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十和田湖

樋口一葉といえば「たけくらべ」で有名な明治の女流作家です。
以前は五千円札にも顔が載っていた^^
1985年(明治28年)、当時、めっちゃ売れっ子作家だった樋口一葉は、東京・渋谷に住んでいた。
明治を代表する売れっ子作家です。
さぞかしゴージャスな暮らしをしていたかと思えば、さにあらず。
彼女は渋谷の長屋住まいで、暮らしも質素・・・というか、貧しかった。
着る者も1枚しかない。
だから、着ている着物を洗濯して乾すと、他に着るものがないから、腰巻き1枚で、部屋で執筆作業をしていたそうです。
当時の長屋は、土間+1部屋。平屋で、障子をあけると、裏庭まで見通せた。
そんな部屋の中で、若い樋口一葉は、裸に腰巻ひとつで、たけくらべを執筆していたといいます。
明治の日本の庶民の暮らしは、それほどまでに貧しかった。
そんな明治時代に、日本は、日清・日露の戦争を戦います。
明治政府は、軍艦も、鉄砲も大砲も、基本、ぜんぶ日本国内で製造した。そのための大量の雇用も促進した。
戦費の足らない分は、海外から資金調達したのだけれど、日露戦争のときに、世界中が、絶対に日本は負けると見ていた中で、積極的に日本にお金を貸してくれたのが、昨年倒産したリーマン・ブラザースだったというのも、有名な話です。
話が脱線しましたが、ともあれ明治政府は、富国強兵を柱として、日本国内で軍需産業の育成を図った。雇用の確保を図った。
鉄砲や軍艦を作った。
軍隊にも人を雇い入れた。
そのために多くの人が職を得て、消費が活気づいた。
その消費が、文壇にもまわり、日本は漱石や一葉など、世界に誇る文豪を輩出しています。
お金が、世間に流通することで、日本は少しづつ豊かになっていったのです。
昨今、民主党などが、しきりに政府の歳費の切り詰めや、公務員のクビキリ、給与のカットなどを主張しています。
しかし、公務員の給与カットや、大がかりなクビキリなどを実際に行うと、上に書いた明治という国家が力をつけ、経済力と国力を増していったことの、正反対の効果が起こります。
雇用が減り、国内に流通するお金も減ります。
つまり、日本は、ますます貧しくなる方向に拍車をかける。
民間が四苦八苦しているのに、公務員がいい給料をもらうのは許せない、というご意見は多いけれど、政府が公務員を粗末にしたら、国内景気はますますひっ迫するし、粗末にされた公務員は庶民を粗末にする。いいことなんてないです。
もっとも、日教組に所属している教師などの給料を半分にカットしたり、彼らをクビにすることには大いに賛成ですけどね。
話がますます逸れました。
えっと、樋口一葉です。
一葉が、大ヒット作「たけくらべ」を書いたのは、そんな日露戦争開戦の9年前。
まだまだ日本が貧しかった時代のことでした。
この時代、長屋に住む多くの人の着物といえば、一張羅。
一張羅というと、いまではたくさん持っている衣類の中の、特別な被服くらいに思われていますが、この時代の一張羅は、いま着ている、その着物、一枚しか着るものがない。
まさに一張羅だった。
一葉に限らず、男性なども、着ている着物と褌(ふんどし)を、を井戸端で洗濯したら、他に着るものがないので、素っ裸で、疎チンも丸出しのまま、干した着物が乾くのを待った。
なにせ乾くまで他に着る者がない。
全国の人と富が集中する東京ですら、そんなだった。
これが地方にいくと、もっと貧しかった。食うものもなかった。
樋口一葉が、ちょうど「たけくらべ」の執筆をしていたころ、秋田県鹿角市(かずのし)の武士の家に生まれた、和井内貞行(わいないさだゆき)氏は、同じく秋田県小坂町にあった小坂鉱山に勤務します。
で、十和田湖のほとりに住んだ。
十和田湖は、青森県と岩手県、秋田県、3つの県の交差点に位置する湖です。
面積は61.1 km²。日本で12番目の面積規模。
ヒメマス

現在十和田湖は、年間200万人近い客が訪れる東北有数の観光地で、ヒメマス漁獲高も日本屈指の豊かな湖ですが・・・・・
和井内貞行氏が、十和田湖に住んだ頃には、十和田湖には、一匹の魚もいなかった。。。
鉱山技師だった和井内貞行は、「この十和田湖に魚がいたら、このあたりの人たちは新鮮な魚を食べられる。食うに困らなくなるのではないか」と考えます。
そこでいろいろな人に相談をして、十和田湖に魚を放してみた。
貞行、26歳のときのことです。
貞行は、はるか遠くの港まで買い付けにいって、最初は鯉(コイ)を600匹放した。
資金?
自分のお金です。
貯金全部をはたいて、鯉を買い、それを山道をわざわざ十和田まで運び、放したのです。
ところが、地元には、古くから「十和田湖の神様は魚が嫌い。だから十和田には魚は住まねえんだ」という伝説があり、伝説を信じる土地の人々から、貞行はボロクソに悪口を言われたそうです。
5年がたち、鯉は十和田湖で大きく育ってくれた。
悪口を言っていた土地の人たちは、大喜びして、みんなで鯉を獲り、腹いっぱい食べた。
ところが、あまりにみんなが喜んで鯉を収穫したので、肝心の鯉が、湖からいなくなってしまった。
十和田湖は、再び、魚のいない湖に戻ります。
和井内貞行は失敗してしまったのです。
和井内貞行

最初の鯉に、貯金をはたいた貞行には、もうお金がありません。
それでも貞行は、少しづつ給料を貯めては、いろいろな種類の魚を仕入れ、湖に放し続けます。しかし、どの魚も育たない。
それから12年後、38歳になった貞行は、貞行は小坂鉱山をやめ、退職金で、十和田湖で魚を育てることだけに取り組むことにした。
自分の財産を遣って、毎年のように、いろいろな種類の魚を十和田湖に放した。
カワマス、日光マス・・・etc...
しかし、何年かかっても魚が育たない。
和井内貞行は、ついに自分の金をつかいはたし、借金までして魚を放していた。
ただでさえ苦しい生活です。
それでも、貞行はあきらめなかった。
貞行44歳のときのことです。
貞行は、ヒメマスの稚魚を買い、十和田湖に放した。
ヒメマスは3年たつと、放した場所に大きくなってもどってくるという、噂を耳にしたのです。
貞行は、近所からは変人扱いされ、生活も乞食同然。家族はおかゆをすすり、家族全員が、一張羅の、ボロボロの服・・・それが服と呼べればだけど・・・を着ていたといわれています。
だから、このヒメマスが最後のチャンスだった。
ヒメマスを放してから3年がたちます。
貞行47歳のある秋の日、十和田湖の湖畔に立つ貞行の前に、大きく育ったたくさんのヒメマスが帰ってきました。
貞行は、呆然と立ちすくみ、何も言わず、滂沱の涙を流したといいます。
貞行は、ようやく十和田湖に魚を育てるという夢をかなえた。
最初の鯉(恋ではありません)に失敗してから、なんと22年が経っていた。
貞行は、魚を育てただけでなく、美しい十和田湖を全国に紹介することも行った。
十和田の自然と、おいしいヒメマス料理を求めて、多くの人が十和田に訪れるようになった。
自分を犠牲にしながら、人々の飢えから救うために、魚の済まない十和田湖で魚を育て、十和田湖の観光の基礎を作った和井内貞行。
明治という日本には、そういう、他人のために人生のすべてを捧げる生き方をする気骨があった。
いまの若い子供たちに理想の職業のアンケートを取ると、男子の1位が「お笑い芸人」、女子の2位が「キャバクラ嬢」なのだそうです。
人を笑わせ、世に一瞬の快楽を与えることもよいことでしょう。
ストレス社会の中で、疲れたサラリーマンに一瞬の夢を与えるキャバクラ嬢になることもいいいでしょう。
しかしね、彼ら彼女らが、人生をかけてその仕事をし抜くというなら格別、ただ、いっときの贅沢な暮らしのためにお笑いやキャバクラ嬢を目指しているなら、ねずきちはすこし残念に思うのです。
職業に貴賎はないといいます。ボクもそう思う。
だけど、自分が豊かになる、という選択よりも、多くの人を豊かにする、そのために自分の生涯を捧げるという生き方だって、あってもいいのではないでしょうか。
売れっ子作家になりながら、樋口一葉の短い生涯(享年25歳)の人生は、貧しさの中にあった。
彼女は、作家として得たお金を、さらに困窮した縁故の人たちに与えていたといいます。
和井内貞行氏の人生は、貧しかったけれど、彼は多くの人に愛され、没後百年以上経ったいまでも、地域の人に愛され続けている。
お金だけが「豊かさ」の象徴のように言われる世の中ですが、お金がなくても、多くの人々に尊敬され、愛される生き方、なにかに人生を捧げるという生き方もあるのだということを、もういちどぼくたちは考えてみるべきときにきているのかもしれません。
ましてね、政治権力欲しさに、中共や韓国にわざわざ出かけて行って、日本政府にカネを出させるからと、献金をおねだりし、カネを彼らの国にある金融機関の自分名義の口座に振り込ませ、これを日本国内の銀行から引き出す。
それでも、巨額の資金を隠しきれず、あろうかとか死亡者の名前まで使って個人献金を受けたことにし、「あれは自分のカネだった」とあつかましい発言を行うような輩。
挙句、中共や韓国や在日におもねった発言や法案提出まで行い、伝統ある日本を、まっさかさまに突き落とす売国行為を繰り返し、さらにその資金目当てに他の政治家が群がる。
それこそ金権腐敗の極致だと思う。
世の中なんでもかんでもカネカネカネと、カネゴンじゃあるまいし。
いつのまに日本は、そんな政治屋に騙されるふがいない国民になりさがったのだろう。
明治の気骨。和井内貞行氏の、自分を犠牲にしてでも世のためにつくそうという公徳心は、彼が武家出身だったところにも、おおきな原因があるのではないか。
日本は、もういちど原点にかえるべきときがきているのかもしれません。
日本は原点に帰れ!と思う方
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夏の十和田湖の思い出