エドウィン・バレロの事件について・・・
正直、今日のこの記事は書くのが気が重いのだけど…大事件なので。いちボクシングファンとして書かない訳には行かないと思い書くことにしました。バレロの夫人殺害、自殺についてです。
エドウィン・バレロはWBA世界スーパーフェザー級、WBC世界ライト級の2階級制覇チャンピオンで27戦全勝27KOのパーフェクトレコードを持つ怪物王者でした。
とにかく強烈なパンチ力を武器に生涯の27戦全てにKO勝ちをした世界でただ一人の選手になってしまいました。またデビューからの18戦は全て初回KO勝ちという記録も持っています。
ベネズエラ出身の彼のボクシング人生は波乱の連続でした。2002年月9日に20歳でプロデビューした。デビュー戦から12戦連続初回KO勝利という記録を更新中の2004年に、ニューヨーク州コミッションのMRI検査で試合直前に脳に異常が発見され(2001年に起こしたバイク事故の後遺症)、ライセンス停止処分を受け、2004年初頭からブランクを余儀なくされる。しかし、コミッション以外の検査では異常が発見されなかった。
アメリカでのスター街道を断たれた彼に救いの手を差し伸べたのが日本の帝拳ジムの本田会長でした。本田会長のマネージメントのもとに中南米、日本等を主戦場にKO記録を更新し続け、2006年に日本でWBA世界スーパーフェザー級王者に挑戦して遂に念願の世界王者になるのです。
その後も、帝拳ジムの下で防衛回数を順調に増やしつつ再度のアメリカ進出(ビッグマッチ路線)を狙っていました。
2008年に体重増加の為にライト級への転向を表明し王座を返上。また夫人のホームシックを理由に帝拳との契約を解消しベネズエラに帰国して新たにアメリカのトップランク社と契約を結びました。
今、思うとこの選択が後の不幸の前触れだったのかも知れません。日本にいた当時はよくwowowでゲスト解説をしていましたが、穏やかな物腰で、毎回最後に「パッキャオと闘いたい」とコメントしていました。
外国人ながらアメリカでスーパースターになって大金を稼いでいるパッキャオを常に意識していたのでしょう。それが「いつかアメリカで成功して見せる」というモチベーションに繋がっていたんだと思います。
しかし、アメリカで彼にプロライセンスを発行したのはテキサス州のコミッションのみで試合はテキサスでしかできませんでした。それでもすぐにWBC世界ライト級の王者になったのですが念願のパッキャオ戦は一向に実現に向かおうとはしませんでした。
パッキャオマネージメントしているトップランク社は実力はあってもアメリカでの知名度の低いバレロとの試合を組む筈も無く、パッキャオは次から次にビッグマッチを実現し、バレロは試合すら中々組まれない状態でした。またこの時期は金銭トラブルや飲酒トラブルも重なり最悪の状況だったのでした。
久々の試合は今年の2月にメキシコにて行われました。もちろんKO勝ちしたのですが、内容的には精彩を欠いた内容でした。
アメリカでスターになる為にトップランク社と契約したのに。アメリカで試合が出来ず、またギャラも日本時代より悪かったのかもしれません。
アルコール依存症になった彼には以前の輝きも無くこの試合後に階級アップを理由に王座を返上。しかし、その直後に夫人への暴力で逮捕されたものの、夫人の嘆願で釈放されて依存症の治療に取りかかっていたんですが・・・
一昨日の朝に宿泊先のホテルで刺殺された夫人の遺体が発見されて、すぐにバレロは逮捕されて殺人を自供。その後拘置所内で首つり自殺をしているところを発見されました。
天才ボクサーがこんな悲劇的な最後を迎えてしまうなんて・・・また夫人もなんてかわいそなんでしょう。
本当に悔しくて悲しい事件でした。バレロが世界的強豪と戦う姿が見たかったです。
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