信越化学は、世界トップクラスの塩ビやシリコンのメーカーです。
石油化学製品を作るメーカーにとって、原油高は、一気に業況を悪化させます。
そんな中で、信越化学だけは、相変わらず増益。同業他社と正反対の結果になっています。理由は、製品の塩ビの原料が、が石油由来ではなく、天然ガス由来であること。石油が上がれば製品価格が上がるが、天然ガス由来の原料価格は抑えられ、利幅が広がる構造になっているといいます。
その信越化学の金川社長のインタビューがダイヤモンドオンラインに掲載されていました。
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信越化学工業 金川千尋社長が語る 「日米開戦に反対し続けた山本五十六の慧眼」最も尊敬する人物はと聞かれれば、迷いなく山本五十六連合艦隊司令長官と答えます。ただ、1926年生まれの私にとっては山本長官は、戦国武将のようないわゆる歴史上の人物とは違い、まさに同じ時代を生きていた“実在の人物”です。
山本長官の乗った飛行機がブーゲンビル島上空で米戦闘機に撃墜され、戦死したのは43年4月18日。しかし大本営は、国全体の士気に影響することを心配し、その事実を1ヵ月以上伏せました。事実、国民全体が意気消沈したのを覚えています。
裁判官だった父の勤務先の関係で、私は日本統治下にあった朝鮮で生まれました。18歳まで京城(現在のソウル)で過ごし、その後、岡山の旧制第六高等学校に入学しました。
その岡山が大空襲に見舞われたのは45年6月29日未明。120機のB29が飛来し、無数の焼夷弾をばらまいたのです。当時住んでいた寮も火に襲われました。私も着ていた菜っ葉服の背中に火の粉を浴びましたし、焼夷弾の直撃を受け、亡くなった後輩もいました。
ひと晩逃げまどい朝を迎えると、岡山の街はすっかり焼け野原で、死体があちこちに転がっていました。日本は神の国であり、戦争に負けるはずがないと教えられてきましたが、なんのことはない、日本は焼夷弾でたやすく焼き払われてしまう
“紙の国”だったのです。
住むところをなくした私は、やっとの思いで京城の家族の元にたどり着き、終戦は京城で迎えました。
敗戦によってあらゆる価値観がひっくり返り、どうしようもない虚脱感に包まれていた私を救ってくれたのは、六高で西洋史を教えていた大野真弓先生を囲んで始まった「六高史学会」という歴史研究会でした。
歴史を学ぶことから、「日本はなぜ負けたのか」「これからどうすべきなのか」についての答えを見つけようと考えたのです。
山本長官について、さまざまな書籍を通して詳しく知るようになったのも、それからのことでした。今に至るまで興味は尽きず、知れば知るほど、尊敬に値する人物だったことがわかります。
山本長官は25年、駐米武官の時代にテキサスの油田とデトロイトの自動車工場を視察し、米国との国力の差を見抜きます。そして冷静に現状を分析した結果、「日本は絶対に米国には勝てない」と判断し、あの時流のなかにあって日米開戦に反対をしました。とりわけ、日独伊三国軍事同盟には反対し続けました。
ところが、陸軍の主導の下、政府が対米開戦を決めると、軍人として職務を果たすことに専念するのです。「軍人は政治に関与してはならない」との信念からの行動でした。
陸軍の連中とは違い、軍人としての分限をわきまえていた。彼のその姿勢に引かれるのも事実ですが、逆にもし山本長官が当時の首相であれば、日本はまったく別の国になっていただろうとも考えます。歴史に「if」は禁物と言いますが……。
「やってみせ 言って聞かせて させてみせ ほめてやらねば人は動かじ」など、山本長官は経営者にとって役立つ名言を残しています。
そのなかでも、私が山本長官から学んだ最大の教訓は、
先を見ながら短中長期の計画を立てつつも、刻々と変わる情勢を見極めながら自らの考えを修正し、必要ならば前言を修正する勇気を持つということでした。
一国の首相、軍隊の司令官と同じく、
会社経営でも社長が一つ愚かな決定をすると、従業員全員が死にもの狂いで働いても会社はダメになります。それは、経営者として常に心にとめています。
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ねずきちがこれを読んで感心したのは、次の点です。
(1) 世界的な原油不足・価格高騰の中で、石油代替資源を用いている企業が業績を向上させている。
一方で、ガソリン垂れ流し型のクルマを相変わらず作っているビック3は倒産の危機に瀕しています。石炭から石油に資源エネルギーが変遷したとき、石炭関連産業は、ことごとく沈んでいった。茨城県いわき市の岩城炭鉱は、いまではハワイアンセンターという立派な(?)スパリゾートに生まれ変わっています。
いま世界で起こっている不況・雇用不安等々は、石油という資源の不足から、社会構造が変わろうとしているという動きではないかと思うのです。
(2) 日本は「神の国」ではなく、焼夷弾に焼かれる「紙の国」だった。という表現が非常に面白かった。木の文化の国が、石と石油文化の世界を相手に戦った。「木」が「火」と戦った。そりゃあ、燃えますよね;;;
(3) 日本が戦争に負けて、あらゆる価値観がひっくり返ったとき、歴史を学ぶことから、「日本はなぜ負けたのか」「これからどうすべきなのか」についての答えを見つけようとした。
歴史というのは、正邪を議論するものではなく、事実から「学び」、未来に「活かす」ものであるという認識。
最近では、田母神史観は是か非かなんて、あまりにも議論に意味がなさすぎるように思います。軍人が敗戦からも日本の正義を学び取ろうとするのは、当然のことです。敢えて非難するような事柄ではない。正しい歴史認識は村山史観なのか、田母神史観なのかという議論にしても、まるでテストの採点をするようなマスコミの論調は、尊い命を犠牲にして戦い、亡くなられた多くの方々に対する冒涜ではないかと思います。
(4) 山本長官の、日本は絶対に米国に勝てないと知っていながら、いざ開戦となると軍人としての職務を果たすことに専念した、という生き方。
決めるまではいくらでも議論を戦わせるが、いったん決まったら、その枠組みの中で全力を傾注する。そこに美しさがある。
ねずきちは、先日来、麻生総理で良いではないか調の記事を書いていますが、個人的に麻生総理が良いとか、麻生氏のやり方がすべて正しいとか思っているわけではないです。
ただ、いったん総理総裁にかついだならば、この総理を立て、その指揮に従い、何よりもスピードの大事な緊急経済対策は国会議員の責務として早期に実施してもらいたい、そう思っています。いったんかつぎあげておきながら、上に乗ったらみんなして引きずり降ろすような真似は、まさに烏合の集団であり、みっともない。そう思うのです。
まして、緊急経済対策という火災時の消防行動のような措置を人質にして、これを政局にするなどというのは、国民生活そのものを人質にして、いわば庶民に銃を突き付けているようなものです。
目の前で、ビルが燃えているのに、火を消すのは、自民か民主か、どっちの消防車にするかなどと、議論しているのは、ほんとうに変です。まずは一致団結して火を消すことが先ではないか。
まずは、火を消し、その後に、総理の進退を伺い、選挙によって世論を問う。それで良いのはないかと思うし、そうすべきだとも思っています。
順調にいけば、10月には年末・年度末企業支援対策の一次補正予算は衆参両院を通過し、11月には国民生活保護のための2次補正予算も通過していた。それをやれ漢字の誤読がどうのとか、国会をスポイルするとか、いったいマスコミの論調は、何を目的としているのか。ただ日本を崩壊させたいだけなのか。わけがわかりません。
(5) 山本長官が当時の首相であれば、日本はまったく別の国になっていただろう・・・
東条英機氏が首相になったのは、開戦を行うためではなく、当時、軍にあってあくまで氏が開戦に反対の立場をとっていたからだといわれています。軍を抑えれるのは東条君しかいない。彼はそれで首相になった。
彼は、開戦前、参謀長から、「首相、もう日本に石油がありません」と報告を受けた際、「バカモン! 貴様は石油ごときのために日本に戦争を起こさせる気かっ!」と一喝します。そしてギリギリまで外交交渉による平和的解決を模索した。おそらく、山本連合艦隊司令長官が総理に就任していたとしても、日本は同じ開戦に踏み切ったと思います。南方油田を抑えなければ、日本にはもう石油がなかった。
逆にこのことから、資源エネルギーの確保の問題が、いかに国家にとって重要な問題であるかを学びとることができるように思います。最近の例でも、ガソリン価格がちょっと上がっただけで、町から車が激減した。資源エネルギー問題は、庶民の生活に直結する問題であるだけに、今後の日本が、どのように資源を確保し、活用していくかは、眼先の政局がどうのという以上に、はるかに重要な事柄と思います。
(6) 一国の首相、軍隊の司令官と同じく、会社経営でも社長が一つ愚かな決定をすると、従業員全員が死にもの狂いで働いても会社はダメになります。
トップの決定ひとつで、従業員全員が死にもの狂いで働いても会社はダメになる。
日米開戦という決定ひとつで、日本国民全員が死に物狂いで戦って、日本は焦土と化した。
ポツタム宣言を受託後、左傾化する東大等に対し、吉田茂が断固として日米関係重視の政策を採ったがために、日本は戦後めざましい復興を遂げ、やがて世界の経済大国といわれるまでに成長することができた。
もしこのとき日本が、左傾思想を受け入れ、別な内閣でソ連寄りの道をとっていたとしたら、いまの日本の繁栄はなく、北朝鮮同様、日本人はいまだに飢えに苦しむ国民であったであろうと考えると、いかにトップの決断というものが大事なのかがわかるというものと思います。
逆の言い方をすれば、われわれ庶民からすれば、あるいは、国会議員の先生方からすれば、誰を首班としてかつぎあげるかによって、日本の行く末が大きくちがってくる。
篭に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人。
篭に乗る人が、何を言おうが、担ぐ人の思いで、行き先は変わってしまう。
担ぐ人が優秀でも、草鞋の質が悪かったら、道を進むことができなくなる。
すべてがぐるっとまわって「環の如く等しい」ものなのだろうと思います。
君、君足らずとも臣は臣。要はわたしたち国民ひとりひとりの質が問題なのではないか。最近のマスコミや政局を見ていると、そんな気がしたりしています。
「連合艦隊指令長官 山本五十六」予告編
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