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2010/04/20

エドウィン・バレロの事件について・・・

20100420061641b1d 正直、今日のこの記事は書くのが気が重いのだけど…大事件なので。いちボクシングファンとして書かない訳には行かないと思い書くことにしました。バレロの夫人殺害、自殺についてです。

 エドウィン・バレロはWBA世界スーパーフェザー級、WBC世界ライト級の2階級制覇チャンピオンで27戦全勝27KOのパーフェクトレコードを持つ怪物王者でした。

 とにかく強烈なパンチ力を武器に生涯の27戦全てにKO勝ちをした世界でただ一人の選手になってしまいました。またデビューからの18戦は全て初回KO勝ちという記録も持っています。

 ベネズエラ出身の彼のボクシング人生は波乱の連続でした。2002年月9日に20歳でプロデビューした。デビュー戦から12戦連続初回KO勝利という記録を更新中の2004年に、ニューヨーク州コミッションのMRI検査で試合直前に脳に異常が発見され(2001年に起こしたバイク事故の後遺症)、ライセンス停止処分を受け、2004年初頭からブランクを余儀なくされる。しかし、コミッション以外の検査では異常が発見されなかった。

 アメリカでのスター街道を断たれた彼に救いの手を差し伸べたのが日本の帝拳ジムの本田会長でした。本田会長のマネージメントのもとに中南米、日本等を主戦場にKO記録を更新し続け、2006年に日本でWBA世界スーパーフェザー級王者に挑戦して遂に念願の世界王者になるのです。

 その後も、帝拳ジムの下で防衛回数を順調に増やしつつ再度のアメリカ進出(ビッグマッチ路線)を狙っていました。

 2008年に体重増加の為にライト級への転向を表明し王座を返上。また夫人のホームシックを理由に帝拳との契約を解消しベネズエラに帰国して新たにアメリカのトップランク社と契約を結びました。

 今、思うとこの選択が後の不幸の前触れだったのかも知れません。日本にいた当時はよくwowowでゲスト解説をしていましたが、穏やかな物腰で、毎回最後に「パッキャオと闘いたい」とコメントしていました。

 外国人ながらアメリカでスーパースターになって大金を稼いでいるパッキャオを常に意識していたのでしょう。それが「いつかアメリカで成功して見せる」というモチベーションに繋がっていたんだと思います。

 しかし、アメリカで彼にプロライセンスを発行したのはテキサス州のコミッションのみで試合はテキサスでしかできませんでした。それでもすぐにWBC世界ライト級の王者になったのですが念願のパッキャオ戦は一向に実現に向かおうとはしませんでした。

 パッキャオマネージメントしているトップランク社は実力はあってもアメリカでの知名度の低いバレロとの試合を組む筈も無く、パッキャオは次から次にビッグマッチを実現し、バレロは試合すら中々組まれない状態でした。またこの時期は金銭トラブルや飲酒トラブルも重なり最悪の状況だったのでした。

 久々の試合は今年の2月にメキシコにて行われました。もちろんKO勝ちしたのですが、内容的には精彩を欠いた内容でした。

 アメリカでスターになる為にトップランク社と契約したのに。アメリカで試合が出来ず、またギャラも日本時代より悪かったのかもしれません。

 アルコール依存症になった彼には以前の輝きも無くこの試合後に階級アップを理由に王座を返上。しかし、その直後に夫人への暴力で逮捕されたものの、夫人の嘆願で釈放されて依存症の治療に取りかかっていたんですが・・・

 一昨日の朝に宿泊先のホテルで刺殺された夫人の遺体が発見されて、すぐにバレロは逮捕されて殺人を自供。その後拘置所内で首つり自殺をしているところを発見されました。

 天才ボクサーがこんな悲劇的な最後を迎えてしまうなんて・・・また夫人もなんてかわいそなんでしょう。

 本当に悔しくて悲しい事件でした。バレロが世界的強豪と戦う姿が見たかったです。

2010/04/19

ストライクフォース 4/17大会感想

1271563085  先週の土曜日(4/16)に久々に苫小牧の実家に行って来た。第一の理由は車の夏タイヤを冬タイヤに交換する為。

 後は今週の水曜日(明後日)からの就職の報告だった。本当は日曜日に行く予定だったが、土曜日に変更したのは当初は放送される予定の無かったアメリカの総合格闘技ストライクフォースの4/17の大会が「ニコニコ動画」で急遽生中継されることになったからである。

 今回の大会には、日本の青木真也選手が初出場してSFのライト級世界王者のギルバート・メレンデス選手に挑戦する試合が目玉で、それ以外に、共に去年まで日本を主戦場にしていた、ゲガール・ムサシvsキング・モーのライトヘビー級選手権、実力者同士の対戦であるジェイク・シールズvsダン・ヘンダーソンのミドル級選手権の3大タイトルマッチがアメリカのCBSテレビで全米に生中継され、それがニコニコ動画でネット中継されることが大会前日に急遽決定したのであった。

 細かい感想は青木選手の試合だけにしようかと思う。この青木選手、DREAMのライト級王者で、日本のこの階級のトップ選手である。日本での試合では海外の強豪選手を次々に撃破していた。

 昨年の大晦日には対立団体との対抗戦で相手の腕を骨折させて、その上倒れている相手に対して中指を立てて挑発行為を行い物議を醸した選手でもあった。

 ただ寝技には抜群の技術があり「総合格闘技の寝技では世界一」と自称する位の選手で立ち技にも自信があるとインタビューでも語っており、アメリカの格闘技サイトでもいつも世界ランク2位に位置づけられていた。

 私が毎月購入している格闘技雑誌に「kamipro」という雑誌がある。選手のインタビューや記事を面白おかしく乗せる雑誌で結構取材拒否等も受けている雑誌ではあるが記事の面白さから毎月購入していた。

 最近、この「kamipro」が一番持ち上げている選手がこの青木真也選手なのである。とにかく毎回のように表紙にして記事の内容も気持ち悪い位に応援した記事ばかり、雑誌、編集者。ライター、本人が異常な位の癒着関係であった。

 twitterに於いても気持ち悪い位に親密さをアピールするツイートを繰り返し、今回のアメリカでの試合も編集長を始めとして大挙して取材と言う名の応援に押しかけ現地から延々とツイートを繰り返していた。

 話は変わるが、同じライト級の日本を代表する選手に五味隆則選手がいる。彼も約10日前に世界最大の総合格闘技団体「UFC」に参戦。メインに出場して完敗。その模様は1週間遅れではあったがTV東京で放送された。

 この五味選手には「kamipro」は取材拒否をされている為か、大会後の特集号でも批判一色の内用であった。やれ、やる気が見られない。周りが悪い、日本のトップじゃ無い等。ただ特に引っ掛ったのは「五味惨敗、だが日本には青木がいる!」とわざわざ表紙に書いてあったことだ。

 正直、青木贔屓もここまで来ると異常だなと思った。そして昨日の試合・・・何も出来ずに一方的に攻め込まれチャンスらしいチャンスも無いままの判定負け。完敗だった。

 勝負は時の運もあるし、ルールの違いや敵地での挑戦など不利な点もたくさんあったが完全なる実力負けだったと思う。私は青木選手は今できることを誠一杯やったと思うし、また強くなれば良いのだから、ここで天狗になっていた鼻をへし折られたのは良かったと思った。

 立ち技で差があり過ぎたし、寝技でもタックルは一回も決まらず、引きこんでも相手に上手く捌かれチャンスらしいチャンスは一回も無かった。

 その後の、twitterでのkamipro関係者の書き込みだが、五味選手の時は異常な位にバッシングしてたのが今回は異常な位に擁護した書き込みばかりで気持ちが悪い位である。こうやってマスコミが持ち上げ過ぎるのってどうなんだろう?

 選手の為にならないよね?実際私はtwitter上で青木選手とその仲間の北岡選手に不快な思いをさせられて何故かkamipro関係のライターや公式アカウントからはリムーブされている。マスコミと選手の極端な癒着が選手の成長を止めないことを祈ります。

2010/04/16

「素直になれなくて」

126892237746316326543_su49307509840  う~ん昨日始まったドラマの「素直になれなくて」キャストの顔ぶれも「のだめカンタービレ」や「ラストフレンズ」に結構被っているし、自分自身が現在twitterにハマっていることもあって期待して見たんだけどな~残念な内容だったcrying

 まずドラマの作り自体が古いって言うか…90年代半ばから2000年代前半のドラマの再放送を見ているような感覚になってしまった。脚本の北川悦吏子の感覚が昔のトレンディドラマで止まっているんだろうな~と思えるシーンが続出だったな~行きつけの店があって、恐らく毎週そこに集まるんだろうしな~

 で、お互いにセクハラ、パワハラ、不倫、目標を見いだせない、家族の薬物問題、職業詐称等悩みだらけで・・・ってこれも今まで見たドラマに良くあったシーン。

 で話題だったtwitterはほとんど使われていませんでした。脚本の北川さんもこの2カ月位の間twitterに登録はしていたみたいだけども、ほとんど何もしていなかった訳で、主人公達が不特定多数のフォロワーと繋がっているような描写もなく、ただメールのやり取りにしか見えんかった。

 twitterを理解してないと思ったのが最後の方でジェジュンがみんなに一斉に「今日飲みに良行きませんか?」とツイートしたシーンでみんなの携帯が鳴って・・・あれIPHONEの一部のアプリのみの機能で一般の携帯ではtwitterのサイトを開かない限りはツイートは見れないようになっているんです。

 メールと違って見る人の都合が優先で時間や相手のツイートに縛られないのがtwitterなんだけどそれが、多分、北川さんにはメールの延長位にしか思えなかったんだろうな~彼女誰ともやり取りしてなかったし~

 来週からどうするかな~面白くなりそうな気配も感じないな。考えとこう。

2010/04/15

まだまだ書き足りないことを・・・

 改訂版としてoacのことを続けて書いて来たのだが、ハッキリ言ってまだまだ書き足りないことが山のようにあるので少しづつ小出しにして書いて行きたいと思う。

 まずはN院長、この人が如何にセコイかを書いとこうかな。前にも書いたと思うが、院長は役員報酬と言う形で月に200万円の給料をもらっている。雇われ院長として高いか安いか解らないがこれだけで年収2400万円は貰っている計算だ。

 他にいつもクリニックの歳出に調整金という項目があったのだが、どうやら奥さんに「顧問料」の名目で月に8~9万程度の金が振り込まれていたらしい。ちなみに12年間働いていて奥さんの姿を見たのは院長の親父さんが亡くなって通夜に出席した時の一回のみである。それで税金の掛らないギリギリの額の謎の「顧問料」を受け取っていたわけだ。

 「ボーナスとか貰っていない」と言っていたがこれも嘘。毎年ボーナス支給日にはしっかり明細書を貰っていた。恐らくは調整手当とかの名目で100万~200万位の額だろうがしっかり貰っていたのである。

 これだけでザっと計算して年間3000万円程度の収入を得ていたことになる。更に数年前に新車に買い替えたのだが、これも名義は病院の車になっていた。

 他の職員の待遇改善の交渉には踏み込めないのだが、自分の待遇&優遇にはかなり交渉力があったようだ。

 さて院長、職員の送別会等に参加すると、大抵よその病院長なら全額支払ってくれそうなものだが基本会費分しか出さない人である。うんと期限の良い日は1万円置いて行く位。珍しく院長の奢りの時は病院の名前で領収書を貰って経費で落とさせるのである。

 僕がoacを退職する1週間前に「飲みに行こう」と誘われた。事件簿にも書いたが胃がやられてて食事もほとんど取れない時期だ。で連れて行かれたのが見たことも無い汚くて安っぽい居酒屋。

 院長が散々飲み食いする横で僕はオレンジジュースを飲みながらお新香を摘んでいた。帰りに呼び止められて懐から何か出したので「おお!餞別か!」と思ったらタクシーチケットだった・・・

 院長と言うととにかくセコイことが真っ先に思い出される。まあ子供5人もいれば金掛るのは解るけどね~ 

 僕はまだ長く勤めていて何度か(それでも数える程だけど)ご馳走にはなっているから良いけど、殆どの職員は最後まで院長とは口も利かずに辞めていったな~残念な話だ・・・

 こんな話はまだまだある。僕の師匠のH先生達との思い出も腐るほどあるので読者は限られるが少しづつ書いて行こうかな。

今週のこと

 いよいよ来週の4月21日から新しい仕事が始まるわけだが、今週はその準備とoacでの悪しき思い出を断ち切るためのブログ執筆に追われている感じだな~。

 まずは新しい職場で着る服を買いに日曜~月曜と買い物に行った。背広ならまだ良いのだが、その職場は「ジャージ以外なら、基本的に自由です。」と言われたから逆に困ってしまったのだ。

 僕は、ハッキリ言って服装にはまったく無頓着で洋服も余り持っていない。サイズも大きいから買える店も限られてくる。

 日曜日に二日酔いの身体を引きずりながら、まずは直ぐ近くにある大きいサイズの専門店に行った。だがここは、値段も立派でちょっと今の経済状況では手が出ない感じだった。

 で、これまた近くのポスフールに行ったらビックリする位に安く服を買うことが出来た。デフレって凄いな~こりゃあ利益も下がるし中小企業が倒産するのも当たり前だな~と実感させられたのだった。

2010/04/14

クミコ&マツダ事件⑤ 

 isi女史にして見れば千載一遇のチャンスだと思ったのでしょう。本来は本部へ連絡するのは院長か事務長の役割であり完全な越権行為なのですが、何せ積極的な密告を奨励している医療法人KKK、大喜びで翌日にはW本部長、K副本部長等が乗り込んできたのでした。

 ここから連日、当事者や関係者を集めての会議が行われたのです。本来部外者の私は会議には出席していません。しかし会議の詳細な内容は全職員の知るところになりました。何故か?

 それは事件解決後に、今後このような事件が起こらないようにと詳細な議事録や事件の詳しい内容等、数十枚に渡る書類(もちろん当事者の名前等全て記載された物)を全職員に回覧しその対応への感想を書かせた上で職員全員の前で纏めたものを発表させたのでした。

 まさにクミコ師長及び庇ったマツダ事務長に取っては地獄の拷問のような目に合わされたのでした。

 最初にこの事件の内容が全体会議で報告された時に、W本部長の「みんなに資料を読ませて感想を書かせろ、そして全員で発表をマツダさんやってくれ」と言われた時のマツダ事務長の狼狽ぶりは悲惨の一言でした。

 事件解決までの簡単な内容を纏めると、最初はクミコ&マツダ側に付いていた院長がW本部長が乗り込んでくると案の定、あっさりと裏切って本部長側に寝返り、みんなでクミコ&マツダを集中攻撃した上で本部長、院長、相談員で謝罪に行き慰謝料を払ったのでした(事務長は蚊帳の外)

 更にクミコ師長の不手際を全員の前で発表する会の司会をマツダ事務長にやらせるという、徹底的に2人の分断と排斥を狙ったやり方をW本部長(と言うかイシダ女史)は取ったのでした。

 結局心労が重なり、当日マツダ事務長は司会が出来ず相談員が司会を行い、クミコ師長を袋叩きにする会は強行されました。

 その後、クミコ師長はみるみる力を無くし、以前よりデイケア管理者への返り咲きを狙っていたisi女史はまんまと作戦通りにデイケアの所長に就任。

 研修と称しての旭川本部での3か月間の勤務を言い渡されたクミコ師長は辞表を提出して退職。

 心の拠り所を無くしたマツダ事務長も約1カ月後に退職したのでした。

 2人はやり方に問題はあったとしても本部に頼らずにoacの独自の方向性を打ち出そうとしていました。この事件の発端になったことや対応に問題はありましたが、基本的には院長の指示で動いていたのです。

 しかし私の退職時にも書きましたが、いざとなると裏切るN院長の優柔不断さと無責任さ犠牲者であったと言っても良いのではないでしょうか?

 実はこんな話は幾らでもあったんです。みんな人当たりの良いN院長を信じて付いて行っても最後は使い捨てにされる。そして辞めて行く、これの連続だったのです。

 そして医療法人KKKから見ればN院長も使い捨ての一つでしか無く、N院長も十分にそれを理解しているところにoacの悲劇があるのでした。

 このシリーズ終わりです。

クミコ&マツダ事件④ 改訂版

 3人での話し合いでは、A氏と比較的信頼関係ができている、介護主任が中心にA氏と話をしたようです。

 A氏がMさんに好意を寄せていること、でもMさんも困っているので口説いたりはしないようにして欲しい等と、上手い具合に話を進めていたようでした。それで、A氏も納得して話し合いが終了しようとした時です。なんとか自分が話を纏めたことにしたいクミコ師長が余計な一言を言ってしまったのでした。

 「今後、一切、女性職員へのセクハラ行為は辞めてください!」とA氏にきつく言ったのでした。

 これでA氏が激怒。すぐに相談員とケアマネを呼び出して怒りをぶつけたのでした。クミコ師長は早々にその場を退散し相談員などの質問にも「急に興奮しだした、介護主任が何か言ったんじゃないか?」などと自分の責任を否定しました。

 そして、翌日、事件は起こったのです。

 この日はA氏は利用日ではなく、後から相談員とケアマネが様子を見に行くことになっていました。朝、介護主任のところへA氏から電話がありました。「長いこと世話になったけど、今から死ぬから」と電話を切ったA氏、すぐにケアマネがA氏宅に駆け付けると、糖尿病の薬を大量に服用し意識が朦朧とした状態だったのでした。

 担当ケアマネは急いで救急車を呼びました。

 実際にはA氏が服用した薬の量は、致死量には程遠い量だったのですが、意識が戻ったA氏は、病院を訴える、新聞社に知り合いがいるから悪徳病院だと書いてもらう、Mを連れてこい、クミコ師長を連れてこい、金をよこせ…などと次から次に要望を言いだしたのでした。

 マツダ事務長はクミコ師長に責任が及ばないようにしようと本部には連絡をせずに、院長、事務長、師長の3人で事態の解決を図ろうとしたのですが、ここでやはり、クミコ&マツダの失脚をずっと狙っていたisi女史が本部に事件を報告したのでした。

 そして、本部を巻き込んだ大騒動になっていくのです。

クミコ&マツダ事件③ 改訂版

 クミコ師長が犯した事件とは…。デイケアのA氏という利用者とのトラブルがとんでもない大問題になってしまったことでした。

 A氏はまだ60代と若いながらも、脳梗塞で軽度のマヒを抱えている利用者でした。元来の女好きのA氏は、家族を捨てて、妻と離婚して家を出て、内縁の妻と一緒に住んでいたのですが、そこで病気が発症しました。

 内縁の妻は仕事が忙しいのを理由に介護を放棄、A氏はアパートで独り暮らしをしながら週に3回デイケアと毎日の訪問介護を受けながら生活をしていました。内縁の妻も身元保証人なので週に1回程度は顔を出していたようです。

 さてこのA氏、元来の異常な女好きのためかデイケアでも女性職員へのセクハラが酷かったのです。

 oacのデイケア職員はハッキリ言って、他の介護事業所より女性職員の年齢も高く、また正直言ってこの時期はルックス的にも、厳しい職員が多かったのですが、A氏はお構いなしでセクハラ発言やタッチ行為を繰り返していたのでした。

 特に狙いを定めていたMさんへは完全に口説きに掛っていました。ここで、きちんと対応を協議してMさんを担当させないとか、A氏の来る日は勤務を外すとかすれば良かったのに、結局何の対応もしなかったため、MさんはA氏を露骨に無視し近寄らないようにして担当の日も傍に寄らないなどの態度を取り続けたのでした。

 好意を寄せているMさんに無視されているA氏は、それを不満に思い相談員とケアマネに抗議を度々して、ある日、A氏本人と相談員、ケアマネ、介護主任の4人で話し合うことになったのでした。

 しかし、これを聞いたクミコ師長、元々相談員やケアマネといった在宅部門と折り合いが悪い上に、デイケアの責任者でもある自分が蚊帳の外なのに立腹して(実際はデイケアの業務は介護主任に任せっきりでほとんど何もしてなかったが)その会議に、自分も参加することにしたのでした。ここまでは何も問題はありませんでした。

 しかし、クミコ師長は直前になって相談員とケアマネの会議への参加をを断り、A氏、クミコ師長、介護主任の3人で話し合いを行うことにしてしまったのです。

 ここで、クミコi師長が自分でこの場を納めようと手柄を焦るばかりに余計なことを言ってしまうのでした。

クミコ&マツダ事件② 改訂版

 クミコ&マツダの2人は、共同戦線を張ってoacの経営に動き出そうと始めました。基本的に事務長は事務室、看護師長は外来が仕事場のはずですが、2人は出社すると一日の半分以上の時間を看護師長室での話し合いに使っていました。

 会議などでの議題も、今までは本部からの提案を話し合うだけの場でしたが、2人から議題などが提出されることも多くなりました。

 またこの頃より、本部長が本部から来るのが水曜日のみとなり火曜夜の全体会議には基本的には出席しなくなったのも2人にとっては幸いだったのかもしれません。

 院長とも同い年の二人は、院長を自陣への引き込みに成功しました。すると会議では「この件は院長と相談して決めます」とか、「この件はすでに院長の承認を取ってあります」などの形で報告ばかりが多くなってきました。

 またクミコ師長は外来だけでなくデイケア、デイサービスの管理責任者も兼ねていたので、会議の場でもisi女史などに上から目線で接していました。当然のようにisi女史の本部へのチクリが始まったのでした。

 クミコ師長が休みの日は、マツダ事務長は事務室に籠りほとんどクリニックの方へは顔を出しません。その日を見計らって、本部からW本部長とO統括師長が揃ってやってきたのです。

 そして、外来看護師、デイケア主任、私などを順に呼び出してクミコ&マツダのことを根掘り葉掘り聞き出そうとしました。

 この2人(クミコ&マツダ)が悪かった所はやろうとしている内容は悪くは無かったのですが2人だけの世界に入り込み過ぎてしまい、自分の直属の部下とも信頼関係を作っていなかったことです(クミコ師長であれば看護師、マツダ事務長であれば受付事務員)

 恐らく2人の悪口や批判をタップリ聞き終えたW本部長とO統括師長は聞き取りを終えた後はisi女史と3人で密談をしてました。

 また、isi女史が気に入らない人間を辞めさせようとしているんだなと解りました。実際、このパターンで過去に何人もの職員を退職に追い込んでいたのです。

 しかし、いつもは1人を孤立させて追い込むisi女史ですが、今回は2人が団結していることもあり、この後、約1年近くクミコ&マツダの2人は頑張り続けたのです。

 しかし、それは在宅部門を牛耳っているisi女史と外来、デイケア、デイサービスを牛耳っているクミコ師長の深刻な対立となり、本来連携を取らなければいけない部門同士の横の連携がほとんど取れない状態を引き起こしました。

 そして、1年が過ぎたある日、クミコ師長はある事件を起こして墓穴を掘ってしまうのでした

クミコ&マツダ事件① 改訂版

 十文字君からのリクエストに答えてoac事件簿のkumi&matu事件をきちんと完結させることにした。但し、前回アップがあまりに前なので今回から改訂版と言う形で加筆、修正して掲載したいと思う。

 今から約4年ほど前に、isi女史に真向から立ち向かった2人の話をしたいと思います。その二人の名は(クミコ&マツダ)。

 立ち向かったと言えば、聞こえが良いけど、この二人も約1年半の間にoacを引っかき回したうえで、isi女史とW本部長によって退職に追い込まれたのでした。

 但し、この二人「仕事ができない」「管理能力が無い」などと、本部長やisi女史に追い込まれましたが、実はこの二人がoacを管理運営していた、約二年弱は、最も患者数が多く安定していた時期だったのです。

 今のY&isi女史のコンビよりはよっぽど売上も良く、院長との信頼関係も気付けていました。

 クミコさんは看護師長として入社しました。年齢(50代女性)の割にはかなり無理をした若作りで、白衣もわざわざ裾を短く切ってミニスカートの状態にしていました。

 マツダさんは事務長として入社しました、こちらは年齢はクミコさんと同じだったのですが、全く逆で、年齢以上に老けた老人のような見た目の男性でした。

 クミコさんは前任者のカワタ師長が、独立してグループホームを開業することになったために、代わりに4年前に新師長として入社しました。

 最初の印象は先に書いたように若作りなのと、前任のカワタ師長と比べると貫禄不足かな?程度でした。しかし、引き継ぎが終わってカワタ師長がいなくなると人が変わったようにあちこちに口を出すようになっていったのです。

 マツダさんはクミコさんに遅れること一ヶ月後位に入社しました。前任のシイハラ事務長が本部長を始めとしたKKK幹部にいびられて退職したため、急遽入社したのでした。第一印象は大人しく頼りないというものでした。これはまったく印象通りで最後まで頼りないままでした。

 この一見、水と油のような2人がコンビを組んでoacを動かすようになるのです。それはマツダ事務長に代わって最初の全体会議が始まりでした。声が小さく、しきりべた、また経理や保険の知識にも乏しいマツダ事務長にW本部長が最初の会議から切れてしまい、無理難題を押し付けたのです。

 会議終了後にマツダ事務長が退席した後、クミコ師長はW本部長に「あんまり、いじめるとまた辞められますよ」と言いました。すると本部長「使えない奴だったらさっさと辞めさせた方がいいんだ!」と言い放って帰って行きました。

 これがクミコ師長に火をつけたのでした。運悪くそこに居合わせた私に「従業員を何だと思っているのかしら!T君、一緒にマツダさんを守ってoacを変えて行きましょう!」と力強く言い放ったのでした。結局、私はこの後、いろいろな騒動に巻き込まれていくのでした

「トイレの神様」 植村花菜

YouTube: トイレの神様/植村花菜
 今回は久々に曲紹介を。今回扱わせてもらう曲は植村花菜の「トイレの神様」です。これ題名だけ聞いたらコミックソングだと勘違いすると思います。
 が、実際は無くなったお婆ちゃんとの思い出をつづった曲で、本人の体験をそのまま歌にしたそうです。
 本当に素晴らしい曲です。余計な解説はいらないと思うので是非聞いてみてください。

2010/04/13

oac光と影~その後~

 さて一気に改訂版をアップさせた「oacの光と影シリーズ」。その後に一体どうなったのかを簡単に書きたいと思います。

 さてY達がリストラに着手する前までの段階でいたスタッフは全部で6人でした。まずはリハビリ室主任で柔道整復師の私。鍼灸師のOとM。理学療法士の「十文字君」。作業療法士の「豆腐好きさん」。そして助手のWさんの6人でした。

 Y達が中心になって行ったリストラにより助手のWさん、鍼灸師の2人がリストラされ、代わりに理学療法士のTと新しい助手が入った後に私が退職に追い込まれた所で「光と影」シリーズは終わりました。

 ここではその後を書きたいと思います。邪魔者が消えたことでやり易くなったYとIの2人は早速新たに主任になった「十文字君」に完全予約制に移行し個別Ⅰの単位数を限界まで算定し取り逃しの無いように指示をしました。

 患者にしてみればそれまでの治療が出来なくなって上に負担金も上がり、予約制、担当制になり不便極まる状況になった訳です。

 但し事務側から見れば予約制で半強制的に定期的に通院させることが出来るし、個別の単位も限界まで算定できるので収益増加になると踏んだのでしょう。

 さて「十文字君」必死に事務の方針に従って予約を埋めて限界数まで算定できるように頑張ったようです。ほとんど休憩も取らず、他のスタッフも以前は私が日程を調節して取らせていた夏休みなどもまったく取らずに働いていたそうです。

 今度はTがターゲットになりました。元々仕事があまり出来なく要領も悪い、そしてakaに拘る姿勢がYとIにとっては気に入らなかったんでしょう。些細なミスでも大騒ぎをして追い込みを掛け出していたそうです。

 本来はここでTを守らなきゃ行けない立場の「十文字君」もこの時期はとにかく予約数を増やすことで精一杯で他の職員に眼を配るまで出来ていなかったそうです。

 去年の暮れが近づいた頃に、訪問リハを担当していた作業療法士のHが退職が決まりました。そして本人には何の相談も何も無いまま「豆腐好き」さんに訪問リハへの移動の辞令が出たそうです。

 ちょうどこの時期に、ケアマネの試験も終わり気持ちも落ち着きだした私は「豆腐好き」さんと連絡を取り始め出し、約2年間放置していたこのブログを本格的に始めたのでした。

 「豆腐好き」さんの話を聞いたり相談に乗ったりするうちにoacでの出来事を書き留めたいと思いブログで「光と影」シリーズを書き始め、次いで「十文字君」ともまた連絡を取るようになりました。

 そこでoacの惨状を聞きN院長にメールしたりもしましたが何の効果も無く、「豆腐好き」さんは去年の暮れに辞表を提出し1月の中旬にoacを退職しました。

 一時はYやIに乗せられていた「十文字君」も自分の失敗に気づいたのか、最近辞表を提出し5月の初めには新天地の仙台市に引っ越そうとしています。

 結局1年間で元々いた職員全員が退職すると言う結末を持って完全に私とoacの繋がりは切れることになりました。

 先週の末に全員の新しい門出を祝って飲み会を開きました。先に辞めていたMやエリーheart01も来てくれて実に楽しい時間を過ごすことが出来ました。

 私もいよいよ来週の水曜日から念願の新しい職場での勤務が始まります。今後もこのブログでは普段の仕事のことや生活のこと、映画やドラマの感想などもいろいろ織り交ぜて書いて行きたいと思っています。

 さらにoacでの12年間に起こったいろいろな事件や出会った人々、更にその前の名取での思い出なんかも書いて行きたいと思います。

 twitterから見に来た人には話の解らない記事もあるでしょうが、映画やドラマ、スポーツの話題なども書いていきますので、身内向けの書き込みもご容赦ください。

 あと今日から心機一転でデザインを一新しました。今後しばらくはこのデザインで行く予定ですのでよろしくお願いします。

oac光と影22~最終章~ 改訂版

 週が明けて院長に正式に、辞表を提出した。この日も慰留されたが「気持ちは変わりません」とハッキリと言った。先行きはまったく見えないが自分で決めたことだ。ついでにこのままYを放置すると信頼しているスタッフを全て失うことになると院長に言っておいた。

 院長は「彼には彼の立場があるんだが。これからは私がシッカリ眼を光らせる」と言った。まあこの続きは後ほど。

 翌日、Y事務長に呼び出されて嫌味をさんざん言われて、「引き継ぎ業務をしないうちは辞めさせない」と言われた。

 そんなことは解っている、すぐに引き継ぎ業務を開始した。翌日以降はYやisi女史からは完全に無視された…もうどうでも良かったけどねgawk

 有給休暇がまったく使ってなかったので40日程余っていたので、消化することにした。その間に驚いたことが二つ、KKKの本部長に退職の挨拶をしようと電話したら、留守でその後何故かMマネージャーから「本部長に何かチクルんじゃないか?」と探りの電話があったり…何だか本当に腐った職場だthunder

 院長が11年間のお礼がしたいと食事に連れて行ってくれたが、連れて行かれた店が汚い居酒屋(胃が痛くて酒飲めなかったのに)だったり。毎日毎日、休みまでの日々は嫌な気分で胃痛と食欲不振が続いた。

 ちなみにその席で「これからは、僕がしっかりYやisiを暴走させないように管理するから!」と言っていたが…タレこみ情報では更にYとisi女史に牛耳られてリハビリ室は大変なことになっているようだ。役立たずangry

 患者からは泣かれcrying 「なぜ、辞めるのか?ここの病院おかしいんじゃないのか!」と怒りだす人もいた。まあ、おかしい病院なのは間違いないよね。

 何とか2週間の日々を乗り越えて、休みに入ることができた。休みの初日にリフレッシュのために温泉に行って体重を測ったら15kg減っていた

 このまま減り続けたら良かったけど、結局、胃も直り元に戻ったけどcatface取りあえず、光と影シリーズは今日でおしまいにします。しかしoacでのいろいろな事件やKKKのあくどいやり方。患者からむしり取れるだけ取ろうとする極悪ぶりは今後も不定期にいろいろ書いていこうかと思います。

 もちろんoacで出会った面白い人、あくどい人、可愛い人などの話も書いていきたいと思います。元oac関係者や現職の方も質問や感想あったら、匿名でコメントなり、メールなりくださいcatface

oac光と影21 改訂版

 もう心は退職に決まっていた。正直Yが来る前からoac及び医療法人KKKの異常な体制、人を人とも思わない経営方針に嫌気がさしていた。

 ここ数年は「仕事辞めたい」と女房に愚痴るのが習慣になっていた。だがY事務長が就任してからは自分が完全に壊れ始めているのが解っていた。

 女房に聞くと2008年の4月から2009年の6月までの私は別人のようだったそうである。いつもイライラした様子だったり何かに怯えた様子の時もあったそうである。

 実際、自分でも心の変調には気付いてて、安定剤を服用し出したり、どうしても気分が落ち込み身体が動かなくなり点滴を受けたりしていた。病名的には「不安神経症」と書かれていたが専門医なら「鬱病」と診断するだろう。

 女房から見て、会議の日の私の様子は完全に限界を超えていたそうである。実際普段は退職の話をしても「次の仕事見つけてからじゃないと駄目だよ」と言う女房がこの日はすぐに「もう無理だから絶対に辞めなきゃ駄目だ~」と言った。

 会議の翌日は、幸い週休だった。朝からまったく何も食べれない、それでも退職を決意した以上は何かしなきゃと思い、朝一でインターネットで調べて昼に一軒の病院の面接に行っている。ただここは1週間以内に勤務開始が出来る人が希望だったので無理だった。帰宅後も昼も何も食べれず、前日の夜も茶碗に半分も食べていなかったこともあり女房が病院に行こうと言いだした。

 夕方、病院に行った、検査が必要だから明日もう一度来てくれと言われた。結局翌日も有給を使って休み検査を受けた。

 ストレス性の胃炎だった、胃カメラに出血部がはっきり映っていた。薬を貰い、午後からようやく軽く食事を取れるようになった。結局この胃痛にはこの後もしばらく悩ませられることになった。

 翌日は土曜日だった、「今日、院長に辞めると言う」女房に告げて家を出た。1週間ほとんど食事を取っていないためかフラフラになりながら仕事を終えて院長室に行った。

 院長に辞意を伝えた。院長は必死に引きとめてきた「T君のやり易いように私がするから」 「胃が痛いといっても胃潰瘍にはなっていないし、精神的に辛いと言ってもまだ精神科に通うほどでもないんだから残ってくれ」「K君なんて出戻りで事務長辞めて事務員に落とされて、契約社員にされてもまだ残ってくれている。君も見習ってくれ」などなど。

 oacで唯一の院長の話し相手であった私がいなくなるわけにはいかなかったのだろう。「とにかく、結論は出さないで、もっとゆっくり考えてくれ」

 2時間、説得されて帰路についたが1㎜たりとも気持は変わらなかった。

oac光と影20 改訂版

 会議が始まった…胃の痛みは限界に近付いていた。全体会議は何事もなく終了した。その後にクリニック会議が始まった。…これ以降のことは記憶があいまいな部分が多くなる。半年間、思い出さないように封印してきたからだろうか… 

 院長が盛んに私の顔を見る、仕方なく私はCのことを報告した。事務長からの一斉攻撃が始まった。フォローすると言っていた院長は…事務長の剣幕に押されたのかうつむいて何も言わない。

 そのまま治療体制の変更に話が続いた。院長と私が「マッサージは患者も望んでいる」と訴えたが…事務長とisi女史が押し切る感じで、結局気の弱い院長は何も言い返せなくなり「みなさんが決めたなら私もそれで良い」と言った。

 isi女史からは「Tさんは患者に触ったらダメだよ。これからはPTOT中心のリハビリにして助手に専念して」と言われた。それもあんたが決めるんだ~

 その後は私の存在を無視するかのような形で会議は進行した。一つだけハッキリしたのはもう私の居場所は無いということだった。

 どう帰ったのか思い出せない…家に着くと涙があふれた。すぐに女房に仕事を辞めると告げた。普段は反対する女房もこの日は一切反対しなかった。

 胃が痛くて夕食が食べれなかった。

oac光と影19 改訂版

 自分の中で何かを察知していたのだろうか?この日は朝から胃がものすごく病んでいた、Tの病気は精神的な疾患である。できれば、追い込むようなことはしたくなかった。

 私は胃の痛みと心の不安定さに耐えきれなくなり、気が振れていたのかも知れない、今まで一度も相談をしたことの無かったisi女史に相談をしてしまった…11年間の付き合いだし内密にという形で、Tの相談をした。

 isi女史はリハビリ室全体で、話し合って上手くやれというようなことを言った。基本的にisiもakaには反対のようであった。そして何故か「今後、リハビリの体制を変えなきゃいけない、この次の会議位で話し合うはずだから。聞いているでしょう?」と言いだした。私にとっては寝耳に水の話だった。

 すっかり混乱した私は、具合が悪くなり昼休みに安定剤を一錠飲んだ。午後から事務長のところに話を聞きに行くことにした。するとそこにはisi女史がいて内密な筈の私の相談を、Y事務長に話していた…やられた~

 完全に裏切られていた。物凄い剣幕で事務長が私に詰め寄る。Tが患者に受けないのも、個別の件数が増えないのも、全て私の責任だと責め立てられた。

 マッサージを患者に行っているのは院長の指示だ…しかしTは納得できないと事務長に抗議したそうである。「マッサージでリハビリの点数を請求するのは違反だ」と訴えたそうである。

 だから、「どんなに院長やおまえがTのことを言っても、あいつを辞めさせてどこかに違反を告発されたら困るから辞めさせるわけには行かないんだ!」と言った

 「会議に出せるなら出してみろ、白黒はっきり付けてやる」、「リハビリ体制の変更はどうなっている?俺はずっと院長に言っているんだ!」…etc

 全て初めて聞く話であった。いつもの私なら喧嘩腰でYとやり合ったのだろうが、安定剤を飲んでいたこと、最近の精神状態の不安定さもあってほとんど言い返すことが出来なかった。

 フラフラになりながら院長に聞きに行った。院長は「マッサージは患者も求めているから継続したい」 「Tは試用期間中に私が判断して辞めてもらう」「今日会議で、今までのリハビリ体制の維持を認めさせる」と言った。

 業務終了後、会議の時間になった、そして私はまざまざと現実を知ることになる。院長の存在理由の無さを…

oac光と影18 改訂版

 もちろんリストラはリハビリだけでは無かった…外来看護師は3人がパートに格下げされた、すぐに2人が退職した。

 そのうち1人のナオミさんとは結構仲良くしてて、毎週治療もしていたし、2年前に退職した看護師のエリーheart01と3人で飲んだりのoacことで愚痴をこぼし合ったりしていただけに凄く寂しかった…

 受付も同時期に1人退職した、まあお喋りで生意気なユキエだったからこれは寂しくも無かった。この時期、在宅部門も含めると一体何人辞めたのか?

 少しづつクリニック全体が狂ってきていた、N院長がまたまた何か言葉を濁しつつ「近いうち事務長含めて3人で話し合いたいことがあるから」と言いだした。

 この時期は事務長からは無視されているような状態で事務長はTとばかり話していたような記憶がある。前の項でも述べたが毎日異常な精神状態で記憶も曖昧な部分があるのだがとにかく居心地の悪さを感じていた。

 事務長からの指示や書類が、私以外のスタッフに渡されていたり、私が休みの日に他のスタッフを集めて会議をしたり、露骨にY事務長は私の存在を消そうとしていたような感じがしていた。

 6/10の朝、夏のボーナスが支給された。正社員がほとんどいなくなったoacだが、大げさに朝会議室に呼びつけられてリハスタッフ全員分の明細書を渡された。

 細かい話だが、他の部署はどこも主任から順に明細書が入った封筒が重ねられていたがリハビリ室だけは何故かTの封筒が一番上になっていて、私の封筒が一番下になっていた。今考えるとこれも嫌がらせの一種だったんだろうな~

 その後、朝の院長と私の定例のミーティングが行われた。私のところにも院長のところにも新人PTのTの苦情が寄せられていた。院長が今日の会議で報告しろと私に言った。詳しい補足は院長がすると言った…この時にはまさかこの日の会議があんなことになるとは思いもしなかった。

 この日の会議と、院長の余計な提案が無かったらもしかしたら、まだ私はoacにいたか、本格的に病気になっていたかだろうな…

oac光と影17

 新らしく入ったPTのTは、キャリアが長く年齢も私よりだいぶ上である。専門学校で教員をしていた時期もあったし、比較的大きな病院でリハビリ室の室長をしていたこともある。

 但し異常な位に頭が固く、20年以上学んできたというakaという手技に極端な自信を持っているためか、それ以外のもの(マッサージやストレッチなど)は完全否定なのである。

 oacの院長もそれほど熱心では無いもののakaの治療を行っていたため、oacはakaの専門院だと思って入ってきたのである。

 どんな指示の患者に対しても最終的にakaの宣伝を行い無理やりaka治療を行ってしまう。すると患者からは「あの先生は外してくれ」と言われる。

 それも20人30人という単位でだ…結局古くからの患者は私が診ることになる。事務からは個別の単位数が増えてこないのはおまえが悪いと責められる。

 治療においては受け持ちの患者が極端に増加し、なのに平均数は落ちているからY事務長からは責められ、Tは勝手な行動を取りつつ事務側に私への苦情を言う。患者からはTの苦情を言われ続ける。

 院長に相談しても何の解決にもならず…5月の後半からは連日疲れの極致の状態だった。血圧が極端に上昇したり、異常な背中の痛みを覚えたり、ひどい、うつ状態になって点滴を受けたり。仕事が終わって家に帰ると、9時ころに寝てしまう、朝は4時位に目が覚めてひどい吐き気に襲われる…こんな状態が続いた。

 私は身近にうつ病を患っている者がいる…見比べても明らかに自分も同じ症状になってきていることに気づいてた…

 家に帰ると何かに脅えるように布団にくるまってしまう、意味もなく涙があふれ取りみだしてしまう、訳もなくイライラして周りの人に当たってしまう。この1年間の積み重ねが強い状態が出てきてしまったのだろうか?

 6月に入ると食欲も落ちてきた、胃がキリキリ痛む…Oが5月の下旬に辞める時に私に言った一言が思い出された「Tさん倒れないでね」。いつこの状態が終わるのか…

 事態は、最悪の方向に向かっていた。Y事務長とisi女史がいよいよ私の排斥に乗り出そうとしていた。

 加筆だが、この時Yとイシダの2人は私を退職させて次の主任を任せるためにTを入社させたのだと思う。最初の内は2人とも履歴書の経歴のみを鵜呑みにしてTを相当優秀な人物と思っていた。

 私は仕事振りや患者との接し方、職員との連携ぶりを見ててハッキリ言って使えない男だと思っていた。

 まあ実際、私が退職後にも多数トラブルやYやIと揉め事を起こして今は針のムシロ状態だそうである。人を見る目の無い男に採用された自信ばかりの大きい男。まあTも被害者だな。

oac光と影16 改訂版

 さて、Mの後任のPTが決まったという報告をみんなに話した直後、Oの方から 「今週末、もう一度交渉してダメだったら退職する」と報告された。やはりそうかと思った。今回は予想の範囲だった。

 Oは私の一年後に入社した、5歳年長の妻子持ちである。正直に言って仕事上の付き合いのみで、治療はしっかり行うが、それ以外の部分に無責任な部分があってあまり好きなタイプではなかった。

 だから、私が休みの時には、主任業務は別の若いスタッフ(十文字君)にお願いしていた。

 しかし、やはり10年間に渡って一緒に働いたスタッフが辞めるのは寂しい。実際、患者受けも非常によくてOに付いて指名で来る患者も多数いただけに戦力ダウン&患者数の低下はは否めない。

 現実的にMが退職後、平均で1日10名程の患者数が減少した、実際Bが退職後はさらに10名の患者数が減少した。

 4月と比べて6月には患者数が平均20名も減少したのである。Yや本部の読みの甘さ…患者からも「なぜ、みんな辞めていくのか?」と不満を言われるようになった。

 この時期こんなやり取りがあった。Y事務長とN院長が揃って「Mが辞める時に患者にクリニックの悪評を手紙に書いて渡したのではないか?なぜ止めなかった!」と言われたのだ・・・

 このアホどもめ!確かに親しい患者には、退職する旨を手紙に書いて渡していたのは知っている。しかし約5年以上に渡ってMを見てて、患者に悪評を吹き込むような娘では無いのは十分に解っていたし、第一悪評じゃなくて退職に貴様たちが追い込んだのは100%間違いない事実じゃないか!

 もう、こいつらは腐り切っている。ヤマシタは特にだ!

 さて話を戻して、M退職後から数日してPTのTが勤務を始めた。が!またいろいろな問題を起こしてくれるんだな~

oac光と影15 改訂版

 「光と影」の題名のシリーズなのに、いつまでも影にばかり特化した内容になっていたので、今回は少しだけ光の部分にも触れてみようかなと思う。何せ12年近く御世話になった職場だからね~大人になったな僕も。

 oacは整形外科、内科、リハビリテーション科の他に通所リハビリテーション、訪問看護、居宅介護支援事業、デイサービス等を行っている江別市大麻中町にあるクリニックである(もうクリニックの名前言っているようなものだね~)

 他に株式会社KKKの名儀で訪問ヘルパーステーション、江別駅の近くにグループホームなどを経営している。

 もちろん実際に経営しているのは旭川に本部を持つ医療法人KKKで、oacの院長はKKKの理事も兼ねてはいるけど権力は全て理事長に集中するようにできており、実質雇われ院長である。

 ちなみにこの医療法人kkk、旭川市内に肛門科の病院と幾つかの診療所、グループホーム等を経営しており、その他苫小牧、妹背牛町等にも事業所を経営している。

 まあoacが滅茶苦茶なのと同様に本部も典型的なブラック企業で、毎年、事務長や看護師、その他職員が変わるような病院である。

 さて話を戻してoacの話。前にN院長と給与の話をしたことがあったが、「私もボーナスも何も貰っていないんだから契約社員と一緒だ」と言っていた。

 病院の支出の役員報酬を見ると(oacには役員は院長しかいない)月に200万は貰っているようである。世の中の雇われ院長の相場は分からないが、月給200万は安くはないだろう…契約社員では絶対に無いよね。

 忘年会や観楓会も他の病院と同じように行われるが、私が以前勤めていた職場と違い、自己負担金がとられることも多かった。まあ観楓会はともかくとしても、忘年会で自己負担金を取られる職場なんてあるんだろうか?

 いわゆる職員の福利厚生にはほとんど予算を掛けることが無かった。病院主催の講演会活動や地域へのボランティアには強制的に職員を派遣していた。休日なども町内の祭りの手伝いなどに無償で参加させられたいた。

 もちろん強制である。保険の請求なんかも滅茶苦茶、かなり暴利を貪っているクリニックであった。

 ん?光の部分が無いや~失敬失敬

oac光と影14 改訂版

 それは、ある病気で現在通院中であるという話だった。まあ最初にこの記事を書いた時は病名を伏せたが、このスタッフとは後に嫌な思いもさせられたので書いても良いだろう。「鬱病」である。

 なんで誰も会ってすらいないのに、みんなそんな話を知っているのか?休憩室で会う人会う人に「大丈夫なの?」と聞かれた。噂の出所を聞いていくと受付のおしゃべりなユキエに辿り着いた。ユキエに聞くと履歴書が届いた時にちょうど事務室にY事務長に見せてもらったというのだ。

 すぐに事務長のところに行って 「新人の病気のうわさを聞きました履歴書の原本を見せてください」と言うと、渋々見せてよこした。事務長は本部には病気のことは伏せたいので改ざんした履歴書の方を送ったと言った。

 「なんで新人の病気の話が知られているんだ?」と聞かれたので、ユキエがみんなに広めていると言っておいた。「あいつ口が軽いな~」と言っていた

 個人情報を管理する事務長と受付が個人情報を管理できないどんな病院だ!別に病気なんてどうだっていい、誰でも何かしらの体調不良や病気の一つや二つは持っていて当然だ。

 しかし、あくまでも個人のプライバシーの問題であり本人が自分で話さない限りは適当に広めていいものではないはずだ。

 そんな情報が書かれた履歴書をまったく関係の無いユキエに気安く見せるYもYだし、個人情報を扱う受付業務を行っているのにペラペラ広めるユキエもユキエだ。30歳にもなって善悪の区別もつかないのか?

 まあユキエはとにかく気が強くて目上のものにも喰ってかかる性格で私も嫌な思いを散々させられた。そんなユキエもすでにoacからいなくなったが…

 またこの時期に助手としてパート職員も入職している。当然ながらいつ面接したのも、いつから来るのかも何の報告も無かった。

oac光と影13 改訂版

 4/11が最終勤務日ということででMの退職が決まった。それまでの1ヵ月弱の間、Oからは何の報告もなくY事務長からも何の報告もなかった。

 新職員の面接にも、去年までは同席していたのだが、何故かこの時期より私の方には何の話も来なくなり、まったく部署の違う関係も無いisi女史が同席して事務長と2人で行うようになっていた。私にもN院長にも一切の情報が来なくなっていた。

 病院の情報や今後の進路、リハビリ室の人事等全てが遮断され、2人で勝手に決められていた。事務長に聞いても「面接じゃなくて見学に来ただけだから」の1点張りだった。

 Mの退職の日がやってきた。以前、退職者は月曜の朝礼で事務長の方から発表して、全職員の前で挨拶をしていたのだが、Y事務長赴任以来、退職者の数が多いのと退職理由が円満じゃないためだろうが、朝礼での紹介も無くなったし送別会すらやらなくなっていた。

 Mの送別会はリハビリ室のスタッフだけで行うことにした。それだけじゃあ、あまりに可哀そうだと思い受付や看護師でMと親しくしていた女性スタッフには声を掛けた。しかし土曜日は都合が悪いという返事ばかりだった…うーん女の方がドライなのかな? 誰か教えてsad

 Mから朝、全員に手紙とお菓子が渡された。手紙の内容は伏せるが…3年前に起きた事件のことが書かれていてその件に対する感謝の言葉が書かれていた。

 送別会では嫌なことを忘れるようにみんなで飲んで騒いだ。私からはMに妻の描いた絵をプレゼントした。やるせない寂しい気持ちで一杯だった。

 翌週になって新しいPTが決まったと言われた。履歴書を見せてくれとYに言うと、張り合わせてコピーしたような履歴書を渡された。そこには特に変わったことは書いていなかったが休憩室ですぐに看護師や受付から新人に対する情報が耳に入ってきた。それは…

2010/04/12

oac光と影12 改訂版

cふたたび院長、事務長との3人での話し合いの日がやってきた、正直、もう私はこのメンバーで意味のない話を繰り返すことに嫌気がさしていた。仕事が終わった後に8時近くまでダラダラと何の結論も決定もできない(すべて本部KKKの承認がいるから)話し合いを行うことに疲れ果てていた。

 私はMが辞めること、今後補充をどうするのかということ、このままだフォローも何もしなければOも辞めてしまうことになるだろうということなどを院長に説明した。

 院長は「2人には本当に済まないことをしたと思う、本当は私の口から説明しなければいけないんだけど時間がなくて…」また、始まった。結局自分だけは良い子でいたい病だ。

 (俺と帰りにダラダラ話す時間は毎回あるのに何で鍼灸師の二人と話す時間は取れないんだ!) 怒りを押し殺して院長に言った 「病院の決めたことで鍼灸師の2人も看護師の3人も生活から何から全てに影響が出るんですから、院長の口から直接謝罪と説明をするべきです、時間をきちんと作ってみんなに説明してください」と言ってやった。すると院長も 「そうだな、私から時間を作って鍼灸師にも看護師にもきちんと説明して理解してもらうよ」と言ってくれた。

 事務長は変わらず「Mの抜けた分は以前からPT、OTの募集を出しているのですぐに見つかると思います。これで収益も増やせますしビジネスチャンスです」と院長に言っていた。もうこの男には人の痛みや悲しみを理解する感情も無いんだろうな~と思い諦めてしまった。

 「PT、OTは契約社員で雇用するんですか?」と聞くと「正社員でないと入ってくれないだろう~鍼灸師と違って単位数も増やせるし利益も上がるから本部もOKだと思う。」

 普段ならここでまた口論になるところだが私には言い返す気力が無かった。確実に私の心は蝕まれ始めていた。

 最後に院長が 「鍼灸師の2人も去年、何か鍼を使ってやりたい症例とか鍼治療のPRとか考えてくれと言っておいたのに何も言ってこなかった。それも2人を降下させることにした理由の一つだ」と言った。 

 だったらその時に一緒にいたPT、OTの2人だって何ひとつ提案も何もしていない。我々全員同罪じゃないか。そして院長も事務長も2人がどれだけ患者受けが良かったかを理解しようとせず収益しか見ていない。鍼灸師の2人が診た患者だって指示通り個別に換算しているのにだ!

 最後にスタッフへの説明を直接するように院長に念を押して終了した。 しかし、当然のように院長から降格された鍼灸師、看護師、受付への直接の説明は最後まで行われなかった。

 最低だよね~

トップの器~光と影番外編~ 改訂版

 光と影シリーズの番外編として11年以上に渡って付き合ってきたN院長について少しだけ書きたいと思います。光と影シリーズを読んでいると非常に優柔不断で他人任せで責任感の無い人だと思われると思いますが、まあ実際その通りではあるんです。

 ただそれは院長の器ではないというだけで医者として人間として失格というわけでは無いということです。あくまでも器が限りなく小さいということです(例えて言うならペットボトルの蓋位かな?)。

 平成10年の開院仕立ての頃は「いずれはこの建物ごと買い取ってKKKから独立する。」とか言っていたし土曜の業務終了後に職員を引き連れて全員に昼食を御馳走してくれたり(まあ10人もいなかったし結局病院の経費で落としてもらっていたけど。)などいくらか男気も見せていた。

 KKKの本部長なんかも「ここの経営者はあくまで院長だから」と表面上は立てていたしね。開院3年目位かな?赴任したばかりの2人目のyaji事務長が院長と同い年ということもあって意気投合したのか、急に張り切って年始に全職員とkkkの本部長、統括師長のいる前で「今後はyaji事務長を中心にみんなで協力して自主独立を目指す!」と宣言したんだよね。

 そのとき横にいたisi女史は鼻で笑って「できもしないこと言って…本部からの締め付け厳しくなるよ」と予言した。まさにその通りになった。

 結局yaji事務長は毎日のように本部から業績の報告や人事のことで呼び出しをくらい、1万円以上の決算権は与えないなどの嫌がらせを受けていた。また会議でのyaji事務長の発言などをいちいち本部に密告する人もいた(isi女史や事務長になり損ねたK氏)

 結局yaji事務長は1年半位で辞めてしまった。院長は一切かばわず自分の保身に走っていた。その後自主独立などという話は出なくなってしまった。

 院長の思いつきで動かされたことで歴代の事務長はみな退職や降格に追い込まれている。現在のY事務長は逆に院長の上の立場で指示を出して操縦しているような雰囲気を感じる。

 しかしY事務長は人間として人の上に立てるような器ではない。もうすでにoacは砂上の楼閣である。

 開院以来、oacに事務方として勤務していたK氏なんかは院長の優柔不断さの一番の被害者だったかも知れない。

 開院当初はoacの事務長は旭川のKKK本部のW事務長(現本部長)が兼任していた。K氏は事務課長という立場で実質事務長の役割をしてたと思う。

 K氏、正直仕事はあまり出来ない男だった、何を頼んでも忘れるし遅いし、直ぐに感情的になるし、会議の時だけは正論を述べて良い人であろうとするし。

 それでも力が無いなりに本部との折衝に当たって頑張っていたんだろう。N院長からの信頼は厚かった。

 その後、次から次にK氏の上司になる事務長が入ってきては辞めていた。S氏が事務長になった時にK氏に旭川の本部で勤務するようにという辞令が出た。K氏の夫人は札幌市内の病院で受付をしていたし、給与もK氏よりも良いので夫婦は別居し、K氏は旭川の実家から本院に通勤するようになり半年後に退職して札幌に戻ってきた。

 K氏は他の職場で働きだしたのだが約1年後に退職、ちょうどこの頃には他の章でも述べているkumi&matu事件の頃だったこともあり、他の就職が内定していたのにN院長がかなり強引に誘って復帰させたのである。

 今回は完全に事務長としての復帰であった。この時N院長は私に「今回はK君を私は全力で守るから」と宣言していた・・・もちろん後に空手形になる発言だったが。

 結局本部に苛められぬいたK氏は半年持たずに辞表を提出。しかし事務系で唯一信頼のできるスタッフのK氏に辞められては困る院長は必死に慰留してイチ受付として残ることになった。

 結局、去年の段階で事務長までやったK氏は契約社員にまで格下げされて、それでもY事務長とはまともに会話出来ない院長はK氏に仕事を押しつけ続け、それが重なってK氏もようやか近々退職が決まったそうである。

 粘りすぎっだってーの!

oac光と影11 改訂版

 まだまだ続くasacliの光と影シリーズ改訂版、今回は豆腐好きさんや十文字君の退職の経緯、更に過去のことなんかも書き足すよていであるから、ボリュームもさらにアップする予定だ。その頃にはまだまだoac被害者の会が増えているんだろうな~って言うかoacが潰れている可能性も十分にあるだろうけどhappy02

 さて、鍼灸師の契約社員変更が通告された翌週に、女性鍼灸師のMから退職の申し出があった。少し意外な気がした…男性鍼灸師のOの退職は予想していたのだがまさかMから先に退職の申し出があるとは…正直頭が真っ白になった。

 実際、最初のリストラ計画で真っ先に候補にされていたのはMだった、年齢も20代と若いし独身と言うこともあって真っ先にターゲットにされたのだと思う。但し当初の予定では、Mは完全にリストラされう予定だったのを必死に交渉してなんとか契約社員で残ってもらうと言うように内容が緩和されたことでMは残ってくれると思っていた。

 oacの同世代の他部門職員はほぼ全員契約社員と言うのも私の思い込みに拍車を掛けていた。

 だが、若くて独身ということは身軽でもある、決断も早いのかも知れない。「で、どこに行くの?」と聞くと「S区のH治療院です」と答えた。嫌な予感がした。実は1年前のパートさんのリストラの時に嫌気がして、それ以来ハローワークの募集を気にして見るようになっていた。

 H治療院は常に募集が出ていた(しかも常に3人)。いまのご時世に常に鍼灸師や柔整師の募集を出しているということは、よっぽど忙しいかよっぽど労働条件が悪いかのどっちかの可能性が高い。

 ちなみにoacも看護師や介護職員の募集を常に出している。みんな業務や人間関係、薄給、いつまでたっても契約社員から正社員への登用が無い(入社時には1年後に正社員にすると嘘をついて雇っている)などの問題があるから常に社員の出入りが激しいのだ。

 つまり1年を通して募集を出し続けているH治療院も同じなのでは?と思った。だからその話をMにしてみたが「昨日見学に行ったら雰囲気も良かったので大丈夫です!」と答えた。もう何も言えない。

 すぐに事務長に報告に行った。すると奴は「これでPT入れれたら個別の単位数も増やせるからある意味、ビジネスチャンスだ!」と喜々として言った。頭に血が昇った。「長年働いてくれた職員が、辞めると言っているのにビジネスチャンスなんて言い方ないでしょう」とまた口論になってしまった。結局週末にまた院長含めて話し合うことになった。意味のない話し合いを…

 そういえばMの新しい職場に対する私の予感は当たってしまった。結局彼女は一ヵ月持たずにH治療院も辞めることになったのだから…

 Mは容量も良いし人当たりも良くて頑張り屋だった、その彼女があっという間に退職する位なのだからよっぽどなのだろう。

 後に聞いた話では、いざ勤務をして見ると、当初は2交代制と聞いていたのが全部嘘で朝は8時から夜も8時まで受け付けをして、患者が居なくなるのが9時過ぎ。そこから掃除をして更に「勉強会」と称してマッサージの練習をさせられていたそうである。何せほとんどみんな毎月スタッフが入れ替わる位だから練習は必要なんだろう。

 で、業務が終わるのは12時近く。残業代も支給されず、給与も最初に言われていた額には程遠いものだったようだ。

 そりゃあ辞めて正解だ。酷過ぎるcrying

oac光と影10 改訂版

 偶然その日は女性鍼灸師のMが休みで男性鍼灸師のОのみが勤務していた。夕方、事務長から呼び出されて一人で事務室へ向かっていった。約30分後、青ざめた顔で戻ってきた…何も聞けなかった。

 翌日、事務長にどのように話したか聞いた
①予算的に厳しいから4月以降契約社員になってもらう。ボーナスと燃料手当以外は今まで通りに支給される予定。期間は1年契約。
②夏のボーナスは減額はされるが今回は出る
③納得できなくて退職する場合は退職金は会社都合扱い同様に満額出す
④契約社員に格下げ後に退職する場合は退職金は出せない。5月15日付で契約社員に格下げするから、それまでに結論は出せ。
…と説明したと言った1,2はともかく3,4の内容はどう考えても退職を強制しているとしか思えない。家族持ちの男性鍼灸師はこの条件では辞めるのではと思った。

 更に後に聞いた話では「鍼灸師はリハ点数の算定に関われないし、院長も今後鍼灸治療を継続する気も無い、今後残る場合は、あくまで助手として物療のみをやってもらう」こんな話まで勝手に決めて伝えていたそうである。

 翌日、女性鍼灸師にも告げられた。
2人とも平静を装って仕事は続けていた。しかし先に次の行動に出たのは若い女性鍼灸師だった。
 朝のミーティング終了後に彼女の方から私に報告に来た。

oac光と影9 改訂版

 Y事務長とisi女史(デイケア所長)の間でリハビリの人員整理の話は確実に話し合われていたようである。この話の直後にisi女史から「Yさん(PT)を正職にしてデイケアと外来のリハビリに配置したいからtappyさんからも本部に稟議書を書いてほしい」と頼まれた。

 私は現行スタッフが契約社員に格下げされるかも知れない状況でisi女史の気に入った人だけは今までと変わらずに正社員に登用されていくということに納得が出来なかったので、「今の状況ではそんなもの書けない」と断った。

 結局、Y女史自身も正職への登用は望んでなかったようでこの話は流れたようだが、これが今度は私を退職に追い込もうという切っ掛けになったんだと思う。

 実際、今まではリハビリの人事や業務に口を挟まなかったisi女史がデイケアでの業務を午後はほとんどせずに、事務室に入り浸ってY事務長とつるみ出して、急にあちこちの部署に口を挟み出していたのは事実だ。
 

 その後も何度か交渉したが結局Y事務長は鍼灸師の「契約社員格下げは、予算上避けられない」の一点張りだった。まあこの人は、他人の意見は一切聞かないし聞く耳も、聞く気も理解する頭も持っていないんだから仕方ない。

 院長に相談しても「本部で決まったことだから…」とか「僕は鍼灸の効果を信じていないし」とか言い出す始末である。10年以上も患者に鍼治療を処方してきたのは一体誰なんだ!「でも先生が指示出して鍼治療をしていたのにそれは無いんじゃないですか!」院長相手に思わず声を荒げてしまった。

 そうこうする内に鍼灸師の二人に院長と事務長の方から契約社員への身分変更の通告をする日が来た。
 最初は朝イチで呼び出して告げるという話だったが、私の方からその日の業務を考えて、業務終了後にしてくれとお願いした。当日院長は同席せずに事務長とMマネージャーの二人で帰りに告げると言われた。この期に及んで院長はまた逃げたのだった、本当にダメな男だ。

2010/04/11

すっかり忘れていた!

 いやあ昨日の飲み過ぎの影響か否かは定かでは無いのだけど大切なことをすっかり忘れていた・・・今日4月11日は僕の39回目の誕生日だった~

 もう誕生日で喜ぶ年齢でも無いので何となくまた一つ歳を取ったな~来年40歳か~って言う位の感覚しかないんですけど・・・

 30代最後の1年を有意義に過ごして、カッコいいオヤジに慣れるように頑張ります。あともう一点、今日からこのブログにも僕のTwitterでの最新の書き込みが画面の隅で見れるようにしました。興味のある方は是非Twitterに登録してもらって相互フォローしましょう。

 今のところリアルな友人や知り合いにまったく出会っていないので少し寂しいんですよ~

昨日の夜は…

 昨日の夜は、新札幌で久々にoac被害者の会(笑)とでも言えばいいのか、昔の仲間で集まって呑んだbottle 結局夜中の2時近くまで呑んだのかな?

 僕の他には、豆腐好きさん、十文字君、愛しのエリーheart01、Ayaka姫の全部で5人のメンバーで呑んだ。最近飲み会も余り無かったし、今回は全員がストレスから解放されているからか本当に気持ち良く飲むことができた。

 一次会、二次会とも飲み放題のプランだったこともあり、全種類制覇の気持ちでで挑んだが流石にそれは無理だったようだweep

 まあでも1年ぶりにエリーheart01やAyaka姫に会うことが出来たし、エリーheart01とはズッと隣で話せてデュエットまで出来て最高に楽しかった~

 豆腐好きさんと僕は新天地での仕事が決まったし、十文字君は仙台市への引越しが決まった。エリーheart01も元気そうだったし、Ayaka姫も恵庭市で彼氏と一緒に働きながら結婚に向けて進んでいるようだった。

 ああ!「エリーheart01と飲むときは絶対に呼んでくれよ~」って言っていた人がいたな~。残念ながらエリーheart01本人が会いたくないそうですから、ご容赦ください。N院長様~

2010/04/09

愛しの愛ホンちゃん

P1010013  僕はJ-Phone時代からのソフトバンクユーザーである。

 理由は安かったからなのだが、J-Phone時代は他社に先駆けて写メールを実用化したり、藤原紀香をCMに起用したイメージ作りに成功したのか通話品質や札幌から離れると露骨に電波の繋がりが悪くなる(松前町に泊まりに行った時など3泊4日まったく使えなかった)等の問題点も多数あったが新進のメーカーのイメージもあって満足して使っていた。

おかしくなりだしたのは経営がボーダフォンに代わってからであった。急に携帯の操作方法が国際標準になり(ボーダフォンはイギリスの会社だった)携帯の機種も少なくなりCMも地味になり、それでいて通話品質、通話エリアはJ-Phone時代と変わり無しという最悪の状況だった。

 あっという間にauにも抜き去られdocomo,auに大きく水を開けられた3番手の定位置に落ち着いてしまった。

 しかし、大企業ソフトバンクが買収し経営に乗り出してから一気に状況が変わった。ホワイトプラン等の導入、白戸家の人々のCM、次から次に多数発売される新機種。とにかく劇的に変わり一気にトップのdocomoに肉薄する存在になってしまった。

 道内では通話エリアも飛躍的に広くなり松前を始めどこに行っても繋がらないということはまず無くなった。

 さて僕は3月1日に久々の機種交換をした。写真右の911TからiPhone3GSにである。911Tは2007年の8月に購入したのだから2年半に渡って使用した。今までの携帯電話の中で最も長く使用した機種であった。

 最近はどのメーカーも携帯電話の値段が高くなったが2年間機種交換をしないことを条件に割引にして販売するようになった。これは良いことである。以前は新規加入0円とか機種交換でも半年過ぎれば1000円なんて時代があった。その頃は僕も1年置きに機種交換をしていたのだが、5年前は新機種が出るたびに次から次に新しい機能が追加されていたしまだ携帯を持っていない人もいたが、もうすでにほぼ全員に携帯が行きわたり、新機能の追加も落ち着いた状態であるだけに、この2年間の縛り自体は良い制度だと思っていた。

 2年半に渡って使っていた911T、機能的にはまったく申し分無い物だった。ワンセグ、おサイフケータイ、GPS、320万画素のカメラ、フルプラウザ内臓、長時間のビデオ録画など2年半経っても現行の機種とそれほど変わりない機能が内蔵されていた。

 しかし傷も目立ち始めていたし2年も過ぎたので、近くのヤマダ電機に去年の暮れ位からちょくちょく新型携帯の品定めに行き出していた。

 どれも確かに性能は向上していた。カメラは1200万画素までの機種が出てたし。どれもスタイルもカッコいいが正直ピンとこなかった。まあシャープの高機能型に代えようかなと漠然と思っていた。

 さて以前にも書いたtwitterにすっかりハマっていた僕はそこでやたらみんなiPhone3GSを使用していることに驚かされた。しかもみんな大絶賛!宝物だという人までいた。

 正直、理解はできなかったのだが。みんながみんな絶賛して進めてくるので少しづつ心が揺らぎ始めとうとう3月1日にiPhone3GSの購入に至ったのである。

 さて使ってみると…まさに最高の大人のおもちゃと言えば良いか~とにかく楽しくて楽しくて仕方ないものだったのである。携帯とも言えるしパソコンとも言えるし、音楽プレイヤーでもありビデオプレイヤーでもある、カメラでもありビデオカメラでもある。世界中と繋がる情報機器でもある。そして無限にあるアプリケーションを購入することにより機能がどんどん追加されていく面白さ。アプリケーションは10万種類にも及ぶというのだから凄い。

 カメラ機能も画素的には300万画素と以前の携帯や最新の国産携帯に比べると遥かに落ちるのに豊富なカメラアプリによりとにかく画素数以上にキレイに補正して写してくれるし。無線LANのアンテナもセットで付いてくるのでパソコンと同様の速さで室内ではインターネットを楽しむこともできる。

 twitterの専用アプリも多数用意されているため携帯では見づらかったのがパソコンよりも楽しくtwitterが出来るようになった。

 他にも楽しい機能や操作性がたくさんあるのだがうまく説明できないのだ。確かにワンセグやお財布ケータイ等の機能は無くなったのだがそれを補って余りある位の楽しみを僕に与えてくれたiPhone3GS。今後も長い長い付き合いになりそうである。今年中にはiPadも買いたいと思っているので、パソコン自体を家では使わなくなるかもしれないな~

oac光と影8 改訂版

 その後、何の音沙汰も無かったのでY事務長にリストラの件を確認した。「外来はやはり内科の診察日も減るしこのまま正職4人では厳しい、2人はパートになってもらうことになりそうだ。リハビリに関しては仕事も多いしこのままの体制で行くから」…正直、ホッとした…鍼灸師2人が辞めさせられずに済んだと思った。しかしこの言葉には裏があったのだった。

 3月になって各部門の主任以上が集められた、院長の口から4月以降は勤務体制が変わる人たちが出ると思うという説明がされた。不思議なことに他部門の主任からは質問も何もなかった。

 内密な話だったはずで全体会議などでも一切議題に出ていなかったはずなのに…Isi女史やY事務長が根回していたのだろうか?

 誰も何も言わないので私が質問した「退職を前提にした変更じゃないですよね?」事務長は「退職者は出さない」と言った。「但し勤務形態が変わる者はいる」とも付け加えた。私は単純に外来看護師のことだと思った

 帰りに「リハビリは変化なしですね?」と念を押した。すると事務長は「鍼灸師の二人には契約社員になってもらうことに決めた」といった。やられた!まんまとだまされた!

 「利益につながらない鍼灸師2人を正職では置いておけない」事務長はその一点張りである。「病院は資格がすべて、鍼灸師はいらない、いずれはPT・OTが中心のリハビリが必要」 以前、Isi女史が言っていた言葉を思い出した。

2010/04/05

oac光と影7 改訂版

 新しい人生に踏み出すためにもこの際、腹に貯まっている物は全部吐き出してしまおう。asacli関係者でタレコミ情報や質問などあったらどんどんコメントしてください。

 院長、Y事務長、Mエリアマネージャー、W本部長など以上に危険な人物がいる。それがoacの女帝、Isi女史である。この11年間、Isi女史のお気に召さなかったばかりに退職に追い込まれたスタッフが何人いたか…歴代事務長、歴代看護師長、看護師、リハスタッフ、デイケアスタッフなど自分の気に入らない者がいると本部やその他の管理職に手を廻して次々に退職に追い込んでいくのである。

 その後に今回のリストラ騒動から私の退職に至るまでの流れにIsi女史が深く深く関わっていたことが判明してくるのである。

どの部署から誰をリストラをするかというのはY氏とIsi女史の間で話を進めていたようなのだ、そして、我々には「私は何も知らない」と嘘をついていたのである。

 もともと、この人は他の部署の事にいちいち口を挟む人だった。デイケアの所長なんだからデイケアの事だけやってれば良いのである。所が外来リハビリの治療方針やリハビリ内容にもいちいち口を挟んで来るのである。

 やれ「マッサージなんか辞めろ」「予約制にした方が良い」「鍼灸師は要らな要らないんじゃないか」等である。そもそもリハビリの内容なんて院長が決めて我々はその指示に従っているだけである。

 内容などに意見があるのであれば院長に言えば良いのだ。で、このisi女史何かにつけて事務室に入り浸るようになった。新参者のY事務長を洗脳して自分の思うがままに操れるようにした訳だ。

oac光と影6 改訂版

 院長を含めての会議の日が来た。出席者はN院長、U看護主任、私、Y事務長、Mエリアマネージャーの5人。

 朝、院長に今日の会議の内容を聞く。すると相変わらず院長は「僕も詳しくは聞いていないんだ」と言っていた。
 昔からそうだった・・・「人事のことは本部に任せているから…」、「経理のことは本部に任せているから…」、「運営上の管理は本部に任せているから…」、「本部との交渉は事務長に任せているから…」すべて他人まかせだ。
 そのくせ朝礼なんかでは「私も開業医として…」とか言っている。どこが開業医?いい加減にしろと言ってやりたい気持である。

 事務長からは前回同様の話が出た。リハビリについては対象は鍼灸師の二人だけで私の身分は保障する。もちろん個別リハビリⅠの算定要員である理学療法士、作業療法士はリストラの対象外であると言われた。

 それが逆に火を付けた!私は「まだ現実に売り上げも落ちていないし内科の患者数とリハビリの患者数はリンクしているわけでもない。一方では患者数を増やせ、利益を上げろと言ってそれを実行してきたのにそれを継続しながら人員を減らせとはおかしいじゃないですか!」と強く抗議した。
 さらに続けて「業務もきつくなるし、職員の生活だって掛っている、まずは全体の給与を見直すなり策を練るのが本当でしょう。こんな最初から資格で差別して働きを見ずに勝手にリストラ案を出されるのは絶対に納得できない。angry」とも言った。

 U看護主任の方は、自分自信のの身分の保障に安心したようだ。看護部門への提示はU主任はそのまま身分保障。他の正職の看護師3人をいきなりパートに格下げすると言うものだった。U主任は既にその案で3人が辞めた後の事を心配していた。「今の3人のスタッフが辞めたら新人が慣れるまでしばらく大変です~catface」と言っていて既にその案で了承した状態。う~ん女の方がドライなのかな~?

 その場で相変わらず自分の意見も何も述べずに傍観している院長に、私が言ったのは「院長、昔経営者の集まりで職員をリストラするような企業は倒産しても当たり前の企業だと言われたと朝礼で言ってたじゃないですか?」と私が言うと院長は「私が決めたことじゃないし…最終的には私が責任もって決めなきゃいけないんだけど…でも本部の意向もあるし…」はあ・・・相変わらずだ…まあ院長の性格を知っている人なら解るでしょう。

 結局、2月いっぱいは新しい内科医の確保に努める。決まらない場合は3月中に結論を決めるということに決まった。
 2月に入って週に4日の内科医の確保ができたと院長から聞いた。今までの内科医も週5日勤務とは言え結構休んでいたので実際勤務は変わらないと思った。これでリストラの話もなくなると思った。

 が・・・内科医の問題は実はカモフラージュだったのだ!実は純粋に人件費の圧縮のためのリストラだったことが後に判明していくのである。

2010/04/04

気づいた人は・・・

 以前に書いていた「oacの光と影シリーズ」を加筆修正して現在アップ中である。違いは微妙に誤魔化して書いていた部分をハッキリ書いているのと、以前は言い訳がましく、フィクションであると但し書きを着けていたのを消した。

 何せ完全ノンフィクションですからね~。本当は病院の名前も幹部たちの名前も全て実名で書きたい位である。

 今後も具体的な個人攻撃の例や、前回は書けなかった私を退職に追い込んだやり方等もぼやかさずに書いていこうと思う。

 最後には病院の現在の状況や惨状も知り得た情報で流して行こうと思う。職員に酷い病院は患者にも当然酷い病院であるのだ。

 だから、正直早目に潰れて欲しいと思っている位に恨み骨髄であるのだ。

oac光と影5 改訂版

 Y事務長とMエリアマネージャーから「詳しくは明後日の業務終了後に院長も含めて話し合うから、今日はこのくらいにしてくれ」と言われ私は追い返された。心の中に暗雲が立ち込める・・・・cloud

 1998年にoacに入社以来、常に心の晴れない日々が続いた。本部からの圧力、患者数の極端な増減、薄給と居心地の悪さに辞めるもの、訳のわからない権力争いに巻き込まれて辞めるもの。

 毎月のように変わる方針、10年以上にわたって常に赤字だと圧力をかける本部。決して黒字にならない経営体制(売り上げのほとんどを本部に家賃だ~本部運営費だ~建設協力金だ~修繕積立金だと吸い込まれるようになっている)
 そしてみんなこの病院の異常なムードに嫌気がさしたかのように1年~3年以内に辞めていってしまっていた。angry
 それでも生活のために我慢して働いていたのだが・・・Y氏が事務長に就任して以来完全におかしくなってしまった。
 前任までの事務長は仕事上の付き合いとのみとはいえ普通に接していたがY氏はとにかく高圧的な態度で呼び捨て、命令口調、恫喝、無理難題を押し付ける毎日の連続だった。
 またとにかく、こちらの意見には一切耳を傾けず、常に本部の御機嫌を伺って、クリニックではやりたい放題であった。

 昨年の夏にパートさんをリストラされたあたりから私の体調に異変が出始めていた・・・夜寝つけない、朝暗いうちに目が覚める、ちょっとしたことでイライラするなどであった。

 その頃、本気で退職を考えて、ある病院のリハビリ主任の募集を受けて採用されたのだが結局、その時は主任として仕事を投げ出すわけには行けないと思い、その誘いを断ってしまったのであった。

 昨年の暮れ、院長、事務長両方から年が明けたら話し合いたいことがあると言われていた。以前から鍼灸師の処遇などについて事務長からはとやかく言われていた。いや更に前、診療報酬で鍼灸師は保険点数の算定に関われなくなった頃から、本部長からはちょくちょく鍼灸師は必要なのかと言われていたのである。
 

 クリスマスから正月にかけて食欲が落ちた・・・これは時間がたって回復したが食欲以外は変わらず、年始から院長に軽い安定剤を出してもらっていた。
それで落ち着いていたのだが・・・また気分が落ちてくる。翌日ほかのスタッフの顔をみるのが辛かった。crying

oac光と影4 改訂版

 事務室に抗議に行った私とU主任、事務室には事務長のY氏とエリアマネージャーのM氏がいました。まずは、「共有ファイルに入っているファイルを即刻消去してくれ、他の職員が見たらどうするんだ!」と私が言うと、「ああ、うっかりしていた~ファイルの内容は明後日にでも話そうと思っていたんだ~」とYが呑気に言いました。

 さっそく私は詰め寄りました。「前年と比べて収益も上がっていると年末の会議で報告された。それなのに、なぜリストラの話が出てるんですか!?」と言った。するとYとMはこんなことを言いました。「5月いっぱいで内科医の退職が決まっている、収益が落ちるのは予想できているから落ちる前に人件費を減らすんだ」と。

 つまり、まだ実際は落ちてもいない売り上げを予想して早めに職員の口減らしをしようとしているのです。

 この二人に私は激しく詰め寄りました。リハビリで真っ先にリストラの対象に挙げられていた鍼灸師の二人がどれだけ集客に貢献しているかを訴えました。 しかし答えは「鍼灸師は収益につながらないし院長も承知している」と言うものでした。

 私は10年以上、一緒に働いている院長も我々を物としか見ていない現実を知りました。そして私が抗議しているあいだ中もU看護主任は何も言わずに泣いているだけでした。  つづく

oac光と影3 改訂版

 oacの闇の続きですが・・・その偶然見つけたファイルには外来看護師とリハビリスタッフ全員の年収が記載されていました。

 こと細かに月々の給与、ボーナス、誰と誰をリストラすればこれだけ利益が上がるなどが記載されていた。

 そして4月以降の予定が記載されていました・・・外来看護師は主任以外は全員パートに格下げ、リハビリには3つの案が記載されていました。

 1、鍼灸師の1名をリストラ 2、鍼灸師2名のリストラ 3、鍼灸師2名と私の3名のリストラというものでした。

残りのスタッフで患者数を維持した場合は大幅な利益の増加ができるという試算がされていました。

あまりの内容に驚いた私は業務終了後に看護主任とともにすぐに事務長に抗議に行ったのでした。

そこで出た話とは衝撃的なものでした。

oac光と影2 改訂版

 新事務長Yの就任以来はとにかくきつかった、毎週のように会議室に呼び出されて「売上上げろ!」の話ばかり、しかもそのほとんどが法に引っかかるようなやり方・・・

 N院長にもがっかりしたな~患者単価を上げるためにとか言って必要のない血液検査やMRI等を急に乱発しだした・・・事務長とエリアマネージャーの言いなりになってしまった。

 口では「職員を守るため」とか院長は言っていたけど結局今年の春に利益は上がっているのに謎の大量リストラだもんな~きっと旭川の理事長が株かなんかで損したのの穴埋めなんだろうなthunder

 さてY事務長とMエリアマネージャー、悪名高いK本医科学出身だけにとにかく悪どい。

 去年散々、がんばって売上を伸ばしたリハビリと外来看護師の人員削減を言いだしたのでした・・・それは昨年の1月、私が偶然、病院のネットワーク上の共有ファイルに入っていたあるファイルを見つけたことから始まったのでした。

oac光と影1 改訂版

 昨年1年は本当に激動の日々だったな~typhoon まずは私が退職に至った経過なんかを綴りたいと思います。

 私の勤めていたoacは元々旭川に本部(医療法人KKK)を持つクリニックで、とにかく本部の指示が無いと何一つ物事が決まらない職場だったのさ。もちろんN院長は名ばかりの雇われ院長(理事も兼ねてるくせに・・・情けね~)、歴代の事務長は名ばかり管理職の本部の御用聞きという状態でした。

 私はリハビリ室の主任という立場で会議やなんかで本部から週一で来る本部長に売上についての嫌味や文句を言われ続けていました。

それでも去年の春まではうんざりしながらも何とか我慢できていたけど・・・去年の春に7人目の名ばかり事務長のY(仮名)氏が事務長に就任してから真の地獄の始まりであった。

顔出して行こう~

 12月から再開したブログだったけど、今まで顔は出していなかった。まあoacの光と影シリーズなんかを書くので、まだ登場する職員がクリニックに残っていたりするし、私の就職が決まっていなかったりで妨害されても嫌なので顔を出していなかったんだけど、twitter上では最初から顔を出して発言していたし、今回「十文字君」の退職も正式に決まったので誰にも迷惑も掛かることも無くなったので、4月からブログ上でも顔を出して行こうかと思う。

 それに伴って、記事の方も少し訂正して行きたいと思う。今まで伏せていた部分なども出せる限りで出していきたいと思う。「光と影」シリーズなどはもう少し突っ込んだ表現に直せる部分は直して行きたいと思う。

 oacの元関係者や現職員にはもう一度読み返しても楽しめるように加筆して行きたいと思っているので乞うご期待を。順次再アップして行きます。

2010/04/02

twitterで出会った変わった人達。

Twitter 今回はtwitterで関わってしまった変わった人たちや災難について書いてみたいと思う。

 昨年の12月始めにブログを始めてからブログを書くのが楽しくて連日更新していた。それが「光と影」シリーズである。

 まあ内容的にはoacの身内にしか解らないような内容であったが、元同僚や現役職員、友人達には非常に好評であったし、自分でも書いていて実にストレス発散になり楽しかった。光と影シリーズではoacの退職までの経緯をほぼ事実通りに書くことが出来たし内容にも満足している。

 さて「光と影」シリーズを書き終えた後に何を書こうかと思うとなかなか浮かばず自分が見た映画の感想や良いと思った曲のPVなどを載せていた。悔しいことにそれらを書くとブログの観覧数が飛躍的に伸びるのである。google等でも検索に引っかかるようになったのだが、それは本来のこのブログで僕が書きたかった物と言う訳でも無いので微妙な心境であった。

 その時にtwitterを始めて見ることにしたのだ。最初は去年の12月25日に登録を開始したようである。が、実際はそのまま放置しておいたので、本当にツイートしだしたのは1月の中旬位からであろうか。今日までの段階で4200名の方をフォローし、4250名の方からフォローされている。まあ3カ月程度で無理なフォローはせずに普通にツイートしながらだからかなり多い方であると思う。ここで、この3ヶ月間にtwitter上で出会った変人や事件などを折角だから書いて見たいと思う

①G氏・・・twitterを始めていちばん最初に出会ってしまった変人であり最も凄まじい思いをさせられた人物でもある。最初はある女の子の「ストーカに狙われているみたいで怖い」という書き込みに反応したのが最初だった。その直後にフォローをしてきたのがG氏である。ちょうどウルトラセブンの記事をブログにアップした直後で特撮マニア&プロレスマニアのようであった。

 とにかく矢継ぎ早に次から次にリプライ(直接寄こすメールみたいな物)を寄こしてくる。それも一方的に自分の言いたいことばかりを書いててこっちの書いた内容は否定するばかり、またプロレスの話も聞いたことも無い団体の話ばかりである。その中でさっき書いた女の子のことを誹謗中傷してきたのである。でその子にDM(相互フォローしている同志でやり取り出来る当人同志しか見れないメール)で確認したところそのストーカだったのである。彼女からのメールだと、とにかくしつこく会いたいと迫られており、またあまりのしつこさに無視をすると他のフォロワーに理由を聞いてくれと何人もの人に頼みこんでいたとのことである。Gの過去ログを見ると彼女だけではなく次から次に女性の利用者に交際を迫ってはブロックされて嫌がらせを繰り返していたようである。

 今思えばただ黙ってブロックすれば良いだけのことであるが、当時はまだtwitterに慣れていなかったので「あなたの書き込みは個人攻撃と下品な内容が目に余る。ブロックさせてもらう」とリプレイしてからブロックしてしまった。さあ相手は変人である。ここからが大変であった。彼の頭の中では僕もその女の子に好意を持っており2人の邪魔をしていると考えたのであろう。連日ブログのコメント欄に嫌がらせを書きこまれたし、twitterでも僕のツイートをコピーして悪口を書きまくっていた、まあそんな人間を相手にする人間もいないんだけどね~

 結局無視してたら何故かその彼を攻撃する被害者の会を名乗る人が出てきてその人とやり合っている間にGはツイートを非公開にしたのでもう僕への攻撃をしているのかも解らなくなってしまった。後からこのGを調べるとgoogleで検索すると次から次とトラブルが出てくるネット上では有名なトラブルメイカーだったようである。いやあ大変な人間に関わったものであった。ちなみにそのG氏、私よりはるか前よりtwitterをしていて未だにフォロワーは100人程度である。いつの間にか40倍もの差がついてしまった。

②有名格闘家K氏・・・これはある雑誌にも書かれてしまったのだが、このK氏に質問したところ「うるさい!ウザい!」と返されたのである。こっちも謝ったし向こうも謝ってきたのでそれで良かったのだがその後もファン相手に無礼なツイートを繰り返していたのでこれは酷いなと思い、ブログに記事を書き、また当人を戒めてもらおうと格闘技ライターのH氏にそのブログを読んでもらったのであった。さて翌日、ある格闘技サイトにこのブログの記事とアドレスが晒されていた、まあHの仕業であろう。

そこからは見たことも無いような数の観覧数であった軽く1日1000人は超えていたと思われる。またコメントも酷いものばかり、Hは他のライターと困ったファン扱いで僕のことをツイートしているしブロックもされた。結局この記事は削除した。

要は格闘技なんて選手もマスコミも狭い村社会であるから選手の批判なんてしたら全員で袋叩きにされるのである。格闘技ファンのフォロワーからは10人位はブロックされたのかな・・・でも良い勉強になった。その後はジャンルにとらわれずにいろいろな人とフォロー関係を結んで本当にtwitterが楽しくなった。格闘技マニアの彼らはせいぜい100人程度のフォロワー達と同じ話を繰り返しているのに、私はたくさんのフォロワーといろいろな話が出来るようになったのだから・・・

③自称愛の天使・・・これは最新の困ったチャンである。女史なのだが正直アイコン上の容姿は美人とは思えなかった。この人将来は起業を考えているらしいのだが具体的に何を起業したいのかがサッパリ解らない。次から次にいろんな人にDMを送りつけてきていたのだがとうとうある人にハッキリと「ウザい」と言われたようである。よっぽどショックだったのだろうが自分に極端に優しくしてくれる人以外のフォローを外してしまった。私もその一人だ。正直私自身もこの人を、自分の写真を送って来られたりしてて鬱陶しく思っていたのでこっちもフォローを外した。さてその後のログを見るとその彼女盛んにウザいと言われた相手の悪口を他の親しい(と思っている)フォロワーにDMで送り続けているようであるが、どうやら親しいと思っているのは彼女だけのようで、全て筒抜けのようである・・・普段の人間関係と一緒だな~と思った次第である。