きょうのコラム「時鐘」 2010年7月19日

 思いがけないところで「国務大臣、林屋亀次郎」の名前が飛び出した。参院選で落選した千葉法相が民主党代表選後の内閣改造まで一カ月以上も続投することになったからである

そこで引き合いに出されたのが、1953(昭和28)年の参院選挙で落選した後に27日間、国務相ポストにあった林屋氏である。千葉法相は57年前の林屋氏を抜いて、落選議員の閣僚在任最長記録をつくるというわけ

57年前の参院選は吉田内閣の時のことだ。石川県選挙区で自由党推薦無所属で現職閣僚だった林屋氏が、改進党の井村徳二氏とぶつかった。互いに経営するデパートから「戦艦大和と武蔵の決戦」と呼ばれた選挙である

内灘試射場問題が背景にあり、戦後史に残る閣僚落選だった。林屋氏は落選直後に電話で辞意を伝えたという(陣太鼓・北國新聞社刊)。結局、内灘問題を背負った林屋氏は27日間の続投となった

戦後の混乱期と同一視はできないが、現在の千葉法相留任の理由は民主党内の都合でしかない。選挙で示された民意を無視している。留任させる側も引き受ける方も、お粗末な気がしてならない。