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2010/04/13

oac光と影~その後~

 さて一気に改訂版をアップさせた「oacの光と影シリーズ」。その後に一体どうなったのかを簡単に書きたいと思います。

 さてY達がリストラに着手する前までの段階でいたスタッフは全部で6人でした。まずはリハビリ室主任で柔道整復師の私。鍼灸師のOとM。理学療法士の「十文字君」。作業療法士の「豆腐好きさん」。そして助手のWさんの6人でした。

 Y達が中心になって行ったリストラにより助手のWさん、鍼灸師の2人がリストラされ、代わりに理学療法士のTと新しい助手が入った後に私が退職に追い込まれた所で「光と影」シリーズは終わりました。

 ここではその後を書きたいと思います。邪魔者が消えたことでやり易くなったYとIの2人は早速新たに主任になった「十文字君」に完全予約制に移行し個別Ⅰの単位数を限界まで算定し取り逃しの無いように指示をしました。

 患者にしてみればそれまでの治療が出来なくなって上に負担金も上がり、予約制、担当制になり不便極まる状況になった訳です。

 但し事務側から見れば予約制で半強制的に定期的に通院させることが出来るし、個別の単位も限界まで算定できるので収益増加になると踏んだのでしょう。

 さて「十文字君」必死に事務の方針に従って予約を埋めて限界数まで算定できるように頑張ったようです。ほとんど休憩も取らず、他のスタッフも以前は私が日程を調節して取らせていた夏休みなどもまったく取らずに働いていたそうです。

 今度はTがターゲットになりました。元々仕事があまり出来なく要領も悪い、そしてakaに拘る姿勢がYとIにとっては気に入らなかったんでしょう。些細なミスでも大騒ぎをして追い込みを掛け出していたそうです。

 本来はここでTを守らなきゃ行けない立場の「十文字君」もこの時期はとにかく予約数を増やすことで精一杯で他の職員に眼を配るまで出来ていなかったそうです。

 去年の暮れが近づいた頃に、訪問リハを担当していた作業療法士のHが退職が決まりました。そして本人には何の相談も何も無いまま「豆腐好き」さんに訪問リハへの移動の辞令が出たそうです。

 ちょうどこの時期に、ケアマネの試験も終わり気持ちも落ち着きだした私は「豆腐好き」さんと連絡を取り始め出し、約2年間放置していたこのブログを本格的に始めたのでした。

 「豆腐好き」さんの話を聞いたり相談に乗ったりするうちにoacでの出来事を書き留めたいと思いブログで「光と影」シリーズを書き始め、次いで「十文字君」ともまた連絡を取るようになりました。

 そこでoacの惨状を聞きN院長にメールしたりもしましたが何の効果も無く、「豆腐好き」さんは去年の暮れに辞表を提出し1月の中旬にoacを退職しました。

 一時はYやIに乗せられていた「十文字君」も自分の失敗に気づいたのか、最近辞表を提出し5月の初めには新天地の仙台市に引っ越そうとしています。

 結局1年間で元々いた職員全員が退職すると言う結末を持って完全に私とoacの繋がりは切れることになりました。

 先週の末に全員の新しい門出を祝って飲み会を開きました。先に辞めていたMやエリーheart01も来てくれて実に楽しい時間を過ごすことが出来ました。

 私もいよいよ来週の水曜日から念願の新しい職場での勤務が始まります。今後もこのブログでは普段の仕事のことや生活のこと、映画やドラマの感想などもいろいろ織り交ぜて書いて行きたいと思っています。

 さらにoacでの12年間に起こったいろいろな事件や出会った人々、更にその前の名取での思い出なんかも書いて行きたいと思います。

 twitterから見に来た人には話の解らない記事もあるでしょうが、映画やドラマ、スポーツの話題なども書いていきますので、身内向けの書き込みもご容赦ください。

 あと今日から心機一転でデザインを一新しました。今後しばらくはこのデザインで行く予定ですのでよろしくお願いします。

oac光と影22~最終章~ 改訂版

 週が明けて院長に正式に、辞表を提出した。この日も慰留されたが「気持ちは変わりません」とハッキリと言った。先行きはまったく見えないが自分で決めたことだ。ついでにこのままYを放置すると信頼しているスタッフを全て失うことになると院長に言っておいた。

 院長は「彼には彼の立場があるんだが。これからは私がシッカリ眼を光らせる」と言った。まあこの続きは後ほど。

 翌日、Y事務長に呼び出されて嫌味をさんざん言われて、「引き継ぎ業務をしないうちは辞めさせない」と言われた。

 そんなことは解っている、すぐに引き継ぎ業務を開始した。翌日以降はYやisi女史からは完全に無視された…もうどうでも良かったけどねgawk

 有給休暇がまったく使ってなかったので40日程余っていたので、消化することにした。その間に驚いたことが二つ、KKKの本部長に退職の挨拶をしようと電話したら、留守でその後何故かMマネージャーから「本部長に何かチクルんじゃないか?」と探りの電話があったり…何だか本当に腐った職場だthunder

 院長が11年間のお礼がしたいと食事に連れて行ってくれたが、連れて行かれた店が汚い居酒屋(胃が痛くて酒飲めなかったのに)だったり。毎日毎日、休みまでの日々は嫌な気分で胃痛と食欲不振が続いた。

 ちなみにその席で「これからは、僕がしっかりYやisiを暴走させないように管理するから!」と言っていたが…タレこみ情報では更にYとisi女史に牛耳られてリハビリ室は大変なことになっているようだ。役立たずangry

 患者からは泣かれcrying 「なぜ、辞めるのか?ここの病院おかしいんじゃないのか!」と怒りだす人もいた。まあ、おかしい病院なのは間違いないよね。

 何とか2週間の日々を乗り越えて、休みに入ることができた。休みの初日にリフレッシュのために温泉に行って体重を測ったら15kg減っていた

 このまま減り続けたら良かったけど、結局、胃も直り元に戻ったけどcatface取りあえず、光と影シリーズは今日でおしまいにします。しかしoacでのいろいろな事件やKKKのあくどいやり方。患者からむしり取れるだけ取ろうとする極悪ぶりは今後も不定期にいろいろ書いていこうかと思います。

 もちろんoacで出会った面白い人、あくどい人、可愛い人などの話も書いていきたいと思います。元oac関係者や現職の方も質問や感想あったら、匿名でコメントなり、メールなりくださいcatface

oac光と影21 改訂版

 もう心は退職に決まっていた。正直Yが来る前からoac及び医療法人KKKの異常な体制、人を人とも思わない経営方針に嫌気がさしていた。

 ここ数年は「仕事辞めたい」と女房に愚痴るのが習慣になっていた。だがY事務長が就任してからは自分が完全に壊れ始めているのが解っていた。

 女房に聞くと2008年の4月から2009年の6月までの私は別人のようだったそうである。いつもイライラした様子だったり何かに怯えた様子の時もあったそうである。

 実際、自分でも心の変調には気付いてて、安定剤を服用し出したり、どうしても気分が落ち込み身体が動かなくなり点滴を受けたりしていた。病名的には「不安神経症」と書かれていたが専門医なら「鬱病」と診断するだろう。

 女房から見て、会議の日の私の様子は完全に限界を超えていたそうである。実際普段は退職の話をしても「次の仕事見つけてからじゃないと駄目だよ」と言う女房がこの日はすぐに「もう無理だから絶対に辞めなきゃ駄目だ~」と言った。

 会議の翌日は、幸い週休だった。朝からまったく何も食べれない、それでも退職を決意した以上は何かしなきゃと思い、朝一でインターネットで調べて昼に一軒の病院の面接に行っている。ただここは1週間以内に勤務開始が出来る人が希望だったので無理だった。帰宅後も昼も何も食べれず、前日の夜も茶碗に半分も食べていなかったこともあり女房が病院に行こうと言いだした。

 夕方、病院に行った、検査が必要だから明日もう一度来てくれと言われた。結局翌日も有給を使って休み検査を受けた。

 ストレス性の胃炎だった、胃カメラに出血部がはっきり映っていた。薬を貰い、午後からようやく軽く食事を取れるようになった。結局この胃痛にはこの後もしばらく悩ませられることになった。

 翌日は土曜日だった、「今日、院長に辞めると言う」女房に告げて家を出た。1週間ほとんど食事を取っていないためかフラフラになりながら仕事を終えて院長室に行った。

 院長に辞意を伝えた。院長は必死に引きとめてきた「T君のやり易いように私がするから」 「胃が痛いといっても胃潰瘍にはなっていないし、精神的に辛いと言ってもまだ精神科に通うほどでもないんだから残ってくれ」「K君なんて出戻りで事務長辞めて事務員に落とされて、契約社員にされてもまだ残ってくれている。君も見習ってくれ」などなど。

 oacで唯一の院長の話し相手であった私がいなくなるわけにはいかなかったのだろう。「とにかく、結論は出さないで、もっとゆっくり考えてくれ」

 2時間、説得されて帰路についたが1㎜たりとも気持は変わらなかった。

oac光と影20 改訂版

 会議が始まった…胃の痛みは限界に近付いていた。全体会議は何事もなく終了した。その後にクリニック会議が始まった。…これ以降のことは記憶があいまいな部分が多くなる。半年間、思い出さないように封印してきたからだろうか… 

 院長が盛んに私の顔を見る、仕方なく私はCのことを報告した。事務長からの一斉攻撃が始まった。フォローすると言っていた院長は…事務長の剣幕に押されたのかうつむいて何も言わない。

 そのまま治療体制の変更に話が続いた。院長と私が「マッサージは患者も望んでいる」と訴えたが…事務長とisi女史が押し切る感じで、結局気の弱い院長は何も言い返せなくなり「みなさんが決めたなら私もそれで良い」と言った。

 isi女史からは「Tさんは患者に触ったらダメだよ。これからはPTOT中心のリハビリにして助手に専念して」と言われた。それもあんたが決めるんだ~

 その後は私の存在を無視するかのような形で会議は進行した。一つだけハッキリしたのはもう私の居場所は無いということだった。

 どう帰ったのか思い出せない…家に着くと涙があふれた。すぐに女房に仕事を辞めると告げた。普段は反対する女房もこの日は一切反対しなかった。

 胃が痛くて夕食が食べれなかった。

oac光と影19 改訂版

 自分の中で何かを察知していたのだろうか?この日は朝から胃がものすごく病んでいた、Tの病気は精神的な疾患である。できれば、追い込むようなことはしたくなかった。

 私は胃の痛みと心の不安定さに耐えきれなくなり、気が振れていたのかも知れない、今まで一度も相談をしたことの無かったisi女史に相談をしてしまった…11年間の付き合いだし内密にという形で、Tの相談をした。

 isi女史はリハビリ室全体で、話し合って上手くやれというようなことを言った。基本的にisiもakaには反対のようであった。そして何故か「今後、リハビリの体制を変えなきゃいけない、この次の会議位で話し合うはずだから。聞いているでしょう?」と言いだした。私にとっては寝耳に水の話だった。

 すっかり混乱した私は、具合が悪くなり昼休みに安定剤を一錠飲んだ。午後から事務長のところに話を聞きに行くことにした。するとそこにはisi女史がいて内密な筈の私の相談を、Y事務長に話していた…やられた~

 完全に裏切られていた。物凄い剣幕で事務長が私に詰め寄る。Tが患者に受けないのも、個別の件数が増えないのも、全て私の責任だと責め立てられた。

 マッサージを患者に行っているのは院長の指示だ…しかしTは納得できないと事務長に抗議したそうである。「マッサージでリハビリの点数を請求するのは違反だ」と訴えたそうである。

 だから、「どんなに院長やおまえがTのことを言っても、あいつを辞めさせてどこかに違反を告発されたら困るから辞めさせるわけには行かないんだ!」と言った

 「会議に出せるなら出してみろ、白黒はっきり付けてやる」、「リハビリ体制の変更はどうなっている?俺はずっと院長に言っているんだ!」…etc

 全て初めて聞く話であった。いつもの私なら喧嘩腰でYとやり合ったのだろうが、安定剤を飲んでいたこと、最近の精神状態の不安定さもあってほとんど言い返すことが出来なかった。

 フラフラになりながら院長に聞きに行った。院長は「マッサージは患者も求めているから継続したい」 「Tは試用期間中に私が判断して辞めてもらう」「今日会議で、今までのリハビリ体制の維持を認めさせる」と言った。

 業務終了後、会議の時間になった、そして私はまざまざと現実を知ることになる。院長の存在理由の無さを…

oac光と影18 改訂版

 もちろんリストラはリハビリだけでは無かった…外来看護師は3人がパートに格下げされた、すぐに2人が退職した。

 そのうち1人のナオミさんとは結構仲良くしてて、毎週治療もしていたし、2年前に退職した看護師のエリーheart01と3人で飲んだりのoacことで愚痴をこぼし合ったりしていただけに凄く寂しかった…

 受付も同時期に1人退職した、まあお喋りで生意気なユキエだったからこれは寂しくも無かった。この時期、在宅部門も含めると一体何人辞めたのか?

 少しづつクリニック全体が狂ってきていた、N院長がまたまた何か言葉を濁しつつ「近いうち事務長含めて3人で話し合いたいことがあるから」と言いだした。

 この時期は事務長からは無視されているような状態で事務長はTとばかり話していたような記憶がある。前の項でも述べたが毎日異常な精神状態で記憶も曖昧な部分があるのだがとにかく居心地の悪さを感じていた。

 事務長からの指示や書類が、私以外のスタッフに渡されていたり、私が休みの日に他のスタッフを集めて会議をしたり、露骨にY事務長は私の存在を消そうとしていたような感じがしていた。

 6/10の朝、夏のボーナスが支給された。正社員がほとんどいなくなったoacだが、大げさに朝会議室に呼びつけられてリハスタッフ全員分の明細書を渡された。

 細かい話だが、他の部署はどこも主任から順に明細書が入った封筒が重ねられていたがリハビリ室だけは何故かTの封筒が一番上になっていて、私の封筒が一番下になっていた。今考えるとこれも嫌がらせの一種だったんだろうな~

 その後、朝の院長と私の定例のミーティングが行われた。私のところにも院長のところにも新人PTのTの苦情が寄せられていた。院長が今日の会議で報告しろと私に言った。詳しい補足は院長がすると言った…この時にはまさかこの日の会議があんなことになるとは思いもしなかった。

 この日の会議と、院長の余計な提案が無かったらもしかしたら、まだ私はoacにいたか、本格的に病気になっていたかだろうな…

oac光と影17

 新らしく入ったPTのTは、キャリアが長く年齢も私よりだいぶ上である。専門学校で教員をしていた時期もあったし、比較的大きな病院でリハビリ室の室長をしていたこともある。

 但し異常な位に頭が固く、20年以上学んできたというakaという手技に極端な自信を持っているためか、それ以外のもの(マッサージやストレッチなど)は完全否定なのである。

 oacの院長もそれほど熱心では無いもののakaの治療を行っていたため、oacはakaの専門院だと思って入ってきたのである。

 どんな指示の患者に対しても最終的にakaの宣伝を行い無理やりaka治療を行ってしまう。すると患者からは「あの先生は外してくれ」と言われる。

 それも20人30人という単位でだ…結局古くからの患者は私が診ることになる。事務からは個別の単位数が増えてこないのはおまえが悪いと責められる。

 治療においては受け持ちの患者が極端に増加し、なのに平均数は落ちているからY事務長からは責められ、Tは勝手な行動を取りつつ事務側に私への苦情を言う。患者からはTの苦情を言われ続ける。

 院長に相談しても何の解決にもならず…5月の後半からは連日疲れの極致の状態だった。血圧が極端に上昇したり、異常な背中の痛みを覚えたり、ひどい、うつ状態になって点滴を受けたり。仕事が終わって家に帰ると、9時ころに寝てしまう、朝は4時位に目が覚めてひどい吐き気に襲われる…こんな状態が続いた。

 私は身近にうつ病を患っている者がいる…見比べても明らかに自分も同じ症状になってきていることに気づいてた…

 家に帰ると何かに脅えるように布団にくるまってしまう、意味もなく涙があふれ取りみだしてしまう、訳もなくイライラして周りの人に当たってしまう。この1年間の積み重ねが強い状態が出てきてしまったのだろうか?

 6月に入ると食欲も落ちてきた、胃がキリキリ痛む…Oが5月の下旬に辞める時に私に言った一言が思い出された「Tさん倒れないでね」。いつこの状態が終わるのか…

 事態は、最悪の方向に向かっていた。Y事務長とisi女史がいよいよ私の排斥に乗り出そうとしていた。

 加筆だが、この時Yとイシダの2人は私を退職させて次の主任を任せるためにTを入社させたのだと思う。最初の内は2人とも履歴書の経歴のみを鵜呑みにしてTを相当優秀な人物と思っていた。

 私は仕事振りや患者との接し方、職員との連携ぶりを見ててハッキリ言って使えない男だと思っていた。

 まあ実際、私が退職後にも多数トラブルやYやIと揉め事を起こして今は針のムシロ状態だそうである。人を見る目の無い男に採用された自信ばかりの大きい男。まあTも被害者だな。

oac光と影16 改訂版

 さて、Mの後任のPTが決まったという報告をみんなに話した直後、Oの方から 「今週末、もう一度交渉してダメだったら退職する」と報告された。やはりそうかと思った。今回は予想の範囲だった。

 Oは私の一年後に入社した、5歳年長の妻子持ちである。正直に言って仕事上の付き合いのみで、治療はしっかり行うが、それ以外の部分に無責任な部分があってあまり好きなタイプではなかった。

 だから、私が休みの時には、主任業務は別の若いスタッフ(十文字君)にお願いしていた。

 しかし、やはり10年間に渡って一緒に働いたスタッフが辞めるのは寂しい。実際、患者受けも非常によくてOに付いて指名で来る患者も多数いただけに戦力ダウン&患者数の低下はは否めない。

 現実的にMが退職後、平均で1日10名程の患者数が減少した、実際Bが退職後はさらに10名の患者数が減少した。

 4月と比べて6月には患者数が平均20名も減少したのである。Yや本部の読みの甘さ…患者からも「なぜ、みんな辞めていくのか?」と不満を言われるようになった。

 この時期こんなやり取りがあった。Y事務長とN院長が揃って「Mが辞める時に患者にクリニックの悪評を手紙に書いて渡したのではないか?なぜ止めなかった!」と言われたのだ・・・

 このアホどもめ!確かに親しい患者には、退職する旨を手紙に書いて渡していたのは知っている。しかし約5年以上に渡ってMを見てて、患者に悪評を吹き込むような娘では無いのは十分に解っていたし、第一悪評じゃなくて退職に貴様たちが追い込んだのは100%間違いない事実じゃないか!

 もう、こいつらは腐り切っている。ヤマシタは特にだ!

 さて話を戻して、M退職後から数日してPTのTが勤務を始めた。が!またいろいろな問題を起こしてくれるんだな~

oac光と影15 改訂版

 「光と影」の題名のシリーズなのに、いつまでも影にばかり特化した内容になっていたので、今回は少しだけ光の部分にも触れてみようかなと思う。何せ12年近く御世話になった職場だからね~大人になったな僕も。

 oacは整形外科、内科、リハビリテーション科の他に通所リハビリテーション、訪問看護、居宅介護支援事業、デイサービス等を行っている江別市大麻中町にあるクリニックである(もうクリニックの名前言っているようなものだね~)

 他に株式会社KKKの名儀で訪問ヘルパーステーション、江別駅の近くにグループホームなどを経営している。

 もちろん実際に経営しているのは旭川に本部を持つ医療法人KKKで、oacの院長はKKKの理事も兼ねてはいるけど権力は全て理事長に集中するようにできており、実質雇われ院長である。

 ちなみにこの医療法人kkk、旭川市内に肛門科の病院と幾つかの診療所、グループホーム等を経営しており、その他苫小牧、妹背牛町等にも事業所を経営している。

 まあoacが滅茶苦茶なのと同様に本部も典型的なブラック企業で、毎年、事務長や看護師、その他職員が変わるような病院である。

 さて話を戻してoacの話。前にN院長と給与の話をしたことがあったが、「私もボーナスも何も貰っていないんだから契約社員と一緒だ」と言っていた。

 病院の支出の役員報酬を見ると(oacには役員は院長しかいない)月に200万は貰っているようである。世の中の雇われ院長の相場は分からないが、月給200万は安くはないだろう…契約社員では絶対に無いよね。

 忘年会や観楓会も他の病院と同じように行われるが、私が以前勤めていた職場と違い、自己負担金がとられることも多かった。まあ観楓会はともかくとしても、忘年会で自己負担金を取られる職場なんてあるんだろうか?

 いわゆる職員の福利厚生にはほとんど予算を掛けることが無かった。病院主催の講演会活動や地域へのボランティアには強制的に職員を派遣していた。休日なども町内の祭りの手伝いなどに無償で参加させられたいた。

 もちろん強制である。保険の請求なんかも滅茶苦茶、かなり暴利を貪っているクリニックであった。

 ん?光の部分が無いや~失敬失敬

oac光と影14 改訂版

 それは、ある病気で現在通院中であるという話だった。まあ最初にこの記事を書いた時は病名を伏せたが、このスタッフとは後に嫌な思いもさせられたので書いても良いだろう。「鬱病」である。

 なんで誰も会ってすらいないのに、みんなそんな話を知っているのか?休憩室で会う人会う人に「大丈夫なの?」と聞かれた。噂の出所を聞いていくと受付のおしゃべりなユキエに辿り着いた。ユキエに聞くと履歴書が届いた時にちょうど事務室にY事務長に見せてもらったというのだ。

 すぐに事務長のところに行って 「新人の病気のうわさを聞きました履歴書の原本を見せてください」と言うと、渋々見せてよこした。事務長は本部には病気のことは伏せたいので改ざんした履歴書の方を送ったと言った。

 「なんで新人の病気の話が知られているんだ?」と聞かれたので、ユキエがみんなに広めていると言っておいた。「あいつ口が軽いな~」と言っていた

 個人情報を管理する事務長と受付が個人情報を管理できないどんな病院だ!別に病気なんてどうだっていい、誰でも何かしらの体調不良や病気の一つや二つは持っていて当然だ。

 しかし、あくまでも個人のプライバシーの問題であり本人が自分で話さない限りは適当に広めていいものではないはずだ。

 そんな情報が書かれた履歴書をまったく関係の無いユキエに気安く見せるYもYだし、個人情報を扱う受付業務を行っているのにペラペラ広めるユキエもユキエだ。30歳にもなって善悪の区別もつかないのか?

 まあユキエはとにかく気が強くて目上のものにも喰ってかかる性格で私も嫌な思いを散々させられた。そんなユキエもすでにoacからいなくなったが…

 またこの時期に助手としてパート職員も入職している。当然ながらいつ面接したのも、いつから来るのかも何の報告も無かった。

oac光と影13 改訂版

 4/11が最終勤務日ということででMの退職が決まった。それまでの1ヵ月弱の間、Oからは何の報告もなくY事務長からも何の報告もなかった。

 新職員の面接にも、去年までは同席していたのだが、何故かこの時期より私の方には何の話も来なくなり、まったく部署の違う関係も無いisi女史が同席して事務長と2人で行うようになっていた。私にもN院長にも一切の情報が来なくなっていた。

 病院の情報や今後の進路、リハビリ室の人事等全てが遮断され、2人で勝手に決められていた。事務長に聞いても「面接じゃなくて見学に来ただけだから」の1点張りだった。

 Mの退職の日がやってきた。以前、退職者は月曜の朝礼で事務長の方から発表して、全職員の前で挨拶をしていたのだが、Y事務長赴任以来、退職者の数が多いのと退職理由が円満じゃないためだろうが、朝礼での紹介も無くなったし送別会すらやらなくなっていた。

 Mの送別会はリハビリ室のスタッフだけで行うことにした。それだけじゃあ、あまりに可哀そうだと思い受付や看護師でMと親しくしていた女性スタッフには声を掛けた。しかし土曜日は都合が悪いという返事ばかりだった…うーん女の方がドライなのかな? 誰か教えてsad

 Mから朝、全員に手紙とお菓子が渡された。手紙の内容は伏せるが…3年前に起きた事件のことが書かれていてその件に対する感謝の言葉が書かれていた。

 送別会では嫌なことを忘れるようにみんなで飲んで騒いだ。私からはMに妻の描いた絵をプレゼントした。やるせない寂しい気持ちで一杯だった。

 翌週になって新しいPTが決まったと言われた。履歴書を見せてくれとYに言うと、張り合わせてコピーしたような履歴書を渡された。そこには特に変わったことは書いていなかったが休憩室ですぐに看護師や受付から新人に対する情報が耳に入ってきた。それは…

2010/04/12

oac光と影12 改訂版

cふたたび院長、事務長との3人での話し合いの日がやってきた、正直、もう私はこのメンバーで意味のない話を繰り返すことに嫌気がさしていた。仕事が終わった後に8時近くまでダラダラと何の結論も決定もできない(すべて本部KKKの承認がいるから)話し合いを行うことに疲れ果てていた。

 私はMが辞めること、今後補充をどうするのかということ、このままだフォローも何もしなければOも辞めてしまうことになるだろうということなどを院長に説明した。

 院長は「2人には本当に済まないことをしたと思う、本当は私の口から説明しなければいけないんだけど時間がなくて…」また、始まった。結局自分だけは良い子でいたい病だ。

 (俺と帰りにダラダラ話す時間は毎回あるのに何で鍼灸師の二人と話す時間は取れないんだ!) 怒りを押し殺して院長に言った 「病院の決めたことで鍼灸師の2人も看護師の3人も生活から何から全てに影響が出るんですから、院長の口から直接謝罪と説明をするべきです、時間をきちんと作ってみんなに説明してください」と言ってやった。すると院長も 「そうだな、私から時間を作って鍼灸師にも看護師にもきちんと説明して理解してもらうよ」と言ってくれた。

 事務長は変わらず「Mの抜けた分は以前からPT、OTの募集を出しているのですぐに見つかると思います。これで収益も増やせますしビジネスチャンスです」と院長に言っていた。もうこの男には人の痛みや悲しみを理解する感情も無いんだろうな~と思い諦めてしまった。

 「PT、OTは契約社員で雇用するんですか?」と聞くと「正社員でないと入ってくれないだろう~鍼灸師と違って単位数も増やせるし利益も上がるから本部もOKだと思う。」

 普段ならここでまた口論になるところだが私には言い返す気力が無かった。確実に私の心は蝕まれ始めていた。

 最後に院長が 「鍼灸師の2人も去年、何か鍼を使ってやりたい症例とか鍼治療のPRとか考えてくれと言っておいたのに何も言ってこなかった。それも2人を降下させることにした理由の一つだ」と言った。 

 だったらその時に一緒にいたPT、OTの2人だって何ひとつ提案も何もしていない。我々全員同罪じゃないか。そして院長も事務長も2人がどれだけ患者受けが良かったかを理解しようとせず収益しか見ていない。鍼灸師の2人が診た患者だって指示通り個別に換算しているのにだ!

 最後にスタッフへの説明を直接するように院長に念を押して終了した。 しかし、当然のように院長から降格された鍼灸師、看護師、受付への直接の説明は最後まで行われなかった。

 最低だよね~

トップの器~光と影番外編~ 改訂版

 光と影シリーズの番外編として11年以上に渡って付き合ってきたN院長について少しだけ書きたいと思います。光と影シリーズを読んでいると非常に優柔不断で他人任せで責任感の無い人だと思われると思いますが、まあ実際その通りではあるんです。

 ただそれは院長の器ではないというだけで医者として人間として失格というわけでは無いということです。あくまでも器が限りなく小さいということです(例えて言うならペットボトルの蓋位かな?)。

 平成10年の開院仕立ての頃は「いずれはこの建物ごと買い取ってKKKから独立する。」とか言っていたし土曜の業務終了後に職員を引き連れて全員に昼食を御馳走してくれたり(まあ10人もいなかったし結局病院の経費で落としてもらっていたけど。)などいくらか男気も見せていた。

 KKKの本部長なんかも「ここの経営者はあくまで院長だから」と表面上は立てていたしね。開院3年目位かな?赴任したばかりの2人目のyaji事務長が院長と同い年ということもあって意気投合したのか、急に張り切って年始に全職員とkkkの本部長、統括師長のいる前で「今後はyaji事務長を中心にみんなで協力して自主独立を目指す!」と宣言したんだよね。

 そのとき横にいたisi女史は鼻で笑って「できもしないこと言って…本部からの締め付け厳しくなるよ」と予言した。まさにその通りになった。

 結局yaji事務長は毎日のように本部から業績の報告や人事のことで呼び出しをくらい、1万円以上の決算権は与えないなどの嫌がらせを受けていた。また会議でのyaji事務長の発言などをいちいち本部に密告する人もいた(isi女史や事務長になり損ねたK氏)

 結局yaji事務長は1年半位で辞めてしまった。院長は一切かばわず自分の保身に走っていた。その後自主独立などという話は出なくなってしまった。

 院長の思いつきで動かされたことで歴代の事務長はみな退職や降格に追い込まれている。現在のY事務長は逆に院長の上の立場で指示を出して操縦しているような雰囲気を感じる。

 しかしY事務長は人間として人の上に立てるような器ではない。もうすでにoacは砂上の楼閣である。

 開院以来、oacに事務方として勤務していたK氏なんかは院長の優柔不断さの一番の被害者だったかも知れない。

 開院当初はoacの事務長は旭川のKKK本部のW事務長(現本部長)が兼任していた。K氏は事務課長という立場で実質事務長の役割をしてたと思う。

 K氏、正直仕事はあまり出来ない男だった、何を頼んでも忘れるし遅いし、直ぐに感情的になるし、会議の時だけは正論を述べて良い人であろうとするし。

 それでも力が無いなりに本部との折衝に当たって頑張っていたんだろう。N院長からの信頼は厚かった。

 その後、次から次にK氏の上司になる事務長が入ってきては辞めていた。S氏が事務長になった時にK氏に旭川の本部で勤務するようにという辞令が出た。K氏の夫人は札幌市内の病院で受付をしていたし、給与もK氏よりも良いので夫婦は別居し、K氏は旭川の実家から本院に通勤するようになり半年後に退職して札幌に戻ってきた。

 K氏は他の職場で働きだしたのだが約1年後に退職、ちょうどこの頃には他の章でも述べているkumi&matu事件の頃だったこともあり、他の就職が内定していたのにN院長がかなり強引に誘って復帰させたのである。

 今回は完全に事務長としての復帰であった。この時N院長は私に「今回はK君を私は全力で守るから」と宣言していた・・・もちろん後に空手形になる発言だったが。

 結局本部に苛められぬいたK氏は半年持たずに辞表を提出。しかし事務系で唯一信頼のできるスタッフのK氏に辞められては困る院長は必死に慰留してイチ受付として残ることになった。

 結局、去年の段階で事務長までやったK氏は契約社員にまで格下げされて、それでもY事務長とはまともに会話出来ない院長はK氏に仕事を押しつけ続け、それが重なってK氏もようやか近々退職が決まったそうである。

 粘りすぎっだってーの!

oac光と影11 改訂版

 まだまだ続くasacliの光と影シリーズ改訂版、今回は豆腐好きさんや十文字君の退職の経緯、更に過去のことなんかも書き足すよていであるから、ボリュームもさらにアップする予定だ。その頃にはまだまだoac被害者の会が増えているんだろうな~って言うかoacが潰れている可能性も十分にあるだろうけどhappy02

 さて、鍼灸師の契約社員変更が通告された翌週に、女性鍼灸師のMから退職の申し出があった。少し意外な気がした…男性鍼灸師のOの退職は予想していたのだがまさかMから先に退職の申し出があるとは…正直頭が真っ白になった。

 実際、最初のリストラ計画で真っ先に候補にされていたのはMだった、年齢も20代と若いし独身と言うこともあって真っ先にターゲットにされたのだと思う。但し当初の予定では、Mは完全にリストラされう予定だったのを必死に交渉してなんとか契約社員で残ってもらうと言うように内容が緩和されたことでMは残ってくれると思っていた。

 oacの同世代の他部門職員はほぼ全員契約社員と言うのも私の思い込みに拍車を掛けていた。

 だが、若くて独身ということは身軽でもある、決断も早いのかも知れない。「で、どこに行くの?」と聞くと「S区のH治療院です」と答えた。嫌な予感がした。実は1年前のパートさんのリストラの時に嫌気がして、それ以来ハローワークの募集を気にして見るようになっていた。

 H治療院は常に募集が出ていた(しかも常に3人)。いまのご時世に常に鍼灸師や柔整師の募集を出しているということは、よっぽど忙しいかよっぽど労働条件が悪いかのどっちかの可能性が高い。

 ちなみにoacも看護師や介護職員の募集を常に出している。みんな業務や人間関係、薄給、いつまでたっても契約社員から正社員への登用が無い(入社時には1年後に正社員にすると嘘をついて雇っている)などの問題があるから常に社員の出入りが激しいのだ。

 つまり1年を通して募集を出し続けているH治療院も同じなのでは?と思った。だからその話をMにしてみたが「昨日見学に行ったら雰囲気も良かったので大丈夫です!」と答えた。もう何も言えない。

 すぐに事務長に報告に行った。すると奴は「これでPT入れれたら個別の単位数も増やせるからある意味、ビジネスチャンスだ!」と喜々として言った。頭に血が昇った。「長年働いてくれた職員が、辞めると言っているのにビジネスチャンスなんて言い方ないでしょう」とまた口論になってしまった。結局週末にまた院長含めて話し合うことになった。意味のない話し合いを…

 そういえばMの新しい職場に対する私の予感は当たってしまった。結局彼女は一ヵ月持たずにH治療院も辞めることになったのだから…

 Mは容量も良いし人当たりも良くて頑張り屋だった、その彼女があっという間に退職する位なのだからよっぽどなのだろう。

 後に聞いた話では、いざ勤務をして見ると、当初は2交代制と聞いていたのが全部嘘で朝は8時から夜も8時まで受け付けをして、患者が居なくなるのが9時過ぎ。そこから掃除をして更に「勉強会」と称してマッサージの練習をさせられていたそうである。何せほとんどみんな毎月スタッフが入れ替わる位だから練習は必要なんだろう。

 で、業務が終わるのは12時近く。残業代も支給されず、給与も最初に言われていた額には程遠いものだったようだ。

 そりゃあ辞めて正解だ。酷過ぎるcrying

oac光と影10 改訂版

 偶然その日は女性鍼灸師のMが休みで男性鍼灸師のОのみが勤務していた。夕方、事務長から呼び出されて一人で事務室へ向かっていった。約30分後、青ざめた顔で戻ってきた…何も聞けなかった。

 翌日、事務長にどのように話したか聞いた
①予算的に厳しいから4月以降契約社員になってもらう。ボーナスと燃料手当以外は今まで通りに支給される予定。期間は1年契約。
②夏のボーナスは減額はされるが今回は出る
③納得できなくて退職する場合は退職金は会社都合扱い同様に満額出す
④契約社員に格下げ後に退職する場合は退職金は出せない。5月15日付で契約社員に格下げするから、それまでに結論は出せ。
…と説明したと言った1,2はともかく3,4の内容はどう考えても退職を強制しているとしか思えない。家族持ちの男性鍼灸師はこの条件では辞めるのではと思った。

 更に後に聞いた話では「鍼灸師はリハ点数の算定に関われないし、院長も今後鍼灸治療を継続する気も無い、今後残る場合は、あくまで助手として物療のみをやってもらう」こんな話まで勝手に決めて伝えていたそうである。

 翌日、女性鍼灸師にも告げられた。
2人とも平静を装って仕事は続けていた。しかし先に次の行動に出たのは若い女性鍼灸師だった。
 朝のミーティング終了後に彼女の方から私に報告に来た。

oac光と影9 改訂版

 Y事務長とisi女史(デイケア所長)の間でリハビリの人員整理の話は確実に話し合われていたようである。この話の直後にisi女史から「Yさん(PT)を正職にしてデイケアと外来のリハビリに配置したいからtappyさんからも本部に稟議書を書いてほしい」と頼まれた。

 私は現行スタッフが契約社員に格下げされるかも知れない状況でisi女史の気に入った人だけは今までと変わらずに正社員に登用されていくということに納得が出来なかったので、「今の状況ではそんなもの書けない」と断った。

 結局、Y女史自身も正職への登用は望んでなかったようでこの話は流れたようだが、これが今度は私を退職に追い込もうという切っ掛けになったんだと思う。

 実際、今まではリハビリの人事や業務に口を挟まなかったisi女史がデイケアでの業務を午後はほとんどせずに、事務室に入り浸ってY事務長とつるみ出して、急にあちこちの部署に口を挟み出していたのは事実だ。
 

 その後も何度か交渉したが結局Y事務長は鍼灸師の「契約社員格下げは、予算上避けられない」の一点張りだった。まあこの人は、他人の意見は一切聞かないし聞く耳も、聞く気も理解する頭も持っていないんだから仕方ない。

 院長に相談しても「本部で決まったことだから…」とか「僕は鍼灸の効果を信じていないし」とか言い出す始末である。10年以上も患者に鍼治療を処方してきたのは一体誰なんだ!「でも先生が指示出して鍼治療をしていたのにそれは無いんじゃないですか!」院長相手に思わず声を荒げてしまった。

 そうこうする内に鍼灸師の二人に院長と事務長の方から契約社員への身分変更の通告をする日が来た。
 最初は朝イチで呼び出して告げるという話だったが、私の方からその日の業務を考えて、業務終了後にしてくれとお願いした。当日院長は同席せずに事務長とMマネージャーの二人で帰りに告げると言われた。この期に及んで院長はまた逃げたのだった、本当にダメな男だ。

2010/04/09

oac光と影8 改訂版

 その後、何の音沙汰も無かったのでY事務長にリストラの件を確認した。「外来はやはり内科の診察日も減るしこのまま正職4人では厳しい、2人はパートになってもらうことになりそうだ。リハビリに関しては仕事も多いしこのままの体制で行くから」…正直、ホッとした…鍼灸師2人が辞めさせられずに済んだと思った。しかしこの言葉には裏があったのだった。

 3月になって各部門の主任以上が集められた、院長の口から4月以降は勤務体制が変わる人たちが出ると思うという説明がされた。不思議なことに他部門の主任からは質問も何もなかった。

 内密な話だったはずで全体会議などでも一切議題に出ていなかったはずなのに…Isi女史やY事務長が根回していたのだろうか?

 誰も何も言わないので私が質問した「退職を前提にした変更じゃないですよね?」事務長は「退職者は出さない」と言った。「但し勤務形態が変わる者はいる」とも付け加えた。私は単純に外来看護師のことだと思った

 帰りに「リハビリは変化なしですね?」と念を押した。すると事務長は「鍼灸師の二人には契約社員になってもらうことに決めた」といった。やられた!まんまとだまされた!

 「利益につながらない鍼灸師2人を正職では置いておけない」事務長はその一点張りである。「病院は資格がすべて、鍼灸師はいらない、いずれはPT・OTが中心のリハビリが必要」 以前、Isi女史が言っていた言葉を思い出した。

2010/04/05

oac光と影6 改訂版

 院長を含めての会議の日が来た。出席者はN院長、U看護主任、私、Y事務長、Mエリアマネージャーの5人。

 朝、院長に今日の会議の内容を聞く。すると相変わらず院長は「僕も詳しくは聞いていないんだ」と言っていた。
 昔からそうだった・・・「人事のことは本部に任せているから…」、「経理のことは本部に任せているから…」、「運営上の管理は本部に任せているから…」、「本部との交渉は事務長に任せているから…」すべて他人まかせだ。
 そのくせ朝礼なんかでは「私も開業医として…」とか言っている。どこが開業医?いい加減にしろと言ってやりたい気持である。

 事務長からは前回同様の話が出た。リハビリについては対象は鍼灸師の二人だけで私の身分は保障する。もちろん個別リハビリⅠの算定要員である理学療法士、作業療法士はリストラの対象外であると言われた。

 それが逆に火を付けた!私は「まだ現実に売り上げも落ちていないし内科の患者数とリハビリの患者数はリンクしているわけでもない。一方では患者数を増やせ、利益を上げろと言ってそれを実行してきたのにそれを継続しながら人員を減らせとはおかしいじゃないですか!」と強く抗議した。
 さらに続けて「業務もきつくなるし、職員の生活だって掛っている、まずは全体の給与を見直すなり策を練るのが本当でしょう。こんな最初から資格で差別して働きを見ずに勝手にリストラ案を出されるのは絶対に納得できない。angry」とも言った。

 U看護主任の方は、自分自信のの身分の保障に安心したようだ。看護部門への提示はU主任はそのまま身分保障。他の正職の看護師3人をいきなりパートに格下げすると言うものだった。U主任は既にその案で3人が辞めた後の事を心配していた。「今の3人のスタッフが辞めたら新人が慣れるまでしばらく大変です~catface」と言っていて既にその案で了承した状態。う~ん女の方がドライなのかな~?

 その場で相変わらず自分の意見も何も述べずに傍観している院長に、私が言ったのは「院長、昔経営者の集まりで職員をリストラするような企業は倒産しても当たり前の企業だと言われたと朝礼で言ってたじゃないですか?」と私が言うと院長は「私が決めたことじゃないし…最終的には私が責任もって決めなきゃいけないんだけど…でも本部の意向もあるし…」はあ・・・相変わらずだ…まあ院長の性格を知っている人なら解るでしょう。

 結局、2月いっぱいは新しい内科医の確保に努める。決まらない場合は3月中に結論を決めるということに決まった。
 2月に入って週に4日の内科医の確保ができたと院長から聞いた。今までの内科医も週5日勤務とは言え結構休んでいたので実際勤務は変わらないと思った。これでリストラの話もなくなると思った。

 が・・・内科医の問題は実はカモフラージュだったのだ!実は純粋に人件費の圧縮のためのリストラだったことが後に判明していくのである。

2010/04/04

oac光と影5 改訂版

 Y事務長とMエリアマネージャーから「詳しくは明後日の業務終了後に院長も含めて話し合うから、今日はこのくらいにしてくれ」と言われ私は追い返された。心の中に暗雲が立ち込める・・・・cloud

 1998年にoacに入社以来、常に心の晴れない日々が続いた。本部からの圧力、患者数の極端な増減、薄給と居心地の悪さに辞めるもの、訳のわからない権力争いに巻き込まれて辞めるもの。

 毎月のように変わる方針、10年以上にわたって常に赤字だと圧力をかける本部。決して黒字にならない経営体制(売り上げのほとんどを本部に家賃だ~本部運営費だ~建設協力金だ~修繕積立金だと吸い込まれるようになっている)
 そしてみんなこの病院の異常なムードに嫌気がさしたかのように1年~3年以内に辞めていってしまっていた。angry
 それでも生活のために我慢して働いていたのだが・・・Y氏が事務長に就任して以来完全におかしくなってしまった。
 前任までの事務長は仕事上の付き合いとのみとはいえ普通に接していたがY氏はとにかく高圧的な態度で呼び捨て、命令口調、恫喝、無理難題を押し付ける毎日の連続だった。
 またとにかく、こちらの意見には一切耳を傾けず、常に本部の御機嫌を伺って、クリニックではやりたい放題であった。

 昨年の夏にパートさんをリストラされたあたりから私の体調に異変が出始めていた・・・夜寝つけない、朝暗いうちに目が覚める、ちょっとしたことでイライラするなどであった。

 その頃、本気で退職を考えて、ある病院のリハビリ主任の募集を受けて採用されたのだが結局、その時は主任として仕事を投げ出すわけには行けないと思い、その誘いを断ってしまったのであった。

 昨年の暮れ、院長、事務長両方から年が明けたら話し合いたいことがあると言われていた。以前から鍼灸師の処遇などについて事務長からはとやかく言われていた。いや更に前、診療報酬で鍼灸師は保険点数の算定に関われなくなった頃から、本部長からはちょくちょく鍼灸師は必要なのかと言われていたのである。
 

 クリスマスから正月にかけて食欲が落ちた・・・これは時間がたって回復したが食欲以外は変わらず、年始から院長に軽い安定剤を出してもらっていた。
それで落ち着いていたのだが・・・また気分が落ちてくる。翌日ほかのスタッフの顔をみるのが辛かった。crying

oac光と影4 改訂版

 事務室に抗議に行った私とU主任、事務室には事務長のY氏とエリアマネージャーのM氏がいました。まずは、「共有ファイルに入っているファイルを即刻消去してくれ、他の職員が見たらどうするんだ!」と私が言うと、「ああ、うっかりしていた~ファイルの内容は明後日にでも話そうと思っていたんだ~」とYが呑気に言いました。

 さっそく私は詰め寄りました。「前年と比べて収益も上がっていると年末の会議で報告された。それなのに、なぜリストラの話が出てるんですか!?」と言った。するとYとMはこんなことを言いました。「5月いっぱいで内科医の退職が決まっている、収益が落ちるのは予想できているから落ちる前に人件費を減らすんだ」と。

 つまり、まだ実際は落ちてもいない売り上げを予想して早めに職員の口減らしをしようとしているのです。

 この二人に私は激しく詰め寄りました。リハビリで真っ先にリストラの対象に挙げられていた鍼灸師の二人がどれだけ集客に貢献しているかを訴えました。 しかし答えは「鍼灸師は収益につながらないし院長も承知している」と言うものでした。

 私は10年以上、一緒に働いている院長も我々を物としか見ていない現実を知りました。そして私が抗議しているあいだ中もU看護主任は何も言わずに泣いているだけでした。  つづく

oac光と影3 改訂版

 oacの闇の続きですが・・・その偶然見つけたファイルには外来看護師とリハビリスタッフ全員の年収が記載されていました。

 こと細かに月々の給与、ボーナス、誰と誰をリストラすればこれだけ利益が上がるなどが記載されていた。

 そして4月以降の予定が記載されていました・・・外来看護師は主任以外は全員パートに格下げ、リハビリには3つの案が記載されていました。

 1、鍼灸師の1名をリストラ 2、鍼灸師2名のリストラ 3、鍼灸師2名と私の3名のリストラというものでした。

残りのスタッフで患者数を維持した場合は大幅な利益の増加ができるという試算がされていました。

あまりの内容に驚いた私は業務終了後に看護主任とともにすぐに事務長に抗議に行ったのでした。

そこで出た話とは衝撃的なものでした。

oac光と影2 改訂版

 新事務長Yの就任以来はとにかくきつかった、毎週のように会議室に呼び出されて「売上上げろ!」の話ばかり、しかもそのほとんどが法に引っかかるようなやり方・・・

 N院長にもがっかりしたな~患者単価を上げるためにとか言って必要のない血液検査やMRI等を急に乱発しだした・・・事務長とエリアマネージャーの言いなりになってしまった。

 口では「職員を守るため」とか院長は言っていたけど結局今年の春に利益は上がっているのに謎の大量リストラだもんな~きっと旭川の理事長が株かなんかで損したのの穴埋めなんだろうなthunder

 さてY事務長とMエリアマネージャー、悪名高いK本医科学出身だけにとにかく悪どい。

 去年散々、がんばって売上を伸ばしたリハビリと外来看護師の人員削減を言いだしたのでした・・・それは昨年の1月、私が偶然、病院のネットワーク上の共有ファイルに入っていたあるファイルを見つけたことから始まったのでした。

oac光と影1 改訂版

 昨年1年は本当に激動の日々だったな~typhoon まずは私が退職に至った経過なんかを綴りたいと思います。

 私の勤めていたoacは元々旭川に本部(医療法人KKK)を持つクリニックで、とにかく本部の指示が無いと何一つ物事が決まらない職場だったのさ。もちろんN院長は名ばかりの雇われ院長(理事も兼ねてるくせに・・・情けね~)、歴代の事務長は名ばかり管理職の本部の御用聞きという状態でした。

 私はリハビリ室の主任という立場で会議やなんかで本部から週一で来る本部長に売上についての嫌味や文句を言われ続けていました。

それでも去年の春まではうんざりしながらも何とか我慢できていたけど・・・去年の春に7人目の名ばかり事務長のY(仮名)氏が事務長に就任してから真の地獄の始まりであった。

2009/12/18

oac光と影22~最終章~

(この物語はフィクションである。類似する事柄や事実があっても全て偶然の一致である…不毛地帯風pig)

週が明けて院長に正式に、辞表を提出した。この日も慰留されたが「気持ちは変わりません」とハッキリと言った。先行きはまったく見えないが自分で決めたことだ。ついでにこのままYを放置すると信頼しているスタッフを全て失うことになると院長に言っておいた。

翌日、Y事務長に呼び出されて嫌味をさんざん言われて、「引き継ぎ業務をしないうちは辞めさせない」と言われた。

そんなことは解っている、すぐに引き継ぎ業務を開始した。翌日以降はYやisi女史からは完全に無視された…もうどうでも良かったけどねgawk

有給が40日程余っていたので、消化することにした。その間に驚いたことが二つ、KKKの本部長に退職のあいさつをしようと電話したら、留守でそのあとなぜかMマネージャーから「本部長に何かチクルんじゃないか?」と探りの電話があったり…何だか本当に腐った職場だthunder

院長が11年間のお礼がしたいと食事に連れて行ってくれたが、連れて行かれた店が汚い居酒屋(胃が痛くて酒飲めなかったのに)だったり。毎日毎日、休みまでの日々は嫌な気分で胃痛と食欲不振が続いた。

ちなみにその席で「これからは、僕がしっかりYやisiを暴走させないように管理するから!」と言っていたが…タレこみ情報では更にYとisi女史に牛耳られてリハビリ室は大変なことになっているようだ。役立たずangry

患者からは泣かれcrying 「なぜ、辞めるのか?ここの病院おかしいんじゃないのか!」と怒りだす人もいた。まあ、おかしい病院なのは間違いないよね。

何とか2週間の日々を乗り越えて、休みに入ることができた。休みの初日にリフレッシュのために温泉に行って体重を測ったら15kg減っていた

このまま減り続けたら良かったけど、結局、胃も直り元に戻ったけどcatface

取りあえず、光と影シリーズは今日でおしまいにします。しかしoacでのいろいろな事件やKKKのあくどいやり方。患者からむしり取れるだけ取ろうとする極悪ぶりは今後も不定期にいろいろ書いていこうかと思います。

もちろんoacで出会った面白い人、あくどい人、可愛い人などの話も書いていきたいと思います。元oac関係者や現職の方も質問や感想あったら、匿名でコメントなり、メールなりくださいcatface

2009/12/17

oac光と影21

(この物語はフィクションである。類似する事柄や事実があっても全て偶然の一致である…不毛地帯風pig)

会議の翌日は、幸い週休だった。朝からまったく何も食べれない、昼も食べれず、女房が病院に行こうと言いだした。

夕方、病院に行った、検査が必要だから明日もう一度来てくれと言われた。結局翌日も有給を使って休み検査を受けた。

ストレス性の胃炎だった、胃カメラに出血部がはっきり映っていた。薬を貰い、午後からようやく軽く食事を取れるようになった。

翌日は土曜日だった、「今日、院長に辞めると言う」女房に告げて家を出た。1週間ほとんど食事を取っていないためかフラフラになりながら仕事を終えて院長室に行った。

院長に辞意を伝えた。院長は必死に引きとめてきた「T君のやり易いように私がするから」 「胃が痛いといっても胃潰瘍にはなっていないし、精神的に辛いと言ってもまだ精神科に通うほどでもないんだから残ってくれ」などなど。oacで唯一の院長の話し相手であった私がいなくなるわけにはいかなかったのだろう。「とにかく、結論は出さないで、もっとゆっくり考えてくれ」

2時間、説得されて帰路についたが1㎜たりとも気持は変わらなかった。

oac光と影20

(この物語はフィクションである。類似する事柄や事実があっても全て偶然の一致である…不毛地帯風pig)

会議が始まった…胃の痛みは限界に近付いていた。全体会議は何事もなく終了した。その後にクリニック会議が始まった。…これ以降のことは記憶があいまいな部分が多くなる。半年間、思い出さないように封印してきただろうからだろうか…

院長が盛んに私の顔を見る、仕方なく私はCのことを報告した。事務長からの一斉攻撃が始まった。フォローすると言っていた院長は…事務長の剣幕に押されたのかうつむいて何も言わない。

そのまま治療体制の変更に話が続いた。院長と私が「マッサージは患者も望んでいる」と訴えたが…事務長とisi女史が押し切る感じで院長は 「みなさんが決めたなら私もそれで良い」と言った。isi女史からは「Tさんは患者に触ったらダメだよ。これからはPTOT中心のリハビリにして助手に専念して」と言われた。

その後は私の存在を無視するかのような形で会議は進行した。一つだけハッキリしたのはもう私の居場所は無いということだった。

どう帰ったのか思い出せない…家に着くと涙があふれた。すぐに女房に仕事を辞めると告げた。普段は反対する女房もこの日は一切反対しなかった。

胃が痛くて夕食が食べれなかった。

oac光と影19

(この物語はフィクションである。類似する事柄や事実があっても全て偶然の一致である…不毛地帯風pig)

胃がものすごく病んでいた、Cの病気は精神的な疾患である。できれば、追い込むようなことはしたくなかった。俺は胃の痛みと心の不安定さに耐えきれなくなり、気がふれていたのかも知れない、いままで一度も相談をしたことの無かったisi女史に相談をしてしまった…11年間の付き合いだし内密にという形で、Cの相談をした。

isi女史はリハビリ全体で、話し合ってうまくやれというようなことを言った。そしてなぜか「今後、リハビリの体制を変えなきゃいけない、この次の会議位で話し合う」と言いだした。私にとっては寝耳に水の話だった。

すっかり混乱した私は、午後から事務長のところに話を聞きに行くことにした。するとそこにはisi女史がいて内密なはずの私の相談を、Y事務長に話していた…やられた~

完全に裏切られていた。ものすごい剣幕で事務長が私に詰め寄る。Cが患者に受けないのも、個別の件数が増えないのも、全て私の責任だと責め立てられた。

マッサージを患者に行っているのは院長の指示だ…しかしCは納得できないと事務長に抗議したそうである。「マッサージでリハビリの点数を請求するのは違反だ」と訴えたそうである。

だから、「どんなに院長やおまえがCのことを言っても、あいつを辞めさせてどこかに違反を告発されたら困るから辞めさせるわけにはいけない」

「会議に出せるなら出してみろ、白黒はっきり付けてやる」、「リハビリ体制の変更はどうなっている?俺はずっと院長に言っているんだ!」…etc

全て初めて聞くはなしであった。フラフラになりながら院長に聞きに行った。院長は「マッサージは患者も求めているから継続したい」 「Cは試用期間中に私が判断して辞めてもらう」

「今日会議で、今までのリハビリ体制の維持を認めさせる」と言った。

業務終了後、会議の時間になった、そして私はまざまざと現実を知ることになる。院長の存在理由の無さを…

oac光と影18

(この物語はフィクションである。類似する事柄や事実があっても全て偶然の一致である…不毛地帯風pig)

もちろんリストラはリハビリだけでは無かった…外来看護師は3人がパートに格下げされた、すぐに2人が退職した。

そのうち1人とは結構仲良くして2年まえに退職した看護師と3人で飲んだりasacliのことで愚痴をこぼしあったりしていただけに寂しかった…

受付も同時期に1人退職した、在宅部門も含めると一体何人辞めたのか?

少しづつ何かが狂ってきていた、院長が何か言葉を濁しつつ「近いうち事務長含めて3人で話し合いたいことがあるから」と言いだした。事務長からは無視されているような状態である。この時期は、前の項でも述べたが毎日異常な精神状態で記憶も曖昧な部分があるのだがとにかく居心地の悪さを感じていた。

事務長からの指示や書類が、私以外のスタッフに渡されていたり、私が休みの日に他のスタッフを集めて会議をしたり、露骨にY事務長は私の存在を消そうとしていたような感じがしていた。

6/10の朝、夏のボーナスが支給された。正社員がほとんどいなくなったasacliだが、大げさに朝会議室に呼びつけられてリハスタッフ全員分の明細書を渡された。

その後、朝の院長と私の定例のミーティングが行われた。私のところにも院長のところにも新人PTのCの苦情が寄せられていた。院長が今日の会議で報告しろと私に言った。詳しい補足は院長がすると言った…この時にはまさかこの日の会議があんなことになるとは思いもしなかった。この日の会議と、院長の余計な提案が無かったらもしかしたら、まだ私はasacliにいたか、本格的に病気になっていたかだろうな…

2009/12/16

oac光と影17

(この物語はフィクションである。類似する事柄や事実があっても全て偶然の一致である…不毛地帯風pig)

新人PTのCは、キャリアが長く年齢も私よりだいぶ上である。20年以上学んできたというakaという手技に極端な自信を持っているためか、それ以外のもの(マッサージやストレッチなど)は完全否定なのである。

oacの院長もそれほど熱心では無いもののakaの治療を行っていたため、oacはakaの専門院だと思って入ってきたのである。

どんな指示の患者に対しても最終的にakaの宣伝を行い無理やりaka治療を行ってしまう。すると患者からは「あの先生は外してくれ」と言われる。

それも20人30人という単位でだ…結局古くからの患者は私が診ることになる。事務からは個別の単位数が増えてこないのはおまえが悪いと責められる。

治療においては受け持ちの患者が極端に増加し、なのに平均数は落ちているからY事務長からは責められ、Cは勝手な行動を取りつつ事務側に私への苦情を言う。患者からはCの苦情を言われ続ける。

院長に相談しても何の解決にもならず…5月の後半からは連日疲れの極致の状態だった。血圧が極端に上昇したり、異常な背中の痛みを覚えたり、ひどい、うつ状態になって点滴を受けたり。仕事が終わって家に帰ると、9時ころに寝てしまう、朝は4時位に目が覚めてひどい吐き気に襲われる…こんな状態が続いた。

私は身近にうつ病を患っている者がいる…見比べても明らかに自分も同じ症状になってきていることに気づいてた…

家に帰ると何かに脅えるように布団にくるまってしまう、意味もなく涙があふれ取りみだしてしまう、訳もなくイライラして周りの人に当たってしまう。この1年間の積み重ねが強い状態が出てきてしまったのだろうか?

6月に入ると食欲も落ちてきた、胃がキリキリ痛む…Bが5月の下旬に辞める時に私に言った一言が思い出された「Tさん倒れないでね」。いつこの状態が終わるのか…

自体は、最悪の方向に向かっていた。Y事務長とisi女史がいよいよ私の排斥に乗り出そうとしていた。

2009/12/15

oac光と影16

(この物語はフィクションである。類似する事柄や事実があっても全て偶然の一致である…不毛地帯風pig)

さて、Aの後任のPTが決まったという報告をした直後、Bの方から 「今週末、もう一度交渉してダメだったら退職する」と報告された。やはりそうかと思った。今回は予想の範囲だった。

Bは私の一年後に入社した、5歳年長の妻子持ちである。正直、仕事上の付き合いのみで、治療はしっかり行うが、それ以外の部分の無責任さがあってあまり好きなタイプではなかった。

だから、私が休みの時には、主任業務は別の若いスタッフにお願いしていた。

しかし、やはり10年一緒に働いたスタッフが辞めるのは寂しい。実際患者受けも非常によくて戦力ダウンは否めない。現実的にAが退職後、平均で1日10名程の患者数が減少した、実際Bが退職後はさらに10名の患者数が減少した。

4月と比べて6月には患者数が平均20名も減少したのである。Yや本部の読みの甘さ…患者からも「なぜ、みんな辞めていくのか?」と不満を言われるようになった。

そして、新人PTのCがまたいろいろな問題を起こすのだ。

oac光と影15

(この物語はフィクションである。類似する事柄や事実があっても全て偶然の一致である…不毛地帯風pig)

今回は少しだけ光の部分にも触れてみようかな、oacは整形、内科、リハビリ科の他に通所リハビリ、訪問看護、居宅介護支援事業、デイサービス、等を行っている、他に別会社名儀で訪問ヘルパー、グループホームなどを経営している。

もちろん実際に経営しているのはKKKでoacの院長はKKKの理事も兼ねてはいるけど権力は全て理事長に集中するようにできており、実質雇われ院長である。

前に院長と給与の話をしたことがあったが、「私もボーナスも何も貰っていないんだから契約社員と一緒だ」と言っていたが、病院の支出の役員報酬を見ると(oacには役員は院長しかいない)月に200万は貰っているようである。世の中の雇われ院長の相場は分からないが、月給200万は安くはないだろう…

忘年会や観楓会も他の病院と同じように行われるが、私が以前勤めていた職場と違い、自己負担金がとられることも多かった。

いわゆる職員の福利厚生にはほとんど予算を掛けることが無かった。講演会活動や地域へのボランティアには強制的に職員を派遣していた。休日なども町内の祭りの手伝いなどに無償で参加させられたいた。

!?光の部分がないや~

2009/12/14

oac光と影14

(この物語はフィクションである。類似する事柄や事実があっても全て偶然の一致である…不毛地帯風pig)

それは、ある病気で現在通院中であるという話だった。なんで誰も会ってすらいないのに、みんなそんな話を知っているのか?休憩室で会う人会う人に 「大丈夫なの?」と聞かれた。噂の出所を聞いていくと受付のおしゃべりなMYにたどりついた。MYに聞くと履歴書が届いた時にちょうど事務室にいて見せてもらったというのだ。

すぐに事務長のところに行って 「新人の病気のうわさを聞きました履歴書の原本を見せてください」といって見せてもらった。事務長は本部には病気のことは伏せたいので改ざんした履歴書の方を送ったと言った。「なんで新人の病気の話が知られているんだ?」と聞かれたので、Mが大元でみんなに広めていると言っておいた。「あいつ口が軽いな~」と言っていた

個人情報を管理する事務長と受付が個人情報を管理できないどんな病院だ!別に病気なんてどうだっていい、誰でも何かしらの体調不良や病気の一つや二つは持っていて当然だ。しかし、あくまでも個人のプライバシーの問題であり本人が自分で話さない限りは適当に広めていいものではないはずだ。

そんな情報が書かれた履歴書をまったく関係の無いMに気安く見せるYもYだし、個人情報を扱う受付業務を行っているのにペラペラ広めるMYもMYだ。30歳にもなって善悪の区別もつかないのか?まあMYはとにかく気が強くて目上のものにも喰ってかかる性格で私も嫌な思いをさせられた。そんなMYもすでにoacからいなくなったが…

2009/12/13

oac光と影13

(この物語はフィクションである。類似する事柄や事実があっても全て偶然の一致である…不毛地帯風pig)

4/11でAの退職が決まった。それまでの1ヵ月弱の間、Bからは何もなく事務長からも何もなかった。新職員の面接にも去年までは同席していたものがなぜか何の話も来なくなり、なぜか部署の違うisi女史が同席して事務長と2人で行うようになっていた。私にも院長にも一切の情報が来なくなっていた。

事務長に聞いても「面接じゃなくて見学に来ただけだから」の1点張りだった。

Aの退職の日がやってきた、以前は退職者は月曜の朝礼で報告し挨拶をしていたのだが、Y事務長赴任以来、退職者の数が多いのと理由が病院への不満のためか朝礼での紹介も無くなったし送別会すら無くなった。

Aの送別会はリハビリのスタッフだけで行うことにした。それだけじゃあまりに可哀そうだと思い受付や看護師でAと親しくしていた女性スタッフには声を掛けた、しかし土曜日は都合が悪いという返事ばかりだった…うーん女の方がドライなのかな? 誰か教えてsad

Aから朝全員に手紙とお菓子が渡された。手紙の内容は伏せるが…3年前に起きた事件のことが書かれていてその件に対する感謝の言葉が書かれていた。

送別会では嫌なことを忘れるようにみんなで飲んで騒いだ。私からはAに妻の描いた絵をプレゼントした。

翌週になって新しいPTが決まったと言われた。履歴書を見せてくれと言うと張り合わせてコピーしたような履歴書を渡された。そこには特に変わったことは書いていなかったが休憩室ですぐに看護師や受付から新人に対する情報が耳に入ってきた。それは…

oac光と影12

(この物語はフィクションである。類似する事柄や事実があっても全て偶然の一致である…不毛地帯風pig)

ふたたび院長、事務長との3人での話し合いの日がやってきた、正直、もう私はこのメンバーで意味のない話を繰り返すことに嫌気がさしていた。仕事が終わった後に8時近くまでダラダラと何の結論も決定もできない(すべて本部KKKの承認がいるから)話し合いを行うことに疲れ果てていた。

私はAが辞めること、今後補充をどうするのかということ、このままだったらフォローも何もしなければBも辞めてしまうことなどを院長に説明した。

院長は「2人には本当に済まないことをしたと思う、本当は私の口から説明しなければいけないんだけど時間がなくて…」…始まった。結局自分だけは良い子でいたい病だ。

(俺と帰りにダラダラ話す時間は毎回あるのに何で鍼灸師の二人と話す時間は取れないんだ!) 怒りを押し殺して院長に言った 「病院の決めたことで鍼灸師の2人も看護師の3人も生活から何から全てに影響が出るんですから、先生の方から時間をきちんと作ってみんなに説明してください」すると院長も 「そうだな、私から時間を作って鍼灸師にも看護師にもきちんと説明して理解してもらうよ」と言ってくれた。

事務長は変わらず「Aの抜けた分は以前からPT、OTの募集を出しているのですぐに見つかると思います。これで収益も増やせますしビジネスチャンスです」と院長に行っていた。もうこの男には人の痛みや悲しみを理解する感情も無いんだろうな~と思い諦めてしまった。

「PT、OTは契約社員で雇用するんですか?」と聞くと「正社員でないと入ってくれないだろう~鍼灸師と違って単位数も増やせるし利益も上がるから本部もOKだと思う。」

普段ならここでまた口論になるところだが私には言い返す気力が無かった。確実に私の心は蝕まれ始めていた。

最後に院長が 「鍼灸師の2人も去年、何か鍼を使ってやりたい症例とか鍼治療のPRとか考えてくれと言っておいたのに何も言ってこなかった。それも2人を降下させることにした理由の一つだ」と言った。だったらPT、OTの2人だって何ひとつ提案も何もしていない。我々全員同罪じゃないか。そして院長も事務長も2人がどれだけ患者受けが良かったかを理解しようとせず収益しか見ていない。鍼灸師の2人が診た患者だって指示通り個別に換算しているのにだ!

最後にスタッフへの説明を直接するように院長に念を押して終了した。 しかし、当然のように院長から降格された鍼灸師、看護師、受付への直接の説明は最後まで行われなかった。 

2009/12/11

oac光と影11

(この物語はフィクションである。類似する事柄や事実があっても全て偶然の一致である…不毛地帯風pig)

まだまだ続くasacliの光と影シリーズ、過去のことなんかも書きだしたら凄い数になるんだろうな~その頃にはまだまだoac被害者の会が増えているんだろうな~

さて、鍼灸師の契約社員変更が通告された翌週に女性鍼灸師のAから退職の申し出があった。少し意外な気がした…男性鍼灸師のBの退職は予想していたのだがまさかAから先に退職の申し出があるとは…正直頭が真っ白になった。

実際、最初のリストラ計画で真っ先に候補にされていたのはAだった、年齢も20代と若いし独身と言うことで真っ先ににターゲットにされたのだと思う。リストラから契約社員と内容が緩和されたことでAは残ってくれると思っていた。oacの同世代の他部門職員はほぼ全員契約社員と言うのも私の思い込みに拍車を掛けていた。

だが、若くて独身ということは身軽でもある、決断も早いのかも知れない。「で、どこに行くの?」と聞くと「S区のH治療院です」と答えた。嫌な予感がした。実は1年前のパートさんのリストラの時に嫌気がして、それ以来ハローワークの募集を気にして見るようになっていた。

H治療院は常に募集が出ていた。いまの時世に常に鍼灸師や柔整師の募集を出しているということは、よっぽど忙しい、か条件が悪いのかだ。ちなみにoacも看護師や介護職員の募集を常に出している。みんな業務や人間関係、薄給、いつまでたっても契約社員から正社員への登用が無い(入社時には1年後に正社員にすると嘘をついて雇っている)などの問題があるから常に社員の出入りが激しいのだ。

つまり1年を通して募集を出し続けているH治療院も同じなのでは?と思った。だからその話をAにしてみたが「昨日見学に行ったら雰囲気も良かったので大丈夫です!」と答えた。もう何も言えない。

すぐに事務長に報告に行った。すると奴は「これでPT入れれたら個別の単位数も増やせるからある意味、ビジネスチャンスだ」と喜々として言った。頭に血が昇った。「長年働いてくれた職員が、辞めると言っているのにビジネスチャンスなんて言い方ないでしょう」とまた口論になってしまった。結局週末にまた院長含めて話し合うことになった。意味のない話し合いを…

そういえばAの新しい職場に対する私の予感は当たってしまった。結局彼女は一ヵ月持たずにH治療院も辞めることになったのだから…

oac光と影10

(この物語はフィクションである。類似する事柄や事実があっても全て偶然の一致である…不毛地帯風pig)

偶然その日は鍼灸師の一人が休みで男性鍼灸師のみが勤務していた。夕方、事務長から呼び出されて一人で事務室へ向かっていった。約30分後、青ざめた顔で戻ってきた…何も聞けなかった。
翌日、事務長にどのように話したか聞いた
①予算的に厳しいから4月以降契約社員になってもらう。ボーナスと燃料手当以外は今まで通り
②夏のボーナスは減額はされるが今回は出る
③納得できなくて退職する場合は退職金は満額出す
④契約社員に格下げ後に退職する場合は退職金は出せない
…と説明したと言った1,2はともかく3,4の内容はどう考えても退職を奨励しているとしか思えない。家族持ちの男性鍼灸師はこの条件では辞めるのではと思った。
翌日、女性鍼灸師にも告げられた。
2人とも平静を装って仕事は続けていた。しかし先に次の行動に出たのは若い女性鍼灸師だった。
朝のミーティング終了後に彼女の方から私に報告に来た。

oac光と影9

(この物語はフィクションである。類似する事柄や事実があっても全て偶然の一致である…不毛地帯風pig)

Y事務長とisi女史の間でリハビリの人員整理の話は確実に話し合われていたようである。この話の直後にisi女史から「Y女史(PT)を正職にしてリハビリに配置したいからtapさんからも本部に稟議書を書いてほしい」と頼まれた。私は現行スタッフが契約社員に格下げされるかもという状況でそんなもの書けないと断った。結局、Y女史自身も正職への登用は望んでなかったようでこの話は流れた。

しかし今まではリハビリの人事や業務に口を挟まなかったisi女史がY事務長とつるみ出してから急に口を出しだしていたのは事実だ。
その後も何度か交渉したが結局Y事務長は鍼灸師の「契約社員格下げは、予算上避けられない」の一点張りだった。
院長に相談しても「本部で決まったことだから…」とか「僕は鍼灸の効果を信じていないし」とか言い出す始末である。10年以上も患者に鍼治療を処方してきたのは一体誰なんだ!「でも先生が指示出して鍼治療をしていたのにそれは無いんじゃないですか!」院長相手に思わず声を荒げてしまった。
そうこうする内に鍼灸師の二人に院長と事務長の方から契約社員への身分変更の通告をする日が来た。
最初は朝一で呼び出して告げるという話だったが、私の方からその日の業務を考えて、業務終了後にしてくれとお願いした。当日院長は同席せずに事務長とMマネージャーの二人で帰りに告げると言われた。この期に及んで院長はまた逃げたのだった。

2009/12/10

oac光と影8

(この物語はフィクションである。類似する事柄や事実があっても全て偶然の一致である…不毛地帯風pig)

その後、何の音沙汰も無かったのでY事務長にリストラの件を確認した。「外来はやはり内科の診察日も減るしこのまま正職4人では厳しい、2人はパートになってもらうことになりそうだ。リハビリに関しては仕事も多いしこのままの体制で行くから」…正直、ホッとした…鍼灸師2人が辞めさせられずに済んだと思った。しかしこの言葉には裏があったのだった。

3月になって各部門の主任以上が集められた、院長の口から4月以降は勤務体制が変わる人たちが出ると思うという説明がされた。不思議なことに他部門の主任からは質問も何もなかった。

内密な話だったはずで全体会議などでも一切議題に出ていなかったはずなのに…Isi女史やY事務長が根回していたのだろうか?誰も何も言わないので私が質問した「退職を前提にした変更じゃないですよね?」事務長は「退職者は出さない」と言った。「但し勤務形態が変わる者はいる」とも付け加えた。私は単純に外来看護師のことだと思った

帰りに「リハビリは変化なしですね?」と念を押した。すると事務長は「鍼灸師の二人には契約社員になってもらうことに決めた」といった。やられた!まんまとだまされた!

「利益につながらない鍼灸師2人を正職では置いておけない」事務長はその一点張りである。「病院は資格がすべて、鍼灸師はいらない、いずれはPT・OTが中心のリハビリが必要」 以前、Isi女史が言っていた言葉を思い出した。

oac光と影7

(この物語はフィクションである。類似する事柄や事実があっても全て偶然の一致である…不毛地帯風pig)

新しい人生に踏み出すためにもこの際、腹に貯まっているものは全部吐き出してしまおう。asacli関係者でタレコミ情報や質問などあったらどんどんコメントしてください。

院長、Y事務長、W本部長など以上に危険な人物がいる。それがoacの女帝、Isi女史である。この11年間Isi女史のお気に召さなかったばかりに退職に追い込まれたスタッフが何人いたか…歴代事務長、看護師長、看護師、リハスタッフなど自分の所属以外のスタッフで気に入らない者がいると本部やその他の管理職に手を廻して次々に退職に追い込んでいくのである。

その後に今回のリストラ騒動から私の退職に至るまでの流れにIsi女史が深く深く関わっていたことが判明してくるのである。

どの部署から誰をリストラをするかというのはY氏とIsi女史の間で話を進めていたようなのだ、そして、我々には「私は何も知らない」と嘘をついていたのである。

oac光と影6

(この物語はフィクションである。類似する事柄や事実があっても全て偶然の一致である…不毛地帯風pig)

院長を含めての会議の日が来た。相変わらず院長は「僕も詳しくは聞いていないんだ」と言っていた。
昔からそうだった・・・「人事のことは本部に任せているから…」、「経理のことは本部に任せているから…」、「運営上の管理は本部に任せているから…」、「本部との交渉は事務長に任せているから…」すべて他人まかせだ。
そのくせ朝礼なんかでは「私も開業医として…」とか言っている。どこが開業医?いい加減にしろと言ってやりたい気持である。

事務長からは前回同様の話がでた。対象は鍼灸師の二人だけで私の身分は保障すると言われた。それが逆に火を付けた!私は「まだ現実に売り上げも落ちていないし内科の患者数とリハビリの患者数はリンクしているわけでもない。一方では患者数を増やせ、利益を上げろと言ってそれを実行してきたのにそれを継続しながら人員を減らせとはおかしいじゃないですか!」と強く抗議した。
「業務もきつくなるし、職員の生活だって掛っている、納得できない。angry」とも言った。看護主任のほうは自分の身分の保障に納得したのか「今のスタッフが辞めたら新人が慣れるまでしばらく大変です~catface」とdown状態。う~ん女の方がドライなのかな~?

とどめに院長に言ったのは「院長、昔経営者の集まりで職員をリストラするような企業は倒産しても当たり前の企業だと言われたと朝礼で言ってたじゃないですか?」と私が言うと院長は「私が決めたことじゃないし…最終的には私が責任もって決めなきゃいけないんだけど…でも本部の意向もあるし…」相変わらずだ…まあ院長の性格を知っている人なら解るでしょう。
結局、2月いっぱいは新しい内科医の確保に努める。決まらない場合は3月中に結論を決めるということに決まった。
2月に入って週に4日の内科医の確保ができたと院長から聞いた。今までの内科医も週5日とは言えしょっちゅう休んでいたので実際勤務は変わらないと思った。これでリストラの話もなくなると思った。
が・・・内科医の問題は実はカモフラージュだったのだ!実は純粋に人件費の圧縮のためのリストラだったことがのちに判明していくのである。

2009/12/09

oac光と影5

(この物語はフィクションである。類似する事柄や事実があっても全て偶然の一致である…不毛地帯風pig)

「詳しくは明後日の業務終了後に院長も含めて話し合うから、今日はこのくらいにしてくれ」と言われ私は追い返された。心の中に暗雲が立ち込める・・・・cloud

1998年にoacに入社以来心の晴れない日々が続いた。本部からの圧力、患者数の極端な増減、薄給と居心地の悪さに辞めるもの、訳のわからない権力争いに巻き込まれて辞めるもの。
毎月のように変わる方針、10年以上にわたって常に赤字だと圧力をかける本部。決して黒字にならない経営体制(売り上げのほとんどを本部に家賃だ~本部運営費だ~建設協力金だ~修繕積立金だと吸い込まれるようになっている)
そしてみんなこの病院の異常なムードに嫌気がさしたかのように1年~3年以内に辞めていってしまっていた。angry
それでも生活のために我慢して働いていたのだが・・・Y氏が事務長に就任して以来完全におかしくなってしまった。
前任までの事務長は仕事上の付き合いとはいえ普通に接していたがY氏はとにかく高圧的な態度で呼び捨て、命令口調、恫喝、無理難題を押し付けるの連続だった。
昨年の夏にパートさんをリストラされたあたりから私の体調に異変が出始めていた・・・夜寝つけない、朝暗いうちに目が覚める、ちょっとしたことでイライラするなどであった。
昨年の暮れ、院長、事務長両方から年が明けたら話し合いたいことがあると言われていた。
クリスマスから正月にかけて食欲が落ちた・・・これは時間がたって回復したが食欲以外は変わらず、年始から院長に軽い安定剤を出してもらっていた。
それで落ち着いていたのだが・・・また気分が落ちてくる。翌日ほかのスタッフの顔をみるのが辛かった。crying

2009/12/08

oac光と影4

(この物語はフィクションである。類似する事柄や事実があっても全て偶然の一致である…不毛地帯風pig)

事務室に抗議に行った私たち、事務室には事務長のY氏とエリアマネージャーのM氏がいました。まずは、「共有ファイルに入っているファイルを即刻消去してくれ、他の職員が見たらどうするんだ!」と私が言うと「ああ、うっかりしていた~ファイルの内容は明後日にでも話そうと思っていたんだ~」とYがのんきに言います。

さっそく私は詰め寄りました。「前年と比べて収益も上がっていると年末の会議で報告されたばかりなのになぜリストラの話が出るんですか!?」するとYとMはこんなことを言いました「5月いっぱいで内科医の退職が決まっている、収益が落ちるのは予想できているから落ちる前に人件費を減らすんだ」

この二人に私は激しく詰め寄りました。鍼灸師の二人がどれだけ集客に貢献しているかを訴えました。しかし答えは「鍼灸師は収益につながらないし院長も承知している」と言うものでした。

私は10年以上、一緒に働いている院長も我々を物としか見ていない現実を知りました。そして私が抗議しているあいだ中も看護主任は泣いているだけでした。  つづく

2009/12/07

oac光と影3

(この物語はフィクションである。類似する事柄や事実があっても全て偶然の一致である…不毛地帯風pig)

snow12月はk-1に始まり大みそかまで格闘技好きにはたまらない毎日ですsun。実際にはチャンネル権は女房に取られてしまうわけで・・・夜中や早朝にこっそり格闘技観戦ですbearing

さてoacの闇の続きですが・・・その偶然見つけたファイルには外来看護師とリハビリスタッフ全員の年収が記載されていました。

そして4月以降の予定が記載されていました・・・外来看護師は主任以外は全員パートに格下げ、リハビリには3つの案が記載されていました。

1、鍼灸師の1名をリストラ 2、鍼灸師2名のリストラ 3、鍼灸師2名と私の3名のリストラというものでした。

残りのスタッフで患者数を維持した場合は大幅な利益の増加ができるという試算がされていました。

あまりの内容に驚いた私は業務終了後に看護主任とともにすぐに事務長に抗議に行ったのでした。

そこで出た話とは衝撃的なものでした・・・

・・・豆腐好きさんは負け犬なんかじゃないですよsmile 結局逃げたのは私です。

2009/12/05

oac光と影2

(この物語はフィクションである。類似する事柄や事実があっても全て偶然の一致である…不毛地帯風pig)

新事務長就任以来はとにかくきつかった、毎週のように会議室に呼び出されて「売上上げろ」の話ばかり、しかもそのほとんどが法に引っかかるようなやり方・・・

院長にもがっかりしたな~患者単価を上げるためにとか言って必要のない検査や治療を急に乱発しだした・・・事務長とエリアマネージャーの言いなりになってしまった。

口では「職員を守るため」とか院長は言っていたけど結局今年の春に利益は上がっているのに謎の大量リストラだもんな~きっと旭川の理事長が株かなんかで損したのの穴埋めなんだろうなthunder

さて新事務長とエリアマネージャー、悪名高いK本医科学出身だけにとにかくあくどい。

去年散々、がんばって売上を伸ばしたリハビリと外来看護師の人員削減を言いだしたのでした・・・それは今年1月、私が偶然病院の共有ファイルに入っていたあるファイルを見つけたことから始まったのでした。

oac光と影1 改訂版

(この物語はフィクションである。類似する事柄や事実があっても全て偶然の一致である…不毛地帯風pig)

昨年1年は本当に激動の日々だったな~typhoon まずは私が退職に至った経過なんかを綴りたいと思います。

私の勤めていたhospitalは元々旭川に本部(通称KKK)を持つクリニックで、とにかく本部の指示が無いと何一つ決まらない職場だったのさ。もちろん院長は名ばかりの雇われ院長(理事も兼ねてるくせに・・・なさけね~)、事務長は名ばかり管理職の本部の御用聞きという状態でした。

私はリハビリ室の主任という立場で会議やなんかで本部から週一で来る本部長に売上についての嫌味や文句を言われ続けていました。

それでも去年の春まではうんざりしながらも何とか我慢できていたけど・・・去年の春に7人目の名ばかり事務長のY(仮名)氏が事務長に就任してから真の地獄の始まりであった。