【コラム】日本の謝罪談話、ブラントを参考にせよ(下)

 8月に発表される談話がいわゆる「村山談話」のレベルを超えるかどうかに注目が集まっている。社会党出身の村山元首相は、1995年8月15日に日本の終戦50周年を迎えた際、「(過去の侵略に)痛切な反省の意を表し、心からのおわびの気持ちを表明する」という内容の談話を発表した。これは、戦後の日本の首相が行った最も高いレベルでの謝罪と評価されている。しかし、日本がこれまで行ってきた謝罪と妄言の歴史を振り返ったとき、「痛切」だとか「心から」など以上に高いレベルの言葉が入ったからどう、入らなかったからどうということはない。重要なのは、外交的表現のレベルについて調製することではなく、過去の過ちに向き合い、真に正直な姿勢で韓国人の心を動かすことだ。

 ドイツはポーランドに対してそれを行った。1970年12月、ポーランドとの関係正常化条約を締結するためポーランドを訪問した西ドイツのブラント首相(当時)は、予告なくワルシャワのユダヤ人犠牲者慰霊碑を訪れ、ひざをついた。欧米でひざをつくという行為は降伏を意味する。進歩雑誌の「シュピーゲル」さえも非難する中、ブラント首相は「これは自分とドイツにとって恥ではない。自分はドイツ現代史のくびきを思い、誰もが言葉では表現できないときにやることをやったまでだ」と述べた。冬の冷たい雨が降る慰霊碑の前で、傘もささずに濡れたセメントにひざをつきながら、涙を流してドイツの過去を謝罪するブラント首相の姿は、テレビを通じて生中継され、ポーランド国民の心を動かした。ポーランド首相は移動する車の中で、何も言わずにブラント首相を抱きしめ、涙を流した。1944年にナチスに抗議してワルシャワ蜂起を起こしたエデルマン氏も、ブラント首相がひざをついたことに対して「偉大な行為」と評価した。ブラント首相の謝罪後、ドイツは完全に生まれ変わった。ポーランド国民はワルシャワに「ブラント広場」を作り、ドイツのざんげに応えた。

 ブラント首相のようにひざを屈せというのではない。今年8月に、「これで最後」といえるだけの日本の真実の謝罪が見たいということだ。

金泰翼(キム・テイク)論説委員

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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