正確には去年の8月11日だったと思う。8月の初頭が誕生日で、去年の誕生日に20歳になった。
だから、親に何も知らせる事無く一人で同意書を書いて、出した。
相手の欄に書いてくれる人は居なかった。ちなみにまだ見つかってない。相手。
五週目の赤ん坊だった。検査薬を買ってみたら2本の線が出てたので、「妊娠したな」と思って病院行った。
「妊娠されてらっしゃるのは確実なんですけども」と言われたけど、ああそうか、としか思わなかった。
「多分、今、五週目だと思うんですけど」と言うと丸い円盤のようなものを取り出して(あれで周期を判断するのかな?)
「詳しいですね」と驚いたように言われた。それくらい知ってる。ググった。
赤ん坊出来ても別に驚かなかった。覚悟はしてたので、慌てなかった。
でも毎日のように本を読んだり、Webで情報収集したりしてた事に、その時初めて気づいた。
でもこれくらい、誰でもする事じゃないのかなぁ。
それから膣に棒のようなものを突っ込まれて(結構痛い)、エコー検診。どこに胎児が居るか全然分からなかった。
「堕胎します」と言うと、「分かりました」と言って簡単な手術の説明をされた。
とりあえずその日に同意書を貰って、銀行で貯金を下ろした。一人で上京して仕事してるので、お金はあった。
初診料、検査費用も含めて15万円だった。高いのか安いのか分からない!
家に帰って同意書を書いた。書きながら不思議だった。
だってそうでしょう。人間一人分(二人分か三人分かも)の命がかかってるんだから。
でも、全然実感が沸かなかった。体の具合が悪かったので病院言って、「処置」をする。それだけ。
望まぬ子どもが出来たら泣き喚いて、絶望するものだと思ってた。
思い悩んで、泣きながら決断するものだと思ってた。
でも、全然泣かなかった。悲しいとすら思わなかった。子供が居るという事実は把握したけど、愛情も沸かなかった。
折角出来た大切な子供なのに殺すなんて! とも思わなかったし、
誰とも分からない奴の子なんて憎い、死んでしまえ!とも思わなかった。
不思議で、静かな気分だった。怖いくらいに淡々としてたと思う。
ただ、何の感情も湧いてこないのを見て、「私は母親にはなれないな」と思った。
だから私はまだ、母親にはなれないんだ、と思った。(成人しておいて"まだ"もクソもないけれど)
一生母親になんてなれないのかもしれない。
数日寝たら、堕胎手術の日だった。
堕胎手術は日帰りだったけど、前日は何も食べないように、と言われていた。
その頃には悪阻が始まっていた。甘い香りだけで吐き気がした。男性の加齢臭だけで吐いた。
当日の朝も、何も食べていないのに、死ぬほど具合が悪かった。
途中の駅で降りて、トイレに駆けこんで吐いた。
何も食べてないから気分が悪いだけだと思っていたけれど、黄色い胃液が沢山出た。凄まじい味がした。
病院に着いて、同意書を渡して、着替えた。看護婦さんに下着と生理用ナプキンを渡した。
看護婦さんが同意書を見て、「先日成人されたんですね」と言った。「ええ、つい先日です。だから、よかった」と答えた。
相変わらず何とも思わなかった。
分娩台に両足をかけて、腕に点滴をされた。お医者さんに「宜しくお願いします」と言ったら、点滴の管に注射を打たれた。
起きたら病院のベッドに寝ていた。ナースコールで看護婦さんが来て、処置をした。
膣の中にガーゼが詰められていたので、それを抜かれて、少し背中をさすって貰って、数時間眠った。
途中で飛び起きた。痛い!生理痛なんて笑える位の激痛だった。
看護婦さんが「痛い?うん、痛いね…」と言いながら背中をさすってくれた。ベッドの上で転げまわっていた。
「エコー写真、頂けますか?」と尋ねたら「出来ますよ、後で渡しますね」と言われた。
水子供養にはエコー写真を使うと、どこかで読んだことがあった。する気は特に無かったのだけど、言ってしまった。
その後1時間ほど休んだら落ち着いたので、受付で代金を支払って、外に出た。受領書と一緒にエコー写真を渡された。
下腹部が痛かった。駅まで歩いて、また電車で帰った。
家に帰って、Yahooの記事で、赤ちゃんのエコー写真を見た。妊娠初期から臨月まで、沢山の写真があった。
何となく貰ったエコー写真を取り出して、同じ時期のものと比べてみた。いた。分かった。本当にちっこい、白ゴマみたいなの。
じわりと画面がぼやけた。悲しくないと思っていた。馬鹿らしいと思っていた。
子供に執着出来ない自分なんて、母親になるのは無理なんだと思っていた。これでいいと思っていた。
何も間違った事はしていないはずだった。私には関係ないと思っていた。母親なんて、自分とは遠く離れた存在なんだと思っていた。
けど、もう、駄目だった。
ぼろりと涙が出た。一晩中泣き続けた。翌日になっても、ずっと泣いていた。
結局その後1年経って、私は何がしたかったのか、何であの時泣いたのか、もう分からないようなボンヤリに戻ってしまった。
未だに不思議だと思う。何で泣いたんだろう。
ただ、悔しかっただけかもしれない。何で私ばっかりが。何でこんな目に。何でこんな痛い思いを。
それとも、やっぱり悲しかったのかもしれない。自分の子供だから。自分も母親になりかけていたのかもしれない。
でも、今でもやっぱり、分からない。もうどっちでもいいと思う。
結局あのエコー写真は、ケースの裏側にしまいっこみぱなしだ。たまに取り出して、眺める。
やっぱり、分からない。
最近久し振りに実家に戻り、自分の母親を間近で見て、無性に泣きたくなった。
ごめんなさい。
ごめんなさい。でも、死ぬまで言わずにおく。
http://anond.hatelabo.jp/20100721024511