小学校のとき、音楽の先生が私たちに音楽を自由に作らせた授業で、リズムを気にせず一応ルールを守って勝手に作った、結局、雑音のような「音楽」が出来た。
自分の美学は図々しいというのは分かった。
今言っちゃったら危ういかもしれないけど。
実は前やった事は私のロールプレイだった。
あるひとは能力もあり、暇もあり、お金もあり、魅力もあり、経験もあり、ああいうこと考えた事もないとは勿体ないじゃないかと思った。
時代遅れな管理方法で成長してきた中国ではああいう人が必要だ。
だから成功はただあのひとの考え次第だ。
わたしがその学校に入ったタイミングはちょうどよかった。
せんせいたちはそのボロボロの臭い所(外見じゃなく、内面だ)でのたった一つの風景だと判定した。
注意:私は人を指摘してるではない、体制が嫌いだけだ。
そしてあの人が現れた。
特に特別な人ではないけど、其の人の中で矛盾を見た。
いままで見た事もない矛盾だ。
だけど、私が知っていることはあの人が知ってる訳ではなかった。
おまけにあの人は何か別の拘りがあるはずだと判断した。
そのとき、何かをしてみんな幸せになってあげる方法を考えた。(by神崎直)
わざわざでなく、無意識だ。
退職をしてから、あの人の1vs1授業とあったとき、予習はいい加減だ。
頭はチャンド動かなかった。
一番堪能であるのは学校での予習用パソコン(ちょっと怪しい奴)の通り単語や文法などを理解すること。
何回もやって、あの人は絶望したようだ。
わたしから、さらにそのボロボロの学校から逃げて欲しがったようだ。
でもそれだけは足りないと思った。
だからブログで自分の考えなども綴ってあった。
発信などしちゃだめだとは分かってるけど、ついやっちゃった。
でも自分が自分の気持ちをコントロルできないからやった訳ではなかった。
当然、自分は私心が全くないとは嘘だ。
でも自分の利益は自分の信仰よりたいしたもんではないと思う。
一度この地球で生きた事があるから、何かを残した方がいいと思う。
幼稚園からの発想だ。
やはり幼稚かな。