ニセ科学批判に対しては、二つのレベルの批判が成立つ。一つは、その概念に含まれる原理的誤謬である。もう一つは、ニセ科学批判の乱用・暴走に伴う批判である。ここでは、原理的誤謬について述べたい。 ニセ科学批判は、批判対象となる学説・商品・技術等に対して(科学/非科学)という区別に準拠して非科学だと判断し、さらに(装う/装わない)という区別に準拠して装っているという判断をし、ニセ科学というレイベリングを行う。 問題は、(科学/非科学)と(装う/装わない)という二つの区別は事実判断であるが、それにプラスして(ニセ物/本物)という価値判断が伴っている点である。つまり、ニセ物=非科学を本物=科学のように装うから悪いという道徳的判断が混在しているわけである。ニセ科学批判の対象が批判される根拠は、社会に対する有害性が本質ではなく、ニセ物を本物のように装うことは悪であるという特定の道徳観から来ている。 さて、ここでニセ物が悪いというのは、どんな場合か考えてみる必要がある。それは一言で言うと、他者に対して本物だと騙す場合だけである。もし仮に他者がニセ物だとわかってニセ物を利用するのなら、ニセ物は有用となる。例えば、義歯は本物を装うニセ物だが、ニセ物だとわかりつつも人々は使用し、本物と同一の機能を発揮する。本物の代わりに機能的に等価なニセ物を人々は利用する。これは悪いことではない。 また、演劇で王様を演じる役者は、本物の王様を装い、観客を魅了するが、役者は客を騙しているわけではないので、役者は悪ではない。ニセ物が悪になるのは、発信側と受信側の関係性を(騙している/騙していない)という区別から観察し、騙しているという場合のみである。 (科学/非科学)と(装う/装わない)という二つの事実判断からはいかなる道徳的判断も導きだすことはできないにもかかわらず、ニセ科学批判は二つの事実判断からニセ物=悪であるという価値判断をくだしているという誤謬を犯している。 (科学/非科学)と(装う/装わない)という二つの事実判断に(騙している/騙していない)という区別を適用することでしか道徳判断は導きだせない。 科学でないものが科学を装う、あるいはニセ物が本物を装うだけでは単純に道徳的非難の対象にはならないにもかかわらず、道徳的に批判可能だとするニセ科学批判は、原理的におかしいのである。 人気blogランキングの他ブログも知的に面白いですよ。 人気blogランキングへ
Tracked from 逝きし世の面影 at 2009-04-12 15:14
タイトル : 何時までも終わらない『水からの伝言』の不思議
関東地区女性校長会による『水からの伝言』(美しい言葉が美しい氷の結晶を作る)の江本勝氏が7月4日「平成20年度 関東地区公立小・中学校女性校長会総会・研修会」として関東地区の女性校長約120名が参加して埼玉県南浦和にあるさいたま市文化センターで開催される。またこの「水からの伝言」の絵本は後日、各関東圏内小学校に約7000冊が無料で配られた。『怒りと違和感』dr.stoneflyの戯れ言 「水伝、教育現場に導入」(1)…ばかばかしさを見抜け!! 2008/09/25 「水伝、......more
Tracked from 逝きし世の面影 at 2009-04-12 15:14
タイトル : 続、何時までも終わらない『水からの伝言』の不思議
本当に『水からの伝言』はニセ科学か?宗教と科学についての基礎知識ですが、原始時代に弓矢が発明された当時。弓矢を技術的(科学的)に改良しようとしたグループには獲物という現実の利益が有り、改良をサボり神様への祈りとかまじないとかに頼っていたグループは飢えに苦しんだ。だから人類は「合理性を尊重する」(宗教より科学を重んじる)という姿勢を身につけてきたとする『弓矢の工夫と狩りの祈り』とのおとぎ話が有る。しかしこれは科学に対する美しい誤解ですね。『昔、科学と宗教は分離していなかった』「......more
Tracked from 逝きし世の面影 at 2009-04-12 15:15
タイトル : 道徳としての『水からの伝言』
『科学』ではなく『宗教』或いは『道徳』モドキ『美しい言葉が美しい結果(結晶)を招く』と主張する「水伝」を科学として人々に紹介することは、近頃流行りの食品偽装とか産地偽装とかの偽装行為、詐欺行為であろう。それなら「水伝」に対するニセ科学との呼び名は敬称に近い間違った認識で、正しい批判ではなく科学的に適切ではない。『消防署を騙る訪問販売』消防署の職員を装って家庭訪問して火災報知器や消火器を売りつける古典的手口の詐欺に、似ていると言えば似ている。ペテン師達は日本人一般が制服やお上の権......more
Tracked from 逝きし世の面影 at 2009-04-12 15:16
タイトル : 『水からの伝言』VS宗教(科学教)のニセ科学批判
『五十歩百歩どっちもどっちの似たもの同士』美しい言葉が美しい結果を得られるという安っぽい宗教(道徳)が、科学や科学的思考方法で有るはずがないんですが、如何いうわけか偶々科学的な装いを凝らすと一部の世間から大歓迎された。此れが所謂『水からの伝言』です。科学を偽装するも何も、万世一系の神話を科学用語DNAで説明しようとした某宮様の話と同じで、元々が科学ではない。インチキ臭い新興宗教である大川隆法の『幸福の科学』と五十歩百歩の代物で一々科学者が解説しなければならない科学的に間違っている「ニセ科学」......more
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