日本に手を出した国は必ず滅びる・・・それが歴史の事実です。 日本は相互信頼主義を根本とする国です。 命をかけて戦った先人たちの努力を見直し、日本の素晴らしさを再認識して、階級闘争主義の汚染から日本を守ろう。

自民党は語りに語れ!そして語る者に拍手を送れ!

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細田博之自民党幹事長
細田博之


2009.7.14 衆議院で「内閣不信任決議案に関する討論」が行われました。

この討論で、自民党細田博之幹事長の熱弁。

昨日の記事で、bbさんがおっしゃられた通り!!

細田さん、いいですね〜〜^^

血を吐くようなその熱弁に、ねずきちは、拍手喝采なのです^^b

いまの日本に必要なのは、こうして心ある議員が、語りに語り、述べに述べて真実を伝え抜くことにあるのではないかとすら思います。

かつての日本では、「言わなくてもわかる!」、そういう時代がありました。
しかし、いまの日本は、言わなきゃわからないのです。
語らなきゃわからんのです。

どうか、下の動画をご覧いただき、細田幹事長の発言をお聞きいただきたいと思います。

動画は、約19分あります。長いので、2分割しています。
動画は、いちばん下にあります。

動画をご覧になりながら、細田氏の発言を是非、読んでみていただきたいと思います。
全文掲載します。

---------------------------------
衆議院 内閣不信任決議案に関する発言
自由民主党幹事長 細田博之氏


私は自由民主党を代表し、ただいま議題となりました麻生内閣不信任決議案に対しまして、
断固反対の討論を行うべきものであります。

麻生内閣は昨年9月に発足以来、内外に重要問題が山積する中、

国民生活の安定や国益の実現、
国際社会への貢献

に全力を尽くし、短期間で多くの成果をあげながら、責任ある政治の遂行に心血を注いで参りました。

世界的金融危機では、

2回にわたる20カ国首脳会談や、
イタリアサミットなどを通じて、

世界的な不況を脱却するための貢献を図り、世界各国から評価されております。

本年度総予算、
3度の補正予算、
関連法案を成立を成立に導き、

企業の資金繰り支援、
雇用の創出、
高速道路料金引き下げ、
出産や子育て支援など、

的確で切れ目のない対策を断行し、景気が底を打って、明るい兆しが見え始めたところであります。

景気対策のための税制改正法を成立させると共に、持続可能な社会保障の安定財源に対する道筋を示しました。

景気対策、「さすがは麻生!」と、私は自民党幹事長として、素晴らしい成果を挙げていると考えております。


年金につきましては、給付と負担の均衡を図るため、国庫負担を引き上げる、
国民年金法を成立させ、

また社会保障費抑制を撤回することで、より充実した社会保障を目指す体制を整えました。

何故、基礎年金の負担をですね、国庫負担を上げることに、民主党その他の政党が反対されたのか、よく理解が出来ません!


温室効果ガスの削減につきましては、現実的かつ思い切った目標を示し、日本のリーダーシップと国際的公平性を内外に示しました。

国際社会に責務を果たし、国家と国民の安全を守るため、

インド洋上の補給支援を、

支援を継続し、海賊対策に取り組み、提示された全ての条約を承認に導きました。


民主党その他の政党は、補給支援についても海賊対策についても、国民の安全を守り、世界の秩序を守ることにも反対をされている。

このことは全く理解に苦しむわけでございます。

さらに、

消費者庁設置法、
憲法審査会規定にも結論を出し、
空席が続いていた日銀副総裁など、主要な同意人事も設定して参りました。


然るに、何故、野党の諸君は

北朝鮮貨物検査法案

など、重要法案の審議を、今、放棄してまで、放棄してまでこのタイミングで、不信任決議案を提出されるのでしょうか?

反対なんですか!?

北朝鮮貨物検査法案、反対なんですね!!


特に、民主党は、

小沢前代表の違法献金事件や、
鳩山代表の政治資金報告書虚偽記載に関する疑惑

を隠そうとの意図がみえみえであります。


まさに、まさに今回の不信任決議案の提出は、「鳩山偽装献金隠し決議案提出」とも言えるものであります。


国連安保理決議を受けた、

北朝鮮貨物検査法案が、

結果として参議院で廃案となれば、

インド洋での給油活動、
ソマリア沖での海賊対処法に反対したのと同様、

口では国際貢献を言いながら、その実「何もする必要がない」との民主党の、

反国際協調主義的体質

を明らかにするものと言わざるを得ません。



民主党は、

任期途中での代表辞任が、実は5代も連続

しているんですね。


西松建設からの違法献金事件では、検察の対応を「国策捜査」との筋違いの批判をして、
「国策操作」などと言っているわけですね。


説明責任を果たさないまま小沢代表が辞任致しました。


民主党が選定した、第3者委員会がまとめた報告書では、検察が論告で、

「小沢事務所が『天の声』を出していた。
法の趣旨を踏みにじる、極めて悪質な行為である」


と述べた程の疑惑に対して、

究明するどころか、

司法の独立を侵し、不当な政治介入を許しかねない指揮権発動に言及する、「指揮権を発動すべきであった」などと言及するなど、あまりにも非常識なものでありました。


さらには、

代表を辞めた人が、すぐに代表代行に就任

して、選挙の指揮を執るという、全く自浄能力に欠けた人事も、実に驚くべきものでありました。


さらに、

鳩山代表の資金管理団体の個人献金の偽装

個人献金の偽装は、政治資金規正法を根底から覆す、前代未聞、前代未聞の重大な問題であります。


亡くなられた方、死去した方や 身に覚えのない方からの献金が、収支報告書に記載されていることが続々と判明しました。


鳩山代表は会見で虚偽記載を認めて、収支報告書を大幅に修正されたということでございますが、驚くことに、

8割近くが、80%近くが偽装であった

というわけであります。


しかも、これすらほんの一部分でありまして、6年間で2億7000万円に上る、5万円以下の匿名献金については、実態が判明しておりません。


さらに、献金の実態がないのに、寄付金控除を受けた、不正幹部による脱税の疑惑まで持ち上がっております。


代表と幹事長は「説明責任は果たしている」と仰いますが、
担当した弁護士自身は、

「調査の途中」

としており、未だに国民も、私たちも、疑念を払拭するに至っておりません。

疑念はそのままであります。

なお、市民団体が鳩山代表自身を、東京地検に告発し、既に受理されたと報道されております。

この問題の解明は、実効性のある政治資金透明化のシステム構築に、不可欠であります。


北海道議会からも偽装献金の全容解明と、説明を求める意見書が、衆参両院議長に対して、出されております。

予算委員会で、臨時特別会議で何度もお呼び出しを致しましても、出てこようとはされません。

是非とも国会の場で堂々と、鳩山代表本人から明確に説明をして頂きたいものであります。


本日、不信任案が否決されれば、審議は開始できるわけでございますから、今週。そこにどうぞ、お出かけ頂けますよう、ご説明頂けますよう、お願い申し上げます。


鳩山代表は、事務担当の秘書のせいにして、「自身も会計責任者も知らなかった」と弁明しております。

しかし、もし政治団体の代表者が職務を行わない会計責任者を選任し、その監督を怠ったのであれば、公民権停止や議員失職も有り得るほどの重い罪であります。


鳩山代表はかねて、閣僚や与党議員の管理体制の甘さを繰り返し厳しく糾弾してきましたが、

自らに向けられた疑惑に対する明快な説明は無く、

また、この度の個人献金の偽装、個人献金の偽装は、民主党が提出した、”企業団体献金を廃止して個人献金を推進する”政治資金規制法案の改正案の立法精神とも著しく矛盾しており、今や批判の先は鳩山代表自身に向いていることを、強く自覚すべきであります。


民主党の政治姿勢は、責任政党とは程遠く、絶えず疑念と懸念が付きまといます。

マルチ、マルチ業界に深く関わっていた議員や、障害者団体向けの郵便割引悪用事件に絡んでいたとされる議員もあります。

ツケは国民に回されるのであります。


さらに党の幹部が、

「教育の政治的中立は有り得ない」と、発言した、

との報道もあり、事実とすれば、教育基本法や教育公務員特例法は、どうするんですか。

教育基本法はどういう風に考えてるんですか。

これは、日本国教育基本法の理念とも合致しない、

今まで、民主党が提出した法案の理念とも合致しない訳であります。


また、国家公務員、地方公務員の信頼を回復するために、我々与党は“闇専従撲滅法案”を提出しましたが、成立出来ない状況です。

これは民主党など野党が、官公労・自治労・日教組などの公務員労組に、強力に支援されているからであり、これらの政党では決して、公務員改革はできない。
公務員改革はできない政党だ、そう思っております。

20%賃金をカットされると仰ってるなら、ちゃんとやれますか?

20%カット、

しないばかりか、役所や学校現場で労働組合活動が大手を振って行われる、憂慮すべき事態に陥ることになります。


さらに、民主党の党大会では、国旗が掲げてない。

えー、「民主党党大会は国旗を掲げておりませんか?」だと言われております。

平成11年の、国旗及び国歌法案の採決で、民主党は賛成45/反対46でありました。
このことと関係があるんでしょうか?

このような政党が、日本国を代表して日の丸君が代を堂々と掲げ、歌い、世界各国と渡り合えると言えるんですか?

甚だ疑念であります。


ねじれれ国会のもとで、参議院で第1党を占める民主党は、議会の生命線である合意形成を拒み、政策よりも政局を優先することで、国益や国民生活に深刻な混乱をもたらしてきました。

党利党略で審議を引き延ばしたり、促進したりの御都合主義は、時に他の野党からも厳しい批判を受けてきたところであります。


民主党はかつて“給付付き税額控除”を提案しながら、“定額給付金”には反対致しました。

しかし、いざ定額給付金が支給されてみると、そのことに歓迎するニュースが多く現れると、戸惑いを感じられたのではないでしょうか?


外交や安保の根幹にかかわる、

補給支援法
グアム移転協定
海賊行為対処法

などの懸案には、ことごとく反対し、


また、小沢前代表の「アメリカは第7艦隊さえ居ればいい」という、第7艦隊発言は、
日米の安保体制を揺るがしかねないほどの波紋を投げかけました。

これでは、国民の安心と安全を託すことは出来ません。


外交・安保について、公約について全然聞いてませんがね。

他のことばっかり出てますが、外交・安保を明確にして下さい。


憲法審査会規定では、極めて長期に、放置をしてきたということを申し上げておきたいと思います。


消費税の議論は、岡田代表の時に主張がありましたが、小沢代表の時に封印をして、鳩山代表は先送りで、未だ主要政策の財源や、制度設計は曖昧のままであります。


違う! それは、鳩山代表が、我が政府、総理大臣に対して、不信任案を出す時に、今、民主党の公約をどんどん仰ったじゃないですか。

我が党はこうします、我が党はこうしますと言ったじゃないですか。

それに対して反論してるんですよ。

それが分からないんですか!?


財源問題として、民主党は16兆8000億円を、捻出すると言ってますね。

16.8兆!だんだん20兆から減ってきました。

20兆→17兆→16.8兆ですから、まもなく14兆→12兆→10兆となるものと私は、予想しております。

そして、バナナのたたき売りのようになってくると思いますけれども、よく、さらに、勉強して、それを5兆くらいにして下さい。


報道されている、財源の内容を見ると、

公共事業見直しで1.3兆、
補助金改革等で6.1兆、
公務員も ・・・勿論褒めております。

最初に褒めておりますからね。公務員人件費削減1.1兆。

公務員人件費、アレですね、一人当たりボーナス入れて800万円、

コレ、2割削減するんですね。

えー、それは大体、160万円くらい全部給与カットですね。

えー、その、はい。そういう1.1兆。

それから、税制改正で2.7兆円。

税制改正で2.7兆っていうのは、配偶者控除とか、扶養者控除の廃止による増税、租税特別措置の廃止、こういうことですね。

ええ、これはどうやってやるんでしょうかね?

公共事業の直轄事業の廃止、あるいは、教育関係の補助金も廃止するんでしょうか。

そのことを伺いたいと思いますけれども、これは質問しておるだけで御座いまして、答えは要りませんから。


そして、今の経済危機の状況の中で、そのような民主党の案を実行すれば、景気に多大な影響を与えると云うことは、はっきりしております。


また、無駄遣いの根絶とか、行政改革で財源をひねり出すというのは、立派な、立派なことであります。

しかし、その立派なことも、荒唐無稽な内容でなく、実現可能な内容を、もっと精査をして欲しいと思います。

これから、このことについて、選挙に向かいましてね、もう選挙が決まったんですから、
これに向かいまして、討論を進めて往きたいと思います。


如何に、非現実的な内容が含まれているか、一部立派なものも含まれてるでしょう、それは結構です。

しかし、大半はあまり立派じゃない内容になっておりますので、それを申し上げたい。


特にですね、

高速道路の無料化。

大体2兆円放棄してしまうわけですね。高速道路無料化。


農家の個別補償で、土地改良を止めましょうなんて言っていますね。

それから年金制度一元化、というのも、三年金を一元化できるんですか? できるんですね?

そういうことの疑問は尽きません。


さらに、民主党は4年前の郵政解散で、国民の圧倒的多数が支持した郵政民営化について、野党の共闘を優先して、民意を蔑ろにする行為を、平然と行っております。


郵貯銀行・簡保生命の株式100%売却を反故にし、完全民営化を撤回して、国が一定以上の株式を保有し続けるとの合意を、社民党・国民新党と取り交わしております。

これは、以前の国有公社に戻す、国有公社に戻す、ということでありまして、まさに、けしからん! 逆行であります。裏切りであります。


そして、西川社長を退陣させようという動きも、我々から見れば、真実がはっきり見えてくるわけで御座います。


そのような政党が、先ほど鳩山代表が言われたように、

「我々が政権を担えば、もう見事に全て解決しますよ」などと言っておられますが、

全て疑問の対象になるわけで御座いまして、申し上げたわけでございます。


この度の内閣不信任決議案は百害あって一利なしでありまして、真面目な、今後の日本国の動向、そして対応について、機能不全に陥れる可能性のある民主党に、軽々しく、内閣不信任案などと仰って欲しくない。

この決議案提出の理由を聞いても、国民が納得するようなものは全く見あたりません。


民主党は、国家運営の明確なビジョンを示しておらず、自らの主張と、野党間で模索する連立政権の基本政策と、いずれを優先させるのか定かでありません。


これでは有権者に対して、「白紙委任状に投票しろ」と言っているようなものであります。


国民が心から求めているものは、政権担当能力であります。


ただ天下りを批判してみたり、自民党と官僚が癒着している、そのことだけを言っていれば
票が取れるなどと思っていただいては、大間違いであります。

そんな実態は御座いません。そういうことを申し上げたいと思います。


そして、今後とも我が自由民主党と公明党が、引き続き政権を担当し、そして日本の舵取りを担っていく覚悟であることを、国民の皆様に対してお誓い申し上げます。

我々は、そのような意味で、理不尽な内閣不信任決議案には、断固反対であり、圧倒的な多数をもって、速やかに否決されるべきであるということを、申し上げて、反対討論を終わります。

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細田さん、よく言った!

それにしても、細田氏の論説の末尾のところで、河野議長、口を挟み、強引に質疑を打ち切らせようとした。許せないよ。この男!

それとね、自民党の議員に言いたい!!

細田氏のこの討論のあと、全衆院出席与党議員で、なぜ、精一杯の拍手を送らないかっ!

そういうところがダメなんです。

なんのために、誰のために細田さんが必死の血を吐くような討議を行ったか。

細田さんの心意気を感じ、拍手を送るくらい、自民党の議員、なぜできない!!

大物ぶりっこなんて、いまどきはやらないのです。

積極的に旗色を明確にする。

それがなくては、国民はついてけなくなっちゃいますよ。

他の自民党議員も、この趣旨をよく汲んで、語りに語れ!!

党員は、拍手を送れ!!

言わなきゃわからんのです。

語らなきゃわからんのです。

拍手せにゃ、わからんのです!!

細田さんだけじゃだめです。

すべての自民党議員が、声を大にして、語りに語れ、しゃべりまくれ!!

発言に拍手喝采を送れ!!


そして、対決姿勢だけでなく、麻生総理以下、閣僚全員による、8月15日の靖国神社公式参拝を是非実現せられたい。

そして閣議決定として、村山談話・河野談話の破棄を断行せられたい。

いまこそ、国民の目を覚まさせるときです!!


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2009.7.14 衆議院 内閣不信任決議案に関する - 細田博之[1/2]


衆議院 内閣不信任決議案に関する討論 - 細田博之 [2/2]

ランクリねぇ・・・

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以前にもいちど書きましたが、他人を非難する言葉というのは、ほぼすべての場合、非難しているその人自身のことを言っている。(笑)
じつに、おもしろいものです。

所詮、人は、自分の範疇でしか他人をみることができない。

なにか悪だくみをすると、他人も自分と同じ悪だくみをするのではないかと、不安になる。
そして不安は常に、相手せいにして表に出てくるものです。

・・・と書いても、おそらくなんの話かわからない方もおいでだと思う^^

kosimizu

↑のブログ記事の末尾の文章です。
(クリックすると、そのブログに飛びます♪戻るときは、ブラウザの「←戻る」で戻ってください。)

はいはい、お疲れさん。

あなた、ご自分がそういう卑劣なことをやっておられるのですね^^;

よくわかります(笑)


ちなみにねずきちは、あなたのような技術や係は持っていません^^;

埼玉に住む、ただのそこらの自営のおっさんです。
べつに政党や宗教団体の後押しを受けているわけでもなければ、どっかの大学の教授をしているわけでもない。数少ない従業員にも、このブログのことは内緒だ(笑)

いわば純粋に個人としてのおっさんとして、勝手気ままなことを書いているわけで、なので、ときどき間違ったことも書く(汗)。

書くとコメで、みなさまからお叱りを受ける(笑)

んで、あぁ、そういうことか、と、ねずきちのほうが、皆様から勉強させていただいているのが、このブログです^^b

そうやって書き手とコメントをくださる方々が、お互いになにかを学びあうことができれば、望外の幸せと思っています^^

実際、ボク自身が、いちばん勉強させていただいてる。


それにね、ねずきちは、おっさんの常態というか、ほんとふつうのおっさんで、読者の方から“文字を大きくしてくれ”と再三、いわれながら、それすらもなかなかできない^^;

それだけのパソコン技術がない^^;

独学でいろいろといじくって、ようやく本文とコメの文字は大きくすることができたのだけど、コメント下さった方のお名前とかお時間とかのところの文字、これがどうやったら大きくできるのか、おじさんには、さっぱりわからないデス・・・(*_ _)人ゴメンナサイ

だいたいね、そこらのおっさんのひとりごとが、ランキング上位にあるなんてこと自体、ふつう、ありえねぇ〜っすよ^^:

ましてIPがどうのとか、いちおう画面向かって左側の欄に、それなりのことを書いたけど、大阪のおっさん事件で、はじめて知った(笑)


でもね、すごく不思議なことなんですけれど、英霊のこととか書くじゃないですか。
そうするとね、ものすごい勢いで指が勝手に動く。
次から次へと文章が浮かぶんです。

実に不思議な体験です。

カルトとかと間違われたくないから、あまり言いたくはないのだけれど、なんかね、マジで、なにかがとりついたみたいな感じになります。ほんとです。

で、2〜3日して、その文章を読み返してみると、すげぇ〜〜!! これ、俺の文章??!!って、びっくりしてしまう。

↑これ、ほんとのハナシです。

o(*^▽^*)oあはっ♪ 話が逸れてしまいました(笑)

でもまぁ、そういうことなので、ボクが↑のようなことを書いたからと言って、火病を起こして反論しても、そこらのおっさんであるねずきちからは、何もでませんYO。


さてさて、今日のお題です。

以下は、おっさんのタワゴトと、軽く読み流してください。


自民党では、中川秀直氏などが、どうやら麻生総理に反旗を翻す「構え」を見せています。

これね、ようするに駄々をこねて、なにがしかのカネを麻生財閥からせびりとろうというセコイ話であることは、ほとんどのおじさん経営者たちは、みんな知っている(笑)

本気で麻生氏を潰すつもりなら、衆院での内閣不信任案に白札(賛成票)を投じている。

ところが、実際に彼ら反麻生派が投じたのは、青札(反対票)。

つまりね、彼らは、本気で自民を割るつもりなんてさらさらないし、麻生氏を潰すつもりもない。

いまの時点で、自分が麻生氏に代わる総理総裁になれるとも思っていない。

ようするに、麻生氏に、ちょいとゴネて、それなりのまとまったカネをせびろというだけの話でしかない。

こんな茶番を見たら、多くの人は、がっかりしちゃう。


都議選で自民党が議席を落とし、1か月半後には天下分け目の衆院選が行われるという、この期に及んで、いったいなにをナサケナイことをやっているのか。

だいたい自民党は、昔からこういうことをするから、評判を落としている。

いい加減にしろっ! てのが、おおかたの自民党応援者の中小零細のオーナーの声です。

それでも自民を応援してんだっ!!
ちったぁ、ありがたいと思ってもらわなかったら困るっ!(笑)


日本はいま、反日在日勢力に政権を盗られそうになっています。

これはヤバイ。

でね、いちばんヤバイと感じているのが、どうやら特アらしい(笑)


韓国にしてみれば、在日勢力が日本の政権をほんとうに獲っちゃったら、韓国人よりも、朝鮮戦争で韓国を捨ててボートピープルとなって国を捨てて逃げ出した移民たちに、“韓国の自由と平和を守るために戦った”韓国本国の経済まで支配されかねない。
なんのこっちゃ!ってワケです。


シナにしてみれば、在日韓国人が日本の政治経済をほんとうに牛耳っちゃったら、彼らだってバカじゃないから、ほんとうはシナのGDP(国内の付加価値の合計・・・つまり粗利益の合計)が、日本企業によってもたらされているもの大であることを知っている。

そのカネの成る木(日本)が壊れたら、シナの経済はたいへんなことになると知っている。

GDPというのは、国内での付加価値の合計です。
だからつまり、外資系の企業が日本で企業活動をしたら、そこで生まれた企業収益は日本のGDPになる。

逆にいうと、たとえばトヨタが、アメリカの工場で製造した車によって得た利益は、アメリカのGDPになる。シナ工場で生産した製品による粗利益は、シナのGDPになる。

全世界のオール・トヨタの収益(GDP)や、オール松下の収益は、連結決算に表れるけれど、その粗利益合計は、とくに経済指標としての発表はないです。

だけど・・・・ここが肝心なのですが・・・日本の企業の連結ベースでの付加価値は、全世界の企業が生み出す付加価値合計の、なんと、3割以上に達しているともいわれています。

じつは日本てすごい国なのです!!

だから、ちょっと日本の政府をつついて、カネを出してもらったりもするし、政界の内乱を煽って、出してもらうカネの増額を図ったりはするけれど、だからといって、民主党がほんとうに政権を取り、内閣を組織する・・・日本を在日が仕切り、在日政権が誕生する・・・ことは、経済は“政治的混乱を最も嫌う”ものであり、日本の政治的混乱は、日本企業の収益力と企業力を低下させ、不採算な海外製造拠点の見直し閉鎖がもたらされる・・・という現実の利害を前に、どうしても彼らの国家方針の転換を迫る事態になる。

要するに、日本での在日民主党政権誕生は、シナや韓国が、まっさきに甚大な被害を被ってしまうのです。

そして彼らの国の国内景気の悪化は、彼らの国自体の政治的混乱を招く。

いままで抑えに抑えていた反政府運動が、いっきに顕在化してしまう。

コキントウさんなんて、麻生さんと会って、こりゃヤバイと知ったから、慌ててサミットから帰国した。シナの内部を抑えなければならないと知ったからだともいわれています。
ウイグル問題くらいでは(ウイグルの方ごめんなさい)、コキントウさんは、帰国しない。


みていてください。

シナや韓国の日本に対する方向性が、この先、衆院選前に、みるみる変わってくる。

おそらく、シナは、日本との領海での軍事演習を強化する。つまり日本に脅威を与える。
北にも、さらに露骨なミサイル攻撃をやらせる。日本の漁船がミサイルで沈没させられるくらいのことが起きるかもしれない。

同時に、シナ・韓国発で、日本の民主党の不祥事情報が、次々と暴かれる。
なにせ簡単です。もともとは彼らも仕掛人だ(笑)

日本に悪意を持って手を出した国は、結局はかならず滅びてしまうのです。

天に向かってツバするのと同じ。


都議選でね、あれだけ民主党有利の条件が揃っていながら、民主党は過半数に達するだけの候補者を立てれなかったでしょ?

それもちゃんと意味があっての流れと知るべしです^^v


すみません、↑の文章だけみたら、なんのことか首をひねる人もいるかもしれない。
だけど、そういうことなのです。(わかるひとにはわかる・笑)

「日本の底力を信じてください!」と麻生総理は常々語られています。

ほんとうです。

日本て、スンゲェ──―Σ(゚∀゚ノ)ノ─―─ッ!


そしてね、その日本を、私たち日本人は、わたしたち日本人の手で、守り抜かなければならない。

日本という国は、守るだけの価値がある立派な国だと、ねずきちは思います。


がんばれ、ニッポン!!


追伸:麻生総理、こないだ書いた8月15日靖国参拝と、村山・河野談話破棄、選挙前に絶対に実現してくださいな。
個人の信仰から、個人的には、神社参拝には抵抗があるかもしれないけれど、麻生さん個人と、公人としての総理。その公人としての総理の参拝です。
こないだローマ法王とお会いされたでしょ? 法王はきっとわかってくれますよ^^


日本を信じよう! 日本を守ろう!という方
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靖国神社を参拝した各国の軍人

大山巌・・・西郷の再来と言われた男

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大山巌元帥銅像
大山巌1


東京都千代田区北の丸公園内に、大山巌(おおやまいわお)元帥の銅像があります。

大東亜戦争直後、多くの軍人の銅像が撤去される中、大山巌元帥の銅像だけは撤去をまぬがれたのです。

なぜかというと、日本を統治したマッカーサー自身が、自室に大山巌元帥の肖像画を飾るほどの大山ファンだったからなのだそうです。

今日は、マッカーサーが心酔した大山元帥について書いてみようと思います。


大山巌は、1842年、薩摩藩の鹿児島城下の生まれです。

父の大山彦八は、西郷隆盛の父の弟で、大山家に養子に入った人物です。つまり西郷隆盛と大山巌は、従兄同士の関係にあたります。

大山巌は、6歳から、薩摩の郷中と呼ばれる青少年団に入ります。
大山よりも15歳年上の西郷隆盛は、郷中のリーダーでもあり、兄でもあり、父でもあった。

大山は、この郷中教育の中で、卑怯を嫌い、死を覚悟してことに臨む潔さを学び、リーダーのあるべき姿は、西郷隆盛から学んだといいます。

32歳になった大山巌は、明治政府から下野した西郷を復帰させるために渡航先のヨーロッパから急きょ帰国します。

3年ぶりに鹿児島に戻った大山は、その足で西郷隆盛のもとを訪れ、新政府に戻ってほしいと必死に説得しますが、西郷は応じない。

ならば、西郷を守るために命を捨てようと、大山巌は、西郷に、行動を共にさせてほしいと頼みます。

大山の申し出に対し、西郷は、

「おはんは、これからの日本に必要な人材じゃ。東京におって、天皇陛下のお役にば、たたにゃなりもうさん。おいの役にはたたんでも、よか」と答えます。

それでも西郷と行動を伴にしたい大山は、重ねて
「おいの命ば、兄さぁにお預けしもす」

そう言うと、西郷は急に立ち上がり、

「ならん!、断じてならん! 帰れっ! 東京に帰れっ!」と怒鳴った。

西郷は、滅多なことでは人を叱りつけることがなかったといいます。
その西郷が怒鳴った。

大山は、西郷の怒声の中に、西郷の悲壮な決意を感じ取ったといいます。

不平武士たちの側に身を置き、彼らと運命を共にする。彼らと共に死ぬ。誕生したばかりの政府を守るにはこれしかない。西郷の明治政府への「ご奉公」であった。

その「ご奉公」に、西郷は大山を巻き込みたくなかった。
その気持ちが、大山には痛いほどわかる。

大山は、西郷のもとを去り、実家にも寄らず、東京へ帰った。
これが今生の別れになると思うと、大山は涙があふれて止まらなかったといいます。

1877年、西南戦争が起こります。
明治新政府への不満武士たちが西郷を擁立して暴発した。

大山は軍人です。
戦場にあっては、味方である政府軍の勝利に全力を尽くさなければならない。

半年以上にわたる激戦の末、西郷が立て籠もった城山への攻撃のときがきた。

非情にも、その任が大山巌に下った。

早朝4時に始まった攻撃は、明け方には大勢が決まった。

西郷隆盛、自刃。

遺体が浄光寺に運ばれた。

大山は、西郷夫人に弔慰金を渡そうとしたが、突き返される。
巌の姉は、泣きながら、「なぜ西郷を殺したかっ!」と巌を責め立てた。
胸が張り裂けそうな辛い立場だった。

巌は、いっさい弁解をしなかった。
理解してもらえるとも思わなかった。

「兄さぁだけが、わかってくれれば、それでいい」
西郷の新政府への「ご奉公」を見届けるのだ。
そんな思いだけが、彼の心をぎりぎりで支えたといいます。


西南戦争の翌年、明治天皇が北陸・東海地方を巡幸されたとき、大山巌は、その同行を命じられます。

天皇が大山に語り始めた。

「わたしは、西郷に育てられた。
いま、西郷は『賊』の汚名を着せられ、さぞ悔しかろうと思う。
わたしも悔しい。
西郷亡きあと、わたしはその方を、西郷の身代わりと思うぞ」

大山は、感激で身が震えたといいます。

「もったいないお言葉でございます。全身全霊を陛下に捧げる所存ございます」と答えるのがやっとだった。

西郷を失って以来、大山は元気を失っていた。何をするにも、気合いが入らなかった。
このときの陛下のお言葉で、西郷亡きあとの自分の生き方が見えてきた。

「自分は、兄さぁの代わりになろう」

西郷の人生を生きればいいのだ。大山の目からは、熱い涙がとめどなく流れつづけたといいます。


1894年、日清戦争勃発。

第二軍の司令官となった大山は、出陣に際し、
「敵国民であろうとも、仁愛をもって接すべし」と訓示した。

訓示を述べる大山の姿に、「勇者は義に篤くなければならん」と常々語っていた西郷隆盛の姿を見たものは少なくなかったといいます。
敵兵からも称賛された日本軍の規律正しさは、後々の世まで語り草になっている。


1904年、日露戦争勃発。

満州軍司令官として着任した大山巌の存在感は、圧倒的だったといいます。
大山巌の許可を得た作戦ならば、絶対に勝てる!。
そう思わせる、力、人徳が、大山にはあった。

「この戦争は、大山巌で決まる」と語ったのは、参謀次長の児玉源太郎です。

陸軍の勝利は、この二人の二人三脚で決まった。

大山は、児玉の作戦を全面的に信頼し、任せ切った。

任せた以上、口だししない。

そして結果については、全面的に自分が責任を取る。大山は、このスタイルを貫きます。

秋山好古少将率いる騎兵第一旅団が、ロシア軍に包囲されたという報告が司令室に飛び込んできた。

秋山旅団が崩れれば、全軍が分断される。
司令部に戦慄が走った。

情報が錯綜。児玉源太郎の怒声が飛ぶ。
ただごとではない空気が、大山の部屋にも伝わってきた。

大山は、このとき「おいが指揮を執るしかない」、そう思ったといいます。

しかし・・・・

とっさに思った。

「もし、兄さぁ(西郷)だったら、どうするだろうか」

そう思い返したとたん、大山は軍服を脱ぎ、わざと寝仕度をして、眠そうな眼でドアを開けた。

そして、とぼけた調子で、

「はぁー、なんじゃ、にぎやかじゃのぉ」

みんなあっけにとられて、寝まき姿の大山に目を向けた。

「さっきから、大砲の音がしちょりますが、今日はどこぞでいくさでもやってござるのか?」

大山の間の抜けた声に、ひとりが笑った。
それが引き金となって、司令部の全員が笑いだした。

司令部に漂っていた緊張感が一気に和らぎ、冷静さが戻り、状況把握が的確になされるようになった。
大山巌流統率の真髄であったといいます。

大山巌
大山巌2


日露戦争のあと、大山を総理大臣にという動きもあったが、大山はこれを固辞。

大山は、家人に対しても、部下に対しても、およそ威張るところがなかったといいます。
人の悪口もいわない。

私心なく、海のように広い心を持ち、誰に対しても謙虚な大山の姿は、西郷隆盛を彷彿させたそうです。

愛妻家で子煩悩も、大山の特徴のひとつ。
仕事を終えると、より道をせずに、まっすぐに家族のもとに帰る。

芸者遊びを好まず、家族と過ごすときを大切にした人でもあったそうです。

1916年、愛妻に看取られながら、大山巌は、74年の生涯を終えます。

危篤状態で、意識朦朧の中、大山はしきりに「兄さぁ」とうわごとを言っていたそうです。

妻の捨松は、「やっと西郷さんと会えたのね」、夫にそう語りかけた。

■参照:大山巌
http://www.ifsa.jp/index.php?oyamaisao

大山元帥をご紹介させていただきました。

ポイントが3つあります。

(1) 青年を育てた郷中

明治維新で薩摩藩が果たした役割の大きさについては、論を待たないと思います。

その薩摩で、もっとも大きな力となったものが、郷中だといわれています。

郷中というのは、いわば青年団です。

その青年団で育てられた西郷隆盛や大久保利通、大山巌などは、頭で考える理屈や論理よりも、人と人との情のつながりこそが、大きな力となることを知っていた。

現代日本では、なぜか「理屈」が先行します。

階級闘争主義に染まった人々は、どういうわけか「上が命令したら、下は言うことを聞く」と思っている。

ところが実際には、上が命令したら、下は「なに言ってやがんだ」と反発している。面従腹背。うわべはいう事を聞いていると見せかけても、内心では反発している。

当然です。上の命令、下の意識は、常に階級闘争にある。

郷中においては、なによりもまず、情の交流が優先した。

だから「言わなくてもわかる」・・・そんな精神文化が熟成された。

かつて、日本人のサラリーマンが、他社のサラリーマンと交流するとき、あるいは上司と部下が交流するとき、必ず、一緒に飲もうぜ、実家はどこだい? あぁ、そこなら知ってるよ。角にタバコ屋があって、あそこの婆さん元気かな。。。等々の会話が重ねられ、いつの間にか、人と人との間に、深い上の交流が生まれていた。

一見、無駄に見える、そんな心の交流が、日本人が何かを成し遂げる上でものすごく重要な要素となっていた。


(2) 西郷と戦った大山巌

大山巌と西郷隆盛は、従兄弟同士の関係にあった。
そして大山にとって、西郷は、人生最大の師匠であり、最も尊敬する、いわば彼にとっての神のような存在でもあった。

その西郷と、大山巌は、敵味方に別れて西南戦争を戦います。

戦いながらも、西郷は、日本の未来を大山に託した。
大山は、それに応え、全力をあげて西郷を倒した。

西南戦争で、激戦区となった熊本城界隈には、いまでも、すさまじい銃弾の跡の残る民家が残っています。
そして、銃の弾と弾が、正面衝突しているものも、多数発見されている。

銃弾と銃弾が激突する・・・西南戦争は、それほどまでにすさまじい戦いだった。

いまの人なら、いまの週刊誌や新聞、テレビなら、尊敬する西郷に戦いを挑んだ大山巌は、バカとしか言われないのではないか?

未来を託したといいながら、生まれて間もない明治政府の確立を願って敵となった西郷の心など、おそらくいまどきのメディアの記者には理解不能なのではないか?

大山巌が、敵の大将である西郷を討つなど、やれ内通するのではないか、やれ裏切り行為なのではないかなど、頭でっかちな評論ばかりが重ねられて、メディアは、兵士たちの不信や不安をあおるのではないか?

そういう、わけしり顔の白面居士が、どれだけ日本の社会を破壊しているか。どれだけ日本の心を壊しているか。


(3) 寝巻き姿の大山巌

日露戦争の奉天での激戦の最中、秋山好古の苦戦の報告を受け、伝令の情報も錯綜する中で、現地作戦本部は、怒号渦巻く混乱状態になった。

そのとき、現れた大山巌は、寝巻き姿で・・・という話をご紹介しました。

これがもし現代なら、どうなっていたでしょう。

寝巻き姿の上官を見た作戦参謀たちは、階級闘争主義者的発想ならば、なんなんだこの爺い!くらいにしか思わなかったかもしれない。

児玉源太郎以下の参謀たちが、大山巌の寝巻き姿を見たとき、パッと明るい気持ちになれたのも、参謀たちに安心感が広がったのも、彼ら全員に深い信頼関係が熟成されていたからなのではないかと思うのです。

だから、誰も「なんだ、この爺ぃ、すっこんでろっ!」などという反応にはならなかった。

寝巻き姿の大山巌を見て、大山の心を惻隠し、冷静さを欠いていた自分たちを恥じた。

彼らが笑ったのは、大山の寝巻き姿が面白かったからではない。
冷静さを欠いた自分たちの姿に、気が付き、それを恥じたから、笑った。

そこにいまどきの新聞記者あたりがいたら、こいつらいったいなにをやってんだ、くらいに思ったかもしれない。

しかし、冷静さを欠いたことに気が付き、それを恥じ、冷静さを取り戻した作戦本部は、この直後から、的確な判断と指揮を行い、結果、秋山部隊は大活躍をとげ、数十倍の兵力をもつロシア陸戦隊との戦いに打ち勝ってしまう。

ロシア陸戦隊は、あのナポレオンを倒した軍隊です。当時、世界最強とされた。


大山巌の物語の中に、日本の相互信頼主義のもつ、強さ、そしていまにはびこる階級闘争主義の程度の低さを感じていただけたら、ねずきちは、うれしく思うのです。

この世は、どこまで行っても、人と人との世の中です。
階級闘争だかなんだか知らないが、人と争い、人を批判し、人を非難する前に、人を信頼し、信頼される自分になり、信頼される人として成長してゆく。

それが日本人の生き方というものなのではないでしょうか。

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君が代

金原明善・・・明治の気骨

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実は↓の記事は、昨日の午前0時50分に一度アップした記事です。
都議選のたいへん残念な結果を見て、昨日朝、記事を急きょ入れ替えました。
本日は、再掲になります。

金原明善
金原明善


今日は金原明善のことを書いてみようと思います。

金原明善は、静岡県浜松市の人です。
天保3年の生まれ。

6歳の時に寺子屋に通い、意味もわからず、「惻隠の心は、仁のはしりなり。仁をなすには、身を殺すべし。義をみてなさざるは、勇なきなり。」を暗証させられた。そしてその言葉が、金原明善の生涯の座右の言となったそうです。

1868年(明治元年)といえば、王政復古の大号令がかかった年であり、この年の1月には戊辰戦争が起こり、4月には五カ条の御誓文が発布された年です。

この年の5月、いまの静岡県浜松市に流れる一級河川の天竜川が大雨で決壊し、浜松、磐田に大被害をもたらしました。

金原明善36歳のときのできごとです。

住んでいる村を一瞬で流され、沈められてしまった金原青年は、この年誕生した新政府に希望を持ち、京都に上って天竜川の治水事業を民生局に建白します。

しかし、まったく新政府は相手にしてくれない。

浜松といえば、徳川氏のお膝元でもあります。いわば敵国。応対は木で鼻をくくったようなものだったようです。

ところが、8月に明治天皇の東京行幸が決まります。

まだ災害復旧ままならない浜松、磐田地方を、水害の惨状のままにしておくわけにいかない。

新政府は、急きょ、水害復旧工事に着手します。

金原明善は、この工事で優れたリーダーシップを発揮。10月には工事の大略を終わらせ、その功績によって、明治天皇行幸の浜松行在所時に、苗字帯刀を許される名誉をいただきます。

翌、明治2年に、金原明善は、静岡藩から水下各村の総代・又卸蔵番格を申付けられます。

そして明治5年には、浜松県から堤防附属を申付けられ、戸長役・天竜川卸普請専務に任命された。明治7年には天竜川通堤防会社を設立。金原明善42歳の出来事です。

金原明善は、オランダ人の河川技術者を招き、天竜川上流の森林調査を行います。

このとき金原明善は、荒れた山々を見て、川の氾濫を治めるためには、健全な森林を作る必要性を深く悟ったといいます。

良く整備された森林は「緑のダム」を呼ばれます。降った雨を森林内に蓄え、それを徐々に流す働きがある。
板の上の水は溜まって流れるけれど、スポンジがあれば、水を含んで溜めてくれる道理です。

明治10年、全財産献納の覚悟を決めた金原明善は、内務卿大久保利通に築堤工事実現のための謁見を求めます。

旧幕府領下の農民であり、絶対に叶わないとみられた内務卿への謁見は、大久保利通の快諾で実現。
幕府領であることや、旧農民であることとは関係なく、長年、誠実一途に天竜川の治水工事に奔走している金原明善の姿が、大久保利通の耳に入っていたからといわれています。

金原明善は、明治政府の全面的な後押しを得て、近代的な治水事業が始めます。

堤防の補強・改修、流域の全測量、駒場村以下21箇所の測量標建設等々。。

さらに金原明善は、自宅に水利学校を開き、治水と利水の教育を行います。

ところが、治水事業が安定し、水害の問題が解決に向かうと、流域の住民の水利争いが始まってしまいます。

住民の調整困難とみた金原明善は、1883年(明治16年)天竜川通堤防会社を解散。

しかし、堤防工事だけでは、治水事業は完成しません。大雨が降って万一堤防が決壊したら、ふたたび大水害が襲います。

どうしても、山間部の荒れ地に植林を行わなければならない。

1886年(明治19年)、54歳になった金原明善は、現在の龍山村の山奥にある、大きな岩穴で寝泊まりをしながら、山の調査を行います。

そして山間部の750ヘクタールに、スギとヒノキ併せて300万本の植林計画を作成します。

300万本の植林による森つくりは、苗木づくりから始まります。

土を耕し、苗畑にスギやヒノキの種をまきます。
苗ができるまでに2年もかかる。

さらに、苗木を植えやすいよう、荒れた山を整地します。

そのあとに、いよいよ植林です。苗畑で育てた苗木を植える。
大変手間のかかる作業です。

金原明善は、この植林のために全私財をなげうち、作業員の人たちと一緒に山小屋で暮らします。
率先して苗木を担ぎ、急斜面に一本一本植えていった。

こうした金原明善の姿を見た多くの人と浄財が、金原明善の元に集まり、3年目には8百人を越える人で、山は大変活気に満ちるようになった。

この間、雨で山が崩れることもあった。

暴風に叩きつけられ、育ちつつある苗木が根こそぎ倒れてしまうこともあったといいます。

植えただけでは苗木は大きくなりません。

雑草を刈るための下草刈り、つるきり、枯れた箇所への補植など、次から次へと、息つく暇もない。

しかし「良い森林を作ることが、多くの人々の生命と財産を守るんだ」との信念を持った金原明善は、負けることなく、多くの協力者たちと、ひとつひとつ困難を克服していった。

金原明善の事業経営の基本方針は、

(1) 身を修め家を斉えて後、始めて報効の道は開かれる。

(2) 事業には必ず資本を必要とする。
この資本は質素倹約を基調として求むべきものである。
そしてその事業が大きくなるに従ってしの資本は共同出資方式にならねばならぬ。

(3) 事業の発展進歩はその事業に携わる人々にある。
そしてこの人物の育成は教育に俟たねばならぬ。

というものだったといいます。

金原明善は、1923年、92歳で亡くなります。

今から100年も前に、暴れ天竜川を治めるために森づくりを行った明治の気骨。

金原明善の行った治水・植林事業は、今もなお、遠州平野の水害を食い止め、町の発展に寄与しています。

まだまだ士農工商の身分制の厳しい中にあっても、幕府領の一介の領民であっても、多くの人々の生命と財産の安全を守るために生涯を捧げて行きぬく。

そういう生き方というものは、やればできるものなんだ、ということを、なぜかあらためて考えてみました。

このブログで何度も繰り返していることなのですが、金原明善氏のような気骨あふれる精神は、日本に古くからある「相互信頼主義」に、その心をみることができます。

相互信頼主義というものは、自分自身が、人々の信頼に応えうる人間になろうとするところから出発します。

たとえば、上司に叱られる。叱られた側は、自らを恥じ、自分に落ち度がなかったかをしっかり考え、より一層上司や会社に貢献できる人材になろうと努力する。言いかえれば、上司の信頼にこたえ得る人材になろうと努力する。

叱った上司も、叱らなければならない状態を迎えた自らの不明と指導力の欠如を恥じ、さらに一層、部下に信頼されうる人間になろうと努力する。

金原氏のケースでいえば、自らのすべてを賭してでも社会に貢献できる自分になろうとする。自らが率先して社会の信頼にこたえ得る人間になろうと努力する。

こうした考え方が、日本社会の根幹をなしている。いや、かつて日本は根幹をなしていた、ということを、ねずきちはお伝えしたいのです。

相互信頼主義に対するのは、「階級闘争主義」です。

共産主義、社会主義、反日思想、中華思想等のすべてが、この「階級闘争主義」に分類されます。

階級闘争主義では、先ほどの例でいえば、上司に叱られた部下は、叱られたことを、まず、理不尽であると、決め付けます。そして自らの不明をいっさい恥じることなどなく、叱った上司を批判する。そこに信頼関係などカケラもありません。

上司も、部下を信頼していませんから、部下が言うことをきかなければ、厳罰をもって臨む。上司は部下の悪口を言い、部下は上司の悪口を言う。

なにせ上司と部下は階級が異なります。そして異なった階級の者は常に闘争し、相手を非難し、批判する。

こうした階級闘争主義的思想に染まった人間集団からは、金原明善のような人材は、絶対に輩出されません。

なぜなら、天竜川が氾濫し、多くの人々が犠牲になったのは、施政者が悪いからであり、庶民は施政者を批判し、非難することが優先されるからです。

自らの手で水害に対応しようなどとする人間は、階級闘争主義者にとっては、わけがわからない狂信者にしか見えない。必要なことは施政者への闘争であり、水害対策を怠った施政者をいかに追い落とすか、という発想にしかなりません。

施政者も、そうした批判や非難ばかりを繰り返す民を信頼できません。
ですから施政者は、水害対策よりも、自らの身の安全を図るために、まず、何よりも部下の誰かに水害の責任をなすりつけ、自らの責任を回避しよとします。

そして水害の被災者に対しては、災害復旧よりもまず、施政者への批判者を弾圧しようとします。そう、ウイグル族の反乱への弾圧や、天安門事件の弾圧のように。

日本は、相互信頼主義の国です。すくなくともかつての日本はそうでした。

たぶん、今日明日にでも、国会では内閣不信任案が民主党から提出されるものと思います。

そうやって国民に内閣や与党への不信をあおる。

政治と庶民の隔絶を図ろうとする。

肝心の景気対策はどこへ行ったのか。サミットにおける日本の貢献は、いったいどこへ消えたのか。

相互信頼主義のもとであれば、政治手法に隔たりがあるとはいえ、やらなければならない景気対策や国際貢献、あるいは北朝鮮の核開発、ミサイル発射問題に対しての取組みが、与野党ともに優先されるはずです。そうでなければおかしい。

そのうえで、対応方向に違いがあるなら、これをもって国民の信を問う。それが選挙です。それが、国民の仕度を受けた国会議員のあるべき姿です。

ところがいま日本で起っているのは、景気対策そっちのけ、国際貢献そっちのけ、北朝鮮の核問題そっちのけ、北のミサイルへの危機管理そっちのけ。

そして何が問題になっているかというと、総理が解散をしないのが問題だ(笑)。

なにかが間違っている、と思いませんか?

最大の問題は、教科書、教育、メディア等々、日本のありとあらゆるところにまん延した階級闘争主義にあるのではないか。ねずきちはそう思っています。

そして階級闘争主義は、家庭の中まで蔓延している。

夫婦の間の階級闘争、親子の間の階級闘争、恋人同士の階級闘争・・・

夫婦や親子、恋人同士、すべてにわたって、その基礎となるべきは、相互信頼にあるはずなのに、子は親を批判し、女は男を批判し、男は女を批判する。

互いに批判し、いがみ合い、相手を利用することだけを考える。

そんなねじまがった社会に、いつどうしてなったのか。
そしてそんなねじ曲がった社会構造を、わたしたちは子や孫に残すのか。

わたしたちは、もういちど、そこのところをしっかりと考えなおしてみなければならないときにきているのではないでしょうか。

歴史に学び、日本を守ろうと思う方
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天竜ライン下り

都議選結果の起死回生は村山談話破棄と靖国参拝にあり

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※ 都議選の結果が出ましたので、今朝ほどアップした金原明善の記事は明日にまわしましたことをご了承ください。

靖国神社
靖国神社2

7月12日(日)に行われた東京都議選は、民主党が大幅に議席を増やし、自民が大敗するという結果になりました。

報道をみると、「国政のツケがまわった」、「麻生総理の責任問題」などの題目が並んでいるけれど、残念ながらねずきちにはそうは思えない。

NHKを筆頭に、テレビ各局、大手新聞等で、あれだけ民主党を持ち上げ、対する自民党については、常に混乱と見せかけ、民主には若手の元気議員、自民はいやったらしいオーラのオヤジ議員を出演させるなどして、あからさまな印象操作を行った。

ところが、それでも民主党は単独過半数に届かなかったというところに、今回の都議選の注目すべき点があるものと思うのです。

もし、メディアの言っていることが本当であり、

・麻生太郎首相は単に政権にしがみつくだけの脳なし首相
・石原知事は任期中になんの成果もあげず、都政をボロボロにした張本人
・自民党は金権腐敗の伏魔殿政党
・対する民主党は、伏魔殿政党の自民や麻生総理に国策捜査までされながら、それでも腐敗を正し、国策に改革をもたらす若さと情熱あふれる責任ある革新政党

等々、これだけ長期間にわたっていわばメディアの総力をあげた反自民反麻生キャンペーンをし、それが奏功し、成功していたならば、民主党は、楽々と単独過半数を取っていたであろうと思うのです。

ところが、民主党は単独過半数にいたらなかった。

なるほど自民は、議席を後退させたとはいえ、38議席を保有した。
全員当選を果たした公明と合わせると、民主の議席を上回る勢力となる。

ただ、悪いけれど、あるいは、ある程度仕方がなかったこととはいえ、自民党の敗北の最大の原因は、メディアに煽られ、国政、都政に限らず、多くの自民党議員が、自民党員であることの誇りと自信を失ったことにあると、ねずきちは思う。

産経新聞政治部長の乾正人氏はいう。

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なぜ、かくも短期間で自民党は凋落してしまったのか。

異説ではあるが、私は「ポスト小泉」の安倍晋三、福田康夫、麻生の3代にわたる首相が靖国神社参拝に踏み切れなかったことを最も大きな理由として挙げたい(むろん、福田氏はまったくその気がなかったろうが)。

小泉氏は、総裁選出馬時の公約を守って中国や韓国が強く反発するのを承知の上で、在任中、靖国参拝を続けた。
むろん、国民の中にも反対派は少なからず存在したが、内政的には「ぶれない指導者」を強く印象づけ、高支持率の基盤をつくった。

続く安倍氏は「美しい国」づくりを掲げ、首相就任前は、熱心に靖国神社を参拝していた。
だが、在任時には「政冷経熱」といわれた日中関係の改善を図ろうと参拝を自粛してしまった。
「保守政治家」を自任する麻生首相も参拝する気配はない。

その結果はどうだっただろうか。

確かに日中首脳間の対話は頻繁に行われているが、東シナ海のガス田問題も毒ギョーザ事件も解決していない。

それどころか中国は、軍備増強のスピードをさらにあげている。

このため自民党支持者の一部は、「他国に遠慮して戦没者の慰霊もできない指導者」と麻生首相らを見放している。

相次ぐ地方選での自民敗北は、経済政策の失敗だけでは説明できない。

自民党が掲げる旗が不鮮明になり、精神的な背骨を失っていると古くからの支持者が判断しているためではないか。

自民党では「麻生降ろし」の大風が吹くだろうが、国民に醜態をさらすときではない。

心静かに敗北の理由を洗い出し、党再生の大手術の準備を急ぐべきだろう。
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この意見にねずきちは全面的に賛成です。

自民党は、堂々と日の丸を掲げ、総理総裁から率先して靖国参拝すべし。

旗色を明確にすべし。

いったいどこの国の党人だと思っているのか。

日本を代表する総理総裁、国会議員であり、あるいは世界屈指の体国並みの経済規模を持つ東京都議会議員でありながら、他国におもねり、反日メディアにおもねり、日本を守るために戦った200万の英霊への感謝を忘れ、追悼をせず、靖国参拝もしない。

それで日本の与党員なのか、と問いたい。

おそらく自民党内部でも、麻生卸しが白熱化すると思われるけれど、間違えてもらっては困る。

都民が下した裁定は、麻生総理や石原知事の責任を問うものではない。

堂々と日の丸を掲げず、コソコソと内部批判をくりかえし、一向に旗色の定まらない自民党議員ひとりひとりに対する失望がその根底にあると知るべきです。

おそらく、在日韓国民団や、特アの資金提供を受け入れている民主党は、今後ますます反日色を強めることでしょう。

これに対し、自民党議員、あるいは全国の自民党県連、自民党員は、日本を守る!と、断固たる決意と態度を貫くことです。

衆議院は、8月14日解散説が流れています。

その前に、2つのことを麻生総理にお願いしたい。

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(1) 村山談話破棄を閣議決定せよ。

(2) 麻生総理並びに自民党大議員は、揃って8月15日、靖国神社参拝を行うべし。

---------------------------------

この2つで、風は一気にかわります。

自民党内にいて、この2つに異論を唱える者あれば、その議員は反日議員です。

自民党議員である資格はない。

(1)(2)の実施は、民主党内にも波紋を呼びます。

特に(2)の靖国参拝には、民主党からも多くの議員が駆け付ける。
反日か、真正保守かのこの2つは試金石にもなる。

そしてその場で、日本の団結と、戦後左翼からの脱却、信頼主義日本の誓いを全世界に向けて発信する。

それで衆院選に惨敗するなら、日本は終わりです。
(1)(2)をしなければ、衆院選でも自民は負けます。負ければ民主が第1党ですから、やはり日本は終わりです。

どうせなら、乾坤一擲、勝つためのいくさをしようではありませんか。

(1)(2)に、メディアは、猛反発するでしょう。民主党も反発だ。

だから衆院解散するのです。

衆院選の争点は、反日か保守かの戦いになる。

そして、どうがんばってみたところで、日本の有権者の多くは日本人です。

必ず勝利する。

おそらくこの試金石で、都議会の民主党議員の一部は、自民に流れます。

国政では、一部の反日自民議員が、自民党を出るでしょう。しかしむしろそういう議員は早く追い出した方がいい。

入れ替わりの後には、圧倒的過半数の再生自民が誕生します。

都民も国民も、いちばん望んでいるのは、真正保守による政界再々編なのです。

もう一度繰り返します。

8月15日までに、麻生総理には是非、次の2つを断行していただきたい。

---------------------------------
(1) 村山談話破棄を閣議決定せよ。

(2) 麻生総理並びに自民党大議員は、揃って8月15日、靖国神社参拝を行うべし。

---------------------------------

私たちは、反日議員を徹底追及するとともに、日本の素晴らしさを語りに語ります。


余計な理屈は要りません。
総理が、この2つを行うだけで、風は一気に変わります。
そしてこの2つは、特ア3国以外の全世界が、日本に待ち望んでいることなのです。

村山談話破棄!
総理の靖国参拝を!に賛同される方
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金美齢女士 於 靖国神社
この動画、絶対に見てください
必見です。


シナ、コリアンを呼び込むとろくなことにならないというお話し

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ロスアンゼルスといえば、いま亡くなったマイケル・ジャクソンの話題でもちきりのようです。

このロスに、ジャパン・タウンがあります。
日本人街です。

日本人街だから日本人ばかりだろう・・・と思いきや、いま、ジャパン・タウンに日本人はいません。
住んでいるのはコリアンです。

コリアンにも、コリア・タウンがあります。
しかしそこはグレードが低いのです。

韓国料理屋、朝鮮飯店などが軒を連ねているけれど、客は誰もはいっていません。
アメリカ人たちが寄りつかないのです。

高い、不味い、乱暴、不衛生。。。。
安心して食事や買い物ができない。
店員のガラが悪い。
代金をちょろまかす。

コリア・タウンで商売にならなくなったコリアンたちは、ジャパン・タウンのお店を買収。

住まいもコリア・タウンだとおよそ転売不可能だけれど、ジャパン・タウンならステータスが高く、高く売れる。

安全で清潔だから、人も集まる。商売も繁盛する。

ところが、最近では、そのジャパン・タウンに、客が来ない。

閑古鳥が鳴いている。
ジャパンタウンが、コリアンタウンになっているというメッキがはがれてきたのだそうです。


女性の読者の方には申し訳ないが、売春の話をします。

日本人向けの売春宿を経営する人がロスにいた。(いまはもういません)

女の子は全員日本人。

これが実に評判がよかったといいます。

ぼったくりもなし。サービスもきちんとしている。衛生的。

いつしか評判が評判を呼び、ショートコースですら、400〜500ドルの相場がつくようになった。

ホワイトが、300ドル程度といいますから、いかに日本人が好まれたかがわかろうというものです。もっとも、売春婦のなり手もいなかったらしいけど^^;

ちなみに、コリア、チャイニーズは、相場が下がり、150ドルくらい。

そこでコリアンたちは考えた。

お店の名前をNAGOYAとか、TOKYOにして、女の子も、日本人を詐称させる。
お店の所在地も、ジャパンタウンに置く。

当初、バカ当たりしたそうです。

ところが、お客さんから苦情の嵐。
「ジャパニーズじゃないじゃないかっ!」

いまではコリアンの日本人詐称売春婦斡旋業者も、信用を落として廃業者が続出しているとか。
あたりまえです。


ねずきちは、お酒にめっぽう弱くて、晩酌もしない性質です。

そのねずきちが、たまたま用事があって、先週から今週にかけて、銀座、池袋、新宿、渋谷でお酒を飲むことになった^^

初日は渋谷でした。
ひさびさです。

さすがは渋谷。どこのお店も大入り満員の大盛況。
街は人であふれ、帰りのタクシーも、どこまでも道が混んでいる。
ほんとにいまの日本て不況なの?と疑いたくなるくらい、人出が多い。
道行く人々が、安心して楽しんでいる雰囲気を感じました。

平素、埼玉の田舎暮らしのねずきちは、人ごみだけで、酔っ払っちゃった(笑)


次に行ったのが池袋。

池袋の北口界隈といえば、すこし前まではものすごい繁華街。
サラリーマンや学生の酔い客でごったがえしていた。

ところが・・・・

その池袋の北口(ロサ会館)あたり、客引きの黒服さんばかりが目立ち、日本人客があまり、いない。

(゜-゜;)ウーン・・・・

どしたの? と古い知り合いのママさんに聞いたら、最近、中国人の進出が多くて、客足が遠のいているとか。

なるほど・・・


すこし間があいて、こんどは新宿歌舞伎町に行くことに。

風林会館前あたりに、やはり、何十年か前からの知り合いのお店がある。
入ってみたけれど、閑散としている。

景気悪いの? と聞いたら、「このあたりはもうダメよ。」

歌舞伎町から職安通りをはさんで大久保界隈まで、いまでは完全にコリアンタウン。
なんと駐車場のおじさんまで、コリアン。

職安通りには大きなモニターテレビがあって、そこには韓国のCMが流れている。
街はハングル、ハングル、ハングル・・・

日本人のホステスのいるお店もあるのだけれど、オーナーはコリアン。
サービスよりも、カネ、カネ、カネ・・・

普通のサラリーマンでは、もはや怖くて近づけず、いま歌舞伎町界隈で繁盛しているのは、大手のチェーン店くらいなものなのだとか。

道路にいるのはタクシーばかり。日本人の車が見当たらない。

池袋もそうだったけれど、通りを歩いているのは、お客さんより呼び込みのお兄さんと、ホステスさんばかり。
肝心のお客さんがいない・・・


別な日、こんどは、招かれて銀座へ。

ねずきちは、銀座なんてバブル以来(笑)

銀座通り界隈といえば、以前は、タクシーと送迎の高級車で、車が前に進まないところだったのだけど、それが、閑散としている。

やはり、古い知り合いのママさんのところにいくことになったのだけれど、いまや接待族は赤坂、六本木に流れ、銀座には来ないのだとか。

どうして? と尋ねると、「町はチャイニーズばかり」(笑)


ちなみに渋谷が昔ながらに日本人でごったがえしているのは、ひとむかし前のチーマー対策以降、町の治安維持に、商店街や飲食店組合のみなさんが、必死に街を外国人の手から守った結果なのだとか。


日本はいま景気が悪く、日本人の失業者が街にあふれているといいます。

そして特アに乗っ取られた(?)街は、いまや閑古鳥が鳴いています。

大繁盛しているのは、日本人がやっているお店。

日本人が仕切っている街です。

なのに日本に特アの労働者を1000万人も移住させる?

そんなことするまえに、日本人の職をなんとかしろよ!
そう思うのが普通なんじゃないですかね。


政治家の皆さん、現実を直視しましょう。

特アにおもねったら、結局はどこも閑古鳥が鳴くだけ。

なるほどしばらく前までは、製造業で安い賃金を求めて特ア労働者を受け入れようという動きがあったけれど、それをやった業者は、ことごとく出荷製品の品質が低下し、競争力を失った。

中国に、日本ですらできていない超最先端型の工場を進出させたトヨタは、中国で作ったエンジンを搭載したクルマ(エスティマなど)を発売したけれど、故障の連続で購入者から苦情の嵐。
会社の決算まで赤字になった。


階級闘争主義ではなく、仕事を愛し、自らの仕事に誇りを持ち、会社や部下を信頼し、顧客からの信頼に必死で応えようとする日本人の精神性。


久しぶりに話したロスに住む友人は、渡米してくる日本人は、何年代に渡米してきたかによって、その精神構造がまるで違うといっていました。

そして彼いわく、

「最近の日本人には義理人情がねぇ!、やつら日本人じゃねぇ!」(笑)


日本は、戦後、経済大国として大発展を遂げました。
しかし、その大発展をささえたのは、知識ばかりじゃない。
日本人の義理人情や相互信頼、あるいは相手の信頼にこたえるために必死に努力するという日本的精神性が根底にあったのだと思います。

ではその日本的精神性とは何か。

それが教育勅語の精神にある、とねずきちは思っています。

日本の競争力を落とすのは簡単なのかもしれない。
日本的精神性を崩壊させること。教育勅語の精神を日本人から否定す尽くすこと。

でもそのことは、日本がコリアン・タウン化することにつながるのかもしれません。

するとどうなるか。

閑古鳥が鳴く。

反日思想というものは、私たちの孫や子の世代の日本を、世界の貧乏国に貶める思想であると断じます。

日本を守れ!
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コリアンタウン東京

グアム島の戦い

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ラッテ・ストーン (Latte stone)
ラッテストーン


↑の写真はグアムのラッテ・ストーン (Latte stone) です。

ラッテ・ストーンは、マリアナ諸島に見られる石柱群なのだけど“9世紀から17世紀にかけて作られた古代チャモロ文化の遺跡”という以外、何に使われたのか、どのように使われたのかなど、いまではなにもわからないです。

現地の人々は、ラッテ・ストーンには「タオタオモナ」と呼ぶ祖先の霊が宿っているとして近付こうとしないともいいます。

その「タオタオモナ」が、いったい何なのかすら、いまでは歴史の闇に消えてしまっています。

マリアナ諸島に、人が住みついたのは、紀元前3000年〜2000年頃だといわれています。
マレーシアやフィリピン、インドネシアから、カヌーに乗って移住してきたらしいです。

マリアナ諸島といっても広いので、最大の島であるグアムを中心に話を進めます。
(写真はグアムのラッテ・ストーン)

グアムには、1521年、マゼランがヨーロッパ人としてはじめて到達します。
そしてグアムは、1565年に、レガスピが来島してスペインの領有を宣言し、植民地となります。

チェモロ人の伝統と文化を守るために、何度となくスペイン人との戦いがあったようです。

しかし、スペイン統治の333年間に、先住民であるチェモロ人の純血種は絶え、スペイン人との混血だけの島になった。
そして、チェモロ文明は、どのようなものだったのか、当時、先住民の人口はどのくらいあったのかなど、チェモロの歴史は、完全に消えてなくなってしまった。

いまのこっているのは、石でできたラッテ・ストーン、ミクロネシアダンス、庶民の生活、恋人岬の伝説、そしてスペインなまりのチェモロ語・・・

チェモロ文明は、その痕跡しか残っていません。

植民地になる、他国に占領されるということは、そういうことなのだろうと思います。

そしてかつて、日本も同じ目にあう危機があったということを、まず申し述べておきたいと思います。


1894年、アメリカとスペインとの間に、米西戦争が起こります。戦争は米国の勝利となり、グアムはアメリカに割譲されます。

初代総督の米海軍大佐レアリーは、グアムの英語化を指示しました。
ただし、その内容というのは、住民が英語でサインができればOKというものであったそうです。

そして、住民に対する教育制度には、アメリカはまるで関心がなかった。


1914年にはじまった第一次世界大戦の結果、1919年のパリ講和会議で、日本は、ドイツ領だったミクロネシアと、北マリアナ諸島をドイツに代わり統治することになりました。

日本統治になることで、ミクロネシア、北マリアナはみるみる発展していきます。

大国が勝手に決める国境とは別に、島の人々は、相互に交流します。

グアムのチャモロ人は、親戚を訪問した時などに日本統治による発展を目の当たりにし、日本人に対し尊敬と賞賛の気持ちを抱いたといいます。


そして、1941年12月8日、日米開戦となった。

日本は、真珠湾攻撃の5時間後、米領グアムへの攻撃を開始し、わずか1日で米軍の軍事施設を陥落させます。そして12月10日には米領グアムの占領を宣言した。
日本軍は、めちゃくちゃ強かった。


日本によるグアムの統治は、その後、約2年7か月続きます。

日本は、グアムを「偉大なる神の居る島」を意味する「大宮島」と改名します。

そして学校、医療、道路などの社会的インフラを整備します。

同時にチャモロ人に対して、住居・信仰・言論の自由等を保障した。

現地での教育は日本語でなされたけれど、国民皆教育制度は、日本統治下の「大宮島」時代になってようやくグアムで確立されたことです。島の多くの人々は勤勉で、教育を受けることを非常に喜んだ。

チェモロ人は、英語で自分の名前が書ければ十分という米国に対し、日本は、学校を作り、語学、算数、理科、社会をきちんと教育した。そのことを誰よりチェモロ人が喜んだといいます。

もっとも、いちぶの現地の人には反発もあったようです。
サインだけ書ければOKという米国と、読書き算盤がちゃんとできるようにという厳しい日本では、正直、日本の方が厳しかった。反発の気持ちは、勉強嫌いだったねずきちには、すごくよくわかります(笑)

グアムには、いまでも、当時世話になった日本人の名前をもらい、自分の家族名にしている人たちがたくさんいます。
日本統治時代に、日本の教育を受けたことが、いまでの彼らの誇りになっているのだそうです。


ところで、米国にとってグアムは「敵に占領された唯一の米国領土」です。
米軍は、日本本土攻略のための基点として、そのグアムの奪還と占領を目論みます。

1944年、

米軍は先ず戦艦による艦砲射撃と空母艦載機及び陸上爆撃機(B-29)で、グアムの日本軍施設の爆撃を開始します。

予定では6月18日には部隊を上陸させるはずだったのだけれど、日本軍の猛烈な抵抗にあい、上陸開始は、1ヶ月以上も遅れ、7月21日となった。
その間、1ヶ月以上にわたり、グアムは艦砲射撃と空爆の嵐に遭った。
サンゴの自然が破壊され、山の形が変わった。

日本軍は、米軍の上陸を、水際作戦で侵攻を食い止めようとしします。
揚陸中のアメリカ軍に対し重火器等で激しい攻撃を加えた。
日本軍は、20両のLVT(水陸両用装軌車)を破壊したけれど、弾薬の補給を断たれ、軍備の不足する日本は、物量に勝るアメリカ軍の上陸を食い止めることはできなかった。

島にいた日本軍将兵18,500人。

これに対する米軍は2個師団55,000人+戦艦+航空機による爆撃。

7月28日 早朝から、上陸した米軍は、戦車数十両で日本軍師団司令部のある本田台を包囲します。

司令部は全員で、対戦車爆弾を抱え、敵戦車に体当たり攻撃を行った。
しかし、機銃や火炎放射機に阻まれ、味方の死傷者がつのり、ついに対戦車爆薬さえ尽きてしまった。

それでも日本の将兵たちは、手榴弾による悲壮な攻撃をしかけた。
戦車に手榴弾は通用しません。
通用させるとするならば、敵戦車に乗り込み、天井の蓋を開けて、肉弾突撃するしかない。

日本軍は、玉砕寸前の状況になりながらも、こうして敵戦車への攻撃を続けた。

この悲痛な状況下、高品師団長は、全島で3000名以上の生存者があることを考え、戦車の重囲から脱出し北方での再起を決意します。

午後2時、高品師団長は、敵の機関銃弾を受け、壮烈な戦死を遂げる。

7月29日、日本軍の残存兵力は、陸軍約1000名、陸戦隊約800名、戦車部隊、砲6門、その他約2500名となった。

この時点で、もはや日本軍には、陸海軍の区別も、第1線と後方の区別もなかったといいます。当然指揮系統もない。

そうした中で、衛生部隊も海軍設営隊も、戦いうるもの全員が又木山に集結した。

全員が負傷兵です。指のない者、腕のない者、足のない者、片眼がつぶれている者もいた。

残された戦いの手段は、敵戦車、敵機関砲に対し、銃剣突撃しかなかった。
武器も、弾薬もなかった。

8月9日、早朝から約50両の米戦車が、一斉に最後の日本軍陣地である又木山への攻撃を開始した。

8月10日、残った日本兵は、みなで話し合い、翌11日を期して最後の攻撃を敢行することを決心しした。午後8時、最後の電報を大本営に打電。

8月11日、 又木山に集結した日本軍残存兵力は約300名。
ほとんど戦う術をもたず、敵戦車の蹂躙に任せる状況で正午までに司令部の陣地は破壊され、兵員のすべてが戦死。

午後2時35分。軍幹部は最早これまでと覚悟し拳銃で自決。

8月13日、米国はグアム全島の占領をラジオ放送で発表します。

グアムの陥落によって、米軍はグアムに航空基地を設置。日本本土への無差別空爆が始まります。

日本はこの戦いで18,000人の将兵を失った。

しかし、それでも一部の生き残った兵士はゲリラ戦を行って執拗に抵抗を行い続けた。

ナイフしかない、食べ物も、水もない。
そんな状況下で、亡くなった将兵の武器や弾薬を集め、ジャングルに隠れながら戦い続けた。

そのなかのひとりに、若き日の横井庄一伍長がいました。

彼は、1972年(昭和47年)まで、グァム島内に潜伏。味方の再来までと、ひとりグアムで戦い続けた。

横井庄一氏の帰国の際の第一声は「帰って参りました…恥ずかしながら、生き永らえて帰って参りました」というものだった。


これがグアム島の戦いです。

日本兵は、軍が命令したから玉砕戦を戦った。
上官が命を軽んじたから、日本の将兵は命を落としたかのような錯覚を、まことしやかに述べる人がいます。

しかしね、単に命令されたというだけなら、軍の指揮系統が崩壊した時点で、日本の将兵は降参するか逃げるかしている。

でも彼らは、武器さえもなくなり、衣食もないような状況下ですら戦い続けた。
誰がどう考えたって、そんなことは、「命令」なんぞでできることではありません。


横井さんは、日本に帰国後、どうして日本は負けたのかの質問に、こう答えた。

「武器がなかったからです。精神は勝っていた」

命なんか、軍人になる道を選んだ時点でとっくに捨てている。
誰のためでもない。お国のために戦うと誓った。

お国というのは、祖国です。祖国というのは、愛する人のいるところです。その愛する人を守るために、彼らは最後の一兵まで戦い抜いた。

武器もない。弾もない。爆薬もない。それでも、ナイフ一本を握りしめ、あるいは棍棒一本を抱きしめて戦いました。

沖縄での戦争を生き残った80歳を超えるご老人が、インタビューに答えて話していました。

「ワシら、いまだって国を守って戦うよ」


グアムは、いまは、アメリカ領土です。

しかしグアムは、「未編入領土(Unincorporated Territory)」です。

グアムは、グアム議会の決議よりアメリカ合衆国憲法が優先され、住民は合衆国政府が定めた納税義務を負っています。
にもかかわらず、彼らには、大統領選挙に参加する権限は与えられていません。
要するに「未編入領土」というのは、植民地の言い換えです。

グアムは、いまだにアメリカの植民地です。
全島の3分の2は、米軍基地に使用されている。

ラッテ・ストーンが何に使われたものかは、17世紀後半のスペインによるマリアナ諸島の侵略により、古代チャモロ文化が途絶えてしまったためよくわかっていないません。

宗教施設や、墓石、建造物の土台説などがあるそうです。

近年では、インドネシアのボロブドゥール遺跡に、アウトリガーの付いた外洋帆船と共にラッテ・ストーンと思われる石柱の上に建造物が乗っている壁画があることから、建造物の土台説が有力となっているといいます。


明治以降、日本は数々の戦いをしてきました。
それを侵略戦争という人もいる。

しかしね、もし日本が戦っていなければ、いまだに東亜諸国は、植民地のまま。
日本も植民地化されていたかもしれない。
文化は破壊され、痕跡しかなくなっていたかもしれない。
日本文化は、失われた文明の痕跡にしかなっていなかったかもしれない。


日本の軍人が玉砕戦を戦った。命を粗末にしたのは、バカだ、と思う人もいるかもしれない。

しかし、命を賭けてでも戦い抜いてくれたおかげで、いまの私たちがいるということを、現代に生きる私たちは、絶対に忘れてはならないと思います。

そして命を賭けて戦ってくださった英霊たちに、現代の日本人は感謝しなければならない。
なぜなら、私たちが生きているのは、彼らが戦ってくれたおかげだからです。


その日本文明と日本人存続の危機が、いま新たに始まろうとしています。

特アによる日本の侵略です。

もうね、新宿歌舞伎町裏界隈は、日本じゃなくなってる。
完全にコリアンタウンになってしまっている。

池袋北口や、地方都市の飲食店街などは、ほぼ8割方の飲食店がシナ人に奪われている。

そして民主党は、そうしたシナ人やコリアンを、あろうことか、もっと増やし、参政権までも与えようとしている。

英霊たちが命をかけて守って下さった日本。

その日本をたやすく他国に売り渡すような蛮行を、わたしたちは絶対にゆるしてはいけないと思います。

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1972年 横井庄一さん
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プロフィール

ねずきち

Author:ねずきち
日本が好きです。ていうか人間が大好きなのかな。心って、ものすごく大きなこともなしとげる。その時代時代に、真剣に生きた人たちから学ぶこと。歴史って、いまを生きる人が過去に学ぶためにあると思う。だから、歴史にIFは禁物だなんて思わない。歴史を学び、もし〜だったらと考えることで、人は何かを感じることができるんだと思う。

政治に混迷が続く中で、もういちど私たちは過去を振り返ってみる必要もあるのではないか。そうすることで、もしかしたら一条の新しい光を見出すことができるのかもしれない。

このサイトで扱っている動画はYouTubeにアップロードされているもので版権物の知的所有権は、それぞれの著作者・団体に帰属してます。問題があればすぐ削除しますので、

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コメントをくださる皆様へのお願い
いつもたくさんのコメントをいただき、ありがとうございます。
ほんとうに皆様のコメントが、ねずきちにはとっても嬉しく、かつありがたく拝読させていただいています。

議論というものは、すくなくともこのブログのコメント欄が、国政や地方自治、あるいは組織内の意思決定の場でなく、自由な意見交換の場であるという趣旨からすると、互いに互譲の精神を持ち、相手を尊敬する姿勢、ならびに互いに学びあうという姿勢が肝要であると存じます。

ねずきちは、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

従いまして、謙譲・互譲・感謝、そして学ぶという姿勢のない連続投稿、粘着投稿に類する投稿をされた方については、以後のコメント書き込みを、管理人であるねずきちの判断で投稿の禁止措置をとらせていただきますので、あしからずご了承ください。
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伊勢神宮式年遷宮奉賛金寄付について
日本の心をつたえる会では、20年に一度行われる伊勢神宮、式年遷宮のための寄付を会として行っています。
平成23年末まで、みなさんから寄付を募り、日心会としてこれをとりまとめて伊勢神宮に寄付を行います。

■関連記事
「伊勢神宮の式年遷宮に
協力しよう」


ご寄付のための専用口座は
次の通りです。

■ゆうちょ銀行からお振込
銀行名  ゆうちょ銀行
記号   10380
番号   57524261
口座名
   日心会式年遷宮奉賛金事務局
(ニッシンカイシキネンセンク゛ウホウサンキンシ゛ムキョク)

■他の金融機関からお振込
銀行名  ゆうちょ銀行
支店名  〇三八
(読み:ゼロサンハチ)
店番   038
  預金種目 普通預金
口座番号 5752426
口座名
   日心会式年遷宮奉賛金事務局
(ニツシンカイシキネンセンク゛ウホウサンキンシ゛ムキヨク)

神宮遷宮は、1300年間行われ続けた伝統行事です。
日本の歴史では、古来国家の歳費で行われてきましたが、これが歳費で行われなかった時代が2つあります。
ひとつは応仁の乱から戦国時代。国が荒れて国費は遣われませんでした。
もうひとつは日本国憲法下の日本。つまり現代日本です。
日心会では、国家の伝統と文化保護のため、みんなで力をあわせて式年遷宮の伝統行事を応援します。
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