同様に、各階級に相対する取扱いを受ける。


■第二〇条■
平和が成立したあとは、なるべくすみやかに捕虜を帰国させなければならない。

※シベリア抑留は、日本が主権を回復したとされる昭和27年以降も継続されています。


 第三章 病者及傷者


■第二一条■
傷病兵にたいする交戦国の義務は1864年8月22日のジュネーブ協約およびその修正条項に従う。



  第二款 戰闘

 第一章 害敵手段、攻囲及砲撃


■第二二条■
交戦者は、敵を倒す手段の選択について、無制限の権利を持つものではない。


■第二三条■
特別の協約によって禁止された措置のほか、特に以下のものを禁止する。

(イ)毒または毒を施した兵器を使用すること。
(ロ)敵国または敵軍に属する者を詭計をもって殺傷すること。
(ハ)武器を棄てまたは防衛手段を喪失し、自らの意思で降伏した敵兵を殺傷すること。
(ニ)降伏を受け入れないと宣言すること。
(ホ)不必要な傷害を与える性格をもつ武器、発射物、素材を用いること。
(ヘ)白旗、国旗、軍旗、またジュネーブ協約で定められた標識の不適正に使用すること。
(ト)戦争の必要性とは無関係な敵の財産の破壊または奪取すること。。
(チ)相手国の国民の権利および訴権を消滅、停止、または裁判を受ける権利の喪失を宣言すること。

交戦者は、相手国の国民を強制してその本国に対する作戦動作に加われせてはならない。

※実際、日本は、外地の住民や鹵獲した敵兵を、戦場で兵として使役することは一切やっていません。


■第二四条■
敵、ならびに敵国の地形探知のため必要な手段の行使は、適法と認める。


■第二五条■
防御をして守る体制をとっていな都市、村落、住宅、建物は、いかなる手段によってでも、これを攻撃、または砲撃してはならない。

※日本の外洋に面した都市は、ことごとくやられていますが?


■第二六条■
攻撃軍隊の指揮官は、強襲の場合を除いて、砲撃を始めるに先だって、その旨、相手側の官憲に通告するために施すことができる一切の手段を講じなければならない。

※米軍による空襲予告、あるいは原爆投下予告はあったのでしょうか?


■第二七条■
戦闘のために相手を取り囲む、あるいは砲撃をするにあたっては、宗教、技芸、学術および慈善の用に持ちうる建物や、歴史上の記念建造物、病院、ならびに病者や傷者を負った者の収容所は、同時に軍事上の目的に使用されていない限り、これに対してなるべく損害を減じることができるよう、必要な一切の手段をとるべきものとする。

相手国によって囲まれた者は、相手に見やすいように特別の徽章を使って、その建物または収容所であることを表示する義務を負う。
また、そのための徽章は、あらかじめ、相手国に通告しておかなければならない。


■第二八条■
都市その他の地域は、突撃をもって攻撃し奪い取った場合でも、これを略奪するにまかせてはならない。


 第二章 間諜


■第二九条■
交戦者の作戦地帯において、相手の交戦者に通報する意思をもって隠密に、または偽装のもとに行動して情報を取ろうとする者でなければ、これをスパイと認めてはならない。

従って、変装しない軍人で、情報集めを行うために敵軍の作戦地帯に侵入する者は、スパイとは認めない。
また、軍事であるかないかを問わず、自国分または敵軍に宛てて通信をする任務を公然と執行する者も、スパイとは認めない。


■第三〇条■
スパイ活動中に捕えられたスパイは、裁判を経由した後でなければ、これを罰してはならない。


■第三一条■
スパイとしての活動のあとに軍に復帰したスパイは、捕虜として取り扱わなければならない。
その者が前に行ったスパイ活動に対しては、何等責任を負うことはない。


 第三章 軍使


■第三二条■
交戦者の一方の命をおびて、他の一方と交渉するために白旗を掲げて来た者は、これを軍使とする。

軍使ならびにその軍使が随伴する通訳、旗手、鼓笛手、ラッパ手、ビューグラー(ホイッスルの吹き手)などは、不可侵権を有する。


■第三三条■
軍使を差し向けられた部隊長は、必ずしもこれを受ける義務はない。

部隊長は、軍使の一団が、任務を利用して情報を得ることを阻止するための一切の手段をとることができる。

軍使の一段に、不可侵権の濫用があった場合は、部隊長は、一時的に軍使を抑留することができる。


■第三四条■
軍使が背信行為を教唆し、またはみずからこれを行うために、特権ある(軍使としての)地位を利用した証拠が明確な時は、彼らは不可侵権を失う。


 第四章 降伏規約

■第三五条■
この条約を締結した当事者間が協定する降伏規約は、軍人の名誉に関する規則を斟酌しなければならない。

降伏規約がいったん確定したときは、当事者双方ともに、厳密にその規約を遵守しなければならない。


 第五章 休戰

■第三六条■
休戦は、交戦当事者の合意をもって、作戦動作を停止する。
もしその期間の定めがないときは、交戦当事者は、いつにてもふたたび交戦を開始することができる。

ただし、休戦の条件に準拠して、所定の時期にその旨、敵にあらかじめ通告しなければならない。


■第三七条■
休戦は、全般的、または部分的、両方をすることができる。
全般的休戦は、相互に交戦のための作戦行動を停止し、部分的休戦は、単に特定の地域において交戦軍のある部分間において戦闘行為を停止するものとする。


■第三八条■
休戦は、正式に、かつ、適当な時期に、これを相手国の当該官憲に通告しなければならない。

通告のあと、ただちに、または所定の時期に戦闘を停止しなければならない。

※日本軍は、外地で数々の玉砕戦を戦っているけれど、そのどの戦いにおいても、相手側(支那、米、英、豪等)から停戦の勧告を受けていない。


■第三九条■
戦地における交戦者と人民との間、および人民相互間の関係を休戦規約の条項中に規定することは、当事者に一任する。


■第四〇条■
当事者の一方が休戦規約にたいして重大な違反をしたときは、他の一方は、規約を破棄する権利を有するのみならず、緊急の場合においては、ただちに戦闘を開始することを得る。


■第四一条■
個人が自己の発意をもって、休戦規約の条項に違反したときは、その違反者の処罰を要求し、損害があった場合は、その違反者に対して賠償を要求するにとどめなければならない。


 第三款 敵国の領土における軍の権力

■第四二条■
ひとつの地方が、事実上、敵軍の権力内に帰したときは、占領されたものとする。

占領は、その権力を樹立し、かつ、これを行使しえる地域に限定するものとする。


■第四三条■
国の権力が事実上、占領者の手に移ったときは、占領者は、絶対的支障がないかぎり、占領地の現行法を尊重して、なるべく公共の秩序、および生活を回復確保するために施しうる一切の手段を講じなければならない。


■第四四条■
交戦者は、占領地の人民を強制して他方の交戦者の軍、またはその防御手段についての情報を提供させてはならない。


■第四五条■
占領地の人民に、その敵国に対して忠誠の誓いを強制してはならない。


■第四六条■
家の名誉、権利、個人の生命、私有財産、ならびに宗教の信仰は、これを尊重しなければならない。

私有財産は、これを没収してはならない。

※朝鮮進駐軍は、やりたい放題でした。


■第四七条■
略奪は、これを厳禁する。


■第四八条■
占領者が、占領地において、国のために定められた租税、賦課金、および通過税を徴収するときは、なるべく現行の賦課規則によってこれを徴収しなければならない。
この場合、被占領者の人民は、その国の元の政府が行っていた程度の範囲内で、行政費を負担する義務を負うものとする。


■第四九条■
前条に示された以上に税を取り立てる場合は、軍または行政上の必要がある場合だけに限るものとする。


■第五〇条■
人民に対しては、連帯責任のない個人の行為に、金銭上その他、連帯責任で罰することをしてはならない。


■第五一条■
取立は、すべて総指揮官の命令によって、かつその責任をもってするのでなければ、これを徴収してはならない。


■第五二条■
現品を徴発する行為は、占領軍の需要にためにするのでなければ、あらゆる市町村、または住民に対してこれを要求してはならない。
徴収や課役は、その国の資力に比例するものでなければならず、自国に敵対する軍事作戦に関与しない性格のものに限定される。
これらの徴発と労役は、その地区を占領した軍司令官の権限でなければ、要求してはならない。
現品の供給に対しては、なるべく即金で支払い、そうでないなら必ず領収書をもってこれを証明し、かつ、なるべきすみやかにこれに対する金額の支払いを履行しなければならない。


■第五三条■
ひとつの地方を占領した軍は、国の所有に属する現金、基金、および有価証券、貯蔵兵器、輸送材料、在庫品、および食料その他すべて、作戦行動に供することができる。

海上法によって支配される場合を除いて、陸上、海上および空中において、報道の伝達、または物の輸送に使う一切の機関、貯蔵兵器、その他各種の軍事品は、私人の所有するものであっても、これを押収することができる。

ただし、平和が回復したときは、これを還付し、かつこれが賠償をすべきものとする。


■第五四条■
占領地と中立地を連結する海底電線は、絶対的な必要がある場合でなければ、これを押収し、または破壊してはならない。
その電線は、平和が回復したとき、これを還付しなければならない。必要な賠償を決定しなければならない。


■第五五条■
占領国は、敵国に属し、かつ占領地ではない公共の建物、不動産、森林、および農場については、その管理者、および用益権者にすぎないと考え、当該国の財産を保護し、かつ用益の法則にしたがって、これを管理しなければならない。


■第五六条■
市町村の財産、ならびに、国に属するものであっても、宗教、慈善、教育、技芸および学術に使う建設物は、私有財産と同様に扱わなければならない。
その建設物や歴史上の記念建造物、技芸及学術上の製作品を、故意に押収、破壊又は毀損することは、すべて禁じられ、かつ訴追できないものとする。

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伝書鳩と塩の仕訳

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伝書鳩
伝書鳩


最近はあまり見かけなくなったけれど、筆者などが小学生の頃は、近所や同級生に、結構「伝書鳩(でんしょばと)」を飼っている人がたくさんいました。

伝書鳩というのは、は、カワラバト(ドバト)などのハトを飼い馴らして、ハトの帰巣本能を利用して、遠隔地からハトにメッセージや小さな荷物などを持たせて届けさせるというものです。

伝書鳩とヒトとの関わりは非常に古く、古くは旧約聖書のノアの箱舟に、小枝を届けた鳩の記述があり、紀元前約5千年のシュメールの粘土板にも使用をうかがわせる記述、紀元前3千年のエジプトでも、漁船が漁獲量を陸に伝えるために使われていたという記録があります。

ギリシャのポリス間では、競技会(いまのオリンピック)の覇者について、鳩の足に赤いリボンを結び付けて、故郷に勝利と栄光を伝えたのだそうで、ローマ帝国の時代になると通信手段として広く普及。

さらにジンギスカンも、カエサルも、ナポレオンも、戦いの状況報告に伝書鳩を使っています。

日本でも、飛鳥時代には輸入され、江戸時代には広く普及しています。

なるほど、伝書鳩は昔は使われたものだ・・・とご理解いただけると思うのですが、実はこの伝書鳩、大東亜戦争でも、大活躍をしています。

昨日の記事で、パラオ・アンガウル島の戦いで、艦砲射撃で島内の通信がズタズタに切断された中、残った通信手段が伝書鳩しかなかったということを書きました。

いま、事業仕訳で日本における「塩」の備蓄が民主党の「仕訳人」たちに「不要」であるとレッテルを貼られていますが、筆者から見ると、

「えっ?! たった10万トン(3か月分)しか備蓄がないの?」という感じです。

何十年も洪水が発生してないから、堤防を築いたりメンテナンスしたりする必要が「ない」ことにはなりません。

万一のことに備える。それは国家としての大命題です。

脱線しましたが、なるほど世の中にはハイテクが発達しましたが、なんらかの天変地異で電力の供給がなくなったら、日本の情報通信ネットワークは、その時点で壊滅です。

早い話、まるで無防備な北陸の原子力発電所ひとつが、どこかの隣国の軍隊によって破壊もしくは占領されたら、その時点で、関西から東海地方の電力はアウト。

充電しなければならない携帯は使えないし、電話もダメ、パソコンもテレビも全部、ダメ。真夏の猛暑にエアコンもダメ、高層ビルではエレベーターも停止です。
どうすんでしょうね。

ローテクといって馬鹿にするようなことが、最後土壇場になると大きな力を発揮する。

そして平時には不要不急に見えることが、実は災害などの非常時にはたいへん重要なことになる。

そういうことを、日本人は忘れてはいけないのだと思います。

さて、伝書鳩です。

フランス革命のとき、王妃マリー・アントワネットは、投獄中に伝書鳩で外部の王党派と連絡を取り合っていました。
雪のような純白の鳩だったそうです。
マリー・アントワネットは、その鳩を「La Naige(ラ・ネージュ、雪)」と呼んで可愛がっていたとか。

日露戦争(1904〜1905)では、旅順要塞のロシア軍が伝書鳩を使って外部と連絡を取りあいます。
乃木大将率いる日本軍は、これにおおいに困り、宮中に鳩退治のために「鷹」を出動させてくれ、と要請します。
ところが、鷹には鳩を襲う習性がない。
そこで宮中では、急きょハヤブサの育成をはじめますが、その訓練半ばで旅順要塞は陥落してしまった。


伝書鳩は、第一次世界大戦(1914年〜1918年)でも大活躍します。
なんと20万羽以上が使われた。

この時代には、電話も電信も普及しています。
しかし情報通信の分断は、戦略上非常に重要な作戦です。

電話は電線を切断されしまったらアウトだし、電信も未だ無線技術が確実性が乏しかったのです。
だから伝令に伝書鳩は欠かせなかった。

第一次大戦後、イギリスは、「もう戦争も終わったし、事業仕訳して経費を節減しちまえ」と、軍の鳩舎を閉鎖し、2万羽の伝書鳩と四百人の専門トレーナーを解雇してしまいます。

一方、巨額の賠償費を取られることになった敗戦国ドイツは、長引く不況の中でも伝書鳩の飼育を継続し、ヒトラー率いるナチス党が政権を握って間も無くの昭和九(1934)年には、完全に法のもとで、伝書鳩を政府の保護下に置きます。

ヨーロッパにナチスドイツが台頭し、再び戦争の影が差し始めた頃、ハイテク無線が通信の主役になっていたイギリス軍部にあって、オスマン少佐という人が、伝書鳩の重要性を説き続け、2年がかりで軍内部に伝書鳩局を開設させ、飛行機には万一に備えて必ず伝書鳩を搭乗させることを義務付けます。

多くの人から「無駄なこと」「経費の無駄遣い」と、そしられる中で、いよいよ第二次世界大戦が始まる。

間も無く、スコットランドを発った一機のイギリス軍爆撃機が、ノルウェー沖で、エンジントラブルで墜落します。

この機に搭載された伝書鳩のウィンキーは、なんと墜落の衝撃に堪え、海水と油にまみれてさんざんな状態になりながらも、二月の寒風吹き荒ぶ夜空の洋上を飛び続け、翌朝、未明には基地に帰還して鳩小屋係の軍曹に発見されます。

ウィンキーが帰還したとき、救助本部では既に墜落現場の捜索が、その広過ぎる捜索範囲に、もはや断念、とされていたのですが、ウィンキーの体の状態と凡その飛行時間から遭難現場の絞り込みに成功。

救命ボートで洋上を漂っていた乗組員、全員が無事救助されています。

この一件で、ウィンキーは戦時功労賞として、軍用犬18頭、軍馬3頭、伝書鳩32羽を受賞し、伝書鳩局は一躍脚光を浴びる事になります。

ウィンキーと仲間たち
ウィンキーと仲間たち


イギリス軍の伝書鳩は、さらに大活躍をします。

アメリカ軍が、ドイツ軍の占領下のあるイタリアの街を爆撃しようとしたときのことです。

イギリス軍がその町に到着すると、ドイツ軍はすでに撤退したあとだった。

イギリス軍部隊が、敵不在、爆撃中止を米軍に伝えようとしたら、無線機が故障して連絡が取れません。

爆撃開始予定時刻まで、あと20分。

急遽書簡を託された伝書鳩、その名も「GIジョー」は、米軍基地までの32キロの道程を、時速100キロノ猛スピードで飛び、間一髪、出撃直前の爆撃機部隊を止める事に成功しました。

これによって命拾いしたイギリス軍兵士の数は1千人以上にのぼったそうです。

こうしてイギリス軍の伝書鳩による伝令成功率は、なんと98%。

これに対抗してドイツ軍では、フランスやベルギーから大量のハヤブサを放ってイギリス軍の伝書鳩を襲わせます。

ハヤブサは、水平飛行時の飛行速度は鳩と同じで時速100キロです。
ところが、獲物をとらえるために急降するときは、なんと時速300キロの猛スピードになる。
この速度は、鳥類最高なのだそうです。
訓練を積んだ伝書鳩でも、これには敵わない。
しかも、上空背後は、視野の広い鳩にとっても死角です。
狙われたらまず助からない。

ところが、1942年にベテラン鳩飼育者チャーリー・ブルーワーがフランスに送り出した「エクセターのメアリー」は、幾度もハヤブサの鉤爪を逃れて舞い戻ったそうです。

ある時は胸を22針も縫う大怪我を負っていたけれど、それでも回復すれば戦地に送られ、必ず戻ってきた。

最近の研究で、賢い鳩は、ハヤブサが獲物を鉤爪にかけるときに、ほんの一瞬、空中で一時停止する、そのときを見計らって、羽ばたくことを停止し、石のように急速落下することで、逃げ延びることが明らかになったそうです。
おそらく、メアリーはこの方法で、ハヤブサをふりきり、なんと第二次世界大戦を終戦まで生き残っています。


ちなみに、携帯電話の普及から、最近では、鳩の地磁気探知能力が影響を受け、1990年代後半から、日本国内でも迷子になって帰巣できない伝書鳩が激増しているのだそうです。

いまでは、国内だけで、帰巣できない鳩が年間60万羽にのぼるとか。

「平時にあって戦時を忘れず」というのは武家の心構えですが、平時にあってもあらかじめ非常時への備えをする、というのは国家の運営にとってとても大切なことです。

塩の備蓄そのものを、あたまから「不要」と鼻で笑うような人間に、たとえそれが国会議員であったとしても、たいせつな国家の予算や国政を任せることはできない。

ヒトには、誰しも間違いがあるものです。
失敗の連続が人生でもあります。
だから失敗がある、ということは、それ自体はとても良いことです。

しかし、同じ過ちを二度繰り返すのはアホです。

前回の衆院選で、「自民党にお灸を据える」、あるいは「子供手当をもらえると助かる」などと民主党に投票したみなさんは、次回以降の選挙では、絶対に、同じ「あやまち」をしないでいただきたいと思います。

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Author:ねずきち
日本が好きです。ていうか人間が大好きなのかな。心って、ものすごく大きなこともなしとげる。その時代時代に、真剣に生きた人たちから学ぶこと。歴史って、いまを生きる人が過去に学ぶためにあると思う。だから、歴史にIFは禁物だなんて思わない。歴史を学び、もし〜だったらと考えることで、人は何かを感じることができるんだと思う。

政治に混迷が続く中で、もういちど私たちは過去を振り返ってみる必要もあるのではないか。そうすることで、もしかしたら一条の新しい光を見出すことができるのかもしれない。

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