ダイヤモンドオンラインに、
「田母神問題で思う、 世界で通用しない保守派の内弁慶という記事が掲載された。
記事を書いたのは、上久保誠人という(大学講師)である。
1968年愛媛県生まれというから、まだ若い。
早稲田大学第一文学部卒業後、伊藤忠商事勤務を経て、英国ウォーリック大学大学院政治・国際学研究科博士課程修了という秀才である。
早稲田大学グローバルCOEプログラム「アジア地域統合のための世界的人材育成拠点」特別研究員および立教大学法学部非常勤講師という肩書を持つ。
論旨を順に追ってみたい。
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自衛隊元空幕長・田母神氏の書いた文章が世の中を騒がせていたが、今回この文章について初めて書いてみたい。しかし、その主張の内容の是非、及び文民統制の問題は取り上げない。それらは、既に様々な識者が論じ尽くしているからではあるが、それ以上に、そもそも論じる価値がないからだ。
田母神氏の文章には、彼の主張の根拠・理由となる参考資料・文献が一切明示されていない。つまり、田母神氏の主張は単なる思い付きだということだ。少なくとも、学問の世界ではそう看做される。たとえ、田母神氏が長年に渡って歴史を深く学んでいたとしても、それが文章上に示されていなければ意味がない。田母神氏が私のゼミの学生で、この文章をレポートとして提出してきたら、私の採点は「不可」である。この文章は、大学の「レポート」にすらならない、ただの「作文」なのだ。
私はこの連載など、参考資料・文献を明示しない評論として書いた文章を「論文」とは呼ばない。それは研究者としての最低限の矜持である。田母神氏の文章を「論文」と呼ぶのは、我々研究者に対して失礼である。
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上久保氏の主張は、田母神論文を「論じる価値がない」と断じ、その理由は「主張の根拠となる参考資料・文献の明治がないからだ」といいます。
ところが、田母神論文については、「
田母神俊雄幕僚長の論文を、そのまま掲載します。是非、ご自分の目でご一読を」 で全文まるごと掲載しますけど、田母神氏は、主張の根拠となる史実については、
「マオ( 誰も知らなかった毛沢東)( ユン・チアン、講談社)」
「黄文雄の大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び
「日本よ、「歴史力」を磨け( 櫻井よしこ編、文藝春秋)」
等と、出典を明らかにしています。
そのうえで、それらを組み合わせたときに見える史実を、文中で展開している。
この上久保という学者は、いきなり田母神論文を「論じる価値がない」と、いきなりショッキングな切り出しで、田母神論文を斬って捨てていますが、こういう断じ方は非常に失礼なのではないでしょうか。
なるほど、参考文献を明らかにするのは、その引用等に関し、著作権の問題があるからであるし、史実に関する研究ならば、出典をあきらかにすることは当然と思います。
しかし、それらを総括した自分の意見が「論」です。誰それがこう言った、どこそこにこう書いてあったという事実の羅列は、論ではなく「メモ」にすぎません。情報の羅列を「論」とはいわない。
田母神氏の論文は、氏の「論」です。「メモ」ではない。「論」の出所は、書いた本人にあるわけで、そうでなければ価値がない。上久保氏の言ってることは、真逆だと思います。
<引用>-----------------------------------
しかし、「田母神作文」は論じる価値がないが、田母神氏の傲慢な態度は少々気になる。
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上久保氏は、ここでいきなり田母神氏の態度を「傲慢」と決めつけます。
これも、ひどいです。
学説と学説がぶつかるとき、相手の態度をやみくもに「傲慢」と決めつけたら、議論にもなにもなりません。
学者であれば、「互いに学ぶ」という謙虚な姿勢が肝要で、いきなり相手を「傲慢」と非難する態度の方が、悪いけどよほど「傲慢」であり、驕慢です。
<引用>--------------------------------------
それは典型的な「声高な主張をする保守派」の態度だからだ。
私は英国に住んでいた頃、保守派の主張の是非はともかく、その態度に違和感があった。
なぜなら、今回の作文のような「歴史認識問題」について、保守派の「声高な主張」と、欧米での認識が全く異なっていたからだ。
「従軍慰安婦問題」を具体例として挙げる。「従軍慰安婦の徴用に官憲による誘拐といった強制性はなかった」「従軍慰安婦のほとんどは日本人の売春婦で植民地出身者は少数でなかった」「従軍慰安婦が性奴隷であると主張しているのは中国・韓国の学者だけで、強制性がなかったのは世界の学者の常識」。これが保守派の主張である。
ところが、私が読んだ海外メディアではこんな風に報道されていた。「歴史学者達は、1930年から40年代にかけて朝鮮半島と中国出身者が大部分の約20万人の女性がアジア全域の日本軍の売春宿において奉仕させられたと指摘している。
多くの女性達は、自分たちが日本の部隊に誘拐されて性的奴隷になることを強制されたと証言している」(ワシントン・ポスト)
「歴史学者たちは、大部分が朝鮮半島と中国出身の少なくとも20万人の女性が第二次世界大戦中に日本軍の売春宿で強制的に奉仕をさせられたと考えている」(BBCウェブサイト)「歴史学者たちは、大多数の中国や朝鮮半島からの20万人の女性が2000箇所の慰安所で強制的に働かされたことを信じている」(ガーディアン)。
つまり、世界の学者は「従軍慰安婦は性奴隷」と結論付けているというのであり、これは、保守派の主張と真逆なのだ。
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上久保氏は、20万人の性奴隷の記載について、その論拠をあげ、自説こそ正しいと主張しています。
しかし、簡単な理屈ですが、わずか76万の大陸駐屯兵に対し、20万人の若い女性の性奴隷がいた・・・日本兵の4人にひとりの割合で、性奴がいた。。。ほんとうですか? それをそのまま鵜呑みにできるのですか? 日本人の男性はそれほど精力絶倫なのでしょうか? すくなくとも、ボクはそこまで絶倫男ではありません。
学者ともあろう人が、どうしてそうした新聞記事がおかしいと思わないのか、変だと思わない学者の頭の構造の方が、ボクにはよほど不思議に思えます。
<引用>----------------------------------
私が問題視しているのは、保守派の主張そのものではない。正しい部分もあるとは考えている。政治学の研究者として、自分の研究の範囲内で日本人や日本社会の性質を考えてみても、軍に一部の暴走があったとしても、大規模で組織的な誘拐というのは考え難い部分があるからだ。しかし、深刻な問題となっているのは、そのような保守派の主張の是非以前のところにあるのだ。
私は、保守派が日本国内で「声高な主張」を繰り広げる一方で、彼らの主張を外国に対してぶつけてみるという努力を全くやってこなかったことが問題であると考える。
例えば、一昨年の米議会での従軍慰安婦問題に対する謝罪決議の際、提案者のマイケル・ホンダ議員に対して日本の国会議員は誰も会いにいかなかった。ホンダ議員本人はともかくとして、せめて決議案を出している民主党に接触すればいいのに、自民党幹部が会いに行ったのは元々仲のいい共和党議員だった。また、平沼赳夫氏らがワシントン・ポストに従軍慰安婦問題に対する保守派の主張を伝える広告を出したが、むしろホンダ議員の地元に近いロサンゼルス・タイムスに広告を出すべきだった。
つまり、保守派はこれまで外国の雑誌や新聞に論文を掲載することや、外国の政治家やマスコミを説得するなど、日本の理解者を増やす努力を怠っていたのだ。いや、それだけではなく、保守派は海外の批判から目を背けて逃げ回ってきたとさえ言える。そのツケが噴出しているのだ。
その結果、「従軍慰安婦は性奴隷であるというのが歴史学者の結論であり、世界の常識」となっている。保守派に対して「日本には一部、ヒトラーを肯定するような主張をする者がいる」などと批判する海外メディアもあるのである。それに対して、保守派が「従軍慰安婦は性奴隷ではないというのが世界の常識」という、ありもしないことを日本国内向けだけに声高に語り続けてきたことに対して、私は英国在住時代から違和感を持ってきたのだ。
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上久保氏が学者というなら、この論は、学者にふさわしくない詭弁です。
海外でサヨク勢力なるものが「従軍慰安婦があった」と主張し、それが報道され、決議された。
前段で、上久保氏は、それらの報道を論拠に、慰安婦問題があった、事実であると断じておきながら、
上久保氏は、日本の保守派は「海外での活動をしていない」、「保守派は海外の批判から目を背けて逃げ回ってきた」、「そのツケが噴出している」と述べています。
それは事実と思います。
ということは、逆にいえば、慰安婦問題があったと主張する人たちは、それだけ熱心に「海外で活動し、運動し、宣伝してきた」と白状していることになります。
その結果として、前段で上久保氏が論拠として挙げられた各種報道がなされたものであるとするならば、それこそそこには「作られた事実」があるということではありませんか?
学者というのは、何事もまず疑ってみるところから始まると聞いたことがあります。何らかの政治的意図によって仕組まれて報道されたことを鵜呑みにすることは、学者としてあるまじきこと・・なのではないでしょうか。
<引用>-------------------------------------
私は保守派に1つ提案がある。それは、「国際派保守派の養成」に早急に取り組むことである。要は、英語で海外に対して保守派の主張を発することができる人材を育成しないといけないということだが、重要なことは、政治家やジャーナリストレベルではダメだということだ。「田母神作文」のようなものを、政治家やジャーナリストが中途半端な知識で適当に書いてしまっても、海外では全く相手にされない。「またヒトラーを肯定するようなことを言う奴が出てきた」と言われて無視されるだけである。
だから、歴史学者のレベルで国際派保守派を要請しないといけないのだ。きちんとした資料を分析して、それを英語で論文にして発表し、世界中の歴史学者と議論して保守派の立場を理解してくれる仲間を増やしていくことができる人材を養成する必要がある。
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ここは、賛成です。しかし、次が末尾の文章ですが、これがいけない。
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仮に保守派の主張にも一理あるとしても、それを世界に理解してもらうには50年はかかると私は考えている。
それが現実であり、日本国内にしか通用しないで「声高な主張」をしても、なんの意味もないことを保守派はそろそろ自覚すべきなのだ。
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なるほど、戦後60年かけて蔓延させた左翼史観を修正するには、新たな50年が必要なのかもしれません。
しかし、だからといって、なんの主張も研究もしないということは、歴史に学ばなくてはならない現代人にとって、けっして良いこととはいえないのではないでしょうか?
仮に氏の言うとおり、田母神史観が「日本国内にしか通用しない主張」であったとしても、それに賛同する多くの日本人がいる以上、その内容を、個々に具体的に検証する。それが上久保氏のような学者の役割なのではないでしょうか?
そういう努力をしようとせずに、いきなり、田母神氏を傲慢であると決め付け、論文に「価値がない」と一方的に決めつけるという態度こそ、まじめで正当な学究を阻害し、文化の発展を損ねる野蛮な行為なのではないでしょうか。
傲慢である、価値がないと決めつけて、どうするのですか?
勝ちがないから、焚書するのですか?
自らの主張と異なる意見は、抹殺し、書を燃やし、意見を言う者を殺害するのですか?
そういう考え方そのものが、独善的なファシズムというのではありませんか?
田母神氏は、自衛隊員であり、学者ではありません。
ただ、田母神氏が投げかけた「正しい歴史認識とは?」という事柄について、再度いろいろな角度から、検証しなおしてみる、という謙虚な姿勢こそが、いまのわれわれに必要なのではないでしょうか。
そして、そういう冷静な態度こそが、多くの人々が上久保氏のような学者さんたちに求めていることなのではないかと、ボクは思うのです。
【朝生支持率61%】 1/5 田母神節 vs マスコミ 外人編 【桜 H20/12/04】
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