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映画監督の新藤兼人さん(98)が、故郷広島の海を随筆に書いている。夏休みには近くの川でウナギを捕らえ、1時間歩いて海水浴場の食堂に卸す。お昼は母が持たせた大きな握り飯と、ウナギの稼ぎを代えたカボチャの煮物だったという▼〈陽(ひ)が落ちるまで海へ入ったり出たりして、夕方になって家路につく。朝は駆けるような早足だったが、帰りはのろのろで倍も時間がかかった……わたしの少年時代は海だった〉。大正の末だろうか▼監督が「波打ち際から50メートルも透明だった。海底はずうっと白砂で」と懐かしむ清浄はもう望めないが、日本は総延長で世界有数の海岸線を持つ。米国をしのぎ、ロシアに迫る長さである。どなたにも、肌や舌に残る海の思い出があろう▼「人類の記憶」に、最悪の海洋汚染が刻まれようとしている。米ルイジアナ州沖の原油流出事故だ。応急措置で止めたというが、発生から3カ月、すでに東京ドームの容積の半分にあたる油が噴き出したとされる▼州旗のペリカンが示すように、沿岸は水鳥の楽園であり、エビやカキの産地だった。ジャンバラヤなどの郷土料理もよく知られる。それぞれに宿るメキシコ湾の思い出やイメージが、褐色の異物と刺激臭にまみれたことだろう▼きょうで15回目という若い祝日を、今年は〈海にわびる日〉としたい。油田開発や海上輸送により、日本近海でも水と油の不幸な出合いが起こりうる。快適な暮らしを保つには、細心の注意を払うしかない。「少年時代は死の海だった」。そんな世代を生んではならない。