最終更新: 2010/07/21 06:45

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独立を視野に経済ブームに沸く南部スーダンの今、南北内戦の負の遺産を取材しました。

独立を視野に経済ブームに沸く南部スーダンの今、南北内戦の負の遺産を取材しました。
それは、隣国・ウガンダとケニアに直結する物流の南ルートの整備など、変化のうねりを阻んでいます。

アフリカ大陸で最も大きな国のスーダン。
街の人は「スーダンに来て、人生が変わったわ」と話した。
内戦からの復興と国造り、さらに石油資源の開発などもからみ、スーダン南部には今、熱い活気がみなぎる。
しかし、期待と変化を阻む大きな問題が浮かび上がっていた。
取材班が訪れたのは、南部10州の中心地のジュバで、今、最も変化しているスーダン南部の中心地にあたる。
ジュバ最大のマーケットは、思ったよりも活気があり、物がたくさんあった。
豊富な商品は、北部スーダン、首都ハルツームから運ばれているという。
その一方、ある店の野菜のほとんどはウガンダから陸路、トラックで運ばれてきたものだという。
20年以上にわたる南北内戦を経た南部スーダンは、半年後、住民投票で北部中心のスーダンから、分離独立の意思を示すとみられており、今、物流の動脈をこれまでの北部中心から、南のウガンダ、ケニアなど、周辺国へ切り替えつつある。
しかし、この結果、輸入する野菜や果物など、生鮮食品にも輸送コストが上乗せされ、スーダン南部では、食品価格が全体的に高値のままだという。
輸送費のかからない地元産の生鮮食品が極端に少なく、市場に出回っていないためだという。
肥よくな土地も多いこの南部で、農産物が足りないのは、なぜなのか。
今、スーダン南部で緊急の問題となっているのは、長期間の内戦の結果、残された200万個ともいわれる地雷。
ノルウェー地雷撤去NGOマネジャーは、「この辺りには、人はほとんど住んでいません。この道路の両脇に沿って、多くの地雷が埋められているんです」と話した。
アラブ系の北部政府と南部アフリカ系組織が自治をめぐり、22年間続けたスーダンの南北内戦で、戦場となったスーダン南部では、400万を超える人々が土地を捨て難民化した。
そして、無人となった村や耕作地には、戦いを続ける両軍によって、対人地雷などが埋められた。
2005年、内戦の終結とともに各国のNGOによる地雷除去作業が始まり、難民たちの帰還も始まった。
しかし、住民が使う生活道路の真ん中に、あるいはかつての畑の中に、日々の生活の場で多くの地雷が見つかりだした。
除去組織説明者は、「難民たちが帰ったとき、地雷が大変な脅威となった。地雷がすぐに見える形で見つかったんです」と話した。
帰還した難民たちは地雷をおそれ、農作業を行わなくなったという。
ばらまかれた地雷が南部スーダンで、人々の農業生産を阻む大きな要因となっている。
地雷除去作業者は、「(地雷除去にどれくらいかかりそう?)わからない。たぶん、100年くらい...スーダンのすべての地雷を除去するには」と話した。
しかし今、こうした現状に小さな光が差している。
現地で活躍するのは、日本の国際協力団体「JICA」などが導入に協力する無線操縦の地雷除去車。
回転するくわで表土を掘り起こし、対人地雷の爆発にも耐えられる構造で、操作は装甲車の中から行い、作業員の安全も確保されている。
地雷除去作業者は、「たとえば、5,000平方メートル分の地雷除去作業を人の手でやると、半年から7カ月かかるが、この機械だと2〜3日で済む」と話した。
しかし、こうした機材は南部でも3台程度といわれ、広大な地雷原の解消には程遠い。
多くの元難民たちが地雷と隣り合わせで暮らす現実は、当分、解消されそうにない。

(07/20 01:02)


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