2010-07-21

親に内緒堕胎した。

親に内緒堕胎手術を受けた。まだ知られてない。

正確には去年の8月11日だったと思う。8月の初頭が誕生日で、去年の誕生日に20歳になった。

だから、親に何も知らせる事無く一人で同意書を書いて、出した。

相手の欄に書いてくれる人は居なかった。ちなみにまだ見つかってない。相手。

五週目の赤ん坊だった。検査薬を買ってみたら2本の線が出てたので、「妊娠したな」と思って病院行った。

妊娠されてらっしゃるのは確実なんですけども」と言われたけど、ああそうか、としか思わなかった。

「多分、今、五週目だと思うんですけど」と言うと丸い円盤のようなものを取り出して(あれで周期を判断するのかな?)

「詳しいですね」と驚いたように言われた。それくらい知ってる。ググった。

赤ん坊出来ても別に驚かなかった。覚悟はしてたので、慌てなかった。

でも毎日のように本を読んだり、Web情報収集したりしてた事に、その時初めて気づいた。

でもこれくらい、誰でもする事じゃないのかなぁ。

それから膣に棒のようなものを突っ込まれて(結構痛い)、エコー検診。どこに胎児が居るか全然分からなかった。

堕胎します」と言うと、「分かりました」と言って簡単な手術の説明をされた。

とりあえずその日に同意書を貰って、銀行貯金を下ろした。一人で上京して仕事してるので、お金はあった。

初診料、検査費用も含めて15万円だった。高いのか安いのか分からない!

家に帰って同意書を書いた。書きながら不思議だった。

普通妊娠したらもうちょっと感情的になるものだと思ってた。

だってそうでしょう。人間一人分(二人分か三人分かも)の命がかかってるんだから。

でも、全然実感が沸かなかった。体の具合が悪かったので病院言って、「処置」をする。それだけ。

望まぬ子どもが出来たら泣き喚いて、絶望するものだと思ってた。

思い悩んで、泣きながら決断するものだと思ってた。

でも、全然泣かなかった。悲しいとすら思わなかった。子供が居るという事実は把握したけど、愛情も沸かなかった。

折角出来た大切な子供なのに殺すなんて! とも思わなかったし、

誰とも分からない奴の子なんて憎い、死んでしまえ!とも思わなかった。

不思議で、静かな気分だった。怖いくらいに淡々としてたと思う。

ただ、何の感情も湧いてこないのを見て、「私は母親にはなれないな」と思った。

母親って、物凄く子供に対して感情を傾ける生き物だと思う。

だから私はまだ、母親にはなれないんだ、と思った。(成人しておいて"まだ"もクソもないけれど)

一生母親になんてなれないのかもしれない。

数日寝たら、堕胎手術の日だった。

堕胎手術は日帰りだったけど、前日は何も食べないように、と言われていた。

その頃には悪阻が始まっていた。甘い香りだけで吐き気がした。男性加齢臭だけで吐いた。

当日の朝も、何も食べていないのに、死ぬほど具合が悪かった。

途中の駅で降りて、トイレに駆けこんで吐いた。

何も食べてないから気分が悪いだけだと思っていたけれど、黄色い胃液が沢山出た。凄まじい味がした。

病院に着いて、同意書を渡して、着替えた。看護婦さんに下着と生理ナプキンを渡した。

看護婦さんが同意書を見て、「先日成人されたんですね」と言った。「ええ、つい先日です。だから、よかった」と答えた。

相変わらず何とも思わなかった。

分娩台に両足をかけて、腕に点滴をされた。お医者さんに「宜しくお願いします」と言ったら、点滴の管に注射を打たれた。

麻酔だったみたいで、数呼吸の間に意識が吹っ飛んだ。

起きたら病院のベッドに寝ていた。ナースコールで看護婦さんが来て、処置をした。

膣の中にガーゼが詰められていたので、それを抜かれて、少し背中をさすって貰って、数時間眠った。

途中で飛び起きた。痛い!生理痛なんて笑える位の激痛だった。

看護婦さんが「痛い?うん、痛いね…」と言いながら背中をさすってくれた。ベッドの上で転げまわっていた。

エコー写真、頂けますか?」と尋ねたら「出来ますよ、後で渡しますね」と言われた。

水子供養にはエコー写真を使うと、どこかで読んだことがあった。する気は特に無かったのだけど、言ってしまった。

その後1時間ほど休んだら落ち着いたので、受付で代金を支払って、外に出た。受領書と一緒にエコー写真を渡された。

下腹部が痛かった。駅まで歩いて、また電車で帰った。

家に帰って、Yahooの記事で、赤ちゃんエコー写真を見た。妊娠初期から臨月まで、沢山の写真があった。

何となく貰ったエコー写真を取り出して、同じ時期のものと比べてみた。いた。分かった。本当にちっこい、白ゴマみたいなの。

じわりと画面がぼやけた。悲しくないと思っていた。馬鹿らしいと思っていた。

子供に執着出来ない自分なんて、母親になるのは無理なんだと思っていた。これでいいと思っていた。

何も間違った事はしていないはずだった。私には関係ないと思っていた。母親なんて、自分とは遠く離れた存在なんだと思っていた。

けど、もう、駄目だった。

ぼろりと涙が出た。一晩中泣き続けた。翌日になっても、ずっと泣いていた。

結局その後1年経って、私は何がしたかったのか、何であの時泣いたのか、もう分からないようなボンヤリに戻ってしまった。

未だに不思議だと思う。何で泣いたんだろう。

ただ、悔しかっただけかもしれない。何で私ばっかりが。何でこんな目に。何でこんな痛い思いを。

それとも、やっぱり悲しかったのかもしれない。自分子供だから。自分母親になりかけていたのかもしれない。

でも、今でもやっぱり、分からない。もうどっちでもいいと思う。

結局あのエコー写真は、ケースの裏側にしまいっこみぱなしだ。たまに取り出して、眺める。

やっぱり、分からない。

最近久し振りに実家に戻り、自分母親を間近で見て、無性に泣きたくなった。

ごめんなさい。

ごめんなさい。でも、死ぬまで言わずにおく。

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