日本に手を出した国は必ず滅びる・・・それが歴史の事実です。 日本は相互信頼主義を根本とする国です。 命をかけて戦った先人たちの努力を見直し、日本の素晴らしさを再認識して、階級闘争主義の汚染から日本を守ろう。

いよいよ都議選

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いつも思うことですが、右翼、左翼という表現
あれはおかしい。
右と左、左右なら、等価にみえます。
つまりあれは、実際には少数の市民集団でしかない左翼が、あたかも自分たちは保守派とおなじだけの力をもっているのだ、と偽装するためにの言葉。それが左翼・右翼です。

ネトウヨという言葉もあります。
日本人のほとんどは、保守です。
ネット上は、庶民が自由に発言をするから、当然、保守の意見や閲覧者が多い。
だけど、ネトウヨとレッテルを貼ると、実際には9割が保守でも、ウヨクとサヨクが同数のように偽装される。なにせ左右なら等価にみえる。

タカ派、ハト派という言葉もありました。。。。
市民の平和と安全をまもるためにちゃんと自衛しようというのに、タカ派と聞いたら、なにやら攻撃的でいかがわしいものに感じてしまう。
ハト派というと、いかにも平和主義的に聞こえる。
日本人の多くは争いごとを好みません。
誰かの喧嘩がはじまったら、みんなでとめる。それが日本人です。
そういう日本人に、ハト派という言葉は非常にウケがいい。
でも考えてみてください。
近所に凶悪犯の脱獄囚が現れたら、どの家だってちゃんと玄関に鍵をかける。自警団を組織して地域の防犯体制を強化する。あたりまえのことです。
なのに「彼らはタカ派だ」とやると、自警団を組むこと自体が、なにやら攻撃的で血の気の多い不穏な動きのようなイメージになってしまいます。
実際にはむしろ、ハト派を自称している人たちの主張・・・凶悪犯に大金を与えよう・・・のほうが、よほど危険だし、自称ハト派というのは、凶悪犯一味の仲間だったりする。

社会主義とか共産主義とかいう言葉も偽装です。
社会の相互信頼を阻害し、家庭内や、親子関係、恋人同士の関係、上司と部下の関係、地域社会と個人、個人と国家、それらすべての関係から、「信頼」の2語を削り取り、ありとあらゆる関係を“階級闘争”にしてしまう。
なのに、社会主義という言葉を聞くと、なにやら社会を信頼し大切にする制度のように偽装される。
共産主義というと、みんなで和をもって社会を構成しようという哲学であるかのように偽装される。
中身はなんのことはない、階級闘争主義、相互否定主義です。

コミュニストなんて言葉も同じです。
コミュニストと聞くと、互いにコミュニケーションをとって仲良くすることを目指す人たちのようなイメージですが、中身は真逆です。
相互コミュニケを破壊し、社会に混乱と無秩序を招こうとする主義でしかない。

人民解放軍なんて言葉も、実にご都合主義的です。
やってることは、人民殺戮軍、人民収奪軍、人民強盗団でしかないのに、言葉だけは解放軍。
とんでもないです。実際にシナの大地で人民を圧政や殺戮から守り抜いたのは旧日本軍です。

リベラルとか人権派いう言葉も同じです。
リベラルとか人権派などと聞くと、なにやら庶民主義的な感じがするけれど、実際の中身は階級闘争主義です。
人権擁護と言いながら、その実、やってることは社会の秩序を乱し、悪人を擁護し、多くの市民が犠牲になることをなんとも思わない。


前にも書きましたが、日本社会の根底にあるのは、相互信頼主義です。

日本社会は、「信頼主義」。

自由主義でも民主主義でもないです。
ましてや社会主義でも共産主義でも契約主義でもない。

日本にあるのは、「信頼主義」です。

家族間でも、親子関係でも、恋人どおしでも、会社内の上下関係でも、地域社会でも、商売でも、日本社会のすべてに共通しているのは、相互信頼。

狭い国土に人々がひしめきあって暮らしている日本という国で、その相互信頼が崩れたら、それこそ社会は崩壊です。

相互信頼がないとどうなるか。

たとえば上司が部下に言うことを聞かせようとする。
相互信頼がないのですから、強制するしかない。
それでも言うことを聞かないなら、そういう人間を排除するしかない。
あるいはみせしめに凌遅の刑を施す・・・・ろくなことにならないです。

昔、日本軍がシナで庶民の生活の安全を守るために戦っている頃、城塞都市に立てこもるシナ兵は、銃など持ったこともない市民に銃を持たせ、
「敵が来るから、撃て」と命じたといいます。
そして、味方であるはずのその市民の後ろから、銃を突きつけた。
命令通り撃たなければ、後ろから殺すぞ、というわけです。
モチベーションなんてないです。
言うこときかなきゃ殺される。あるのは恐怖です。

だから、日本軍がやってきて、シナ兵が逃げ出すと、市民兵たちも我先に逃げ出した。
どさくさまぎれに市民の家屋を襲って強盗を働く者、強姦をする者もあらわれた。

そんな社会に「相互信頼」などないです。

そこに日本軍がやってくる。城塞都市を占領する。そして町に食糧を供給し、医療保護を与える。治安が回復する。
人々の安定した暮らしが再開する。
日本兵との信頼関係が構築される。

日本兵が大陸で悪いことをやった?
冗談じゃぁないです。
現地の人たちとの相互信頼を崩すようなふるまいをしたら、その兵隊は懲罰対象です。
上官から軍靴で往復ビンタされた。

だから中共が大陸で政権を獲ったとき、日本になじんだ人々を畏れたのです。
日本は悪くないなどと大陸で語る者は、片端から粛清された。殺された。
なんとその数、数百万。

日本兵は玉砕戦を戦った。
命令されたから? 強要されたから?
冗談じゃあないです。
だったら、上官が戦死したら、みんな逃げてます。降参しています。

日本兵は、上官が戦死しても、指揮命令系統が総崩れになっても、最後の一兵まで戦った。
そんなの、指示や命令でできることじゃないです。
祖国を守る。正しく生きる。
その強い使命感が、ひとりひとりにあったからです。
自分がここで最後まで戦うことで、国内では多くの仲間が、ワシらの家族を避難させてくれる、助けてくれる。世話になった町内の人をひとりでも守ることができる。
先輩を、先生を、部活の仲間を、同級生を、大好きだったなおちゃんを、絶対に守り抜くんだ!
そんな思いや気持ちがあったから、みんな最後まで戦った。

その根底にあるのは、相互信頼です。
仲間や家族や、地域や国家を、信じ抜く。

日本は古来、相互信頼主義なのです。

いまの世の中どうですか?

戦後左翼のおかげで、相互信頼がぐちゃぐちゃに崩れている。

「政権交代」という言葉が、町をにぎわせています。

「自民がダメだから、政権交代だ」

ウソいうらたあかん!
この段階で、ねずきちは、いかがわしさを感じるのです。

なぜなら、「自民がダメ」と、これまでの一切を否定している。
「政権交代」という“闘争”をあおっている。

そこに「信頼」の2字がない。

民主党の鳩山代表は、「友愛」を説きます。

これもいかがわしい。
近隣諸国との「友愛」を説くなら、なぜその前に、国内の政府与党との友愛をしないのか。
なぜ批判や非難ばかりを繰り広げるのか?

明後日には、いよいよ都議選が始まります。
今回の都議選は、衆院選挙の前勝負といわれている。

ねずきちのところにも、友人から電話がかかってきました。
「いまこそ東京をぐちゃぐちゃにした石原都政をくつがえすときだ」というのです。

ねずきちは言いました。
「ぐちゃぐちゃって、何がどうぐちゃぐちゃなの?」

彼は云いました。
「ぐちゃくちゃだよ。だから民主に入れなきゃダメなんだ。誰か都内に知り合いはいないのか?」

ねずきちはいいました。
「だから、内容空虚な言葉はいいから、ぐちゃぐちゃの中身を教えてくれよ」

すると彼、
「そんなんわかんねぇよ。どうでもいいじゃん。とにかくダメなものはダメなんだ」

ねずきち、
「あはは、わからんなぁ。なにがどうだめなのか、具体的に言ってもらわんと判断のしようがないよ」

「それにさ、石原知事になってから、工事途中でまる30年放置された環八延長工事は再開して道路が通ったし、首都高の延長工事も完成した。30年間工事途中のまま放置された蒲田駅前の道路拡張工事は、あっという間に完成した。大東京マラソンは実施になったし、こんどはオリンピックまで開催になる。
悪いけど、オレ、石原さんの都政、見事だと思うぜ?」

「それにさ、いくら石原さんが優秀だって、なにをやるにも都議会の協力がなければはじまらないんだ。その都議会では、石原さんの政策に全面的に賛同したのが自公。共産党と一緒になってなんでも反対ってやってたのが、民主党だ。それを応援しろってか?」

すると彼・・
「いまの話って、ほんとか??」

ねずきち、
「ああ、ほんとだとも。ほんとも何も、事実が証明してるだろ?」

彼、「だとしたら、ぜんぜんぐちゃぐちゃじゃないじゃん」

ねずきち、「あぁ、そうだよ^^」

どうやら彼はわかってくれたようです。

都議選、与党は決して負けるわけにいきません。
与党の候補者のみなさんは、是非、強気で頑張っていただきたい。
都民はアホじゃないです。
ちゃんと話したらわかる。

いまは語りに語り抜くときです。
なにせマスコミは、ちゃんとしたことを報道しない。
与党候補者の皆さんが語らなくて、いったい誰が語ってくれるのですか?

都民の皆さん、そして東京に友人のおいでのみなさんには、是非、与党への応援をお願いします。

都議選に続く衆院選は、おそらく8月30日(もしかすると9月2日)が投票日となります。てことは、お盆の前日、8月13日あたりが告知かな。

都議選を関ヶ原にたとえるなら、
8月30日は天下分け目の夏の陣。
冬の陣には、政界ガラガラポンがはじまります。

今回の都議選、衆院選は、日本を救えるか救えないかのギリギリの選択選挙です。
みなさまの一票が、日本の歴史を変える。

終わりに麻生総理の東久留米での演説の動画を掲示します。

麻生総理の言葉をよく聞いてみてください。

麻生総理は、自民党が良かったなどとは言っていません。
自民党にも問題はあったけれど、総理である自分から国民を信頼するから、国民も信頼に応えてほしいと述べられている。

友愛などと内容空虚な言葉を唱えながら、日本の一切合財を否定する民主党よりも、ねずきちには麻生総理の言葉のひとつひとつのほうが、断然しっくりくるのです。

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麻生太郎総裁街頭演説_東京都・青梅駅前_2009/07/03

小学校塾教材に自虐史観って!?

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MSNのニュースに、以下の記事が掲載されました。

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「小学校塾教材に自虐史観 南京犠牲「十数万人」記述も」
http://sankei.jp.msn.com/life/education/090707/edc0907072300004-n1.htm

大手学習塾の栄光ゼミナール(本部・東京都渋谷区)の小学5年生の社会科教材で、昭和12年の南京事件を「市民十数万人を虐殺(南京大虐殺)」と記述するなど、自虐史観に偏ったものが使われていることが分かった。

塾の教材は教科書検定のようなチェックなしに使われており、識者らは「子供が初めて学ぶ日本史が、日本を悪と強調する10年以上前の教科書の内容で、それを丸暗記させられている」と警鐘を鳴らしている。

栄光ゼミナールは、首都圏を中心に318拠点で小中高校生向け教室を展開する。
同社広報室によると、中学受験指導コースで使われている「私国立中受験新演習小学5年社会下」で、「1937年12月、首都南京を占領した日本軍は、市民十数万人を虐殺(南京大虐殺)し、世界中から非難をあびました」との記述がある。

千葉県内の教室では、講師が「南京大虐殺」「強制連行」「集団自決」などを正答とする穴埋め問題のプリントを授業で使用。
プリントでは、終戦間際のソ連の対日宣戦布告を米英との協定に基づいて行われたとする一方、日ソ中立条約違反だったことには触れない偏った内容となっている。

同社は、
「教材は生徒の志望校合格を目的に、文部科学省が認定した教科書の内容を基に、入試問題を参考に作成している。これらの変更がない限りは直ちに修正はしない」
としている。

しかし、小学6年の社会科で登場する日本史で、現行教科書に「南京大虐殺」「強制連行」などの単語はない。
「十数万人」についても、文科省幹部の一人は「被害者数についてはさまざまな学説があり、教科書なら検定意見の対象となる」と指摘。

「中学入試で近現代史の出題は多くない。塾でここまで詳細に教えようとしているのは、違和感を覚える」とも話す。

子供が同塾に通っている千葉県在住の男性は、「5年生に歴史を教えるポイントとしてプリント内容が正しいとは思えない。なのに、子供は疑問を抱かずに丸暗記しようとしている」と不安を訴える。

「新しい歴史教科書をつくる会」会長の藤岡信勝拓殖大教授は、
「教科書は小学校でも中学校と連動して自虐的な内容が改善されており、教材はその動向に真っ向から反している」と指摘。
「教育基本法の下にある学校教育の枠組みの外で、『試験に出るから』という動機付けで偏向教育を塾で行うことは許されない。親は子供が塾で使っている教材に目を光らせる必要がある」と話している。
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何度も書くけれど、南京で実際に起こったことは、蒋介石率いる国民党兵士が、武力を用いて南京の城砦都市を占領。

そして、国民党は市民に銃を突きつけ、「これから日本がここを攻めてくるから、おまえら、銃を持って戦え!」とやった。

南京市民は、仕方なく銃を持って、城塞の塀に並び、日本軍めがけて発砲した。

ところが、日本軍は正規の軍隊。南京城塞側は、国民党兵士に後ろから銃を突きつけられて、わけもわからずめくら撃ちしている市民兵。

日本軍の猛攻が始まると、国民党の連中が、まっさきに逃げ出した。

銃をとっていた南京市民は、後ろにいた国民党兵士達がいなくなると、我先に逃げ出した。

そして南京城は、陥落。

日本軍が入場すると、戦いのあった反対側の城砦の壁には、何本もの紐が垂れ下がり、その紐の下には、シナ人たちの銃が、投げ捨ててあった。

日本軍が、南京に入場し、城内の治安を回復。

日本の軍人たちが、市民に手を出さないとわかると、周辺に逃げていた南京市民達が戻ってきた。それだけでなく、日本軍によって南京市の治安が回復されたと知って、多くの周辺都市からもシナ人たちが集まってきた。

このため、南京城攻防戦の前の南京市の市民の数が20万人だったのに、日本軍の占領後は南京の人口は25万人に増加。

年が明け、正月になると、日本軍は内地(日本本土)から、正月の松飾りや、餅を大量に取り寄せ、市民たちにお雑煮を振る舞ったりした。

日本軍舎の前では、シナ人の子どもたちが爆竹を鳴らして、歓声をあげていた。

以上が、南京で起った事実です。

映像にも残っている。

だいたい、ドンパチやっている戦いの最中ですら、「使用弾薬何発。残り弾薬数何発」と、何度も伝令を出して司令部に報告を入れなければならなかったくらい、日本軍は物資に乏しかった。

それが、30万人の市民虐殺など、いったいどうやって殺すのか。

30万人に、1発ずつ銃弾を撃ち込んで殺すとしても、それには30万発の弾薬がいる。

そんな弾薬、日本軍は持っていません。

機関銃で殺したに違いない?!

バカなことを!

当時の日本軍の機関銃は、米国製の1秒間に何発という高性能機関銃ではない。

パン・・・パン・・・パン・・・と断続的に撃つのが精いっぱい。1分間に打てる弾はおおむね40発。しかも5分も撃ったら過熱して、砲身を冷やさないと、焼き付いた。

以前、シナにそのへんのことを言って噛みついた人がいて、そしたらシナいわく「日本兵は日本刀で、何万人も斬り殺した」

バカをいっちゃぁいけません。日本刀はたしかに切れ味鋭いけれど、3人も斬ったら、脂にまみれて、斬れなくなる。
それに、人間の体というのは、脂にまみれて斬れなくなった刀でも通せるほどヤワじゃないです。

加えて、当時のシナ人の便服というのは、めちゃめちゃ生地が厚い。銃剣で突き刺そうとしても、素人では刃が立たなかったというのも、有名な話です。

南京に従軍した村田ほどちかい村田和志郎氏(第18師団歩124歩兵伍長)の日記に、こんな記載があります。

<引用>-------------------------
湖州は浙江省の首都、呉興県政府の所在地。
城壁をはいると家屋は焼けて一面の焼け野原となり、殆ど瓦礫の巷と化していた。
とくに商店街は影も形もなく、処々に多数の支那兵の死骸が生々しい姿で倒れ転がっていた。誠に見るも無残な有様であった。

街には人影がみられない。
それでもどこからか若い女が三人でてきた。
我々の姿を見ると、彼女らは我々をぽつんと残った唯一の焼け残りの小屋へ招きいれ、いち早くズボンを脱ぐと、進んで下半身を丸出しにした。
助けてくれと一心にわれわれを拝んだ。
我々は三名で巡察の途中で思いかけぬ出来事に遭遇してしまった。

一人は娘、残る二人は人妻らしい体つきだった。自分達は彼女らをそっとして置いてやった。
それでも恐怖に怯え、彼女ら三人はおののいて、脱いだ紺色のズボンを容易に身につけようとしなかった。
体を提供しても生命さえ助けてもらえれば、これに越したことはないと観念していたかに見えた。

また、ある民家では中年の女性が寝てうめいており、下半身を露出して指さして示し、何かわからぬ言葉を喋っていた。支那兵は逃亡の際、この女性に迫り、拒絶されると腹を立て、銃剣を一突きにそこに突き刺したに違いなかった。

夥しい出血で苦しんで訴えている。

すぐに治安維持会(既に結成されていた中国人の自治組織)に連絡して看護員を連れてきた。さて助かったかどうか。

このようにして略奪と暴行のあとを見せつけられた。
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当時のシナには、政府がありません。

清が滅びて、地方軍閥による内乱状態にあった。

内乱状態の中で、被害を受けるのは、決まって武器を持たない一般市民です。

そして武器を持ったシナの軍閥を名乗る狼藉者たちが、市民に対して好き放題の暴行を働いていた。

日本は行きがかり上、やむなく、その軍閥の中でも最大勢力であった蒋介石率いる中国国民党の連中を追い払っていた。

南京市は、そうした野党軍団である国民党が、勝手に乱入して本拠地にしていたから、日本は叩いたのです。

そして市民の生活に平安を取り戻した。

なかには、市民にまぎれて、日本軍に悪さをしかける国民党のスパイや、共産党のスパイがいた。

こうした連中は、市民の協力を得て、日本軍は逮捕し、国際法上適法な範囲で軍紀に照らして処罰した。

当然のことです。当時の国民党や八路軍の連中がどれだけ酷いことをしてきたか。

それがなんですか。日本軍が侵略して南京で30万人の市民を虐殺した?

冗談じゃないです。それをいうなら、日本軍は南京を攻略して、30万人の無辜の市民を救い、彼らの生命と財産を守ったのです。

それを、まったく正反対のねつ造歴史を、しかも小学生に教えるなど、言語道断です。

ねずきちは思うのです。
もう、ねつ造自虐史観など、うんざりだっ!
こういう自虐史観に取りつかれている連中は、政治・教育分野から、ことごとく追放すべし!
はっきり言ってそんなに日本が嫌なら、とっとと日本から出てけっ!

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南京大虐殺の真実 The truth in Nanjing

残虐なシナ人を日本に受け入れるな!

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下の図を見てください。

中国の日本侵略


シナは、明確な意図を持って日本を属州にすべく狙っている。

図で、西日本が直轄の「省」であり、東日本が「自治区」となっていることには理由があります。

西日本地域を含む大陸棚に眠るサウジに匹敵するといわれる石油・天然ガスを中国共産党のものにしたいという意図です。

「べつにおなじ黄色人種なのだから、国境なんてなくてもいいのでは?」と思う人がいるかもしれない。

肌の色がおなじで、顔かたちが似ていても、人種が違う、言語が違う、というのは、簡単に言ったら、「文化が異なる」ということです。

そして「文化」には、表の文化と、裏の文化がある。

表の文化とは、文学・芸術・建築・思想に代表される人類普遍の善なる文化です。

裏の文化とは、人殺し、強姦、虐殺、窃盗、詐欺など、人々を苦しめる悪行です。

たとえば、日本では、ケンカで相手を叩きのめすのも、刑罰も、基本的に相手を「懲らしめる」ところに目的を持っている。

人に刃物を向ける場合でも、刺すのは、腹であり、ふとももです。

つまり、相手の命まで奪うことは避ける。

これに対し、中国人は、刃物を持つと、相手の首を狙います。
相手を殺すことに主眼を置いている。

大東亜戦争の始まる前、多くの日本人が、朝鮮半島や中国、ロシアに住みました。

そこで起きた事件・・・通州事件や、尼港事件、和夫一家殺害事件、ロシアの樺太占領事件などをみると、各国には国民的特徴がある。

3国とも、相手が数の上でも政治的にも弱者とみなすや、大勢でよってたかって日本人を殺します。

その殺し方が、それぞれの国の国民性をよく表している。

シナ人は、残虐性を好みます。眼玉をえぐる、針金で手足を串刺しにし、指を切り落とす、生きたまま肉をそぎ落とす、性器をえぐりとるなど、きわめて残虐な殺し方をします。

朝鮮人のお得意は、強姦です。よってたかっての暴力と強姦。被害者の女性が死んでしまっても、その屍さえも犯す。

ロシア人は、せん滅型です。機関銃でバタバタと殺しまくり、その屍の上を、トラックや戦車で悠々と行軍する。

日本は、これらの暴力から現地の日本人を守るために軍隊を派遣した。

そして日本人の特徴は、刃向かうものには容赦せずに懲らしめるが、相手が弱者であれば、むしろ積極的に保護し、助けるというものです。
これはいまでも変わりがない。

ねずきちがそんなことを言っても、まさか、と思う人がいるかもしれない。

ここまできたら、少々酷だけど、シナ人による処刑の様子の写真を掲載します。

写真はあまりに残虐なものなので、縮小してサムネイルにしています。
クリックすると拡大します。
凌遅の刑1凌遅の刑2凌遅の刑3凌遅の刑4


この写真は、紫禁城に無断で侵入したものに対して実際に行われていたシナの「凌遅処死」という処刑の様子を写真に撮ったものだそうです。凌遅の刑ともいう。

この刑は、人を丸裸にし、生きたまま、3357箇所の肉をそぎ落とすというものです。

しかも10刀ごとに息を入れ、一喝して正気に戻す。

第1日目は親指から手の甲、胸の左右へと357刀肉を削ぎ取り、翌日もその翌日も、その刑が続く。

最初の一刀には大量な出血があるけれど、二刀目からは出血が減り、恐怖で血が下腹部や脹ら脛に溜まり、削ぎ終わってから胸を開けば一挙に血が噴き出すという残虐なものです。

「いや、そんなのは昔のことでしょう」という声も聞こえそうです。

いいや、違います。

彼らは、今もなお、属国にした東トルキスタンなどで、こうした残虐な行為を続けている。

そして施政者によってこうした残虐な行為を見せつけられた庶民は、自分たちよりも弱者に対し、まったく同様の残虐行為を行う。

半島人は、それをさらに屍姦する。

そういう文化を持った人たちが、1千万人も日本にきて、日本で選挙権を得て、団結して日本人を襲う。

そして日本という国を滅ぼし、日本の財物を奪う。

知的で紳士的で、親日的な人たちがやってくることは、ねずきちだっておおいに歓迎です。

しかし、そうでない人達が、大挙してやってきたら、日本はどうなる?

そこへもってきて、冒頭に記した自虐史観で、中立であるべき国会図書館を染めようとする法案通過です。


中国を観測し続けている台湾人・黄文雄氏は、著書『米中が激突する日』(PHP)に次のように書いています。

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ここ数年来のネット上における対日言論攻撃は、言語道断といえるまでに激烈化している。

たとえば『小日本』『日本鬼子』『倭猪(日本ブタ)』といった“人種差別”の侮蔑用語は一般的で、『大和民族を地球上から消せ』『中国人は神から日本人を抹殺する権利が与えられている』『BC兵器や核兵器で日本を滅亡させよ』といった攻撃的な意見が公然と飛び交っている。

『開放雑誌』2004年12月号によると、中国人を対象とした意識調査の結果、25歳以下の青少年のうち、敵対する捕虜や婦女子を銃殺することに「賛成」は82%に達していた。

そこでは、

「中国人でなければいくら殺してもかまわない」
「あえて中華民族に対抗する種族は殺しつくすべき」
「日本人婦女は強姦したあと殺すべき」
「日本人なら、男は腸を開いて皮を剥ぎ、女なら輪姦したのち殺すべき」
「日本人なら嬰児から老人まですべて殺しつくすべき」

という回答が多く見られたという。

このように、今日の中国人の反日意識とは、決して日本側が『反省、謝罪』をすれば解消できるという程度のものではない。

こうした民衆意識が中国の軍国主義化を支持し、推し進め、日本脅威論に激怒し、対日開戦論を盛り上げているのである。
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黄氏はこの本で、「民衆意識」と書いているけれど、共産党一党独裁政権の中国に、自由な言論など存在しません。

政府に批判的な意見を述べた者は、当然のこととして弾圧を受ける。

法輪功の学習者は、臓器売買のために、生きながら臓器を摘出され殺害されている。

現代中国のいう「民衆意識」というのは、共産党によって作られた民衆意識であり、ネットや雑誌に投稿している人間も一般国民だけでなく、当局の人間が入って意識操作を行っている。

その魔の手は、すでに日本にまでのびてきている。

1993年以来、中国は江沢民体制のもとで、反日愛国主義を吹き込まれています。

中国国民は、統制された言論の中で、日本への憎悪と敵愾心をたきつけられているといわれています。

特に中国の若い世代がその思考に染まっている。

高揚した国民感情は、はけ口を求める。
人を残虐な行為に駆り立てる。

その中国人を1千万人も日本に受け入れる?

正気の沙汰じゃあないです。

日本は、相互信頼主義を大原則とする国です。

その日本に、相互信頼などとは正反対の文化を持ち、むしろ日本人を殺戮することに正義を感じている外国人が大挙しておしかけることに、賛成どころか、これを積極的に推進しようとする勢力が、確かに日本国内にある。

さらに、日本人に対して、日本人がそうされることが当然という自虐意識を植え付けようと画策している連中がいる。

あろうことか、多くの地域で、選挙民はそうしたえげつない連中に騙され、そんな連中の代表者を国会議員に当選させている。

そうした売国議員に投票する人に、ねずきちは問いたい。

「あなたは、子や孫に、どういう未来を与えたいのですか? 」と。

なるほど上に示した写真は、中国の清の時代のものです。

しかし、通州事件や、尼港事件では、実際に日本人の婦女が、あの写真そのもの姿で虐殺されている。

中国を植民地化した欧米各国が、あまりのシナ人の残虐さに、シナ人の残虐さは、筆舌に尽くしがたいと、文書に残しています。

あの写真のようなことが、実際に日本で起き出すようなことがあったら、どうする。

現に、東トルキスタンでは、それが現実になっている。

私たちは、私たちの子や孫に、写真のような残虐で日本人が次々と殺される時代を残すべきなのか、それとも、信頼と平和を根本とする平和国家日本を残すべきなのか。

信頼と平和は、彼らに迎合し、カネをつぎ込めば得られると思ったら大きな間違いです。

戦前、日本が彼の国にどれだけの投資をしたか。
そしてその投資の結果が、日本人が襲われ、残虐に殺された各種事件です。
身を守るために、やむなく派兵した少数の軍隊も、多勢に無勢で、虐殺された。

だからやむをえず日本は、大軍を派遣したのです。

それが侵略戦争ですか?

日本人を守るために戦い、散っていった日本兵達が戦争犯罪者ですか?

間違えないでいただきたい。

戦い、散って行かれた日本兵は、いまを生きる私たちと同じ日本人です。

目の前で、上の写真のような公開処刑が起こったら、どうします?

あなたは、「やめろ!」と叫びませんか?

やめさせるために、警察を呼びませんか?

外国で起きた事態なら、日本国内を取り締まる警察に、その権限はありません。

軍を派遣するしかない。違いますか?

その軍にいた軍人は、誇り高き、日本の私たちと血の繋がった、若き日の祖父たちなのです。

人間も、人種も、その文化も、そうそう簡単に変われるものではありません。

私たちが、「やめろ!」と叫ぶなら、若き日の祖父たちも、同様に「やめろ!」と叫んだ。

その祖父たちを、貶め、恥ずかしめる法案を、卑怯にも、どさくさまぎれに通そうとするヤカラ。

彼らを、次の選挙で、当選させるのですか?
野放しにするのですか?

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CHINAの本当の姿・ダイジェスト版


※ 本稿では、アップしたとき国立国会図書館法改正について触れていましたが、その文は削除しました。

選挙に勝利しているのは民主党ではなく真正保守!

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日の丸


大型地方選で、メディアは、「民主4連勝、麻生退陣論広がる」などと称えています。

本当にそうでしょうか。

まず、5日に開票された静岡県知事選です。

投票率は61.06%と、きわめて高水準です。

開票結果は次の通り。

川勝平太   728,706票(無所属・民主推薦)
坂本由紀子 713,654票(無所属・自公推薦)
海野 徹   332,952票(民主党)
平野定義   65,669票(共産党)

なるほど、自公推薦の坂本氏は敗北しました。

しかし、民主党参議院銀の海野氏は、次点の坂本氏の半分も票をとっていない。

票は、おおむね川勝氏と、坂本氏が二分しています。

そこで、川勝氏と、坂本氏の政策・人物像を見てみます。

川勝氏は、日本の自虐史観をあらためる「新しい教科書をつくる会」の賛同者として知られ、その唱える主義は、新保守主義です。

そして、氏の根本思想は元内閣総理大臣の小渕恵三氏にも強い影響を与えたという「富国有徳」です。

また川勝氏の提唱する日本最強内閣は、総理大臣に櫻井よしこ、官房長官に中山恭子、外務大臣に曽野綾子を挙げている。

要するに川勝氏は、真正保守の人物ということができます。
同時に、川勝氏の主張は、左傾化激しい民主党の主張と完全に一線を画している。

惜敗した坂本氏は、安倍内閣で外務大臣政務官に就任した人物であり、その主張にも公共事業の価格を安くすればいいというのは違う、と、地元建設業者の談合を認めるなど、やはり真正保守の政治家といえます。

発言をしており、これによって静岡県内の土建業者で構成される静岡県建設業協会などが坂本を支援した。

ただ坂本氏の場合、安倍内閣の政務次官当時に架空費用計上の不祥事を起こして閣僚を辞任
したという経緯があり、これが唯一の汚点といえば汚点。

3位の海野氏は、民主党の次の内閣の外務総括副大臣で、マニフェストの中では、「全国2位の県職員の給与引き下げ」「個人県民税の10%減税」を掲げていますから、これは国政における民主党の施政そのものを具現化した候補といえます。

キャッチコピーは「県民主義、脱官僚」です。まるごと民主党の人物です。


こうして3人の候補をみると、自民対民主の構図というよりも、真正保守対民主の対決の知事選だったということができるかもしれません。

そして真正保守である川勝氏と、坂本両氏の得票の合計は、144万票。

対する民主党候補海野氏の得票数は、わずか33万票。

その差は歴然です。


1月に行われた山形県知事選では、やはり民主党の支援を受けた吉村美栄子氏が、自民党が応援した現職さいとう弘氏を破り初当選しました。

選挙は、投票率なんと65.51%と、世間の関心の高いものだった。

そして、吉村氏の投票者数63万人のうち、吉村氏の得票32万票、斎藤氏の得票は、31万票です。自公支援の斎藤氏は僅差で敗れた。

しかし斎藤氏は、自公支援とはいっても、加藤紘一に近い人物。その加藤紘一氏は、自民党議員でありながら、真正保守からは、売国政治屋とみなされている人物です。

これに対し、当選した吉村氏は、地元出身でお茶の水女子大出の才媛。
緊縮財政を説く斎藤氏に対し、吉村氏は福祉を中心に積極的な県の財政出動を行うという論者。

財政運営論上は、むしろ斎藤氏の方が、昨今の民主党の主張に近く、吉村氏の主張は麻生内閣の積極策に近いといえる。


4月の名古屋市長選挙では、高い知名度を誇る民主党の河村たかし氏が圧勝したけれど、河村家というのは、もともと尾張徳川家の小姓、国学者の家系。

所属政党は民主党だけれど、慰安婦問題や南京大虐殺に対しては、日本政府の責任を全面的に否定する立場をとっており、とくに慰安婦問題に関しては2007年6月14日に歴史事実委員会の全面広告に賛同者として名を連ね、米下院121号決議の全面撤回を主張している。

つまり、川村氏は、真正保守である。


以上の事象が意味していることを、視聴率の低下著しいテレビも、購読部数の減少著しい大手新聞も、そして自民党の議員諸君も、よく肝に銘じて見直す必要があるのではないかと思うのです。

もはや国民の多くは、自民対民主という、主義主張の曖昧な構図に、なんの期待もしていないということです。

国民の期待は、まさに「真正保守」にこそ、集まっている、ということなのではないでしょうか。


誰だって、わが子や、わが孫の未来から誇りを奪い、子供たちの未来の日本を壊滅させたいなどと思わない。

国民は、自虐史観や、メディア、国会の左傾化に、もはや辟易しているのです。

まして中韓から銭をもらい、かれらのいいなりになって自虐史観を植えこもうなどというような政党など、どれだけメディアが、きれいごとを並べようが、どれだけ真正保守を攻撃しようが、多くの国民には、とっくに見透かされている。


自民党の中にいて、北との和平が大事などといって、飛んでくるミサイルへの迎撃より、北にカネを渡した方がいいなどとほざいている議員には、たとえそれが自民党であっても、国民は、もはや誰も振り向かない。


もし、これを代議士の方が読まれているなら、ねずきちはこう申し上げたいのです。

堂々と、日本を守ると主張しなさい。
堂々と、わが国の正当な歴史を主張しなさい。
堂々と、わが国の正しさを述べなさい。
堂々と、悪は許さないと宣言しなさい。
堂々と、階級闘争主義者を弾劾しなさい。

どんなに歴史を捏造しても、嘘はどこかでばれるものなのです。

友愛だの日本は世界に心を開くべきだの、どんなにきれいごとを並べても、そのいかがわしさに、多くの日本人は、気が付いてしまうものなのです。

どんなにメディアが、ねつ造史観や、自虐史観をがなりたてても、そうすればするほど国民の心はメディアから離れて行ってしまうのです。

メディアという世論を騙る妖怪など、いまさら何も畏れることなどない。

日本人は、常に正々堂々!

真っ向から、正しいものは正しいと、主張しなさい。

ちょっと日教組批判や成田空港問題への批判、中韓への批判をしただけで、メディアから袋叩きにあう。

天下の国会議員たる者が、なんで彼らを恐れなければならないのか。

国民はちゃんと見ているのです。

日本人はけっしてばかではない。

先の大戦で亡くなった200万の英霊、日清日露、第1次大戦を戦った英霊、明治維新を戦った武士たちの魂は、いまでも、この日本をしっかりと見ている。

世論を詐称するメディアにおもねることなく、亡くなられた英霊に恥じない政治を、正々堂々と主張し、行うこと。

大丈夫。国民は必ずついていきます。

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大東亜維新史観 概説

重慶空爆について考える

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広島・長崎に落とされた原爆、東京大空襲や、太平洋沿岸の各市町村への米国の艦砲射撃等の無差別爆撃は、これより先に日本軍が、中国の“重慶”を爆撃し、無差別に市民を殺戮したことがきっかけになっている、という説があります。

『重慶抗戦紀事』によると、日本軍の重慶への爆撃は、1938年12月4日より1943年8月23日にかけて、断続的に218回行われたとされており、中国側の死者は計11,800人、家屋の損壊は17,600棟となっているとか。。

一般市民への無差別爆撃は、1899年のハーグ陸戦条約での禁止事項です。

そのジュネーブ条約を先に破り、一般市民への虐殺を日本が先にしたのだ、というのが彼らの主張のようです。

都市部への爆撃は、それが軍事施設であれば、正当な軍事行為です。
そしてその軍事施設(飛行場、兵器庫、兵舎、対空設備、艦船等)への攻撃を受けた際、一般市民が巻き込まれないように、配慮するのは、むしろ攻撃を受ける(可能性を含む)側の軍に課せられた使命です。

つまり、軍は、一般市民に対して、避難命令を出さなければならない。
もし、その避難命令が出されず、避難措置が採られていなかったのなら、それが戦闘中のことであれば、爆撃してきた側の国の責任ではなく、むしろ攻撃を受けた側の責任です。

そこで重慶爆撃についてみてみると、どうも不思議なことがある。

まず、責任追及というものは、責任を追及する側と、される側の特定が必要となります。

この場合、責任を追及される側は、もちろん日本です。

では、責任を追及する側は、誰でしょうか。

1938年〜1943年当時、重慶にいたのは、蒋介石率いる国民党です。

国民党は、南京を追われた後、重慶を首都と定めた。

ただし、この時点で、国民党は中国の正当な政府ではなく、単なる中国エリアの軍閥にすぎません。
なぜなら、国民党が中華民国をうちたてて、蒋介石が初代総統に就任するのは、1948年のことだからです。

そして毛沢東率いる中国共産党が中華人民共和国を打ち立てるのは、1949年10月1日(中華人民共和国建国記念日)です。

つまり、重慶爆撃があったと彼らが主張する1938年〜1943年というのは、まだ中華民国も、中華人民共和国も誕生していません。

つまり彼らは、どちらも、この時点では正当な政府ではなく、重慶を統治していたのは、中華民国・・・いまの台湾であり、毛沢東率いる中華人民共和国は、この時点では、重慶は、他国ですらあった。

そして中華民国は、いまにいたるも重慶に関する日本の責任追及はまったく行っていず、かさねていうなら、東京裁判の判事として名を連ねた中に、梅汝敖(中華民国派遣)もいるけれど、その東京裁判で重慶空爆に関しては、まったく問題視されてもいない。

つまり、中華人民共和国が、重慶空爆被害を主張するのは、そもそも筋違いであるともいえそうです。


さらに重ねて年次の推移をみてみると、

第二次世界大戦のはじまりは、1939年9月1日のドイツ軍によるポーランド侵攻。

大東亜戦争の開始(真珠湾攻撃)は、1941年12月。


で、重慶爆撃が、1938年12月からとするなら、戦争前の出来事ということになります。

なるほど、1938年当時といえば、前年の7月に盧溝橋事件があり、ここから日華事変がはじまっています。

しかし、当時の中国は、清国が倒れたあとで、国家はいわば内乱状態にあり、蒋介石率いる国民党と、毛沢東率いる中国共産党が互いに衝突し、内乱を起こしていた時期にあたります。

要するに1938年〜1943年という、日本軍が重慶爆撃を行ったとされる期間は、国際法上は、中国に政府はなく、いわば、いまのソマリアのような無政府状態になっていたわけで、日本はその無政府状態にあったシナに、治安維持のために出動していた。

よく、日中戦争という言葉が使われます。
そしてその日中戦争において、日本は、重慶を無差別爆撃し、多くの市民を殺傷したという。

しかし、戦争というのは、国家対国家の紛争解決の最終手段をいいます。

まだ中華人民共和国も、中華民国も誕生する前の段階では、中国には国家はない。
ない国と戦争はできないから、これは「国家対国家の戦争」にあたらない。

では日本軍が戦った相手はなにかというと、蒋介石率いる当時「国民党」を名乗った中国のいち軍閥であって、幸か不幸か、当時の中国共産党とは、日本軍は、一度も戦火をまじあわせていない。


日本側資料によると、重慶爆撃は、作戦が終了するまでに72回(=中国発表は218回)の長期の空襲を行っているけれど、1941年9月には、日本軍は作戦を打ち切っている。

ところが、中国側の主張では、重慶爆撃は1943年8月まで続いたという。

作戦を打ち切っているのに、爆撃がされるはずもなく、これはあきらかにおかしい。


さらに被害者の人数の問題があります。

冒頭に、≪中国側の死者は計11,800人、家屋の損壊は17,600棟≫という、中国側の発表数字を書きましたが、

中国の発表は、年々被害者の数が増えている。

2000年07月13日
「死亡した2500人の同胞を」

2001年06月06日
「市民1万1889人が死亡、1万4100人が負傷」

2004年07月14日
「被害者は5万人以上で」

どうもあやしい。


ねずきちは、人を利用主義的に利用するということが、いちばん嫌いです。

なかでも亡くなられた人の数というのは、その亡くなられたおひとりおひとりが、生きていた人間であって、おひとりおひとりにそれぞれの人生があったことを思えば、数を間違えるなど、言語道断です。

おひとりおひとりに人間としての尊厳を認めるならば、数は実際より少なかったら死者への冒涜になるし、多くてもやはり冒涜だと思うのです。

人を大切に思うなら、数の間違いなんて、あってはならない。

その数が、年々変化する。
それってつまり、亡くなられたおひとりおひとりの人命を尊重するという考えではなくて、数にモノをいわせて、おのれの政治的主張を押し通そうとする政治的プロパガンタにすぎない。

政治的プロパガンタであるということは、亡くなられた死者をすら利用主義的に利用しているわけで、それは人として許されない行為ではないかと思う。


さらに続けます。

日本軍による空爆はあったのかなかったのか。南京陥落後、蒋介石が重慶に逃れ、ここを国民党の本拠地に置いたのは事実です。

そして日本軍が、重慶爆撃をしようとしたのも事実です。
ただし、当時の日本軍は、爆薬もガソリンも乏しく、爆撃対象は飛行場と軍事施設に限られた。

中国の文章によると、
「1940年6月上旬頃までの爆撃は、もっぱら飛行場と軍事施設に向けられていたが、重慶市街にも相当数の対空砲台があり、そのため味方の被害も増大する状況となったので、作戦指導部は遂に市街地域の徹底した爆撃を決意した。」
などと書かれています。

山本七平の「ある以上体験者の偏見」という本がありますが、そこには次のような文章があります。

-------------------------------------
(日本軍)の欠陥兵器を次々にあげていけば際限ないが、あまり長くなるのでこの章の最初に述べたAさん、陸軍の重爆隊の生き残り、の言葉を収録し、それを敷衍してこの稿を終わろう。

「新聞に出なかったけれどなぁ、重慶・昆明の爆撃はひどかったよ。

日本の高射砲は絶対に当たらネーが、中国のは米国製でなぁ、よく当たりやがるんだ。

一回行けば八機は落とされた。重爆ってのは九人乗ってたんだぜ、そのたびになぁ、
8×9=72人 の遺骨無き部隊葬よ」
------------------------------------

どうやら、上の中国側の文章にある、
≪重慶市街には相当数の対空砲台があり≫、
≪味方(日本軍)の被害も増大する状況≫

の2つは、事実のようです。

問題はそのあとに続く、≪市街地域の徹底した爆撃を決意した≫ですけれど、当時の世界で、市街地の無差別爆撃ができるほどの余裕があったのは、米軍だけです。

日本にはそれだけの余裕はありません。

日本が重慶への爆撃を行ったことは、陸軍飛行戦隊の記録にもある。

しかし、基本的に物資の乏しい日本機が爆撃を行うのは、軍事施設への精密爆撃です。しかも、いく都度、むしろ日本の方が、飛行機を撃ち落とされている。

高機能の高射砲を持ちながら、一般市民が巻き添えになったとするならば、それは当時重慶を占領していた国民党軍が、一般市民に対する避難勧告を怠ったからであるといえます。


出撃して撃ち落とされた日本兵にも、亡くなられた中国の方にも、深く追悼の意を表したいと思います。

いまとなってたいせつなことは、戦時中に大切な命をなくされたおひとりおひとりへの深い追悼と慰霊が第一と思います。

そして追悼と慰霊に際して、たいせつなことは、亡くなられたおひとりおひとりへの追悼です。

間違っても数ばかりが先行し、肥大化するようなことは、あってはならないことだし、それを政治的に利用するなどということは、なにより、亡くなられた方々への冒涜であると、ねずきちは思います。

亡くなられた方の数に洩れがあってはならないし、同時に、数ばかりが独り歩きして増えることもよくない。人の命というものは、そんないい加減なものではないと思うのです。

重慶市で、兵士にせよ、一般市民にせよ、お亡くなりになられた方がおいでになるなら、その方々が当時の施政者にとって大切な方々なら、当然、誰と誰がお亡くなりになったかきちんと把握されていることでしょう。

当然、人数もはっきりとわかる。

それが「わからない」というなら、当時の重慶の施政者は、兵士や市民を「顔のある人間」、「たいせつな人」としてみていなかったということになる。

人の命は、じっぱひとからげにされるべきものではないです。

人の命がかかっている事柄である以上、もし重慶爆撃による一般市民の死傷者を問題視するなら、ただ相手が残虐だ、残虐だと騒ぐのではなく、具体的な事実を正確かつ詳細に検証すべきでなないかと思います。

人はそれぞれ幸せに生きる権利を有するものだと思います。
そして人々の集合体である国家は、人々の命に責任がある。

数も正確に知れないような政府なら、それはもはや政府ですらない。

避難勧告すらせずに、一般人の人命まで犠牲にしたというなら、それはもはや政府の名に値すらしない。

ひとの命を大切にしないような政府なら、重慶政府が政府の名に値しないものであることを自ら認めているに等しい。

そしてもし、重慶無差別爆撃なる主張が、なかったことを、政治的にあったとしているなら、人命軽視もはなはなだしい。

なぜならそれは、人の命というものを、政治的にもてあそんだことになるからです。

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日テレ村尾アナの超かんたん山鳩クッキング!?


国民が知らない民主党政権で治安崩壊 !?

三宮事件に学ぶ

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生麦事件


まぁ、このブログ、話が大東亜戦争にいったり、日清戦争にいったり、あっちこっちしていますが、今日は、幕末です^^;

幕末のころ、神戸の三宮で起こった事件が、またの名を神戸事件です。

この事件は、神戸開港早々の明治元年正月11日に起りました。

鳥羽・伏見の戦いのあと、新政府は、備前(岡山)藩に、大阪界隈の警備出向を命じます。
このころ、幕府の大阪町奉行がいなくなってしまい、関西地区は、いわば無政府状態となって、治安が悪化していたのです。

そこで出向してきた備前藩の家中、日置帯刀の従兵らが、兵庫での昼食のために神戸三宮にさしかかったところ、おりから三名の英人水兵が、その行列を横ぎった。

英人水兵らは、この横断が無礼な行為であり、日本では違法にあたるなんて知らない。
おまけに言語が通じない。

前衛の備前兵が、横断をそれを制するつもりで、槍をあげて威嚇したのだけれど、一人の英人は、ナイフを執ってそれに抵抗する態度を示した。

備前侍も武士です。

警護の滝善三郎が前に出て、たちまちのうちに一人を斬り捨て、一人に重傷を負わせた。


報告を聞いた英国は、この事態を重く見て、すぐに陸戦隊を神戸に上陸させ、同地にあった外国人居留区(当時造成中)を軍事的に占領します。

さらに、英国陸戦隊は神戸の通行を封鎖。

そして大阪湾内にあった諸藩の艦船6隻をすべて抑留します。

こんな事件の起こらない前に、時節がら混雑する際であるから、なるべく街道筋を出歩かないようにと、かねて神戸村の臨時取締役から各外国領事を通じて居留の外国人へ注意を与えてあったののだけれど、残念なことにその意味は徹底していなかった。

英国兵の上陸に、神戸の町の人々は、騒然とします。

なにせ街が、外国人によって封鎖され、占拠された。

発足したばかりの明治新政府にとっても、これは外国を敵に回しかねない緊急事態です。

この時期、明治新政府といったって、まだまだ諸外国には何の信用もない。
なにせ鳥羽伏見の戦いに勝ったばかりの状態です。関東には無傷の幕府が残っている。

幕府の鎖国政策に対し、新政府は、開国の方向を確定するのが第一だと聞いてはいても、各国公使らはにわかにこれを信用するわけにいきません。

一方、明治新政府にしてみれば、三宮事件は、新政府の誠意と実力を示し、諸外国の信用を身につけるための試金石です。
なんとかしなきゃなんない。
さりとて、武士の誉れの道を外すわけにもいかない。

新政府は、島津修理太夫、毛利長門守、細川越中守、浅野安芸守、松平大蔵大輔、それに山内容堂などの連署で、朝廷に建議。各国公使あてに詫書を出すことにします。

詫書は、陸奥陽之助(後の陸奥宗光)が使者になり、英国領事パークスの元に届けられた。

書面には、
--------------------------------
朝廷新政のみぎり、この不行き届きのあるは申し訳ない。
今後双方から信義を守って相交わるについては、こんな妄動の所為のないようきっと申し渡して置く。
今後これらの事件はすべて朝廷で引き受ける。
このたびの儀は、備前家来日置帯刀に謹慎を申し付け、下手人滝善三郎に“切腹”を申し付けたから、そのことを各国公使に告げるよう勅命をこうむった。
--------------------------------

というものです。伊達宗城の花押まである。


しかし、おさまらないのは英国代表のバークスです。
新政府の外国事務掛として神戸にいた伊藤博文は、バークスに善三郎の助命を求めたのだけれど、バークスの怒りは収まらない。

バークスは、
「切腹は、日本武士の名誉であると聞く。
本件は犯罪であり、名誉の死であってはならない。
今後の戒めとなるような厳罰に処することであらねばならない。」
と反論します。


兵庫の永福寺での処刑の日がやってきます。
パークスはふたりの書記官を立ち会わせます。

日本側からは、伊藤俊介、他一名のものが立ち会った。


処刑は、作法通りの“切腹”となった。

切腹した滝善三郎は、風采も卑しくなく、世が世なら、滝善三郎は無礼な外人を打ち懲らしたものとして、むしろお褒めにも預かるべき武士です。

彼は死に臨んでも堂々とし、従容として腹を裂いた。


切腹のあまりの荘厳さと、滝善三郎の堂々とした態度に、英国人立会人は、気圧され、その模様を、詳細にバークスに報告します。

そして、迅速かつ筋道を立てた誠意ある対応と、武士の名誉を守る(切腹)について、頑としてこれを曲げない新政府の態度、そして備前藩士、滝善三郎の従容とした立派な最期に、バークスの心は動きます。

こうした一連の事件に対する新政府の対応は、最初の日英の外交的危機を脱しただけでなく、かえって新政府の実力と、英国との友好関係を深めようとしている姿勢を明確に証明することになった。

また、ひとりの日本武士の切腹に堂々とした態度は、英国人バークスをして、新政府を全面的な支援に向かわせることになります。

そして、英国の完全な後ろ盾を得た明治政府は、この後、幕府方を追い詰め、維新を完成させて行きます。

外交は、国と国とのつながりであるとともに、人と人とのつながりでもあります。

そして相手の言い分を聞くだけではなく、断固としてこちらの文化や伝統を主張し、これを守り抜くという姿勢が大事であることを、三宮事件は私たちに教えてくれているのではないかと思います。

なにも、ねつ造史観まで受け入れて、特ア国のいいなりになることが外交ではありません。
そんな安易なことで相互の国際関係が良好になるなどというのは、とんでもない間違いです。

この事件で切腹して果てた滝善三郎の辞世の句は
------------------------------
きのふみし 夢は今更引かへて
神戸が宇良に 名をやあげなむ
------------------------------

「名をやあげなん」と詠んだ善三郎の辞世の句には、命をかけて名誉を守ることの誉れが謳われています。

そして靖国に祭られている200万の先の大戦の英霊たちもまた、命をかけてこの国の誇りと名誉を守り抜いた。

私たちの先人たちは、こうしてまさに命がけでこの国の伝統と誇りを守り抜いたのです。

いまを生きる私たちは、そうやって日本を守り抜いてくださった先人達のおかげで、いま、こうして息をしている。

その先人達への感謝の心を、いまこそ日本人は思い出すべきときにきているのではないかと思います。

日本人は先人達への感謝の心を忘れるな!と思う方、
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幕末〜明治維新の群像

日清戦争の開戦に学ぶ・・・友愛精神の嘘

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平壌の戦い
平壌の戦い


今日は日清戦争のお話をしてみようかと思います。

日清戦争のお話というと、日本と清国の戦い、くらいはみなさんご存知だと思うのですが、実は、この戦争の糸をひいた原因は、朝鮮半島にあった。

そういうと、「ん? 日本が朝鮮を侵略することの利権か?」と思う方もいるかもしれません。

残念ながら違います。この時点では、日本は韓半島になんの利権も、持っていません。

お話の発端として、1890年頃からの半島を見てみたいと思います。

約400年続いた李氏朝鮮は、冊法体制(さくほうたいせい)といって、中国の臣下の国でした。

この李氏朝鮮末期の1870年頃、国王高宗に、閔妃(みんぴ)という人物がいた。またの名を明成皇后ともいいます。

当時の国王高宗は、いわゆる色事の好きな人物で、政務などほったらかし。

多数の宮女や妓生相手に漁色や酒におぼれ、楽しい毎日(?)を送っています。

政務をおろそかにしていたことから、次第に、政治の実権は、皇后である閔妃に移っていく。

閔妃は、政治の実権者として、彼女の一族を積極的に重職に登用したほか、積極的な開国政策をとり、1876年(明治9年)、日本と日朝修好条規(江華島条約)を締結します。

そして日本から顧問を呼び寄せ、軍隊の近代化などを行った。

ところが、彼女の関心が日本の指導による新式軍隊に移ると、従来の清式の旧軍隊は放置されてしまいます。
放置された旧軍隊の兵士たちには、賃金も払われず、食事の配給もない。

期待の星である日本の指導による新式軍隊には、豊富な食料と給料、放置された旧軍隊には、飢えと苦しみ。。。

当然のことながら、旧軍隊内には、新式軍隊に対する不満が募ります。

1882年、旧式軍隊は、閔妃暗殺をもくろんで反乱をおこします(壬午軍乱)。

このとき、多くの閔妃派要人と数十名の日本人が殺されます。日本大使館も焼き討ちされた。

事件を察知した閔妃は、侍女を自らの身替りにして、いち早く王宮を脱出し、当時朝鮮に駐屯していた清の袁世凱のもとに逃げ込みます。

困るのは、朝鮮を属国として軍を派遣していた清と、朝鮮に頼まれて近代化軍の指導をしていた日本です。

どちらが反乱鎮圧を陳圧するかで揉めてしまう。

だけど、日本は、朝鮮は清の冊封国だからという理由で、清軍に反乱の鎮圧を委ねます。当然ですよね。

ところが、建前で動く日本をみた閔妃一派は、こりゃ日本は頼みにならない、と一方的に考えます。
軍の威力にモノを言わせる清という国ほうが、頼もしく思えたのでしょう。

閔妃は、さっさと親日開化政策を、親清復古政策に転換してしまいます。まぁ、勝手なものです。

この事件で、日本は、大使館を焼かれただけでなく、請われて派遣していた日本の軍の指導官らや、その配偶者、子どもたちを無残に殺されます。どんな風に殺害されたかの詳細は、いまではほとんどわかりませんが、ボクのブログで通州事件や、尼港事件、和夫一家殺害事件をお読みになられた方なら、それがどんなに悲惨なものだったか、およその想像はつくものと思います。

日本は当然、朝鮮に対して、日本人被害者への補償、大使館の損害等への補償を要求しました。
同時に、以後の日本大使館の警備のために、若干の日本兵の漢城駐留などを朝鮮との交渉の中で取り決めます。これは当然のことです。ひどいめにあわされたのですからね。

結局そのために、朝鮮には、日本と、袁世凱率いる清軍の両軍が軍を駐屯させることになった。

一方、朝鮮の民衆の暮らしはあいかわらず貧困のどん底にありました。

その朝鮮の隣には、ひとりひとりの庶民の生活が改善し、どんどん近代化し、進歩し、国民が豊かになっていく日本という国がある。

福澤諭吉(慶応大学創始者)や、大隈重信(早稲田大学創始者)らとの親交を深めた朝鮮の金玉均・朴泳孝・徐載弼ら、理想に燃える韓国人は、このままではいけないという思いを深くします。

彼らは、閔氏一族が贅沢三昧をする中、国王である高宗のいわば「一本釣り」を計画します。

そして、外戚の閔氏一族や清に実権を握られ、何一つ思い通りにいかない朝鮮国王高宗も、彼らの理想に燃えた近代化政策の実行を快諾する。


1884年12月、金玉均らは、クーデターを実行します。

金玉均らは「郵政局」の開庁祝賀パーティーで、会場から少し離れたところに放火を行い、混乱の中で高官を倒し守旧派を一掃し、朝鮮の高宗国王はクーデター発生を名目に日本に保護を依頼。

日本に公使館警備用の軍を派遣してもらい、朝鮮国王を保護するとともに、その後開化派が新政権を発足させ、朝鮮国王をトップとする立憲君主制国家をうちたてて、日本の助力のもとに近代国家への道を突き進む、という計画です。

そして彼らは、計画を実行する。

放火は失敗したけれど、計画は順調に進み、閔泳翊ら閔氏一族を殺害。

金玉均・朴泳孝・徐載弼ら新政府樹立を宣言します。

そして首謀者の金玉均は、首相にあたる「領議政」に大院君の親戚の一人の李載元、副首相に朴泳孝、自らを大蔵大臣のポストに置く事を表明します。

そしてその日のうちに、

(1) 朝鮮国王は今後殿下ではなく、皇帝陛下として独立国の君主とする。
(2) 清国に対して朝貢の礼を廃止する。
(3) 内閣を廃し、税制を改め、宦官の制を廃止する。
(4) 宮内省を新設して、王室内の行事に透明性を持たせる。

などの 革命政策を発表します。

ところがこれを知った袁世凱率いる清軍は、革命派のたてこもる王宮を攻撃します。
これによって、クーデター一派は、壊滅しちゃう。

からくも危機を脱した金玉均らは日本へ亡命するのだけど、朝鮮からの刺客が恐ろしい。

とりわけ、袁世凱ら清軍によって、三親等までの近親者全員が、いかにもシナ・朝鮮風の極めて残虐な方法で、全員が殺された金玉均らは、日本各地を転々とした後、上海に渡るのだけど、結局、閔妃の放った刺客によって暗殺されてしまいます。

ちなみに金玉均らの遺体は、朝鮮半島に移送された後、五体を引き裂かれ、身体の各部を各地で腐るまで晒されたとか。残酷な話です。


このクーデターのとき、高宗国王から依頼をうけた現地の日本軍は、王宮の警備にあたっていた。そして日本の将兵30名は、袁世凱率いる清軍によって全員殺害されてしまいます。
それもかなり酷い殺され方をしている。(亡くなられた将兵の方々は、いまなお靖国に祭られています。)


事件の翌年(1885年)4月、伊藤博文全権大使とする日本は、中国・天津で、清の李鴻章と会談します。
そして、亡くなった日本の将兵に対する賠償は放棄するから、お互い、もう朝鮮半島から撤兵しようともちかけます。
いつまでも、互いに怨恨を引きずっていたら、両国のためにならないからです。

そして、天津会談の結果、日清両国は、朝鮮から兵を引き上げた。なんと以後10年間もの間、朝鮮には、外国軍隊の駐留がなくなったのです。


いっときの平和を手にした朝鮮人たちは、日本人の民間人による指導なども得て、産業を活性化。1990年代になると、なんと朝鮮から日本への輸出は、当時の朝鮮の輸出総額の90%以上、また日本からの物品の輸入は50%を占めるようになったといいます。

つまり、たいへんな対日貿易収支が、猛烈な黒字になった。
韓国経済はいっきに成長する。


一方、1900年に発生した清の義和団事件の混乱収拾を名目に満州へ侵攻したロシアは、この年、満州全土を占領下に置き、満洲の植民地化を既定事実化しようとします。

これに対し、日英米が断固抗議。仕方なくロシアは撤兵を約束するのですが、ロシアは履行期限を過ぎても撤退を行わない。
それどころか、なんと駐留軍の増強を図った。

ロシアの満州占領が、自国の権益と衝突すると考えたイギリスは、1902年に日英同盟を締結し、日本と連携してロシアの南下をくいとめようとします。

1903年4月21日に行われた京都・無鄰庵での「無鄰菴会議」でも、伊藤博文、桂太郎、山形有朋、小村寿太郎らは、
「満州問題に対しては、我に於て露國の優越権を認めよう」とまで宣言しています。


いっぽう、冒頭に登場した閔妃です。

閔妃は、贅沢三昧の生活を送りながら、もっと贅沢をしたいからと、満州を勢力下においたロシアに、朝鮮半島ある鍾城・鏡源の鉱山採掘権や、朝鮮北部の森林伐採権、関税権などを次々に売り渡してしまいます。

そりゃあ、閔妃の一族は大儲けしたでしょう。
だけど、儲ける連中がいる一方で、半島の貧富の差はますます広がってくる。

急激な対日貿易の黒字は、朝鮮半島の経済力を増したけれど、同時に、半島内のインフレを招き、貧富の差を増大させた。
米や大豆の値段が高騰し、貧しい朝鮮庶民の生活は圧迫された。


1894年5月、朝鮮で、東学教団構成員の全琫準を指導者とする甲午農民戦争(東学党の乱)が起きます。

東学党一味は、民生改善を求めて、農民一揆をおこし、5月末までに、羅道全州を占領してしまう。日本でいったら一向一揆みたいなものかもしれない。


6月1日、朝鮮政府は清に派兵を要請します。

清軍の陳圧行動の中、当時、日本との貿易がさかんだった朝鮮には多くの日本人がいましたし、前の騒動で、日本人が婦女子まで虐殺された事実もあり、やむなく日本は6月10日になって、海軍陸戦隊400名(たった400名です)と大鳥圭介公使を漢城に派遣しました。


6月11日には、清軍と朝鮮政府は、一揆軍の弊政改革案を受け入れ、暴動を鎮圧させます。

ところが暴動は鎮圧されたはずなのに、翌12日に、清は、牙山に陸軍を上陸させる。

日本は、6月15日、大島公使が、清に対し、半島の平和のために、両軍が半島から撤兵すること、ならびに、朝鮮の内政改革については、日清共同で平和りに進めたらどうかと、進言した。

日清両軍がいなかったことで、朝鮮の経済は成長したのです。
だから、朝鮮のために、また両軍とも撤退しようよ、というわけです。

しかし、朝鮮をあくまで属国扱いしている清は、この日本の提案に、なかなかウンといわない。

そこで大鳥行使は、朝鮮の王に、6月20日、「朝鮮から、清も日本も撤退してほしいと交渉したらどうか」と、申し向けます。

ところが、7月にはいると、牙山の清軍は、ますます増強され、7月20日ごろには、4165名の陸戦隊が上陸してしまう。

さらに7月25日、朝鮮の北西岸豊島沖で、日本の巡洋艦「秋津洲」「吉野」と「浪速」が、会合予定だった巡洋艦「武蔵」と「八重山」を捜していたところ、突然、海上にあらわれた清国巡洋艦の「済遠」と「広乙」が、21cm砲で、日本の巡洋艦を砲撃してきた。

一方的に撃ってこられたら、反撃しないわけにはいかないです。

数分間、互いに砲撃を交わした後の午前7時50分、日本海軍の応戦の前に、「済遠」と「広乙」は逃亡を開始した。

そこで日本の「秋津洲」は「広乙」を、
「吉野」と「浪速」は大きいほうの「済遠」を追った。

「広乙」は追い詰められて座礁。

「吉野」と「浪速」は「済遠」を追ったのだけど、「済遠」は国旗を降ろして降伏の意を示したかと思えば突如、逃走を図るなんてことを繰り返した。

そして海上にあった清国軍艦「操江」と「高陞」(英国商船旗を掲揚)のもとに逃げ込んでしまいます。

日本の「浪速」は、一時攻撃と追跡をやめ、清国軍艦「操江」らと押し問答をするのだけど、その隙に、「済遠」はさっさと逃走してしまう。

「吉野」の最高速度は23ノット。「済遠」は15ノット。なので「吉野」のほうが、断然、船足が速いです。

「済遠」は逃げながらも2門の21cm砲で砲撃してくる。

「吉野」はジグザグ航法で、敵の弾を避けながら追跡するのだけど、「吉野」の砲門は15cm。あきらかに分が悪い。

それでも「吉野」は、「済遠」を2500mまで追い詰めた。

すると「済遠」は面舵をとって船を浅瀬へと船を向かわせた。

「済遠」はドイツ製巡洋艦で2,300tで、喫水は4.67 m。
「吉野」はイギリス製の4,216tで、喫水は5.18mです。

浅瀬に逃げられたらどうしようもない。
「吉野」は、追撃を中止し、「済遠」は逃げてしまいます。

一方、「浪速」艦長の東郷平八郎大佐は「高陞」に停船を命じ、臨検を行おうとするのだけれど、「高陞」は停戦命令に従わない。

やむなく「浪速」は、「高陞号」を撃沈したうえで、「高陞」に乗っていた英国人船員ら3人と、清国兵50名を救助し、捕虜とした。

この海戦による日本側の死傷者及び艦船の損害は皆無。

清は「広乙」が座礁、「高陞」が撃沈。

ちなみに「吉野」が追撃を中止した「済遠」は、なぜか清の発表では「大破」とされています。日本によって一方的に攻撃されたと発表。逃げたはずなのに変な話です。

この戦いのあと、英国商船旗を掲揚していた「高陞」を撃沈されたことで、イギリス国内で、日本に対する反感が沸き起こるのだけれど、日本の「高陞」攻撃は、完全に国際法に沿ったものだったことが報道されると、英国世論は、沈静化します。紳士の国ですね。


この海戦の2日後の7月25日、朝鮮政府から大鳥圭介公使に対して、牙山に上陸していた清国軍を撃退してほしいという要請が出されます。
やらなければ、半島にいる日本人に何をされるかわからない。
やむなく日本は、翌7月29日に第9歩兵旅団によって牙城に立てこもる清軍を攻撃する。

午前2時、清国兵の襲撃により松崎直臣陸軍歩兵大尉ほかが戦死します(日本側初の戦死者)が、午前7時には、日本軍は、敵陣地を完全に制圧します。日本強いですね。


この戦いで、日本側の死傷者は82名なのに対して、清国兵は500名以上の死傷者を出しますが、清国兵は、武器等を放棄して平壌に逃走してしまいます。

なお、この戦いで、第21連隊の木口小平二等兵が、死んでもラッパを離さずに吹き続けたという逸話が残っています。実に立派です。


7月下旬になると、清国軍は牙山から逃げ帰った兵士と併せて、合計1万2千名の兵員を平壌に集結させます。

日本は、あくまで開戦を避けようと、外交交渉を継続しますが、清はこれに応じない。

やむなく日本は、けじめとして、8月1日に清国に宣戦布告文を発します。
朝鮮の意思を尊重し、兵を引かないなら、日本は戦いますよ、という詔です。


しかし宣戦布告しても、なかなか日本は、戦いをはじめません。
あくまで平和的解決のため、全力を尽くします。

ところが事態は一向に解決しません。


やむなく日本は、1ヵ月半後の9月15日、平壌の清軍基地への攻撃を行います。

同日午後4時40分、清軍は白旗を掲げて翌日の開城を約した。

ところが、清国軍は、約束を違えて逃亡してしまいます。
そして、同日夜に日本軍が入城する。日本の大勝利です。


2日後、9月17日12時50分には、黄海上で、日清両艦隊が遭遇します。

先に攻撃してきたのはこんどもまた清側からです。

日本側は、旗艦「松島」以下12隻。
清国艦隊は、18隻。

敵戦力の方が大きかったのですが、日本艦隊は、果敢に戦い、清国艦5隻を撃沈、5隻を大中破、2隻を擱座させて、大勝利します。

この海戦によって、清国艦隊は威海衛に閉じこもることとなり、日本海軍は黄海・朝鮮の制海権を確保した。


このあと、10月25日には、山形有朋率いる第一軍による鴨緑江渡河作戦で、日本軍大勝利。
10月24日には、大山巌率いる第二軍が旅順を制圧し大勝利。

そして日本は、1895年4月の日清講和条約まで、清軍を相手に連戦連勝していきます。


以上が、日清戦争までの流れです。


わたしたちは、なんとなく、「戦争というものは、施政者の都合で、ある日突然、宣戦布告によってはじまるものだ」と思っています。

しかし事実は、日清戦争の経過にあきらかな通り、さまざまな不条理な出来事によって、世相が泥沼化していき、いつの間にか戦争戦争が起こっている。

宣戦布告というものは、ひとつの施政上の“くぎり”にすぎないということが、おわかりいただけるのではないかと思います。

いま日本は、反日を標榜する国家と、その反日に加担する国内勢力によって、信頼を根本とする日本の治世を、根底から破壊されようとしています。

麻生さんは、選挙をするともしないとも、ひとことも語っていないのに、テレビをつけると、昨年の麻生総理就任以降、「選挙しない太郎攻撃」ばかりです。

日本の底力を信じ、信頼できる国家、世界から信頼される日本を目指し、国内治世においては、筋道を立て、景気回復に死力を尽くす総理が、なぜ批判や攻撃の的とならなければならないのか。

北朝鮮が短距離ミサイルを日本に向けて発射し、日本をターゲットとする中距離ミサイルノドンを日本に向けて発射するためのデモンストレーションを繰り返している中で、どうして国内世論やマスコミは、その事実をきちんと報道せず、国家としての対抗策を語ろうとしないのか。

マスコミの所業は、国民に黙って隠しているから、北朝鮮産、はやくミサイルを日本に打ち込んでくださいといわんばかりにすら見えます。

宣戦布告はまだないけれど、すでに戦争は始まっているようにすら思えます。
てか、これはすでに戦争なのかもしれない。


経済というものは、その基本にあるのは「信頼」です。

企業活動にしても、売掛金や買掛金取引ができるのも、その根底に相互の信頼があるからです。

債権債務の関係というものは、すべてその「相互信頼」が基盤になっている。

会社勤めをしているサラリーマンにしたって、一ヶ月、ちゃんと働けば、かならず給料がもらえると信じて働いている。

その信頼がなかったら、誰もその会社で働いたりしません。

そうした「信頼」というものをきちんと守ろうとする日本と、信頼なんてなぁ関係ないとばかり、自己の利益ばかりを狙う閔妃のような人物。

そして、約束しながら、それを平気で無視して都合よく兵をすすめたり、多勢に無勢をいいことに虐殺の限りをつくす不条理に対して、日本は、我慢に我慢をかさねて、それでも平和的解決の道を模索し続けていた。

このことは、日清・日露、第一次大戦、大東亜戦争と、日本が一貫して貫いてきていることです。

そして戦後の日本にしても、約束は守る。依頼された仕事は完璧に仕上げる、そういう哲学をバカ正直に実践し、国際的信用を勝ち得、経済の復興を図ってきた。

日本の伝統的文化は、約束を守ること・・・つまり相互信頼にその根本があります。

しかし、「友愛」などと、耳触りのよい言葉を発しながら、その実、国を売り、国民の施政者に対する信頼をふみにじり、嘘八百で、過去の日本の先人達が必死で守りとおした信頼という文化を完全に葬り去るような輩が、日本に現れた。
外国から売国のために受け取ったカネを、死んだ人の名義で、献金されたと帳簿につけるようなゲス野郎が堂々と日本の議員をしている。

そんな輩には、絶対に先人達の血のにじむ努力や、本当の意味での信頼や、友愛など、まるで理解できないのではないか?

そんなゲス野郎を、首魁にあおぐ政党など、ボクは絶対に信用したくない。

彼が何億の蓄財をしているのかは知らないけれど、すくなくともはっきりといえるのは、ボクよりはお金持ちだし、エライ人だ(笑)。

だけど、ボクにはほんの残りカス程度かもしれないけれど、日本人としての誇りがある。

その誇りがある分、大金持ちのゲス野郎よりは、よっぽど豊かに生きているのだと思っています。

約束を守り、平和を愛し、信頼を築き、互いに成長できるように気遣う日本。そして一朝事あれば、正々堂々と果敢に戦い、連戦連勝の勝利を果たす日本。

これに対し、大言壮語するけれど、いざとなったら逃げ出してしまう。嘘八百を並べ立てる。自己の金儲けだけしか考えない。多勢に無勢で相手より絶対に強い立場にあると思ったら、ありとあらゆる非道を平気で行う。

そんな文化と、日本の伝統ある信頼文化が、果たして融合などできるのだろうか。

顔かたちが似ていても、まるで考え方の違う人たちと、言葉だけ友愛などと言ってみても、結局最後には、多くの血を流さなければならなくなる。

はじめにひどい目にあうのは、きまって信義を重んじる側です。

幸い、過去の歴史の中では、日本は最後には打ち勝ってきているけれど、でも、その間にも多くの日本人が犠牲になっている。

いまの日本だってそうです。

他国からの干渉や、国内の売国圧力によって、日本の多くの企業が不況にあえぎ、多くの人々が職を求めてさまよっている。

民主党は、選挙マニフェストで、財政の緊縮を標榜しているけれど、この不況下にとんでもない話です。
いまは内需拡大のために、財政を出動しなければならないときです。

そのために日本は多額の国債を発行するけれど、その引き受け手の98%は、日本人です。
つまり、国内の民間部門に眠るお金を、証書一枚で国が吸い上げ、これを流通させる。

流通する通貨量が増えれば、お金がまわる。お金が動く。

もちろん、通貨だけが増えたら、インフレになるけれど、これは新規の通貨の大量印刷ではない。民間部門のお金を、政府が吸い上げ、公共工事やら、中小企業への資金援助に使うということです。

赤字国債が増えると日本は破産するなんてことをいうアホもいるけれど、それも違う。
なぜなら、預金量が増えたからといって、倒産する銀行などないからです。

そして日本の通貨の発行権を持っている日本国政府は、日本国内最大の金融機関でもある。

つまり国債は、銀行にたとえれば、定期預金を確保することに等しく、たくさんの預金を集めれば、それだけ国は自由に使えるお金が増える。
そしてそのお金が国内に流通し、景気の底上げをしてくれる。

ふつうに考えれば、誰にでもわかることです。

明治の日本は、富国強兵政策によって、国内に軍事産業を興し、戦艦や巡洋艦を民間部門に発注。民間は受注により大量の雇用を生み出し、また、徴兵制によっても、国内に大量の雇用を生み出した。

結果、明治維新のころには、当時の清国と、国民ひとりあたりのGDPに大差なかった日本が、その後わずか十数年で、清国を圧倒するだけの経済基盤を築きあげる。

日清戦争は、信頼を重んじ、必死に努力して富を得た日本と、干渉ばかりして努力をせずに事大主義に凝り固まった清国との戦争でもあった。

そしてその結果は、最後に明らかとなった。
もちろん日本の勝利です。

正しい者が、最後は勝つのです。

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Author:ねずきち
日本が好きです。ていうか人間が大好きなのかな。心って、ものすごく大きなこともなしとげる。その時代時代に、真剣に生きた人たちから学ぶこと。歴史って、いまを生きる人が過去に学ぶためにあると思う。だから、歴史にIFは禁物だなんて思わない。歴史を学び、もし〜だったらと考えることで、人は何かを感じることができるんだと思う。

政治に混迷が続く中で、もういちど私たちは過去を振り返ってみる必要もあるのではないか。そうすることで、もしかしたら一条の新しい光を見出すことができるのかもしれない。

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コメントをくださる皆様へのお願い
いつもたくさんのコメントをいただき、ありがとうございます。
ほんとうに皆様のコメントが、ねずきちにはとっても嬉しく、かつありがたく拝読させていただいています。

議論というものは、すくなくともこのブログのコメント欄が、国政や地方自治、あるいは組織内の意思決定の場でなく、自由な意見交換の場であるという趣旨からすると、互いに互譲の精神を持ち、相手を尊敬する姿勢、ならびに互いに学びあうという姿勢が肝要であると存じます。

ねずきちは、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

従いまして、謙譲・互譲・感謝、そして学ぶという姿勢のない連続投稿、粘着投稿に類する投稿をされた方については、以後のコメント書き込みを、管理人であるねずきちの判断で投稿の禁止措置をとらせていただきますので、あしからずご了承ください。
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伊勢神宮式年遷宮奉賛金寄付について
日本の心をつたえる会では、20年に一度行われる伊勢神宮、式年遷宮のための寄付を会として行っています。
平成23年末まで、みなさんから寄付を募り、日心会としてこれをとりまとめて伊勢神宮に寄付を行います。

■関連記事
「伊勢神宮の式年遷宮に
協力しよう」


ご寄付のための専用口座は
次の通りです。

■ゆうちょ銀行からお振込
銀行名  ゆうちょ銀行
記号   10380
番号   57524261
口座名
   日心会式年遷宮奉賛金事務局
(ニッシンカイシキネンセンク゛ウホウサンキンシ゛ムキョク)

■他の金融機関からお振込
銀行名  ゆうちょ銀行
支店名  〇三八
(読み:ゼロサンハチ)
店番   038
  預金種目 普通預金
口座番号 5752426
口座名
   日心会式年遷宮奉賛金事務局
(ニツシンカイシキネンセンク゛ウホウサンキンシ゛ムキヨク)

神宮遷宮は、1300年間行われ続けた伝統行事です。
日本の歴史では、古来国家の歳費で行われてきましたが、これが歳費で行われなかった時代が2つあります。
ひとつは応仁の乱から戦国時代。国が荒れて国費は遣われませんでした。
もうひとつは日本国憲法下の日本。つまり現代日本です。
日心会では、国家の伝統と文化保護のため、みんなで力をあわせて式年遷宮の伝統行事を応援します。
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