趣味Web 備忘録 2010-03-18

表現規制、こんにゃくゼリー、ゾーニング

1.

このところ、ネットの一部で話題の件。私のスタンスはコンセンサスに基づく児童ポルノ規制(2007-10-26)に書いたこととあまり変わらない。誤解を恐れずに書けば、日本が直接民主主義の国ならとっくに決まっていたことが、間接民主主義によって判断保留となっているのが現状だ。

この変化は、おそらく個人の人生程度のスパンでは、不可逆のものだろう。人権擁護法案への反対運動と同様、今回もデマでも何でもござれの大盛り上がりだ。以前は、一方的な憶測・決め付けを恥じず、そもそも事実の確認を疎かにして他人を罵る姿勢を苦々しく思っていた。しかし絶対に多数派にはなれない者の抵抗というのは、むしろこれが正解らしい。議論の土俵に上がってもメリットがない。ノイジー・マイノリティとして暴れに暴れて、「面倒くさいから結論を先延ばしにする」という果実を得る。案外、そんなことで5年、10年と現状を維持できる。

日本の民主主義というのは、一体どうなっているんだ、と思うよ。ま、約9割の規制賛成派も、それほど本気じゃないわけだ。今のところはね。だから、必死になってる少数派の意見に配慮するのが「バランス感覚」ということなんだろうな。

あと、ダウンロード違法化の件もそうだけど、いったん可決しちゃったらもうほとんど何の抵抗も見られない。ネット暗黒時代が到来するんじゃなかったのか。「こんな地獄は嫌だ! 元に戻せ!」という運動は起きない。「非常識」なことをいっている人たちでも、その辺の状況の読みはバッチリなのが不思議。

今回の件だって、今はコンテンツ産業崩壊とか騒いでいるが、実際は産経のインタビューにある程度のことにしかならないだろう。そして大半の人は、「元に戻せ!」という運動などやらない。「無駄なことはしない主義」の人が多いということなのかな。

恣意的な記述を含む法律や条令なんて、既に世の中にいくらでもある。なのに、新しいものばっかり怖がる。「そんなに心配性なら、現在の名誉毀損罪なんか、さぞかし恐怖の対象だろうね」と皮肉をいいたくもなる。遺伝子組換食品と自然交配、狂牛病と食中毒、こんにゃくゼリーと餅、エレベーターと階段……もう見飽きたパターンだ。

それにしても、ネットで声の大きい層の偏り具合ってのは、正直よくわからないな。世論調査と同じだったり違ったりする。どうしてニコニコ動画のアンケートだと自民支持が多いのかも、全然わからない。

2.

それに加えて、現在の18禁のゾーニングの運用のされかたにも問題がある。宣伝を打てないとか片隅に追いやられるなどの理由で、18禁に指定された途端に本来リーチしてもいい大人にもリーチしない存在になる。

これは全くその通りだと思うな。もしコンテンツの過半が「18禁」という世界なら、消費者も成人向け商品のコーナーへ足を運びやすくなるし、成人向けメディアの中で広告・宣伝が成り立つようになる。

私がこういうことを考えるようになったのは、CEROで「Z区分」や「レーティングなし」になるのを恐れてゲーム開発者が萎縮する、輸入ゲームの内容が削られる、といった話題に接したときからかな。もはやゲーム購入者の過半が18歳以上なのに、どうして「Z区分」がつらいのか、と疑問に思ったんだよね。

テレビだって視聴者の大半は18歳以上。新聞も雑誌もそう。「子どもは区別する」というのが社会的なコンセンサスなら、少数派である子供の方を切り離して、「子どもが接触していい」という区分を、逆に作ったらどうなんだろう、と。だけど……

エロいものを規制する側の目指すところや言い方としてはざっくりいって

  1. エロは子どもの教育によくないので子どもの目の届くところから排除すべき
  2. エロは大人の私が目にすると不愉快なので、大人の私の目に届くところから排除すべき
  3. 特定の傾向のエロを嗜好する人間は排除(あるいは矯正)すべき

の3つがある。で、「2」や「3」の思想を持った人間が「1」を全面に押し出して主張している面が多分にある。

というわけで、現在の「18禁」のあり方というのは、おそらくは多数派の価値判断にピッタリ合致しているのだと思う。

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