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[20336] 【習作】がくえんもくしろく あなざー(オリ主・ちーと)
Name: 磯狸◆b7a20b15 ID:9ed37a25
Date: 2010/07/18 00:35
この作品を閲覧する際の注意!
この作品は学園黙示録HIGHSCHOOL OF THE DEADの二次創作です。
注意追加、訂正。
7/18 改訂。注意追加

1.オリ主。
2.オリ主最強。
3.途中まで原作沿い。
4.バイオハザードとのゾンビクロス(リッカーなど)、オリジナルゾンビが出る。
5.独自設定。
6.ご都合主義万歳。
7.作者はssを投稿するのは初めてで、稚拙文。
8.作者は最強大好きな中二病…よってこの作品もetc…。
9. グロ注意。
10.4番目の注意にある、ゾンビクロスやオリジナルゾンビが出るとありますが、それっぽい能力の物が出るのは少なくとも中盤以降となります。チートゾンビ達を目当てで来る方はご注意を。

タイトルは、決まっていないので、決まったら変わるかと思われます。
以上の事が大丈夫な寛容な方はお目汚しになると思われますが目を通して見て下さい。




[20336] ぷろろーぐ
Name: 磯狸◆b7a20b15 ID:9ed37a25
Date: 2010/07/16 04:21




 寝不足。霧慧飛鳥の体調を一語で表せば、現在進行形で睡眠不足であろう。
自室の、昨日しっかりと干した春の日差しを一杯浴びたふかふか布団で、気持ちよく惰眠を貪っていた飛鳥であったが、今日も何時ものように祖父の襲撃を受けた。
何時も計ったように同じ時間、同じ言葉で叩き起こされるようになって、既に8年の月日が流れた。



毎朝毎朝、朝の4時丁度。「朝稽古の時間じゃッ! さっさと起きろ!」 と言う喜色混じった怒声と共に叩き起こされ続けている訳だが、低血圧な飛鳥の身体は、一向に慣れてくれない。人は適応する生き物だと言うが、飛鳥は八年これを繰り返されていると言うのに未だ順応していなかった。
もうとっくに諦めの境地に達しているが、きついものはきつい。



尤も寝不足と言う点については祖父に叩き起こされる事よりも、朝早く叩き起こされると分かっていながら夜更かしするのが悪いのだが。
飛鳥の個人的意見としては、それは年頃の少年であれば仕方が無い事。何かに熱中しすぎて夜更かししたり、徹夜をするなど大抵の人であれば覚えがある事だろう。
飛鳥も昨日発売したばかりの新作ゲームに熱中するあまり、何時の間にか何とか起きれるボーダーラインである1時を2時間も超えて寝たのはつい一時間前。



もしかしたら祖父が寝坊するかもしれない。今日まで八年間、雨の日も、風の強い日も、雪の日もただの一度として遅れて来なかった祖父であるが、今日こそ寝坊してくれるかもしれないという、余りに儚く、甘ちゃんな期待を抱いて眠りに付いた訳だが、当然の如くその期待は打ち砕かれた。
そして何時ものように無駄な抵抗を拳骨で黙らされ、無理矢理着替えさせられて、襟首を掴まれ、子猫よろしく道場まで連行されるのだが、飛鳥とて剣術が嫌いな訳では無い。むしろ刀を振るっていると落ち着くし、祖父との立ち合いをするのも非常に楽しい。でも早朝は嫌だ。せめて後一時間。日の出と共にして欲しい。




 祖父との稽古は、泊まりに来た友人がどん引きするくらい激しい物なのだが、如何せんもうそれが当たり前の物になってしまっている。
全ての始まりは、この屋敷に来たばかりの頃、両親を失いぴーぴーめそめそと泣いていたばかりだった飛鳥を、

『男ならそう簡単に涙を流すでないっ! その性根を叩き直してやるわ!』

と、あやす事ができずにおたおたとしていた祖父が苦し紛れに出した言葉。
やると決めたからには遠慮なぞせんっ! と文字通り、打撲擦り傷当たり前、時には骨折する程の激しい鍛練だった。

『打たれ、傷つく事で身体は丈夫になってゆく! 案ずるな、儂もお前の父さんも同じように小さい頃からこんな感じじゃった! 言わば我が家に伝わる健康法のようなもんじゃ! 強く、丈夫になって女にもてる! 良い事しかないじゃろ!? 嘘じゃないぞ、何せ儂の婆さんは儂の逞しい身体に惚れたんじゃからの! がはははははっ!』

と言うのが鍛練初日にぼろぼろになってぐずる飛鳥に向かって言った祖父のお言葉である。
こんなのが家伝の健康法何て嫌だ、と幼いながらに思う飛鳥だったが、これが本当に序の口で、これからもっと酷くなって行くと言う事をこの時の飛鳥はまだ知らなかった。



 夏休みや冬休みなど、長期休業の度に、友達と遊ぶ約束があるーと言う飛鳥の泣きの入った懇願を無視して山や海に連れて行き、そこでスポ根少年漫画やバトル物の漫画の影響としか思えないような事をやらされた。

「ではこっから飛び降りろ!」

山に行けば、度胸を付ける為、受け身の練習、足を鍛える為、と称しての崖からのダイブ。段階を踏んで高くなって行き、現在は七階建て相当の高さでも飛び降りれるように。無論、何度か骨折し、泣いた。そして怪我する度に速くなっていく回復速度にも泣いた。

「的確に敵の攻撃を捌く鍛練じゃ!」

蜂の巣を棒で突き、出て来る蜂を叩き落とす鍛練。刺されまくって虫が嫌いになった。大好きだったクワガタさえ見るのも嫌になった。

「時には逃げる事も大切じゃ。鬼ごっこと思って楽しみながらやるんじゃぞ。楽しみながらするというのは大切じゃからの!」

がははは! と笑いながら冬眠の為に食糧確保に勤しんでいる熊さんの前に放りだされ、散々追い回された。追って来る熊よりも笑いながら孫を熊の前に放りだす祖父の方が怖かった。そして何時の間にか、夕飯確保の為に熊を追いまわしている事に気づいた時、さめざめと涙した。

「暗くて見えない? 何を甘えた事ぬかしとるかっ! 暗いから戦えないなどと言う甘えが戦場で通用する物か! 明るくなるまでに降りて来んとお前の大事にしとる鯉は儂の朝飯じゃからの!」

真っ暗闇の中、山の山頂まで連れて来られ、その場に置き去りに。足を踏み外して崖から落ちたり、猿におしっこかけられたり…散々だった。
それ以上に辛かったのは、死に物狂いで家に帰った時にほかほかと煮つけになっていた鯉を見た時だった。絶望した。真っ白になった飛鳥に、祖父が慌ててこれは別の鯉でお前の鯉はちゃんと池におる、と声をかけたが何の慰めにもなりはしなかった。

「暗闇ではすっかり見えるようになったようじゃからの。今度は眼隠してして帰って来るんじゃ! 絶対に人に見つからないように帰って来るんじゃぞ! でなきゃ儂、児童虐待で捕まってしまうからの! うはははは!」

虐待っつー自覚あるんかいっ! 力一杯突っ込み、いっその事、児童相談所に駆けこんでやろうかと思ったが、今更すぎてどうでも良かった。どうしてあの始まりの日に逃げ出さなかったんだと、手探りで動きながら、心底後悔した。

「阪から丸太を転がすからしっかり避けるか捌くかするんじゃぞー。避け損ねればお陀仏じゃ! 気を抜くで無いぞ」

ごろんごろんと同時に10本弱の丸太が阪から蹴り落とされる。死に物狂いで避けきれば、「おー良くかわした! 流石儂の孫じゃぁ!」と嬉しそうに笑って倍の数の丸太を落とされる。あらん限りの悪態を吐きながら避ける。この日まで、じいちゃんじいちゃんと呼んでいたのが、爺に変わり、その前に糞や死ねなどが付くようになった。
孫がぐれてもーた…などと漏らしていたが、良識ある人間が孫への数々の仕打ちを聞けば、誰もが当然だと言うだろう。そしておまわりさんを呼ぶだろう。

とまぁ上記のように剣術の鍛練以外にも様々な事をやらされて来たのである。
祖父との鍛練を思いだす度に、自分が良く五体満足で生きているな、と心から思った。途中から気付いた事だが、暗闇の中を移動する修行や、眼隠し修行の際には必ず祖父が気配を殺して、万が一の場合は手助けする為にすたんばっていた。
恐らく、鍛練を始めたばかりの頃は、そうやって本当に命に関わるような場合は助けてくれていたのだろう。だからと言って感謝する気など欠片も起きなかったが。



「ほれ、始めるぞ」
「…へいへい」

かなり古ぼけた、年季を感じさせる道場へと連行された飛鳥は、祖父…檜山宗十郎に投げ渡された通常の刀より幾分長い刀―――刃を潰した模擬刀―――を腰に差した。
宗十郎は齢80を超えているとは思えない程覇気に満ちた見た目厳格そうな老人――中身ははちゃらけた爺―――でその腰には通常の長さの模擬刀が収められている。
眠気眼で、飛鳥が柄に手をかけた瞬間、宗十郎が動いた。常人では、遠目から見ていても捉える事のできない鋭い踏み込み。それと共に神速と呼ぶに相応しい速さで抜刀、飛鳥の脇腹目掛けて振り抜かれた刃は、飛鳥が半分程、抜いた刃で受け流すように受け止めた。

道場内に金属同士がぶつかる鈍い音が響き、その音が鳴り終わるよりも早く二人は動き出していた。
飛鳥は刀を受けた状態で押し切るように、振り抜き、宗十郎はそれに合わせるように背後へ跳躍し、着地と同時に上段から袈裟切りに、斬りかかる。
振り下ろされる刀を、飛鳥はいなすようにかわし、更に刃を返して襲い来る宗十郎の刃を半身を捌いて避け、脇腹目掛けて斬り上げる。

半歩引いてその斬撃を完全に見切って避けて見せた宗十郎の動きを読んでいた飛鳥は、宗十郎が新たに攻撃を仕掛けるより早く宗十郎との間合いを詰め、宗十郎の右側頭部目掛けて震足を存分に効かせた回し蹴りを放つ。当たれば頭蓋骨陥没間違い無しの凄まじい蹴りだが、宗十郎は楽しそうに笑いながら身を沈ませて避け、蹴りを放った事で無防備となった飛鳥の腹に斬撃を放とうとする。

「むっ!?」

が、それを放つ事はできなかった。
飛鳥がかわされた右足を、自身の身に巻き込むように引きつけ、蹴りの勢いも利用して身を捻り、軸足となっていた左足を振り上げ、宗十郎の脳天目掛けての変則踵落としを放ったのである。

虚を突かれ、攻撃に移ろうとしていたと言うのと、飛鳥の蹴りの速度もあってかわしきれないと判断した宗十郎はそれでも楽しそうな顔のまま首を逸らし、肩でその蹴りを受け止める。鈍い音が道場に響くが、宗十郎は僅かに顔を顰める程度で、衝撃のほとんどはインパクトの際に身を竦ませる事で床へと流していた。

「ちぃっ、化け物爺め!」

威力をほとんど殺された事に、飛鳥は悪態を付きながら宗十郎の肩を足場に飛び退る。
そんな飛鳥に宗十郎は呆れた眼差しで見やり、溜息を吐く。

「ほんにお前は足癖が悪いの。何じゃあの蹴りは。曲芸師にでもなるつもりか? あんな軽い蹴りじゃ虫も殺せんぞ」
「馬鹿言うな。普通じゃ脳天かち割れてるか、首が圧し折れてるっつーの。あのタイミングでかわせて衝撃を分散できる爺が異常何だよ」
「き、貴様、敬愛すべきおじい様に向かってそんな蹴りを放つとは何事じゃ! その性根を叩き直してくれる!」
「馬鹿言うんじゃねぇ! 爺が俺に今までしてきた仕打ちに比べりゃ可愛いもんだ! 死ねっ、この糞爺!」

怒声と共に刀を身体の斜め前に下げ、飛鳥は宗十郎へ向けて一気に踏み込む。
一瞬にして自身の間合いに踏み込んだ飛鳥は、下段から斬り上げる。宗十郎はそれを容易く弾き返すが、弾いた飛鳥の刀が弾かれた勢いも上乗せされ、今度は袈裟斬りとなって襲いかかる。宗十郎は余裕でそれにも反応して防ぎ、飛鳥が羅刹のような勢いで連続して振るう刀を楽しそうな顔のまま捌き続ける。

道場内には凄まじい剣戟の音が響き渡り、二つの影がめまぐるしく位置を変えながら動き続けている。
どちらも当たればただですまない、刃が潰れている事を除けば、時代劇など真っ青な本物の殺陣が行われていて、二人がぶつかり合うたびに金属同士の衝突により火花が散る。二人の動きは、常人はおろかそれなりに武の道を志した者でも捉える事ができる者では無く、真の達人や超人と言った者達でなければ動く二人を視認する事さえ不可能な速さでの打ち合いだった。

「せぁっ!」
「ぬぅっ!」

これまでの音など比べ物にならない剣戟の音が道場に響き、二人が鍔迫り合いの状態で激しく刃を重ね合う。
これだけ激しい動きをしたと言うのに、飛鳥は薄く汗をかいている程度で呼吸も乱しておらず、宗十郎に至っては汗さえかいていない。

「やれやれ…相変わらず苛烈な剣よの。もっと儂のように柔らかく戦えんもんかね」

飛鳥の剣術…いや、戦い方を一語で現すなら、それは攻撃一辺倒の”苛烈”の一語に尽きる。
相手を喰らい尽くさんばかりの凶暴な剣や、避けるにしろ捌くにしろ、ほとんどの動きが攻撃へ繋がっており、相手に弾かれた攻撃などを、すぐさま次の攻撃へと変じさせる飛鳥の戦い方は、攻撃は絶対の防御とでも言うかのように、とにかく攻撃的だ。
しかし、我が孫ながら凄まじい剣士になったものだと思う。元々剣の才能…いや、戦いの才能と言うべきだろう。飛鳥は生まれて来た時代を間違えているのでは? と真剣に思う程、飛鳥の戦う才能は優れていた。

今まで武神などと謳われ、様々な者に教えを請われて来たが、この息子の忘れ形見程、戦う才能に溢れた者はいなかった。
始めたばかりの時こそ、ちょっとした事でぴーぴー泣いて、こりゃ才能無いかもしれんと思った宗十郎だったが、それはすぐに間違いだったと気付く事になった。
初日に散々痛めつけた翌日も、同じようにし始めた宗十郎は、すぐにそれに気付いた。何と、飛鳥は宗十郎の攻撃を最小限の威力に抑えるような動きをし始めたのだ。
無論、八歳だった飛鳥に避ける事などできなかったが、宗十郎の攻撃に反応し、当たった瞬間に当たった個所を引いたり、自ら当たりに行ったり、身を沈めたりと、無意識だろうが確かに宗十郎の攻撃に対処していたのだ。いや、対処と言うにはお粗末に過ぎたが、それでも驚くべき事だった。

これはもしかたしたら物凄い原石なのでは…と。はたしてそれは当たっていた。
やればやる程、飛鳥の稚拙だった飛鳥の攻撃への対処は的確に、より有効的に、それも一手毎にと言える程驚異的な速度で成長…いや、進化していったし、それに答えるように身体の方もそう言った動きに慣れようとするかのように回復速度などが上がって行くのだ。

ついつい面白くてやるにはまだまだ早かった無茶な修行をさせても、何も教えずとも。身体の効率的な身体の使い方や、脅威に対する最善の対処を無意識レベルで収め、実戦レベルまで持って行くのだ。それを楽しみながら見守り…今でこそ武神と呼ばれているが、若い頃は才能の無さに嘆いた事を思いだし、飛鳥の才能にちょっと嫉妬した。

で、

『才能あるんじゃからそれに驕らぬようもっと厳しい鍛練をさせねばの! 苦労を知らんと将来碌な大人にならんわい! 儂の苦労を思い知れ! がはははは!』

などと八つ当たり6割、嫉妬3割、飛鳥の将来の為1割と、人間らしい汚い思考の元、尚更飛鳥の鍛練の内容はエスカレート。
飛鳥が聞けば、苦労した割に碌でもない爺になってるんですけどーっ! と激怒した事だろう。ちなみに、宗十郎は自分を孫思いの優しいおじいちゃんだと心から信じて疑っていない。孫が攻撃的な性格になったのは、自身のスパルタが8割り近く原因になっているとは微塵も思っていなかった。



それが大体4年間。基礎を仕込み終え、飛鳥に戦い方を教え始めてからは、今まで散々厳しい鍛練をさせて良かった! と宗十郎は自身のやって来た事に満足した。
飛鳥は腹立たしい事に、それこそ憎たらしいくらい腹立たしい事に、次々と剣術や体術、戦略などを吸収して行き、めきめきと腕を上げて行く。無論、4年間にも及ぶ下地もあったからだろうが、それにしても異常すぎた。



しかも自分の人生のほぼ全てをかけて編み出した技術などを、次々と習得して行き、あまつさえそれを自分好みに昇華させ、最適化させて行くのを見た時は殺意さえ沸いた。
その日、宗十郎は泣きながら道場を飛び出し、旧友の家で泣きながら呑み明かした。孫に自分の技を教えるのは嬉しい、でも悔しい…ぐすんぐすんっと。
突然涙して飛び出した宗十郎に、その孫はついに呆け始めたかな…。おむつとか買っといた方が良いのだろうかと、真剣に悩んでいた。

僅か一年足らずで宗十郎が飛鳥に仕込む事は無くなり、後はひたすら二人での立ち合いが主となった。
当然、実際に打ち合いとなれば如何に才能があろうが、経験が皆無な飛鳥と百戦錬磨の宗十郎では勝負になる筈が無く、飛鳥は良いように遊ばれるだけだった。
宗十郎、才能ありすぎる孫をいたぶるのは非常に快感で、始終ご機嫌だったがそれは長く続かなかった。



飛鳥も今までの宗十郎の数々の扱きで鬱憤が溜まりに溜まっていたのである。そこへ来て、立ち合いでずたぼろに打ちのめされ、その時の宗十郎の顔と来たらにやにやと非常にご機嫌ご満悦なのだ。腹が立つに決まっている。打倒糞爺を胸に、自分に足りないのは経験だ! 
と言う事で、色んな武術の道場に見学に行き、その武術の動きで自分の中に組み込めそうなのは取り入れ、昇華していったのである。そうして様々な武術を見て、自分にプラスになりそうな所を次々と収めて行ったのである。


同時に、他流試合を挑み、素手、武器問わず戦いまくり、経験を積んで行った。
無論、そうしているのは宗十郎も知っていた。苦労するのは良い事じゃ、精々頑張れと応援していたが、日に日に強くなっていく飛鳥にこれちょっとやばいんじゃね、と思いつつも孫の成長は嬉しかった。


そして3年。飛鳥は宗十郎から未だ一本も取れていないが、逆に宗十郎からも中々取られなくなるまでに腕を上げていた。
既に、飛鳥の動きは我流と言って良い程他の武術の動きを取り込んでいて、完全に自分の物としていた。身体も飛鳥の戦い方に合わせるよう変化していき、獅子を思わせるようなしなやかで強靭で敏捷性に富んだ身体になっていた。



宗十郎も手本気でやっても互角になるまでに成長した飛鳥を、心から嬉しく、誇りに思った。
そして更に一年立った現在。飛鳥に完全な一本こそ貰っていない物の、先の蹴りのように攻撃を受けるしかない攻撃もするようになってきていて、一本とられるのももはや時間の問題だった。宗十郎の方も飛鳥には攻撃を当てるのは至難の業であり、何時間もの間互いに有効打を与えられず戦いが続くようになっていた。



 ぎしぎしと刀が軋む音が響く中、互いに鍔迫り合いの最中に相手の隙を窺うも、どちらも隙を見出す事ができない。
ほんの一年前までなら、鍔迫り合いになったら、飛鳥の攻撃的な性情のおかげで、ちょっと挑発すればすぐに自分から隙を晒すように動いてくれたものだが、今は全く挑発などにも乗って来ない。それは、心技体全てにおいて宗十郎に匹敵する剣士になった事を意味していた。が、宗十郎はもう教える事も無くなって立派になったと嬉しく思う反面、寂しさも感じた。

「ぼうっと考え事とは余裕だなっ!?」
「ぬぉっ!?」

鍔迫り合いの最中に、ちょっと思い出に浸って哀愁漂う宗十郎。
そんなちょっとセンチメンタル入ったしゃいで小粋(自称)な84歳の様子を好機と見た飛鳥はふっと一瞬だけ腕の力を緩め、考え事をしていたせいで反応が遅れた宗十郎がバランスを崩し所へ、連続して斬り込んでいく。
突き・逆袈裟・左切り上げ・逆胴からなる三連撃。そのどれもが神速の名に相応しい速さで放たれた同時攻撃。余程の達人でもこれを捌くのは難しいだろう。
しかしこれを、宗十郎はバランスを崩していたと言うのに当たり前のように捌いて見せた。

「ほほ、まだまだ甘いのっ。お前さんの攻撃なんぞ隙を突かれた所でどうってことないわ!」
「ぬかせっ!」

実際はかなりぎりぎりの所で捌けたのだが、宗十郎は厭らしい笑みを浮かべて飛鳥を挑発する。
額に冷や汗が出る程の攻撃だったが、爺様の隙を突こうなど、不届きな行いをする孫には灸を据えねばならないのだ! 怒ってくれた方がやりやすい。
ちなみに、逆に飛鳥が注意を逸らした時には「敵と相対している時に考え事をするなど愚か者のする事じゃ! お前は技術も身体も駄目だが心はもっと駄目じゃ! そんな調子じゃ儂のような心技体三拍子揃った男になれんぞ! だいたいじゃな…」と倒れ伏す飛鳥を前に散々偉そうに講釈を垂れたりしたのだが、そんな事は当然自分が不意を突かれた時には頭から綺麗さっぱり消えている。

その後も一進一退の攻防が続き、朝日が顔を出して二時間近く立っても、道場から剣撃の音が途切れる事は無かった。







[20336] 第一話
Name: 磯狸◆b7a20b15 ID:9ed37a25
Date: 2010/07/16 13:06




 朝風呂で汗を流し、制服に着替えた飛鳥が居間へと向かうと既に朝食が食卓に並んでいた。
あさりの味噌汁、たくわ、卵、あじの開き、ほうれん草のおひたし、ほかほか白米と言う定番のものであるが、非常に美味しそうである。
宗十郎も既に座って飛鳥を待っていたらしく、茶を啜っている。

「あれ、あさり何かあったか? 昨日夕飯作った時には無かった筈だけど」
「これは昨日お前が部屋に籠った後、足立さんが持って来てくれたんじゃよ。潮干狩りに行って来たらしくての。お裾分けじゃそうじゃ」
「潮干狩りぃ? ……あぁ、潮干狩りの時期って今頃だったか」
「ちょっと早い気もするがの。じゃが美味しそうで大きなあさりじゃ。冷めないうちに頂こう」
「あぁ」

ちなみに夕飯は当番制で、日によって食事を作る係りは違うのだが、朝食は朝の稽古でより相手にダメージを与えた方が作らなくてすむ。
今まではほとんど飛鳥が作って来ていたが、一年前辺りからはだいたい五分五分の確立…最近は宗十郎が作る事の方がちょっと多い。今日は飛鳥の方が宗十郎の身体に攻撃をいれた数は多かったので、宗十郎が作る事になったのだ。

頂きますと、一声かけて食べ始める。
まずは先程話題に上がった味噌汁を軽く啜った。あさりの出汁のよく出ていて、非常に美味しい。

「お、美味いな。あさり何か久しぶりだし」
「うむ、良い味じゃ。足立さんに感謝するのじゃぞ。そうえば飛鳥、もう高校に上がって一週間くらい立つが学校の方は慣れたか?」
「ん? まぁ慣れたと言えば慣れたが」
「何じゃはっきりせんの。いい加減、好きな女子の一人や二人出来んのか。お前さんは湊さんに似て顔だけは良いんじゃからそれは活かさんでどーするのじゃ」
「顔だけって何だ顔だけって。別にいらねーよ。付き合っても面倒な事ばっかだし」

朝から妙な話題を振って来る宗十郎に、飛鳥は露骨に顔を顰めて白米をかっ込んだ。
飛鳥とて、年頃ではあるし、男だ。当然美人や可愛い子は好きだし、街何か歩いていて好みの子がいたら何時の間にか眼が追っている時もある。
だが付き合うとなると話は別だ。飛鳥は宗十郎が言うように、かなりの美形と言える容貌をしている。

どうも母の血を色濃く継いだらしく、母譲りの黒髪に、母と同じ黒曜石の瞳。細い柳眉に、非常に形の良いそれぞれのパーツにその配置。
一見すると細面の、優男に見えるが、怜悧で挑発的な眼差しと、強い意志を宿した瞳、そして何処か飄々とした雰囲気が、弱々しさを微塵も感じさせなかった。
確かに顔だけなら非常に優良物件。滅多に見れないくらい美形。街で退屈そうに突っ立っていれば、その容姿に釣られてくれるだろう。
飛鳥の場合、口を開かなければ、と言う条件が付くが。



 飛鳥の言動は、歯に衣を着せない上に、正直に顔に出すのである。加えてかなりの面倒くさがり。腹芸や感情を隠したりもできるが、態々相手に気を使ってそんな事をするような性格では無い。
今まで飛鳥が付き合った少女は4人。どれも相手から告白して来た物で、飛鳥は断る理由も無かったのと言うのと、相手が自分好みであった事、男女交際に興味もあったと言うのと、どの娘も、飛鳥が相手を何とも思って無くても、「今は好きじゃ無くてもこれから好きになってくれるかもしれないから」などと言うので承諾した。


同級生一人。年上二人。後輩一人と付き合ったが、長く続いて二カ月である。どの娘も飛鳥からすれば面倒この上無かった。登下校を共にするやら、学校帰りの寄り道やら、
休日のデートなど。返さなくともうざい程やって来る電話やメール。



付き合い始めて最初こそ、それなりに付き合ってやっていた。手を繋がれたり、腕を組まされるなど、くっつかれたりされたりするのも…いや、これは柔らかいし気持ちいいしで悪くは無かった。が、それ以外に良い所は何も無かった。
相手の要求はどれもこれも面倒だし、相手に対する良い感情があればそういのも別だったのかもしれないが、あいにく飛鳥が付き合った子達には、飛鳥の気持ちをそう言った方に持っていく者はいなかった。



そして飛鳥は面倒とか、相手の事を何とも思っていないと言う事を全く隠そうとしなかった。言葉にも態度にもそれは出た。
少女達は、付き合っていれば、自分の事を知ってくれれば飛鳥も自分を好いてくれると甘い幻想を抱いていたのだろうが、そうはいかなかった。

露骨に顔を顰め、”面倒”、”友達と行けば””用事がある”などと何か誘うたびにそう言われ、何時まで経ってもそれが変わる事は無かった。
なまじ顔が整っているだけに、飛鳥の嫌そうな顔や、顔を顰めたりするのは言動と相まって非常に相手にダメージを与える。



何度となく飛鳥の言動と表情で心を痛め続けた少女が、女の子最大の武器、涙を流して「私の事、まだ何とも思ってくれて無いの!? もう付き合って○日(個人により多少の差あり)も付き合ってるんだよ!?」と言われても微塵の躊躇いも無く、即座に且つめんどくさい女だな、とばかりに顔を顰め、”何とも”、と返す程。飛鳥、最低である。

若干差異はあれど、四人共こんな感じで泣きながらもう別れるーっと去り、少女達の心に深い傷を残しただけであった。
それに飛鳥らしいけど酷く無い? と苦笑する友人達に、対する飛鳥のコメント。

「好きでも無くて良いって言ったのはあいつ等だし。付き合ってもそれが変わらなかっただけさね」

とまぁそんな感じで、飛鳥はもう付き合うとか面倒だから良いやと言い、以後その言葉通り告白はされても付き合う事は無かった。
それに対して友人達は苦笑しながらそれが良いね、と心に傷を負った少女達の傷が癒えるのを祈るのであった。

「まぁ好きになれなかったんじゃ、しょうがないよね。きっと飛鳥も本当に好きな子ができればそういのも面倒じゃ無くなると思うよ」
「そんなもんかねぇ」

友人の言葉に半信半疑にそう返し、それ以後飛鳥に異性関係の色めいた話が浮上する事は皆無であった。



「嘆かわしいのぉ…。儂、もうお前の孫を見るのが最後の楽しみみたいなもんなんじゃが」
「そうかい…、なら精々長生きするんだな。当分できそうにねぇや」

 呆れたように首を振る宗十郎だったが、続いて出てきた予想外の飛鳥の言葉に、嬉しそうに目元を和ませた。
飛鳥からすれば何の気無しに、自然に出た言葉なのだろうが、孫に長生きするようになどと言われるのは、祖父からすれば非常に嬉しい事である。
それが、無意識…自然と出たような言葉なら尚更だ。ちょっと泣きそうになって目元を潤ませる宗十郎だったが、続く飛鳥の言葉でその感動も吹っ飛んだ。

「あ、作るだけなら訳無いぜ。適当に相手作って結婚すれば良いんだし」
「そういう事は愛情を育んだ相手とせんかっ! たわけ者! 愛の無い相手との子供なぞ、その子が余りにも不憫じゃろうが!」

飛鳥、最低である。
実にあっさりとした口調が、本気で言ってるようにも聞こえて非常に性質が悪い。いや、飛鳥としては正にそれでも構わないのだろう。
激昂した宗十郎が、だぁんっとテーブルを両手で叩いたせいでおかず達が中を舞ったが、飛鳥は慌てず騒がず、味噌汁さえ一滴も残さず見事に回収する。無論、宗十郎も。

「冗談冗談」
「お前の冗談は冗談に聞こえんのじゃ。良いか、くれぐれも愛する者との孫をこさえるんじゃぞ! 絶対じゃからな!」

へらへらと笑う飛鳥に、宗十郎はくわっと眼を見開いて、最早懇願とも言って良い程必死な祖父に、飛鳥はへいへいと味噌汁を啜って生返事を返す。

「ど、何処で育て方を間違ったんじゃろうか…」
「考えるまでも無いと思うがな」

がっくしと俯いて飛鳥の成長ぶりを振り返る宗十郎に、飛鳥は即座に半眼を向けるのであった。
これ以上このやり取りは不毛、という事でテレビへ視線を向けた。美人なニュースキャスターが次々とニュースを読み上げているが、汚職だの何だのとつまらない政治関連の話だけで特に気になるのはやっていない。



「ほれ、飛鳥。テレビなど見てないで早く喰わんと遅刻じゃぞ」
「あ、もう40分になるのか」

 宗十郎の言うとおり、テレビに表示されている時刻は7時40分となっている。何時ものペースで歩くのであれば7時45分に出なければ遅刻してしまう。
朝から走るのは勘弁であるし、この時期は桜並木が非常に綺麗なので、そういった景色を楽しみながら歩きたい飛鳥としては、重要な問題である。
慌てて食べるペースを上げて、食事を口へと運びこむ。それでも良く噛んで、しっかり味を噛みしめながら食べ切る。

「ご馳走様ー」
「うむ」

茶碗を台所の流しへ運び、脱衣所へ行って歯を磨き、顔を洗う。容姿には無頓着であるので、髪のセットとかそういうのは皆無である。元々の髪質か、自然髪が逆立ってしまうのでセットをしなくてもセットしているように見えている。朝のセットに時間をかけている者からすれば、天然美形であるこの男は非常に赦しがたい存在であろう。

「んじゃ、行ってきまー」
「うむ、気を付けて行って来るのじゃ―――待て、飛鳥ぁ!」

鞄を担いで、茶を啜る宗十郎の脇を抜けて行く飛鳥に、宗十郎が笑って送り出そうとしたが、不意に宗十郎は猛烈に不吉な予感に身を襲われて飛鳥を呼びとめた。
その余りに突然の声と、かつて無い程真剣そうな祖父の顔に、飛鳥は二重の驚愕に眼を丸くして突然怒鳴った祖父に話しかけた。

「何だよ、急にでかい声を出して。別に怒られるような真似はしてないぞ?」

不思議そうな顔をする飛鳥を、酷く真面目な顔で凝視し、宗十郎は難しい顔で首を振った。

「……そうじゃない、そうじゃないんじゃ」
「だったら何さ」

その宗十郎の様子に、飛鳥も只事じゃ無さそうだと表情を引き締め、鋭く眼を光らせて問いかける。
宗十郎もまた厳しい表情で考え込み、少しして口を開いた。

「―――飛鳥、非常に不吉な予感がした。お前の刀を持って行け」
「……分かった」

その言葉に驚きに眼を見開くも、飛鳥は素直に頷いて踵を返した。
直感やそういった物は、飛鳥も優れている。宗十郎の言葉を突っぱねる事もできたが、素直に従った方が良いと本能的に悟ったのだ。でなければ、学校に刀を持って行くなど承諾しない。


宗十郎は飛鳥の力を良く知っている。仮に武器など無くとも、非常に高い戦闘能力を持っている事を誰よりも良く知っている。
例え相手がどんな相手だろうと、飛鳥を殺るどころか手傷を負わせるだけでも非常に困難である事も分かり切っている。だが、そういうのとは別に非常に嫌な予感がしたのだ。何か、大変な事が起きるような。以前、飛鳥の両親が事故で死んだ時にも同じように感じたものだ。


飛鳥に限って、とは思うが冷や汗が流れる程嫌な予感は拭えない。
刀を持たせた所でどうなると言う訳でも無いだろうが、飛鳥の戦闘力を最大限発揮するには刀は必須。
何より、宗十郎自身が、飛鳥が刀を所持していれば安心できる。



 戻って来た飛鳥の手には、宗十郎が飛鳥を一人前の剣士として認めた際に、その証として授けた刀が握られている。
鍔つ柄に、見事な銀の装飾を施されており、鞘は光輝く黒漆。刀身の長さは75cmと通常の刀より少々長めの、反りは控えめの打刀である。飛鳥は柄に手をかけ、ゆっくりとそれを引き抜いた。居間に入り込む朝日に、反射し、鈍く輝く刀身は見る物を引きこむような魔性の輝きを放つ、極めて美しい直刃。その輝きはもはや妖気と言って良い程に人を魅了して止まないそれ程の輝きを秘めたものであった。


見れば見る程、人を惹き付ける魔性の刀。惰弱な精神の者がこの刀を手にすれば、その刃に魅入られ、何かを斬りたくて溜まらなくなる。その衝動に逆らえず、いや逆らう気さえ沸かずに獲物を求め彷徨う血に飢えた獣となる。そうなっても全くおかしく無い、むしろ自然の事とさ思える程、その刀は妖しく輝いていた。
その刀をひとしきり眺めてから、飛鳥は実に慣れた―――ごく自然な動作で鞘に収め、改めて宗十郎を見据えた。

「…素直に頷いて置いて何だが、本当にいるのか? いや、俺も持って行った方が良いと何かが訴えかけるような感じはするが…こいつを使う事になるような事態が?」
「お前はまだ若い。じゃが第六感もかなり優れている。そう言った感じがした時は、自身の直感に従うものじゃ。お前も剣士であるのだからそういう直感がどれだけ大事か身に染みていよう。杞憂であればそれで良い。だが、儂だけでなくお前も感じている以上、杞憂と言う可能性は……」

それ以上は不要だった。飛鳥は黙って模擬刀や刀を持ち運ぶ時に用いている本牛革の黒い刀剣ケースに刀を仕舞い、肩にかけた。

「飛鳥、分かってると思うが……」
「あぁ。俺は命を狙って来るのに対して慈悲をかけてやる程お人好しじゃねぇよ」
「一瞬の判断が何を招くか分からん…。心せよ」

何時に無く真面目に言葉を紡ぎ続ける祖父に、飛鳥は宗十郎が感じた不吉な予感がどれ程の物だったのか想像もつかず、顔を引き締めて頷いた。
宗十郎は重々しく頷き、それを見て歩きだす飛鳥の背中を追って後に続いた。

「じゃあ、今度こそ行って来る」
「うむ―――気を付けるのじゃぞ」

宗十郎を見据え、何時ものように笑う飛鳥に、宗十郎もまた笑みを浮かべ、万感の想いを込めた言葉を送って歩き出す、すっかり大きくなった飛鳥の背中を、見えなくなるまで見送った。

「――――ちゃんと、帰って来るんじゃぞ。馬鹿孫」






[20336] 第二話
Name: 磯狸◆b7a20b15 ID:9ed37a25
Date: 2010/07/16 04:28





 何時も通り、予鈴開始の10分前に教室に付いた。
祖父の感じた不吉な予感と、自身の直感。起こるかどうかも分からないのだから身構えていてもしょうがない、と思いつつも、若干周囲に気を配りながら学校へと来たは良いが、本当に何時も通り何事も無く付いた。



後は何時ものように授業を受けて帰るだけなのだから、何かが起こるとも思えなかった。
流石に、校内で刀を持ち歩く訳には行かない。飛鳥は教室に付くなり、刀を自分のロッカーの中にしまい、きちんと施錠する。
万が一盗まれでもしたら、洒落にならない。辻斬り事件発生的な意味で。あの刀の人を狂わす魔性の輝きは、当然飛鳥も感じている。あれは、本当に人を狂わしかねない刀なのだ。


教室内は、既に結構生徒が登校して来ていて賑やかだった。
高校生になって一週間たつが、一週間もたてば最初は余所余所しかった者達も慣れ始め、仲の良いグループが出来始めるものだ。
未だ馴染めず、孤立している者もいない訳では無いが、今見る限りは全員が誰かしらと会話していた。
そして、飛鳥の場合は、射抜くような怜悧な瞳と、攻撃的な性格や言動から嫌煙されがちであるのだが、”ちゃんと話してみれば愛嬌のある良い奴”、と言うのが中学時代の友人達の評価。



だがそれは、小学生の頃から一緒だった者達の評価であり、高校になり人間関係が一新された事により、飛鳥の事を知らない者ばかり。
故に、鋭い瞳と飄々としていながら、何処か近づき難い雰囲気を発する飛鳥に、関わろうとする者はいなかった。遠目から、その容姿に釣られて熱い視線を飛ばす女生徒は多数見られたが、話しかけようとする者は皆無であった。

―――同じ高校に上がり、偶然にも同じクラスになった親友達を除いて。

「おはよう、飛鳥君」
「うーす、飛鳥」

中学の時から変わらない、二人の親友が同じクラスにいるので、飛鳥が孤立する事は無かったのである。
一人はぽっちゃりした、柔らかそうな頬をした見るからに平和主義者な温和そうな少年、熊田猛。猛と言う勇ましい名前とは裏腹に、実に温和で優しい熊さんである。分野は大分違うが、飛鳥のもう一人の師匠でもある。
もう一人が、茶髪にピアス、色眼鏡と実に遊んでそうな今時の若者な外見の整った顔立ちの少年、猫威健二。特に特筆する事の無い、見た目通りの少年である。敢えて言うならば、如何にも遊んでいそうな外見なのに奥手で恥ずかしがりや。

健二は飛鳥がこの街にやって来てからの付き合いで、猛は中学に入ってから仲良くなった。

「おはよーさん、二人共」
「うん。ねぇ飛鳥君、昨日買ったゲームはやってみた?」
「当然。中々面白くてやりすぎてさ、3時までやっちまったせいで一時間しか寝れなかったよ」
「はは、相変わらず飛鳥の爺さん元気なのな。ってかお前等また新しいゲームかよ。お前等がゲームの話始めるとついてけねーから困るわ」

呆れた様に笑う健二に、飛鳥は肩を竦ませて苦笑する。
健二はゲームなどには興味は無いので、飛鳥達がこの手の話を始めると付いていけなくなるのだ。
今まで何度か勧め、健二もやってみはしたが、どうにも面白いと思えず続かなかった。まぁ個人の好みの問題なので、そこはしょうがないのだが。

「それよりお前一時間しか寝て無くて大丈夫なのか? あの稽古の後で学校に来る事、事態信じがたい事だけど、寝て無いんじゃ尚更きついだろ」
「いやーあの稽古は俺からすれば普通の事だから今更何だけどな。起きる時が辛いだけで後は問題無いし。まぁちょっと眠いし授業中にでも寝るさ」
「飛鳥君は低血圧だもんね。でも飛鳥君、今日は一限、二限は科学で実験室だよ。昨日の授業の内容を実験する事になってたじゃない。それに三限はリスニング、四限は保健体育で体力測定だから眠れる授業無いよ?」
「うげ、まじかよ。しかも四限で体育とか最悪」

飛鳥の睡眠を妨げるかのように眠れない教科の連続である。げんなりとする飛鳥に二人も追従するように同意の声を上げた。

「確かに昼前の体育、食後の現国、古典の授業程嫌なものはないよね。あれちょっとした拷問だもん。古典はともかく現国の親父は物凄い煩いって言う前評判通りだったしさ。ちょっとうとうとしただけで凄い剣幕だったもんねー」
「あぁ、確かに神経質そうだったしな。だからあんなに頭髪薄いんだよ」

きっと今に現黒の授業だけ照明いらなくなるな、と三人で笑っていると予鈴が鳴り響いた。
本鈴がなったら席に付けば良いので、まだ皆思い思いに走っているが、窓から見える校門辺りの生徒達は、予鈴がなった事でちょっと足早に歩き出す。

「お、あれ佳代先輩じゃん。高校来て初めて見たわ」
「どれどれ? お、ほんとだ。おら、くまーん! お前アピールしないと!」

校門辺りから歩いて来る生徒の中に、見知った顔を見つけ、思わず声に出す。
それに反応した健二が窓辺に張り付き、飛鳥の言う通りの人物を見つけると、二人に隠れるようにして外を窺う猛の背中をばしばし叩いて窓を開け、猛を無理矢理そこに押し付ける。

「うわ、やめてよ健二君!? み、見つかっちゃうよぉおおお!」
「見つかった方が良いんだよ! 少しでも印象付けておいた方が良いって! そもそもお前幼馴染何だからもっと積極的に話しかけたりしろよなー! どうせ高校入ってからも話せて無いんだろ!?」
「そ、そんな事無いよ! 僕の家に来て入学おめでとうって言いに来てくれた時に話したよ!」
「そりゃ家でだろうが!? 同じ学校にいるんだからもっと教室に出向いて話したりとか一緒に登校したり帰宅したりしろよ!」
「そんなの無理だよぉ! ぼ、僕みたいのが学校で、か、かかか佳代ちゃんと一緒に登下校するなんて………。え、えへへ…佳代ちゃんと一緒に登校……手繋いだり、一緒に傘差したりとか……ふふ、ふふふふふ」
「あ、妄想入っちまった」

窓の辺りで縺れ合いながらじゃれ合う二人の様子を苦笑しながら眺めていた飛鳥は、真っ赤になってぶつぶつと呟きだした猛に再度苦笑する。
健二の言葉通り、今の猛の頭の中には幼馴染にして憧れの先輩である矢島佳代の事で頭が一杯なのだろう。顔を真っ赤にしてえへえへと笑う姿は、猛には悪いが非常に気持ちが悪い。校舎の影に入って見えなくなる佳代の姿に、飛鳥はそうえば佳代とあったのはだいたい三年前のこの時期だったぁと苦い顔で、あの時の出来事を思い出した。



 矢島佳代は飛鳥も健二も、当然面識はある。中学の時、物凄い引っ込み思案で人見知りの猛が、ある事を切っ掛けに飛鳥達とつるみ始めた事で交流ができた訳だが、最初の出会いはお世辞にも良い出会いとは言えなかった。飛鳥は中学一年の頃、その眼付きの悪さや上級生に対して全く敬語などを使わなかった為に眼を付けられ、喧嘩を売られたが全て一人で撃退してしまったと言う事で、不良生徒として中学入学早々に有名人であった。そしてその飛鳥と親友関係にあり、当時から今のような外見の健二も不良生徒として、飛鳥とセットで有名だった。

そこに加わったのが、大人しくて気が弱く、引っ込み思案で小学生の時はずっと苛められっ子だった猛である。
誰がどう見ても不良少年に、脅されパシリにされている可哀相な少年か、あるいは苛めのターゲットにされた哀れな生徒であった。初めは三人が一緒にいれば、誰もがそう思ったし、それもある意味無理らしからぬ事。それでも自分達に飛び火して来るのを恐れて、誰も関わろうとはしなかった。



噂は噂を呼び、しまいには猛は、飛鳥達に脅され、持っている様々な者を売り払って金に換え飛鳥達に渡し、万引きなども命令されてやっているなどと言う話になっていた。全然そんな事は皆無であったのに、事実として嘯かれたのである。しかし幸か不幸か、内気で友達の全くいなかった猛にも、猛を気にかけ、そんな猛の事を心配していた者はいた。それが猛の二歳年上の幼馴染、矢島佳代である。


その噂を聞き付けた矢島佳代は、その直後に凄まじい剣幕で『猛君を悪の不良共から私が守らなければ!』と飛鳥達のクラスに乗り込んだのである。
普段はおしとやかでふんわり優しい人、と言う感じなのであるが、昔から本当の弟のように可愛がっていた猛の事となると、彼女は少々人が変わるらしかった。
彼女からすれば、猛が中学に上がって苛めにあったりしないか心配していた所に、不良として噂になっていた二人組が猛に色々酷い事をしていると聞いたのである。ついに来た、と思った。そして同時に、絶対に許せない。絶対に止めさせてやる、と普段のおしとやかな彼女を知る者達がどん引きするような形相で、飛鳥達のクラスへ特攻したのである。


特攻した彼女は、教室で飛鳥と健二が話している所に一気に突っ込み、飛鳥と健二にびんたを放った。
当然飛鳥は難無く受け止めたが、健二の方は、腰の入った強烈なびんたをもろに喰らって、軽く吹っ飛び鼻血を噴出した。
突然の、文字通りの襲撃と、物凄い怒り様の少女の姿に、眼を白黒させる飛鳥と、ぶたれた頬を手で抑え、呆然とする健二。ちなみに間の悪い事に、猛はお腹が痛いとトイレに行っていた。

飛鳥に掴まれた手を振り解き、眼を血走らせ、人から伝え聞いた飛鳥達の所業を糾弾し始めた事で、飛鳥達はようやく事態が呑みこめた。
とんでもない誤解だった。何とか弁明しようとするが、彼女は聞く耳持たず飛鳥と健二をぼかぼかと叩き、猛君を苛めないで下さい、酷い事をしないで下さい! と大粒の涙と鼻水で、綺麗な顔をぐちゃぐちゃにして言うのだから溜まった物では無かった。

美貌の少女がぐちゃぐちゃに顔を歪めて訴えるその様は、見る者の同情を誘い、怒りを誘い、当然それは飛鳥達に向けられる。
クラス中の者達が一緒になって飛鳥達に罵詈雑言をぶつけ、猛を解放しろと訴えたのである。最早収拾の付かないとんでも騒ぎとなっていた。


泣きたいのは飛鳥と健二の方だった。当然二人からすればそれはとんでもない誤解だ。
猛と友達となったのは、飛鳥だった。当時まだ機会に疎かった飛鳥が、中学から始まった情報系の授業でパソコンを使っていた際に、色々弄ってフリーズさせてしまった時に助けを求めたのが隣に座っていた猛だったのだ。
それが切っ掛けで、話すようになり、気が合い、つるむようになっていた訳で、佳代が言っているような事は一切無かったのだ。

騒ぎを聞きつけて廊下に野次馬達が集まり、教師達まで駆け付ける大変な騒ぎとなったのである。
しかも教師達はこの騒ぎを鎮めようとはしなかった。飛鳥達は既に結構な問題児として扱われていたし、生徒達が一丸となって苛めに対して怒りの声をあげている事に、他のクラスでも問題になっていた苛めに対しての良い刺激になるのでは、と考え生徒達に任せる事にしたのである。


そこへやって来たのが救世主。猛である。飛鳥と健二からすれば、比喩でも何でも無く真の救世主だった。
猛のいたトイレにも、この騒ぎは当然聞こえていたが、猛はやっとできた一緒にいて楽しい友人二人のピンチとも思いもせず、出す物全て出してすっきりするまでトイレに籠っていた。そして晴れやかな顔で舞い戻ってみれば、自分の教室に集まる人の山と大騒ぎである。

しかも、猛に気づいた者達が次々と道をあけ、まるで海を割ったと言う伝説の残るモーゼのようであった。
周囲の自分を見る異様に同情的な眼差しに、一体何なんだと思い戻ってみれば、クラス中で飛鳥達を罵倒する声が上がり、彼等の声が向かう先には、どうしようもないと困ったような顔をしているお手上げ状態の飛鳥と、呆然としている健二。そしてその二人をぼかぼかと叩き続ける大好きな幼馴染の姿。



周囲の言葉から、とんでもない誤解が広まっていると察した猛は、慌ててクラスメート達を掻き分けて、飛鳥と健二の間に滑り込んで、佳代の攻撃を止めたのである。
しーんと静まり変える教室の中、猛の必死の説得を、佳代は最初は二人に脅されているのだと信じて疑っていなかったが、猛君をそいつ等が騙しているんだ、と再び飛鳥達に飛びかかろうとした佳代を、猛がぶって止めたのである。これに呆然としたのは佳代で、慌てたのが猛である。


やっとできた心から友達と言える二人へ向けられた悪意に満ちた言葉の数々と、正気を失っていた佳代の姿に我慢できず、思わず手が出てしまったのである。
が、結果的にこれが功をそうした。猛にぶたれた事でショックで、呆然としている佳代に、猛がしっかりと視線を合わせて佳代や周りの人達が思っているような事は、二人には一切されていない。自分が飛鳥達と一緒にいるのは、彼等が本当に自分の友達で、一緒にいると楽しいからだ、とゆっくりと噛み締めるように説いたのだ。
猛の様子から、それが真実だと悟った佳代は、気が抜けたのかそのままぱったりと意識を失い、この騒ぎはようやく収拾へと向かったのであった。



 今思い出しただけでも凄まじい出来事だったが、今では一生想い出に残る良い思い出である。
きっとこれは佳代の方も、忘れたくとも忘れられない人生の黒歴史として記憶に深く根付いている事であろう。
あの事件の後の佳代の二人への謝罪っぷりは凄まじいものだった。顔を真っ赤にして今にも燃え出しそうな程に顔を赤くした佳代の顔は今でも思いだせる。

人体って羞恥心で此処まで赤くなるんだ、と密かに感心したくらいだ。
ふっと思い出したように笑う飛鳥に、健二と何時の間にか妄想から帰って来ていたらしい猛が、珍しい物を見たと言わんばかりの表情で飛鳥を見ているのだ。

「珍しいな、お前がそんな風に笑う何て。何時もじゃ冷笑とかの癖に」
「だね、柔らかい笑顔とか凄い久しぶりに見たよ」

実際言った。
飛鳥はお前等ね、と呆れた視線を向けてから、若干引き攣った笑みを浮かべた。

「いや、佳代先輩と会った時の事を思い出してな。丁度三年前の今頃だろ? いや、四月中旬くらいだったか」

二人の反応は顕著だった。
猛は当時の、佳代にあまりに過保護にされていた時の記憶で顔を真っ赤にし、健二は佳代に強烈なびんたを貰った時の事と、クラス中から村八分にされた事を思い出し、虚ろな眼差しで笑う。

「んな事思い出すなよ、飛鳥! あん時の事は俺、未だにトラウマなんだからな。今でもたまに夢に見るくらいだ」
「ぼ、僕も。僕は佳代ちゃんに心配されてて嬉しかったけど、心配されすぎで自分が凄い情けなく感じたよ…。今でもああいう風に情けない男と思われていたら…」

顔を蒼褪めさせる二人の様子に、飛鳥は楽しそうに笑う。
口ではそういう割には、二人の言葉には嫌悪などは無く、それぞれが飛鳥と同じようにあの時の事を、良い思いでとしているのが分かったからだ。

「おーら、お前等席付け―。ホームルーム始めるぞ」

本鈴とほぼ同時に担任がやって来たので、生徒達は慌てて席へと付く。
飛鳥も自分の席へと付き、何事も無い平和な学校の始まりに、やはり宗十郎の不吉な予感も、己自身の直感も、杞憂だったようだな、と密かに安堵するのだった。




[20336] 第三話
Name: 磯狸◆b7a20b15 ID:9ed37a25
Date: 2010/07/16 12:53

 何も起こらないと思っていた。
いつものように授業が始まり、いつものように友達と馬鹿な話をしながら過ごす。
そんな日常が、こんな形で崩れ去るとは、全く予想していなかった。


『全校生徒、職員に連絡します!
 全校生徒、職員に連絡します!
 現在校内で暴力事件が発生中です
 生徒は職員の誘導に従ってただちに避難してください!!
 繰り返します
 校内で暴力事件が発生中で』


日常の崩壊を告げる知らせが学校中に広まったのは、飛鳥達が実験室での授業中での事だった。
既に飛鳥、健二、猛の三人の班は実験を終え、後は他の班が終わるのを待って、教師がこの実験に関する講釈をしてそれで終わりの筈だった。
暇を持て余した飛鳥達が、支給されていたマッチで、組み木を作り、キャンプファイヤーマッチverを作成し終えた時だった。
何の予告も無く、男性教論の切羽詰まったような放送が、それぞれ無駄話を興じながら、実験を進めていた生徒達の―――否、学校中の音を奪った。


し――ん、と今までの騒ぎが嘘のように静まり返る校舎内。
一瞬の静寂の後、教室内の生徒達がざわざわと辺りを見回し、何が起きたのかと手近の者達とざわめきだす。
放送は一回途切れたが、数秒後に何か堅い物を落としたような金属音が響き―――。



『ギャアアアアアアアアアアッ!』

―――絶叫が学園内に響き渡った。

『助けてくれっ! 止めてくれっ』

―――絶叫が命乞いに。

『助けっ』『ひぃっ』

―――命乞いが悲鳴に。

『痛い痛い痛い痛い!! 助けてっ死ぬっ』

―――悲鳴が断末魔に。

『ぐわああああああっ!!』



断末魔を最後に、放送は途絶えた。
再び、学園に沈黙が訪れる。しかし、今度の沈黙は、すぐに喧騒の訪れた先程の物とは違う。
学園中から音が消えてしまったのかのように錯覚するほど、重く、緊迫した、今にも爆発しそうな空気を孕んだ静寂。
ある者は愕然とし、ある者は挙動不審に周囲を見回し、ある者は近くにいる友人と視線を交わし合う。


数瞬の後、硬直から抜け出し、教室から出る事を選んだ生徒が数名、教室の出入り口から抜け出していく。
そして、学園中に恐怖と狂気に駆られた絶叫が響き渡り、我先に逃げ出さんと、教室の出入り口に生徒達が殺到する。
その顔は一様に恐怖に彩られ、理性をかなぐり捨てて外を目指す。

「…ッ!?」

他の者達同様、恐怖に染まった表情で、外へ向かって走り出そうとする猛の腕を、飛鳥が捕まえ、抑えつける。
健二の方は冷静のようで、顔を強張らせてはいるも、動き出そうとする気配は無かった。

「離せっ!? 離してよ飛鳥君! 今の放送聞いてたでしょ!? 早く、早く逃げなきゃ!」
「やばい事態ってのは分かってるから落ち付け。深呼吸してよーく気を落ち着かせてみろ」

無理矢理椅子に座らせ、肩を抑えて逃げられないようにする。猛は大柄な体格で、力もそれ相応にあるのだが、飛鳥を跳ねのけようと身を揺すっても、飛鳥はこゆるぎもしない。しばらく何とか逃げ出そうと暴れ続け、ようやく逃げ出せないと悟ったらしく、動きを止め、飛鳥の言葉に従って深呼吸しだす。それに合わせ、飛鳥は諭すように柔らかく、しかし厳しい口調で猛に話しかけた。

「落着いたな? 良いか、こういう場合大勢の人間と一緒に逃げるのはむしろ危険だ。聞こえるだろ、この騒ぎ。今の放送で学校中がパニックになって、ほとんどの生徒が同時に外を目指している。何処で何が起こってるかもしれないのに、だ。まずは落ち着いて、状況を確認する方が先だ。お前の力も必要だ。良いな?」
「……う、うん。ごめん、僕取り乱しちゃって」
「皆が逃げ出した事で雰囲気に呑まれてしまったのもあるんだろうさ。それにこの状況じゃ、落ち着いてる方がおかしいんだ。気にしなさんな」

分かってくれたらしく、落ち着きを取り戻した猛に笑いかけた。

「健二はよく逃げなかったな」
「そりゃお前、パニック中に動かないの何て常識だろうに。それに何処に何がいるのか知らんけど、此処にも化け物がいるんだし、一緒にいて守って貰った方が良いに決まってあだっ!」

にやりとむかつく笑みを浮かべる健二を、飛鳥は無言ではたいた。

「誰が化け物だ、誰が」
「お前に決まってるだろ。お前に。人間様に見えない速度で動いてる時点で十分化け物何だよ」
「……あーもう良いわ」

本人を目の前にして化け物と言いながら、その化け物に守って貰おうと堂々と口にする健二のあまりにも明け透けな態度に、飛鳥も何も言う気にならず窓の外へと目を向けた
。この実験室は管理棟にあるので、教室棟の様子が一部ではあるが見える。未だ悲鳴や怒号は鳴りやまず、学園中で騒ぎが起こっているようだった。
何が起こっているか少しでも把握しようとして、窓の外に視線を向け―――凍りついた。

「飛鳥、何か見え―――」

同じく外の様子を確かめようとした健二もやって来るが、飛鳥と同じように外へと視線を向け、身体を凍りつかせた。
外は信じがたい光景で一杯であった。教室棟から飛び出していく生徒達を、次々とふらふらと歩く人間が捉え、噛みつき、喰らっている。



そしてその生徒に襲いかかっている者達は、恐るべき姿をしていた。一見姿形こそ人間だった。だが、すぐにそれは否定される。彼等が人間の筈が無い。人間であれば、生きていられる筈が無い。そう、襲いかかっている者達は、それぞれ程度の差はあれど、明らかに人間であれば死んでいなければおかしい傷を負っていた。中には、一見無傷のものいたが、人間に喰らいついている時点で人間では無い。



ある者は腹から腸が引きずり出されているのに平然とそれを引き摺り、ある者は首筋を齧り取られ、ある者は身体に穴を開け、ある者は肋骨を剥き出しに、その様に人間であれば明らかな致命傷を負っているであろう者達が、平然と闊歩し、生きている者に襲いかかっているのだ。



ある者は抱きつかれ、首筋に噛みつかれて絶命し、ある者は手や足を掴まれて引き倒され、多数のふらふら人間に喰いつかれ、至る所に喰らいつかれている。
これだけでも信じがたい光景だと言うのに、飛鳥達の前で更に信じられない出来事が起こる。
今まで襲われ、喰われていた生徒達が起き上がり、新たにやって来る生徒達を、一緒になって襲い始めたのである。

「な、何だよあれ……あ、あれ…明らかに、し、死体だよな? それが動いて人を襲って、その襲われた奴も、一緒になって他の奴に襲いかかるとか……信じられねぇよ!」

さしもの健二も眼の前の光景には平静でいられず、顔を真っ青にさせて歯をがちがちと鳴らしている。
飛鳥もこれを見て内心酷く動揺していたが、何とかそれを押し隠して平静を装う。無意識に乱れそうになる呼吸を整え、気を落ち着かせる。

「……な、何これ」

飛鳥達の様子がおかしい事に気づいた猛も、恐る恐る窓の外に視線を向けて、阿鼻叫喚の凄まじい光景に、尻餅を付いて後ずさり、胃の中の物をぶちまける。
ついさっきまで平和だった学園が、たったの数分で地獄のような光景に成り果てている。飛鳥は、祖父の言っていた不吉な予感はこれだったのだと、今理解した。

「―――これが、騒ぎの原因か」
「こ、こんなのどうしろって言うんだよ。どうする、飛鳥…。やべぇよ、こんなのありかよ…! どうすりゃいいんだよ、飛鳥!」
「落ち着け! 俺だってどうすりゃ良いかわかんねぇよ! そもそも頭脳労働はお前等二人の仕事だろ!」
「んなっ!? 何人任せにしようとしてんだ!? こういうとんでもない事態が起きた時こそお前が日々あの爺さんとやってる人外バトルの成果を出す時だろうが! この脳筋ッ!」
「人任せにしようとしてるのはお互い様だろーに! つーかそれ何て漫画!? 誰もこんな事態想定してねぇよ! それに誰が脳筋だっ!? 少なくとも成績は中の上だ!」
「はっ、主席で入学した俺様からすれば中の上何て成績じゃ赤点とかわんねぇよ! 大体お前はこないだラーメンを食いに言った時も思ったがな―――」

深刻なやり取りから脱線し、関係の無い事を罵り合う。こんな状況だと言うのに実に不毛な会話である。
それを胃の中の物を吐きだしながら、聞いていた猛だが、この二人の馬鹿なやり取りのお陰で落ち着いて来た。どうして深刻な話から家で飼っているそれぞれのペットの自慢に発展するのか、猛には極めて理解しかねたが、お陰で落ち着いた。


そして同時に、自分の何よりも大切な存在、佳代の事が気にかかる。こんな状況だ、佳代がどうしているかなど分からないし、分かった所で猛一人ではどうして良いか分からなかっただろう。でも、猛には仲間がいた。頼りない己を何時も助けてくれて、仲間と認めてくれるとても頼りになる友人達が。平静であれば、だが。

「二人共、落ち着け! 今はそんなどうでも良いやり取りをしてる場合じゃないでしょ!?」
「「どうでもよくねぇ! どちらのペットが優れているか―――」」

どうでも良い話を続けていた二人が、見事なまでにシンクロした動作で振り返り、しっかりと立ち上がっている猛の顔を見て押し黙った。
猛の顔は、先程とは違う意味で恐怖に染まっていて、見るからに焦燥感を感じているのが分かる。何をそんなに焦っている――と考えた所で、飛鳥と健二は当然、お互い共通の人物に行き着いた。

「そうだ、佳代先輩!」
「糞ッ! 失念していたッ…。教室を飛び出して無きゃ良いが……」

顔を蒼褪めさせる健二と、こんな状況とは言え、いや。こんな状況だからこそ、忘れてはならない人物の事を忘れていた事に、苛立つ飛鳥。
幾らこのような状況で動転していたとはいえ、大事な友人の大事な人で、飛鳥自身も良い人だと好意を抱いていた相手なのだ。だが、後悔している場合では無い。
一秒でも早く、佳代の安否を確かめなければ―――。

「猛、携帯で佳代先輩に連絡を! 健二、使える物を探すぞ」
「うんっ!」
「あぁっ!」

猛はすぐに携帯を取り出して佳代に電話をかけ、二人は掃除ロッカーを漁ったりしながら使える物を探す。
武器として使えそうなのは、幸い幾つかあった。モップ二本に、自在箒一本。自在箒はプラスチックで心元無いが、モップの方は金属だ。十分武器となる。

刀を教室に置いて来たのは痛いが、今は気にかけている場合では無い。武器を発見した飛鳥は少しでも動く死体に付いて情報を集めようと先程生徒達を襲っていた時の光景を思い出しながら、今下で動いている動く死体達の動きと姿を観察する。

「動きはそんなに早く無い。徒歩より少し早い程度。眼は―――見えているのか? 白濁してるがどうなんだ、あれ。あれだけ内臓物をぶちまけながら歩いてるって事は人体の急所を潰しても意味はなさそうだな…」
「つまり何をしても死なないって事か!?」
「まだ決まった訳じゃない。焼いたりすれば倒せるかもしれないし、硫酸か何かぶちまけて見ても良い。それか五体をばらばらにでもすれば流石に動けないだろ」
「ば、ばらばらって、お前……。いや、そうだな。相手は人を襲う化け物だもんな…。幾ら人の姿をしてても……。それよりも硫酸か奥の部屋にあった筈だ」
「いや、やめとけ。持ち運びずらいし、相手にかけるにしても、やりづらい。下手にかけようとして自分にかけたら洒落になんねぇよ。通じるかどうかも分からないしな」

震えながらも覚悟を決めた表情で、奥の部屋へ向かおうとする健二を飛鳥が制止する。
戦闘に関する事なら飛鳥に一任するべき、長年の付き合いである健二は、疑う事無く飛鳥の言葉に頷いた。

「駄目だ、飛鳥君! 佳代ちゃん出ないよっ!」
「落ち着け。逃げているのか、気づかないのか、授業中だったから、鞄かロッカーに入れっぱなしにしている可能性だってある」
「そ、そうだよねッ! でもそれじゃあ尚更急がないと!」
「あぁ、分かってる。先輩が何の授業をしていたか分かるか?」
「ごめん、分からない!」
「いや、普通分かんなくて当然だ。一応聞いてみただけだ」
「おい、飛鳥! あれ!」

猛と話を続ける飛鳥に、健二が切羽詰まったように声をかける。飛鳥が話している間、少しでも情報を集めようと窓に張り付いていたのだ。
健二が指を指す方には、小柄女生徒に手を掴まれ、丁度引き倒される大柄な男子生徒の姿あった。必死にはねのけようともがいているが、逆に抑えこまれて首筋に噛みつかれてしまう。

「あ、あぁ。あいつ、確か同じ中学のレスリング部だぜ。県でも結構強かった筈だ」
「…力も尋常じゃ無いみたいだな。俺はともかく、お前等は掴まれたら振りほどくのは容易じゃ無さそうだ」

これ以上は探った所でどうしようも無さそうだし、最早留まる理由も無い。
一刻も早く佳代を探しに行かねばならなかった。

「出る前に情報をい纏めるぞ。動く速度は徒歩程度、此方をどうやって判別しているかは分からない。だから例えあいつ等が後ろを向いていても注意しろ。元々死んでるから心臓とかを潰しても意味は無さそうだ。
 そして一番注意しなければいけないのは、連中の力だ。恐らく死んだ事によって痛覚とかが無くなって怪力を出せるようになっているんだろう。だから、無理して倒さず捕まらないようにする事だけ考えろ。棒で押し返すとか方法は各自で。とにかく捕まるな。あいつ等の相手はできる限り俺がする。良いな?」

飛鳥と猛はモップの柄を、健二は箒の柄を携えて、しっかりと頷いた。
それに飛鳥も頷いて答える。

「猛は俺の後ろに、殿は健二! 健二は後ろに気を配りながら付いて来い! 一瞬たりとも気を抜くなッ!」

飛鳥の声に、二人が応じるように力強く承諾の声をあげ、三人は実験室から飛び出した。
三人が目指す人物が、無事である事を祈りながら―――。
 





[20336] 第四話
Name: 磯狸◆b7a20b15 ID:9ed37a25
Date: 2010/07/19 00:15
 最初の遭遇は、実験室を飛び出してすぐだった。音や声などから、すぐ近くに迫っていたのは出る前から分かってはいた。
相手の正体はともかく、現実では推し量れない化け物である事は分かっていたのだ。
それでも。相手がどういう物かおおよそ分かっていながらも、飛鳥達は眼の前の直視しがたい光景に、絶句した。


飛鳥達の眼の前、呻き声を上げながら近づいて、来るのはつい先程まで飛鳥達のクラスメートだった物達だった。
肉を抉り取られ、肉と骨が剥き出しの物、胸を重点的に被りつかれ、豊かであった乳房を喰いちぎられた少女だった物、他にも数人の見覚えのある”物”達。


話しかけられた者もいる。話しかけた者もいる。まだ入学したばかりで、交流は無いに等しかったが、皆無だった訳ではない。
僅かな間とは言え、言葉を交わさなくとも、毎日顔を合わせ、彼等が”普通”に生きているのを見て来た。それも、つい先程までは皆が生きていたのだ。
五体満足で、誰もが健康な状態で、”普通”に生きていた。


それが今はどうだ。
程度の差はあれど、衣服や皮膚を血に染め、臓物を垂らし、完全に死体となって迫って来る。
生命力に満ち、輝いていた瞳は、色を失い、白濁した濁った眼で飛鳥達をぎょろりと弊害し、まるで助けを求めるかのように手を伸ばして来る。

『ひっ―――』

背後で猛と健二の息を呑む声が聞こえた。
見なくとも分かる。二人は生前とは比べ物にならない酷い有様となってしまったクラスメート達を直視できず、顔を背けている。
自身もそうしたくなる衝動を、必死に押し殺す。


そしてついに後一歩でも進まれれば、伸ばした手で掴まれてしまう所まで、笑顔の可愛かった女生徒の手が迫った時、飛鳥は動いた。
気を抜けば震えそうになる手に力を込め、至って無造作に右手に握ったモップの柄を振り下ろし――――。

『――――グシャッ』

女子生徒だった物を、既に人外の力と言える膂力を持って粉砕した。
振り下ろされた一撃は、どれだけの筋力があればそんな事が可能となるのか、獲物はモップだと言うのに、少女だった物は脳天から股下まで、断ち切られ―――いや、押し潰され、二つに分かれてゆっくりと倒れ伏す。


吹き飛ばして手の届かない範囲に飛ばす事も、窓の外へ向かって飛ばす事もできたが、飛鳥は敢えて頭部を粉砕した。
飛鳥は覚悟を決めたのだ。元人間と言う事もあって、躊躇う気持ちがあった。現れたクラスメート達だった物を見て、迷いが生じた。
だが、クラスメート達はもういない。”者”は”物”となり、自身や背後にいる友人達の命を奪おうとする敵と化した。
だからこそ、飛鳥は迫りくる物達を、明確なる自身の敵として定める為に、これは人では無く、物であると言い聞かせる為に、その覚悟として少女だった物をを必要以上の力で粉砕したのだ。


呻きながら寄って来る、男子生徒と少女の頭を粉砕する。
至って簡単な作業だった。祖父との立ち合いに比べれば、それこそ停止していると同義である緩慢な動き。ただ真っすぐ向かって来て手を伸ばすだけの、技も技術も無い動き。無造作に一閃するだけで、やって来る物達は何の抵抗も無くそれを受け、吹き飛び、血を撒き散らす。


頭を潰せばそれで終わるのか、最初に潰した物も、その後潰した二人も再び動き出す気配は見られなかった。
しかし、吹き飛ばして壁に激突させた物達は、平然と再び迫り、飛鳥は今度は頭部に向けて一閃。頭の中身が飛び散り、血が窓ガラスへと飛び散る。
倒れた物等は、もう動き出す気配は見られなかった。


「――――敵に慈悲は必要無い、だよね。お爺ちゃん」


口の中だけで呟くだけの言葉。背後で震える二人が聞けば、あまりに弱々しく覇気の無い飛鳥の声に驚愕しただろうが、あいにくそれを聞いた者はいなかった。
そして飛鳥は、未だ顔を背けた二人へ向けて怒声を上げる。

「”敵”から目を逸らすなッ! こいつ等はもう人間じゃねぇ…。ただの動く肉塊だ! 躊躇えば俺達がやられる! こうして立ち止まっているだけでも先輩がこいつ等みたいになっちまう可能性は跳ね上がるんだぞ! 猛、泣いている場合か!? 先輩も今頃、助けを求めて泣いてる筈だ! 此処で現実から目を背けて泣いてて良いのか!?」

二人が思わず飛び上がるような凄まじい大喝だった。
猛は飛鳥が打倒した物達に視線を向け、思わず顔を逸らしたが、顔をぶるぶると振って見据え、飛鳥の怒声に引きつけられたのか、奥からやってくる奴等に視線を向け、飛鳥の眼を見てしっかりと頷いた。そこに恐怖の色は無く、どんな事をしても佳代を助けると言う強い意志が窺える。飛鳥への言葉にも、何の含み無い、純粋な心からの言葉。

健二は飛鳥が倒した相手達と飛鳥を見比べ、飛鳥に何時もの―――祖父との稽古を見物した後の―――呆れた眼差しをやり、苦笑した。

「―――ごめん、飛鳥君。僕、佳代ちゃんを助けたい! お願い、手を貸して!」
「―――ほんと、お前は人間やめてるよな。ま、本当に今更だからどうでも良いけどさ」

化け物に対する恐怖もあったのだろう。ちょっと前までクラスメート…人間だった物を平然と処理した飛鳥を恐れる気持ちも生まれただろう。
でも、それを見て尚二人は、普段と何ら変わらぬ態度で飛鳥に触れた。

「――――最初から助ける手筈だろ。俺だって先輩は助けたいんだ。頭を潰せば倒せるとは言え、全部相手をするのは面倒だ。敵は左側へ飛ばすから、右側を付いて来い。
 教室とかにも奴等は侵入している可能性もある。扉の前を通る際には十分に注意しろ」

行くぞ、と告げて背を向ける飛鳥に、二人は顔を見合わせて苦笑した。
付き合いの長い二人は、飛鳥が二人の言葉に酷く安堵し、それを隠す為に先へ進んだ事を看破していたのである。






飛鳥は走りながら直系3メートル以内に近づく奴等を一蹴。頭を潰し、胴を薙ぎ、突き飛ばし、緩慢な動作でやって来るゾンビ達を全く寄せ付けない。
その動きは、一つ一つの動作が全て攻撃へと転じていて、全くの無駄が無い。健二達には飛鳥が獲物を振るっている姿さえ視認できず、ただ飛鳥が持っているモップの柄でゾンビ達を打倒している事しか分からなかった。


結構頻繁に飛鳥の家に遊びに行き、突発的に起こる飛鳥と祖父のじゃれ合いを目撃している二人からすれば、その光景も見慣れた物であったが、やはりこうして実戦の中で見ると殊更異様に見える。飛鳥の一見細い腕で、相撲部の先輩だった物が吹き飛んだのには度肝を抜かれたし、蹴り一発でゾンビ数体が纏めて吹っ飛び、更にはその後ろにいたゾンビ達がドミノ倒しよろしく倒れて行く様は、とんでもないの一語に尽きる。

「…これ何て飛鳥無双?」
「あれだよな。お前等が前やってた三国○双みたいな光景だよな」

何てコメントを手持ちぶたさの二人が漏らす程、眼の前の光景は圧巻だった。

「あ、飛鳥君待って!」

渡り廊下を抜け、管理棟を抜けようとした時だった。
突然の猛による制止の声に、飛鳥は壁に叩きつけ、自分に倒れたゾンビの頭を踏みつぶしながら応じた。

「どうした? 何か見つけたのか?」

かなりの運動をしている筈だが、その顔には微塵の疲れも見えない。
制服にも顔にも、結構な血が付着しているが、それも気にも止めていないようだ。

「うん、この廊下の奥に、うちのクラスの矢部さんと峰君がいる! 追いつめられてるんだ!」

その廊下は結構な長さがあり、構っていれば確実に時間をロスする。
飛鳥にとって身近な者や、その者にとって特別な意味を持つ相手で無ければ助ける価値を見出せない。
飛鳥とて鬼では無い。余裕があり、できる事なら助けてやりたいとも思う。だが今は一秒を争う状況だ。それなのに一番佳代の救出を望んでいる筈の猛がそんな事を言いだすとは思いもしなかった。

「馬鹿言うな、状況を考えろ。俺達は先輩を救出する為に動いてるんだぞ。さっきも言ったろ、こうしてもめている時間さえ、今の俺達にとって酷く貴重な時間を無駄に浪費している愚かな行為だぜ? それでもあいつ等を助けたいと言うならお前一人で行け。俺達は先輩を探す」

突き放したように冷たく告げる飛鳥の声に、猛は肩を震わせて俯いていたが、きっと顔を上げ、決意の籠った眼で飛鳥を射抜いた。

「確かにそうだっ! でも此処で彼等を見捨てたら僕は先輩に顔向けできないっ! 御免、飛鳥君っ! 僕、僕彼等を放ってけないよ! 佳代ちゃんは飛鳥君が助けてあげて!」

叫び、踵を返し、後ろから迫っていた女生徒だった物の頭を殴り潰し、猛は猛然とクラスメートのいる曲がり角に突っ込んだ。
奴等は奥にいる二人に引きつけられていて、向かう先にはいなかった。







これに一番慌てたのは飛鳥である。まさか本当に猛が突っ込んでいくとは思っていなかったのである。
眼の前の者であろうと、他に目的があったり優先順位が低ければ躊躇わずに切り捨てる事のできる飛鳥と違い、猛は誰に対しても平等な優しい男だ。眼の前で数日とは言えクラスメートなった者達が危機に陥れば、例え佳代と天秤にかけても決める事はできない。だったら、一刻も早く助けるか、信頼できる友人に託すしか無いのだ。

「え、ちょっ、待ておい! マジでか!? おぃいいいいい!? さっきの決意は何処行ったんだよ!? あぁっ、もうっ! ちくしょう!」
「っておい飛鳥! 俺を置いてくなぁあああああ!」

当然猛を一人になどできる筈が無い。飛鳥は慌てて猛を追いかけ、圧倒的な脚力ですぐさま追いつきその頭を殺さないよう手加減しつつ力一杯はたいた。

「この馬鹿がっ!? どうでも良い時に男を見せやがってそういのは、好きな子が危機に陥っている時に見せろよな!」
「あ、飛鳥君!? 佳代ちゃんを任せるって言ったじゃないか!」
「黙れこのあんぽんたんっ! お前置いて先輩助けに行って何の意味があるんだよっ! それこそお前を無視って助けに行ってみろ! 仮に助ける事ができたとして、俺達はお前を放って来た事を先輩に知られた途端サンドバックだよ!? 先輩に泣きながら殴られるとかもう二度とごめんだ! 三年前の先輩の暴走を思い出して見ろッ!」

良く走りながら噛まずにこれだけ捲し立てる事ができる物である。
猛も三年前の勘違い暴走事件を思い出し、冷や汗を垂らす。更に飛鳥達より遅れて後ろから、飛鳥の怒声に追従するように健二も声を張り上げる。

「飛鳥の意見に全面的に賛成ッ! あの普段おしとやかな先輩に憎しみに駆られた瞳で見られた俺達の気持が分かるか!? いや、お前には分かるまいこのシスコン野郎!
三年前は知り合ってなかったからまだ良いが、今一度同じように責められたら俺達、マジでもう立ち直れねっての! それこそ此処でお前を見捨てたら先輩助けた所であの時の二の舞じゃぼけぇええええええええっ!」

怒声と共に箒の柄を放り投じ、勝手な行動を取った猛へと制裁を加える。
が、基本的に運動音痴である健二の投げた柄は、猛へと向かってはいるものの、当たりそうにない。

「へぶっ!?」

だが、それを振り向きもせずに飛鳥が軽く触れて軌道修正し、猛の頭に命中するように誘導する。
鈍い音を立て、頭部に柄が当たった衝撃で、前につんのめって転がる猛。無駄に高度な事を無駄な事に使う飛鳥。この辺しっかりと祖父の血を継いでいた。

「ほぐぅっ!? おぶっ!?」

更におまけとばかりに倒れた猛の背中を飛鳥が踏みつけて行き、当然それに健二も続く。
飛鳥はそのままの勢い元、五体の肉塊達に囲まれ、必死にバットを振り回して矢部を護ろうとしている峰達の元に辿り着き、柄を一閃、二閃。


最初の一撃で、大体同じ身長だった四体の肉塊達の頭部を吹き飛ばし、身長の関係であたらかった小柄な肉塊へ向けてもう一撃。
刹那の間に五体の肉塊を今度こそ、本物の死体へと変え、何が起こったか理解できていない峰達は、突然頭部を無くして倒れ伏す肉塊達と、その背後に佇む飛鳥を見て、助けられた事を悟ってへなへなと座り込んだ。

「た、助かったよ霧慧ッ! ありがとう!」
「ほんとに、ほんとっ…うっ、ひぐっ…ありが……」

半泣きで飛鳥に頭を下げる峰と、ぼろぼろと涙する矢部。
余程怖かったのだろう、ぶるぶると震える矢部は小動物のようでちょっと可愛らしかったが、それはそれ、これはこれである。
飛鳥は面倒くさそうにあー良いから良いからと手を振り、矢継ぎ早に言葉を発する。

「こいつ等は頭を潰さなきゃ死なないらしい。それ以外は攻撃しても急所を潰しても基本的に無意味だ。動く動作は分かってるかもしれないがせいぜい徒歩程度で緩慢。
 ただ力は非常に強いから捕まったらアウト、諦めろ! 峰はさっきから何とか押し返していたようだから、扉から出て来る奴等に気を付けて、進むのに邪魔な奴だけ脳天カチ割って脳髄をぶちまけてやればまず大丈夫! さっきの何気に洗練された動きからして何か武術やってた? 槍術か何かだと思うんだが!」
「え、あ、あぁ。中学までは槍術を」

よくこれだけの台詞を噛まずに素早く言える物だと戸惑いながら頷けば、飛鳥は大袈裟に肩を竦めて戸惑う峰の肩に両手を置いた。

「おぉ、それは素晴らしい! なら此処からはもう大丈夫だよな!? さっき教えた事に気を配りながら進めば大丈夫な筈だ! 連れてってやりたいとこだけど、その調子じゃお前等すぐには動けないだろ!? 悪いが手助けしてやれるのは此処までだ! 矢部をしっかり守ってやんなよ! じゃあな!」
「えっ、あっ、まっ!」

しゅたっと片手を上げて踵を返す。
あまりに突然色々な出来事が起きたせいで、飛鳥は少々自棄になっているらしい。健二がかつて見た事が無いくらい飛鳥の様子は可笑しかった。

飛鳥は未だ倒れ伏す猛の襟首を掴み、どうやらちょっと当たり所が悪かったようで気絶しているらしい猛を引き摺り、猛然と元来た道を駆けだした。
やはり、声に引きつけられているのか、向かって来ていた物等を、峰達へのサービスとして全部頭を潰しながら、全くペースを変えずに突き進む。

その後ろを、もうこいつ駄目かもしんないと、ほろりと涙しながら箒の柄と、猛のモップの柄を回収した健二が続くのだった。






猛は教室棟へ入った所で目覚めた。
自分の状態よりも、すぐに峰達がどうなったか確認するのは実に猛らしいと正気に戻った飛鳥と、健二が苦笑する。

「峰達の付近にいた奴等はほとんど倒したから大丈夫の筈だ。先輩を助けたら迎えに行こう。それなら良いだろ?」
「う、うん……。ごめんね、飛鳥君。僕の事を思って厳しい事を言ってくれてるのに無碍にするような真似をして……」
「ま、あの方がお前しいっちゃらしいさ。他人がやったんじゃあれだが、お前は友達だし別に良いさ。俺も結構お前にゃ迷惑かけたしな」

飛鳥が何時ものように楽しそうに笑うので、猛が安心したように頷いた時だった。
飛鳥の耳が、ドアが打ち破られるような音と、聞き覚えのある声を捉えた。

「今のはまさか…先輩の悲鳴!?」
「え!? 佳代ちゃんの!? 僕は何も聞こえ無かった!」
「俺もだ! でも飛鳥が言うなら確か何だろう! 飛鳥、場所は分かるか!?」

健二は飛鳥が身体能力だけでなく、五感も人外めいている事を知っている。
事件が起こったばかりの時は、教室が非常にざわめいていたのと、窓など閉め切っていた事、騒ぎの発生元が、飛鳥が知る由も無いがかなり遠い校門に近かった故に、その時に起こった騒ぎは逃してしまったが、今は違う。ある程度静まっているし、距離も結構近いのだ。間違えようが無かった。

「上だ! 恐らく三年の教室のどっか! でも扉が破られるような音も聞こえた!」

階段や踊り場にいる敵を打ち倒しながら、飛鳥が叫ぶ。

「飛鳥君、僕達は自分達で何とか進むから、佳代ちゃんををお願い!」
「そうだ、行け! かなりやばい状況何だろ!? これくらい俺達で何とかして見せる!」

猛の必死な祈るような懇願と、震えながらも柄で突き、階段から突き倒す二人の言葉に、飛鳥も即座に頷いて動く。
今までただでさえ、視認する事が困難だった飛鳥の身体が、二人の眼の前で掻き消えるように消え去ると、残された二人の頬を疾風が駆け抜け、階段を下って来ていた連中の頭が一瞬にして消失し、ばたばたと倒れ、転がり落ち始める。

「お願い、佳代ちゃんっ…どうか無事で」

飛鳥を追って階段を駆け上り始めた猛の呟きが、飛鳥の移動範囲を逃れたであろう、肉塊の呻き声によって、かき消された。




[20336] 第五話・改訂
Name: 磯狸◆b7a20b15 ID:9ed37a25
Date: 2010/07/18 00:45


 親友の大事な存在の救出を託された飛鳥は、最低限の敵だけ打倒して一直線に廊下を突き進んでいた。
かなりの速度で駆けて行くが勿論教室のチェックも欠かさない。もしかしたら、佳代が破壊された扉の教室から抜け出して、別の教室に逃げ込んだ可能性もあるからだ。
三階だからか、人がほとんど逃げた後だからか、動く肉塊達は飛鳥が拍子抜けするほど少なかった。それでも肉塊達がいると言う事は、此処に残った者達がいた事を意味している。下に逃げて肉塊達に気づいて戻って来たのか、あるいは最初から逃げなかったのか分からなかったが、生きている可能性も―――。


彼女が生きている事を願いつつ、廊下を駆け抜けた飛鳥だったが、最後のA組まで佳代の姿は無かった。そして、最後のA組からは―――。



「――――人の気配が、感じられない」



肉塊達がいるのは感じる事はできるが、生きている者の気配は皆無だった。
そして、立て篭もっていた者が必死に防ごうとしていたのだろう。破られた扉の前には机が散乱している。
教室の中から聞こえて来る呻き声。既に中に生者は存在せず、転がる机を掻き分けるようにして肉塊が出て来る。

出てきた六体の肉塊を即座に葬り、飛鳥は震える手を握りしめ、死体となった物等を踏みつけて、中へと入って行く。
猛烈に嫌な予感がした。脂汗が止まらず、教室の中に視線を奔らせる。何かを見るのに、此処までの拒否感と恐怖を感じたのは初めてだった。

そして、それを見た。
荒れ果てた教室の、一番隅。できる限り入り口から遠くに逃げ、物を投げて抵抗したのであろう。教室中に色んな物が散乱する中、そこにだけは何も無かった。


―――きらきらと輝いていた長い髪。トレードマークとも言えた、所々赤く染まった、青いリボンには、確かに見覚えはある。
―――本当に怖かったのだろう、本来であればころころ良く変わる笑顔が魅力だが、今は涙と鼻水でぐちゃちゃの顔。恐怖に歪んだその顔も、一緒にホラーゲームを楽しんだ時に見た。

「あ……ぐっ……」

飛鳥の手から、するりと力が抜け、モップの柄が転がり落ち、高い金属音を発する。噛み締めた唇が切れ、血が垂れるが、飛鳥はそんな物を気にかける余裕は無かった。

「飛鳥君っ! 佳代ちゃんは―――ッ」
「先輩は無事なのか!?」

平時であれば、絶対に見逃す事の無い背後から、二人がやって来る気配にも、気付かなかった。
そして飛鳥に続いて教室に飛び込んできた、二人もまた飛鳥が目撃した物を目撃した。教室内に、二人の持つ獲物が床に落ちる音が―――木霊する。

―――びりびりに裂かれた制服。本来であればそこにあったであろう、乳房の一つは噛み千切られて落ちている。
―――雪のように白かった肌は、首から上を除いてほとんど赤く染まり、腹を裂かれ内臓と肋骨が露出している。
―――足は千切り取られたのか、片方無くなっている。

恐れていた現実が、そこにあった。



「そ、そんな……か、佳代ちゃん……」

がくりと両膝を付き、呆然と虚ろとなった瞳から涙を流す猛。

「う…うぇっ、げぇえええっ!」

親しい者の無残な姿に、嘔吐する健二。
二人を気にかける余裕も無く、呆然と立ち尽くす飛鳥。彼等は今日一番の、絶望を味わった。
しかし、絶望と言う名の紛れも無い現実はこのままでは終わらない。

肉塊達に殺された者は、例外無く動く死体となって蘇るのである。当然彼等の親しい者も―――。



「―――うぅ、うぅぅぅぅぅぅ”」



――――無論、例外では無い。
きらきらと輝き、猛を見守り続けた瞳は色を失い、猛を護らんとたくさんの者達が嫌煙した飛鳥達を真正面から糾弾した桜色だったのに今は紫に変色した唇からは、全てを呪うかのような声を発する。そして、朝見た時は五体満足だった身体を真っ赤に染め、飛鳥達を喰らわんと、彼等に向かって這い始める。


散乱した机や教卓が邪魔で、思うように動けないようではあるが、それでも少しずつ、少しずつ彼等を目指して這いずる。
彼女だった物が這った後には真っ赤な血の後と、千切れた肉片が零れ落ちる。

三人の中で、一番最初に動いたのは飛鳥だった。
落としたモップの柄を拾い上げ、強く握りしめて歩き出す。それに、健二はすぐに気づいたが、沈痛そうに顔を伏せるだけで何も言わない。
呆然としていた猛は、飛鳥が佳代に向かって歩き始めたのに気づいて転がるよに、飛鳥に迫り、その腰に縋り付くようにして飛鳥を止めた。

「……待ってよっ! 何するつもりだよ!」
「――分かってるだろ。俺だってやりたくない。でももう、先輩は、いない。此処にいるのは先輩だった物だけだ。俺達は……間に合わなかったんだ」

絞り出すような飛鳥の言葉に、信じられないとばかりに首を振る猛。

「……ど、どうして…。どうし、て……飛鳥君は、そん、なに…そんなに簡単に…ッ! 僕はっ! 僕だって…わかってるんだっ! 僕が、僕があの時に安っぽい正義感を発揮してなければっ……! うぐっ! なんでっ…、何でこんな事に…ッ! う、うぅぅぅぅうっ!」

悲しみと、後悔と、突然日常を崩壊させた未知の存在への怒り。そして、眼の前から迫る、大好きな人だった物。
綺麗で、見ているだけで安心した笑顔。佳代が浮かべた様々な表情が、猛の脳裏を過ぎる。
驚いた顔、怒った顔、照れた顔、意地悪な顔、笑った顔――――どんな佳代も、猛は大好きだった。それが、もう見れなくなるなら――――。

「――――ごめんね、飛鳥君。健二君」

飛鳥も、そして健二も眼を見開く。一転して、静かな、そして何かを決めた強い意志を感じさせる言葉と声に。

「何を―――っ!?」
「猛!?」

飛鳥と猛が、驚きの声を上げる。
前者は猛の言葉に戸惑っている所に、突然身体を後ろ引かれた事により。後者は、猛の行動に。
思いっきり後ろに引かれ、バランスを崩した飛鳥を、猛が渾身の力で突き飛ばす。
猛は分かっていた。此処で引いただけでは、絶対に飛鳥は猛の認識を遥に超えた早さでバランスを立て直し、自らの行動を止める事ができると。自分が全力で突き飛ばした所で、飛鳥は掠り傷一つ負わせられない事を。だからこそ、人生で初めて力一杯人に向かって自らの力を使った。



―――そうでもしないと、絶対に飛鳥に止められてしまうから。



飛鳥を突き飛ばして、すぐさま反転。
もたもたしてはいられない。猛は、両足に力を込め、座った状態から、佳代の姿をした物へ向かって飛び込んだ―――。
飛鳥が突然の猛の行動と、自らが猛に突き飛ばされた事に目を見開き、猛の行動の意味を即座に理解―――。


「止めろぉおおおおおっ!」


飛鳥と同じく、猛の行動の意味を理解した健二が叫ぶ。
猛の決意に満ちた声、突然引かれ、突き飛ばされた時の困惑、猛の行動を理解した事による驚愕―――それ等全てが、飛鳥の行動を遅らせた。
飛鳥が体制を整えた時には、もう遅かった。無意識に猛の背に手が伸び―――それは何も掴めず虚空を漂う。



―――そして猛が、しっかりと佳代の姿をした物を両腕で抱え上げ、しっかりとその両腕で抱きしめた。


血が、噴き出す。
猛の右胸に噛みついた、佳代の姿をした物は自ら飛び込んできた獲物の背に手を回し、逃さないようにする。
それでも猛は、痛みに顔を顰めながらも頬笑み、更に抱きしめる腕に力を込める。

「ごめんね、飛鳥君。突き飛ばしちゃって…あぁでもしないと、絶対飛鳥君…うぅん、二人に止められちゃっただろうし」

何時ものように、でも申し訳無さそうに笑う猛に、飛鳥も健二も絶句する。
飛鳥は喉を震わしながら、健二はぎゅっと腕を握りしめて、涙を流しながら猛を睨みつける。

「――――ッたりめぇだ! 誰が好き好んで友達の死何か望むかよッ!」

震える叫びを上げる飛鳥の眼からも、一筋の涙が零れる。
二人の眼から流れる涙を目にし、猛は心から幸せそうに、嬉しそうに微笑んだ。

「嬉しいな…。案外涙もろい健二君は分かるけど、飛鳥君まで僕の為に泣いてくれる何て……。本当に、二人と友達になれて僕は幸せだよ」
「……煩い、見るな。変な時にばっか行動的になりやがって…ッ。普段は度胸何て無い癖に!」

止められなかった事を悔やむ、自責の念と、こんな行動を取った猛への怒り。友を失う悲しみ。様々な感情が飛鳥の中で渦巻く。
それを知ってか知らずか、猛は飛鳥の言葉を穏やかに微笑んで受け止める。

「そうだね…、自分でも驚いてるんだ」
「……呑気な奴だな。驚いたのは俺達だっつーの。命を懸けて大切な者を護るとかは映画とかでも良くあるけどさ、お前の行動は何も残さないぞ」

怒りと悲しみに震え、猛をぎりぎりと睨みつけながら、健二が口を開いた。

「…だね、健二君は厳しいなぁ。僕の自己満足でしか無い事は分かってるんだ。ごふぁっ…! けふっ…。でも、それでも…何の意味も無いと分かってても…佳代ちゃんがいない世界にいたくないんだ」
「…お前、そこまで……」

熊井猛にとって、矢島佳代と言う少女は光のような存在だった。
幼い頃から大きい身体の割に気が弱く、内気だった猛は、すぐに泣いたりする事もあって、格好の苛めのターゲットのような物だった。
馬鹿にされ、貶され、煙たがられ続けてきた。そんな猛をずっと庇い、守り続けてきたのが佳代だったのだ。


おしとやかなのに強くて、輝くような笑顔で何時も猛を迎え、苛められて泣く猛の頭をよしよしと撫で続けてくれた。
どうしてこんな自分を、庇い、見守り続けてくれるのか猛には嬉しかったが、どうして実の親にさえ相手にされないような自分を相手にしてくれるのか分からなかった。


中学に上がって、初めてできた同級生の友達。飛鳥と健二。
どちらも、本来であれば猛のような内気なタイプの人間なら苦手とする人種だろうが、猛はすぐに二人と仲良くなった。
当然、最初飛鳥に話しかけられた時は怖くて怖くて溜まらなかった。女の子みたいに綺麗な顔をしているのに、鷹のように鋭い瞳と近寄りがたい雰囲気。
眼があっただけでちびりそうだったし、教師に聞けば良いのに―――と心の底から思った。でも、恐る恐る、怒らせないように分かりやすく教えた時の―――。

『おー、成程な。お前の説明のが全然分かりやすいわ。ありがとよっ』

気さくで、愛嬌のある笑みを見たら、自然に笑えていた。それに、佳代以外の人にお礼を言われるなど、初めてで、とても嬉しかった。
それから飛鳥が猛に話しかけるようになって、健二が加わり、猛に友達ができた。嬉しくて嬉しくて、たまらなかった。佳代も友達ができたと話したら、自分の事のように喜んでくれた。それがまた、嬉しかった。


そして勘違いと誤解から来る佳代の暴走。
あの時、泣きながら飛鳥達を叩いていた佳代を目にした時から、猛は絶対にもう二度と佳代にこんな顔をさせたくないと強く、強く思った。
あの時から、佳代に守られる事から、佳代を守りたいと思うようになった。


飛鳥と健二と友達になってからは、毎日が楽しかった。
二人の行動はとにかく、突飛で、理解できず、破天荒な事ばかりだけど、物凄く楽しかった。
その容姿を狙われ、佳代が事件に巻き込まれた時も、物凄い行動力の二人に背中を押され、協力して佳代を救う事をできた。


楽しそうに馬鹿な事をする二人、それに連れられて一緒に楽しそうに笑う自分、怒りながらも笑顔で、それを追いかける佳代―――。


それが、ずっと続くと、続けば良いと思っていた。
しかし、続かなかった。佳代は助ける事ができなかった。残ったのは二人の親友。
二人と一緒にいるのは楽しいし、二人とも大好きだ。でも、佳代はいない。佳代がいなければ、猛にはこの世界は酷く価値の無い物だった。
佳代の死を目の当たりにして、猛はそれを痛感した。あの時、飛鳥の言うとおり二人を無視するべきだったのだと。何をおいても、佳代を優先すべきだったのだ、と。

佳代がいなければ、嫌だ。いなくなってしまったのだから、自分も一緒に、消えよう。


「佳代ちゃんがいなければ、生きてる意味が無いんだ」


血を吐きながら、微笑むその顔には、死への恐怖も、生への未練も無い。
そして猛は、自分でも、自分はこんなに残酷な奴だったのかなぁと思いながら、親友への最後の頼みを告げる。

「もう時間、ないみた…ごふっ。もうすぐ、僕は…化け物になっちゃう。で、も…この思いを持ったまま死にたい。身体を化け物にしたくない。お願い、飛鳥君…。僕を…」
「……最低の頼みだよ。この自己中野郎」

猛の言わんとする事など最後まで聞かずとも分かった。
そんな頼み、聞きたく無かった。だが、友人の心からの願いと言う事も、飛鳥には理解できた。

「……先輩と一緒に眠らせてやる。向こうで、仲良くやれよ。あの過保護な先輩の事だ、きっと待ってる」
「だろうな。きっと馬鹿な事をしてってとんでも無く怒ってるよ。間違いない。俺達の受けたあの仕打ち、お前もせいぜい味わいやがれ」

柄を上段に振りかぶり、無理して笑いかける飛鳥の顔は、引き攣ったような笑みに。
何時もの口調で、何時ものように軽く応じる、泣き笑いで顔がぐちゃぐちゃの健二。
そんな二人の顔を見て、嬉しそうに微笑んで、眼を閉じる猛。



「――――そうだといいなぁ」



この優しく強い親友達が、この地獄のような世界を生き抜いて、天寿を全うしてくれる事を心から願う。
そしてできれば、飛鳥には女の子を心から好きになって貰いたい。そんな人がいてくれれば良いなぁ、と思った所で、猛の意識は闇に沈むのだった。










幸せそうな顔をして自ら逝った猛は、ある意味幸せだったのだろう。
飛鳥は、もう二度と動き出す事の無い、親友と心優しい先輩の姿を見下ろし、踵を返す。

「……これから、どうする?」

健二の憔悴しきった声。
できる事なら動きたく無かった。でも、生き抜く為にも行動しなければならないし、何より猛と佳代の遺体の傍にいるのは辛かった。

「俺達の教室に行ってから、職員室に行って車のキーを持ちだそう。学校を出るんだ」
「学校を出るのは分かるけど…何で教室?」
「俺の刀がある。爺さん、今日は不吉な事が起こる予感がするから、持って行けと」
「かーっ、本当にとんでもない爺さんだな……。流石にこんな事態になるとは思って無かっただろうけど」

今頃驚いてるだろうな、と何処か無理した笑いを浮かべ、二人は親友と親友の愛した女性の眠る教室を後にした。


飛鳥達の教室、1-Cは、3-Aの脇にある階段を1階まで下り、ちょっと廊下を進んですぐの所にある。
彼等の話す声につられて来たのだろう、階段には多数の肉塊達がいたが、飛鳥はそれ等を容易く蹴散らしながら進んで行く。

「うげっ…何だよこの数ッ!」

2階から1階へと続く階段は、ほぼ肉塊達で埋まっていた。飛鳥達の声に反応して上を目指していたのか、かなり多い。
飛鳥は階下の音や声、気配から今までとは比べ物にならない数がいる事は分かっていたので、別段驚きもしなかったが健二の方は盛大にその顔を引き攣らせている。
色眼鏡のお陰で分かりづらいが、潤んでいるであろう瞳は、飛鳥に『此処を降りるのか? 正気で?』と訴えかけている。
無論、その答えなど分かり切っているのだが。飛鳥は当然だろう、と頷いた。

「刀を置いて行ける訳無いだろ。他の刀だったらお前の事を考慮して諦めたかもしれんが、あれは駄目だ」
「あーそれってまさか、お前が爺さんに認められた証とか言って見せてくれたすげー綺麗な刀?」
「そう、だッ!」

上がって来た肉塊を、柄を横薙ぎに払う事で4体纏めて落とす。後続の物達も巻き込んで、彼等は踊り場で一纏めとなった。
ついで、二階の廊下からやって来て、飛鳥の背後に迫っていた物を見向きもせずに柄を旋回させて頭を粉砕し、飛鳥は階段を下り始める。


健二はあの刀じゃしょうがないか、もはや何も言うまいと踊り場に落とされて、蠢いている奴等を見て顔を顰めながらも付いて行く。
健二も何度か飛鳥の持つ刀剣類を見た事はある。飛鳥の家には数え切れない程遊びに行っているし、泊まる事さえあったのだから当たり前だが。
飛鳥の自宅の古いが大きな屋敷には、宗十郎と飛鳥の趣味で本物の刀剣類が飾られているのである。


そして、様々な刀剣を自慢気に見せられ、その刀に纏わる逸話だの何だの、宗十郎に遊びに行く度に聞かされた物である。
面白い話があった事もあったが、おおむね似たような話ばかりであったし、刀剣に興味を持たなかった健二には、退屈な話であった。
健二からすれば、刀など、波紋やら柄、鞘などの表面的な見た目は分かっても、それが良い刀とかどうなのかなど、全然分からないのでどれでも一緒だろ、と言う思いが強かった。


が、飛鳥が一年くらいまえに祖父に貰ったと嬉しそうに語った刀だけは別だった。
何時までも見つめていたくなるような錯覚に囚われた事さえある、魔性の美しさを持つ刀で、それが今まで見せられた刀剣の中でも比べ物にならないくらい刀だと、健二にも理解できてしまう程、凄いオーラを持った刀だった。

でも、同時に健二にはその刀は怖かった。ずっと見ていると、何かに魅入られてしまいそうで、とても、とても、怖かったのだ。
そして、それを持って平然としている飛鳥も、ちょっと怖いと思ったのは健二だけの秘密である。
それを取りに行く為に此処を通ると言うのは、非常に憂鬱な気分だった。

「うぇええ…きもちわる」

健二の言うとおり、踊り場は非常に気持ち悪い状態になっていた。
飛鳥に付き落とされた物達がくんずほぐれず絡み合い、立ち上がろうとしているが、お互いの動きが邪魔になって絡み合っているのだ。
実に気味の悪い事、この上無かった。


それ等の頭を健二も一緒になって一体一体無造作に潰して行く。数十秒後には、折り重なって動かなくなる死体の小山が築かれていた。
階段だけで実に20体以上潰したと言うのに、まだ後半分階段は残っており、そこにも当然同じようにいる。
一階にどれだけいるんだ、と健二は気が重くなるのを感じながらも飛鳥の後に続くのだった。



7/18改訂。
当分、普通の奴等しか出てきません。
改訂前の続きを楽しみにしていて下さった方、誠に申し訳ありません。



[20336] 六話
Name: 磯狸◆b7a20b15 ID:9ed37a25
Date: 2010/07/18 19:52



 戦いにくさと数の多さに少々手間取りながら、何とか階段を突破した飛鳥達は、教室の前の廊下に出た瞬間絶句した。
もう、いるわいるわ、廊下に見えるだけで、およそ200体近く。教室内にもいるだろうから、見える数だけが全てでは無いだろう。


流石に健二も、飛鳥が一緒とは言えこの数には及び腰のようで、へこみが目立ち始めた柄をぶるぶると震えながら握りしめた。
そんな健二の様子に、飛鳥はおもむろに柄を一閃。寄って来る肉塊達をふっ飛ばし、背中越しに振り返った。

「心配すんなよ。こいつ等ならどれだけいた所で問題ねぇよ。それにこいつ等全てを相手にする訳じゃない。刀だけとって、とっとと逃げよぅぜ」
「あ、あぁッ。しかし、何でこんなに……」
「多分、放送室で教師を襲った奴以外にも侵入した奴等がいたんじゃないかね。そいつらが授業の音に引き寄せられて、こっちに向かって来てたんだろ。そこへパニックになって突っ込んだ。破壊された教室の扉とかがちらほらあるし、肉塊に追われて逃げようとする先頭の生徒達と、外に向かおうと必死の後続の生徒達。二つがぶつかりあって騒ぎになったんだろうさ。後は混乱している生徒達をどんどん喰って数を増やしたんだろ」

飛鳥のこの予想は、大体は正しかった。
昇降口から侵入した肉塊達が、授業の音につられて放送が始まり、パニックになって教室を出て行く時には、既に複数の肉塊達がすぐ近くまで来ていたのだ。
次々と捕まり、捕食される生徒達に、生きている生徒達は更にパニックになって逃げ回る。外へ逃げようと奥から来るたくさんの生徒達と、突然現れた肉塊達から逃れようとする生徒達。


二つの波がぶつかりあって、混乱は更に大きな騒ぎを呼び、次々と他の肉塊達を呼び寄せたのである。
それにより、次々と喰われてこの有様となったのだ。

「成程…あれだけの騒ぎならそうなるわな。ってかお前、頭悪い癖にそういう事よくわかるよな…。流石戦闘一族」
「おいっ!? お前それはあまりにも失礼だろ! ってか戦闘一族何…か、じゃ……」
「否定できるのか? ん?」

できなかった。
たしか宗十郎は幼き頃、飛鳥の父も宗十郎も同じような目に遭いながら育って来たとか言っていた。一家相伝の健康法とか戯けた事を言っていた筈だ。
それに加えて飛鳥の母親もかなりの剣士だったと聞いた事があるような気がする。


飛鳥が八歳の頃まで何も習っていなかったのは、剣士としての才能があまり無かった父が、普通の子供らしく育ってほしいと願ったからである。
当然、飛鳥はそんな事実は知らない。あくまで飛鳥の剣士としての始まりは、宗十郎が飛鳥を泣きやませる事に焦れた結果である。


そして自分自身も戦いを楽しむ事ができる。
こうして友人が死に、自身も、後ろにいる友人の命さえ危ぶまれる状況だと言うのに、飛鳥の中には敵を打倒する事で沸き上がる高揚感もかなりのものだった。
友人を失う切っ掛けとなった状況なのに、そんな壊れた日常に歓喜する自分自身に、飛鳥は強い嫌悪を抱きながらも柄を振るい続けた。


ロッカーへの道はすぐに開けた。
どれだけ数がいた所で、敵はただ手を伸ばして噛みつこうとして来るだけの動く的。
負傷していたり、体力を消耗していればあれだが、戦いながら休む事も心得ているし、休みの日は一日中宗十郎と打ち合っている事さえ少なく無い飛鳥である。

精神的に酷く疲弊しているとは言え、疲れたなどとは言っていられない。飛鳥には守るべき者がまだいるのだから。
ロッカー前まで教室から出て来た物等含め、倒し尽くし、それでも全く減った様子を見せずに近寄って来る肉塊達を、邪魔だと言わんばかりに吹っ飛ばす。

「よし、健二。今の内に教室内の弁当の回収を!」
「おぉ、了解。すぐ取って来るッ!」

健二は教室へと駆け込み、飛鳥は胸ポケットから可愛らしくデフォルトされた柴犬のストラップの付いたキーケースを取りだした。
ロッカーの鍵を素早く引っ張り出し、鍵を開けて牛革の刀剣ケースを取り出し、中から愛刀を取り出す。


それを腰のしっかりと差し、刀剣ケースは肩に担ぐ。この中には刀の手入れをする道具なども一緒に収められているので、置いて行く訳にはいかない。
再び寄って来た肉塊を無造作に吹き飛ばしながら、飛鳥は健二がやって来るのを待った。


妙に遅い気もするが、健二の気配しかしないし、悲鳴なども無いので何か手間取っているのか? と疑問に思いながらもおとなしく待つ事に。
程無くして、鞄を膨らませた健二がやって来て、おもむろに右手を付きだし、サムズアップする。

「美味そうなのを厳選して来たッ! 早く逃げようぜッ!
「お前何だかんだ言って余裕だなッ!? えり好みしてんじゃねぇよ!」

馬鹿二人は、この危機的状況でも騒がしく会話を続けながら、階段へと向かう。
階段に転がっている死体を踏みつけながら、飛鳥達は次の目的地である職員室を目指すのだった。









 職員室に向かう前に、飛鳥達は猛が助けたクラスメート二人の無事を確かめに、一度向かってみる事にした。
あいつ等がいなければ―――と、思わないでも無かったが、仮にいなかったとしても間に合ったと言う保障は無い。
そんな考えはただの逆恨みだと理性では分かっていながら、感情では納得できなかった。それは健二も同じ気持ちだったが、それでも猛が救いたいと願った奴等だ。


猛が死んで、あの二人まで死んでいたら本当に何の救いも無い。
だから、生きていて欲しかった。猛が何も成し遂げられずに、死んでしまったとは思いたく無かった。
あの時連れて行けていればそれで良かったが、あの時あの少女は動くのは無理だった。勝手に付いて来い、と声をかけるだけでも良かった。飛鳥の後ろにいれば大分生存率は違っただろうから。それをしなかったのは、あの時少女が動けないと瞬時に判断して、すぐに次の行動に移してしまったからだ。


あの少年に背負わせて連れて来させる、と言うのも今思えばできたのだ。それだけ、冷静になればすぐに考え付くような事が考え付かない程、飛鳥は佳代の安否が気にかかって焦っていたのかもしれない。いや、事実そうだったのだろう。それは、佳代の死を目の当たりにした時の、飛鳥が背後の気配に気づかない程に衝撃を受けた事が証明している。そこまで考えて、はたと気づく。


きっと、俺は先輩の事を――――。


そこまで考えた所で、クラスメート達がいた所にまで辿り着いた。だが、既にそこには誰もいなくなっていた。
変わらず、飛鳥が倒した死体が転がるだけだ。

「く、いないな。ってどうした飛鳥、ぼうっとして」
「え、あ、いや。悪い、何でも無い」
「おいおい、しっかりしてくれよ。一瞬たりとも気を抜くな~とか言ってたのはお前だろ」

呆れた様に、だけど少し心配したように飛鳥の顔を窺う健二に、飛鳥は軽く謝罪して周囲の気配を探る。

「あぁ、悪い。…その辺の教室にも気配は感じられないし……あいつらに気づかれて逃げたか、自分達の意志で移動したか」
「糞、何にせよ、無事である事を祈るしかないな」
「あぁ。此処にいてもしょうがない、職員室へ行こう」

生きている事を願い、飛鳥達も生き残る為に再び動き出す。
此処に付く直前まで思考していた事を、無理矢理封じこんで―――。





「なぁ…飛鳥。さっきはあんな事があったばかりで、つい何も考えずに頷いちゃったんだけどよ」
「何時の事だ?」

何だか難しい顔で唸る健二。
職員室へ向かう途中、別の場所に引きつけられているのか、何だか今までに比べてかなり数を減らした肉塊の胸をぽんと胸で押して遠ざけながら、飛鳥が応じる。

「いや、職員室に車の鍵を取りに行く事だよ」
「あぁ、それが?」
「お前、運転できんの?」

時が、止まった。
急停止する飛鳥に合わせて、健二も立ち止まり、二人は顔を見合わせる。

「お前は?」
「この疑問をお前に提示した時点で分かっていてくれると思うが」
「俺もできん。考えて見れば原付さえ乗った事無かったわ」
「……まぁ一応取りに行こうぜ。何事もやって見なけりゃわかんねぇよ」
「尤もだ」

冷や汗を流しながら、頷き合う二人。
そして職員室へと通じる最後の通路を曲がった所で、目の前の光景に二人は再び足を止めなければならなくなる。

「…カラス」
「からすがいるな」

二人の言葉通り、この通路は5羽程度だが、からす達の姿があった。
それ等は首を潰されて倒れ伏している死体をついばんだり、窓枠に止まったりしてじろりと飛鳥達へ赤く染まった眼を向ける。

「はて、からすの目は赤かったっけ?」
「どうだったかな…。まぁ目当ては死体みたいだし、気にしなくていいだろ」

健二の問いに、飛鳥は気楽に構えて走り出す。
健二も後ろに続き、二人が窓枠に止まっていたカラスの横を通過しようとした時だった。


ぐぁああっと、カラスらしからぬ泣き声を上げて、二羽のカラスが突然飛び立ち、紛れも無い殺気を放ちながら飛鳥達に襲いかかったのである。
突然の襲いかかって来たカラスに驚きながらも、健二の頭を狙って嘴を伸ばすカラスの動きを察した飛鳥が、ごく自然な動作で健二の足に自らの足に引っ掛けて転ばせる。
そして自分の方に飛んで来たカラスを柄で叩き落とし、健二を狙っていたカラスも一撃で絶命させて叩き落とす。

「どわっ!」
「伏せてろ」

妙な声を出す健二に短く命じ、今度は死体を漁っていた三匹が飛び上がり、一匹は外に飛び立ち、二匹はその場で威嚇をするように泣き喚く。
そして数秒後、二匹が飛鳥の前を挑発するようにホバリングし始め、妙な動きをするカラスだと思いながら飛鳥が様子を窺っていると、先程窓の外へ飛んで行ったカラスが、硝子を突き破り、二匹のカラスを見ていた飛鳥に向かって突っ込んだ。


無論、そんなの飛鳥は察していた。硝子を割って廊下に入って来た瞬間に、柄をくるっと旋回させてカラスを叩き落とし、硝子が割れたのと同時に一気に飛鳥達へ向かって飛んだ二羽のカラスを一閃。二匹纏めて叩き落とす。

「二匹が陽動で一匹が奇襲、奇襲と同時に二匹が特攻を仕掛けるとは。カラスって凄いな」
「お前ね…。助けてくれたのは感謝するけど、もっとましな助け方にしてくれよ」
「はは、悪い悪い」

謝りながら絶命したカラスを手に掴み、飛鳥はそれをひっくり返したりして調べる。
逃げもせず襲って来たのでてっきり、奴等にやられて鳥も変質したのかと思ったのだが、傷らしい傷は無い。飛鳥に叩かれて羽根やらが折れているくらいだ。
殺気は奴等は出さないので違うだろうな、思いながらも飛鳥はカラスを投げ捨てる。

「…普通の、カラスじゃねぇよな。目も赤いし」
「んーカラスについては良く分からんが、普通では無いよな。多分、二匹があっさりやられたから警戒してあんな風に動いたんだろうが……怖いもんだね」
「いやに凶暴だったよな。鳴き声とかかなり凄かったし」
「あぁ。何だったんだろうな」

突然襲いかかって来たカラスに付いて、語り合うも、やはり良く分からない。
なんにせよ、動く死体以外にも警戒する事ができたのかもしれないな、と締めくくり、飛鳥達は職員室へ向かう。
カラスの鳴き声に引かれてやって来たらしい肉塊を柄で倒しながら、飛鳥達は進む。

「そういや刀は使わないのか? 折角とり行ったのに」
「ん? 別に使わない訳じゃないが…。これの方がリーチは長いし、何気に使い勝手も良いしな。ずっと使ってるし、少し愛着が沸いた」
「お前って結構物持ち良いよな…。まぁ確かにそれで十分だもんな」
「そゆこと」

それに刀は使った後きちんと手入れをしないとすぐ駄目になる。
自分の腕とこの愛刀であれば、何人斬った所で刃こぼれしたりしない自信はある。
だが、ただでさえ戦いで気分が高揚すると言うのに、そこに自分の力を最大限まで発揮できる最高の刀を持って戦い始めたら、ちょっと暴走してしまいそうだった。
だから精神的に疲労している今は、その暴走に身を任せ、健二の事を疎かにしてしまう危険性があるので、抜こうとしていないのだ。

モップの柄が、非常に使い勝手が良いと言うのもあったが。







「あれ…何か結構やられてるな」
「誰かが倒したみたいだな。何にせよ楽で良いや」

職員室のある通路へと出た飛鳥達は、何体も転がる死体を見ながら、周囲を警戒しつつ進んでいた。
途中に何度か変わり果てた生徒達と遭遇したが、変種などには遭遇する事は無なかった。

「職員室に立て篭もってる奴がいるみたいだな。人の気配を感じる」
「まじか? じゃあこれはそいつ等がやったって事か」
「多分ね」

職員室の前には頭を潰された死体が、幾つか転がっていた。
その死体は大体は鈍器で破壊されたようだが、中には釘が突き刺さって倒れている物もあった。
扉からは、バリケードでも作っているのかごたごたと音がしていて、飛鳥達は顔を見合わせて扉を叩いた。

「中にいる人達、聞こえる? 悪いんだけどちょいとお邪魔させてくれないか?」

健二の声に、中でごたごたとしていた音がやみ、すぐにまたがたごとしだす。
しばらくして扉が開いて、中からぽっちゃりした眼鏡の男子生徒と、整った顔立ちの黒髪の男子生徒が顔を出した。
飛鳥の姿と、腰にある刀に一瞬眼を見開きながらも、二人を中へと招き入れる。二人は軽く礼を言って中へ入り―――。ある人物を見咎めてほぼ同時に口を開く。
相手の方も飛鳥達を見て眼を丸くして驚き、心底驚いた表情を浮かべた。

『げ。毒島先輩ッ……。無事だったんすね、良かった! じゃあ俺達はこれで』
「待ちたまえ、二人共。人の顔を見て去ろうとするのは失礼じゃないかな?」

飛鳥達を見て目を丸くしたのは、黒髪の見目麗しい長身の美少女だった。
彼女は、二人が自身を見るなり、完璧なまでに動きも言葉もシンクロさせた無駄の無い動きで、しゅたっと片手を上げ、肩を並べて方向転換をするのを見て、頬を引き攣らせる。当然、こんな対応をされればその声も不機嫌になろうもの。彼女―――毒島冴子は氷のように冷たい声で二人の背中に声をかけた。

その言葉にぴたりと停止した二人は、がっくしと諦めたように肩を落として職員室内へ戻るのだった。






[20336] 七話
Name: 磯狸◆b7a20b15 ID:9ed37a25
Date: 2010/07/19 22:21




 毒島冴子と飛鳥、そして健二は、6年前から交流があった。
現在は国外で道場を開いている彼女の父親が、宗十郎と知り合いであり、彼女の父親が宗十郎に剣の手解きをして貰いに、宗十郎の屋敷に訪れた時に、冴子も父に連れられてやって来たのが出会い。そしてその日も遊びに来ていた健二も、同時に知り合う事になったのだ。



この頃、飛鳥も健二も近所では有名な悪ガキだった。一人ではやらなくとも、複数になると一人ではやらないような事ができてしまうのは、子供も大人もあまり変わらないのかもしれない。具体的に飛鳥と健二がやって来た事をあげれば、近所の家で飼われていた大型犬、グレートピレニーズとセントバーナードを拝借し、背に乗って近所を乗り回したり、近所の壁に落書きをしたり、道路に爆竹をまいたり、テレビで見たキャンプファイヤーをしようと、近くの公園で実施し、ぼや騒ぎを起こしたり、生意気だ、と喧嘩を売って来た近所に住む子供達を、ぼこぼこにし、公園の砂場に首埋めて晒し首にし、更にその周りに蛇や蛙を放ち、中々戻らない息子達を心配して探しに来た奥様方がそれを目撃し、壮絶な絶叫を上げてえらい騒ぎになった…などなど様々な事をやらかしていた。

宗十郎はそれらに対し、

『まぁ、儂も子供の時はやんちゃだったしの。それに子供は元気があった方がえぇ』

などとむしろ推奨していた。
そして一緒に遊ぶ…と言う事で付いて来た冴子も、当然そういった馬鹿な事に付き合わされる羽目になったのである。

父の教育の賜物なのか、当時から気真面目で厳格とした性格だった冴子は、当然それ等の行動を非難し―――、それを煩わしく思った飛鳥と健二の連携プレイにより、スカートを捲られ、水の入った落とし穴に落とされた冴子が鬼となり――――以後、飛鳥達は冴子の前では比較的おとなしくなる。


それからも宗十郎の教育の賜物か、礼儀知らずで口の悪い飛鳥を会う度に叱り、躾けたのである。無論、健二も。
冴子の数年に渡る厳しい躾の甲斐もあり、飛鳥はとりあえず目上の人(祖父除く)に対しては一応の敬意を払うようになったのだ。
が、当然会う度にそんな事をされていれば当然苦手意識の一つや二つは持つ。高校一年になった今、二人にとって冴子は唯一頭の上がらない相手となっているのである。


まぁ飛鳥の場合は、結構割と飛鳥の屋敷にやって来ては、宗十郎に剣の教えを請うていた冴子とは親しい関係になってはいるのだが、やはり幼少期より植えつけられた苦手意識は消えない。そして職員室に招き入れられた二人は、冴子の前で正座させられていた。その顔にはだらだらと汗が流れ、互いに前を向きながら目だけはそっぽを向いている。

「で、二人共。君達はどうしてこの学校にいる? 私は君達が私の学校にいる何て今まで聞いていなかったのだが。確か、私には三船学園に進むつもりだといっていたな」
「あれ…そうでしたっけ? 確かこないだ爺さんに稽古受けに来た時に教えた気がす、る…ようなしないような、いやっ、やっぱり言ったと思って忘れてたかな、あははは」

飛鳥の言い訳めいた口調は、冴子の虚偽は許さないとばかりの視線の強さにしどろもろとなり、結局笑って誤魔化す。
飛鳥も健二も、家から比較的近いと言う理由でこの学園を選んだ訳だ。無論、冴子がいるのも知っていた。冴子に教えていなかったのは、冴子に知られたら、悪さをしていないかなどと頻繁に様子を見られに来られそうで嫌だったのだ。そして、二人でばれるまでは内緒にしておこうと言う結論に至り、今日までは見つからずにすんでいたのだが、此処に来て遭えなく御用となったのである。


必死に目を逸らそうとする二人を、呆れていた眼差しで見ていた冴子だが、この二人が何を考えているかなど、長い間二人を躾けて来た冴子にはお見通しであったので、疲れたように溜息を吐いた。それが冴子のお説教の終わりを示す溜息だと、少なくとも1000回以上こうして冴子にお説教されて来た二人は既に熟知しており、ふぅ、と此方も安堵の息を漏らす。

「まぁ今は長々と話している場合でも無い。二人共無事で良かったよ…。尤も、飛鳥君がいたなら心配は不要だったかもしれないが」

飛鳥の強さは、冴子も長年の付き合いなので良く知っている。
自分では歯が絶たない宗十郎とも互角に渡り合う程の剣の使い手であり、冴子が本気で挑んでも遊ばれてしまう程の強さの少年。
普段の行動と態度からは想像もつかない程の使い手なのである。尤も、それも冴子もどん引きする程の厳しく痛々しい研磨の果てに得た実力なので、その点に関しては心から凄いと思うのだ。本当に。


それだけに、普段の行動や言動が非常にあれなのと、初対面の日に起こった出来事のせいでつい印象が性質の悪い悪戯小僧のような感じで固定されてしまい、厳しく接してしまいがちになるのだ。一人っ子で兄妹が欲しいと思っていたのもあって、非常に手のかかる弟ができたように思い、今まで躾をして来たのである。
それだけに、こうして一緒の学園にいるのを教えてくれていなかったというのは、腹立たしいが、考えて見ればそれも実にこの二人らしい行動でもあった。

そして、そう思って冷静に見て見れば、二人は何処か憔悴したような、覇気が無いようにも見える。いや、確かに無い。
飛鳥はそう簡単に親しい相手だろうと、人に弱みなど見せないので、気持ち落ち込んでいるかな? と言う程度ではあるが、健二の方は明らかだ。
突然こんな事になったのだから、憔悴していてもおかしくは無いが、飛鳥がこの程度の事で堪えるとは考えにくい。何かあったのか、と思ってみれば、中学になってから二人に加わった、どうしてこんな子が、と冴子が不思議に思うくらい二人とは正反対の少年、熊井猛とその幼馴染である矢島佳代の姿が無い。

挨拶を交わす程度で、その二人とはあまりに交流の無かった冴子だが、飛鳥達と非常に仲が良かったのは知っている。
佳代の方はクラスこそ違うがこの学校に通っていたし、何度か見た事もある。飛鳥が自分の親しい者を見捨てて来るとも思えない。

「…君達と仲の良かった、二人はどうした?」
『ッ…』
「そうか…。すまない」

冴子の問いに、顔を俯かせ、唇を震わせる二人。
常にお気楽な二人が、このように表情を辛そうに歪めるのを見れば、どうなったかなど答えを聞かずとも分かった。

「あの、先輩…。その二人は?」
「ん、あぁ…私が良く教えを請う剣術の先生のお孫さんとその友人だ。ほら、ちゃんと立って自己紹介しろ。私と鞠川先生以外は皆二年生だからな」

つまり、ちゃんと敬語を使えと言う意味である。
座らせたのは誰だ、とでも言いたげな不満そうな顔を浮かべる二人だったが、冴子に鋭い目で見据えられてぶんぶんっと頷く。
実によく躾けられていた。

「……1-C、霧慧飛鳥です」
「同じく1-C、猫威健二っす」

二人の後に続いて、室内の者達が名乗る。
最初に飛鳥を迎え入れた、やせている方の少年が小室孝。眼鏡をかけた太り気味の体型をしているのが平野コータ、ぴんっと立った二本の触角のような頭髪が特徴的な―――飛鳥は失礼とは思いながらも大嫌いな黒いダイヤを連想してしまった―――整った顔立ちの少女、宮本麗、母性に溢れた凄い兵器の持ち主、机にだれているこの場で一番年長者の筈なのに果てしなく頼りなさそうな校医、鞠川静香、そして会った事は無い筈だが、何処となく見覚えのある眼鏡をかけた少女、高城沙耶である。

高城、と言う名を聞いて、もしやと思った飛鳥はちょっと躊躇いながらも口を開く。それ程珍しい名字では無いが、既知感を覚えたのだからその可能性は高いと思ったのだ。

「よろしくお願いします。それと―――高城先輩はもしやとは思いますが右翼団体会長の高城壮一郎さんのご息女では?」
「―――だったら何よ!?」

不機嫌全開で睨みつけて来る彼女に、飛鳥はあぁ、とその理由を察する。
右翼団体会長の娘と言う事で、今まで彼女が周囲の人間にどういう扱いを受けて来たかは想像するのは難しく無い。きっと飛鳥もその手の人間だと思われたのだろう。
だが、それは飛鳥の反応で戸惑いへと変わる。

「あぁ、やっぱり! 壮一郎先生にも娘さんがいるとは聞いてましたが、こんな所で会うとは……。いや、百合子さんに良く似てますねぇ」

お陰ですぐに気づいた、と笑う飛鳥からは何の含みも、悪意のような物は感じられない。むしろかなり好意的であったのだから、沙耶は戸惑った。
しかも、壮一郎”先生”と言ったのである。おまけに母まで知っているらしい。

「え、あ……あんた、あたしのパパとママを知ってるの? それに先生って何よ」
「半年程ご自宅に通わせて貰って、稽古を付けて貰った事がありまして。高城先輩には顔を会わす事は無かったですがね」
「稽古って…あぁ、剣術ね。それ、真剣よね? あんた、学校にまでそんなの持って来てる訳? まぁ今日に限って言えば持ってて良かったとは思うけど」
「何時もは持ち歩いてませんよ……。今日は偶々です」

飛鳥の腰の刀に目を向け、沙耶が何処か呆れ気味に口を開く。とりあえず納得してくれたようで、険のある雰囲気は払拭されたので、安堵する。
冴子の方は飛鳥のしっかりとした口調にうむと頷きながら腰の刀に目を向け、おぉ、それは……。などと目を輝かせる。
当然冴子も、飛鳥の刀がどれだけの物か知っている。しかし、刀を目にして瞳を輝かせる女子高生と言うのはどうなのだろう、青春的な意味で。

「君がそれを持って来ていたとはな。偶然とは恐ろしいな……」
「あ、いや。爺さんが不吉な予感がするから持って行けと」

その言葉に、冴子はあぁ、とすぐさま納得する。
あの色んな意味で人間止めている破天荒な飛鳥の祖父であれば、騒ぎを起こる事を予感しても全く不思議は無い。
ちなみに、冴子の宗十郎の評価は、真面目にしている時の人となりは尊敬できるし、剣の腕も凄まじい人であるが、普段の態度から―――それは飛鳥もだが―――いまいち尊敬を抱けない人、というものである。

「冴子さんその刀お気に入りですもんね…。俺は怖いんですけど」
「ん、あぁ…そう感じるのは実に大事な事だ、健二君。飛鳥君の刀には、確かに人を狂わす力がある。何も考えずに手に取れば、狂わされてしまうだろうからな」

今まで黙って飛鳥が話すのを見ていた健二が、苦笑しながら口を開く。
それに冴子が感心したように頷いて、飛鳥に刀を見せてくれとせがんだ。飛鳥は苦笑して刀を抜き放ち、冴子に手渡す。
その魔性の輝きを放つ刀身に、冴子がうっとりと頬を染めて見惚れ、他の面々も魅入られるようにその刀に視線を送る。大変綺麗で色っぽいのだが、刀を手にうっとりするする冴子に、健二はちょっと引いた。まぁこれは飛鳥の刀を目にする度にこんな感じだったので、もう慣れていたが。


昔はもっとちゃんとした人だったのに…と思う健二。宗十郎や飛鳥の家に頻繁にやって来ていた事で、彼女も少なからずあの戦闘一族に戦闘面以外も染まってしまったのかもしれない、戦いぶりも十分人外に含まれるし、と健二は劇画チックな顔で戦慄するのであった。






「そうえば君達は職員室に何をしに?」
「車の鍵を拝借に。冴子さん達は何時から此処に?」
「君等もか。君達が来るちょっと前だよ」
「鞠川先生、車のキィは?」

二人の会話を聞いていた孝が、思い出したように静香に声をかける。
健二は麗がテレビを見ているのに気付き、健二もまたこの事件が報道されているのか気にかかっていたようで、テレビの前へ向かう。

「あ、バッグの中に……」

バックの中身をごそごそと漁り始めた静香に、飛鳥に水の入ったペットボトルを渡しながら冴子が尋ねた。

「全員を乗せられる車なのか?」

「うっ」

車の鍵を探す静香の動きがピタッと停止する。

「そういえば無理だわ……コペンですっ」

それを聞いた皆は、そりゃ無理だと苦笑を浮かべる。

「部活遠征用のマイクロバスはどうだ? 壁の鍵掛けにキィがあるが」
「本当だ、あれなら全員乗っても余裕そうですね」

冴子の言葉に窓の近くにいたコータが外を確認し、マイクロバスを見つけて指差す。平野の隣にいて外を眺めていた飛鳥も、バスに目を向けて頷いた。

「バスはいいけど、どこへ?」

静香の言葉に、座り込んで水を呑んでいた孝が答えた。

「家族の無事を確かめに行きます。近い順に家を回って家族を助けて、その後は安全な場所を探して……」
「見つかるはずよ。警察や自衛隊が動いてるはずだもの。地震の時みたいに避難所とかが……どうしたの?」

孝の言葉に頷き、沙耶がテレビを見てうわーっと引き攣ったような声を漏らす健二へと問いかける。
健二の隣でテレビを見ている麗は、呆然とテレビを凝視していて、健二が黙ってテレビを指差した。
冴子が手近にあったテレビのチャンネルでボリュームを上げ、室内に緊迫したアナウンサーの声が響く。

【―――です。各地で頻発するこの暴動に対し政府は緊急対策の検討に入りました。しかし自衛隊の治安出動にちういては与野党を問わず慎重論が強く……】
「ぼ、暴動!? 暴動って何よ暴動って!」
「混乱を恐れてるんでしょうね。死体が生きた人間を襲う何てパニックになって然るべきですから……無駄な事を」

憤る孝に、飛鳥が嘲笑を浮かべて答える。ニュースを見るに、この現象は各地で起こっているのだろう。ならば、こんな騒ぎを隠し切れる筈が無い。

【……ません。既に地域住民の被害は1000名を超えたとの見方もあります。知事により非常事態宣言と災害出動要請は……】

テレビの中では、何処かの避難所のようで、ストレッチャーに乗った黒い布で覆われた死体が運ばれていく姿などが映し出されており、その手前でそれなりに美人なキャスターが喋っている。その顔は蒼褪めていて、できれば今すぐこの場から逃げ出したいと強く思っている事が、飛鳥には見て取れた。そのキャスターの言葉を遮るように、銃声による発砲音が上がる。

【発砲です! ついに警察が発砲を開始しましたっ! 状況は分かりませんが…。きゃぁあああああっ! 嘘、いやっ、なに!? うそっ、たすけ… うあっ うあああああああああぁぁぁぁあ!】

突然カメラがぶれ、キャスターの悲鳴が上がる。その背後では、黒い布が被せられていたストレッチャーが大きく盛り上がり、蠢いていた。
キャスターの戸惑うような声は、途中で断末魔のそれへと変わり、悲痛な声とぶしゃーと言う何かが噴き出す音と共に、映像は途切れた。そして【しばらくお待ちください】
と言う花畑をバックにしたテロップが流れ、室内が重苦しい沈黙に包まれた後、中年と30代の男性のいるスタジオへと切り替わった。

【……何か問題が起きたようです。こ、ここからはスタジオよりお送りします】
「それだけ!? 何でそれだけなんだよ!?」
「さっきと同じ。混乱を恐れてるんでしょうね」
「今更? 何処もかしこもパニックじゃない」
「今更だからこそ、よ! 恐怖は混乱を生み出し混乱は秩序の崩壊を招くわ。そして秩序が崩壊したらどうやって動く死体に立ち迎えると言うの? つまりはそういう事よ」

再び憤るに、飛鳥が言葉を返す。
その言葉に、今度は麗が疑問符を浮かべて飛鳥を見る。飛鳥が答えるより先に、沙耶がそれに答えた。そして再びテレビを注視する。

【屋外は大変危険な状況になっているため可能な限り自宅から出ないで下さい。また、自宅の窓・入口はしっかりと施錠し窓などは可能な限り施錠して下さい。何らかの理由により自宅にいられなくなった場合は各自治体の指定した避難場所に…】

これ以上このニュースは聞いていても意味が無いと判断した沙耶が、チャンネルを切り替える。
今度映し出されたのは国外の状況を報道している番組のようだった。ゾンビで溢れかえるニューヨークの映像をバックに、金髪のキャスターが読み上げている。
そして読み上げられたニュースは信じがたい事ばかりだった。

【全米に拡がったこの異常事態は収拾する見込みは立っておらず、合衆国首脳部はホワイトハウスを放棄。洋上の空母へ政府機能を移転させるとの発表がありました。なお、これは戦術核兵器使用に備えた措置であるとの観測も流れております。なお現在の時点でモスクワとの通信途絶。北京は全市が炎上。ロンドンは比較的治安は保たれていますが、パリ、ローマは略奪が横行……】

たったの数時間。朝は普通の、何時も通りの日常だった。それなのにたったの数時間で世界中が大混乱に陥っている。

「朝…ネットを覗いた時は何時も通りだったのに……」
「信じない……信じられない…たった数時間で世界中がこんな事になる何て……」
「なんとまぁ…流石に驚いたな」
「こんな状況…どうしろってんだ……」

顔を俯かせるコータに、信じられないと悪夢のような現実を否定する麗、世界規模で起こっている騒ぎに驚愕する飛鳥、呆然とテレビを見て呟く健二。
冴子は厳しい顔でテレビを睨みつけ、沙耶は黙ってテレビを見据えている。
皆がこの状況を此処まで大きく考えていなかった。こんな事態が世界中で起きているとは思っておらず、そのうち元通りになるのではないかと心のどこかで思っていた。
だが、この現実を目の当たりにすれば、冗談でもすぐに何時も通りになる何て言えない。思えない。だが、そう分かっていても口に出さずにいられないのが人間と言う物だ。

「ね、そうでしょ? きっと大丈夫な場所、あるわよね? きっとすぐ何時も通りに…」
「なるワケないしー」
「そんな言い方する事ないだろ!」
「パンデミックなのよ? 仕方ないじゃない」
「パンデミック……」

孝に縋り付く麗の言葉を、沙耶があっさりと否定し、その言い方に孝が喰ってかかる。
それでも沙耶は冷静に返し、パンデミックと言う言葉に静香が顔を蒼褪めさせる。

「感染爆発の事よ! 世界中で同じ病気が広まってるって事!」
「インフルエンザみたいなもんか?」
「ですかね?」

疑問符を浮かべ、隣の飛鳥に尋ねる孝に、飛鳥も疑問符を浮かべて沙耶に尋ねる。

「1919年のスペイン風邪はまさしくそう。最近だと鳥インフルエンザにその可能性があると言われてたわ。インフルエンザをなめちゃいけないのは分かってるわよね?
 スペイン風邪なんか感染者が6億以上。死者は5000万になったんだから」
「それより14世紀の黒死病に近いかも……」
「その時はヨーロッパの三分の一が死んだわ」

淀みなく語る沙耶に、飛鳥は流石はあの二人の娘さんだなぁと感想を抱きながら聞いていた。

「どうやって病気の流行は終わったんだ?」
「色々考えられるけど…人間が死に過ぎると大抵は終わりよ。感染すべき人がいなくなるから」
「でも…死んだ奴は皆、動いて襲いかかってくるよ」
「拡大が止まる理由が無いということか」
「厄介っすね…」

孝が尋ね、何か頼りなさそうな印象を飛鳥に与えていた静香だったが、流石校医と言うべきか、孝の疑問にしっかり答える。
それに、コータが外を歩き回る奴等を見ながら呟き、冴子が纏め、健二が感想を口にする。

「これから暑くなるし、肉が腐って骨だけになれば動かなくなるかも」
「どれくらいでそうなるのだ?」
「夏なら20日程度で一部は白骨化するわ。冬だと何ヵ月もかかる…でもそう遠くないうちには……」
「腐るかどうか分かったもんじゃないわよ。動き回って人を襲う死体なんて医学の対象じゃないわ。ヘタすると、いつまでも…」

静香の言葉に、沙耶が自分の意見を口にし、飛鳥もそれは尤もだと思う。
本当に厄介だと思っていると、おもむろに健二が口を開いた。

「……感染爆発って、こんなに早く世界中に広まるもんですかね? 人為的に行われたテロ、とかは無いですか? 科学的に動く死体を作りだす、何て想像もできやしないんで感染爆発の方がしっくり来ますが、それにしても広まるのが早すぎますよ。そういうウィルスだったらそれまでですけど、感染爆発だったら気象などで地域にばらつきが出る筈ですし、これは世界中で突然起こってますからね…。いや、テロでも無理か。幾ら何でも世界中は……って俺等じゃ原因何か考えた所で無意味ですね。こういった物を調査するには専門の研究施設が無ければ意味が無いし、そっち方面の知識もありませんし。そう言った研究のできる学者が生き残ってて原因解明をしてワクチンでも何でも作ってくれるのを祈るしかないですよね」

仮にそれができたとしてもどれだけ時間がかかるか知りませんがね、と健二が締めくくる。
病原菌の原因解明や、ワクチンを作るなど短時間でできる事ではないし、万全の状況でもそうだと言うのにこの状況である。縋るには、あまりに儚い希望だ。

「テロ…か。こんな事を同じ人間が引き起こした何て考えたく無いものだな。だが確かに今は考えても仕方が無い事だ。
 家族の無事を確認した後、どこに逃げ込むかが重要だな。好き勝手に動いていては生き残れまい。チームだ。チームを組むのだ。生き残りも拾っていこう」

冴子の言葉に、全員が頷き、学校を脱出する為に行動を開始するのであった。





あとがき
この作品の冴子さんは、宗十郎に稽古を付けて貰っている事もあり、原作に輪をかけてチートになっております。
それから前回出て来たカラスですが、この作品内では奴等となった物の肉を食べた動物は凶暴化するとなっています。しかし、奴等になっておらず、あくまで凶暴化だけなので、口で突かれたり、噛まれたりしてもゾンビ化する事は無い言う設定になっていますので、ご了承ください。





[20336] 4話分岐…生存ルートぷろろーぐ
Name: 磯狸◆b7a20b15 ID:9ed37a25
Date: 2010/07/18 11:23







飛鳥は走りながら直系3メートル以内に近づく奴等を一蹴。頭を潰し、胴を薙ぎ、突き飛ばし、緩慢な動作でやって来るゾンビ達を全く寄せ付けない。
その動きは、一つ一つの動作が全て攻撃へと転じていて、全くの無駄が無い。健二達には飛鳥が獲物を振るっている姿さえ視認できず、ただ飛鳥が持っているモップの柄でゾンビ達を打倒している事しか分からなかった。


結構頻繁に飛鳥の家に遊びに行き、突発的に起こる飛鳥と祖父のじゃれ合いを目撃している二人からすれば、その光景も見慣れた物であったが、やはりこうして実戦の中で見ると殊更異様に見える。飛鳥の一見細い腕で、相撲部の先輩だった物が吹き飛んだのには度肝を抜かれたし、蹴り一発でゾンビ数体が纏めて吹っ飛び、更にはその後ろにいたゾンビ達がドミノ倒しよろしく倒れて行く様は、とんでもないの一語に尽きる。

「…これ何て飛鳥無双?」
「あれだよな。お前等が前やってた三国無双みたいな光景だよな」

何てコメントを手持ちぶたさの二人が漏らす程、眼の前の光景は圧巻だった。

「あ、飛鳥君待って!」

渡り廊下を抜け、管理棟を抜けようとした時だった。
突然の猛による制止の声に、飛鳥は壁に叩きつけ、倒れたゾンビの頭を踏みつぶしながら応じた。

「どうした? 何か見つけたのか?」

かなりの運動をしている筈だが、その顔には微塵の疲れも見えない。
制服にも顔にも、結構な血が付着しているが、それも気にも止めていないようだ。

「うん、この廊下の奥に、うちのクラスの矢部さんと峰君がいる! 追いつめられてるんだ!」

その廊下は結構な長さがあり、構っていれば確実に時間をロスする。
飛鳥にとって身近な者や、その者にとって特別な意味を持つ相手で無ければ助ける価値を見出せない。
飛鳥とて鬼では無い。余裕があり、できる事なら助けてやりたいとも思う。だが今は一秒を争う状況だ。それなのに一番佳代の救出を望んでいる筈の猛がそんな事を言いだすとは思いもしなかった。

「馬鹿言うな、状況を考えろ。俺達は先輩を救出する為に動いてるんだぞ。さっきも言ったろ、こうしてもめている時間さえ、今の俺達にとって酷く貴重な時間を無駄に浪費している愚かな行為だぜ? それでもあいつ等を助けたいと言うならお前一人で行け。俺達は先輩を探す」

突き放したように冷たく告げる飛鳥の声に、猛は肩を震わせて俯いていたが、きっと顔を上げ、決意の籠った眼で飛鳥を射抜いた。


「―――そう、だよね。ごめん、僕が間違ってた。佳代ちゃんが危険な目に合ってるかもしれないんだもんねっ! 早く佳代ちゃんを探しに行こうッ!」


力強く飛鳥の顔を見る猛に、普段の気弱さは無い。
脇の廊下から、助けを求める声が響いて来たが、猛は振り返ろうもせず前だけを見る。
悲鳴と飛鳥達の会話に釣られて肉塊達が集まって来る。飛鳥が前に出ようとするのを、猛が手で制して手にした柄を握り締め、振りかぶる。

「僕は――――ッ」

力任せに振り下ろされた鉄の棒は、ぐしゃっと頭を押し潰し、物言わぬ肉塊へと戻すのだった。

「――――もう迷わないッ!」

この行為が、どれだけの覚悟の上に為されたのか飛鳥達には分からない。
ただ、人であった物を傷付けると言う行為が、猛の心を酷く傷付けていると言う事は理解できた。その背中は、かつて無い程頼もしくも見えて、その癖、酷く危うくも見える。心優しく、どんな物でも傷付けるのを嫌う親友に、過酷な選択を強いねばならなかった事を、飛鳥は心から悔いた。
その飛鳥の心情を見抜いたのか、健二がぽん、ぽんと飛鳥の背を叩いて前へ進む。飛鳥はそれに苦笑して、二人の背を追った。



再び飛鳥が先頭に立ち、向かって来る連中を片付けながら進む。
頭を潰し、胴を打ち、手足を叩き折り、窓から落とし、何ともまぁ後ろの二人が心底呆れかえるくらい至って無造作なものだった。
教室棟は管理棟よりも連中の数はかなり多かった。三人が現在いるのは教室棟に入ったばかりの所だが、一直線の通路に30程の数である。

誰か教室に逃げ込んだ者を追って来たのか、一部の教室の前には肉塊達が集まっており、生存者がいるのは明白だった。

「こっちにも生存者がいるみたいだ、猛ッ! これでまだ先輩が生きてる希望も見えて来たな」
「うんっ! 教室を確かめながら進もう! 二年生の教室に逃げ込んだかもしれないし!」

恐らく上がって来ている肉塊達は、奴等に気づいて外には逃げられないと悟り、上へと逃げた者達を追ってやって来たのだろう。

「猛、分かってると思うが…」
「うん。今は佳代ちゃんを見つけるのが先決だ」

飛鳥の声を遮り、迷いの無い口調で頷く猛に、飛鳥は一瞬だけ痛ましげに目を伏せ、それで良いと頷く。
やはり、幾らこんな状況でも、猛が迷い無く他を切り捨てると告げた事に何とも言えない気分になる。それで正しいと自分で猛に言い聞かせておきながら、いざ猛が自分の言う通りに頷くのに、飛鳥は不満を感じた。我ながら我儘な事だ、と呆れて、敵を片付けながら進む。

『た、助けてッ!』
「いないっ。行くぞ」

あっさりと連中を蹴散らしながら進む飛鳥達に気づいた教室内の連中が、助けを求める声を上げる。
飛鳥は中を軽く見渡し、佳代の姿が無いと知れると、中から助けを求める生徒と音楽の教師も、扉を叩き続ける肉塊達も無視し、迷い無く前進する。

三階へと上がる階段まで、後もう少しで辿り着くと所へ辿り着いた時だ。
彼等にとって、聞き覚えのありすぎる声であり、探し求めていた人物の声―――。いや、悲鳴が聞こえて来たのは。

「いやぁあああああっ!」
「飛鳥君ッ! 今のッ!」
「分かってるッ! 上だっ! 猛、健二、とにかく俺の後ろに全速力で付いて来い!」

言うなり二人が付いていけるぎりぎりの速度で走りだした飛鳥が、三人に届く範囲にいる敵を薙ぎ払いながら突き進む。
彼女の悲鳴に釣られてか、階段を上がって行く肉塊達が10匹以上いたが、それは怒涛の勢いで駆け上がる飛鳥によって弾かれ、壁に叩きつけられ、手すりの角に飛ばされて角に突き刺され、、窓から落とされて行く。

「いやっ! いやっぁああッ! 来ないで、来ないでったら! ぅ、うぅうっ! 助けてッ! 猛くんっ…ッ! いやぁあああっ!」

三階へ辿り着いた飛鳥達の耳に、より大きく、はっきりと彼女の悲鳴が届く。
声のする教室は、扉が無くなっていて机が散乱しているように見える。入り込んで行く肉塊達を粉砕し、飛鳥が教室へと飛び込み、すぐ眼の前にいた二体を葬る。

「やだぁああっ! 嫌だっ! 来ないでよぉおおっ!」

そして教室の中には3体の肉塊達と、その肉塊達に黒板のある方の一番奥へと追いつめられた少女が、必死に鞄を振り回して奴等を押い払おうとしている所だった。
教室の一番奥で、涙と鼻水で顔を歪め、必死に鞄を振り回す少女を、唸り声を上げながら、その牙にかけようとする肉塊達。

「―――間に合ったか」

心からの安堵の声を上げながら、飛鳥は音もなく加速する。
散乱している机や椅子などに全く当たらずに接近し、佳代へと迫る奴等を薙ぎ払う。轟音と共に教室の一番後ろに吹っ飛ばされた肉塊達が、壁に当たってずり落ちた。

「佳代ちゃんっ!」

そこへ飛び込んできた猛と健二。猛の声に、佳代がぎゅっと目を閉じてぶんぶんと振り回していた鞄の動きを止め、恐る恐ると言ったように目を開く。
猛が目にしたのは、教室に入った瞬間後方の壁に叩きつけられた三体の肉塊達と、黒板の隅の方でひゅんっとモップの柄を払い、にやりと猛に向かって微笑む飛鳥―――。
そして、そのすぐ横で見る影も無い程に顔を涙と鼻水で汚しているが、何処も傷付いておらず、信じられないとばかりに自分を凝視する佳代の姿だった。
隣にいる飛鳥になど全く気にかけもせず、真っすぐ猛へと駈け出す佳代。同時に、佳代へと駈け出す猛―――。

二人の距離があと一歩となった所で――――


「へぶっ!」
「あうっ!」


―――猛は散乱する椅子の足に、佳代は誰かの鞄に。それぞれ足を引っ掛かって、ずざぁああっと色々と散乱している教室ですっ転ぶ。
が、二人はそんな事を気にも留めず起き上がり、佳代は猛の胸に飛び込み、猛も力強く佳代を抱き締めた。

「……何で二人してこけるかね。しまらねぇなぁ」

せっかく邪魔にならないように肉塊達を後ろに飛ばしたのに、と三体の肉塊を始末しながら、飛鳥と同じように苦笑している健二の元へ向かうのだった。
そんな飛鳥の気遣いを見事に無碍にしてくれた二人は、言葉を交わす訳で無く、ただ涙を流して抱き合いながら、お互いの体温を感じ合い、大事な者が生きている喜びに浸るのだった。





飛鳥と健二が二人の邪魔をしないよう廊下に出て、猛と佳代だけが残される。
二人はそれから10分近く鼻を鳴らしたりしながら抱き合っていたが、ようやく佳代も落ち着いて来たようで、おずおずと上目遣いに猛を見上げる。
その顔に、猛の心臓が高まり、自分がどういう体勢でいるのか今更ながら把握して、顔を真っ赤に染める。それでも抱きしめる腕は緩めず、佳代と視線を合わせる。

「…怖かったッ、怖かったよぅっ!」

本当に怖かったのだろう。未だ、猛の背中に回った手が震え続けていて、顔は蒼褪め、声も震えている。
何せ、彼女はホラー関係の事柄は、何よりも苦手だ。それが、映画の中の世界のように、動く死体が徘徊して襲い来るような事が現実となって起き、ついさっきまでそのリアルホラーの体現とも言って良い、現実の物として現れた化け物に襲われていたのだから。

「大丈夫、もう大丈夫だからね…。本当に、本当に良かったよ、佳代ちゃんが無事で」

その震えを少しでも和らげてあげられるように、酷く優しい声音で言い聞かせるように口を開き、猛は顔を赤くしたまま佳代の髪を撫でる。
それに、佳代はあっと佳代の蒼褪めた頬に赤味が差し、嬉しそうに微笑む。

「……えへへっ、いつもと逆になっちゃいましたね」
「え、あっ…そのッ、そうだねっ。何処も怪我してない?」
「うんっ、大丈夫ですよっ。もうちょっとで食べられちゃうとこでしたけど…。ってそうえばあれは何処に!? 猛ちゃん一人なの!?」

佳代の焦ったような声に、扉の外から―――
『今更かよっ!? ってか飛鳥の事、全く眼中に無かったのな! うひひひっ』『煩いッ、お前も盗み聞きしてないで戦えよッ!』『ばっか声がでけぇよ! 中の二人に聞こえちまうだろ! これから盛り上がって猛が告白したらどうする!? 一生の笑いのネタを逃せと言うのか!?』『告白で一生の笑いのネタってお前は猛に何を求めているんだ…。ってか、中ではらぶらぶいちゃいちゃしてるだろうに、外で必死に一人戦ってる俺って何なの? しかも先輩、必死に駆け付けた俺の存在に気づいて無いとか何なの? 苛めかっ、空気扱いか!?』『それは…同情するぜ。でも、ほら、恋は盲目って事何だろう。つまりお前は眼中にないと…』『いや、それはどうでも良いんだけどさ、もっとこう』以下略。恐らく外は戦闘中なのだろうに、何時ものように繰り広げられている能天気なやり取りに、猛は思わず苦笑した。

「えっと、佳代ちゃんを襲ってたのは飛鳥君が倒してくれたんだけど…気づかなかった? 一人じゃ無いってのはもう言うまでも無いと思うけど…」
「あ、飛鳥君が助けてくれたんですかっ…。全然気がつきませんでした。お礼しなくちゃいけませんね」

たおやかに微笑む佳代は、飛鳥達の何時ものやり取りを聞いた事で、また少し落ち着きを取り戻したらしく、大分落ち着いて来たのが窺えた。
かなり名残惜しそうに佳代は猛から離れ、実際名残惜しいのであろう。それでも外にいる飛鳥達も気になるようで、猛の手をきゅっと握りしめて一緒に行こうと無言で誘う。
猛は佳代が手を繋いで来た事で天にも昇るような気持ちだったが、手を繋いでるのを見た二人がどういう反応を取るかも完全に予想できていたので、ちょっと躊躇うが、その手を離したく無かったので、頷いて扉へと向かう。

廊下はとんでもない事になっていた。
20…いや、40近くの頭の無い死体が廊下、それに階段を埋め尽くしていて一体だけ動いているのがいたが、それを飛鳥と健二で挟み込み、互いに交代で手をぱんぱんと鳴らしあっている。

佳代が一面の死体にひぃっと猛にしがみつき、猛は眼の前の凄惨な有様を見ても特に驚きもしなくなっている自分に驚愕した。
まぁ、此処に来るまでに散々飛鳥の凄まじい戦いぶりを見て来たので、これくらいやってのけるのは訳無いだろうと思っていたが。

「お、ご両人の登場だ」
「…飛鳥君。この状況で無茶な願いなのは百も承知だけどさ…敵を倒してくれてたのはありがたいんだけど、もうちょっと佳代ちゃんの精神面を考慮してよ…」

佳代を救いだした事で飛鳥も少し気を抜いたのか、ほけほけと笑っている。
猛の苦言にたいしても、それは変わらずしょうがないだろー、敵がたくさん来てたんだから、と言いながらぱんぱんっと手を叩く。
それに合わせて健二の方が手をならすのを止めると、健二に向かっていた肉塊が方向転換して飛鳥の方へと動き出す。

「な、何してるの?」
「奴等の俺達を認識する方法に付いて確かめてるのさ。やっぱこいつ等視界は無くて音に反応してるようだ」

飛鳥が手を叩くのを止め、しっと唇に指を当てると、今度は健二が手を鳴らし出す。すると、飛鳥がすぐ近くにいるのに、肉塊は方向転換して健二の元へ。
それを見て猛が本当だっ…と呟き、飛鳥が柄を一閃して頭を粉砕した。

「おやおや、お二人さん感動の再会のお熱が冷めないようで……って、あー。先輩、大丈夫っすか?」

飛鳥達の方へとにやにや笑いながらやって来た健二が、佳代のあまりの顔色の悪さと、がたがたと全身震わせている姿に流石に軽口を引っ込めて心配そうに問いかける。
折角、人生初の極限状態を潜り抜けたと言うのに、この光景である。
色を失っても当然だろうが、流石に飛鳥もそんな事を考慮してやれる程、余裕は無い。当然こんな有様なら佳代の精神に甚大な負荷を与えるのも分かっていたが、襲いかかって来る以上倒さなければ、折角佳代を救ったのに意味が無い。


それに今よりこれよりもっと酷い状態を目の当たりにするだろうから、敵がいないうちに慣れといた方が良いに決まっている。
でも流石にちょっとやりすぎたかも…と、飛鳥は下から上がって来られるのを防ぐために、死体を山と積んで壁と為している階段に目を向けた。
これからは佳代が飛鳥と今まで通りに接するには相当時間を要すだろうな、と佳代が自身を恐怖を宿した瞳で見るようになる事を想像し―――胸を痛める。
だから、俯いていた佳代が突然、毅然とした表情で顔を上げたのには心底驚いた。

「―――大丈夫です。私は皆の中で一番お姉さん何だから、私がしっかりしないと駄目ですよねッ! どうしてこんな事になっちゃったのか…その、あやうく食べられそうになったからこそ、私の常識じゃ計れない事態になってしまった事は分かってます。自分の命を守るのだけでも精一杯の筈なのに、皆で私を探していてくれてたんですよね?
あ、それと飛鳥君、危ない所を助けてくれてありがとうございました。それと、健二君も。三人共、助けに来てくれて、本当にありがとうッ……」

心から嬉しそうに、にっこりと微笑むその顔に、飛鳥と健二の顔に赤みがさす。
自分の命を助けてくれたからでは無い。いや、それも含まれているのだろうが、こんな状況なのに、危険を冒して探しに来てくれたという事に対しての感謝の言葉。
その顔は涙の痕や鼻水のせいで、あれだったが…そんな事は気にならないくらい、輝かしい笑顔だったのだ。


その顔を見て、飛鳥は佳代の事を見誤っていたのだろうな、と苦笑する。
この少女は強い。おしとやかで、天然、流されやすい所もあったが、しっかりとした芯を持っている。だからこそ、今まで飛鳥も猛の幼馴染と言う事を差し引いても、助けたいと思っていたのだ。

「もっとちゃんとしたお礼をしたいとこですけど…。今はそんな場合では無いですよね。飛鳥君、現在の状況を教えて下さい」

でも、それがこれ程までとは思っていなかった。しばらくは動けそうに無いな、と言うか動くと言う選択肢すら彼女には浮かばないと思っていたのだが、しっかり分かる範囲の状況を把握し、取れる最善の行動を取ろうとしている。さっきまで鼻水垂らして泣いていた少女とは思えない、強い意志を秘めた瞳だった。
その瞳に、飛鳥は勿体ないな、と無意識の内に思っていた。凛とした表情はとても美しく、輝いて見えた。既に、飛鳥には彼女を親友の幼馴染兼姉兼恋人みたいな存在として見ているので、恋愛対象としては見ていない。が、もし猛がいなければ、きっと惚れていただろうな、とその顔を見ながら思うのだった。

―――そして、自然にそんな事を思ってしまった事を自覚して、盛大に顔を赤くした。

「ちょっ!? え。な、何!? 飛鳥君。今の顔!? い、いいい、今、僕見てはいけない物を見たような気がしたんだけどっ!?」
「おわー…こんな飛鳥の顔は八年一緒にいたけど初めて見たわ。くまーんが、慌てるのも分かるぜ…超強力なライバル出現の予感か!?」

それを目撃した二人の親友。一人は全く予想外の、そしてライバルとなれば、色んな意味で極めて強大な相手になるであろう親友が大事な幼馴染にした反応に、驚愕し、慌てるしかできない。そしてもう一人は、これは面白くなってきた―――ッ!? とこれから始まりそうな色んな意味で波乱の予感に奇声を上げる。

「あ、あれっ? 飛鳥君? お顔が真っ赤ですよ!? 熱があるんじゃないですか!?」
「な、無い。無いから止めてくれっ!」

ぴょんぴょんっと飛び跳ねて、飛鳥の額に手を当てて熱を量ろうとする佳代に、飛鳥は非常に珍しい事に慌てて顔を逸らし、健二の後ろへと逃げる。

「あ、駄目ですッ! ちゃんと計らして下さいッ! こんな状況何ですから、ちょっとした体調不良でも大変ですっ!」

それを小さな身体の割に大きな胸を揺らして追いかけ、健二の周りをぐるぐると逃げる飛鳥を追いまわす佳代。
そして―――。

「あ、あ、ああ飛鳥君が、佳代ちゃんを? そんなまさか、いや飛鳥君に限って。でもさっきの顔は――…それに佳代ちゃん可愛いし綺麗だし…ちっちゃいけど胸は大きいし
…飛鳥君強いしかっこいいし、頼りになるし…うぅ…もしかしたら、佳代ちゃんも飛鳥君を―――。い、いや駄目だ。おち、おち、落ち着こう……」

―――真っ白になって頭を抱える猛の姿と、まさかの三角関係発生!? と非常に楽しそうに双方を見守る健二。
日常はは非日常へと変わり、非日常が日常となった、地獄のような世界の中で、四人はそれでも平和そうに、いつものようにじゃれている。
少なくとも、彼等にとって今現在は―――絶望では無い。誰も欠けずに、再びこうして笑いあえているのだから。




試しにプロローグだけ投稿。
此方は本編の方が息詰まったり、気分転換や行きぬき程度にやっていこうと思うので、更新は期待しないで下さいw


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